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1976-05-18 第77回国会 衆議院 運輸委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年五月十八日(火曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 中川 一郎君   理事 江藤 隆美君 理事 小此木彦三郎君    理事 増岡 博之君 理事 金瀬 俊雄君    理事 斉藤 正男君       佐藤 文生君    關谷 勝利君       徳安 實藏君    丹羽喬四郎君       細田 吉藏君    三原 朝雄君       宮崎 茂一君    渡辺美智雄君       太田 一夫君    久保 三郎君       兒玉 末男君    坂本 恭一君       楯 兼次郎君    梅田  勝君       紺野与次郎君    石田幸四郎君       松本 忠助君  出席政府委員         運輸省鉄道監督         局長      住田 正二君         運輸省鉄道監督         局国有鉄道部長 杉浦 喬也君  委員外出席者         日本国有鉄道副         総裁      天坂 昌司君         参  考  人         (早稲田大学商         学部教授)   新井 清光君         参  考  人         (明治大学商学         部教授)    清水 義汎君         参  考  人         (財団法人運輸         調査局専務理         事)      中島 勇次君         参  考  人         (交通評論家) 村木 啓介君         運輸委員会調査         室長      鎌瀬 正己君     ————————————— 五月十四日  国鉄運賃値上げ反対に関する請願中島武敏  君紹介)(第四三八二号)  国鉄運賃値上げ及び運賃法定制度廃止反対  に関する請願石母田達紹介)(第四三八三  号)  同(中島武敏紹介)(第四三八四号)  同(庄司幸助紹介)(第四五〇七号)  国鉄運賃値上げ反対等に関する請願(紺野与  次郎紹介)(第四三八五号)  養蜂振興のため国鉄運賃特別割引に関する請  願(山本幸雄紹介)(第四五〇五号)  山陰本線等輸送力増強に関する請願赤澤正  道君紹介)(第四五〇六号)  国鉄運賃値上げ反対等に関する請願(紺野与次  郎君紹介)(第四五〇九号)  同(津川武一紹介)(第四五一〇号) 同月十五日  養蜂振興のため国鉄運賃特別割引に関する請  願(伊東正義紹介)(第四六七五号)  同(小坂善太郎紹介)(第四八〇四号)  同(野田卯一紹介)(第四八八〇号)  国鉄運賃値上げ及び運賃法定制度廃止反対  に関する請願金瀬俊雄紹介)(第四七二九  号)  地下鉄一二号線を青梅市まで延長に関する請願  (土橋一吉紹介)(第四八〇三号)  国鉄運賃値上げ反対等に関する請願多田光雄  君紹介)(第四八七八号)  国鉄運賃値上げ反対等に関する請願多田光  雄君紹介)(第四八七九号)  高齢者に対する国鉄運賃優待制度等に関する請  願(東中光雄紹介)(第四八八一号) 同月十七日  国鉄運賃値上げ反対に関する請願(紺野与次  郎君紹介)(第五〇三三号)  国鉄運賃値上げ及び運賃法定制度廃止反対  に関する請願紺野与次郎紹介)(第五〇三  四号)  同(小林信一紹介)(第五一六七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改  正する法律案内閣提出第一六号)      ————◇—————
  2. 中川一郎

    中川委員長 これより会議を開きます。  国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日御出席願いました参考人は、早稲田大学商学部教授新井清光君、明治大学商学部教授清水義汎君、財団法人運輸調査局専務理事中島勇次君、交通評論家村木啓介君、以上四名の方々でございます。  この際、参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ御出席をいただきましてまことにありがとうございました。  本日は、本案につきましてそれぞれ忌憚のない御意見を承りまして、審査の参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げますが、新井参考人清水参考人中島参考人村木参考人順序で御意見をお一人十五分程度に取りまとめてお述べいただき、次に、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  それでは、新井参考人にお願いいたします。
  3. 新井清光

    新井参考人 御紹介いただきました早稲田大学新井清光でございます。  本日、国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律案について参考人として意見を述べるよう御依頼を受けましたので、日ごろ勉強しております会計学、特に財務会計立場からこれらの法律案の内容につきまして少々卑見を述べさせていただきます。  今回の法律案につきまして会計学立場から意見を述べるということになりますと、国有鉄道運賃法改正の問題のほかに、国有鉄道法に関する四つ財政再建措置関係の事項が私の主な検討対象になると存じます。その一つは五十四条の七の特定債務整理特別勘定の設置、二番目は五十四条の六の特定債務利子相当額補給、三番目は五十四条の五の特定債務償還資金の無利子貸し付け、四番目が五十四条の九の資本積立金の取り崩しによる繰越欠損金処理、以上の四つでございます。  そこで、これらの四つ財政再建措置会計学的な意味を考えてみたいと思うのでありますが、これらの措置会計的な意味といいますか、措置の特徴についての会計的な解釈評価を一口で言えば、国鉄財政フレッシュスタートまたは更生リオーガナイゼーションを図ったものであるというふうに解釈できると思います。こういう点について少々申し上げたいと存じます。  国鉄経理は、御案内のように、三十九年度から単年度決算での赤字欠損が生じて、十二年間この状態が続いて、特に四十八年度からはいわゆる債務超過状態に陥っており、五十年度決算見込みによりますと、五十年度は八千五百億円の欠損累積は三兆一千億円に上ると見込まれておるわけでございます。こういう国鉄経理状況は、これを民間企業の場合に当てはめれば、明らかに会社倒産、破産の寸前、ないしはそこまで行かないとしましても会社更生法適用申請状態ではないかと経理的に考えられるわけでございます。  そこで、こういう国鉄経理現状、言いかえれば積年の国鉄経営成績の結果をどういうふうに処理し、さらにそういう結果をもたらしている構造的な原因をどのように除くかという二つの面からの対策措置が今回の財政再建措置であり、また運賃改定措置であると私は存じます。つまりこういう措置は私ども会計見地から見ますと、二つ対策、すなわち一つ国鉄経理現状累積的な結果をどう処理するかというバランスシート面での対策と、第二はその結果をもたらしている構造的な原因の除去、つまり損益計算面での対策という二つから成っておると存じます。  こういうような会計学的な理解に立って今回の措置を見ますと、二つの面での対策、つまり第一は貸借対照表面といいますか、バランスシート面対策としての財政状態改善策累積欠損金三兆一千億円の処理の問題があり、そのための具体的な方策として、一つ長期債務二兆五千四百億円のたな上げがあります。このたな上げ意味は、一般勘定から特定債務整理特別勘定への振りかえという意味でございますが、このたな上げによって同額の欠損金消去しようということ、これが第一、すなわち法律案の五十四条の七であろうと思います。第二は、残り欠損金の五千六百億円を資本積立金で取り崩す、そしててん補しようという措置、これが五十四条の九に該当すると存ずるわけです。  さて、第二番目のPL、損益計算書的な面での対策としての経営成績改善策二つに分けられ、その一つは、特定債務整理特別勘定に振りかえられた長期債務二兆五千四百億円について生ずる利子政府補給をしようということ、これが法律案五十四条の六であり、第二は、その長期特定債務償還資金返済資金政府が無利子で貸し付けようという措置、つまり五十四条の五であるというふうに整理できるかと思うのです。  こういう二つ対策とあわせまして、今回は、国鉄経理の構造的な赤字原因国鉄当局でも広くパンフレットで四つほどの原因を指摘しておられますが、そういう原因のうちの運賃水準について、運賃改定といった面で経営成績面での対策を講じようということ、これが運賃法改正案会計的な意味であろうと存ずるわけです。  そのような会計的な解釈前提にして、次にその評価を試みてみたいと存じます。  こういうような解釈に基づいて財政再建措置評価させていただきますと、国鉄における第一番目の財政状態改善策BS面での改善策、つまり特定長期債務のたな上げとこれに見合う額の繰越欠損金消去、それから資本積立金の取り崩しによる残り累積欠損金消去、すべて繰越欠損金をここで一挙に消去しようというこの措置は明らかに先ほど申し上げ国鉄経理フレッシュスタート経理的な更生リオーガナイゼーションというふうに解釈できるわけでございます。なぜならば、こういう財政改善措置は、一般企業会計理論、言いかえれば通常の継続企業、ゴーイングコンサーンという企業前提にしての会計からなっている今日の一般会計通論からはこういう措置意味は出てこないわけでありまして、企業会計が長期的、慢性的な欠損状態になったり支払い不能の状態に陥ったときに特別の例外的な措置として会計理論上認められている更生措置、新出発措置である、それに該当する措置であるというふうに考えられるからであります。  ところで、こういう企業会計上の更生措置には、法律手続を経て、たとえば会社更生法といったような手続を経て更生する方法と、もう一つは、全く会計的なやりくり操作といいますか、経理によって行う会計的な更生二つございますが、今回の国鉄更生措置は明らかに法律的な更生に該当するわけであります。今回のこういう財政改善措置はそういったような意味で従来の再建措置とは性格がかなり異なるのではないか、つまり特別の非常の措置である、国鉄を再建するための不可避な措置であるというふうに会計的に理解されるわけです。民間企業で言えば明らかに会社更生法適用による再建措置というふうなことを目下申請している状態ではないかというふうに思うわけです。こういう会計的な認識は、国鉄当局国鉄職員においてはもちろん、国会、政府その他の関係方面においてもはっきりと認識する必要があるのではないかというふうに私は存じます。また、このことを広く国鉄利用者一般国民に理解していただく必要があると私は思うのでございます。  ところで、こういったような財政面経営成績面改善策をさらに会計的な見地から評価してみますと、二つございます。一つ長期特定債務のたな上げ、それによる欠損てん補経営成績面についての二つ改善策と結びついておるわけです。つまり、そのたな上げをした債務分について利子補給をしよう、そしてまた償還資金について無利子で貸し付けようということと結びついておりますので、今後の国鉄経営成績改善に実質的、実体的な貢献をするものというふうに理解され、その意味で実質的な意味を持ち、高く評価される措置であろうと私は思っております。しかし、他方、資本積立金を取り崩して欠損てん補をするということは、これは財政状態改善し、貸借対照表の上から赤字が消えたという形式的な改善に役立っているだけでありまして、今後の経営成績改善に直ちにプラス、積極的な貢献をするわけではないということが評価できるかと思うのです。  さて、こういうように考えてまいりますと、今回の財政再建措置等の中で会計的な評価対象として残る問題は、構造的な赤字原因と言われています運賃水準についてこれを改定する改正案の問題でございます。この問題は私ども会計見地から検討を加えたり、あるいは評価を下すということは非常にむずかしい問題でありまして、ちょっとわれわれの研究面と違う問題でありますが、少なくとも国鉄が資産を有し、負債を負い、債務を負い、また絶えず営業活動を続けている以上、経費、費用が発生することは明らかなことでございます。  そこで、こうして発生する国鉄全体の経費をだれがどのように負担するかということが問題になってくるわけでありまして、しかもその負担者としては国及び地方公共団体——以下国というふうに代表させていただきますが、国がやるかあるいは国鉄利用者負担するかという以外にはないと思われるのであります。  そこで、この経費負担の問題をやや長い時間的な観点から考えてみますと、第一に、過去に発生した経費は本来そのときの時点における利用者、たとえば国が負担すべきものでありますから、その経費をまだ負担してないということ、つまりこれは赤字の分であります。累積欠損金に該当する分でありますから、その未負担分があればそれは国が負担すべきことになるのではないかということ、というのは、過去の利用者を特定することはできないし、過去の利用者にさかのぼって負担させることはとてもできない話ですから、当然国が負担すべきことになるというふうに考えられるわけです。私は、先ほどの特定債務のたな上げ繰越欠損をてん補したということは、こういうことで国が過去のあれを負担したという意味を持つ措置であろうと思うのでございます。また、資本積立金による欠損てん補、これはこれからの利用者、国に過去の分については負担を要求しない措置だ、この分についてはもう負担をしないということで会計的に解釈されると思うのであります。  それから、第二に、そこでこのようなことで累積欠損を全部きれいにする、フレッシュスタートをした以上、これから発生する新たな経費は、これからの国、利用者、これが応分負担をしなければならないことであろうと私は思うのでございます。そこで応分ということが問題でございますが、第一に、国鉄独立採算制基調としているとは言っても、公共性見地から経済性を度外視した鉄道建設維持運営をしなければならない面も多分にありますわけですから、こういう面にかかわる経費につきましては積極的に国が負担をすべきであり、それは当然のことではないかと思うのであります。こういう意味において、この五十一年度予算で新規に地方交通線への補助が百七十二億でしたか、行われることになったことは高く評価されるべきでありますが、ナショナルミニマムといったような点からの鉄道建設維持運営というふうなものにかかわる経費騒音公害環境保全といったようないわゆる社会的なコストについては、できる限り、いままで以上の国の負担が望まれるところであろうと思います。  第二に、そうは言っても国鉄経費はすべて国が負担すべきであるという議論はできないと存ずるのです。全部国庫で賄え、全部税金で賄えという考え方については幾つかの問題があると私は思うのです。  第一は、鉄道利用者がその便益、公益を受けていながらそれについての応分負担をしないということは、利用せずに税金だけ負担している者と比べて不公平である。また、私鉄利用者国鉄利用者との不公平がございます。私鉄運賃をちゃんと払うという問題。私鉄利用者はその私鉄運賃負担するだけではなくて、さらに国鉄分税金負担するということになりますので、こういう不公平があります。  それから第二に、国鉄運賃法では原価補償主義運賃は「原価を償うものであること。」ということがあります。こういう明文規定国鉄独立採算あるいは自立経営というものの基礎になるところでありまして、これを無視するわけにはいかない。  それから第三は、すべて国で税金で賄えというふうなことになりますと、経済性能率性というものを無視した無責任な経営に陥る危険性もある。  こういったようなことから、応分利用者負担は必要であろうと思うのです。ただ、どれだけが適当な負担分であるか、値上げ幅はどうかということについては会計的な見地から何%といったようなことは会計の点から私は言うことはできません。しかし、国がいままで述べてきましたような再建措置でかなりの国庫負担を用意していること、第二に会計的に言って今回は特別の非常の措置フレッシュスタート更生措置であるということ、第三に、このまま推移すれば国鉄職員の給与の支払いにも支障が出てくるおそれがあるというふうに言われていること、四番目に、構造的な赤字だからといって国鉄経済性原則のみに突っ走って経営を行うということは絶対許されないといったようなことなどの理由から、国鉄運賃値上げはやむを得ないのではないか。私は、賛成論であるとかあるいは条件つき賛成論というふうなことでの賛否ということでは決してなしに、新生国鉄へのフレッシュスタートのためのという点から、国鉄財政についての会計的認識見地に立って不可避ではないかということでの不可避論という意味合いで、この点については評価をしておきたいと存ずる次第でございます。  なお、時間が来ましたので一言……。赤字原因として、あるいは国鉄経理についての疑いの対象として減価償却制度がどうのこうのとしばしば言われておるように耳にいたしますが、これは会計学的にいきましても、国鉄減価償却制度というものは一般に認められた公正妥当な会計原則観点から言って不当なものでもなし、金額についても決して恣意的な計算をしているものではないと私は考える次第でございます。  以上、参考人としての意見を述べさせていただきました。(拍手)
  4. 中川一郎

