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1966-06-09 第51回国会 衆議院 社会労働委員会 第45号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年六月九日(木曜日)    午前十時三十三分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 小沢 辰男君 理事 藏内 修治君    理事 齋藤 邦吉君 理事 澁谷 直藏君    理事 竹内 黎一君 理事 伊藤よし子君    理事 河野  正君 理事 吉村 吉雄君       伊東 正義君    大坪 保雄君       大橋 武夫君    熊谷 義雄君      小宮山重四郎君    坂村 吉正君       地崎宇三郎君    西岡 武夫君       西村 英一君    橋本龍太郎君       藤本 孝雄君    松山千惠子君       粟山  秀君    山村新治郎君       淡谷 悠藏君    石橋 政嗣君       大原  亨君    滝井 義高君       辻原 弘市君    中村 重光君       長谷川 保君    八木 一男君       受田 新吉君    吉川 兼光君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 鈴木 善幸君         国 務 大 臣 安井  謙君  出席政府委員         内閣法制局参事         官         (第一部長)  関  道雄君         警  視  監         (警察庁長官官         房長)     浜中 英二君         大蔵事務官         (国有財産局         長)      松永  勇君         文部事務官         (大学学術局         長)      杉江  清君         厚生政務次官  佐々木義武君         厚生事務官         (大臣官房長) 梅本 純正君         厚生事務官         (援護局長)  実本 博次君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局恩給問         題審議室長)  大屋敷行雄君         大蔵事務官         (主計局給与課         長)      辻  敬一君         大蔵事務官         (主計官)   平井 廸郎君         大蔵事務官         (銀行局特別金         融課長)    徳宣 一郎君         文部事務官         (大学学術局学         生課長)    笠木 三郎君         文部事務官         (文化局宗務課         長)      萬波  教君         自治事務官         (行政局行政課         長)      松浦  功君         専  門  員 安中 忠雄君     ————————————— 六月九日  委員八木昇辞任につき、その補欠として中村  重光君が議長指名委員に選任された。 同日  委員中村重光辞任につき、その補欠として八  木昇君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第九五号)  戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法案(  内閣提出第九六号)      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法案の両案を議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。伊藤よし子君。
  3. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法ができまして以来、毎年と言っていいくらい改善をされてまいりまして、もちろんまだ不十分でございますけれども、こうして改善されてまいりましたことは私も喜んでいる一人でございます。しかし、私がたいへん気にかかりますことは、せっかくこういう改正案が出ましても、その法の適用を受けるべき人で受けてないような人が、まだ残っているんではないかということをたいへん心配するわけです。そこで、昨日もちょっと淡谷先生からもお話が出ていたようでございますけれども、私はちょっと席を立ったりいたしておりましたので全部聞くことができませんでしたので、あるいは重複するかもしれませんが、お伺いしたいのでございますけれども最初この援護法ができました昭和二十七年のときに、どういうような方法でもってこの適用を受ける人たち徹底するようになさいましたか。本人申請でございますか、市町村から通知をお出しになったのか、そういう点を一つ伺いたいのと、その後その経過の中でどれだけの人が申請されたか、その件数と、そしてまた、実際に法の適用を受けるようになっている人がどれだけか、あるいは審査の過程で却下されたような人はどれだけあるか、そういう点をまず伺いたいと思います。
  4. 実本博次

    ○実本政府委員 援護法ができましたときには、どういうふうな周知徹底方法をはかったか、それからその該当者の方が請求をされる場合にどういう手続をするか、それをどういうふうにして周知徹底させたかというお尋ねだと思いますが、援護法という戦争犠牲者のための国家補償精神に基づきます援護立法ができました二十七年におきましては、待ち焦がれていた対象者方々には、それぞれ、この法律趣旨その他を、都道府県、市町村のルートを通じまして受給者方々、一般の国民方々趣旨徹底をはかってまいったわけでございますが、この法律で定められておりますいろいろな給付につきましては、この制度のたてまえ上、やはり該当する方からの請求によりまして手続が進められている、こういう形になっているわけでございます。
  5. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 その点ももう少し具体的に——たとえば戦後、戦争が終わりましたのは昭和二十年でございますが、その間非常に混乱した期間があったわけですね。そして二十七年に法律ができたわけですけれども、その間に焼け出されて、たとえば初め出た原隊が焼けてほかの地方に行ったとか、ずいぶん変動があった時代だと思うのです。そういうときの徹底のしかたは、本人申請を待ったのか、市町村から、さがしてその通知をできるだけ出して、申請を出せというようなお知らせがあったのか、ただ徹底をさせたということだけではずいぶん漏れたのではないかということを心配しますので、そういう点、具体的にどういうような措置をおとりになったかということを伺いたい。
  6. 田中正巳

    田中委員長 委員長から申し上げますが、速記がとりにくいそうですから、ひとつ静粛にお願いすると同時に、発言者は大きい声で御発言願います。
  7. 実本博次

    ○実本政府委員 遺族援護法に基づきます遺族年金等請求でございますが、これは、そういうような手続徹底につきましては、この法律ができましたときに、おっしゃいますように、ただ店を開いて、さあいらっしゃいというようなかっこうではございませんで、事実上やはり関係職員市町村関係方々がそれぞれ地域を歩かれましてその周知徹底をはかってまいったわけでございますが、お尋ねの、この法律に基づきます給付を受けるための手続といたしましては、たてまえ上、こちらから全部請求手続をして差し上げるということをとっておりませんで、やはり請求者の方方のほうから所要の手続をしていただく、そのお手伝いは事実上こちらからサービスをするということはやっておりますが、やはり遺族なり請求者方々から請求手続をしていただくということになるわけでございます。  それで、遺族援護法に基づきますすべての給付は、公務上の理由によりまして傷ついたりあるいはなくなったりした方々遺族あるいは障害者といったような方々に対します給付でございますので、それが公務に基づくものであるという判断をつけることが一つの眼目になるわけでございますから、それが公務に基づくものであるという資料を出していただくということになるわけでございます。このためには、先生がおっしゃいましたように、終戦後長い期間援護法ができますまでの間でも約七年間ございますが、その間にそういったものを散逸いたしましたり、なかなかそう簡単には集まらないというふうな不便さは、請求者の側にあることは重々承知いたしておるわけでございます。やはり手続上、どうしてもそういった公務性判断上ある程度固まった資料提出をお願いするということは、やむを得ないことであるわけでございます。ただし、全部その資料請求者のほうから出していただくというふうなことにたてまえ上はなるわけでございますが、たとえば軍人さんとか軍属さんとかいうような方々に対しまして、その人たちが在職しておられました間の資料は、本来国や県で保管されておるはずでありますから、これについての請求者のお手をわずらわすということはもとより避けなければならないわけでございますが、やはり何と申しましても御遺族の方が保管されております場合のことを考えますと、どうしてもそういったお手持ちのものをお出し願わなければならぬ、こういうことで、わずらわしさをおかけすることはやむを得ないと思うわけでございます。  それから、証明資料のうちで帰郷されましたあとのものにつきましては、これは先ほどから申し上げておりますように、ぜひ遺族の側から御提出いただくわけでございますが、それとてなくなってしまったものまでお出し願うといったのでは、これはなかなか御無理でございますから、そういう場合には、証明資料にかわるものといたしまして、事情のよくわかるような申し立て書とかはがき、日記、メモといったようなものを、そういう資料にかえてお出し願うというふうな指導もいたしておるわけでございます。
  8. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 それは事情はわかりましたけれども、もう一つ、そういう中から、やはりずいぶん徹底しなかった面もどうしても出ていると思うのです。それから、いまもおっしゃるような公務であったかどうかという証明がつくかちかないか——ずいぶん私どもがみな経験を持っているわけなんですけれども、その証明がつかなかったためとか、あるいは審査で却下されたという件がずいぶんございましたし、当時医者にかかりましても、よく言われることでございますけれども結核などで死んだ中でも、あと子供たちのために結核を隠して医者証明をとって、死亡結核でなかったというようなことにした例は幾つも私どもの周辺にあったわけです。当時は、もちろん終戦の当座はだれもこういうような国家から国家補償をいただけるというふうに考えておりませんでしたので、戦死者もやむを得ないとみなあきらめているといったような状態でございましたから、そういう点が非常にあったと思うのですが、先ほどちょっとお聞きいたしましたように、どれだけの件数がその当時最初申請がありまして、そのうちのどれだけが取り上げられて、そしてどれだけ却下になったか、その後法の改正がたびたび行なわれておりますけれども、そのつど徹底するようにいまのような御努力があったと思うのですけれども、いまそちらの厚生省のほうとして、まだそういう適用を受けられるような対象者でありながら受けていないような人がどのくらいあるかというお見込みでございますか、もしわかれば、その点もあわせて伺いたいと思います。
  9. 実本博次

    ○実本政府委員 昭和四十一年の四月末日現在で申し上げますと、軍人軍属等死亡者等にかかります遺族年金弔慰金等請求につきましては、二百二十六万六千百三十一件を受け付けております。それで、それに対しまして二百二十六万三千三百三十四件の処理を終わりまして、四月末現在におきまして二千七百九十七件が未処理ということで手持ちになっております。  それで、未処理の内訳を申し上げますと、本来の公務に該当して可決されたものが二百十六万一千九百二十八件、それから屡次の法改正に該当して可決されたものが八万一千九百八十二件でございまして、却下されたものが一万九千四百二十四件でございます。この却下されました一万九千四百二十四件につきましては、大体退職後の事由によって死亡したものが大部分でございます。その他死亡した者が軍人軍属または準軍属としての身分を持っていなかったもの、また、請求者遺族範囲に該当していなかったものというのが大部分でございまして、いま未処理のものは二千七百九十七件ということになっております。
  10. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 だいぶ件数が少なくなっているようでございますけれども、問題は、戦死者あとから公報が入ったりというような方は、先ほどのいろいろ遺族対象がはっきりしなかったとか——最近はだいぶ遺族範囲が広くなってまいりまして違いましたけれども最初のころはわりかた厳重でしたから、そういう点もあっての問題があったと思います。しかし、やはり戦地で戦死なすったほうの方は、わりかたつかみやすいと思うのでございますけれども、問題は、戦病者で帰ってこられまして、そしてある期間療養をしていて死んだというケースに、いろいろつかみにくい点が多いのではないかと思うのです。いま申請をされた中で却下された分というのが出てきたわけですけれども、全然申請もしていなかったというようなケースがいまだにあるんでございますね。たとえば、これは私の身近な問題でございますけれども北ボルネオか何かに二回くらい派遣をされて、そして昭和二十一年にマラリアで帰ってきましたが、その時分はああいう混乱した時代でございますから、子供も何人もあるので、つとめをしかけたのですが、からだが悪いためにつとめができなくて、そうしていろいろ医者にかかったりしている間に栄養失調と、そのうち肋膜も悪かったりいろいろ病気が併発いたしまして、最後には食道ガンだということで名古屋市民病院で死んでいるわけです。ところが、その人は原隊が大阪でございまして、出征中に妻子が愛知県に帰っていて、それから死んだわけなんですけれども、その間二十七年のときに市町村から申請をするようにという話がありまして、そうして小さい子供をかかえて、六人くらい子供があったわけなんですが、未亡人がたびたび役所へ行ったわけなんです。ところが、原隊は焼けておりましていろいろ資料が整わなくて、公務による証明がつかないわけです。それだけはっきりいたしておりましたのですけれども、話によりますと、終戦と同時に、軍人であるからもし戦犯などにかかるといけないから一切の資料をすっかり焼くようにというような通知がありましたそうで、全部何もかも焼いてしまって、ただ北ボルネオから二回ぐらい手紙がきましたのだけをとって、あと全部焼いてしまったというのです。そしてまた、原隊も戦災のために焼けておるわけなんです。そういうようなことで非常に資料が整わないで、何度も足を運んだのですけれども、生活が困窮して子供を何人もかかえておるし、日雇いですから、たびたび名古屋まで足を運んだり役所へ休んで行くということもできなくて、そのうち子供が行ったり何かしている間に、あまりにめんどうなためにそのまま手続を投げてしまったというケースがありまして、いまだにその人は何ももらっていないわけなんです。これは一つの実例なんです。その未亡人は、六人子供をかかえて日雇いをやりながらずっと今日まできて、どうやら子供は成長したわけなんですけれども、今日、援護法がたびたび改正をされまして、かなりの部分まで援護の手が伸べられるようになっておりますのに、しかもなおかつ二十年たってこういうようなケースが残っておるわけなんでございます。それで、その当時の私たちの周囲の話をいろいろ聞くところによりますと——最近はたいへんお役所のほうも、いろいろ法の改正がありますと親切に御通知をいただいたり、もう一ぺん申請してみろというようなお話があるようですけれども、当時、ごく近くまでは、何とか援護法対象に引き上げてかけるようにする措置ではなくて、何か、これはだめだ、これはだめだということで、むしろ却下するようなほうに力を入れていらっしゃるのじゃないかと思われるほど、いわば不親切な取り扱いが、私どもの耳に入っておる限りにおいては多かったように思うのでございます。ですから、このケースなんかも、そういうような事情で持っているものを全部わざわざ焼いてしまって、写真でははっきり曹長か何かであったようですが、子供も小さいし、日雇いなんかしている未亡人なんですから、そういう程度のことであまりはっきりしたことがわからない。原隊は焼けてしまっているということでございますから、ずいぶん資料が整わなかったのだろうと思います。これは一つケースなんですけれども、そういうのがまだまだ——先ほど局長がおっしゃった申請をした中で却下された分でない、申請をしない分も残っているのではないかということをたいへん心配いたしますので、現にある問題としてお話を申し上げて、そういうような人たちに対して今後どういう方法で、せっかく援護法が改善されてまいりまして、その適用を受けておる人は一応不満足ながらベースアップもされたり、いろいろな関係の幅広い遺族にまで援護の手が差し伸べられているのに、現実にほんとう未亡人子供をかかえて苦労しながらやってきた人にもまだ届いていない面がある、こういうような点について今後どういうような御処置をされていくのか、ちょっと伺っておきたいと思います。
  11. 実本博次

    ○実本政府委員 先生お話は、結局そういった方々に一番近く接しておりますわれわれのほうの窓口に当たります県、市町村職員請求指導上の態度の問題が大きく影響しておるのじゃないかというふうに考えられるわけでございますが、先生お話のように、持っておったものをわざわざ焼いたとかいったようなことで、公務性証明のために必要な資料の持ち合わせをいましておられないといったような方々も間々あるやに聞いておりますが、的確なそういった人たちの数がどのくらいあるかということは、ちょっと私、いまここではわかりかねるわけでございますが、そういった裁定正否を離れまして、御遺族立場になって考えて指導していくように、機会あるごとにそういった窓口職員方々に対しましてはいろいろなことを指摘いたしまして、常に遺族の方の立場あるいは請求者の方の立場に立ってものを処していくようにというふうに指導しておるわけでございます。  なお、そういった未請求者が相当あるはずであるというふうなことでございますが、先生が先ほどお触れになりましたように、援護法もおかげで毎年改正をやっておりまして、この改正法の施行されるたびごとに、いろいろそういった範囲の拡大について対象に入る人に対しますPRということもやっておりますし、なるべくそういった意味での改正を無にしないように、つまり請求漏れのないように、いろいろ毎年改正たびごとPRはいたしております。いたしておりますが、不幸先生のおっしゃったようなケースもまだ依然として絶無だと言えるような現状でないわけでございますから、今後とも、そういうふうなことの正否は別といたしまして、納得のいくまでとにかく相談して差し上げて、なるものはなる、ならないものはならないが、とにかくやるだけやってみよう、そういうふうな態度で、窓口接触機関の人の指導につとめてまいるというふうに考えておるわけでございます。
  12. 河野正

    河野(正)委員 関連して。ちょっと大臣に聞いていただきたいのですが、なるほど援護法改正趣旨というものは、できるだけ救済をしていこうという気持ちは私どもはわからないわけではないのです。ところが、実際運用面においてそのように適切に運用されておるかどうかということについては、きのう淡谷委員からいろいろ御指摘のございましたように、必ずしも私どもはこの援護法精神どおりに運用されておるというふうに理解できない。そのことは、具体的にいろいろな国民不満なり、また苦情なりというような形で出てきておると思うのです。ところが、私ども戦争を体験した一人でございますから、そういうような体験から申し上げましても、この公務性の認定ですが、これについても、いろいろ疾病の中で公務性を認定する場合に医師の技術という問題もあると思うのです。それからもう一つは、やはり環境といいますか、たとえば内地の当時の第一陸軍病院というような非常に施設の充実したところはけっこうですけれども、野戦のごときは、学校を出て全然臨床経験のない人が軍医で、そういう人が主として第一線に来ておるわけですね。しかも検査する、あるいはまた精密検査するというような施設もない、そういうふうな背景があるわけなんです。そこで、そういう非常に内容の伴わない環境の中での条件というものが一つある。それからもう一つは御承知のように、戦争が始まった当初は甲種合格というような非常に頑健な人が入っておったわけですけれども、だんだん戦争が末期に近づきますと、本来から言えば軍籍を持たぬでもいいような方々が、やはりずいぶん応召されておるわけです。しかもそういうふうな体力が非常に劣っておる、あるいは体格が非常に劣っておるという悪条件に加えて、非常に激務が強要されるという点が一つある。それからもう一つは、たとえば主として結核等に言えることですけれども終戦後復員して帰ってきた、あるいは内地で除隊をしてきた。ところが、当時の国民感情としては、今日は化学療法が非常に発達をしてまいりまして、そして結核おそれるに足らず、結核というのは不治の病じゃないというような認識になってきましたけれども、あの戦争中から終戦後にかけては、やはり国民の中では、結核というものは不治の病だ、自分のうちから結核患者が出れば孫の末代まで縁談にもかかわる、あるいは嫁の来手がないというような国民感情はあったと思うのです。ですから、やはりそういう国民感情のもとに、できるだけ結核という病名がつけられることを忌みきらうという一つの風習があったと思うのです。私は、そういう三つ条件というものを考えなければ、援護法精神というものがほんとうに運用されるというようなことは考えられぬと思うのです。そこで、私のところへはいろいろな人からしょっちゅう苦情が出てくるわけです。それらをよく調査してまいりますと、いま私が三つの点を御指摘申し上げましたが、その三つの面というものが、援護法でいわれておりまする精神とは別に運営されておる。恩給裁定その他については運用されておるというようなところに、国民不平なり不満なり苦情というものが私は存在していると思う。  また、これは淡谷先生からきのう非常に強く指摘されたところでございますけれども、特に審査会審査規程というのか内規というのか知りませんけれども、そういう基準というものについて、この際大幅に考えていただく必要があるんじゃなかろうか、そういうことを考える。というのは、さっき申し上げましたように、この公務性を認定する側の条件というものが整っていない。これは医者が非常に未熟だった。当時は、医学専門学校あるいは大学の医学部を出ますと、もう臨床経験も何もない人が軍医になって行っていたのです。そういう悪条件。それから内地のおもな病院は別としても、その他の病院あるいはまた外地では、ほとんど精査をしたり検査をしたりするという施設がない。特に隊付勤務なんかそうですね、何にもないのですから。そういうような条件、それからさっき申し上げましたように、非常に体力の劣った人が応召した、こういう条件、それからいま一つは、たとえば一例ですけれども結核なら結核というものに対する国民認識のしかた、こういうような背景というものを考えながらその裁定をやるということにならぬと、やはり国民不平なり不満なり苦情というものは尽きぬと私は思う。そのためには、やはりこの審査基準なりというものに対して相当この際お考え願わぬと、そういう問題の解決というものは抜本的にできぬ、こういうふうに私は思うのです。そこで、これは今日まで残っておりまする問題を解決する意味においては非常に重大な問題でございますから、ぜひひとつ大臣から温情あるお答えをお願い申し上げたい、かように思います。
  13. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 先ほど来伊藤委員及びただいま河野委員からもお話があったわけでございますが、援護法の事務の執行にあたりましては、やはり遺族方々の気持ちを十分理解をし、その気持ちになってこの援護法の運用をしてまいる、このことが、私は援護法精神を生かす一番大切な問題ではなかろうか、こう思うわけでございます。しかしながら、終戦後だいぶ年月も経過をいたしておるわけでありまして、証明すべき資料等もなかなか調査には時間を要する、非常にむずかしい困難な審査が必要である、こういうこともまた一面にあるわけでございます。ただいま河野さんからお話がありました公務性の認定の問題につきましても、当時、戦時中のいろいろな客観的な事情からいたしまして、十分それを認定するような資料等に欠ける面がある。また、非常に困難な条件もある。いろいろなことで御遺族方々に御不満なり意に満たない点が多々あろうかと思うわけでありまして、その点、私ども政府の関係者も申しわけない、こう思っておるのであります。しかし、この執行事務の改善あるいは証明資料の検討、審査等にあたりましては、ただいま冒頭に申し上げましたように、遺族方々のお気持ちを十分体して、その気持ちになってこの援護法の適正な運用をしていく、こういうことに今後とも特段の配慮をいたしたい、こう思います。
  14. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 ただいまの大臣のおことばで、ぜひそのようにしていただきたいと思うのでございます。たいへんくどいようでございますが、いまあげましたのは一例で、これはほんとうに苦労をした未亡人が現在まで何の援護の手も受けなかったという実例でございまして、いまなお私もいろいろ努力をして、何とかこの苦労に対して、最近援護法改正になりまして、かなりな人たちがいろいろ援護の世話を受けておられる際でございますので、やっていきたいと思うのです。その他にも私のところへときたま訴えられて、そうして私がいろいろ役所へ足を運んだりいたしまして解決した問題が三、四ございますけれども、それなどにつきましても、これは結局私のところに来られて、私が熱心に県の世話課あるいは援護課などへ足を運んだから解決したので、もしその人たちだけであれば、とうてい解決しないようなケースなんでございます。そういうのがあるわけなんでございます。そのたびに、まだまだこういうような人はたくさんあるというような話を聞いておりますので、先ほどこの未処理の分が二千幾らあるとおっしゃいましたけれども、そういう際の審査会審査員などの構成が、いつもございますけれども、どういうふうになっているのか。また、ただいま河野委員から御質問の中に詳しくお述べになりましたと同じような点でございますので、繰り返し申し上げませんけれども、ひとつぜひこの未処理の分などにつきましても、いま大臣が御答弁になりましたようなお心持ちで——私が非常に心配するのは、運よくと申しましょうか、たとえば周囲にそういう手続などが十分にできる人がおる場合には早く処理をされるのですけれども、お百姓であるとか、あるいはまたその人がおばあさんであるとか、未亡人でもあまり手続などが十分にできないような人でございますと、非常にできないのでございます。ですから、アンバランスが出てまいります。ある人はたいへん援護を受けておられるのに、同じよりもっとひどい条件にある人が受けられないというようなアンバランスの点が出ておりますので、そういう点のないように、ぜひ今後とも御努力をいただきたいと思うのです。  そこで、先ほど申し上げましたように、戦争で病気を得て帰りまして、結核などの場合にはずいぶん長く療養がかかって——いまの規定では、結核精神病者の場合には、帰ってまいりまして六年以内に死んでおることが証明がつけば、援護法によって処理されるのでございますか。それ以上だとだめでございますか。
  15. 実本博次

