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1957-04-17 第26回国会 衆議院 文教委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年四月十七日(水曜日)     午後一時四十五分開議  出席委員    委員長 長谷川 保君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 竹尾  弌君 理事 米田 吉盛君    理事 河野  正君 理事 佐藤觀次郎君       簡牛 凡夫君    並木 芳雄君       濱野 清吾君    牧野 良三君       小牧 次生君    櫻井 奎夫君       高津 正道君    辻原 弘市君       野原  覺君    平田 ヒデ君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 灘尾 弘吉君  出席政府委員         文部事務官         (大学学術局         長)      緒方 信一君         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君  委員外出席者         参  考  人         (南極地域観測         隊隊長)    永田  武君         参  考  人         (南極地域観測         船宗谷航海長) 山本 順一君         専  門  員 石井つとむ君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  社会教育法の一部を改正する法律案  (内閣提出第三六号)  南極地域観測に関する件     ―――――――――――――
  2. 長谷川保

    長谷川委員長 これより会議を開きます。  まず南極地域観測に関する件について調査を進めます。本日は参考人として南極地域観測隊隊長永田武君及び南極地域観測船宗谷航海長山本順一君の出席を願いましたので、これより本観測に備えて行われました、予備観測に参加されました両君より、その実情を聴取し、あわせて今後の対策樹立に資するため、両君意見を聴取いたしたいと思います。  この際委員長からごあいさつを申し上げます。参考人永田武君及び山本順一君には、御多用中にもかかわらず、参考人として御出席をいただきありがとうございました。どうか歯種地域観測について、それぞれの立場から率直な御意見の御開陳を願いたいと存じます。御意見開陳はそれぞれ二十分程度にお願いをします。  それではまず南極地域観測隊隊長永田武君より意見を聴取いたします。永田武君。(拍手
  3. 永田武

    永田参考人 永田でございます。最初にいろいろ準備のときあるいは行動中、ことに帰り道にいろいろ御心配をおかけいたしましたことを当事者の責任者といたしましておわびいたします。  ただいまから今度の予備観測の経過を簡単に申し上げまして、そのあとの私の南極観測の将来の見通しについて、意見を申し上げさしていただきたいと存じます。航海のことにつきましてはおそらく山本宗谷航海長から御報告があることと思いますから、私は主として基地を設営し、そこで観測を行なった状態について御報告申し上げます。  このうしろにある地図をごらん願いたいのでありますが、右の図は海図でございまして、これは私らの船が行動中、自室で仕事をいたしておりましたそのままのものでごさいますので小そうごさいますが、左の図は、実は私ども昭和基地を築きましたとき、われわれ測量の結果描いた図でございます。  右の図でごらんになりますように、ここがリュツォ・ホルム湾でございます。ちょうど赤いルートがごさいますが、これが宗谷の進んだ航跡でありまして、最後にここに着いて、ここに基地を築いたわけでございます。これがリュツォ・ホルム湾でありまして、これがプリンス・オラフ海岸、ここがエソダービー・ランドと申します。ここからずっとこのあたりプリンス・ハラルド海岸でございます。  御承知のごとく、出かけます前にいろいろ文献その他で調べまして、われわれの参ります範囲は大体このあたりが一番いいのではないかという見当をつけて参ったわけでございますが、なかなかそこに到着するのに困難がごさいますので、全体の行動のやり方といたしましては、第一次候補地、がこの地、すなわちプリンス・ハラルド海岸、もしもここが困難であるならば第二候補地としてフック岬リュツォ・ホルム湾の沿岸がどうしても困難な場合にはエンダーピーのここに基地を設けるという三段構えの準備をして参ったわけでございます。でございますから宗谷探索、すなわち上陸地点を探策いたします、あるいは上陸する前に氷の海を航海するわけでごさいますが、それを航海するにつきましても――これは宗谷のずっと歩きました道でございますが、こちらに参りましてここを探索する。そして最悪の場合にここに上陸することは可能であるという見当をつける。そしてフック岬に参りましてここの探索をする。最後にここへ戻っております。もちろんこの間には、時間的にここにあります氷がどう変化するかということも調査したのでございますが、大筋で申し上げますと、さらにここへ入りまして、そしてここへ到達しておるわけでございます。ちょうどここのところがこちらの図の方のしの図でございます。今度の観測と申しますのは、日本が単独に参るわけじゃございませんで、ことしの七月から来年一ぱい行われます国際地球観測年と申しますが、世界のちょうど六十カ国が参加いたしまして、それぞれ国の科学力及び経済力、広い意味での国力の大小に応じまして、全世界をカバーして、そして新しい意味での、つまり次の一世紀の人類がいかに生きるべきかという根本問題をこの際調べ直さなければならぬちいう建前でやる仕事でごさいますが、南極もこの国際地球観測年の一部でありまして、しかも、非常に実施が困難であるという意味で、一般的にはその問題がクローズ・アップされておりますが、日本隊もその一つの国として参加したわけであります。南極のまわりは十カ国がこれに参加いたしておりまして、米国とソ連がその中で最も大がかりな観測隊を送り、基地におきましても、設備においても大きなものであります。それに次さまして、日本を含めましてイギリス、フランス、日本、濠州といったところ、それより一まわり小さくなってノルウェーあるいはアルゼンチン、チリー、ニュージランドといったような国があるわけでございます。それで十カ国になります。われわれの場合も、今度の南極の場合には、もちろんそういう国の二十数カ所の観測所があるわけでございますが、それと協力して観測を行うわけでございます。幸いにいたしまして、ここへ到達いたしましたのが一月の二十四日から五日でありまして、ここへこれ以上接近することはむずかしいということになったわけであります。この図でここに書いてありますのが、いわゆる雪をかむりました大陸のこの海岸でございます。この斜めの線が書いてございますのは、これは夏の間、南極の夏と申しますと十二月、一月、二月でありますが、その間は雪をかぶっていなくて、岩が出ているところでございます。この図は、たとえばこの端の図でございますが、ごらんになりますようにあたりは全部まっ白で氷と雪でございますが、この部分は黒くなっておりまして、これは岩が直接に出ているわけでございます。もちろん岩と申しましても、岩の上に二メートルくらいの砂がかぶっておりまして、実際草木がないだけで、日本におきます荒涼たるものではありますが、地面につきましては、何ら内地と大差がないという状態のところがあるわけでございます。で結局この場合もそうでございますが、ここがラングホプデノルウェー航空偵察だけで名づけた場でございまして、ここへ実際初めに入って参りましたのはわれわれが人類で初めてでございます。もちろん前にはノルウェー飛行機で半日写真をとりまして、名前をつけました。その後数年前にアメリカがやはりこの辺を飛行機航空写真をとっておりますが、人間が参りましたのは初めてでございます。  基地をどこに設けるかということがあったわけでございますが、今申し上げましたように、ここに観測用基地を作って、そして各国と協力いたしまして、本格的な、つまり観測所南極に移すという建前から考えますと、実際に相当機材、あるいは人間が住むための必要な資材というものを運び、そこに冬、一番寒いときにはマイナス六十度になるかもしれない、風も四十メートル程度であるが、場合によっては、最悪の場合は毎秒八十メートルの風も考えねばならぬというようにいたしますと、建物その他それに耐え得るような設計はもちろんしてあるわけでごさいますが、そういうものを実際に建設する。しかもそこで観測を行うという状態を考えました。もう三つの条件は、日本の持って参りました宗谷砕氷能力その他で、ここに線がごさいますが、宗谷がどのように行きましょうとも、ここからこちらは厚み二メートルの氷でございます。こちらは一メートルくらいの氷でありまして、ここまでは、宗谷の力をもってしましては、船長以下の全能力あるいは宗谷の全能力をフルに動かして何とか進んだのでございますが、必ずしもここまで楽々と進んだわけではないので、全能力を費してここまで来た。ここから東海岸の方は二メートル以上の氷がございまして、これを割ることは実際上不可能であります。そういたしますと、ここからこの大陸基地を設けるということのためには輸送力が要るのでございます。実際は四台の雪上車と申しまして、車にキャタピラがついておる、無限軌道がついておりまして、雪の上もしくは氷の上を進む。それがそりを引いて運ぶわけでございますが、もしもここで実際にわれわれがこの南極の夏に観測をするのみでなく、一年間第一回の越年惹いたしまして、一年間ある程度の人数の観測隊員がそこで観測を実施するといたしますと、それに要する観測資材及び建物、それに食糧燃料、その他生活に必要なものがあるわけであります。で見積りましたところが、それに必要な機材及び資材の重量が、トン数にいたしまして百十八トンという量が必要であるということになったわけであります。もちろん百十八トンと申しますのは、必要以上に、たとえば食糧なら二年分とか、そういうふうに安全係数を見たものでございますが、たとえば、食糧ならば、一年といたしましても少くとも二年間の食糧は持たねば安心して越冬することはできぬというようなことを考慮いたしまして、百十八トンの荷物が必要であるということになったわけであます。その百十八トンの荷物を運ぶ。そして観測用建物も建てる。人が住むような電気その他の設備をし、かつ日本無線連絡ができるということが、出かける前からの必要条件になっていたわけであります。それだけのことを考慮いたしまして、結局ここにありますオングル島というのが最も実際可能であるということになったわけであります。そこで観測基地全体といたしましては、大陸の端までは約四キロメートルでありまして、秋から冬、春にかけては渡ることができます。こちらへも行くことができます。結局ここのところに基地を設けたのであります。それがちょうどここでございます。ここに基地を設けることにいたしまして、実際は二週間の間に百五十五トンの資材を運んだわけであります。そうしてそこで建物を四棟建てそうして無線設備は、二キロワットの発電機正副、スペアも入れてありますが、日本と直接通信ができるようになり、食糧は三年分であります。ただし、ぜいたくに使えば二年分と申しますことは、極地生活でありますから、カロリーだけでは、あるいはあてがわれた献立だけではいやだ、おれはそういうものは食わないということになりますとむだができます。そういたしましても二年分、油は一年十ヵ月分の燃料が蓄積できたわけであります。それから観測設備は、いわゆる気象観測設備、これは地方の小さな測候所並み観測設備ができたわけであります。そのほかに宇宙線南極光観測設備、さらに氷河及び氷の現象を調査する準備もできたのであります。  そこで最後西堀博士隊長といたします十一名の越冬隊員を任命いたしまして、ただいま十一名の諸君は、その後来年の一月に再びわれわれが参りますまでここで越冬することになったわけであります。で実際は、そういう作業を行いますと同時に、実はこのあたり測量をいたしまして、この地域ラングホプデ一帯プリンス・オラフ海岸からリュツォ・ホルム湾の東側、プリンス・ハラルド海岸、この辺一帯航空写真測量をいたしますとか、あるいは地上の測量をいたしますとか、あるいはこの辺も、ここも含めまして地質調査をする、氷河調査をするということをいたしました。それから宗谷の船の上では、電離層とか宇宙線とかいう観測を続け、氷の上では地磁気の観測をする。あるいはこの辺、でもって氷山、氷の下を人工地震を使って調べるといったような予備的な調査ことごとく済ませたのであります。  そうして二月十五日にこの場所を離岸いたしまして、越冬隊員に見送られて帰ってきたわけであります。その途中、御承知のごとく、この図ではここからここまでかなり距離がごさいますが、この距離の間で風向きがかなり悪い時期に入りましたので、非常に航行の困難をきわめ、皆様方に御心配をかけたわけであります。航海の途中の様子は、山本航海長からお話があるかと思いますので、私は省略させていただきます。  それでいろいろ困難な問題がごさいましたが、先ほど申し上げたように、将来を考えて南極大陸全体を徹底的に調査するのは重要な仕事でありますが、実際に入ることは困難でありまして、われわれが行く前に七つの隊が試みて、ついに入り得なかったところであります。その意味で、実際に宗谷クラスの船であそこへ入っていくということには、非常な困難があったわけであります。出るときにはああいう問題がありましたが、行くときには割合になめらかに行ったようにお思いになるかもしれないのであります。けれども、実際は船の操船その他に当られた松本船長以下は、相当の苦労をしておられるわけであります。私も立ち会っていたわけでありますが、実は非常な困難をして、一山越えてほっとするという場面が幾つかあったわけであります。出かけます前には、南極の事情に関しましてできるだけの調査はしたわけでありますが、何しろこの場所については、先ほどの航空写真以外には詳しい資料はないわけであります。行って見ましたならば、意外にいいこともございましたし、意外に悪いこともあったわけであります。いいことと申しますのは、たとえば湾の外側では非常にあらしがあります場が、一たん湾に入ってしまいますと大へん天気がよろしゅうございました私ども計画の最大の失敗の一つと申しますのは、航空機があれだけ十分に使えるとは想像しなかったことです。これはあらゆる文献によりましてもそうなんであります。行ってみましたらば、快晴が続きまして、そのために、二台のヘリコプターと一台のセスナ機――単葉単発飛行機でありますが、それをお天気がよくて使えたということが、今まで七つの隊が入り得なかったところに入り得たことの大きな要因であると私は考えております。それにいたしましても、お天気がいいものでありますから、氷が割合に早く溶けまして、ことに表面が溶けまして、そのために一種のぬかるみができまして、先ほど申し上げました雪上車の逆転には非常に苦労いたしております。そのために輸送能力には限りがのったわけであります。ただこの場合、ここに基地を設けましたことに関しまして、私隊長として安心できますことは、もしもこの基地が、たとえば大陸でありましても、多くの場合氷のふちになるわけでありますが、あらしなんかがありますと、観測隊建物が下の氷が割れて流れたということは今までもございます。とにかく平らな、ところで、一番高いところが海抜三十五メートルでありまして傾斜の一番ひどいところは七度というちょっとした傾斜でございます。そういったところにございまして、風も割合少いところにございますので、そういう意味では、私は内地に帰りましても、一応安心しておることができます。  今度南極観測各国が出かけまして、一番近くには豪州基地がございます。こちらにはノルウェーが行っております。その間にはことしはベルギーが作ると言われております。それから豪州の向うにはソ連がおります。そういう工合に共同観測あるいは共同調査をいたしておりますが、各国南極観測につきましては、日本において考えられておりますよりも、これが地球観測年南極観測であるということが非常に強いのでありまして、私は山本航海長飛行機で帰って参ったわけでありますが、新聞記者諸君もしくは識者は、会いますと、そのたびに、IGYすなわち国際地球観測年南極だねということを必ず申します。日本では南極観測でありますが、西欧人諸君にとっては必ずIGY南極だと申します。ことにアメリカ諸君は、南極が将来の人類にとって非常に大事だということが徹底しているらしゅうございまして、これや私らの友人関係者が言うのは異とするに足りないのでありますが、普通の多くの人たちが、ことごと南極が将来の地球に住む人間にとっていかに大事かということを盛んに強調いたします。だからおれたち南極観測に関してはソ連とも仲よくやるのだということを言っております。私たちは、少くとも私は、そういう学問にたまたま関係のある一人といたしまして、その隊員を命ぜられたわけでありますが、実際上は予算とか技術上の面で困難があると思いますけれども日本の場合にも、人間のあすを考えるという科学者立場からいたしますと、やはり各国友人と同じように、南極地域観測というものを今計画しているような各国が、ほんとうにその結果を総合統一して、そして南極全体を一応国境に無関係に将来利用し得るのだということができますならば、そのための第一回の本格的な調査として非常に大事なことであると思うのであります。一応それだけであります。(拍手
  4. 長谷川保

