1963-12-12 第45回国会 参議院 文教委員会 第2号
また、東光寺は、元禄年間に建造されました大雄宝殿、総門、三門及び鐘楼等で、現在は、市指定文化財でありますが、これを国の重要文化財として指定されたいということであります。なお、大雄宝殿の屋根その他の腐朽破損は非常にはなはだしく、堂内も荒れはてておりました。指定すべき重要文化財であれば、早急に措置すべきであるということを痛感いたしました。 以上、御報告申し上げます。
また、東光寺は、元禄年間に建造されました大雄宝殿、総門、三門及び鐘楼等で、現在は、市指定文化財でありますが、これを国の重要文化財として指定されたいということであります。なお、大雄宝殿の屋根その他の腐朽破損は非常にはなはだしく、堂内も荒れはてておりました。指定すべき重要文化財であれば、早急に措置すべきであるということを痛感いたしました。 以上、御報告申し上げます。
しかし家屋にいたしましても、内地にありますると、もう建ててから百年たった、百五十年たった、私の郷里なんか、元禄時代の建物がまだ残っていますが、やはり評価をして固定資産税をちゃんと納めている。そういうことで、立木に固定資産税的なものをかけられないわけはない、こう言っておるわけです。そしてそれは町村等において固定資産の評価委員のような制度を設けましたならば、必ずや私はうまくいくと思う。
元来、この能代市の地帯は、米代川の河口に位いたしまして、強風がひんぱんに至りまして、元禄年間の大震災はもちろんでありますが、昭和に至りましても、十五年、十八年、次いで二十四年には二千二百余棟を焼失いたしまして、戦後の五大火災の一つとして私どもを驚かせましたことは、今なお記憶に新たなるところでございます。
北海道の稲作は、歴史から申しますと、元禄年間にもすでにその濫觴が見られるというようなきわめて古い歴史を持つております。しかしその後冷害面作にたたかれかれやつて来たのであります。明治に入りまして、いわゆる松前幕府時代に特に松前邦広という藩主が非常に農業に熱心でございまして、この方がいろいろな奨励をされたわけであります。
併しながら、この小さな孤島とは申しましても、元禄の昔から、現在の鬱陵島の領有関係につきましてはたびたび問題が起つたことがございますが、竹島が明治三十八年、日本領土と確認をされまして以来は、ただの一度も問題になつたことのないこの島が、今になつて問題になるということは、平和条約中の日本の主権排除に関する内容や、向うで勝手にきめた李承晩ラインはともかくとして、マツカーサー・ライン解消の際における総司令部通牒
同様にこの元禄時代とか文化、文政時代とかいうのは、やはり一つのまとまつた時代であります。これは西暦では表わしようがありません。それから又歴史事実の名称にも年号はよく利用されております。年号程適切に何らの弊害もなく、そうして名称の構成分子になつているものは外にないのであります。
この常神村は、この中で一週間ほどお調べになつて、理想的だというお話ですが、ここは四十一軒で元禄時代から村張でやつている。もう四十一軒以上は絶対にふやさぬ減らさぬ、そういう漁業権の上に立つて、非常に封建的、独占的な形であつたから、この組合が存立して来たものであると思う。
新居浜市は元禄四年創業にかかる別子鋼山を中心として鋼精錬業、機械工業、化学工業は日本産業発達史の縮図のごとく、当地を中心としまして最も近代的な様相において発達を遂げ、戰時中は最も重要なる工業地帶を形成して來ましたが、幸い戰災を免れ、終戰後はいち早く平和産業に切りかえ、目下喫緊の肥料増産にわが國第一位の躍進を遂げつつある日新化学並びに別子鋼子、四阪製錬所を持ち、硫安の原料たる硫化鉱及び銅金銀等の主要金属
第五番目に龍角寺の本堂の修理に関する御請願でございますが、この龍角寺の本尊は御請願の御説明にもございいしたように、藥師如來でございまして、非常に優秀なものでございますが、本堂そのものは元禄のころのものでございまして、建造物として特に取立てて優秀であるというのではございません。ただ最近非常に破損をいたしてまいつております。