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1955-07-29 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月二十九日(金曜日)     午前十時五十八分開議  出席委員    委員長 篠田 弘作君    理事 佐々木秀世君 理事 高木 松吉君    理事 濱野 清吾君 理事 南  好雄君    理事 山中 貞則君 理事 山田 長司君    理事 神田 大作君       草野一郎平君    牧野 良三君       松岡 松平君    山本 猛夫君       米田 吉盛君    鹿野 彦吉君       福永 一臣君    高津 正道君       辻原 弘市君    西村 力弥君       大西 正道君    小林 信一君  委員外出席者         証     人         (日本教職員組         合教育文化部         長)      佐藤幸一郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  調査経過報告書に関する件  小、中学校における教科書関係事件     —————————————
  2. 篠田弘作

    篠田委員長 これより会議を開きます。  前会に引き続き、小、中学校における教科書関係事件について調査を進めます。直ちに証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになっておられる方は佐藤幸一郎さんですか。
  3. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 そうです。
  4. 篠田弘作

    篠田委員長 この際証人に一言申し上げます。現在わが国において小中学校における教科書は多種多様にわたり、大小出版業者が乱立の結果、これが検定並びに採択等に関しとかくの風評も生まれ、これが学童並びに父兄に及ぼす影響等を懸念し、世上大いに関心を抱いておる向きもありますので、義務教育の本旨にかんがみ、これが眞相を明らかにすることはきわめて意義あることと考え、本委員会は本件の調査に着手した次第であります。証人におかれましては率直なる証言をお願いいたします。  それでは、ただいまより、小、中学校における教科書関係事件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合にはその前に宣誓をさせなければならないことと相なっております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び、医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになっております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておるのであります。一応このことを御承知になっておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人佐藤幸一郎朗読〕    宣 誓 書  良心に従って、眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
  5. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは、宣誓書署名捺印して下さい。     〔証人宣誓書署名捺印
  6. 篠田弘作

    篠田委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を超えないこと、また御発言の際にはそのつど委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになっていてよろしゅうございますが、お答えの際は御起立を願います。  証人略歴について述べて下さい。
  7. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 大正七年一月三日福島県安達郡に生まれました。数え年三十八歳であります。昭和十二年に福島公立小学校教員になりまして、以来小学校教員八年間、それから、昭和二十年に福島県立中学校、今日の高等学校でありますが、高等学校の教諭になりまして、以来今日までやって参っております。  組合関係につきましては、昭和二十一年五月福島市の教員組合結成参画いたしまして、福島教員組合総務部長になりました。そうして、続いて七月福島教員組合結成参画いたしまして、福島教員組合書記長に選任され、以来三選いたしました。それから、組織部長書記次長その他中央委員、いろいろの組合役員等をやりまして、今日に至ったわけであります。昨年の六月日教組札幌大会において日教組中央執行委員に選任されまして、中央執行委員会の互選によりまして教育文化部長に就任いたしました。今年同じく中央執行委員に選任され、教育文化部長に重任をいたした次第でございます。  以上が私の略歴でございます。
  8. 篠田弘作

    篠田委員長 日本教職員組合、あとは日教組と略称いたしますけれども、この組織並び日教組と各都道府県教職員組合との関係について述べて下さい。
  9. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 規約あるいは私の記録等がございますので、それを参照しながら答えますことをお許し願います。  日本教職員組合は、結成されましたときから、各都道府県教員組合連合体でございます。ということは、単位組合というものは各都道府県組合でありまして、その後、特に公務員法改正等によりまして、職員団体という一つ登録措置がございましたが、この際は、法律に規定された通り、各都道府県自体が、市町村単位小学校中学校義務制学校、つまり市町村立学校市町村立単位組合を作り、そして県立学校というものは原則として県一本の組織を作る、こういう形で、その施行に際しましては、各都道府県自体が厳密な意味では連合体ということになったわけであります。従って、日教組というものは連合体のさらに連合体、こういうのが組織上に言われているものでございます。しかし、日教組活動というものは、結成の当初から、各都道府県教職員の自主的な決定によって、大多数の意思のまとまるところによって行動をし、あるいは運動を起すということになっておりますので、その結成以来の経過並びに方式というものは、今日に至っても踏襲されているわけでございます。こういうのが日教組組織であり、それから日教組と各都道府県組合との関係ということになります。特に、日教組の私どものような中央執行委員というものは、全部各都道府県教員組合執行委員という信任を受け、そうしてその中から候補者として出た者が日教組大会においてさらに無記名投票によって選挙を受ける、こういうふうにして執行委員というものは構成されておるわけであります。すべての日教組の決議というものは、日教組において執行部がいろいろ各府県実情資料等に基いて運動の方針に対する原案を作成しますが、その原案はすべて全組合員に周知徹底できるように措置いたしまして、それを各都道府県責任を持って検討されたものが大会に集められ、大会において審議検討される、その決定によってこの執行部というものは大会決定に許された範囲内において行動する、こういう組織でございます。  以上であります。
  10. 篠田弘作

    篠田委員長 日教組教育文化部事業内容及びその活動状況について述べて下さい。
  11. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教育文化部事業内容は、教育文化運動の具体的な推進ということが集約でございまして、その細案を具体的に申し上げますれば、一つは、全国教員組合員教育研究運動推進する、そのための中央執行部としての具体的な担当をいたします。それから、広い意味における文化運動、このことについての業務執行をいたします。それから、組合員のいろいろの要求に基きまして、組合員の考え方あるいは組合員自身の問題とすべき当面の具体的情勢等に対する必要な資料を発刊いたします。それは、「教育評論」という雑誌を私が責任を持って発刊する、この機関紙活動があるということでございます。具体的に申しますれば、このような仕組みによりまして各般事業を行う次第でございます。
  12. 篠田弘作

    篠田委員長 広い意味文化運動というのは、教育者自身に対する啓蒙とか、そういう面も含まれているのですか。
  13. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私が広い意味と申し上げましたのは、今日日本教職員組合教育文化部主力をあげて仕事をいたしておりますのは、前四回やって参りました教育研究集会運動推進でございますが、これは主として現場教育実践のための共同研究というものに主力があるわけであります。地域の青年婦人父兄、大衆といった方々のさまざまの文化的諸要求がございますが、こういう諸要求に対する共同活動というものを広い意味文化活動と申し上げました。しかも、その場合には、現場教育担当者であるという立場から、すべての父母との話し合い青年との話し合い、こういう立場でこれをやっているということでございます。
  14. 篠田弘作

    篠田委員長 文化活動、おもに外部的に向けられているのですか、それとも、内部的にも相当含まれておりますか。
  15. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 文化活動は、本来は日教組の本部が活動するものではございませんで、すべて、たくさんの全国教師諸君が、現場子供たち教育活動青年婦人父兄たちと接触する場所においていろいろの文化的な営みをするわけでありますから、主としてこれは現場教師研究活動ということになるわけでございます。従って、日教組のわれわれとしまして、ただいまの御質問に対して端的にお答えしようとするならば、内部、つまり現場教師活動のための必要な手だてに対して資料活動をするということになるわけでございます。
  16. 篠田弘作

    篠田委員長 日教組文部省教科書検定事務参画したことがありますか。参画したことがあるとすれば、その事実を具体的に述べて下さい。
  17. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 文部省教科書検定審議会、つまり審議会及び調査委員会等に対して、日教組結成の当初は参画いたして参ったわけであります。その後、特に私の前の和田教育文化部長までは、検定審議委員の一部に加わるとか、あるいは調査員の中に加わり得るという意味合いにおいて参画をいたしておりましたが、大達文部大臣に至りまして、私が就任しました時期には、日教組参加は拒まれまして、私たちはその参加ができなくなったわけであります。ただし、ここで私が特に証言申し上げておきますが、私どもとしては、教育行政中特に子供たち教材の問題を扱う教科書の問題ということになりますれば、現場教師の長年にわたる研究資料というものもたくさんありますし、しかも現場教師から文部省にこういう意向を伝えてほしいというようないろいろな希望もありますので、やはり、本来的には、全国現職教師団体であり、しかも教育文化活動中心活動するという資料分野から見まして、当然われわれが参画できる状態が望ましいし、妥当であると考えまして、この参画要請申し上げておりますが、この点は、今日は実現できないという状態にあるわけであります。なお、私自身、昨年の六月就任でありまして、前の文化担当者並び執行委員方々の年月日を追うた具体的なものにつきましては、私の記録には詳細にありますけれども、拾い読みしなければなりませんので、若干時間がかかりますから、概略だけを申し上げた次第であります。
  18. 篠田弘作

    篠田委員長 日教組文部省教科書検定事務参画しておらないというのは、日教組としては参画しておらない、日教組としてのメンバー個々には参画しておるわけでしょう。
  19. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私が申し上げましたのは、日本教職員組合執行機関がその執行機関として現職教師研究資料等をまとめておるから、その立場参画させてほしい、あるいはまた、私どもの推薦を認めてほしいということであります。それが拒否されておるということでありまして、数多い審議委員やあるいは調査員の中には組合員である方が多いことは事実のようでございます。
  20. 篠田弘作

