2011-03-24 第177回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
実は、これは私事になりますが、平山郁夫先生は私の地元の前田青邨画伯の弟子でございまして、そんなこともあって私も懇意にさせていただいたわけでございますが、平山先生から実は二つの宿題をいただいていたんです。 一つは、もう既に成立しましたが、海外の歴史的遺産の修復、保護、推進に関する法案、これは既に五年ほど前に成立をいたしました。
実は、これは私事になりますが、平山郁夫先生は私の地元の前田青邨画伯の弟子でございまして、そんなこともあって私も懇意にさせていただいたわけでございますが、平山先生から実は二つの宿題をいただいていたんです。 一つは、もう既に成立しましたが、海外の歴史的遺産の修復、保護、推進に関する法案、これは既に五年ほど前に成立をいたしました。
○下村委員 具体的にお聞きしたいんですが、例えば日展、私の行ったとき説明をしていただいた日本画家の先生は、たまたま私と同じ名前で、藤島博文先生という先生なんですけれども、この藤島画伯が、全作品というのはこれは大変だけれども、油絵とか、それから書道、書家とかいろいろな分野があるものですから、その中の幾つかを選んで世界じゅうに日展の展覧会を例えば開くというようなことを、これは民間団体ですけれども、例えばそういうことを
山下画伯のようなものですね。毎晩のことを正確に絵をかくわけです、数十枚。結局のところ岐阜で逮捕されたんですが、岐阜に至るまでずっと絵をかいてもらいました。その絵によりますと、犯行当日、どう考えても島田にいない。これが傍証になったわけでございます。 それで、静岡地裁で無罪判決を得ましたけれども、赤堀被告は無罪で釈放されるまで三十四年間、青春はもとより人生を無にした、こういう事案でございます。
その中でも、特に、先ほどお話のありましたように、平山画伯から外務省に対しまして、あくまで個人的な意見としてではございますが、爆破等の最悪の事態を避けるための次善の策として、例えば世界的に有名なバーミヤンの遺跡を切り取った上で第三国に移動してはどうかという提案をタリバーン側に伝えてほしい旨の御依頼がありました。
日本から日本人として選ばれているユネスコの松浦事務局長もこの件を大変心配いたしておりますし、平山郁夫画伯もこの問題について大変心を痛めている、そして署名を集めるなど積極的に活動しているわけでございます。
あるいはまた、有名な平山郁夫画伯も、同じような立場から、歴史の一端を担った港に橋を架けたら、世界遺産に残るわけがない、今これを世界遺産として登録をしたい、そういう声が盛り上がって、その運動が進められているところなんですが、橋がかけられたら、そんなことは到底望むべくもなくなってしまうんだということを平山画伯も心配をされておられるわけであります。
○泉信也君 作成者の好意というふうに言われますけれども、日本芸術院会員のこの絵を書かれた画伯は、サマランチ会長に贈られたことも知らない、また招致委員会からありがとうとも言われていない、こういう発言をしておられます。JOCの調査がいかにも無責任でいいかげんだというふうに私は思うんです。
ですから一説には、山下清さんという画伯がおりましたけれども、あの方もそうではなかったかという説もあります。いろんな説があります。エジソンもそうじやなかったかという説もあるんです。ですから、そのくらい指導の仕方によっては物すごい天才ぶりを発揮するということもあり得ることなんでございます。よろしくひとつ皆様方で大きな目を向けていただきたいと思います。
すなわち、留学生受け入れ体制の充実を初めとする国際文化交流の実施体制の拡充、平山画伯の提唱に係る文化財赤十字構想など、国際的な文化財の保存、修復活動への支援の充実、日本からの文化発信に関する基盤の整備などについて、その着実な推進に努めるべきであると思います。
