2007-03-28 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第8号
しかも、裁判官は戦争に勝てる国がこれに当たり、戦勝者が戦敗者を裁き去ったのでありますから、経過とともにその裁判は再検討せられ、その刑の執行については、これを赦免することこそ、世界情勢の変化とともに適当とするに至るべきことは、この種国際裁判の特性であると言わざるを得ない。こう書いてあります。 堤ツルヨさん、これは社会党の女性議員であります。
しかも、裁判官は戦争に勝てる国がこれに当たり、戦勝者が戦敗者を裁き去ったのでありますから、経過とともにその裁判は再検討せられ、その刑の執行については、これを赦免することこそ、世界情勢の変化とともに適当とするに至るべきことは、この種国際裁判の特性であると言わざるを得ない。こう書いてあります。 堤ツルヨさん、これは社会党の女性議員であります。
やっぱり戦勝者が、日本も悪いですよ、日本軍国主義の侵略戦争をいまだに反省しない人たちばかりなんだけれども、戦勝者のアメリカとソ連が国際法に違反して千島をとり沖縄をとり、そこを勝手気ままに使ってきたんですよ。そういう大問題が沖縄の歴史にあるんです。
これの前提になったのは、ゴルバチョフ大統領が参りましたときのあの共同声明第四項で示しましたソ連側の態度の前進、それからエリツィン政権が打ち出しました「法と正義」、戦勝者、戦敗者との関係を見直すという前向きの姿勢にこたえまして、あのときに国連総会におきまして対ロ外交五原則というものを打ち出してその具体化として二十五億ドルの支援策を決めた、こういう関係にございます。
奥野氏は、東京裁判というのは戦勝者が戦敗国に対して行った懲罰だと言ったんですね。政府の統一見解は、サンフランシスコ条約十一条でこの裁判そのものを受諾しているというのが政府の見解なんだ、だから南京暴虐事件についてもこの判決を政府はまともにまじめに受けとめている、これは国際的公約なんですね。
そして、遺族についても、この法律案を審議するときに、戦犯として一方的に刑死あるいは獄死した、中には随分言いたいことも通らなくてまあ一方的な戦勝者側の判決もあったと、その遺族というものは非常に生活に困窮して気の毒であるというような気持ちが各党各派の中にやっぱりありまして、そしてそういう議論からこの議員立法が提出された、こういう経緯がございます。
もちろん戦勝者による裁判だからそんなことは当てにならぬと言われますから、その次に私はサンフランシスコ講和会議におきまして、これは全部名前を挙げれば時間がありませんが、たとえばアメリカは、「中国は日本の侵略のため最も手痛い打撃を受けました。」と、この講和会議において発言をいたしております。イギリスは、「英連邦のわれわれは、日本の侵略に付随した残虐行為及び暴行を忘れたと申しているのではありません。」
なぜかといいますと、その年数は、私はここに書いてございませんけれども、天皇が第一回にマッカーサー元帥を御訪問なされた事実がございますけれども、そのときに、外国の王室にかかわる方々であれば、そういうことをなさらずに、国が破れれば一番先に国外に逃亡するかあるいは戦勝者に対して命ごいをするというのが、大体外国の歴史の姿であった。
それから、とにかく二十六年間、戦勝者と戦敗者、そういうような立場があった。その立場というものはそのまま残るというようなことがあっては、またこれもたいへんなことになる。そういうような点に、特に沖繩のこれからの基地存続問題につきましては気をつけなければならぬ。そういうことからいいますと、やはり基地の整理縮小、これを沖繩の百万県民は望んでおる。これはぜひやってもらいたいんだ。
○公述人(梶谷善久君) 私は、戦勝者と敗者との関係というふうには考えません。その点は、むしろ終戦直後における日本の外交が、あたかもアメリカに甘えたようなかっこうでありまして、勝者が敗者にあわれみを持つ、あるいは寛大なる心情を持つのが当然のように考えたのは、むしろ間違いである。国際間の外交というものは、最も冷厳なる国益に基づいて行なわれるものだと、こう考えております。
ですから、一体なぜ日米の交渉の際に、かくも日本は姿勢が低く、得るものがなく、多少これは寡聞であるかわかりませんが、失うものが多過ぎるような交渉にならねばならぬか、この辺を、つまり、日米という二国間の関係において何が問題であるのか、それを、戦勝者と敗者という、こういう位置づけとして考えていくべきなのか、その辺はどういうふうにお考えでありましょう。