    ○実本政府委員 お尋ねケース公務であるということでございますと、いま先生のおっしゃったような、帰って何カ年の間に死亡したといったような期間の制限はございません。   〔委員長退席、竹内委員長代理着席〕 公務傷病と言えない傷病につきまして勤務関連というふうな場合に、あるいは公務とみなすということで、そういう公務傷病と認定されない傷病につきましては、先生がいまちょっとおっしゃった結核精神病といったような病気につきましては、たとえば戦地また事変地におきます傷病で、故意または重過失によることが明らかでない者につきましてはこれを公務傷病とみなすというふうな処遇もやっておりますし、それから内地におきまして勤務に関連して死亡した者につきましては、これも特例法による処遇をいたします。それからこの在職期間内に公務上傷病を受けて退職後一定期間内に死亡した者、それから戦地に六カ月勤務しておられまして、その人が退職後一定期間の間に死亡したときにつきましてはやはり遺族一時金の処遇をするといったように、この公務傷病でない者につきましてもそのケース公務傷病とみなす、あるいは公務傷病に準じた扱いをいたしまして処遇をする。先生がいまおっしゃった結核精神病につきましてのケースに最後申し上げましたものが当たります場合、つまり遺族一時金を差し上げる場合、戦地勤務を六カ月以上やられた方が退職されまして一定期間の間結核ならたとえば六年、あるいは精神病なら六年、それ以外の病気なら二年といったような期間の以内になくなられた者につきましては、それを処遇の対象にするといったような便法をはかっておるわけでございます。
  16. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 関連。いまの問題ですが、最初から結核なら結核、それで肺結核ということでなっていった場合にはそれがスムーズにいっているんです。ところが、こういう例が出てくるわけです。たとえば満州で、あの終戦に近い熾烈なころ勤務しておった。そして肋膜炎として診断された。それで野戦病院なら野戦病院におって後方に送られてきた。それから除隊になった。その後今度は肺結核という病名で診断された。その場合に、今日の医学では、肋膜炎というものがありますときには、必ず原発の病気として肺結核があるという考え方になっているわけです。ところが、以前は、肋膜炎というものと肺結核というものは別のものだと考えていた。したがって、どうも軍務に服しておるときに胸膜炎として診断された。後にそれが肺結核になっている。こういうときに、病名が違っていることによって却下されている面がたくさんあるのです。現にそういう人があるのです。現に総理大臣にそういうことで提訴している人もあります。これは、今日のいまの伊藤先生の言う審査会審査をする医者はそういうことを一体わかっているのかいないのか、私はしばしばそういう事件にぶつかって頼まれていろいろやってみまして、非常に疑問に思うのです。一体いま審査している人たちは、昔の考え方であるのじゃないか。つまり肋膜炎というものが起こるときには、必ず原発の病気として肺結核があるという今日の医学の考え方を知らないでやっている。したがって、そういう非常な不幸な事態になっておっても、結局今日何らの国の手当てを受けておらない、そして泣いておる、こういうような事情がたくさんあるのであります。そこらの点は一体どういうようにお考えになるのか。昔の医学をそのまま考えているのではないかということを思うのですね。ですから、肺結核は初めから肺結核ということで診断されればいいけれども、不幸にして胸膜炎という診断を受けておったために、それからしばらく後に発病して、今度は一応除隊になってから再発した。ほんとうは再発ではないのです。ずっと続いているのです。続いているのだけれども、再発したということになって、その間の期間が少し切れているために、そういう審査を受けて泣いている人が相当あるのです。だから、私は、それは改めてもらいたいと思うのだけれども。もちろん、遺族にも、そういう人たちはたくさんあると思うのです。ですから、そこらの点は援護局ではどう考えているのか。そういう今日の医学の考え方というものは取り入れていないと私は思うのです。その点いかがですか。
  17. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 援護法上の公務に基づくところの傷病の範囲の認定の問題でありますが、まず、恩給法と援護法との間に、その認定において相違があるのではないかという問題が一つございます。この点につきましては、恩給法におきましても援護法におきましても、これは同じような趣旨でつくられておるのでありますから、範囲の認定等につきましては、基準を同じゅうするように政府としては審査の面等におきましてそこに統一性を欠かないように、できるだけの配慮をいたしておるわけであります。  それから、ただいまの長谷川さんの御意見でございますが、医学も申すまでもなく日進月歩であり、いろいろ今日の医学で見てまいりました場合において、過去の傷病に対するところの学問的な、あるいは医学的な認定等が不十分であった、そういう点が必ずしもなきにしもあらず、私はこう考えるわけでありまして、私どもは、今後の審査におきましては新しい医学、そして正しい病気の認定、そういうものに基づいて援護法恩給法の傷病の認定等につきましては万全を期していきたい、かように考えております。
  18. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私の頼まれて扱った事件も実に気の毒な事件があります。これは徴用船に乗っていた軍属ですが、あるところで非常なあらしの日に船の綱を岸壁にかけるという仕事をしていた。それで岸壁にたたきつけられまして、ひどい打撲を受けて失神をした。一応病院へ入ってなおったのでありますけれども、それからしばらくたって、今度はそのひどく打ちましたところの足がカリエスになった。私どもそういう病人を始終扱っております者から見ますと、明らかに原因はそのときのひどい打撲にある。そしてそのときに骨を痛めておる。そこから起こってきていると思われるのでありますけれども。ところが、これがある期間がありますために全然別のものとされている。気の毒にその奥さんは、実はその船員の方の兄さんの嫁であった。それが戦争で戦死して、それでいなかのことでありますから、まだ若い身空、子供も一人あってかわいそうだから、その弟が直るということになって、直った弟がそういうかっこうになった。それ以来今日に至るまで、もう全く身動きのならない形でうちで寝ておる。食うに困る。わずか二、三反の畑がありますために、これがまたじゃまをして生活保護その他にかからないという形になって、子供も三人くらいかかえているのでありますけれども、何らの援護を受けられないという非常に気の毒な事件を私頼まれたことがある。今日、その婦人は、いなかのお百姓さんでありますけれども、やむなく家業を全部やめて保険の勧誘員をしていらっしゃいましたけれども、はたして生活ができるかどうかと思って心配しました。そういうような、ちょっと期間が切れました場合に、非常に困る問題が今日起きているのです。私は、こういうのは、最初からの関係と関連して考えればわかるのではないかと思うのです。私も、実は本人があんまりかわいそうですから、この書類を援護局に持っていってやったことがあるのです。ところが、これは審査の結果、何べんやってもだめだ。こういう事件があって、戦争ほんとうの犠牲者である未亡人たちが非常に泣いている事件というものが全国に相当あるのです。どちらにしてもそれは非常に不幸な事件でございまして、私は、これは国がどこかで責任を負わねばならぬと思うのです。私はその人たちにもう数年会いませんけれども、おそらく土地を売って生活保護にかかるよりしかたがないだろうと思って見ていましたが、そこまで押していったら国が見なければしかたがないのだから、そこらのところは、戦争の惨禍を二重、三重に受けておりますような者については、やっぱり援護局のほうで審査しますときに、ある意味では有利な考え方を持ってその戦争犠牲者を救ってやるという行き方をしませんと、単に期間がちょっと切れているからという機械的なことだけでみんな切られてしまってそういう戦争の犠牲者が救われないという事件がありますから、こういう問題はひとつぜひ考えてやってもらいたい。これは、伊藤先生お話もずいぶんそういうお話が多いと思うのでありますが、ぜひそういう点は考えて、最初の原因と発病したときがちょっと期間が切れておりますのはみんな切られてしまうのですが、そういうことのないようにしてやってもらいたい、このことをお願いしておきます。
  19. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 いまの長谷川先生の御質問と同じような、先ほど私が触れました結核の年限の問題ですけれども、私がときたま知っているケースでも、海兵団に入団して結核で発病したわけなんですけれども最初は傷痍軍人療養所へ入っていたのです。ところが、それは二十六年に死亡しているわけなんですけれども、発病したのが十五年でございますから、最初、死んだ当時は、先ほど局長がおっしゃいました勤務関連のための発病であるからという証明で処遇を受けなかったわけです。公務だという認定がつかなかった。しかし、その後いろいろ法の改正もあったようですけれども、ともかく闘病生活を長くしておりまして、結核などで長く寝ておられますと、むしろ六年以内に死んだ人よりも、家族、遺族にとっては経済的にも非常に困るわけなんです。そして、勤務関連の場合でも、先ほどおっしゃいました法の改正によって何らかのあれが受けられるのかしれませんけれども、いずれにしても闘病生活が長いから、かえって遺族にとっては困るというような状態もありますので、いまの長谷川先生お話と同様に、そういう点についても、審査会の御審査のしかたについてもう少しあたたかい目で、ただ期間がどうであるからというようなことではなくて、実際困っているという点で、私はできるだけ法の適用を受けるように御配慮を願いたいと思うわけです。その点が一つ。  それからもう一つは、戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法案が今度出ておりまして、確かに、私ども婦人の立場からいたしまして、けがをした人の奥さんというのは年じゅう苦労してやってきているわけなんですから、たいへんこの法改正は私どもありがたいことだと思いまして、ぜひ実現を望んでいるわけなのでございますけれども、こういうようにだんだん幅広く、いろんな点まできめこまかく援護の手が伸べられるようになってまいりますにつれまして、特に本人が戦傷を受けまして、貫通銃創とか、ときたま私のところに来た人でございますけれども、三カ所も四カ所も傷あとが残っておりまして、ずいぶんそのたまあとなんか残っておるわけなんです。そしてようやくなおりまして、現在生活に特別そのことのために不自由をしているということではございませんけれども、当時は、目症というのでございますか何ですか、目症ぐらいに当たる症状だったようなんです。それで、款症までしかだめだというので、軍人の傷病恩給ですか、それの対象にはならなかった人なんですけれども、最近こういうふうにいろいろ幅広く援護の手が伸べられるようになりますと、やはりその人たちが長い間苦労をいたしまして、ようやくびっこを引かなくてもいいようになって、現在そのために生活が不自由しているとかそのために働けないという状態ではございませんけれども、たいへん苦労したわけなんですね。そういう人たちに対しましても、明らかに戦争によってけがをしたあともあり、いまは、指一本ないといけないとか、明らかに指がないとかあるいは顔に大きなけがが残っているということでないと傷病恩給はもらえないようなのですけれども恩給としてでなくても、いまの戦傷病者の妻に対するように、何らかの手当というのですか一時金のようなものでも渡るような御配慮、そういうようなことの御研究は何か考えられないかと思うのでございます。たいへん範囲が広くなってまいりますと固定した状態に対して傷病恩給というものが渡るのだが、過去にどうであっても現在生活に不自由していなければ、その証明がつかなければだめだ——私が扱ってまいりましたら、病院でそういう証明ができないといけないということを聞きましたのですけれども、たいへん傷あとも残っていて、ときに神経痛ぐらい起きるようでございますけれども、さてそれじゃ、第一目症というのだったようですが、そういうのに何か一時金でも渡るような、そういうような御研究はございませんか。現実に幾個所もたまの当たった傷あとが残っているわけなんです。それがすっかりなおるまでは、療養費は出たのでしょうけれども本人はずいぶん不自由したり、そのために働く場所も限られたわけなんで、現在はどうやら生計は営んでいるわけなんでございますが、そういうケースはどうでございましょう。今後そんな点の御研究はございませんか。   〔竹内委員長代理退席、委員長着席〕
  20. 実本博次

    ○実本政府委員 いまのお話ケースでございますが、いま先生のおっしゃいました貫通銃創か何かでお受けになりました傷そのものの治療につきましては、戦傷病者特別援護法という法律がございまして、その中で、その傷の治療につきましては全額負担で医療を給付するということになっているわけでございます。  それから、そういう目症程度の方々に対しましては、おっしゃいますように、現在の援護法では処遇の対象軍人軍属の場合で第三款症までございまして、目症程度のものについてはそういった処遇ができておりません。それにはそれ相当の理由があるわけでございますが、しかし、そうは申しましても、おっしゃいますように一つのハンディキャップであることには間違いないわけでございます。そういった方々援護なり立ち上がりのためのささえの措置というものは、実はいまのところ援護法なり戦傷病者特別援護法のほうではできかねておるわけでございますが、たとえば一般的に申しますと、所得税あたりで年六千円の控除があるとかいったような措置は行なわれているわけでございますが、一般的にそういった措置以外は、特にこの戦傷病者遺族援護法の系統ではまだ処置しかねている状態でございます。
  21. 伊藤よし子

    伊藤(よ)委員 援護法ができたのが二十七年でございますが、私のところへ来た人は、それ以前に足なんかびっこ引いてずいぶん苦労してなおったわけなんです。ですけれども、当時、三十四年か何かに調べたときには目症というので、まだ多少のあれが残っているという程度でございますから傷病恩給は受けられなかったのですけれども、とにかく本人がそういう苦痛を長く受けて、そしてそれがなおったのです。現在は生活のために不自由するほどではないにしても、そういう経験のある人たちに対しても、今後援護法改正につれてこういう面も御研究になって、いま申し上げるように一時金なりと何らかのものが渡るように、そういう御配慮をいただきたいということを御要望申し上げておきたいと思います。  それから、私はこれで最後でございますけれども、いろいろ先ほど申し上げましたように、まだまだたくさんな未処理の方もありますし、また、申請に至らないようなケースも私が申し上げましたようにございますし、そして、いま申し上げるように、戦病死した人の中にも、運悪く、むしろ不幸でありながらそういうような期間が当たらなかったとか、審査公務性が認定されなかったということのために、まだ多数の人がせっかくの国家の御意図にもかかわらず、援護を受けておらないというふうな人が残っておると思いますので、そういう点について、せっかくでございますから不均衡のないように、援護法ができました以上はできるだけの人が当たるように、適用を受ける人に援護の手が伸べられるように、今後ともそういう点の格段の御努力をいただきますように、最後に大臣の御所信を承って私の質問を終わりたいと思います。
  22. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 先ほどもお答えをいたしましたように、援護法精神を十分生かしますように、この施行にあたりましては十分第一線の都道府県でその事務に当たっております者も指導いたしますし、私どもも十分御趣旨に沿うように最善を尽くしたい、かように考えております。
  23. 田中正巳

    田中委員長 大原亨君。
  24. 大原亨

    ○大原委員 最初に厚生省にお尋ねするのですが、戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定されましてから、軍人軍属、準軍属というふうにそれぞれ範囲が拡大されたわけであります。軍属についても先般の改正で相当拡大をされました。準軍属につきましても御承知のとおりであります。そこで、最初に質問いたしたいのは、総動員法関係で準軍属として処遇をされておるその対象になった人、これをひとつあげていただきたい。
  25. 実本博次

    ○実本政府委員 準軍属の本年の一月一日現在におきます弔慰金の裁定数で先生お尋ねの数をあげてみますと、総動員法関係の徴用工あるいは動員学徒の人たち件数が二万四十四件ございます。国民義勇隊員が一万二百五十三件でございます。
  26. 大原亨

    ○大原委員 それでは、警察庁の官房長が見えておるわけですが、若干時間の都合もあるようですから、そのほうにまいりたいと思うのです。私は、戦争犠牲者の救援にあたって、本援護法の第一条の精神からいって、防空法関係をぜひ取り上げるべきである、こういう見解の上に立つわけであります。いろいろと私は資料を収集いたしたわけですが、それにつきまして警察庁側のお考えを最初に聞きまして、逐次関係官庁の方々の御意見並びに厚生大臣の御意見を聞きたいと思うのです。  昭和十八年、十九年、さらに二十年にかけまして、つまり本土決戦にあたりまして防空体制を整備したわけであります。そのときに、これは現地の資料から出てきたのでございますけれども昭和十九年の九月二十二日の閣議の決定に基づきまして、地方防空本部の各級段階の体制が最終的に整備をされました。それから、それとともに帝都の防空体制を整備することにつきましては勅令が出ておるのでありますが、その九月二十二日の中央、地方におけるそういう防空体制を本土決戦に備えて整備をいたしました当時の閣議決定と勅令は、あらかじめ質問を通告いたしておるのですがございますかどうか。これは、いま手元になければない、わからなければわからぬ、さらに調査をするということであれば調査をする、こういうふうにお答えいただきたい。簡潔にお願いいたします。
  27. 浜中英二

    ○浜中政府委員 ただいま手元にございませんので、さらに調査をさせていただきたいと思います。
  28. 大原亨

    ○大原委員 防空法はもちろん当時の立法にあるわけですが、防空法の第十二条に基づきまして、防空の実施並びに訓練に従事いたしました者を対象といたしまして、それに伴う傷害、疾病、死亡等に対しまして扶助規定を勅令で設けることにしておることは御承知のとおりでありますが、その第二条にそれぞれ項目をあげてあるわけであります。私は一項目ごとにつきまして、これは警察庁のほうの当時の事実関係でございますから、これを明らかにいたしたいと思うわけであります。  第一に、防空監視隊員であります。防空監視隊員はどのような根拠法規に基づいて編成されたのか、当事の法律関係をひとつお答えをいただきたい。
  29. 浜中英二