    篠田委員長 文部省教科書に対する検定事務は適正に行われておると思うか、行われていないと認めるならば、その事実を具体的に説明して下さい。
  21. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 検定に限定して申し上げます。教科書制度が実施されまして七年でございますが、当初検定そのものに対するいろいろの論議があったのでありますが、日本教職員組合としましては、検定教科書制度こそが新しい時代を作っていく教育としてはどうしても必要であるという立場に立ちまして、検定制度要請もいたしましたし、そのためのいろいろな研究もいたしたのでございます。しかし、私どもが希望申し上げ、あるいは私ども検討して要請しましたようなものが完璧に実現されるということは、その当初からなかったように私は記憶しております。問題は、検定というものが、本来的に、数多い現場教育実践経歴者であり、または学識深いその道のうんちくをきわめた学者、こういう方々が多くの方々の信頼とお許しを得るような、つまり公選されるというような手だてによって行われることが最も望ましいということであります。それから、検定基準にいたしましても、検定基準のその先に立ちますところ指導要領、この文部省が作ります指導要領にいたしましても、この指導要領自身が、つまり現場教師各般意見やあるいはその道の広い意味における研究学者等意見を網羅するという、しかもある長時間にわたります討議をするという機械を持ち得ずして、短期間に、しかも文部省の任命によって仕えるというようなことで作られますので、そういう意味において、検定基準となりますところ指導要領そのものが、やはりわれわれとしましては、もっと幅広く、もっとより根本的に現場実情に即したものを作らなければ、教科害検定そのものが円滑にしかも効果的にならないということを指摘しておるわけであります。そういうことに基きまして、検定基準そのものも、私としまして見ますれば、やはり検定審議ないしは調査参画する人々自身がそれぞれの立場から公選されるべきものであると同じように、検定基準そのものもやはり公開されて、当然国民教育立場から大ぜいの人々意見を徴して、公聴会等も開くような経過をとりながら妥当なものを作って、その上で検定が行われる、こういう手だてが必要であると思いますが、そういう手だてにつきまして相当不備があったわけであります。こういうことで、まず当初からそういう意味合いにおいては不備があるということを申し上げることができます。  それから、実施されまして今日までの検定制度実施運営経過から見ますと、当初、日本の新しい教育を打ち立てるために実施される検定制度でございますから、その検定制度をより効果的に成功させるためには、政府としても、国家としても、十分それを成就させるに足るところの施設なり方法なり、こういうものが十分手だてとして付合されるべきでありましたが、そういう面の手だてには不備があり、不十分さがあり、しかも予算的措置等におきましてもそういうものが十分されておりませんので、やはり実際運営というのはそういう意味からも十全を期することができないということが事実をもって証明できて参ったわけであります。そうして、特に私どもがここで指摘申し上げたいのは、検定機関そのものが、当然調査員によって原稿検討され、そうしてそのものが十六人の審議委員検討される、こういう一つのルールは立っておりますが、この場合に、個別的に原稿に対するところのいろいろの修正意見要請等が事前に行われてみたり、あるいは執筆者に対するところのいろいろな干渉的なものがあるということも聞いておりますので、そういう意味合いから見ますと、執筆者執筆の自由を持って、特に学問研究教育実践という立場から、教育に対して執筆上の責任を果そうとして執筆されたものに対して、秘密のうちにいろいろな干渉が行われる、こういうような事実がたくさん資料として出されておりますので、こういう意味合いにおいて大きな問題があるわけであります。それからまた、特にそれが調査員審議委員からではなしに、文部省のその担当者の方から個別的にいろいろな干渉があるということも私どもは幾つか聞いておるのでありますが、そういうことによりまして、本来、検定教科書というものは、民間検定であり、民間編集であって、それは特色のある公教育に対して責任の負えるものを作って、それに対する検定を受けて、その検定にパスしたものが、現場教師の自主的な検討による採択によって成果をあげる、こういうねらいであるのでありますが、検定というものが、端的に申しますと、文部省担当者によって調査員等に対するいろいろな指図もあるがごとくに印象づけられますし、そうして、その調査員というようなものが各個ばらばらにこの内容について意見を言う、そういうようなことで、ずいぶんゆがめられて参っておる、こういうことが言えるわけでございます。なお、これらの資料につきましては、従来たくさん証言されておると思いますし、特に読書新聞においても明らかにいたしましたし、それから、ごく最近、出版労組懇談会において、現行教科書制度の問題についてというパンフレットも発行しておりますが、これらの内容は私としては信憑性のあるものであるということが申し上げられますので、これらの内容を逐一申し上げることはこの場合ここでは避けてもよろしいのではないかと思う次第でございます。  結論的に申しますと、検定制度というものは、当初描いたごとくに民主的にこれが行われない。つまり、検定審議機関委員の選抜においても問題がありますし、それから、その検定審議運営過程にも問題がありますし、四十日間の調査期間というものがあるにかかわらず、文部省のさまざまの事務手続そご等がありまして、調査員が具体的に行けるのは十日内外であるということもありまして、わずかの期間意見をまとめるというようなことは当然できないというところがあるわけであります。それから、もう一つは、調査員自身秘密になっておりますので、この調査員自身が、どういう人によって、どういう討議とどういう角度から検討されたかということが全然明らかにされませんので、そういう意味合いから見まして、これはきわめて問題があるわけであります。私としては、当然調査員というものはある意味における公選、民主的な公選であり、そうして、それらの方々はすべて公開されて、そうしてその逐一検討された討論過程というものが明らかになり、しかも、それが編集者なり執筆者に対して意見を言う場合には、その意見に必ずしも一致しない場合には、これは公共の良識、あるいは公聴会を持つ、こういうものがなければ、やはり執筆者良識から行ったもの、あるいは編集意図というものが明らかにされずに、文部省等において考えられる一つのワクの中に入れられてしまうのではないか、こういう点を強く思うわけであります。それから、特にその基準になりますところの絶対基準必要基準という場合、絶対基準の第一項の趣旨を生かそうとすれば、最近におきましては、第二項、第三項等によって、それらの真実が生かされないというような干渉事項も幾多あるように聞いておるのであります。こういう意味において、文部省の管轄されておるところ検定制度についていろいろの問題がありますし、より民主化するために、より効果的に、より実質的に公教育手だてとして役立たせるためには多くの改善点が必要であると考える次第でございます。
  22. 篠田弘作

    篠田委員長 教科書採択は自由かつ公正に行われていると思いますか。
  23. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 この採択の問題につきましては、昨年特に全国教育研究集会を長野でやりましたが、この研究集会において、教科書問題特別対策委員会というものを設定いたしまして、四日間にわたって数多い各県の現場教師代表等によって検討されたわけでありますが、その際克明にこれらの問題は明らかにされたわけであります。そうして、これは日教組責任を持ちまして公正な立場からこれを記録しまして、「日本教育」第四集としてこれを発行いたしました。これが一万部以上今日全国で購読されておりますので、この内容は公開されたわけであります。  それによりますと、この問題になりましたのは、採択が公正に行われるためには、当初検定教科書制度を実施いたします場合に論議されましたように、採択は、あくまでも、現場教師学校単位として学校教育計画を立てていく、その計画に基いて、計画に適合した教科書をみずから選定をする、そうして、その選ばれた教科書学校長がまとめて、そうして教育委員会に対してこの報告申請をする、その報告申請したものに対して教育委員会許可を与える、こういう手順が立法精神通りに施行されますならばよいのでありますが、この採択権に対するところ解釈にその後いろいろの解釈が出て参りまして、特に地方教育委員会の設定されましたときからそれが顕著になりまして、現場教師選定というようなことは参考意見として伺うだけのことなんだ、それらの選定決定はすべて教育委員会が持つのだ、従って教育委員会選定というものを内示して教師諸君にその賛同を求めるということでよいのだというような解釈をするところもあったりしまして、採択権というものが当初の通り徹底しないのであります。この徹底を期するためには、当然文部省等において十分努力さるべきであります。相当努力された形跡はあるのでございますが、その徹底を見ないままにあるということが一つの問題であります。従いまして、採択権はそういう意味であいまいになっておりますので、現場教師の積極的な共同討議によった、この教科書にしようか、この教科書はどうだろう、こういうようにして選定をして、これを教育委員会許可を求めるということが、そういう意味合いでくずされている向きがだいぶ多いのです。こういう意味合いで、採択の公正というものが、そういう行政面から見まして、一つの不徹底を来たしている。これの徹底こそが一番必要な出発の第一であるということは申し上げることができます。  それから、もう一つは、自主的に現場教師がたくさんの教科書のうちから検討を加えて、みずからの教育計画を照合しながら選ぶのでありますから、相当の時間も必要でありますし、そのための資料も必要でありますが、このために立法当時展示会というものがその一つでありますが、その展示会というものがきわめて短かい期間であって、わずか十日間、そうして、しかも全国僻地の多い各府県に対して展示会の会場が少い。こういうことのために、展示された教科書を克明に検討し合うということが、いかにやろうとしてもできない。現に私は福島県の現場教師ではございますが、郡部の場合ですと、郡部にたくさんの学校があります。その学校教師たちが郡の中心の町に行きまして全部を検討することはできませんので、仕方がありませんから、日や時間を割り当てるのです。従って、二、三時間しか割り当てられない学校さえ起ってしまう。しかも、それは、遠いところを、夜中から起きて、あるいは宿泊をしながら出て行って見る、こういうことでありますから、初めから全部の教師がこれに参画することはできないのであります。そういうことで、やはり代表によってこれをやらざるを得ない。しかし、代表自身も、わずかの時間で数多いものを見ようとしましても、それはできませんので、いかに良心をしぼろうとしても、これを完全に自主的に採択するための検討はなし得ないというのが現状であります。従って、私どもとしては、全教師要求として、どうしても展示会というものは一定期間ではだめだから、常設展示制度というものを実施して、これによって常時研究ができるような体制をしいてもらわなければならない。そういうことがあって初めて、教材というものが、より具体的に、個別的な児童、生徒の要請、能力に応じた教材が与えられるのだ、こういう意味合いのことが今日非常な高い声となっておるのはその証左であると思われます。この展示会制度の不備ということをまず端的にあげることができます。  それから、三つ目には、「日本教育」の第四集で責任を持って発行をいたしましたが、教科書内容本位に、現場教師子供たちの発達段階や能力別に見て、あるいは地域の実情等に照合して選ぼうとするのでありますが、さっき申し上げましたように、検定されて出て参ります教科書自身が、これという特色が逐次薄れて、質的に前進している面はありますが、ある意味においては統一されている面もありまして、数多い教科書を個別に検討しましても、大同小異になってしまうというのが実情なんです。こういうことから、特色ある教科書あるいは内容本位に現場教師が選ぼうという意欲や努力が期待できない条件がありますので、おのずから数多い出版業者は売り込みの競争によってこれを何とかしようという、つまり売り込み競争の激化が招来されているわけですが、そういうことから、現場教師に対するいろいろの工作が行われて、自主的に長期間にわたりじっくり落ちついて検討して採択をしていくというその意欲とその手だてに対していろいろの障害もあるようであります。  その一例を申し上げますと、私は日本教職員組合担当者に就任してみて特に感ずるのでありますが、これだけ重要な教科書というものが、現場教師の自主的な研究採択やあるいは選定、そういう手続、討議というものが省略されざるを得ない状態において、出版業者の宣伝員の配置というようなことによってやられるということがあったのでは重大なことである、こういう意味合いで注目いたして、いろいろと検討して参りましたが、特に研究集会資料等を照合してみますと、まず第一に問題なのは、地方駐在員というものがあって、しかも、その駐在員というものが、すべての出版社にあるのでもなければ、相当大きいものにあるために、その駐在員の活動によっていろいろとゆがめられる、こういう一つのものがあるということが言われておるわけです。もう一つは、研究講習会戦術ということが明らかにされておりますが、研究講習会があるということはよろしいし、望むところではあるが、研究講習会そのものではなくて、それを機会に、集まった人々に対して、それはきわめて些少なことと思いますが、若干のお茶の提供があったとか、こんなことがあって、良心的な教師にとってはこれは非常に忌むところとして、非常に気分的にも悪いということが言われておるわけです。つまり、講習会戦術等によるところの業者の浸透方式が、従来は県単位ないしは郡市単位であったものが、最近に至っては町村単位にこれを入れようという努力さえあって、現場教師としては非常に迷惑しておる、こういうことも報告実証されておるということも申し上げておきます。それから、もう一つあるのです。有力な人々に対して、採択資料にするということで、出版社が有力な校長さんとか研究会のメンバー等に対して原稿の寄稿を願う、そうしてそれに対して要求もしない稿料を無理に与えるというようなことがあったということも報告されておるわけです。こういうこと、それから、もう一つ重大なことは、教科書見本というものがどこからとはなしにたくさん送られてくる、こういうことによって、展示会において検討されることが見本本というような形式によってやられる、あるいは地図とか指導書というものが無料で送付されてくる、こういうことによって自主的な研究採択というものに対する一つのいろいろのゆがみや迷惑、干渉というものが起っているということが報告されておるということがございます。そうして、さらには、たくさん採択したところに対しては顕微鏡のような記念品、景品を贈るというようなことさえあって、それをこばむのに非常に骨を折っておるという報告さえあるわけでございます。  こういうようなことが実例として報告されたことを見ましても、今日問題とされておりますところの、私ども自身が願ってやまない自主的な採択というものに対しては、幾つかの障害が行政上の不備やあるいはその不徹底のために起る。検定不備等がむしろそういう自主的採択の価格を下げる。こういうようなことによって、自主的な採択採択の公正というものが十全に行い得ない条件があるので、こういう点の改善が当然必要であるというふうに考えられるのでございます。
  24. 篠田弘作