    中川委員長 ありがとうございました。  次に、清水参考人にお願いいたします。
  5. 清水義汎

    清水参考人 清水でございます。  私は、この国鉄問題は、国鉄企業経営の中でどうすべきかという基準からすでにはるかに超えた政策上の問題であるという立場から若干の意見を申し上げたいと思うわけであります。  御承知のように、昭和三十年以降、国鉄の第一次五カ年計画以来約二十年間再建計画が組まれてまいりました。数度にわたる運賃値上げ国鉄財政再建のためという形で値上げが行われたわけでありますが、国鉄経営危機というものはますます深まる一方でありまして、改善の兆しが一向見えていないわけであります。このことは、独立採算制基調とした国鉄に対する運輸政策には限界があるということを歴史的に明らかにしているのではないかというふうに感ずるわけであります。この点につきましては、単に国鉄のみではございません。公営交通についても同じことが言えますし、鉄道全般について、きわめて経営が悪化の方向へ向いているというふうに私は見ております。そこで、今回の国鉄運賃の問題を御審議いただきます際に当たりまして、二つの角度からぜひ御検討をいただきたいというふうに考えるわけでございます。  まず、第一点は、内的な要因も無視できないわけでございますが、運賃改正の主要な理由といたしまして、運賃改定のおくれに基づくところの収入の不足、人件費物件費増加等を挙げておられます。ところが、運賃改定時期がおくれたという形の中で昭和五十年度の収入が果たして大幅に減額したかと申しますと、発表された数字ではほぼ予想どおり収入に達しているということが言えるわけでございます。五十年度の国鉄再建計画に基づく予想収入は一兆八千八百二十一億でございます。実績を見ますと一兆八千七百七十九億という形で、ほぼ予想どおり収入が上がっている。  それから、人件費物件費増高でありますけれども、この問題につきましては、単に実質的に物件費なり人件費が上がったというよりは、全般的な経済情勢、いわばインフレによるところの物価高の中で出てきている問題でありまして、企業の内的な条件としてはどうにもできない理由の中から上がっているわけでございます。しかし、支出の中に占める人件費比率を見てまいりますと、昭和三十五年が五一・六%、四十五年が五三・一%、五十年度が五二・六%となっておりまして、比率そのものは大きく変化をしておらないといというふうに数字的には示しているわけでございます。ただ、この支出の中でやはり注目されるのは利子等比率がきわめて高まっているという点でございます。昭和三十五年に六%でございましたものが昭和五十年度には一五・三%と、非常に大幅な形で経営を圧迫をしております。金額にいたしましても、昭和三十五年二百四十億でございましたものが、今日四千百六十九億という形になっていることはきわめて重大なことだというふうに考えるわけでございます。  これは全体の支出内訳の中で先ほど申し上げたような比率になっておりますが、それでは昭和三十五年を起点にいたしまして人件費なり利子なりが総支出との関係でどのくらい伸びているかと申しますと、人件費につきましては六・九七倍でございます。これは総支出が七・三倍でございますので、総支出の伸びの倍数から見ますと人件費は若干下回っているという形が言えるわけであります。ところが利子等になりますと一七・四倍という形で、総支出とのふえ方比率からいきますときわめて高額なふえ方をしているということが注目されるわけでございます。  次に、公共負担の問題でございますが、今日、昭和四十九年で見まして、旅客は四百六億、貨物で四百四十八億、合わせまして約八百五十億という公共負担国鉄が行っております。  ここで、公共負担に対する考え方が一体従来のままでいいかどうかということでありますが、いわば公共負担分というものは国鉄という企業財政負担すべきなのか、これは国家の財政負担をすべきなのか、この辺が非常に問題であろうかと思います。国鉄企業経営で余力があるときでありますれば、これは企業公共負担分として企業負担をすることも場合によってはあり得ると思いますけれども、きわめて経営危機状況に置かれている中で莫大な公共負担企業が負っているということは、公共負担能力がすでにないところに持たしているという点につきましても問題があるのではないかというふうに考えるわけでございます。しかし、三十一年以降の企業のいわゆる企業努力財政再建に対する企業努力という面では、特に新たなる投資部分におけるところの企業内部資金調達面としての減価償却というものを、減価償却方法変更によって非常に増加をしているという点については、企業という立場ではきわめて努力をされているというふうに私は見るわけであります。  といいますのは、昭和三十六年から五十年までの減価償却を見てまいりますと、変更前の方法でやった場合と変更後の償却でやった場合とを両方の方法で推計をしてみますと、約八千九百七十二億という償却増が出ております。これは、従来の企業独算制に基づく国鉄財政再建の中で、償却方法を変えることによって内部資金調達能力を増させていくという点ではいかに努力をしておるかということではないかと思います。そういう意味では国鉄企業内の努力というものはほぼ限界に来ております。職員数にいたしましてもほとんどふえておりません。若干減っておるような形でございますが、輸送量との関係を見ますと、実質的には国鉄労働生産性はやはり高まっていると言わなければならないわけであります。  昭和三十五年と四十九年とを対比いたしますと、わが国の総輸送量というのは二・八倍に増加をしております。これを各輸送機関別に見てまいりますと、これは旅客でありますが、国鉄が一・七倍、民鉄が一・七九倍、バスが二・六三倍、船舶が二・七九倍となっております。ところが、ここで注目しなければならないのは、乗用車の輸送量が十九・八倍とふえております。それから航空機が二十四倍とふえております。総輸送量増加の中に占める各交通機関別の輸送量増加比率がきわめて奇形的な形でアンバランスになっているということであります。  このことは貨物輸送についても同じことが言えるわけであります。総輸送量が三十五年と比較いたしますと二・七倍とふえておりますが、国鉄を見ますと〇・九六倍と、十五年間で輸送量がむしろダウンしております。それから民鉄も同じように〇・九四倍とダウンをしております。ところが、自動車におきましては六・二八倍、船舶では三・〇二というふうになっております。しかも、この場合に自動車に目を向けてまいりますと、六・二八倍にふえた自動車輸送量のうち自家用が七二%であります。営業用が二八%であります。いわば自家用を中心とした貨物輸送に国鉄の輸送のシェアが大きく食い込まれているということであります。  従来の運輸政策というものは対交通企業別の運輸政策でございます。ところが、モータリゼーションの進行の過程では、対企業別の交通政策では交通政策として十分機能を発揮し得ないということを具体的に実証をしているものではないかと思うわけであります。こういうような背景の中に国鉄というものがきわめて占有率が低くなっていった、市場が狭まっていったということであります。この企業のいわば外的な要因というものは、国鉄運賃値上げ申請の中には、企業としての申請でございますから触れておられません。しかし、外的な要因を全く除いてしまって国鉄運賃問題なり経営問題を論ずるということは若干片手落ちの気味があるのではないかという気がします。  そこで、運賃収入の問題に入っていきたいと思いますが、運賃収入の推移を見てまいりますと、運賃につきましては、昭和三十五年を一〇〇といたしますと、昭和四十八年には三六〇であります。ところが、御承知のように、特急、急行の増発、東海道新幹線の開通によりまして料金収入が年々ふえてきております。昭和三十五年の料金収入を一〇〇といたしますと、昭和四十八年には一二七二という指数になるわけであります。しかも、料金と運賃比率が、これは旅客運賃収入で定期券の収入を除いておりますが、旅客営業収入の中で料金の占める比率というのは、昭和三十五年は一四%でございます。これが四十八年には三三%にはね上がっております。それから、昨年度の料金の値上げによりまして約四〇%になってきている。こういう形でこのまままいりますと、料金収入が全旅客営業収入に占める比率が半分になってしまう。  こういう条件の中で、いわば運賃収入を基準にした賃率計算運賃政策運賃基準というものを議論いたしましても、支払う側に立ちますと実感とは全く離れたものになるということであります。現実に都市交通における通勤通学の輸送を除きまして、中長距離になりますと、現在ほとんどの旅客が料金を払って列車に乗るというのが支配的な形であります。いわば現実的には料金と運賃と一緒になったものが利用者なり消費者としての運賃負担額であります。  そういうような中で、国会審議では運賃法改正でございますから料金の問題は一応除外されて考えられますけれども、御審議に当たりましては、料金収入との兼ね合いの中で総収入でどの程度になるのか、それによって利用者負担能力との兼ね合いはどうなるかという見地から議論をする必要があるのではないかと思うわけであります。最近旅客と貨物の損益の分類が出ておりませんのでわかりませんが、四十七年まで出た分を累計してみますと、旅客につきましては差し引き三十六億の黒字であります。貨物につきましては一兆一千六百四十六億の赤字になっております。こういうひずみが出ておりますので、このひずみをどう変えるかということは国鉄企業経営の中ではもう限界が来ている。どうしてもこれは交通政策上の見地から処理をしなければならない問題であるというふうに考えるわけであります。  そこで、そういう見地から考えた場合に、一体、国鉄運賃なり国鉄経営のあり方を考える土台ともなるべき交通政策の基礎的な条件というのはどういうものになるかということになるわけでございますが、第一は、日本の陸上交通の中で国鉄というものをやはり基幹部門としてはっきり位置づけるべきではないか、いわば鉄道主義の政策へ再度戻る必要があるのではないかということであります。これは全くモータリゼーション、自動車交通をなくしてしまえという意味ではございません。特に、最近の欧米の交通政策の中でも二つの問題が非常に新たなる問題として議論をされております。それは、資源の再利用、エネルギーの利用の効率化の見地であります。もう一つ見地は事故、公害の関係であります。  こういうような観点から考えますと、効率のよい、しかも資源利用の効率化の見地からわが国では幹線鉄道に対する莫大な投資を行って、それだけの財産を持っているわけでありますから、これを最大限に機能させる方策というものをもう一度考えてみる必要がありはしないか、これが第一点であります。  第二点は運輸調整であります。特に、貨物輸送につきましては、一番多いのが台数五台以下の零細トラック業者であります。これが二十数%であります。こういうような零細トラック業者を中心としたダンピング競争の中に国鉄の貨物輸送が巻き込まれていきましても、これはとうてい合理的な運賃をとり得る条件がございません。と同時に、この自動車貨物輸送の発達は最近になりましてますます、どこからどこまでが自家用の輸送でどこからどこまでが営業用の輸送かということまで混乱をしてきております。そういう点を含めて運輸調整をする中で、交通の私的な欲求に基づく選択から社会的基準に基づく選択の手法というものを導入することが必要ではないかと思います。  三番目には、公共財としての論理の導入であります。国鉄当局がいま非常に御苦労されて再建問題を考えておられますが、その基礎は、企業としての健全な形を確立する、独立採算制の基盤を確立するということであります。しかし、冒頭に申し上げましたように、現状の中でほぼ不可能に近い。しかも、アメリカですら非常にむずかしくなっております。これは先生方も御承知のように、民有鉄道が中心でありますアメリカですら国家大衆輸送法という法律が制定され、そこに莫大な投資が行われている事実を見てもおわかりだと思いますし、ヨーロッパ等におきましてもほとんどが保護政策であります。国なり州なりの大幅な助成によって鉄道を維持せざるを得ないということは第一次世界大戦以降の傾向になってきております。こういうようなことを考えますと、公共財として国鉄をどう位置づけていくのか、どの部分を公共財にすべきかという点であります。少なくともフランス国有鉄道と同じように、道床部分以下についてはこれは公共財として企業財から切り離して考えるという点も決して空論ではないというふうに私は考えております。  第二は、公共料金政策の確立であります。公共料金政策というものは、特に最近の国家におきましてはきわめて大事なことになってきております。この公共料金政策の場合の公共負担分、いわば負担区分の明確化ということがよく言われるわけでありますけれども負担区分を明確化するためには基準値の設定が必要になってまいります。また、あるいは政策路線なり行政路線と言われるものについてもその認定基準が明確でなければなりません。こういう点が今次いまだに明確な基準が設定されておりません。そういうものを設定することによって、この公共料金の中における国鉄一般会計との負担区分の明確化、あるいは受益者負担利用者負担の区分の明確化というものが基礎に明確化されなければいけないと思います。  三番目には、時間がございませんのではしょって申し上げますが、物価政策との関係でございます。これは政府におかれましても、石油パニック以来物価抑制ということには非常に熱意を入れておられたことは承知をしております。また、同時に、今年度の春闘における賃上げにおきましても、物価抑制の見地から一けたという形で春闘の支配的な賃上げ率がおさまっておる。ところが、そういう中で今度は五〇%以上の国鉄運賃が上がっていくということになりますと、これがまた物価の引き上げの起爆剤になりかねない。もちろん賃金そのものも物価とは無関係ではございませんけれども、公共料金の引き上げ国鉄運賃の引き上げというのは、従来の経過から見ますと、ほぼそれが決定的になる寸前から関連の諸物価が上がってきているのが通弊であります。そういう点から考えますと、せっかく物価鎮静という方向で熱意を示されておったお考え方がこの大幅な国鉄運賃値上げという形の中で総崩れが来るのではないか。これは特に経済心理的に心配するわけであります。  そういうような見地から、特にこの国鉄企業として考えた場合、企業内部から計算をした場合に、国鉄が何とかしてでも収入源を得たい、運賃上げたいということは私はよくわかりますけれども、しかし、運輸政策全般として考えてみた場合には、基礎的な条件が整備された上で適正な運賃値上げをお考えいただくという形での再検討をお願いしたいということを申し上げまして、私の意見の発表を終わらせていただきます。(拍手)
  6. 中川一郎

    中川委員長 ありがとうございました。  次に、中島参考人にお願いいたします。
  7. 中島勇次

    中島参考人 私は、財団法人運輸調査局の中島でございます。  私は、国鉄財政再建を目的とするこの法律案に基本的に賛成の立場に立ちまして若干の私見を述べさせていただきたいと思います。  私は、ここで基本的に賛成とただいま申し上げましたが、その意味は、この法律案に基づきましていろいろ今後とられようとしている措置の基本的な考え方といいますか、その大筋につきましては私は全く同感でございます。賛成でございます。しかし、部分的の問題になりますと若干割り切れない問題が残っている。こういう意味で私は全面的に賛成ということを言わないで、基本的にという言葉を使ったわけでございます。  御承知のように、国鉄財政再建計画はこれまで再三にわたりまして失敗を重ねております。このことは、この計画の立案に参加されました方々はもちろんのこと、これを批判する立場にありますわれわれにとりましてもまことに貴重な体験であったと私どもは考えております。したがいまして、今回のこの再建方策を考えるに当たりましても、その体験を踏まえて賛成すべき点は賛成するけれども、問題のあるところは率直に指摘して忌憚のない意見を述べさせていただきたいというふうに私は考えます。  ところで、これまでの再建計画が成功しなかった。それには予想しなかった経済変動その他いろいろな原因があると思いますが、私は私なりにこれを次のように総括しているわけでございますけれども、まず、その第一点は、従来の再建計画というものは十年という非常に長期の期間をとらえて、その中にはいろいろな不確定要素がありますけれども、それらの上に立って計画がつくられておる。この計画期間を長期にとるということは、内部的には経営合理化のショックをやわらげる、対外的には運賃値上げによる国民一般へのショックを緩和するというような意味で長期的な計画というものが効果があるわけですけれども、その反面において、やはり計画時に将来についての的確な予測ができなかった、それが破綻の大きな原因となっていたというふうに考えられます。  それから、これまでの長期計画の失敗の一つの大きな原因は、国鉄財政の復元力といいますか、回復力といいますか、要するに黒字への転換の源泉を大幅な輸送量増加に期待をしていた。十年間に貨物輸送量などは数倍にふえるというようなことが前提になっていたわけですけれども、現実には逆に減っているわけです。こういうところに一つの大きなつまずきがあったと思いますけれども、このような輸送量増加というものは、当時の高度経済成長というものを前提にし、しかもそれが永遠に続くような期待を持ってこの計画が立てられたというところに一つのつまずきがあったのではないかと、私はこういうふうに考えております。  いままでの再建計画に比べまして、今回の計画はまず第一に短期決戦で問題を解決しようという基本的な姿勢が出ているわけです。短期間のうちに国鉄財政に確実な企業的な復元力をつけようということであります。第二点は経済の低成長、高度成長が終わって成長度合いが非常に低くなりましたので、それを前提といたします関係から輸送量増加に余り多く期待していない。それから第三番目には、したがいまして財政の復元力の源泉を主として運賃水準の引き上げに置いている。こういう点であります。このことは、期間が短い、しかも財政の復元力の根源を運賃値上げに置くということは必然的に対外的に非常に大きなショックを与える。これは覚悟してかからなければならない問題であります。それから、この再建案の特色は、国の助成によって国鉄財政の構造的欠陥に抜本的な是正措置を講じようとしている。赤字債務のたな上げとか赤字ローカル線の運営費の助成といったような問題に踏み切っているという点でございます。  この特徴というものは主に以上四点でございますけれども、私は、ここで、このような発想の転換を図った際にもう一つここで注意しなければならない問題点があると思う。それは、企業というものは、業務量がどんどんふえていくとき、操業度が上がるときには経営の合理化というものは非常にやりやすいものですけれども、逆に業務量が横ばいになったりあるいは後退するというときには経営合理化というものは非常にむずかしいものです。特に、固定費の多い企業についてはそれが特色でありまして、これは原則的に発生する一つの現象であります。われわれはこれをラグセオリーと言っておりますけれども、これは一つのコストの慣性といいますか、下がるときには上ったときと同じカーブで、必ず緩いカーブでしか戻れない。こういう点を考えまして、今度の長期計画の中で合理化に大きな期待を求めるということは、いままでのように十年計画で、そして輸送量が一倍にも三倍にもどんどんふえていくというときの合理化とは考え方を基本的に変えてかからなければならないのではないかと思うので、この点を注意しておく必要があると思うのです。  ところで、ここで今回のこの法案に関連した再建計画を見渡してみますと、いろいろの問題がありますけれども、その中で大きな問題点というものは四つあると思うのです。まず、第一点は平均約五〇%の運賃水準の引き上げ、第二点はいわゆる赤字債務のたな上げ措置、第三点は赤字ローカル線の運営費の補助、第四点は工事経費あるいは合理化促進のための助成、この四点であろうと思いますが、そこで、まずこの法律案に対する反対論の多くは、この第一点の運賃引き上げ問題に集中されるだろうと思います。  私も国鉄利用者の一人としても、また、インフレを抑えて一日も早く景気の回復を願う国民一般の中の一人といたしましても、個人的にはこの際の運賃値上げというものは決して好ましいものではないと思いますし、こういうような一般論としての見地から申し上げれば、運賃値上げ反対論というものは無条件に大衆に受け入れられる議論であると私は考えます。しかし、国鉄の現在の財政状態を考え、これを立て直し、そして国鉄運営の円滑化、正常化を図り、さらに国民の期待するような発展を願う、こういうことを真剣に考えるならば、この際ここでこの反対論に安易に妥協することは許されないんじゃないかと思います。と申しますのは、国鉄が今日のような破綻的な財政状態に陥りました根本原因は、やはり、過去長年にわたりましてのそういう政策的な運賃の抑制というものの産物である。もちろんそれだけではございませんけれども、そこに大きな原因があるというふうに考えるからです。したがいまして、またここで同じようなことを繰り返していくならば国鉄財政再建の方向というものは永久に少しも前進しない。また、そういったような影響が果たしてどこまで言えるかということは、これは指数その他数字的に見れば明らかであります。ここで詳しく申し上げるまでもないことだろうと思います。  そこで、この運賃問題について私は少しく詳しく述べておきたいと思いますが、運賃問題につきましては問題が三つ含まれていると思います。  まず、その第一点は五〇%という今回の値上げ幅の問題であります。一般の諸物価、賃金、また電気料金とか郵便料金とか、あるいはガス、水道など、一部の公共料金も石油ショック以後の新価格体系に入ろうとしておおむね足をかけている。あるいはすでに入っている。電力料金のごときは第二次の値上げの動きさえもうわさされております。  ここで改めて新価格体系というのは一体何なのかということを考えてみますと、これにはいろいろな解釈の仕方があると思いますけれども、私はきわめて素朴にこの問題を考えますと、他の諸物価あるいは賃金などの動きを反映したコストをカバーする価格水準を相互に維持し合う、そういう形が総合されたものが新価格体系であろうかと思います。と申しますのは、価格というものが最低限においてコストをカバーすることは企業としての存続の基本的な要件であり、条件であるからであります。もちろん、交通産業といえどもこの例外ではあり得ないわけであります。  このような見地から国鉄運賃を考えますと、国鉄運賃の沿革というものを振り返ってみれば明らかなように、石油ショック以前からの積み残しがまだ十分に回復されていない。ここで五〇%といいますと非常に大幅の値上げのように感じますけれども、基礎となる運賃の絶対額そのものが、新価格体系どころか、それ以前の積み残しを含んだものの五〇%である。そういう意味からいきまして、先ほど申し上げましたように、新価格体系というものはコストをカバーし得るような価格水準を相互に維持し合うという原則からいきますと、国鉄運賃水準というものは、ここで一〇〇%以上値上げしなければそういったような原則には恐らく合わないわけであります。もちろんそれが許されることではないと思いますけれども一つの見方として、そういうことを前提にこの五〇%というものを考えてみる必要があると思います。  運賃問題の第二の一つのポイントは、国鉄運賃は他の交通機関全般の新価格体系への移行を阻害する一つの壁となっている。非常に遠回しの言い方ですけれども国鉄運賃が低位にあるために他の交通機関全部がそれに押さえられているという面がある。この状態をこのままにしておきますと、交通機関一般、特に公共交通機関というものはますます押さえられてしまう。国鉄の場合には国の財政援助によって安い運賃でやれるとしても、他の交通企業がすべてこれと同じような扱いを受けるというわけにはいかない。  総合交通体系云々と言われておりますけれども、私自身は、総合交通体系というものはでき上がったものの写真であって青写真ではないというふうに考えておりますけれども、しかし、そのような意味からいきますと、でき上がった総合交通体系というものは非常にいびつなものになる。結果的にはそれが国民、利用者一般あるいは国民経済にマイナスの面となってあらわれるであろう。あるいは、それを是正しようとすれば国鉄と同じように国の財政援助が必要となる。民営企業にまで国の財政援助が必要となる。これは切りがなくなってしまう。そういう点からいきますと、この壁を一般交通市場のバランスがとれるような水準まで引き上げることがどうしても必要なことではないか、と、こういうふうに私は考える次第でございます。  そこで、第三の問題は、五〇%まではいいけれども、次の値上げ段階が非常に問題である。今回の国鉄再建方策の中では次の問題をどのように扱おうとしているか、その点は私どもまだ十分に理解しておりませんけれども、この次の運賃値上げの段階というものは非常にむずかしいであろう。と申しますのは、私は、先ほど、現在の国鉄運賃レベルは交通業界全般の一つの壁になっている、新価格体系移行の壁になっていると申しましたが、今回この壁を外すといたしましても、次の段階に来る壁はそういうような人為的、歴史的、政策的なものではなしに、経済的かつ自然発生的に競争の中からあらわれる壁であろうかと思います。この壁を突き破って、あるべき鉄道運賃の形というものを形成してなるべく低位に据え置くことが望ましいけれども、いずれかの形にしてこれを新価格体系の中に合理的に組み込ませるには、ここで十分に考えておかなければならない点があるのじゃないか、運賃制度の問題にしてもあるいは運賃決定機構の問題にしても、きめの細かい配慮がここで非常に必要になるのじゃないかということを申し添えておきたいと思います。  それから、今回の再建計画とこれまでの再建計画と大きく違う点は、先ほどもちょっと触れましたが、いわゆる累積赤字のたな上げ措置を思い切って断行したという点であります。私はこの点は非常に高く評価すべきであろうと考える次第でございますが、累積赤字といいますのは、より常識的に言いかえますと、もともと実質的な資本の食いつぶし額の累積であるというふうに考えることができるかと思うのです。したがいまして、内部的にはこれに伴う資金不足は当然借入金によって補われている。そこで、この借入金から発生する利子負担あるいは元本償還の負担というものがこれまで国鉄財政を圧迫していたわけでありますが、これをそのままにしておきますと、先ほども新井先生から御指摘がありましたように、過去のコストを将来の利用者負担させるという不合理がある。これを取り除くことは一面においては財政の健全化であり、他面においては、そのような意味のコストの適正配分の基本的基礎を明確にしたという点で非常に意味があるだろうと思います。  こういう意味で、この措置そのものは国の助成によって解決するということは非常に望ましいことですけれども、ただ、私がここで一言疑問をはさみたいことは、バランスシートの上で三兆一千億円という累積赤字がある中で二兆五千億だけたな上げ措置を講じて、あと約六千億の積み残しをしたことは、この先にも述べますが、いろいろな国の財政上の都合があってのことかとも思いますけれども、やはり、その認識が一貫していないのではないかと思います。  また、赤字ローカル線の運営費補助につきましても、予算計画の上では百七十二億円という金額が計上されている。赤字ローカル線問題というのは国鉄経営の上の一つの非常に大きな問題で、これを取り外すかどうするかということにつきましては、社会的、政治的な問題にもなる大きな問題であります。しかし、この問題を百七十二億円の国の助成だけで果たして解決できるかどうか。昭和四十九年度の国鉄の内部計算の示すところによりますと、運賃収入人件費さえも賄えない線区が二百二十一線区ございますが、その二百二十一線区の運賃収入と作業費、つまり直接費との差額、その赤字だけでも三千億円を超えております。  今回の運賃値上げで五〇%収入がふえたといたしましても、人件費さえも賄えないローカル線の赤字がやはり二千億以上残ることになります。この問題も先ほどのたな上げ措置の積み残しと同じように、地域的に見れば分配の不公平になる。赤字線のいわゆる公共的な負担を他の地区の人が負担する。これは先ほど申し上げましたように、合理的なきめの細かい運賃制度を立てて、そして他の交通機関と公正な競争をしながら発展していくという際の一つの重荷になるだろう、こういうふうに考えるわけでございます。  しかし、この二つの問題は、今日の国の財政状態というものを考えてみますと、あるいはそのような点から今年度の措置としてこういうような結果がとられたのではないかとも想像いたします。先ほど申し上げました第二次の運賃値上げ問題と絡み合わせまして、この点は将来十分に御配慮いただく必要があるのじゃないかという点を申し上げておきたいと思います。  今回の措置につきまして、基本構想としてはいいけれども、私は若干不満なところもあるが、しかし、今日の国鉄財政の実情というものは非常に窮迫していると伺っております。私ども部外の者にはどこまでどういう状態で苦しいかはわかりませんけれども、新聞紙などの報道するところによりますと、もしこの法律案が成立しなければ仲裁裁定の実施も困難である、工事費の大幅の削減をしてもなお職員のボーナスをストップするというような非常措置さえ講じなければならないという、そういうようなきわめて切迫した状態にあるというように伝えられております。もちろんこれだけで収入不足はすべて職員にしわ寄せするというわけにもいかないと思いますので、勢い、日常の業務運営に必要不可欠な修繕費とか業務費にその影響が及ばないとは申せません。われわれが安全性の確保を要望し、あるいはさらに輸送力の増強、サービスの向上を要求する国鉄をそこまで追い詰めて、なおかつそれでもがまんしろというのは、これはどう考えても少し無理があるのではないかと私は思います。  国民一般の側に立って考えればいろいろな考え方もあるし、あるいは言い分もあろうかと思いますけれども、これ以上国鉄を追い詰めるということは、その結果が必然的にいやおうなしに国民にはね返ってくるのではないかと思います。口では国民の足だ国民の足だと言いながら、しかし、その足をけ飛ばすような仕打ちのように思えてならないわけです。その意味で、今回のこの法律案というものは、次善の策であっても早急にこれを実施して国鉄の窮状を救うということを私は強く皆さんにお願い申し上げたい。また、同時に、どんなりっぱな再建計画が出ましても、その魂は国鉄職員の意欲がなければ入らない。私は、労使一体となってこの再建計画を推進することこそこの法案の最も大事なポイントじゃないかと思います。  それにつきまして私は関係者の皆さんにぜひお願いしたいのですが、この法案を生かす意味において、そうして国鉄の健全なる将来を築く意味におきまして、労使関係に十分な御配慮をいただくことこそこの法案を盛り立てる一つの大事なポイントではないかということを蛇足ながら最後につけ加えまして、私の参考意見を終わりたいと思います。
  8. 中川一郎