    ○浜中政府委員 防空監視隊令は、防空法の第六条ノ二に基づきまして、「行政官庁ハ防空上必要アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ予メ適当ト認ムル者ヲ指定シ監視ニ従事セシムルコトヲ得」、この規定を受けまして、防空監視隊令というのは昭和十六年の十二月十七日、勅令の第千百三十六号でございます。この監視隊令に基づきまして、その組織なり、任命、要員その他が規定されておるのでございますが、第一条に「地方長官ハ航空機ノ来襲ノ監視ニ従事セシムル為防空監視隊ヲ設置スベシ」、この監視隊の設置は地方長官の義務といたしております。なお、それぞれの県におきます配置とか編成等は、地方長官が防空計画で定めることになっております。大体組織といたしましては、本部と数カ所の監視哨員からなっておりまして、本部には隊長、副隊長、本部員、監視哨に消長、副消長及び哨員等がおりまして、それぞれ地方長官が命免しておるのであります。なお、隊員につきましては、ただいま申し上げましたように地方長官が指定した者をもって組織するということになっておりますが、ただし、警察官吏等もそれに加わることができるという形になっておるわけであります。  大体以上でございます。
  30. 大原亨

    ○大原委員 次に、第二の問題といたしまして警防団員でございます。警防団員は防空従事者扶助令の第二条の第二番目にあげてあるわけでございますが、この警防団員の国との権力関係、こういう問題につきまして、ひとつ当時の法律関係を明らかにしていただきたい。
  31. 浜中英二

    ○浜中政府委員 警防団令は昭和十四年一月二十一日勅令第二十号で定められております。したがって、第一条に目的といたしまして、防空、水防、消防その他警防に従事する。これは地方長官が職権で、または市町村長の申請によりまして警防団を設置することとなっております。団長や副団長は地方長官、その他の隊員は警察署長がこれを命免いたしております。なお、警防団は地方長官がこれを監督しておりますし、こまかな実際の業務につきましては、警察署長または消防署長が地方長官の命令を受けまして指揮監督をいたしておるものでございます。警防団員のこまかな服務規律等の規程は、それぞれの県で地方長官が定めることと相なっております。
  32. 大原亨

    ○大原委員 防空従事者扶助令第二条の第六番目でありますが、これは警察関係ですからお尋ねするわけですが、防空法の第八条ノ七により応急防火に協力したものというふうに該当者があるわけでありますが、これの対象者の政府との権力関係——これは部落会、町内会、隣組を国の行政の末端補助機関といたしまして、勅令並びに法律で規定いたしたことと思うのでありますが、その間の権力関係に対する解釈、見解をひとつ明らかにしてもらいたい。
  33. 浜中英二

    ○浜中政府委員 第八条ノ五は、御承知のとおり空襲によって建築物の火災を生じた、こういう場合に「其ノ管理者、所有者、居住者其ノ他命令ヲ以テ定ムル者ハ命令ノ定ム所ニ依リ之が応急防火ヲ為スベシ」、かようになっておりますので、こういうふうにあらかじめ命令をもって定めております者は、政府の命令に従う義務を持っておるものでございます。そういう意味におきましては、いわゆる防空組織の末端の役割りを果たしておるものと思われます。ただ、その場合に、前項の場合においては、現場付近におる一般の国民に対しまして、応急防火に協力すべしという二項が規定されてございますが、その辺の権力関係をいかように御説明すべきか、私どもといたしましては、いわゆる公務に対しまして協力援助したものというような関係にあると思っております。
  34. 大原亨

    ○大原委員 防空法では、八条ノ七にそういうふうに概括的に規定をしてございますが、それらに基づきまして部落会、町内会、隣保班、つまり隣組を、勅令におきましては「市町村ノ補助的下部組織トスル」と規定しておるというふうに私の資料ではなっておるわけであります。それから、その勅令を昭和十八年に、法律第八十号によりまして市制を改正し、また八十一号で町村制を一部改正をいたしまして、これらの機関を市町村長の補助的末端機関とするというふうに、行政の補助機関であるということを明確にいたして、そうしていろんな配給業務はもちろんですけれども、防空業務に対する法律関係を明らかにいたしておると思いますが、私のそういう見解に対しまして、あなたはどういうふうに御解釈になりますか。
  35. 浜中英二

    ○浜中政府委員 実は隣組の関係につきましては自治省から御答弁願うのが筋かと存じますが、ただ当時は、昭和十四年ころ内務省の通達で、自発的な自衛組織として発足いたしております。その後戦争がだんだんと深刻になるに従いまして、そういう組織が、ただいま御指摘のような形に漸次改変されてきたのではないか、かように考えておるわけでございますが、その辺の閣議決定とか通達等のものにつきまして、現在手元にございませんので、よくその辺は研究さしていただきたいと思います。
  36. 大原亨

    ○大原委員 私が言ったのは勅令でなしに、内務省訓令です。最初は内務省訓令で規定いたしまして、昭和十八年に法律八十号並びに八十一号によりまして、市制、町村制を改正いたしまして、市町村の末端補助機関にいたしました。当時のこの資料——これは自治省が受け継ぐべきものですか、それとも当時の資料が散逸をいたしておるのですか。私は、いろいろ収集するのにずいぶん苦労いたしました。どういう事情か、ひとつその辺も聞かしてもらいたい。
  37. 浜中英二

    ○浜中政府委員 敗戦、占領というかつて経験したことのない事態に当面いたしまして、一部警察関係資料は占領軍に押えられるというような事情もございましたし、また、いろいろな書類をそのときに十分に整備しておけばよかったわけでありますが、不用意のうちに焼却したというような事実もございまして、この辺の収集に私もたいへん苦労いたしておるわけでございます。ただ、先ほど申し上げましたように、隣組、町内会の組織という点につきましては地方局とも連携を保って指導いたしておりましたようでございますので、その点につきましては関係の省ともよく協議して善処させていただきたいと思います。
  38. 大原亨

    ○大原委員 当時の事情はわかるし、戦後は、内務省は解体になって警察庁や消防庁や自治省や建設省等に分かれておりまして、その若干の事情はわかるわけです。わかるわけですが、そういう法律関係は、今日閣議決定や勅令あるいは内務省訓令等は明らかになるはずでありますから、この点はさらに明確にしてもらいたい、こういうふうに私は要望いたしておきます。ただ、この際、私が最初に申し上げましたが、昭和十九年九月二十二日の閣議決定、あるいは帝都防空につきましては勅令に基づきまして、内務大臣を頂点といたしまして、警察署長を末端の第一線の指揮官といたしまして防空体制を整備いたしまして、軍官民一体の本土決戦の体制をとっておったことが、法令上あるいは閣議決定上予想できるのであります。特に九月二十二日の閣議決定のそういう資料は、当時の新聞にも出ておるわけであります。大々的に出ております。したがって、閣議決定は私がさがしましてもいまのところ見つかっておりませんが、これは警察庁のほうにおいてすみやかにさがしてもらいたい。その点は、資料といたしまして私は要望いたしておきますので、善処していただきたいと思います。
  39. 浜中英二

    ○浜中政府委員 御指摘の点につきましては、十分に資料の収集につとめさせていただきたいと思います。
  40. 大原亨

    ○大原委員 それでは、これは警察庁でも自治省でも厚生省でもよろしいのですが、お答えいただきたいのです。町内会長、部落会長は市町村長が任命することになっておりまして、隣組は、その下にある隣保組織としておるわけであります。それがいわゆる防空の実施並びに訓練——防空法は昭和十八年に改正をいたしております。警察庁のお手元にないようでありますが、十二年に制定いたしまして、十八年に改正いたしておりまして訓練が加わっております。それから防空の実施並びに訓練、こういうものに対しまして行政官庁、実際には警察署長が第一線に出ました。しかしながら、防空本部には、都市その他によってなんでございますが、それぞれ軍の参謀その他軍の関係者が出まして実質的な指揮をとっておったということは、私どもの末端の記録、長崎その他の記録にあるわけであります。そういう指揮のもとにありまして、防空本部からの命令あるいは法律による規定に基づいて防空の実施と訓練に従事をしたと思われるわけでありますが、それには罰則がついておるわけであります。これは警察庁でもよろしいが、自治省でもよろしい、防空法八条ノ七に該当するそういう対象の人々が、応急防火に対しましてそういうことをやらなかった場合においてはどのような処罰を受けたのか、罰則があったのか、こういう点につきまして明らかになっておれば、ひとつお答えいただきたい。
  41. 浜中英二

    ○浜中政府委員 御指摘の第八条ノ五に定めております命令に違反いたしました場合は、第十九条ノ三によりまして罰金に処すという形になっております。すなわち第八条ノ五の一項の規定に違反いたしました者は「五百円以下ノ罰金ニ処ス」、これは十六年の資料でございますので、その後そのままこの罰則が引き継がれておるものと思いますが、金額その他につきましてはその後の改正で若干変わっておるかどうか、その辺は正確に調べさせていただきたいと思います。
  42. 大原亨

    ○大原委員 当時五百円、これは一番軽微な罰則だと思います。防空法関係では。町内会、部落会、隣組でありますか、その他の項目についてはあとお尋ねするのですが、その他一年以下の懲役とか一千円以下の罰金、一千円といたしますと、四百倍にいたしましても四十万円であります。これは現在から考えてまいりますと相当の罰金の金額であります。その不明の点はお調べいただくといたしまして、そういう関係であります。  それから防空従事者扶助令の第二条の最後の項目で、「防空法第三条第一項」、この一項の関係者の法律関係はどのようになっておったのか、その間の法律関係と事実問題について御承知の点があれば、お答えをいただきたい。
  43. 浜中英二

    ○浜中政府委員 扶助令の七号の問題でございまするが、これは防空法の第三条一項にあります「防空上重要ナル事業又ハ施設ニ付行政庁二非ザル者ヲ指定シテ防空計画ヲ設定セシムルコトヲ得前項ノ防空計画ハ行政官庁ノ認可ヲ受クベシ」、かようになってございまして、いわゆる生産防空と称しまして、当時工場とか事業場中心に防空計画を立てさせまして、それを主務大臣が命令をしておったという事柄のようでございます。いわゆる地域の防空体制でなくして、事業場中心の防空の従事者のことをさしておるものと了解いたしております。
  44. 大原亨

    ○大原委員 工場や学校等に防空計画を設定させまして防空本部の各級機関の承認を受ける、それに従って、警戒警報や空襲警報発令あるいはそういう空襲に対する計画を防空の実施と訓練において立てる、こういうことで、そういう事態が起きた場合にはそれに従ってやるという関係だと思うのです。これはさらにもう少し具体的な事実についてひとつ御検討いただきたい。  そこで、これはあと少し警察庁残っておりますが、順序から厚生省にお尋ねいたします。  防空従事者扶助令の第二条の三番目、防空法六条一項及び二項による対象者はどういう人ですか。これは非常に具体的な事項なのです。個人個人に国の権力が及ぶような事項でありますから、これはいろいろ御研究になっていると思うのです。
  45. 実本博次

    ○実本政府委員 防空従事者扶助令第二条第三号該当者は、規定では、「防空法第六条第一項又ハ第二項ノ規定二基ク地方長官ノ命令二依リ防空ノ実施又ハ其ノ訓練二従事スル者」とございますが、そこで防空法六条一項には「勅令ノ定ムル所二依り特殊技能ヲ有スル者ヲシテ防毒、救護其ノ他防空ノ実施二従事セシムルコト」ができる旨が規定してあります。その勅令たる防空法施行令第四条第一号では、その特殊技能者を「医師、歯科医師、獣医師、薬剤師、産婆、保健婦及看護婦」、並びに「地方長官ノ定ムル者」としております。なお、この後段の地方長官の定める者につきましては、防空の実施上必要とする特殊技能者を、医師、看護婦等のほかにも定めることとしております。各地方長官が定められておるために、事実上そういう指定したものがあるかないか、また指定したとしてもだれを指定したかは明らかではございません。また、防空法第六条第二項には「勅令ノ定ムル所二依リ防空ノ実施二関スル特別ノ教育訓練ヲ受ケタル者ヲシテ防空の実施に従事セシムルコト」ができる旨規定されておりますが、防空法施行令にはそれが何であるかの規定がございませんので、これまた明らかではございません。  以上でございます。
  46. 大原亨

    ○大原委員 あなたのほうは研究が足らぬですよ。いま、第六条の一項はそれでまあ大体よろしい。第二項は一体何かということですね。これは厚生大臣もお答えいただきたいのだが、第二項は何か。この間、こういう問題が起きてきたのです。当時、長崎医大の学生が一般の徴用で工場等に行っておったのですが、しかし、特殊技能者ということになりまして、防空本部長、地方長官に招致をされまして、そして防空法上の動員を受けた。四百数十名死亡いたしました。徴用令で徴用学徒といたしまして動員をされた、そういう学徒については準軍属としての処遇があるわけですが、引き戻されて、特殊技能者といたしまして、そういう救護や治療等に当たる役割りを得た人々は今日なお放任されておる。その関係は第二項にあって、そして施行規則に、内務大臣は文部大臣あるいは学校当局者と協議をしてそういう動員をきめなければならぬというふうな規定があるわけであります。そういう関係で動員をされたのではないか。さらに当時、やはり法令上はいろいろとダブっているから、他に学校のそういう医者とかその他の卵、特殊の技能者、そういうものを若干訓練をいたしましてやった例があるわけですが、他の法令もあるわけですが、その点は明らかにされておりますか。最近長崎やその他において問題になっている個所であります。
  47. 実本博次

    ○実本政府委員 いまお尋ねの六条二項の件は、先生のおっしゃいましたことでございますが、「地方長官ノ定ムル者」となっておりまして、その定めたものが全然見当たりませんので、どういったものであるか、さっき申し上げましたようにちょっとつかみにくいわけでございます。ただこれに類似の規定が、戦時災害保護法の施行令に同種の規定がありますが、これを類推して考えますと、たとえば建築技術者等がその範囲に含まれているのではないかというふうに考えられるわけでございますが、しかし、政令で定めるというところが、その政令がわからぬものでございますから、ちょっといまわかりかねるわけでございます。
  48. 大原亨

    ○大原委員 この間の事情については、これは現地長崎でも問題となり、文部大臣と厚生大臣が協議されたということが新聞では一部あるわけです。これはいかがですか。
  49. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 長崎医大の学生四百数十名が、長崎に原爆が投下されました際に災害を受け、死亡いたしておるわけでありますが、これを援護法適用によって処遇をするという問題につきましては、かねてから関係者の陣情等もあり、また、国会議員の皆さん方からもいろいろな御助言がありまして、援護局が中心になって今日まで検討してまいったところであります。しかし、事実関係におきまして、総動員法関係適用の面では十分その実情が把握、究明ができない、こういうことで、なお引き続き調査はいたしておりますが、現在の段階では、それをはっきり確認ができないことを私ども非常に遺憾に思っているわけであります。  先日、閣議が終わりましたあとで、私もこの問題につきましては何とか救済の道はないか、こういうことを心にとめていろいろ考えております関係もありまして、戦時教育令適用によってこの問題を処遇する道はないか、ぜひひとつこの点を文部省におきまして御尽力を願いたい、こういうことを中村文部大臣に私から提案をいたし、また文部大臣も、文部省並びに長崎医大関係機関を督励してできるだけ早く調査し、その実態を明らかにするようにできるだけ御希望に沿うように努力をしたい、こういうことで、文部大臣も熱意を持ってこの問題の研究に当たることをお約束をいたしておるところでございます。私ども、このお気の毒な事情に対しましては十分御同情を申し上げ、また、何とか援護救済の措置を講じたい、こういう熱意のもとに、私の所管であります援護局はもとよりでありますが、文部省当局にも連絡をとりまして鋭意引き続き調査を進めておる、こういう段階でございます。
  50. 大原亨

    ○大原委員 防空従事者扶助令の第二条第三号にあげました防空法第六条第一項、これについては、医師、獣医師や看護婦や助産婦、保健婦、そういう人々を対象としていることははっきりいたしておるのです。第二項もはっきりしておるはずなのです。で、当然法律が出て勅令が出る、あるいは各省の訓令等が出て、その命令系統が確立をして各級の防空本部にいっているのです。これは中央あるいは地方長官、あるいは市町村の防空本部長、各級にいっているわけです。六条一項、二項の罰則、これはあなた知っていますか。——私が言いましょう。六条一項、二項の罰則は、一年以下の懲役、一千円以下——現在に直せば四十万円だ、その一千円以下の罰金、こういうことになっておるわけです。その特殊なそういう技能者に対する命令のしかたはどうなっておるかということは、私はあとで聞きますけれども、ともかくも長崎医大の学生の四百数十名については戦時教育令をも考え合わせてやりたい、こういう文部大臣と厚生大臣の御相談であるというようなことなんです。これも私は念のために聞いておくのですが、わからなければわからぬと答弁してください。戦時教育令のどの条文にこれは適用するのかということについて……。
  51. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 具体的に第四条が一番関連があるわけでありますが、この戦時教育令の趣旨を全体的に私ども把握いたしまして、これによって援護、救済の措置がとられないかどうか、また、事実関係をまず調査しなければいかぬ、こういうことで文部大臣にお願いをしておるわけでありますが、私は、この戦時教育令の事実関係が明らかになりますれば、その趣旨を十分取り入れて、援護法改正等の面でその援護、処遇の措置を検討してみたい、こういう趣旨で戦時教育令に基づく事実関係の調査、究明方を文部大臣にお願いしておる、こういうことであります。
  52. 中村重光

