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1979-05-08 第87回国会 参議院 内閣委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年五月八日(火曜日)    午前十時三十分開会     —————————————    委員異動  四月二十六日     辞任         補欠選任      高杉 廸忠君     野田  哲君  五月八日     辞任         補欠選任      中西 一郎君     西村 尚治君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         桧垣徳太郎君     理 事                 岡田  広君                 林  ゆう君                 山崎  昇君                 向井 長年君     委 員                 源田  実君                 斎藤栄三郎君                 塚田十一郎君                 西村 尚治君                 林  寛子君                 原 文兵衛君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 野田  哲君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 黒柳  明君                 山中 郁子君                 森田 重郎君    国務大臣        国 務 大 臣        (総理府総務長        官)       三原 朝雄君    政府委員        内閣官房内閣審        議室長内閣総        理大臣官房審議        室長       清水  汪君        内閣法制局長官  真田 秀夫君        内閣法制局第二        部長       味村  治君        内閣総理大臣官        房広報室長兼内        閣官房内閣広報        室長       小玉 正任君        内閣総理大臣官        房総務審議官   大濱 忠志君        宮内庁次長    山本  悟君        法務政務次官   最上  進君        法務省民事局長  香川 保一君        外務大臣官房長  山崎 敏夫君        外務大臣官房領        事移住部長    塚本 政雄君        外務省条約局長  伊達 宗起君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○元号法案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る四月二十六日、高杉廸忠君委員辞任され、その補欠として野田哲君が選任されました。  また、本日、中西一郎君が委員辞任され、その補欠として西村尚治君が選任されました。     —————————————
  3. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 元号法案議題といたします。  まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。三原総理府総務長官
  4. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいま議題となりました元号法案について、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  元号は、国民日常生活において長年使用されて広く国民の間に定着しており、かつ、大多数の国民がその存続を希望しておりますので、政府としては、元号を将来とも存続させるべきであると考えております。  しかしながら、元号制度については、旧皇室典範及び登極令廃止されて以来法的根拠はなくなり、現在の昭和は事実たる慣習として使われている状態であります。  したがって、元号制度として明確で安定したものとするため、その根拠法律で明確に規定する必要があると考えます。  今回御提案いたしております法律案もこのような趣旨によるものであります。  次に、法律案内容について御説明申し上げます。  第一項は、元号政令で定めることとしています。  次に第二項は、その元号は、皇位の継承があった場合に限ってこれを改めることとしています。  附則の第一項は、この法律施行期日について公布の日から施行することとしています。  附則の第二項は、現在の昭和は本則第一項の規定に基づき定められたものとすることとしています。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  5. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 以上で説明の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 原文兵衛

    原文兵衛君 最初に申し上げますが、私は元号法制化推進論者であります。したがって、もちろん今回提案された元号法案についても賛成の立場にあります。しかしながら、元号というものは、国民にとりましては、生活の面におきましてもまた精神的な面におきましても大変大きな影響を持つものであると思うわけです。なお、元号存続については、いままで各種世論調査におきましても国民の大部分——部分というのはまあ八〇%前後ということでございますが、の人たち元号存続を希望しているということが言われております。ところが一方におきまして、元号存続した方がいい、元号存続した方がいいが法制化するほどのことではないというようなアンケートに対する答えを出したそういうような方々が六四・五%もいるということがある新聞の調査で言われているわけでございます。またきわめて大事なことでございますが、元号法制化憲法とのかかわり、また元号天皇とのかかわりについても明らかにしておかなければならない点が非常に多いと思うのでございます。  したがいまして、元号法制化の問題につきましては、政府は、国民が十分理解し、多くの国民が心から賛成されるように国民に対していろいろと説明をしなくちゃいけない、その点が私は実はいままで少し足りないんじゃないかと思うんですが、少なくともこの国会審議の場を通じましても、国会審議の場を積極的に活用されましてこの点について十分御説明を願いたいと思うわけでございます。  そういうような意味におきまして、私はこれから元号存続に反対される方々また元号法制化に反対される方々意見も引用しながら質問したいと思いますので、総務長官あるいは法制局長官初め関係方々から、どうぞひとつはっきりしてわかりやすいような答弁をお願いいたしたいと思うわけでございます。  そこで、最初にお聞きしたいのでございますが、政府昭和三十六年以降数回にわたって元号についての世論調査を行ってきたということでございますが、次の天皇の代になっても年号制度はあった方がよい、あるいはどちらかと言えばあった方がよいと答えた人、すなわち年号存続を希望する人が昭和三十六年の調査では五九%であったけれども昭和四十九年以降三回の調査では七六%ないし八〇%あったということでございますが、年号制度はなぜあった方がよいと思うかという点ですね、すなわち年号存続を希望することはそういうパーセンテージが出ておりますが、希望する理由、この理由について調査したことがあるのかどうかという点、それからなお調査の際に、元号と言わずに年号というふうに言っているように私は聞いているのでございますが、これには何か特別な意味があるのかどうか、これらの点についてまずお伺いいたしたいと思います。
  7. 清水汪

    政府委員清水汪君) お答えを申し上げます。  ただいまお尋ねの第一点でございますが、従来の総理府世論調査におきまして、元号存続に賛成しておる場合のその理由についてどのような状態であったかという点でございますが、この点につきましては、御指摘昭和三十六年から四十九年それから五十一年、五十二年と四回にわたる調査におきまして同じような調査をいたしております。  その回答について申し上げますと、一番多いのは時代区切りが明瞭になるからというのが一番多くて、これは昭和三十六年のときには三九%を占めておりましたが、以後四五%、四九%、最後の五十二年のときは五四%というような比率を示しております。それから次に多いのは古くからのしきたりであるからというような理由でございます。それからその次に多いのは、年号をやめて西歴にしても日本にはなじまないからというような順序になっております。  それから、第二点のお尋ねは、失礼でございますが……
  8. 原文兵衛

    原文兵衛君 年号元号という使い方。
  9. 清水汪

    政府委員清水汪君) この調査に使いました用語の問題についてのお尋ねでございますけれども、この点は、事実として申し上げれば、従来の調査のときには年号という言葉でずっとやってまいりました。で、この点につきまして政府としてはどういうふうに考えておるかということでございますが、まず一つは、年号といい元号といい、現在のわが国用語といたしましては各種の物を見ましても全く同義であるというふうに解説をされ理解をされているということでございますが、そこで政府といたしまして、今回の法案を作成するに際しましてはどれを選ぶかという問題には当然考慮を払ったわけでございますが、長い歴史の中で考えてみますと、いまちょうど引用いたしましたように、元号というのはわが国独特の紀年法——年の表示をするための方法でございますけれども、その一番独特のところはやはり時代区切りをつけてこれを明瞭にしていくというところにあろうかと思います。つまり、ある時点におきましてはその時を元年といたしまして、以後そこからまた年の計算を始めていくというようなことになります。そういう意味におきまして、元年にし、そこにこれからの年の呼び名を決めるというようなものでございますので、元号ということが一番ふさわしいのではないかというふうに判断をいたしまして、元号という言葉を使った次第でございます。
  10. 原文兵衛

    原文兵衛君 わが国元号は、これはもう私言うまでもないわけですが、第三十六代孝徳天皇のとき大化という元号が立てられたわけでございます。その後一時中断した時期が約四、五十年あったようでございますが、第四十二代、文武天皇のときに大宝という年号が定められてからは約千三百年近くずっと続いているということ、しかもそれはとぎれることなく続いているというふうに私は理解しているわけでございます。これは、そういうことを考えますと、この元号というのはわが国のすぐれた伝統文化であると言っても差し支えないのではないかと思うわけでございます。同時にまた、伝統文化であるだけじゃなくて、ことに明治以降はもう国民日常生活にすっかり根をおろしている、お互いの身にしみついている、いわゆる国民文化とでもいいますか、あるいは生活文化とでもいいますか、そのように言っても差し支えないと思うのでございます。そういう意味で私は元号はもちろんぜひ存続すべきものであると思っているのですが、ところが存続に反対を唱える方の中には、元号は元来中国で起こったものをわが国がまねしたものであって、わが国の固有の伝統文化ではないというふうに言う人もいるわけでございますが、この点についての総務長官の御意見はいかがでございましょうか。
  11. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま原委員の御指摘のように、私ども千三百年の長きにわたってお互い日常生活の中に密着してまいりました元号であるわけでございます。しかしそれの歴史的な回顧をいたしてみますれば、中国から来たものであるということはお説のとおりでございます。しかしながら、例を他にとりましても、中国から参りましたもので日本の伝統的な文化となったものずいぶんあるわけでございます。宗教的な仏教にいたしましても、その他文字にいたしましても、そういうものもあるわけでございます。しかし私は長い歴史の流れの中で、中国におきましては、すでにこれが使用廃止をしておられる。日本におきましては、長い間これを使用してまいっておるという、そしてしかも日本におきましては、自己の社会なりあるいは文化の帰属的な意味合いと申しましょうか、意義もその中にあるわけでございます。そういう意味で、私は日本民族の長い間の伝統的な文化となって存続をいたしておるというふうに受けとめておるわけでございます。
  12. 原文兵衛

    原文兵衛君 私も全く同じように考えているわけでございまして、わが国伝統文化と言われるものの中には、そのルーツを探れば、中国であったり韓国であったり、あるいはヨーロッパであったりというようなことが幾らもあるわけですね。ほかにも幾らもその例はあると思います。したがって、元号ルーツは確かに中国の前漢の武帝時代ですか、建元という元号から始まった。それを大化の改新のときにまねたということはあっても、これはもうすっかり日本伝統文化になっている。ことに現在は、元号は恐らく日本以外には使われていない、かつて使っておったところの中国にしましても韓国にしましても、元号は使ってない、日本だけが使っているというような意味で、すぐれた伝統文化であると言って差し支えないと思うわけでございます。  もう一つ、いま総務長官の御答弁にも、国民生活にすっかり密着しているというお話がございました。私もそう思っているんです。ところがある人は、この元号というのは、江戸時代までは庶民の間では余り使われていなかった、元号は確かにあったけれども江戸時代までは、庶民の間ではむしろえと十干十二支が使われていたので、元号は公の場ぐらいしか使われてなかったんじゃないか、だから国民生活に密着しているものだとは言えないんじゃないかというような意見を言う人もいるわけです。私は、あるいは江戸時代までにはそういうようなことも言われるかもしれないけれども、少なくとも明治以降は、全くお互い生活そのものにすっかりしみついたものになっていると思います。そういうような意味で、私は元号わが国国民文化であり、生活文化であるというふうに考えているわけでございますが、この点についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  13. 清水汪

    政府委員清水汪君) ただいまのお尋ねの点でございますが、江戸時代までということでございますと、必ずしも一般人々日常生活においてたくさん使っていたということは、あるいはなかなか資料の関係もありましてはっきりしたことは言えないかもしれませんが、しかし江戸時代以前におきましても、幾つかの文献は現にあるわけでございますし、それから江戸時代におきましては、かなりの農村関係等の古文書にも元号が使われているということは現に残っているわけでございます。そうしたことから申しますと、少なくとも江戸時代以降におきましては、一般人々日常活動におきましても、ある程度使われていたということは十分申し上げられると思います。
  14. 原文兵衛

    原文兵衛君 次に、元号西暦との関係についてお尋ねしたいんですが、私も決して西暦使用を排斥するものではございません。西暦の併用ということは、これはもう旧憲法時代もしょっちゅう使われていたと思います。ことに外交文書なんか西暦であったと思います。そういうようなことで、旧憲法時代でもそうであったし、またことに戦後は西暦使用が非常に多くなったと思うわけでございます。しかしそうは言っても、やはり国民の多くはほとんどもう無意識に元号を使っている無意識に使っているということは、それほど元号が身にしみついているのだと思うわけでございます。したがって、西暦は必要があれば併用すればよいのであるし、まあそういうような意味で、私どもはふだんの生活を自分で考えてみましても、私のうちもそうですが、和洋折衷のうちに住む、あるいは洋服と着物の生活をする、あるいは食べ物でもそうですね。そういうようなことはもう本当に日本人のむしろこれは特徴であって、またあるいはよい点であると言っても差し支えないと思うわけでございます。私は、こういうような日本の伝統的なものと、それから外国のいい点を取り入れて、それを併用していく、併用することによって生活を豊かにしていくというのが私は日本人のいい点じゃないかと思うわけでございます。元号西暦関係も同様であって、必要に応じてどちらを使ってもよろしいし、あるいはまた併用してもよろしいというふうに思うわけでございますが、この点、元号法制化されましても、この元号西暦関係はいままでと全然変わりはないんだというふうに私は認識しておるのでございますが、この点間違いないでしょうか、政府のお考えをお聞きしたいと思います。
  15. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、この法律には使用には触れておりません。と申し上げまするのは、使用は、現在この元号西暦を併用しておられますそのままの実態をそのまま認めてまいっておるわけでございます。したがって、使用に対する義務づけとか強制とかいうようなものは一切ございませんので、今後とも現在どおり元号西暦を併用されて結構だと思っておるところでございます。
  16. 原文兵衛