    篠田委員長 それに対して日教組はどういう態度をとっておりますか、どういう処置をとっておりますか。
  25. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日教組としましては、これらの問題は、ああせい、こうせいというような指図によってできるものではありませんし、そういう性質のものでは毛頭ございませんので、あくまでも、現場教師教育研究という立場徹底以外にはないのであります。現場教師研究活動を継続的にやるようにということを、まず第一のモットーにいたしておるわけです。そうして、それを四年越し日本教職員組合が主催をしまして、学者あるいは父兄大衆や良識ある方々の大きな賛同を得ましてやって参りましたが、この教育研究運動そのものもその一助であるわけであります。これが第一義でございます。しかも、長野の研究集会で報告されましたが、たくさんの自主的な研究採択組織なり共同話し合いの場というものが自主的に作られて、着々成果をあげて参っておるのが報告されております。しかし、それは、五十万、六十万もある教師から見まして、必ずしも全部の学校がやっておるというところまでいきませんので、日本教職員組合の教研担当者としましては、自主的な研究を助長するための手だてということで、いろいろの資料活動を行なっているわけであります。端的に御質問もあるのではないかと思いますが、日教組としましては、昨年度長野研究集会……。
  26. 篠田弘作

    篠田委員長 ちょっと待って下さい。質問したことだけで、質問のあることを予想しての答弁はいりません。
  27. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 では、日教組としてやったことだけ申し上げます。日本教職員組合としましては、自主的な研究採択のいろいろの報告がございましたから、その報告というものをまとめまして、それに検討を加え、それから、特に、長野研究集会教科書問題部会を担当しました東京大学の宗像教授や岡津助教授、こういう方々にも諮問をいたしまして、十分検討いたしまして、採択する場合にポイントとなると予想されるようなものを私ども研究をいたしまして、それを今回現場共同討議の参考資料として提供した……。
  28. 篠田弘作

    篠田委員長 証人、ちょっと。あなたに聞いているのは、教科書採択について、供応したり、あるいは顕微鏡を寄贈したり、あるいは宿屋へ連れていってめしを食わせたり酒を飲ませたり、そういうような働きに対して、日教組としてはどういう処置をとっておるかということを聞いているので、答弁が少しずれているように私は考える。もっと集約して要点だけを答えて下さい。
  29. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 そういう観点に立ちまして、委員長に問われた点を克明に申し上げたいと考えておったのであります。  日本教職員組合としては、いろいろな報告に基きまして、やはり自主的な採択をゆがめる、ただいま委員長の指摘されたような点について私ども聞きましたので、これをやはり徹底的に排除することが何としても必要であるということで、実は昨年もそのための申し合せの指示をやりました。今年もその指示をやったわけであります。こういうふうにしまして、すべてのいろいろの研究集会やあるいは教員組合の集会等を通しまして、あるいは文書による指示等によりまして、これらの不公正採択の誘惑を排除すること、それから、もう一つは、教育委員会とか校長会とか、こういうところで事前に統一採択をするというようなことがあってはならないので、こういうものを十分話し合いによって排除すること、そうして検定制度立法の精神通りにこれが実施されるということの運動を起しておるということでございます。自粛運動を起しておるということでございます。
  30. 篠田弘作

    篠田委員長 運動というのは何か文書で通告するとか、そういうことをやっておるわけですか。
  31. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 指示によりまして、公式に文書を発翰いたしました。
  32. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたのさっきの話しは、日教組として個々にそういうことをやるべきものでないということを言われましたが、たとえば教科書採択基準日教組が作って配付するとか、あるいはまた政治的な問題にしても、日教組の本部はある程度の指示をしておるようにわれわれは思っておるのだけれども、そういう、日教組として、あるいは教育者の団体としてぜひ改めなければならぬという問題について、個々に指示すべきものでないという見解はどういう見解ですか。もっと厳重にそういうものはやめろというようなことをはっきりと言ってやったらいいじゃないですか。
  33. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 委員長のおただしの趣旨が、私、はっきりとれないのですが……
  34. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたが、採択の問題について、いろいろな見本本を贈るとか、無料で指導書をよこすとか、顕微鏡を贈ってくるというような問題のほかに供応したりお金をよこしたり、いろいろなことがあると言われたですね。そういうことについて、これはもう、教科書採択をゆがめるというだけでなくて、日本教育をゆがめるものであるという見地から、日教組としてこれに対してどういう対策をとっておるか、そういうことを聞いておるのです。
  35. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ですから、そのようなことが絶対に行われてはならない。従って、現場教師としてはそういうものは拒否するようにすること、それから、業者あるいは教科書協会あるいは文部省等に対しては、そういう向きが絶対に行われないように、やめるようにということの要請をいたしております。
  36. 篠田弘作

    篠田委員長 通知を発しましたか。そういう通知を出しておりますか。
  37. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 通知といいますと……。
  38. 篠田弘作

    篠田委員長 何か文書による通知をいたしておりますか。
  39. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 そういう働きかけを、各府県教員組合も中央それから教育委員会等に対しても申し入れをするようにというさしずはいたしております。
  40. 篠田弘作

    篠田委員長 何でしましたか。
  41. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 指示でございます。
  42. 篠田弘作

    篠田委員長 指示というのは文書ですか。その文書があったらあとで出して下さい。  それから、日教組では、本年六月に、教科書の評価基準採択基準を作って各県の組合長あてに通達されておる事実がありますか。そういう事実があるならば、その事実に関して説明を願いたい。まず第一に、評価基準を作った趣旨もしくはその目的について、できるだけ簡明に言って下さい。
  43. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 御指摘通り、本年教育文化部として参考試案というものを各府県に提供いたしました。そうして、指示しましたのは、ここにもありますが、これを現場のいろいろの研究実践というものと照合をして、一つのポイント、参考として参考に資してほしい、こういう意味合いの指示をいたしたわけであります。その趣旨としますものは、長野の研究集会におきましても、たくさんいろいろの研究のモデルが提供されましたが、日本教職員組合の本部としましても、いろいろの問題があるのだから、つまり報告されたものに様々の問題が提供されるのであるから、これを整理をして、そうして一応のポイント点だけは明らかにわれわれに示す機会があってほしい、しかしそれは現場教師の自主的な研究立場からそれを参考検討のポイントにする、こういう立場でそれを出されることが望ましいという要請もございました。こういうことがあり、もう一つは、私ども自身も多くの問題に——問題というよりも、教科書の評価に対してはいろいろのポイントがございますが、やはり内容本位に日本全国教師が見る目がなければよい教科書が作れない、こういう立場から、内容検討するための問題になりそうなポイントだけを指摘をしまして、そうして現場教師諸君研究討議をする場合の素材にこれを提供する、こういうことで、これを出したのでございます。
  44. 篠田弘作

    篠田委員長 評価基準の概要について述べて下さい。
  45. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 評価基準として出しましたのは、社会、家庭、職業、算数、これを中心にやったわけであります。そのポイントになります点は、社会科の場合ですと、地理、歴史、それから一般社会で扱います政治、経済、社会、こういう分野がございますので、それらの分野から、数多い教科書を個別に検討するというような意味合いでもなければ、特定の教科書を素材にするという立場でもなしに、広い意味において、指導要領や、それから文部省検定基準や、それから現場教師実践して来ました資料等立場から、ポイントになる点を二三明らかにして、これらの点だけを注意をして内容検討されればよろしい、こういう意味合いのものを出したのであります。従って、この内容で行け、この内容がいいのだというような意味のものではないわけでございます。
  46. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは、あとでそのことをお聞きしますが、前のことで、さっき採択の問題で、いろいろな障害とかスキャンダルというような問題について指示したと言われましたね。その指示されたものをそこにお持ちですか。
  47. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 持っております。
  48. 篠田弘作

    篠田委員長 ちょっとそこで読んでみて下さい——。どういう趣旨か。
  49. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教科書の問題の情勢を説明いたしまして、そのあとに指示事項としまして、指示第十九号を発刊しましたのは本年五月七日であります。その五項に、「教科書展示会の時期を中心教科書問題対策を強化推進せよ。」ということで……。
  50. 篠田弘作

    篠田委員長 そうじゃないのです。僕の言うことをよく聞いて下さい。今あなたの言われた教科書採択を妨げている問題の中にも、制度の問題、それからいろいろな物質的な誘惑の問題等がありますね。あなたの言われた通り、たとえば、大きく言えばスキャンダルにもなりかねないような問題もあるし、また学校に対する顕微鏡の寄付というものもある。個人に対するいろいろなものもある。そういうことに対して、あなたの方の日教組として何かやめるような指示をされたかという質問に対して、したというあなたの御返事です。だから、したという文書があるならばそれを読んでくれと、こう言うのです。
  51. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 それを今読んだのです。第6に、「とかく批判の的になってきている販売と採択にともなう不公正行為の排除についてはその徹底を期して教科書行政の腐敗を防止すること。」、昨年の指示においてもこれよりやや詳しいものを出しておったのであります。
  52. 篠田弘作

    篠田委員長 全部識んで下さい。
  53. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 「1、職場会議を開き採択について、教科書検討を行うと共に、反動的な教科書国定化の動きについての認識を深めるよう措置すること。2、支部に教科書採択委員会を設け、職場の意見を持ちより採択についての具体的対策を討議すること。3、県・支部共校長会、教委と採択について充分話合い、あくまで民主的な採択方法をうちたてること。4、検定制度の民主化、教科書国定化反対に必要な具体的資料を作製し、職場に流すこと。5、PTA等の集会において教科書国定化の弊害について、わかり易く解説し、国定化反対の与論を喚起するよう措置すること。」、6、ただいま申し上げましたもの。「7、展示会の常設化と民編国管反対、検定制度の民主化の要求教育委員会に働きかけ、対中央工作をさせること。」、これが本年五月に出しました指示の全文であります。
  54. 篠田弘作

    篠田委員長 それで、採択基準の概要という問題にさらに移っていきますけれども、あなたはきわめて簡単にそれを説明しておられますが、採択基準がたくさんあるうち、実際的に、たとえば社会科の中において、歴史的な面からということの八に、一揆についての史実が取り上げられているかどうか、——これは百姓一揆ですね。そういうような問題とか、平和が人権の伸張との関係において取り上げられているか、あるいは平和を妨げているものについて説かれているか、つまりそれが社会の矛盾から生まれてくるものであることの説明がなされているか、人権の尊重がいわゆる公共の福祉にすりかえられていないか、資本家と労働者、地主と小作人等の関係で生産の問題が考えられているか、悪いことをしないという消極的な道徳だけに終っていて、進んで世の中の矛盾をなくするように働くことを励ますという面が軽視されている傾きはないか、こういったものをもっと詳しく出しているのではないですか。違いますか。
  55. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ここにございますが、項目的に全部読み上げますれば時間がかかりますので、省略いたしました。その通りでございます。
  56. 篠田弘作

