運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1959-03-27 第31回国会 衆議院 農林水産委員会 第30号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月二十七日(金曜日)委員長の指 名で、次の通り小委員及び小委員長選任した。  食糧に関する調査小委員       秋山 利恭君    今井  耕君       大野 市郎君    吉川 久衛君       倉成  正君    永田 亮一君       本名  武君    赤路 友藏君       足鹿  覺君    石田 宥全君       栗林 三郎君  食糧に関する調査小委員長                 今井  耕君     ————————————— 昭和三十四年三月二十七日(金曜日)     午後一時十一分開議  出席委員    委員長 松浦周太郎君    理事 吉川 久衛君 理事 丹羽 兵助君    理事 本名  武君 理事 石田 宥全君       秋山 利恭君    五十嵐吉藏君       今井  耕君    倉成  正君       田口長治郎君    高石幸三郎君       綱島 正興君    内藤  隆君       松岡嘉兵衛君    足鹿  覺君       角屋堅次郎君    神田 大作君       久保田 豊君    實川 清之君       中澤 茂一君    西村 関一君       廣瀬 勝邦君  出席政府委員         農林政務次官  石坂  繁君         農林事務官         (農地局長)  伊東 正義君  委員外出席者         大蔵事務官         (国税庁税部         長)      金子 一平君         農林事務官         (農地局管理部         長)      庄野五一郎君         参  考  人         (有限会社新紅         園専務)    中田 長吉君         参  考  人         (有限会社芳幸         園常務)    米澤 豊幸君         参  考  人         (鳥取農業会         議事務局長)  大久保毅一君         参  考  人         (香川農業会         議事務局長)  小西 数馬君         参  考  人         (農政調査会副         会長)     田邊 勝正君         参  考  人         (東京大学教授近藤 康男君         専  門  員 岩隈  博君     ————————————— 三月二十七日  委員松浦定義君辞任につき、その補欠として廣  瀬勝邦君が議長の指名委員選任された。     ————————————— 三月二十六日  佐世保港外投びよう禁止による漁業損失補償に  関する請願綱島正興紹介)(第二八五四  号)  国有林野払下げに関する請願池田清志君紹  介)(第二八九二号)  解放農地の一部返還に関する請願小川平二君  紹介)(第二八九三号)  団体営土地改良事業補助率引上げ等に関する  請願櫻内義雄紹介)(第二八九四号)  中央卸売市場足立分場魚類部敷地拡張促進に関  する請願外二十九件(天野公義紹介)(第三  〇五四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  小委員会設置並びに小委員及び小委員長選任  に関する件  農林水産業振興に関する件(農業法人問題)      ————◇—————
  2. 松浦周太郎

    松浦委員長 これより会議を開きます。  小委員会設置に関する件についてお諮りいたします。米価その他食糧に関する諸問題を調査するため、本委員会に小委員十一名からなる小委員会設置いたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 松浦周太郎

    松浦委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。  次に、ただいま設置することにきまりました小委員会の小委員及び小委員長選任につきましては、委員長において指名するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 松浦周太郎

    松浦委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  小委員及び小委員長は追って公報をもって御指名いたします。     —————————————
  5. 松浦周太郎

    松浦委員長 次に、農林水産業振興に関する件について調査を進めます。  本日は、農業法人問題につきまして、現地関係者並びに学識経験者方々参考人として御出席を願っております。御出席参考人は、現地関係者として、有限会社紅園専務中田長吉君、有限会社芳幸園常務米澤豊幸君、鳥取農業会議事務局長大久保毅一君、香川農業会議事務局長小西数馬君、学識経験者として、農政調査会会長田邊勝正君、東京大学教授近藤康男君の各位であります。  参考人各位には、御多忙の中にもかかわりませず本委員会に御出席いただき、ありがとう存じました。本日は、農業法人問題につきまして、各位の身をもって経験せられ、また研究なされましたところを、それぞれのお立場において御開陳願いたいと存ずるのであります。  それでは、これより御意見を伺うことにいたしますが、時間の関係上、御一人およそ二十分程度にお願いいたすことにいたしまして、一応全部の御意見を承わった上で、委員各位の質疑を行うことといたします。御了承願いたいと存じます。  それでは、有限会社紅園専務中田長吉君にお願いいたします。
  6. 中田長吉

    中田参考人 ただいま御指名にあずかりました有限会社紅園専務中田長吉であります。本委員会農業法人問題の参考人として招待していただきましたことは、私の最も喜びとするところであります。本日、私は、徳島県における農業法人実態課税上の点について、少しばかり私の知り得ました範囲内において発表さしていただきたいと思います。  別紙印刷物に大体の骨子は書かしていただいておるわけでありますが、この問題は、徳島税務署における勝浦管轄生産農家に対する極端な徴税行政に端を発しております。たとえて申しますと、勝浦所得税は、皆様のお手元の表にありますごとく、昭和二十九年度決定所得金額七百四十六万六千円、三十年度九百五十六万一千五百六十円であったのでございますが、収量、売上高においては大差なかったのでありますが、三十一年度におきましては一千五百二万六千七百八十円と、二十九年、三十年に比較して約三倍の課税対象額となっております。どうしてこんなばかなことが行われたのでしょうか。こういう点について、風のたよりに聞きますことは、県の当局者として言われたことなのですが、森林所得税がとれなかったということに端を発しまして、森林の兄弟分であるミカンに対して課税せいというようなことでございまして、今まで平和な町であった勝浦町では、一度に二千五百万円、以前の三倍にも上る課税額ために、商工業者はその売れ行きがとまり、大工、左官等の職人はその仕事を失ったのであります。こういうふうにして、百姓としては今まで何も資料を持ち得なかったがために、赤子の手をねじるがごとく、無条件降伏にならざるを得ないような羽目になってしまいました。このようにして、かたく手を握り締めておるものを広げてまでとるというような税務署の極端なやり方ために、このようなことを毎年続けておるとするならば、われわれとしては全然経営が成り立たないのじゃないかということまで考えたこともございます。たとえて申しますと、私のおる部落には、沖縄作戦で国のためにとうとい命を捨てられた方があります。そして、その夫なきあと女手一つで一町余りのミカン園経営いたしておりますが、こういう悪条件のもとに再度まくらべをぬらすようなことがあったかと思うのでございますが、課税当局におかれましては何のしんしゃくもなされておりません。弱い者からとる、とれる者からとるというような課税方針ために、その気の毒な奥さんは強制的に記名捺印させられて、そして、私たち農協に立ち寄られましたときに、帰っておじいさんに何と言ったらいいかということで泣いておるような状態であります。これはまことにお気の毒なことでありまして、夫は国のために一生懸命命までも投げ捨てて働いて、結局残された遺族は自由な申告が虫ばまれて強制的にやられておることを考えますときに、こんな暗黒な政治があっていいでございましょうか、こういうふうに考えるのであります。このようにして、権力的、圧力的、徴発するがごとく、そこで、前後の見さかいもなく、数カ月のまたたく間に百数個の農業法人が勃発いたしておりますが、このような不当なやり方に対して、税務当局におかれましては何の反省の色もなく、私たちが組織しておる農業法人に対して圧力を加えて、それを阻止しようと、いろいろな手を打たれております。皆様のお手元にお配りしてあります書類にもあるごとく、担当せられておる税理士方々圧力をかけてみたり、とにかく、未熟な一年生でようやく記帳を始めたばかりなのに、税理士圧力をかけてやられますと、われわれ農民としては今までの経験も全然ないことですし、圧力をかけられた税理士の言うがままに白色申告に応ぜねばならないような羽目になって、大体百三社のうち三社だけが一応残れということでございまして、あとの百社の方は万やむを得ず白色申告に踏み切らざるを得ないような状態になってしまいました。  私が感じますところによりますと、何分にもお役人の百姓に対する考え方徳川以来何ら変っておらないのではないかと思います。百姓とぬれ手ぬぐいはしぼればしぼるほど出るという考え方に、私たちは納得のいかぬところがあるのであります。なぜ百姓だけ別扱いにされるのでございましょうか。私たちの組織せる法人は他の商工業者とどこが違うのでございましょうか。また、直税部長の御指摘のようなことについて、会社預貯金等農協に口座を設けて、厳然と会社経営をやっております。そして画然と給与の支払いをいたしておりまして、私たち公私の別を大蔵省ほど混同はいたしておりません。五円の金でも、わずか一円の金でも、公私の別は混同していないつもりであります。しかし、税務当局が数十万、数千万円も公私の別を混同しておることは、指導機関として私たち納税者は全然信用が置けないのであります。私たちが園の実態調査をしていただきたいと幾重にも懇請しましたが、実態調査はして下さらないのであります。園の実態を御調査下されば、以前と何ら変らないというようなことは全然言えないはずでありますが、何の調査もしてくれず、私たち、自然を相手とする農業は、自然の摂理に従わなければ、どうにもならないのであります。自然の摂理に従って、今までのように、薬剤散布は木へ、肥料は土地へというような、この原則に従ってやりますことは、どうしても今までのを変えるわけには参らぬのであります。こういうふうにいたしまして、私たちの組織せる有限会社については、いろいろと国税局ないしは税務署の今までのやり方があまりにも不当であったというがために、前後の見さかいもなく、にわかに、わずか三、四カ月の間に百三の会社ができてしまったようなわけであります。  会社のいろいろなことについては、農業法人経過報告書その一というものを見ていただければわかると思いまするが、私のところを初め、有限会社カネヨ農園有限会社芳幸園におきましては、徴収義務者指定番号、それから青色申告承認書、それから減額申請の特例とか、そういうものをいただいて着々とその実績を上げておったのでありまするが、問題が起りました三十二年の十月から税務署がこれを否認の方向方向を変えまして、とにかくどういうことをしても認めないという方向に移り変ってきたのであります。昭和三十三年の四月七日付の、源泉徴収税額の納付について、それから源泉徴収者指定番号、こういうふうなものをいただいて、青色申告をこの三社とも承認されております。ところが、昭和三十二年の十一月七日に、勝浦町役場において、有限会社農業法人について、徳島税務署長総務課長所得税課長法人税課長、各課の係長約十名が出張して参りまして、農業法人農地法において農業委員会許可を要するものと考えられるが許可がない、だから許可すればこれを認めるというようなことなので、許可がない以上は認められないからというような、とにかく白色申告に協力されたいというような要請が、八十数社の代表を寄せてありました。それから、昭和三十三年の四月、五月にかけまして、徳島税務署ないしは高松の国税局係員が、約十三日間、七名ないし八名の係員を伴いまして、われわれの二社のため調査をいたしております。そして、各銀行、それから農協、各販売先というようなところを全部調査いたしております。それから、三十三年の六月十一、十二日、このごろに徳島県において全国農業会議所の第一回の現地研究会が開かれたのでありますが、そのときに、挑戦するがごとく、六月の十二日に更生決定が下っております。そして、七月の十日に更正決定に対する再調査の請求がこの三社から出されました。そうして、日を二日ほどおいて、七月の十二日、有限会社紅園有限会社カネヨ農園に対しまして、督促状及び延滞加算税額納税告知書が参っております。この事実を見ますときに、私たちはどちらを選んだらいいのかと思わざるを得ないのであります。依然認めない。更生決定をして一カ月後に、有限会社新組園、また有限会社カネヨ農園に対して督促状及び延滞加算税額納税告知書が参っておるのであります。そうして、それから以後ずっと九月、十月の間におきまして、私たちこの二社は仕事ができないくらい、あとあとへといろいろ調査を名目にいたしまして再々税務署係員か踏み込んでこられまして、そのつど、家におるようにとか、税務署に来るようにとか、そういうふうな口実をつけて引っぱり出されまして、その際、農業法人は認められないから、結局幾ら金を入れても損だから、それよりとにかく得のような白色申告に切りかえるようにというようなことを重々申されております。それに対して、私たちは、今までの突発的な税務署やり方に対して反感を抱くとともに、とにかく今までのような経営やり方では行き詰まりを生じるのではないかというようなことから、働けど働けどその暮らしが楽にならないというようなこういうことでは、いつまでたっても百姓に嫁の来てもなく、また長男が百姓をやりたがらないような農業がいつまでも続くのではないか、こういうふうに考えまして、私としましては、どんなことがあってもその法人を成立するようにいたしまして、とにかく、今までのような暗い陰のある百姓から、新しい楽しい農業へと進み得るように、自分としては、どういうことがあっても、一度や二度は刑務所へひっぱられるようなことがあっても、また何十万、何百万の金が要ることがありましても、どこまでも農民の将来の仕合せのためにできるだけ努力をさしていただきたいと、かように思って一生懸命やらしていただいておるわけであります。  このようにして、順調な経理を、今まで全然つけていなかった帳簿をつけ、いろいろむずかしい手続を経ましてやっておりますうちに、今まで非常に記帳ということがむずかしくいやであったのでございますが、今では非常にそれも楽しみになりまして、今まで不明朗であった農家が次第に明朗な方向に向いてきつつあります。私たちの現在の気持といたしましては、今までのような、ただ税務署の極端なやり方に対して全然反抗する気力がないというようなことでは、とうていこれからの農業としてはやっていけぬのじゃないかというようなことで、とにかく、今までのような、徳川以来の、百姓からしほればしぼるほど出るというような考え方をぜひ是正していただくために、私たちは、この問題をひっ下げまして、そして、これから農民の立ち行くように、今までのしぼればしぼるほど出るという政策をこの際変更していただきたく戦いたい、かように思っておるようなわけであります。  十分な御説明も何も申し上げられませんのでありますが、一応私のつたない体験をこれで終らしていただきたいと思います。
  7. 松浦周太郎

  8. 米澤豊幸

    米澤参考人 私、ただいま御紹介にあずかりました芳幸園取締役米澤豊幸という者でございます。今の新幸園中田長吉氏の補足をいたしたいと思います。  私の会社社長は、私の家内になる保江という者がやっております。この婦人社長ということは、私が、一応、民主主義というそのことにつきまして、女の今まで封建的なことをどんなにかして解消したい、こう思うところから家内社長にいたしました次第でございます。  さて、その会社を組織いたしまして以来、今までは子供が大人の思想に悪化されておるということが、私たち、今まで親といたしまして、また男といたしまして、そのことを相当考えておったわけであります。現在に至りましては、私の家内社長保江その者は私より以上に会社運営に対して知識を応用いたしますとともに、実際子供までがこの会社運営ということをつぶさに考えておるというようなわけでございます。その原因たるや、今までの子供といたしまして、私たち子供に対する愛情というものは、農業経営が合理化しておらなかったために、してやりたくてもできなかった。これはなぜかと言いましたら、先ほど中田氏から言われました通り税務署大蔵省をかさに着て、そうしてわれわれに相当な攻撃、これがあったために、農家としては税務署といえば何かおそろしいもののように思っておったわけであります。そのために、われわれは税務署に対して一言も口返事もできない、言いわけすれば口返事に当る、こういうような始末でありました。それがために、子供かほしいものさえ買うてやれない。また、小づかいにいたしましても、子供の思っておる範囲の小づかいが出せなかった。また、家内も、女子といたしましておしゃれもしなければならない。また子供身の回りもしてやらなければならない。女が、私たちふところ工合が悪いために、そのことができなかったのであります。それがために、毎日野らでは私たち同様に日一ぱい働かなくてはその日の生活ができないというような現状でありますし、不服不満というものは家内ですら不服があるのであります。私は、現在のこの民主化した今日、家庭が円満でないということは相当遺憾であります。それがためにこのたびの農業法人を作ったのであります。その一例を述べますと、子供は思想的に悪化をされ、また、女子としては、私たちが与えるものを与えないために、米なりミカンなり、それを横流しをする。私たちの言葉で言えば、まつぼりをする。そうして安い金にかえても自分身の回りなり子供のことをしてやらなければいけないということは、何が原因となりましょうか。私たち子供なり女子に対しての理解がないということにとどまるものと私は信じております。私はそのことを問題といたしまして今度の農業法人を設立いたしまして、今現在に至りましては、子供家内ともに愉快にこの経営状態を続けておるわけであります。先ほど私が申しました通り、私たち、これから、農業法人を完全なものにいたしまして、そうして、全国農民皆様の御婦人のお方に、野らで働く時間を半日にして解放してやる。その解放という目的は、今、上司から、栄養化しろ、かまどの改善をしろ、こういう御指示がありますが、さて、時間の解放をしなくては、この栄養化ということは絡対にできないのであります。その栄養化するにも、伴うものは金であります。それがために、私たちは、農民の捨て石になりまして、自分の欲も得も忘れて、この農業法人に対して一身を込めてやりたい、かように思っておる次第でございます。  どうか、私たちの熱あるこの会社そのものに対して、日本農民を救う、こういう御理解の上で、一つこの農業法人を、どの方向にでもけっこうと思いますが、どうかよろしくお願いいたしたいものでございます。どうもありがとうございました。
  9. 松浦周太郎

  10. 大久保毅一

    大久保参考人 大久保でございます。この農業法人問題が始まりましてから一年余になりますが、この間、本委員会におかれましては、この農業法人問題に対して非常に御理解ある御審議をいただいておりますことについて、関係者の一人としてまずお礼を申し上げたいと思います。  次に、鳥取県の現状を報告さしていただきたいと思いますが、御承知のように、十一日に農業法人に対する統一見解がまとまったということが報ぜられましたが、その記事として、十三日の鳥取県内地方新聞に、国税庁では三十三年度の申告に当って二十四都道府県、百五十一法人を検討した結果、法人経営と認められないとの理由で個人同様所得税を課するよう関係国税局長あてに通達をした、こういうことで、都道府県ごと法人の数が示されて、鳥取県の六社がその中に入っております。十四日には所轄税務署長法人のところに参りまして、局からの電話の指令によって、個人申告をするように勧告をする、個人申告を十六日までにしなければ、追徴税加算税延滞利息、さらに扶養控除等の恩典は認められない、こういう通告をされております。十六日にわれわれは関係者とともに集まりまして、当時のこの委員会審議状態でまだ明確でございませんので、一応個人申告をしておく、ただし、その前提として、税務署長に対しては、国会の方で取扱いが明らかになった場合には、法人申告に切りかえることがある、そういう前提に立って個人申告をしたのでございます。  ここで、われわれが今この委員会で決定されました統一見解というものを中心に現地で一番困っておりますことは、二つ問題点がございます。第一の問題点は、この法人申告に当って、農地法というものとの関係を完全に切り離して考えていいのかどうか、これがまだ現地法人関係者には明確になっておりません。第二点は、実態に即して課税をするという、この実態でございますが、この点について、税務当局の方では、取引相手法人ということを認識していないとか、あるいは帳簿が不備であるとか、そういう外側の諸条件をあげて法人を否認するような態度をとっておられます。そういう外部的な諸条件法人実態というものであるのかどうか、その辺のことが非常に不明確でございまして、税務決定権税務署にあるわけでございますので、税務署がそういう見解法人を否認するということになりますと、その実態というものの見解税務署の言いなりに押えられることが起って参ります。その二点がわれわれとしてはまだ不明確でございますので、税務当局見解に対するわれわれの反駁をいたしますにしても、もう少しその辺のところを突き詰めた御指導を賜わりたいと考えます。  それで法人問題は税金の問題が直接的な動因で起っているのでございますが、われわれは、現在の税制に対して、基本的な態度としては、税金が高いとか安いとか、そういう問題ではなくして、今日の農業に対する所得税のあり方か根本的に間違っておるのではないだろうか、こういう点でございます。  第一点は、家族自家労賃を全然無視しておるということ。私はよく農家で言いますが、現在の所得税法でいきますと、農民とは、ただで働く牛以下の動物である、こういう規定がされております。なぜならば、牛をたんぼで使います場合に、一町歩について、これは局ごとに違いますが、一頭の牛について一万七千円の償却を認めております。小牛の場合においては、一頭生むごとに母牛の損耗を見ております。こういうふうに、牛については農業労働をやったことに対する償却を見ておるのでございますがが家族がその自分の農場で働いた場合に、自家労賃を全然見ていかない。また、農業と給料との合算分離の場合を見ましても、一町歩以上または十七万円以上の所得の場合においては合算分離を認めないということを言っております。これは、言いかえるならば、十七万円以上の所得あるいは一町歩以上の経営農家に対しては、その夫人は無能力者である、農業経営の能力がない、こういうような規定をしておると私は考えるのであります。  それで、この自家労賃を認めないということがどういう問題になってくるかといいますと、たとえば、鳥取県のナシ地帯で、ナシの剪定くずを自家用のまきとして所得として見積る例がございます。そうすると、自家用まきというふうに剪定をしましたくずが経済価値を持つことは当然でございますが、その経済価値を得るためには、その経済価値の数倍に達する労力というものがかかっております。その労力というものを全然経費面で無視をしておいて、剪定くずだけを所得として上げるということは、現在の経済原則を明らかに無視しておる考え方だと思います。こういうことが自家用蔬菜でありますとか保有米という面にはっきりと出てくるわけなのです。他の商工業の場合の資本主義的な経済原則に立った収支計算というものと農業所得の計算というものとの間に、そういう経済原則から見た根本的な誤まりを犯しておるのではないだろうか。  さらに、農業労働というものを非常に低級視した態度をとっております。たとえて言いますと、今度の法人の場合においても、米については、いろいろな統計を見ると、十九日くらいでできるというようなことが出ておる。さらに、労働賃金については、その付近の日雇い労働賃金のベースでいいのだ、そういうような考え方法人の従業員の給料を考えようとしておるのであります。そういうような日雇い的な不安定な条件農業法人の従業員の給料として考えていくような、農業労働を非常に低級視した考え方は、われわれとしては納得がいかないのであります。  それから、第二点は現在の標準課税の扱い方でございますが、これは農業所得一つの水準を求めて、それを適用しておりますが、その線の引く位置がどこにあるかによって非常に大きな影響を生じます。現在適用されておりますのは、有資格者標準でございまして、いわゆる所得税対象農家所得水準を農家の標準として押える。こうなりますと水準線が高くなります。この算定方式がそのまま地方税に適用されて参りますと、住民税の面その他の公租公課において、下層農家に対する不当な課税となって現われてくるのであります。  次に、標準課税では、先ほど徳島でも言われましたように、不当な見込み課税が行われる傾向がある。さらに、経営上の赤字というものが全然見られておりません。法人の場合におきましては、経営上の赤字が出た場合には、翌年あるいは翌々年に繰り越して所得から差し引くことが許されております。  それから、次に、災害であるとか、農産物の価格の値下り等による赤字の繰り越しが認められない。これは今日のように農産物の価格不安定な時期におきましては、この価格の値下りによる赤字等が具体的に出て参りまんせと、たとえば都市近郊の蔬菜地帯においては、単一な標準課税で押し切られるということは非常に危険が出て参ります。それと関連いたしますが、個人経営においては内部保留が認められない。今日のように農産物価格の不安定な時期においては、余剰というものは当然内部保留をして、翌年の値下り等に対する弾力性を持たせる必要があるが、そういうものが現在の所得税においては認められていない。  それから、次は、家屋とか農機具等の償却でございますが、これはきわめて不十分である。特に最近のように大農具が多数入っております。こういう農具がどんどん農家に入っておるという実情が率直に反映していないのであります。  そういう点が現在の標準課税の欠陥としてわれわれが見ておる点でございます。  それから、第三点としては、現場における税法の取扱い方というものが実に身勝手で、そのつどいろんなやり方をやられる。たとえて言うと、三十二年度の所得税の場合に、鳥取県の某税務署は、一律にあぜ豆を反当り五百円所得と見積りしてかけておる例がございます。あるいは、ある地区では、一応ことしの税金対象農家は五、六軒程度だろうというような税務署の通知で、出頭して、これだけだというので、安心をして申告をしておりましたところが、申告期限を過ぎてから急に三十戸ばかり呼び出しを受けまして、お前たちは未申告だから、期限がおくれておるから控除等は認められないのだというようなおっかぶせをやられたりしております。こういうような税務の取扱い面においても、非常にわれわれとしては不満があるのでございます。  さらに、もう一言つけ加えますと、今の税理士のあり方ということが問題でございまして、徳島における税理士税務署側の圧力によって法人の世話ができなくなった、こういうような問題が出ておりますが、現在の税理士というものが、納税者の側に立ってものを言うというよりは、税務署の側に立ってものを言っておる点に、われわれとしては問題があるのじゃないかというふうに考えております。  以上の三点から見て、われわれは、現在の農業所得税農業に対して他の税金のあり方と比較をいたしまして非常に欠陥を持っておる、これを今直ちに是正するためには、所得税法の改正も必要でございますが、この点、法人化いたしましたならば、立ちどころに解消できる、そういう利点を考えております。  この場合、青色申告はどうかということをしばしば聞くのでございますが、現在の税務署やり方は、青色申告を新しくやるという場合に、拒否はいたしませんが、実質的にこれが行えないようにしておる。今まで相当青色申告をやっておりましたが、税務署では、もう指導段階は過ぎたというので、いわゆる指導的な立場でなくして、帳簿等の一、二点の欠点をあげつらいまして、これを否認して白色申告にしておる。そういうようなために年々青色申告が減ってきておる。われわれはこの青色申告の減っておる実情をぜひ調べたいからといって申し入れましても、われわれの方ではそういう経過については発表する権限を持たない、こういうようなことで突き放されておるような実情でございます。こういう状態農家青色申告についていけるということは考えられません。  それでは、法人にした場合に、青色申告のできない農家が果して法人申告がきるか。この点については、法人にいたしますと、生産部分と生活部分がはっきりと分れて参りまして、法人申告に出るのは生産部門だけでございます。そうすると、収入面においては、ほとんどその件数が限られておりまして、しかも大部分が農協との取引でございますので農協の伝票で上って参ります。ただ、うるさいのは、毎日の自家用部分と、それから労働賃金を計算するための様式、それから償却、それから決算関係の書類、この程度のものでございまして、法人にいたしました方が、青色申告の生活部分を含んでのむずかしいものよりは非常に簡易である、こういうふうに考えております。  特に税金問題でわれわれが申し上げたいことは、税金というものは、本来国民の産業活動や生活を圧迫したり破壊したりする筋のものではないはずであります。国民の納得の上に立って公平なる納税義務が課せられるべきものであって、その生産活動を圧迫し破壊するような現象が現われた場合には、われわれは、これは徴税の行き過ぎであると考えております。特に、体質の弱い農業であるとか中小企業は、一方において国の保護政策を必要としておって、右手の方では国はいろいろな形でカンフル注射やビタミン注射をやっておりながら、片方で直接血管に注射器を差し込んで血を引き抜くようなことをやられることは、われわれとしては絶対に納得がいかないのございます。特に、二月下旬のNHKの放送で金子直税部長は、法人化を認めることは他の農家との不公平を認めることになるから許せないのだ、こういうことを言っておられますが、それでは、青色申告で専従者控除を認めておられる事実は、一体不公平と認められないのでしょうか。あるいは、商工業が法人化をして税金が合理化されておるのに、農業だけ許さないという態度が、果して日本の産業全般から公平なる国税庁態度であるかどうか。あるいは、租税特別措置法をもって大企業に対する特別な減税措置をとっておられます。一方、農業に許されておりました予約減税の一つさえも今消え去ろうとしておる。こういう事実から見ても、現在の税金体系が果して農業と他の産業と公平が期せられておるかどうか、こういう点に私は疑問を持っております。  税金問題の結論としては、第一点に、農業所得税に対して家族専従者控除を経費として認めていただきたい。第二点は、農業法人化を他の商工業と同等な取扱いをしていただきたいと思います。  次に、農業の近代化の問題について簡単に触れてみたいと思います。今まであります法人は、一戸一法人の形でございましたが、最近調査をしてみますと、共同経営体の農家が相当ふえてきております。今、鳥取県にも四つの事例がございまして、これは、来月になりますと、われわれは、この共同経営体の今後の育成なり指導の方法を研究いたしたい、こう考えておりますし、関係者法人化を強く要望しております。こういうことがなぜ生まれてきたかといいますと、私は四つの原因があると思います。  第一点は、経営の拡大と生産の計画化が必要になってきたということであります。農業の機械化というものは、従来、耕種技術に機械を合せる形でやっておりましたが、最近は高い性能の機械に耕種技術を合せていく形に変ってきつつあります。こういう面で、経営の拡大が必然化しております。また、最近の道路の整備に伴いまして、大都市の経済圏が著しく拡大しておりまして、それに伴って、生産の計画化が必要となってきておる。第二点は、技術の専門化でございますが、高性能の機械を入れたり、肥料、農薬が今日のように発達をして参り、さらに、新しい換金作物であるとか、畜産の発達ということを考えて参りますと、今までのように何でも的な農業ではやれませんので、分業いたしまして、専門化の道を歩んでいかなければ農業が発展しなくなった状態にあります。それから、第三点は、農業投資の増大でございます。生産手段の発達であるとか、市場に適合する生産の拡大をやるためには、どうしても農業投資を思い切って増大しなければならない。それから、第四点は農業の企業化でございまして、今までのような自給経済から現金経済に脱皮したことによって、もうかる農業へというふうに追求しております。こういう資本主義的な発展を急速に進めるためには、現在の個人経営では企業単位をなさないのでございます。  以上の四つの点から考えまして、農家自体が共同化の道を進み始めてきておる。特に、この共同化は、社会主義的なものではなくして、農民が、自分の企業的な利潤を追求する、こういう目的で、自分の自由意思で組織を作っておる、こういうところに私は特徴があると考えております。その場合、農地法がこれを認めない、こういうようなことが言われておりますか、なるほど、農地法は、農地改革当時に、地主制を大きく切りくずすというような進歩的な姿を持っておりましたが、現在では非常に形式的な手続法に陥っておるではなかろうか。表面上の手続だけやっておけば、その裏では、都市近郊においては土地ブローカーが盛んに暗躍をいたしまして、全国的に壊廃が野放し状態になっておる。その一方では、過小農経営をどこまでも維持していこうというような形で、農業の発展を阻害しておるのではなかろうか。言いかえますならば、こういう農地法の押えた形が出て参りまして、一方で新しい生産手段が生まれるということになりますと、二階建の農家にエレベーターをつけたような、きわめて変な経営の形が生まれてきておるのではないか。このことが今日の農業経営に非常に大きな支障を生じておるという事実を見のがしてはならないと思います。  そういう意味で法人化の問題が出て参りますが、特にここで私が強調いたしたいのは、この農業法人ということが、単に税金だけの問題ではなくして、もっと大きな問題が見のがされておる。それは、この専従者に月給が支払われることによりまして、今までただ働きである、他の労働よりは非常に低い卑しい地位にあるというような印象があったのでございますが、これが、農業労働を正当に経済的な評価をすることによって、農民の労働意欲を増大する、そうして農民の経済意識を高める、こういう点をもっと強くわれわれは認識していいのじゃないか。次に、法人化いたしますと、健康保険に入らなければならない。さらに、厚生年金、失業保険、労災保険、こういうものに入るようになって参りますが、そうすると、いわゆる農業労働というものが近代的な都市労働と同等な労働条件を獲得する、農民の社会的な地位の向上になる、こういう点につきましては、特に農村においては婦人なり青年が非常に共感を持っておりまして、先ほど米澤さんの発言にもありましたが、青年、婦人の人間的な解放である、農家のほんとうの民主化がこの線で行われるのだ、こういう点で、非常に青年なり婦人が歓迎しております。  こういうことを考えますときに、一体今農地法が自作農主義であるから共同化は認められない、法人化は認められない、こういう考え方が正当かどうか。私は、今日農林省の言われます自作農主義というものには一面の理屈はありますが、自作農主義というものを遂行するためのあらゆる手段が十分講ぜられておるかどうか。今日の自作農主義をささえておるものは、農地法と自作農維持創設資金の制度しかございません。一方では民法における均分相続の問題がありまして、零細化を必然としておる。あるいは、最近鳥取県下で起っておりますが、銀行が二十万円の担保に二反歩の農地を抑えておりましたが、これが銀行に取り上げられて、最近ではそれが六百万円で処分をされようとしておる。こういうようなことが片方で行われるときに、単に農地法と自作農維持創設資金だけをもって自作農主義であるという大義名分を立てるということは、いささかこっけいに過ぎるのじゃないかと私は考えております。  また、農協との関係を見ましても、農業経営形態がこういう劣弱な基礎の上に立っておりますと、その上に乗っておる農協自体も非常に小規模弱体でございまして、農業経済の近代的な組織化ができない。この間隙を縫いまして、最近都市の大資本が農産物の流通加工の段階のみならず生産の段階まで浸透してきておる。たとえて言うと、東京近郊におきまして、乳業資本が直接乳牛を飼育をいたしまして、このため農家は酪農という線から乳牛を奪われて、草作りに転落をしておる。一貫目五円の草作りしかできなくなっておる。あるいは、静岡のミカン地帯には、ジュース工場が直接ミカンの苗を貸し付けたり肥料を貸し付けたりすることによって、工場に直接農家を隷属さしてしまう。完全に請負農業の形に追い込まれておる。こういうような形で農業かだんだんだんだん追い込められ、生産段階さえも大資本に奪われようとしておる。こういう時期に、一体今日の自作農主義がいかなる役割を果しておるか、こういう反省を求めたいのであります。少くとも、今日言われておる自作農主義というものが農民農業近代化への希望と保証を与えておるということは言えないのじゃないかと思うのであります。少くとも、農業を共同化して、企業単位にまで育成して、そうして農協内部に滞留しております農林中金であるとか農協の余裕金というものを農業の再生産部面に投入をいたしまして、都市の大資本に対抗して農業生産を拡大さしていく方法をとらなければならない。これを保証するのは農業法人化以外にはないじゃないか。しかも、耕作者みずからが土地を管理するという意味において、私は、農業法人というものは決して農林省の言われる自作農主義とは背反するものではない、こういうふうに考えております。  特にここでお願いいたしたいことは、この共同化を育成するためには、どうしても法的な措置が必要でございますが、その基本的な三つの原則だけはぜひお願いいたしたい。第一点は農民の創意工夫をもとにして、これを助長育成する方向に持っていっていただきたい。一つのレールさえ敷いていただけば、農家は、自分経営に適するように、ある農家はトロッコを走らせるでしょうし、あるグループは電車を走らせるかもしらぬ。あるいはあるグループは汽車を走らせるかもしれぬ。いろいろの形の経営が乗ってくると思いますが、それは農家の創意工夫をもととしてやっていけばいいのであって、今日の農業法人農民のほんとうの創意工夫で生まれたことから考えますときに、あまりこまかく制約をしていただきたくないということであります。第二点は、このレールを敷きます場合に、農業における技術革新の速度というものを考慮して、将来の新しい見通しの上に立って発展し得る道を講じていただきたい。第三点は、この農業法人の法的措置というものが、農民の人間的な解放と民主化を促進するという立場を忘れないでいただきたい。農家のすみずみまで民主化が浸透するような形でこの法人化を取り上げていただきたい。こういうふうに考えるわけであります。  この法人問題が始まりましてから、私の手元には、毎日のように、全国の各地から、どうして法人を作ったらいいかという手紙が参っております。これほど農家はこの法人化に対して深い関心と大きな期待を寄せておるのでありまして、どうか、この機会に、農業法人化が一日も早く実現をいたしますように格別の御配慮をいただきたい、この点強くお願いをいたしまして、私の意見の発表を終らしていただきます。
  11. 松浦周太郎