    中村(重)委員 関連。厚生大臣が、被爆した長崎医大四百六十七名の犠牲者に対して、何とか措置しなければならぬということで、熱意を持って取り組んでおるということはよくわかるわけなんです。歴代の大臣が、被爆対策としてもっと積極的な措置をやってもらいたいという要求に対しては、なかなか前進がなかった。衆参両院における被爆者援護強化に対する決議を受けて、特に鈴木厚生大臣がそうした取り組みをやっておるということに対しては敬意を表するわけです。  そこで、いま厚生大臣から、戦時教育令を適用して何とか特別の援護措置を考えてみなければならない、こういうことで文部大臣お話しになったということは、新聞紙上等を通じましても承知をいたしておる。そこで、この戦時教育令の第四条がどういうことになっているのか、私もつまびらかではございません。御承知のように、医大の学生は総動員法によって動員をされておる。ところが、戦時体制に即応するために、医大の学生だけが総動員法を解除されて、そして短期学習を行ない、さらに教育訓練というのが行なわれてきたわけですね。さらに、防空法その他の法律あるいは動員によっていわゆる救護作業に従事しておったときに、原子爆弾によって犠牲を受けた、こういうことなんですが、そこで、いま大臣から戦時教育令第四条ということのお話がありましたが、いま私がこれから事実問題として申し上げることがそれに適合するのかどうか。私はむしろ、総動員法を準用すべきであるという考え方すら持っておるわけです。  そこで、申し上げてみますと、こういうことがあるです。長崎大学付属病院に麻酔科がある。その麻酔科の教授をしていられる秦野滋という人がいるわけです。この人が当時学生であった。その人がこういうことを言っている。  二十年四月二十六日、長崎駅その他三菱の工場等に爆弾が投下された、多数の死傷者が出て、その死傷者が大学病院に警防団の手によって運ばれた、そこで待機中の教授、医師、学生は直ちに病院の玄間で警防団員よりその死傷者を受け取って、傷の手当て並びに死亡者の措置を行なったという事実問題がある。  さらに六月二十九日、佐世保に大空襲が実はあったわけです。そうして翌三十日、医師に引率された約三十人の学生が、救護のために佐世保に出向をしたわけですね。佐世保市の北病院で負傷者の手当てを行ない、死亡者の措置等を行なった、宿舎は病院長の千住という人の宅を充てた、そうして一週間から十日ぐらい救護作業に当たった、こういう事実がある。  さらに八月一日、大学病院その他六カ所に爆弾が投下されて、患者も医師も看護婦も学生も相当傷ついた、もちろん学生が措置に当たった、救護作業に対しては、学生は班編成による任務が与えられた、特別の訓練が行なわれていた、こういうことをこの秦野さんが——これは現在生きておるわけですが、そういう話をしておる。  そういうことで、後藤——いまの長崎大学の医学部長が、厚生大臣と文部大臣お話しになったあと、新聞に出ておるのですが、それに対して後藤医学部長はこういうことを言っておるようです。  まあ政府が何とかしなければならぬというので、前向きの姿勢をもって取り組んでおるということについては敬意を表するのだが、戦時教育令というけれども、単に教育ということだけならば、あの危険な条件の中において、土曜も日曜も、連日学生を拘束して教育をする必要はないのだ、実際は命令が下されて、その命令によって救護作業に当たらせたのだ、したがって、そういうような犠牲が出る結果になったのだ、これは単なる教育ということでもってこの問題を措置してもらっては困る、こういうようなことを言っておるようです。  敬意を表しながらも、ともかくこれは戦時教育令に基づく単なる教育ということだけでやってくれるな、ともかく命令によってこれは動員されて、そうして拘束されて勉強もし、救護作業にも班編成等をもって——しかも昼だけではない、夜もゲートルをはめて、しかも学校に泊められて、そうした作業に拘束されて当たったのだから、これは総動員法による、いわゆる拘束されて徴用等に従事した者と同じである、あるいはそれ以上——徴用された者は、夜は自分のところへ帰ることができた、自宅なりあるいは寮なりに帰ることができた、しかし、医大の学生はそれすらも許されなかったということが事実問題として指摘されておるわけですが、こうした問題に対して、厚生大臣はどうお考えになるのか。それから、文部省からきょうおいででしょうから、いまのいわゆる戦時教育令というものがどういう内容であったのか、ただいま私が申し上げたことは、その戦時教育令のどの点に該当するとお考えになるのか、文部省のほうからもひとつお答えを願いたい。
  53. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 いろいろだだいまも御説明があったのでありますが、当時の状況等を総合的に、全体的に推察をいたしまして、何らかそこに命令なり、あるいは国の意思、あるいは都道府県知事の意思等、国の権力につながるようなことで拘束をされ、あるいは防空の災害に対する救助等に当たったのではなかろうか、こういう推察が総合的、全体的な観点からされるわけであります。ただ、事実関係がなかなか把握されない。総動員法の関係で命令なり何なりが出ておる、こういうことが把握できますれば、これは問題ないわけでございます。厚生省におきましては、この点につきまして今日まであらゆる努力を重ねてまいりました。今後もやってまいる考えであります。しかし、いまの段階では、旧国家総動員法の関係では、どうもその点がつかみかねておる。そこで、私は文部大臣に対しまして、戦時教育令の関係で短期にたくさんの医学生を教育をし、養成をして、また、かたわらそういう防空活動あるいは救護活動等に協力をさせる、そういうようなことがなされておるという事実が出てまいりますれば、その事実をもって私は援護法改正の中にそれを取り上げて、ちょうど閣議決定による満蒙の義勇隊等を援護法の中に取り上げたと同じような仕組みで、戦時教育令でそのような事実がなされておれば、その事実が確認されればそれを援護法の中に取り上げて援護措置を講じたらどうか、こういうようなことで、戦時教育令に基づく事実関係の調査、究明方を文部大臣にお願いをした、こういうことであります。  また、ただいまは大原さんから、今度は防空法及び防空従事者扶助令関係のことで、そういう角度からこの問題をひとつ検討したらどうか、こういう御提案もあるわけであります。私は、この御提案、御意見に対しても、先ほど来耳を傾けておるところであります。ただ、ここで問題は、医師やあるいは看護婦ということがはっきりしておりますし、あるいはその他命令によって定める者とかというようなことがありましても、そういう人たちが現実にその防空活動なり何なりの、あるいは防空災害に対する救護活動に従事しておる、その際にああいう爆弾による被害を受けたのか、そうでなしに、そういう指定はかりに受けておっても、その爆撃を受けたときは教室で本来の学生としての立場で勉強しておったというようなことであるのか、そういう事実関係を十分把握する必要がある、こういう問題もそこに残ろうかと思うわけであります。また、その問題は、単に長崎の原爆の場合におけるのみならず、防空活動ということになってまいりますれば、今度は全部の被災地における防空従事者あるいは警防団等々にも及んでくる、それからさらに、一般の戦災者との均衡の問題も出てまいりますでしょう。そういう点を全体的、総合的に勘案をしなければならぬわけでございます。この長崎医大の原爆による四百数十名の被災者の問題につきましては、非常に悲惨な、深刻な問題でありますので、何とかあらゆる角度からこの事実関係を明らかにして、そして私は、援護法の面なり何なりに取り上げて援護措置を講じたい、こういう前向きの気持ちで検討を進めておる、こういうことでございます。
  54. 杉江清

    ○杉江政府委員 長崎医科大学におきまする被爆した四百数十名の学生については、何とかこれを救済するという立場で救済できないか、こういうことで文部省としても多年事情も調査し、また厚生省にもお願してまいりました。ただ、当時の状況が相当混乱しており、また当時の資料、特に文書によるものの資料がつかみにくい等の事情があって、なかなかこの情報の確認が困難である、こういうようなこともありまして実現しなかったわけでございます。けれども、ただいま大臣も申されたように、当時の状況をいろいろ調査いたしましてこれは見きわめたいと私ども考えて、なお調査を深める努力をしております。先般も課長に現地調査をさせたのでありますし、また、目下大学にも当時の状況をなお詳細調査するように命じております。先ほど戦時教育令のお話もありましたが、この関係も調査の対象としなければなりませんが、ただいま私どもの調査の観点としては、特にこういう点について努力いたしております。当時、学校報国隊によっておったかどうか、総動員業務であったかどうか、措置命令等があったかどうか、また、総動員業務に実際に従事しておったかどうか、こういうような点について調査を進めております。これらの相当部分については、相当肯定的な判断が下されるものとわれわれは考えております。ただ、文書によるものについては必ずしも十分とは言いがたいのでございますけれども、当時のかなり多くの人々の状況聴取をいたしました結果、その文書の欠陥を相当補てんするのではないかと考えております。ただ、なお一面については調査を深め、これらの調査の結果をまとめて厚生省にもなおお願いをしたい、かように考えておる次第でございます。
  55. 大原亨

    ○大原委員 午前中の所定の時間がきたようですから、これはあとに残しておくわけですが、もう少しけじめをつけたいと思うのです。このことは、法律上私は資料を持っておりますから、見解を持っております。そこで、警察のほうが急ぐわけですが、警察のほうに最後に質問いたしますが、防空法は、昭和二十一年の一月三十日に法律によりまして廃止になっておるわけであります。二十一年の一月三十一日以降、法律によって廃止された以降の防空法関係の業務はどこの官庁で引き継いだのか。これは残務整理やその他法律上残っておるわけですから——法律の中身はあとで午後の質問で申し上げるのだが、残っておるのだから、当然引き継ぎ者がなければならぬ。いま閣議決定や省令、訓令、施行規則等いろいろなやつを求めてみましても、なかなかこれはわからぬわけです、これは内務省解体という事実があるから。防空法についてどうだったのか、それがうやむやになったというならば、その間の事情があればひとつ率直にお話しを願いたい。あげ足をとるわけではない。後にまた明白になった事実があれば、また後の機会に明らかにしていただきたい、こういうふうに質問をいたしますから、それについて御見解を議事録に残していただきたい。
  56. 浜中英二

    ○浜中政府委員 終戦とともに防空関係の業務は一切これがなくなったという考え方に立ったものと思われまして、当時防空関係は、法律によって防空法が廃止されまして、それぞれの訓令によりましていろいろな組織が廃止されております。ただ、御指摘の点につきまして、たとえば扶助令等につきまして、これがそのまま経過措置で残っておるという分野も一部あるようでございます。原則的には引き継ぎなしに廃止された。その残っておる問題につきまして、実はたいへんに申しわけございませんが、若干時間をかしていただきまして、その間の引き継ぎの事情を調査さしていただきたいと思っております。
  57. 田中正巳

    田中委員長 本会議散会まで休憩いたします。    午後零時三十分休憩      ————◇—————    午後二時五十四分開議
  58. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続けます。大原亨君。
  59. 大原亨

    ○大原委員 最初に、時間がおくれたことについて遺憾の意を表明いたしておきます。  そこで、簡潔に午前中に引き続いて質問いたします。午前中、防空法関係の防空実施並びに訓練に従事した者に対する扶助規定についての状況を警察庁にお尋ねしたわけでありますが、防空従事者扶助令第二条の第三号「防空法第六条第一項又ハ第二項」に該当する人々、これはたとえば空襲の際に、あるいは原爆が投下された際に、医者や薬剤師や看護婦あるいは助産婦や保健婦、こういう人々に対しまして、特殊技能者といたしまして各級の防空本部長が軍の指導下に動員をいたしたのであります。これは午前中にも議論をいたしたとおりであります。その際に、どのような手続でそういう特殊技能者を防空業務に動員をいたしたのか、これは具体的な問題を把握する上においてはきわめて大切な問題であります。したがって、その点について厚生省はどのようにお調べになっておるか。これは警察庁のほうにはあえて尋ねませんでした。この点についてひとつ厚生省のお答えをいただきたい。
  60. 実本博次

    ○実本政府委員 防空法第六条第一項または第二項による特殊技能者等の従事命令は、防空法施行令第四条ノ四の規定がございまして、地方長官が従事令書を交付して行なうことになっております。その令書の記載事項は、防空法施行規則第八条に定めてあるところでございます。  なお、同規則第七条によりますと、地方長官が「内務大臣ノ定ムル学校ノ学生生徒ヲ防空ノ実施ニ従事セシムル場合ニ於テハ予メ当該学校長ノ意見ヲ徴スベシ」となっていますが、内務大臣の定めというものが全然見当たらなくて不祥なわけでございます。
  61. 大原亨

    ○大原委員 広島や長崎の原爆被爆地域において、あるいはその他の空襲地域におきましていろいろと調査をいたしてみますと、これらの特殊技能者は包括的に防空計画の中に人員を登録するのではなしに、個別的にいまのお話のような従事令書または指定書——書類形式はいろいろあるらしいのでありますが、それらの書類を受理いたしまして防空業務に従事をいたしておる、防空本部長の個別的な命令によってやっておるのだということがはっきりいたしました。このことは、鈴木厚生大臣であったかあるいは前の有名な神田厚生大臣であったか、そのときに私やったのですが、そのときには、お医者さん等で空襲等のときに本部長の命令を受けて防空業務に従事した、そういう特殊技能者の人々については何らかの措置をとるべきであるというお答えがあったのであります。したがって、これは議事録を見てもらえばわかるのです。そのことは私はきわめて重要であると思います。この事実問題につきましてはいまはっきりいたしたので、また後にこの問題に関連をいたしまして質問をいたします。  それから第四号に規定をしてありまする「防空法第九条第一項ノ規定ニ依リ防空ノ実施ニ従事スル者」とは、具体的には一体どのような人々をさすのか。これは私は警察関係でないと思いましたので午前中質問いたしませんでしたから、この際厚生省はどのような理解を持っておられるか、ひとつお答えいただきたい。
  62. 実本博次

    ○実本政府委員 防空法第九条第一項では、「防空ノ実施ニ際シ緊急ノ必要アルトキハ地方長官又ハ市町村長ハ防空ノ実施区域内ニ在ル者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得」というふうに規定されておるわけでございます。この規定から考えますと、防空の実施に際して緊急の必要が生じた場合の措置についての規定とは考えられますが、地方長官または市町村長の判断によって適用できる旨の包括規定で、事実上この規定を働かせて地域住民に対して防空の実施につかせたかどうかということは、私のほうではそういう実態関係は全然わからぬわけでございます。
  63. 大原亨

    ○大原委員 これはあとでお答えのときに、自治省はその点をどういうふうにお考えになるか、それから第五の「その他地方長官又は市町村長の為す防空の実施又は訓練に従事する者のうち内務大臣の指定するもの」というのは、どういう団体なり人々が対象であるか、これは厚生省、文部省、自治省から順次、御承知であるならばお答えいただきたい。
  64. 実本博次

    ○実本政府委員 私のほうでわかっております範囲でお答え申し上げますと、防空従事者扶助令第二条第五号該当者は、「前二号ニ掲グル者ヲ除クノ外地方長官又ハ市町村長ノ為ス防空ノ実施ニ従事スル者ニシテ内務大臣ノ指定スルモノ」という規定がございまして、これについては、昭和十六年十二月二十七日に内務省告示第六百八十九号によりまして、学校報国隊員が指定されておるわけでございます。  なお、この告示は昭和十六年に定められておりまして、同告示にいいます学校報国隊員というのは、あとで出てまいりました国家総動員法に基づいて、昭和十九年八月に定められました学徒勤労令第二条にいう学校報国隊と同一の概念をさすのかどうかということはつまびらかでございません。
  65. 大原亨

    ○大原委員 本号にいいまする学校報国隊と総動員法に基づいて昭和十九年に制定いたしました学徒勤労令による学校報国隊との関係について、文部省はどうお考えになっておりますか。
  66. 笠木三郎

    ○笠木説明員 ただいまのお尋ねでございますが、当初学校報国隊ができましたのは、昭和十六年に訓令をもって設立されることになっております。学徒勤労令の形で勅令で定まりましたのは昭和十九年でございますが、この両者の学校報国隊につきましては、実態としては大体同一のものというふうに一応考えております。
  67. 大原亨

    ○大原委員 午前中鈴木厚生大臣から、長崎の四百七十名の医大の学生の援護の問題について、戦時教育令の問題をお話しになったわけであります。しかし、これはその母体は、いまお話しのように全く同じ学校報国隊を基盤にいたしまして、戦闘が激化するに従って指揮系統については若干の移動があったわけですけれども、相当の変動があったわけであります。そのことは事実であります。  そこで、私は防空法施行規則の第七条にこういう文章があることを発見いたしたのであります。「地方長官防空法第六条第一項又ハ第二項ノ規定ニ依リ内務大臣ノ定ムル学校ノ学生生徒ヲ防空ノ実施ニ従事セシムル場合ニ於テハ予メ当該学校長ノ意見ヲ徴スベシ」というふうにあるわけであります。すなわち防空法施行規則の第七条に、地方長官は学校報国隊を内務大臣の定むる規定に従って動員できるようになっておる。その際には文部大臣あるいは当該学校の校長の意見を徴すべし、こういう規定があるわけであります。ですから、総動員関係と防空法関係学校教育の関係は、昭和十九年の末期ごろに至りますと全く一体の形になっておるのであります。ですから、戦時教育令というのは非常に抽象的な規定であります。それでできるならばいいのですが、それも私はダブっているかもしれぬと思います。もちろん戦時教育令の第四条も関係があるでしょうが、明確に特殊の技術者として動員いたしましたものは、ここに引用してありますように防空法の第六条の一項と二項です。ここにございます扶助令の第三号に該当するものであって、そして特殊技能者は個々に命令をするだけでなしに、罰則は一年以下の懲役、一千円以下の罰金があるわけでありますから、これは非常に大きな国の権力を背景といたしまして、権力関係において動員をされたということが明確であるわけであります。医師その他を含めまして、学校の学生もその中に入っておることは明確であります。私の申し上げました見解について、厚生省と文部省は、異存があればその見解を明らかにしてもらいたい。
  68. 実本博次

    ○実本政府委員 先ほど私のほうから御説明申し上げましたように、内務省告示で防空法関係の定めております学校報国隊と学徒勤労令第二条にいう学校報国隊とは、われわれのほうとしてはこれは完全に同じものであるというふうには解しておりませんで、あくまで国家総動員法に基づきました学徒勤労令の第二条にいう学校報国隊とは別個のものと考えて処置しておるわけでございます。
  69. 笠木三郎

    ○笠木説明員 先ほど申しましたように、学校報国隊につきましては、学徒勤労令において総合的な規定が置かれたわけでございます。したがって、昭和十六年当時から訓令によって定められましたものと法令上どういう関係にあるかということにつきましては、直ちにそれを裏づけるものとしては、なかなか発見が困難でございます。ただし、先ほど申しましたように、実態としては同様のものであろうということを一応考えているということを申し上げました。  そこでもう一つ、戦時教育令の学徒隊でございますが、これと勤労令の学校報国隊との関係につきましては、これも具体的にどのような調整が行なわれましたかについては、必ずしも分明でございません。しかしながら、戦時教育令の規定によりますと、この学徒隊がいわゆる動員業務に従事するという場合には、学校報国隊という形をとって行なわれておったという定めがございます。したがって、総動員業務という形でございますならば、学校報国隊という形が基本であったということは言えるのじゃなかろうか、かように考えております。
  70. 大原亨

    ○大原委員 お二人の見解は違うのですよ。あなたは援護法対象にすまいというふうに思っているから、総動員関係と防空法関係を分けるのです。しかしながら、私が資料——これは正式に要求いたしますが、昭和十九年九月二十二日の閣議決定に基づいて、中央は内務大臣を頂点として、ブロックの地区協議会の地方長官あるいは市町村長を防空本部長として、陸軍とか海軍の鎮守府、それから鉄道は国鉄でありましたが、鉄道とか電信電話とか、あるいは学校関係とかおもな大学とか、そういうふうなものはすべて指導官を派遣して防空本部長のもとに結集しているのです。本土決戦に備えてそういう命令系統を一本にして、前は縦割りに各省別にいろいろな法律があったのを、防空については一本にしたのです。ですから、前の総動員法関係も本土決戦に備えて一本にしたのです。だから、閣議決定やあるいは東京の帝都の防空総本部の組織、機構等を決定いたしました勅令、地方の分は閣議決定、これらは要綱が新聞に出ておるのです。当時は、新聞に出るのは官報と同じです、大本営発表その他規定のものしか発表しなかったのですから、推測記事はしなかったのですから。だから、資料は明らかにあるはずです。これを、資料をさがせと言ったって、なかなかいま出てこないわけです。それを私は責任を持ってさがしてもらいたい。そうすれば、その関係で厚生省と文部省がいまごちゃごちゃしている、そういう経過的な意見については一致点が見出せる。だから、それは結局は重なっているのです。防空法については、厚生省はほとんどノータッチなんです。非戦闘員だなんと言って、対象からできるだけはずそうということだった。しかしながら、これは権力関係からいっても、隣組は市町村長の末端機関であるというふうに法律で規定している、補助機関であるということになっている。ですから、これは全部罰則がつきまして総動員という形になっている。特にその中において罰則の重い特殊技能者があるわけです。そういう点において位置づけて議論すればいいのですけれども、そういう点の理解や研究が足りない。はっきりしておるのです。このことはどうですか。厚生大臣、お聞きになっていて大体おわかりになるでしょう。これ以上は大臣答弁に属することです。
  71. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 いま大原さんからも御指摘がありますように、当時のいろいろな閣議決定でありますとかあるいは勅令関係でありますとか、そういう資料等を十分整理をいたしましてその関係を掘り下げた検討をやってみたい、こう存ずるわけであります。そういう検討がなされてからでないと、私、これに対して政府としてどういうぐあいに位置づけをするかというような問題は、検討を待って御答弁をしたい、こう思います。
  72. 大原亨

    ○大原委員 長崎などは、防空本部長が指導官、各縦割りの出先を全部招集しまして、そこへ角参謀などという人が随時出席いたしまして、戦争の二十年になりましてから防空本部において総合的な現地指導をしているのです。そういう記事その他がここに載っておるわけです。これは長崎の当時本部長をしておった人がたまたま持っておりまして、それから逆にいまの法令関係、閣議決定その他を全部調べたわけです。これは当時戦犯その他のおそれがなかったものだから、自分もその点については心配なかったから焼かなかった、散逸しないで持っていた。中央は内務省が解体して支離滅裂になったものだから、資料はなくなっている。しかし、閣議決定とか帝都の防空本部の勅令とかが、ないはずはないとみな言うのです。だから、だれかが隠しているのではないかと言っている。ないことはないと言っている。どんなにしたって出てこない。要綱その他はありますよ。そういうことについてのいままでの各省縦割りのやつを一本にして防空業務をやって、これは二重にやる場合には防空法を優先してやったのです。そして罰則も強化しまして、これは防空従事者というふうに規定したのです。その間の事情を責任を持って調べてもらいたいと思いますが、厚生大臣、いかがですか。
  73. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 ただいま申し上げたとおり、当時の関係資料を十分さがしまして、整理した上で検討いたしたいと存ずるわけであります。大原さんも御承知のように、当時の状況というものは、軍があらゆる面に相当指導的に関与し、また民間に対してもあらゆる指導に積極的に乗り出してきた。それが法律だとか命令だとか、そういうものによらない場合におきましても、軍優先といいますか、極端な表現をもっていたしますれば軍部専横といいますか、そういうようなことも当時事実あったわけであります。でありますから、国会におきましても「黙れ」と言った兵隊さんもおったというようなことでございますから、当時すべての軍の行動というものは、法令やあるいは閣議決定等々に基づいてすべて行動しておった、こういうぐあいにも認識できない面もあるわけでありますから、そういう点につきましては、先ほど申し上げましたようにできるだけの資料を整えまして、その検討の上に立って判断をいたしたい、こういうふうに考えます。
  74. 滝井義高