    原文兵衛君 そこでお尋ねしたいのは、現在使われているところの昭和元号根拠ということについてお尋ねしたいと思うんです。  私がいろんな記録等で見ましたところでは、戦後、政府は一時、これ昭和二十一年ごろ、当時の金森国務大臣国会における——当時貴族院でございました。貴族院におけるこの皇室典範審議委員会か何かで答弁されておった記録を私は見たわけでございますが、そのとき、旧皇室典範がなくなっても——これは昭和二十二年五月三日に旧皇室典範はなくなったわけですね。この旧皇室典範がなくなっても、明治元年九月八日に出された例のいわゆる行政官布告、これは、これから後は一世の間一元で改めないというような趣旨を盛った明治元号を決めた行政官布告ですね。これは旧皇室典範が仮になくなっても明治元年九月八日の行政官布告は生きているんだと、法的には生きているんだから法的根拠があるんだというふうに一時、金森国務大臣は言ったというような記録を私は見たわけでございます。  それから昭和三十年代になりますと、これは昭和三十四年ごろの国会からだと思いますが、明治元年行政官布告というのは旧皇室典範にもう吸収されているんだと、旧皇室典範の第十二条にこの明治元年行政官布告というものは吸収されているんだから、旧皇室典範廃止された、そして第十二条が新しい皇室典範には取り入れられなかったわけですね。この時期から昭和元号には法的根拠がなくなってしまった。そしてそれから後は、「国民的習律」という言葉で言われていますね。国民的習律として使われているというような説明になっていると思うんです。ところが昭和四十年代になりますと、昭和四十三年ごろからの国会答弁等記録を見ますと、現在の元号制度法律的な根拠を持つものではなく、事実たる慣習、「事実たる慣習として昭和という年号が用いられている」というふうに説明されてきているわけでございます。  だから、最初は、元号明治元年のこの行政官布告が生きているから、旧皇室典範がなくなっても法的根拠はあるんだということを言った時期もあるし、それから昭和三十年代になると国民的習律である、法的根拠はないんだというふうに言った時期もある。昭和四十年代以後は、事実たる慣習であって法的根拠はないんだというふうに言ってきたと思うわけでございます。そうして現在、政府側がいつも説明しますのは、現在用いられている昭和という元号は、法的性格について言えば、これは法的な根拠がない、いわゆる事実たる慣習である、この事実たる慣習であるという解釈が最近はもうすっかり定着したんじゃないかなと私は思っているわけでございます。私もそれはそのとおりだろうと思うんですが、これはいままでの段階を追って私申し上げたんですが、私の認識に間違いはないかどうか、その点についてお伺いしたいと思います。
  17. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お答えを申し上げますが、明治の初め以来、日本における元号制度の移り変わりといいますか、それについてはおおむねただいま原委員のおっしゃったとおりでございます。  金森国務大臣がかつて、その明治元年行政官布告は、皇室典範廃止になってから後でもなお生きているという考え方もあり得るんじゃないかというように受け取られる趣旨の御発言があったことも私よく存じております。しかしその後私たちの方で、この明治元年行政官布告とそれから明治二十二年の旧皇室典範十二条との関連をしさいに検討いたしまして、そしてその結論としては、どうも中身が同じことなんですから、同じことを書いている皇室典範明治二十二年に制定されたその時点において明治元年行政官布告はそこへ取り込まれてしまって、そして独立して法令としての効力は、もはや皇室典範の中に取り込まれたことによって独立した効力は認められないんだろうと、それがやはり常識的な解釈であろうというふうな結論に到達したわけなんです。  そこで、旧皇室典範が現在の憲法施行になりましたと同時に廃止になって、そしてその後政府の方で元号法案なるものを昭和二十一年ごろに一応提案いたしまして国会にもお出ししようというような段階まで実はいったわけなんですが、当時の占領下という特別な特殊な事情がございまして、枢密院にかかった段階で実は取りやめになっているわけでございます。したがいまして、現在の憲法施行になりました以後は元号制度についてのわが国法令上の根拠はもう実際なくなったと言わざるを得ない。なくなったにもかかわらず、しかし依然として国民はその後三十年にわたって少しの違和感もなく昭和という元号を用いておると、こういう事実を踏まえまして私たちはこれは習律といい、あるいは事実上の慣習として生きておると、通用しているわけですから、りっぱに通用しているわけですから、そういう意味合いにおきまして事実上の慣習として昭和という元号は現在でも通用すると、しておると。  今度のこの法案は先ほど総務長官からも御説明がありましたように、いろいろの世論調査の結果非常に多くの大多数の国民が将来にわたって元号制度存続したいという願望を持っていらっしやるということが統計上明らかになっておるわけでございますので、その元号制度を今後ともやはり制度として残したいと、そのために一体じゃ方法としてどういう方法があるかということを考えました結果、私たちとしてはそれはいまの憲法のもとにおいては、それは一ころは内閣告示でもいいんじゃないかとかというようなお話もありました。ありましたが、しかし冷ややかに静かに考えてみますると、やはりいまの憲法のもとにおいては国権の最高機関である国会がただいま御提案申し上げておりまするような法律をおつくりいただいて、それに基づいて政令で具体的な元号名は決める、そうすることがやはり国民全体の御協力を得る最もよい制度であり、いまの憲法の精神に即した民主的な制度の立て方であると、こういうふうに考えましてこの法案をつくったわけでございます。
  18. 原文兵衛

    原文兵衛君 その点につきまして私もそのように解釈しているわけでございますが、この「事実たる慣習」というのは、昭和という元号を使うことが事実たる慣習であって、一般的に元号を用いるということが事実たる慣習というのではない。昭和という元号を使うことが事実たる慣習であるというふうに私は理解しているわけですが、それでよろしゅうございますか。
  19. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 私もおっしゃるとおりだと存じております。つまり、日本憲法施行されまして、先ほど申しましたような経過をたどって法的根拠はなくなったと。法的根拠はなくなったけれども、なお昭和という元号違和感なく国民生活の間に溶け込んでいると。しかしその後実は改元ということがないわけなんですから、将来にわたって元号制度存続したいという国民の皆さんの大多数の方の願望はわかるんですが、しかし事実たる慣習としてはやはり昭和というこの元号を現在使っているというのが、それが事実たる慣習の中身でございまして、将来にわたってどういう改元の方法、手段をとるかというようなことについては、実はまだ一つも実例がないわけですから、それも慣習があると、慣習の中身であると言うわけにはまいらないというふうに私も考えております。
  20. 原文兵衛

    原文兵衛君 現在は西暦も併用したり、西暦だけで使っている人もいるわけですね。そこで、元号西暦も現在使われているのは、これは事実たる慣習である。西暦の方もこれ事実たる慣習で使っている。元号も事実たる慣習で使っている。だからその使用国民の自由な意思に任しておけばいいんじゃないかと、事実たる慣習で使っているんだからそのままにしておけばいいんじゃないかというような御意見もあるわけでございますが、この点についてちょっと、西暦以外に日本で事実たる慣習として使われているものはほかにございますか。
  21. 清水汪

    政府委員清水汪君) 年を表示する方法ということでございますれば、現在わが国においてまず元号がございますし、それから御指摘のとおり西暦もこれは一般に通用しているということは認められると思いますが、その他のものにつきましてはそのような制度になっているというふうに認識することは無理ではなかろうかというふうに思います。
  22. 原文兵衛

    原文兵衛君 そこで私は、いま日本では確かに元号それからあるいは西暦を使う人もいるわけですが、それは確かに両方とも事実たる慣習で使っているのだと思いますが、ところが、さっき法制局長官も言われたように、元号というのは昭和という元号、ただ元号じゃない、昭和という元号が事実たる慣習で使われている。だから、これ、そういうことを言うことはちょっと恐れ多いような気もするんですが、現在の天皇陛下がおかくれになるということになると、いま使われている事実たる慣習による昭和という元号はなくなってしまう。西暦の方は事実たる慣習として一向関係なく残っていくと思うんですね。そこで私は、国民の大部分がやはり元号を続けていくことを望んでいるわけですから、元号西暦もどっちも現在事実たる慣習で使われているんだからそれでいいんじゃないかという議論は、これは国民の多くの方々の意思に反する議論だと思うんですが、この点についてのお考えをお伺いしたいと思います。
  23. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 現在は、先ほど来お話がございましたように、昭和という元号とそれから西暦による年の表示の仕方とこれは併用されております。いずれも法的な根拠がないという意味においては、まさしく事実たる慣習として用いられているということが言えるわけでございます。  そこで、西暦につきましては、これは改元というようなことがございませんから将来にわたって紀元二千年、三千年というふうに続いていくんだろうと思います。思いますが、昭和という元号につきましては、現在事実上の慣習として行われているのはまさしく昭和という元号が使われているわけでございまして、これは現在の陛下の御在世中というふうな理解のもとにおいて国民慣習として用いているんだろうというふうに考えられるわけでございますので、もし陛下に万一のことがございました場合には、そこで何らかのやはり改元という制度が決まっておらない限りは元号制度はそこで空白になるというふうに考えるわけでございます。
  24. 原文兵衛

    原文兵衛君 そこで、元号存続を希望する人が多いんですね、いままでの調査では、先ほども説明があったように。ことに最近、昭和四十九年以降の三回の調査では八〇%前後の人が、大部分国民元号存続を希望している。ところが、元号存続は希望するけれども法制化するほどのことはないというふうに考えている人たちがアンケート調査の結果六四・五%もいるという、こういう世論調査の結果も出ているというわけでございます。一体どうしたらいいのか。法制化しなけりやなくなっちゃうんですね。ところが存続を希望している人が八〇%もいるわけであります。しかし希望していながら法制化するほどのことはないという人が六四・五%もいる。何かその辺が非常にむずかしいんですが、一体どうしたらいいと、国民のやっぱり世論に沿うためにはどうしたらいいとお考えになっているのかという点をもう一度、わかり切ったようなことですがお答えいただきたいと思います。
  25. 清水汪

    政府委員清水汪君) まさにその点が今回の政府の提案になっているわけでございます。つまり、大多数の国民昭和の後も元号というものはあってほしいという願望を持っておるわけでございまして、この点につきましては各種世論調査においてもきわめて明確であるわけでございます。で、同じ存続を希望しておられる国民方々が、その存続方法についてどういうふうに考えておられるかということが問題になるわけでございますが、その点につきましては、ごく簡潔に申し上げますと、たとえば政令で次のことを決めたらいいじゃないかというようなお考えの方もあるように伺われるわけですが、この点につきましては、現在のわが国の法制のもとにおきましては法律根拠がないままに直接政令というものを決めて物事を決めていくということはこれはできないわけでございます。  それからあるいは存続を希望するというお答えの方の中に、慣習的に使っていくということでよいのではないかというお答えもあるように伺うわけでございますが、その点につきましては先ほど法制局長官から御説明がございましたように、慣習ということの中には、昭和の次の元号についてだれがどうするかというようなことまではルールとしても含まれていないわけでございます。したがいまして、昭和の次ということで考えてみますとそれは空白になる。つまり、元号存続は希望しておるとおっしゃりながら、その方法について慣習でもいいではないかというお答えはいささか実際の解決方法にならないということがあるわけでございます。  そこで、そのような場合につきまして政府としては国民存続を希望するという意思にどのように配慮したらいいかということは当然政府として考えなければならない責任であろうと思いますが、そのような観点から従来ずっと検討をいたしてきたわけでございます。で、その検討の一時期におきましては内閣告示ということも方法としては可能ではないかというお考えを当時の総務長官がお述べになったということも御案内のとおりあるわけでございますが、その点は私どもとしては、それはその当時の諸般の情勢のもとにおきましていますぐ事の処理を迫られた場合には一体どういう処理が可能であるかというような意味におきまして、それはこういう方法考えられるということを申し上げたということがあったかと思います。  しかしながら、政府といたしましてはそのような経過も含めまして、その後も鋭意検討を重ねてきたわけでございまして、そのような検討の結果として考えましたことは、元号というものは広く国民に使われるものであると、そういう性格のものであるというようなことから考えてみますと、それからまた、そういうものでありますから、それはやはり元号であるということが明確で安定しているということがきわめて大事なことである。で、そのような元号昭和の次の元号をどうするかという、そのルールをどうするかということでございますが、そうなりますれば、たとえばいま申しましたように内閣がただ自分の判断で、内閣が自分で決めて告示をするからいいよという考え方よりは、むしろそのような内閣が決めなさいということを国会、つまり国民を代表する国会の議決する法律の形で御委任をいただくということの方が——固苦しい言葉で恐縮でございますが、事の進め方としても順当であるといいますか、筋道にかなっていると同時に、結果としても元号というものの存在が安定し、明確になるということが言えるわけでございます。  そのようなことから政府としては、最終的には内閣告示というようなことではなくて、政府からこの法案を御提案申し上げて御審議をお願いするに至ったと、このようなことでございます。
  26. 原文兵衛