    篠田委員長 そうしますと、この採択基準というものをわれわれが常識的に見ていくと、非常に教科書というものを階級的に考えていくようにと基準を作っているように思うのですが、そういう気持はないのですか。
  57. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 委員長が御指摘されましたような角度でそういう点をより強調するというような意味合いのための資料というものではございません。これは、教科書執筆をされます場合に今日の研究の成果や学問の成果から見まして公平に資料というものが片寄ることなく出されているかということを条件に検討するということを重点に、特にこういうものが漏れておってはいけない、こういうものも内容一つとして、資料一つとしては述べられているのが常道であるが、そういう点についてどういう工夫が行われているかということを特に見る必要があるだろう、こういう意味で出したのでございます。
  58. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたの方がそういう意味で出したと言われても、実際の問題としては、そういうものをずっと見ていくと、日教組というものが、この教科書採択基準をきめるに当って非常に片寄り過ぎた基準をきめていくというようにわれわれは解釈せざるを得ないのです。あなた方は、そういう点では、意識的にそういうことはやっていない、こういうふうに言われるのですか。
  59. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は、これをまとめます場合に特に努力いたしましたのは、長野の研究集会等においても提供されましたし、それから出版労組懇談会等においても資料を出しましたし、それから読書新聞等においてもいろいろの資料を提供されておりますので、こういう点を参照しながら、特に、内容についてそれぞれの干渉等があって、特別に筆の工夫をしてみたりあるいは削除したりしているというようなこともあって、学者の中にもさまざまな問題もありますので、そういうような立場から見ましても、教科書資料というものが検定機関において十分検討されておるものであるから間違いはないとは思いますけれども、ただ、ポイントとして、公平に資料というものが、文化的な側面、経済的な側面、それから政治的な側面とともに、農民やそれから一般の庶民の人々活動してきたそういう資料、こういうものも相関連させて載せてあるかどうかということが、やはり教科書内容の公正という立場から見て十分必要であるということで、これを出したのであります。
  60. 篠田弘作

    篠田委員長 採択基準の作成を担当した人及びその人の略歴あるいは経歴。日本教育新聞によると、この採択基準日教組の講師団が全面的に協力して作ったものだと言われているが、それは事実でありますかどうか。また、日教組の講師団の役割及びその人々の経歴というものについて一応述べて下さい。
  61. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 その第一でありますが、この評価基準を作成する場合に諮問申し上げました講師の方々でございますが、これは、先ほども申し上げましたように、全国研究集会の場合に教科書問題の部門を担当されました講師の方々、つまり東京大学の教授宗像誠也氏を中心とするところの岡津守彦氏、それから同じく東京大学の教授をやっておりますところの勝田守一氏、それから教育大学の梅根悟氏、同じく教育大学の馬場四郎氏、それから和光学園の校長をやっております春田正治氏、それから、子供を守る会に参画しておりますが、自由学園の羽仁説子氏、これらの方々に特に私ども資料作成の諮問を申し上げたわけでございます。
  62. 篠田弘作

    篠田委員長 そういたしますと、今ここに日教組の「第五次教研講師団名簿」というものが私の手元にありますけれども、これとはまた別な人ですか。この中にみんな含まれておりますか。
  63. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 この方々は講師団の構成員でございます。ただし、これを全部の講師団の方々に諮問をするという機会は持てなかったということだけを御承知願います。  第二点の、講師団の役割につきましては、すでに御承知の通り、第一回の研究集会を日光に持ちますときから、やはり現場教師研究の話合いをより効果的に、内面的にもより信憑性のあるものとして討議し合うために、学者参画も必要であるということから、講師団の編成というものをやったわけであります。そして講師団に日本教職員組合としてさまざまの諮問を申し上げますが、その諮問の内容というものは、あくまでも日本教職員組合中央執行部文化運動教育研究活動のためにいろいろ必要な資料の問題等につきまして諮問をするということが主でございます。ただ、各府県から、やはり地方の大学の教授だけではなかなか現場教師たち要求を満たせないということで、中央の著名な講師団の中の人が特に出張をしていろいろの解説等をしてほしいという要請がありますので、その各府県要請に対しては、私たちはなるべく実現できますようにいろいろと奔走いたしまして、折衝して御出張願うというふうにして、地方の都道府県教員組合等の教育研究運動にも直接接触する面を持ってもらっておるということでございます。
  64. 篠田弘作

    篠田委員長 今の教科書が、全部、日教組からお出しになったいわゆる評価基準というものに当てはまっておるということは言えるかどうかわかりませんが、最もよく当てはまっておる教科書というものがもしあったら、その名前と教科書の発行社というものを一つ述べて下さい。
  65. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいま委員長からの御質問の趣旨にはっきり端的に照合できればよろしいのですけれども、実は、これを作成する場合、この教科書はこうだ、この教科書はこうだと個別的に見た上でこうだということではなくて、研究集会等に寄せられた問題点というものがさまざまありましたが、それらを集約するようなものをまとめたのでございますから、具体的にこの教科書はこの点が照合する、こういうようなことは全然検討はいたしませんでしたし、そういう意図ではなかったのでございます。
  66. 篠田弘作

    篠田委員長 県教組において児童のワーク・ブックあるいはテスト・ブック、夏休み、冬休み帳、こういうものを編集発行しておる事実を御存じですか。
  67. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 大部分の教員組合では、夏冬の子供たちの休業期間の家庭学習の資料ということで、夏友とか冬友、名前はいろいろありますけれども、こういうものの編集に協力をし、あるいは編集をしておるのが実情であることを承知いたしております。
  68. 篠田弘作

    篠田委員長 それをどういう方法で販売しておるか、あるいはまた、その上った利益はどういう方面の使途に使われておるか、御存じですか。
  69. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は、この問題につきまして、他県の全部を克明に調査記録するということはできませんでした。ただし、私の知っている範囲では、教員組合研究会——さまざまな研究会がございますが、こういう研究会が編集員を出して、そしてその編集方針を大ぜいの現場教員に示して討議をする、そういう意味合いにおける編集の参画が主になっているというのが実情でございます。そして、作られます出版権というものは、民間の研究会等において出版するところもあるようですし、あるいは生活協同組合等の出版というところも二、三はあるようですし、一律に各県教員組合が編集をし出版をしておるというふうには、私の知っている範囲では証明できません。
  70. 篠田弘作

    篠田委員長 各県教員組合で、編集出版して販売までやっているところもあるのですね。
  71. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 不明にして、一切を教員組合がやっているというところは私はまだ知らないのです。  それから、次のお尋ねの利潤ということですが、夏友、冬友の編集は日本教職員組合として特に関心を持っておりまするので、大方針につきましてはほとんど一致するのでありますが、編集自身現場教師の献身的な奉仕によってやっておりますから、ほとんど原稿料というものまではやっておりません。それから、実費販売ということが主になっておりますので、ほとんど実費、原価を割るぎりぎりのところで出しておりまするのが現状です。そういうことで、特にこの発行によって利潤をあげるというようなことはおそらく不可能な状態にあるのが現状のようでございます。ただ、いずれの県も、ほとんど、貧困家庭の子供たちに対しては無償配付をいたしておりますので、この無償配付を教職員組合費によってやるということまではいきませんので、当然、その分だけは、独立採算というのでしょうか、そういう範囲内でまかなえるようなところまでが限界のようであります。特に実例を申し上げたいと思います。……
  72. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたのお持ちになっている実例と、こちらに集まっている実例と非常に違いますから、あとから委員の諸君からまた質問があろうと存じますので、私の方はそのくらいでけっこうです。  公正取引委員会は、学校生活協同組合系の特約供給所が教科書採択と密接な関係があると警告しているが、証人の御意見はどうでありますか。
  73. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 生活協同組合教科書の供給販売面を担当しているという場合に、現場教師採択にこれが影響をもたらしているかどうか、こういうお尋ねのようでありますが、私の知っている範囲では、本来、このもの自身も、実は、僻遠の地の子供だちや、あるいは特約店とか教科書取扱店等において直接不使を来たす向きが多いので、こういう全県に行きわたり得る可能な組織を通した方が便宜的である、こういうことで作られたのでありますから、採択についての拘束というものはないのが建前であります。しかも、私の知っている範囲で見ますと、その取り扱っているようなものが採択が行われないでみたりというような事象もありますので、決してそういうことによって採択そのものが拘束されるものではないと、私の知る範囲では考えております。
  74. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは、採択が拘束されないにもかかわらず、それを株式会社に改めていったということは、どういうわけですか。
  75. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 この点は、私自身、その単位団体、会社等に直接タッチした経験はございませんので、詳細についてはわかりませんが、私の記録しあるいは知っている範囲によりますと、公取委員会等の警告もあり、文部省等からも、そういう誤解を招くことは避くべきである、こういうような勧告もあったというふうに聞いておりますので、そういうことから、特にそういうまぎらわしい誤解等があってはならないので、そういう手続が行われたものと私は考えております。
  76. 篠田弘作

    篠田委員長 実際において障害はなかったのだけれども、勧告や誤解があったからそういうふうにした、こういうのですか。そういう意味ですね。
  77. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 こういう仕事というものは、私ども現場教師立場から見ましても、信用がされないような条件が予想されてはなりませんので、そういう立場から、勧告があったからやったということではなしに、むしろ、そういう勧告等もあった時期に、そういう意味の誤解等が起るようなことがあってはならないということで、自主的にやられたものと私は思います。
  78. 篠田弘作

    篠田委員長 教科書の価格につきまして、文部省の定めている価格基準及び各教科書の現行定価というものが一体妥当なものであるかどうか、高過ぎるか高過ぎないか、そういう点についてあなたの意見を述べて下さい。
  79. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教科書の価格につきましては、必ずしも高いという論定をするような資料そのものも私は持ち得ないでおります。ただし、私どもの報告や研究によりますと、この教科書は、前の国定時代の教科書とその当時の物価指数とを比べますと、今日の教科書というものが、紙質においても、印刷の内容におきましても、相当質的改善が行われておりますので、これらのものを照合しますと、必ずしも高いという立証はできないのが現状でございます。ただ、しかし、私はここで明らかに問題といたしたいことは、今日文部省で査定されております最高価格そのものにつきましては、やはり再検討をして、より原価計算等に近い、そういうものに十分検討をする必要があるであろうというふうに考えます。特に、具体的に申し上げますと、教科書の価格を決定します内訳のうち、やはり用紙の値段というようなものも相当多いようにいわれております。特に、マル公撤廃の場合、そのために教科書の値段が倍になったという報告さえありますので、やはり用紙の問題、それから出版のために必要な融資、こういうものに対する特別な国家の保証、それから、先ほども申し上げましたが、特に宣伝のために一〇%ないし二〇%に近い金も必要であるという報告さえされておりますので、そういう意味の宣伝費の徹底的な軽減、それから、その運賃とか、第三種郵便でないからという理由による郵税に対する制約を排除しまして教科書に対する特別な措置を国家において立案されれば、今日このままの状態においても大体三〇%に近い値下げが可能ではなかろうかというふうな予想が行われているわけであります。なお、私は、今日の教科書そのものが、国定教科書時代のものと個別的に当って、物価の値上り状態等と照合した場合に、必ずしも高いという算定はできない、こういうことを申し上げたのでありまして、今日の教科書そのものをより価格を安くすることが可能であるということについては、ただいま申し上げたわけであります。そういう意味合いから見ますれば、教科書の値段というものはもっと価格を下げることができるし、下げさせなければならない、こういう考えであります。このために、やはり必要なことは、何といっても国家において十分これらに対する助成方式をとるなり、価格決定の方式について基準の再検討がどうしても必要である、こういうふうに思うわけです。もう一つ、高いという声の要求に対しては、やはりすなおに私どもはこれを受けて研究をいたしたわけです。私どもは、これはそういうふうに十分検討をして、国家で責任を持って、その上で、義務教育に対しては無償制度というものが実施されることによって、父兄大衆の直接的な負担というものをここに全廃するということを考えたいし、それはなかなか不可能であるということであれば、段階的に見まして……。
  80. 篠田弘作

    篠田委員長 無償配付の問題まで聞いてない。
  81. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 無償の実現に対する手だてがあれば、この問題は解決するんじゃないか、こういうふうに考えた次第です。
  82. 篠田弘作