    ○滝井委員 関連。主管省の文部省が、とにかく総動員法による学徒動員、いわばこれは準軍属扱いです、準軍属扱いされているその学校報国隊と、防空関係でいく学校の報国隊とは実態は同じでございます。こうおっしゃっておるわけです。ここが大事なところです。主管庁の文部省は、実態は同じだと言っているのです。ところが、あなたのほうの援護局長は、いや実態は違います、こう言っているのですから、同じ内閣の中で意見が不統一です。だから、われわれは、この前あなたの前任者の神田さんに質問したのです。もう残っているのは——けさ伊藤さんも御質問しておりましたが、却下されているのはもう十万も二十万もあるわけじゃない。一万か二万、せいぜいあったって五万以下です。非常に煮詰められてきています。しかもその人たち資料を集めて、たとえば南のほうに行ってマラリアになりましたといって帰ってきて、胃ガンで死んだり喉頭ガンで死んだりしているのです。しかしそのとき、胃ガンや喉頭ガンのときにマラリアは依然として持っておる、こういう人を出してきても、医学的に見て何も関連がないからと却下している人が多い。そういう人を、一生懸命資料を集めてきたものをむげに却下せずに、もう一万か二万のことなら、こんなにどんどん恩給の金の範囲を広げてきている、あるいは援護法の予算も減ってきているから、やったらどうですと言ったら、まさに私もそのとおりに思う、御期待に沿うようにやりましょうと、昨年の援護法の審議のときに言明しているのです。今度は文部省が、総動員法に基づく学校報国隊も防空関係に基づく学校報国隊も、これは実態は同じでございます。戦時教育令に基づいて動員を受けたものはみな学校報国隊の形をとっておりますということになれば、実態は同じです。しかもこれは、文部省が違うと言っておるのに、われわれが同じじゃないかということではないわけです。文部省も実態は同じだと言っているのです。学生であろうと何であろうと、みな行ったのです。しかもこれは、出なければ村八分になったのです。昨夜も「紀ノ川」という映画があそこであったが、これはみな行かされたのです。出なかったら、配給をとめられて村八分になったのです。だから、同じ国のために命を失ったのに、片方は防空関係だから援護法適用にならない、準軍属にならぬという理論のほうがおかしいのです。文部省も証明しているのです。そこをあなたのほうも謙虚になって、それでは大原君、その資料を出してください、私のほうも調べましょう、こう言うなら話はわかる。実はわれわれのところに、やってくれということで初めに請願書が出てきた。それは長崎の市町村なり、長崎の医科大学の教育関係者から出てきた。しかし、これはだめです、いまはそういう命令関係が明白でなければだめです、それをさがしてください、あるはずだ。これをさがしてきた。これも苦心惨たんしてさがしてきた。これは偽造物でも何でもない。だから、こういう具体的な資料をもって議員が証拠を突きつけていって、しかも権威ある官庁、同じ内閣の文部省が実態は同じだ、こう言っておれば、それじゃ実態が同じであれば援護法適用に努力しましょうと言うのが筋ですよ。そうでしょ。証拠書類はみんなそろっているんです。しかも扶助令その他もあるんですからね。扶助令その他がなければいいんですけれども、あるんです。あなたもその書類を持っているはずだ。だから、こういう問題はもう少しきちっとしないと、法案をあげることが目的ではないんですよ。国民に法が平等に届くことが目的だ。だから、その点は問題を明白にしてもらわなければならぬ。文部省は、実態は同じだと言っているんだから……。
  75. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 滝井さん、誤解のないようにお願いいたしたいのでありますが、私は決してこの援護範囲を広げることについて、極力これを避けようというような考え方はごうまつも持っていないわけであります。したがいまして、長崎の被爆をいたしました四百数十名の医学生の問題につきましても、私が誠意を持って熱心に文部大臣にまで、戦時教育令の面等において文部省として御研究を願いたい、こういうことを提案をいたしましたり、前向きでやっておりますことは御了承をいただきたい、こう思うわけです。ただ、旧国家総動員の関係と防空法なりあるいはそれに基づくところの防空従事者の扶助令なり、あるいはまた、この施行令の問題なり、そういう関係が法的にいかようになっているか、こういう問題は、これに対する援護法改正等を考えます場合には、やはり十分的確な解明をし、その判断の上に立って立法化を進めなければならない、こういう趣旨でございまして、そういう意味合いからいたしまして当時のいろいろな資料法律的な関係等も整備をし、検討をした上で処理をいたしたい、こういう趣旨でございますから、決して逃げたりあるいは拒否したり、そういう考えはごうまつもない、このことを御了承いただきたい。
  76. 滝井義高

    ○滝井委員 大臣、あなたのうしろにいらっしゃる権威ある文部省は、もはや学校報国隊というのは、防空関係であろうとそれから総動員であろうと実態は同じです、こうおっしゃっておるんです。実態が同じならば、あなたのほうは違うとおっしゃっているんだから、違うのはおかしいじゃないか。主管官庁の文部省が実態は同じだと言っているものを、主管でもない厚生省が違いますと言うことはないじゃないか、こういうことなんです。そうでしょう。あなたも文部大臣に申し込んだということは聞いております。だけれども、実態が同じであるかどうかの証明をわれわれはしなければならぬので、こういうものを一生懸命、議員の身分だけれども集めてきたわけです。それならばひとつそれを見せてください、そうして文部省が言うように実態が同じならば善処しましょう、修正案ではっきりやりましょう、こう言うのが筋ですよ。それを言わぬで違うと言うから、われわれもおこらざるを得ないんです。だから、実態が違うなら違う証明をしてもらえばいいんです。
  77. 笠木三郎

    ○笠木説明員 私が先ほど申し上げましたことにつきまして、若干補足的になお申し上げさせていただきたいと思いますが、先ほどのお尋ねでは、特に十六年当時の学徒勤労令が出る前の学校報国隊と勤労令後の学校報国隊との実質的な異同がどうかというお尋ねから出発したわけでございまして、その意味では、私どもとしては、両者の間の実質的な内容はほぼ同じものであったと一応考えられるというふうに申し上げたわけでございます。  それからなお、戦時教育令に定められておりますいわゆる学徒隊というものにつきましても、これがすぐ全部学校報国隊という関係には、いままで調べた関係ではどうもないようでございまして、これは報国隊としていわゆる総動員業務に参加するという形の場合は、学校報国隊という形の適用を受けておったというふうに解されると考えられることを申し上げたわけであります。それから防空法の適用自体につきましては、これは私ども所管でございませんので、これは厚生省のほうの御判断によると思うのでありますが、以上、学校報国隊というものが、いわゆる学徒勤労に関しましての基本的な形であるということを申し上げたつもりでございますので、その点ひとつ御了解いただきたいと思います。
  78. 大原亨

    ○大原委員 こういうことですよ。長崎の実態はこうだったんですよ。総動員業務の学校報国隊で、お医者さんの卵も各学生と同じように工場やその他に動員されておったんですよ。それを引き戻して、やはり学校報国隊を基盤にして防空法の対象として、これはきわめてきつい、やはり同じような動員を特殊技能者として行かせたんです。それがだんだんと防空体制が緊迫してくるに従って、私が十九年の九月二十二日の閣議決定ということを言いましたが、中央においては帝都本部は勅令だ、そういうのに基づいて内務大臣をトップにいたしまして再編成として、軍との関係を緊密に一元化したんですよ。そのときにそういう事態が起きておるというふうに、私どもは時間的に推定できる客観的材料が出ている。ですから、文部省が言っておることは正しいのです。だから、学校報国隊が総動員業務でもあり、防空法による学校報国隊でもあるんですよ。それで戦時教育令の四条というのは、それは文部大臣が、そういう戦争状況に即応して、いままでの教育課程というものについて変更を臨戦的に加えることができるということなんです。その中で、もちろんこれと関係がある。それらが一体となって、こういう医者の卵を特殊技能者として防空に従事させたということになるわけです。これはどんなに推定してみたって、そんなことははっきりしているんですよ。そうでしょうが。
  79. 実本博次

    ○実本政府委員 先ほどからの御議論でございますが、私のほうで学校報国隊というものを総動員法系統で考えておりますものと、それからここで防空法系統で出てまいりましたものとの関係について見解を申し述べたわけでございますが、実態関係は私はわかりません。これはもう実態についてはわかりませんが、少なくとも防空法施行規則の第七条によりますと、地方長官が「内務大臣ノ定ムル学校ノ学生生徒ヲ防空ノ実施ニ従事セシムル場合ニ於テハ予メ当該学校長ノ意見ヲ徴スベシ」となっておるわけでございますが、その「内務大臣ノ定ムル」という定めが、幾らさがしても全然見当たらないわけでございます。したがいまして、それが見つかりませんので実態の比較も論ずることもできませんし、形式的にも、これが出ていませんと、同一であるかどうかということはにわかに断じがたいわけでございます。
  80. 大原亨

    ○大原委員 あなたは、いままで相当時間がたってわからぬと言うが、ますます時間がたてばわからなくなる。わからぬということはないでしょう。そういうことはないと思うんですよ。そんな横着な答弁はないですよ。責任のがれです。あなたの答弁は重要であるから、あなたが慎重にやるのはわかるんですよ。わかるんですけれども、ここに問題があるということを私ははっきりしておきますよ。その点は、私が指摘した点をあなたはひとつ徹底的に事実に基づいて究明してくださいよ。   〔委員長退席、小沢(辰)委員長代理着席〕  それで、質問を進めていきます。防空従事者扶助令が防空法第十二条に基づいて勅令として制定されたことは、御承知のとおりです。その中には一覧表がございまして、第一欄、第二欄とあって、項目別に千五百円から五百円というふうないろいろなランクがあるわけです。いまの金に直しますと、やはり千五百円ということになれば五、六十万円に匹敵するような金です。相当な金です。防空扶助令の、昭和二十一年一月三十一日に廃止されました以降これを管轄する官庁はどこですか。窓口はどこですか。どこの官庁が、一体廃止の扶助令で残った扶助金の支給についていわゆる責任を負うて事務を取り扱ったのか、こういう点であります。これは内務省から分かれた厚生省の援護局等が、厚生省等でもある可能性がある、あるいは自治省かあるいは警察庁がその事務を引き継いでおるか、建設省ということはないから、まあそういうところではないか。しかし、それは厚生省ではないだろうか、こういうふうに思いますが、いかがですか。
  81. 実本博次

    ○実本政府委員 厚生省におきましては、この問題、いろいろ今回のこともありましたので調べてみましたが、そういうものを引き継いだ記録もございませんし、そういうふうな実態もないわけでございます。
  82. 大原亨

    ○大原委員 どこがやっておるのですか。昭和二十一年一月三十日法律第二号で「防空法廃止法律」と、こうなっているのです。「防空法ハ之ヲ廃止ス」、附則として書いてあって、その末尾に「本法施行前ニ発生シタル事由ニ因リ扶助金」、中間を略しまして「ノ弁償ニ関シテハ旧法ハ」、すなわち防空法十二条その他勅令、「旧法ハ本法施行後ト雖モ仍其ノ効カヲ有ス」と、こういうふうに書いてある。残っておるというふうに書いてあるのです。会計法によっても、五カ年間はその事務をやらなければならぬのです、窓口を開いて。予算措置もしなければならぬのです。大蔵省に私はこの点を聞くところだが、やっておくべきなんですよ。そのときには、軍人恩給はポツダム政令かなんかで、これは戦争関係するから切るのだといって切ったのですよ。しかし、これは民間のことであるからということで、いろいろ検討して、法律をつくったときに残しているのです。内務省は解体したけれども残した。内務省が解体したならば、その事務をどこかで管掌しているはずである。予算も計上しているはずである。終戦直後の金で千五百円、千円という金は相当の金です。六百円ベース以下でいろいろと大きな社会問題になっているのですから、相当大きな金ですよ。これは大蔵省の主計官、いかがですか。
  83. 平井廸郎

    ○平井説明員 私ども、いま手元に二十一年以降の数字をちょっと持っておりませんので、調べましてお答えいたします。
  84. 大原亨

    ○大原委員 ほかのところはわかっておりますか、自治省……。
  85. 松浦功

    ○松浦説明員 いろいろ調べてみましたが、現在の自治省の系統でその事務を取り扱った記録はございません。
  86. 大原亨

    ○大原委員 中央でどこかに所管官庁がきまって、それでおそらく地方長官から市町村長を通じて窓口になっておるはずですよ。だから、自治省で知っておらぬということもないと思うのですがね、警察と分かれたのですから。法律をわざわざ残してあるのですよ。残しておいて、扶助金をきめておいて、公務上の疾病としてやっておいて、そういう権力関係だったからそういうことを確認してやっておいて、特に民防空についてやったことは、たとえば原爆その他についてもひどいですよ。そういうことについてやっておいて、法律は残しておいて、それで予算上の措置窓口もどういう手続でやったかということがわからぬなどと言うことは、援護法を立法して今日に至りましたけれども、いろいろ議論しておりまして、これは私は意図的とは言わぬけれども、私は怠慢ではないかと思うのですよ。厚生大臣、何か感想でも言ってください。
  87. 小沢辰男

    ○小沢(辰)委員長代理 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  88. 小沢辰男

    ○小沢(辰)委員長代理 速記を始めて。
  89. 大原亨

    ○大原委員 それでは、厚生省は法制局に聞いてください次に進みますから。まだちょっと残っております。   〔小沢(辰)委員長代理退席、委員長着席〕  その勅令による防空従事者扶助令の一覧表によりますと、あなたの手元にありますように、大臣、こういう規定があるのです。障害扶助金の中に「其ノ他身体ニ著シキ障害ヲ存スルモノ又ハ女子ニシテ其ノ外貌ニ醜痕ヲ残シタルモノ」、特に女子と指摘をいたしまして「醜痕ヲ残シタルモノ」、これはこの扶助令が出たとき以後原爆が落ちたのですけれども、明らかに原爆による人々は、一生結婚や就職をケロイドその他によりまして棒に振った人があるんですよ。これは前の厚生大臣のときには、そういう人々こそ何とかしなければならぬということの答弁があったのですよ。これはそのことから見ましても、特に女子についてのこういう規定があるんですね。私は、十分この問題についても考慮をしてもらいたい。将来、私どもは、この法律だけでなしに一般の援護・被爆者の問題等もありますが、それを含めてこれは十分に検討してもらいたい。いかがですか。
  90. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 その問題は、扶助令は、御承知のように一時金的な処理になっておるわけでありますが、いずれにいたしましても、先ほど来のこの防空活動に従事した者あるいは警防団、そういう方々に対する援護措置につきましては、私も、今日援護法が準軍人範囲まで広がってまいっておる現状からいたしまして十分検討をすべき問題である、こう考えておりまして、前向きでこの問題は今後政府において検討を進めたい。そのためには、ただいま議論がありますように、いろいろ当時の法令なりあるいは勅令なり、さらに戦局が険しくなってから行なわれましたところの閣議決定なり、そういう一連の関係を十分に調査をし、整理をいたしまして、検討の上政府としての方針をきめたい、こう思うわけであります。  当時の実態につきましては、私どもも学生でありまして当時の状況はある程度承知をいたしております。ただ、あの当時は、軍が相当大きな権力を持って、一般の民間の活動にまでいろいろ乗り出してきておった当時でありますから、それが法律、命令等に基づいた、法にのっとった行動であったのか、あるいは本土決戦というようなことに備えて、軍が当時の状況からして法律等は別としても実際的に乗り出してきた、こういうような状況もあるわけでありますから、そういう点等を十分調査をいたしまして前向きで検討したい、かように考えております。
  91. 大原亨

    ○大原委員 午前中の質問から、これは警察庁の見解、御答弁はきわめて明快であった。私が調べた範囲内においては、若干問題のあるところはありますが、大体において明確であった。防空法に基づく、つまり防空従事者扶助令第二条に列挙されました一号から七号までの問題のうちで、たとえば防空監視隊員についてこの点の命令関係、勤務関係、それについては防空監視隊令というのが昭和十六年勅令千百三十六号で出ておりますが、その中でもそうですか、防空監視隊員の中には警察官やその他技術を持っておる官吏が一緒に入って、そして防空監視隊を編成するんだという規定もあるわけです。だから、これは全く軍と一心同体で公の仕事に従ったことになる。これはひどい罰則がついておるわけです。それから、二号の警防団員にいたしましても、警察庁の官房長がきょう御答弁になったとおりです。それから、第三号の防空法第六条一項または二項につきましては、午後の質疑応答を加えまして明確です。それから、四号の防空法九条一項による緊急動員ということは、御答弁によりましてもいまだに対象がはっきりいたしません。包括的な抽象的な規定であるというふうにも思われます。それから、第五号のその他地方長官云々という学校報国隊であります。内務大臣の指定するものであります。これらにつきましても、やや明らかになってきたのであります。第六号の防空法の第八条ノ七による応急防火、これは国の補助機関といたしまして隣組、町内会、部落会——町内会、部落会の会長は市町村長が任命した。これにも罰則がついております。地域の防空計画を立てまして承認を求めましたならば、その承認が、警戒警報発令と同時に、あるいは空襲警報発令と同時に、法律に基づいて命令が出たと同じようなことで、防空業務に従事しなければならぬ責任を負うたわけです。だれかが具体的に、あんたどこへ行けという命令はしないけれども、それは法律によって命令を受けているということになるわけです。したがって、そのことは罰則もついておりますし、そして明らかに、戦争の末期におきましては法律による行政の補助機関、末端機関といたしまして性格を規定いたしまして、コントロールいたしておるわけであります。その次の第七号の防空法三条一項の、いわゆる職場における防空計画によるもの、これも届け出いたしまして、その防空計画の従事者がそれぞれ行動したわけであります。この七号を入れますと、刑務所へ入っておったりあるいは病人であったりけが人であった者、その命令から除外した者以外は、子供でない限りは民間の防空協力者として、国の末端機関といたしまして本土決戦に臨んだのであります。したがって、その権力関係は明確でございますから、この援護法の第一条は、お手元の資料にありますが、こう書いてあります。「軍人軍属等公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族援護することを目的とする。」こういうふうになっているわけですから、問題は、いままで議論いたしてまいりました原爆の問題その他はこういう公務上の死亡、疾病、負傷であったかないか、こういう点についてはいまや明確であると思うのです。次の国家補償の問題にいたしましても、扶助令があるわけであります。実施していなかったかどうかについてはさらに究明いたしますが、扶助令があるはずなんですから、国家補償がなされていないことは事実であります。当時若干なされた二、三の例外がありますが、空襲下においてはほとんどなされていない。広島、長崎の原爆投下以降はなされていないのであります。ですから、この第一条の「軍人軍属等——軍属を拡大いたしましたが、その防空法の関係は、明らかにこの第一条にぴったり適合するものであります。そういうことでありますから、「公務上の」云々というこの条項には私は適合すると思うのであります。これは警察庁も御答弁になったとおりであります。厚生大臣、これは第一条の公務上ということに適合するのでしょう、いかがですか。
  92. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 援護法関係は、旧国家総動員法関係を中心にいたしまして、それに準じた者、そういう点を中心にいたしまして援護措置を講じてまいったのであります。私は、午前中から議論になっておりますところの防空関係の問題につきましても、今後の重要な課題として検討を進めたい、かように思っておるのでありますが、その前段におきましても、たとえば漁船等が徴用されて、そして揚子江におけるところの機雷の掃海作業等に現実に従事されておる。軍の指導のもとに漁船が徴用され、掃海作業等に従事をし、そして死亡した者が多数ございます。ところが、その身分におきまして軍属とかそういうものでなかったために、今日なおそれらの援護の接置が講ぜられていない。こういうようなこと等は、私は、国家総動員法の面から見てまいりますと、直接的な優先すべき検討の課題である、こう思うわけであります。こういう問題がまだ未処理になっておりまして、私どもは、今日動員学徒等まで援護法が広がってまいりました段階におきましては、そういうように残されたいろいろなケースにつきまして、今後あらゆる資料等を整備いたしまして検討していきたい、かように考えておるわけであります。また、ただいま熱心に大原さんから御説明のありますところの防空関係、警防団関係等の問題につきましても、今後の重要な課題として前向きで検討をいたしたい、かように存ずるわけであります。
  93. 大原亨

    ○大原委員 私が質問いたしましたのは、第一条の「公務上の負傷若しくは疾病又は死亡」、そういう身分関係、権力関係に該当するでしょう、こういうことを質問したのです。大臣はその精神をくんで答弁をされたわけですが、私は、法律論といたしましてその点だけを明確にしておいて、あとこれをどうするかということは、これは十分考えればよろしいのです。公務上の負傷、疾病、死亡であるということは間違いないでしょう。はっきりしてください。
  94. 実本博次