    長谷川委員長 次に、南極地域観測船宗谷航海長山本順一君より意見を聴取いたします。山本順一君。
  5. 山本順一

    山本参考人 このたび宗谷南極洋行動中は、皆様方から多大なる御激励をいただきまして船長以下乗組員一同深く感謝申し上げております。  観測隊輸送任務に当っておりました宗谷乗組員にとりまして、最も困難であるということを予想して、事前にその研究準備をやったことは、それはとりも直さず氷海にいかにして進入するかということでございます。それからまた任務を一応終りまして、氷海をいかにして脱出するかということでございました。御存じのように、相当の力を持っておる自然が相手でございますから、まず自然の姿と力というものをわれわれはよく知りまして、その上で宗谷砕氷能力自分の力を十分に認識して、自分の力にふさわしい安全であるような行動をとらなければならない、こういうことでございます。ところが御存じのように、日本の国におきましては砕氷船というもので運航しましたところの経験も非常に少うございます。また南極におけるような氷の資料というものも日本には非常に少うございます。そういう点からしまして、研究その他あらゆる場合に非常な不便はあったのでごさいますが、ただこの話が出ましてから、船長機関長航海長の三人は、宗谷乗り組み予定者として事前南極洋におけるところの調査を命ぜられて、捕鯨船で行って参ったのであります。幸い、船長に任命されました現在の松本船長は斯界に、認められました優秀な技術の持ち主でございまして、幸い最も近いエンダービーの――先ほど隊長から第三候補地にあげましたエンダービーでございますが、この付近を航行するところの捕鯨船に乗船しまして、リュツォ・ホルム湾そのもの調査はできなかったのでございますが、あの付近に流れてくるところの氷はエンダービー付近の氷でございまして、その点からしまして、あちらへ派遣されまして、調査期間中におきましては、松本船長は心血を注いで調査研究に当られたわけでございます。なお帰国されましてから諸準備に当る際につきましも、諸外国の資料を十分検討されまして、南極事前調査のために出発する当時におきましては、事の成否ということについては相当の不安は持っておられたのでありますが、研究するごとによりまして次第に自信が出てこられた。ことに宗谷でもって東京を出港するときにおきましては、十分な自信を持たれておりました。乗組員であるわれわれも船長技術に非常に信頼を置いておりましたものですから、われわれも深い確信を持って臨んだわけでございます。先ほど隊長からも御説明がございましたが、南極洋に着く前に、われわれとしましては、まず自然の姿と力というものを十分に調査しましてから、この姿を知って進入するという必要がございます。そのために、まずエンダービー・ランドに向けて参ったのでございます。このエンダービー・ランドに向けたということは、先ほども申し上げました通り、大体吹送海流という氷を運ぶところの流れがこういうような格好で流れております。ですから、第一墓地の候補地であるところのリュツォ・ホルム湾北辺にくる氷は、ほとんどこちらの氷が移動してやって参ります。そういうような関係でございましてまずリュツ・ホルム湾北辺に流れてくるところの氷の姿を見ておきたいということも、第三基地候補地に当っておるものでございますから、その付近状況基地候補地として果して適当であるかどうかということもあわせて見ておきたい、こういう意味でそこに向けたわけでございます。そこに向けたのでございますが、南極洋に近づくに従いまして、海水温度が底下しております。それからまた気象状況もだんだんわかってくるわけでございますが、その氷を最初に見る前に、すでにわれわれとしましては、水温が例年よりも少し低いのじゃないか、また天気も比較的安定している傾向が見えましたので、これは例年よりも氷は多いという予測を立てたのでございます。われわれは一月の八日にエンダービー沖の氷を見る予定でございましたが、七日の午前七時半ごろすでに氷海に接しております。さっそくヘリコプターを飛ばしまして、その付近の氷の状況並びに大陸露岸状況などを偵察したのでございますが、距岸大体四十マイルございまして、その前年に松本船長調査されたときよりも倍以上の距離にあったわけでございます。エンダービー付近大陸そのもの偵察は、ヘリコプター行動半径からしまして、直接これを写真におさめたり、あるいは肉眼で確認するという程度まではいきませんでしたが、先を急ぐ関係上、そのまま七日、八日と、大陸偵察氷状偵察をやりまして、リュツォ・ホルム湾の方面に向けて、パックアイスの外縁に沿いながら調査しつつ向ったのでございます。この調査する期間は、最初大体十八日ぐらいを予定して、それからパックに進入するという計画を立てたのでございますが、先ほど隊長からも御説明のありました通り天気が予想以上に非常によかったということでございまして、そのために航空機を全幅的に利用できまして、われわれとしては、何ら不安なくパックの中に突入できたということでございます。また一方、天気がいいということは、逆にいいますと、氷が陸岸よりも割合遠いところまで張り出しているという結果にもなります。氷は太陽の輻射熱を受けて溶けるのでございますが、この溶ける量というものは非常にわずかなものでございまして、あとはしけによって北方にパックアイスが流されまして、暖かい海水温度によって溶けるという率が非常に多いのでございます。ですから、われわれとしては飛行機は飛ばせたのでございますが、まず進入する前に基地決定をしなければなりません。これは隊長の方でいろいろ飛行偵察その他によりまして最終的に基地決定をやられるわけでございまして、その後その基地に入っていくところの進入水路を捜索するというのが建前でございますが、このパックの外からセスナを飛ばして基地偵察をやるには距離が長過ぎたものでごさいますから、それができなかったのでございます。それで、まずパックの中に入りまして、セスナが飛べるような水域を探して基地を確認しよう、こういう行動計画を立てたのでございます。  それで、大体先ほど申し上げましたように、天候が非常によかったためにパックの外線で外側からパック状況を克明に調査するという必要も少くなってきたわけでございます。それでまず基地偵察を先にやる必要があるということになりまして、一月の十六日にパックの中へ進入しまして、ヘリコプターによりまして、セスナ機が飛び得るような水面があるかどうかということを探したのであります。そのとき幸運にも、幅約千メートル、長さが約二千メートルのプールがございまして、ここべその夕方着きまして、基地偵察セスナによって行われたわけでございます、基地偵察ばかりではなくて、それに至るところの水路の全貌もつかんできておりました。これによりまして、これはそのまま突入して基地近くの接岸地へ行けるような情勢が察知されましたので、十七日についに突入の態勢をとったわけでございます。  その結果は、一月の二十日にすでに定着氷の外縁に着きまして、基地が正式にきまってから、いよいよ最後の着岸地であるところの地点に向けるというような最後的な態勢をとったわけでございます。予定よりもそれは大体八日ぐらい早かったのでございますが、かくのように予定よりも早く一応着岸の態勢を整え得たということは、天候が非常によかったことと、飛行機を全幅的に利用できたことで、一つの例をとってのみますと、七日に初めてパックを見ましてから十六日に至るまで大体四日間ヘリコプターを使っております。それから、十六日にいよいよパックに進入しましてから二十日に一応定着氷の外縁に着きましたときは、毎日ヘリコプターを二回か三回にわたって飛ばして水路の教導に当らしておったのであります。こういうようにセスナヘリコプターとの共同作戦といいますか、水路を教導するためのヘリコプターの活躍というものが非常に有効にできたということでございます。  なお先ほども隊長から御説明がありましたが、入るときにも相当困難は感じておりました。しかし乗組員は一致協力しまして、必ずわれわれでやってみせるという意気込みを持っておりましたし、セスナ偵察によりまして、目的地も近いという前途に明るい希望を持っておりましたものですから、諸困難を突破して、あるいは氷海中の航行ということになりますと、見張りとか操船に相当の困難を来たすわけでありますが、そういう諸困難を一致協力して克服していったということでございます。  接岸中その他につきましては省略させていただきまして、離岸でございますが、これは御承知のように二月十五日というように一応予定できまっておりました。しかしわれわれは接岸中においても天候の変化あるいは脱出水路の状況はどうであるかということを機会あるごとに調査しまして、たとい二月十五日以前においても脱出に困難な徴候が現われればすぐにでも出るという態勢は常にとっておったのでございます。しかしそういう調査の結果は、まだ大文夫だといういろんな資料がそろっておりましたので、予定通り二月十五日の十二時に離岸したのでございます。その離岸当時の状況といたしましては、それまでにも船の保安に差しつかえない程度の人員を派遣して、それぞれ基地の建設あるいは氷上の輸送というものに協力を申し上げたのでございますが、いよいよ二月十五日間近になりましてからは、安心して越冬隊に残っていただくという態勢をとるために、乗組員隊員も全力をあげて輸送と建設に当らなければならないような状況でございましたので、われわれといたしましてはその点にも十分御協力を申し上げておったのでございます。十五日に離岸いたしましてからは、氷海に入るまでには約三十六マイルのオープン・シーがございました。これは十三日の飛行偵察によって確認されておったわけでございますが、この三十六マイルのオープン・シーを航行中、三十マイルのところに参りましたときに、十三日には見なかったところのパックアイスの四マイルほどの幅のものが出て参りました。それでこれを突破するのに、われわれとしては早く最後氷海を突破したいという気持で相当先を急いだのでございますが、そこで多少時間をとったために、いよいよオーブン・シーの北側に参りましてパックに入る間近になりましたときには、すでに日没後一時間、ちょうど夕方の十時ごろだったのでございますが、相当暗くなっておりましたので、これからヘリコプターを飛ばして再び氷海の水路を確認してパックに突入していくということもできませんでした。それからなお離岸前に輸送その他に全力をあげたために、船の準備といたしましては、氷海に入っていくための万全の指置もなお不安な点がごさいましたし、それに加えて低気圧が近づいておりましたので、多少天候が悪くなり、そして風も若干強くなって参りました。こういうような状況でございましたので、いたずらに水路の偵察をやらすにそのまま氷海に入るということは、氷の抵抗の多いところへわざわざ入るような結果にもなりかねないのでございまして、当時の条件としては、そのまま入るには非常に無謀であるといったような状態でございました。それでその晩はいろいろ船内の整備あるいは乗組員の休養ということも考えまして待機して、あしたの朝天候の状況を見計らってさっそく出よう、こういう態勢をとったのでございます。十六日に至りましてからはますます風が強くなりまして、そのまま出るには困難な状況で、とうとう待機せざるを得なくなったのであります。  次ぐ日の十七日になりましてから、朝のうちはまだ相当風も強うございまして、視界も悪くてヘリコプターも若干無理があったのでありますが、先を急ぎましたわれわれとしましては、多少無理をしてもヘリコプターを飛ばすということで、一たん八時五十分ごろヘリコプターを飛ばしまして、船はその間にパックアイスのふちまで来ておりまして、ヘリコプターからの無線電話による報告を待って、九時半ごろからパックの中へ突入して、待機地点からオープン・シーとパックアイスを合計しまして大体ニマイル半ほど進みました。午後の三時ごろに至りましてパックアイスがだんだん濃縮になってきまして、今まで氷盤と氷盤の間に若干水面が見えておったのでありますが、そのときには次第に水面がなくなりまして、氷盤と氷盤の間にあるところの一メートル以下の小さい氷のかけら、さらにこまかいところのフラッシュ・アイスと称しております非常にこなごなになった氷がございまして、これあたりが非常にパックの氷盤のために盛り上りまして全然水面は見えず、その間を押し分けていくことが不可能になって、これは一時ここで待機をしまして天候の変化によって起るところの氷状の好転する時期を待つ以外にはないということになりました。でありますが、その晩は十一時近くまでそこで努力はしたのでありますが、ほとんど前進は不可能であったという状況でございます。  それから十八日、十九日も午前中ずいぶん脱出に努力をしたのでごさいますが、わずか五十メートルあるいはほとんど一メートルぐらいしか進まなかった場合もございました。十九日の夕方なりまして、大体三時ごろから南西の風が吹いて参りまして、今まで緊縮されておりましたところのパックに若干水面が見えてきました。これは見えてきましたのが大体夕方の十時ごろでございまして、それから船はいよいよ砕氷前進する行動をとったのでごさいますが、今まで全然水面が見えなかったのが若干ずつふえて参りまして、直接自分が向おうとする方向には参りませんでしたが、抵抗の弱い氷を伝わりながら大体基準水路の方に向いつつあったのでありますが、次ぐ日二十日の十時ごろには直距離にして二・九マイル進んでおります。これは北方の外洋へ向けて直接距離でございます。それまでにずいぶん迂回してごさいますので、実際走った距離はそれよりも相当多くなっておりますが、直距離にして大体三マイル程度距離を走っております。そして海面の状況もよかったものですから、あるいはそのまま脱出できるのじゃないかという希望的な観測もしたのでありますが、いつの間にか抵抗の多い氷盤の間に入りまして、自分が向おうとする進路になかなか向け切れなかったわけでございます。その間に一時間くらいしまして急に氷、が締って参りまして、これは大体氷が締って参ります風の方向というのは、北東または東北東の風でございます。これは氷が流れてくる方向と一致しているイーストに近い風でありますが、こういう風が吹くときは必ず氷が締って参ります。大体そういう風が吹き始めましてから二時間ないし四時間くらいしますと、急に締って参ります。それからまたそれに反対な南西の風でございますが、この風が吹きますと氷が割合ゆるんでくるわけでございます。そういうような状況で、一時はこのまま脱出できるという報告まで長官にやったのでございますが、その後一時間にして急激に変ったために、またここで動けなくなりました それから続く二十一日にも朝の九時ごろから若干よくなりまして、再びそこで行動を開始しまして一マイルほど北方に進んでおります。しかしこういったことでございますと、十七日にヘリコプター偵察した現状からしますと、もうほとんど船から外洋が見える程度距離まで来たのでございますけれども、そのとき外洋でわれわれの脱出する行動に協力中でありました海鷹丸の報告によりますと、次第に北へ北へと北東から流れてくる氷が伸びて参りまして、われわれが四マイル進んだにもかかわらず、さらに外洋の方までは同じく七マイルあるいは十マイルというようなパックがだんだんと北の方へ移動して参ったのでございます。二十二日に至りましていよいよ大きな氷盤にはさまれまして動きがとれなくなりました 二十二日の夕方から風が強くなりまして、二十三日、二十四日と相当の風を受けております。この間パック相当移動しまして、今まではそういうことはなかったのでございますが、船尾の方に大きな氷盤が流れたためにかじに当りまして、これは一時はかじ、推進器も危険に瀕するのではないかという不安も出ましたが、これはパックその他をやることによりまして、最後の被害を受けずに済んだけでございます。一十四日には、これは自力をもってしてはほとんど不可能であるという判断をしまして、オビ、グレイシャーに連絡をして前後の砕氷を依頼したのでございます。その後天気がずっと悪うございまして、二十五日には一時小康状態をたどったのでありますが、二十六日から再び風が強くなりまして、そのときに視界がよくなりまして、今まで全然見えなかった視界が、急に二十六日の三時ごろ突然視界が若干よくなりまして、そのときに本船の南西方に大きな、約七マイル半というふうに観測してございますが、長い、巨大な氷山が現われまして、これが本船の南測を通ってちょうどこっちの方でありますが、こういうふうに移動したわけでございます。こういうふうに移動しまして本船を中心として西から南へ下りまして、それから北東の方へ回っております。これが今まで全然氷ばかりでごさいましたところへ大きなオープン・シーを作ったのでございます。視界がよくなりましたものですから、オープン・シーのあるところにはウォーター・スカイという現象が現われまして、その大きさあるいはその距離というものがおよそ見当がつくのでございます。そのインド洋の外洋に生ずるところのオープン・シーとこの巨大な氷山が作ったオープン・シーとが非常に接近しあるように感じられたわけであります。そうしてオープン・シーまでの距離は、宗谷の南方に約一マイル、あるいは西北方に約一マイル程度距離でございましたので、まず北方へ向けて氷を割っていくということはほとんど不可能な状況でございましたが、たまたま南方あるいは南西方につきましたは若干氷の抵抗が弱かったのでございまして、二十七日にいずれにしてもオープン・シーに出るのが先決であるという決断をしまして、夕方から氷のよくなったのを見計らいいまして、オープン・シーに脱出したのでございます。そこで海鷹丸とも共同し、あるいはヘリコプターを飛ばしまして、オープン・シーから大洋に至るまでの距離氷状というものを確認したかったのでごさいますが、その当時は南東の風が非常に強くございまして、ヘリコプターを飛ばすには危険が相当あったのでございます。それからなお日没後でございましたので、暗かったしいうようなことで、ついにヘリコプターを飛ばすことができず、その晩は船自体でこのオーブン・シーを東西に航行しましてパックの幅とそれから氷状というものの調査に努めたのでございます。この大きなオーブン・シーはちょうど幅が約十マイルほどございます。東西の長さが十九マイルほどございました。それでわれわれとしましては二十八日の朝に至ったのでごさいますが、まだ天候の状況からしてヘリコプターによる偵察が不可能でございましたが、非常に外洋までの距離氷状がいいという確信をしました場所で、九時ころから再びこのパックに突入しております。突入しまして、大体パックの幅は八マイル程度調査したのでございますが、ちょうどその中間のところへ行きましてオビ号に前導砕氷してもらいまして、その船尾について二十八日の二十三時四十五分に脱出をしたのでございます。このとき感じましたのでございますが、これはもう少し馬力があればよかったのじゃないかという一つの希望を持ったのでございます。現在は現地の実情を担当の上司にいろいろと報告しまして、われわれの希望は申し上げてございますが、しかしそれにはいろいろの条件がございまして、われわれもわれわれの希望することがそのまま実現するとは考えられない点が相当多いのでございます。でありますが、われわれは与えられた船でもって最善を尽してやったということに、ある程度の満足を持っておりますし、また結果はああいう結果になってございますが、われわれは与えられた宗谷というものの全能力を発揮してやっております。またそれに乗り組んでおりましたところの船長初めわれわれは、あらゆる力を出し切ってついにああいう結果になったということで、いろいろと御批判もございましょうけれども乗組員は今は相当満足をして、いかなる御批判も甘んじて受ける覚悟でございます。簡単でございますが、以上でございます。
  6. 長谷川保