  12. 小西数馬

    小西参考人 小西でございます。ただいまから、農業法人の農地取得に関しまして、農地法の問題につきましてただいままでに農林省がいろいろ御見解を発表いたしておりますが、この現行の農地法と対比いたしまして私は多少疑念がございますので、その点について申し上げたいと思います。     〔委員長退席、吉川(久)委員長代理着席〕  実は、私は昨日の筑紫で東京へ参ったわけでございますが、車中で青森のリンゴを作る方と同席をいたしたわけであります。その方に、私は、三浦一雄先生という方を知っておるかということを聞きましたのです。そうすると、そのリンゴ作りのお百姓さんは、私は三浦さんを知らないと言うのです。そこで、私は、直ちに第二の質問をいたしました。三橋美智也という人を知っておるかと言うと、それは日本一の歌手であるから、私はよく知っておる、こう言うわけでございます。これは、単に農民が三橋美智也の名前を知っておって農林大臣三浦さんの名前を知らないというだけの問題ではございません。一国の農林大臣の名前を知らずして流行歌手を知っておる。ここに私は重大な問題があると思うのです。なぜそのリンゴを作っておるお百姓さんが三橋美知也の名前を知っておるかということを私はこちらへ来ましてから聞いたところが、三橋美智也という方はリンゴの気持がよくわかったから知っておる。どうぞ、農林大臣も、徳島県の果樹農家ミカンの気持、それから鳥取県の二十世紀の気持、それから山梨県の甲州ブドウの気持、酪農の気持、鶏の気持、こういう気持を農政に反映していただければ、私はそういうことはないと思うのでございます。  これから本論に入るわけでございますが、私どもの今まで承知いたしております農林省の農地法に対する見解につきましては、三十二年でございますか、岡山県の農地事務局の管理部長名によりまして、徳島県農務部長に、この農業法人の問題につきます通達が一本出ております。それに基きまして、徳島県の農務部長が、勝浦農業委員会に対しまして、やはり同様の通達を出しております。それから、近くは二月五日であったと思いますが、自民党の農業法人委員会に、農林省から、農業法人の農地取得に対する農地局管理部意見というものを提出されております。従いまして、この三つ、二つの通達と一つ見解をもとにいたしまして、これから申し上げたいと思うわけでございます。  まず、農林省の基本的なこの農業法へに対する考え方でございますが、農地法の目的は自作農主義であるから、その建前をとっておりますから、農地法の目的、趣旨全体の規定から律しまして、この農業法人というものは農地法の趣旨に反するのでないか、こういうことを言われておるわけでございますが、本問題を論ずるに当りまして、まず根本的な問題でございますが、これは、農地改革というものがどういう目的をもって、どういう経過で行われたかということを深く考察してみなければならぬと思うわけでございます。御承知のように、農地改革というものは、農村の民主化と、それから第二点は農業生産力の増進、この二つを遂行されるために実施されたわけでございまして、そのために自作農創設特別措置法とか農地調整法とかいうようなものが施行されておるというふうに承知いたしておるわけでございます。そういうことでございますならば、農林省の考え方に問題がある。農地法の目的は自作農主義であるからということを言っておりますが、私は農地法の目的は自作農主義でないということを断言いたしたいのでございます。どういうことを目的にいたしておるかと申しますと、この農地法の第一条に、農業生産力の発展を期することが農地法の目的であるということをはっきりうたっております。そうすれば、この農業生産力の発展を期するということが目的でございまして、自作農主義というものは手段であると思うのでございます。この手段と目的とを混同いたしまして農地法を運用し解釈しておるというところに、農林省が今日農業法人に対する態度が混迷をいたしておる。これが重大な一つの問題であろうかと思うのでございます。この点は農林水産委員会の先生方におきましては十分御検討を願わなければならぬと思うわけでございます。  そこで、農地改革でおおむね二百五十万町歩の小作地を解放いたしまして、農村の民主化、つまり、地主制度を改廃いたしまして、高額物納の小作料、地主の支配から耕作農民解放されたわけでございます。こういう点につきましては、一応農村の民主化は達成されたのではないか、こういうように考える。そうすれば、あと一つの目的でありますところの農業生産力を増進させるということが今後の農地行政の課題でなければならぬというふうに考える。ところが、現状はどうであるかということを申し上げますと、香川県におきましては、四万五千町歩の耕地面積に対しまして、九万三千戸の農家、平均大体五反二畝と承知いたしておりますが、こういう零細経営の者がひしめいておるわけであります。この零細経営を打開し克服していくということが農地行政の最大の目標でなければならぬ、こういうふうに考えておるわけでございます。そこで、この農業法人というものは、農業生産力の増進を遂行する手段といたしまして、今鳥取大久保君が言われましたように、現在の段階では適当なものではなかろうかというふうに私どもは承知をいたしておるわけでございます。  そこで、問題は、よく自作農主義ということを農林省が言われますけれども、自作農主義というものは一体それでは何ぞやということが問題になるわけであります。農地法では、自作農とは所有権に基いて耕作する個人をいうと第二条に書いております。これは自作農という法律用語の定義を第二条に書いてあるわけでございます。従って、農地法上におきまして権利を取得する場合に自作農という言葉が使われておる場合におきましては、これは個人であろう、こういうふうに考えるわけでございます。次に、第二条におきまして個人であるという定義がございますが、第二条の五項におきまして、その世帯員個人の有する農地上の権利というものはその事業を行う者の所有する権利とみなすという規定がございます。そういうことになるならば、実際問題といたしまして、自作農というものは個人でなくして一つの生産の共同体である農家全体、経営主を含めた世帯員全体をさしておると思うのであります。そうすれば、現在全国的に発生を見ておりますところの農業法人、一農家法人というものはこの自作農主義のワク内にあるというふうに私どもは解釈をいたして間違いないのではなかろうかというふうに思っているわけでございます。  次は、農地改革の際に現存する法人に対しまする農地所有であるとか、農地取得であるとか、こういうふうなものをどういうふうに認めて参ったか、処理して参ったかということについて若干申し上げますと、自作農創設特別措置法におきましては、御承知のように、耕作者の農地取得を急速にやろう、こういう目的をもってやったものでございますから、法人の農地所有に対しましてはいかなる場合に認めて参ったかという点を申しますと、その法人が農地を分割して耕作することによって生産が減退される、こういう場合、それから、農業法人の営む耕作の業務というものが適正な場合、それは、その所有と、その取得した場合におきます取得も認めて参ってきておるというように、承知をいたしております。このことは二十七年に制定されました農地法におきましてもそのまま踏襲されて参っておるわけであります。  そこで、農地法がなぜ既設法人の農地取得を認めて、新設の農業法人というものを認めないか、ここに私は問題があると思うのでございます。農地法上にいう耕作者というものは、これは法律上の定義は第二条に示してございませんけれども、京都地裁の判例その他から推測いたしまするに、耕作の事業を行う者という「者」は、農耕の行為を継続的に実施する者をいうのだ、こういうふうにあれの解釈はいたしております。従って、この中には法人個人を含めておる、こういうことになっておるのでございます。そうするならば、既設法人の農地の所有であるとか農地取得というものにつきましては、耕作者の農地取得を促進するという農地法第一条の目的からいたしまして、これは背馳しない、こういうふうに私どもは解釈をいたしておるわけでございます。従いまして、既設法人が農地を所有いたしまして経営を拡大しようというような場合におきましては、三町歩を限度といたしまして、農地法第三条二項三号の制限面積の範囲内におきまして許可しておるというように承知をいたしておるわけであります。このことは、現行の農地法というものが必ずしも法人の農地所有であるとか農地取得というものを否認していないことの証拠に相なるかというふうに思うのでございます。  次は、問題の農地法の第三条に移るわけでございます。農地法の第三条は、御承知のように、農地の譲渡であるとか賃貸の場合等の制限規定でございまして、その第一項におきまして、いかなる場合が統制の対象になるか、また、これを許可する場合、何と何とについては県知事、賃借権とか使用貸借につきましては農業委員会、こういうふうに行政庁の権限の分野を定めておりますし、さらに、許可を要しない場合、譲渡する場合とか、貸付する場合とか、こういう場合許可を要しないというのを八つ定めております。第二項におきましては許可ができない場合を、これも八つ規定しておるわけでございます。どういう規定をしておるかと申しますと、このことは、移動統制の目的といたしますることを明確にいたしまして、許可の基準を明らかにして、行政庁の権力の乱用を制限いたしまして、その運用を適正にしよう、こういうものであろうと思うのでございます。  そこで、第二項につきまして逐次御説明を申し上げます。お手元に配付申し上げておりまする農地法を御参考にしていただきたいと思います。まず、三項の一号でございますが、これは小作地の場合でございまして、小作地は小作農及びその世帯員以外が取得することはできないという規定でございます。この場合は小作農ということに法律上なっておりまして、小作農というものは、農地法の第二条におきまして、所有権以外の権原に基いて耕作する個人をいうということになっておりまするから、これは明らかに個人を意味いたしておると思うのでございます。それから、第二号は、農地を取得しようとする者が耕作の業務を行わないと認められる場合でございまして、この場合は「者」でございまするから、これは法人個人の区別はないというふうに解釈することが適当ではなかろうかというふうに思うわけでございます。次は第三号でございますが、これは、農地取得の場合、別表で定める面積、全国平均は三町歩、わが香川県におきましては一町八反、これをこえての取得は許されないという規定でございます。この場合にも「権利を取得しようとする者」というように、「者」ということが書いてございますので、これは法人個人の区別はない、こういうふうに解釈いたすことが適当であろうと思っております。四号につきましては時間の関係上省略させていただきまして、次に五号に移ります。五号は、農地を取得する場合、取得の際に最低の面積が全国平均で三反歩あることを必要とするというのでございます。従いまして、新設の法人におきましては、面積がゼロでございますから、許可できないということになるわけで、農民農業経営を目的といたしまして法人を設立する、こういう場合にはこの第五号に該当するわけでございます。しかし、農地法の第三条二項にはただし書きがございまして、「政令で定める相当なる事由があるときは、この限りでない」ということになっておるわけでございます。これは不許可の例外規定でございまして、この例外理由というものが、「政令で定める相当なる事由」ということになっておるわけでございます。それでは、政令でどういうふうに定めてあるかと申しますと、施行令の第一条の二項に定めてあるわけでございますが、大体三つございまして、まず第一は、これが問題でございますが、耕作の事業に供する農地の面積の合計が、その権利を取得した結果、法第三条第二項第五号に規定する面積をこえること、つまり全国平均で三反歩をこえること、かつ、その権利を取得しようとする者が農業に精進する見込みがあると認められる、そういう場合でございます。従って、この施行令第一条二項一号という場合の相当の事由というものは、二つの点が構成されておるというふうに判断されるのでございます。すなわち、三反歩をこえる面積があるということと、農業に精進する見込みかある、こういう場合を事由といたしておるわけでございます。施行令の第一条二項の二号、三号につきましては、現在の農業法人関係がございませんので、省略させていただきたいと思います。  そこで、施行令第一条二項一号にいう「権利を取得しようとする者」というのが、私は問題になるかと思うのでございますが、農林省の見解によりますと、この農地法の第三条二項の各号に該当しない場合であっても農地法の目的とか全体の規定の趣旨に反する場合には許可すべきでないとか、また、同条の二項の例外規定でありますところの施行令第一条の第二項一号の規定も、農地法の目的及び全体の規定の趣旨に沿って解釈、運用すべきである、こういう見解、従って、法人が農地を取得することを許可することは相当でない、こういうふうに言っております。違反であるというふうに言っておるとは私は承知いたしておらないのでございます。二月五日に自民党の農業法人委員会に出した農林省管理部の意見では、許可することは相当でないとあって、法律上違反であるということは必ずしも言っていない。ここに問題があろうかと思うのであります。農林省の解釈は、おそらく法律の目的解釈の立場に立ってこういうことを言われておると解釈いたします。これは釈迦に説法でございますが、法律には目的解釈とか論理解釈とかいろいろあるように聞いておるわけでございますか、たとい目的解釈をとるにいたしましても、前段申し上げましたように、農地法の一条というものは、農業生産力の増進をはかるということが目的でございまして、自作農主義が目的でないという点から言うならば、農業法人というものは、「権利を取得しようとする者」の中にも入るし、それから、農業に精進する見込みもある、こういうふうに判断をいたすわけでございます。  それから、この農地法第三条に関連いたしまして、農業法人の農地取得は許されておるということで、規則第二条におきましては、当事者が申請を出す場合に、法人の場合におきましてはかくかくのものを記載して出せ、たとえばこれは、名称であるとか、主たる事務所の所在地であるとか、業務内容であるとか、代表者の名称とか、こういうような記載事項を規則第二条では定めておるわけでございます。そうすれば、この法人の場合の申請書を、今まで農林省が言われるように、農地法法人の農地取得を認めないというようなお考えであるならば、この規則にありますところの法人の申請の記載事項というものは、何のために作られておるかということについて、私は非常に疑問があると思うのでございます。  そこで、この農業法人に農地取得を許されたということについての最終的な問題点は、施行令の第一条第二項の一号でございますところの、農業に精進する法人の場合に、農業に精進する見込みがあるかいなかという問題に移ると思うのでございますが、この農業に精進をする見込みがあるかいなかというものの判定は、これは行政庁の自由裁量であるけれども、農地法の趣旨目的からして許可すべきでないと農林省は言っておりますけれども、徳島県の農務部長が出した通達によりますと、法人農業に精進する見込みがないと断定的なことを言っております。これは一方的な断定でございまして、私は非常に問題があると思うのでございます。何ゆえならば、法人農業に精進するかいなかというものの判断は、これは法人なるがゆえに農業に精進する見込みがあるとか、あるいは個人なるがゆえにないとか、こういうようなことでなくして、これは、経営の形態、実態に基きまして、たとえば稼働力があるかないか、資本はどうであるか、機械、農機具は備わっておるか、農業経営をなし得る装備があるかないか、こういうような全体をもって、しかも客観的に判断をしなければならぬのじゃないかと思うのでございまして、こういう場合には、法人であろうと個人であろうと、ケース・バイ・ケースで判断すべきではなかろうか、こういうふうに思うのでございまして、この農業法人農業に精進する見込みがあるかないかということは、これは農林省といたしましては私は一つの認定基準がなければならぬと思います。徳島の農務部長が言っている法人農業に精進する見込みがないという一方的な断定の仕方は、ちょうど、西部劇に出てくる保安官が、私の言うのは法律だ、こういうものに近いのではなかろうか、こういうような解釈をする行政庁に法律の運用をまかすということは最も危険で、気違いに刃物を持たすと同じようなものではないか、こういうふうに思っておるわけでございます。  次に、岡山農地事務局は、農地法法人の農地取得を認めないというようなことを言われておりますが、この農地法の中の「者」に法人が含まれておるとか含まれていないとかいうことの問題は別にいたしまして、はっきりと法人の固有名称を書いてある条文がございます。これは、施行令の第一条第一項二号に法人があるということは先ほども申しました通りでございますが、法三十六条二項に、これは国が農地を買収いたしまして売り渡す場合の相手方でございますが、地方公共団体とか農業協同組合という名前をちゃんと三十六条に書いてございます。それから、六十四条でございますが、これは買収いたしました未墾地の売り渡しでございますが、この買い受けの申込書の場合に農協とか土地改良区とかいうことをこの条文でうたってございます。そうするならば、岡山農地事務局の管理部長さんの出したこの通達には法人の農地取得は認めていないということを断定的に言っておりますが、そういうことはあり得ないというふうに私は思うわけでございます。次に、農地法なり、施行令に関しまして、農業経営の拡大と発展を阻止しておる、これは先ほど大久保さんが言われましたけれども、この点につきまして若干申し述べたいと思うわけでございます。この施行令の一条二項一号におきまして農地取得を法人に認めるという解釈が成立をいたしましても、そういう拡大解釈をとったといたしましても、これは三町歩が限度でございます。わが香川県におきましては、一町八反歩以上は経営を拡張してはならぬぞ、こういうことになっております。その場合にも例外規定がございまして、個人の場合におきましては、これは自家労力によってやる場合は差しつかえない。そうすると、雇用労力はいけないということになる。法人の場合におきましては、これは法人の場合とはっきりうたってございますが、法人の場合につきましては試験研究や農業指導の場合には許される、こういうふうに例外規定が作られておるわけでございます。この三町歩ということを定めた理由は、これは、農地改革のときに、いわゆる四つんばい農業をやっておって、草取りでも何でも手でやるのだ、こういう農業をやっておったときの面積でございまして、その後十三年を経過いたしまして、トラクターが入り、機械が入った現在におきまして、この第三条の二項三号の三町歩こえてはならぬということは、百姓は大きくなったらならぬぞということでございまして、徳川時代の政策で、百姓は生かさず殺さず、こういう政策をとったのでございますが、これとちょうどよく似たようなものでなかろうかと思うわけであります。香川県におきましては、農家では表札を二つ、おもやと納屋とに掛けてございます。どうして表札を納屋とおもやにかけるかと申しますと、一町八反歩以上農家は作れないというこの第三条二項三号の規定があるからであります。そこで、表札を二つにいたしまして、世帯を二つに分けておる。偽装をする。こういうことをいたしまして、農家経営を拡張をいたそうという欲望があるわけでございますので、この第三条の二項三号というものは、農民農業経営の拡大と発展を阻止する条文ではなかろうかというふうに私は考えておるわけでございます。  それから、前段申し上げましたように、第三条二項三号のいわゆる上限の面積をこえる場合に、法人の場合には試験研究、農事指導を許される、こういうふうに書いてございますが、実は、私の町におきましては部落共有の農地がございます。そこを試験田にいたしまして、農業委員とかあるいは改良普及員とかにいろいろ聞きまして、これは、新技術、肥料のやり方とか品種というものをにわかに本田に取り入れますことは困難でございますので、試験研究で、一つ法人格を部落が持って作ろう、こういうことで県庁へ行ったのでございますが、三町歩の上限をこえる場合の試験研究は許されるけれども、下限の三反歩以上の場合は許されない、こういうことだというのでございます。おかしいじゃないかということで、私農林省にも聞きましたところが、これは施行令を作るときに、どさくさにやったときにミスがあったので、これはこらえてくれ、こういうことでございました。この点も私は承服いたしがたい点でなかろうかというふうに思うわけであります。  それから、ここに出してありますところの岡山の農地局の管理部長の通達によりますと、法人が農地を所有すると、農地法の十五条で買収するかもしれぬぞ、こういうことを言っております。私は、法律の適用というものは公平にやらなければならぬと思うわけでございます。それから、二月五日に自民党の農業法人委員会農地局管理部として出した見解の中にも、中国、四国の農業法人農地法に違反しておれば是正措置をとるということを言っております。岡山農地局は、違反だと言い、買収するぞということを言っております。ここで、私は、前段申し上げましたように、法律の運用というものは不公平であってはならないと思うのでございます。どういう点が不公平かと申しますと、全国に電力会社は九つございますが、この電力会社が電力を送電、配電する場合に、われわれ百姓のたんぼのところへ安い補償料で何百万という電柱、鉄塔を立てております。農地法の第四条、五条におきましては、農地を農地以外の用に供する場合には、知事に申請書を出して、知事の許可を得なければならぬということをうたってあります。ところが、この許可を得て立てておる電柱は一本もないのでございます。それを十何年間もほうっておいたという農林省の態度は、私は重大な責任があると思うのでございます。今日転用問題が相当くずれて参りました。これは、農地法にそういう原状回復の規定があるとかないとかいう問題もあることながら、農地法の厳正施行をやっておらないというところに問題があるように私は承知をいたしておるわけでございます。  いろいろ申し上げたいのでございますが、だいぶん時間が経過をいたしておりますので、最後に五分間だけ申し述べたいと思うわけでございます。  私は来るときの汽車の中で毎日新聞を読んだのでございますが、この新聞によりますと、徳島勝浦町の農業委員会法人の賃貸借権設定につきまして許可した、こういう内容でございます。それに対しまして農林省は徳島県当局に命じて再議命令を出すとかあるいは取り消し命令を出す、こういうことがこれに書いてあります。農林省のほんとうの御方針はどこにあるのか私は知りませんけれども、これは天下の大新聞である毎日新聞に書いてあるのでございますから、大体そのような御方針であろうかと思うのでございます。この徳島勝浦町の農業委員会か議決したミカン畑の賃貸許可、これは、前段申し上げましたように、法人農業に精進する見込みがあるということで許可した、こういうことになっておるわけであります。農林省がこれに対しまして再議を命ずるとかあるいは取り消しの命令をするということでございますが、これは、ちょうど、——昔中国に三蔵法師というものがございました。この三蔵は二人おられました。孫悟空というやつがいろいろ悪いことをしたり、言うことを聞かぬと、頭に輪を入れておいて、その輪をきりきりっと締め上げるという方法を講じたそうでありますが、これと同様なことを農林省が勝浦農業委員会にやろう、こういう魂胆であろうと私は思うのでございます。ところが、元来、法律でもって行政庁に許可権限を与えているということは、農地法の目的とするところの政策を実現するために、その権利を徳島農業委員会に与え、府県知事に与えておる、こういうことではなかろうかと私は思うのでございます。従いまして、許可が自由裁量の場合でございましても、これは権利の乱用は許されないと私は思うのでございます。このことが当然の措置だろうと思うのでございますが、農地法におきまする場合は、行政庁の権限というものは自由裁量ではございません、法規裁量でございます。従いまして、これは、知事といえども、いろいろ農地の譲渡の場合に申請が出てさましたら、お前はおらの選挙運動をしてきたから許可してやる、お前は相手方の選挙運動をやってきたから許可せぬ、こういうようなものでないので、法律を適正に合理的に解釈をいたしまして、許可をすべきものは許可、不許可にすべきものは不許可、こういう行政処分か妥当ではないだろうかと私は思うのでございます。そういう意味におきまして、この勝浦町の農業委員会の行政処分は適法であるというふうに私どもは確信をいたしておるわけでございます。かりに勝浦町の農業委員会の決定した行政処分に若干の、瑕疵があっても、これは取り消しができない、こういうふうに私は思うわけでございます。この行政庁の許可処分というものは、学校の先生が卒業式に生徒に卒業免状を間違うて渡したということで取り返すような性質のものではないと私は思うものであります。行政庁がその権限に基きまして許可を与えれば、これは法人個人との賃借権の設定でありますが、両当事者を拘束するという法律状態が形成される、こういうふうに私は思うわけでございます。従って、この許可処分というものに若干の瑕疵がございましても、その処分いたしました行政庁、つまりこの場合は勝浦農業委員会でございますが、この農業委員会はその行政処分に拘束される、農業委員会自体が拘束される、こういうふうになるものと、私は最高裁の判例等から判断いたしまして思っておるものでございます。従いまして、農林省がいかに言われようとも、これはおそらく勝浦町の農業委員会としては取り消しもできなければ再議に応ずることもできないだろう、こういうふうに思う。もし、先生方が身を置きかえまして勝浦町の農業委員会としてこういうことをきめた、法律によってきめた、こういうことを言いまして、アメリカがどこかの国の人から、これはお前取り消しをせよと言われたときに、どういう考えをお持ちになるか。おそらく皆さん方は農業委員を総辞職するでしょう。そういう事態が勝浦町にも起ってくるというふうに私は思うわけでございますので、農林省が再議を命ずるとか取り消しを命ずるという場合におきましては、慎重に行動されるように、先生方にはよく監督をしていただきたいというふうに思う次第でございます。もしそれでも農林省か強行する、こういうような場合でありますなら、われわれの方で、その前に農林省当局に一つぜひともやっていただきたいことがございます。これは、私は徳島県に行きまして実際に知事の許可書を見たわけではございません。しかしながら、徳島県の農業行政に関係する人から聞いた話でございます。それはどういうことかと申しますと、徳島県の学校で実習地がどうしても必要だ、——学校には今経営農地が全然ございません。そうすれば、これは新設の農業法人と同じでございます。この実習地を勝浦許可いたしておるのでございます。これは農地法の第何条によったのですかと言うと、農地法の施行令の第一条の二項一号でやったのだ、こう言ったという。学校法人は教育を目的としておる。農業を目的といたしておりません。そういうものが、農業に精進する見込みがあると判断されて片方で許可を受けておる。農業目的を主目的にいたしております農業法人許可を与えないという徳島県当局のやり方というものは、私は、全く疑義が満ち満ちておると言わざるを得ないのでございます。  この農業法人の問題につきましては、天一坊事件というのが徳川時代にございましたが、この天一坊というのは、私が承知いたしております範囲内では、これはほんとうは徳川将軍吉宗の落胤であったのであります。それを認知するということになりますと幕府中のが分れますので、そこで、時の副将軍水戸中納言が大岡越前守に命じて、品川の八つ山御殿とかいうところで何やらしたというふうに聞いておるのでありますが、農林省も、今回の農業法人の問題は、農林省がこれを認めるということになると、個人とか法人とかいうことに農民が二つに分れるというようなことで、いろいろ農政上に支障が生ずるので、これはほんとうの百姓が作った法人であるけれども、これを押えつけよう、こういうところに私は問題があるというふうに思っておるのでありますが、どうぞ、先生方は、この農業法人という私生子が認知されるように御努力をお願いいたしたいと思うわけでございます。大蔵省であるとか農林省の役人の方は、この農業法人を認めるということになりまして失望をいたしまするか知りませんけれども、最も期待をかけておりまするところの全国の農民をこの農林水産委員会が失望させないように、最後にお願いをいたしまして、私の参考人としての意見を終りたいと思います。(拍手)
  13. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 次に、農政調査会会長田邊勝正君にお願いいたします。
  14. 田邊勝正