    篠田委員長 現行教科書はその種類がきわめて多くて、これを発行する出版社も大小九十六社もある。その結果、教科書選定するにも、また使用するにも困難を来たす、こういうような問題はどうでしょうか。
  83. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私としては、日本教職員組合研究成果においてもそうでございますが、出版社の数の多い少いについては、これは自由なんであるから、多くてもよろしい、こういう立場です。ただし、内容本位にやるわけでありますから、自然淘汰されまして、いい内容のものに漸減されていくというような場合はあり得るし、そういうことも当然の帰結ではないか、こういうふうに考えまして、私どもとしては、幾つも数多くあった方が、資料として多いのでありますから、むしろ判断のためには少いよりは多い方がよろしい、こういうふうに考えておるわけであります。
  84. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたは、先ほど、展示会の期日が短かいから選択に非常に困るというお話があった。そういう面から見ると、あまり多いということは選択をされる場合に非常に困るのではないか、こういうことはないですか。
  85. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいま実施されているような諸条件の中の展示方式、これだけで言いますと、大体、数が多いから検討しかねるというよりも、むしろ検討する機会そのものさえ持ち得ない。従って現場教師としては、非常に研究検討そのものができなくて困るという訴えがあるのでございますから、問題はやはり、私がここで証言申し上げますのは、今日のこの条件のままでこれに対する改善あるいは特別に工夫するということを全然しないで、多いものを与えて、君たちは選ぶのが粗漏じゃないか、よう研究できないのじゃないか、こういうようにもし世論で言われるようなととがあっては、現場教師自身としましてもやり得ないことなので、私の申し上げますのは、数多くあることがよろしい、その数多いものをより内容的にこなすためにすでに四年越し研究方式等も考えまして、相当成果をあげて参っておりますから、必ずしも—現場教師から二、三年前にありましたように、数が多くて困った、こういうような苦情というものは漸減しておる、こういう事実を報告申し上げる次第であります。
  86. 篠田弘作

    篠田委員長 本委員会におきまして教科書問題の調査を開始いたしましたときに、日教組においては全国学校長あて教科書採択等に関する実態調査というようなものを行なった事実がありますか。また、あるとするならば、どういう目的でその調査を行なったか、あるいはその結果はどうなっておるか、これを説明していただきたい。
  87. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日本教職員組合で私自身がこれらの問題を担当いたしておりますが、担当者の私として各都道府県教員組合に対して実態調査をするようにというようなさしずをあらためていたしてはおりません。昨年の長野の研修会を持つ場合に、教科書検討の特別委員会を設定して四日間検討するから、その場合には十分各県の教科書の状況並びに問題状況というものを研究されて、そうして報告書というものを出し合うようにというさしずはいたしました。これだけでございます。数多い都道府県がごく最近に至って調査等をしたかどうかにつきましては、私不明でございます。
  88. 篠田弘作

    篠田委員長 現行教科書制度に対する日教組としてのもし考え方があったら、一つ述べて下さい。
  89. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 先ほど来お尋ねのつど申し上げましたようなことで項目的には要約されるわけでありますが、それを統一して申し上げますれば、今日の教科書制度そのものにつきましては、根本的には、もう一歩、教科書検定制度そのものを、現場教師採択検討やあるいは研究の成果や、そういうものが実際的に生かされるようにするための、検定制度そのものを民主化するための方策が必要である、こういうことをまず第一に考えておるわけであります。その端的なことは先ほど申し上げましたような内容に尽きるわけであります。  それから、もう一つは、やはり教科書の編集というものはすべて民間において行われることが妥当である、このためには、今日の現行法によりますと、ある場合には文部大臣において著作する場合もあり得るような解釈の可能な法律規定になっておりますが、これは、この際やはり民間で編集、出版をするというふうに一元化された方がよろしいのではないか、こういうことを第二には考えております。  それから、採択につきましては、直接児童生徒の学習指導に当る教師意見に基いて学校単位に行われるようにするために、学校におけるところ現場教師を含めた採択権というものがもう一度再確認され、確立されなければならない、こういう点を考えるわけであります。教育委員会はこの採択に必要な事務的な処理を漏れなく親切にできるようにされなくてはならないということでございます。  それから、もう一つ、これは私どもの七年越し検討しました結論として重要なことでありますが、原則として郡市単位常設展示制度あるいは教科書ライブラリーというようなものを設置して、現場教師教科書研究組織的に、しかも常時的に行えるようになされる措置がどうしても必要である、そうしてその費用は公費によってまかなうところまで確立してほしい、こういうことがあるわけです。  それから、教科書事業そのものに対しては、国庫の低利融資、運賃、郵税軽減等の特別措置が講ぜられて、価格の引き下げがもっと合理的に可能な方法を急速に講じていただく必要がある、こういうことを考えます。  それから、宣伝及び販売に対する不公正な行為を排除するための措置が当然検討、立案実施されてしかるべきである、こういうふうにこの点を強く感じておるわけです。  それから、もう一つは、この制度そのものをより生かすためには、問題は父兄の負担を軽減することを考えて、これは技術的な問題ですけれども、たとえば全部の教科書を一律にすべての子供たちが持つというような負担過重を避けるとするならば、これはわれわれ自身の技術的なことで研究すればできることでございますが、やはり学校において教科書を必要な数だけ共同管理することによって、子供たちが実際学習する場合にそれを使う、こういうことさえできるならば、すべての教科書を全部買うということよりも、部数においても少くて済みますし、それから、これを公費でまかなう場合でも、経費は今日の総トータルほどに必要でないのですから、こういう特別の研究も実施される時期である、こういう点を日教組としては考えるわけでございます。  そうして、特にもう一つは、先ほども申し上げました、やはり問題は、教科書の行政が、この教科書民間編集検定制度を生かすためにはもっともっと努力をした本質的な手だてがこの際講じられなければならない時期である、こういうふうに考えておる次第でございます。  以上要約いたしまして、私どもがまとめておりますところの今日の現行教科書制度に対する改革についての所見を申し述べました。具体的なことにつきましてはただいまは省略いたしたいと思います。
  90. 篠田弘作

    篠田委員長 そのあなたの今おっしゃった中の教科書共同管理という意味は、教科書学校に保存しておいて、子供が学校に来たとき渡して勉強させる、そういう意味ですか。
  91. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これは、東京都内においても、たとえば先ほど申し上げました和光学園の春田校長さんなどは、一部研究をして実践をされておるそうです。非常な効果があるということで、すべての教科書全部を今日共同管理することはできないそうですが、たとえば算数とか国語とか社会とか主要教科目については個別的に全部持つが、あと共同して学習するようなものにつきましては、学校図書館という形でこれをやるという方式は相当好評を博しているし、実際的に効果をあげているという実践報告等もございましたので、こういうものは私どもとしては研究に値するものであるとして申し上げた次第であります。
  92. 篠田弘作

    篠田委員長 子供の勉学にはそれで差しつかえないですか。
  93. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 子供の勉学においてはもちろん、学校の今日の現場の事情を申し上げますと、教科書だけではございませんので、学校教師が必ず子供たちの能力に応じたいろいろの学習資料をプリントして授けているのが現状でございますから、必ずしも全部の教科書を家庭に持ち込まなければならないというような必要そのものはないということも言えるわけです。それから、特に子供たちの家庭学習そのものにそんなに期待や負担をかけるということは望ましい状態でもございませんし、避けるべきことなので、学校の学習の方法について十分研究するならば、子供たちにそのような不便や学習上に及ぼす不足というようなものを与えずに済むということが今言われております。
  94. 篠田弘作

    篠田委員長 それから、先ほどあなたは、駐在員制度であるとか、採択に関するいろいろな問題についての弊害を述べられましたが、日教組の役員で駐在員にっておる者はないですか。
  95. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日本教職員組合の役職者で駐在員となっておるというような者はございません。これは、私としても証人喚問を受けましたころから資料を丹念に集めまして検討いたしましたが、ございませんでした。
  96. 篠田弘作

    篠田委員長 そうすると、役員であっても駐在員になるときはやめてなるのですね。
  97. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教職員組合の現職役員というような人で駐在員をやっている人はございませんで、現職教師にも駐在員というものはほとんどないようです。駐在員というようなものは、現職教育者ではなく、むしろ、教職をやめられた方や、あるいは教職員組合の役員などをやった経歴はあるけれども、それは教職そのものをおやめになった後にやっているというのが、私の知っている範囲の現状でございます。
  98. 篠田弘作

    篠田委員長 それから、あなたは教育文化部長だから、ちょっとお尋ねしますが、けさの新聞をごらんになるとわかりますけれども、津の海岸で三十六人ばかり中学の女生徒が海水浴に行きまして溺死していますね。それで、そういうような問題、たとえば相模湖の問題のようなときに、日教組としては何かやはり対策を講じられるのですか。(「教科書問題じゃないじゃないか」と呼ぶ者あり)——これは参考に聞いているのです。
  99. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 御質問に対しては努めてお答え申し上げます。相模湖の問題や、それから修学旅行等におけるいろいろの事故等もございますので、これは明らかに申し上げますが、今年度の定期大会におきましても、特別に検討する特別委員会を設定しまして、子供たちの学習能力を守りながら、子供たちの学習そのものをよくするという観点から、修学旅行そのものについても抜本的な検討をし合おう、それから、事故防止安全運動というものを、全国現場教師が主になって、父兄やあるいは修学旅行等に関係するそれぞれの旅行団体等に対しても相談をして、これらの安全運動徹底を期そうというようなことを、私どもの基本態度としてすべての教師徹底された運動状態を作ろうとして努力しているのが現状であります。
  100. 篠田弘作

    篠田委員長 委員長よりの尋問は一応終了いたしました。  午前の会議はこの程度にいたしまして、午後は一時半より再開いたします。  それまで暫時休憩いたします。     午後零時三十五分休憩      ————◇—————     午後二時二分開議
  101. 高木松吉

    ○高木委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  これより委員諸君の発言を許可いたしますが、これまで通り十五分程度にお願いいたします。なお、佐藤証人は、先日本委員会に出頭を求めた際病気届出がなされ、本日あらためて出頭を求めた次第でありますが、本日も委員長の手元まで長時間の激務には不適当と認む旨の医師の診断書が提出されておるのであります。これらの点をお含みの上になされるようにお願いいたします。  この際証人に申し上げます。尋問中に気分が悪くなった際は遠慮なく委員長までその旨を申し出て下さい。なお、委員諸君の発言の時間に制限がありますから、証人のお答えはきわめて簡潔にお願いいたします。  濱野清吾君。
  102. 濱野清吾

    ○濱野委員 証人にお尋ねいたしますが、日教組日教組の会員諸君が組織しております北海道社会科教育連盟、北海道国語教育連盟、北海道算数学教育連盟、北海道理科研究会、北海道図画工作連盟、北海道中学校長会、これらの団体との関係はどういうふうになっておりますか、お答えを願いたいと思います。
  103. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日教組日教組の会員が含まっておるところの北海道のあげられました諸団体との関係はどうかというお尋ねというふうにとりまして、お答えします。日本教職員組合としては関係がございません。
  104. 濱野清吾

    ○濱野委員 それではもう一点お尋ねいたしますが、新潟理科研究委員会、東北理科研究委員会、それから理科研究中国地方委員会、四国理科教育協議会、理科研究九州地区委員会、これらの諸団体との関係をお答え願いたいと思います。
  105. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいまの御指摘になりました諸団体も、日本教職員組合との直接の関係はございません。
  106. 濱野清吾

