○清水(湛)政府
委員 お答え申し上げます。
先生御承知のように、三月六日に関係政省令を公布いたしまして、四月一日から施行ということになりました。日弁連関係も二月十六日に関係会則会規を公布公告いたしまして、三月十三日の
理事会で四月一日から関係会則を施行する、こういうことで準備が整っているわけでございます。私
ども、昨年五月二十三日に外国法事務
弁護士特別措置法が公布されました後、この法律の施行をことしの四月一日とするということを目途といたしまして、諸準備に着手いたしたところでございます。六月、七月に諸外国の
弁護士制度を
調査するとか、それから八月、九月以降関係政省令の立案作業をする、その問
弁護士会と協議を頻繁に重ねまして政省令と日弁連の会規会則との整合性を図る、こういうようなことを進めてまいったわけでございます。
しかしながら、四月一日に円満に施行するためには、解決をしなければならない大きな問題が二つございました。一つは、日弁連側からの
要請でございますけれ
ども、いわゆる実質的な相互主義の保障、こういう問題でございます。それからもう一つは、アメリカが特にそうでございますけれ
ども、法律の運用につきまして、せっかく法律が通ったんだけれ
ども、
日本政府が細かい政省令規定を設けてさらにこれを制限的に運用するのではないかという懸念というか、疑念がアメリカ側にございまして、そういうものを解消することが四月一日に円滑に施行するためにもぜひとも必要である、こういう問題があったわけでございます。
その第一番目の実質的相互主義の保障の関係につきましては、既に御承知のとおり、六十年十二月九日の日弁連総会の決議におきまして、アメリカとの関係において、アメリカは五十州、それからワシントンDC、それから幾つかのテリトリーという
裁判管轄区域があるわけでございますけれ
ども、その中で
日本の
弁護士を受け入れる
制度を持っている州が非常に少ない。それでは実質的な相互主義というものが保持できないのではないかというようなことが背景にございまして、この十二月九日の決議で、少なくともニューヨーク、ミシガン、ハワイ、ワシントンDC、カリフォルニアの五つの州につきましては、
日本の
弁護士を受け入れる
制度を創設しない限りこの法律は施行すべきではないという決議がされたわけでございます。
そこで私
どもといたしましては、日弁連の
要請も受けまして、アメリカ政府に対しまして何とか少なくとも五つの州、できたらそれに加えて日弁連の総会で問題になりましたテキサス、イリノイ等につきましても
日本の
弁護士を受け入れる
制度をつくってほしいという
要請を繰り返しいたしたところでございます。しかし、なかなか遅々として進まないというようなこともございましたので、昨年十二月に私
どもアメリカに参りまして、連邦政府に対してさらにその推進方を
お願いするとともに、カリフォルニア、テキサス、イリノイを直接訪ねまして、関係者にその
制度の創設方を
要請したところでございます。幸いカリフォルニアにつきましてはことしの一月三日にオープンを決定いたしまして、ことしの四月二日から具体的に
日本の
弁護士を受け入れるということになったわけでございまして、
日本弁護士連合会といたしましても、これによりまして実質的相互主義につきましての
最低限の保障は得られたというようなことになりまして、一月二十四日の総会で会規会則を制定し、それから最終的に
日本政府とアメリカとの話し合いがついたということもございまして、先ほど申し上げましたように三月十三日に会規会則の施行を四月一日とする決定をした、こういうことになっておるわけでございます。
次に、第二番目のアメリカ側の懸念でございますけれ
ども、これにつきましては幾つかの問題がございました。
新聞等にも出ておりますけれ
ども、一つにはアメリカの
弁護士の職務範囲の問題、具体的には十六条、十七条の問題でございます。指定法の運用の問題でございます。それから五年の実務経験の問題、それから法務大臣の承認あるいは日弁連の登録
手続の期間を短縮することができないかというような問題、それから
弁護士の補助
職員、俗にトレーニー・クラークと言われておりますけれ
ども、そういう人
たちの入国問題、それから
日本の
弁護士には課してないけれ
ども外国人
弁護士には課すといういろいろな制約があるわけでございまして、そういうものを
日本人
弁護士並みにすることができないかという過重負担の解消の問題、それから日弁連会則が非常に厳し過ぎるというようなことについての疑念、こういうものがあったわけでございます。
いろいろ細かい
手続的な問題はあったわけでございますけれ
ども、特にこの職務の範囲の問題と五年の実務経験の問題につきましては、御承知のようにアメリカの全部の州が
日本人
弁護士を受け入れるという
制度を持っておりませんために、結局州を一つの外国とみなしまして、州と
日本との相互主義という形にならざるを得ないことになったわけでございます。その結果どういう問題が生じたかと申しますと、例えばニューヨーク州の
弁護士が隣の州の法律について
日本に来ていろいろ
意見を述べるというようなことは原則としてできない、それをするためには法務大臣の指定を得なければならぬという、ちょっと、アメリカの
弁護士がフランス法を取り扱うについて法務大臣の指定を受けるというのはわかるのでありますけれ
ども、隣の州の法律についていろいろな見解を表明するのに法務大臣の指定を受けなければならぬということに相なりました。
それからもう一つは、ニューヨーク州が一つの国となりましたために、アメリカなんかではある州の
弁護士がほかの州に行ってまた
弁護士の
仕事をするというようなことになるわけでございますが、ニューヨーク州において五年の経験を積まなければならない、その間ちょっとカリフォルニアに行くというようなことがあってはいかぬというような、厳格に解釈をいたしますとそういう問題が出てまいったわけでございます。
そこでアメリカ側といたしましては、アメリカの州が一つの
独立の国として外弁法上みなされるといたしましても、実質的には各州それぞれ連邦法というものが当然共通でございますし、コモンローの国でございますし、いろいろな州法も事実上共通のものがあるという
実態があるというようなこと、それからアメリカの
弁護士というのは国内では他州をいろいろ動いているという
実態がある、そういう
実態をよく
日本政府も見きわめていただいて、その
実態に即応するような運用をしていただきたい、こういうことが強く表明されました。私
どもといたしましてもその
実態に即した運用をするということをアメリカ側にお約束したわけでございますが、どうもその
実態の認識につきまして、アメリカ側の言う
実態と私
どもが認識した
実態について若干のそごがあったというようなこともございまして、なかなか了解を得られるということにはなりませんでした。私
ども十二月にアメリカに参りました節におきましてもこの問題が中心に議論され、さらにその間外交ルートを通じていろいろ話し合いを続けながら、ことしの一月にはUSTRのスミス大使が参りましてうちの党事務次官と話し合うというようなこともあったわけでございますが、最終的にはそういう米国の
実態というものについての認識も一致いたしまして、これに即した運用をするということでアメリカ側も了解をして了解点に達したわけでございます。
以上の経過を踏まえまして四月一日施行ということが円満に決まったという状況でございます。私
ども三月十六日に細かい
手続についての
説明会を開催いたしましたところ、相当数の外国人関係者がこの
説明会に出席したというような事実もあるわけでございます。
以上でございます。