1956-04-19 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第37号
それは長期防衛計画を企図されておる政府として、この計画を昭和三十五年度に一応完成されるという目標のもとに努力せられておるということはわかるのでありますが、十二が四千トンの艦船、それから千三百機の飛行機、その十二万四千トンの中身が、たとえば戦艦、駆逐艦、巡洋艦、潜水艦等がそれぞれどうなっておるのか、飛行機はどういう種類のものが何機で、どういう種類のものが何機というような具体的な計画であるのか、あるいはばく
それは長期防衛計画を企図されておる政府として、この計画を昭和三十五年度に一応完成されるという目標のもとに努力せられておるということはわかるのでありますが、十二が四千トンの艦船、それから千三百機の飛行機、その十二万四千トンの中身が、たとえば戦艦、駆逐艦、巡洋艦、潜水艦等がそれぞれどうなっておるのか、飛行機はどういう種類のものが何機で、どういう種類のものが何機というような具体的な計画であるのか、あるいはばく
たとえば、ジェット機、戦車、潜水艦等の生産のために新たに百億を計上しておる。なるほど金は百億であります。けれどもこの百億という金こそは、予算全体の性格を如実に表わしておるとわれわれは考えます。 次に反対の第四の理由でありますが、この予算は民生無視である。国民の要求に沿いません。ここでは一々の事実をあげてこれを述べる時間がありません。
するというようなことがあつたら困るから、それを防衛するのだというこの二つの立場で、沖繩の戦略価値が重大だということを言つているんですが、それはともかくとして、今後官房長として責任ある地位から、この海上自衛隊などをどんどん殖やされて年次計画で行くというような際に、若し侵略があつたら守ると言われますが、そういう外交方式をとつておいて、起きた際には、これはロイヤルの言を待つまでもなく、もうソヴイエトの極東にある潜水艦等
陸の方におきましては大体百四十人程度、それから空におきましては飛行機の操縦及び整備の関係合せまして大体四十人程度、海におきましては二十人程度だつたと記憶いたしておりますが、そのほかに先ほど申し上げました船をこちらに供与してくれます際にはこちらから乗組員が参りまして、先方の船を装備なりあるいは運転なり運航なりについての知識を教えてもらわなければなりませんから、アメリカに一月なり、あるいは潜水艦等によりましては
その食糧の輸出国が中立的な国であればよろしゆうございますが、これがどちらかの国に味方しておるというような場合には、日本が中立的な立場でその国と引続き貿易ができるか、また日本の船が潜水艦等の脅威にさらされないか、また日本の戦略的地位、いずれの点を考えましても、現状におきましては、おつしやるように戦争中の中立維持ということは困難でありますが、これもおつしやる通り、ただ二つ可能であるかもしれないという理論的
私どももそう思うのでありますが、というのはやはりこれがよその船を止めることができないわけでありますから、いついく日やるということを事前に通告するか、或いは三日間ぐらい前後を区切つても、この機密を得んとする潜水艦等がそこへ来得るわけであつて従つてその通告は相当的確にやるということは、これは私非常に困難を感じやしないか。又我々のほうもこの点は相当程度協力して行かなければならんだろうと思つております。
○岡崎国務大臣 その報道は長い話のごく一部をとつたようでありまして、はつきりしたことはわかりませんが、その後引続いて来ました報道を総合して見ますと、趣旨は、日本漁船がその区域の中か外かは別として、その近所にいたということを知らないでいた、そんな状況では、スパイを行うような潜水艦等が同様の位置にいてもわからないじやないか、この点はどういう警戒の措置がとられるのだというような趣旨のように判断されるのであります
ただしかし思想戦術として、あるいは思想宣伝物が来るというようなことばかりではなくて、あるいは人がたとえば潜水艦等によつて、日本に上陸する者があるもとかいうようなことも、ときたま耳にするのでございますが、かようなことも今までの第二次戦争以来の思想戦争のいきさつから見ますと、あり得ることでもあると思いますが、かようなことについておさしつかえない限り、その他の事項についてもこういうような具体的事実かございましたならば
海上保安庁には、近く米国の二千トン級海防艦十隻、監視艇五十隻がまわされ、その所要乗組員五千名が養成され、その上に航空母艦、潜水艦等までが計画されいていると新聞は報じております。さらに政府は、予備隊隊員の任意退職の制限、召集、予備役制の制定、退職金の廃止を意図しているといわれ、大橋国務大臣は、国民に対して、はばかるところもなく、予備隊の海外派遣を語つております。完全なる陸海軍の復活である。
特に空襲が激しくなつて参ります前後におきましては、やはり潜水艦等の脅威もあり、大体結果から申しますと、あれほど九州、宇部地区へ強行出炭を命じておきながら、北海道には八十万トンの貯炭があつて終戰になつたというような現実があります。