    ○濱野委員 教職員組合とこれらの団体との直接の関係はないというお答えでありますが、これらのメンバーと教職員組合のメンバーとは重なり合って同一人である、こういうことだけは証人は御承知でございましょうか。
  107. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は、これらの諸団体の構成員の名簿等につきましても全然存じ上げておりませんので、ただいまの求められました証言にはっきりお答えをすることはできません。
  108. 濱野清吾

    ○濱野委員 これらの諸団体はあなたの日教組組合員であります。そこで、お尋ねいたすのでありますが、先ほど、証人は、教科書採択について、学校側の教職員が完全にこれを採択し得られるならばまことによいことだという意味の御証言がありました。それと同時に、今の採択の機関についての異議を述べ、しかも教育委員会等がこの採択の任に当ることの不当なること、非民主的なることを証言されております。そこで、これらの団体関係については、現行法の精神から、どういうふうに考えられるか。すなわち、これらの団体はいやしくも日教組の会員であり現場教職員であります。しこうして、これらの団体教科書の編さん者になっております。編著者になっております。そういう身分を二つ持っている方々を前提として考えるときに、現行法のもとにおいて、その採択は自由にして公正なるものとのお考えを持つでありましょうか。この点、一つ証人立場からお答えを願いたいと思います。
  109. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 現行の制度及び法制のねらうところは、午前中申し上げました通り現場の各学校における教師が、めいめいの教育計画、こういうものをもとにして個別的に子供たち実情に適合をした教科書教材として選ぶのである、こういう建前でありますから、現場教育実践の経験者が教科書を直接執筆するとか、あるいは編集にタッチするというようなことは、決して、教育そのものから言いましても、今日の現行の趣旨から言いましても、はずれてはおらない、私はそういうふうに考えます。
  110. 濱野清吾

    ○濱野委員 ただいまの証人証言は、将来重大な意義を持つと私は考えておるわけであります。すなわち、現場教職員が編著者になって、それがことに望ましいという証言であります。そうしますと、この北海道その他の地区における研究団体あるいは委員会等が執筆をし、あるいは編著者になって、今日これができるだけ採択されることを望むがゆえに、その点においては、採択者でありしかも編著者であって、世間では不公正であると見られても、むしろ日教組としては望ましいことである、こういうふうに了解して差しつかえございませんか。
  111. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 検定を受け、展示をされ、現場教師が判断をし検討する機会を通した上で自主的にそれが採択されるということでありますから、ただいま御指摘になりましたようなものではないと私は考えるから申し上げたわけであります。
  112. 濱野清吾

    ○濱野委員 それは一個のロジックでありまして、実はそうでないことをただいまの証人のお答えで私どもは了解できる。現場の先生が編著者になって、現場の先生が編著したものをとることが最も理想的であるというお答えであります。そこで、重ねて聞くのでありますが、ただいま証言のあった展示会の問題であります。ただいま、証人は、現場で教える先生が編著者になり、しかも現場の人たち採択者になるならば望ましいことであり、それは採択につきまして不公正のそしりを受けない、こういうような意味でございます。しからば、先ほど、証人は、展示会というものを常設的なものにしてほしいということでございましたが、これとの関係は矛盾が起きてくると思うのであります。お考えをお述べ願いたいと存じます。
  113. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 御指摘なさいます前提に対して、私は明らかに申し上げますが、問題は、各種の御指摘になりましたような団体全部の構成員が全部執筆するということはおそらくないと思いますので、どういうルール、どういう形態でなされているかを私は承知していませんので、御指摘の通りに私は判断することはできないわけであります。私のここで申し上げましたことは、少くとも全国五十万の教師全部が執筆者になるというようなことはあり得ないことですし、研究団体というようなものがかりに編集するとしましても、それはすべて編集に当る者はその中の一つの特別の研究機関がおそらくあっての上であろうと思いますので、これまた現場教師そのもの執筆者になっている状態ではおそらくないと思うわけです。従って、まず根本的にはただいま御指摘のような状態ではないと判断することが一つ。  もう一つは、教科書というものは、本来学校教育において子供たちの学習の素材として使うのでありまして、教科書だけが学習素材ではございませんので、そういう意味合いを厳密に申すならば、個別的に教師のめいめいは教科書以外にもさまざまの教材というものを工夫をしてやっているのでありますから、決して検定教科書というものに関する限りはそのような問題になるものではないと私は判断するから申し上げたわけです。
  114. 濱野清吾

    ○濱野委員 証人のただいまのお答えは、答えんがための答えでございまして、真実を尽していない。また常識を逸脱したお答えであって、実を言えば、これはなるほど五十万の日教組の会員諸君が全部執筆できるはずもないし、そういうことは不可能なことであります。それは証人の言う通りであります。しかし、日教組執行委員長が一人あるように、あるいは文化部長が一人あるように、大体そういう団体には同じ思想と同じ考え方と、そしてまたその団体研究すれば答えはよりよいものが一つもしくは三つ出るはずであります。これらの点につきましては、一人で編集なさっても、一人で執筆なさっても、すべて共通の意見というものがその教材の中に上取り入れられるわけであります。そういうことになりますならば、北海道においても、あるいは四国、九州におきましても、現場教職員が編著するのでありますから、代表的なその選ばれた教材がすべてとられてくるわけでございます。従いまして、これを採択する点につきましても、人情の上から言っても、あるいは実際現場職員が現場において教育活動をする場合におきましても、その方の教科書をとることが望ましいという論理であり、また実際でございます。こういう点に参りますと、そうしてしかも日教組の文化部長がそういうことが望ましいというようなことになりますならば、先ほど証人が常設展示会を必要とするという論との関係は一体どういうふうになるかということを問うておるわけであります。ほんとうは、もう一段飛び込んで、望ましいことと言うならば、展示会など廃止して、現場にお働き下さる教職員もしくは日教組の文化部等において教科書の編さん等をおやりになれば、むしろ理想的であるというように、私どもはただいま証人のお言葉を聞いて考えているわけであります。この点についての証人の考え方をお聞かせいただきたいと思います。
  115. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は、重ねて申し上げますが、常設展示会が必要であり、今日の段階において検定という機関が必要であるというこの建前は、公教育の問題というものを、一つの公平といいますか、妥当性といいますか、真理に近いものといいますか、そういう意味合いから検討するという制度であり、しかもそれが、数多く自主的に編集出版されるものを、数多い素材を現場教師検討をしていくという建前でありますから、たとえば、ただいま御指摘のような研究団体を持っておる都道府県がございましても、それだけが現場教師教科書としての教材であるということには決定されていないのでありまして、そういう意味から言って、私の申し上げました通り、常設展示会制度が必要であるという論拠とその主張というものについては御理解がいただけるものと思うわけです。それから、日教組が特にそういう状態が望ましいということを云々というふうにおただしでございますが、少くとも、現場教師教育実践とその現状把握というものが素材となった妥当なものが指導要領検定基準やそういうものとの照合の上で教科書が作り出されるという状態はきわめて望ましいことである、こういうことを、私は何とただされましても申し上げるだけでございます。
  116. 濱野清吾

    ○濱野委員 その点につきましては、さっきあなたの第一番のお答えがございましたから、これ以上申し上げません。結局は、日教組組合員であり、その組合員が北海道その他でたくさんの委員会とかいろいろな研究会等を作って、そうして教科書執筆しております。ですから、その見地から言うならば展示会不要論ができるであろうと思うのです。——常識的に考えて。それは、展示会等にかけなくても、自分たちの好ましく使える木でございますから、自分たち執筆し編さんした本でございますから、自分のものを使うことが、感情的に行きましても、その他あなたの仰せられる現場教師教材の選択から行きましても自然で、すでにでき上った本があるというならば、展示会にわざわざ足を運んでよその本を見る必要はなかろう、こういう議論が成り立つわけなんです。もしそれを広く強く全国に推し進めて参りますならば、先ほどあなたがおっしゃった常設の展示会などというものは事実は必要がなくなるであろう、こういうふうに私は考えているわけであります。この点は、あなたの方の組合がどういう主義をもってこの日本教育をどこに運ぼうというのか、その意思は私はよくわかりませんが、もしそういう意思がありとするならば、それが最も望ましきことであって、また、はっきり言えば、日教組の中にはごく少数の左翼偏向の人があってあるいは共産主義の理念を順奉しているきわめて進歩的な人たちがあって、その人たちはそういうことを計画し、そういうことを特に推進しているということは、部長も御承知でございましょうけれども、世間のもっぱらのうわさであります。そうして、昨年のごときは偏向教育に対する二法案というものができたのであります。そういうような一つの歴史を通じて見ても、実際あることはあるのです。そういうことにもし引きずられていったとするならば、あなた方の教材々々というその眞の気持を、子供に教える一つの便法として、よりよい方法としてそういうことを推し進めていくならば、そうして、間違った、進歩過ぎる学者あるいは進歩過ぎる教材が、その編著者並びに採択者の同一人によってとり上げられ、日本教育が運ばれたとするならば、これはとんでもないことができると思うのでありますが、そういう意味で私はお尋ねしているわけであります。ですから、そういう意味で、今の日教組の幹部であります証人が、採択並びに教科書の編著というようなものを、具体的の問題に即して考えたときにどういうふうに考えるか、これなんです。これはわが国にとっても非常に重大なことです。社会党の左派や、もちろん右派の諸君もそうでありますが、共産主義とは一線を画すると言っております。しかしながら、マルクスの哲学が完全に日本教科書の中に入っていることは事実であります。これが入っていることそれ自体が私どもは悪いと批評しているのではございません。しかし、そういうような偏向のあること、イズムによって書きかえられるということは、少くとも公正を害することでありますから、その点について私はあなたの見解をお聞きしているわけなのであります。いかがですか。展示会はお説のごとく常設の展示会として必要だ、しかしながら、その前に、編著者と採択者がこういう形において表裏になっておるならば、むしろ展示会は必要なかろう、こういうような二つの問題について、もう一度証人のお答えを願いたいと思います。
  117. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいまお話しになりましたような内容というものを素材にされてのおただしでありますが、私の考えておりますのは、検定機関というものがあるがゆえに、検定教科書が存在するのであり、そうして、その検定の材料になるのは、数多いそれこそ独創に富んだものを扱うということが絶対必要な原則に立っておりますから、こういう意味合いで、展示会というものを通し、あるいは展示会以上のライブラリーというものにまで発展する状態なしには、現場教師の数多い素材をもとにした研究による子供たちに対する学習の成果というものを実際的に可能にすることはできないから、どうしても展示方式というものの確立が必要であるということを申し上げております。  それから、北海道の例を出されましたが、北海道の教職員組合からは、むしろ猛烈に常設展示会制度の確立を実現しなくてはならないという要請があるということを私自身も申し受けておるような状態でございまして、ただいまおただしのようなことには決して現実はなっていないと私は判断しておるわけであります。  それから、偏向教育ないしは進歩的過ぎる学者執筆者云々ということがございましたが、こういう問題は、大達文部大臣のときに二十四の事例というものを出されましたが、これとても、すべて検討されました結論になりますと、きわめてあいまいなものでございました。偏向そのものを妨ぐには何をもってなされるかというと、少くとも憲法と教育基本法と、それからそれに関係するところの諸方針に基いたもの、それこそ国家が検定機関を通して教科書を編集されるという建前を私どもは期待する以外に道はございませんので、こういう意味におきましては、教科書は、きわめて片寄った、つまり、よう理解できませんけれども、そのための教科書というものが作られて、そうしてそれが現場教師公教育に活用されるというようなことは、少くとも検定制度教科書制度というものを真実に実行している限りにおいてはあり得ないことでありまして、あり得ない仮説に立ってのおただしでありますので、私には理解ができないのでございます。  従って、私どもは、再度申し上げますが、今日の教科書というものが、ようやく現場教師たち実践経験というものの素材があって非常にいいものが作られつつある段階になった、そうして、しかもそういうことについての関心や経験が豊富になってきたのであるから、今こそ、展示会の制度や検定内容やにさまざまの工夫をこらすことによって、御指摘になったような御心配を一掃することが可能であると私は信じておるのでございます。
  118. 高木松吉