    中川委員長 ありがとうございました。  次に、村木参考人にお願いいたします。
  9. 村木啓介

    村木参考人 村木啓介でございます。  私は、国鉄運賃法及び日鉄法の一部を改正する二つ法律案に反対の立場から意見を申し上げます。  物価政策から二点、交通政策から四点にまとめて申し上げることにいたします。  国鉄運賃法の一部を改める法律案運賃値上げで直接利用者負担を重くする、五割以上も負担が重くなってはとても負担に耐えられない、これが反対理由の第一でございます。  反対理由の第二は、国鉄運賃値上げは間接的にほかの運賃、物価の上昇を誘発する。特に、国鉄運賃上げればほかの交通機関は待っていたとばかり値上げをする。たとえば大手私鉄ではこうです。大手私鉄では、いまほとんどの線区で輸送力がほぼ限界に来ております。それで、国鉄運賃が上がると国鉄利用者がわが社に流れ込んでくる、それはありがたいようだけれどもいまは困る、これをさばくのには莫大な設備投資をしなければならない、特に定期旅客が流れ込むのは困るから値上げをして調整するのだ、と、公然とこう言っております。本音が実際どうなのかということについては私にはよくわかりませんが、こうして便乗値上げをするのですから、大手私鉄利用者にも国鉄運賃値上げはすぐ響いてくるわけでございます。     〔委員長退席、江藤委員長代理着席〕  国鉄運賃値上げは大手私鉄運賃上げの呼び水となるだけではなしに、貨物運賃を含めてその他の交通機関へ波及いたします。また、すべての物価値上げの引き金になっております。国鉄運賃が物価値上げの王様でございますから、ぜひともこれは抑えていただかなければ困ります。国鉄運賃企業内だけの問題として扱うのか、それとも物価問題として、国の政治の問題として大きく扱うのか、この扱い方をまず最初にはっきりさせておかなければならないと思います。政府が国の政治の問題として物価問題として扱うのならば、公共料金のすべては上げるも下げるも政府の一存で決まることでございますから、物価政策の中で一番徹底する問題でございます。物価問題として運賃値上げを抑えることは政策問題でございますから、運賃上げなくとも企業が運営できるように政府財政援助をするのは当然なことでございましょう。こういう考え方は、御承知のとおりヨーロッパ諸国ではすでに常識になっていることでございます。  反対理由の第三は、いわゆる赤字の重要な原因となっている運賃制度をそのままにしておいて運賃水準だけを引き上げるというこそくなやり方についてであります。特に、貨物の運賃制度をいまのままにしておくということは問題解決にならないばかりか、ますます国鉄経営を窮地に追い込むことになりましょう。詳しいことは時間がございませんから省きますけれども、これは特に強調しておきたいと思います。  反対理由の第四は、貨物運賃が五割以上も大幅に値上げされますと、陸も海もわが国全体の貨物輸送に大変な混乱が生まれると思いますが、来年度も同じように大幅値上げをする。貨物運賃がわずかの間に二倍以上にはね上がる。そうしたら一体どんな事態が起こるでしょうか。予想される大変な混乱に対しまして政府に一体どんな対策があるのか。国鉄国鉄運賃値上げだけしか考えていない。運輸省も大体同じだというのが実情ではないでしょうか。もしそうだとすれば大変な混乱を巻き起こす運賃値上げを議決していただいては困ります。私は運賃問題は物価問題として重視しておりますので値上げには賛成ではありませんが、値上げをするのなら値上げによって起こる事態をちゃんと処理してからにしてほしい。国鉄という企業は国の政治にとって一体どういう地位を占めているのでございましょうか、国の交通政策とは一体どういうものなのか、このことをはっきりさせておいていただきたいと私は思います。     〔江藤委員長代理退席、委員長着席〕  事実を挙げて起こり得る混乱について少し考えてみたいと思います。国鉄の試算によりますと、提案どおりに値上げが認可されますと貨物輸送量は一〇・八%減る。これは前の委員会でそういう御説明があったようでございますが、そうすると通運の貨物輸送量も同じように減る見込みだと思います。この見込みはトラック運賃がどう変わるかということとの関係でかなり動くことでございましょうけれども、ともかく大幅に減ると見てよろしいと思います。通運業界はいま不況のあおりを大きく受けておりますが、国鉄運賃値上げでさらに打撃を受ける。それでいまその対策として、一つには通運料金の値上げを準備している。もう一つ対策は、国鉄からトラックに流れる貨物を追って、車両や人員をトラックに振り向ける準備をしている。こういう動きを一体どういうふうに理解すべきなのか。それについて交通政策はどのようにしようというのか。  国鉄運賃値上げが生む波紋の一例を取り上げてみましたけれども、いろいろなところで起こる混乱に対して、政府はどうぞひとつ十分に手を打ってから運賃値上げを提案することにしてほしいと思います。  反対理由の第五は、提案の理由とその内容には納得できないたくさんの問題があるということです。  一つだけ、政府財政援助について申し上げます。日鉄法の改正国鉄財政再建促進特別措置法の廃止が結びついておりますが、日鉄法の改正によって五十一年度の助成金は三千五百九十四億円だそうでございますが、しかし、日鉄法を改正しなくとも、再建措置法は現に生きているのですから、三千三百七十三億円の助成金が出ることになっておるはずでございます。国鉄はいま創業以来未曽有の大危機だと宣伝されておりますのに、従来の方式に比べて二百二十一億円増額したにすぎないのですから、財政援助が大幅にふえたとはとても言えないと私は思います。この際思い切った財政援助をすることが物価対策の決め手だと思います。  比較的物価が安定していると言われている西ドイツではこうだそうです。西ドイツの国鉄は五十年度に約一兆三千億の欠損を出しているそうでありますが、これを全額国庫から補助するので、西ドイツの国の歳出の約六%。これをわが国に引き伸ばしてみるとどういうことになりますか。国の財政赤字の三割近くが物価抑制のために国鉄に援助されていると伝えられております。  次に、国鉄財政再建との関連で二法案反対の理由一つだけ補足させていただきます。  昨年五月七日に私は国鉄委員会参考人として出席いたしまして、国鉄財政再建について総論的な意見と提案をさせていただきました。その中で国民と国鉄労働者の同意と協力が得られないような再建計画はうまくいかないということを申し上げました。特に、再建計画が実現すればするほど国鉄労働者が不当な扱いを受けると考え、実際に不当な扱いを受けている事実を見せつけられればだれにしたところで再建計画の実施に積極的になるわけはない、国民のための国鉄という言葉にふさわしい再建計画でしたら当然国民と国鉄労働者の同意と協力を得られるのですけれども、そうではなくて非民主的な計画であるならば、ここでは非能率と無気力な労働者がつくられていくか、あるいはこの計画遂行への抵抗闘争がさらに激しくなるか、そのいずれかでありまして、財政再建計画が期待していることとはおよそ似ても似つかない、反対の方向へ事態は進行していくのが当然だと、こういうことを事実に基づいて申し上げたつもりでございます。  御承知のことと思いますが、この十二日に高木総裁と国鉄労働組合の代表四名が初めて会談いたしました。そして、労使関係改善、再建問題、労働基本権の三点についてきわめて積極的に建設的な合意に達しまして、メモを相互に確認しております。これは今後に希望の持てることだと私は評価し、大きく期待しているのでありますが、しかしながら、ここに提案されている二法案というのはどうか。昨年十二月二十八日に藤井総裁が木村運輸大臣に提出なさった念書、十二月三十一日に閣議了解となった国鉄再建対策要綱、そして二月六日に藤井総裁が自民党政調審議会に提出なすった国鉄経営合理化に関する基本見解等が内容になっております。これらと今日国鉄労使間で行った合意とは著しく矛盾するのであります。  二法案が国会に提案されるまでに論議され確認されている内容や、特に、基本見解の中にある所要人員を六十年度までに合計六万五千人実員を減らすという点ですが、これは労働基本権の扱いを含めて、これからの国鉄における労使関係改善にとってきわめて大きな障害、紛争の種になることが予想されます。このことが私が二法案に反対して追加する理由一つでもあります。  次に、この人減らし合理化がさまざまな問題を含んでいることについて若干触れておきたいと思います。  いまから十年ほど前のことでございますが、当時の経理局長が、国鉄経営広報誌「国有鉄道」に、「いままでの合理化というのは主として外注方式なんですね、これは人間の数を抑えるだけです」として、「過去においては外注することによって職員の数を抑えたのですが、経費としてはそう変わらないのです」と述べています。私は資本の論理からだけで合理化を進めていくことには賛成はできませんけれども、現実に進められている人減らし合理化が資本の論理からも評価できない点をたくさん含んでいることについて強調しておきたいと思います。労働力のかわりに機械力や電子力が採用される技術革新についても同じことがあるようでございます。  一万五千人の削減とか六万五千人の削減という内容がどれほど経済合理性を持っているのか。ただ国鉄職員の数を減らしさえすればそれで赤字が減ると考える発想は実情無視もはなはだしいと私は思っております。四十四年度から、営業近代化の名のもとで今日まで八百二十九の駅が無人駅になりました。その結果どういうことが国鉄の内外で起こったでしょうか。詳しく述べる時間はありませんが、一つには、至るところにできたこの無人駅は不正乗車の気風を助長しているのであります。また、無人駅が青少年の非行の温床にもなっております。そのほかに沿線住民にははかり知れないほどの犠牲を強いております。このように国鉄の人減らし合理化は経済的にも道徳上の問題としてもきわめて重大な問題を起こしております。  列車乗務員や駅員の削減が不正乗車を激発させていることは確かでありまして、たとえば水戸鉄道管理局は、昨年七月に三日間、急行列車を利用した乗客がどれだけ運賃、料金を払わなかったかという実態調査をしましたが、この調査結果は予想以上に不正乗車のあることを示しております。不正乗車が堂々とできる条件が整っているためにまともに運賃、料金を払うのが損をするというような気持ちにさせる。これはまことに寒心にたえないことだと私は思います。  なお、「国鉄経営合理化に関する基本見解」の中には、以上申し上げました要員の合理化のほかに、ローカル線、貨物輸送、資産の処分、付帯事業の増収などについて重大な問題を含んでおりますが、時間がなくなりましたので問題を含んでいることだけを指摘しておきます。  以上、限られた時間で十分に意見を述べることができませんでしたが、二法案の中心に据えられている国鉄問題というのは、すでに長い期間にいろいろな機関で相当論議が行われましたので問題点もかなりはっきりしてきていると思います。しかし、この問題点の取り上げ方が本当に国民のための国鉄という大原則の上で正しく取り上げられているかどうか、これが国民にとっては問題でございます。  今回の国鉄財政問題は国鉄企業レベルで経営問題として扱う領域からは著しくはみ出た性格を持っております。また、先ほど清水先生からも御指摘がありましたが、政府がインフレ政策を続ける限り国鉄財政はどうにもつじつまは合いません。もともと公共企業というものはインフレに弱いのですから。国鉄財政再建問題は、国鉄という企業体の勘定、収支が合えばそれでよいというものではなくて、わが国全体をカバーする交通機関として、そのあり方が大きな波紋を起こすことに深い考慮を払っていただきたいと思います。  昔から国鉄経営は政治、経済と不可分でございましたが、そのかかわりあいが以前より一層密接になっているという理解で問題と取り組むべきだと考えております。国鉄は国民にとって不可欠な事業でありまして、それゆえにまた国家的政策実現の場でもあります。こういう点で二法案は決定的な欠陥を持っていると考えますので、これを撤回していただいて、ぜひつくり変えていただきたいと思います。  以上で終わります。(拍手)
  10. 中川一郎

    中川委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
  11. 中川一郎

    中川委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。小此木彦三郎君。
  12. 小此木彦三郎

    ○小此木委員 きょうは先生方にはお忙しいところを大変御苦労さまでございます。  時間が非常に限られておりますので四人の先生に続けて質問を申し上げますが、ただいま述べられた御意見、あるいは昨年来国鉄に関する小委員会等で御意見を開陳されたことにも多少関連して質問させていただきたいと存ずる次第でございます。  まず、新井先生にお聞きいたしますが、国鉄現状を国民に理解させる努力をせよという御意見には全く同感でありますが、そこで、専門の会計学者の立場から、まず第一に経理現状の結果の処理、第二に構造的な赤字原因の除去に関して——今回の国鉄に対する考え方として、まず過去債務処理減価償却方法、財務、決算の処理等について先生は、基本的にその方法が公正である、適切であるというように言われたと存じますが、念を押すようではなはだ恐縮でございますが、さように解釈してよろしいのでございましょうか。  次に、清水先生にお伺いいたしますけれども、かねがね清水先生は、交通手段の中の通路というものが企業によっては資本の中に含められ、あるいは除外されている、陸路、海路、空路に分けられているが、自動車、航空、海運の場合は資本財と考えられていないが、国鉄の場合は全部企業資本に含まれているので、どの部分を資本として考え、どの部分を公共財なり国の財産なりとして考えていくかという、分離の問題を考えなくてはならないという主張を持っておられ、きょうも重ねてその一部を数字で挙げて同様な趣旨の論議を展開されておられるのであります。しかし、道路、空港は公共財と申しましても財源は特定されておりまして、間接的には利用者負担となっているのであります。また、私鉄や地下鉄との関係も考慮して、国は国鉄に対しましても出資や工事費の助成をしてきているのであります。こういう事情のもとで、国鉄の基礎的な施設に対する助成は今後さらにどうあるべきか、この点をお聞かせ願いたいのであります。  また、総合交通体系という考え方の中で、先生はただいま鉄道主義に戻るべきであるという考え方を示されたのでございますけれども、総合交通体系における国鉄の位置づけということはしばしば私どもの中でも論議されていることでございます。この十四日の委員会におきましても与党議員から運輸大臣に対しましてこのことに対して質問がございましたけれども、遺憾ながら大臣の答弁はわれわれにも必ずしも納得できる答弁ではなかった。それほどむずかしい、深刻な問題でございます。そこで、この問題を先生は具体的にどのように考えておられるのか、お伺いしたいのであります。  さらに、運賃と料金の問題が出ましたけれども、それに関連してお聞きしたいことは、国鉄運賃の決定方式について、私は、これが適時適切に収入を確保すべき方向あるいはあり方に改めるべきであると思っているのであります。ということは、国鉄運賃も料金も純経済的に決定されるべきであるにもかかわらず、従来政治的にこれが道具として取り扱われてきたのでありますが、この点をどうお考えになりますか。と同時に、これを改善する方策について先生はどういう考えを持っておられるか、お聞きしたいのであります。  次に、中島先生にお聞きしたいのでありますけれども、まず、今回の改正案が短期決戦の形で国鉄に復原力をつける、輸送量増加に期待しないというような点をもって基本的に賛成ということでございました。そこで、従来から主張されておられますところの、国鉄再建のためには運賃法の精神から見ても賃率を適切にすべきだという先生の御指摘には私たちもかねがね全く同感と存じておるのでございますが、これと同時に、国鉄経営の合理化を図ることも当然であると私どもは考えるのであります。現在の国鉄で合理化するということは、先ほど中島先生が言われたように、業務が横ばいの中で合理化するということは非常にむずかしい。それでもなおかつ私たちは、そのむずかしい中でも合理化しなければならないと思うのでございますけれども、この点を具体的に二、三挙げていただきたいのでございます。  いま一つは、清水先生の問題と多少重複いたしますが、中島先生の御意見では、運賃引き上げに反対論を展開する人たちの論議が集中されると言われました。しかし、現行の運賃法定制度は経済主体である国鉄経営になじまないという趣旨の指摘は現在各方面に非常に多いのであります。この問題はかねてからいろいろな機会に先生が発言されたり、いろいろなものに書いておられることを参考にして、われわれも十分にこれを研究していかなければならないと思うのでございますけれども、さらに、この上に、国鉄の当事者能力の強化とか独占性の低下とかいった面からも検討してこれを是正すべきものと私どもは考えるのでございますが、この点、御意見をお聞かせ願いたいのでございます。  最後に、村木先生にお尋ね申し上げますけれども、かねがね村木先生は、従来の再建計画の破綻の原因として借入金に依存した投資を指摘しておられるのでございます。しかし、私は、人件費物件費の急増も当然大きな原因と思いますけれども、いかがでございますか。国鉄再建のためには、人件費物件費についてまず節減を図ることが基本になると私は考えるのでございますけれども、いかがでありましょうか。ということは、国鉄財政を立て直すためには収入をふやすか経費を減らすかしかないのでございます。収入をふやすには運賃値上げか助成でありましょうけれども一般国民税金を投入するより、まず利用者負担原則とすべきであると私は考えるのでありますが、この考え方に異論がございましょうか。と同時に、本来国の助成には限界があるものと私は考えますけれども、この点もいかがでございましょうか。  さらに、それに関連しまして、国鉄の基礎的施設の建設改良費は全額国が賄えという主張のようでございますけれども、同じ公共性を持つ私鉄との関係をどう見るのでありますか。また、これは先ほどの問題にも出ましたけれども、道路、空港などもガソリン税や燃料税などによって間接的に利用者負担となっておりますが、この関係をどう見られるのでありますか。  さらに、合理化につきまして、先生は人減らし合理化と言われるのでありますが、それではまず国鉄の貨物部門、保線部門に合理化の余地は全くないと考えられるのでありますか。そしてまたさらに申し上げるならば、通常、企業経営がピンチに陥れば、まず経営の合理化を行うのが常識であると私は考えるのであります。ところが、国鉄は例外であると見られるのでありますか。無論、国民の足として必要な部分は残さなければならないと思うのでありますけれども、現在の国鉄の業務が、そのすべてが代替不能で、ぜい肉というものがどこにもない、むだというものがどこにもないとおっしゃるのかどうか、その点を聞かせていただきたいのであります。  そして、ただいまの議論の中には出てこなかったようでございますけれども、先生はこれまでの投資というものが大企業本位であるということを常に言われるのであります。投資を効率化しなければならないことは当然でありますけれども、われわれにはこの大企業本位ということがどうにも理解できないのでございます。これは具体的に何を指すか、お示し願いたいと存じます。  以上であります。
  13. 新井清光