    原文兵衛君 私は実はこの元号法制化する理由としてのいまの御説明に対して若干疑問を持たざるを得ないんです。  というのは、いまも繰り返しておられましたが、この制度を明確で安定したものにするために法制化するという説明のように私は受け取っているわけでございますが、このいまお話ございましたように、政府はわりあいに最近まで元号存続の方式として内閣告示で行うという考えも持っていたんじゃないかと、私はそう聞いているわけですね。そこで、そういうことを政府でも言っていた時期もあるものだから、何もわざわざ法制化しなくてもいいじゃないかというような議論が出てくるんじゃないかと思うんです。  よその委員長の例を引いて恐縮でございますが、先月の十八日に飛鳥田委員長が大平総理とお会いになったときにも——もちろん飛鳥田委員長元号法案には反対するということでございます。元号ももう存続しない方がいいということも言っておられるようでございますが、しかしもし年号が必要と考える場合には内閣の判断で行えばいいじゃないかというようなことも言ったというふうに、私は新聞ではっきり読んだわけでございます。そういうようなことは、結局やっぱりいままで内閣告示でやろうという、そういう方式でやられるようなことが政府の中で考えられていた時期があったからこういうことになったんだろうと思うんです。  そこで、政府が言う明確で安定という点について、一体、まあ法制化した方が感じとしては明確で安定するように思いますけれども、実際問題として内閣告示でもしできるんならば、法制化内閣告示とどれだけ明確で安定性があるという点においてどういう違いがあるのか、これについてひとつお考えをお聞きしたいと思います。
  27. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま御提案申し上げておりまする元号法案によりましても国民の皆さんに新しく政令で定められる元号使用を強制するというようなことは毛頭考えておりません。内閣告示で仮に行った場合でもその点は変わりがありません。  でございますが、ここで法制化、いわゆる元号法案という形で制度を立てた方が安定性があるということは、これは法律的に申しますと憲法の七十三条で政府は誠実に法律を執行しなければならないということになっておりまするので、この法案が成立いたしますれば、この法案の第二項に書いてありまする改元の事由が生ずれば政府は改元をしなければならないということで、将来にわたって元号制度が安定的に維持されると、こういう法律的な意味合いに相なろうかと思います。
  28. 原文兵衛

    原文兵衛君 そこで私の見解を申し上げたいと思うんです。これは私の見解でございますから政府は見解が違うことも十分あるし、御答弁はもちろん違った御答弁でも結構なんですが、私は元号制度に法的な根拠を持たせるためには、現在は事実たる慣習でやっておるんですが、元号制度に法的な根拠を持たせるためには法律を必要とする、内閣告示ではできないんだという見解を持っているんです。  その理由は、昭和二十二年五月三日に旧皇室典範廃止され、そして新しい皇室典範が制定されたわけでございますが、旧皇室典範にありました第十二条「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」というこの規定が新しい皇室典範にはないわけでございますね。なぜこれが除かれてきたかというと、新しい皇室典範では皇室に関することだけが規定される。ところが元号を立てるということはこれは国政に関することである、皇室に関することじゃない、国政に関することであるということで、私は新しい皇室典範から旧皇室典範の十二条が除かれたというふうに解釈いたしておるわけでございます。  これは、新しい日本憲法におきましては、日本国の主権は国民にある、天皇憲法に規定された国事に関する行為だけを行う国の象徴ではありますけれども、国政に関する事務には天皇は関与されないことになっている。これが新しい憲法だと思います。そういう点から考えますと、旧皇室典範の十二条が新しい皇室典範から除かれたということは、新しい憲法の精神からいってこれは当然の帰結だと私は思うのでございます。  旧憲法下において元号天皇陛下がお立てになられる。それは国の元首であり、統治権の総攬者である天皇元号をお立てになられたわけでございますね。だからそういう国の元首であり、統治権の総攬者である、すなわち主権を持っていらっしゃる天皇が旧憲法下では元号を立てられたわけでございますから、新しい憲法においては主権者は国民である。したがって新しい憲法のもとにおいて元号を制定するとすれば、それは主権者である国民が制定するという考え方になるんじゃないかと思うんです。具体的な元号の名称とかその手続などは政令あるいは内閣告示ということで定められるといたしましても、少なくともその根拠国民の代表たる国会の制定する法律によって定められなければならないんだと、私はそう考えているんですが、この点についての政府の御見解をお伺いしたいと思います。
  29. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 旧皇室典範廃止されまして、いまの憲法のもとにおいて新しい皇室典範が制定されました際に、旧皇室典範の第十二条にありましたようなそういう天皇が「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」という例の有名な十二条が省かれました。省かれた理由についてはおっしゃるとおりでございます。  それからまた、現在の憲法のもとにおける象徴としての天皇憲法上の役割り、それについてもおっしゃるとおりでございます。で、問題は、しからば現在の憲法のもとにおいて元号制度根拠をつくるには法律でなければならないかという点に実は問題がしぼられてくるわけなんですが、これはもし国民に新しく決められるであろう元号使用について何らかのやはり強制を行う、強制を伴うというような内容のものであれば、これは当然法律でなければならない。しかしながら、何ら国民の権利義務に関係がない、使ってもいいし使わなくてもいいというような性格のものとして元号制度考えるならば、純理論的には法律でなくてもそれは内閣告示でも結構であると思います。それは法律論としてはそのように言えるわけでございます。あたかも当用漢字、今度は何か常用漢字と言うようでございますけれども、あれなどは内閣告示でやっておりますが、あの程度のものであるとすれば、これは内閣告示も結構だと思いますが、しかし先ほど申しましたように、じゃ内閣告示でやるのと、それから今回の御提案申し上げているような元号法案と、法と、元号法として国会の議決をいただいてそれで決めるのとでは、どちらが日本憲法趣旨に沿うかということになりますと、これはもう申し上げるまでもなく、国会の御議決をいただいて法律の形でそれに基づいて政令なら政令で決めるというのが一番憲法趣旨に沿った民主的なやり方であろうという考えで御提案申し上げている次第でございます。
  30. 原文兵衛

    原文兵衛君 どうもその点が私はちょっと違う考え方持っているんですが、いま法制局長官は純法律的に言えば内閣告示でもできるんだというようなことをおっしゃいました。それは使用の強制をしないんだからということをおっしゃいました。そしていま、当用漢字を内閣告示で出した例も引かれたわけですが、私は元号というものと当用漢字を同列に考えるなんということは、もう根本的に間違いじゃないかなあという気がするんですね。元号というものは強制しなくても、これはやはり一世一元というような、これは後ほどちょっと質問しますけれども、ということで私ども考えるわけでございます。そうしますと、強制する、しないじゃなくって、やはりこれは主権者の意思が反映されなければ、元号制度というものはつくれないんじゃないか、だから法制化するのは当然である、法律でなきゃできないんで、内閣告示じゃ私はできないんじゃないかというふうに実は考えているわけでございますけれども、この点については私は法律の専門家じゃございませんから、法制局長官が純法律的に考えれば内閣告示でもできるということに対して法律論争をすれば負けると思いますので申し上げませんけれども、しかし私は、私のまあ感じ方としては当用漢字などと同列に考えるべきじゃなくて、やはり私は法律によって決めなければできないもんじゃないかなと思っていますので、これは御答弁はこれ以上求めませんが、これを申し上げておきたいと思うわけでございます。  そこで次に、元号天皇とのかかわりということについてお伺いいたしたいと思います。  私は、元号天皇はこれは深いかかわりを持っているんだと、またそうでなければならないと思うんです。全然天皇とかかわりのない、まあ五十年目ごとに元号を変えたらいいじゃないか、四半世紀、二十五年目ごとに変えたらいいじゃないかというような元号であるならば、私はそんなものは必要はないんじゃないか、これは私の気持ちですが、思うんですね。やっぱり元号というのは天皇、それは決していわゆる主権者としての明治憲法時代天皇という意味じゃありません、現在の憲法の「国民統合の象徴」であるという天皇とは非常にかかわりが深いものである、元号とはかかわりが深いものであると、私はそういうふうに考えておりますが、この点については総務長官の御意見をお伺いしたいと思います。
  31. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 確かに御指摘のように国民元号に対する心情と申しますか、理解というようなものは天皇とのかかわり合い、そうしたものから強くつながっておるということは否定できない事実だと思います。そこで、なおそういう点において私ども考えてまいりますると、主権の存します国民の総意によって象徴天皇制が確立を新憲法においてされた。そこで、その天皇の御在位の期間——即位のときに改元をし、そして存続期間その元号使用する、そういうことを、言いかえまするならば、一世一元の制度考えてまいるということが国民のそうした心情にこたえるゆえんである、そう受けとめてまいっておるところでございます。
  32. 原文兵衛

    原文兵衛君 総務長官のお考えよくわかりました。  私は、どうも従来政府元号天皇とのかかわりについて言及されるのを避けてきたんじゃないかという、避けてきたきらいがあるんじゃないかなというようなことを実は感じるんですね。それは一時期、いままでにもお話が出ましたが、元号存続内閣告示によって行えばよいというふうに考えた時期があったと思うんですが、それもいま申し上げたような元号天皇とのかかわり合いを避けようというような気持ちのあらわれではないかなとさえ私は感じざるを得ないのでございます。そこで私は、元号天皇関係というのはもうむしろ堂々と論じて、はっきりさせなくちゃいけないんじゃないかというふうに思っておるわけでございます。  そういう意味でまずお伺いしますが、今度の政府提案、これはもう当然だと思いますけれども、一世一元ということが明示されておりません、はっきり示されておりません。何か総理府案で前につくったのには一世一元が明示されておったように思いますけれども、それは提案されたわけじゃございません、いまの法案には一世一元ということが明示されていませんが、法案の第二項は、これは当然一世一元ということを言ってるんだと思いますけれども、この点はそう解釈してよろしいわけでございますね。
  33. 清水汪

    政府委員清水汪君) 御意見のとおりでございます。
  34. 原文兵衛

    原文兵衛君 私は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇と一世一元の元号制とは、これはまことに深いかかわりがあり、また非常にふさわしいものであるというふうに考えております。さっきも申し上げましたように、天皇とのかかわり合いを除いて元号制を論ずるのは多くの国民の気持ちからいってもそういうことはナンセンスじゃないかとさえ思っているわけでございます。  そこで、元号制に反対の立場をとる人の中には、元号法制化天皇制の復活につながると言う人がいます。天皇制の復活につながるから元号法制化は反対だと、こういうような人がいますが、この場合に言う反対論者の天皇制というのは、天皇が統治権を持った絶対君主という意味での天皇制を指していると思います。元号が事実たる慣習として現在使われているんですよ、使われている。しかし使われているけれども、これはやはりいまの憲法下における象徴としての天皇に対する多くの国民の敬愛の念といいますか、あるいはあこがれの念と言ってもいいと思いますが、そういうような天皇というものを頭に置いて、私は元号制を現に使っているんだと。しかしその現に使っている元号存続してほしい。存続するとなると、私はやはり法制化でなくちゃできないんじゃないかなというふうにさえ思っているわけでございますが、この点、反対論者が言うような天皇を統治権を持つ絶対君主だ、また法制化をすればそういう天皇制に返るんだなんということは、多くの国民、ほとんどの国民考えていないんじゃないかなとさえ私は思っているわけでございます。  そういうようなことで、私は一世一元の元号制は象徴天皇に最もふさわしいものだといま申し上げましたが、その点につきましていまの天皇制が、統治権を持った絶対君主である天皇制に返るなんということは考えられない。それは法制化されたってもちろんそんなことはとうてい考えられない。いまの憲法はそのまま続くわけだし、私は将来とも天皇はやはり象徴天皇であった方がいいと思うわけでございます。いまのまま憲法は続くんで、これが法制化されたって旧憲法時代天皇制に返るなんということはとうてい考えられないと思いますが、この点についてひとつ政府の方からはっきりお答え願いたいと思います。
  35. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) いわゆる元号制度法制化について御反対の方々の御意見を伺いますと、ただいま御指摘のように法制化することによって何か昔の天皇制に戻る、そのきっかけになるんだというようなお考えで御反対をなさっていらっしゃるという面が、私もときどきそういうことを聞きます。しかし、ただいま御指摘のように、この法制化することと、それから憲法上の天皇の地位、象徴としての天皇の地位、つまり「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」という憲法の明記している天皇の性格にいささかも変化を、変更を来たすようなものではもちろんございません。この点ははっきり申し上げておきます。
  36. 原文兵衛