    長谷川委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告があります。順次これを許します。平田ヒデ君。
  7. 平田ヒデ

    ○平田委員 このたびの国際地球観測年予備観測につきましては、基地の設営あるいは氷海脱出など予想されなかった幾多の難関に直面されながらも、本観測のために貴重な体験をお積みになり、本日ここにこうしてお三人をお迎え申し上げて、いろいろこの問題について御報告をいただきましたことを大へんありがたく存ずる次第でございます。私ども全国民は新聞やラジオを通し、ほんとうに耳目をそばだてて予備観測の成功を心から念願いたしておりました。無事にお帰りになりまして、お疲れのところ本日は御出席いただき、いろいろ御説明をお伺いできましたことをほんとうにおりがたく存ずるのでございます。大へんお色も黒くなられまして、御健闘の跡などもうかがわれまして、私ほんとうに何かしら感激で胸が一ぱいでございます。  いろいろと御希望などもされて、文部省の南極観測統合本部で第五回の総会をお開きになり、本観測隊が使用する船舶の問題などについても討議され、そして宗谷の改装をして、引き続いて使用することになったということを新聞紙上に報道されたのを私承わっておるのでございますが、それによりますと、わが国内には宗谷にかわる適当な船が見当らない、また宗谷より一段と砕氷能力のいい船舶を新しく作ることは二年以上の工期を要する関係上、本観測には宗谷をできるだけ改装して使用することにきまった、こういうことを新聞紙で私は見たのでございますけれども、問題は改装の度合いにあると思うのでございます。これが対策はきわめて重要でございまして、宗谷が再び南極であのように氷に閉ざされ、隊員の生命も危険にさらされるということのないようにぜひしていただかなければならぬと思うのでございますけれども、私ども新聞で見ておりますところによりますと、一メーターの砕氷能力を持っておるということにはなっておったと思うのでけれども、事実それよりも少いじゃないかというようなことも聞いておるわけでございます。これから改装されることではございまけれども、一応その点航海長にお伺いいたしたいと思うのでございます。
  8. 山本順一

    山本参考人 これは相手が自然でございまして、自然の力というものは、いかなる機械力をもってしてもだめなときはだめでございます。(笑声)言い回し方がちょっと悪いのですが――でございますので、砕氷能力を何メートルにしたからいいということは、一言にして言えないと思うのでございます。要するに相手の力を知りまして、自分の力に相応する、身分相応な行動をとらなければならぬということになりますと、やはりあちらにおきますところの宗谷行動ということを、これから慎重に検討しなければならない、こういうふうに存じております。  なお、一メーターの砕氷能力が看板通り出なかったんじゃないかというような御疑念もあるようでございますが、われわれが感じましたところのまた実際に砕氷したのでございますが、一メーターは十分持っておりました。しかしパックアイス状況は、一メーターの砕氷能力という問題ではないと存ずるのであります。といいますのは、定着氷と違いまして、パックアイスは氷盤と氷盤が重なりまして、これがかたく密着して一枚の氷になっておるのでございます。ですから、その厚さが、多いのですと大体五メートルからございます。この層が五層から六層になってごさいますが、そういうような氷を一メーターの砕氷能力で割ろうとしても、これはとうてい割れません。ですから、この間を押し分けていくような格好になるわけでございます。でございますので、氷盤と氷盤の間が相当水面がある時期がございます。それからなお、天候の変化によって、一時は密着しまけれども、また開くときがございます。でございますが、こういう密着するような現象の現われない時期を選んで脱出するということ以外にないと思うのでございます。でありますので、これから船が帰りましてから、詳しい資料もございますので、いろいろそういう点を研究しまして、隊長を初め艦長皆さん集まっていろいろ脱出の時期については今後研究して再びああいうことのないようにせざるを得ないんじゃないかと存じております。
  9. 平田ヒデ

    ○平田委員 私は専門家じゃございませんので、なるほどほんとうにそうであろうというふうに伺ったわけでございますけれども、統合本部の灘尾大臣にお伺いいたしたいのでございます。いろいろとお話し合いがなされたことでごさいますけれども、政府としてはどういう万全の措置を講じようとなさっていらっしゃいますか。私詳しいお話の内容は、ただ新聞などで知っておるだけでございますが、ちょっと申し上げてみますと、宗谷改装には、この前出発なさるときでございますけれども昭和三十年の十月から着手されて、五億八千五百三十九万円ほ使用してお作りになった。海上保安庁の幹部の方は、結局、宗谷の改装は、ほんの一部の居住区の改装、それからウインチの増設、破損部分の修理程度に終るようだというふうに語っておられるわけでございます。これは三月二日の朝日新聞に載っておる記事でございますが、さらに島居海上保安庁長官は、宗谷の徹底的な改装をしたいが予算がないとも述べられておるのでございます。そこで私ちょっとその予算を見たのでございますけれども、初めの予算からだいぶ大蔵省の方でも増してくれまして、四億七千七百万円で大体その話し合いがついたということでございます。文部省で必要と認められて要求された額は大体五億三千万円でごさいますが、四億七千七百万円といたしますと、要求された額よりもまだ五千万円不足しておる。先ほどの隊長のお話、それから航海長の御説明にもございましたように、ヘリコプターは目である、これは大切な触角であるというように私承わりましたけれども、この五千万円の不足で要するにヘリコプター二機の購入に断念して、そのかわり防衛庁から借り入れて何とかするより仕方がないんじゃないかということを言われておるのを聞いておりまして、その辺非常に不安に思うのでございますけれども、この点について大臣からお伺いいたしたいと思います。
  10. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御心配はまことにごもっともでありまして私どもも同じように、心配をいたしておるわけでありますが、今回永田隊長山本航海長に先に帰っていただきまして、できるだけ早く次の計画についての準備を進めようと考えた次第でございますが、その中でも何と申しましても船が先決問題ということになろうと考えまして、船の問題につきましていろいろ話し合いをし、相談もいたしたわけでごまますが、ただいままでに到達いたしております考え方は、今平田さんのおっしゃいまましように、この間新聞にも出ておりましたが、大体ああいうふうな考え方になっておるわけでございます。つまり宗谷にまさるりっぱな船が簡単に得られればこれに越したことはないのでございまして、いろいろ内外にわたりまして調査をいたしだわけでございますけれども、今日の場合、ことに秋にまた出発するというようなことを考えました際に、われわれといたしましては、今日まで御苦労願った宗谷に対してできるだけの手を加え、そうしてこれを使用する以外に道はないのじゃないかというような結論に一応到達いたしておるわけでございます。そうであるといたしまするならば、宗谷が帰りまして直ちにドックに入ることと思いますが、その期間中にできるだけのことをやって参りたい、こういうふうに考えております。  それからそれに伴いまして、今お話もございましたけれども、一面におきましては、宗谷の出発の時期でありますとか、あるいは向うから帰る時期であるとか、そういう点についてもよく検討を加えなければなりませんし、またそれだけの期間にやり遂どるためには、今まで考えておりました計画でよろしいかどうか、この計画についても再検討をする必要があるんじゃないかというようなことでこの問題につきましては、いずれ近く観測隊員諸君もみな帰って参りますので、よく協議を遂げまして、われわれに与えられた条件のもとで、果してどの程度のことができるか、ことにお互い全部が心配いたしておる問題でございますので無理は私は決してやるつもりはございません。われわれが納得のいく範囲での計画でなければならぬ、こういうふうに考えておる次第でございます。  予算のことにつきましてお尋ねがごさいましたが、予算につきましては先般も申し上げたことでごさいますが、この前に予算を編成いたしまする際にはまだ確実なデータというものを持たないわけでございます。一応予想し得べき事項につきまして検討を加えまして、予算を要求いたしたようなわけでございます。ほんとうのところは観測隊諸君が帰ってきて、それの実地の経験に基いて検討を加えなければならぬと思いますので、当時といたしましても大蔵大臣と私の間におきましては、これはどうも一応の予算として承知しておいてもらいたい、実際の状況によって、これに変更を加えなければならない場合があり得ると思う、そのときにはぜひ一つ協力してほしいという話をいたしました。大蔵大臣におきましても、その趣旨については十分了解してくれておると思いますので、ただいま述べましたようなことに基きまして、予算その他につきましても再検討を加えまして、もし必要があればさらにこれに対する適当な措置をとってもらいたい、こういうふうに考えておる次第でございます。
  11. 平田ヒデ

    ○平田委員 ただいまの御説明非常にごもっともと思いますが、宗谷予備観測に出発する前に改装しなければならなかったときに、造船ブームで改装はどこも引き受け手がなかったということを私は聞いております。これが問題だと思います。無理に船台をあけてもらって大急ぎで作り直したということを聞いておるのでございますけれども、せっかく大臣が今お述べになりましたあたたかいお気持ちも、これをそっくりそのまま受け入れてもらえるようでなければ、また今度のようなこういう状態であっては大へん心細く思うわけでございますけれども、こういう点につきましても十分御努力をお願いしなければならないと思いますが、さしあたってこれを快く引き受けて、そして自分の利益などをむなしゅうするようなお目当がございますか。
  12. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お話の通りに、現在の造船界の様子は非常に繁忙をきわめておりまして、宗谷が帰りまして、宗谷に対して手を加えるにいたしましてもなかなかめんどうな点もあろうかと思うのでございますが、この問題につきましても実は海上保安庁の方には十分私どもの方からお願いをいたしております。海上保安庁の方でもこれについてはできるだけの心配をして、皆さんの方にさような御心配をかけぬようにいにしたいというので、いろいろ検討いたしておられるように承知いたしておりますが、その方のことにつくましてはあまり今の場合御心配にならなくてもよろしいのではないかと思っております。
  13. 平田ヒデ

    ○平田委員 外電によりますと、ソ連などでは一九六〇年には原子力の砕氷船を建造する予定などと聞きますと、まことに心細くなってきてしまうわけでごさいますけれども、もう新しい砕氷船を作るのには時日はないし、そしてまたもう一ぺん宗谷に御苦労を願わなければならない状況でございますけれども、ほんとうに予算を十分お出しになって、何と申しましても宗谷がほんとうに本観測の足でごさいますから、十分に心してこれの改装に予算をとっていただきにいと思うわけでございます。  それからもう一つ、これは西堀副隊長さんがおいでにならないところでこういうことを申し上げるのもどうかと思いますけれども、これは予備観測に行かれる前でございますが、アメリカにお渡りになりまして、南極観測のための装備の見学や打ち合せを行われた際、アメリカ科学者たちは次のように言っております。小さな海や運河でも水先案内人が必要なのと同様に、南極では特に複雑かつ急変する流氷群を船が進む際、どうしても専門のアイス・パイロットが必要である。宗谷にもそのような専門家を雇った方が安全と思われるということを言っておるのでございますけれども、この点につきましては隊長さんからでもお伺いいたしたいと思います。
  14. 永田武

    永田参考人 ただいまの御質問に対しまして、私はその点につきまして西堀副隊長意見を異にしておりましたから、その意味でお答えするのが困難でございますが、もちろんアイス・パイロットがおられた方がベターであるという考えは成り立つと思います。しかし今の西堀副隊長の御調査アメリカの場合でございまして、私は南極観測に関しましての根本的な考えは、事ごとにアメリカもしくはソ連のごとき非常に大規模なものを範とすることは多くの場合に日本にとって現状にむしろ即さないという考えでございます。と申しますのは、先ほどもちょっと申し上げましたが、米国やソ連のように、あるいは海軍を動員しできるだけの金とできるだけの力を費すという状況では、日本ではとうてい困難だと思います。それに比してイギリス、フランスあるいは豪州といったような国は、自分のところの持つ力を十分に動かして、技術の粋を尽してそれを乗り切るという考え方であります。私は観測隊並びに宗谷あるいは海鷹丸にも及びますが、それはわれわれの仲間が日本の科学的の成果及び今まで持っております技術を十二分にまたフルに総合してやっていく方が結果としてベターである。何となれば動かすものは人間であるからという考えであります。私はその意味で申し上げたつもりであります。  もう一つは、今度の場合に、あるいは今のお話の中には、もしそういうことがあったならば、今度帰りに安全に出てこられたのではなかったろうかという御疑念があるかと思われますけれども、今度の場合にはたといアイス・パイロットがおりましても、それは非常にむずかしゅうございます。と申しますのは、要するに力の問題、馬力の問題であります。船がどれだけの馬力を持っておればよろしいかということであります。この機会に先ほどのことについてちょっと申し上げることにいたしますが、生命の危険という言葉があったようでございますが、われわれはあの場合に比較的平然としておりましたが、それは一切生命の危険がないから平然としておりました。もちろんあそこで一カ年おりますことは非常に楽しいことではございませんが、南極が非常に今むずかしいと申しますのは、そういうことがありますので、いかなる方法をとっても絶対に予定通り帰ってこれるということはないのであります。日本隊ではそのための食糧を一年以上用意しております。それから宗谷燃料の使い方も、そういう場合には船は動かしませんが、般の中を摂氏十五度の住める温度に保つための燃料を残すということは、われわれの計算の中にやはり入っておるわけでございます。そういうわけで、今度の場合でも、万一氷結されましても生命の危険はなかったわけでございます。実際非常に大きな何万馬力という船で参りません限り、半月やそこらは氷の中にいるのはむしろ普通のやり方でありまして、今度でもイギリス隊は約一ヵ月氷の中にふらふらしております。ノルウエー隊は初めから帰りは考えませんで、船ごとことしはいるわけであります。来年解けてから帰って参ります。そういうことは、やはりどうしても最悪の場合には考えねばならぬことだと思います。その場合に生命の危険はないのだ。それからパイロットで少し経験があると申しましても、リュツォ・ホルム湾はだれも行っておりません。南極と申しましても非常に広うございまして、……(笑声)どうも失礼いたしました。確かにベターでございますが、ぜひとも必要だとは私は考えないということを結論として申し上げたいと思います。
  15. 山本順一