    新井参考人 お答えいたします。  御質問は、国鉄の今回の五十四条の九、五十四条の七にかかわる過去債務、過去の長期債務の取り崩し処理、これらについて私が先ほど申し上げ会計的に妥当であるということはそのとおりであるかという念を押された御質問だと思います。もう一つは、減価償却費は、先ほど最後にちょっとつけ加えましたが、これは妥当ということであるがそうなのかというふうな御質問ですので、二点についてお答え申し上げます。  先ほど私が申し上げましたように、今回の財政再建措置にかかわる法律案は、会計的な見地から見まして明らかにフレッシュスタートである。資産が三兆一千億円だけなくなってしまっておるというバランスシートの状態であるわけです。こういう状況から脱却して、そして新生国鉄としてフレッシュスタートをするためには、この繰り越し欠損金を消すといったような、まず財政面での措置が当然会計的には図られるべきでありますが、そのための手段として長期債務二兆五千四百億の一般勘定から特別債務整理勘定への振りかえを図った。これが五十四条の七でありまして、これで一つ欠損金消去するとともに、特別整理勘定に持っていく。これで欠損金が二兆五千四百億円消える。と同時に、他方、資本積立金を取り崩すことによって五千六百億円の欠損を消す。両方消すことによって新しい経理的な出発がここから始まるのであるというふうに理解されますので、会計的な意味から見て、またフレッシュスタートという会計的な理論から見て正当性がある、評価ができるというふうに申し上げた次第でございます。  もう一つは、減価償却の妥当性の問題でございますが、そもそも減価償却というのはいかなる会計的な意味を持っておるかということにつきましては私がるると御説明申し上げるまでもないことと存じますので省略いたしますが、国鉄の場合、減価償却につきましては、車両、自動車、船舶、機械といったようなかなり陳腐化の激しい機械については定率法をとっておる。定率法は御承知のように初期の年度になるべく早く償却費を計上するという方法でございます。経済の効用、価値、当該資産の効用が早くなくなるというのであれば、早くなくなるような償却計算をするのが経済の実体と経理計算がぴたり合うわけでございまして、そういう意味で定率法をいまの資産についてとっておるということは妥当性があり、勢い修繕費がこういうものについては後の年度においてかかってくるわけですから、そういう意味で、修繕費の漸増ということを考えれば固定資産関係、この種の資産関係については費用が平準化される。そういう別の効果もあるわけです。その他の資産につきましては一般的なルールに従って定額法をとっておる。こんなふうな会計規定の定めによって行っておるわけでありまして、会計理論的に見ても妥当性を持っておる。  また、耐用年数などにおいて、早く償却をしたり短縮をして、特別償却をしたりして企業赤字を見せかけておるのじゃないかというふうな意見もしばしばあるように聞いておりますが、国鉄の場合、耐用年数につきましては、一般企業会計の行っておる耐用年数の方法、具体的には法人税法の定める経済的耐用年数を主としてとっておるわけで、一般企業会計の耐用年数と異なるところはない。異なるところがないというのは、それだけの妥当性を持っているという意味と、もう一つは、私鉄企業等と経営的な比較をするためにも、耐用年数等について、同一の耐用年数レベル、償却計算レベルをしておかないと、私鉄運賃問題、国鉄運賃問題を比較対照する場合に不都合が生ずる、こういう意味から減価償却国鉄の場合は妥当性を持っているのではないか、私はそのように評価をした次第でございます。  以上でございます。
  14. 清水義汎

    清水参考人 三点の御質問があったかと思いますが、一つは、国鉄の場合の一部を公共財として考えろと言うけれども、それは具体的にどういうふうな形にするんだという意味の御質問だったと思いますが、基礎構築物及び道床部分については、今後これは国の資産として全部公費負担で建設をすべきではないかということは、いわばフランス国有鉄道方式に準ずるという形で考えているわけでございます。そして企業財としては、車両であるとかレールから上のものを企業財として考えていく。こういう考え方で分離ができるのではないかと思います。  それから二番目の、鉄道主義と言うけれども、総合交通体系の中でどういうふうに考えるのかということでありますが、この鉄道主義というのは、全部自動車を押さえてしまって、すべて何でもかんでも鉄道でやれという意味で私は申しているわけではございません。  この鉄道主義といいますのは二つ意味を持っておりまして、一つは、陸上交通の中で現在の国鉄の施設を最大限に機能させながら、これを総合交通体系の中では基幹部門として機能させるべきではないか、そして自動車はむしろ補完部門なり場所によっては補助部門として有機的に結合させることを基調として考えてはどうかということで、特にこれは運政審の答申なり運輸省当局でもすでに認めておられますように、交通のひずみの最大限の要因の一つは都市政策なり産業政策との整合性の問題でございます。交通そのものが生産の無政府性の中で機能させていきますと、整合性との兼ね合いは当然非常にむずかしくなってまいります。  そういう意味で、特に国有鉄道の場合には国家的施策あるいは地方自治体の都市計画というものとの整合性を持たせるにはきわめて有利な条件を持っているわけでありますので、そういう見地からもこの鉄道をもう少し大事にしてはどうか、いわば基幹部門として機能させろ、それから大都市については当然大量大衆輸送が中心でございますので、基幹部門としてこれは配置をしていかなければならぬ、と、こういうことでございます。  それから、三番目には、この運賃と料金でございますが、もともと運賃が国会で法定運賃制度で定められ、それから料金が運輸大臣が認可できるという形で別建てになっておりますのは、国鉄の営業収入の基礎が運賃だという考え方であったからだと思います。いわば輸送対価としての運賃、料金は、その場合に使用料としての概念で規定されているというふうに私は理解をいたします。  ところが、現実には運賃対価よりも使用料が高いという形が近距離の場合には出てしまっている。それが中距離なり遠距離にも近づいてきている。これは運賃と料金の本来あるべき姿が、いわば収益を多くするために国会の審議を経なくて済む料金へ安易に頼ったのではないか。これは昨年度の料金値上げのときにも、国鉄幹部の方が某新聞社のインタビューで質問に答えて、確かにノーマルではありません、しかしやむを得ないのだということを言っておられます。私はこれは非常に正直な発言だと思いますが、この点の基準をやはりしっかりすべきではないかと思います。  そうすれば具体的にどうなるかということでございますけれども、現在の料金は当分据え置くべきであり、これ以上上げるべきではないが、改定の場合に、運賃本位に、運賃だけを中心に国会で議論をして改定をすべきであって、運賃は国会で審議されて、審議した上で改正されて、料金の方はそれとは別にどんどんやっていくということになりますと、現実的には毎年のように実質的に運賃が上がってしまうということになりますので、やはり、この際、運賃と料金の本来のあり方へ戻すように一定の期間を経て是正をする方向で考えなければますますその矛盾は拡大されるであろう、こういうことであります。
  15. 中島勇次

    中島参考人 ただいまの私に対する質問は二つあったと思いますが、第一点は、業務量が横ばいのときには合理化は非常にやりにくいものだ、しかしそれでもなおかつ国鉄に合理化を要求したい、その場合の合理化のあり方について具体的に説明してくれ、と、こういう御質問だったと思います。  まず、最初に、合理化という意味がいろいろとニュアンスの相違があると思いますが、合理化というのは企業活動を経済原則に合わせる努力で、これを経済原則に合わせるというのは、最小の費用をもってできるだけ効果の多いような働きをするということだと私は思います。そこで、鉄道の場合には特にそれがはなはだしいわけですけれども、具体的な例を申し上げますと、一つの機関車が二十両貨車を引っ張って運転しているが、ところが輸送量がだんだんふえていきますと、車を三十両、四十両と牽引定数いっぱいまで引ける。恐らく四十両くらいは引ける。そこまでは機関士は一人なり二人で足りるわけです。ですから、輸送量がふえるときには相対的に機関士の生産性というものはだんだん上がりますが、輸送量がふえるわりあいに人をふやさなくてもいいからこれは合理的になる。こういうことです。  しかし、これが減ってきた場合には、いままで四十両引っ張っていたのがだんだん減ってきて、最近は五両、六両という列車をよく見ますけれども、貨物列車が五両や六両引っ張っていて経済性と言えるわけはないと私は思うのです。しかし、この場合に機関士はどうしても一人、二人は要るわけです。引っ張っているのが少ないから機関士は半分でいいとか、あるいは二人乗っているのを一人でいいというわけにはいかない。ですから、輸送量が減ったときにも同じように要る。また、線路の保守にしましても、列車回数がふえても減ってもそれほど人は変わらない。そういう意味経営の合理化、つまり経済性に合わせるようなやり方は、業務量が横ばいのときには今度はそれをどうして減すかというと、必要条件をそろえた配置をさらに人を減すとか経費を減すということになると必然的にサービスカットにつながるわけであります。たとえば貨物列車をもっと合理的に運転するならば、ヤードに貨車をためておいて、そして三十なり四十まとまったときに初めて列車を動かす。これは旅客列車で言えばもっとはっきりすると思いますが、旅客列車でお客が少ないときには客車を減す、あるいはふえたらふやすということをしないで——旅客列車の場合には編成で動きますからこれは余りいいことじゃありませんけれども、時には定員の二倍、三倍というようなことになっても電車の運転士はふやさなくても済む、こういうことであります。  そこで、国鉄の業務量が横ばいのときにこれをどうして合理化するかということは、サービスをカットしないで合理化するということになりますと、やはり職員の一人一人がむだなく働くということ、いわばチームワークというものが合理化の最後の決め手になるのじゃないでしょうか。たとえば手すきの人がいたら、お客がふえたらそれを手伝うという意欲があればサービスカットをしないで済む。改札が非常に込んだときにほかの仕事をしている人がちょっと手すきで改札口に立ってやる。これはやはり職員の意欲であります。ですから、横ばいのときに、合理化しようというときには職員一人一人の意欲というものがますます重要になってくる。ふえるときにはそれほどでなくとも、引っ張っている後ろに自然と貨車がよけいつきますから、横ばいのときに合理化しようということになりますと、そういう一人一人の働きが物を言うことになる。私どもが労使関係の正常化ということを強調いたしますのは、それをやらなければ幾ら合理化を口に叫んでも、計算上全体的に数字をはじいて五万人あるいは六万人という数字はすぐ出るかもしれませんけれども、それはやはり指一本あるいは手一本、足一本というものを集合する計算に陥りやすいという点を私は強調しておきたいと思います。  特に、貨物関係につきましては、いろいろ御指摘がありますように非常に能率が落ちている。しかし、貨物については、発着日時を明確にしろとかスピードを上げろとかいうことでトラックなどと競争するという面がありますと、勢いそれにふさわしい固定施設を準備するとかヤードを準備するとかということになり、それがいまの固定的な要素になりまして、横ばいのときにはそれが大きな負担になる。それをさらに減そうということは非常にきめの細かい配慮が必要になるだろうということを私は申し上げておきたいと思います。  それから、第二点は、運賃考え方、決め方と当事者能力というものを関連づけて考えを述べろというようなお話だったと思いますが、この点は、その問題意識を私はちょっと十分につかみかねておりますけれども、私なりの解釈で申し上げますと、運賃というものはやはり価格である。これを税金だと考えれば別ですけれども、やはり価格である。それから、サービスを提供するのも一つの産業経済活動である。したがって、企業一般に最も合理的にやるには、やはり経営者が経済性を判断して自由に価格を操作し、あるいはコストを操作できるような体制でなければできない。つまり、手足を自由にしておかなければりっぱな踊りができないと同じであります。しかし、その面において、国鉄のようなこういう仕事の場合には必ずしも経済判断だけではできない面がある。そういう面からいきまして、それがだんだん手を縛り足を縛り、最後には両手を縛って、そして当事者能力がなくなったということになるだろうと思います。運賃というものは上げれば増収になるというものではない、時には物の値段は下げた方がいい場合もありますし、あるいは割引した方がトータルの収益が多いこともあります。そういうような面がありますから、そういうきめの細かい判断をするには、やはり運賃を価格という認識のもとに決定の仕方、考え方を考える必要があるだろうというふうに考えます。  不完全ですけれども……。
  16. 村木啓介

    村木参考人 本会議が始まるので時間がないそうでございますから、ごく簡単に申し上げます。  先生の御質問を十分に整理し切っておりませんが、三点にちょっと整理してみましたが、まず、最初の合理化の問題でございますが、経済合理性から見れば国鉄にむだがないとは私は思いません。そういう意味では大いに経済合理性ということを追求していかなければならないと思います。私は国鉄に在職中に鉄道技術研究所で合理化の研究を任務づけられておりましたが、合理化には技術的な側面と社会的な側面がございまして、研究者は技術的な側面を追求していったわけでございます。しかしながら、これを実施に移しますと社会的なさまざまな問題が起こってくるわけでございます。これをどのように救済するかということが抜きになって技術的な経済合理性という問題が追求されると、さまざまな不幸せなことが、不当なことが起こってくるわけです。ですから、そういう意味で、いまの状態を変えることによって経費を節約するということが合理化の命題でございますから、その結果一人一人が不幸せな羽目にならないように——国鉄職員が反対しておりますのは不当な扱いを受けるから反対しているのでございまして、その点をきちっと抑えていただいて経済合理性を追求していかなければならない。そういう意味では、この輸送の面における合理性の問題、つまり貨物輸送の問題あるいは保守の上にある合理性という問題は当然追求していく問題だと思います。ただ、配慮が行われなければ、これは困りますね。その点をごく簡単でございますが申し上げておきます。  それから、大企業本位の経営ということについてでございますが、私たちが大企業本位の経営ということを言う場合に、投資というようなことを言う場合に、新しい投資がだれの利益を第一に置いてだれの犠牲によってそれが行われるかということが判断の基準になるわけでございます。運営についてもこれは同様でございます。だれの利益が第一に置かれてだれの犠牲が加重されるかということが常に問題になる。交通事業には一つの施策について絶えず二つの側面がありますから、それを一面的に取り上げることは私たちはいたしません。  いま大企業本位と言う場合には一面を強調しているわけでございます。たとえば中長距離大量貨物輸送という方針をお決めになっておりますが、近距離の中小貨物がどうなっているかという点が私たちにとっては問題なわけです。著しく近距離の中小貨物が犠牲に置かれているという点で大企業本位ということを言うわけでございます。むろん、今日の国鉄の性格から言って、中長距離大量貨物輸送が国鉄の守備範囲であるということについてはいささかの異論も私は唱えませんが、しかしながら、近距離の中小貨物が著しく被害を受けている。あるいは中小貨物駅が、一番多かったときから見ますと五五%近くも減らされている。そういうことに私たちは批判の目を向けているわけであります。  都市間旅客輸送についても同様でございます。急行列車、特急列車がやたらにふえる。急行列車、特急列車がふえること、それ自体に私たちは異論を述べているのではございませんが、それが幹線でもローカル輸送が犠牲になっているという点で批判をしているのでございます。たとえば一例を申し上げますと、鹿児島本線の八代から鹿児島に行く下り列車について見ますと、一日に二十九本列車があるのでございますが、そのうち特急が十六本で、急行が四本でございます。区間列車はたったの九本きりしかないのでございます。こういうことについて地域の方々に意見を聞いてみますと、国鉄のおやりになることはしようがないという理解なんですね。それがバスに転嫁されていって高い負担を強いられたり、あるいはマイカーを助長するというような問題が起こるわけです。そのことについて私たちは大企業本位ということを非難しているわけでございます。  それから、最後の国庫補助の問題でございますが、国鉄赤字というのは粉飾された赤字額である。新井先生は減価償却のやり方が適切だというお説のようでございますが、私はそうは思っておりません。減価償却にいたしましても修繕費にいたしましても、さまざまな会計上のやり方は企業会計原則から言って納得できるかどうかという異論を私は持っておりますが、ともかく国鉄の決算は粉飾された赤字で、したがって累積赤字の中にも粉飾された部分がございます。しかし、実際に赤字が発生していることは事実でございますが、これらの赤字というものは現業経営のまずさから起こったというよりも、政治的、政略的な原因によって生まれたものだというふうに私は考えておりますので、当然これは国会が責任を持つなり政府が責任を持つという形で補わなければならない。したがって、国庫補助について限界があるとかないとかいうような議論ではなしに、合理的に発生した欠損については額のいかんを問わずに国庫補助をしていくのは、国鉄経営というのは国政の施策の場であるからあたりまえだ、かように思っております。  まだ御質問に十分答えておりませんけれども、時間がございませんようですから省略いたします。
  17. 小此木彦三郎

    ○小此木委員 御苦労さまでした。  質問を終わります。
  18. 中川一郎

    中川委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後零時四十一分休憩      ————◇—————     午後一時四十九分開議
  19. 中川一郎

    中川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に対する質疑を続行いたします。久保三郎君。
  20. 久保三郎