    原文兵衛君 歴史的に見ましても、元号制が日本でしかれるようになってから約千三百年になるわけでございますが、その間には、たとえば鎌倉時代以後のように、幕府政治が行われた時期がかなり長い間あるわけですね。この期間は天皇は政治的にはほとんど無力であったという時期であったんじゃないかと思います。いわばこの期間は、歴史的に見て象徴天皇のような存在であった。そういう時期であった。それが相当長く続いておったというふうに私は考えているわけです。しかし、そういう時期でも天皇日本国民のあこがれであり、また日本国民の心情的につながるものがある。そこで、こういう歴史的に見て天皇は政治的にはほとんど無力であった時期でも、元号だけは天皇がお決めになるものとされておった。これは歴史的事実として、そう思います。これは徳川時代の新井白石の「折たく柴の記」にもそういうような意味のことが書かれていることを私も拝見しております。私はそういうような意味元号天皇というものは深いかかわりがある。それだからこそ一世一元がふさわしいのであって、元号法制化というものは天皇を元首化するものだというようなことは、これは歴史上にそういう事実があったことにかんがみましても、元号法制化天皇を元首化するものだというようなことは、全然いまの憲法下において考えられないものであるというふうに私は認識しておるわけでございます。  この点につきまして、もうすでに政府答弁はございましたけれども元号天皇関係ということにつきまして、もう一度はっきりお答えいただきたいと思います。
  37. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 歴史的に見ますと、武家政治といいますか、幕府があって、朝廷は政治的にはほとんど、まあ言葉はよくないかもしれませんが、無力であられた時代がございます。その間の時代におきましても、元号はやはり朝廷がお決めになった。ただ、幕府の方でいろいろ注文つけたりしたようなことはあったようでございますけれども、やはり最終的な決定は朝廷の方でお決めになったということは確かなようでございます。  それから、重ねてのお尋ねでございますが、今度の元号法案によっていわゆる元号制度法制化しても、日本憲法が現に厳然として規定している天皇の性格を変更をするようなことは毛頭ございません。先ほど申し上げたとおりでございます。
  38. 原文兵衛

    原文兵衛君 私は、今度の元号法制化は、旧憲法時代のような統治権を持つ天皇制とは全く縁がないものである、しかし現在の憲法の象徴天皇とは深いかかわり合いがあるものである、こういう認識のもとにお伺いするわけでございますが、今度の元号法案では、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。」となっておりますけれども、この皇位の継承と改元の元号を改める時期との関係はどういうふうにお考えになっているのか、お伺いいたします。
  39. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、いま御指摘のように、いま御提案申し上げております法案の中には、「皇位の継承があった場合に」ということを法案の中身にいたしておるわけでございます。  そこで、この法律のことを考えてみますと、事情の許す限り、皇位の継承があった場合には速やかにひとつ改元をすべきものだという法の趣旨を踏まえておるわけでございます。  そこで、私どもといたしましては、そうした法律趣旨を踏まえて、法案審議をいままで衆議院、参議院と、こうしてお願いをいたしておるわけでございますが、ここでいろいろな御意見を拝聴いたしておるわけでございます。まずこれをひとつ参考にし、また皇位の継承がある時期がどういうときであろうかというような点が一つ——その皇位継承の時期が一つ問題になるわけでございます。  次には、その当時におきまする国民の感情と申しますか国民の心情というようなものがどういうところにあるであろうか。またこれを改元するに当たりましては、国民生活にいろいろ影響をもたらすであろう。そういうようなことを配慮いたしまして、慎重に改元の時期を決めてまいりたい、そういうことでただいまのところおるわけでございます。
  40. 原文兵衛

    原文兵衛君 ちょっとお伺いしますが、踰年改元という考え方もございますね。歴史的にも踰年改元であった例が幾つかあると思うわけですが、そういう踰年改元の歴史的な例、あるいはなぜそれは踰年改元したのかどうか、そういうことについて政府の方で調べておられたら、お答えいただきたいと思うんですが。
  41. 清水汪

    政府委員清水汪君) 御指摘のとおり、踰年改元、つまり皇位の継承をなさいました年の翌年のある時期、あるいは翌年以降のある時期、そういう意味におきまして、その年を越してからの改元ということでございますが、そのような例は過去の元号歴史の中ではむしろ非常に多かったということは御案内のとおりでございます。もう少し補足的に申しますと、元号大化から始まってしばらく中断してその後文武天皇のときからが一貫して継続しておりますけれども、すぐその次は奈良時代でございますが、その奈良時代の大体の場合、それからそれに続きまする平安時代の大体初期のころまでは、奈良時代におきましては特にすぐ改元したということがあったわけでございますが、平安時代の初期と申しますか、第五十一代の平城天皇のときにその年のうちに改元をしたということがございましたが、それが大体最後でございまして、それから後は年を越してからの改元ということが例でございました。それが明治以降になりますと、明治自体は御案内のとおり明治天皇が御即位をなさいましてから約一年八カ月ぐらいたってから慶応四年を明治元年に改めたということでございますが、その明治元年行政官布告におきまして、先ほど御指摘のとおり、以後は一世一元ということにされたわけでございますが、その後におきまするやり方といたしましては、大正になる場合それから昭和になる場合におきましては即日の改元であったと。その日のうちに改元が行われたと。このような歴史になっているわけでございます。  従前の踰年改元ということにつきまして、なぜそうであったかということにつきましては、多少学問的な解説も見受けるわけでございますけれども、現在政府として考えておりますことは、全体といたしましては元号にそのような歴史があったということはもちろん十分念頭にあるわけでございますけれども、しかし、より最近におけるところの元号のあり方、そのようなものをむしろ国民としては自然に受けとめて理解をしているのではなかろうかというふうに考えております。そのような立場からいたしますと、先ほど法案趣旨として大臣から御説明のありましたように、皇位の継承のあった場合には事情の許す限り速やかに改元をするという趣旨を踏まえて考えていくのが最も自然であろうと思うわけでございますが、なお大臣からもお答えのございましたように、その場合におきましてもいろいろの御意見とかあるいは実際の場合の影響、そういうものに対する配慮ということも総合的に判断の中に入れて最終的には決めていくと、こういうような姿勢でおるわけでございます。
  42. 原文兵衛

    原文兵衛君 わかりました。私は踰年改元というのもこれもやっぱり一つ考え方であると思います。しかし、さっき総務長官国会審議等を通じていろんな意見もある。そういう意見等も参考にして最も適切な時期を考えるということでございますので私の意見をちょっと申し上げますが、現行憲法では第二条に「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とあります。そして現行皇室典範では第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」、そして第四条で、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」、「直ちに即位する」というふうになっているわけでございますね。そうしますと、現行憲法なりあるいは現行の皇室典範に規定されている皇位継承の条項の趣旨から言うと、私はやはり元号というものは皇位の継承があった場合には、できるだけ早く改められるべき性格のもののように考えておるわけでございます。この点については、ひとつ私の意見として御参考にしていただきたいと思います。  そこで、次にお伺いいたしますのは、元号制の手続等につきまして若干御質問したいわけでございますが、まず法律にいう「元号は、政令で定める。」と、この法案の一項にあるわけでございますが、これは元号に必要な諸般の手続を政令で定めるという趣旨なのか、あるいは新しい元号名そのものを政令で定めるという趣旨なのか、その点お伺いしたいと思います。
  43. 清水汪

    政府委員清水汪君) 後段の御意見のとおりと考えております。つまり昭和の次の何々という元号の名前を政令で定めるということでございます。もちろんその際には、それをいつからそういうふうに変えるんだということも当然一緒に規定をいたしますが、つまり新しい元号の名称と、それがいつからそうなるということの二点を考えております。
  44. 原文兵衛

    原文兵衛君 そうしますと、昭和の次にどういう年号元号になるかわかりませんが、元号政令で定め、そしてそれをいつから使用するようになるか、これを政令でやるんだというお話ですが、それまでにはいろんな手順があると思うのです。そういう手順はどういうふうに考えておられるのか。これをお伺いしたいと思います。
  45. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま政府委員からお答え申し上げましたように、御即位がなされて、いま御指摘のようにできるだけ速やかに元号を制定いたしたいという、そういう方針ではおるわけでございますが、しかしいままで御審議の中でいろいろな御注意なり御進言があっておりますが、そういうものを踏まえて、そうした御即位をなさった時期が、たとえば一例で十二月の末になるとかというようなこともあるかもしれません。あるいはその当時国民生活にどういう影響が急激に及ぶのか、経済活動にどういう関連をするであろうか、そういうようなものを総合的に判断して、できるだけ早く決めたいということで慎重に処理するわけでございますが、そこでじゃどういうような手続でそこまでいくかというお尋ねでございますが、全くいま私どまりの腹案でございますけれども——これを申し上げまして御意見を聞きながら最終的には法案制定後速やかにそうした手続を詰めてまいりたい。そう考えておるところでございますが、腹案を申し上げますと、まず何人かの学識経験者の方にお願いをいたしまして元号名の候補になるものを複数ぐらいでお出しを願いたいと考えております。またそれらの方々は広い視野に立ってお考えを願うような方を御委嘱申し上げたいというような考えでおるわけでございます。そこで出ました元号候補名というようなものを、まず総理府総務長官のところで一応整理をさしていただきたいと思っております。それが終わりました段階で内閣官房長官、総務長官そして法制局長官あたりのところで、ひとつその検討をして原案なり、あるいはそれに次ぐもの、そういうものを整理をしてまいりたい。それが終わりました段階で総理大臣が主宰される閣僚懇談会の場にそれを御提示申し上げて御検討願う。そこで御検討願った上でございますが、国民に非常に影響のあるものでございますので、国会の御意思をどういう形でこれに及ぼしていただくかというような点で、衆参の正副議長さんに御連絡を申し上げ御意見を拝聴するというようなことでどうであろうか。そういう処置をしました上で、実は閣議において最終決定を願うというような、いま腹づもりでございます。そういう腹案を持っておるところでございますが、しかし今後の審議等で手続上いろいろな御意見を拝聴しながら、最終的には詰めてまいりたい。そういう考え方のもとにおるわけでございます。
  46. 原文兵衛

    原文兵衛君 元号の原案となるようなものをどういうような手順でやっていかれるかというようなことの総務長官のお考え、腹案ですね、をいまお伺いしました。私はもちろんそれに対していま特別な意見はございませんが、ただ、元号というのは、これは国民が毎日使っているものですから、やっぱり太郎だとか次郎だとか、その辺にだれでも使っているような名前のものでは困ると思うのですね。だから選定の基準というものが必要なんじゃないかなと思うわけでございます。  そこで、昭和という元号を選定されるときには、その当時の一木宮内大臣が原案をつくるについての一つの基準を示していらっしゃる。その基準が五項目あるというふうに私は聞いているわけでございます。その五項目の基準をちょっと申し上げますと、第一が、「元号ハ、本邦ハ固ヨリ言ヲ俟タズ、支那、朝鮮、南詔、交趾等ノ年号、其ノ帝王后妃人臣ノ謚号、名字等及宮殿、土地ノ名称等ト重複セザルモノナルベキコト」、二として、「元号ハ国家ノ一大理想ヲ表徴スルニ足ルモノナルベキコト」、三として、「元号ハ古典ニ出処ヲ有シ、其ノ字面ハ雅馴ニシテ、」——むずかしい言葉でございますが、私は字引を引いたのですが、「雅馴」というのは筆遣いが熟しているということだそうでございますが、「其ノ字面ハ雅馴ニシテ、其ノ意義ハ深長ナルベキコト」、四として、「元号ハ称呼上、音調諧和」——調子がいい、整っているということでしょうか、「元号ハ称呼上、音調諧和ヲ要スベキコト」、五、「元号ハ其ノ字画簡明平易ナルベキコト」、こういう五項目の基準を昭和という元号の原案をつくるときに時の宮内大臣が示しているということを私は聞いているわけでございますが、このような基準につきましては政府はいまどのようにお考えになっているのか、この点を最後にお伺いしたいと思います。
  47. 清水汪

    政府委員清水汪君) ただいまのお話と大体似たような趣旨のことはこれは私ども考えておるわけでございますが、それはある意味では元号というものの性格と申しますか、その性格から言いまして当然のことと申しますか、衆目の一致するところだろうと思います。それでは、私どもとして学識経験者に元号の御考案をお願いをするという際に、何か非常にかちっとした指示のようなものを出すのがよいかどうかという問題があろうかと思いますけれども、その点は、今後の元号の選定の問題を考えてみますと、先ほど来御指摘の場合とは多少局面も違いますのでそのようなことは必ず必要かどうか、これはもう少し考えてみたいと実は思っているわけでございますが、しかしいずれにいたしましても、最終的には御提出をいただきましたものについて先ほどお話しのように政府部内でさらにその中から吟味をしていくということになりますれば、当然に、われわれとしてのいろいろの基準というようなものは持つ必要があろうと思います。  そのようなこととして申し上げれば、大体ただいまのものに同じようなことになるかと思いますが、やはり第一は、かつて元号とかあるいは贈り名というようなものとして使われたことがないものでなければならない。これはもう当然のことだと思いますし、あるいはまた、国家の一大理想というお言葉でございましたが、まあ今後の物の考え方としては国家というのがよろしいか、あるいはむしろ私は国民の理想と申しますか、そのようなものを意味をするような言葉が望ましいのではなかろうかというふうに思うわけでございますし、それからあと、読みやすいとか書きやすいとかわかりやすいというようなことは当然の要件であろうというふうに思います。一点、古典に出所を、出典を有しというようなことでございますが、これは従来御議論がいろいろございまして、必ずしも特定の古典に出所を有するというふうに制限的に考える必要がないのではないかという御意見をいろいろいただいておりますので、その点につきましては弾力的に考えていくのがよいのではなかろうかというふうに思います。  それから最後にもう一つつけ加えますれば、先ほどもちょっとお話がございましたが、言葉は少し適当かどうかわかりませんが、いわゆる俗用されていない言葉というようなことがつまりやはり一つの要件になるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  48. 原文兵衛