私は、地元出身の山下清画伯、日本のゴッホ、天才の放浪画家と言われた山下清画伯のことをいろいろ興味を持って調べることもあるわけですが、彼が八幡学園というところで勉強しておった。
例えば日本でいえば山下清画伯なんかはこの線に入るんじゃないか、こういうふうに言われております。 そうしますと、そういうお子さんの中に海の問題に関しては物すごく知能が発達するという場合もあるわけです。この人が船に乗ると、船長なんか黙れ、下がれなんという知能を持っているかもわからない。将来、そういうお子さんをそういった場合に採用できるかできないかという問題もこれから出てくるんじゃないかと思うんです。
だから、そういう状態でも目を楽しませるような、例えばミレーだとかセザンヌだとか東山魁夷画伯だとか平山画伯の、あれは複写でいいんですから、そういうものをつるとか、それから電光板のニュースをこしらえてその日のニュースを流すとか、いろいろそこらぐらいの工夫は、ここにJR出身、私鉄やなんかの出身者があれば いないですね。
私の地元の長野市におきましても、ふるさとづくり特別対策事業といたしまして、日本画壇を代表する東山魁夷画伯より寄贈されました信州の風景を題材とした作品を中心といたしまして、それを展示する東山魁夷美術館を建設いたしまして、地域文化芸術ゾーンの核にいたしました。また、観光面でも大きな成果を得ておるわけでございます。
あなたもいろいろと何か絵画に非常に興味を持たれて、川崎さんという画伯に、かつて橋本大蔵大臣のときに行ったところの部屋と厚生大臣の部屋は雲泥の差だ、殺風景だ、ひとつかわいい後輩のために絵画を描いてやろう。今、総理官邸にあるようですが、川崎さんのPRのために時間を失ってはいけないのですが。
次に、私は、中国の敦煌の莫高窟の学術調査団のことについていろいろお聞きしたいことがあるから、団長をされた平山郁夫画伯を、日中友好協会の会長さんですけれども、ぜひ参考人として来ていただけまいかと委員長にそれをお願いした。それで、委員長から私のところに返ってきたのは、血圧が高い、自宅療養中、まあそこはいいでしょう、よく使う手だから。 その次です。これを委員長、お読みになりましたか。その次です。
念のために申し上げておきますが、今問題になろうとしておる金屏風とこの平山画伯、福本邦雄さんは関係があります。念のため申し上げておきます。そういうことどもが世の中で言われておるということではないかと思うのですけれども。 それで、私は河野官房長官にちょっとお願いをしたいことがあるのです。そういう記録が官邸にあるかどうか。
私は、裸の大将というあのテレビ番組がありますね、あの山下清画伯を描いた、映画とかドラマとかいろいろやっておりますが、あの中で八幡学園の園長先生たる森繁久弥さんが、清、山下清さんですが、清を見ているとおれたちがまともで清がおかしいのか、そうじゃなくて清がまともで我々が狂ってしまっておかしくなっているんじゃないかというような気がしてくるんだというシーンがありまして、私それをビデオに撮ってあって何度見ても
次いで、藤田嗣治画伯の作品収集で知られている県立美術館に立ち寄った後、最後の訪問先の秋田経済法科大学を訪問し、丸山健学長から同大学の現状と将来計画についての説明を受け、私どもの派遣の日程を終えました。 なお、本報告の中で詳細に触れることができなかった県の要望につきましては、本日の会議録の末尾に掲載していただくようお願い申し上げます。
○国務大臣(三ツ林弥太郎君) 丸木画伯が私のところへ参りました際には、そういうふうなことは私は申し上げておらないことでございます。
そのほかに、ある画伯の絵画掲載の問題でございまして、出版社が発行いたします中に参考図版として絵画を掲載した事件が争われておりまして、これが現在東京高裁まで行っておるという事例等もございます。
梅原龍三郎画伯の「北京秋天」が美術品ブローカーから吉井画廊に戻されたのは、検察当局が介入して二千二百万円の買い戻しだったとされているんですがね。これは法務省、この事実関係どうなんです。