    田邊参考人 大体現地のお話で問題はほとんど全部出尽しておるように考えられるのでありますが、私は、それを総括するというような意味におきまして、抽象的ではありまするけれども、全体の問題についてお話を申し上げたいと思うのであります。  今日農業法人問題が論じられて政治問題にまでも及んでおるのでありますが、その内容を分けてみますると、およそ四つくらいに分つことができると思うのであります。その第一は、農民負担の合理化という点から見たところの農業法人化の問題であります。第二は、憲法の制定によりまして均分相続制というものが行われるようになりましたが、これによって起ってくるところの農業経営規模の分散化の防止という点から見たるところの農業法人問題ということが第二に考えられると思うのであります。第三に考えられることは、先ほどもお話がございましたが、農家の家庭生活の民主化、明朗化という立場から見たところの農業法人化の問題というのが第三にあげられると思うのであります。第四には、農業の近代化、すなわち農業の共同化という点から見たところの農業法人化の問題であります。最後は、これらの問題についての対策をいかに進めるかという問題、こういうふうに大体分類をして参りますると内容がわかってくるのじゃないかと私は考えるのであります。  まず第一に、農業負担の合理化という点から農業法人というものを考えて参りますると、大体、現在の税制上から申しますると、法人にした方が個人にかかってくる税金よりも非常に安くなる、ここに問題が発足しておるのだということを私は考えざるを得ないのであります。ところが、農民法人を作りますると、これは農地法に違反するということが一点であります。次には、国税庁のお話によりますると、これは実質課税の点から言って適当でないから、これは認めるわけにはいかない、こういうことに立っておりまして、法人化というものがなかなか認められないということになっております。ところが、日本の法人化の全体を考えてみますると、これは国税庁昭和二十八年に調査したところによりますると、日本の法人の総数は大体四十万でありまするが、その中で中小企業のいわゆる家族労働を中心にして行うところの法人の数というものは大体九一%の多きに上っておるということになっております。そうすると、農業の方には法人がないのでありまするから、これは商工業者のみの中小企業の法人化であると言わなければなりませんが、そういたしますると、一方は法人を作って税を安くしてもらうのに、農民に限って法人を作って税を安くしてもらうことができない、こういうのは日本の国民の均衡負担という立場から見て許すべからざるところの重大問題であると私は思うのであります。これは、こまかく申すまでもなく、先ほどるると御説明になったことによって明白でありまするから、私は説明を省略しようと思うのでありまするが、しからば、これに対する対策いかんということになりますると、先ほど申されたように、農地法を改正して法人を認めるようにするということと、それから、一方におきまして税制を改正いたしまして租税の均衡を期するという二つの点にあるのでありまするが、一方、農地法のことになりますると、先ほど申しますように、いろいろめんどうな問題があって、直ちに割り切るわけにはいかないと私は思うのでありまするから、そうれすば、当面の問題として、税制を改革するということに主力を注がなければいかぬと思うのであります。その方法は何かと申しますれば、その中にいろいろ問題はありましょうけれども、最も大きな問題は家族労働のいわゆる賃金といいますか、労賃に当る部分を農業経営費の中から差し引いたものを、所得税法の改正によりまして課税標準にする、こういう方向に進んでいく必要があるのじゃないかということを私は一言申し上げたいと思うのであります。  次の問題は何かと申しますると、均分相続制から来たるところの農業経営の細分化を防止するということでありまするが、日本の相続制度は、皆さんも御承知の通り、戦争以前における日本の民法は長子相続ということでありまして、分散ということは形式的にはほとんど行われない制度になっていたのでありますが、憲法の制定によりまして、個人の尊厳、両性の平等というような立場から民法が制定せられましたために、均分相続というものが行われることになりました。これに対しまして、これは日本の農村の実情に非常に合わないというので、その当時の民法の改正をする委員会というものは、われわれは早急にこの規定を作るのであるから、農地相続については考えるいとまがないから、これは将来別の法律を作ったらいいだろうというような意見で、その当時の貴族院におきましての民法の改正につきましてもそういう附帯決議がついたのであります。それに対しまして、農林省は、この決議に基きまして、農業資産相続特例法というものを作りましたけれども、これがついに議会を通らなかったという経過をたどっておるのであります。そのために、現在においては均分相続ということによりましての分散というものが法律上行われるようになっているのであります。しかしながら、その当時の国税庁意見によりますと、その現在の均分相続というものは、何も均分相続の原則を破らないでも、民法の規定の範囲内においてそういうことはできるじゃないか。それはどういうことかと申しますと、均分相続をして農地を分散しておいて、その農地を農業をやる人に出資をする、そうしてその利益をみなに分つようにすればそういう方法ができるじゃないか、こういうことを言っておるのでありますが、このことは、私は、今日の農業法人化ということを示唆した一つの方針ではないかと思うのであります。そういうようなわけで、この法人というものをもし作りました場合どうなるかと申しますと、もしも土地の所有権というものをこの法人に全部移譲することになりますと、法人は永遠の生命を持っておりますから、相続という問題も起らないのであります。相続税の問題も起らないのであります。しかしながら、耕作権というものを移譲するということになりますと、その持ち分に対するだけの相続ということが起りますけれども、一方の農業経営の細分化というものは、定款のきめによって、細分せぬでもいいようなことになってくるのでありますから、この法人化というものをやることによりましての経営規模の細分というものは防止し得ると考えられるのであります。  それから、第三の問題といたしましては、家族制度の明朗化ということでありますが、日本の農業経営は、皆様も御承知の通り家族労働によって経営が行われております。ところが、家族労働におけるところの賃金に相当するものと、雇用労働におけるところの賃金の形態というものを比べてみますと、その間に格段の差があると思うのであります。賃金労働によりますと、いつもきまった給料というものをきまった日にいただきまして、もらったもので自由に自分の意思によって支払い得るということであります。これは、すなわち、どういう着物でも買いたければ勝手に買える、活動に行きたければ勝手に自分の好きな活動に行けるというような払い方が賃金制度でありますが、一方、家族制度の賃金支払いになりますと、これは額がきまっていない。そして、しかもそれがお仕着せ賃金であります。お仕着せ賃金ということは、結局現物の支払いの形態であるのであります。生活をともにするというのも実物給であります。着物を買うという場合にも、経営者の主人からもらって着物を買うのでありますから、そのときにどうしても主人の束縛的な意思というものが、それを使用する場合において必ずや起ってくる。活動に行くにしましても、そんな高い活動に行く必要はないじゃないか、もっと安い活動に行った方がいいじゃないか、三本立のところに行け、こういうことを親だから多分言うだろうと思います。そうしますると、そこにどうしても、賃金の支払い方について、家長なりあるいは世帯主の、財布を握っておる者の干渉がその中に加わってくるということ、これは賃金の給与というものと家族労働賃金というものと違うのであります。ですから、そこに賃金をもらってそれを支払う自由というものが家族において認められないということが、これは非常に違っておることであります。そこにおいて日本の家族を中心にした封建制というものが忍び寄ってくるということをわれわれは考えざるを得ないのであります。ところが、一方、家族という人は、皆さん御承知の通り、現在民主的な教育というものを受けております。平等とかなんとかいう民主的な教育を受けておる。それらの若い家族の人が、そういうような賃金のやり方、親の干渉によって物を使うというようなことにつきまして、心よく思わないのであります。そこに、経営者の給与をする人と使われる方の人との間におきまして、好まざるところの何だか暗い影か生まれてくる。そこに一つの非民主的なものが忍び寄ってくるという立場から申しますると、法人化というものは、形におきましては、お仕着せ賃金というものを、これは普通の現金賃金に切りかえるということなんですね。ですから、一方家族の生活が非常に明朗になって、そこに従来のような家長主義的な非民主的なものがそこに入ってくる余地がなくなるということで、これが会社にして給与的に変えるということが現在の家庭生活というものを明朗にさすということであります。現在言ってみましても、おやじさんは社長であって、その奥さんが副社長あとの者は専務さんであるとかいうようにして、月給はおやじが十万円、長男は八万五千円、女の方は女事務員で、これは七万五千円、こういうことになっておりますと、まことに気持がいいわけですね。そうして、自分の金であるから、これだけ使ってもよろしいというちゃんとした計画が立つ。そうして、勝手な活動も見れる、勝手なワンピースも買えるということになるのでありますから、農業法人を作るということが家庭生活を非常に明朗にし、日本の封建制の復活というものを打破する上において非常に役立つということを私は考えざるを得ないと思うのであります。  第四であります。今度は、農業の近代化、いわゆる農業の共同化という立場から法人化を見た場合には一体どういうふうになるかということを考えますると、これにはいろいろな点から観察しなければならぬ。まず第一に、農業の共同化というものをやったならば一体どういう利益があるか。その次には、日本のような資本主義的なこういう国において、そういうことが果してできるのか、どういう困難性があるのか。それから、第三の問題といたしましては、そういうような困難があるにもかかわらず、現在日本の農業経営が一体そういう方向に進んでおるのかどうか、それと同時に、一般の学者その他の人間が農業の共同化ということをどういう目で見ておるか。要するに、農業共同化の必然性が日本の今日においてあるかないかという研究はなくてはならないと私は思うのであります。  第一に、農業の共同化をしたならば日本の農業にどういう利益があるかということになりますると、私は、農地の利用の高度化を期するということが第一点だと思うのであります。小さい農場を集めまして、そうしてこれをまとまった一つの大きな農場にするということになりまするとどうなるか。その土地によりましては、非常に水回りがいいところもあれば、あるいは土地の肥えたところもあり、やせたところもある。いろいろな種類のものがある。坂なところもあり平坦地もある。農場一つにまとめますると、それを今度は適当にあんばいいたしまして、一つの計画のもとにその地方に適するように作物の配列をするということができるわけであります。これによりまして、農場全体としての収益の増加ということを期し得るということが一点であります。たとえば、タバコのようないや地耕作になりますると、個人ではこれはできません。しかし、これを共同経営でやれば、毎年タバコ耕作ができるというようなことで、生産の高度化というものを期することができる。  第二には、資本の効率化。貧農でありますけれども、おのおのが資本を少しずつ持ち合えば相当の資本ができます。そうして、団体を作るということになりますると、個人の信用よりも団体の信用の方が強いということが考えられる。これによって資金の融通も非常に受けやすくなりますから、経営の資本が非常に豊かになって参ります。これによって進んだ設備をするとか、あるいはまた高度の機械を買い入れることができる。農業施設にいたしましても、三つのものを別々にやる場合と、それを一つにまとまった農場でする場合とでは、全然費用が違います。資本を非常に効率的に使えるということであります。第三には、労働の生産性を高めるということであります。これは皆さん御承知の通り、現在日本の機械化というものが最近急速に増加しているということは何を意味するかと言えば、主として労働の生産性を高めるということにあるのでありますから、くどくどしい説明は要しません。それのみならず、集団的に仕事をするということは、要するに作業の分業というものを行うということになりまして、適材を適所に人間の労力を使い得るということによりまして、労働の生産性を高めるということも考えられるのであります。  第四に、農業の生産を上げるということであります。これは皆様御承知のように、高度の機械を利用するということになりますると、非常に生産が上って参るのでありまして、たとえばトラクターを使いますと、深耕することによって増産が上げられる。また、動力噴霧機を使いますと、今まで手では届かなかったところまで薬品を散布し、しかも平等に散布することができる。そういうことによりまして非常に増産と商品の質の向上が期される。これは静岡県庵原村のミカンの栽培等をごらんになればはっきりしているところであります。それから、もみすり機にいたしましても、動力機を用いる場合と普通の土うす式やその他の進歩しないもみすり機でやる場合とでは非常に違うのでありまして、試験の経験によりますと、動力機でやった方が欠け米が少く、しかも、ばい菌のつく率か非常に少いと言われております。こういうようないわゆる機械が植物及び土壌に対しまして物理的、科学的な影響を与えることによりましての増産を期し得ることは明らかであります。  それと同時に、一方において、機械を使うということは、作業を早めることによりまして適期栽培ということができます。作物というものは適当なときにやらないと収穫に非常に影響するのでありますが、これが機械を利用することによってできる。それから、それを販売する場合には、少しずつやるよりも、多くの量をまとめてやった方がいいということは当然でありますから、この点もやれる。現在のあれでいきますと、先ほど言った税金の軽減にもなるし、一方においては農場の分散も防げるといういろいろな利益が、農業共同化をすることによって相当あるのであります。  しからば、そういうものがいいなら、すぐにできそうなものじゃないか、現在あまり例がないじゃないか、こう言われますと、そこに共同化の困難であるところの理由かあげられなければならない。  その理由は何かと申しますると、日本の農民には保守的、利己的精神が非常に強いということが一つあると思うのであります。  第二には、日本の農業を共同化して小さいものをみんな集めましても、有機的な一つ一つの農場にすることかむずかしいということであります。ソ連のような社会主義的な国家におきましては、これらの農場をまとまったものにするために、いわゆるアルテリ定款ということになりまして、大部分の者がアルテリを作ると決議しますと、反対した者はその土地から立ちのいて別に国有地をもらう。あぜを取り払って全部一つのものにするということがあるわけであります。ところが、資本主義国家におきましては、そういうふうにせよと言ってもできるものではありません。たとえば交換分合をやりましても、強制的にやるということは困難なことでありましょうし、一方において会社の加入、脱退を強制することも困難だということになりまして、分散農場を経営することによりましての労力のロスとか資本のロスということがありますから、それほど社会主義的国家のような利益を上げることができないというところに一つの難点があろうかと思うのであります。  その次には、資本支出でありますが、資本支出ということになると評価ということをやらなければなりませんが、評価ということは、いわゆる農地ならば収穫益によって評価すべきものでありますけれども、日本の農地価格というものは現在ではほうりっぱなしであります。ですから、非常に高い価格で買っておるのでありますが、これらのものを出資する場合に、出資は配当の基礎になるわけでありますから、正確にきめなければなりませんか、その人によって主観的な価値があってなかなかきまりにくいということか非常にむずかしい問題であろうと思います。耕作権を出すにいたしましても、耕作権の評価ということが非常にむずかしくなる。と同時に、耕作権の物権化ということも問題になってくるというようなことで、出資を平等に評価するということはなかなかむずかしい問題であろうと思います。  それから、その次には、利益の分配ということがさらにむずかしい。どういうところがむずかしいかと申しますと、たとえばソ連のコルホーズのようなものになりますと、これは土地が国有地でありますから、その一定の分配の標準というものは労働だけでよろしい。中共の人民公社のようなものになりますと、これは、もともとが、農地改革によりまして、一人に対して平均が十ムーでありますから、大体六畝半くらいの土地で平等にやっております。ですから、大がい土地を持っておる面積というのはみんな同じなんですね。ですから、土地の所有によって利益を分けるということなら、そう利害関係というものがない。ところが、日本において、五反持っておる者も一町持っておる者も一町五反持っておる者も一緒に合算して会社なり団体なりを作るということになると、どういうことになるかと申しますと、土地をよけい持っておる人間は、土地に対する分配率を多くしたいという希望がございます。土地が少くて五反や三反しか持っていない者は、土地の比率というものを少くして労働に対する分配率を多くしてもらいたいと言う。そこに利害関係の衝突かありますから、なかなか分配率がきまらないという結果になって参りまして、非常にむずかしい問題があります。特に、都会労働賃金との関係におきまして、もしも賃金より高い配当をきめますと、不在地主がどんどんふえてきて、みんな都会で月給取りをやって、自分会社からは配当金をもらう、こういうことも起り得ると私は考えるであります。  それから、もう一つは、余剰労働。共同耕作というのは要するに労働が余ってくるということでありますが、その余ってくる労働というものをどうして消化するかということが当面の問題でなければならぬと思うのであります。現在のところでは、それに対して、農業の集約化でありますとか、あるいは集約作物の導入でありますとか、あるいは有畜農業の導入でありますとか、こういうような方向に向って大体進んでいるようでありまするが、地方によってはこれはできないところがあります。そういうところで農業の共同化を行うということは、そこに非常に困難な問題が起ってこようと思うのであります。  こういうふうに考えて参りますと、農業共同経営化というものは非常に利益があるけれども、日本の現状においては非常にむずかしいファクターがそこにあるのではないかという結論に私は到達せざるを得ないと思うのであります。  しからば、実際に日本の農村の農業経営はどういうふうに動いておるかということを考えて参りますと、私は、やはり共同化の方へ進みつつあると思うのであります。たとえば、現在行われておる——これは私は全部調べたわけではありませんけれども、少い事例をとってこれを分析して考えてみると、高度のトラクターであるとかあるいは噴霧機であるとかいうようなものを共同に買って、共同にこれを利用するという形態のものが現在あちこちにふえております。これはもちろん共同化の方向を示すものであります。それから、もう一つは、高度の設備なり機械を導入いたしまして、それを同時に共同作業を行うという形式のものであります。これは農業生産組合というものができましてやっております。それから、トラクターの共同使用組合というようなものを設立してやっておるというのがあっちこっち見えるのは、やはり共同化というものを主としておるのではないかと私は考えるのであります。それから、もう一つは、ほんとうの共同化というような組合があるかと申しますと、これは農地法があるからできませんが、しかしながら、それと同じような効果を上げてくるという内容で作っておるような事例があるのであります。名前は個人名義になっておりますけれども、そのおのおのの土地に対しましては、定款を作りまして、自由に処分することができないように規定を設けまして、経営は一本でもってこれをやっていこうというような事例のものも現在あっちこっちに見えつつあるということを考えて参りますと、私は、そこに農業共同化という一つ方向があるのじゃないかということを考えるのであります。  しからば、そういうような共同化というものが何ゆえに戦後におきまして急激に起ってきたかということを考えますと、その一点は、日本の農業技術の発展というものが戦前と戦後とにおいて内容を異にしておるということであります。戦前の農業技術というのは、皆様御承知の通り、品種の改良であるとか、あるいは肥料のやり方であるとかいうようなことで、経営規模に関係がなかった。いかなる五反百姓でも、一町歩百姓でも、勝手に技術を取り入れることができた。ところが、戦後起ってきた農業技術の発展というものは、経営規模と非常に関係のあるところの技術が発展してきたということ、これが私は今日の共同化を進めておるゆえんであると思うのであります。たとえば、最近は、皆様御承知の通り、小さなトラクター、ハンド・トラクターが非常に盛んであります。これは、機械の方を小経営に合せていくという形で、販売政策として出てきた。ところが、東北地方のような土地のかたいところにあっては、そういうものをやったのでは深耕ができないのであまり効果がない。相当馬力の強いもので耕すことによりまして効果を上げるということ。そこで、現在では大体十馬力程度のトラクターが推奨されることになってきた。いわゆる十馬力のトラクターというものを中心にして考えますと、大体十町歩であります。そうしますと、東北地方では、一戸平均三町歩としますと、三戸の農家がここに寄ってきて会社なり組合なりを作らなければならぬ。関西地方であれば、一町歩の平均としますと、十戸の農家がこの機械を使うことによってのフルな効果をおさめるということになりますから、今度はどうしても機械に人間が引っぱられて経営というものを拡大しなければいかぬというようなところまで現在推し進められておるのであります。しかも、最近におきましては、農家の若い者は、トラクターを買ってくれなければおれは東京へ行ってしまうとか言っておやじをおどかす。娘に言わせますと、トラクターもないようなところには嫁に行かぬと言う。そういうようなことで、いやでもおうでもトラクターを買わなければならぬ。ということはどういうことを意味するかと申しますと、これは農業経営に対してきわめて無計画なるところの投資をするということであります。一方におきまして、高いところの、二十万円、三十万円もする、がしかしわずか数日しか使えぬような、そういうような機械を入れまして、ぱっぱぱっぱトラクターをやるのは気持がいいでしょうけれども、それではそろばんが合わない。ですから、こうした投資という現象が現在では山形県その他においても行われておるということを考えますと、これを合理化する上におきましても農業の共同経営というものを推進しなければなりませんか、こういうような自然への発展ということは今日の共同化という方向一つ示しておるのではないかということを私は考えるのであります。  それから、もう一つは、日本の資本主義下におけるところの農業政策というものについては一体限度がある。それには一の行き詰まりというものもあるし、どうしてもできないような部面もありますが、それを今後の農業経営の共同化ということによりましてその短所を補い得るというところにこの農業経営の共同化というものが非常に高く評価されておるということを私は考えなくてはいかぬと思うのであります。  この説明は長くなりますから省略いたしまして、御質問がありましたらお答えいたしますが、こういう意味におきましての共同化というものが現在行われておると私は思うのであります、そういうふうに考えてみますと、実際の上から申しましても、理論の上から申しましても、私は、日本の農業の近代化という方向一つ方向を示しておると思うのであります。これについてはなおいろいろな研究を要することでありましょうけれども、これによって方向が進んでおる。それに対しまして、農民がそういうことをやろうとするものを、政府がやっていかぬといって押える法は断じてあり得ないと思うのであります。そういうものをやりたいというのならば、それをおやりなさいといって道を開いてやるというのが政府のやるべき当然の私は義務であると思う。自分の独善的な考えによって、そういうことはいかぬというようなことを政府は言うべき筋合いのものではない。民主国家においてそういうことはあり得ないものだと私は考えるのであります。  しからば、その対策いかんということになって参りますと、先ほどるる御説明になりましたように、農地法がこれをじゃましておる、こういうふうな御意見もあるのでありますが、私は必ずしもそれだけのこととは思わない。現在の農地法そのものの精神なり建前から申しますと、あくまでこれは個人というものを中心にして考えておるところの立法である。もしも、先ほど言ったように現在の農地法というものがそういうふうに非常に無理があるということであれば、法人が解釈によってできるのならば、法人を認めるということによって起ってくるところの弊害を防止するところの規定というものが当然農地法の中に規定されていなければならぬ。たとえば、現在のいわゆる営利法人というものを認めてやりますと、不在地主というものができます。あるいは小作料の統制というものか破れるおそれがあるのであります。あるいはまた、先ほど言ったような面積以上のものができる、こういうようなことで、そういうことがもしも農地法を立法するときに考えられたならば、それらの弊害を防止すべき規定というものが必ずなければいかぬ。規定していないのは、いわゆる現在の農地法の精神というものはあくまで個人を中心にした一つの規定であると思うのであります。そうかといって、ここに個人中心で規定しているから法人を認めないという理論にはなり得ないのです。一方において農業の方はそういう新しい方向に進んでいくというのならば、何もそれを防止すべき法はないのでありますから、私は、これにつきましては適当なるところの新しい立法をなすべきものであると思う。その新しい立法と農地法とか抵触するならば、その規定というものをその立法によりまして排除すればいいと思うのであります。農地法そのものはそのままほうっておいてもよろしいと私は思うのであります。  その規定における内容はどうすればいいかと申しますと、農地法の精神というものだけはあくまで堅実に守って、この新しい組合法なり団体法というものを規定すべきだ、こう私は考えるのであります。農地法の第二条によりますと、農地法はあくまで個人と言っておりますけれども、その中の家族が持っておるところの土地というものにつきましては、これは、実際言うと、所有権は、土地を持っておる者、おやじの所有地、あるいは長男の所有地、帰ってきた娘の、出戻りの所有地というもの、これは人格が違った者が持っておる。これは一つ会社的、集合的な観念ですね。それを農地法はわざわざ、それは農業経営をなす者の所有地と見なすという擬制をやっておる。ですから、この規定さえ廃止すれば結局、これは、農地を持っておる者が互いに持ち寄って一つの合理的な経営を共同的に行うという精神であります。これは、解釈上、そういう農地法の精神というものは、広く解釈すればそういうことになるのでありますから、その精神に基いて新しい立法をするならば、私はやるべきものだ、こう思っておるのであります。それは、どっちかといいますと、やはり組合的な一つの立法といいますか、そういう方向に進んでいってこの問題を解決すべきものだ、こう私は考えております。  以上、きわめて雑駁でありましたけれども、大体の大きなアウト・ラインだけを申し上げまして、私の意見にかえたいと思います。(拍手)
  15. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 次に東京大学教授近藤康男君にお願いいたします。
  16. 近藤康男