    原文兵衛君 きょうの御質問申し上げた中で政府と私の意見の違う点もあるわけでございますが、とにかく元号を今度制定されるということで元号法案を提案されているわけでございますが、どうかひとつ、国会審議を通じてはもちろんでございますけれども国民の多くの皆さんに、法制化しなければならない、法制化するべきであるというような点を十分いろいろな方法説明してほしいと思うのです。ことに、元号存続は望むけれども法制化するほどのことではないというような、相当、六〇%以上そういうような世論もあるという国民世論調査の結果も出ていることでございますので、元号問題につきましては政府におきましてもいろいろな方法国民に十分納得していただくような手だてを今後も講じていただきたいということを申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
  49. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめます。  速記をとめて。   〔速記中止〕
  50. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 速記を起こして。  暫時休憩いたします。    午前十一時五十七分休憩      —————・—————    午後三時二十五分開会
  51. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  午前に引き続き元号法案議題といたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  52. 野田哲

    野田哲君 まず、今回の元号法案、新旧両憲法のもとでの天皇制に深く関連をいたしておりますので、まず、その点から政府の見解を伺いたいと思います。  明治憲法では、まず第一番目に、天皇について「万世一系ノ天皇」こういう表現があったわけですが、現在の憲法ではそういう表現はなくなっておりますが、この「万世一系」というのは、これはどういう意味ですか。旧憲法にあらわされていた万世一系というのはこれはどういうことですか。
  53. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お答えを申し上げますが、旧憲法第一条は、ただいま御指摘のように「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書いてあったわけなんですが、この言わんとするところは、皇位の世襲はこれは永遠に行われるべきものであるという思想をここへ端的に出したんだろうと思います。ちなみにいわゆる明治憲法の起草者である伊藤博文の憲法義解というのがございますね。この憲法義解の第一条のところを読んでみますと、「恭て按ずるに、神祖開国以来、時に盛衰ありと雖、世に治乱ありと雖、皇統一系宝祚の隆は天地と興に窮なし。本条首めに立国の大義を掲げ、我が日本帝国は一系の皇統と相依て終始し、古今永遠に亙り、一ありて二なく、常ありて変なきことを示し、以て君民の関係を万世に昭かにす。」こういうふうに説明してございます。これによって御推察願いたいと思います。
  54. 野田哲

    野田哲君 永遠に続くという意味合いだということですが、じゃそれまで、明治までもそういう形で、一系という形で続いてきたと、こういう意味ですか。
  55. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 御質問の趣旨は、わが国の建国以来明治までと、こういう御趣旨でございましょうか。
  56. 野田哲

    野田哲君 そうです。
  57. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 恐らく旧憲法の起草者はそういう思想を持っておったんだろうと思います。
  58. 野田哲

    野田哲君 一系というのは、どういう続き方を一系と言うんですか。
  59. 山本悟

    政府委員(山本悟君) まあ、一系という言葉、なかなかむずかしい内容もあろうかと存ずるわけでございますが、きわめて端的に申し上げまして、世襲により代々続いていくと、これは血統によって続いていくと、こういうような関係にありますことが一系ということによってあらわされているというように存じます。
  60. 野田哲

    野田哲君 いま法制局長官から、建国以来ずっと続いてきたと、そしてこれは永遠に皇位の継承というのは続くんだと、こういう意味説明があったわけですが、現在の憲法でそういう表現を使わなくなったのは、これはその万世一系という趣旨を否定的に考えたからそういう字句がなくなったんですか、なくなった意味はどういうことなんですか。
  61. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) いまの憲法でも第二条で皇位は世襲のものであると書いてございますので、その点をとらえればやはりいつまでも世襲として続くという趣旨だろうと思いますけれども、何と申しましても旧憲法と違いまして現在の憲法は主権在民でございますので、旧憲法の思想の根拠にあったような天壌無窮とかそういう感覚を与えるような言葉は意識的に避けたんではなかろうかと存ずる次第でございます。
  62. 野田哲

    野田哲君 私の手元にはこの皇室大百科という資料による歴代皇統譜というのがあるんですが、宮内庁には皇統譜というのがあるわけですか。
  63. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 皇統譜はそれぞれ法令根拠をもちまして皇統譜ということがあるわけでございまして、それに基づいて、皇室典範なり何々に基づきまして宮内庁で皇統譜というものを保管をいたしているというかっこうになっております。
  64. 野田哲

    野田哲君 恐らく皇室大百科による歴代皇統譜というものの出典は宮内庁の皇統譜ではないかと思うんですが、それを見ると、皇太子がいるにもかかわらず皇太子に皇位が継承されないでずっと横の方の兄弟のところへたらい回しになったような状態のところがかなりあるわけですが、皇太子が皇位につかなかった例というのが十数回あるやに伺っているわけですし、これは宮内庁の資料によってもそういう例が十何回かある、こうなっているわけですが、もしなんでしたら私読み上げてもいいんですが、その例はいかがですか。
  65. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ただいま手元に資料を持っておりません。また御質問の趣旨を調べる時間的余裕がございませんでしたので、大変恐縮でございますが即答は避けさしていただきたいと思います。
  66. 野田哲

    野田哲君 これは宮内庁の方で調べてもらった資料なんです、大分以前に。それによると、応神天皇の皇太子、それから十数名いらっしゃるわけですからこれずいぶん長いんですよ、そういう例があると、こうなっているわけですし、それからここに歴代皇統譜というのがあるわけですが、ずいぶん、これは図面にして掲げれば一目瞭然なんですが、ずいぶん横の方へ、横の方へそれていった例もあるわけですが、そういう例があるということを指摘をし、具体的に伺いますが、百二十四代の中では女帝の方が相当いらっしゃいますね。これは八人いらっしゃるように思うんですが、宮内庁の方の資料ではいかがですか。
  67. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 御指摘のとおり、歴代天皇の御歴代のうちで八方十代、重祚された方がございますから十代八方が女帝でございます。
  68. 野田哲

    野田哲君 いろいろ資料によりますと、四十代の天武天皇のところで三年間ぐらい空白があったやの資料もあるんですが、その点はいかがですか。
  69. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 四十代の天武天皇西暦で申し上げまして六八六年の九月九日に崩御をされましたが、時の皇太子の草壁皇子といわれる方がまだ年が若くっていらっしゃったために皇后が実際の政をとられた、朝に臨まれたと、こういうような史実がございまして、皇太子はその後間もなく薨去をされたというような事情があって、四十一代の天皇にはその間に数年の、約三年でございますか、時代があいたというように歴史で承知をいたしているところでございます。
  70. 野田哲

    野田哲君 真田法制局長官、それから総務長官、万世一系という、これ旧憲法のことですけれども、これは大体いまのような説明からいってもこれはそうではない、必ずしもそうではないという認識を私は持つわけでありまして、明治憲法の第一条は少しこれは表現がいささかオーバーであると、こう言わざるを得ないんですが、その点いかがですか。
  71. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 私どうも歴史の方は専門でございませんので、ただいま御指摘のように三年間なり四年間空白があったのかどうかということも実はつまびらかでございません。したがいまして、旧憲法の第一条の表現が歴史的な事実に照らしてオーバーであるというふうにここで私は断言する立場ではございません。お許しを願います。
  72. 野田哲

    野田哲君 総務長官いかがです。
  73. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま真田法制局長官お答えになりましたが、私も史実について十分な勉強をいたしておりませんが、その間、皇后がこの職責を果たされたというような、いまお話しの中に出ておりましたようなことも思いあわせて、しかしいずれにしても、天皇という地位について空白があったという御指摘については私、真相であるとするならばその点についてもう少し検討をしてみたいと思いますが、しかし万世一系という言葉が誤りではないか、オーバーではないかという御指摘につきましては、私自身そうした天皇のお血筋なりあるいは皇統全体を見てその点について私なりに受けとめてまいれば、そこに二、三年の空白ということについての事実について私も不詳でございますけれども、それ自体をここで明確に歴史の事実として云々するというようなことにつきましては、また表現の適否等については、私が明確なお答えをするということは差し控えさしていただきたいと思うのでございます。
  74. 野田哲

    野田哲君 私は空白があったことだけを言っているんじゃないんです。この皇統譜、表を見れば、こんなところにずっとあみだくじのように、表現は悪いですが、ずっとこんなかっこうになって、またこっちの方から始まったりしている状態があるから、万世一系というのはこれは、まあ中国言葉で言えば白髪三千丈という表現に類する少しオーバーな表現じゃないか、こういう印象を持つわけです。  そこで、一九四五年の八月十五日、ポツダム宣言の受諾に当たって「国体」という言葉が使ってあるわけですが、この国体というのはどういうことですか。
  75. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 国体という言葉につきましては、非常に広く国柄、あるいはお国ぶりとかいうような意味で用いられている場合もございますが、法律的にはもう少し厳密に、主権の所在、つまり主権者がだれであるかということに着目して区別を立てる場合に国体という言葉を使うのが普通でございます。ポツダム宣言の受諾の意思を表示しましたときに、天皇の統治の大権は妨げられることがないという了解のもとに受諾をしますよという趣旨の、言葉は正確には私覚えておりませんけれども、そういう趣旨の了解のもとに受諾をするという回答を連合国の方に出したということに相なっておるようでございます。
  76. 野田哲

    野田哲君 すでに廃止されている法律ですが、治安維持法に「国体」という言葉が使ってあった。この治安維持法で使ってある国体ということについて昭和四年五月三十一日に大審院で判決が出ているわけですが、これは長官御存じですか、法制局長官
  77. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 治安維持法違反被告事件について大審院の判決があったということはよく承知しております。
  78. 野田哲

    野田哲君 中身。
  79. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 中身についてはただいま的確には記憶しておりません。ただ、治安維持法に言うその「国体ヲ変革」しという場合の国体というのは、先ほど来申しておりますような天皇の統治の大権、それを指しているものだろうと思います。
  80. 野田哲

    野田哲君 この一九二九年大審院の判決によると、国体ということについて、「我帝国ハ万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給フコトヲ以テ其ノ国体トナシ」、こうなっているわけですね。そうすると、これがまずこの国体ということについての定義を下した一つの戦前の法制下における表現であろうと思うんですが、この一九四五年八月十五日のポツダム宣言受諾にある、この詔書にある「国体」というのはつまりこの意味をあらわしている、こういうふうな理解でいいわけですか。この「朕ハコレニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト」云々と。この「国体ヲ護持シ得テ」という意味は、万世一系の天皇が君臨して統治権を総攬する、この国家体制を国体として表現していると、こういう理解でいいですか。
  81. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 詳しくは、昭和二十年の八月十日、ポツダム宣言を受諾する旨を連合国に申し入れたわけでございますが、その際に、そのポツダム宣言は、主権的統治者としての天皇の大権を害する要求を含まないとの了解のもとに受諾しますよという趣旨の通知をしたわけでございますので、そこに述べておる国体というのは、天皇の主権者としての地位及び統治権を総攬する天皇としての地位、主権者としての地位、そういう天皇が主権者であるという国柄、それを指して国体と、こう言っているのだろうと思います。
  82. 野田哲

    野田哲君 だから、結局八月十日のこのポツダム宣言に対する日本政府側の態度というのは、いま長官が言われたように、「天皇の國家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に」受諾すると、こういうことになっていますね。そこで、八月十五日にそれを受けて「国体ヲ護持シ得テ」と、こういう詔書が発表されているわけでありますけれども、しかしそれは、結局、当時の政府はポツダム宣言受諾後も天皇が統治権の総攬者であると、こういうふうな体制を考え、そして天皇自身もその詔書において、「国体ヲ護持シ得テ」、つまり天皇が統治権の総攬者であるという体制を守り得てと、こういうふうな意味のことを言われているわけですが、これは結局受諾に至るまでの政府側としても天皇としてもの希望的な願望であって、結果はそうなっていない、こういうことですね。
  83. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 昭和二十年の八月十日に連合国に対して日本が通知を出しました中身については先ほど申し上げたとおりでございます。つまり、わが方の希望条件をつけてその了解のもとに受諾をしたと、こういうかっこうになっているわけなんですが、その日本側がつけた了解については、先方はその了解に対して別に否定も肯定もしなかったわけなので、ただ、そのポツダム宣言について連合国からわが国によこした回答の中には、「日本の最終の政治形体は、ポツダム宣言のいうところにしたがい、日本国民の自由に表明される意志によって定められるべき」ものであると、こう書いてあったわけなので、こういう点などを踏まえて当時の政府は、なるほど占領期間中は連合国最高司令官の統治権といいますか権力のもとに天皇初めすべて日本国の政府機関は置かれたわけですが、いずれはまた日本国民が自由に表明したところによって、日本の国柄といいますか国体、政体は決められるのだろうというふうな希望を持っておったんじゃなかろうかと思うわけでございます。
  84. 野田哲

