1955-06-06 第22回国会 衆議院 貿易振興に関する調査特別委員会 第7号
会社常務取締役 日本貿易会常任 理事) 水上 達三君 参 考 人 (東京芝浦電気 株式会社取締役 貿易部長) 玉置 敬三君 参 考 人 (日本商工会議 所理事) 依田信太郎君 参 考 人 (住友商事株式
会社常務取締役 日本貿易会常任 理事) 水上 達三君 参 考 人 (東京芝浦電気 株式会社取締役 貿易部長) 玉置 敬三君 参 考 人 (日本商工会議 所理事) 依田信太郎君 参 考 人 (住友商事株式
農林事務官 (食糧庁総務部 長) 新沢 寧君 参 考 人 (三菱商事株式 会社食料部長代 理) 西脇 孝一君 参 考 人 (兼松株式会社 食料部長) 大原 留喜君 参 考 人 (日綿実業株式
三菱商事株式会社食糧部長代理の西脇孝一さん、兼松株式会社食糧部長大原留喜さん、日綿実業株式会社東京支店食糧部長上田猛夫さん、日清製粉株式会社業務第二部長の山内孝平さん、以上でございます。 では質疑に入ります。川俣清音君。
小田部謙一君 文部事務官 (調査局国際文 化課長) 柴田小三郎君 参 考 人 (経済団体連合 会副会長) 植村甲午郎君 参 考 人 (日本鋼管株式 会社取締役) 伍堂 輝雄君 参 考 人 (東洋綿花株式
前田 信義君 富士自動車株式 会社追浜工場長 大野 竹二君 富士自動車株式 会社労働組合組 合長 三富 博君 株式会社小松製 作所川崎工場長 荒井 方平君 株式会社小松製 作所川崎工場勤 労課長 廣瀬 嘯兒君 株式会社小松製 作所京浜労働組 合役員 四海 新市君 三菱日本重工業 株式会社東京製
十七年五月商工省の企業局の整備課長、十八年六月大臣官房秘書課長兼文書課長、十八年十一月軍需大臣官房秘書課長、二十年三月軍需省機械局長、二十年八月商工参事官になりまして、終戦連絡部副部長、次いで終戦連絡部長になり、二十年十一月内閣参事官、二十一年八月経済安定本部第一部副部長、二十一年十二月経済安定本部第一部長、二十二年五月依願退官、二十二年六月株式会社東京計器製作所取締役会長に就任、二十三年十二月株式会社東京計器製作所
すなわち昭和二十五年度決算を審議検討いたして参りますと、批難事項中には政府当局の説明のみでは十分に納得ができず、契約その他実際面の事務の実情について、実地について判断する必要が痛感されますので、さしあたり批難事項報告の番号四七につきまして、東京特別調達局管内、昭和飛行機工業株式会社東京製作所及び同じく報告番号五二の横浜特別調達局管内、日新運輸倉庫株式会社、並びに同じく報告番号一二、警察予備隊第一管区総監部管内
それで私は、戦争の波に乗つて営業を広大することはいたしません、私はあくまでもこの際は私のお客様に対して忠実に仕えなければならぬ、発展するということは一切いたしませんということを申しましたところが、当時の一番大きい仕入先であつた株式会社東京堂の重役さん方は、私の経営に対して非常に不満であつたとみえまして、そのときはそれでけつこうですということでありましたが、ただちに漢口に東京堂が直接経営する書籍店を開業
第一九七〇号) ○失業対策事業完全就労に関する請願 (第二〇五八号) ○失業対策事業労務者賃金の引上げ等 に関する請願(第二八八〇号) ○不当労働行為等の実地調査に関する 請願(第一二七四号) ○労働争議権不当弾圧実情調査に関す る請願(第六三六号) ○不当転勤および解雇撤回に関する請 願(第一八五五号) ○特需関係労働者の雇よう関係明確化 等に関する請願(第六三五号) ○東日本重工業株式会社東京製作所
理事 小松 勇次君 理事 佐竹 新市君 岡西 明貞君 押谷 富三君 志田 義信君 野村專太郎君 大森 玉木君 高倉 定助君 藤田 義光君 井上 良二君 竹村奈良一君 山口 武秀君 久保田鶴松君 浦口 鉄男君 委員外の出席者 証 人 (日本通運株式