    山本参考人 アイス・パイロットの件でございますが、乗組員立場から御意見を申し上げさしていただきます。この点は行く前に意見を尋ねられたのでございますが、われわれとしては、優秀な技術者で、世界のどこへ出しても恥かしくないという船長をいただいておりましたので、その技倆を全幅的に信頼しておった。それから先ほど隊長からも申されたように、リュツォ・ホルム湾付近の氷の状況につきましては、昨年の三月二十四日にグレイシャーがあの付近の海面に行っておりますが、実際入っておりませんので、あの付近について特別に詳しい氷の状況を知っておるという人はおらないはずでございます。そういうふうな状況でございまして、もしも予備観測一年で終るという状況でしたら、これはいろいろの御意見を取り入れて万全の対策をとっていく必要がございましたが、予備観測は本観測のための事前観測である、しかも船長の技倆というものに信頼を置いておりましたわれわれとしましては、むしろアイス・パイロットを連れてくることによってマイナスの面が相当考えられたわけでございます。それでわれわれとしては要らないという御意見を申し上げた次第でございます。
  16. 平田ヒデ

    ○平田委員 御信念のほどを承わって、大へん心強く感じた次第でございます。  もう一つは、観測の専門語がよくわかりませんけれども宗谷だけで独自の立場で本観測をなさる御予定でございましょうか。これは隊長さんにお尋ねします。
  17. 永田武

    永田参考人 ただいまの御質問は、宗谷以外に、たとえば随伴船を連れていった方がよりよく観測ができるのではないかという御意見と思いますが、それでよろしゅうございますか。
  18. 平田ヒデ

    ○平田委員 さようでございます。
  19. 永田武

    永田参考人 確かにほかに宗谷とともに現地まで行ける船があることが非常に望ましいわけであります。その船と申しますのは、宗谷が氷を割って入りましたあとを入れる船、術語で耐氷船、割る力がなくても、船の構造が氷の圧力に耐えるような船がもしございまして、その船が宗谷について入っていく。それが十分の資材を積み、あるいは人を積むことができますれば、これは非常に望ましいことでございます。しかし、もしも宗谷につき添って入り得る耐氷船でなくて普通の船であるならば、これはかえってマイナスになるわけでございます。私と山本航海長が先に帰国を命ぜられまして、来年度の本観測を十分にやることは非常に望ましいことでありますので、本部あるいは海上保安庁でその前から御調査を願ったのでありますが、遺憾ながら、現在の日本にはそれに耐え得るような耐氷船がないそうでございますし、あるいは外国からチャーターしょうといたしましても、先ほど申し上げましたように、できる国はみんなそれぞれ南極をやっているわけでありまして、よその国に貸すどころではない。それから、ありましても、たとえばフランスが先に数年間の長期契約をしているそうで、だめでございます。私はなお希望は捨てておりませんが、今のところは、最悪の場合は宗谷一ぱいでなるべく能率的なプログラムを作るように最低線を押えようという努力をいたしております。明確な御返事になりませんが、正直に申し上げましてその通りでございます。
  20. 平田ヒデ

    ○平田委員 それでは宗谷に匹敵するのがあればなおよく……。
  21. 永田武

    永田参考人 匹敵ではございませんで、宗谷について入れる船があれば非常にようしいという希望でございます。
  22. 平田ヒデ

    ○平田委員 大臣に伺いますが、それは不可能というわけでございますか。
  23. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいま隊長からお答えになりました通りでございまして、今日さような船が手に入るような見込みをまだ持つわけに参らないのであります。いろいろと検討はいたしてみたいと思います。
  24. 平田ヒデ

    ○平田委員 残念でございますけれども、仕方がないということでございます。  それからもうきまってしまったことでございますけれども、これから南極の世紀が来るということですので、南極基地の問題についてお尋ねいたします。  南極大臣での日本の割り当てられた基地は、あらゆる点において悪条件だと言われているようでございますけれども、これは日本自分で選んだのではなく、一方的に割り当てられたものではないかと思われるのでございますけれども、この点はいかがでしょうか。
  25. 永田武

    永田参考人 その問題は私、隊長としてではございませんで、この問題をやっております学術会議国際地球観測年日本委員会の幹事としての立場で、日本の代表として折衝いたしたのでありますが、困難であるとかないとかいう問題がございまして、たとえばフランスが長年おりますアデリーというところがございます。そこに比べて確かに困難でございます。それからパーマ半島と申しまして南極から南アメリカの方に長く出ている半島がございます。くろうと――私どもやっと半くろうとになったのでありますが、くろうとは南極と申しておりません。南アメリカの続きと申しておりますが、そこには確かに楽なところがございます。しかしほかの、たとえばウエッデル海、今度イギリスが入りまして苦労いたしております。あるいはモードハイム、今年ノルウェーの船が行ったまま帰らないと先ほど申しましたが、あそこの方が氷の状態は困難であります。それですから、困難か困難でないかということは比べる対象があってのことでございますが実態は今申し上げました通りでございます。あるいは日本昭和基地に入りますのよりもう少し楽なのは濠州のモーソンというのが日本基地の東側にございますが、そこの方が少し楽でございます。南極全体で今基地を作っておるところを申しますと、大体宗谷程度の船で行くことを考えますと、困難さは二十幾つの中で中くらいという実情でございます。  きまります状態でございますが、それは国際地球観測年について南極の全体を地面の中から空の上まで徹底的にやるにはどういう配置をすればよろしいかという純理論的な相談があったわけであります。それをやりますときに、たとえばフランスは自分の長年やっているところは優先的にとるわけでありますが、日本が参加を希望いたましたときにここならば望ましいというところが約四カ所あったわけでございます。つまりその中で観測仕事の上でもっとも工合のいいところ、そこで観測することが全体の南極上陸の調査をする上に一つのかなえとなるところ、もう一つは、上陸に困難その他の問題でございますが――この間なくなりましたバード少将がアメリカ南極のコミッティの長でございまして、その下にサイプルという、地質学者で、ずっとバードを助けておりました男がごさいますが、これは南極に十回くらい行っております。私の友人でございますが、そのサイプルに上陸その他のことを相談いたしましたところが、私は純然たるしろうとでございますが、サイプルの言によりますと、その残っている中では、一つ中へ入ること、もう一つ基地に適当な平らな場所で、しかも海からあるいは氷から登りやすい――がけでは仕方がないわけでございまして、そういうことを考慮して一番よろしいということになったわけであります。もちろん国際会議でございますから、それを出すときには最後に総会に出まして、決議が出ます。つまり国際地球観測年特別委員会というものがございます。これはユネスコの中にICSU、インターナショナルカウソシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオンズという学術会議のようなものがございまして、そこの委員会で公式にきめるわけでございますが、その場合には日本の希望に関する小委員会というのができまして、南アの気象台長のシューマンというのが年かさで委員長になりました。私ももちろんそれを処理する委員でございまして、サイプルその他がおりまして、七、八人のグループが実際的な科学者同士の友情で検討した結果でございます。でございますから、もう一度申し上げますと、公式には確かにそういう総会で決議したものでございますが、その決議文の作成には私も参加いたしまして、そういう手だてをとって日本が参加するには最も都合がいいであろうというところを選んでおります。その意味で、あそこが困難であるという意味には、私の判断に責任があるかもしれませんが、必ずしも強制されたものではございません。
  26. 平田ヒデ

    ○平田委員 次に雪上車のことでございますが、今まで四台であったのを今度倍の八台程度を望んでおられるようでございます。しかし実際上氷の上を車で前進する際に、氷の薄い場所とか氷の割れ目を避けるために車は非常に戸惑いしなければならなかった。氷の薄いと思われる地点に出たときには、何かを用意して行かれたらきわめて能率的で安全ではなかった、こういう点についてもお考えになつていらっしゃることと思うのでございますけれども、この点はいかがでごさいましょう。
  27. 永田武

    永田参考人 御忠言まことにありがとうございます。おっしゃる通りでございまして、もしあれが初めから様子がわかっておりましてその用意をいたしておりましたら、今度ももっと能率的であったと思います。でございますから、ただいまの本観測準備では土木関係の方にお願いいたしまして、大いに今おっしゃいました通りのことを専門的に検討し準備もいたしております。
  28. 平田ヒデ

    ○平田委員 宗谷が氷に閉さされまして行動が不能に陥ったときのことでございます。これは山本航海長さんからも御説明がございましたけれども、十三日間にわたりますその閉さされていらっしやるその間に、その付近ソ連の優秀船のオビ号がおったようでございますけれども、初めから宗谷の近くにいたオビ号に救援を依頼しないで、なぜ二週間もかかる距離のところにいた米国のグレイシャー号を先に頼んだのでございましょうか、まだこの点は納得いたしかねる点があるように実は思うわけでございます。現場で各国のおもな船などとも密接な連絡を絶えずとっておられたと思うのでございますが、海鷹丸にいたしましても、近くにソ連のオビ号がいるのがわからなかったかどうか、こちらの方の新聞ではいろいろと報道しておったようでございますけれども、現地で宗谷に乗り込んでおられました隊長さんや、山本航海長さんらにお伺いいたしたいと思いますけれども、この問題につきましては、二月の二十七日に、ここの委員会でわが党の野原委員から島居海上保安庁長官に質問をされておりましたのでごさいますけれども、現地に行っておられました方から一応その点のお考えを聞かしていただきたいと思うのでございます。
  29. 永田武

    永田参考人 大へんむずかしい、また考え方によりましてはデリケートな御質問でありまして、隊長という立場でお答えするのははなはだむずかしいのでございますけれども、ここにおいでの皆さん方は、現地におります人間の心理というものお御理解願えると思うのでございます。結果は、あるいはむずかしかったかもしれないのでありますが、船長も私もやはり希望的観測を持つておりました。こういうことを言うと四十過ぎの男と言われるかもしれませんが、日本人だけの力で出ようじゃないか、いろいろ内地では御心配をいただきまして、また本部では灘尾大臣あるいは島居長官らが何とかしてと言われましたが、実は当事者はなるべくほうっておいてくれという感じでありました。御心配を願いましてまことに申しわけございませんが、私どもの心理はおわかり下さると思いますが、そういうことで、おそらく山本君も本音を言えと言われれば同意をすると思うのでございます。  それで実はグレイシャー号とは直接通信はございませんでした。オビとはございました。オビは率直に申し上げますと、日本隊基地へ来たいという電報を私に打ったわけでございます。それでこっちへいらっしやいというお話しをいたしましたが、ソ連の都合もありましてやはり本国に尋ねるのでしょう。隊長の正式招待をくれというので、また正式に私はあなた方を御招待するという電報を打ちました。ところがそのときに外洋は天気が悪うございまして、オビは三日ばかり予定がおくれましたので、まことに残念だが行かれない、われわれはこれから西の方へ海洋調査に出かける、ごきげんよう、さようならという電報が来たわけです。それで私たちもいよいよだめだとなったら、あるいは今御説のようにオビを呼び出したかもしれないのですが、そのときまでは、とにかく船長とも何とか自分たちで出ようじやないかという気持でおりまして、むしろ東京でいろいろ御心配を下さったことに対して、受身であったというのが隊としての実情でございます。(「そうでなくてはいかぬ」と呼ぶ者あり)
  30. 山本順一

    山本参考人 オビの誘致は、まさに今隊長から言われました通りでございます。二月の八日から実はオビ号と気象連絡をやっておりました。オビ号はミールヌイの基地を離れまして、こちらの方に海洋観測に回っておりました。その後引き続き一日一回の気象交換をしておったのでございます。それからなお閉さされました十九日になりまして、万一の場合を考慮されまして、オピ、グレイシャーに連絡をとれ、こういう指示がございましたけれども、われわれとしましてはまだ時期も早いし、その後の天候の変化によりまして、氷状が必ずよくなる、われわれで脱出するんだ、外国の砕氷船に御迷惑はかけなしという決心をしておりましたから、連絡はしましたけれども、別に砕氷依頼ということはやっておりません。その後十九日から二十四日まで、距離にしまして大体四マイル程度北へ脱出したのでございますが、そのときはさらに先ほど申し上げましたように、パックが北の方に移動して追加して来ましたものですから、自分でどうしても出られなくなるおそれがあったわけでございます。そのときに初めて前方の砕氷を依頼するということをお願いしまして、連絡は引き続きとっておったのでございます。
  31. 平田ヒデ

    ○平田委員 もう一点だけお伺いいたしたいと思います。氷の中に入って行きます砕氷船はだめでありましても、海鷹丸のような氷の外に待っておる随伴船は、今度もまた持って行かれるお考えでございましょうか。そしてまたその船はきまっておりますでしょうか。その点お伺いしたいと思います。
  32. 永田武

    永田参考人 その点はまだいろいろ話し合いが済んでおりません。それでやはり随伴船がいる方が望ましいことがあります。そのために、今度の場合にも、海鷹丸がいてくれましたので大いに助かった点もあるのでありますが、二つの船がおりますと、片方の宗谷は構造が強いと申しますが、ずいぶん乱暴しても船体の方はびくともいたしません。海鷹丸の方は普通の船でございまして、比較的弱い。氷にぶつかりますとやはり相当危険であります。その点プラス・マイナスがございます。もし随伴船がいる場合にはよほど慎重に考えねばなりませんので、ただいまのところは私もどちらとも腹がきまりかねております。
  33. 平田ヒデ

    ○平田委員 これで終りますが、いろいろお伺いできまして大へん仕合せに存じます。予備観測によりまして、いろいろなデータが集められたわけでございますけれども、このたびの資料や経験を本観測に十分に取り入れられまして、隊長さんの方でも、これでよい、統合本部の方でも自信満々、さあと言って送り出すような態勢を十分整えていただきたいことをお願いいたしまして、私の質問を終ります。
  34. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 実は私は芝浦出発の際に万歳をやった立場上、お二人とも御元気でお帰りになりまして、二十四日には宗谷が帰ってくるそうでありますが、私お聞きした中で伺いたいことがあります。山本航海長砕氷能力について、これは自然と戦うのだからやむを得ないということでありますが、われわれしろうと目には、宗谷の難航したのは、グレーシャー号やオビ号はどの砕氷能力がないから難儀をしたんじゃないかということが想像されますけれども、そういうことについて、山本航海長はどういうふうにお考えになっておるか、その点をまず率直にお述べ願いたいと思います。
  35. 山本順一