敗戦処理という、あの平和条約というのは、つまり、戦勝者と戦敗者が平等でない立場でやむを得ず結ぶわけですよ。したがって、外国にある自分の国の国民の在外資産というものを賠償の引き当てにしなければならない、放棄をしなくてもいい請求権も放棄をせざるを得ない。いわば賠償の引き当てですよ。そういう平等でない関係などというのは、もし政府の言うごとくであれば、日本とアメリカにはないわけでしょう。
それはかりにシンボルであっても、そのシンボルをとってしまうと直ちにむき出しにぶつかる、こういうようなことですから、今度の戦後処理については、戦勝者の立場もあろうから、個別的にアラブにやられちゃ損だから、一対一でアラブの諸国と直接にやっていくのだ、話していくのだ、こういうようなかなり強い姿勢をとっていると思うのですね。
この中にも余すところなく露骨に戦勝者としてのアメリカの気持ちがあらわれておりまして、自分たちは日本に執着しようとは思わない、一日百万ドルも大めしを食うような胃拡張の民族を三カ月も持ちこたえることができるか、サンフランシスコから横浜までの距離を思うならば、そういうことはこの苛烈な戦争中にもう不可能である、ただアメリカのショーウインドーとしてここの場所をある時間だけ持ちこたえようとするだけである、こういうことを
われわれは今ここに、本案件を前にいたしまして、十数年前、戦い敗れ、国土の三分の一は廃墟と化し、広島、長崎には原爆が投下せられ、旧来の支配機構は崩壊し、日本軍国主義は一瞬にして蒸発し、生産はとまり、交通は麻痺し、国の運営は、あげて戦勝者たるアメリカ占領軍GHQの手にゆだねられていた当時のことを、ほうふつとして思い起こすのでございます。
マッカーサー元帥の米議会に対するメッセージ、ドッジ元予算局長及びボーリーズ元陸軍次官補等の同議会に対する証言より判断をすれば、援助は戦勝者の義務であって、債権と認むべきものではない。これを裏づけるものはヘーグの陸戦法規である。また、当時の貿易会計の大きな赤字の大部分が、二十四年三月まで援助物資払い下げ代金によって埋められたのであるが、米軍が為替レートをきめ、行政上の操作をしたのである。
これはまあいうならば、ヘーグ条約でありまするか、戦勝者というものが被占領地域において、その住民の日常飢餓、これを救済することのための責任が、これはやはり国際慣例として成り立っておるのでありまするが、そういうような一連の事柄をうたっておるのであって、債権債務を立証する文章ではありません。
○西村(力)委員 厳重であるにもかかわらず、現実にそういう事故が起るというのは、やはり日本国民に対する気持、広島、長崎に原子爆弾を落した戦勝者のむぞうさな気持というものが動いているだろうと思う。そういう気持は気持としてあるというのはやむを得ないでしょう。
格別の注意を払ったというのは、戦勝者の立場から注意を払っておる。そこで昭和二十二年に教育基本法というものを作っておる。まだ占領の初めのころであります。それは、当時今までの教育勅語にかわるものだといって、第一条には日本の教育の根本、すなわち道徳律を君いておるのであります。
われわれといたしましては、長年の間風俗、言語、人情、習慣の違う、しかも相手方が戦勝者という優位観念のもとに進駐して来ておりましたその間にあつて、日米外交の一つのくさびとなるような役割で今日まで働いて参り、独立後、われわれをして率直に言わしめるならば、日本の国内法さえ完全に適用できないような特別基本契約をつくり、そのもとになお忍従の生活状態で、今日まで御苦労をかけたこれらの労働者があすの失業に向うというときに
駐留軍労務者は、占領支配後引続いて、言語、風俗、人情、習慣の興なるところで、しかも戦勝者という優位なる観念を持つた彼らの中にあつて、約八年間にわたる長い間、その任務遂行のために尽力をして来た。また隠忍自重、忍従の生活を行つて来たことは、だれしも認めるところでございます。
に、私は特に外務委員会の皆さんを中心に、アメリカ側にも、日本側にも、日本のすべての政治家にも望みたいと思いますことは、ただいまも申し上げましたように、こうした私ども純良な人間生活の喜びを求めまして、より前進的な面に人間生活の喜びを求めて、そうして現実の苦難を乗り越えて行こう、しかもそこには未来の創造というものに現実の苦難を克服したい、将来への希望に生きて行こうという地元民の誠実なる意思が、あるいは戦勝者