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政府委員(
野田武夫君) ただいま、一九六二年の
ケネディ声明以来、新
政策はどうなっているかという
お尋ねでございました。その一部は
外務大臣から
お答えいたしましたが、そのほかの問題に触れてみますと、一応、大体、新
政策後の変化と申しますか、それは
行政主席の
任命方法をまず変えてまいりますとか、それから、先ほどこれは
外務大臣からも申し上げましたが、
文官制の
民政府を置くことにいたしました。それから
プライス法が、いまお話のとおり、六百万ドルが千二百万ドルまで引き上げられた。それから新たに
経済的な借款というものが出てまいりました。それから
民政府の
機関であります、たとえば
琉球の
電力公社とか
水道公社とか、また、
金融関係の
機関でございますとか、これが従来は
アメリカ人をその
総裁とか副
総裁に任命いたしておりましたのを、ほとんど全部
沖繩人をこれに起用したこと。それから一昨日発足を見ました
日米協議委員会あるいは
日米琉技術委員会、これらはやはり
ケネディ声明に基づく各般の
措置でございます。
そこで、
経済的な問題は、これもただいま
外務大臣からもちょっと触れましたが、まず、
プライス法が倍額の千二百万ドルになりまして、そうして六二年では五百三十万ドルくらいの
プライス法が出ておりましたのが、漸次これが増額しております。六四年には七百万ドルにふえております。全体の
アメリカの
援助額も大体漸次増加いたしておりまして、千万ドルに近い
期待ができはしないか。これに基づきまして、
日本政府といたしましての
援助のやり方が基本的に変わってまいりまして、そうして
日本政府の
援助というものが、
日米間の話し合いの結果、直接
沖繩にやれるというので、
昭和三十五年に一億くらいの
援助が、すでに
予算として出しております。三十九年度においては、約二十億の
日本の
援助ができるという段階までまいっております。したがって、今日までの
経済的な開発も、
アメリカはもとよりでございますが、
日本がこの数年間にこれくらいの大きな
援助ができるようになりましたので、開発の
内容も漸次改善されておることは間違いないのでございます。
そういうことで、この
沖繩住民の生活も向上してまいりまして、最近の
アメリカ政府の発表によりましても、一九六三年度の国民
所得は二億六千五百二十万ドル、前年度の二億三千数百万ドルに比べまして、相当向上を見ております。これだけふえております。それで、一人当たりの国民
所得も、大体一二・七%の伸びをいたしておりまして、今日の段階におきまして、必ずしも満足なものではございませんが、逐次、しかも、相当の幅をもって向上しつつあることは間違いはございません。これは、数字をもって申し上げてもわかりますが、大体一九六〇年度の国民
所得は一億七千五百六十二万ドルであったのが、六二年度は二億三千二百二十一万ドル、それから六三年では二億六千五百二十万ドル、こういう伸びを
示しております。また、この
一般的な、何と申しますか、物価その他から考えまして、いま佐多さんの御
指摘になったこともよくわかりますが、労働賃金にいたしましても、一九五八年以降大体平均約六%の上昇率を見ておりまして、本土、つまり
日本の本土と
沖繩との賃金格差もだんだん縮まってまいっております。
今後、私どもがこの
日米協議委員会並びに
日米琉技術委員会、これは、もちろん
沖繩の一日も早い本土復帰をこいねごうことは、私どもも、もちろん心から願っておりますが、私、率直に申しますと、今回、
日米琉技術委員会が発足いたしましたが、今日までの
沖繩の
政府の意思というものは直接
アメリカには伝達できなかったという
状態でございますが、一昨日発足いたしました
日米琉
委員会が、これがこの
琉球の
住民の率直な意思をありのまま
アメリカ政府に述べる機会を得たと、こういうことは、私はやはり、
沖繩住民の今後の
福祉、生活向上、産業の開発、これらに対して相当の効果があるものだと
期待いたしております。したがって、今日まで私どもの考えております
沖繩住民の向上、つまり、できるだけ本国並みのいわゆる生活向上、
福祉、また社会
政策、
社会保障の問題につきましても、これが、
日米協議委員会、また
日米琉の
技術委員会を通しまして、積極的にその推進をはかりたいと、こう思っておる次第でございます。(
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