    ○久保(三)委員 参考人の四人の方々にそれぞれ御質問を申し上げます。  まず、第一に、新井参考人にお伺いしたいのは、それぞれの皆さんからもお話がありましたが、一つ運賃の問題でありますが、運賃についてまず第一に考えられるのは、原価に対する運賃ということが一つあると思うのですね。それから、先ほどのお話にも出ていましたとおり、価格に対する運賃という見方もあります。価格という場合と原価という場合は少し違うというふうに考えておりますが、いずれにしても国鉄運賃についてはすっきりしないというか、理屈に合わぬところがたくさんあるわけです。そのために、先ほどのどなたでありましたかのお話にもあったように、運賃値上げに反対する理由一つになっているわけです。たとえば御指摘がありましたように、当然政策実行者が負担すべき公共割引というようなものが幾つかありますが、この額もそう軽いものではない。それから、もう一つは、赤字ローカル線というか、シビルミニマムとして運営をしていかなければならぬ支線区があるわけです。これは当然のごとく経営赤字なんですね。もっとも、先ほど中島参考人からは、言うならば線区別の運賃を考えるようなお話もありましたが、これは少しくまた議論の点は違うと思うのでありますが、いずれにしても、いま総合原価主義という立場からいくならば、この問題は当然の赤字でありますから、これは国家政策上維持していくというならば、企業体としての国鉄が、あるいは運賃の中で利用者負担すべき筋合いではないように思うわけですね。そういうもの以外にもまだたくさんありますが、主だったものはその二つです。  それから、もう一つは、今度措置される長期債務ですか、いわゆる累積赤字の一部ですね。こういうものの肩がわりがございますが、こういうものがいま言うならば構造的な赤字原因になっているというか、その中で運賃の問題が議論されているということでありますので、原価というか、国鉄運賃というものはどうあるべきか、この点はどういうふうにお考えでありましょうか。これが一つであります。  それから、これは村木参考人に後からまた伺うのでありますが、減価償却のやり方は妥当なものであるというお話でありましたが、村木参考人はこれは粉飾的なものがあるというような御指摘がございましたが、この点についてどういうふうにお考えでありましょうか。  それから、清水参考人にお伺いしたいのは、特に総合交通体系というか、総合交通政策がないままに国鉄の再建を図ることは言うならば片手落ちだし、決定的な再建というものはできないということですね。それが証拠に、過去二回の再建案というものがありましたが、これは画餅に帰したというか、一歩も半歩も出られないでそのままつぶれてしまったと言っていいと思うのですが、これは一つには国鉄を中心とする交通政策が確立していないということと、あるいは有用であるのか無用であるのかという極端な議論もあるのですが、そういう出発も全然明確でないというところに大きな欠陥が一つあったのではないかと思うのであります。  御承知のように、昨年の暮れに政府が決めました国鉄の再建対策要綱の中には、貨物について、五十五年度までに扱いを含めて二割ぐらい減らそうという考えが明確に出ているわけでありますね。これはまさに国鉄再建にとって貨物は無用であるという一つのはしりだと思うのです。いまの物的流通というか、物の輸送の面で国鉄の貨物輸送というものは果たして無用であるのかどうか。もちろん、いまの政府政策というか、国鉄の施策というか、そういう中でいくならば国鉄の貨物というものは当然のごとく衰退していくのでありますから、これはそのままほうっておけは安楽死でありましょう。今度の対策要綱は、安楽死ではなくて、これはむしろその死期を計画的に早めようということでありまして、これは再建という立場からは大きな問題があるのは当然でございますが、と同時に、これは国民経済的に見てゆゆしい問題だとわれわれは考えているのであります。そういうことから言って、あなたがおっしゃるところの総合交通政策の中で国鉄の貨物というものはどういう位置づけをし、どういう政策を裏づけとしてとるべきか、大ざっぱでいいんですがその点をお願いしたいと思います。  それから、もう一つは、さっき小此木委員からも御指摘があってお答えがありましたが、路盤以下について公共財としてこれは処理するというお話がありました。手前どもも大体そういう理論にはある程度理解をしているのでありますが、もう少し御説明いただいた方がよろしいのではないかと思います。国鉄の性格というか、そういうものは交通機関としての性格から言って企業財でなくて公共財として処理するようにした方が当然だというか、正当な位置づけではないかというふうに思うので、その点についてもう少し御説明をいただきたいと思います。  それから、中島参考人にお伺いしたいのは、先ほど新井参考人にお話を申し上げたように、運賃値上げに反対するというのには二つあると思うのですね。一つは、先ほどから御指摘があったように、日本の現在の経済の状態の中で国鉄運賃の大幅値上げは庶民の生活に大きな打撃を与える、だからこれは物価政策というか、経済政策の大きな施策として処理するのが当然であるというような観点から運賃値上げには賛成しかねるという考え方と、それからもう一つは、先ほどもお話を申し上げたようないろいろな理不尽な負担運賃の中に突っ込まれている。言うならば政策担当者が負担すべき公共割引の問題と赤字路線の問題——あるいはそのほかにもありますね。赤字路線の問題は、なるほど今度の予算の中では百七十二億つけております。しかし、これは、御承知のように二万一千キロのうちの約半分にはなりませんが、最近は九千六百キロと言っておりますが、そういうものの赤字をカバーするのには九牛の一毛にしかすぎない。それじゃ将来これをどうするのかという明確な施策もないままに提案しているわけですね。百七十二億の計算基礎も余りはっきりしておりません。それ以上にローカル線の処理についてどういうふうに考えているのか、財政負担をするのか、それとも線区別運賃を強要するのか、それとも廃止するのか、いずれも明確ではありません。そういうところに大きな問題がある。再建と銘打つからにはこういう決定的な構造的な原因にメスを入れないではどうかと思うのでありまして、そういう点について、特に運賃と公共割引についてのお考えを一遍お聞かせいただきたい。  それから、もう一つ、これは清水参考人にお尋ねしたのと同じでありますが、中島参考人は過去においてお扱いになったと思うのでありますが、国鉄の貨物の問題について、対策要綱は先ほど指摘したとおりでありますが、現実の問題として果たしてこれでいいのかどうか、あなたのお考えをお聞かせいただきたい。  それから、村木参考人にお伺いしたいのは、先ほど小此木さんの質問に答えて決算は粉飾決算であろうというような御指摘がありましたが、この点はかなり議論のあるところではないかというふうにもわれわれは推測します。そういうことからいきまして、具体的に御指摘いただければどういう点が粉飾であるのか、あるいはこういうものを正しく処理するためにはどういうふうにすべきであるのか、御見解を承りたいと思うのであります。  それから、もう一つ国鉄の民主化ですね。国鉄経営の民主化ということについてはどなたも余りお触れにならなかったのですが、村木参考人だけが少しお話があったと思うのでありますが、いま一番問題なのは、財政もそうだし、あるいは交通体系の中での位置づけも大事ですが、それからもう一つ国鉄経営が国民生活にどうやって結びつくかという民主化の問題だと思うのですね。これは全然民主化されていないという酷評を私は下すつもりはございませんけれども、先ほど御指摘になったダイヤの編成一つをとっても、利用者の利益というか、立場というか、そういうものをこれは必ずしも反映しているようには思えない節がたくさんある。これは挙げて国鉄経営者の責任ではなくて、むしろ政府当局の施策の誤りから来たゆがみだというふうにも私どもはとっているわけなんです。それが習い性となって、言うならばやらずぶったくりの経営を強要されているという点に問題があろうかと私は思うのですが、そういう点についてもしお考えがあればお述べをいただきたい。
  21. 新井清光

    新井参考人 御質問がありました二点についてお答え申し上げます。  第一点は国鉄原価、これは経費といった意味だと思いますが、その原価に対する収入としての運賃、この関係をどう見るかというふうなお尋ねだと存じますが、先ほども申し上げましたように国鉄が資産を持ち、そして負債を負い、列車を動かしている限り、必ず原価、費用、経費というものが発生することは明らかであるわけです。  そこで、問題は、その発生する原価、費用をどのようにだれが負担するかということが問題なので、その場合に負担者としては、国、地方公共団体か、あるいはその利用者たる国民、国鉄利用者、この二つしかないのではないかというふうに思うわけです。  そこで、結局その経費負担が問題になってくる。これは先ほど申し上げましたように、かつての利用者負担すべきであった分はこれからの利用者負担させてはならない。これは当然のことだろうと思うのです。かつての利用者負担すべきであった経費部分を追いかけて負担させるわけにいかないし、また、その負担分の中には当然国も含まれているわけでありますから、過去の分については国が負担すべきである。そういったような措置が今回の債務たな上げによる欠損てん補であり、また、資本積立金の取り崩しによる欠損てん補であるというふうに見られるわけでございます。そういうふうにして、少なくとも経費の過去にカバーできなかった分は全部ここできれいにする、そういう経理フレッシュスタートという意味が今回の財政措置の重要な柱になっておる、こういうふうに思うわけでございます。  そこで、これからの国鉄経費をどうするかということが次の問題になってくるので、そこに利用者応分負担をすべきである。当然、先ほど御指摘のありましたようなナショナルミニマムとしての国の政策の上からも、あるいは福祉等のそういう経済政策の面からも負担すべき公共的なものは国が負担すべきであるということは先ほど申し上げたとおりで、地方交通線に対する百七十二億の負担もそういった意味で大いに評価されてよろしいものであるというふうなことを申し上げたわけでございます。  ところが、それでは利用者に全然負担させないで全部国が負担し、そして税金から全部それは回収すればいいじゃないかというふうなことに対しましては、先ほども申し上げましたように、それでは国鉄を使う人は全然負担しないで隣の町の私鉄を使う人は全部負担するということになり、不公平である。また、私鉄利用者は自分の使う私鉄運賃負担しながらさらに国鉄の分まで税金で何がしかの負担もしていることになるわけです。こういったような不公平さがある。また、全部国がめんどうを見るんだ、すべての経費原価は国が補助をするんだということであれば、経済性、経済原則というものが無視されて、ややもすれば無責任な経営管理になってくる。こういう問題がありますし、また、もともと国鉄運賃法には運賃は「原価を償うものであること。」といったような原価補償主義がちゃんと決められておるわけですから、そういったような点からも利用者応分負担をすべきである。こんなふうに私は考えるわけでございます。  応分の、何%がどうかというふうなことにつきましては、私のような会計学者の立場からですと、何%が妥当であって何%が妥当でないというふうなことは申し上げられませんが、少なくともそういったような応分負担をすべきであるというふうに思うわけでございます。特に、先ほど申し上げたように、ここで経理的に新しいスタートを切っていくことが今回の財政措置意味であるならば、これからの経費負担については応分利用者負担はやむを得ないのではないかというふうなことで、不可避であるというふうな意味での今回の運賃値上げに対する意見を述べたわけでございます。  これが第一点に対するお答えでございます。  もう一つは、減価償却制度について、あるいは減価償却そのものについて紛飾であるとか、あるいは制度そのものに疑問があるというふうなことに対して新井はどう考えるかという御質問でございますが、これは減価償却をやること自体が問題であるという御趣旨なのか、あるいは減価償却をやることはいいのだけれども、その金額に問題があるというふうな意味であるのか、二つ推察されるわけですが、金額の面につきましては先ほど申し上げましたような方法、耐用年数を用いてやっておりますので、これは特に問題なしというふうに先ほどもお答えしたとおりでございます。  より根本的に減価償却そのものが不当である、あるいは減価償却をやること自体がもともとおかしいのであるということであるならば、これは減価償却に対する本質的な問題提起でありますので、私はそれに対してこんなふうに考えたいと思っております。もともと固定財産を持っており、それを持っている以上は、その財産価値が減退していくということについて、その価値のマイナス部分を認識し、費用として落としていくということは当然のことであるわけで、たとえば大工さんがのこぎりを持って木を切っているとのこぎりがだんだん使えなくなって、一年間の間に一本か二本だめになる。これは明らかに大工さんにとっては経費であります。ところが、のこぎりでなくて、もっと大きな製材の機械に変えたとすると、その機械は一年や二年でなくなったり悪くなるものではない。しかし、それが五年間使えるとすれば、それは五分の一ずつその価値が減少していくというわけでありますから、のこぎりが一本ずつなくなるのと、機械を一遍に買って十年ならば十年でもって十分の一ずつ配分してその経費を出していくのと何ら変わりがないわけで、機械だから償却費は要らない。のこぎりを一丁一丁ならば費用が出てくる。こんな別の話にならないわけで、長期的な期間に配分して経費を出すか、あるいは当該資産がすぐなくなってしまう分だけ経費にするかという期間配分の問題だけにすぎないので、本質的にはそれだけの価値が減少したことを認識するのが減価償却であるわけであります。  国鉄経理に、もしも固定財産についての取りかえ更新はすべて国が行うというふうな法律でもございますならば、国鉄減価償却はする必要はないわけです。ところが、国鉄においては、会計法にもありますように、そういうようなことはもともとなくて、財産の増減について、「その発生の事実に基いて計理する。」というふうに書いてございます。財産の増減があった場合に、なくなったら国がめんどうを見て買ってあげるというふうな条文は決して一つもないわけですから、その減価の「発生の事実に基いて計理する。」こと、すなわち減価償却をしなければならないという法律的な根拠は当然ここにもあるわけでありまして、これは先ほど申し上げましたような減価償却費の認識の当然の根拠であるわけでございます。したがいまして、減価償却というものは根本的に不要であるというふうなことにつきましては、法律的に見ても、また会計理論から見ましても納得がいかないというふうに私は思うわけでございます。  また、これは金額的に国鉄の場合は非常に多いとかといったようなことがありますならば、先ほどのような認識で耐用年数、償却方法にとって決して不当ではありませんというわけでございますので、その懐疑、反対、批判に対しては先ほど申し上げたとおりのお答えで私のお答えとさせていただきたいと思います。  なお、減価償却は、いま申し上げましたようにたとえば一千万の財産を購入して、その財産の耐用年数にわたって一千万を償却していくというのが減価償却費でありまして、これが原価のコスト一千万の償却であるわけですが、しかし、一千万の償却費を計上して、それを経費に入れ、そしてその経費負担運賃あるいは国の両方から負担してもらう、そして回収するというわけですが、減価償却一千万を行っても回収されるのは結局一千万であるわけです。ところが、それじゃ一千万を十年間にわたって回収した後に、それで再び一千万の機械なり設備資産が購入できるかというと、こういったような物価の上昇時においては再調達できないわけです。そこで、再調達するためには幾らを要するか、仮に倍であるとすれば、二千万を償却費として計上して二千万を運賃あるいは国の方から回収するというふうな措置を講ぜなければならない。これが実体資本の維持の減価償却論であるわけです。そういうような実体維持の減価償却論から見れば、いまの減価償却はまさに原価だけ、コストだけをノミナルに回収しているだけでありまして、実体維持の減価償却論から見れば多額であるというふうなことは何ら言えないわけでございます。  ちなみに、最近の諸外国の減価償却等の会計におきましては、取りかえ原価でもって減価償却していかないと設備資産などの取りかえ更新ができない、そういう取りかえ原価による自家償却こそがまさに減価償却のねらうところであるというふうな議論さえ非常に強くなってきておりまして、イギリスにおきましても、大蔵大臣と商務大臣の両方の大臣諮問による委員会があって、イギリス会計がすべて取りかえ原価会計でいけというふうな答申が最近あったばかりでございます。そんなような自家償却論さえ出てきている時代でございますので、減価償却がコストのノミナルな回収をもって多過ぎるというふうな議論は、今日の会計理論から見たら決してこれは当てはまらないのじゃないかというように思うわけでございます。  以上、お答え申し上げました。
  22. 清水義汎

    清水参考人 第一点は、総合交通における貨物の位置づけでございますが、貨物無用論という感じのものが再建案の中に出されていることは承知しておりますが、実は、そこが非常に問題だと私は思っておりまして、いわば総合交通体系なり総合交通政策というものが一方においては早くコンクリートに固められなければならないと言いながら、他面においては、自動車の方へ非常に偏った政策財政の裏打ちと並行しながら徐々に進んでいるという点を指摘せざるを得ないわけであります。     〔委員長退席、小此木委員長代理着席〕  そこで、一体なぜこの国鉄無用論が出てきたかと申しますと、それは交通に対する産業資本のあり方そのものに問題があると思います。わが国の輸送の場合に外国と比べて特に顕著に出ておりますのは、交通機関が単なる輸送手段だけにとどまらないで、倉庫としての役割りを果たしているということであります。いわば、資本の回転率を早くするために、単位資本の依存度が非常に高い日本の産業資本の場合には、原材料ストックの貯蔵期間をできるだけ短くしていくという中でピストン輸送体系を求めていったわけですね。いわば、そういう産業資本の従属に最も適合した形がトラック輸送の激化という形に出てきたというふうに私は見ております。これはノーマルな形ではないということであります。  産業革命以来いつも交通が問題になりますのは、産業資本に従属した交通資本の関係であります。これが続く限りにおいては交通資本のひずみはいつまでたっても断ち切れない。いわば、自由社会の中においても、合理主義の限度の中で総合交通体系を考える場合には、産業資本と交通資本との関係を少なくとも対等な位置づけへ持っていかなければならないということであります。そういう意味で、そのひずみが最も出るのが貨物輸送だと思うのです。ところが、残念なことには、政府昭和五十一年以降の新経済五カ年計画を見ておりますと、これは総額百兆億という莫大なものでありますけれども、このうちの十九兆五千億、いわば五分の一が道路へ向けられているということであります。そして鉄道はこの道路の半分にも満たない。国鉄、公団、地下鉄を含めて八兆にしかとどまっていない。こういう形でいけば、貨物輸送を健全化しようと思っても、御案内のような自家用トラックを含めたトラック労働者の犠牲の上に立ったダンピング競争のひずみの中へますます追い込まれてまいりますから、これは断ち切ることができない。ですから、国鉄の貨物輸送をどうするかということは、運輸調整を基盤にした自由競争の原理から徐々に計画輸送の論理を導入をしていくという手法でなければ貨物輸送の問題はどうしても解決いたしませんし、国鉄が貨物輸送を放棄したとしても、貨物輸送体系の矛盾は今度はトラック部門において別な形でひずみが深刻化すると見なければならないと思います。  そういう意味で、この運輸調整なり総合交通体系というものを仮説の上で考えて国鉄の貨物はどうあるべきかということになりますと、やはり、中距離以上の貨物は国鉄へ全部転移さすという手法が必要になってくるのではないか、そしてその補完部門として路線トラックなり地域限定なり通運というものを配置する、こういう形がなければいけないというふうに私は考えております。いわば、このことは、倉庫の肩がわりとしての貨物輸送という性格を払拭することによって実現し得る条件はできるでありましょうし、それから、その場合には自由競争の原理に歯どめをかけていかない限りはでき得ない。ですから、国民経済的な使命、要地唄あり方という形からいく貨物輸送の必要性というものと、それから国鉄企業の中での原価計算の上から来る、現状の中での損得理論でいくところの貨物無用論というものは発想の土台が全く違ってまいりますから、久保先生のおっしゃるような国民経済的な健全な国鉄のあり方論という形でいけば、むしろ国鉄の貨物輸送に対する分担市場というものをはっきりしていかなければいかぬ。同時に、このことは、交通部門は免許事業でありますから、免許を持たせる以上は、公共的な使命を発揮させるという義務づけと同時に市場に対する一定の占有性を保障するという、ある意味での保護政策的な配慮が当然あるわけでありますから、これがなし崩しにされてまいりますと、運輸部門における免許事業としての性格というものも非常におかしくなるというふうに考えております。  第二点は、公共財と国鉄の性格でございますけれども、公共財というのはどういうものかといいますと、いわば、何ぴとの使用といえども、特定の力、特定のグループによっては阻止でき得ない、いわゆる財貨であります。その点が私有財というものとは全く異なる性格を持っている。従来は道路が公共財の最も典型的な形としてよく言われておりました。そこで、最近、交通における公共財理論というものが盛んに言われるようになっておりますのは、交通の公共性との兼ね合いの中で一つは出てきております。  交通といいましても、現実には広く分けますと民営と国鉄のような公営と両方ございますが、社会的要請度としては同じだと思いますけれども企業設立の当初の目的なり意図は全く違った意図が出ております。民営企業の場合には、当初の設立の意図そのものが企業利潤を上げるという意図で発足をしている。それから、今度は、行政上は企業性というものと交通における公共性というものとを企業性の中で発揮させるという点で免許をおろしている。こういう側面があると思います。ところが、公営交通なり国鉄の場合には、条例でも法律でも明示されておりますように、国民経済及び国民の生活、福祉に貢献するということが設置目的であります。そういう見地から考えますと、公営交通の場合は、今日的課題としても公共財としての位置づけを最も明確にする必要があるのではないかということ、これが私の考え方の基本的な根拠でございます。
  23. 中島勇次