    近藤参考人 突然の御命令でありましたから、十分準備をする用意がございませんでしたが、感想だけを申し上げておいて、お許しをいただきたいと思います。  法人問題につきまして、新聞などで農地法と抵触するから法人が認められないというような記事を見まして私が感じましたことは、農地法というものは、農地改革、つまり、終戦直後におきまして、小作地をほとんどなくして全部を自作地にするという行き方でもって、日本の農村の民主化、農業生産力を高めるという面で非常に貢献をしたと思うのでありますが、ただ、それがいろいろな面で動脈硬化を現わして来つつあると思うのであります。いよいよこれがはっきり動脈硬化症と判定していいじゃないかというのが私の印象であります。農地法につきまして、私は、近年になりまして、先ほど、香川の方でしたか、徳島の方でありましたか、もうだんだんその実態が手続法になっておるということをおっしゃいましたが、その点は確かに動脈硬化の現われの一つと思うのであります。実際に売買なり小作に出さなければならぬという事情が十何年たちまして非常に多くなっておる。それを統制管理しなければならないというのが現在の農業委員会にまかされておるわけでありますが、実際には、もうほんとうに農地法による形を整えるだけが農地委員会仕事になっておる。登記所に届けるのと実際は同じことをやっておる場合が多い。これは、委員会という制度が日本にとってあまりなれない形でありまして、ほんとうはああいうものじゃないと思いますが、委員会といいますと、何か委員というものは月給をもらってないから責任がないというような形でありますし、以前はそれほどではなかったと思いますが、ついこのごろは、農業委員会の書記というものが、第一に身分の保障がありませんし、月給も、国からも参りますけれども、市町村から補ってもらわなければならぬというような状態でありまして、委員は無責任であり、書記は非常に弱い位置であるということになりまして、そういう機関に、非常に重要な農地の移動なり、小作に出さなければならない、あるいは転用というようなことをまかせております場合に、いろいろな弊害が出てくることは、ある意味においては当然だと言ってもいいと思うのであります。つい一昨日でありましたか、私のすぐ近所で農地委員か何か収賄罪で起訴されたのでしたか検挙されたのでしたか、そういう記事を見ましたのですが、ある意味では当然そういうふうになるもんじゃないか、そういう体制になっておると思うのであります。むろん、それは、何か不当なことをやれば県知事がこれを是正する道は残っておりますけれども、しかし、実際には、たとえば県の農地関係でそういう実際の問題について調査をするような費用が十分にあるかどうか、旅費などが十分にあるかどうかということになりますと、どうもそうじゃないらしいのであります。農地転用などというような非常に重大なことについて、農林省は農地転用基準というものを作ろうと考えておられるようですけれども、それは非常に大切なことであると思いますけれども、その転用基準を作ってみましても、それをだれがどういうふうにして運営するかということで全く死んだものになるおそれの方が多いんじゃないかと思うのであります。農地問題につきまして非常に特徴的な点は、いろいろあると思いますが、農地についてあるいは農業というものを特殊扱いにするという点が非常に強く残っておる。あの農地改革の当初のころは、ある意味ではやむを得なかった、あるいは当然の点もあるかもしれませんが、たとえば、今まで小作地だったものを売ってもらった創設自作地については、これを小作にしてはいかぬとか、転用は認めないとか、そういうようなことになっておる。今までの本来の自作地と創設自作地と差別待遇をしておる扱いがいろいろな点であると思いますが、そういう点で、昔の旧地主、旧所有者がそこに乗ずると申しますか、お前売るならば旧地主にあいさつしないことはないだろうとか、まあこういうことになる。本人に圧力を加えることもあるでしょうし、農業委員会圧力を加えることもあるかと思います。ですから、私の近所で町の者が話をしておりますのを聞きますと、この辺では農地が宅地になったときには三割でしたか二割でしたかを旧地主にやるということが農地委員会できまっているそうだという、こういううわさがもっぱらであります。農業委員会でなくて宅地委員会だというような悪口を言っております。それから、先ほども出ましたが、農地を買う資格は三反歩なければいかぬというああいうようなこと。あの趣旨は、あまり小さいものは農業に精進することはできないだろうから、そういう者には土地を売らない、こういうことでありましょうが、しかし、日本の現状から申しますと、つまり、兼業農家農業だけではやっていけないという農家、この問題は非常に重要で、三反歩以下のには売らないというのは、兼業農家をどう考えるかということだろうと思うのです。つまり、工業国におきまして、低労賃を補う一つの形が兼業農家ということで、本質はむしろ労働者と考えるべきであろうと思います。その労働者に低労賃を補うような自給菜園というような意味の土地を持たせる方がいいか持たせない方がいいか。私は、日本の経済の建前を工業に重点をずっと置いていかなければならぬというそういう体制からいたしますと、むしろ、反別は小さいようだけれども、兼業農家に土地を持たせる、ですから、あの三反歩なんという制限をしないということの方がほんとうじゃないかと思うのであります。いわんや、先ほども御意見がありましたが、法人の話などはもっとずっと積極的な意味がありますから、制限は私は考え直すべきではないかと思うのです。まあ、そういうような点を考えますと、どうも農業委員会は、今日になりますと、農地の統制をするということが非常にもう型にはまって、それが全く形式を追求するというだけになったということで、動脈硬化、こういう名前に値するんじゃないか。もしほんとうに今日の段階で農業委員会が農地の行政に対して積極的な役割を果すとすれば、先ほど田邊さんのお話にもありましたように、土地の利用を計画化するというようなこと、これは一方強力な立法などを必要としましょうが、そういうようなことにあの制度か何らかの役割をするということになれば、これは私は非常に生きた活気を取り戻してプラスの作用をすると思いますけれども、どうも型にはめて、その型を動かせない。農地法がこうだからということにして、伸びようとするいろいろなものを押えるということに今ではなっておる傾向が強い。  今土地利用のことについて申しますと、先年中国へ行って私非常に感じましたことは、農業、つまり米などの年産力が非常に高くなったのでありますが、このごろ一反歩で何百石もとれたというようなあの話がもっぱら伝えられておりますけれども、私は、中国の農業生産力が最近非常にふえましたのは、ああいういわゆる狭い意味の技術的な改良もありますけれども、そうじゃなくて、むしろ土地制度であると思う。たとえば、米を作るのに今まで個人で作っておった。それが、合作社になったために、あるいは人民公社になったために、もっと広い範囲の水利なり労働の利用なりが考えられる。そこで、今まで一期作しかできなかったものを二期作をやる。あの四川というような大きなところでもほとんど二期作を始めたということは実に驚くべきことだと思うのでありますが、どうして二期作ができたかということは、やはり、土地の利用を、個人利用でなくて、合作社でもっと大きな範囲で考えられるようになったということがもっぱら理由であります。  そういうところまで日本の農地制度をすぐ農業委員会の運営でやれるとは言いませんけれども、何かそういうことを考えますと、農業生産にプラスするような制度的な面を農業委員会がやるような、そういう任務を持たせるのでなければ、死んでおる、ことに農業法人の点についてやはりその点はある意味ではむしろ最も強く動脈硬化ということを感ずるわけでございます。  農業法人の問題は、申すまでもなく、いろいろお話が出ましたように、当面は税の問題と関連して出てきたわけでありますが、この税の問題について言えば、私は、たしか田邊さんがおっしゃったと思いますが、税の問題は、つまり、実態が同じだというならば、それを個人課税するのと法人課税するのと非常に大きく開くところに問題がある、そういう意味では税制の方も考えなければならぬ、こういうことだろうと思うのであります。田邊さんは、だからして農地法の方はあまり動かさないで、税制の方でその問題は片づけるべきだ、こういう言われますけれども、私は、そうじゃなくて、やはり両方に問題があると思うのであります。先ほど、農地法の法律解釈において、法人が農地を取得して農業経営の主体になってよろしいのだという御意見が出たのでありますが、私、法律問題につきましては、先ほどの御論議で十分に尽しておると思いますからして、触れないでいいと思いますが、私は、今の税制については、農民の問題に限らないのでありますが、法人にした方が得だろうか、個人にした方が得だろうかとか、つまり、抜け穴を探すというようなことを農民に限らずわれわれもいたすのでありますが、一体、考えてみると、そうではなくて、税金なんというものは、そういう規定だからもう当然それに従います、何もああしようかこうしようかというようなことを考えないで、喜んで税金か出せるような、そういう制度に税制というものはしなければならぬのじゃないかと思う。それを、法人が得か個人が損かというようなことが問題になるのは、それは税制の方に欠陥があって、つまり不公平が非常にある。大体、シャープ勧告以来、あのシャープ税制というのが非常に法人を楽にして個人を重くしたと思うのでありますが、あそこに問題があるのでありまして、そういう意味では大きい税制の問題がある、こういうことだと私は思うのであります。そういう意味で、私は、今の農地法の解釈を、それは無理だという点がもしあるといたしますならば、許す限りむしろ拡張解釈して——拡張解釈は得意であって、自衛権とか軍備というようなことはどんどん拡張解釈していくわけですから、個人農家法人まで拡張するくらいは何でもないと思っております。私は、現在の法律を変えないでも法人を認めた方がいいんじゃないかと思うのでありますが、さらに、この法人の問題というのは、単に税の問題とだけから考えるべきじゃなくて、もっと先を見て、日本の農業のこれからのあり方と申しましょうか、そういうものとの見通しのもとに制度を考える必要があると思う。私は、農業法人を認めてくれという主張が、非常に——つまり、日本の農業としては最も進んだ、資本主義的に進んだ家畜あるいは果樹をやっているところから出たというところに着目をする必要があると思うのです。つまり、積極的な面をそこに私は見られるのです。申すまでもなく、日本のいろいろな農業の分野の中で、果樹は、資本構成から申しまして、農林省の経済調査などをごらんになりますと明白に出ておりますが、普通の稲作などはもちろん足元にも及びません。酪農も足元にも及びません。果樹は飛び離れて資本をたくさん農業に投下している分野だと思うのでございます。そこからこういう法人化の問題が出たのは、やはり、日本の農業が、今の農地改革というようなものを境にしまして、いわばブルジョア的に発展する道を歩んできた、その歩んできた結果があの農地法じゃ困るというような、そういう段階になっているんだ、こう思うのであります。  それでは先ほど田邊さんが、それにしては、つまり、いろいろな農業の高度化というようなことから来るならば、もっと法人かたくさんできてもよさそうだけれども、あまりできないじゃないか、それはいろいろこういうような困難があるといってその困難を列挙されたのであります。実にその通りだと思う。その通りではありますが、しかし、私は、あまりできていないのじゃないかというのは、ある意味では間違いじゃないかと思う。表面には出ておりませんけれども、ずいぶんできておるという面を強調する必要があるのじゃないかと思う。  私、先日長野へ参りまして、長野のリンゴをやっているところへ参りまして、ちょうどこの法人化という問題か出ておりましたときに、私の常識は、先ほど申しましたように、最も進んだ分野からこういう問題は出るのだ、こういうふうに考えておったものですから、——長野のリンゴというものはなかなか進んでおるのですね。そして、田邊さんのお話がありましたけれども、共同経営という形で、今のスピード・スプレヤーであるとか、非常に費用をかけるものをやりまして、そのために十何戸でやっておるというような形が出ておる。そういうところで、長野でこれを法人にしてもらいたい、法人課税にしてもらいたいという主張がなぜ出ないのだろうか、私の考え方は間違っているのかと思っているろい事情を聞いてみたのです。ところが、なぜ法人にしてくれという問題が出ないかということがわかりましたのは、つまり、長野では税の問題は法人にしないで解決している、こう言えると思うのです。どう解決しておるかと申しますと、あるいは差しつかえが生ずるかもしれませんけれども、一つは、あそこは古い産地ではなくて新しい産地でありますからして、最近どんどん植えておるのです。そして新しくリンゴがなるようになってきておるわけです。ですから、何反歩リンゴがあります、こう言いながら、実はつまりやみ反別がたくさんあるのです。ですから、収入をずっと低くすることができやすい。今までずっとやっておれば長野は反別はごまかしにくいのでありますけれども、だんだんふえておるのですから、まだそこまでいきません、まだあすこはなりませんからということで、それか一つと、それから、もう一つ税務署係が、名前は間違っておるかもしれませんが、農政問題研究会とか協議会とが、何かそういうようなもので、つまり組合、あの地方のあれは村でしたが、とにかく税務署との折衝はそれがやりまして、そんなに高くさせない、実際は反別も多少余裕がある、こういうことなんです。だから、税の問題はあるのですが、それをそういうごまかし方法で解決しておる、こういうことです。徳島などはごまかす方法がないから法人化という形をとって解決しようとした。だから、問題はないのじゃない。やはり問題はあるのです。あるけれども、そういう形で解決しておるというようなことでありまして、やはり、進んだところから、同じ問題があり、同じ問題を解決することをやっておるのだなと、そう思ったのであります。  そういう意味で、私は、これは最もこういう面で、たとえば酪農であるとか果樹であるとか、そういうような、あるいはそうでなくても農薬を使う場面などを考えますと、あるいは機械などを使うことを考えますと、どうしても集団化、共同化という必要が、必然性があると思うのです。長野の例をとって必然性があると申しますのは、つまり、リンゴを売るのには、市場に出すのには、五千箱とか一万箱とか言っておりましたが、何箱以上なければ市場へ売る体制としてちゃんとした体制と言えない。たたかれてしまう。何箱以上はぜひ必要だ、何箱やるためには何町歩くらいのものが一つの組合を作らなければならぬ、一つの組合を作って、それがそろった品種で、品質もそろって、いつでも電報があればすぐ注文に応じて出せるというようなそういう体制、——ことに、今のスピード・スプレヤーなどやりますと、品質がそろう。そのうちに費用が何割か安くなるということで、非常に有利で、スピード・スプレヤーの費用なんかは一年か二年かで解消するということを言っておりましたが、そういう面ですね。これは、日本の農業が進んでいく場合には、先端を行くものはどうしてもそういう形をとるだろうと思うのであります。そういう意味で、あの場合には十何町歩というような共同経営を見て参りましたが、ああいうものはどうしても必要だ、それの最も落ちつく形は法人という形をとるはずだと思う。もしあれが、税の問題がそういうようなことで解決しなければ、必ずあすこでは法人の形をとっておるに相違ないと思うのであります。あそこは、徳島などと違いまして、家族だけの法人でなくて、数家族というようなことから当然法人という形をとるであろうと思うのであります。だから、法人を認めないということになりますと、数家族の共同経営を認めないことになる。つまり、伸びていこうというものを農地法が押えるということになるのではないかと思います。  これは農業の方から見たのでありますが、今度は日本の農村を市場とする資本主義工業の方面から見ましても、これはやはり、ハンド・トラクターなどが出回るには、先ほどお話がありましたが、個人ではこれはどうしても過剰投資ということになります。日本の資本主義全体の要請としてもそういうことになると思うのであります。このごろ農業基本法というものがはやっておりまして、いろいろお考えいただいておるのでありますが、たとえば、ドイツで農業基本法が打ち出されました基本線は、いろいろな面か考えられますけれども、一つ重要な点は、西ドイツの機械工業その他がずっと生産力が伸びてきて、そうして、外国へ輸出もするけれども、国内の市場をうんとふやさなければならぬという点。今までは西ドイツの生産物は東ドイツの農村へ売られた。この東ドイツと西ドイツを結びつけたのがビスマルクの農政だったわけでありますが、その東ドイツ、ポーランドというものか切れて、工合が悪いものだから、西ドイツの内部も機械とか肥料とかいうものをたくさん買ってもらわなければならぬ。そのために、あそこの農業基本法は、強制的とは言えぬかもしれませんけれども、合併して大きな農場にすることをやっておるわけであります。大きな農場にならなければ機械は売れぬということが、西ドイツの農業基本法においてああいう形をとっておるゆえんであろうと思うのでありまして、その点は、日本の資本主義の中の農業の位置と、すっかり同じとは言えないと思いますけれども、大へん似ておるという点があると思います。つまり、国内の生産物をもっと農村に売らなければならぬという要素かある。その売ることができるようにするために農村の方の形を整備する。——今までの共同経営のものをちゃんとした形にする一つのものが法人であろうと思います。  先ほど農地法の精神ということがしばしば言われましたけれども、私は、農地法の精神というのは、法律の言葉の上の争いじゃなくて、大眼目を言えば、日本の農業か資本主義のレールの上でだんだん積極的に発展していけるように、つまり、農村に明治維新で十分できなかったようないわゆるブルジョア的な改革をする地ならしをして、農業生産力が発展できるような措置をとるという意味で、あの段階では地主をやめて自作農にする、こういうことだったと思うのであります。そのブルジョア的な改革はあの段階では確かに実を上げたと思うのですが、今日同じ形であくまでがんばって動脈硬化を直そうとしないならば、これはむしろそのブルジョア的な方向へ進んでいこうということを今日の段階ではチェックする逆の作用を持つ。あのときはプラスの作用をしたのが、今はマイナスの作用をすることになるのではないか。つまり、ほんとうの精神を生かすためには、農地の獲得というような場合に、法人に獲得させるということの方が精神を生かすことであって、個人でなければいけない、従って農業法人を認めないというのは、あの精神を殺すことになるのじゃないかと思うのであります。ことに、その点は、今のリンゴやミカンを作っているような最も先端を行く農業の場面でそれがはっきり出てくるわけでありますから、私は、できることならば、農地法は現在のままでも、その解釈の上において法人というものを認めた方がいいのじゃないかと思う。もしそれでは困るというならば農地法の方を変える。つまり、今日の段階で生産力を高め日本の農業を発展させていくのに必要なような点を——先ほど列挙しましたような確かに動脈硬化らしい症状はいろいろあるわけですから、そういう点を直すため農地法の方を直すということが必要じゃなかろうかと思います。
  17. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 以上をもちまして参考人各位意見陳述は終りました。これより参考人並びに政府当局に対する質疑に入りますが、質疑は通告に従いまして順次これを許します。足鹿覺君。
  18. 足鹿覺

    足鹿委員 最初に現地側の方に課税上の問題についてお尋ねをしたいと思うのです。中田さんなり大久保さんなり、またもう一人の方でもけっこうですか、徳島の場合と鳥取の場合とについて分けていただいてもけっこうです。  当委員会がこの問題を取り上げてから、農林省、大蔵省の第一次統一見解が下されまして、これに対してさらに当委員長の埋業会決定に基く申し入れによりまして、二度目の統一見解と申しますか、それが出たことは御存じの通りだろうと思うのです。それによって十六日の確定申告にその統一見解後どういうふうに変化があったかなかったか、その点をお尋ねしておきたいと思います。
  19. 中田長吉

    中田参考人 私の方の勝浦地方におきましては、やはり、十八日の日ですが、徳島税務署長所得税課長が私のところの町へ参りまして、そうして、新聞で見ると今すぐにも認められるような状態にはっておるが、なかなかそうはいかぬだろう、だからとりあえず白色申告をしてくれというような話が、三十人の農業法人代表を呼び出しまして、勝浦町役場の二階において約二時間にわたってこんこんとありました。つきましては、いろいろ意見も出たわけなんでございますが、結局物別れになってしまって、そうして、記帳の確実にできておるもの八社だけが強硬に法人申告をいたしました。あとの方は、もう一度帳面をはっきりし直して、そうして今度次の段階で進んでいきたい、そういうふうな意向でございます。現地の方においてはそういう意向でございますが、とにかく、何分にも税務署の今までのやり方圧力的であります関係上、農民税務署やり方に非常におじておるようなわけでございまして、これを強行して、そして八十日も九十日もの間、一会社ため調査いたされますと、山林所得の件とか、それから奥さんのへそくりとか、そういうものまでばれてくるということも考えられるということも予想に入れて、やはり今までのように個人申告に押しつけられたというような気分が、勝浦町においては多分にありました。
  20. 大久保毅一