    山本参考人 砕氷能力の点でございますが、先ほど申し上げましたように、われわれの希望としましては、実現できるかどうかという問題を離れまして、希望としては、もう少し力があってくれれば脱出できたというような観測をしているのでごさいますが、いろいろ改装の点につきましては、諸条件宗谷という船に限定されますとなかなかむずかしいところがあるわけでざいます。これは専門的にそれぞれ検討していただいておりますが、しかし最悪の場合、現状でありましても、相手というものが、とざされたことによってある程度わかってきました。それから自分の力というものも、相手に対してどの程度のことが分相応の力であるかということも大体わかって参りましたので、この経験を生かしてやれば、宗谷をもってしても十分可能性はあるというふうに信じております。
  36. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 われわれは新聞やラジオを通じて現場を知るので、先ほどもこちらが取り越し苦労をし過ぎるというお話がありましたが、何といってもこれは重大なことでもあるし、すでに外国では成功しておることでございますけれども日本では初めてこういうような大探検をやるということになっておるのであります。しかしこの宗谷でやるにしても、一体宗谷でほんとうにやっていいかどうかということにわれわれ疑問を持つのでありますけれども日本の国の予算の関係上なかなかそう思うようにいきませんが、今度は本観測でございますから、このままではいかぬ。しかしわざわざ永田隊長山本航海長が先にお帰りになったということは、次の秋にまた出発されるわけですから、宗谷について、こういうふうにしたらいい、こういうことにしなければやれないというような点もあるかと思いますので、その点を率直にお伺いしたい。
  37. 永田武

    永田参考人 私もこの改装問題につきましては、予算、お金の問題以外に、工期と申しますか、時期の問題、今帰ってきていつまでにできるかという問題を科学者の一人としてよく知っておりますから、こうやればよろしいという理想の注文は、なかなかいたしかねているのが実情でございます。実は技術的には、たとえば宗谷のエンジンの力がフルに十分に氷にかかるように実際に氷に対処したときの馬力が強いことが望ましいわけであります。とこが私船のことはあまり存じませんので、国会のような公式のところで不確かな知識でお答えすることははなはだ困るのでありますが、承わるところによりますと、同じ馬力のエンジンでも、水の上で能率よく走るということと、それから氷の中で非常におそい速度で押しくらまんじゅうをやるというときに馬力を出すというのではしかけが違うのだそうでありますが、氷海の中の航海、そのときに最高能率を出すようにするということは可能なようであります。そういった意味で、もちろん氷を割ると申しますのは馬力でございまして、目方が重くて速度が大きければいいのであります。金づちで割るのと同じであります。だから重たい船で馬力があればよろしいのでありますがそれに少しでも近づくようにやっていただきたいということが、今お願いし、かつそれならば何とか考えられるという一番大きな問題であります。
  38. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 これはわれわれの想像でございますが、オビ号が救援に来る前に、おそらく船があそこで越冬しなければならぬ、そうして海鷹丸の方に全部ヘリコプターで人を運ぶ、そういうような決心をされたということが当時の新聞に出ておったようでありますけれども、あのときの状況を少しお話いただきいと思います。
  39. 永田武

    永田参考人 確かにそのようなことをいたしました。いろいろ内地に報道されたようでありますが、先ほど申し上げましたように、食糧及び燃料は越冬するに足るわけであります。ただそういう準備をしたのは予定の最低限の準備でございまして、これは人情といたしまして、食糧も、映画といったものも、いいものは全部越冬隊に置いて参りました。たとえば酒類も持っておりましたけれども、レッテルのいいウイスキーのごときは基地に置いてきて、船には、酒ではあるけれども、まずいというものを持っておりました。でありますから、楽しい生活はできないという状態であったのでございますが、とにかく生命には危険がない。しかしもしもここで越冬したとしても、われわれはやはり当事者として希望的観測を持っておりまして、三月の半ばごろまでには出られるだろう、しかしそれではどうしても準備が間に合わないというので、少くとも本観測準備に必要な人を先に海鷹丸に移して、そうして東京に帰ってもらって準備をしてもらおうというわけであります。あのときに、隊全部が移乗できるかどうかということは、海鷹丸と宗谷距離によります。それが数マイルならばできたわけでありますが、最後のときにはそこまでなかったと思います。そういう意味で必ずしも全部移すということは考えておりません。それから隊及び船の全体の行動は、やはり人間でございますから、私は実は船長行動をともにしていくつもりでおりましたが、私とともに残るというのが他に五人おりまして、もしあのままピセットされておりましたならば、私と五人を残すほかは全部移乗できたものとは思いませんが、とにかく私とその五人及び若干の人が残っていたことになったと思います。しかしだいぶ改良すべき点もありましたので、それでは本観測に間に合わない。先ほど航空機はうんと使えるように考えようとか、あるいは先ほど話しました雪上車でだいぶ苦労いたしました。これは雪上車はいいのですが、土木工事して道をちょっとよくすればだいぶよくなるとか、そういうことを考えなければなりません。そういうことで一ぱいでありまして、命が大丈夫だということは相当人間の気を強くいたしますが、もしあれが命が危ないかもしれないということだと少しあわてたかもしれませんが、それが大丈夫だったものですから割合にみんなのんきにしておりました。
  40. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一つども疑問に思いますことは、越冬隊員を残して出発されたときに、先ほど山本さんは二月十五日とおっしゃいましたが、それは大体一番いい日取りに出発されたということでありましたけれども、その点でもうちょっと早くするなりあるいはゆっくりと延ばすなりすれば、脱出できる方法は今考えてあったのかなかったのか、どういうようにお考えになっておりますか。
  41. 永田武

    永田参考人 確かにそういう問題がございまして、実は先ほども南極は広いということを申し上げましたが、南極海岸によってはいろいろ事情が違うのであります。二月十五日というのも、南極の氷に関します多くの資料から得て、そして中にはその調査のときにある部分では非常におそい方がいい、つまり二月一ぱいくらいまででいいというのと、あるいは一月でも非常に氷が困難であろうというようないろいろ資料があるわけでございます。それは違った場所での資料でありましてリュツォ・ホルム湾については何ら資料がないわけでございます。そこでこの程度ならという、何と申しますか実際のデータなしで最も確からしくきめたわけでございます。結論から申し上げますと、やはりリュツォ・ホルム湾では早く離岸した方がよろしい、もう十日ないし半月早く出るように全体を前に繰り上げなければならないだろうというのが結論でございます。今度は十五日ということに大体きめて参りましたが、船から見ればこれは一日も早く出た方が、途中で待つかもしれませんが、いいわけでございます。ところが御承知のように越冬隊の方では一日も長くいてもらって、少しでも基地を完全にしたいわけであります。個人的なことを申し上げてはなだ恐縮でございますが、私はその間に立ちまして判断が間違っていたのかもしれませんが、やはり帰る側からすればそうでありますが、残る側からすれば着岸期間を延ばしてほしいというのは血の出るような声、希望でございました。
  42. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一つお伺いしたいのは、先ほど永田隊長から日本独特のあれでやるのだというお話を承わりましたが、これは日本人である以上当然でありますけれどもアメリカとかソ連、イギリス、ノールウェーなどが大体成功しておるので、これは経済的能力日本は違いますから、必ずしも私たちは外国と同じようなことをやれとは言いませんけれども、しかし今度の一予備観測日本のやる方法はこういうような考え方が正しいというような結論が出ましたかどうでしょうか。
  43. 永田武

    永田参考人 ちょっと先ほどの私の言葉を訂正させていただきます。日本独特という意味ではございませんで、私はやはりイギリスとかフランスとかというふうに日本と同じ程度の規模、つまり米国やソ連のようにケタ違いのやり方ではなくて、たとえばイギリス程度の班とするやり方がよろしいのではないかということを申し上げたわけでございまして、そういう考えを持っておりましたが、今度の経験によりましても、私は一般的に考えまして日本の実情としてはそういうやり方をしなければならないだろうという結論であります。と申しますのは、なぜかと申しますと、たとえばグレイシャーあるいはオビのように一万トン以上のクラスで数力馬力の馬力を持っておりますと、時間を守って比較的きちんとやれるわけであります。ところが千五百トンないし、二千トンあるいは三千トン以下の船でやっておりますときには、やはり場合によっては氷の中で十日間くらいはとまっているかもしれない、そういうことを全部計算に入れて、そして小粒だけれども――それに独特と申しますのは仕事自身に、イギリス人にはイギリス人の伝統的に得意な仕方というものがあるわけです。日本には、これは南極観測だけではありませんが、科学技術において独特なものがありますので、そういうものをやっていく。つまり物量で、いたずらに米ソと競争するということはわれわれの考えをもってしては無謀だという意味なのでございます。やはり私が考えました考え方が筋としては一番実際に近いのではないかという結論でございます。
  44. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一つ永田隊長にお伺いしたいのですが、この観測について、今西堀割隊長がおられませんから言いにくいのでございますけれども永田隊長と西堀副隊との間に多少観測についての意見の相違があるということを聞いておるわけなんですが、この予備観測を通じて、どういうような結果が出ているかということを一言だけ御発表いただきたいと思います。
  45. 永田武

    永田参考人 西堀さんがお見えのないところで私のみお答えすることははなはだ申しわけございませんが、別に個人的な意見の相違ではございませんで、私は御承知のように東京大学の理学部の教授でございまして、いまだ学校を出ましてから大学以外で月給をもらったことのない男でございます。いい意味では科学者あるいは技術屋としてその精神に徹しているわけでありますが、悪く言えばそのワクにはまっておる。西堀さんも実はやはり理学部の御出身の方でございまして、化学の学位を持っておられますが、むしろ考え方としてはいわゆるアルピニスト、登山家のお考えを持っておられます。そういう意味ではむしろ考え方が違っているのは当然でありますが、しかしこれは私見でありますが、今度のような仕事には両方の考えが必要であると思います。つまりそれが別々でなくて、統一総合していくところが出てくるべきでありますが、その統一総合の過程にいろいろの議論ができるのは私やむを得ない、これは自己弁護でありますが、そう思っております。私帰りましたところが、いろいろなことで新聞記者諸君から何かあったろうといろいろ聞かれたわけでございますが、案外皆さんが御希望されるほどのことは残念ながらないのでございまして意見の相違はごさいますが、意見の相違というのは、やはり隊員の中にもアルピラスト的な考えの人と、それから科学者といるわけです。それでぎりぎりになってどっちをやるかということになりますと本音が出て参りまして、名目は国際地球観測年だから観測だといいましても、やはり山の人は観測をしなくてもそこへ行きたいということがあるわけであります。そういう問題でありまして、いろいろ議論もありましたが、結果においてそれが必要な経過だったと私は考えております。
  46. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 山本航海長にお尋ねするのですが、私はオビ号が救援に来たところをニュース映画で見たのですが、日本宗谷が三メートルくらいも砕氷ができればあのように党々とやれると思うのでありますが、そのときにおいての山本君の気持、あのときの状態をもう少し説明をしていただきたいと思うのです。
  47. 山本順一

    山本参考人 オビ号が砕氷して参りましたときは、先ほども申し上げましたように、大体パックの幅が八マイルございまして、ちょうど半分程度のところまで来ているわけでごさいますが、オビ号が来たときが、正確な時間ははっきりわかりませんがちょうど八時ごろでございます。大体あそこまで宗谷で十一時間ぐらいかかると思います。ところがその半分の、逆の方の半分でございますが、その氷の抵抗はどちらが弱かったかということになりますとこれは相当疑問がありますけれども、大体まん中まで入ってくるのに二時から始めまして八時まで、大体六時間かかっております。しかしこの六時間というのは、反対側から入ってきたわけですから……。それを宗谷の横で回頭して入って参りました。そのあとをついていったわけであります。この回頭するということが非常に困難を感じておるわけであります。たまたまその回頭地点が氷の抵打が最も強かったところでございますから、宗谷では全然回頭なんということは考えられなかったわけですが、オビ号も回頭はできたものの相当時間がかかっております。その後脱出するまでに大体二時間ほどかかっているのでごさいますが、あのときにつくづく力の相違というものを痛感されたわけでございます。  なおオピ号が割っていったあとをついていったわけですが、そのあとへもかなり大きな氷盤が残っているわけです。それをよけていきますのに、酔っぱらいの千鳥足のような格好になりまして、あっちへぶつかりこっちへぶつかり、距離も次第にあいてきまして、その都度もう少し近寄れ近寄れというような信号をもらって、あわくってあとを追いかけたんですが、あまりスピードを出しますと、またこちらではスクリューが氷をひっかきましてそうむちゃな速力も出せないというようなことで、力の相違というものはそのときに痛感されだわけでございます。
  48. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一点お伺いしたいのですが、これは文部大臣からも今説明がありましたように、宗谷でまた本観測をやることは確実でございますが、ただ能力の問題でいろいろ問題があるわけです。しかしオビ号ほどの力がなくとも、何らかの形で、今度行かれるときにはもう少し力がなければ、これはやはり不安だと思うし、われわれ向うへ上陸されるまでは、新聞やラヂオでも割合スムーズにいっておるということを聞いておしりましたが、その間非常に苦労されたということをきょう初めて伺ったわけですが、しかし天候のこともございますし、去年うまくいったからことし必ずうまくいくとは限りませんが、しかし実際にやる場合に、ほんとうに宗谷を今度充実してやっていけば安心して行ける自信があるかどうかということを、山本航海長にもう一点だけお伺いします。
  49. 山本順一

    山本参考人 これは先ほども申し上げたのでございますが、今御説明通り天候というものに非常に左右されますので、もしも天候がことしよりも悪くならない――悪くなる程度でございますが、極端に悪くならない限り、最悪の場合、宗谷砕氷能力の現状をもってしましても、やる可能性はあるというふうに考えております。
  50. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 最後に文部大臣に一つお尋ねいたします。同僚の平田委員の質問並びに参考人の両氏のいろいろの話を聞いて非常に安心したのですが、むしろ島居長官などに聞きたいのですが、今おいでになりませんので申しかねますが、ただ問題は、この秋に――二十四日に帰ってこられていろいろ船を検討される。しかし予算の面もありますけれども能力の問題でこれがうまくいかなければ、また出発がおくれて、天候の工合などでかえって工合が悪いということになるのですが、そういう点は文部大臣は本部長であるのでございますから、全責任がかかるわけですが、予算の面、また永田隊長山本航海長などの御意見を十分に取り入れて、国民があんなひやひやせぬほどにやれる自信があるかどうか、一つこれはいつものような答弁でなくて、ほんとうのことをお聞かせ願いたいと思います。
  51. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 隊長並びに航海長に早目に帰っていただきましたので、われわれも今度の南極予備観測の実情がたいぶ明らかになったわけであります。そこでこれに基きまして今後の計画を考えていくわけでございますが、先ほど申しましたように、何と申しましても船が先決問題であろう。そこでこれもいろいろ検討の結果もう一ぺん宗谷に御苦労願うより以外になかろうというような結論になっておるわけであります。そうしますと、この秋までに出発しなくちゃならぬ、その時期までの間にできるだけ宗谷に力をつけていくことを考えなくちゃならぬと思うのです。これももちろん技術に関する問題でありますので、造船界の権威の諸君にも十分相談想いたしまして、与えられた時間内において可能な範囲のことを一つやって参りたいと思います。そのことを前提といたしまして、本観測計画というものについても十分検討を加えまして、一応無理のない計画のもとにやるのならやるということになろうと思うのであります。私はさような意味合いにおきましては、本観測は可能であると考えておるわけであります。予算の問題等につきましていろいろ御心配でございますが、これもおのずから限度ありということでありますけれども、私はしかし宗谷にもう一ぺん御苦労願ってやるということを前提として考えます場合において、予算のことは皆様方にそう御心配かけなくても済むというふうに考えております。
  52. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 永田山本両氏の御苦労の一端の話を聞いて非常にわれわれも参考になったわけですが、先回の御苦労はもとよりでありますけれども、西堀隊長以下十一名なお残っておられますし、国民も非常に期待を持っておりますので、でき得る限り一般の人々にこの前のような心配をかけないように、一つ万全の措置をとられることを要望いたしまして私の質問を終ります。
  53. 長谷川保

