1954-04-07 第19回国会 衆議院 内閣委員会 第21号
昨日大久保委員からの御質問で、いわゆる人命尊重ということについて長官に質問されて、それに関連して保安隊の精神教育という面にずつと触れて行つたのでありまするが、あのとき大久保委員は、武士道とは死ぬことと見つけたりという葉隠れの言葉を引いて言われましたが、大久保君は熊本県の人で、私は佐賀県の葉隠れの本場であります。
昨日大久保委員からの御質問で、いわゆる人命尊重ということについて長官に質問されて、それに関連して保安隊の精神教育という面にずつと触れて行つたのでありまするが、あのとき大久保委員は、武士道とは死ぬことと見つけたりという葉隠れの言葉を引いて言われましたが、大久保君は熊本県の人で、私は佐賀県の葉隠れの本場であります。
そこで従来の日本の軍の編成その他におきましては、葉隠精神、武士道とは死ぬことと見つけたり、あるいは生きて虜囚のはずかしめを受けることなかれということ、あるいは海上に漂うているときも、銃を波の上に上げて、遂に自分はおぼれ去つた、こういうような一つの事態も起つております。今後一体隊員の人命に対する考え方をいかに考えるか。
昔の武士なら、済まぬと言つたときは、腹を切つて申訳する、これが武士道だ。従来国鉄にも私の記憶するりつぱな先輩がたくさんあつた。相当責任を痛感して、ほとんど腹を切つて申訳するような態度でやられたことが幾たびもあつた。卑近な例を申し上げましよう。たとえば横浜の電車のあの焼けた事件、別にあれは国鉄総裁自身の直接の責任じやないでしよう。世間の非難に対し道徳的責任を負うてやめられた。あとはいけませんでした。
それからもう一つは、スポーツを相当奨励いたしておりますが、鳩山さんがせんだつて訳したカレルギーという人の著書を見たところが、英国の紳士道はスポーツによつて鍛えられておる、昔の武士道精神とスポーツ精神と両建だということを非常に詳しく書いて、私も同感であります。私はスポーツであるかないかは知らぬけれども、そこに木村長官もおいでですが、剣道はぜひ奨励してもらいたい。
恐らく昔の五箇條の御誓文を以て特別な軍人精神であるという、そうした考え方というものは、昔、国が階級的な組織を成しておりました当時、武士だけが武士道という特別な道徳律を持つておるのであるというふうな考えをいたしておつたそうした封建的な道徳観の残滓ではなかろうかとさえ私には感ぜられるわけでございまして、私は警察予備隊についてそうした意味における特別な道徳律の強調ということはむしろ適当でない、むしろ国民として
たまたま岩澤次官という人はよかつたけれども、その周囲の、いうところのお茶坊主的出先の人たちがわざわいをしたという誤りであるかもしれませんけれども、岩澤氏が三十数年間の長い官界生活、この有終の美をなすために出張をしたという意見は、どうも私には了解ができませんが、それもいいでしようけれども、人間というものはなかなかりつぱであつても、切腹するとき往生ぎわの悪いのは昔から日本の武士道の恥話として聞くところであります
日本の武士道ということは、今誤られているが、昔の武士道は弱きを助けて惡い強いやつを懲らしめるという、すなわちデモクラシーの一番いいところと一致するのじやないかと思う。日本のほんとうの武士道と、デモクラシーというのが合つとつたのが、東條というような方々が、この武士道をアメリカあたりに誤り伝えたことがありやせんかと話したところが、そうかなあと言われておつた。ごろつきと侠客の話もしておいたのであります。
われわれは、いうところの武士道精神——(発言する者あり)その流れをくみ、かような時勢ではありましても、あらかじめこれを放棄いたしまして、この多大な援助に報いなければならぬとともに、すみやかにいわゆるアメリカの経済的援助を受けて、日本の再建がいつときもすみやかになされんことこそ、今日われわれ政治家として、努力いたさなければならぬところであると確信するものであります。
昨夜もこの参議院の帆足さんと話したのだけれども、日本の武士道なんというものの表現だとか何とか言つておるけれども、踊りなんかは崇高なものがあるけれども、日本の歌舞伎なんかな、実に不愉快な非常に醜惡なものと美しいものとがコンバインしておるのですけれども、とにかく日本の武士道なんというものは、よいところよりも惡いところが沢山あるのだから、この際当分は歌舞伎とか浪花節は禁止されたらどうか。
そこで証人は武士道かたぎの人であつて、恥を知つておる方であると私どもは常に尊敬いたしておるのでありますが、もし党内にそういうような不祥事件が起りましたときに、総裁はその責任をいかにおとりになるか。それをちよつとお伺いいたしたい。
○証人(大塚廣男君) 今日現今の状態においては惡いと思いますけれど、曾てのちよん髷時代の武士道華やかだつた時代においては、私のとつた行動は許さるべきだと思います。
東海君上國と称し、武士道精神と誇つた我が國民が、なぜかくのごとき惨澹たる道義の頽廃に陷つたか。その原因は勿論一二にして盡すものではありませんが、特に直接且つ深刻なるものとして、私はここに指導者、爲政者に対する國民大衆の失望と不信とを挙げたいと思うのであります。軍閥や官僚に欺かれて、勝つために、勝つためと空しき勝利の夢に引摺られた挙句がこのみじめな廃墟と窮乏であつた。十月には物價が安定するぞ。