○田渕委員 支店長が出したと言いますが、ここにあがつておるように、あなたの方の、日本通運株式会社東京支社の伝票で切つているじやないですか。伺いますが、あなたの下に経理主任の大橋というのがおりますか。
二月十三日に日本通運株式会社東京支社総務部長古谷良平君、東京都民生局長畑市次郎君、厚生省児童局長高田正巳君。二月十五日に関東財務局長井上義海君、以上六名の諸君にそれぞれ本委員会に出頭を求める手続をいたしておいたのでありますが、以上の諸君を本委員会の証人として決定いたすに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
即ち東日本重工業或いは昭和飛行機、ピクター・オート、C・L石油等の問題でありますけれども、東日本重工業の場合を一例として申上げますると、東日本重工業株式会社東京製作所というのは、事業不振を打開するために、一昨々年四月一日から米第八軍の管理下に、兵器、自動車修理という、いわゆる。道工事に作業を転換して今日に至つておる工場であります。
四郎君 牧野 寛索君 松木 弘君 眞鍋 勝君 山口 好一君 大西 正男君 石井 繁丸君 田万 廣文君 梨木作次郎君 委員外の出席者 参 考 人 (社団法人東京 銀行協会常務理 事) 難波 勝二君 参 考 人 (株式会社東京
北海道小樽市出身、年齢三十七歳、北海道庁立小樽中学四年修了、昭和九年五月無線電信講習所を卒業、船員生活を経まして海員協会勤務、戦争中は西日本石炭輸送株式会社東京支店に入り、昭和二十年若松本社に転勤、船員部総務課長兼船員保険課長をいたしました。昭和二十年、終戦後海員組合ができるにつきまして、その準備委員として参加、昭和二十一年十二月海員組合をしりぞきました。
その会社の名前等をあげて見ますれば、日本紙業株式会社、大豊化成株式会社、興亜石油株式会社、東京物産株式会社等であります。 次に九州三菱化成工業株式会社黒崎工場を視察いたしました。福岡県において連合軍から賠償工場として指定を受けた人造ゴム工場は三箇所であります。福岡県における化学部門の設備機械六千基が賠償指定物件となつております。
東寶株式会社は、昭和十八年十二月十日、株式会社東京寳塚劇場、資本金六百九十二万円、全額拂込済と東寳映画株式会社、資本金四百五十万円、全額拂込済とが合併して、資本金千百四十二万円を以て設立、映画、演劇、各劇場及びこれに附帶する事業関係を包含、多角経営によつて、映画演劇を通じて日本文化の向上発達を理想としましたが、昭和二十年三月九日、株式会社梅田映画劇場、資本金五百万円、株式会社南街映画劇場、資本金二百五十万円
殊に從來本港の弱点として数えられましたところの為替銀行につきましても、株式会社東京銀行支店の開設によりまして、解決の端緒を得るに至つたのであります。
○綿引証人 受入先をこまかく申し上げますと、千葉縣の阿蘇農業会、宮城縣の岩ケ崎農業会、靜岡縣の吉田村農業会、石川縣の北陸特定郵便局長連合会、長野縣の東邦建設工業株式会社、東京都の大同水産興業株式会社、福島縣の植田町農業会、茨城縣久慈浜漁業会、岐阜縣鉱業会、山形縣の大谷村農業会、神奈川縣の神奈川愛甲農業会、北海道の北農協力会、靜岡縣の水窪農業会、秋田縣の陸上小運送組合、京都の京都協助会、福岡縣の九州配電
勝又は、当時公文書等を見せられたのでありますがゆえに、これを固く信じて、そうして自己の知合いである明治興業株式会社東京支店にこの旨を告げて、そうしてこの明治興業株式会社からその代金の一部として二百八十万円を領收いたし、これを都川、中山、竹中等に渡したのであります。しかるにその後軍服拂下げは実現せずいたしまして、ここに勝又が詐欺罪として明治興業株式会社から訴えられたのであります。