    野田哲君 だから結局は、そこで、その後新しい憲法の制定によって、天皇の統治権の総攬者たる地位、これは現在の憲法で否定されたわけですね。だから、巷間よく使われる言葉の中に、特に元号法制化を推進されようとする方々の文章の中にときどき使われている国体というのは、現在ではもう新憲法の公布施行によってなくなったと、こういうことですね。
  85. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 国体の意味につきましては、先ほど冒頭に私申し上げましたように、非常に広い意味と狭い意味とございます。で、例の制憲議会において当時の憲法担当の金森国務大臣が、日本の国体は——つまり国柄というような意味でお使いになっておったはずなんですが、国体は変わっておらないというふうに御答弁になっておることは御承知のとおりでございます。ただ、法律的な意味におきまして、主権の所在がどこにあるかという観点からその国体という意味合い考えれば、これはもう現在の憲法によって旧憲法時代の主権者である天皇から主権在民の現在の憲法に変革が行われたということは間違いございません。
  86. 野田哲

    野田哲君 だから、ここにある団体の新聞がありますが、その論説の中に「元号法制化は、ただ立法の手続ではなく、もっと大きな意義を持っている。天皇日本を諸人もろともに確認することを包含している」と、こういう天皇日本というのは、これは現在のもとでは考えられない表現だと、こういうことでしょう。いかがですか。
  87. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 天皇日本国の主権者であるというような意味合い天皇日本国というような表現をもしお使いになっておるとすれば、それは明らかに法律的に間違いでございます。いまの憲法に厳然と書いてございますように主権は国民にございます。ですから、今度の法案を批評されて、これがもとの旧憲法時代天皇制への逆行であるとか、そちらへ近づけるための一里塚であるとかいうような表現でごらんになっている方がおるとすれば、それは明らかに間違いでございます。
  88. 野田哲

    野田哲君 憲法第一条ですが、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるとなっているわけですが、「日本国民統合の象徴」とは一体どういう意味なんでしょうか。この点について、ここにある憲法問題についての学説、ある憲法学者の説によると、この象徴という意味については、明治憲法のもとで天皇が持っていたような統治権の総攬者たる地位を日本憲法のもとの天皇に対しては否認し、これにもつばら国の象徴たる役割りを与えることをそのねらいとするものだと。その趣旨は、積極的に天皇が国の象徴たる役割りを持つことを強調するよりは、むしろ消極的に天皇が国の象徴たる役割り以外の役割りは原則として持たないことを強調することにある。新たに国の象徴という役割りを持つ天皇を登場させようというのではなくて、明治憲法天皇を全部廃止をしてしまうかわりに、その持っていた役割りのうちで国の象徴たる役割りだけを残しておこうという趣旨のものであると、こういう説があるわけですが、これは宮津先生の説ですけれども政府としては国民統合の象徴という意味についてどういう解釈をとっておるわけですか。
  89. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 旧憲法時代天皇と現在の憲法のもとにおける天皇との性格が非常に違うことは、これはもう明瞭なことでございまして、それは第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると書いてございますし、また「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」という規定も明文で響いてございますので、これらをあわせまして、現在の憲法のもとにおける天皇は象徴たる地位しかお持ちになっておらないと。むしろ、国事行為はなさいますけれども、その憲法上の地位としては日本国及び日本国民統合の象徴であると、こういう意味でございます。  そこで、象徴といいますのは、これはいままで政府が公にお答えしておりますところによりますと、そういう天皇のお姿、有形といいますか、具体的な天皇というお姿を通してその奥に日本国とああいう無形の抽象的な存在あるいは国民統合という無形の抽象的な事柄を天皇というお姿を通して国民は思い浮かべるといいますか、そこで日本国としての統一性を天皇を通して感じとると、そういう意味であろうというふうにいままでもお答え申しております。
  90. 野田哲

    野田哲君 総務長官伺いますが、国民統合というのは具体的にはどういう役割りを指しているのでしょうか。
  91. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私は天皇を含めての国民の精神、心情的な一つのまとまりと申しますか、そういうものであろうと思うのでございます。
  92. 野田哲

    野田哲君 元号法制化、皇位の継承によって新たな元号によって国民にこれを強要する、こういうやり方が国民の統合、こういうことになるとお考えですか。特に皇位の継承、従来の例によれば——後でまたこの点は問題にするけれども、年月日を天皇の名前によって表現をする、こういうやり方が、これが国民統合の役割りと考えておられるわけですか。
  93. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいまの野田委員の御発言中やや不正確な点がありますので、訂正といいますか、私から指摘をさせていただきたいと思いますが、天皇の名前によって年号を定めるというのではございませんで、今度の法律によって委任を受けた内閣が政令を出して、そして年号を定めるということでございまして、天皇のお名前を使って年の表示をするという考えではございません。  それから今度の法律をつくって、そして今度の法律によって新しく定められるであろう年号国民に強要するというお言葉がございましたが、そういうつもりも毛頭ございません。
  94. 野田哲

    野田哲君 私は、過去の例によるとと、こういうことで天皇の名前によってと、こう言っているわけで、あなたがそうおっしゃるのであればその点に議論を進めてまいりたいと思うのですが、そうすると長官あれですか、もし元号法が制定をされた、それによって元号が制定をされる。これは、あるいは現在の昭和、これはいまの天皇が亡くなられたときには絶対に追号にはならないと、こう明確に明言されますか。
  95. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お答えを申し上げますが、元号と追号とはこれは全く性格が違うわけなんですね。追号は、これは皇室の行事で、新天皇が亡くなられた天皇に贈り名としてお名前をおつけになるということでございますし、元号というのは陛下が御在世中に国民なり役所なりがその年をあらわす紀年法として用いる呼び名でございまして、この二つは全然違うわけなのです。御質問の将来陛下が崩御になったときにどういう追号をお持ちになるかということは、それは現在の段階ではこれは私何とも申し上げられません。これは新天皇がお決めになることでございまして、まあ現在ではもう想像の域を出ないと、こういうお答えしかできないわけでございます。
  96. 野田哲

    野田哲君 元号と追号は制度が違うということは私もわかっているんですよ。私は具体的に聞いていることは、明治元号がそのまま天皇の追号になった。大正という元号がそのまま大正という天皇の追号になった。これから先は昭和という追号は絶対にあり得ないと、あるいはこれから今後もしこの元号法が制定されたときにそれによって決定された元号はそれこそ未来永劫に追号にはならないと、これを明確にされますかということなんですよ。それは法制局長官の役割りではない、これは次に即位された天皇が決められることだと、こういうことで問題をあいまいにされては困るんですよ。宮内庁この点いかがですか。
  97. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ただいま法制局長官から御答弁申し上げましたと全く同様でございまして、宮内庁といたしましてもただいまの段階におきまして追号がどうなの、どういうものはしない、どういうものはするというようなことを御答弁申し上げる立場に現在はないと存じます。
  98. 野田哲

    野田哲君 じゃ、だれに聞けばこの点明確になるんですか。
  99. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 重ねての御答弁でございまして恐縮でございますが、現在追号をどうしたら、どれを使ってはならない、あるいはどれを使うべきだというような意味での、何といいますか、制約と申しますか、一種の決まりというものはないわけでございまして、現在の時点におきまして何ともそれにつきましてお答え申し上げようがないと、こう存じます。
  100. 野田哲

    野田哲君 追号の手続については確かに現在は空白の状態になっている。しかし、宮内庁がこれはやるわけでしょう。宮内庁が取り扱って、即位された天皇が決定される、こういうことになるわけでしょう、そうじゃないんですか。
  101. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 新しい天皇が御決定になるといたしましても、いろいろの手続その他につきましては、宮内庁がお助けするのは当然だと存じております。
  102. 野田哲

    野田哲君 だから宮内庁には、私は、それから総務長官ここの見解を聞くしかないじゃないですか。絶対にこれは追号とは関係ない、制度上のことを言っているんじゃないんですよ、名前を言ってるんですよ。元号法の一番の問題というのはそこにあるわけですよ。これはやっぱり明確にしてもらわなければ、われわれは納得できないですよ、どうですかその点。
  103. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 真田法制局長官なり宮内庁の次長がお答えをいたしましたように、いままでの事跡と申しますか、そういうものからまいりますれば、いま野田先生が言われるように、あるいは昭和というようなものが追号としてお使いになるのではないかというようなことが考えられますが、これも全く想像の範囲でございまして、私どもその時点に立って、新しく即位をされる天皇の御判断等もあろうと思いますので、いま私ども段階で次の、現在の今上陛下がお亡くなりになったその追号についてどう考えるかというようなことについては、私どもがいま申し上げられる立場にはない、この点は御理解を願えると思うのでございます。
  104. 野田哲

    野田哲君 いや、理解できないから聞いてるんですよ。  それじゃ、先ほど真田長官が言った、私は天皇の名前を冠した年月日の表示を国民に求めることが反対をする意向の国民も数多くいるわけですが、国民統合の手段としてどうなのかと、これが国民統合の手段なのかと、こう聞いたら、長官は、ぼくの質問は間違っておるじゃないかと、元号というのは天皇の名前とは関係ないと、こう言って切り返されたから、それでは追号は全く別のものを使われるんですねと、こう聞いたところが、それは次の天皇が決められることだと。こういうことではやっぱり問題の解明にはならぬのじやないですか。どうですか。
  105. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 繰り返してお答えを申し上げることになるわけでございまするが、元号と追号とは全く性格が違います。制定権者も違うし、片方は政府が行いますし、片方は新天皇が皇室の行事としてお決めになることでございますので、その御在世中に天皇の名前を冠して年の表示をしなさいというようなことを国民に求めたり強要したり、そういうふうなことは絶対に、そういう関係にはならないわけなんでございまするので、その点は御理解願いたいと思います。
  106. 野田哲

    野田哲君 いや、何回でも聞きますよ、理解できないから。制度が違うということはわかってますよ。同じ名前にはならないんですか、なるんですかと、こう聞いているんですよ。
  107. 山本悟

    政府委員(山本悟君) たびたび申し上げて恐縮でございますが、新天皇が大行天皇に対してどういう追号を差し上げるかということは現在決まりはないわけであります。したがいまして、それをするかしないかということをいまここでするとかしないとか、そうであろうとかいうようなことを申し上げる立場にないということを申し上げているわけでございまして、これはそのときになればどういうことになるか決まってくるわけでありますけれども、いまではそのことを何とも申し上げようがないということでございます。
  108. 野田哲

    野田哲君 そうすると、総務長官、これがそっくりそのまま追号になると、こういうこともあると、こういうことですね。
  109. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先ほども申し上げましたように、明治、大正というような過去のそういう事実というようなものも踏まえて私ども考えてもおるわけでございますが、その点については、いま御指摘がありましたように、そのままなる場合もあるであろうということを想像をいたしておるのでございますけれども、はっきりしかしそれが明確に私が言えない立場にあるということを申し上げておるところでございます。
  110. 野田哲

    野田哲君 あいまいな点だけはわかりましたから、別の問題に触れていきたいと思いますが、憲法天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く。」、こうなっています。先ほどの万世一系というくだりでも法制局長官から説明があったわけですが、この国民の総意というのは一体どういう形でこれを確認をする手続があるんですか。結局これは憲法改正の手続による以外には国民の総意を確かめる手段はない、こういうことですか。
  111. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点は衆議院の内閣委員会段階でも問題になったわけなんですが、この憲法第一条に言っています「国民の総意」というのは、これは一人一人の国民の意思というんじゃなくて、総体としての国民の意思と、こういうふうに読めるわけなんでございまして、これは実は憲法制定の際に国民投票なり世論調査をしたわけじゃございませんので、それは的確な意味の証明のしようはございません。しかし制憲議会においてこれが国民の総意であるという御判断がありまして、そしてこの条文ができているんだと、こういうふうに理解しているわけでございます。
  112. 野田哲

    野田哲君 いまの説明は全く抽象的なんで、具体的な手続としては憲法改正という手続による以外には制度上は国民の総意というものを確認する手段はないと、こういうことなんですね。
  113. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 憲法改正の手続は別途憲法に規定がございますので、そこでその所定の手続を踏んで最後には国民投票にかけて、そして改めるべきものならば改めると、こういうことになるわけなんで、その点は何も第一条に限ったわけじゃなくて、憲法のすべての条文について改正を必要とするという国民の意思が、総意が結集すれば、そこでその手続に従って憲法改正は行われるであろうと、こういうことに相なるわけでございます。
  114. 野田哲

