○淡谷
委員 ただいま提案されました
防衛庁設置法の一部を改正する
法律案及び
自衛隊法の一部を改正する
法律案につきまして、
日本社会党を代表して反対の討論を行うものであります。
防衛は大へん大事なことでございますが、もしこの
防衛を、大事なことだけに方向を誤まったり、見通しを誤まったりいたしますると、これは
防衛どころかとんでもない
事態を招くことは、すでにもう大東亜戦争と称するものによって十分おわかりのことだろうと思うのであります。ただ
防衛は国を愛するとか、そういうふうになるだろうとかいった気分や感傷だけでははやれるものではない。もっと冷静に的確に情勢を判断して誤まりなきを期さなければ、全く取り返しのつかないことになると思うのであります。しかるにわが国の
防衛方針というものは、まことに根本的な理念において危なっかしいものがある。すでに今日の世界の軍事的な技術の発達、科学の発達というものは、失礼でございまするが、旧軍人的頭脳をもってしてはとうてい解決がつかないような飛躍的な発展を遂げております。
防衛庁の立てております
防衛三カ年計画、これは昨年岸
総理大臣がアイゼンハワー大統領と共同声明をいたしました方針に基いて、六月打ち立てられたものと考えまするが、そのあと人工衛星が飛び出す、ミサイル兵器がどんどん実行の段階に入っておりまするので、こういう段階でわが国の
防衛方針も根本的に立てかえをしなければ、再び昔の軍部が陥ったような悔いを残すことになると私は確信いたします。
ときに、この
自衛隊の一万人増強に関しましては、自民党の内部でも強い反対がある。少くともこの線だけはやめてほしいというような要求が多分に強く盛り上っておるようであります。この
自衛隊を国内にどんどん増強いたしまして、海外出兵もしなければ、また
日本外の
土地で戦争もさせないというような構想でやっておって、果して
日本の国の中で演習地が間に合いますかという問題です。すでに
質問がありましたように、岡山県の
日本原では、この大砲の射程が一万一千メートルあるのに四千メートルの演習しかできない。演習をするにさえ狭いような
日本の
土地でどんどん実戦が始まったら、
一体日本はどうなるのでしょう。まるで狭い長屋の中で棒切れを振り回すようなまねをされたのでは、はたが迷惑です。そのためにたくさんの費用を使い、また農民の
土地を奪い、漁民の漁場を奪ってしまって、これでいたずらに昔の軍部の延長にすぎないような
自衛隊増強をしようというようなこの古くさい防御三カ年法案に対しては、われわれは絶対反対を表明したい。これは時代逆行の
精神であります。
日本の憲法で
規定されておりますように、
日本は戦力を放棄したはずです。それかいつの間にかもう
自衛隊が一つの戦力としてでき上って、逆に今度は現在の憲法の中でも戦力の保持ができるとか、あるいは海外出兵はできないが、公務員としての海外出張はあり得るとか、さまざまな文句をつけてこの基本法であるところの憲法の歪曲が行われておる。便宜をはかって、自分
たちの都合のいいときにだけ勝手な解釈を憲法に加えるようでは、これはまさに
日本の国家を撹乱する第一歩だと私は考える。従ってわが国の
防衛方針というものは、あくまでもあの敗戦によって起きました犠牲と、あの体験に基いて新しい方針を打ち出す必要がある。これはおそらくは人工衛星の打ち上げ成功その他の科学兵器の発達によりまして、世界の
防衛方法というものは飛躍的に変化すると思うのであります。
それをいたずらに古い軍部の復活をはかるような、古い軍隊の復活をはかるような方向でいくならば、これは要するに一つの惰性軍備であります。惰性に引きずられてずるずるとやっておったのでは、思わざる
事態を私は招くと思う。岸
総理は核兵器は持ち得ないと言っている。核兵器は持ち得ないが、
米国かこれを持っていることは、どうも冷厳なる
現実であります。その
米国と共同
防衛をするというのであれば、人を殺してはいけないと説教をしながら、人殺しと手を握って仕事をするようなことになってしまう。坊主と強盗が一緒に仕事をするというようなことになる。この点私は非常に不徹底であると思う。また
日本を戦争に巻き込ませないためにこういうふうな軍備をし、さらにまた
米国との共同
防衛を下するといっておりますけれども、当
委員会の質疑応答の中にも現われました
通り、
米国の
基地から飛び出した
爆撃機が敵の
基地を爆破しました際に、報復
爆撃を受ける可能性が強い。その報復
爆撃を他国の
侵略として
自衛隊が
出動し得るということをはっきり言っておられる。そうしますと、
日本の国内にある
米軍の
基地というものは、戦争を避け
日本を