    大久保参考人 鳥取県の状況は、先ほど申し上げましたように、十四日に倉吉税務署長が直接法人代表者に対して個人申告をするように勧告をしております。それで、統一見解に基いてやろうといたしましても、先ほど私が申し上げましたように、農地法とはっきり絶縁できるのかどうか、それから、実態というものは、税務当局が言っているように、外部的な諸条件を完全に満たさなければならぬのかどうか、その辺に問題があるわけでして、十六日の申告に当っては、中央の情勢に応じてはいつでも法人申告に切りかえることがあり得るという話し合いを前提にして、とりあえず個人申告をしております。そこで、法人申告で突っぱるという場合に、今まで当局がとって参りました見解とわれわれの考え方とをどう解釈するか。その場合におそらく裁判以外には方法がないだろう。そうすると、裁判をやらなければ話がつかないというけとになれば、六社で裁判まで持っていくかどうか、その辺に実は踏み切りができない点がまだ残っておりまして、今度上京を機会に、二つの問題点をもう少し解明して、なお税務署とも詳細に話し合いを続けたいと思っております。ところが、税務署の方は、問題が複雑になって参りますと、これは上できめるのだからわれわれは何にもよう言いませんと言って逃げてしまう、法人に対して追及すべきことはどんどん中央の指令通り追及していく、こういう非常に卑怯なやり方をしておりますので、現地では指導に非常に困っておる、こういう実情でございます。
  21. 足鹿覺

    足鹿委員 両県においては全部白色申告ですか。それとも青色申告を認めたのですか。
  22. 大久保毅一

    大久保参考人 鳥取県の場合は、羽合町の一社は白色申告でございます。その場合、とりあえず概算申告の税額は、三十一年度が十四万三千五百円、三十二年度が十万四百六十円、三十三年度が三万二千七百円、こういう税額で一応申告しております。それから、倉吉市の五社の分は、昨年から青色申告の手続をしておりましたので、青申が認められて、一応三十三年度については税額はゼロになっております。それから三十一、三十二年度については、税務署としては、既往の分についてはまだ局の指示がないので、法人申告のままでしばらく保留しておく、こういう回答でございます。
  23. 足鹿覺

    足鹿委員 徳島はどうですか。
  24. 中田長吉

    中田参考人 勝浦におきましては、税務署側といたしましては青色申告を認めるというようなことで、青色申告も出ておるかと存じますが、大体この八会社法人申告をしました以外は、大部分が白色個人申告ではないかと自分は推測するわけでございます。
  25. 足鹿覺

    足鹿委員 あなたはその八つの中の一人であろうと思いますが、あなたの知っている人で、青色申告を申し入れたが、それは税務署によって拒否されたとか、あるいはその他の事情で白色を出さざるを得なかったというようないきさつなり事情はないですか。そういうことは御存じありませんか。
  26. 米澤豊幸

    米澤参考人 その青色申告でありますが、現在では、やることはやってみても、記帳の悪い点、そういう点をのぞきまして、そして認めないような方向に持ちかけていくということで、青色申告をやりつつ、それを片方から押えられてしまう、こういうような現状であります。
  27. 足鹿覺

    足鹿委員 当委員会は、小委員会を設けて、国税庁当局とも公式にもまた懇談的にも実施上の問題について話をしておるわけです。その際においては、現在法人といってもその経理内容を見れば大体青色申告程度のものが多いということが国税庁側の言い分であったように思うのです。従って、私どもの理解するところでは、法人課税実態判断の上に立って非常に無理がある場合でも、青色申告には切りかえ得るものなり、そういう理解を私どもは持っておったわけです。ところが、今聞いてみますと、八社のほかはほとんど全部が白色申告のようでありますが、それは、何か聞くところによりますと、税理士方面に税務署か圧迫を加えたとか、税理士に頼んでも、どうもあまり青色について相談にも乗ってくれない、税理士がどちらがというと税務署の肩を持ったような、とても無理だから白色にしなさいというような事情も一部にあるようにわれわれ仄聞しておるのです。ここでは、今後の審議の参考にいたしますため、本日せっかく遠路お越しいただいたわけでありますから、そういう間の事情を端的に、そのものずばりでおっしゃっていただきたいと思うのです。そういう事情が知りたいし、また、記録にもはっきりとどめておきたいと思うのです。
  28. 米澤豊幸

    米澤参考人 その点について御説明申し上げます。われわれ、農業法人を始めると同時に、百姓のことでございましたから、最初は税理士にお頼みしまして、そして発足したものであります。その後におきまして、税務署側は、われわれに対して相当な圧迫を加えるし、今頼りにしている税理士までに飛ばっちりをかけてくる。そればかりじゃなくして、政治方面にまで及ぼしているという現状であります。その一つとして、税理士が二回にわたってきんたまを落してきた。それはなぜかというと、男として引き受けたか女として帰す、こういう見解のもとに、きんたまを二回も落してきたというような現状であります。それがために、百三社できておった農業法人も、税務署ため税理士を通じてもみ消されてしまったという現状であります。われわれは、さっきお話をいたしました通り、日本の農民ために捨て石にもなるし、倒れてやむという精神によってやっておりますから、今三社が残っているような現状でございます。
  29. 足鹿覺

    足鹿委員 税理士にまで飛ばっちり云々ということですか、そのことをもう少し具体的に事実に基いて述べていただきたいと思うのです。
  30. 中田長吉

    中田参考人 それは資料にも書かせていただいたわけでありますが、昭和三十三年五月十五日、税理士大塚茂一氏が新紅園に来園されまして、そして、立会人、新紅園社長中田新一、同専務中田長吉芳幸園専務米澤豊幸、カネヨ農園社長米田在久、同専務米田武夫、以上六名が会合いたしまして、税理士より税務署長の懇請により三社の法人申告をこの際中止されていただきたい、そして、法人申告をどうしてもこの三人が引っ込めないときは、今後経理帳簿を預って指導は引き受けられないというようなことを申し渡されました。それが今米澤さんの申した第一回のきんたまを落した方であります。第二回におきましては、昭和三十三年九月六日に税理士大塚茂一氏より三会社に対して書面をもって通達をせられております。その内容を読ましていただきますと、有限会社何々農園代表取締役何々殿として、「柑橘所得申告方の件について再度、否最後のお願い。冠省御免を蒙ります。首題の件について今春御邪魔仕り深夜に及び御懇談申し上げましたが、拙者不徳の至す処遂にその意を得ず、却って骨無し男として御叱責を受け慚愧に堪えぬ次第であります。その男が再び本問題に関し懇請申し上ぐる心中をも聊かお汲取下されて御再考方よろしく御願い致します。一、三十二年分の柑橘所得は百四件の法人中百一件迄個人申告済の様なれば是非当該年分は同一歩調に出て下さい。二、三十三年分は法の改正に努力され所期の目的を完遂される様お祈りしてやみせん。又三十二年分は拙者の顔をお立て下されて、三十三年分で突進されるのも一つの方法ではないかとも思考します。三、詳細は一度御拝眉の上筆に尽せぬ点を補足御懇談申し上げたいと存じますが、何分小生も老令と健康上の関係も有之、殊に過去一か年の及ばぬ乍らの御指導により記帳整理の根本概念も御会得済のこととも被存ますので今月限り御世話申上げる御約束を解約させて戴きたいと存じます。四、尤も御壱期の決算は致させて戴きます。何率悪しからず御諒承賜ります様。以上乍失礼七重の腰を八重に折って御懇願申上げます。」、こういうようなことであります。われわれも、ついに税理士から突き放されましたので、やむを得ずそれからずっと元帳初め伝票も全部自分でやらしていただいておるようなわけであります。それで、今のところ、大塚税理士さんにそのお知恵をかしていただくような程度でやらしていただいております。
  31. 足鹿覺

    足鹿委員 他にかわって税理士に依頼されるとかいうようなことはできないわけですか。その特定の税理士一人おるわけではないでしょうし、他にもたくさんおられると思うのですが、一人に拒否されたからといってすぐに投げてしまうというのは、どうも私今聞いていて納得がいかないのですが。
  32. 米澤豊幸

    米澤参考人 それはお説ごもっともと思いますが、われわれには倒れてやむという勢いかありますから、記帳は一年余り税理士を通じてやってきております関係で、現在では税理士と何ら変らない記帳ができております。それかために、税務署に圧迫を加えられるような税理士をたよりにしておったのではこの問題はとうてい解決できない、こういう信念を持ってやっております。  それと、私がさっき申した、政治方面なりあらゆる問題に圧迫を加えられておるということの実例をいささか申し上げたいと思います。これは、税務署員がわれわれの宅へ参りまして帳面を調べること数回、それに対して一つの欠点もないと私信じております。あるのであれば、そのときに記帳が悪いからという何かの答えが出なければならぬはずなのですが、いまだにそういうことは指摘されておらないということを発表しておきます。そういうことだから、あらゆる方面で圧迫を加え、その一例としては、われわれに対して、過去数年間の税金をどんなにかしてやろうと思うが、われわれの思う通り応ずることはできないかという御相談にあずかったのでございます。私、至ってこういう性分でございますから、そういうことが国の国税としてそういう方向を示されることができますかという点を追及した次第であります。そういうことがもしあるとすればこの国税なるものは全然ゼロである、私たちはそういうために今まで苦しめられておったということを言って、その場は終ったのであります。それから、かりに県会議員でありましても、また県で仕事をしておるお役人であろうとも、税務署から手を回して、われわれが動脈としてお頼みしておる係の人に対して圧迫を加えるという有様でございます。それと、わが町のことを言えば恥になりますが、恥をしのんでお話いたしますが、私の町の町長朝桐猪平氏であります。この朝桐さんなるや、全国の町村会長もせられておるし、また四国四県の会長もせられておることは皆さん御承知だろうと思います。その朝桐さん自体がわれわれに対して圧迫を加える、こういうようなことがありました。それはなぜかと申しましたら、われわれ三人とほかの者との均衡がとれないというような意見を持っておられたそうであります。私たちは、三人だけでいつまでもこれを継続するのでなしに、全国農民方々にこのことをやってもらうがために、倒れてやむという勢いをもってやっているわけなんですが、そのことをどう解釈せられているのか、われわれに対しては相当な刺激があったわけです。そういう方面から、各県なり、また高松の農地部の方へああいうことを尋ねたということもその一点でないかと今思っているわけです。
  33. 足鹿覺

    足鹿委員 次に一つお尋ねしておきたいのですが、今まで聞きますと、十分言い尽せないが、いろいろないきさつもあるように思えます。初めておいでになり、なかなか思うように気持が表現できないような点もあるように私ども推察をいたしますが、気持はよくわかるように思います。できるだけ私どもは、そういう圧迫や、課税上のいろんな不当不法な干渉ともいうべき人権じゅうりん的な言動とか、あるいは行き過ぎというようなことにつきましては、今後もそういう事実がありますならば、その事実に基いて今後十分問題を掘り下げていきたいと思っておりますので、あなたもそこまでおっしゃったわけでありますから、今後とも十分資料の提供なり御連絡を願いたいと思います。そこで、これはあなた方からいただいた資料をすぐ読むわけにもなりませんで、お話を聞いたわけでありますが、今度は私どもの資料、大蔵省提出の、昭和三十四年三月二十五日国税庁が出したこの資料を見られて、ちょっとすぐごらんになって判断がつかぬ点もあろうと思いますが、——これは大久保さんがいいと思うのです。徳島の方の御意見も聞きたいと思います。その横刷りの三枚目を一つ開いていただきたい。今すぐではなかなかむずかしいだろうと思うのですが、経営状態その他の数字は大体腹に入っておると思いますので、この三枚目の「二、農業法人法人個人の租税負担額に関する調」というものであります。これに印刷してありますのは、法人課税の場合と、個人課税の場合を白色と青色に分けまして、そして国税並びに地方税を別々に記載し、またその合算したものを記載して比較が出ております。当委員会に正式に出された資料でありますので、問題は、このような国税庁が国会に提出した資料が、実際の現地税務署課税をしていく場合にはどのように適用がなされておるかということです。それをあとで聞いてもいいわけですけれども、めったにこういう機会がありませんから、記録にとどめておきたいのでお聞きしますが、まず法人Aですね。農業法人Aは、まん中よりちょっと右寄りのところに法人税プラス個人の税額となっておりまして、国税の欄で八万六千百九十円、地方税が三万一千八百三十円、計十一万八千十円となっております。個人の場合は、白色が、所得税、住民税、計となっておりまして、計で申しますと、白色の場合が十四万九千三十円、青色の場合が九万九千九百九十円というように、以下比較が出ております。もちろん、これは、三十二年度法人決算に基いて国税庁に届いた資料をもととして、法人でやっても青色でやってもそう大した開きはない、人によっては、たとえばBの場合は、国税を例にとってみますと、五万八千四百七十円が三万七千四百円に減るのだ、こういう答えを国税庁当局はしておるのです。だから、結局税法の改正も行われるし、そう大して御心配になることはありません、こういう説明なのです。その信憑性、——これが間違ったものだとは私は言いませんが、実際に当てはめた場合に、地方の税務署がこの数字に合うような課税の結果が出てくるように行われておるかどうかということが一番根本の問題だろうと思うのです。そこで、A、B、C、Dとずっとありますが、はぐったところにもE、F、G、Hというふうにありまして、これで上の二人A・Bが徳島の場合だと想定できるし、あとの六つの場合が鳥取県の場合と大体想定がつくわけであります。そこで、徳島の場合、これをごらんになって、税金の問題からこれが出発してここまでの大問題になったわけですから、自分なり、あるいはその他研究しておられるでしょうから、持ってこられた資料とか、それがなければ心づもりで、大体こういう数字になるのかならぬのか、鳥取県の場合はどうかということをすぐでなくてもいいですが、そこで若干検討してもらって御所見を承わっておきたいと思います。
  34. 中田長吉

    中田参考人 今ちょうど私の手元にありますものは、有限会社紅園個人中田新一の対照だけでございますが、それを発表させていただきますと、有限会社紅園法人所得は、黒字十九万一千五百五十四円になりまして、法人税額が六万三千百九十五円であります。それに対し事業税が一万五千三百二十円、住民税五千六百八十円、計八万四千百九十五円であります。そして、構成社員代表者の給与が二十三万円、専務が十一万五千円、それから取締役が八万五百円、監査役が八万五百円、計五十万六千円であります。それに対しまして、個人白色申告更正決定をしておる数字によりますと、法人所得から換算したときの個人分の所得は九十万一千円であります。そして所得税が十四万四千七百五十円、住民税四万二千九百五十八円、計十八万七千七百八円であります。青色申告の場合はしておりませんので、ちょっとこの比較は私のところではできかねると思うのですが、白色申告法人申告の場合でありますと、十万三千五百十三円の開きか出てきております。そして、一般の場合青色申告が果してわれわれの申告した通り認められるかどうかという点につきましては、私の担当していただいておりました税理士におきましては、約半数が認められておりません。半分は否認されて、税務署方々にまたいろいろ茶でも飲ませたりというようなことで解決しておるようでありますが、現実においては、普通大福帳式の記帳であれば多分認められないのじょないか、こういうふうな解釈なんです。
  35. 大久保毅一

    大久保参考人 鳥取県の場合、今ちょっと調べてみますと、全部が全部該当していないようでございますが、問題になって参りますのは、個人所得税の場合の給与所得の税額の問額が出てくるのではないか。それと、それから、個人課税の場合の所得額の算定にやはり若干問題があるのじゃないか。従って、どういう算定でやられたか知りませんが、税務当局の方の一方的な算定基準だけで比較をして、ここで架空なもので判断しろと言われても、ちょっとこれだけでは判断しにくいのです。それの算定か個人申告の場合どういうふうになされているかわからぬわけですから、ごかんべん願いたいと思います。
  36. 足鹿覺

    足鹿委員 資料を持参されておらないので、本人がどういう白色申告をしたかわからぬという。ごもっともだろうと思うのです。そこで、このC、D、E、F、G、Hというのについて大久保さんの大体の考え方を聞いておきたいと思ったのですが、Cの場合には、法人の場合が国税で一万五千五百六十円、青色の場合が、これは専従者控除の関係で、そこにありますように、いろいろな形態によって違ってくると思うのですが、Dの場合などは、国税でいきますと八万二千八百四十円が、青色の場合十一万七千五百六十円、青色の方が三万円以上も重い。こういうふうに、出てきた資料と、私どもが説明を聞いておったものと、実際のものと、三者をこう比較検討してみますと、国税庁当局が私ども委員会なり小委員会で説明しておられた点に、私どもはその数字上の差に非常に驚いているのです。しかも、徳島においては全然青色を受け付けておらぬというに至りましては、当委員会を侮辱しておると思う。大体何のために大蔵委員会と当委員会が、あのような統一見解を発表され、それに対して私どもがさらに統一見解を求めて、その資料を要求したのか。その結果は、このような、私ども委員会を侮辱するもはなはだしいことをおやりになっておる。これはまた後日機会を得て私どもは追及したいと思います。明日にでも小委会を開いて、この問題は徹底的に追及いたします。青色申告を認められるならば、一応白色よりもずっと軽減をされて、そうしてまあまあというところに落ちつくならば、問題は今後の近代化と共同化の問題に重点をしぼるべきではなかろうか、こういう感じも時には持ったのです。ところが、このような事態をわれわれとしては放置することはできないと思うのです。これにつきましては、後日また委員会なり小委員会においてよく検討をし、当局の今後の出方についてわれわれ十分検討してみたいと思っております。  あまり長くなりますから、現地側に対する御質問はほかにたくさんありますがこれくらいにとどめまして、学識経験者の両先生に端的にお尋ねをしたいのでありますが、田邊さんにしましても近藤さんにしましても、大体共同化の必要性ということはお認めになり、その御意見は一致しておると私どもは受け取りました。ただ、問題は、短時間でもありますのでよくのみ込めない点は、基本的に農地法の改正を必要とするのかしないのか、拡張解釈で大体いき得るのか、矛盾はないのかという点ですね。それをきっぱりと端的な表現でもって伺いたい。もし改正をするならば、どういう点を改正するのか、どういうふうに改正をするのか。また、その改正に伴って、田邊さんのお話によりますと、別途な法的措置を講ずべきだという御意見もございましたが、それは一つの組合的なものなのか、農業近代化促進法とでもいいますか、そういう形のものでいくのか。いろいろ、別途に出る法律の性格、目標というようなものについて、もう少し御意見を御開陳願いたいと思います。問題は、この農地法の解釈で大体片がつくという見解、だがしかし、田邊さんのお話では一点だけ問題点があるというふうに私聞き取りました。あとでまた速記録を拝見しまして私ども勉強しますが、その点を、根本論として、改正を必要とするかしないか、解釈でいけるかいけぬか、こういう点に関連し、どちらの場合でも、別途な法律を必要とするならば、その法律の性格、それに伴う必要な措置ということについて、もう少しうんちくを御披瀝願いたいと思います。
  37. 田邊勝正

    田邊参考人 先ほどは非常にラフな説明をいたしまして、誤解になられた点もあろうかと思います。  私は、農地法そのものの、これは、農地法の解釈は別といたしまして、どういう性格のものであるかということを考えてみますと、私は、あの農地法の規定から申しまして、あくまでこれは個人を中心にした立法の仕方だと思う。そうして、農業経営の形というものは、やはり三町歩というもちろん制限がありまして、その三町歩というものをどういう標準できめたかと申しますと、これは、日本の家族労働というものを中心にしての、いわゆる最高限の適正規模というような形からあの三町歩というものが生まれてきた、——これは実ははっきりしないのですが、その後の法律の解釈その他によりましても、そういう点から申しますと、私は、あくまで農地法の精神というものは、機械そのもので、農地を開発しておっても、その機械を所有しておる者は個人であって、その経営の形態はいわゆる家族労働を中心にしたところの経営である、日本の農家の生産力を向上し、同時に農民の生活を安定せしめるところの型がいわゆるこれである、こういうような趣旨であの農地法のあれができておると思うのであります。先ほども言ったように、この解釈で外部の法人が認められるかということになりますと、これは今私が言ったこととは非常に矛盾してくることになると思うのであります。そのことはどういうことかと申しますと、先ほども申しましたように、個人というものは住所を自由にきめることができますから、たとえば、自分は他に移転をしながら、そこでもって法人の形を置いておくといたしますと、これは全く事実上の不在地主ができるという形にならざるを得ないのであります。それからまた、一方、法人におきまして、出資をして、出資をした者が直接その農業経営に関与しないで都会で月給を取るということになりますと、これはいわゆる小作制度というものを事実上認めたという形にもならざるを得ないと思うのであります。その他いわゆる営利法人という立場を考えてみますと、たとい農地法がそれを認めましても、それは農地法と全然相反する結果を招かざるを得ないと思う。そうして、初めの農地を所有する者という「者」中に法人が含まれるということになれば、今言ったような弊害をちゃんとチェックし得るような、制限し得るようなそういう法制が、あの中に当然含まれていなければならぬと思うのであります。ところが、あの法律のどこを読みましても、いろいろな運用上のこまかい点を見ますと法人中心的な立場を認めたようにとれるところもあるかもしれませんけれども、それは運用上の解釈でありまして、農地法そのものから申しますと、先ほど言ったような矛盾撞着を来たすということになりまして、現在の農地法そのものを見ますと、法人を認めるということは一種の矛盾をここに起すのではないかと思うのであります。  そうかといって、ここで近代化というものを進めていくということになりますと、どうしても法人というものは認めなければなりません。それを私はチュックしようというのではないのでありまして、それは堂々と、何も農地法の解釈によらないで、別にそういう法人の法律を作ればいいと思うのであります。法律を作るということになりますと、先ほど言ったように個人的な農地法でありますから、その点に彼此相抵触するところができてきます。たとえば、三町歩に制限しているのが、会社経営になりますと、三町歩ではとうてい合理的な経営方法というものは考えられません。農業機械その他を入れるといたしましても、先ほど言いましたように十町歩は必要であるのに、三町歩ということではだめだという点もあります。それから、現在の法律における移動統制によりましても、いろいろ土地の所有権その他土地使用収益権というものが個人でなければいかぬということになっていたならば、これは法人に堂々と認めていく必要があると同時に、先ほど言った矛盾する点は特別立法をやらなければいけない、こういうふうに私は考えます。法律の改正ということは、何も法そのものを根本改正しなくても、抵触するところだけを新しい法律を作って排除すればいいのじゃないか、これも改正であります。改正でありますが、そういう手段によらなければおかしなことになる。そうしなければ、一方長々とあの中に法人に対する弊害を排除する規定を置かなければ、あの農地法は成り立たない。そういうことはめんどうだから、両建にするならば、理想的な立法をやっておいて、それに抵触する規定というものをあとから排除すべきではないか。  そこで、現在、認められましたところで、日本の農業経営というものが一躍して全部が共同経営になることは予想できないのです。個人経営というものはあくまでも残ってくるのでありますから、それらの経営というものは無視するということはできないのでありますから、それは農地法の適用によってやればいいという考えであります。  そこで、それならば、将来あるべきところの一つの協同組合を中心にしたところの団体の法規はいかにすべきかということになりますと、これは、現在のような営利法人では、営利法人といいますか、そういうようないき方ではいかぬだろうと思う。やはり、私は、土地を持っておる者が土地を持ち寄って、そしてその家族の者が耕作する、その経営というものにタッチしなくなればその人間はその中から排除する、何か総合的の規定になるかもしれませんけれども、そういう方向に進んだところの組合法というものは必要であるのじゃないかということを考えております。これを営利法人的に認めるということになりますと、大へんいろんな問題が起ってきて、農地法の根本がくずれてしまうということにならざるを得ないと思うのであります。  それと同時に、これを考えますると、それならば現在の農業協同組合法との関係はどうだ、これによってある程度できるじゃないか。これの立場は一体どうするかということになるかと思いますが、私は、農業協同組合法によっておやりになろうが、新しい法律によってこういうような協同団体を作ろうが、それは自由にするようにした方がいいと思うのでありますが、現在の協同組合法によりますると、営利法人というものを認めますと、それに加入できるかどうかという問題もあります。現在組合員数の一種の制限があります。最低制限というものがあります。現在の日本の農業の共同化から、非常に将来は進んで、先のことはわかりませんけれども、少くとも現在組合法できめておるところの定数よりも少い定数の団体が近い将来においては相当出てくるのじゃないか。日本の農業機械その他の発展の経過から言いまして、そこに特別法というものを規定する必要があるのじゃないか。この点について、法人との関係ができるということになりますと、協同組合法そのものの改正というものがここに必要になってくるのではないか。私は一々条文をあげませんけれども、考え方は以上の通りであります。
  38. 近藤康男