    ○高木委員長代理 濱野君に申し上げます。申し合せ時間が過ぎておりますから、簡略にお願いします。
  119. 濱野清吾

    ○濱野委員 先ほど常設展示会の場合に証人から説明がありましたが、内容本位に選ぼうとする教師の意欲を満たすことが今日の実態ではできない、こういうようなことでありますが、特に内容本位ということについての証人の見解をお述べ願いたいと思います。
  120. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 内容本位と申しますのは、すべての展示された教科書を逐一検討して、そうして自分たち学校における教育計画子供たちの学習の諸条件に適合しているかどうかということを十分検討するということを申し上げたわけでございます。ところが先ほども申しましたが、現在は、そういう意味検討をするためには、期間的にも教師の継続的な研究というものの過重労働や何かにおいて、なかなか効果を期待できない部面もあるばかりでなしに、実は、内容的に見ますれば、検定があまりにも細部にわたって、検定基準あるいは指導要領等において独創性を抜きにしたものを出すがために、大同小異のもので、若干さし絵の数が多いとか、あるいは紙の質が若干どうとかいうような、こういうような見かけの上に工夫がこらされているというような現状が非常に数多く指摘されておりますので、そういう意味から、子供たちが栄養としてこなす場合の素材が数多く——私の申し上げましたのは、広い立場に立って数多くの判断に必要な資料が盛られているかどうかということが一番大事なことである、御指摘のように、片面だけを見て、それだけを羅列するというのではなしに、さまざまの判断のために必要な素材が公平に、一方を特に隠すということでなしに扱われている状態内容が望ましいということを申し上げたわけでございます。
  121. 濱野清吾

    ○濱野委員 ただいま証人からお答えがありましたが、そうしたお答えから見れば、これは現場教員の諸君が教科書執筆して、そうして編著者となって、自分の選んだ理想的な教材が書いてある教科書が望ましいのでありますから、日教組の文化部としても、できるかできないかはわからぬが、できれば、現場教員の諸君がその地方々々において、あるいはまた一般の問題につきましては中央等において、十分研究したものを教材として盛った教科書を作るということになれば、これは教科書の管理が皆様方の手によって行われ、しかも常設の展示会などということは必要ない、こういうことになろうかと思いますが、この論理は間違いですか。
  122. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐藤証人に申しますが、簡略に要領を尽して下さい。時間の制限がありますから。
  123. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 申し上げます。ただいま御指摘のように、日本教職員組合という教員団体教科書そのものまでも全部これをこなし、学校単位に言うならば学校ごとに教科書を作成して、そして教育というものを実践するという段階について、日教組は理想としているのではないか、こういうふうに尋ねられたように私はとれるのでありますが、私が先ほど来申し上げました証言内容において、そういうふうに判断されようとは私は思い得ないのでございます。
  124. 濱野清吾

    ○濱野委員 証人は、文化部長の立場から、先ほどの証言の中に、教育実践の文化的な営みをする、しこうして、各地区の父兄青年を対象として活動を継続している、こういうようなことでございますが、これはどういう名前で、どんなふうに御活動を願っているわけですか。
  125. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 直接教科書関係があるのでしょうか。
  126. 高木松吉

    ○高木委員長代理 あります。直接間接の関係あることを証言して下さい。
  127. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 申し上げます。ただいまお尋ねのお言葉の中で、父兄青年を対象とした文化運動、こういうふうに申されましたが、私はそういうふうには申し上げないのです。私は、対象ということでなしに、父母や青年たちとともに教育の問題を中心にしながら話し合い運動を、文化的な諸運動というものを進めるというふうに申し上げておるのでございます。それで、私の申し上げますことは、父母と私ども話し合いをするということも、青年たち話し合いをするということも、問題は、学校における、公教育の場における学習が、家庭や地域の社会的諸条件の中に投げ出されまして、子供たちの学習が常に阻害される、学校の学習と家庭や社会におけるところの学習というものとが一致できない、こういうことで問題がありますので、父母の言い分も、青年たちの理想とするものも、問題とするものもお互いに出し合って、教育の理想をともに語り合うことによって、より理解を深めて、個別的に一人々々の子供たちのその諸条件に適合した教育の成果をより効果的に子供たちのために伸ばしていきたいという立場から、日教組の諸営みが行われているということだけを御説明申し上げたのであります。
  128. 高木松吉

    ○高木委員長代理 濱野君に申しますが、時間が超過しておりますから、どうぞよろしくお願いいたします。
  129. 濱野清吾

    ○濱野委員 話はよくわかりましたが、日本共産党の諸君は、いろいろ教育に名をかりて、町の会議あるいはまた村の会議をやっておる。そこで、日本文化を守る会とか、子供を守る会とか、あるいは教育を守る会とかいって、いろいろな日本社会革命の運動を巧みに教育に名をかりてやっておるようでありますが、これは別の会合でございますか。
  130. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 その点は明らかにいたします。過般の大会におきましても、日本教職員組合執行部としましては、過般共産党の機関紙において、日本教職員組合文化活動がここまで成果を収め得たのは労働階級や党の指導助力にあずかるものが多いなどという意味のことが書かれましたので、わが組合としましては、中央執行委員会を開いて十分検討した結論として、少くとも、現場教師の日常的な問題をもとにしながら、しかも学校単位研究をし、子供たち単位として教育研究する日本教職員組合研究活動というものは、そのような政党の特別の工作等によって行えるものではないから、この点について誤解ないようにということと、それから、今後国民教育のそういう厳粛な現場教師活動に対して党がもしかりにそういうことがあるとすれば、これは国民教育の前進のために峻拒しますという決議をして、これを申し入れをしたような次第でありまして、私どもとしては、今日の段階における日本教職員組合が国民の皆様に責任を持って子供たちの成長を守ろうとする運動は、そういう特別の工作というようなものによって行われているものではないということを申し上げます。
  131. 濱野清吾

    ○濱野委員 もう一点お尋ねをいたしておきたいと思いますが、一応証人のお答えは私ども拝聴いたしまして、よく研究いたします。先ほど日教組教育研究大会のことに触れましてお答えがあったようでありますが、ある人々は、証人の説明しました年次大会日教組教育研究大会と申しましょうか、よく名前はわかりませんが、この大会を目して、日本の革命運動の理論的武装の集会所である、こういう批評をしております。もう一つは、日教組の一部分の左翼分子の革命祭であると極論しておるのでありますが、この点について、証人から比較的具体的に今までの大会の様相を説明し、そしてこの場合証言しておくことは、日教組のためにもよろしいし、またわれわれのためにも非常に参考になろうかと思います。この点、簡潔に、しかも重要な面を何か例をあげて御説明を願えればけっこうだと思います。
  132. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいま御指摘になりましたような批判というものを私が直接伺ったのはこの席上が初めてであります。どういう証言や素材に基いてのおただしであるか、私はわかりません。日本教職員組合は四年越しやって参りました。ことし五年目でございますが、この研究活動研究運動というものは、各学校学校の努力目標というものもありますし、学級におけるところの努力目標や研究目標もありますし、教師めいめいの研究目標もございますし、研究課題もありますし、そういうものを、学校単位で、何をことしのお互いの共同研究にしようかという話し合いをして、そうしてそれを郡市単位に持ち寄って、さらにまた現場に帰る、こういうようにして、この単位研究ということでやって参っておりますから、実際そのようなものではないわけです。そして、特に大達文部大臣からも、安藤文部大臣からも、ぜひ参加したいという申し入れがありましたので、ぜひおいでを願いたい、これは全国の集会というものを前後五日間ごらん下さるならば……。
  133. 高木松吉

    ○高木委員長代理 証人に申し上げますが、簡単に願います。
  134. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 従って、さような問題のないことをよく御認識いただければ幸いだと思います。
  135. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永一臣君。
  136. 福永一臣

    ○福永(一)委員 私は証人に対しまして限られた時間で質問いたしますので、ごく簡潔に御答弁を願いたいと思います。まず第一に、日教組採択基準、これはいかなる目的で作られましたか、お尋ねいたします。
  137. 高木松吉

    ○高木委員長代理 証人に申し上げます。簡略にお願いします。
  138. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 努力をしておるのでありますが、問題の性質によっては説明が必要なのであります。  ただいまのお尋ねに対しましては、先ほど申し上げました通り現場において、教育研究やあるいは教材研究等を通して教科書内容研究についてのさまざまな営みが行われ、たくさんの素材がある。そういうことで、日本教職員組合の本部としても、それらの題材を集めて、素材となっているポイントだけを参考資料として出すのが、一番時期としても必要な時期であるということで、現場教師の自主的研究推進のための参考資料として提供したのが趣旨でございます。
  139. 福永一臣

    ○福永(一)委員 その採択基準はだれがお書きになりましたか。
  140. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 先ほど申し上げましたが、日本教職員組合教育文化部の私ずもがこれを起案いたし、そして、先ほど申し上げました二、三の学者先生方に特に諮問申し上げまして、そうして意見を伺った上で、さらに検討をして出したということであります。
  141. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、重複するかもしれませんが、その関係学者の名前をもう一ぺんおあげ願います。
  142. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 岡津守彦東大助教授、日本教職員組合講師団、それから教育大学の馬場四郎助教授及び梅根教師、それから和光学園の校長さんと思いますが春田正治氏、これら日教組講師団の方々、しかもこれは教科書問題の特別委員会参加して全国資料を御承知になっておるからということで、特に諮問申し上げて御意見を徴した、こういうことでございます。この方々中心でございます。
  143. 福永一臣

    ○福永(一)委員 この作成に当っては、現場教職員参加しておりますか、おりませんか。
  144. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 現場教師がこの起草そのものに直接筆をとって参加することはいたしません。現場から提出されております素材を私どもが整理検討をいたしましたわけでございます。
  145. 福永一臣

    ○福永(一)委員 次に、採択基準の作成にはどれくらい日にちを要しましたか。
  146. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 前後三週間ほどの日時を必要としました。
  147. 福永一臣

    ○福永(一)委員 このような採択基準というものをもし文部省あたりが各学校へ配付いたしましたとするならば、証人はこれに賛成しますか、反対されますか。
  148. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 仮設の上でのお話のようでございますが、文部省自身がどういう方式によって出されることか知りませんが、私は、いかなる団体が参考資料を出そうと、それは自由なことであると考えております。ただし、検定権を行使している文部省は、そういうものを出される必要がないし、そういうことはしないのが建前でございますから、そういうものにはなり得ないと私は思っております。
  149. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、その採択基準を拾って見ますと、疑問な点が二、三ございますので、お尋ねいたします。まず、「政治・経済・社会の面から」ということで、1、2となっておりますが、2のカッコしてあるところでございます。「平和はことなかれ主義の妥協ではない」、こうございます。これはどういう意味でございましょうか。
  150. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 平和ということは、お互いに努力し合わなければ実現できないことなのだ、従って、平和ということは、お互いの努力があってのみ実現できる、こういうことで、平和の実現のために世界的に見ましてもさまざまな努力が行われておりますので、そういう努力をされている記録資料というものによって、平和というものの全人類的な実現のための努力がお互いに把握されないことには、子供たち自身の社会を形成する場合の平和ということについての学習にはならない、こういうことが趣旨でございます。
  151. 福永一臣

