1947-07-26 第1回国会 衆議院 本会議 第18号
戰前において、米だけ食うとするならば、一日に七合の米を必要としましたけれども、魚を六十匁づつ食うといたしましたならば、二合七勺あれば足りるのであります。この二合七勺の補給は何とかできるのではないかと思いますから、この方法を講じたい。それを実行するには、約三百万トンの魚をとればよいと思うのであります。 この三百万トンの魚をとる方法は、一つの私には案があるのであります。
戰前において、米だけ食うとするならば、一日に七合の米を必要としましたけれども、魚を六十匁づつ食うといたしましたならば、二合七勺あれば足りるのであります。この二合七勺の補給は何とかできるのではないかと思いますから、この方法を講じたい。それを実行するには、約三百万トンの魚をとればよいと思うのであります。 この三百万トンの魚をとる方法は、一つの私には案があるのであります。
さらに見返物資としての水産物を、戰前程度の量を出すといたしまするならば、鮮魚介に換算いたしまして約二億貫を必要とし、これに今日化学肥料の不足を補うため魚肥を製造するといたしますれば、わが國の魚介類生産必要量は、十四億貫ないし十五億貫程度となるのであります。
これを戰前最盛期におきましては、内地のみにおきましても、二十トン以上の生産があつたのであります。現在は非常に微微とした状態にございます。この産金振興という意味も兼ねまして、先般の買上價格の引上げということを断行いたしましたような次第なのでございますが、その新買上價格によりましても、只今申上げますような量でございますので、一・四半期三ケ月間に大体五千万円、こういつた見当になつております。
生命保險會社が今もつておるきずというものは、これは大部分戰前のきずをそのままもち越しておるのである。既に太平洋戰爭に入る前に四十三社あつた中に、大體において百圓の年度の保險料をとつて、その年度の營業費が百五十圓から七十圓かかつておるのが二十數社ある。
○小坂政府委員 ただいまいろいろ西村委員から御意見を承りましたが、戰後の復興に關連いたしまして、戰前からのいろいろな不合理な點を除くということは、國家再建のためにきわめて適切なる御意見と存じます。ただいま生命保險に關しましては、保險復興會議という民主的な機關を設けることにいたしております。
從いまして戰前の状態に比べまして、二割程度落ちておるような状態でございます。しかしながらこれを内容について見ますると、先ほど申し上げましたように、バスにつきましては昭和十五年の約半分程度、乗用車につきましては昭和十五年度あたりの七割程度の數字でございます。貨物自動車につきましては、輛數におきましては七萬八千輛で、戰前とあまり違わないような數量でございます。
日本の漁船の戰前戰後の比較でありますが、漁船は戰前におきまして大體三十五萬艘、百十萬トンの總トン數合計がございましたものが、戰後昭和二十年の調べによりますと、三十一萬艘、七十九萬トン、かように減少をいたしておるわけであります。
○庄司(彦)委員 これはあとからでもよろしいが、戰前と戰後では漁船が非常に減つていますが、その種類別と所屬漁港別について、たとえば北海道ではどれだけどういう種類が減つたか、中國ではどうということをはつきりしていただきたい。これは將來の助成關係の用意になるものです。
○藤田政府委員 漁船の漁業種類別についての戰前戰後の比較資料と思いますが、できるだけ調査いたしますが、詳細にわたつての調査は……。
東京都にたとえれば四百トンあるいは三百五十トンという數字を戰前に出した。しかし戰爭中にはそれほどの數字を現したということはあまり聞いておりませんが、その程度の入荷があつたにもかかわらず、三日に三十五匁の配給は一體何囘やつたか。私の調べるところによりますと、一、二囘はあつたかもしれませんけれども、その一年間の最盛のときでさえもそれが行えなかつた。
