1949-01-29 第4回国会 参議院 法務委員会 閉会後第9号
○委員長(伊藤修君) 藤井氏が参謀総長か参謀次長という格であらゆる過去におけるところの情報を全部蒐集して知つておる筈ですから、それに基いて土壇場に來たわけですから、今後の態度を決定したわけです。
○委員長(伊藤修君) 藤井氏が参謀総長か参謀次長という格であらゆる過去におけるところの情報を全部蒐集して知つておる筈ですから、それに基いて土壇場に來たわけですから、今後の態度を決定したわけです。
それは少し無謀のようでありますけれども、その日参謀総長を訪ねまして、どういう降伏であるかと聽きました。それは私の生産に関係があるから聽きましたけれども、もちろんポツダム宣言を受諾したのであるから、表向きは無條降伏だが、決してそうじやない、条件はある。ポツダム宣言の條件が條件であつて、われわれはそれに服從するが、連合軍側もまたそのポツダム宣言を実行する責任がある。
軍需大臣か、陸海軍大臣か、これははつきりしませんが、もう反撃することはないから、参謀総長かもしれませんが、反撃するような機会も來ぬからということを聞きましたので、そこで生産を中止すべしという命令を十七日に出しております。
○遠藤證人 そうでありますけれども私は総帥の責任者として、参謀総長がさつき申したように敵がポツダム宣言を実行せず、無法なことをやるなら反撃するのだ、その台所を受けもつものは生産を続行するのがあたりまえだという考えのもとに……。
終戰第二年一九四六年八月から一九四七年七月に亘る一年間でございますが、この時期は國共の妥協は不可能となつたのでありますが、併しこの時期には國民党の國府軍の軍力は圧倒的に優勢でありまして、当時國府軍の参謀総長陳誠將軍は中共軍を三ヶ月で撃滅すると豪語したわけあります。
成る委員の言葉を借りれば、参謀総長、陸軍大臣、教育総監の軍事コンビにさも似た三人委会を更にその頭に戴き、この全ピラミツドによつて人民の利益を抑えようとするものであります。