    近藤参考人 私は法律学者じゃありませんから、あるいは乱暴なことを言うのかもしれませんが、私の感じでは、さしあたってのこの税に関する限りにおいては、現在の農地法の解釈で済むのじゃなかろうかと思うのであります。それで、決してそれはこの精神をじゅうりんすることにはならぬじゃないのかと思うのです。と申しますのは、原則は、先ほど田邊さんが言われましたように、個人に自作地として持たせるというのが原則でありますけれども、しかし、例外には農業をやっておる法人で、たとえばほんとうに酪農をやっておるとか、あるいは小岩井農場のように、実際に農業をちゃんとやっておって、これをこわすというのは全然意味がない、こわすというのは全くマイナスだというのは、農業経営を続けていって土地買収をしなかったわけでありますが、あの農地改革のときにあった大部分の法人で土地を持っておるというのは、本人所有であって、小作料をとるとか何とか、そのつけたりのために農地を持ったということが多かったから、原則としては買収するということでよかったと思うのですが、しかし、例外的にちゃんと農業をやっており、これを買収して個人に自作農地として分けてやらせるのではなくて昔の会社のままでやっていく方がいいというのは、例外的に認めたわけですから、今度そういうものに相当するところの農業法人が果樹なら果樹の方でできてくるならば、そういうものをあらためて認めるということでいいじゃないかと思うのです。あるいはそれは拡張解釈になるかもしれませんけれども、しかし、それが許されるならば現在のままで認めるということでいいじゃないか。  ただ、先ほどの田邊さんの言われた中に、そういうことを法人に認めるという原則になってくると、不在地主であるとかいうような弊害が出てくるんじゃないか、こう言われるのですが、今の不在地主でありますが、これは不在地主だからすぐ弊害だということは私は言えないと思う。つまり、不在地主は、きわめて機械的に、農地の所在地と住所が違うということだけで線を引いておるわけでありますが、不在地主がなぜいけないかといえば、そのほんとうの意味は、市町村が違うからいけないんじゃないと思います。そうではなくて、そういう形の土地所有者が農業の改良にはほとんど熱心になってくれないという面で今までの弊害を認めて、そういうのは全部買い上げる、法定買い上げということになったわけでありますが、不在地主が弊害の出てくる一つの大きな理由としてあげられるのは、つまり、不在地主の弊害は、たとえば東京に住んでおって北海道に何百町歩の農場を持っておる、そういう場合が不在地主の本来の形だと思います。ところが、統計を見ればわかりますように、不在地主として買収された大部分は、東京で退職したらいなかへ帰って隠居しましょうという気持で三反歩とか五反歩持っておった土地を買い上げた、そういうたぐいのものが非常に多かったと思います。そういうものが一体不在地主ということで、農村の民主化であるとか生産力の発展というようなことに対してがまんできないほどの弊害があるかどうかということになりますと、これは一つ考え直してみる必要があることじゃないかと私はいつも思うのであります。農村の民主化というようなことに対してほんとうに弊害があるのは、大地主は別でありますが、三反歩や五反歩持っておって小学校の先生が不在地主になっておるというような不在地主よりは、むしろ在村の保有面積を認められるような地主の方が、農村の民主化にとっては実は難物だと思う。三反歩や五反歩持っておって、町村が違うからといって不在地主という名前を法律的に無理やりにつけたのであるが、これはむしろ問わない方がいい。法人になればなるほど不在地主という形になると思いますが、もし法人になりまして、たとえば出資してその配当をもらうような形の不在地主というふうになることが、実際がまんできないほど農村の民主化に村して弊害が、これはこれから先のことでありますが、あろうかどうかということを考えてみますと、株式会社の株主は、これはある意味では不在地主である。それと全然同じものがここでできるわけであります。つまり、自分の土地を提供して、その株に対して配当をもらうというような形のもの。一体その程度のものを、農地法で不在地主はいかぬというあれがあるからといって否定しなければならぬかどうか。大した弊害がないなら、そういう形ができてきましても、片方では、お話に出ましたように生産力を高める、つまり、共同化し、あるいは法人という形で規模の大きな生産力の高いものかできることによって、つまり剰余をたくさん生むことかできる。そこで、その一部分を株式配当として株主に配ると同じように不在地主に配るという、そういう限度であるならば、それは農村の民主化というような点で弊害が出てくるということが明らかになれば別でありますけれども、今何人かの者が土地を所有して、それが株式と同じように株主に配当するような、そういうものがこれからできましても、それが農村の民主化の非常な妨げになるということは言えぬじゃないか。そうすれば、現在の農地法の拡張解釈と言っていいと思うのですが、それでこれから農業法人というものを認めていいじゃないか。あるいはそれが今の不在地主というもので明らかに弊害が出てくるということだったら、今田邊さんがいろいろ言われましたように、不在地主がもたらすかもしれないそういう弊害を予防するような、それを押えるような規定を新しくつけ加えるということをすれば足るのじゃなかろうか。別個の立法が必要でしょうかどうでしょうか。  私は、農業協同組合の法律というものの一つの趣旨は、現実はそうならなかったのですが、あの一つのねらいは、生産協同組合というものを作れるようにということが一つのねらいになっておったと思う。大体あの形でいいじゃないか。なるほど、あれはたしか七人でしたか何人でしたか、最低の人数が制限がありましたから、ちょっとその都合の悪いこともあるかもしれませんが、しかし、今日、法人というほどの形をとる場合、たとえば私さっき例にあげました長野県なんかで見た例は、十何戸が一緒でありましたか、スピード・スプレヤーというような何百万もかかるような設備、それからそれを利用するためには相当の面積が必要であり、ことにあれは出荷を共同するという意味で相当の面積が必要であるというようなことを考えますと、そんなに大勢ではむろんありませんけれども、何か農協の生産組合でいけるのじゃなかろうか。しかし、それも、たとえば三人でもよろしいし、二人でもよろしい、法人にその生産組合を認める。二人まではほしいというようなことがもしあったならば、そこのところ農協の方をもっと楽に、小さな範囲でもできるというような改正をすればいいのじゃなかろうか。  今の税金の問題に関する限りは、私は法律家ではないから乱暴なことは言えないかもしれませんけれども、このままでいけるのじゃなかろうかと思います。
  39. 足鹿覺

    足鹿委員 まだいろいろありますが、あとで同僚議員からも御質問があるそうですから、もう一点伺いたいのですが、現在の課税上の取扱いについては、この問題が提起しておる日本農業の零細性や非近代性や非能率性、またその家庭内における封建性というようなものに対して大きな問題を投げかけておる。従ってわれわれはこれを重視しておるわけであります。先ほどの香川県の小西農業会議事務局長のお話によると、この点はっきりしなかったのですが、将来は後段の問題として、現在の農業法人に対する課税上の問題ですね。これは農地法許可があろうとなかろうと、その実態を整えておる場合は法人課税が相当である、しからざる場合は個人課税が相当であろう、こういう統一見解が出ておるわけであります。ところがこれは事実空文化しようとしておる。その点で農林省も明確な腹がない。従って、徴税当局はその責任においてただいまお聞きになったような現地の方へ課税をしておる。こういう実情にあるわけです。従って、一戸一法人で現在問題になっておる点については、これは農地法の解釈でいけることは大体三人の方の御意見を聞いておって間違いはない。しかし、将来われわれが期待するような農業の共同化を通じて近代化、経営の合理化をはかって大規模なものにしていこうという場合はどうか。現在の場合と二つに分けて一つ見解を承われば、大体御三人の農地法に対する態度、御見解、今後の処置ということについてはっきりしてくるのではないかと思うのです。その点を、小西さんからも、その二つに分けて、将来は、今両先生の御意見をお聞きになって、先ほどお述べになったように現行法一点張りの解釈でいけるのか。——田邊先生のお話によりますと、抵触という言葉をお使いになり、事実上これは改正になると思うのです。実際法的の手続の上からいきますと改正を必要としてくると思うのです。ですから、なるべく近い将来にそういうことにするということは、近藤先生も弊害が出た場合にはという一つ前提のもとに別段御異議はないようです。従って、香川県の実際の農地事務を担当して、大臣に対する公開質問状もお出しになったあなたの立場から率直な御意見を伺いたいのですが、現在の農業法人に対しては、先ほどあなたが述べられたように、若干の問題はあっても拡張解釈をして別段違法ではないが、しかし、将来にわたっては、やはり、抵触したりあるいは弊害か起きた場合は、これは改正すべき点は改正し、また特別の立法措置を必要とするかどうか。こう二つに分けて一つ御所見を承わって、私の質問を終りたいと思います。
  40. 小西数馬

    小西参考人 ただいま足鹿先生からの御質問でございますが、現行法の拡張解釈をいたしまして法人の農地取得は可能かどうかという点でございますが、この点につきましては、前段で私は申し上げたと思うのでございますが、拡張解釈ができましても、おそらく所有権を農業法人が取得いたします場合は、これは三条二項三号によりまして三町歩という制限がございまして、その点が一点問題になるかと思うのでございます。それから、第二点といたしましては、所有権を農業法人が取得するのではなくて、多くの場合は、土地の所有者と法人との間で賃借権を設定いたす、こういうことになるだろうと思うのでございます。そういう場合におきましては、現在、賃借権の設定につきましては、六条でございましたか、所有制限の規定がございまして、全国平均一町歩以上でございますが、一町歩をこえて小作地に出すということはいけないという規定がございます。香川県では六反歩でございますが、そういうことになりますと、制限の範囲が六反でございますから、各農家ごとに六反ずつ出せば問題ないかと思いますが、そう簡単にも参らぬわけでございますので、ここのところにも一つ問題がある。それから、創設農地、いわゆる解放農地は、農地法によりまして賃借権を設定いたすということは厳に禁止せられておるわけでございます。おそらく、現在農業法人を望んでおります地帯は、果樹とかいろいろございますから、そういうところはもとからの自作地が多いとは思いますけれども、しかし創設農地は日本の二百五十万町歩解放されたわけでございますから、これが非常に全国的に面積上から考えまして多いわけでございますから、この点で創設農地の賃貸借を禁止いたしておるという問題では若干ひっかかるのではなかろうかと思うのでございまして、拡張解釈をいたしましても、勝浦町の芳幸園、ここにおいでになられておりますこの方の場合は六反以内でございますので、これは拡張解釈をいたしましても、創設農地でもございませんしいたしますから、これは完全に可能、合法的だと思うのでありますが、そうでない場合は多少私は問題がございますので、現行農地法を改正を、さきに申し上げましたような三条の二項の三号、いわゆる三町歩をこえる場合とそれから創設農地の賃貸借を許すように改めるということ、それから小作地を一町歩以上出すことができないということ、この三点を現行農地法一つ修正をしていただくということであれば、現在の農地法の運用解釈を拡大いたして参るという点で可能であろうと思います。しかしその点がむずかしいということであれば、先ほど田邊先生が言われたような特殊立法か何らかの形で、農地法の今申し上げましたような三点か是正されるという点を一つやって参らなければならぬ、こういうふうに思うわけでございます。  それから、一つこれは申し上げたいと思うのでございますが、田邊先生に反論いたすわけではないのでありますが、田邊先生はあくまでも農地法というものは個人であるということでございますが、私、実は、この農地法に疑問を持ったのは、田邊先生の御高見を拝聴いたしましてから疑問を持ったのでございます。先生は、私どもが三カ月ほど前に会ったときの御見解と本日の御見解とは相当相違をいたしておるというふうに私は思うわけなんです。その間どういう関連があってなさったかということにつきまして若干疑点がある。それから、「この農地法詳解」で、和田正明氏ですか、これは国会で農地法が通過したときの農地課長さんで、現在の文書課長さん。それから橘武夫氏、これはその当時法制局の方であった。この両氏が書いておられまするこの法律の解釈に当りましては、農地法の第一条の耕作者の中には法人も認められる、こういうふうにはっきりと書いておる。農地課長という名におきまして書いておる。そうすると、この解釈が農林省側から否定せられるということになると、これは二百五十円でございますが、二百五十円を損しただけでは私はないと思うのでございます。そういう点におきまして、一度農林水産委員会の方に、これを書いておられまする現和田文書課長、それから橘参事官をお呼び下さいまして、どういう理由でこれを書いたかということを一つ確認を願いたいと思うのであります。
  41. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 石田宥全君
  42. 石田宥全

    石田(宥)委員 足鹿委員から大体重要な点の質疑がございまして、ほぼ明らかになったのでありますが、私はこの機会にまず大久保参考人に伺いたいと思いますが、第一は、農業と他産業との課税上の均衡の問題であります。従来はややもすると農民税金は他の産業と比較して低いのではないかということが言われておる。臨時税制調査会等の結論を見ましても、農民税金は安いのである、こういうことを答申の中にうたっておるのであります。しかし、実際農業経営の内容を見ており、また私自身も農業経営をやっておるのでありますが、なるほど所得税の面においてはあるいは低いと言えるかもしれないが、私は、これは所得が低いから所得税が低いのだ、こういうこを言いたいわけであります。しかし、その他の地方税、特に固定資産税等の問題や、その他のいわゆる公租公課という中に入るべき部落協議費割であるとか、あるいは土地改良に要する負担額とかいうようなものを総合いたしますと、むしろ農民課税というものは過酷なのではないか。この点について特にこの機会に私は明らかにしておきたいと思いまするので、大久保参考人はこの点についても検討しておられるようでありますので、簡単な数字でけっこうですが、やはり数字的に比較検討された事実を御陳述を願いたいと思います。
  43. 大久保毅一

    大久保参考人 ただいまの農業と他産業との均衡でございますが、最初申し上げましたように、現在の農業所得税の面では、農業所得の算定という点に資本主義的な経済原則というものが無視されておる。そういう点で私は非常に過酷なものであると思う。その例として、たとえばナシの剪定くずの問題であるとか、自家用蔬菜の問題であるとか、それから保有米の問題等申し上げたのであります。  それでは全体の課税の面でどういう差が出ておるかと申しますと、私が県内で調査をしております農家の一例を申し上げますと、この場合は、水田が九反九畝、それから普通畑が三反三畝、それから果樹園か五畝、合計一町三反七畝の経営をやって、五人家族のうち一人が学生で、四人が農業に従事しておる鳥取県における専業農家の模範的な例でございます。この場合の農家簿記による年間収入を見ますと、農業収入が四十五万円、農外収入が八千円ばかり、合計四十五万九千円の収入を上げております。そうして、支出面では、農業支出が十七万五千円、家計支出が三十一万二千円、合計して四十八万七千円の支出で、差引赤字が二万八千円ばかり出ております。この農家が国税、地方税合してどれだけの税金を納めておるかというと、二万七千六百九十四円になっております。ちょうど赤字部分と見合った税金負担になっております。そこで、この家の家計費というものから見て参りますと、年間に現物と現金を合せて三十一万二千円の家計費支出でございますが、これを一応労働収入で得たとして見て参りますと、この農家は四人で一年間に九百四十五・四日働いております。そうすると、一応一日当りの平均労働賃金をその付近の日当三百円として算定をしてみますというと、二十八万三千六百二十円になります。そういう点から見ますというと、その家の生活の実態というものは、一日当り三百円の低い労働賃金で四人が働いてやっと生活をしておる、言いかえますと、農業所得実態というものは、その家の家族労働の非常に低廉な労働賃金の集積にすぎない、こういうことが言えると思います。それでは、同じ二十八万三千円ばかりの俸給生活者がどれだけの税金を納めておるかと計算してみますと、所得税が五千二百二十円と、住民税が七千円、合計一万二千二百二十円の税金を納めております。同じ二十八万三千円ばかりの所得を上げる場合に、農家は四人の家族が九百四十五日働いてやっと得ておる。その農家に対して国税、地方税合せて二万七千六百九十四円もかかっておる。都市の労働者の場合は、五人家族のうちの一人の主人が働いただけでそれだけの所得が上っておって、税金農家の場合の半分以下の一万二千円である。こういう点から見まして、現在の農業課税全般において、他の賃金労働、いつもよく比較されるのは俸給生活者との比較でございますが、その比較を見ましても、農業課税というものは倍以上の過酷な負担と課せられておる、こういうふうに考えておる次第であります。
  44. 石田宥全

    石田(宥)委員 その税金の問題で、特に地方税であるところの固定資産税が非常に大きなウエートを占めておると思うのです。この固定資産税については、自治庁も当初はこれに収益還元方式によるという算定方式をとったのでありますが、その後これはいわゆる時価価格というような表現を用いて参っておる。果して農地というものを他の資産と同じようにこれを資産的に考えることがいいのか悪いのか。私どもは、これは生産基盤であり、別な言葉で言えば一つの生産手段たるべきものであるからして、ほかの資産と同じように考えるということは妥当ではないのではないかと考える。当初自治庁が考えた収益還元方式によることといたしまして、適正な労賃を計算をいたしまして、そこも所得があればその所得を逆算いたしまして固定資産というものを評価することが妥当ではないかと考えておるのでありますが、これらについても、今後法律の改正等の関連もございますので、この機会に御意見を承われれば幸いだと思っております。
  45. 大久保毅一

    大久保参考人 全体的に申しまして、農家が実際に今一番苦しんでおりますのは、御指摘の固定資産税と相続税でございます。固定資産税の場合に、鳥取県の水田一反当りの年間所得というものはせいぜい三万円くらいしかございません。そういうものと、東京、大阪というような大都市の商業地帯あるいは工業地帯の一坪当り年間に何千万円あるいは場所によっては何億円というような所得を上げる土地というものと、固定資産税という法律・制度の中で同一な取扱いをするというところに、私は問題があると思っております。この点は、先ほど申し上げた自作農主義を農林省が掲げるならば、この自作農主義を維持し得るような税金の体系があってしかるべきではないか。たとえば相続税等でございます。都市のように動産が財産の主体であるところと、農村のように不動産が財産の主体であるところと比較をいたしますと、明らかに不動産部分に相続税が重くかかっております。このために、親父が死ぬと相続税を払うためにたんぼを売らなければならぬ、こういうような状態が現われてきておるのでありまして、こういう面から、農業関係の固定資産というものに対しては、他の商工業の場合と切り離して別途の考え方を持っていくべきで、この基準になるものは、今お話のように、その土地から上る収益性というものがどこまでも基準になるべきじゃないか。特に最近農地の再評価に当りまして時価相場というようなことを言われておりますが、これが非常に迷惑でございまして、鳥取県内の農地の移動を見ておりましても、都市近郊では一坪何万円というような土地が現われてきております。また、山間部のごく希少価値の高いところでは、一反当り三十万円というような価格も出てはおりますけれども、山間部等においては、収益性を無視した、農地に対する農民の特別な愛着というようなものが加わってきておるごく一部の現象であり、都市近郊の一坪当り何百円という価格は、これは他の商工業に転用するための別途収益性というものから見た価格である。そうすると、農業本来の収益性というものを離れた別の条件で表現されておる農地価格を、直ちにそれが時価であるという考え方で平均化されてくることは、明らかに農業に対して大きな圧迫となって作用するのではないだろうか。こういうふうな点で、農業財産については、特別に固定資産税、相続税のワクからはずして、いわゆる自作農保護政策的な税体系に改めるべきではないか、こういうふうに考えるのであります。
  46. 石田宥全

    石田(宥)委員 もう一点大久保参考人に伺いたいのであります。先ほどちょっと触れられたことでありますけれども、現在の農業所得に対しては標準課税方式をとっている。標準課税方式になりますと、所得税の対象農家というものはきわめて少く、富農層に限られて、その中から標準をとることになりますから、比較的小農経営と申しますが、そういうふうな農家にとって必ずしも妥当な標準が出てこないことは、これは何人も否定することのできない事実だと思うのであります。税務署側では、手続を簡素化すると申しますか、能率主義からこれをとられておるようでありますが、今度所得税法の改正で扶養控除の引き上げ等が行われますと、その対象農家の数がかなり減るのではないか。予約減税の廃止に伴って若干ふえる面もありますけれども、それほど大きな数ではないように思いますので、これはやはり個人々々にやることが適正妥当な課税の措置ではないかと考えられるのでありますが、その点についての御意見はいかがですか。
  47. 大久保毅一

    大久保参考人 課税の対象農家が若干減るということは考えられますが、その場合、問題は、やはりあの自然増収という考え方にあると思います。それで、標準を定める場合に有資格者標準をとっている。それから、さらに、所得率と耕地面積の水増しを見るとか、いろいろな手が最近打たれております。たとえば、岡山県等においては、イグサの面積を把握するために航空写真をとるとか、あの手この手で所得源をしぼり上げようとする。さらに、微所得に対しても最近は目をつけつつあります。こういう点で、所得源をなるべく多く拾い上げていくという努力が熱心に行われておりますので、そう額面通り課税対象農家が減るということは考えられません。  それから、課税対象農家が減れば標準課税制度をやめて実査をやったらどうかという御意見があります。ここで問題が出て参りますのは、実査ということになりますと、一戸々々の農家がそれを証明する帳簿なり証票を持っていないと、見込み課税をされるおそれがあります。それは標準課税の場合においても行われておったわけです。もう一つわれわれが心配いたしますのは、標準課税の場合は架空な理論的な線を引くために、その間に農業団体が一応意見を言うということが大蔵、農林両次官の見解で認められております。ところが、実査ということになりますと、その間に農業団体が介在することができなくなります。これを税理士の方にたよるといたしましても、先ほど申し上げたように、税理士側の方では、大体税務署側に立って発言をし、誘導いたしますので、われわれとしては絶対の信頼が置けない、こういう点で、実査に踏み切ることの方が農民にとって有利であるかどうか、この点についてもわれわれはいささかまだ疑問を持っておるわけであります。実査の場合においても農業団体の意見を徴することが十分に行えるような条件がつきますれば、実査をやられてもいいんじゃないか、こういうふうに私は考えております。
  48. 石田宥全

    石田(宥)委員 税金の問題でもう一点伺いたいのでありますが、先ほど田邊参考人からもお話がありましたように、昭和二十八年には法人四十万のうち中小企業者が九一%、大部分であるというお話があったわけであります。なお、どなたかの陳述の中に、金子部長は税というものは不均衡や不公平があってはならないということを放送されたという陳述もあったわけでありまして、私は税というものは当然かくあるべきものであると考えるのでありますが、しからば、今日の法人という法人格を備えたもののうちの大部分が中小企業に属しておるわけですが、一体、中小企業はどうであるか。われわれの承知しておる範囲におきましては、名前は法人でありましても、実態を洗い上げてみたならば、ほとんどその大部分がやはり個人所得ではないか。株式会社としておりましても、それは名義だけの株式会社が圧倒的に多い、親戚や友人から株の名義だけはもらっておるけれども、実は個人経営というのが圧倒的に多い。しかるに、農業法人がちょっと現われて参りますと、その芽をつもうとする。私は、農業法人というものが単に税金を軽減するためだということならば、これは税法の改正で事足りると思うのですけれども、先ほど近藤参考人田邊参考人が言われておりまするように、これは農業経営一つの時代の流れだ。そしてその芽ばえだ。その芽ばえを国税庁当局がつもうとしておるのではないか。そのためにせっかく出てきたところのこの法人所得というものを、あるいは農地法違反に名をかり、あるいは実態課税に名をかりてこの芽をつみ去ろうとすることは、まことに心なきわざと言わざるを得ないのでありまして、私どもは、少くとも他の中小企業の法人なるものについて果して実態課税の原則で臨んでいるか、先般御陳述がございましたように、その会計帳簿の検査あるいは取引先の検査等をあたかも検察当局が行うがごとき態度をもって臨んでおるかどうか、非常に疑問を持たざるを得ないのでありますが、これらの点について、果して公平な取扱いをしておるかどうか、これを現地におられる皆さんから一つ伺っておきたい。きょうは時間がございませんから、私どもは国税庁の当局やあるいは農林省当局に対する質疑は次の機会に行いますが、現地の皆さんのこれに対する率直な声をお聞きしておきたいと思うのであります。
  49. 大久保毅一

    大久保参考人 鳥取県下における中小企業の農業以外の法人に対して、昨年の十一月農業法人にやられたようなああいう過酷な調査があったという事実は全然ございません。ただ、弁護士等といろいろ研究してみまして問題があったのは、企業組合に若干そういった事例が、これは島根県で一回あったということでございますが、少くとも鳥取県内においては、他の中小企業に対してはそういう調査は一回もやらない。農業法人に対してやられたような、ああいう財布の底まで調べ、倉の中まで入り込んで書類を持ち出してくるというような調査が行われた事実は、聞いておりません。  もう一つ農家がこの問題に対していかに熱心に取り組んでいるかということは、先ほど申しましたように、一応、新聞面では、農林省も認めない、あるいは国税庁も認めない、そういう報道がなされておるにもかかわらず、なお農家から、どうして法人を作ればいいか、何とかしてこれをやりたいが方法を知らしてくれ、そういう非常に熱意のある手紙が毎日のように来ておる、こういう事実をわれわれはもっと認識したい。  それから、鳥取県内で実際に調査してみますと、ほんとうの意味の共同経営をやっておるグループか四つもできております。これは、酪農が一つと、シイタケが一つと、それからナシの共同経営一つ、カキの共同経営一つ、こういうふうに、だれも指導しないうちに、農民自身がそういう共同経営の道をどんどん開拓していっている。こういうことに対しては、われわれ農業団体の者はもちろん、農林省におかれても、もっと率直に農民実態というものに目を開いていただきたい。そうしてこれに対応する処置を早く講じていただかないと、農民のせっかくの努力がつぶされていく。たとえば、こういうふうに共同経営でやっていった利潤というものが、逆に個人課税で、努力しただけの分がごっそりとられてしまう、そういうような事例が出てくるわけでありますので、その点を一つよろしくお願いしたいと思います。
  50. 石田宥全

    石田(宥)委員 次に小西参考人に伺いますが、先ほど来、田邊参考人も、また近藤参考人も、農地法上の問題点についてはこれを拡大解釈すればある程度のものはいけるのではないか、こういう陳述がございまして、私どもも全くその通りであると実は考えておるのであります。農地局も、昨年は、法人化問題が起りました当時、いち早く農地法第三条の違反ではないかという意思表示をいたしましたために、それが国税庁に足がかりにされたようないきさつもあるわけでありますが、今日農地法の運営に当る行政上の措置を見ておりますと、どうもこの点は時代錯誤と言えばあまり大げさであるかもしれないけれども、たとえば未墾地の買収というような問題になりますと、農地局はなかなか消極的な態度をとっておる。一例を申し上げると、農地法の運営に当って疑義が起って、農民側からそれを訴願しておる。ところが、その訴願に対しては、これは故意にやっておるのかどうか明らかでありません、それは別の機会で政府当局に質疑を行いますが、解放すべき農地、または買収してある未墾地、売り渡すべき農地に対して、これを怠っておる。そうしてそれに疑義があって訴願等が起ってきた場合に、農地局では、すぐせんだってまでは全国の訴願の取扱いにたった一人の職員しか置かない。最近ようやく二人にしておる。これがため昭和二十七、八年ごろからの訴願業務が全く停滞をしておる。それがもし片づくとすれば、一つの判例のようなものでありまして、どんどんと前進できるにもかかわらず、そういう面はこれを極力抑圧をしておいて、そうして、こういう農業近代化の方向への芽ばえをつむような面でむしろ狭義の解釈をしてこれを抑制しようとするような態度がどうも感じられてならないのであります。こういう点について、特に香川県は農地の問題でいろいろ紛争を生じておるわけでありますが、農地行政の本省の運営の状況、ことに、先ほど問題になりました徳島勝浦農業委員会の決定に対する農林省の措置のごときは、私どもはとうてい許し得ない問題だと思うのであります。町の農業委員会がそれは妥当であるという決定をしたのに対して、農林省がそれを差しとめするというようなことは全く越権行為と言わざるを得ないのであります。そういう点についての農地法運営上の行政措置について、果して公平妥当な運営が行われておるかどかう、もし事例等がありまするならば一つあげて承わりたいと思うのであります。
  51. 小西数馬