    長谷川委員長 河野正君。
  54. 河野正

    ○河野(正)委員 南極観測につきましてはわが国の国民はもとよりでございますが世界各国におきましても非常に大きな注目をいたしておるわけでございますから、少くとも隊長以下隊員の方々が非常に御苦労なさって御検討をいただいておるわけでもございますし、私どもといたしましても最大の成果が上るように期待をいたして参りたいと思うわけでございます。そこでただいままでいろいろと御説明を承わりましたので、私は一点だけ、角度を変えまして御質疑を行いまして御所見を承わっておきたいと思うわけでございます。と申しますのは、ただいままで論議されましたことは、主といたしまして宗谷が途中で難航いたしましたので、その難航を中心としての論議のようでございます。もちろんそういうことにも関係がございますが、私どもが特に考えなければならぬことは、問題は、今度の南極における観測をいたしますることが主目的でございますので、その観測がうまく行われるかどうかということが問題でなければならぬと思うわけでございます。そこで私どもが今日までの論議を通じ、あるいは新聞その他の論調を通じまして感じて参りましたことは、宗谷、が脱出いたしまする際におきまして、あのような事態が起りましたので、そういった点のみが国民に非常にアッピールされたというふうな印象を受けるわけであります。しかしながら、さっきから申し上げますように、目的はどこまでも与えられました観測の使命を達成するということでございますから、私どもはそういった使命がほんとうに今日のような陣容なりあるいは設備なりあるいは規模なりで達成されるかどうか、このことは国際的な問題でもございますので少くとも日本の科学陣を総動員して行われるわけでごさいますから、日本の科学陣の名誉のためにも、やはりそういった使命を完全に達成されるということでなければならぬと思うわけでございます。先ほどからいろいろ隊長以下の御説明を伺って参りますと、ソ連あるいはアメリカにおきましては非常に大規模なものが動員されておるということでございますが、日本の場合には、もちろん隊長から御説明になつておりまするように、日本の国情に即して、小規模ではあるけれども、人的な総意を尽してやるのだというような話でございます。しかし私どもが学問的な立場でながめて参りますと、小規模であろうとも、アメリカあるいはソ連におきましては非常に大規模な動員を行なって科学の粋を尽すわけでございますから、そういった点と比較して、日本が――もちろん日本には日本の与えられた使命なり目的があると思いますけれども、そういった使命なり目的を達成するだけの装備であり、規模であり、あるいはまたそういった陣容であるのかないのか、この点はややもいたしますと、宗谷が難航したことによりまして国民が耳をおおわれ、目をおおわれ非常に忘却されがちでございますので、この点を明らかにして国民の輿望にこたえていただきたい、かように考えるわけでございます。
  55. 永田武

    永田参考人 お尋ねの要旨はよくわかりました。率直に申し上げまして、われわれの観測基地でございますが、まず第一に基地が先ほど来申し上げましたように、あそこで最も成果の上らない場合を考えましても、普通の観測をやるということ自体が、地域南極全体の自然現象に関して要点の一つでありますので、その意味でも重要であると考えております。確かに今のお話のように、船の行動あるいま隊の行動の方がクローズアップされまして、本来の観測ないし研究自体は陰に隠れているようであります。非常に率直に申しますと、つまり実際の行動面においても、むしろ今度は基地建設と並行いたしまして観測及び測量その他のことをかなりやっております。そのことが不必要ではなく、むしろ重大な時間がないのだから基地建設ばかりやればいいのじゃないかという極論も実は隊内にございました。しかし一部の反対を押し切りまして、今御質問がございましても一応胸を張ってお答えできるだけの結果を持って帰ったわけでございます。  それは、一つは皆さんも御承知のように日本の人は非常にまめと申しますが、よく働きます。また科学者仲間でも、日本のわれわれは時間的によく働きます。それで生活条件が普通の場合は、それを補うだけの収入なり何なりが彼らにあるわけでありますが、ああいうふうに切り詰められて参りましたときには、そういう意味では、日本の人というもの一は時間的にかなりよく働くわけでございます。今度の場合でも実は予備観測でございますが、普通の気象観測は全部いたしております。そうして三月の一日から世界の測候所の一つとして気象データを出し、そこで天気図を書く仕事をいたしております。それから宇宙線及び極光の方は、これは宇宙線は連続でございますが、極光の観測は――機械は今度持っていっておりますのは、なるべく簡単な機械ということでごさいますが、場所が直接極光帯と申しまして、極光の現われる帯の真下でございます。われわれの昭和基地はそのために選びましたので、そこに現われます現象というものは非常に大事な、つまり全体から見ましてあそこでの極光の観測宇宙線観測地球全体において非常に重要な意味を持つわけであります。それから実は今度の場合は大事をとりまして、宗谷の中で――宗谷はセーリングー・オブザーバーと申しまして、動く観測船と申しておりますが、あそこで世界で初めて電離層の観測をやったわけであります。往復ともやっております。それから夜光と申しまして、新しい原子現象でございますが、それもほとんど連続で観測しております。それから宇宙線観測もやっておりまして、その宇宙線は二種類ございますが、一つの方はすでにアメリカその他でもやっておりますが、もう一つの中性子というのは世界で初めてやったわけでございます。何しろ北緯三十四度、これは日本でごさいますが、南緯六十九度まで、べたに記録があるわけでございまして、これは地球全体にとって非常に大きな成果であります。ただし私帰りまして非常に率直に申しておりますが、たとえば電離層の観測の機械のごとき、アメリカはあれだけのいい機械を作りましたが、なおアメリカは積んで持っていくことができなくて、日本が初めてやるのだと言って、行くときには大いにいばって行ってやってきたわけでありますが、実際に船の中で電離層の観測をするということは大へんなことであります。やる人も大へんであります、が通信の人は混信は起すし、電力はずいぶん食いますし、大へんな問題でありまして、なるほど今までアメリカの連中が、あれだけ、世界でもずいぶん好きな、電離層の関係友人がおりますが、それがやらなくて、日本で初めてやったということは、困難があります。それは機械でも、金でも、あるいは技術でもなくて、そういうところにあったのじゃないかという感じがいたしておりますが、しかし船の乗組員その他の協力でやり遂げたわけであります。これは今度の成果でございまして、そのほかにも、地理、地質のことは、ここに書きましたのは、ずっと地質図その他ができておりますが、いずれお目にかけられると思いますが、これも初めての地域に、それだけのものを作り、空中写真ができまして、全部普通の測量と同じようにやっております。それらは建設省の地理調査所から選ばれた隊員がやっております。そういう地域的なことは全部やっておりますので、全然未知の地域のこのデータというもの、そのほか今申し上げましたような日本独特と申しますのは、こういう意味のことでございます。機械ももちろん若干日本の特徴がございます。それで本観測の場合でございますが、実はその方面の研究日本でかなりよくやっておりまして、私出かける前から非常に盛りだくさんな希望があったわけであります。予備観測に出かける前に、皆さんがやりたいと言っておられた、つまり関係各省がやりたいと言っておられた観測は、南極のどの観測所にも上回ります。おそらくアメリカの、リトル・アメリカ基地がございますが、つまりアメリカ七つ基地を持っておるわけです。ですから相当になります。それからつまりリヴィング――ただ生きるためにも、日本では大体越冬隊員一人約十五トンでありますが、アメリカはそれより一けた上の、正確な数量は百トンないし百五十トンという正確なデータがあるのです。そういうことを入れればもちろんリトルアメリカその他の一基地は大きいのでありますが、観測の内容から申しますと、日本では、つまりアメリカはやるけれどもイギリスはできないというようなものが日本の案にある、イギリスはやるけれどもアメリカにはないというものが日本の案にはあるわけであります。それでこれは科学者及び技術者、あるいは関係日本の政府のそういう現業庁がたくさんございます。たとえば気象庁とかあるいは郵政省の電波研究所とか建設省の地理調査所とかの、そういう技術担当の人が出ておりますがそういう方々ができるだけやりたいとおっしゃるのは、私科学者として無理もないと思うわけでありますが、今度はやはり今申しましたように、船その他の制約のために、理想案をやるにはやはりオビ級あるいは、グレィシャー級の船で行くという建前でなければやはり無理なんで、一つ一つやる。しかしその一つの、たとえば電波の部門でも、今の計画では四つも五つも手広くどれもこれもやろうという案があるわけです。そうではありませんで、その中の最も大事な重要なことにしぼって、それをしっかりやろう、そういうやり方でやっていく。そういうことでやるならば、今もし宗谷の積載量その他で行きましても、日本人の勤勉さと相待って、非常にりっぱなデータができると私は確信いたしております。これで御返事になりますでしょうか。
  56. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま隊長からいろいろ詳細な御報告を承わりまして、私ども非常に喜びに感ずるわけでございます。このように乏しい装備、乏しい規模の中で、ただいま御説明のありましたようないろいろな成果が得られることにつきましては、私ども最大の敬意を表したいと思うわけであります。ところが学問につきましては際限がないものでございますから、でき得べくんばそういった研究の熱意なり、観測の熱意に対して大臣もすべからく一つ御協力を願いたいと思うわけでございます。いろいろ尋ねたいことはたくさんごさいましたけれども、御説明もございましたので、そういったただいま隊長から御報告になりましたことについて、大臣からも今後いろいろ御協力を願って、さらに大きな成果が生れるように努力していただかなければならないわけでございますから、その点に対しまする大臣の最後の御決意を承わりまして、私の質問を終りたいと思います。
  57. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 南極観測のことのみならず、地球観測年全体の問題でもございましょうが、私はこの機会にこれに従事しておられます諸君のほんとうに学問に対する情熱というものを心から感ずるわけであります。できるだけその気持の達成するように御協力申し上げるつもりであります。
  58. 長谷川保

    長谷川委員長 野原覚君。
  59. 野原覺

    ○野原委員 重複を省きまして、永田さんと山本さんに簡単に二、三点お尋ねいたします。私どもでは零下四十度とか零下五十度という低温は、およそ想像もできないのです。そういう低い温度のもとにおいて、基地を設営する、あるいは観測をする、こういうことになりますと、基地設営の資材とか観測器具というものは、低温下の建築資材、低温下の機械器具ということでなければなるまいかと思います。そういうようなものの日本の科学水準というものは、予備観測の御体験を験を通して、どのようにお考えになられましたか、お伺いしたいのであります。
  60. 永田武

    永田参考人 この点につきまして、重大な問題でございますから、出発前に日本でほとんど可能な限りの知識を集めたわけでございますが、ただいまのところは南極の夏でございまして、まことに申しわけないのでありますが、われわれのおりましたときは昼間はプラスでございます。氷点下の上にありまして、プラス一度、夜はもちろんマイナス三度、五度になりますが、昼間は暖うございまして、今だんだん下りつつあります。ただいまは南極の秋でございます。六月に入りますと、いよいよ今おっしゃいましたようなマイナス四十度という気温がやってくるわけでございます。それでわれわれといたしましては、人間は室内におりまして、真冬の間はあまり外へ出て行動いたしません。いたしますのは春、夏、秋でございます。機械はもちろん外へ出ておるものがございまして、その材料につきましては運輸省の研究所、あるいは北大の低温研究所の低温室などを用いまして、できる限りの試験をしてみたものがあるわけでございます。しかしそれも多くの場合マイナス三十度、メーカーの製品でありますとマイナス二十度まではいいとかということもありますが、マイナス四十度まで耐え得るというものは技術的に自信のあるものはないのでございます。でございますから、一部の機械がこの冬に故障して、ということもあるいは起り得るかと思います。しかし出発前に実は国会に呼ばれまして、くれぐれも念を押されましたように、人命というものは非常に大切でございますから、とにかく人が住んで暮していくというところには、そういうリスクを冒すようなことがないように努力をする。でありますが、機械の方は多少新しい観測でありますから、寒いところに突き立てるとか、あるいは気象にしてもその寒いマイナス四十度をはからねばなりませんし、風測にしても寒いところで六十メートル、七十メートルの風をはかるわけでございますので、あるいは風測計がこわれるということがあるかもしれません。これにつきましてはただいまのところ、出かける前に日本の学界及び製作会社方面、それから病理学と申しますか、お医者様の方も戦争中の北満その他の御経験あらゆる限りのできるだけのデータを集めてそれに対処していく、ですから今度はある意味においては非情な言い方ではありますが、日本が持っておる低温対策のテスト・ケースになるのだと思います。
  61. 野原覺

    ○野原委員 低温下の研究が御体験を通しては何とも言えないということでありますが、私ども心配するのはたとえばくぎ一本にいたしましても、零下四十度、五十度という場合にやはり成分変化を来たす、打てない、こういうような現象を起すのではないか、こうなってきますと、日ごろの科学の粋を集めた低温下の研究というものを、今後の科学界としては考えなくちゃならぬ。かって日本の機械工学会が文部省に対して千五百万円要求して低温下の研究をしたいと申しましたが、科学に御熱意のきわめて少い文部当局がこれをけったことがあるようです。そういうことが今度の観測にもやはり間接的に悪い結果を来たしはしないかということを第一に心配をして尋ねたわけであります。  第二点は人的構成の問題ですが、いろいろ聞くところによりますと、予備観測に連れて参られましたその人的構成で本観測もお考えになられておられるのかどうか。本観測ということになると、決定した観測になるのでございましょうが、たとえば建築の専門家がもっと要るのじゃないか。そうすれば基地設営が早くできるから、船も早く離岸できたのじゃないか、こういうようなしろうと流の批判を持つわけです。この人的構成の点についてどういう御反省、それから御見解を持っていらっしゃるか承わりたい。
  62. 永田武

    永田参考人 人の問題は非常にむずかしい問題であります。ただいまおっしゃいました一般論といたしまして、技術者をもう少しふやした方がいいじゃないかということはおっしゃる通りと思います。たとえば今おあげになりました建築の問題も、実は建築を担当いたしました建築学会に、南極建物の委員会ができまして、ぜひ連れていくようにという御意見がございました。ところが五十三名の中に割り振るためにどうしても連れていけなかったという事情があるわけであります。たとえば建築は非常に建築の委員会がうまいものを設計してくれましてただいま御心配になりましたくぎを打つことはございませんし、組み立てでございます。しかもしろうとで、お天気がよかったからでございますが、素手でできたのでございます。そのせいもございましたが、非常にやすやすとうちは建ったわけでございます。うちは建ったわけでございますが、内部の配線工作その他に時間をとりました。そういう意味においで一般論といたしまして、それが建築の専門家であるのかあるいは電気屋さんであるかあるいは機械屋さんであるかは別でありますが、そういう技術の専門家、あるいは雪上車の運転という意味技術者をふやした方がいいということはおっしゃる通りだと考えます。それで経験を生かす意味で、なるべく予備観測の経験を生かしたいが、あのままでやるとは考えておりません。
  63. 野原覺