    ○実本政府委員 いま先生お話しになっておられます防空法に基づきます防空従事者、命令をもらって防空活動に従事する、その防空活動は公務かどうかというふうなお話でございますが、これは、私は公務であるというふうに考えられるわけであります。
  95. 大原亨

    ○大原委員 これ以上の議論は政治的になりますからなんですが、大臣、問題はこういうことであります。空襲による死亡者は約五十万です。そのうちには軍人軍属や準軍属公務員も入っておるわけです。純粋の民間の防空従事者の数は少ないわけです。五十万の中で三十数万が広島、長崎でやられておるわけです。ですから、これが一つの大きな発端になりまして、私どもはこの問題を調べてきたわけです。これは従来からも申しておりましたように、昭和三十八年には東京地裁の判決があって、原爆投下は国際法違反ということを判定しながらも、個人の請求権は一応たな上げしたわけです。政治的には、経済の復興した今日においてはやらなければいかぬということを書いておる。それを受けて三十九年の初めには、衆参両院満場一致で被爆者の援護の強化に関する決議が出てきた。先ほど申し上げましたように、内閣総理大臣は、予算委員会その他あらゆる機会におきまして、三千数百万円、昨年来金をかけて実態調査をやっておるけれども、その実態調査ができたならば、これは人数がふえるわけじゃない、死んでいくばかりで、少なくなるばかりでありますから、このことについては熱意を持ってやりたい、こういう御答弁であったように私は確信しておりますし、国会においてもそうですし、総理大臣官邸においてもそういう答弁があったように聞いておるわけです。しかし、被爆者の団体とか当時の戦闘員、警防団その他は圧力団体がないわけです。ないからといって、これを無視することは私はできない。たとえ一人であっても、これは無視することはできないと思う。そういう点で、この問題につきましては、私は、十分熱意を持って最短期間においてこれは処理すべき問題である、こういうように考えますけれども、厚生大臣の所見をひとつ聞かしていただきたい。
  96. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 御趣旨につきましては私も全然同感でございます。したがって、先ほど来申し上げておりますように、十分前向きで熱意を持って検討いたしたい、かように考えております。
  97. 中村重光

    中村(重)委員 関連。先ほど来大臣が誠意を持って前向きで調査に当たり、検討して、できるだけ期待にこたえるような方向へと善処していきたい、こういうことです。それはよくわかるわけです。そこで、先ほど大原委員からお示しした防空関係、これは実は援護局長にもお見せしたことがあるわけです。援護局長も、大臣のそうした意思を体して、誠意を持って今日までもいろいろな調査をしてこられただろうと思う。文部省も私はそうだろうと思う。ところが、防空法に基づいて出てまいりました扶助令、それによっての扶助金というものが支給されたのかどうか、窓口がどこであったのかということも、きょうは突然ということよりも、そういうようなことでいろいろと調査をいままでやってこられたのだろうと思うんだけれども、それですらも明らかではないというのです。終戦直後に書類を焼き捨ててしまったというような点もあって、その後の調査もそう簡単に私は進まないだろうと思う。そこで、こうしてお示しする資料であるとか、あるいはこの資料を持っておった長崎県の場合の本部長というのは、現在も長崎市の助役をいたしておる。その他大学関係なんかも生存者がたくさんいるわけですね。こういう資料、それから現に当時関係をしておった人たちの証言、あらゆるものが、あなたの言ういわゆるこれから先調査する資料対象となる、こういうように理解したいと思うのですが、そういうことでよろしいですか。
  98. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 事実関係につきましては、そういうような資料は非常に貴重な資料である、今後問題を処理いたします際に十分活用していきたい、こう存ずるわけであります。
  99. 中村重光

    中村(重)委員 ぜひそういうことで、権威ある、価値ある資料ということで、十分調査対象に入れてやってもらわなければならぬと思います。でなければ、政府の関係だけで各省内にそういう資料がないかどうかということで調査をしてみた、なかった、どうにもなりません、事実関係が明瞭でありません、こういうことで処理されたのではどうにもなりません。だから、その点は、いま大臣の御答弁の点を十分生かしてもらいたいということ。  それから、もう一点伺っておきますが、いわゆる軍命令あるいは内務大臣命令あるいは知事命令、いろいろなことで、先ほど来大臣がお答えになりましたように、当時はいろいろな命令が出ただろうと思うのですね。しかし、国民が拘束されたという点については変わらないわけです。だから、そうした命令というものには国民は同じように拘束された。したがって、その点は、軍命令であろうともあるいは知事命令であろうともあるいは内務大臣命令であろうとも、これは同じことである。国民が拘束されたということについては同じである。したがって、そういうような方向で総動員法関係あるいは防空法関係あるいは戦時教育令、その他いろいろな形においてこれを対象として援護していくという方向でなければならぬと私は思うのですが、その点はどうでしょうか。
  100. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 当時、非常に緊迫した本土決戦ということも予想された段階でございますから、いろいろな命令等が行なわれて、そうして国民はそういう任務に従事させられた、こういうことはたくさんあると思います。ただ、そこで、今後私どもがそういう方々に対する援護措置を講じてまいります場合に、ただどこからか出た命令によってそういう任務に従事したとか、行動に移ったとかいうようなことでもってその援護適用をしていくということになりますと、そこに非常に公平を欠くような事態が出てくるおそれがある、こういうことも私ども憂慮されるわけであります。でありますから、できるだけそこは一つ法律なり通達なり、あるいは文部大臣大学の学長との間に取りかわされたところの示達とか命令とか指示とか、そういうものがあるとか、何かそこにできるだけ法令上の根拠、そういうものを明確にしながらこの問題を前向きに処理していきたい、こういう考え方であるわけでありまして、とにかくあの当時の戦時の緊迫した事態において、命令がなくとも国民は全部立ち上がったというような状態下にありますから、その辺のことがやはり全然けじめなしに行なわれるということになりますと、これはもうたいへんな、一般の戦災者全体にまで及ぶという事態になりかねない。そういう点を十分——客観的にもその辺が十分判断をされ、妥当な措置として援護措置が講ぜられるように、こういうことを考えておる次第であります。
  101. 中村重光

    中村(重)委員 大体わかりました。ただ、申し上げておきますが、書類は政府においてもほとんど焼き捨てられておる。このことは、各府県あるいは市町村等においても同じだろうと思うのです。軍自体も解体された。しかも長崎の場合で言いますと、命令を下したことが十分いろいろな客観的な立場から信頼される当時の知事は死んでしまった。それから当時の幹部というのも、生存しておる人もあるのだろうけれども、どこにおるのかわからない。あるいは長崎大学の学長も原爆で実は死んでしまった。たまたまこの資料を持っておる本部長が生存しておる。だから、こういう貴重な資料あるいは貴重な生存者というのは私は少ないと思うので、大臣がどの程度このものの信憑性というものをお考えになるか、これはいまの答弁の中からでははっきりいたしませんけれども、少なくとも精神、気持ちはわかるわけです。だから、援護しなければならないという考え方で問題と取り組むか、あるいはできるだけやりたくないという態度で取り組むかということによって、私は大きく変わってくると思います。だから私は、先ほど来の大臣の答弁は、誠意がある、ともかく何とかしなければならないのだ、こういう考え方で取り組まれるであろうことを期待いたしますから、どうかその点、ひとつ十分期待にこたえてやってもらいたい、こう思います。
  102. 滝井義高

    ○滝井委員 ちょっと資料だけ要求しておきます。  長崎、広島に原子爆弾が落ちて、そこに陸軍、海軍の軍人がおれば、これは援護法なり恩給法の対象になりますね。それからもう一つ、そこに国家総動員法に基づく学徒の報国隊が行っておりますね。これも準軍属として援護法対象になりますね。そうでしょう。そこで、一体長崎におった総動員法に基づく学徒動員勤労報国隊、こういうようなものは何人援護法対象になったのか、その資料をひとつ出してもらいたい。そしてそれは、どういう学校に文部大臣がどういう命令を出して、長崎に行っておったから対象になったという証拠があるわけです。それをひとつ出してもらいたいと思うのです。それがなかったら、命令関係がはっきりしないから、国家総動員法で行っておったということがわからないわけですね。それがはっきりするとわかってくるのです、いまの長崎医大あたりのものも……。それを出してください。病院に入っておったって何だって、みんな、軍人軍属については問題はないが、問題は準軍属のところでしょう。だから、それは総動員法に基づく学徒、これで長崎と広島で何人援護法対象になったか、その資料を出していただきたい。そして命令関係はどういう命令関係で、どこの大学にどういうように行っておったか、資料を出していただきたい。
  103. 田中正巳

    田中委員長 受田新吉君。
  104. 受田新吉

    ○受田委員 きょうお尋ねする問題の中で、各省にまたがる問題の分を先に取り上げて、各省から御出席願った方々に質問が終わったらお引き取り願うことを先に片づけて、それから厚生省所管の問題だけの分を扱わさせていただきます。  最初に、靖国神社の性格をお尋ねいたします。靖国神社は憲法に規定する宗教団体である、宗教法人であるという立場を政府はおとりになっておられるわけでございますが、これは純然たる宗教法人、宗教団体とみなされるのか、あるいは国家的意義を持つ特別の団体という意味が別にひそめられておるのか、お答え願いたい。
  105. 萬波教

    萬波説明員 お答えいたします。  御承知のように、戦後神道指令によりまして国家神道が一般の信教の自由の立場から宗教団体として取り上げられるということになりまして、それを前提に置いて宗教法人法ができたわけでございます。靖国神社は、この宗教法人法に基づきまして昭和二十七年の九月五日に、所轄庁でございます東京都に対しまして宗教団体であるという証明書を付して認承の申請をいたしております。二十七年の九月二十五日、東京都はそれに対して認承を与えております。その後三十日に登記を完了いたしまして、ここで宗教法人としての靖国神社が成立したわけでございます。御承知のように、憲法の趣旨、宗教法人法の趣旨から信教の自由という前提がございますので、国家的な意味における宗教法人ということは性格上ないわけでございます。
  106. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、信教の自由という立場から靖国神社に合祀されないことを希望する遺族があるかないか。厚生省、御調査された結果を御報告願いたいと思います。
  107. 実本博次

    ○実本政府委員 いまこまかい数字的な資料は私ちょっと持ち合わせございませんのですが、遺族の一般的感情といたしましては、靖国神社の合祀につきましては、大部分遺族の方が切望いたされておるところでございます。
  108. 受田新吉

    ○受田委員 大部分ということになると、一部は靖国神社に信教の自由から合祀を希望しない者があるということでございますか。
  109. 実本博次

    ○実本政府委員 そうはっきりした割り切ってのものであるかどうかはよく存じませんが、間々そういった少数の意見がございます。そういう御主張をされる方もあるわけでございます。
  110. 受田新吉

    ○受田委員 靖国神社は遺族の意思のいかんにかかわらず合祀をするという形がとられておりますか。
  111. 実本博次

    ○実本政府委員 靖国神社の合祀につきましては靖国神社自体がこれをきめるわけでございますが、合祀基準につきましては、やはり遺族の希望があっての上での合祀の基準であろうと考えます。
  112. 受田新吉

    ○受田委員 靖国神社が国家に生命をささげられた方を遺族の合意のいかんにかかわらず神として祭るという意思があるならば、それはもうすでに国家的意義を持った独特の神社であるという形になると思うのです。遺族が希望しないものは祭らないということになると、希望する遺族の英霊だけを神としてお祭りするという神社であれば、国民全体の立場の神社という点において問題が起こってくると思うのです。これは私たちといたしましては、国家が全体の立場で英霊となった方々をお祭りするという意思をあらわす神社であるならば、一応遺族の合意があろうがなかろうが、とにかく国家に功労のあった神を祭るという形をとるべきである、かように思うのでございますが、いかがでしょう。
  113. 実本博次

    ○実本政府委員 そういう考え方が現在、靖国神社の合祀の基準は別といたしましても、態度としてあるように、これははっきり靖国神社のほうに確かめたわけではございませんが、そういうふうに見ておるわけでございます。
  114. 受田新吉

    ○受田委員 私は靖国神社の性格を論ずるにあたって、やはり靖国神社の責任者の方にも御意見を伺いたいのですが、きょうはお呼び出ししてありませんので一応よしますが、いま遺族の皆さんの声として、靖国神社を国家護持の形のものにしてほしいという希望が出ております。また国民の感情の大半も、これが独特の神社という形のものでなくして、国家に奉仕され、その生命をささげられた方々を何らかの形で国としてお祭りするという形、その祭りの形式が特定の宗教にとらわれない形のもの、それが特定の宗教の形式はとられても精神はあらゆる宗教を超越したものであるというような形のものを期待するという気持ちがあると思うのです。そういう気持ちの前提の上に立つならば、靖国神社の国家護持という形、それが形式はよしどうあろうと実質的にそういう方向へいくことは当然許されていいのではないかと思うのですがね。この点大臣、あなたは国務大臣でありますが、靖国神社の扱い方について私がいま指摘したような性格論からいって、憲法二十条の宗教に対する特別の制約、あるいは八十九条の国の金を出すことについての制約等にとらわれない立場でそういう国家に奉仕した人を祭るということについて、当然形式はどうあろうと実質的な方法として何らかの措置をしなければならぬとはお考えにならないかどうか。
  115. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 靖国神社につきましては、今日のような状態になります前、国家に功労のあった方々をここに合祀をして国民ひとしくこれを崇敬をする、こういうことであったわけでありますが、このことにつきましては、私は今日でも国民の感情としては変わっていない、こう思うわけであります。また遺族方々としてはもっと切実な心情をもちまして靖国神社の国家護持ということを強く要望されておる、このことも私は十分理解ができるのであります。そういうような観点から、遺族のみならず国民全体が、靖国神社に対しましては、戦前以来変わらざる一貫したところの崇敬の念を持っておる。こういう事情からいたしまして、憲法等の制約はございますけれども、実質的には全国民的な立場で、これは表現は別でありますが、国家護持というような気持ちで、この靖国神社を私どもも扱っていきたい、こういう心境でございます。
  116. 受田新吉

    ○受田委員 すでに靖国神社の境内において、政府自身が英霊を祭られる儀式をされておられる。そこまで進んできておるわけです。したがって、いま文部省の解釈では厳たる宗教法人である。そうすると憲法二十条の規定で、例の国の特定の宗教活動の禁止規定に反する。それから八十九条の公の財産の支出又は利用の制限の規定に反するということで、財政上の援助ができないという解釈が成り立つということに形の上ではなっておるようです。この形の上でなっているものが撤廃される実質的な方法はないか、このことについて——法制局が来ておられますが、この英霊を祭る儀式に対する実質的な財政支出は憲法違反であるという態度をおとりになるかどうか、お答え願いたい。
  117. 関道雄

    ○関政府委員 憲法二十条がいっておりますところは、国家が宗教上の活動を行なってはならないということであり、また八十九条は、宗教上の団体に対して公金を支出してはならないということでございます。そこで、靖国神社の問題でございますが、単にそれが宗教法人であるということが、宗教的な性格を靖国神社が持つがゆえに宗教法人であるとなっておるということでありますならば、これに対していわゆる国家護持といいますか。国家による維持管理、それから補助ということが行なえないということになるわけでございます。もしもそれが持っておりますところの宗教的な色彩を脱却いたしました場合においては、当然制度としても宗教法人でなくなるわけでございましょうし、その暁におきましては、ただいま申しましたような憲法上の障害もまたなくなるということになるわけでございます。
  118. 受田新吉

    ○受田委員 厚生大臣は、靖国神社を単なる宗教法人としてでなくて、別の性格のものとして取り扱うことが可能であると思うかどうか、お答え願いたい。
  119. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 先ほど申し上げましたように、靖国神社に対する国民の感情、これは私は戦前も戦後も変わっていない、こう思うわけであります。したがいまして、特定の靖国神社を中心に宗教活動をするとか、そういうようなものでない。国家のために殉ぜられた方々国民的な立場で顕彰する、お祭りをする、こういうことでありますので、私は今後こういう点が国民全体に理解され、支持されていくということによって、この問題はだんだん解決の方向に進むのではないか、また、それを私は期待をいたしておるのであります。
  120. 受田新吉

    ○受田委員 法制局に伺いますが、憲法八十九条によると、公の支配に属しない慈善事業その他教育等のものに財政支出してはならぬという原則が確立していますが、私立学校に対するいろいろな補助金制度をとっていることは、この憲法八十九条には違反しないと断定されてお認めになったわけですね。
  121. 関道雄

    ○関政府委員 私立学校に対する補助につきましては、一応不完全ながら学校法人等に対します国の監督というものが行なわれておるという前提のもとに、それが憲法上許されるものである、かように考えておったわけでございます。
  122. 受田新吉

    ○受田委員 国の監督ができる教育機関である、そういう判定を下されたわけですね。公の支配に属するのが私立学校であるという関係でございますか、はっきりしてください。
  123. 関道雄

    ○関政府委員 さようでございます。
  124. 受田新吉

    ○受田委員 その前提で憲法八十九条を解釈しているようです。以前は、私立学校は憲法八十九条の制約を受けて、何ら国家からの財政支出を期待をすることができないかっこうになっておったものが、そこまで発展したわけです。そうしますと、靖国神社の祭りというものを、単なる宗教法人の祭りではない、これはいわゆる国家に生命をささげられた英霊をお祭りするものであるという解釈に立ったならば、現在でもいわゆる国家的な立場のお祭りということが言えるのでありませんか。現在やっているお祭りでもそういう形のものに解釈できると、厚生大臣判断できないかどうか。
  125. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 これは気持ちの上ではまさにそこまで進んできておる、私はこう思うわけであります。ただ、この靖国の国家護持の問題につきましては、一部にいろんな議論がまだ残されております。私は先ほど来申し上げますように、国民全体が靖国神社に対しまして、国家のために貢献された英霊を国民全体が、また国がこれをお祭りをする、だんだんこういう一つの方向に固まってきておりますので、この問題につきましても非常にいい結論が近いうちに出るのではないか、またそういう方向に私どもも努力をしていきたい、こういうことでありまして、この問題につきまして、いま直ちに政府がここで明確な結論を申し上げる段階にはない、こう思います。
  126. 受田新吉

    ○受田委員 段階にないといって、いまでもはっきりしてきたわけですね。つまり純然たる宗教活動という解釈をしないならば、別の意味の、国家に奉仕されたとうとい生命をお祭りをするという立場であるならば、憲法の禁止する宗教活動でもないあるいは公の支配に属しない、そういう団体でもないという解釈をいまでもできるじゃないですか。いまではできないわけですか。
  127. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 私は、靖国神社の置かれておる立場からいたしまして、国民の一部にでも異論があることは望ましくない、国民全体がそういう方向に一致をするということが望ましい次第でありまして、政府におきましても、この問題は、いま受田さんからお話があった方向で検討は進めております。いろいろ政府としても検討を進めておるわけでありますが、靖国神社を国家護持をし、また国費でもってこれをお祭りするということを、いまこの委員会で、私が政府の方針として言明する段階に至っておりません。政府としては鋭意そういう方向で検討を進めておる、こういうことであります。
  128. 受田新吉

    ○受田委員 現段階においては、靖国神社は特定の宗教活動の団体である。それから八十九条によって公の支配に属しない宗教法人であるという解釈ですね、現時点では。法制局、文部省、厚生大臣、それぞれ……。
  129. 関道雄

    ○関政府委員 先ほど来のお尋ねがございましたが、八十九条は公の支配に属するか属しないかが問題になりますのは、教育、慈善等の活動に関してでありまして、宗教上の団体につきましては、公の支配に属すると属さざるとにかかわらず、これに対して公金の支出ができないことになっておるわけでございます。それからまた、宗教団体に対して公の支配を及ぼすということは、まさに二十条上の関係からいって許さないところであろう、こういうふうに考える次第でございます。
  130. 萬波教