    小西参考人 石田先生からの点について申し上げますが、未懇地の買収等の問題につきましては、これは最近ではございませんが、一年ほど前に、農林省からの通達だと思いますが、集団的に開墾をするというような場合でない限りはできるだけ避けたらどうだろうかというようなことが各県に通達が出ておるように承知をいたしておるわけでございます。もしそういう開拓地を買収いたしまして売り渡しをするというようなところがございましても、最近は所有者の方が非常に最近の農地補償その他の問題は関連をいたしまして強くなって参っておりまする関係上、訴願が必ず出て参るわけでございます。そういうことになりますと、県の当事者の方も、めんどうくさいから、できるだけそういうところは未墾地を買収しないように指導するというような傾向がございますことは事実でございます。  それから、訴願事務の渋滞の問題でございますが、香川県では、御承知のように、六千件に近い小作地の集団取り上げが出まして、それに対しましては香川県知事の行政処分でほとんど不許可にいたしたのでございますが、これに対しまして相当な訴願が地主側の方から農林大臣に対しまして出ておるわけでございます。ところが、この訴願を審査いたしまして早く農林大臣の方におきまして訴願を認めないという態度をとっていただくならば、香川県の小作地紛争ももう少し早く解決がついたと思うのでございます。ところが、いかなる理由か知りませんけれども、この出ましたところの訴願が、私の承知いたしております範囲内では、大半まだ農林省からうんともすんとも言うてきてないというところに私は問題があると思う。これらにつきまして、何やら中央の被買収農地調整委員会等の関連で地主側等に期待を持たせる、こういうような情勢にあるのではなかろうかというふうに承知をいたしておるわけでございます。  それから、勝浦町の再議の問題につきましては、前段申し上げた通りでございますので、私どもは、軽々しくそういうことをなさった場合には重大な事態に発展するのでなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
  52. 石田宥全

    石田(宥)委員 次に田邊参考人に伺いたいと思いますが、先ほど先生の陳述の中には、今の農家の自家労働に対する報酬は封建的な現物給与が大部分であって云々というお話がございました。私どもは常に考えるのでありますが、日本の憲法では家でなくて個人になったわけです。そこで、個人所得というものは、現物であろうと現金であろうと、一応やはりそれに対する給与は給与だ、こう考えておるわけです。それから、今の税法では、私はこのたびはあまりよく勉強しておらないのでございますが、一世帯の中におる者の給与というものは税法上これを経費に算入することは認められないという取扱いをしておる。こうなりますと、私は、その家また世帯というようなものは憲法上ないわけでありまして、今のこの税法上の取扱いというものは、個人を中心とする憲法に抵触するのではないかという疑いを持つのであります。その点について一つ見解をお聞かせ願えれば幸いだと思います。
  53. 田邊勝正

    田邊参考人 先ほども申しましたように、雇用労働の賃金と家族労働の賃金とが非常に違っておるけれども、やはり賃金というものは現物給与であろうか現金給与であろうがそれは違いはないのではないか、そういう立場から、これを税制上から申しますとそうあるべきはずなんでありますが、現在の税制の上から見ますと、やはり家族の賃金収入に当るべきものが経営者の収入として加算せられるというところに現在の欠陥があるのだ、しかも、その所得税に対しましては強いところの累進課税がかけられておる、もしもこれが各人に初めから賃金が予定せられておって、そうして賃金制度のように払うということになりますと、その家のすべての収入というものは、主人は幾ら、家族は幾ら、妹は幾らというようにちゃんとこれが分割をせられますから、そこへもってきて累進課税をする余地は現在の所得税法から言えばない、税金はほとんどゼロになる、ところがそれを経営者の収入とみなすという立場から税をかけているところに問題があるし、これがあるいは思想上から言えば憲法違反というような、憲法というか、民主化を害するというようなところまで及んでくるのではないか、こう私は実は考えておるのでありまして、要するに、法人化というものは、そいつを、おしきせ賃金から、先ほど言ったいわゆる個人的な賃金べースに引き返す一つの手段であるというように考えております。
  54. 石田宥全

    石田(宥)委員 この点について、実は、全国でもあまり例が多くないようでありますけれども、新潟県では、農家家族に対する月給制度というものを実施し始めた。これは非常な反響を呼んでおります。従来の農家の生活面の経理の面は非常にルーズであって、ことに、主人公がちょっと酒飲みでもありますと、その家計を非常に圧迫しているというような面があったわけでありますが、月給制度をやることによりまして、あらかじめその年の所得は全部これを貯金しておいて、その中から月給でこれを出してやる。一切消費面がきわめて計画的に行われるわけでありまして、浪費や乱費がなくなっておる。それから、実は、農家には、わけのわからない、いつのものやら、何がどうしたのかわからぬような負債が多いわけです。それを一応農協の窓口でキャッチしておりますから、債権債務の関係をきわめて明瞭にいたしまして、その貯金の中からこれを払い出しをする。かって田邊参考人などがおやりになりました農家の負債整理組合という問題がありましたが、ちょうどあのような形で、ある程度負債が整理をされていくという面にも相当大きなプラスをしておるようであります。それから、今までの状態では、一軒々々に生活程度や何かが非常にまちまちであるところに、生活感情かアンバランスになって、ここに共同化を妨げるようないろいろな面があったわけですが、部落内、村内に統一して一カ月何がしかの給与がすっと出てくるというと、非常にそこがバランスがとれてきて、生活感情がしっくりいって、ここに共同化的な考え方というものが相当に最近盛んになってきておるのでありまして、ことに、以上申し上げたような事情からいたしまして、婦人が非常に歓迎をする。近いうちに相当もう多数の農村がこれを実施するのではないかと考えるのでありますが、最近全国各地から新潟県のその実情を御調査に見えております。実は私の弟が県信連の貯金課長でその指導に当っておるわけでありますが、そこで、問題は、そういう消費面が非常に計画化され、非常に一歩先んじて近代化しておる。しかし、これだけでは私は片ちんばになると思うので、これに生産面の計画性と共同化の一つ方向づけが行われますると、ここに初めていわゆる近代的な農業というものへ発展できる素地ができるのではないかと考えておるわけでありますが、今のところではそれほど大きな評価はできないかもしれませんが、漸次やはりその方向に動きつつあるようであります。この問題について一つ田邊さんから忌憚のない御意見を承わっておきたいと思います。
  55. 田邊勝正

    田邊参考人 まことにおもしろいお話を承わりました。新聞等でそういううわさも私は実は聞いておったのであります。これは会社にしなくとも賃金制度というものに転換させ得る一つの動機であろうと思いますが、今言われたように、それならば各人が同じような賃金べースでこれがもらえるかということになりまするというと、家族労働経営における賃金というものは、その家族経営の規模、それから経営の内容、いろいろなものによって制限されますし、それに大きな経営もあれば小さな経営もあるし、下手な経営もありますれば、そこに収入というものが違って参ります。そういたしますと、日本のような農業経営というものは後計算になりますから、なかなか、同じ支出というか、金持ちの家族と貧乏人の家族とで同じように生活のレベルができるような賃金ベースを出し得るかというと、私は個人経営ではできないと思うのです。そこで、これを共同経営というもので経営しますと、それが全体的経営ということになりますと、今度は、賃金を払う場合には、あるいは重労働が幾ら、軽労働が幾ら、男は幾ら、女は幾ら、こういうふうにして支出せられますと、このときにおいて初めて同じ生活をなし得るような賃金というものが平等に出し得るというのでありますから、今言われたのはそれの前提であって、ほんとうの、今言ったような民主主義というものを確立するといいますか、家族生活を明朗にするためには、やはり共同化というものを持ってこないと徹底しないのではないか、こういう感じを持っております。
  56. 石田宥全

    石田(宥)委員 なるほど、生産の規模が違いますから、そこにアンバランスはあるのでありますが、新潟県で行なっております場合には、足りない分は農協で貸してやるのです。そうして、また、小経営の場合には、他に兼業などをやっております場合の所得をこれに合算をするというようなことで、そう大きなアンバランスがないように行なっておるのでありまして、私は、やはりこれも日本農業が前向きの姿勢になった一つのポイントとして考えていいのではないかと評価をしておるわけです。  それから、次に一点伺いたいのでありますが、大体きょうの各参考人意見が、期せずして、私どもが考えておりますような農業近代化、合理化への方向が正しいという御意見を明らかにされまして、いろいろ示唆を受けたのでありますが、先ほど近藤さんは、今の共同化の問題というものは、農地法の拡大解釈ということが一つ、それから、その形としては、これは農業協同組合的な考え方で、場合によったら農業協同組合法の一部改正のようなことでどうかというふうに受け取ったわけでありますが、この点について、田邊さんは、まあ営利法人的なものであってはならない、これはやはりお互いに出し合ってお互いに働くという、いわゆる協同精神を貫かなければならないというお話があったわけであります。特にここでお伺いしたいのは、私も、実は、農業協同組合というものを作られる際には、これはやはり生産共同化の方向つけがあの場合にあったと思うのです。しかし、生産共同ということは非常に困難でございまして、生産手段の共同は、農薬の共同散布にしろ、あるいは脱穀調製等にしても、一時相当に普及いたしましたが、これは農民の本質的な性格もありましょうし、また、農業経営自体が営利的なものでないというようなこともあったと思いますけれども、今日のような農業協同組合の運営というものは私は邪道だといつでも考えておるわけなんでありますが、そこで、その農業協同組合法の成立の過程において、それらの問題と農地法との関連等についていろいろ論議があったことであろうと思うのでありまして、ここに今日本農業前進への大きなエポツクをなそうとしておるときに当りまして、特にそれらの点について御意見を承わって、参考にいたしたいと考えるわけであります。
  57. 田邊勝正

    田邊参考人 農地改革をやりまする場合に、自作農の創設をするという、いわゆる小作農というものを今度は自作農にする、搾取形態を日本の土地制度からなくするというのが一点であったのでありますが、そのときに言われたことは、農地改革法とこの農業協同組合法というものは車の両輪のようなものである、一方において農地法で搾取形態をなくすれば、一方は生産を伸ばすようなそういう経営をなすのがいわゆる協同組合の精神でなければならないというところから、あすこに生産行為をなすことができるという規定か入ってきたように私は思うのであります。ところが、一方、農地法とこの二つを比べてみますると、おのずから協同組合が行い得るところの生産行為に制限が出てくるわけです。その限界は一体何かと申しますると、それは共同作業、共同施設というような、いわゆる農地に関係のない範囲内においてのみ許されておるのでありまして、ただ、農地法は、協同組合が蚕の飼育をやる場合ですか、そういう特別の場合のみに特別の規定を設けておるだけでありまして、要するに、協同組合全体としてやる場合におきましては、私はあまり完全なる共同経営というものはやれないようにあれがなっていると思うのであります。そういう観念は何かと申しますと、あの当時の考えは、結局、自作農というか、搾取形態をなくする、地主をなくするというのが非常な眼目でありまして、その将来において共同化というようなことは当時ではあまり考えられなかったというので、共同作業、共同設備というものを中心にしての生産行為というものがあるいはできるのではないか、その程度でいいのじゃないかという考えであれができたのじゃないかと、今から考えますと思われるのであります。
  58. 石田宥全

    石田(宥)委員 近藤参考人にちょっと伺いたいのでありますが、やはり、だんだんと生産共同の方向に今進まなければならないし、それが日本農業の前進だと考えるわけでありますが、現在の日本の農村の実情、農業実態から考えまして、町村単位の生産共同化というようなことにはかなり困難性があるのではないか。そこで、まあ生産協同組合法というか、どういう名称になるかは別といたしまして、少くとも従来行われたような生産手段の共同というこのワクからやはり一歩前進しまして、そうしてやはりその生産基盤までも入ったところの共同というものにならなければ、ほんとうの意味の共同はできないんじゃないか。そうなりますると、やはり少くとも部落ぐらいの範囲で共同化することがいいのではないかと僕らは今考えておるわけです。それから、同時に所有権まで全部これを共有にする、あるいはまたそれを法人の所有にするということについては、あるいは行う上において法的措置が行われたとしても若干無理があるのではないかという気がするわけです。しかし、幸いに、政府は借他借家権についてはこれを物権化すという法案をこの国会に出すようでありまして、これはやがて成立するだろうと思うのでありますが、私は、将来の法人というものを考えた場合に、所有権は必ずしもこれを共同にしなくとも、その使用収益権、すなわち耕作権というものを物権化して、耕作権というものの持ち寄りで、そこで一つの生産共同的な考え方でこれを組織していったらどんなものだろうかということを考えておるわけでありますが、それらの点について御意見を伺いたいと思います。
  59. 近藤康男

    近藤参考人 第一は、生産協同組合を行う場合の規模と申しますか、範囲、大きさの問題でありますが、御説の通りでありまして、町村、ことに合併した大きな町村を考えれば、とても町村区域で生産協同組合というものは考えられない。やはり、もっと小さなもので、今部落範囲とおっしゃいましたけれども、三十戸とか五十戸とかいう実際上の部落の大きさという場合が多いだろうと思うのです。しかし、部落ということになってしまうと私はいかがかと思うのであります。と申しますのは、この協同組合というものは、生産活動を共同ですればもちろんのこと、そうでない場合も、なるべくホモジニアス、同質的なものであればあるほど活動が活発にできるということだと思うのです。そうしますと、部落ではありますが、その中で、リンゴを作っておるならリンゴを熱心にやっておる、規模も相当やっている者が一緒になるとか、非常に小さなものは仲間に入れない、あるいは商業などをやっておる者は仲間に入れない、あるいは一つの山というものを単位にして、この山に関係した果樹園を持っているものが共同してスピード・スプレヤーを入れるとか、何かそういうようなことでありまして、つまり、行政区域としての部落じゃなくして、ほんとうにまず第一に経済的な点でなるべく均質なものということは、ことに生産活動を考えますと必要であろうと思うのです。たとえば、開拓の場合に共同経営をやっておるのがありますけれども、ああいうような場合であるとか、あるいは牧野を借りてそこに共同牧場を経営するというような場合があると思いますが、そういうような場合には、酪農なら酪農を一生懸命やろうという者だけが集まって、部落全部ではなくて、部落の中で酪農をやる者が——だから特殊農業と申しましょうか、そういう形がことに生産組合を考える場合には大切じゃないかと思うのです。  ちょっと横道でありますが、私は漁業協同組合につきまして、つまり、市場を経営するというような意味の漁業協同組合は、なるべく区域を大きくして、多くの船が入ってきて、設備をなるべく大ぜいで負担し、大ぜいで利用するという形がいいと思う。ところが、漁業権の所有という意味の漁業協同組合は、これはむしろ——昔は部落が大体持っておったのですが、もっと狭い範囲で持った方がいい。それから、漁業協同組合については、市場の経営をやっておるような漁業協同組合が同時に漁業権を持っておるのが現状であります。それを、むしろ、漁業権を持っておるものは漁夫の漁業協同組合を、市場を経営するあれとは離して別個に、市場を経営するようなものには漁業権を持たせない、それと分離した方がよいのじゃないか。むしろ漁業の魚市場を経営するのは、大きな船を持っておる者とか、加工業者であるとか、あるいは問屋であるとか、そういうのが事実上は、どういう形であろうと、それが利用することになりますから、それの組合経営で市場を経営する。それから、漁業権というものは、沿岸の零細な漁民が漁夫として労働者であり、また自営の漁業をやっておるという程度の、ほんとうのいわば労働力を再生産する、そういうような意味の者が別に漁業権を持つための漁業協同組合を考えたい。つまり、なるべく均質なものでできた方が、協同組合の活動は、流通過程などの場合にもそうでありますし、ことに生産のことを考えればそういう点が大切な点でありまして、農業の場合で言えば、三十戸とか五十戸とかいう程度の部落、せいぜいそのくらいで、具体的な必要ができて、そこでできた生産のための協同組合で初めてほんとうの活動ができるのではないかと思う。  第二点は所有権は、たとえば農地の所有権は必ずしも持たなくていいじゃないかとおっしゃいました。それはまさにその通りと思う。先ほどもお話がありましたけれども、実際にも賃借りという形でもってやっている。そして、その耕作権を共同経営体なり農業法人に与えればよいと思う。今問題になっておる法人が賃貸権を持つことを認めるということさえできますならば、必ずしも所有権にいかなくても十分できることでありまして、そういう形の方がむしろ自然的な形でないかと思われます。
  60. 石田宥全

    石田(宥)委員 ありがとうございました。大体私どもの大まかで考えておったようなことがいろいろな具体的な面でお話し願えて、大へん参考になったわけでありますが、各参考人に実は要望を申し上げておきたいと思います。それは、先ほど申し上げましたように、繰り返すようでありますが、今度の法人化の問題は日本農業の前進的な基地だとわれわれは判断をいたしておるわけであります。そこで、この問題には相当な抵抗のあることはやはり当然であると思うのでありまして、われわれが、戦前において、農地を大地主の所有にまかせておいて高い小作料を搾取することは国家的の見地から見てもあるいは農民全体の立場から見ても好ましい姿ではないということで、当時は所有権万能の民法のもとにおいて、法律上認められておらないところの耕作権を主張して、非常な弾圧と迫害の中を戦って参りましたが、今日ややわれわれの主張が通っておる。今日皆さんがおやりになっておるこの運動というものは、やはりそういう意味において日本農業を大きく前進させようという一つの大きな問題点であろうと思いますので、勇気を持って一つ推し進めていただきたい。また、学識経験者としての近藤参考人田邊参考人等は、別個の立場からこの運動を促進するようにいろいろな機会に助言なりあるいは御援助をいただきまするように、特に要望を申し上げて、私の質問を終るわけであります。
  61. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 廣瀬勝邦君。
  62. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 ただいままで参考人各位の御意見を聞かしていただいたのでございますが、本会議が迫っておるようで、あまり時間がありませんから、私、端的に課税面の取扱いについてだけ参考人方々にちょっとお伺いをし、おもに直税部長にお伺いします。  きょう配付になっておりますこの農業法人問題の資料、報告者中田長吉君のこれを見ましても、今日まで私たちが大蔵委員会並びに当委員会で追及してきました通り、相当にひどい課税上の取扱いをしておる。すなわち、当局によるところの個人申告への切りかえの慫慂、こういうようなことをやっておりますが、徳島の方にお伺いしますが、ここに出されておりますこの報告資料、これに書かれておりますことはうそは書かれまいと思うのですが、事実ですか。
  63. 中田長吉

    中田参考人 私は信念をもって誓わさせていただきます。
  64. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 それでは直税部長に伺います。だとしますと、税務署の役人が今日までの徴税指導上においてまた課税指導上において現地へ踏み込んでいって相当ひどいことをやっておられる。大体この事実は報告があって御承知だろうと思います。たとえば、個人のところに無断で入っていって、子供の本箱をひっくり返したり、あるいは炊事場へ入ったり、いろいろやっておる。こういうふうなことは普通認められるのですか。
  65. 金子一平

    ○金子説明員 今参考人の方からお出しになりました書類は、まだ私拝見しておりませんが、先ほど来の陳述を拝聴いたしまして、先般来の委員会におきましてもるる申し述べましたように、従来こまかい調査になれておられない方に対する調査としてははなはだショックを与えたのじゃないかというふうに感じておりますので、この点は、先般も申し上げましたように、今後十分注意をいたすようにいたしたいと思います。
  66. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 なれていない、そういうふうにおっしゃいますが、しかし、なれていないだけじゃありません。こういうものは大体おのずからきまっておる常識というものがございます。それをはるかに逸脱しておる、こうは思われませんか。
  67. 金子一平

    ○金子説明員 一言申し上げますが、なれておられないと申し上げましたのは、大体、柑橘でも水田でも、ただいま農家方々に対する課税は、先ほどもお話がございましたように、標準率の課税でやっておりまして、個々の農家に参りまして実際の調査をやることはほとんどいたしておりません。——特定の実額調査という課税の柱にする調査は別としまして。そういったような意味において、特に先般行いました調査実態がどうなっておるかというような調査をやりましたせいもございまして、大へん意外な調査を受けたという感じをお受けになったのだろうと思います。また実際私ども現地にはやかましく申しておるのでございまするが、第一線の者の中には、あるいはお話のようなことも、行き過ぎの感を受けるようなこともあったかと思うのでありますが、その点は今後も一つやかましく戒めて参りたい、かように存じておるわけであります。
  68. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 そういうふうな指示をされた税務署は、一体これは何によってされたのですか。調査、質問、捜索は、どの法令に基いてやられましたか。
  69. 金子一平

    ○金子説明員 所得税法調査なり質問の規定に基いてやったものと思います。
  70. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 所得税法の方でそれを適用されるとしたならば、六十三条ですね。六十三条ではそういう行き過ぎたことができるようになっていますか。私はなっていないと思うのですが、どうですか。
  71. 金子一平

    ○金子説明員 所得税法の質問、検査の場合には、もちろんこれは、この前も申し上げましたが、任意調査でございまして、相手方の同意を得て検査をする、あるいは調査をする、こういうことになるわけでございます。
  72. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 だとするなら、ここに書かれているような実態から、はるかにあなたの方がオーバーでやられておる。この点、どうなんですか。
  73. 金子一平

    ○金子説明員 ちょっと私まだ書類を拝見しておりませんので……。
  74. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 では、またあす引き続いて国税庁の方はやるらしいのですが、大筋を一回聞いておきます。何に基いたか知りませんが、この税理士に対するそういうふうな圧迫、そういうふうな徳島法人方々の世話をしてはいけないという要請が税務署からあった、税理士がそれを言ってきている、こういうふうなことは大へんなことだろうと思うのです。それのみではない。個人申告に切りかえたら有利な取扱いをしてやろう、こういうような利益誘導的なことをやっておる。こういうことは今の法律で許されておりますか。
  75. 金子一平

    ○金子説明員 今お話しのような点は、もちろんあってはいけないことでございます。また、事実そういうことがあったと私どもは考えていなかったような次第でございます。税理士を……。
  76. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 考えていなかったらそれでいいのですが、報告は来ていませんか。
  77. 金子一平

    ○金子説明員 私どもが受けました報告では、今お話しのような事実はないという報告を受けておる次第であります。
  78. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 それでは、至急に現地からそういうようなこれについての報告をとって、これを本委員会に提出して下さい。  それとともに、再調査を請求しておりますが、これはされましたね。中田さん、再調査請求をされたでしょう。
  79. 中田長吉

    中田参考人 昭和三十三年七月十日に更正決定に対する再調査請求は出しております。
  80. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 それは高松国税協議団の方へその請求をしておられる。これについて徳島税務署並びに高松国税局長の名前で返答が来ておりますが、その内容は中央の方へ報告がございましたか。
  81. 金子一平

    ○金子説明員 報告ございました。
  82. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 その内容はどうですか。読んで下さい。
  83. 金子一平

    ○金子説明員 ただいま持って参っておりません。かくかくしかじかの事情でこういう結論を出したい、いかがかという伺いであったように思います。
  84. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 きょう農業法人の問題がここでやられるというのに、肝心かなめのあなたの方はそういうふうなものを持ってこられない。そういうふうな認識だからこそ、こういうふうな問題が起ってきている。持ってこないでよろしい。私が読みます。結局、あなたの方の申請却下の理由としては、農地法に抵触しておるということです。徳島税務署の方ですが、「有限会社紅園との請負契約は農地法第三条第一項の許可を要するものと解されますが同項の許可を受けていませんので、同契約は同条第四項の規定により効力を生じないものであります。なお果樹園の肥培管理の実態をみても従来のそれと異るところがあるとはみとめられません。」、これが骨子なんです。国税局の方から来ているのも大体それと同じ骨子でございます。だとするなら、三月十一日統一見解を出されましたが、この統一見解の内容はまだお忘れになっていないと思います。その骨子は何ですか。持っておられたらその第三項を読んで下さい。
  85. 金子一平

    ○金子説明員 三項を読み上げます。「しかし、いわゆる農業法人に関しては、農地法第三条により農地を使用収益する権利を設定する場合等には知事又は農業委員会許可を受けなければならず、許可を受けないでした行為は効力を生じないこととなっており、その許可がない場合には、法律上は、依然として農地の所有者たる個人がこれを使用収益する権利を有しているものと解されている。もっとも法律上効力を生じない行為であっても、その行為に因り実質的に所得を享受する者がある場合には、税法上その者の所得に対して課税すべきであるが、いわゆる農業法人が農地の所有者たる個人の同族的な法人であり、法人設立の形態をとった後にも個人時代と農業経営実態が変らないような場合には、所得税法農業経営から生ずる所得個人に帰属するものと認めてこれに対して所得税を課することが相当と考えられる。」、以上であります。
  86. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 国税当局は、今読まれました中に出ております農業経営実態、これはどういうふうに定義しておられますか。
  87. 金子一平

    ○金子説明員 非常にむずかしい問題でございますが、これは、前回の当委員会でも申しましたように、結局個人時代と全然経営が変っているか変っていないかというような全般的ないろいろな条件を見て結論的には判断を下さざるを得ないというふうに考えている次第でございます。
  88. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 個人時代と違う、それは具体的にはどういう点なんですか。
  89. 金子一平

    ○金子説明員 たとえて申しますと、米作の農家でございまして、米の供出名義も従来通り個人だ、あるいは預貯金の名義も従来通り個人だ、あるいはまた取引も従来通り個人名義で行われておるというような場合には、一応それは個人時代と実態が変っていないというふうに私どもは考えていいのじゃないかというふうに考えております。
  90. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 先ほど私が読み上げました徳島税務署長並びに高松国税局長の新紅園に対しての再調査請求に対する棄却通知書、この中に出ております肥培管理ということは、一体どういうふうに思っておられますか。
  91. 金子一平

    ○金子説明員 これは、当時勝浦町の方の実際の契約で、昨年のたしか三月でございましたか四月でございましたか、当委員会におきましても読み上げられまして記録に残っておるのでございますが、肥やしをやって果物を育てるという契約を農家個人法人とがしておられるわけでございます。その請負契約の内容をそこに書いたわけでございます。
  92. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 実質的な肥培管理は法人がやるのと個人がやるのとどう違いましょうか。どう判断されますか。
  93. 金子一平