    ○野原委員 それからこれは器具の問題でございますが、雪上車を今度は八台持っていかれるようです。あれは何でも「いすず」の自動車会社に作らしておるということですが、およそ日本の車というものは問題にならないのです。私は雲上車は知りませんが、日本の車両技術というものは最も世界の文明国家の中で低いのです。フランスのような、ルノーという自動車を作るような高度の車両工業国でも、この雪上車アメリカから持っていかなければ国際的責任を果すことができない――一国でも陥没しますと、全体の総合された観測の結果が南極観測の結論として出されるわけでございますから、日本が陥没しないために、やはり設営あるいは観測の器具等につきましては、この際は優秀な外国のものでもどんどん買い入れて持っていかなければならぬのじゃないか。「いすず」を決してけなすわけではありませんけれども、「いすず」の雪上車で果して十分なのかどうか。やはりアメリカ製でなければならぬというので、一流の国でも南極観測雪上車アメリカのものだ、こういわれておるようでごさいますが、その辺どういうことになっておりますかお伺いします。
  64. 永田武

    永田参考人 非常に具体的な御質問で、そこまでわれわれ隊員のことを御心配さいまして大へん感謝いたします。具体的にそこまでお察し願ったのでありますが、結論を申し上げますと、ただいまの「いすず」のディーゼルのエンジンで小松製作所の雪上車でございますが、私もおっしやる通り予備観測のときには若干危惧を持ちました。ところが持って参りました四台は、意外にも強うございまして――もちろん向うから連絡がございまして、千時間が寿命だということでごさいました。しかしぬかるみがありまして、何度もどかんどかんとエンジンに水をかぶるとか、乱暴きわまる運転をしたのでございますが、とにかくただいまのところ四台とも動いております。率直な感じを申し上げますと、もちろん改良すべき余地はたくさんでございますが、使い得るという点についてはすっかり見直したというのが私の感じでございます。それでたとえば雪上車をどう改良すべきかという改良点が十ぐらい出ております。私はこの間灘尾大臣の前で申し上げたのでございますが、最悪の場合ただいまのままの雪上車でもってやれるかとおっしやれば、これでやれますと今度の経験からは言えるというわけでございます。ただし、もちろん今のお話のように日本技術その他のものを一つの総合テストしてここで使うということを考えずに、若干、たとえばアメリカのスノー・キャットとかそういうものを比較に持って行ってはどうかという御意見ならば、それも非常にけっこうだ、私場合によってはそうしたいと思いますが、主力を輸入品に切りかえねばならないとは考えておりません。
  65. 野原覺

    ○野原委員 文部大臣にお尋ねをいたしますが、南極観測の機構、行政上の機構といいますか観測上の機構は文部省が統合本部でございますけれどもたとえば永田先生の地球物理学会とか、あるいは日本学術会議というようなものは、どういう役割をどういう面で具体的にやっておるのか、この辺を文部大臣にお伺いします。
  66. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねにもありましたように、全くの統合作用をやっておるわけでありますが、ことに学術的、学問的な問題につきましては、学術会議その他それぞれの向きの御意見によって動いておる次第でございます。
  67. 野原覺

    ○野原委員 何、だかあまりにも簡単きわまる御答弁で、取りつく島もありませんが、永田先生にお尋ねしたいことは、南極観測の機構について、先生のお立場で、現在の機構でよいかどうか、御意見がごさいましたら、私ども文教委員でございますから、承わりたいのです。
  68. 永田武

    永田参考人 実は隊といたしましてはその点を一番申し上げたいことであったわけでございまして各国と御比較願えれば明らかなのでありますが、日本観測隊のみが統一された機構ではございません。すべての国は形式は違いますけれども、船も隊もあらゆることを全部含めまして、一つのちゃんとした機構でございます。もちろんこれが政府直属の機関の場合もありますれば、あるいはフランスのように、原子力と同じように、政府が科学行政にぽんと出しまして、半官半民の形でこれを分けて、南極に幾ら、原子力に幾らというやり方もありますが、いずれにしろ一本の組織でございます。日本の場合には、これはやむを得なかったわけでございますが、まず大きく分けまして、海上保安庁の輸送関係の問題と、それからもう一つはそのほかの観測、設営という基地花作り、そこで観測する二つの仕事に分れさるを得なかったわけであります。さらに残念なことには、この観測隊の編成自身が、実は多くの場合に――これは時間の関係もあったのでごさいましょうが、統合本部のもとに任命されており伏すが何と申しますか臨時の形のものでありまして、たとえばわれわれのようにもともと国家公務員の者はそのまま併任でありましょうが、そうでない人は臨時雇いの技術員の形であります。つまり会社では部長クラスの諸君技術員として働いております。これが平時のと申しますか、比較的容易な仕事ならば、それでもよろしいのでありましょうが、ここまで言うのは大げさでありますけれども、私たちも一たん間違ったら命も危いかもしれないという――覚悟までいたしませんが、危険を感ずるようなこことも、ああいう仕事にあるわけであります。そこで人間が参りますときには、やはりはっきりとした組織がなくてはいけないわけでございます。やはり大勢の諸君がおられますので、万一の場合に、身分保障にいたしましても、本職でやっておるわけでないと申しますが、たとえそれは安全でありましょうとも、この二年ないし三年間には命を削る思いをすると申しましょうか、東京で働いておる何年分かの精力を使い果すということになるわけであります。それじゃ元の会社なりに戻った場合に、そのときにそうかそうかと言って迎えてくれるほど世の中が甘くないということはみな知っているわけであります。そういうジレンマがございまして、何とか各国並みに一本のちゃんとした形にやっていただきたい。これは非常に強い私の隊員の希望でございます。
  69. 野原覺

    ○野原委員 これで終りますが、私ども全く同感なのです。私はそういうことを感じておりましたから、永田先生から御所感を承わったわけですけれども、私は本観測を前にして、そういう点についても至急に検討しなければならぬと思う。最後に文部大臣から今永田さんから申されたことについての御所感を承わりまして、終ります。
  70. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいまの永田隊長のお答えは、きわめて重要なことと私考えます。そういう意味におきまして、隊長意見もなおよく伺いまして、検討いたして参りたいと考えます。
  71. 長谷川保

    長谷川委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ、これをもちまして参考人よりの意見の聴取は終りました。参考人永田武君及び山本順一君には、長時間にわたり貴重な御意見を御開陳さいまして、ありがとうごさいました。ただいま御開陳いただきました御意見は、今後本委員会におきまして、南極地域観測に関する調査を進める上に多大の参考になることと存じます。まことにありがとうごさいました。(拍手)     ―――――――――――――
  72. 長谷川保

    長谷川委員 次に社会教育法の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。本案につきましては、本日参考人より解釈上の疑義について意見を聴取することになっておりましたが、参考人出席の都合によりこれを取りやめることになりましたので、御了承願いたいと存じます。  これより本案に対する質疑に入ります。質疑の通告がありますので、これを許します。野原覚君。
  73. 野原覺

    ○野原委員 この問題はきわめて重要なことでありますから、私はわが党の理事諸君を通じて参考人の喚問をお願いいたしておったのでございますが、遺憾ながら参考人の喚問が実現できなかったことをきわめて残念に思うのであります。従って私は本日は端的に次の点についてお尋ねをいたしますから、文部大臣としては確信のある御答弁をわずらわしたいのであります。  まず第一点でごさいますが、昭和三十二年度の予算に日本体育協会に一千万円を計上している。この一千万円計上の支出のため、社会教育法の一部改正というのが出されて、第十三条当分の間適用しないという附則を斥けるんだ、こういうことになっているわけでありますが、かりにこの社会教育法が国会を通過した場合には、予算に計上した一千万円という金は日本体育協会に支出をしなければなりません。一千万円を国が支出する以上は、国は当然日本体育協会を監督しなければならぬと思いまするが、一千万円の金を支出することと、体育協会監督の関連を、どのようにお考えになっておるか承わりたいのです。
  74. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねの通り、幸いにしてこの法律案が御賛成を得て国会を通過いたしまするならば、それによりまして予算において御審議をお願いいたしましたように、日本体育協会に対しまして一千万円の補助をいたす、つもりでおります。この体育協会に対する補助の関係におきまして、もちろん政府との間に関係を生ずるわけであります。これにつきましてはしかし社会教育団体というものと国との関係社会教育法に規定いたしております通りでありまして、この趣旨を尊重して参らなければならぬと思うのであります。政府といたしましては補助金等の適正化に関する法律あるいは民法で許されておりますところの法人監督、この範囲のことはもちろんやらなければならぬと思いますが、それ以上のことは別に考えておりません。
  75. 野原覺

    ○野原委員 国の金でございまするから、公金を国がある事業に支出した以上はその公金がどのように使われるかということを監督しなければ、納税者である国民に対して国が責任を果したということにならない。これは憲法にいう財政法の規定がこれを明確にしておるわけであります。従って一千万円を支出したその範囲においては監督をするのだ、このように申されますが、それではお尋ねいたしますが、どのような監督をするのか。一千万円支出したからその監督をするのだと言いますけれども、監督するに当っての法的根拠というものをお示し願いたいのです。どういう法的根拠によって日本体育協会の使う一千万円のその金の使い道を御監督になりますか、それをお教え願いたい。
  76. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 法的な根拠と申しますれば、今申し上げましたように補助金等の適正化に関する法律でありますとか、あるいはまた民法の公益法人に対する監督規定、かようなものが根拠になると思うのであります。実際の扱いといたしましては社会教育法に、社会教育関係団体に対しましては何と申しますか、干渉がましいことはしないということになっておりまするので、これと矛盾しない範囲におきまして体育協会の事業の執行の状況等につきましてはいろいろ実際上の連絡をとり、また調査をすることもできると存じます。
  77. 野原覺

    ○野原委員 私はその点がどうも納得できません。たとえば文部省の所管である私立学校法によりますと、五十九条に、国が私立学校に補助金を出した場合には、明らかに所轄庁の任務、監督の権限というものが明記されてある。だから私立学校はこの五十九条で監督をするわけなんです。ところが体育協会に対しては、これは補助金と申しますけれども、この種のものには補助金が出せるかどうかすらも今日問題なんです。だから問題があるから私は文部当局とこうして質問のやりとりをやつておるわけでごさいまするが、どのようにして監督しますか。私立学校法の五十九条に匹敵するような法的根拠をお教え願いたい、抽象的な御答弁では困ります。
  78. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私立学校法による私立学校に対する監督は、われわれといたしましてはこれによりまして私立学校に対して公けの支配が行われるものと考えるのであります。社会教育法におきましては公けの支配に属する団体は排除いにしておるわけであります。私ども日本体育協会に関する関係におきましても、いわゆる国の公けの支配に属する団体というところまで持っていくつもりはございません。現在の社会教育法の範囲内における社会教育関係団体として取り扱いたいと考えておるのであります。
  79. 野原覺

    ○野原委員 それでは立場を変えてお尋ねいたしましょう。国は日本体育協会に対して補助金を一千万円出せるのだ、こういうお考えでございますが、それでは地方自治団体は地方における体育協会に対して公金を支出してよろしいか。地方自治団体が、たとえば大阪府が大阪の体育協会にその公金を支出してもかまわないかどうか、お伺いいたします。
  80. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 現在の社会教育法におきましては、御承知のように国も地方公共団体も社会教育関係団体に補助はできないことになっております。今度御審議をお願いいたしますところのこの一部改正案によりまして、私どもはある範囲内の団体に対しまして国の補助の道を開こうといたして、おるわけでございます。それだけのことでございますので、現行法におきましても、また一部改正法の結果によりましても、地方公共団体が社会教育関係団体に補助することはできないと考えております。
  81. 野原覺

    ○野原委員 そうなってきますと、またもとに戻って議論をしなければなりませんが、大臣も御承知のように地方自治法の二百十二条、それから二百三十条は、そうなると一体どういうことになるのか。地方自治法の二百十二条を読み上げますと「普通地方公共団体の財産又は営造物は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対しその利用に供してはならない。」このように規定してあります。それから二百三十条には、「普通地方公共団体は宗教上の組織若しくは団体の便益若しくは維持のため又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、公金を支出してはならない。」この二百十二条と二百三十条というものは、これはこの第十三条を当分の間適用しないと付則に明記した場合に、どういう解釈上の関連を考慮しなければならないのか伺いたいのであります。
  82. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいまお読み上げになりました地方自治法の規定の問題は、これは憲法八十九条と同じように、地方自治団体が公けの財産を支出してはならないというようなことを規定した趣旨でございます。ところでこの前にも申し上げましたように、社会教育関係団体の中で直接憲法の教育の事業というものに該当しない範囲のものにつきましては、地方自治法の規定も同様に抵触はしない、こういうように解釈いたしております。
  83. 野原覺

    ○野原委員 そこで大事な点ですから、あなたの方も確信があるなら確信をもってお答えいただきたいと思うのですよ。社会教育関係団体とは何かということが、やはりこうして問い詰めて参りますと問題になってくる。社会教育関係団体とは公けの支配には属しないということはもう明らかです。これは文部大臣もこの前申しておりまするから、この点は私と同じなのです。ところが社会教育関係団体の行う事業というものが教育事業であるのかないのかということとがまた問題になってくるわけですね。大臣は教育事業ではないのだ、こう申される福田局長は、これは憲法上の通説でございますとこう申される。あなたがそう申されたおかげで実は私これだけ読んだ。これは今日の日本憲法の代表的な著作です。これだけ読みましたけれども、残念ながらこの書物だけです、あなたと同じ御意見を書いておるのは。しかも著者のない本です。この本の中身というものはあなたが申された文句そのままであります。「教育事業とは、学校又はこれに類した施設によって特定の範囲の受講者に対して継続的積極的に行う教育を指す。したがって教育基本法でいう教育などより狭い観念である。」云云と書いてあります。残念ながらこの本だけです。そうしてたとえば――私は一々は読み上げませんが、この横浜大学論争の論文を見ても、蝋山正道さんが編集をいたしました井藤半弥さんの憲法の財政に関する講義を見ても、宮沢俊義さんの「日本国憲法」に至っては、社会教育関係団体の行う事業体育、リクリエーション、これは当然憲法八十九条の教育事業に入る、これは明確に害いてある。これは福田局長もお読みになったと思う。それから「新憲法の研究」という国家学会の編さん、それから佐藤功さんに至っては実に徹底したことを書いておりますよ。だからあなたが憲法上の通説だということをおっしゃったから通説かどうか調べてみました。通説とは、学説上における九割あるいは九割何分かの大学者の見解が一致したものを学説上通説と言っておる。そうなるとはなはだどうも理解に苦しむのです。従って今日憲法学者の見解と文部当局の見解が異なるわけです。だから私は参考人を要求したのに、委員長はどういうわけか私の要求を聞かない。はなはだもってけしからぬと思いまするけれども、(笑声)しかしながら私はそういうことはいまさら申し上げません。これは憲法上の説がどうあろうとも、文部省はこれで押し切るのだ、憲法上の説がどうあろうとも、そんなことはかまいません、私どもは憲法上の有権的な解釈をする、有権解釈の立場に政府があるからこれでやるのだという、そういうむちゃくちゃなお考えを大臣が持って押し切ろうとなさるのかどうか承わりたい。
  84. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先般の委員会におきまして、局長から御答弁したその際に通説という言葉を使ったことは私も確かに耳にいたしたのであります。これは私からあらためて申し上げます。憲法上の通説と申しましたのは、これは言い過ぎであろうと私は考えております。ただこの問題につきましては、いろいろお述べになりましたが、学説もあることでございます。政府といたしましては憲法の解釈、理論的にもあるいは実際的にもいろいろ考慮をいたしました結果、憲法八十九条にいわゆる教育事業という場合におきましては、教育する者と教育される者との存在を予定いたしておる、かように考えておるのでありまして、社会教育と申します言葉の中には、もちろんこの憲法八十九条にいう教育と同じ教育も入っておる、同時にまた、いわゆる社会教育と申しまする中にはそれよりももっと、八十九条には該当しないけれども、社会教育とこうわれわれが考えるものがあると思う。すなわち範囲が広いと思うのであります。さらにまた社会教育関係団体というような場合におきましては、もっと私は範囲が広くなっておると思うのであります。いわゆる社会教育そのもの、社会教育の周辺にあるような事業、さようなものも社会教育に関する事業ということになると思うのであります。社会教育に関する事業と申しまする場合が一番広いのじゃなかろうかと実は考えておる次第でございます。今回御審議をお願いいたしておりますもの、ことに日本体育協会というような、かりに具体の例を申し上げて参りますると、これらはいわゆる社会教育に関する事業ではあるけれども、社会教育そのものではない、もちろん憲法にいう社会教育事業ではない、こういうように考えておる次第でございます。
  85. 野原覺