    中島参考人 私に対する御質問は、運賃値上げ反対について、国鉄運賃値上げすると物価騰貴を刺激するという意味の反対と、それから、国鉄はいろいろな意味で公共的な費用を負担しているけれども、そういうものを含めての赤字を解消するための運賃値上げというものに対して抵抗がある、特に赤字ローカル線に対するそういう面からの経営考え方はどうか、と、こういう御質問だろうと思います。  国鉄運賃値上げすれば、それが何らかの形で物価に影響を及ぼすということは否定できないだろうと思いますが、ただ、この場合に、国鉄運賃値上げに反対だという反対の声の中には二種類あると私は思います。その一つは、いわゆる消費者大衆心理から来るところの、何でもかんでも値上げするのは反対だという個人的な心理から来るものと、それから、政府が経済政策の一環として、ここで国鉄運賃値上げすることは物価政策上好ましくないというような判断をするものがある。もちろん、物価政策は大衆の心理を踏まえたということもないわけではありません。  それで、まず、個人の消費者大衆心理を考えますと、これはちょっと砕けた話ですけれども、人間は本来乗り物に対する運賃については非常にけちなところがある。なぜかというと、それを払って乗っても後に何も残らない。電話も同じサービスですけれども、電話料金については、電話を引けばやはり便利だし、自分の物になる。電話を売れば金にもなる。そういうことで、財産的な所有感覚というものがほかの品物にはあるわけであります。これを一つの例で言いますと、無銭飲食をしたりデパートへ行って万引きをするということはよほどの変質者か悪人でなければすることじゃありませんけれども鉄道のお客の中には、ひょっとしたはずみで定期乗車券を持った人がきせる乗りをして、改札掛がいなければひょいと乗り越し料金を払わないでただで出るということを犯罪意識なしにやるということは、交通サービスに対するそういう感覚が非常に強いからであります。ですから、消費者大衆が運賃値上げというものに対して反対するのは、とにかく汽車に乗って金を払うのは何か損をしたような気がする心理が非常に強いからだろうと私は考えているわけであります。この声を無視するわけにはいきませんけれども、しかし、どの程度までそういう事実を承認させるかということは、やはり、いろいろなPRその他によって大衆を納得させるということを考えなければいけない。  むしろ、重要な問題は、政府が経済政策の上から見て、国鉄運賃は全国的なものであるし、政府が指導して決めるものであるから、これを上げることによって一般物価に対する影響が大きいと判断したときにはこれを抑制するという措置はやはりあってしかるべきであるし、また、どこの国でもそういうことが行われている。ただ、問題は、そういうようなことをする根本が、運賃値上げを抑え抑えして、一度に大幅に上げなければならないような状態になってからやるから、個人心理にしても政策上の問題にしましても非常にショックが大きいわけであります。私は、運賃値上げというものを小刻みにやっておけば、それほど大きなショックなしに経済界なり消費者大衆心理がそれを吸収してくれるだろうというふうな考え方で、これは運賃決定の仕方に問題があるというふうに考えます。  それから、もう一つは、政府政策的にやる場合には、これはやはり政策のためのものですから、それによる収入減は政府政策費として国鉄に財源を補給するという原則に立って考えなければこの問題は解決しない。諸外国でもみなそのようなことをやっている。フランスあたりでは、国鉄が決めて運輸大臣に届けて、二十日以内に返事がなければそのまま有効になる。運輸大臣は物価政策その他で問題があればそれを抑える。しかし、そのかわりそれに伴う減収を補償する。こういうような原則です。これは理の当然であって、日本の国鉄の場合にはただ抑えっ放しである。反対されれば、その反対の声を耳にしないわけにはいきませんから、そして抑えっ放しであるということの連続が、今日の運賃水準を一度に五〇%も上げなければならぬ、また来年も五〇%というように非常に大幅に上げなければならないような不合理を来す根本であろうと思います。  それから、もう一つ公共負担が多い。これは事実だろうと私は思います。先ほどお話が出ましたような赤字ローカル線の問題もそうだろうと思いいます。私は線別の運賃というものを積極的に考えているわけではありませんけれども、ただ一つ赤字ローカル線の経営に関連して、イギリスの鉄道ではセレクティブプライシングといいますか、選択運賃方式というものをとって、ローカル線に対して鉄道は各線区で沿線の利用者が納得する範囲内で運賃を決めて、それでどうしても経営が成り立たなければそれの廃止を政府に申請し、政府が公共的見地からそれはやはり置かなければいけないということになれば、政府がその補いをしてそれを維持させるということをやっていますが、私は、こういう考え方が日本のローカル線の経営についても必要ではないかと思う。そのままというわけにもいきませんでしょうけれども、そういう基礎的な認識がやはり必要ではないだろうと思います。  この前も国鉄委員会のときにもお話し申し上げましたように、コストというものは、旅客にしても貨物にしても、ローカル線のコストも、あるいは東海道本線やこういったようなところの大都会の場合でも利用者側から見れば変わりない。ただ、ローカル線の場合には非常に利用されない部分が多いから、つまり分子が小さくなるから分母が共通でも答えが非常に大きくなるという関係だろうと思います。したがいまして、一般に全国的に認容される運賃レベルでローカル線を経営して、そしてどうしてもそれが採算上成り立たない、国鉄にどうしても独立採算でやれというならば、もしこれが普通の商売であれば採算が成り立たないところは切って捨てるわけですが、しかし、その際に、公共的立場から国なり地方自治体がどうしても欲しいということになれば、そこでその不足額を補う。もっともこれはただ単純に算術計算的に原価計算して、それから収入を差っ引いて残りを全部出せというようなものではありません。イギリスの場合でも各線区の原価分析を非常に細かくやった上で納得のいくような補助をし、それから運賃を任せて経営をやる。こういう方式しか考えられないだろうと思います。  それから、第二番目の貨物輸送のあり方をどう考えるかという御質問ですが、まず、前提として、国鉄の現在の貨物輸送のあり方は根本的に洗い直して、考え直して、工夫をしてみる必要があると私は思う。現状のままでいいとは決して申せません。私もかつては現場で貨物を扱っていた経験がありますけれども、昔の貨物というものはもっと生き生きとして、非常に能率的に働いていた。今日はこういうように客観情勢が変わりまして、競争機関その他がありまして、そして荷足が遠くなったという非常に不幸なことがありますけれども、それならそれなりにやはり根本的に変えなければいかぬと思います。  それならばどういう方向に向かってそれを改善すべきかと申しますと、その際にまず基本的に、国鉄の貨物はシェアが減った減ったと言いますけれども、やはり年間一億数千万トンの貨物を運んでいるわけです。一日四十数万トンの貨物を現実に運んでおります。その中には鉄道でなければ運べないものが相当あるはずです。たとえば専用線を利用しているもの、両端を専用線を利用している貨物が多分三十数%あると思いますが、片側だけ専用線を利用しているものを加えますと六〇%以上をやはり鉄道に依存している貨物があるはずであります。そこで、もし許されることならば専用線制度をもう少し有効に活用することによってこの鉄道を利用する範囲を広める。イギリスの鉄道などは約八〇%ぐらいは専用線貨物ですけれども、ただ、その中には七十何%かの石炭と鉄鉱があり、ほとんど完全に専用線でなければ運べないものがありますので、そういう意味で言いますと、やはりイギリス鉄道と日本鉄道とを比べることは非常に無理がある。日本の場合には専用線荷口が少ないし、石炭が御承知のとおりに非常に衰退しておりまして雑貨が多いのでそういうことにいかないと思いますけれども、そういうことで、貨物の骨格となるもの、また、鉄道がなくなってしまったならば産業の成り立たなくなるようなものも当然あろうかと思います。そういう意味で、貨物輸送の適正な分野をもっと積極的に開拓する。そしてこれは品物別に地域別にそれぞれ特色がありますので、一律に公式論で貨物輸送はこうすべきだというような結論は出しにくい問題であろうと思います。  ただ、一つ、ここで非常に厄介な問題は小口貨物の問題で、トラックと非常に競合する部分があるわけです。これは長年のむずかしい問題ですけれども、流通過程の合理化の一環として、通運業と鉄道輸送との合理的な組み合わせといいますか、競争関係ではなしに、むしろ双方ともに利益を得るような連携のあり方というものはないだろうかということです。いままでの体制でいきますと鉄道貨物とそれの下請の通運業というようなかっこうになっておりますけれども、それではなしに、鉄道の輸送とそれから通運業、トラックを連携した一つのあり方というものはもう少しこの業界が話し合っていけば新しい方向が見出せるのじゃないかというふうなことを漠然と考えております。  以上であります。
  24. 村木啓介

    村木参考人 紛飾決算と民主化の問題についてお答え申し上げます。  減価償却費は固定資産に投資した資本を流動資産として回収する会計上の手続処理でございますから、これは当然そういう処理が必要だという意味で、減価償却費を計上することには無論異論はないわけでございますが、しかしながら、その手続処理方法について、これが利益操作の有力な手段になっているし、自己金融の性格をこれが持っているというところに問題があるわけです。  粉飾決算の中には、この減価償却費と修繕費と、それから建設仮勘定の利子処理方法などに大きな問題がありますが、まず減価償却のことから申し上げますが、減価処理を正しくしますのは、取得価格から減耗額をできるだけ納得できるような状態で控除して、帳簿価格と実体価格ができる限り一致するようにすることが望ましいと思うのでございます。ただ、ここにインフレーションが非常に急速に進んでおりますから、そうは言っても実務的に非常に困難な問題があるということも念頭に置かなければなりませんが、私が減価償却費に粉飾があるということを申し上げますのは、償却方法とそれから耐用年数を中心にして言うわけでありまして、もう一つは、現在非常に速いテンポで設備が更新されておりますことと、それから巨額の新規投資が行われているということで、いまやられている定率法で償却をしたり、それから実用に沿わない非常に短い耐用年数を用いると巨額の減価償却費を計上することになって、それが帳簿価格と非常に大きく開いてくるというところを問題にするわけでございます。  国鉄の帳簿価格と実態とがいかに開いているかということの一つ例としまして、かつて、四十二年の一月号の「運輸と経済」という雑誌に、「深刻な国鉄の事情」という題で当時の石田礼助総裁がこういうことを言っておられます。「二十数兆円にのぼると思われる国鉄の総資産」という言葉を使っていらっしゃるのですが、ところが四十一年三月末の国鉄の固定資産の帳簿価額というのは二兆一千九百四十二億円でございますから、この帳簿価額と実態とがいかに開いているかということの一つの例になるだろうと思うのです。石田総裁は当てずっぽうで二十数兆円というふうにおっしゃったのだとは私には考えられないのです。これは責任のある担当者の方の資料に基づいてそういうふうにおっしゃったのだろうと思われますし、現にまたそういうことが証明できるわけです。  たとえば具体的に申し上げますと、立川機関区というのがこの近くにあるのですが、これは南武線と青梅線を使って主として石灰石を臨海工業地帯に運んでいるのですけれども、先刻ここへ参りましてみますと、ED16型の機関車が十六両配備されておりますが、何とこれはネームプレートを見ますと、製造年月日が昭和五年と昭和六年なんですよね。そうすると、いまから四十五年も前の電気機関車が現役でまだ動いているのですよ。しかもそれがED16という形で、一号機から十八号機までちゃんと動いているのです。いかに短いかというのは、電関車の耐用年数が十八年になっているわけですね。帳簿を見ましたら備忘価額が一円になっているわけです。帳簿価額は一円になっているはずでございますよね。たとえば鉄橋は四十年で償却するのでありますが、四十年以上前につくった鉄橋がどのくらいあるとお考えになりますか。  このようなことを申し上げると切りがないわけですが、国鉄の帳簿価額と実態とがいかに一致しないかということでございますね。だから、三兆一千億円の赤字であるとか六兆何がしの借入金と言いましても、実はもとになる国鉄の総資産というものが実態とはかけ離れた数字になっているということも前提に置いてこれを考えないと話にならないわけですね。そこに誇大にそれが見えるということです。  それで、三十六年から減価償却のやり方を変えられたわけでございますけれども、三十六年から変えられた決算と、それから三十五年までの決算のやり方で担当者の方に計算をしていただいた数字がここにございますが、三十六年から四十六年までの従来の決算でありますと八千六百四億円の減価償却費でよろしいのでありますが、現在はこれが一兆四千百六十六億円減価償却費が計上されておりますから、五千五百六十二億円従来のやり方よりも過大に減価償却が計上されているわけでございますね。これを四十七年から五十年度までに引き直してみますと、同じような計算のやり方をとってみますと、八千五百十六億円減価償却費がふくらんでいるわけでございます。三十五年までの減価償却にいたしましても、償却方法が実態と必ずしも一致するような状態かどうかということについては大変疑問が起こってまいりますし、これは私の非常に大ざっぱな計算でございますけれども計算してみますと、恐らく、減価償却が一兆二、三千億ぐらい過大に計上されているために累積赤字がそれだけふえる結果になっているということが御理解いただけるだろうというふうに思うわけでございます。これはまず減価償却のごくあらましのことでございます。  それから、次に、修繕費の問題でございますが、修繕費というのは、修繕工事を行うことによってその資産の価値が変化しない、あるいは耐用年数が延びることがないというような程度のものを修繕費として税法は認めているわけでございますが、国鉄の規定を見ますと、この修繕費が、非常に大きい修繕工事と称せられて改良費に属するようなものまでが修繕費になっているという点でございます。たとえばいま国鉄には十四万二、三千両の貨車がございますが、貨車もいろいろございますので一概には言えませんが、平均して一両七、八百万円くらいのたしか取得価格だと思うのです。ところが、この貨車に行う修繕工事というのは、百十万円までの工事を行っても修繕費として決算するということになっているわけです。貨車の耐用年数は二十年でございます。そうすると、昭和三十年までにつくった貨車というのは耐用年数をすでに過ぎているわけでございます。これはもう恐らくかなり大きな含み資産を形成しているに違いない。含み資産はこういうふうに固定資産ばかりじゃなしに、土地にいたしましてもたくさんのことがございます。  まだ細かく言えばいろいろとございますが、もう一つは、建設仮勘定の利子については四十六年度から制度が変わりましたけれども、それ以前は損益勘定で決算してございます。こういうようなことをずっと見てまいりますと、正確なことは私も材料がございませんので言えませんけれども、三兆一千億と言われている累積赤字も、二兆円というところまでは行かないにしても、恐らくかなりな額がこれは粉飾決算による赤字だというふうに考えてよろしいのではないかと想像しているわけでございます。  それから、次の民主化の問題でございます。大変内容の豊富な問題でございますが、時間がございませんのでごく簡潔に申し上げますが、民主的な運営いうことについて国民の意見をよく聞いて、あるいは国鉄の職場で働いている国鉄労働者の意見もよく聞いて、これを経営方針の中に取り入れていただくことが民主化、つまり民主的な運営だというふうに、ごく平たく言えば私はそう考えておるわけです。  そういたしますと、意見をよく取り入れてということになりますと、この意思決定機関に国民の意見国鉄労働者の意見を反映するような組織にするにはどうするかということが具体的な方法として問題になってくるわけです。その場合に、現在の状態のもとでは国会が最も民主的な機能を果たしているところだというふうに私は考えますので、国鉄の意思決定機関を国会の承認を得て決めるということが基本になるだろうと思うのです。民主的な機関を決める方法はいろいろなやり方がございますが、今日では国会が最も民主的に運営される可能性を持っているところだと私は理解しておりますから、そういう意味で、国鉄理事会だとか、国鉄監査委員会だとか、各種の審議会などを国会の承認を得て決めていただくようなことをしていただければ具体的に問題が進んでいくだろう、と、かように考えております。  以上で終わります。
  25. 久保三郎

    ○久保(三)委員 ありがとうございました。  時間が過ぎましたから、いずれまたの機会にしましよう。
  26. 小此木彦三郎

    ○小此木委員長代理 次に、梅田勝君。
  27. 梅田勝

    ○梅田委員 本日は、国鉄二法改正案につきまして参考人の方々の貴重な御意見を拝聴いたしましてありがとうございます。若干御質問をしたいと思います。  まず、現行の再建計画が破綻した問題につきまして各参考人にお伺いをいたします。  四人の参考人の方々は、二法改正案につきましては賛成あるいは反対の立場の相違はございましたが、再建計画につきまして、これが破綻し、今日失敗をしておるという点につきましては御意見が共通されておったように思うわけであります。その破綻の理由につきましては、従来の交通政策のあり方とか、あるいは大企業本意の経済の高度成長政策から生まれましたインフレとかいろいろ言われておりますが、いずれにいたしましても、現在までの政局担当者の失政に原因していることは間違いなかろうと思います。また、十カ年という長期の計画のために破綻した、いろいろ見通しを誤って計算が狂ったというような御意見もあるわけでありますけれども、根本的なところで考えてみますと、破綻したのは決して計画が長期であったために破綻したと言い切れるものではないのではないかと思います。それは十カ年計画が初年度において狂ってきて、そして数年にして破綻する。今次の計画もそうでありますし、過去にいろいろ修正されてきました計画がそのような経過をたどっておるということを考えますと、計画が長期であるかあるいは短期であるかということにかかわりなく起こっておるように思うわけでございます。  ところで、新しい計画は、御承知のように、二年連続の運賃値上げによって一挙に収入をふやそう、いわゆる短期決戦に基づく健全経営の軌道に乗せようというものでありますが、これが果たしてできるのかどうか。長期だから失敗、短期なら成功という単純なものではなかろうと思うわけでございます。いままでの計画がどうして破綻したのかという原因と、そしてそこから新しい計画が破綻しないのかどうかという、新計画の破綻の危険性というものについて四人の参考人の方々の御意見を承りたいのであります。  第二にお伺いしたい点は、国の出資と過去債務処理の問題でございます。  いままでも言われましたように、今日の大きな債務というものは急速な高度成長から発生をしたものと思いますし、その他いろいろ原因もありましょうが、先ほど清水先生もおっしゃいましたように借金の利払いが非常に大きい。今日では四千百六十九億円、実に一日当たり十一億四千万円の利息を払うに至っているわけであります。この天十年度の利息高は、新年度、五十一年度の工事費七千九百億円の半分以上にも達しておるという点を考えますと、これは財政的に見ましてどうしても不可解な点でございます。  こういうようになった経緯につきましてはよく御存じかと思いますけれども再建計画が長期の中で多額の十兆五千億の投資をやる、しかも大規模な借金をやるということで進められておったところにやはり大きな問題があるのではなかろうかと思います。過去債務がいろいろその他投資以外の原因にもよっているところがありますが、しかし、この過大な借金に頼って投資を続けるというやり方が大きな原因であろうことはどなたさんも御異存のないところだと思うわけであります。国有鉄道でありますからやはり国民の共通の財産になるのでありますので、当然国からの出資というものによって計画を立てるということが基本ではないか、そういう基本に立たなかった現在の過去債務というものは、処理に当たっては当然国の責任において処理されるべきだ、かように思いますが、計画ではたな上げにいたしまして、財政再建貸付金という形で長期にわたって処理がなされようとしておりますけれども、いかに利息をつけないという金でありましても、これは貸付金でありますから将来返さなければならない性質の借金でございます。これではやはり国鉄を真に再建していくということにはならないのではないか、そういう形ではなくて、国庫からの補助という形でやるべきではないかという点をもう一度各参考人の方々から御意見を承りたいのであります。  また、この件に関しまして、今回の財政措置におきましては累積赤字の一部を財政再建貸付金という形で出すわけでありますけれども、現行の再建計画、現行法によりましても、国鉄には工事費の援助を十カ年にわたって行うことになっております。現在インフレでございますから工事費というものはだんだん大きくなる傾向があるわけでありまして、現行法に基づく従来方式と比較をいたしましてもかなり思い切った財政措置だと政府は言っておりますが、これは決してそう大きいものではない。将来を見通した場合、従来方式の方が国の補助としては大きくなっていくのではなかろうかというような感じがするのでございますけれども、この点に関しまして清水参考人はどのようにお考えになっておるか。ことしの借金も一兆三千五百八十四億円でありまして、ますます利払いがふえていくことになるわけでありますが、かかる設備投資につきまして各参考人のお考えを承りたいと思います。  第三点は、村木参考人に御質問申し上げますが、運賃値上げと物価、国民生活への影響でございます。名目五〇・四%の値上げが物価にはかり知れない影響を与えるということは先生もよく指摘されたところでございますが、貨物の場合中小企業あるいは農漁民にとりまして深刻な影響を与える。しかも、来年はもう一度五割の値上げということになりますと、先生の御指摘のように予測もつかない状態になるのではないか、そういう点で運賃問題というものを企業の枠内で見るのか、あるいは物価問題として見るのかという提起がなされましたが、一つは、物価問題として見た場合どういう基本的処理が必要なのか。もう一つは、企業努力で見た場合に、貨物運賃制度の改善についてしからばどのような改善が必要とお考えかという点につきまして御意見を承りたいと思います。  また、中島参考人につきましては、物流その他貨物問題につきましては高い見識を持っておられますので、貨物の運賃制度の改善につきまして一言意見を承りたいと思います。  最後に、公共輸送機関の負担区分の問題について清水参考人にお伺いいたしますが、先生は、公共負担の区分を明確化するということが重要であり、今日その基準を明らかにすることが必要だと言われました。まさに、国民のための国鉄をつくるためにも先生の御指摘は非常に重要であろうと私は思っております。その点で、一つは、基礎建設部分は当然国の出資によるべきだと私どもは思いますが、どうでございましょうか。  第二に、今回の貨物の値上げによりまして生鮮食料品を輸送する農漁民の方々に非常に大きな影響を与えると言われております。政策割引は、いろいろ事の発端を調べてみますと、大正年間の米騒動の際に国民生活に重大な影響を与える部分は抑えるべきだということで始められたというように伺っておりますが、今日の不況とインフレのもとにおきまして、国民生活の安定を図る点では生鮮食料品についての政策割引はぜひ行うべきだと思いますが、どのようにお考えでしょうか。  第三は、先日も本会議で私が厚生大臣に質問をいたしたのでありますけれども、こういう国鉄財政困難で国民にも御協力を願わなければならぬというときには、もう少し政府国鉄当局というものは姿勢を正す必要がある。内部疾患の身体障害者に対して一億円ほどの費用で運賃割引ができるにもかかわらず、これをやらない。片や国鉄当局は二億三千万円の新聞広告をやるとか、一億円の印紙を張ってスト権の問題について損害訴訟をやるとか、こういう全く非常識なことをやっておるわけでありますけれども、これまた公共負担の区分の明確化におきまして、運賃割引を内部疾患身体障害者に対しても当然国の負担で行うべきだというように考えますが、そういう点につきましても御意見を承りたいのでございます。
  28. 新井清光