    ○金子説明員 これは、実際問題として法人がやっても個人がやっても肥培管理は同じだ、その実際の行為自体は同じと見られるかもしれません。ただ、私どもの申しております、そこで言っておりますことは、先ほど申しましたように、その方の全般をながめてみまして、やはり従来通り経営の状況だから個人課税をするのが相当だという、実質課税の点を最後にうたっておる次第でございます。
  94. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 そういうふうな、結局突き詰めたら何だかわからないというところか国税局態度なんです。だから、先ほど来みな足鹿委員石田委員も申されておる通り農業法人を育ててやろう、この法人を一般中小企業、商工業並みのああいうふうな法人と同等に取り扱っていこう、こういう気持が結局国税庁にない、ここに尽きると思います。しかも、それのみならず、国税庁の方で一つの反論としてあげられる所得個人帰属、こういうふうな面から見ましても、現実に今法人として扱っておられる八百屋さんの法人とかあるいは魚屋さんの法人とか、こういうふうなところの所得というものは、これは個人に帰属していないのでしょう。そういう点を考えましたら、これは不公平です。これは、単なる徴税の面からだけ見ましても、税制の公平という点からだけ見ましても、すでに今日この統一見解が発表されて、農地法許可を受けていない場合であってもそれが一応設立登記されている場合にはという工合にして、一歩初めよりも国税庁態度は後退されておるのです。だとすれば、あとの問題は、その所得個人帰属あるいは実態がどうなっておるかという二つにしぼられると思います。そうすると、実態の面からいきますと、この肥培管理を聞きましても、これは法人がやったって個人がやったって同じことだ。所得の方の帰属を見ましても、これは八百屋法人、魚屋法人と比較して考えたら、これまた同じ。結局国税庁の反論の基礎はなくなってしまう。事態はここまできておるのであります。これについてどう思われますか。
  95. 金子一平

    ○金子説明員 お答え申し上げますが、ただいまのような肥培管理の事実行為自体は別にいたしまして、やはり、私どもといたしましては、実際が従来通り経営の格好になっておるという場合におきまして、個人との課税の公平という点から考えますると、やはりこれに課税するのが至当だということで、所得税法で申しますると三条の二という規定があるわけでございます。普通の法人の場合でございますると、法律上の所得の帰属者と実質上の帰属者が一体となっておるのが普通の状態でありまするので、そこには従来からあまりやかましく言っていない場合が普通でございます。ただ、特殊なものにつきましては、先ほども参考人方々からお話がございましたように、やはり実質課税ということで課税をしておる場合もございます。企業組合につきましても、あるいは一般の方につきましてもないわけではないのでございまするが、今問題になっております勝浦町の方につきましては、当時調べましたものの報告によりますると、やはり取引の実際等は個人時代と変っていないということで個人課税の判断を下したわけであります。ただ、お話のような問題もございまするので、その課税の実施に当りましては、私どもは十分慎重にやっていかなければならないというふうに考えております。
  96. 廣瀬勝邦

    ○廣瀬(勝)委員 慎重にやっていかなければならないと考えております、こういうふうに明言されました。その言葉を私は覚えておきます。繰り返すようですが、八百屋法人、魚屋法人についてはそんなにシビアな取扱いはやっていない。しかるに、この農業法人だけについては目のかたきにしてこれをつぶそうとしてかかっておる。こういう根本的な態度国税庁が改めない限り、ここで幾ら皆さんが努力されても、これは生きては参りません。私たちは、とりあえずの処置としまして、この国会に一つできたら法案を出したい、かように考えております。国税当局の方も、よくこの農業法人実態、しかも農業自体が日本経済の中に置かれている今の立場、これを十分御認識いただいて、この法人をつぶす方向ではなしに、育てていくというあたたかい方向指導してやっていただきたい。これについてもう一度直税部長の御所見を承わって私の質問を終ります。
  97. 金子一平

    ○金子説明員 先般も申しましたように、一律に全部個人課税だというようなことで全国をやっていこうというわけではございませんので、やはり、個々の農業法人の経理につきましてその実際を慎重に調べまして、法人課税すべきか個人課税すべきか、判断に誤まりのないようにやっていきたいというふうなに考えておりますので、御了承いただきます。
  98. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 関連質問の申し出がございます。高石幸三郎君。
  99. 高石幸三郎

    ○高石委員 ただいまの廣瀬委員の御質問に関連いたしまして、時間もありませんからごく簡単に中田参考人にお伺いいたします。  中田さんの方はたびたび高松国税局徳島税務署からお調べを受けたようでありますが、その態度なりやり方については先刻来たびたび承わっておるのですが、調べられた内容はどういうことを調べられたか、一つ承わりたいと存じます。
  100. 中田長吉

    中田参考人 調査の内容につきましては、お手元にお配りさしていただいております書面の通りでございます。これは私だけの場合でございますので、今後、帰りましたら、できますばれその他の事例についていろいろと調査しまして報告さしていただきたいと思うのですが、現在のところ、私のところにおいて調査されましたことについては、大体その書面で書き表わしてあるつもりなのでございますが。……
  101. 高石幸三郎

    ○高石委員 それでは、お尋ねいたしますが、あなたの会社昭和三十二年五月十六日設立登記を完了されて、三十二年八月十日に青色申告を出されて、八月三十日に承認された、これはそうですね。
  102. 中田長吉

    中田参考人 その通りでございます。
  103. 高石幸三郎

    ○高石委員 そうしますと、そのとき出された総勘定元帳、現金出納帳、入金出金伝票あるいは振替伝票、各種証憑書類、その後全部この通り会社経理をなさっておりますか。
  104. 中田長吉

    中田参考人 今高石先生から御指摘のありました通り、私の経営さしていただいております有限会社紅園におきましては、依然として、設立当時と同じように、現金出納帳、入金出金伝票、総勘定元帳、振替伝票、各種証憑書類、会社そのままの姿で経営さしていただいております。
  105. 高石幸三郎

    ○高石委員 そうしますと、くどいようですが、会社の収入は会社の収入、会社の支出は会社の支出、それから社員個人の支払いは支払い、そういうものはきちんとしてありますか。今直税部長は、あなた方の会社は全部個人と同じだ、預金通帳も会社の収支計算も個人と同じだということで、あなたも聞いたでしょう。それでお聞きするのですが、それはどうですか。
  106. 中田長吉

    中田参考人 高石先生から御質問になりましたことについては、私といたしましては、預貯金その他の口座も、われわれ、横瀬農業協同組合に置かしていただいて、そこから給与の支払いも画然といたしており、そうして、その支払った給与は各個人自分の口座へ振り込んで、そうして保管しており、また、その五〇%を生活費として充てておる。そうして、ミカンの出荷組合の伝票も有限会社紅園のものになっております。もちろん貯金口座もその通りになっております。ただし、領収書においては、われわれの方といたしましては会社にもらったつもりでございますが、先方におかれては個人に渡されたというような方も税務署調査のときに言われた方があるとは聞いておりますが、その程度でございます。
  107. 高石幸三郎

    ○高石委員 その当時、国税局員なり税務署員はそれに対してどう言っておりましたか。
  108. 中田長吉

    中田参考人 そのことについては、私としてははっきりしたお答えは聞いておらぬのでありますが、風の便りに聞くところによりますと、有限会社紅園帳簿は、大てい百姓帳簿であればこれは普通大幅帳ないしは御通程度のものであって、気やすい気持で調べにかかったところが、あまりにも画然とできておったためにあぜんとしたというようなことも聞いております。私どもとしては、そういうふうな不正なことまでして税金を安くしていただいたり、そういうような考えは全然持っておりません。正々堂々とどこまでも戦えるような体制を整えてやらしていただいております。
  109. 高石幸三郎

    ○高石委員 そうすると、青色申告の出た昭和三十二年八月三十日ごろは、別に法人について云々はなかったのですね。法人について云々のあったのはいつですか。
  110. 中田長吉

    中田参考人 この書面の二ページでございますが、「昭和三十二年十一月七日勝浦町役場において有限会社農業法人について……」、以下に書いてございます通りでございます。これから端を発しております。
  111. 高石幸三郎

    ○高石委員 今の廣瀬委員と直税部長の話を聞いていましたね。そうすると、われわれも再三にわたって国税庁から聞くところによると、みなあなた方の経理は個人と同じだということをはっきり言っておるのです。それでないことを確言いたしますね。
  112. 中田長吉

    中田参考人 はい、確言できます。
  113. 高石幸三郎

    ○高石委員 それでは、その次に、米澤さんの場合はどうですか。
  114. 米澤豊幸

    米澤参考人 記張面は中田さんと同様であります。私の会社そのものは、さっきお話しした通り、賃貸借をやっておる関係で、私は純粋の農業法人形態に入っておると思っております。しかし、私の所得というものは、この農業法人を作る前の税金が、ミカンの豊年時には二万円程度かかっており、ミカンの不作の年は全然税金がかかっておらないという始末でございました。私がやっておることは、現在の農家として規模を大きくするため農業法人経営する、ガラス張りの記帳という問題で私はやっております。今までは税務署としては私には無理な要求はないわけでございます。
  115. 高石幸三郎

    ○高石委員 それでは、お二人同時にお聞きいたしますが、先ほど来廣瀬さんと部長との問答がありました通り、あなた方の経営実態法人経営になっておるが個人経営と同じだ、こういうふうにたびたび言われるのですが、この点はどうですか。
  116. 米澤豊幸

    米澤参考人 その点は、私たちから考えるとはなはだ遺憾であります。われわれが記帳ができて、そうして何ら記帳が誤まっておらぬとすれば、当然われわれを認めていくというのが、大蔵とし税務署としての責任でないかと思います。その点、今まで税務署からわれわれの記帳に対して一口もくちばしをいれておらぬはずです。
  117. 中田長吉

    中田参考人 私の経営しておる有限会社紅園におきましては、私の確信いたしておる範囲内においては、絶対そういうふうな公私の別を混同したりというふうなことはないと確信を抱いておるわけでございますが、これはいずれ行政訴訟という段階においてはっきりするものと確信いたしております。
  118. 高石幸三郎

    ○高石委員 それはちょっと私の質問の仕方が悪かったと思うのですが、要するに、経営の仕方が個人時代と法人になってからと同じか、全く違うか、こういうことです。
  119. 中田長吉

    中田参考人 私の園におきましては、法人化いたしましてから分担制を実施いたしております。たとえて申しますと、社長が総務部を全部やっております。私は薬剤散布、施肥の方をやっております。取締役は貯蔵の方を責任を持ってやっております。監査役は剪定、整枝を責任を持ってやっております。そういうふうな分担制を実施して今まで経営してきたわけですが、やはり、私ども百姓といいますものは、天地の恵みによってできておるものでありまして、葉に肥をやったり根に消毒したりする以外は自然の秩序に伴わなければならぬ。従いまして、今までと同じやり方でやっております。しかし、変ったところが一つあります。それは、その表にございます通り、品質においてもずっとよくなっております。それから、収量においても法人化しない前の七割ほど増加いたしております。そして、今皆さんに園を見ていただけたら一目瞭然とすると思うのでございますが、幅二・五メートルの農道も今着々できつつあります。それから、貯蔵庫の補修も現在やりつつありまして、園としては、今まで荒廃園とまではいきませんが、普通一般の園でございましたが、現在の園ですと、皆さんが毎日のごとく視察に来られても、私は何ら恥かしいとは思っておりません。もう一年くらい法人経営をさせていただいて合理的にやらしていただくと、きっと将来は最高の収量を上げるだけの状態になるのじゃないかと確信いたしておる次第であります。
  120. 高石幸三郎

    ○高石委員 最後に大久保さんにちょっとお伺いいたします。確かに個人農業所得課税は外形標準課税の形を全部とってきておる。先ほど、実態論もあったようですが、取引の方法であるとかあるいは取引先の関係であるとか帳簿が不備とかいうことだけで見るということに対して疑問を持っておるということで、ごもっともな疑問だと思うのです。しからば、大久保さんの場合、一体、あなたの言う農家実態調査というものは、どういう期待を持っておるか、どういう点を調べてもらいたいと思いますか。
  121. 大久保毅一

    大久保参考人 私が最初に申し上げたように、今鳥取県で問題にしておりますのは、農地法との関係がまだほんとうに釈然としないという点、それから、第二点は、実態の認定という点にかかっております。法人になったという実態は、先ほど直税部長が言われました供出名義であるとか預貯金名義であるとか取引名義であるとかいうものは付随的なものであって、農業法人実態ではないと私は考えます。農業法人実態というものは、肥培管理等の担当者が法人の経理あるいは労務契約によって働いておるということによって変ってくる、その労働に対して正当に労働賃金が払われておる、そのことで私は立証し得るのではないかと思います。  なお、今鳥取県で言われておりますが、自家用蔬菜に対して一日五円平均で払われておるのがおかしいということが言われておりますが、そういう経理面の若干の過失があるならば、これは税務署側で更正決定を行われてしかるべきではないか。従って、農業法人というものに対しては、ほかの法人と同等の立場で見てどうこうする判断ではなくして、頭から否定する判断によってあげ足とりをやっておる、こういうふうにわれわれは見ておる。それをわれわれが反駁する場合には裁判以外に方法がない。そういうところにわれわれが苦しんでおる点があるわけです。
  122. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 中澤君。
  123. 中澤茂一

    ○中澤委員 要望事項ですが、とかく末端の税務署員というものは非常に不当なことを平然とやる場合かあるのです。これは、さっき近藤先生がおっしゃった長野県で、実は私は先生かおいでになった長野なんですが、リンゴ課税の問題で二年間税務署並びに関東国税局と戦ったのです。その結果、ようやく、われわれが納得する税金でなければ承服しない、こういうことで、検見の立ち会いを全部やっておるところに現在税金の妥当性が確保できたと私は信じておる。そこで、そういう不当調査事項に対しては、特に農業会議の事務局長さんがお二人おいでになりますから、今度の法人調査についての問題は徹底的に調査してもらいたい。もしそういう事項があったら全部当委員会委員長あてに報告書を送ってもらいたい。もし不当税務署員の名前がわかったら、調べて御報告願いたい。われわれは証人として喚問いたしますから。それで、あとは明日国税庁長官等においで願って本問題を徹底的に追及することになっておりますから、本日は私はその要望だけを申し上げておく次第であります。
  124. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 五十嵐君。
  125. 五十嵐吉藏

    ○五十嵐委員 田邊さんにちょっとお伺いしたいのですが、先ほど来からのあなたの農業法人に対する御意見に私は大体同感であります。従いまして、傾聴をいたしました。ただ、最後に非常にあなたが重大な御発言をなさっておりますので、その点についてお尋ねしたいと思うのですが、それは、資本主義国家のもとにおいては農業政策というものは、限界がある、こういうお話があったわけです。そこで、この点はどういう内容を意味しておるのか一つ御説明を願いたいと思います。
  126. 田邊勝正

    田邊参考人 これにはいろいろ問題があろうと思いますが、まず第一に私は価格政策の点から申したいと思うのでありますが、日本の農業経営におきまして、日本の農民所得を増すためには、できたものをできるだけ高く売って、そうしてその生産費をできるだけ少くする、こういうことが根本でなければならぬと思うのであります。ところが、日本のような、一方において高度な資本主義というものが発達しております陰に、きわめて非資本主義的な農業経営というものが相対立しておる場合に、この関係は一体どうなるのだということを考えますると、私は、資本主義というものが高度に発達して参りまして、しかも自由競争というものが前提として行われる以上は、企業というものがいつも利潤追求の資本主義の形態であるにもかかわらず、その利潤というものが漸次少くなってくるという、いわゆる資本主義自体の矛盾がそこに現われてくると思うのであります。しからばそれに対していかなる対策を資本主義がとるべきかと申しますれば、それはいわゆる生産費というものをできるだけ少くするという方向に進まなければならぬ。そのうちで最も大きなものは何かといえば、これはいわゆる労働賃金であろうと思うのであります。そうしますと、その生産費を少くするためには、所要労働量をできるだけ少くする。これは現在ではいわゆるオートメーションの形になってずいぶん出てきております。第二の問題は、現在の賃金の上昇をいかにして防止するかということであろうと思います。賃金の上昇を防止するためには、それらの生活費をできるだけ合理的に少くしていくということでなければ、憲法でもって労働基準法というものがある現在におきましてはむやみに労賃というものを下げることはできないのでありますから、どうしても食糧費というものを下げなければならぬ。食糧費を下げるためには、農産物の価格、特に食糧の価格というものをある程度制限をする。少くとも高いことを好まないという大きな資本主義の圧迫がこの農産物の価格に対してあり得ると私は思います。それと同時に、一方において、資本主義と非資本主義の農業形態が相対立している場合におきましては、農家というものは、労働賃金でありませんから、圧迫すればするほど生活を切り下げることによってその原則というものを是認するという一つの経済学的な原則がその間に進出しておるということが一点であります。  その上、もう一つこれを押えるのは何かというと、安い外米がだんだん日本に対しまして進出してくるということであります。皆さんも御承知の通り、世界の食糧というものは、アメリカにしろ、あるいは豪洲にしろ、非常な増産でありまして、それをできるだけこっちへ輸入する、あるいは見返り物資としてどんどん輸入されるというのが現在もとられておる政策である。この点についての御論議はここであろうと思いますけれども、私は非常に重大な経営の問題だと思うのであります。しかも、外国のいろいろな穀物は、日本と比べますと、大体少くとも二、三割ぐらいは外国の方が安くなっておる。そういう場合に、日本の資本家がどういうような政策をとるかと申しますれば、外国の安いものがあるのに日本の高い米をわざわざ食う必要はないじゃないか、こういう議論がどうしても出てくると私は思うのであります。  そういうことを考えまする場合に、この資本主義という形態のもとにおいての農産物の価格というものには一定の限度があると私は思います。現在、一万円米価ということで、生産費、補償方式とか所得補償方式ということを唱えますけれども、事実において今それができるかできぬかということを考えれば、みんな常識で判断ができると思うのであります。そういたしますれば、これは生産費というものを下げて農業所得を増すより仕方がないのです。その一つの逃げ道といいますか、発展過程としていわゆる新しい技術を取り入れる農業共同化という世論が起ってくる、私はこう思うのであります。  それから、第二の点の、資本主義下における農業政策の行き詰まりというものは、いかに助成政策をおやりになっても、私有制度の今日の原則におきましておやりになることは、必ずや富農政策にならざるを得ない。貧農にはどうしたって潤いか少いということにならざるを得ないのであります。それはもう理屈ではないので、そういうふうになる。現在の税金を見ましたところで、割合にいたしますと、小農が非常に高い税金を負担しておる。金を借りるといっても、現在のところではやはり担保をつけなければなりません。そういう担保ということになりますと、土地を持っておる相当の富農でなければ多くの金が借りられぬということになって参ります。この前の供出制度におきましても、反別供出をやりまして、貧農に非常に多く負担を負わせたということは皆さん御承知の通りであります。現在農業政策が三割農政と言われておるのでありますが、その責任は一体どこにあるかということを考えてみますと、これは皆さんの責任でなくして、いわゆる日本の資本主義そのものの来たるべきところのそういう法則であると私は考えるのであります。現在農林省がやられておるところの農業基本調査というものを考えてみますと、これは二十五年から三十年の間において日本の農家戸数というものは大体十六万五千戸の没落を示しております。これを階級別に見るとどうかと申しますと、五反歩以上のものは大体三万五千戸の増加をしておりますことを考えますと、五反歩以下の農家というものは驚くなかれ二十万戸の農家が没落しつつあるということであります。しかも、現在におきましては、兼業農家というものが、その当時におきましては四割五分であったものが、今は六割五分の多くを占めておるという状態を考えてみまする場合に、資本主義制度下における農業政策というものは、やはり貧農政策というものを考えなければならない。先ほど問題になりましたが、農地法におきまして三反歩以下のものは農家にあらずということも私は一つの現われだと思うのであります。だから、いわゆる物の政策から人間の政策に変える、こういう意味における政策のあり方が、貧農を中心にしたところの共同経営式の一つの方式に変っていく、これはいわゆる資本主義下における農業政策でできないことを共同化というものがこれをなし得るところに、共同化、新しい農業の近代化というものの妙味があるのだ、こういうことを考えておるから、日本の一般の学者その他が双手をあげて歓迎するのである、こういう意味で私は申したのです。  その他いろいろ理屈はありますけれども、時間がありませんから申しませせんがそういうことなんです。
  127. 五十嵐吉藏

    ○五十嵐委員 そうすると、あなたは社会主義社会のもとにおいては農政は前進するという考えですか。
  128. 田邊勝正

    田邊参考人 私は、社会主義社会の原理というものは一体何かと申しますと、要するに、一企業形態の一つの組織であると思う。一企業形態の組織になりますと、人間、分配というものは平等にしなければなりませんから、農業が自然的の生産形態において非常に不幸になれば、利益のある方の分配というものを回し得る。これは具体的にいろいろ制度がありますけれども、そういうことによってある程度の目的を達し得ると思うのであります。資本主義制度のもとにおいては、自由競争でありますから、それができない。だが、資本主義制度というものは否認するんじゃないのです。一方において資本主義制度というものはいいところもある。そのいいところを伸ばすためには、その欠陥を補わなければならぬじゃないか、欠陥を補う道は何かというと、今言ったような道よりほかにないじゃないかというのが私の議論であります。
  129. 五十嵐吉藏

    ○五十嵐委員 私とどうも若干考えを異にするのであります。(「やぶへびだ」と呼ぶ者あり)やぶへびじゃない、社会主義社会がほんとうに農政の前進のためになるということならば、当然私も大いに考えなければならぬことになります。そこで、例をあげられました、農産物の価格支持政策というものは資本主義社会においては非常にむずかしいということを今おっしゃいましたが、それは今の日本の資本主義下における現実というものはあるいはそうかもしれません。しかし、現実がそうだからといって、資本主義のもとにおいては農政の前進はできないということはちょっと了解に苦しむわけであります。これは政策が悪いのだ。政策さえよろしければできる。農民にしわ寄せがあってはならぬはずです。そこで、私たちは、自由主義社会のもとにおいて農政の前進をやればいいのだという考えのもとにやっておるわけなのであります。資本主義社会においてはどうしても貧農政策というものが成り立たぬ、だからたとえば全国平均下限三反歩以下の家には土地を持たせない、こういうことがあります。だからこそ今こうして議論をしておるので、ほんとうにこの農地法というものを検討してみまして、これが確かに貧農政策をやる上においてじゃまになるということであれば、私はこんな法律は片づけていいと思うのです。ですから、こういうような農業法人というものを作って、これを育成して一つの突破口として農政を前進させるのだ、こういうことならば、あなたの御議論のように、大いに農業法人というものをやって、そうして貧農政策もやろう、生産性も高めていこうということが、やればできるでしょう。それは社会主義社会でなくてもりっぱにできるのです。そこで、ここであなたと議論をしてもしようがないが、今の日本の資本主義下におけるところの農業政策というものが前進しているとは私は決して思わない。年々歳々後退をしていると思うのです。それは資本主義が悪いのではない。政策が悪いのだ、私はそう思う。この政策というものがやり得ないということはないと思うのです。従いまして、観点が違いますけれども、私は、農政の前進に限界があるという議論はちょっとおかしいと思う。了解ができない。しかし、この辺にいたしておきます。
  130. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 五十嵐君も本名君も、時間の関係がありますから、その程度にお願いをいたします。  参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。参考人各位には長時間にわたり貴重なる御意見を承わり、本委員会調査に御協力をいただきまして、まことにありがとう存じました。厚く御礼を申し上げる次第であります。  ただいま調査中の農業法人問題について、足鹿覺君より発言の申し出があります。この際これを許します。足鹿覺君。
  131. 足鹿覺

    足鹿委員 農業法人に関する点につきまして決議をするの動議を提出いたします。この動議は、日本社会党、自由民主党、両党の共同提案にかかるものであります。  案文を朗読いたします。    農業法人に関する件(案)   わが国の農業は、農業外部からの諸影響と内部自身のもつ悪条件の累積等のため、その相対的所得水準は農地改革後も依然として劣悪な低位に置かれている。   この現状を速かに是正する方途を講ずることは、農業政策上はもちろん国民経済上からも極めて緊要である。   農業法人問題は、現行税制に対する農家の自衛措置として提起せられた面も認められるが、基本的には農地法の隘路である零細農転落を防止し、経営の近代的合理化と農業生産性の向上を図らんとする農家自らの創意と努力の現れであることもまた明らかである。   よって政府は、この際、農業法人問題に関し左記の措置を講ずべきである。     記  一、すみやかに農業法人制度の法的措置を講じ、これが育成を期すること。    この場合、農地法およびこれに基く農業関係諸法律の原則を変更することなく、農民の創意を助長し、農業生産の共同化等農業経営の近代的合理化を促進し得るよう考慮すること。  二、すみやかに農家家族労働報酬を経費として算入するよう税制改正の措置を検討すること。  三、右の措置の実現をみるまでは、農業法人に対しては、実質課税の原則によるも、不当に農業法人を抑圧するが如きことのないよう取扱上特に慎重を期すること。  右決議する。   昭和三十四年三月二十七日       衆議院農林水産委員会
  132. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 お諮りいたします。ただいま足鹿覺君より提出されました自由民主党並びに日本社会党共同提案にかかる農業法人に関する件を本委員会の決議とするに賛成の諸君の御起立を求めます。     〔総員起立〕
  133. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 起立総員。よって、そのように決しました。  次に、ただいまの決議に対し政府当局の所見を求めます。石坂農林政務次官
  134. 石坂繁

    ○石坂政府委員 ただいま全会一致をもって御可決になりました決議は、その影響するところは日本農業の基本的問題にも関係のあることでございまして、きわめて重大な問題だと存じます。従いまして、政府といたしましては、御決議の趣旨をかんがみながら、十分慎重に検討を進めて参りたいと思います。
  135. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 なお、お諮りいたします。本決議の関係当局への参考送付等の手続につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  136. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 御異議なしと認め、そのように決定いたしました。     —————————————
  137. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 この際お諮りしておきます。本日まで本委員会設置になりました三つの小委員会の小委員及び小委員長の辞任及びその補充選任、小委員会において参考人の出頭を求める場合の人選、日時等及び関係方面からの資料要求等の手続につきましては、委員長において適宜善処いたしますことに御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  138. 吉川久衛

    吉川(久)委員長代理 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。  次会は来たる四月一日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後六時五十八分散会