    野田哲君 総務長官総理府明治百年の記念に関する世論調査というのを実施されている中に、皇室に関する部分が幾つかありますね。日本人が誇りに思うことは何か、あるいは明治、大正、昭和の百年を通じて尊敬する人物はだれか、それから天皇は一生天皇であるべきかどうか、天皇の戦争責任についてどう思うか、こういうような点について調査をされたことがあると思うんです。その結果をちょっと発表していただきたいんです。
  115. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 政府委員から。
  116. 清水汪

    政府委員清水汪君) ただいま御指摘明治百年を記念して行われましたこれは総理府世論調査昭和四十三年三月の調査一つございます。で、二十歳以上の男女三千人というものがその対象でございまして、いまの御指摘の問いは、そのまま読みますと、「この百年間の日本の歩みについて、日本人が誇りに思ってよいことは何だと思いますか。」と、これは答えの選択肢は別段示しませんで、こういうふうに端的に質問をいたしました。その結果、十ぐらいの答えが出てまいりまして、一人で二つ以上答えている場合もありますので、それを全体を一〇〇にしまして、一つの答えの百分比を出していると、そういう集計の仕方でございますけれども、そういたしますと「国の発展、進歩、産業の発達」というようなことについて、これが誇りに思っているという答えが一番多くて、全体の中では三九・三%ということになっております。その次に多いのは「日本人の勤勉さ、頭脳等日本人の資質」というようなお答えが一八・八%。それから「戦後の立直り、復興、戦後の経済発展」というような種類の答えが八・一%。それから「国際的地位の向上、オリンピック、万国博」というようなお答えが六・六%。その次に単に「皇室」というのがございまして、これが五・七%。あと「民主主義の発達、婦人の地位向上」、これが五%。それから「平和になったこと、平和憲法、戦争放棄」、四・三%というようなことになっております。  それで、これは百年の歩みで誇りに思うことはという設問でございますが、もう一つ昭和四十二年十一月に、これは同じく総理府関係でございますが、青少年の意識調査ということをいたしておりまして、これは十五歳以上二十五歳未満の未婚の男女一万人について意識調査をしておりますが、この中に「理想とする人、または尊敬する人」というものを聞いているわけでございますが、これがやはり父母、先輩、恩師など身近な人だけを挙げた者が一九%、それから著名人だけを挙げた者が同じ比率ですが一九%ということであって、ただ多いのは理想とする人、尊敬する人はいないというようなのが四六%になっているというような調査がございます。そしていま答えのあった人の中で、著名人というようなところでどういう人が出てきたかということも集計されておりますが、この中にはケネディ四・二%、シュバイツァー三・二%、松下幸之助一・一%、それからナイチンゲールと吉田茂とヘレンケラーが同じく〇・八%、福沢諭吉が〇・七%等となっているわけでございます。  それから、その後、さらに先ほど申しました陛下のたとえば御退位のようなことに関連した調査としては私ども調査した実績の中にはないように思います。ただ、これは先生の方の御要求を先ほど承ったところでございまして、さらに何かあるかないかについては探していただいております。  以上の状態でございます。
  117. 野田哲

    野田哲君 いまの説明で、日本人として誇りに思っていること、この中に「皇室」というのがこれは五・七%ですね。順番からいけば五番目です。それから尊敬する人物について、現在の天皇についてはこれは五%ですね。大体こういう状態が、総務長官国民の総意という形になっていると思われますか。
  118. 清水汪

    政府委員清水汪君) その点でございますが、これは若干問題が問題でございますから、あるいは多少私見が入った御答弁になるかもしれませんので、その点はお許しをいただきたいわけでございますが、私はまず第一はこの設問自体が百年間の歩みの中で誇りに思うことという設問でございます。そのような設問がやはりひとつ影響している面があるのではなかろうか。つまりここで端的に出ておりますように、やはり明治百年、西欧文明に追いつき追い越せという感覚が国民一般には浸透していたわけでございまして、そのようなことの裏返しというようなことがあったのではないか、あるいは戦後の復興というようなことがきわめて強く意識されていた。そのようなことと、言うなれば、皇室の問題というのは同じく国民の尊敬を受ける、あるいは親愛の情を持たれているというようなことは恐らくたくさんあったんだろうと思いますけれども、ここの設問を受けたときに、にわかにそういうことを思い出さないということも、これはかなりあり得る。いわば次元がかなり違う。言うなれば、心の奥底にはむしろひそんでいてもすぐにそこに出てこないというようなことも、それはあるのではなかろうかというふうにも、私は思うわけでございまして、この百年間でどうだという設問の結果だけをもって、たとえばいまの御質問の国民の総意の問題としてどうかということにはすぐはつながらない、このように考えます。
  119. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私もいま政府委員お答えをいたしましたが、結論的には同じ意見を持つものでございますが、過去百年の間における設問であるわけでございまして、天皇に対する一つの項目あるいは皇室に対する項目が明確に提示されておる場合と、それから憲法に象徴天皇というように明記してあるわけでございますが、そういうところで国民が親愛と尊崇の気持ちを持っておる天皇を、そういう場合にすぐそうした点においてアンケートに答えるかどうかというような点について、私は国民自身のそうした判断についても、やはり問題があるのではなかろうかというような、私自身がそうした疑問も持つわけでございます。したがって、百年間のそうしたアンケートの中で出ました天皇なり皇室に対する結果というようなものが、それが天皇と皇室に対する国民全体のひとつの意思の表現であるということにはもろにとれない、そういう判断をいたすものでございます。
  120. 野田哲

    野田哲君 それじゃ端的な、さっき審議室長もちょっと触れられましたけれども、端的なことで私は伺いたいと思うんですが、いまからちょうど十年前ですね、総理府がやられた社会意識調査、これによりますと、天皇に対する気持ちということで、十六歳から十九歳までの、これは当時の十六歳から十九歳でありますから、現在は二十六歳から二十九歳、それから二十歳から二十四歳ということになっておりますから、これは三十歳から三十四歳、それから二十五歳から二十九歳というのは三十五歳から三十九歳と、こうなってくると思うんですね。そうすると、まさにこの現在の二十歳代、三十歳代、こういうところを見るとこうなっておりますね。天皇に対する気持ちという欄があります。一番若い年齢のところ、当時の十六歳から十九歳までの層のところでは、天皇に対する気持ち、尊敬の念を持っているというところは、これは総理府の皇室の資料ですけれども、九%ですね。それから好感を持っているというのが二三%、両方合わせて三二%です。これに対して何とも感じないというのが、いわゆる無関心、これが五五%、反感を持っているというのが一〇%、こうなっているわけです。   〔委員長退席、理事林ゆう君着席〕 次のランクを見ると、尊敬を持っているというのが一三%、好感を持っているというのが二九%、これに対して何にも感じないというのが四九%、反感を持っているというのが六%、その次の層は尊敬の念を持っているというのが一七%、好感を持っているというのが三五%、これに対して何とも感じてないというのが四二%、反感を持っているというのが三%、つまり現在の二十歳代、三十歳代を通じての意識調査、これは総理府がやった調査ですよ、長官。これによると、天皇に対する気持ちとして、何とも感じていないと、尊敬の念は感じていないという層が半数を超えているんです。こういう実情についてこれがやはり国民の総意に基づくという憲法の規定と合致しているとお考えですか。
  121. 清水汪

    政府委員清水汪君) ただいまの社会意識調査昭和四十四年三月に行われたものでございます。ただいま、かなり詳しく先生の方から挙げられましたから、私の方では多少それを集約して申し上げたいと思うんですけれども、これをまとめますと、年齢階層別のいまのような変化があるという点を先生は御指摘になられておるわけでございますが、アンケートの二万人調査でございますが、これを合計でとらえますと、尊敬の念を持っているという答えが三三%、それから好感を持っているという答えが三三%、この二つを合計いたしますと六六%、これに対しまして、何とも感じないというのが二九%、反感を持っているというのが三%、これは集約してとらえた場合の状況でございますが、年齢的にはある程度のばらつきがあるということはございますけれども、私はこの数字の意味するところは、やはりかなりまんべんなく皇室に対する尊敬の念といいますか、親愛の念というものは持たれているというふうに読むことができるように思います。
  122. 野田哲

    野田哲君 長官いかがですか、私の聞いたことについて。
  123. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) アンケート調査の結果、国民天皇に対しての心情をお尋ねでございますが、私は直接のお答えにはなりませんけれども、国家における民族あるいは国民の統合というようなものはなかなかむずかしい問題であると思うのでございます。そういう点において、日本が敗戦という混乱の中から今日まで平和なしかも自由な社会の建設が続けられておるというその一つの背景の中に、新憲法下における天皇制の存在というようなものが一つの大きな力をなしておるものだと、私はそう考えておるわけでございます。しかし、そうした平和でしかも自由である今日におきましては、天皇憲法上における地位、存在というようなものについて国民の理解と認識が足らないところもあろうと思いまするが、しかし国民全体について見てまいりますれば、国民は陛下に対しては信頼、尊崇のそうした気持ちで大勢はおられるものだと、そう判断をいたしておるわけでございまして、   〔理事林ゆう君退席、委員長着席〕 アンケートの数がこう出たから天皇に対する信頼なりが薄れておると、ないんだというようなことにはつながってまいらない、そういうふうにきわめて主観的な意見でございますけれども、受けとめておるわけでございます。
  124. 野田哲

    野田哲君 長官、あなたは政府の立場で、ぼくは野党の立場でこの法案に反対だからということでそういう答弁をされていると、これはこれからの国民の意向というものを大きく政府は判断を誤ると思うんですよ。いいですか、いま審議室長がいろいろトータルの形で説明されましたけれども、私が一番指摘したいのは年代の若い層ほどあなた方の気持ちとは全然離れているんですよ。あなた方は明治憲法のもとの天皇ということをやはり意識に持っていると思うんですが、いまの二十代、三十代の戦後育ったこれからの時代を担う国民の半数以上の人はあなた方とは全然認識が違う状態にあると、年齢が若くなればなるほどそういう傾向は強いし、元号法制化の問題についてもいろんな調査の中でも、総理府調査でも年代が若ければ若いほどあなた方の気持ちとは全然離れているわけです。そういう実態をやはり政治の場にある者はもっとシビアに受けとめなければいけないんじゃないか。つまり、明治憲法のもとにあった元号制度をいまごろ持ち出すということに対して、全くいまのこれから日本の中心になる世代の人たちは別の認識を持っているんだということをもっとシビアに認識をする必要があるんじゃないか。こういう点を具体的な例を挙げて指摘をしたんで、トータルがどうなっているかということは数字を見ればわかっているんですよ。そういう傾向というものをもっと正しく受けとめるべきだと、こういう点を指摘をしておきたいと思うんです。  そこで、具体的に別の問題で伺いますけれども皇室典範の第三条で「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、」「皇位継承の順序を変えることができる。」、こういう規定があるわけですが、これは憲法上の皇位の継承にかかわる重大な問題なんですが、これはだれが判断をするんですか、だれが決定を下すんですか。
  125. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 皇室典範の第三条に書いてございますように、いま御指摘の点は皇室会議の議によって行うことに相なっております。
  126. 野田哲

    野田哲君 三条の規定に皇位の継承についての例外的な規定があるわけですけれども、一回即位をした場合にはこれは終身制ということになっていますね。これは第四条を改正して、たとえば即位した天皇が第三条に定めるような状態になった場合には退位をする制度とか、あるいは皇位継承者でも本人の意思によって皇位継承を辞退をするとか、こういう制度もあってしかるべきことではないんですか。この点は当然皇室典範の規定でありますから、皇室典範でそのような措置をとればあり得ると、こういうふうに考えていいわけですか。
  127. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お尋ねの前段の部分につきましては摂政という制度がございますので、その摂政の規定を活用いたしまして、重大な身体の不治の重患があり、あるいは重大な事故があるときには摂政を置くことに相なると思います。  それから、陛下の御自身の意思によって退位をされることができるかという問題なんですが、これも実はいままでにもずいぶん国会で御論議があったようですが、いろいろ学説はあります。学説はありますが、憲法自身は「皇室典範の定めるところにより」と書いてございますので、理論上ぎりぎりの法律論から言いますと、皇室典範の改正によってそういうことができるんじゃなかろうかというふうな意見がございます。ただ皇室典範ができましたときに、その点は後で御議論になると思いますが、女帝の制度もそうなんですが、ずいぶん議論が行われたようで、結局どうも日本国民感情からいって陛下の御自身の意思によって退位をされるとか、あるいはまた女帝という制度はどうも国民の感情には合わないんじゃなかろうかというような意見が多かったようで、それで現在の皇室典範のように皇位の継承は天皇が崩ぜられたときに限るというふうに書いてございますし、また女帝という制度も実は予想しておらないというのが実態でございます。
  128. 野田哲