    萬波説明員 靖国神社が宗教法人としての認証を申請いたしましたときの宗教団体であるとみずから証明してきた書類の内容及び現在の宗教法人靖国神社の目的というものを見ますと、これはまさしく宗教法人法の第二条に掲げる宗教団体と認定せざるを得ない。ちょっと読ませていただきますと、規則の第三条に「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた「安国」の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(以下「崇敬者」といふ)を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務を行うことを目的とする。」ここにございますように、奉祭するということと、神道の祭祀を行うということ、崇敬者の教化、育成を行なうということ、これはまさしく宗教法人法の第二条に掲げる宗教団体の条件を具備したものだと解釈しております。
  131. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 先ほど来申し上げておるとおりであります。
  132. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、現時点においては靖国神社は完全な宗教法人であるという法制局の見解、それから文部省の見解が成り立っておる。それで厚生大臣も政府としてもそういう見解を認めるか、これは厚生大臣と総務長官両方からお答え願います。
  133. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 法律論といたしましては、ただいま法制局、文部省から御説明があったとおりと思います。ただ、靖国神社につきましては、戦前といわず戦後といわず、国民感情といたしましては、国家に功労のあった方々をここに合祀をし、国民的な崇敬の場としてこれを敬っていく、こういう国民全体の気持ちは変わっていない、こう思うわけでございまして、そういう意味合いからいたしまして、私はいわゆる国家護持の方向にだんだん国民の気持ちも進んでいくのではないか、それが国民全体として希望する方向に固まっていくのではないか、また政府といたしましても、そういう国民の一致した御意見がそこに固まってまいりますれば、十分それにこたえるべきである、かように考えておる次第であります。
  134. 受田新吉

    ○受田委員 一致するということは、これはなかなかむずかしい。これは大臣もおわかりいただけると思うのです。国民全体が一致した意見になったときということになれば、百年河清を待つような問題です。いまのあなたの御意見は、国民一致というときでなければ靖国神社の国家護持ということは不可能ということになるのですか。
  135. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 こういう問題は、客観的に見まして国民の大多数の方々がそういうことを強く希望される、こういうことで判断を下すべきものだ、こう考えるわけでありまして、ただまだ相当の反対があるというような段階においてそれを無理をしてやるべきものではない、こう考えておるのであります。しかし先ほど来申し上げますように、私の認識では、国民の大多数の方は、戦前といわず戦後といわず、靖国神社に対するところの感情、気持ちというものはそう変わっていない、こう思うわけでありまして、私は国民大多数の御意向というものは、だんだんそういう方向に結集をされるものだ、そしてこの国家護持という方向に世論が固まってくるということを期待もいたしておるところであります。
  136. 受田新吉

    ○受田委員 私は二年も三年も前からこの問題をずっと歴代の総務長官にお尋ねしてきたわけですが、ちょうど厚生大臣と同じような御意見を答弁に盛られておった。ところが何年たっても一向前進しておらぬわけですが、とにかく何かむずかしい事情があるという背景に非常に窮屈な考えがあるのではないか。つまり憲法の条章を忠実に解するか、あるいは事実問題としてこれを解するかで私は幾らでも融通の方法があると思うのですが、その点について総務長官、この靖国神社があなたの所管かどうか、ちょっとお聞きしたい。
  137. 安井謙

    ○安井国務大臣 正確にどこかの所管というものがきまりませんと、おまえのところであろう、こういうようなことについなりがちでございますが、私はこの靖国神社の問題がただいまの段階ですぐ総理府の所管でやるかどうかにつきましては、はっきりした何を持っておらぬわけであります。いまのお話で、宗教法人の資格でこれはやられておりますので、直接事務上の所管は文部省ではないか、こういうふうに考えております。
  138. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、所管が明らかでなくて、責任の転嫁が盛んに行なわれていては困る。やはり政府は統一見解を持って、これをどう扱うかということについては、もっと積極的に取り組むべきだと思います。じんぜん月日を費やして国民を迷わしているというようなことは許されないことだと思う。ですから、私がいま主張したような形で、事実問題として国民全体が国家に御苦労された方々に感謝し、そうしてその霊をなぐさめるということは、これは当然何らかの措置によって、文句がどうあろうと、実質的にそういう方向に持っていってもらわなければならぬと思いますが、実質的にもいっていないというのは非常に怠慢であると思いますので、御注意しておきますが、この点は十分慎重に——所管がはっきりしていない、文部省と言われるが、文部省の見解ははっきりしております。しかしこの見解ではこの問題は解決しまん。十分総務長官の手で、すべてのものを総理大臣にかわってお仕事をなされる総務長官の手で——総理大臣にかわって各連絡調整をはかる責任者でもあられるわけです。ですから、これを厚生大臣か総務長官がおれの責任じゃないということではなくて、ひとつ厚生大臣、また総務長官、おれの責任だくらいの気持ちで取り組んでもらいたい。よろしゅうございますか、意気込みを持ってもらいたい。
  139. 安井謙

    ○安井国務大臣 受田委員のお気持ちとかおっしゃる御趣旨につきましては、われわれも非常に感銘するといいますか、同感するものがあるわけでございます。ただ、しかし事務的には、いま申し上げましたように、宗教法人として文部省でございます。また他省に属せざる所管事項を総理の名前でやります場合に、私のほうで実際上扱うという事実上の分担はございますので、そういうようなもので、あるいはまた閣僚という立場から、いまのような御議論につきましては十分傾聴いたしまして、今後も考えていきたいと思っております。
  140. 受田新吉

    ○受田委員 それでは次に、墓参団の派遣を相次いでやっておられるわけですが、私はこの間から東南アジアの国々を視察したときに——マレーシア国にも墓参団が行かれて、それに現地の国家も非常に便宜をはかった、現にルソン島にも墓参団が行っておられる、こういう形でございますが、この墓参団、遺骨収集、この二つの目的を今後どういう計画で進めようとされるのか。これはきのう河野さんが質問されておったが、英霊の御遺族にしてみれば、やはりそのお骨を持って帰るということは悲願ですね。そういうところで、どのような熱意を持って今後取っ組まれようとしているのか、お答え願いたい。
  141. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 遺骨の収集につきましては、政府の責任でこの仕事を進めてまいったところでありまして、中国大陸、その他一部を除きましては、一とおり遺骨の収集を終わった、こういうことでございますが、しかし、何ぶんにも限られた人数と、また限られた日時をもちまして、非常に広範な地域にわたって行なったわけでございますから、まだまだ不十分な点がありますことは私どもも十分承知をいたしておるところであります。したがいまして、今後におきましても、多数の方々が戦没されたところでありますとか、特にその後におきまして遺骨が散逸をしておるとか、そういうような情報等ありましたところにつきましては、重点的に、今後におきましても引き続き遺骨の収集をやってまいる。これは政府の責任においてやっていきたい、かように考えておるわけであります。四十一年度予算におきましても、若干の予算を計上をいたしておるところであります。  なお墓参団につきましては、これは御遺族の団体でありますとか、あるいはまた戦友の団体でありますとか、そういう方々が現地に参りまして、慰霊を行なうというようなことは、私は御遺族や戦友の方々の心情といたしましては十分そのことば尊重されなければならない、こう思うわけでありまして、政府としても、できるだけの、たとえば相手国との交渉でありますとか、あるいはそこへ参りますまでの船や飛行機等の世話でありますとか、そういうあらゆる面での便宜を政府としてもはかってまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  142. 受田新吉

    ○受田委員 今後の計画を事務当局で何かお立てになっておられれば、それを御説明願いたい。
  143. 実本博次

    ○実本政府委員 今後におきます遺骨の収集の計画につきましては、従来実施いたしました遺骨収集は何ぶんにも、いま大臣からもお話がございましたように、広大な地域に対して限られた日数と人員等で行なったものでありますので、その後いろいろ条件が変化いたしましたことによりまして、未処理の遺骨があらわれてまいったりいたしまして、これを放置いたしておきますことは適当でない場合がまま出てまいったわけでございます。そのような場合に、あらためて遺骨収集を行なうというふうに考えているわけでございますが、本年度といたしましては、このような地区といたしまして、南洋諸島のペリリュー島、それからオーストラリアの東方にございますニューカレドニアの遺骨収集を行なうこととして、目下その具体的な計画を立てておるところでございます。  また墓参につきましては、本年度は御承知のようにモンゴルそれからソ連本土の墓参を計画しておりまして、目下その交渉をやっておるところでございます。
  144. 受田新吉

    ○受田委員 今度は私はひとつ具体的に法律関係した問題をじかの問題をお尋ねいたしますが、この昭和二十七年の戦傷病者戦没者等遺族援護法がスタートして以来、三十一年に恩給特例法が誕生するというように、だんだんと緩和された方向に国家補償の線が進められてきた。繰り返す恩給法改正を私つぶさにずっとながめ、体験してきた一人でございますが、今度の戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正法案の中身を見ますと、従来の未処遇者に対して大幅な処遇をここに取り上げられております。何回かわれわれが要求した問題がここに採用されてきたわけでございますが、これは一応喜ぶべき現象だと私たちとしては思っております。ただここで、従来採用された法律の規定で、当然これにつながる問題として残されている基本問題があるわけです。それは勤務関連者に対する処遇です。恩給特例法で勤務関連者の処遇が死亡者に限り一応された。ところが、障害者やもしくは準軍属立場の皆さんにはなおこれが一向に未処遇のかっこうになっている。この勤務関連でなくなられた軍属とか準軍属遺族に対する遺族給付金を支給することと同時に、とうといからだを傷つけられた皆さんの苦痛は、生存をしているだけによけい大きな苦痛があるわけなんです。ところが、いま戦傷病者に対する勤務関連の処遇は一向はかられていないのは、これはどういう理由からですか。いまの二つの、未処遇の残された問題、これは何とかしようとはしているのかどうか。
  145. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 ただいまの問題は、内地死没者に対する公務扶助料、特例扶助料が支給されておるにもかかわらず、同じ職務関連によって傷病にかかった方については何らの処遇もされておらない、こういう点だろうと思いますが、御承知のように、特例法は本来公務に準じない傷病によって内地において死亡した方、これを救済する意味で、恩給法としましては特例的な法律であったわけでございます。したがいまして、生存者にまでこの特例的な措置を拡大するということは恩給法のたてまえからいかがかということで、今日までそのままになっているわけでございますが、幸い、今回恩給審議会というものが設けられますので、その場において検討されるということになろうかと思います。
  146. 実本博次

    ○実本政府委員 先生お尋ねの後半の、準軍属の勤務関連の死亡者にかかります処遇でございますが、これは、先生のおっしゃる方向でわれわれ努力いたしておりますが、まだその努力が実らぬわけでございます。
  147. 受田新吉

    ○受田委員 恩給当局もこれを恩給審議会にゆだねて、答申を待ってやりたいという決意のようです。それから準軍属の場合は、援護法で何かの処遇をしたいと、いずれも前向きの検討をされている趣であります。私、ここでひとつはっきりさしていただきたいのですが、この前の委員会で粟山議員からだったと思うのですけれども、例の勤務関連の障害者についての処遇に関係したお尋ねで、当局の実本さんの御答弁を聞くと、障害者の場合、「障害の程度に変動が認められます場合におきましては、年金たる障害年金を支給いたしまして、障害の変動に応じてその額を改定してまいるということによりまして、現症に即応いたしました適切な援護を行なうことが妥当であると考える」と御答弁になっておられる。このことは障害の程度による。それで変動があって、たとえば二款症であった者が一款症になったという場合には、変動があって症状が重くなったという判断であるならば、これは当然年金たる障害年金を支給する性質のものではないかと思うのですが、いかがですか。
  148. 実本博次

    ○実本政府委員 三款症であった者が一款症になるようなそういうもの、症状が固定しないで不安定で、まだ増額する可能性があるというふうなケースにつきましては、それは年金を給付いたしまして処遇するというのが妥当であると考えておるわけです。
  149. 受田新吉

    ○受田委員 あなたはこの間の御答弁の中で、勤務関連の傷病についての措置についてお考えを明らかにされておるのでございますが、その中で政府は、この勤務関連傷病について、いままで予算上の要求をしたことがあるかないか、これを伺いたいのです。
  150. 実本博次

    ○実本政府委員 予算要求したことはございます。
  151. 受田新吉

    ○受田委員 三十九年に要求されておりますね。要求されている以上は、ひとつこのあたりでもう厚生省としてははっきりした態度を示していただきたい。勤務関連の傷病についての措置、これはもうおととし予算に計上されている。ことしはなぜこれを予算要求されなかったのか、お答え願いたい。
  152. 実本博次

    ○実本政府委員 これは旧軍人関係の特例でございますので、まず軍人の処遇といたしまして恩給法の公務扶助料のほうの特例法からやっていただくということで整理していってはどうだろうかと考えたわけでございます。
  153. 受田新吉

    ○受田委員 恩給特例法の関係であるからということですか。これは援護法で当然まだ措置する道もあるわけですね。恩給法に限らず援護法で救う道があるはずです。
  154. 実本博次

    ○実本政府委員 いまの特例法で、先生がおっしゃいます対象の大部分軍人のほうでございまして、もちろん厚生省の関係の特例年金のほうの対象になるものもございます。しかし大部分恩給法の特例の公務扶助料のほうに集中いたしておりますので、それと同じ歩調で進んではどうだろうか、こう考えたわけでございます。
  155. 受田新吉

    ○受田委員 しかし、これは恩給特例では救われない、この機会に何らかの勤務関連の傷病者、内地で病気になった、特に内臓の疾患の立場の人なんというのは、非常に悲惨ですよ。内臓の傷病の場合は非常に重態であっても、六項症とか五項症とか、まあ一款症とか二款症とかいう人が多いわけですね。重態であって、もう病院で再起不能だという人が、項款の症状で非常に低いところに置かれているんです。これは今度症状等差等の審議会が答申を出すということで、われわれ相当期待しておるわけでございまするが、そういう人々に対して、これをいつまでも勤務関連だからといって、まあ恩給特例の死亡者に対する処遇に重点を置いていく、生存者のほうはあと回しなどという考え方は、私は成り立たぬと思うんですね。どうでしょう。
  156. 実本博次

    ○実本政府委員 政府といたしましても、三十九年には要求したわけでございます。先生の御意見のように政府としても考えておるわけでございますが、先ほど申し上げましたように、恩給特例とそれから援護局でやっております特例年金との歩調を合わせまして、大部分対象軍人の場合でございますから、それと歩調を合わせまして同時に解決すべきではないだろうか、こう考えたわけでございます。
  157. 受田新吉

    ○受田委員 これは恩給特例のほうとの歩調を合わせる、審議室長、そういうかっこうでいいんですか。
  158. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 まあ特例法関係におきましては、主として軍人でありますが、軍人につきましては特例法という法律一本で処遇されておりますので、その法律改正によって処遇する、こういうかっこうになろうと思いますが、準軍属関係につきましては、やはり権衡論としましては、軍人と同じようにやるのが妥当であるという議論もあるかと思います。
  159. 受田新吉

    ○受田委員 私がいまお尋ねしておるのは、議論じゃないのです。現実の問題で、非常に症状の進んでいるこれらの勤務関連の旧軍人に対する障害年金の支給制度というものを、少なくとも政府でいち早く手をつけるべきであるということをいま要求しておるわけです。そこで、恩給局で扱うものだという援護局のお話のようでございますが、恩給局でそれを本気でやるのですか。準軍属はおれのほうだ、軍人はこちらのほうだということで、責任の転嫁でなくして、両方で一緒にこれと取り組むという決意かどうか、これをいまお答え願いたいです。
  160. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 これは厚生省のほうからお答えするのが適当じゃなかろうかと思いますが、援護法と申しますのは軍人とそれから準軍属その他恩給法の適用を受けない方々が含まれておるわけでございます。軍属関係につきましては特例法という法律があるわけでございます。その他は援護法関係になるわけでございます。しかし全般的にながめました場合には、やはり権衡論としては、処遇するのであれば一様にやるというのが適当じゃないかと考えております。
  161. 受田新吉

    ○受田委員 はっきりお答えを願いたい。これは来年度の措置として、恩給局も援護局も厚生省も、双方ともこれを来年の実現を目途に作業を進めるという御意思があるかどうか。これだけはっきり承っておけば、もうこれ以上追及しません。
  162. 実本博次

    ○実本政府委員 軍人それから軍属、準軍属と歩調をそろえまして、この方向で考えていくべきである、こう考えております。
  163. 受田新吉

    ○受田委員 これはあまり時間をかけぬほうがいいと思うのです。それでこのあたりで、この勤務関連の障害者を含む処遇を、来年度の実施を目標にぜひ作業を進めていくという御決意のほどを承りたいのです。
  164. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 この問題はかねてからの懸案でございますので、明年度実現するという方向で最善の努力をいたしたいと思います。
  165. 受田新吉

    ○受田委員 いま一、二、あなたも五時までということですから、できるだけ私一時間以内で片づけます。  今度の改正案で、第一条のただし書きの中に、一時金の一方的な措置が書いてある。これは不具廃疾の状況に応じて一時金を支給するという一方的な措置が書いてあるが、恩給法の関係ではこの点は選択の自由が許されておる。これはどういう片手落ちだったのですか。
  166. 実本博次

    ○実本政府委員 恩給法と援護法の扱いが違うわけでございますが、援護法におきましては、障害者の不具廃疾の状態に応じまして適切な援護を行なうというのがたてまえでございまして、障害が款症程度という比較的軽度であって、しかもその状態が不変であった場合には、むしろ高額の一時金たる障害一時金を支給いたしまして、更生のもととすることが援護の実をあげるゆえんと考えられるわけでございますが、これに対しまして障害の程度に変動が見込まれる場合には、年金たる給付を支給いたしまして、障害の変動に応じてその額を改定してまいるというふうに、そのときそのときの現象に即応した適切な援護を行なってまいることが適当であろうと考えたわけで、そういう考え方から割り切った措置でございます。
  167. 受田新吉

    ○受田委員 これは局長さん、やはり恩給法の精神をここでも私は生かしてほしかったのです。これはもう来年でも直されると思うのです。ひとつ来年はこの一時金でもうおしまいだ、たとえば二款症でいままで一時金をもらった者が今度一款症で事後重症で重いものになったとしても一時金の差額しかもらえない、こういうことでなくして、やはり障害年金制度というものを希望する者にはその道をとるという、これは恩給法に準じた扱いをおとりになるほうが私はいいのじゃないかと思うのですが、御検討していただけますか。
  168. 実本博次

    ○実本政府委員 障害者援護措置としてどちらかを選択させたほうがいいか、それともこちらがそういった場合を割り切っていまのようなたてまえでいくのがいいか、いま少し、先生の御意見もございますので、そういう問題について検討いたしまして、障害者援護に最もいい方法をとりたいと考えております。
  169. 受田新吉

    ○受田委員 今度できている症状等差調査会なるもの、私これはこの間も要求しておきましたが、実際診断の実力を持つ実務担当者を選べ、その線で、いま岩原先生も入っておられるようです。ところが、この前三十三年のときだったか、私たちが臨時恩給調査会で答申を出して——この症状等差調査会とやはり同じような会ができて、そのできたときの答申の扱い方が、政府でごちゃごちゃにやられているわけです。むしろこれは法律の中へぴしっと入れて、別表の第一表の中へこれを加える、こういう形式を今度おとりになりますか。症状等差調査会の答申ができた場合の扱い方ですが……。
  170. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 今回の症状等差調査会の根拠は法律ではございませんで、予算上の措置として一応そういう会を設けてございますが、しかしその内容につきましては各界の専門家の方に委員になっていただきまして、主として恩給法に規定されております障害の程度、これは非常に古い法律によって規定されておりますものを現在の医学とあるいは科学の進歩に応じるように慎重にそこで審議していただくということになっております。法律の規定ではございません。
  171. 受田新吉

    ○受田委員 もちろん法律で生まれた調査会ではありません。これはよく存じておるのですが、しかしその答申の扱い方はやはり別表の中へ答申の内容を織り込むような形にしていくほうが筋として通るのではないか、こう思うのですが、その御意思はないわけですか。法律事項の中へ、恩給法の別表の一へこれを差し込む、こういう御意思はないかどうか。
  172. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 ちょっと御趣旨がわからないのですが、答申の結果について、恩給法の別表を改正するかどうかということでございますか。——その点につきましては、答申の結果、もし改正を要する点がございましたならば法の改正をはかる、こういうことでございます。
  173. 受田新吉