戰前におきましては海運收入によつて相当の外貨を獲得しておつたのでありますが、今後の我が國といたしましては、外國航路の海運はむしろ支拂勘定になるのであります。こう考えますと今日貿易以外において外貨を獲得する手段は、観光事業の振興、これ以外に方法はないということを私は確信する者であります。
戰前においては優に二十億貫を突破する生産を得たのでありますが、戰爭のために非常に激減いたしまして、現在においては僅かに五億貫以内であつたのであります。本年においては私共八億貫の生産目標を立てまして、その実現に努力いたしておりまするが、若し政府が十分に力を入れますならば、恐らく八億貫はおろか、それ以上の水産資源も決して不可能ではないと固く信ずるのであります。
私の記憶いたしておりますところによりますれば、戰前の確か昭和十一年と思いまするが、輸出品の第一位は綿糸布であり、第二位は生糸であり、第三位は人造絹糸であると思いますが、その次に位する第四位は確かに観光外人から得られました收入であつたと思うのであります。
そうしてずつと最近になりまして——、昭和十六年には戰前の七〇%程度の生産でありましたものが、十九年には四六%、二十年には三八%、こういうふうに海の方面の漁獲高がだんだんと減つてきてまいつたのであります。それで終戰になりましてから水産に對して非常に厚意的な取扱いを受けました關係上、漁獲も逐次増加をいたしてまいりました。その當時、たしか二十年の十月に生鮮食料品の統制撤廢の問題がございました。
當面の問題としては私ども輸送力の増強ということを大主眼點に考えておりますが、經營合理化の根本は、從事員の質を戰前の姿に復するという意味におきまして、教育の問題も組合との提携による促進が根幹ではないか、かような氣持で目下努力中でございます。
それが終戰後、戰前の鐵道廣告状態に復帰いたしておりまするが、紙その他の状況から、必ずしも十分良好な成續をあげておりません。大體月間におきまして、最近七、八十萬圓ないし百萬圓近い収入をあげております。
次に、物價と賃金との惡循環を断ち切るため、本報告書は、物價は戰前の六、七十倍に押えて安全帶をつくる。しかも、それは配給の確保をなしてやみを絶滅し、実質賃金の充実をはかるという所論をもつて一貫いたしておるのであるが、しからば承りたい、政府はどうしてやみ物資を配給ルートに乘せるのであるか。全國家庭のの主婦が、その胸に納得のいく具体的方針が、本白書に示されていないことを、遺憾に思うのであります。
戰前よりもたくさん人間を使つておるのでありまするが、遊ばしておかずに、なぜ、そういう人々を有効にお使いにならないか。遊ばしておくことが民主主義だとか何とか、はき違えておるならば、大きな間違いであります。
戰前みそ醤油の原料として用いられただいず二十八万トン中、九五%までは滿州だいずに依存していたのであります。しかるに、戰後これが絶たれ、遅配は六箇月になつております。しかし最近ぼつぼつ配給せられている。
現在大體の目標といたしましては、今後五箇年の後におきまして、昭和五年ないし十一年の戰前の水準まで生産を復歸せしめる。從がつて昭和二十六年度におきまして、魚類の生産高を焼く十億萬貫まで確保するというふうな對策を立てまして、今これを檢討いたしておる次第であります。
これは戰爭中の應召とか、あるいは徴用というようなこと、施設であるところの漁船、あるいはその他のものが破壊され、減退しておるというような關係もあるのでございましようが、少くともわが水産業は戰前におきましては千島、樺太、そういつたような北洋漁業關係と、それから南方遠洋漁業というような、實に世界屈指の漁業國であつたと思うのでございまするが、今日あらゆる觀點からこの漁業を速やかに、少くとも戰前までの漁獲高まで
○藤田政府委員 かつお、まぐろ漁業の許可方針といたしましては、私どもとしてはまず第一に、いわゆる徴用滅失漁船の代船、つまり戰前に許可をもつておりました船を單に徴用されまして、それが沈んでしまつた。その代船によつてかつお、まぐろ漁業をやろう。これは私の方では、徴用滅失漁船の代船と俗に呼んでおります。この徴用滅失漁船の代船については最優先に考えております。これにつきましては許可は當然やつてゆこう。