    野田哲君 まあ聞かないことまで答えられたんですが、話が出ましたからお尋ねしますが、女帝というのは日本天皇としてはふさわしくないと、こういう判断をされたんですか。
  129. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 百二十四代の歴史を振り返りますと、まず皇極天皇ですね、重祚されまして斉明天皇におなりになった、あるいは持統天皇天皇の皇后であらせられたわけで、過去の歴史を見ますと女帝の方も何人かいらっしゃいますが、しかし現在の皇室典範審議されましたときの委員方々の多くの御意見はどうも現在の時点においては女帝という制度国民感情から見ていかがなものであろうかという御意見が多かったように聞いております。
  130. 野田哲

    野田哲君 これは大分、長官認識違いですよ。いま皇太子夫妻が地方へ行かれたときに出迎える国民でどっちの側にたくさん人が集まっているかというと、妃殿下が通られる側の方が圧倒的に出か迎えの人の集まる率は多いんですよ。これは警視庁、警察庁の警護の方に聞いてもらえばわかるんです。山本次長もその実態を知っておられるんじゃないか。なぜ女帝ではいけないという判断をされたんですか。これは天皇日本憲法を守らねばいけないということが九十九条に規定されているんですが、憲法十四条ですか、性別によって差別されてはならないという、ここに違反しているんじゃないですか、この皇室典範の女帝を禁じている条項は。どうですか。
  131. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 御指摘を待つまでもなく憲法第十四条には法のもとの平等として男女の性別による差別扱いを禁止しておりますが、禁止しておりますが、その憲法自身が第一条において、天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴であるとして特別な規定を置いているわけでございますので、そういう象徴であられる天皇にふさわしい限度に差別を設けることは憲法十四条の違反ではないということでございます。
  132. 野田哲

    野田哲君 女帝ではどういう点が差し支えるんですか。
  133. 真田秀夫

    政府委興(真田秀夫君) それは現在の皇室典範審議されたときの臨時法制調査会の委員方々の御判断であったんだろうと思います。
  134. 野田哲

    野田哲君 総務長官、現在どういうふうに考えられますか。
  135. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) なかなかむずかしいお尋ねでございますけれども、私は憲法の差別のないということは守っていかねばならぬと思うのでございまして、そういう点において、この皇室典範を制定をされた当時はそういう一つ意見があったかもしれませんけれども、今後におきましては私は国民の英知あるいは国民の心情というようなものによってそうしたものは打ち立てられていくであろうと思いますので、いま皇室典範制定当時の考え方を固定して考えていく必要はないのではないかと、これ全く私の個人的な意見でございますけれども、そういう受けとめ方でおるわけでございます。
  136. 野田哲

    野田哲君 憲法九十九条ですが、天皇、摂政、国務大臣国会議員、裁判官それから公務員、これは憲法を尊重し、擁護する義務を負う、こういう規定があるわけですが、国務大臣の場合はほとんどは選挙という洗礼を受けて就任をするわけですが、裁判官とか公務員というのはそれぞれ憲法九十九条に基づいて憲法を守るということを宣誓をして就任をしているわけですが、天皇即位の場合、この九十九条に基づいて何らかの国民に向かって憲法を尊重し、順守するという意思表示をされることを考えておられるのか、あるいは世襲制だからごく自然にそのまま就任を黙ってされるのか、この点はいかがですか。
  137. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 皇位の継承がありました際、それにいかなる儀式、手続——手続と申しますか、儀式、そういったものが行われるかということにつきましては、現在全くの検討中の、研究中の事項でございます。御案内のとおり、昔の制度で申せば旧登極令等に書いてあったわけでございますが、新しい時代において、新しい現在の憲法のもとにおきまして、これは皇室典範の中にでございましたか、「即位の礼を行う。」ということは書いてございます。その即位の礼の中身というものにつきましてはないわけでございまして、これから具体の問題の場合にどういうような儀式をどういうようなかっこうで行うかということは慎重に検討していかなければならない問題というように思っているわけでございまして、そういう場におきまして、やはり伝統にのっとりながら、しかも現在の憲法に適合した、まあ厳粛なる儀式というものを必要とすると思います。その中にどういうものが盛り込まれるべきか、これは国事行為としての儀式になると存じますので、政府といたしましても十分研究しなきゃならない問題、まあいまのところはそういう具体の問題の中身につきましてまで研究が整ってこういうことだということを申し上げる段階ではございませんので、十分研究をさしていただきたいと、かように思っております。
  138. 野田哲

    野田哲君 アメリカの大統領なんかの場合、非常にフランクに国民の前で、テレビもオープンな形で世界じゅうにオープンな形で、こうしてやってますよね。やはり天皇に対する国民の印象、気持ちというものが、先ほどの統計にも出ていたように、若い世代ほど、まあ当世流の言葉で言えば白けているわけですよ。これはやはり奥の院に隠し過ぎているからということもあると思うんですよ。やはりこの点はもっとフランクに国民の前で憲法を守るんだという意思表示をされるべきであるということを私は検討をすべきだと思うんです。  そこで、次の問題で伺いますけれども、菊の紋章がありますね。これですね。皇室の内規によると、十六枚の花弁の菊の花。これは一体どういう性格のものなんですか。天皇家の紋章ということなんですけれども、具体的に正確にこれは一体どういう性格のものかお答えいただきたいと思うんです。
  139. 山本悟

    政府委員(山本悟君) この菊の御紋章でございますが、旧憲法下、明治憲法下におきましては、御案内のとおり明治元年三月に太政官布告などによりまして一般使用が禁止されていたと、こういう事実があるわけでございますが、もちろん日本憲法になりましてからはそういうものは生きているわけじゃございませんで、現在一般使用について法的な規制はないと、こういう現状であろうと存じます。ただ昔から、そういった時代から菊の御紋章というのは皇室の御紋章として使用され、一般におきましてもこれは皇室の御紋章だというような認識というものはずっとあるわけでございまして、宮内庁といたしましては、この御紋章がたとえば営利だとか宣伝だとかそういったものに使われるというのは余り適当じゃないというような判断をいたしまして、そういった場合にはそのお使いになった方と話し合いをいたして、なるべくやめていただくという意味でございますが、話し合いをいたしているのが現状でございます。
  140. 野田哲

    野田哲君 靖国神社のとびらとか幕に使ってあるのは、これは同じものですか。
  141. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ちょっと私もつまびらかにいたしておりません。
  142. 野田哲

    野田哲君 ここに写真もありますから見てもらえばいいと思うんですが、私の調査をしたところでは、これは同一のデザインのものが靖国神社のとびら、それから幕に使われていたわけですが、同一の物であるといっても、これはいまの説明によるとこれはかまわないということですか。
  143. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 従前でございますからこれは現憲法下ということじゃなくてその前でございますが、使用を許しました主なものといたしまして、軍隊関係のことは御存じのとおりでございますが、各種の紙幣、免許状、鑑札、大公使館、領事館、裁判所の庁舎、特定の社寺、学位記などにつきましては従前からその使用を許可しているというようなことでございまして、その後制限のあった時代において使用を許可したものにつきまして戦後その後ともかく新しく何か言うということはやっていないと存じます。
  144. 野田哲

    野田哲君 まんじゅうのデザインとかお菓子のデザインとかに同じようなものをつくってかなり苦情を受けて結局廃止させられた、こういうような事例もあるやに伺っているのですが、その点はいかがですか。
  145. 山本悟

    政府委員(山本悟君) そういったものにつきましては、戦前はもちろん使うということを全然認めていなかったと存じます。それで、戦後に先ほど申し上げましたように法制的な意味ではなくなったわけでございますので、そういった関係方々がたとえばみやげ用としていろんなものにつけるとかいうようなことも計画され、あるいは現在でも行われておる部分もあるかもしれませんが、私どもといたしましては国民感情上も余り適当じゃない。ことに営利を目的に使われるのは適当じゃないというような意味からそういうものはやめていただきたいというお話し合いをいたしておると存じます。
  146. 野田哲

    野田哲君 そうすると、それはあくまでも当時者同士の相談ずくということに受けとめられるわけですが、法制的な意味はなくなったということを伺ったわけです。  そうすると、外務省に伺うわけですけれども、これは一体どういう意味なんですか。パスポートの表紙にくっついている。それから各国にある在外公館、大使館なんかの正面にこれがばっちり表示されていますね。これはどういう意味のことなんですか。
  147. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) この菊の御紋章が旅券の表紙または在外公館の公邸の玄関等に使用されておりますことはそのとおりでございます。この点につきましては、私の方で調査いたしましたところ昭和二十五年の法務省見解というのがございまして、菊の御紋章は天皇の紋章であり、天皇は国家の象徴であるから国家の紋章として菊の御紋章を使用しても差し支えないという見解が示されております。それでその見解を受けまして、国家の紋章として旅券の表紙または在外公館の公邸の玄関等に掲げておる次第でございます。
  148. 野田哲

    野田哲君 ちょっと法制局長官、いないかな——法制局長官、いま在外公館の入口とか、それからパスポートにこの菊の紋章がついている。これはどういう意味なのか、こういうふうに外務省に伺ったところが、その前の宮内庁の方は、これは天皇の紋章だと、しかしそれは法制的な意味はなくなっている、こうおっしゃったんです。外務省の官房長は法務省に伺ったところ、これは国家の紋章であるからパスポートや在外公館に使えと、こういう法務省の見解が示されたというのです。これが国家の紋章だということはいつどういう形で決まっているのですか。
  149. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 菊の御紋章は皇室の御紋章であろうと私は理解しておったわけなんですが、天皇は国の象徴であられますので、それで国の紋章として菊の御紋章を在外公館の庁舎に用いるということは一向差し支えないというふうに考えております。
  150. 野田哲

    野田哲君 天皇の紋章が、天皇が国の象徴であるからパスポートとか在外公館で使うことは一向に差し支えない、こういうことですが、いま先ほどの外務省の官房長は国家の紋章だと、こういうふうに言われたんじゃないんですか。
  151. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 先ほど申し上げましたように昭和二十五年の法務省見解として菊の御紋章は天皇の御紋章であり、天皇は国家の象徴であるから国家の紋章として菊の御紋章を使用しても差し支えない。こういうことで国家の紋章としても使ってもよろしいということのお示しがありましたので、それに基づいてわれわれとしては使わしていただいておるということでございます。
  152. 野田哲

    野田哲君 これはちょっと飛躍があるんじゃないですか、菊の紋章は天皇の紋章である。そして宮内庁のあれでは法制的な意味はない。だから靖国神社にも使っているんだろうということは言われなかったわけですけれども、暗に容認されたような意味合いのことを言われたわけです。それが今度は天皇は国家の象徴であるから、日本国の象徴であるからイコール天皇の法制的な意味合いもない菊の御紋章が国家の紋章イコールだと、これはちょっと私は飛躍があるんじゃないかと思うんですが、いかがですか、これは。
  153. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 先ほど申し上げました次第でございますが、菊の御紋章を国家の紋章として使っても差し支えないというお示しがありましたので使わしていただいておるわけでございます。この菊の御紋章イコールまたあるいは唯一の国家の紋章だということではないと考えております。
  154. 野田哲

    野田哲君 いまの山崎官房長のような解釈天皇は国家の象徴である、その天皇の紋章が菊の紋章であるから、それはイコール国家の紋章として在外公館でも使う、パスポートでも使う、こうなってくると、そういう解釈ならばこれは靖国神社のとびらに表示してある、あるいはまん幕に使われている、これは政教、こっちが今度は政教分離、この精神に反することにはなりませんか、在外公館に国家の表示として使われるものが、そういう解釈が成り立つのであれば、靖国神社その他の神社に使われているのは、これは政教分離の精神に反するんじゃないですか。その点はいかがですか。
  155. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 憲法第二十条のことをおっしゃっているんだと思いますけれども、二十条の第三項は、国の機関は宗教活動をやってはいけないという規定でございますので、靖国神社に、——私、事実関係知りませんよ、事実関係知りませんが、靖国神社が宮内庁の方の御了解も得て使うということ自体は憲法二十条三項には触れないというふうに考えるわけでございます。
  156. 野田哲

    野田哲君 そうではなくて、宮内庁が、靖国神社がとびらや幕にこれと同じものを使うことを了解をしている。天皇の名において了解をしている。こういうことであれば、片一方において在外公館が、あるいはパスポートが国家の紋章としてこれを掲げてある。それを宮内庁や天皇が靖国神社に表示することを了解をしているとすれば、これは宮内庁や天皇、つまり憲法に定めてある国の機関である宮内庁や天皇が靖国神社に対して一つの特権を与えたことになりはしませんか。これは憲法二十条の「機関」として加わったことになるんじゃないですか。いかがですか。
  157. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほど申しましたように、私、事実関係をつまびらかにいたしませんので、よく事実関係調べました上で御答弁を申し上げたいと思います。
  158. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 本案に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時三分散会      —————・—————