    ○受田委員 この先生はよくわかる。必要と認めたら改正するということですね。これはまあ一カ年間ですから、まだいまから研究する余裕があるわけです。前のように国会が何も知らない間にその措置がされておるということでは、われわれ国会議員が関与するすきがないということになりますので、私この別表へこれを挿入するお手続をいまから御期待しておきます。ひとつしかるべく御処置を願いたいと存じます。  いま一つ、ここへ国民金融公庫の担当の課長さんが来ておられると思うのですが、この前実本局長さん、恩給関係の書類を担保にして、この国民金融公庫の金を借りる場合の御措置についてお答えをしておられるのを聞いておりますと、たとえば結婚資金とかあるいは学資金とかいうものは、この生業資金その他というもののワクへ入らぬような御答弁があったんですがね。これは実は国民金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律精神を見ても、生業資金その他の恩給等を担保とした場合は、それ以外の資金の小口貸し付けにもこれを充当するという中へ入るのじゃないかと思うのですが、これは大蔵省の御意見も伺いたいと思います。たとえば今度の特別給付金などの証書を担保にする場合を含めてお答えを願いたい。
  174. 徳宣一郎

    徳宣説明員 お答え申し上げます。恩給あるいは援護法によります遺族年金、傷害年金を担保にいたしまして国民金融公庫が貸し付けをいたします場合は、先生ただいまおっしゃいましたように国民金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律というのがございまして、本来の国民金融公庫の業務でございます生業資金貸し付け以外の資金の貸し付けもできるというふうに相なっております。したがいまして、恩給あるいは遺族援護法によります遺族年金あるいは障害年金担保の場合でありますれば、結婚資金あるいは学費等につきましても融通することができるわけでございます。ただ同じ遺族援護法によりましても弔慰金国債、この種の交付公債をもちまして担保の貸し付けを受けられようという方につきましては、これはやはり国民金融公庫の本来の業務ということで、生業資金につきましてのみこれを貸し付け申し上げるというたてまえに相なっております。
  175. 受田新吉

    ○受田委員 それはどうしてその差をつけるわけですか。恩給証書と大体同類の形で特別給付金の国債は出されている。性格も国債です。そして遺族に対する処遇あるいは戦傷病者に対する処遇です。それの国債です。それをいまのように分けてやられるのはどこを根拠にされておるのか。法律のどこにそれが書いてあるんですか。
  176. 徳宣一郎

    徳宣説明員 先ほど申し上げましたように、国民金融公庫法の規定によります国民金融公庫の業務といたしましては、独立した事業を行なう者で適切な事業計画のもとに小口の事業資金を必要とするという者に対しまして国民金融公庫は貸し付けを行なうべしということになっております。他方、先生御指摘の恩給担保金融に関する法律、このほうにおきましては恩給期間あるいは遺族援護法によります遺族年金あるいは障害年金というふうないわゆる年金系統を列挙してあるわけでございまして、ただいまの実定法上からいいまして恩給担保貸し付けの中にただいまお話のございました弔慰金国債等が担保になった場合は入ってないわけでございます。ただ、それは政策論として申し上げる必要があると思います。やはり恩給あるいは年金とただいまお話のございました交付公債とは多少性質を異にしておるのじゃなかろうかというふうに考えるのであります。と申しますのは、恩給あるいは年金でございますと、やはりそれによってその人が一定の勤務年限あるいは一定の事故等がございました場合に、それによって生活をしていくということが本来予定されておるかと思うのでございますけれども、交付公債の場合等におきましては、いろいろございましょうけれども、やはり一定の弔慰金等の目的でもって交付されておるのでございまして、しかもそれが一時におきまして財政支出することの困難さもあったかと思いますけれども、十年以内に償還すべき国債ということで発行がされておるわけでございまして、そういう意味からいいましてやはりその償還期限前に財政資金をもって多量に買い上げていくとかあるいは貸し付けをしていくとかということは困難かと思われるのでございます。ただ先生も御承知と思いますけれども、生活困窮者につきましては、これは別途こういう交付公債を担保にいたしまして政府が買い上げるという措置をとっておりますので、確かに恩給と違っておりますが、またその買い上げというところも違っておるというふうにわれわれは理解しておるのでございます。
  177. 受田新吉

    ○受田委員 いまのようなちょっと性格が違うとおっしゃるわけですが、しかし交付公債の性格は、たとえば再婚解消後の奥さんたちを含めて戦没者の遺族にも未亡人にも二十万円支給されておる、そういう場合はやはりそれが出てくる。それはやはり子供さんが結婚するとか学資が要るというときにはそれを利用させてやるのが、政策的に見たら私は非常に筋が通ると思うのです。これは御検討願えませんか、大臣として。
  178. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 その点は十分大蔵大臣等とも協議をいたしまして検討いたしたいと思います。
  179. 受田新吉

    ○受田委員 事務的処理のようなかっこうになりますが、この増加恩給を受ける者が再び公務員に就職した場合に、増加恩給を辞退してその前後の通算をするかっこうに奨励をされておるわけです、それぞれの公務員共済組合法その他の関係共済組合法が。増加恩給をもらっている人たちというのは、それだけに非常に国家にからだをささげて苦労された。その分をはずして、普通恩給部分だけであとの分と通算するというこの行き方は片手落ちではないかと思います。これは大蔵省の御担当だと思いますが、御所見承りたいのです。
  180. 辻敬一

    ○辻説明員 この問題は以前にもお尋ねがございましたし、いろいろと御要望も承っておりますので、私どもといたしまして引き続き検討してまいった問題でございます。しかしながら、この問題につきましては制度的に申しますとなかなかむずかしい点もございます。と申しますのは、現在の共済組合制度は、御承知のように、恩給制度と旧共済組合制度とを統合したものでございまして、その制度上の期待権はできる限り尊重することといたしまして所要の措置を講じているのでございますが、その場合従来の制度はそのまま取り入れるということにいたしております。期待権を尊重するという範囲の問題でございますので、従来の制度をそのまま踏襲するという形にしておるわけでございます。恩給法におきましては、御存じのように、増加恩給と普通恩給とが必ず併給されるということとなっておりまして、両者は一体として取り扱われております。そこで、この両者を別に取り扱いまして、増加恩給権を放棄しないで普通恩給権だけを放棄して通算を認めるということになりますと、いわば恩給にない新しい制度を認めるということに相なりまして、共済制度のたてまえからいたしまして問題があろうかと思います。しかしながら、御趣旨の点も考えまして、恩給局とも連絡をとりながら今後よく検討してまいりたいと考えております。
  181. 受田新吉

    ○受田委員 この問題はちょっと不合理なところがある。私、不合理性を指摘したいのですが、増加恩給とそれに伴う普通恩給は、これは不離一体のものですよ。その一方をやめて一方だけ残すという、その分離するそのことがおかしいじゃないですか。恩給審議室長から……。
  182. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 いま先生の言われましたことはちょっと理解ができませんのですが、分離すること自体がおかしいということでございます。現行法では、増加恩給受給者国家公務員に就職しますと、増加恩給及び普通恩給ともに放棄するかしないか、こういう形になるわけでございますが、先生のそれが不合理であるというのは結局分離をしろということじゃないかと思うのですが、ちょっと私その点理解に苦しみます。
  183. 受田新吉

    ○受田委員 理解に苦しむじゃなくて、増加恩給と普通恩給とくっついているのです。それは増加恩給だけは辞退して消滅するということになっているのです、法律は。それでどうですか、筋が通りますか。恩給局でそんなことを考えたらそれこそおかしいじゃないですか。その法理論のほうがおかしいです。
  184. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 ただいま増加恩給と普通恩給とあわせて放棄するということになっております。
  185. 受田新吉

    ○受田委員 ところが増加恩給を辞退したという場合に、辞退を奨励する規定を設けているのです。そのことはどうかということです。三十四年から始まっていますが、法律ができた日から六十日以内とか、増加恩給は消滅するという法律があるのです。
  186. 辻敬一

    ○辻説明員 ただいま御指摘のように、施行日から六十日以内に増加恩給権を放棄いたしますればこちらのほうに通算するということになっているわけです。
  187. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると増加恩給は切れるのです。増加恩給は全然なかったことになるのです。そういう冷酷な措置が認められるかと私は問うている。通算すると言っていない。増加恩給部分ははずしてしまう、消滅しておるのです。通算じゃないのですよ。
  188. 辻敬一

    ○辻説明員 先ほど申しましたように、共済組合制度は恩給制度を引き継ぎましたものですから、恩給制度にありました期待権という問題はそのままの形で取り入れて尊重するというたてまえに相なっております。しかし先ほど申し上げましたように、恩給の扱いが増加恩給と普通恩給と一体として取り扱っておるというたてまえになっておりますので、こちらのほうもそれを一体として取り扱いまして、増加恩給だけ認めるというようなことはとっていないのでございます。
  189. 受田新吉

    ○受田委員 ちょっと質問に答えていただきたい。国家公務員共済組合法だって、公共企業体職員共済組合法、地方公務員の共済組合法の長期給付施行法におきましても、長いものは三カ月、短い分は六十日で、施行日から六十日以内に増加恩給を受ける権利を希望しない旨申し出たときは増加恩給分の権利は消滅すると書いてある。そういう片手落ちがあるかということです。消滅してしまうのですよ、これは。消滅さしていいものかどうかです。恩給局にしても残念じゃないですか。消滅すると書いてある。通算するとは書いてない。
  190. 辻敬一

    ○辻説明員 放棄いたしました場合にはこちらに通算する、放棄いたしません場合には増加恩給は認めますが、こちらの共済年金のほうは通算の措置をとらない、こういうことになっております。
  191. 受田新吉

    ○受田委員 そこですよ、非常にそれが片手落ちなのです。一方で増加恩給をそのまま認めれば通算しない、放棄したら通算する、どっちにしてもこれは選択権を行使する側から見たら痛いものですよ。やはり増加恩給部分を何かの形で生かしてやる手を使わなければならぬ、それについて御配慮を願いたい。
  192. 辻敬一

    ○辻説明員 その点は再三繰り返しになって恐縮でございますが、恩給のほうのたてまえが増加恩給と普通恩給と一体にして取り扱っておりますので、こちらもそういうたてまえにいたしておるのでありますけれども、ただいまの御趣旨を勘案いたしまして、恩給局とも連絡をとりながら今後引き続き検討してまいりたいと思います。
  193. 受田新吉

    ○受田委員 それでよろしいが、これも二年も三年も前に指摘したのだが一向解決しないからまたこれを繰り返さなければいかぬようになっております。  おしまいに、軍艦「陸奥」の英霊が、約二千人なくなられていま山口県岩国市の沖の島の陰に眠っておられる。日本近海におられるこの英霊約二千人の扱いを戦後二十年なぜそのままに放置しておられるか、お答え願いたいのです。
  194. 実本博次

    ○実本政府委員 軍艦「陸奥」は、御存じのように沈没当時千百二十一名の殉職者がございまして、当時百六十五名の遺体が収容されましたが、その後昭和二十四年から二十八年にわたりまして搭載物資の引き上げを行なった際に遺体を収容した結果、氏名の判明しない遺骨六百八十四柱を収容することができました。いまの現状は、潜水夫が到達できない船体内の奥深いところになお三百柱ばかりの遺体が存在いたしておるわけでございます。この残存遺体の収容につきましては、おっしゃいますように、もう終戦後ずいぶんだっておるわけでございますが、海底深く沈没しております関係上、この船体を引き上げませんと、その下にありますところの遺体が出てまいらぬわけでございまして、この船体そのものを引き上げますについては、危険が多かったりして、なかなか引き上げ作業が困難だということでございます。従来はこういった残存遺体の引き上げについて、「陸奥」だけでございませんで、だいぶこの近海にそういったかっこうで海底深く眠っておられる遺体があるわけでございますが、やはり非常に深いところにある。あるいは浅いところにありますものについては大体措置いたしておりますけれども、船体の引き上げということが非常に技術的にもむずかしいのでございまして、いまそれが国有財産になっておりまして、国有財産を民間業者に払い下げましてそれを引き上げていただくというときに、遺体を損じないようにできるだけ丁重に扱っていただいて、こちらにお届け願うような方法処理をしてまいりたい、かように考えておるわけでございます。
  195. 受田新吉

    ○受田委員 国有財産ということでございますが、大蔵政務次官、この軍艦「陸奥」の引き上げはどういうかっこうに——ちょっと大蔵省のどなたが……。
  196. 松永勇

    ○松永政府委員 軍艦「陸奥」につきましては、現在も国有財産ということで私たちが管理しておるというたてまえになっております。水深四十三メートルのところに現在沈没しております。これを引き上げるという場合に、通常私のほうとしましては、国有財産を払い下げる。これは沈没の状況を調査して、引き上げる能力を持っておるサルベージ業者等に対しまして、引き上げをすることを前提とした払い下げということで、従来払い下げてまいっておりますが、「陸奥」につきましては従来もこれを引き上げたいという希望を持った会社もございまして、種々、従来引き上げたいということで検討してまいったわけでございますが、最終的にはなかなか深いところにあるということで、現に船の底に眠っておられるこの英霊を、爆破して引き上げるというような事態になっては困るというようなことで、そのまま、沈没したままの状態で引き上げるということが、現在の技術等から見ましてなかなか困難でございます。そういう現在の状況になっております。
  197. 受田新吉

    ○受田委員 私は、かつてこれを取り扱ったサルベージの中に、中にあったもののいいものをみんな持って逃げた者があるということを聞いております。英霊の引き上げをしないで、中にあった搭載物資を持って逃げたのがおった。こういう不届きなやつはあなたお聞きになっておると思いますが、いかがですか。
  198. 松永勇

    ○松永政府委員 これは終戦後建設省が特殊物件として取り扱っておった時代に、建設省の委任を受けております山口県の知事がこの搭載物件を払い下げしたということがございます。払い下げしましたのは船体ではなくて搭載物件でございます。この搭載物件を引き上げる際に、その船体の一部をもかすめてこれを引き上げているという事案がございました。こういうものにつきましては、当時その事実がはっきりいたしましたので、国としては当該相手を損害賠償の請求の訴訟を起こして、最高裁までいきまして、ついにこれは勝訴になっております。なお、その当時の会社の役員、社長でございますが、これは背任ということで、刑事事件としてこれも裁判の確定をされております。
  199. 受田新吉

    ○受田委員 軍艦「陸奥」、当時の第一級の大戦艦が爆破したあの当時、私はそれを現実に見、その悲劇のあとをながめて——私はその近くで学校につとめておったわけだが、もう一切を国家の防諜の関係で秘密にされたのです。ところが、その後この軍艦「陸奥」の扱い方が、いまあなたが指摘されたようなどろぼうのサルベージがこれを盗んで——英霊をかまうどころじゃないです。英霊を引き上げるではなくて、盗人をした。これは私は非常に残念です。しかしこれは処分されたということですけれども、しかしこのあと、英霊を何とかして引き上げてやらなければならぬ。御遺族は全部わかっているのです。今度の全日空の事件でなくなられた人の最後の一人を引き上げるまで骨折った、これほどの力を入れられて軍艦「陸奥」の引き上げを実行されたならばどれだけ全国の遺族が喜ばれるか、またわれわれも安心するか。本気で取っ組んでくださいよ。それからいまのように民間に払い下げると、必ずいまの世では悪いことをしますよ。悪いやつがおりますから。政府自身が何か監視しながらやるという形で、すみやかにこれを実行してもらいたい。その見通しについて政務次官なり局長から御答弁願います。
  200. 松永勇

    ○松永政府委員 私のほうは実は国有財産の管理ということをいたしておるところでございます。国有財産の管理上、この本件は払い下げを行なうという考え方に立っておるわけであります。従来からこの払い下げの際には、こういう海底に眠っておられる英霊を丁重に引き上げるということに注意して、また厚生省と協力してまいっておるところでございます。私のほうでは国有財産の管理処分を通じて厚生省と協力してまいりたいという考え方でございます。本件は単独で国で、私のほうで引き上げるということにはまいらないかと思っております。現在これを引き上げると申しますのは、くず鉄の価格が相当上がってまいり、また一面引き揚げする技術、サルベージの技術が、そのままの状態で浮上させるという技術が進まないと、実際問題として安全に英霊が上がってくるというのはなかなかむずかしい状態である、こういうふうに私も専門のサルベージ等から聞いております。一面においては引き上げる費用と、引き上げして得たくず鉄の価格によって、採算ベースに乗るかどうか、すなわち国有財産の払い下げとして成立するかどうかということが私のほうの問題でございます。今後もそういう点で、こういう引き上げの技術が進み、そういう奇篤な人があらわれてくることを勧奨したいと思っております。
  201. 受田新吉

    ○受田委員 私はちょっと不満があるのです。それは、あなたは引き上げの費用とかいろいろのものを計算してからとおっしゃる。また英霊を爆破しなければいかぬかもしれぬとおっしゃる。私は英霊を爆破というのは初めて聞いたが、こういうことは私はほんとうは許されないことだと思う。引き上げの費用は幾らかかっても——全日空のとき遺体の捜索にどれだけの金をかけられたのですか。ところが国家のためにあれだけの犠牲を払ったとうとい英霊を海底に二十年も眠らしておいて、それを引き上げる費用を計算して、くず鉄の値段が幾らになるかということを考えるなんて、根本的に間違いがあると思う。厚生省、どう思われますか。大蔵省はいま打算的に引き上げを考えておられる。厚生省は英霊を大事にするという意味においてこれに対して反論してもらいたい。
  202. 松永勇

    ○松永政府委員 いまちょっと私、ことばが足らなくて、先生誤解を受けられてまことに申しわけございません。私が申しましたのは、国有財産の処置としての面を申し上げたわけでございまして、この英霊をいかに処理するかということは厚生省当局が考えておられることだと思います。
  203. 実本博次

    ○実本政府委員 遺骨の収集につきましては最近来、河野先生からは各南洋諸島その他全戦域に散らばっております遺骨の収集の問題につきまして御鞭撻をいただいたわけでございますが、きょうの先生お話は、いま海底に眠っております遺骨の収集を政府の責任においてやれという御趣旨でございます。全くごもっともなお話でございます。ただその点は、先ほどから国有財産局長からかわって答弁していただいておるわけでありますが、たとえばこの「陸奥」の場合、いま引き上げます金が十億かかるというふうに聞いておりますが、そういった意味で財政的な援助を——国が強制的に出した犠牲者でございますから、おっしゃるようにそれは幾らかかろうとも全部引き上げるべき筋合いではあろうかと思いますが、ただ何ぶんにも巨額の財政的な措置を要するものでございますので、その辺もございまして、国有財産を、そういう悪徳業者じゃなくて、善意で引き上げようという業者があれば、それをなるべく安く払い下げていただいて、せめてそういう英霊に対する国の責任を果たしていくべきじゃないか、かように考えておるわけであります。
  204. 受田新吉

    ○受田委員 松永さん、局長さんは当時広島の中国財務局長をしておられて、あなたの御所管の中にこれがあったのです。いまそういうふうに何とかしたいという気持ちはわかるのですが、ひとつ政務次官、よく局長さんとも相談されて、これをいま援護局長が言われたような線で、金は幾らかかっても——くず鉄の値段がどれだけになる、引き上げが幾らになるかという計算ができたらお答えしておいていただいて、そして日本近海、いま水深四十二メートルです、非常に浅いところですよ、必ずひとつ大急ぎでこの英霊引き上げをやって、御遺族また国民を安心さしてもらいたい。御答弁願って質問を終わります。
  205. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 私もこの問題に関しまして、元海軍だった方たちがグループをつくりまして、たいへん熱心にこの問題の運動をなすっている方がたくさんございまして、政務次官に就任以来幾たびか相談を受けました。まことにあなたのおっしゃるとおり何とかしなければいかぬという非常な衝動にかられたのでありますけれども、先ほど大蔵省からの話もありましたように、やはり財政的な問題でなかなかむずかしい問題もあるようでございますが、しかしたてまえとしてはおっしゃるとおりだと思いますので、できるだけそういう趣旨に沿うように努力していきたいと思います。
  206. 松永勇

    ○松永政府委員 このくず鉄の金額につきましては、くず鉄の値段が現在動いておりますし、最近下がっておりまして、一時私たちが見積もったときには六億ぐらいの収入があるのではないかというような感じを持っておりましたが、その辺の差額は若干出るだろうということです。  なお、つけ加えて申し上げさしていただきたいのは、私も中国財務局長の当時、この英霊の眠る「陸奥」の管理をいたしておりまして、この「陸奥」を何とか引き上げたいということで八幡製鉄とずいぶん話し合った時代がございますが、いわゆる資金的な面のほかに、もう一つまだ日本の現在のサルベージの技術の状態では、爆破するようなことをしないで、そのままの状態で引き上げるということにはやはり相当な困難がある。これは私も技術者等からこまかく聞きまして、今後の技術の開発等にもまたなければならない点があるというふうに感じております。
  207. 田中正巳

    田中委員長 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十六分散会