さて、私が申し上ぐるまでもなく、わが國の食糧事情は、戰前戰後を通じ、年々の絶対量の不足は、何といたしましても、この事情にありましては、どうすることもできないのでございます。
戰前においてさえ食糧の自給のできなかつたわが國は、終戰により狹められました國内において、海外よりの引揚者、あるいは復員者等、多くの人々を養わなければならない今日、しかも輸入食糧の途なきに至つたわが國といたしましては、食料の不足が決定的になつたことは、御承知の通りであります。
戰前から工業生産物と農業生産物との差ははなはだしかつた。さらに戰後における大インフレによつて、一層ますますひどくなつた。その結果がかくのごとく現れておるのである。報獎物資と言うのは褒美だ。鼻くそみたいなものだ。その鼻くその半分にもあたらない價格で賣つているというに至つては、まさにみじめそのものではないか。かくして平野君、これでもつて、君は供出がはたして有効に行われていると思うか。
あとは、六百円の水準の点についてでございますが、現在の給與が生計費の二分の一に過ぎないと言う根據が、どういう御調査に基づいたものでありますか、よくわかりませんが、勤労者の生活水準が、戰前に比べまして非常に低下しておる事実につきましては、われわれもきわめて関心をもつておる点でありまして、これからの端境期にあたるこの四ヶ月間の食糧事情を考慮しますると、その生活をただちに引上げるということが、非常に困難であるという
なお、今日私どもの非常に遺憾に思つておりますることは、特に農村における医者の数の少いということ、すなわち無医村が、この戰前には三千数百箇町村あつたのでありまするが、最近においては、それが千八百町村ぐらいに減少いたしたことは、これは喜ぶべき現象であります。
(拍手) 由來わが國は、戰前千数百万石の輸移入をなしておつたのであるから、漫然國民食糧がいつまでも現在のごとく多量の輸入を必要とするというのは、あまりにも安易な考え方であると思うのであります。(拍手)今や食糧事情は最も愼重に再檢討を要するときと私は考えるものであります。
たとえば、戰前の六十五倍程度というところに止めまして、それ以上にはね上つていつておりますものには、これらの影響を考えまして、補給金によりまして、安定体までおろしてくる。こういう操作をいたしたい考えであります。
敗戰前の日本の教育目標は、明治憲法に対應する教育勅語でございました。この教育勅語は、決して軍國主義、超國家主義、あるいは極端なる國家主義を主張するものではございません。しかしながら、戰前、戰時における教育は、この事態を歪曲いたしまして、軍國主義的、極端な國家主義的な方向に向つたということは、まことに遺憾なことであります。
第一に、我が國は敗戰の結果経済資源の相当の部分を失ない、また生産や輸送などの設備が、戰爭を通じて破壊し且老朽化し、生産資財のストツクもだんだんとなくなり、労働の生産性も戰前にくらべては、はなはだしく低下したのであります。
現在のは労働生産性は勤労者一人当たりで見ますと、平均して戰前の二分の一至三分の一におちております。どうしてもこれを上げて行かなければ、諸外國の労働生産性に比べて低いだけそれだけ我が國民生活水準が低くならざるを得ないのでありまして、單に國際市場におきまして太刀打ちができないばかりでなく、いつまで経つても文化的な生活水準に達することができないのであります。
第一に、わが國は、敗戰の結果経済資源の相当の部分を失い、また生産や輸送などの設備が、戰爭を通じて破損し、老朽化し、生産資材のストツクもだんだんとなくなり、労働の生産性も、戰前に比べて甚だしく低下しているのであります。
現在の労働生産性は、勤労者一人当りでみますと、平均して戰前の二分の一ないし三分の一に落ちております。どうしてもこれを上げていかなければ、諸外國の労働生産性に比べて低いだけ、それだけわが國民生活水準が低くならざるを得ないのでありまして、單に國際市場におきまして、太刀打ちできないばかりでなく、いつまで経つても文化的な生活水準に達することができないのであります。