防衛するというようなものでなくて、いつでも
米国が好きなときに、
米国の都合によって、好むと好まざるとにかかわらず
日本を戦争に引き込むというような危険性を多分に持っている。むしろ私は
日本をほんとうに
防衛しようという
意思があるならば、
日本の安全保障を真にやろうという
意思があるならば、この際一切の
米国の
基地をお断わりになった方が、はるかに
日本の爆破をのがれる道であると思う。その点がどうも旧軍人諸君の頭脳と新しい
防衛観念の行き方とは、私は非常な違いがあると思う。思い切ってこの際古いからを捨てまして、ほんとうに
日本が立っていくような道を見出すような
防衛方法を立てなければしようがないと思っております。私は岸
総理がしはしば言っておりました
通り、
侵略の脅威、
国際共産主義の脅威ということを言いふらしまして、それでいたずらに圏内の軍備を増強するということは、まことに危なっかしい古い
観念だと思う。共産主義の脅威は説きますけれども、ソ連とは国交親善をはかっていくと言う、中国とも貿易だけはやっていこうと言う。そうして
国際共産主義の脅威に備えて
自衛隊の増強はするというのであります。「一個の怪物欧州を徘回す」と言ったのはカール・マルクス百年前の言葉でありますが、その百年前の共産主義に対する脅威が、共産主義の亡霊に対するその脅威が、今岸
総理を中心とする
日本の
防衛陣の諸君の頭の中に再びさまよい出ている。私はその実体を確めてみた場合に、果してこの共産主義の脅威に対して
自衛隊の榴弾砲を差し向けたりジェット機を差し向けたりして、この脅威が失われるものとは思わない。思想がおそろしいならば思想をもって立ち向ったならばよろしいのではないか。思想に対して武器をもって立ち向おうとするところに、私はかつての
日本軍部の陥った大きな危険性があると思っております。しかもこういうふうな形において
日本の持っております軍備というものは実戦的に役立つかというと、自民党の内部の旧参謀
辻政信氏が言うことく、実戦的にはほとんど
意味のない軍備である。こういうものに対してたくさんの予算を組んで、そのために
日本の社会保障の根幹を脅かし、
日本の
国民生活を脅かすというのならば、これはまことに憂うべき傾向であると思う。ただ一つこの
防衛問題につきまして、昔の軍部並みに大きくふくれ上ったものがあります。それは
防衛庁の調達関係であります。これだけは旧軍部と少しもひけをとらないくらいに増大しておる。ボロぐつを食ったり、油をなめたり、中古エンジンをかじったりするような段階ではなくて、今ではもう軍艦まで食おうとするような本格的な再軍備体制ができ上ってしまった。こんな調子ではとうていやっていけない。そうして訓練だけはやはりかなり厳重にやりました。それは青竹でぶんなぐってみたり、げん骨を振り上げたり、あるいは旭川の雪の中で
自衛隊員が失踪をやってみたり、
防衛大学の諸君が二百名集まって、美しき婦人を携えてダンスに巧みになったりしておりますけれども、これだけでは私は安心して
日本の
防衛はまかせ切れない。もしほんとうに
日本の
防衛を考えるならばここでもう一ぺんあの敗戦の体験から、われわれが作り出しましたあの平和憲法というものを読み直してもらいたい。何と書いてあるか。もうお忘れになっておると私は思うのです。あくまでもこの辺に重点を置きまして、この際大胆に
日本の
防衛方針を切りかえる勇気を持っていただきたい。
アメリカの作った憲法であるからといって、盛んに非難される与党の諸君もありますけれども憲法は
アメリカが作ったから悪くて、軍備と軍備の方針は
アメリカが作ったものに盲従しようというのが今の
日本の
防衛方針であります。これはとんでもない話だ。もう大体私どもは知っておりますが、自民党の諸君はお忘れになっていると思いますから、最後にこの憲法の一節を読み上げまして、皆さんの
気持をこの辺で変えて、わが党の反対に同調せられんことを希望いたします。「
日本国民は、恒久の平和を、念願し、人間相互の関係を支配する嵩高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸
国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」となっておるのであります。この決意を、敗戦後わずかに十年にして忘れ去って、もう一ぺん旧軍備に転落しようとして、警察予備隊から保安隊、保安隊から
自衛隊と、またしても民族を滅亡させるようなあの旧軍部体制に落ち込む危険を多分に含んでおりますこのたびのこの増強軍備の法案に対しましては、はっきり反対を申し上げまして、私の討論を終ります。