    新井参考人 問題が非常に大きな角度からの御質問ですので、私たち、ミクロ会計といいますか、私経済学的な勉強をしている者にとってはお答えしにくい問題ばかりでございますが、第一点の、従来の国鉄再建計画が破綻をした原因としていろいろの原因が挙げられておるが、それについて、その原因を除去して再び再建を図っていくという今回の措置は今後そのとおり実現するのかどうかという将来の見通しの問題ですけれども、これは私としまして、会計見地からその見通しはとれるでしょうとも、あるいは確かにとれますとも、あるいはとれない可能性もありますともとても言い得ませんので、経理的に見れば今回の再建措置によって行われる経理、それが順当にいくならば国鉄側の推定のように健全な経営状態財政状態になり得るだろうというふうに私は思うというお答えしかできないので、御勘弁願いたいと思います。  第二点の、過去債務につきまして、これは政府国鉄が多額の投資をして、そのために大量の借金が発生して累積債務が出てきて、これが国鉄赤字欠損の大きな原因になった、もともとそういう債務は国がそういう投資をしたためであるから、国がそれについて手当てをすべきである、しかもその手当ての仕方は、債務のたな上げとかあるいは利子免除ということではなくて、出資といったような形で、返還義務のない形で援助すべきではないか、こういうふうなことでございますが、たな上げをしておいて利子負担のないようにその返還資金を供与するという形ですので、経理的には少なくとも債務が肩がわりされて特別勘定に行ったままであり、一般勘定の方は利子負担という大きな負担がなくなりますので、一般勘定における経営成績はその過去の膨大な債務に係る負担をこうむらないで済む、その限りにおいて経営成績がこの措置が通るならばフレッシュスタートができる、こういうことで評価できるのではないかというふうに思うわけです。  なお、それについて、そういう債務のたな上げだけではなくて出資という形でいったらどうかというふうなことでございますが、国の財政といったような面の限度、そういう面もありましょうしするものですから、出資という形があればそれも一つの大きなプラスの解決策であろうと思います。しかし、国がどの程度それにこたえ得る財政的な余裕があるかどうか、一にかかってその面になってくるのではないかというふうに思います。  それから、非常に多くの設備投資があって、今後もそういう設備投資に対して負担の問題というようなことがございますが、これは先ほども申し上げましたように、公共性の高い社会的なコストというような、国鉄公共性なるがゆえに行うべき設備投資は当然国が行うべきである。もちろん公共的でないという面は厳密な意味ではないかもしれませんが、特に国が本来やるべきことを国鉄の方で行うというふうな非常に公共性の高いものにつきましては、当然国からの補助あるいは国からの資金的なカバーが必要であるというふうに存じます。  以上でお答えといたします。
  29. 清水義汎

    清水参考人 再建計画の見通しでございますけれども、ここでやはり一番問題になりますのは、従来から言われている内的要因と外的要因のうちの内的要因の除去ということだけにしぼられておりまして、依然として外的要因の除去が行われない。しかも、外的要因というものが、交通のひずみを深くし経営危機を深刻化させている非常な原因だということはすでに大方の一致した議論でございます。そういうことを前提にして立てば、外的要因が除去されない限り再建は不可能だということが言えると思います。  それから、第二は、予定どおり運賃値上げされた場合に二つのことが考えられると思います。物価も上がらない、所得水準もそう大幅なベースアップも望まれないということになれば、交通需要は相当大幅にダウンするでありましょう。そういう形で予想どおり収入が得られないという形が出ましょう。しかし、これは全く公式的な一つの仮説でありますが、より現実的な仮設は、これによってインフレが再び悪化、促進される危険性を憂慮いたします。今年度五〇%、来年度五〇%ということになれば、少なくとも現行物価の五割近くの上昇というものが来年の秋ごろまでには見られる。そうなってまいりますと、収入はある程度予想どおり得られたとしても、諸経費の値上がりによって経営内部における悪循環は相変わらず断ちがたいものになるだろう。そういう意味で非常に外的要因に手をつける。その外的要因というのは、交通環境の整備、政策上の見地、経済政策上、物価政策上あるいは金融政策上の見地というものを総合的に含めた形で安定した条件でない限りきわめて危険な条件の方が多い。従来と同じような危険性を持っているというふうに私は見ざるを得ないわけであります。  それから、第二の、国の出資の問題でございますけれども、御承知のように国鉄の今日の財政危機を呼び起こしました一番大きな原因一つは、これはまあ三本柱と言われておりますが、その一つは投資不足にあったわけであります。投資といいますか、国鉄に対する出資額が不足であった。これは日本の国鉄の成立以来の非常な特徴だと思いますけれども昭和二十四年に国有鉄道事業特別会計から四十九億一千六百八十二万、それから二十五年に、これも妙な話でありますけれども、アメリカの対日援助見返資金特別会計から四十億、合わせて八十九億一千六百八十二万の資本金としてスタートいたしまして、実にこれが昭和四十六年まで放置されておったということであります。しかも、昭和四十五年には、当時すでに長期債務の残高が二兆六千三十七億、四十五年の繰越利益損失が五千六百五十四億という状況になっておったわけであります。それにもかかわらずいま申し上げたような形で出資が行われていない。これは日鉄法には政府が必要に応じて国鉄に出資をしなければならないというふうに法律で義務づけられているわけでありますけれども、どういう意味かわかりませんけれども、公式的な解釈でまいりますと出資を適当と思わなかったという判断をせざるを得ないわけであります。その結果が今日のような形で雪だるま式にふくらんでいった。そういうことを考えますと、この際、国の財政力の問題もございましょうが、単年度ですべて累積赤字をたな上げするということが困難であっても、将来の方向ではでき得れば全額これをたな上げしていき、そして一定の期間、それがたな上げまでの間は利子補給のような形で財政上の処置でめんどうを見ていき、それから、借入金の一部で、基礎構築部分に対する建設充当金としての借入部分については政府の肩がわり出資へ切りかえていく、こういう形で荷を軽くしていかないと、これだけのものは現在の状況の中では二年、三年の中では簡単に解決がつくというふうにはとても思われないわけであります。  それから、三番目に公共負担の問題でございますけれども公共負担というふうに考える場合にいろいろな使い分けがございますが、御質問の趣旨には二つ意味があったかと思います。  一つは、国鉄の資産そのものを公共財としてどの部分まで見るのか、いわゆる基礎構築物として考えたいけれども、それに対してどう思うかという御設問だと思いますが、これにつきましては先ほど私が意見を申し上げましたように、私も全く同意見でございます。当面基礎構築物をもって公共財として考え、建設については全額国の費用で賄っていく。これは企業財から切り離して考えるという考え方であります。  それから、もう一つは、いわゆる国鉄公共負担というものに対する考え方でありますが、たとえば大ざっぱに分けまして、学割については、文教政策上の見地から文部省予算でその原価との差額は持てばいいではないかということと、あるいは福祉部門について若干その必要があれば、それは厚生省の予算で分担をすべきではないかということと、あるいは政策割引の中でも二通りあると思います。一つはいま申し上げたような社会政策上の割引と、もう一つは物価政策上の割引であります。この物価政策上の割引につきましては、特に日常生活必要物資はどこからどこまで入れるかということになりますといろいろございましょうけれども、生鮮食料品を初めとして、米も含めて日常生活必要物資についての一般の市場価格はある程度国の管理価格的な性格も持っております。そういう面を含めて、その差額は経済政策上の割引として国が負担をすべきではないかと思います。  それから、もう一つは行政路線なり先行投資路線と言われるものでありますが、この行政路線の場合でありましても、これは従来の——私の申し上げるのは政治路線という意味ではございません。社会的必要路線であります。これは御承知のように公営交通の問題として、現在自治省で行政路線の基準設定の問題が三、四年前から議論をされておりますけれども、いまだに基準設定ができないということで日の目を見ておりませんけれども、そういうものについては当然運輸政策上の配慮からめんどうを見ていかなければならぬであろうと思います。  それから、もう一つは先行投資路線でありますけれども、これはすべて国で見るというわけにいかない場合があるかと思います。場合によりましてはそれによって最も受益するところの企業負担の形を考えるべきではないのかと思います。そういう意味では、先ほど私は貨物の問題で落としたわけでありますけれども、東海道の輸送力増強の問題にいたしましても、京浜葉工業地帯、中京工業地帯、京阪神工業地帯の輸送力の増強のために東海道在来線を貨物として線をあけていく、そして旅客を中心として新幹線へ転移させていくという形になったわけでありますけれども、御承知のように東海道線の営業係数はきわめて落ち込んでいる。このことは、非常に都合のいいときには産業は国鉄の輸送力の増強を求めますけれども、他の交通手段が見つかれば簡単に転移をしてしまう。場合によってはプライベートキャリアに移る。場合によってはインダストリアルキャリアに移っていく。こういうことでは多額の国の税金を使ったものに対してきわめて非効率な形になる。  この場合に一定の考え方をこの際私は検討していただきたいと思いますのは責任使用制の問題であります。すでに御承知のように、一般庶民はガス料金等につきましては口径別によって責任使用制の論理が導入された料金制度になっております。いわゆる国民経済上の見地から産業総資本のコンセンサスというものを土台にしてこの輸送計画なり輸送施設をした場合には、それを使うことを義務づけるべきである。使わないにしても責任使用制というもので一定基準の料金を産業から吸い上げる。こういうような手法を導入いたしませんと空投資に終わる危険もあるという点も含めて、補強的に言わせていただきたいと思います。
  30. 中島勇次

    中島参考人 御質問の第一点は、今回の長期計画が成功するか破綻するか、その見通しを言えという御質問のように伺っておりますが、この問題は理論の問題ではなしに一つの勘の問題ですから、大変失礼ですがドライな返事をさせていただきたいと思いますが、ただいま問題になっております運賃値上げが六月一日から実施されれば、少なくとも今年度は単年度の計算ですから計画どおりになるという見通しはあるだろうと思います。単年度の計算ですから、ここで狂いが来るということは多少のことはあっても、そう大きな狂いはない。勝負は来年の問題だと思うのです。  その際に、一番大きな問題は運賃値上げがどの程度に実施できるかですが、計算どおりに数字を立てて、それを強硬に実施すれば二年度まででそういうふうになると思います。ただし、その際に、いやまた来年度五〇%は大変だ、それではやはり物価政策上抑えなければいけないということで、その抑えた分を政府政策費として国鉄にめんどうを見れば、その形では一応採算の面は穴が埋まります。そこで私が先ほど申しましたように、しかし単純な形は好ましくないので、できるだけ運賃に弾力性を持たせて、そして抵抗の少ないような形で有効な運賃値上げをする。それからなお、これは多少議論の分かれるところだと思いますけれども赤字ローカル線の補助などについてできればもう少しきめの細かい検討をして、その面から財政負担を来年度の計画の中で軽くするようなことにして運賃とのバランスをとったらどうか。そういうことをしていけば、必ずしもこれが初めからいやもうとてもじゃないがだめだと言い切れる問題ではないと私は思います。  それから、第二点は、例の赤字負債のたな上げの問題ですけれども、これは先ほど新井参考人からの御説明がありましたように、国鉄にとってはどのような形をとっても実質的には同じである。ただ、私が二、三遍読んでもちょっとぴんとこないようなやり方をしているのは、恐らく政府財政処理上の問題だというふうに理解しておりますので、これについては借入金であろうが出資であろうがいまのところでは実質的には再建計画に致命的な影響を及ぼす問題ではないというふうに理解しております。  それから、三番目は、私に名指しでお尋ねがありました貨物運賃のあり方の問題ですが、これは私も非常にむずかしい問題だと思うのです。ただ、非常に単純に、貨物は国鉄赤字の大きな根源だから貨物を原価をカバーするように原価主義で上げろという議論は、交通あるいは運輸の実態を余りに単純に割り切り過ぎている議論だと私は思いますので、これはとてもそういうことではいけないと思うのです。  ただ、言えますことは、貨物運賃旅客運賃と違いましてある種の市場性を持った運賃だと思うのです。したがいまして、これから貨物運賃をどういうふうに考えるかという際に、まず条件としてもっと弾力性を持った運用の仕方をすべきである。たとえばトラック運賃なんかを認可料金でやっておりますけれども国鉄運賃と同じような感覚で、認可料金そのもので貨物営業、トラック営業をやっている業者は、よほど変わり者でない限りは恐らく日本中にいないと思います。たとえば北海道−東京間を運ぶにしましても、その荷物の流れによって、荷の少ないところの運賃は割り高で、多くなればやはり割り引きずる。ところが、国鉄の場合にはそういうようなことが全然許されない。どんなすいたところでも込んだところでも一律であるわけです。つまり、非常に硬直性の強い運賃です。これは国鉄にとってマイナスであるばかりでなく、荷主にとっても非常に迷惑である。     〔小此木委員長代理退席、委員長着席〕  大量貨物について安い運賃でやると独占資本主義だというような声もよく聞きますけれども、大量の貨物を扱えばそれだけ荷足も固まりますし、コストも安く済む。何らかのそういう弾力性を持った荷主への対応の仕方というものを取り入れる必要がある。諸外国の例を見ましても、貨物運賃については、西独あたりでも二〇%内外は鉄道がその場の状況に応じてやってよろしいということになっているし、あるいはイギリスに至っては全く自由運賃制である。しかし、それはあながち国鉄が自由勝手に運賃を取れということではなしに、荷主に奉仕する面からいきましてもそういうことを根本的に考える必要がある。  それ以上細かいことにつきましては、私はまだ十分なお答えをするだけの用意がございませんので……。
  31. 中川一郎

    中川委員長 時間が非常におくれておりますので、簡潔にお願いいたします。
  32. 村木啓介

    村木参考人 では、簡単に申し上げます。  計画の問題でございますが、わが国経済が御承知のような状態ですから、経営計画は単年度さえ立てられないのではないか、ましてや長期計画などというものが策定できるような状態にはない、ずいぶんひどい言い方かもしれませんが、私はそういうふうにまず現在を理解しております。  それから、いままでの計画の破綻の原因につきましては、計画には予測が必要ですが、予測が実現するような、計画を実現するような熱意が政策に足らなかったのではないか。これは政府の責任ですけれども、そのことがまず一つと、それからもう一つは、物価の高騰に対して政府が適切な手を打たなかったばかりか、インフレ政策さえとった。この二つ計画が破綻した非常に大きな原因だというふうに思います。  もともと、国鉄は経済合理性を十分に踏まえてすべての事業計画が進められたとは言えませんで、政略的なこともありましたし、たとえばローカル線の建設の問題だとか、国鉄線のうちの約三分の一は私鉄の買収線でありますが、そういうようなことの中にも非常に政略的な経済外の条件が歴史的にもともとある。それからまた、国家的政策として採算を離れて運営をされなければならないことも必要だったし、それに加えて借入金政策、つまり国有鉄道でありながら国の出資がほとんどなく、総資本に比べますと皆無だと言っていいと思いますね。借入金で設備を拡張してきた矛盾が最近急速に表面化してきたというようなことが中心に座って、そのほかにもまだたくさん計画が破綻した理由が考えられると思います。  それから、運賃についてごく簡単に申し上げますが、欠損の大部分は貨物の分野から発生しておるわけですから、貨物運賃をどうするかという問題と、それから貨物輸送量をどのようにして輸送力に見合うように獲得していくかということがあると思うのです。貨物運賃については制度の問題と水準の問題がありますが、水準の問題はさておきまして、制度の問題については、ここで簡単にこういうふうにすればいいということを単純化して言うのは危険だと思うのです。ある分野については上げる必要があるだろうし、ある分野については据え置くことが必要だろうし、あるいはもう少し割引をするようなことも必要ですし、これは貨物運賃制度をいじることによって日本経済に及ぼすさまざまな影響を考えて、民主的に運賃制度を再編成することが必要だと思うのです。  貨物輸送量をどうしてふやすかという問題については、貨物がなぜこのように減ったかという問題なんですが、一つは一次産品が非常に減った。これはエネルギーとしての石炭の問題だとか木材などのことが中心になって、そのことが大きな問題になりますが、それからもう一つは、道路網の整備が進んでトラック輸送が飛躍的に増大したことによる荷主の選好の問題が一つはあるわけですが、それからコンビナートなどの臨海部でもって大規模工業地帯が整備されるために内航海運が活用されるような事態になってきた。この三つの問題については、これは自由主義経済のもとでどういうふうにするといいましてもなかなか困難な問題がたくさんあると思うのです。たとえば総合交通体系などというようなことを誘導政策として行うとかなんとか言っていますけれども、およそこの総合交通体系などというものが実効性のあるようなことにいままでなっていないわけですし、すぐに期待することができない。  まだ問題がありますが、ここで人為的にできる問題は、荷主さんがストライキの多発でもって国鉄貨物輸送に信頼を失っているという点がかなり大きいですね。国鉄はストライキばかりやって当てにならぬ、どのようにしてストライキをなくすかという、ストライキを抑えるのではなしに、どのようにしてストライキをしないで労働者が済むようにするかというストライキ権の問題が国鉄の民主的経営の問題にあるわけでございます。そんなようなことを、時間がないようでございますから申し上げておきます。
  33. 梅田勝