    ○野原委員 八十九条の教育をそのように割り切る根拠はどこにもないのです。これは憲法解釈上どこにも出てこない。八十九条の教育は、教育者と被教育者の三つの対立、そのことが内容であるところの教育だと何を根拠にして解釈なさるのか。これはないのです。社会教育関係団体の教育は、これは憲法八十九条の教育よりも広いと申されますけれども、この二つは比較すべきものにあらすして、私どもは八十九条の教育を問題にする場合には、およそ教育事業とは何ぞやということから入っていかなければならない、これは当然です。およそ教育事業とは、学校教育もあれば、青年教育もあれば、婦人教育もあれば、成人教育もあれば、社会教育もあれば、知育も徳育も体育もある、そういうことになって参肥りますと、やはり問題がある。これは憲法上疑義があります。この点はやはり文部大臣も率直にお認めにならなければならぬと思う。ただ日本の現実上、八十九条の教育を野原のような解釈でいくとにっちもさっちも動かない、今日の日本の社会構造あるいは実というものが動かない状態になる、従ってこれはどうにも困ったことでございますが、まあ疑義は疑義としてやむを得ず、この際は文部省の御解釈を黙って認めてくれないかというのならば話は別なんです。(笑声)あなた方が絶対に疑義がないと、こう大みえを切りますから、私はその疑義を言っておる。そこで私と同じ見解を持つておる大学者に来ていただいて――私が言ってはうんと言わないからと思いましたけれども、それもできなかったのです。この点はいかがですか。私は大臣のすなおな御発言を一つお願いいたします。その御発言のいかんによってはやめますから……。
  86. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 実はすなおにお答えを申し上げておるつもりであります。野原さんのおっしゃる通りだというわけにも実は参りかねるのでありまして(笑声)やはり社会の構造、社会の実情というようなお言葉がございましたが、日本の憲法の解釈をいたします場合におきましては、やはり実際というものを頭に入れて考えなければならぬ。これは非常に広く解釈をいたしますと、実情に非常に沿わないものがあると思う。さような意味合いにおきまして、政府といたしましては、先ほどお答え申し上げましたように、憲法八十九条にいわゆる教育の事業というものについての解釈をいたしておるわけでございます。この点は一つ御了承願います。
  87. 野原覺

    ○野原委員 この点は私は、なお意見を異にいたしますけれども、これ以上論議してもどうかと思いますから、この辺でやめます。  最後にこれに関連して一点だけお尋ねいたしておきますが、宗教教育をなす学校、いわゆるミッション・スクールあるいは仏教系統の学校あるいはお宮さんでもいいのですが、そういう宗教教育系統の学校に国は何らかの形で公金を支出し、それから便益を与えておる点がないかどうか、これがもしあるとずればどういうことになるか。これは大臣にお尋ねしておきますが、これは日本にはたくさんございますが、もしそれをやっておれば、これはこの公けの支配に属する事業云々ではなしに、憲法八十九条の前段によってこれは明らかに違憲であります。これは御同感であろうと思うが、そういう事実はございませんか。私は念を押しておきます。
  88. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 まことに不用意でございまして、私直ちにお答えするだけの準備をしておりませんので、一応政府委員からお答えいたさせます。
  89. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいま野原先生が御質問になりました点はいろいろ異論のある点でございますが、私は具体的にどこの学校に公金をやっておるかということは、所管が違いますので存じませんが、貸付等を行なっておる学校がないとは限らないと考えております。しかしながら、その問題につきましては、これは学校の事業そのものを宗教上の組織と見るかどうかという点について説が分れるのではながろうか、かように考えておりますので、ここで断定的に申し上げかねますが、そういう事実が全然ないとは、ちょっとここでは、資料を持つておりませんので、申し上げかねます。
  90. 野原覺

    ○野原委員 唐突の質問ですから資料に基いての御答弁ができないのは私も了解いたします。これはお調べ願いたい。あなたはその場合によっては云々と申されますけれども、どう考えても宗教教育系統の学校には補助金を出せば違憲になります。これもついでに御研究願いたい。私はこの次の適当な委員会に具体的な資料を出していただいてこれは早く何とかしなければ問題になります。(笑声)その資料を出していただいてから、なお私はお尋ねいたしますから、その点だけ要望して、はなはだ不満でごさいますが終ります。
  91. 小牧次生

    ○小牧委員 関連してお伺いいたしますが、この法案の補足説明の中に、本措置を恒久的措置としなかったのは社会教育関係団体の性格及び本措置の緊急な必要性にかんがみまして云々、こういうふうに社会教育局長はここに述べておられるのでありますが、先般来の同僚の野原委員のいろいろな質問で、憲法上の疑義がある、確かに私も疑義があると考えております。そこで法文にも「当分の間」という表現を、使って、恒久的措置としなかった、こういうふうになっておりますが、これは一千万円の予算を計上されて、それに見合う措置としてこういうような法律の改正が出されておる。これ一回きりでやめるために当分の間ということで恒久的措置としなかったということになっておるのか、それともただいま質問がありました通り、憲法上疑義があるという点も若干お考えになつてこういうような表現をとられたのか、その辺のところをお伺いいたします。
  92. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいまの御質問でございますが、この点はこの前政務次官からもお答え申し上げましたように、社会教育法の問題につきましては、いろいろ検討いたしまして、将来また相当な改正をしなければならぬというような時期があると存じますので、そういった改正までの当分の間」というような趣旨で、一応附則の中にこれを入れたわけでございます。従いまして今年限りでこれをとりやめるとかいうような趣意ではないのであります。
  93. 小牧次生

    ○小牧委員 それでは一回きりではない、あるいは将来社会教育法そのものを改正する時期があるかもしれない、そういうような点を考慮に入れながら「当分の間」、こういうようにされたと思うのでありますが、いやしくも「当分の間」でございましても、法文改正ということになりすと、これは先ほど来野原委員からいろいろ話がありました通り、問題があるわけでございます。  そこでその次にお伺いしたいのは、国だけに限られた理由、これが第一。それからかりに国だけに限っても先ほど野原委員の質問の中にもありましにが、はっきりしたことはわかりませんけれども、地方公共団体の側でも時折これに似たような小額の補助金を出しておるのではないかというようなことも承わるのでありますが、国だけに限っても、そういった実情に地方があるとするならば、これはここに根拠を得て続々と地方公共団体に対しましてはいろいろな陳情が、さなきだに困っておる地方公共団体の財政に対しまして相当強く行われて参るのではないかという不安を私は感ずる一人でございますが、そういった情勢につきましては文部当局は、どのように把握しておられますか、お伺いいたします。
  94. 福田繁

    ○福田政府委員 この法案を一応国だけに限定いたした理由でございますが、地方の公共団体がこういった団体に出すことも将来検討すべき問題だと考えておりますが、しかしこの法案では、一応全国的及び国際的事業を行う団体だ、こういうように限定いたしておりますので、まず国際的な事業を行うところの団体に対しましては、さしあたり国が補助金を出せば足りるのじゃなかろうかというように考えております。こういう意味でとりあえず国際的な団体には国だけが出すということにしたのでありますが、地方のいろいろな運動競技の団体につきまましては、やはり地方で補助金等の問題も話しに出ておると存じております。一つ一つの団体につきましては詳細はわかりませんけれども、補助金でなくても相当実際的な援助の方法々講じておるというように伺っております。
  95. 小牧次生

    ○小牧委員 さらにあなたの補足説明では、これは、第十三条におけるこの補助金を与えてはならないというような規定に対しての緩和規定でありますが、一律に禁ずることは問題があるのでこれを緩和する必要がある、こういうような表現を使われ出して、これを緩和して、日本体育協会なりそういうようなところに補助金を出す、こういうふうになったのであろうと思いますけれども、やはりこれでもって救われる面もありますが、反面また弊害も生じてくる。今私が申し上げたような地方公共団体の問題もありますが、それだけでなくて、一歩この門を切り開いたならば、やはり同様なような団体もありますので、国の方に対しましてもいろいろな要望も行われるであろう、こういうようなことを考えるわけでありますが、その辺についてはどういうふうなお考えでございましょうか。
  96. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 今回の改正の趣意でありますが、御承知のように社会教育法の第十三条では、「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、補助金を与えてはならない。」という規定がございます。この十三条を一体どうするかということがかなり議論になるわけであります。私どもの今度のこの案によりますと、十三条の基本原則と申しますか、この基本原則を動かすというところまでに至っておらないのであります。この点につきましては、なお十分議論をしなければならぬし、また検討を要する点もあると思いますので、みだりにこの原則を変えるというわけにも参らぬ、かように考える次第でごさいますが、実際における体育界の状況は御承知通りでありまして、今日全国的及び国際的な大きな事業をやっておりますような団体の実情というものを考えます場合に、その仕事は非常に国家的でもあり、国といたしましても大いに受益するところのある事業でございますが、団体が財政的に非常に困難しておりまして思うにまかせないという状況もございますので、とりあえずさような団体につきまして補助の道を開こうというような結論に至りまして、この一法案の御審議をお願い申し上げておるような次第であります。十三条を緩和するとか、やめてしまうとかいうような議論もあるわけでございますけれども、さような点につきまして十分検討して参りたいと考えておる次第でありまして、この法案の御審議をお願い申し上げました心持につきましては、ただいま申し上げましたようなところから出ておるのでございますので、御了承いただきたいと思うのでございます。
  97. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 関連してお尋ねしたいのですが、補助の問題は極東オリンピックの問題とも関連しているのですが、国際オリンピック、極東オリンピックのことはわれわれは別段反対をするのではありませんが、一応地方では県が主催で体育大会をやっておったのでありますが、この問題については文部省はどういうふうなお考えを持っておられるのか、この点についてお伺いいたしたいと思います。
  98. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民体育大会をどこで開催するかというようなことが、実は国民体育大会をめぐる大きな問題になっておることは御承知通りであります。われわれといたしましては、国民体育を振興し、ほんとうに全国の人が体育を楽しむような態勢を作り上げるというような気持を持っておるわけであります。国民体育を振興する上から申しまして、国民体育大会に期待するところが非常に大きいのでございます。できるだけ堅実なしかもりっぱな発展を遂げて参りたい、かように考える次第でございます。この国民体育大会をめぐりまして、地方財政というような関係からしていろいろな議論がありまして、先年国民体育大会の地方持ち回りということもやめたらどうかというような議論になっておるような次第でございますが、しかしただ国民体育大会の使命、その任務ということを考えます場合に、東京だけで国民体育大会をやるのがよろしいかどうかという問題もございますので、この問題は最近設けましたところのスポーツ振興審議会の一つの問題といたしまして、目下検討いたしておられるような次第でございます。何とか一ついい結論を得たいものと考えております。
  99. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 この法案が通過しますと、地方公共団体の補助金品という問題に関連していろいろと弊害が起ることを心配しておるのですが、そういう心配はないものかそのことだけ一つお答え願いたいと思います。
  100. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この法律案で書いておりますことは、申すまでもなく国からの補助のことだけ書いておるわけでございます。社会教育法ないしは地方自治法等によるこの種の団体に対する補助の禁止はまだ解けないわけであります。その点はさように一つ承知を願いたいと思います。
  101. 高津正道

    ○高津委員 関連して。この法案を出されるについて体育団体が今までどのようにして財政をまかなってきたか、それについての把握があったと思いますが、簡単にその御説明を願いたいと思います。
  102. 福田繁

    ○福田政府委員 たとえば日本体育協会を考えてみますと、昭和三十年度の決算について申し上げますと、大体その総額におきまして、支出及び収入は千三百六十四万三千円、こういうようになっておりますが、その収入の一番最大なものは国民体育大会を開催いたしました際の入場料の収入、あるいはその国体に参加いたしますところのいろいろな団体からの収入、そういったものが大体千三百六十四万三千円の中で約一千万円程度を占めております。従って、そのほかに寄付金だとか、この加盟団体からの納入金とかいうようなものが若干ございますけれども、大部分はそういった収入で占めております。従って、この国体の開催の場合におきまして、体協がそういった国体の入場料収入等に依存するような方式をとるということは、国体の開催自体につきましてもいろいろな支障がございますし、また体協の将来のあり方といたしましても適切ではあるまい、こういうような見地からいろいろ補助金等の問題が出て参ったような次第でございます。今申し上げましたのは、財団法人日本体育協会の三十年度の決算の問題でございます。
  103. 高津正道

    ○高津委員 日本体育協会に対して今回一千万円の補助を国が出す。これについて監督規程というか、監査規程というか、そういうようなものを新たに作られる用意があるのですかどうですか。
  104. 福田繁

    ○福田政府委員 特に監査規程を新しく制定するこいうというようなことは考えておりませんが、補助金の適正化法に基きますところのいろいろな補助の場合の条件なり、この法律に規定されておりますところの諸事項がございますが、そういった面では十分厳重な監督が補助金に対してなされる、そういうことだと思います。そのほかに民法の監督規定によりますところの予算、決算あるいは事業内容についての監督は、一般の民法の財団法人の場合と同様にこれは当然できるわけでございます。
  105. 高津正道

    ○高津委員 現在文部省で考えておられるその補助金の使用条件とか、何らかの基準とか、そういうようなものはどういう内容のものですか。
  106. 福田繁

    ○福田政府委員 今年度の一千万円の補助金は、大体におきまして体協の運営費の補助でございます。従って、この運営費の内容といたしましては、人件費、それから体協の事業費というものに使われて差しつかえないわけであります。従って、特別のこまかい基準はございませんけれども、体協従来の実績によりますところの人件費、それから今後新たに三十二年度に考えておりますところの事業等には当然この補助金を使用してもよろしいというように考えております。
  107. 長谷川保

    長谷川委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ本案に対する質疑はこれにて終局いたします。  これより本案を討論に付します。別に討論の通告もないようですので討論を省略し、直ちに採決いたしたいと存じますが御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  108. 長谷川保

    長谷川委員長 御異議なし」認め、さよう決しました。  これより採決いたします。本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔総員起立〕
  109. 長谷川保

    長谷川委員長 起立総員。よって本案は原案の通り可決するに決しました。  なお本案議決に伴う委員会報告書の作成につきましては、先例により委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  110. 長谷川保

    長谷川委員長 御異議なしと認め、さよう取り計らいます。  本日はこの程度とし、次会は公報をもってお知らせいたします。これにて散会いたします。    午後四時五十八分散会      ――――◇―――――