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中村(重)
委員 関連。厚生
大臣が、被爆した長崎医大四百六十七名の犠牲者に対して、何とか
措置しなければならぬということで、熱意を持って取り組んでおるということはよくわかるわけなんです。歴代の
大臣が、被爆対策としてもっと積極的な
措置をやってもらいたいという要求に対しては、なかなか前進がなかった。衆参両院における被爆者
援護強化に対する決議を受けて、特に鈴木厚生
大臣がそうした取り組みをやっておるということに対しては敬意を表するわけです。
そこで、いま厚生
大臣から、戦時教育令を
適用して何とか特別の
援護の
措置を考えてみなければならない、こういうことで文部
大臣と
お話しになったということは、新聞紙上等を通じましても承知をいたしておる。そこで、この戦時教育令の第四条がどういうことになっているのか、私もつまびらかではございません。御承知のように、医大の学生は総動員法によって動員をされておる。ところが、戦時体制に即応するために、医大の学生だけが総動員法を解除されて、そして短期学習を行ない、さらに教育訓練というのが行なわれてきたわけですね。さらに、防空法その他の
法律あるいは動員によっていわゆる救護作業に従事しておったときに、原子爆弾によって犠牲を受けた、こういうことなんですが、そこで、いま
大臣から戦時教育令第四条ということの
お話がありましたが、いま私がこれから事実問題として申し上げることがそれに適合するのかどうか。私はむしろ、総動員法を準用すべきであるという考え方すら持っておるわけです。
そこで、申し上げてみますと、こういうことがあるです。長崎
大学付属
病院に麻酔科がある。その麻酔科の教授をしていられる秦野滋という人がいるわけです。この人が当時学生であった。その人がこういうことを言っている。
二十年四月二十六日、長崎駅その他三菱の工場等に爆弾が投下された、多数の死傷者が出て、その死傷者が
大学病院に警防団の手によって運ばれた、そこで待機中の教授、医師、学生は直ちに
病院の玄間で警防団員よりその死傷者を受け取って、傷の手当て並びに
死亡者の
措置を行なったという事実問題がある。
さらに六月二十九日、佐世保に大空襲が実はあったわけです。そうして翌三十日、医師に引率された約三十人の学生が、救護のために佐世保に出向をしたわけですね。佐世保市の北
病院で負傷者の手当てを行ない、
死亡者の
措置等を行なった、宿舎は
病院長の千住という人の宅を充てた、そうして一週間から十日ぐらい救護作業に当たった、こういう事実がある。
さらに八月一日、
大学病院その他六カ所に爆弾が投下されて、患者も医師も看護婦も学生も相当傷ついた、もちろん学生が
措置に当たった、救護作業に対しては、学生は班編成による任務が与えられた、特別の訓練が行なわれていた、こういうことをこの秦野さんが
——これは現在生きておるわけですが、そういう話をしておる。
そういうことで、後藤
——いまの長崎
大学の医学部長が、厚生
大臣と文部
大臣に
お話しになった
あと、新聞に出ておるのですが、それに対して後藤医学部長はこういうことを言っておるようです。
まあ政府が何とかしなければならぬというので、前向きの姿勢をもって取り組んでおるということについては敬意を表するのだが、戦時教育令というけれ
ども、単に教育ということだけならば、あの危険な
条件の中において、土曜も日曜も、連日学生を拘束して教育をする必要はないのだ、実際は命令が下されて、その命令によって救護作業に当たらせたのだ、したがって、そういうような犠牲が出る結果になったのだ、これは単なる教育ということでもってこの問題を
措置してもらっては困る、こういうようなことを言っておるようです。
敬意を表しながらも、ともかくこれは戦時教育令に基づく単なる教育ということだけでやってくれるな、ともかく命令によってこれは動員されて、そうして拘束されて勉強もし、救護作業にも班編成等をもって
——しかも昼だけではない、夜もゲートルをはめて、しかも
学校に泊められて、そうした作業に拘束されて当たったのだから、これは総動員法による、いわゆる拘束されて徴用等に従事した者と同じである、あるいはそれ以上
——徴用された者は、夜は自分のところへ帰ることができた、自宅なりあるいは寮なりに帰ることができた、しかし、医大の学生はそれすらも許されなかったということが事実問題として指摘されておるわけですが、こうした問題に対して、厚生
大臣はどうお考えになるのか。それから、文部省からきょうおいででしょうから、いまのいわゆる戦時教育令というものがどういう内容であったのか、ただいま私が申し上げたことは、その戦時教育令のどの点に該当するとお考えになるのか、文部省のほうからもひとつお答えを願いたい。