    ○梅田委員 どうも貴重な御意見をありがとうございました。  以上で質問を終わります。
  34. 中川一郎

  35. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大分時間も経過いたしましたので、各参考人から簡単にお伺いをいたしたいと思います。  まず、中島参考人村木参考人にお伺いをするわけでございますが、公共料金の問題が出てきますと、受益者負担原則だということがいつも総理大臣や各大臣の答弁の骨子になっているわけです。ところが、受益者負担がどうあるべきかという内容の定義というものはいままで政府から見解を示されたことがないわけなんですね。今回の国鉄運賃値上げにつきましても、たとえば大別をいたしまして貨物と旅客というものが問題になっているわけでございますけれども、貨物と旅客を利用する側というのは非常に大きな食い違いがあります。その数からいきましても、利用率から考えましても格段の差があるわけですね。特に貨物等の場合は、大量長距離輸送ですか、そういうようなものがかなり使われておりますし、小荷物なんかありましても、これは旅客利用と比べますとはるかに小さな利用率ということになってくるわけでございますが、そういう点をどう考えていくのか、一体受益者というのはだれを指すのか、負担の公平という意味から言ってどういう区別をつけていったらいいのか、そこら辺のところは全然明らかにされていないわけでございます。  また、もう一点、別な角度からいけば、受益者負担というのは言葉の上からいけば直接的な受益者というようなことで簡単に受け取られているわけでございますけれども、たとえば新線開発ということになりますと間接的な受益者というものも当然出てくるわけでございまして、こういうものをどういう形で吸い上げていくか等の問題があろうかと思いますが、中島参考人村木参考人のお二人から、これらの問題についてどうお考えになるかお伺いをしたいと思います。
  36. 中島勇次

    中島参考人 受益者負担考え方についてという問題ですが、受益者負担原則とよく言われますが、これは一つの抽象的な原則といいますか、考え方を示す言葉だと思います。たとえば経済原則とは何かと言っても非常に漠然としておりますが、これは料金を考えるときにどういうところに重点を置いてその料金を考えるかということで、受益者負担というものがもう一段皮をむいてこういう形で受益者というものの範囲を決めて、負担額はこういうものである、負担する範囲はこういうものであるということを考える段階と二段階に分けて考える。受益者負担というのは国の負担か、公共負担か、あるいはそれに何らかの形で利用させたり役に立たせるかということの大分けだ、こういうふうに御理解いただいたらと私は考えております。  問題は、受益者というものはやはり直接受益者か間接受益者かということですが、これはケース・バイ・ケースによって決めるべき問題である。しかし、それを、そういう方法論と観念的な原則論とを混同して、両方が受益者負担でこうやれということでいかにも解決がつくような扱い方をしている。ここに公共料金問題についての非常な混乱があると私は思うのです。たとえば新線を建設するとそこに駅ができて、駅前に旅館なり駅前ラーメン屋ができる。これも駅なかりせば商売が成り立たないのですから、これはやはり受益者ということになりますが、そういうことを言いますと一番問題が多いのは、鉄道を敷いて駅をつくったことによって地価が変動する、これはやはり地主が影響を受けるのじゃないかというようなこと、こういうことを言い出したらこれは切りがないわけです。  そこで、公共料金というものはやはり全体的なコスト主義である、したがってそのコストは原則としてその利用者が分担するものだという、こういう原則一つの公共料金の土台になっており、それを受益者負担原則というふうに理解しておけばいいのですけれども、この言葉をだんだん重宝に使って、鉄道を敷く費用の一部を地主に持たせようとか、あるいは地域の商売人に持たせようとか、こういうような論理へ発展するために利用者負担が今度は受益者負担に拡大された。これは言葉の乱用からかえって問題の概念を混乱させている。私はこういうふうに理解しております。  それから、ただいま鉄道の中には旅客も貨物も手荷物もいろいろあるじゃないか、その際に鉄道にかかったコストをどういうふうにして負担したらいいかという問題になりますが、その場合には、運賃というものは必ずしもコストそのものをはっきり分けられるものではありませんから、全体的にはコストというものははっきりわかるし、あるいはある一つの集団であればある程度はわかりますけれども、非常に大きな部分は帰属が非常に認識しにくい。つまり、観念的には、理論的にはありますけれども計算上線路のここからここまでは貨物がした、ここからここまでは旅客がしたというようなことは非常に分けにくいものです。  私もかつて、旅客列車、貨物列車が一列車通るごとに線路をどれだけ傷めるかということをいろいろと物理的な機械を使って全部研究したことがありますけれども、これは計数的に言えば小数点以下八位くらいで初めて数字が出てくるような差が出たことを記憶しておりますが、そういう減価というものはそういうふうに計数的にどこまでも分けられるものではない。  したがって、昔から言うように負担力主義という言葉が出てきたのは、ある意味から言えばコストそのもので差別はつけられないから運賃額をまず決めておいて、それで乗るお客は負担力があるからこれくらいでいい、もっとお客がふえれば負担力があるからもっと上げていいという、こういうようなやり方がとられてきたわけです。ですから、鉄道運賃旅客と貨物とを受益者負担原則で分けるのがいいということは観念的には言えますけれども、それを具体的に実務の上に、あるいは制度的に割り切るということは別の問題である。非常に割り切れない問題である。  私の答えも割り切れませんけれども、問題そのものが非常に割り切れない問題である。私はこういうふうに考えております。
  37. 村木啓介

    村木参考人 私も中島さんと同じようなことをお答えをする羽目になりますが、受益者負担原則というのは、内容のない、あるいは内容の非常に不確定な抽象的な概念で、つかみようがない。これは論者によって勝手なことをいろいろ言っておるわけでございまして、前提をはっきりしておかないと論議のしようがないというしろものだと思うのでございます。  交通の面にはずいぶんあいまいな概念がたくさんありまして、たとえば適正運賃なんというような言葉を使う人がおりますが、抽象的には、言葉としては存在しますけれども、実務的にはこんなものは存在しないわけでございます。たとえば国有鉄道運賃法の第一条には、運賃というのは「公正妥当なものであること。」「原価を償うものであること。」「産業の発達に資すること。」「賃金及び物価の安定に寄与すること。」などというようなことが決定原則になっておりますけれども、一体これが実際に運賃を実務的に決めていく上に何の役に立つのかということになるわけでございます。先生方も絶えずそのことで戸惑われるのではないかと存じます。  大体、交通学者というのが運賃論というものをやりますけれども運賃論というのは一体学問なんだろうかというような疑問さえ言う人がおるわけでございます。そういうようなことを前提にいたしますと、私は一つだけはっきり申し上げられることは、運賃というのは政策的に決めるべきものだということで、それでよろしいのではないかと思います。そして、一体政策とは何かということにたどりつけばそれでよろしい、と、かように思っているわけでございます。
  38. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 次に、清水参考人にお伺いをするわけでございますが、いまの話と若干関連があるわけなんですけれども、今度の二年間によります赤字の解消、国鉄経営の基盤をつくるということの趣旨でございますけれども、その趣旨を見ましても、政府の助成、運賃値上げあるいは国鉄内部の合理化をやりまして将来は独立採算制を志向していくのだというようなことがうたわれているわけですが、今回の財政措置を考えますと、独立採算制というものがその意味において完全に消滅してしまっておるのではないかと思います。  そういう意味におきまして、この前の運賃値上げのときも、再建十カ年計画を基本にして将来独立採算制を志向するのだということを新谷運輸大臣が盛んに言っておるわけでございますけれども、各国の鉄道経営の実態を見ても独立採算制でやっていくということは基本的に無理なのではないかと思う。いわゆるバランスをとるという意味合いはわかるのでありますけれども、しかし、バランスをとるということと独立採算制を一致させるということは必ずしも一致するものではないと私は考えるわけです。また、国鉄の長い歴史の上におきましても独立採算制でできた時代もありましたけれども、近年の流れを見ますと、貨物運搬量の低下等が大きな赤字を生んでおりましてこういう状態は無理になってきていると思うわけでございます。  そういうような意味におきまして、独立採算制を志向するということではなくして、国民生活のバランスをとるという意味合いでこの問題を考えていかなければならないのではないかと思うのですが、こういう点をお伺いしたいと思います。  それから、もう一点、財政によります助成措置でございますけれども、これは資本収支への助成措置というものと経常経費への助成措置というものがあるわけでございまして、地方閑散線なんかは経常経費への助成措置になっているわけですが、将来のことを考えてみますと、政府財政措置というものをかなり原則的なものをつくっていかなければ国鉄としても経営に戸惑うのじゃないかと思うし、また、運賃値上げという意味で生計を圧迫される方にしてみても、無原則では国民感情はなかなか納得しないのじゃないかと思いますので、そういう点から御意見をお伺いしたいと思うのでございます。
  39. 清水義汎

    清水参考人 第一点でございますけれども、御指摘のように、交通における独算制というものは、鉄道部門におきましては、ヨーロッパにおきましては第一次世界大戦後にほとんど崩壊をしたと見て構わないと思います。わが国の場合でも、民有時代全盛期と申しますのは明治十二、三年ごろから日清戦争ぐらいまででございますけれども、すぐその後の不況で経営がピンチになってきている。もし独算制ができるのであれば、民営企業でやっていけるはずであります。これがヨーロッパでほとんどできない。わが国においても、それは単なる企業的な意図だけではございません。その当時の軍部の要請であるとか戦前のわが国の資本主義の体質から来て、国有化していく別の政治的要因、軍事的要因があったということは否定できませんが、それにいたしましても、それでは戦前が黒字かと言っても、黒字だとは言い切れないと私は思います。御承知のように当時は官庁会計でございますから、簡単な表現をいたしますと、いわば現金出納帳、大福帳で国鉄の収支をやっておったわけでございますから、あの帳じりの黒か赤かを見て黒字だと言うことはとてもできない。いわば企業会計的な基盤もなかったということであります。  しかし、そういう中でも、これは社会主義国家でもそうでありますけれども、一応運賃を決める場合に原価のめどは立てていく、それから経営の中で原価計算で一応の基準を立てていくということはいたしております。つい四、五年前でございましたか、私はハンガリーの国鉄の調査に参りましたが、そのときにもハンガリーの場合にも一応原価を立てまして、独算制という形をこういう形で処理いたしております。ハンガリーの場合には、当時原価の二分の一が利用者運賃負担で、それから二分の一が国家財政負担ですから、国鉄という企業体は独算制であります。毎年単年度は赤字は何も出ないでとんとんでいく。しかし、完全な営業収支だけでの独算制ということは社会主義国家の場合でもきわめてむずかしい。これはなぜかと申しますと、交通そのものが社会が発展する段階でいわゆる足として機能し始めてきた。特殊な生産部門ではなくなってしまった。特殊な価値生産ではない。いわゆる道路の肩がわりのような形で機能せざるを得なくなってきた。そういう形で、単なる商品の販売とは異なった選択の条件のないものだと社会的な基準の中で考えていかなければならない。そういうようなことがございますために、独算制というのが企業独立採算制という意味では御指摘のようにむずかしいんではないかと思います。  ただ、企業そのものにむだな官僚主義を排除していくとか、あるいは官僚経営による非能率を排除していくとか、そういう意味での能率化ということは必要かと思いますし、いわば、国家財政に依存するために放漫経営になっているとか、あるいは資材の購入その他が放漫になっているとか、こういうものはきちっと整理していかなければならぬと思います。御指摘ではバランスをとるという表現をされておりましたけれども、そういう意味では私も御意見と全く同じようなふうに考えております。  それから、第二点の助成処置でありますけれども、助成処置には資本費の助成と経常経費の助成がございますけれども、まず、助成をするときに、私は無条件助成論には余り賛成ではございません。なぜかと申しますと、一般会計から助成するわけであります。これは国民の税金を使うわけでありますから、その助成そのものが最も効率的、効果的でなければならない。それから、同時に、財政支出をされたものが特定の企業なり特定のところに利潤をもたらすものであってはならないと思います。広く国民一般大衆に還元され得る形の中で財政支出なり助成策が行われませんといけない。そういう意味では、今回の再建計画の中でも大幅な助成が——従来から考えますと大幅で、見方によるとまだ不足だということになりますけれども、それにいたしましてもやはり千億単位のものが出ていくということになりますと、それが生きなければならぬ。生きなければならぬということになりますと、当然そこには先ほど申し上げましたような外的要因を整備していく必要がある。かけ声だけでなくして、本当にそれを整備をしていくということになりませんと、いわばざるに水をつぎ込むような形になってしまう。この辺がまず財政支出の場合に配慮しなければならない基本的な条件ではないかと思います。  そういう中で、資本費と経常経費でございますけれども、その場合に助成をする場合には、どうしても一つの基準が出てこなければなりません。特に運賃との基準になってくる。あるいは利用者負担運賃である。特に、旅客運賃の場合には一般国民大衆が対象でございます。その場合にどういうところに基準を置くかと申しますと、国の財政の能力が一つでございます。それから第二が所得の水準だと思います。これは負担能力だと思います。そういう意味では、これは決して毎年上げていくということではありませんが、話をわかりやすくするために私は申し上げるわけでありますけれども、たとえば春に八%賃上げが行われて、その場合に公共料金及び国鉄を含めて少なくとも値上げ率は毎年上げていくという——これは仮説でございますよ。その場合には八%を上回ってはならないと思います。そうしませんと、いわゆる賃金上昇率を上回る公共料金のアップということは大変なことになる。  その場合に、企業がどうしても経常経費が賄っていけないという場合に、その差額は当然一般会計で助成をしていかなければならない。これは非常に単純化して申し上げておりますけれども、そういう形の中で助成すべき基準というものが設定をされていかなければならないだろうと思うのです。その場合に、当然資本費と経常経費に分かれますが、いま申し上げましたのは経常経費を中心にした場合でございます。それから資本費の場合には、先ほど申し上げましたように、基礎構築物については全部国の予算で行うというふうに考えてまいりますとこの問題は一応回避をされるでありましょうし、資本費についてはいま欧米が大体そういう方向へ向いているというふうに私は認識をしております。  この経常経費でその場合に一番問題になりますのは人件費の問題でございます。特に、極端な場合になってまいりますと、公共部門におきましては公共的な使命を発揮するという形の場合の動力費、保安費、それから人件費、こういうものに対しては重点的に助成対象をしてまいりませんと公共的な使命が阻害される、あるいはそこに安全性が大きく阻害をされるということになりますので、特に、交通部門におきましては、一定の基準以上に合理化が進んでまいりますとダイヤの維持が非常に混乱をしてくる。それから安全性が阻害をされてくる。特に、御承知のように、最近の国鉄におきましては、新幹線の補修あるいは東北線等に見られるようにダイヤそのものがとても維持でき得なくなってきて、運休して修理をしなければならぬというような問題が非常に起きてまいりますので、そういう点がないような形での経常的な助成というものは、経営能力を超えている場合には助成対象として考えられるべきではないかと思います。
  40. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 最後に、新井参考人にお伺いをいたします。  実は、こういう運賃を考える場合には一応原価を考えなければならないわけでございます。国鉄においては旅客、貨物といろいろあるわけでございますけれども、共有部分が非常に多いから総合原価主義でいく以外にないというようなたてまえをとっておるわけでございます。ただ、それは理論上わからぬではないのでございますけれども、こういう現在のような状態の中では貨物運賃を大幅に上げることはできない。今回大幅に上げることになっておりますけれども、これは市場メカニズムによって非常に左右されやすいわけでございますから、これがそのまま適用されるとは私は思っておりません。もちろん、それに便乗して値上げをしようというような業種もあるかもしれませんけれども現状のままからいけば、これだけ景気が後退をしている中でございますので、五〇%以上の値上げというのは必ずしもそのままできないのではないかと私は思っております。  そういうふうに考えてみますと、この総合原価主義という考え方は勢い旅客利用者負担を過重にかけることになるのではないかという心配があるわけでございます。そういう意味におきまして、国鉄の側から見れば総合原価主義をとらなければならない。これは一つ原則として明示する必要がございますので、ね。そういうわけなんですけれども、しかし、これは運輸省として考える場合、政府として考える場合は、この総合原価主義というものは一つ参考意見にしかならないのではないのか、政策的なものを加味して、それに新しい会計原則を立てなければならぬのではないかと思うのでございます。公共性をどう財政でカバーするか等の問題もあるわけですけれども、そういう内容を考えたときに、新しい会計原則というものは考えられないものだろうか、と、こんな素朴な疑問を私は持っておるのでございますけれども、先生の御意見をお伺いしたいと思います。
  41. 新井清光

    新井参考人 国鉄経理はいま御指摘のように総合原価主義で、客貨とも一つの一本化された収支計算のもとで行われている。これにつきましては、総合原価主義にはやはり総合原価主義のよさがあるとは思いますが、会計考え方からしますと、できるならば個別原価主義の方に持っていき、きめの細かい収支計算を行い、経済計算を行って、そして運賃等の決定もしていくように向けていくのは一つの大きな考え方だろうと思うのです。  たまたま御指摘の問題につきまして、常務理事をなさっておりました石川さんという方が三十年もの間主として経理の畑をずっと続けてきての最終的な結論のようなことを「国鉄機能と財政の構図」というもので書いてございますが、こんなふうなことを最終的な結論として言っておるわけです。ちょっと読み上げさせていただきますと、「国鉄が大きくてつかみにくいだけに、逆に一般に、とかくすべてをつっこみにして、なんでも一本にしてみたがる傾向があるが、一本化、平均化されたものには実体がない。たとえばここに十人の人がいる。そのうち、一人が三十八度、一人が四十度の熱を出した。すると、あと八人が健康でも、十人の平均体温は三十七度になる。これをみて、十人が三十七度の熱を出しているとみるのが、国鉄一本ドンブリ勘定の見方である。そして軽い風邪だと診断して、全員に余り強くない風邪薬を処方する。これでは、三十八度の病人の熱は下がらないし、四十度の重態の人は、手遅れになってしまうかもしれない。健康な八人にとっては、薬などは迷惑な話で、有害無益なだけである。結局、平均値を相手にした対策は、いずれに対しても意味がない。平均値には実体がないからである。一本化されたり平均化された数値の裏に、その過程で、相殺され消されてしまっているプラスの実態とマイナスの実態がある。その消されたところに、経営の真実がある。」と、非常にわかりやすい、しかもポイントをついた文章があるわけです。  こういう考え方から、国鉄でも、地方交通線と幹線系線区というような二つの大きな分離の経理が行われたわけでございます。そういう意味でこの考え方が反映され、いまのような区分経理計算が行われてきた。これは大いな国鉄経理の進歩であろうと思うのです。また、そういう区分経理の上に立って地方交通線に対する補助が今年度の予算におきまして加えられたとか、そういうことで、経理的に見ましてもこういうきめの細かい経理が必要であろうと私は思います。客貨につきましてもそういう経理が進歩していくことが必要だろうと思いますが、貨車にしましても、客車にしましても、一本のレールの上を走っているケースが多いわけでございますから、そういう共通費部分というものが非常に多い。  そこで、共通費部分についてどうするかというと、配分の問題はかなりきめ細かな経済計算上の——これは財務決算上ではなくて、経済計算上の経理がすでに確立しているようでございますが、そういう経理上の面と、それからさらに政策上の問題として赤字が貨物について非常に多いのでこれをどうするかというような問題、これも競争力の問題であるとかあるいは物価へのはね返りであるとかいうものを考えながら、それについて対処する姿勢をあらかじめ考えておいて、そしてその前提として客貨の区分経理といいますか、そういう会計原則を打ち立てていく。ただ分解しただけでは会計原則をつくっても絵にかいたもちでありまして、これを分離した上で、それを政策にもっとどう生かしていくか、あるいは運賃決定等にどう生かしていくかという問題の検討が今後なされる必要があるのではないかというふうに思っておりますが、しかし、早急にそれを実施せよというのはむずかしい問題でありますから、今後、将来の課題としてそういう検討は必要ではないかというふうに存じております。
  42. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 終わります。
  43. 中川一郎

    中川委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位にお礼を申し上げます。  本日は、御多用のところ当委員会に御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  次回は、明十九日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開くこととし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時四分散会