    ○福永(一)委員 次に、平和を妨げている社会の矛盾というのはどういうことですか。
  152. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 平和を妨げておる社会的な条件ということは、平和を満たすもの、あるいは平和を実現するものが単に特定の委員や特別の人によってのみなされるものではない。そうではなしに、そういう人々の提唱があった場合に、その提唱に賛同するというのには、多くの人たちの存在条件がなければならない。その存在条件というものは、今日の常識的な問題となっておりますが、極端な貧困があってみたり、大衆収奪があってみたり、不権衡があってみたり、こういう諸条件がそのままうずめられておって、ただその上で平和々々ということを特定な人が呼びかけるということでは平和ということはなし得ないので、すべての人々が希望を持って生活できる、そういう世の中を実現することなしには、つまりその2項の前にあります基本的人権ということがお互いに尊重され合って、お互いに基本的人権の中に生き合えるというような条件があってのみ真実の平和というものがあるということのために、この説明をしているわけです。つまり、押えつけられた中における平和というようなものは真実の平和ではないので、すべての人が平和を熱願し、平和の生活を楽めるような、そういう諸条件というものを社会的にもお互いに持ち合えるようにならなければ、真実の平和の世界、平和の社会というものにはなり得ない問題があるのだという点を見落さないようにしなければならぬということでございます。
  153. 福永一臣

    ○福永(一)委員 第三番目に、「資本家と労働者、地主と小作人等の関係で生産の問題が考えられているか。」、これは具体的にはどんなことを言っているのでしょうか。例をあげて御説明願いたい。
  154. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 生産、つまり物質的な生産が向上しなければ、国民生活も人間同士の生活というものも、これを文化的にも満たし合うことができない。従って問題は、生産ということがすべての人の働きによって行われていることが条件である。その場合に、労働者と資本家、あるいは地主と小作人、こういう今日の生産体系の中において関係があるものを抜きにして、生産そのものだけを論議したところで、具体的な生産というものの問題の真実の理解は成り立たないので、生産というものを重視するがゆえに、その生産が可能になっておる社会的諸条件という中で、資本家もあり、労働者もおるし、地主もおれば小作人もおる、こういう現実の状態そのものをすなおにとらえた上で生産ということが研究されるような、問題にされるようなとらえ方をしているがどうかということを問題にすべきであるという立場でございました。
  155. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、もう一つ、「世の中の矛盾をなくするようにはたらく」、そういうことが最後の十項にございますが、こういうことは具体的にはどういうことでしょうか。
  156. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 簡潔にお答え申し上げます。これは、すでに文部省が作成されまして、今日の教科書においても、私どもの長年にわたる教育実践においても、非常なよりどころとして採用しておりますところの、文部省の発行されました社会科の解説の中にも、社会科の一番大切な目的は、一人々々の生徒にりっぱな社会とはどのようなものであるかをはっきり理解させることであり、さらに進んで生徒の中にそのようなりっぱな社会を築き上げようとする意欲と決心とを目ざめさせることにある、こういうふうに指示されておる通りでございまして、そういう点が置き忘れられてはならないという点を第十項に書いたわけでございます。
  157. 福永一臣

    ○福永(一)委員 そこで、私は最後に締めくくりとしてお聞きしたいのですが、証人は、以上私がお尋ねいたしましたことに対しまして、以上のような見解は現実の政治の上で今日本では一体何党に属するとお考えになりますか。自由党に属しますか、民主党に属しますか、あるいは社会党に属しますか。こういう見解は今の日本の何党に一体合致するとお考えになりますか。それを伺いたい。
  158. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいまのおただしについては、私自身はっきりとり得ないのでございますが、少くとも、以上申し上げましたことは憲法の精神であり、教育基本法の精神であり、さらに具体的に示されておりますところ教育計画の当初に発表されました文部省計画であり、さらに現場教師が七年越し研究を積んできました一つの集約としましても認識できます事実でございますので、すべての協力者がほうはいとして起ってくるということのみを期待しておるのでありまして、特定の政党がさようなものを掲げてこの実現のために努力するというようなことは、私は毛頭考え得ないのでございます。
  159. 福永一臣

    ○福永(一)委員 あなたがいかに弁解されましても、以上の私の質問に対してあなたが表明された御説明によって私が受け取るところは、これは日教組代表されるところのあなたの言説であるから重要な証言でありますが、現在の日教組の中枢に流れるところのものは明らかに社会主義的な考えであって、これはまさに偏向教育であると私は断ぜざるを得ないのでありますが、あなたはこれに対してどうお考えになりますか。
  160. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 偏向教育と断ぜられますあなたの立論の根底自身が私は承服できません。
  161. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、それはあとに譲りましょう。これは幾ら論議しても水かけ論になりますから、私は省きます。  そこで、証人は、文部省検定基準というものを知っておりますか。
  162. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 検定基準として文部省が発行されているものについての大綱につきましては、ここに持参もいたしまして、読んで知っております。
  163. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、その検定基準の中に日教組採択基準のような項目がありますかどうか、お伺いしたい。
  164. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいまおただしになりましたような、そういう偏向であるというような断定の上に立ってのことでありますれば、私にはわかりませんが、私が申し上げましたような筋においてのものは、当然文部省検定基準というものの中に内包されているというふうに私は存じております。
  165. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、それをあげて下さい。例を列挙して下さい。
  166. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 資料を今調べますから……。     〔「それはあとで文書で出してもいいでしょう、今そういうことを調べることは時間をとても空費しますから」と呼ぶ者あり)
  167. 高木松吉

    ○高木委員長代理 正式な発言で発言して下さい。
  168. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 御承知のように、文部省検定基準が、教科書の編集のきわめて細部につきましてのものは具体的に指示しないのが建前でありまして、一つの大きなワクの基準として設定されるのでありますから、そのワクで申し上げるならば、絶対条件というところで、その第一項の、教育基本法、学校教育法の目的と一致しているかということ、第二項の、特定の政治、宗教に片寄ってはいないかということ、第三項の、教科の指導目標と一致しているかということ、この三つの絶対条件というもののワクの中にはすべての内容が包含されるのでございます。さらに、必要条件ということになりますれば、その内容がどうかとか、児童の発達段階に適応ができるかとか、組織配列の適切性はどうかとか、表現の正確があるかとか、製本体裁についてのものはどうかというような項目的なものになりますが、これらのものは、すべて絶対条件のこの三条件の中において内包されるものを、しかも子供たちの発展段階や、学年や、学校種別や、こういうものに適合してこれが配列されているかという点の吟味になりますので、ただいま申し上げましたようなことですべてこれらは内包されているわけでございます。
  169. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永君に申し上げますが、持ち時間が経過いたしますから、適当に簡略にお願いします。
  170. 福永一臣

    ○福永(一)委員 できるだけ簡潔にやります。  証人は、この文部省検定基準に反対でございましょうかね。どうでしょうか。賛成でございますか。
  171. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 文部省検定基準そのものに対しては反対でございません。ただ、あまり親切過ぎて、お互いの独創性を出す余地のないまでに、実施する場合に調査員審議機関が干渉するというようなことでは困る、こういう点のみが附帯的な事項であります。
  172. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、あまり尊重はしないというわけですね。
  173. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私はそういうことは申し上げておりません。
  174. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、教育公務員が国で定められた教育内容すなわち学習指導要領を私の意見でまげてよいとお思いになりますかどうか。
  175. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 そういうものがよいなどということはあり得ません。
  176. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、もう一つ文部省の定めた教育内容日教組並びにあなた自体の方針と食い違いがあった場合、証人はどうなさいますか。
  177. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 文部省自身がこれこれの教育をこのような手だてでこういう内容でこうせい、こういうようなことは、文部省の今日の権限においてはないのでございます。従って、ただいま御指摘のようなことは公式にはあり得ないことなのでございます。ただ、いろいろの機関において、たとえば、各政党がいろいろの政見発表の機会に、あるいは国会議員の方々が議員職の自由な立場から論議されていくということはございますでしょうが、文部省自身が国の法律や大方針に基いたもの以外のことをこうせいああせいということを現場教師に対して指図する権能は毛頭ございませんので、そういう筋合いではないと思います。ただし、そういうものでありながら、偏向ではないかとか、生徒たちの生徒会活動というようなものについてはとか、そういう具体的な指図がかりにあるとするならば、そういうことは教育の基本的な建前に反しますので、それは国民の大多数の意思とともに排除排撃されることになります。
  178. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、教育研究集会のもろもろの決定、これは文部省の学習指導要領と合致いたしますか、あるいは合致しない点がありますか、ちょっとお聞かせ願いたい。
  179. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 文部省指導要領というものは、御承知のように指導要領試案として出されておるのでございまして、そのもの自身において絶対的にこれをもって全国公教育決定的に拘束するというものではなしに、その試案をもとにして、そういうものを参照されて、地方の教育委員会や、それから現場教師教育計画というものにおいて十分実情に適合したものにこなし、生かしていくという趣旨が明らかでございます。こういうことによりまして、私ども研究集会の成果によりますと、やはり現場教師の実績や問題研究の素材というものを、指導要領を作成する場合にはもっともっと取り入れなくてはならないものを取り上げていませんために、文部省が設定した起草委員等においても、むしろ特定の片寄りというようなものがあってみたりするために、現場教育実情から見ますと、やはりこれは実践の場合にきわめて机上プラン的なものであって、生かされ得ない点というものがしばしば指摘されているということだけは明らかにあるわけであります。
  180. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永君に申し上げます。簡単にお願いします。
  181. 福永一臣

    ○福永(一)委員 それでは、ごく簡単に結びます。  また採択基準に返りますが、「歴史的な面から」というところの第二項のところに、「社会の発展が法則的に示されるような時代区分がされているか」、こういうことがございますが、これはどういう意味でございましょうか。
  182. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これは簡単でございます。日本の歴史を扱う場合でも、世界の歴史を扱う場合でも、これはすべて、今日の歴史学の成果によって得られている研究の成果というものが当然尊重されていなくてはならない、こういう建前から、しばしば戦争中ないしは戦前において行われたような時代区分、科学性のない時代区分というものをこじつけて、いまだにそれを公教育教材に持ち込もうとするような意図が露骨にあるかどうかということは十分見なくてはならないという意味で、これを指摘したわけでございます。
  183. 福永一臣

    ○福永(一)委員 私はそれだけでは納得できないのです。社会発展の法則というのは経済学上の言葉だろうと思いますが、これは具体的にはどういうことですか。
  184. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 いろいろの考え方もあるでしょう。学問の領域は日に日に進展しておりますから、とどまることはないわけでありますが、今日の経済学のものではなしに、私自身も歴史を専攻しておりますが、歴史学の立場から言っても、むしろ歴史学の今日の段階から言って、社会の進化ということについて、全世界的なものを統一的に把握しながら、その中で個別的大衆の文化生活というものを全面的に生かす努力というものが克明に立証されなければならないという今日の問題そのものでございまして、こういうことは当然文部省の教科課程の審議機関においても十分検討されておりますし、すべての分野において了承されている事実なので、取り上げてここに力説するまでもないことですが、故意にそういうものをぼかして、昔の、つまり戦時中に使われたような超国家主義的な、軍国主義的な、ないしは誤まれるところの封建主義的なものの歴史学的な解説を努力して取り上げようということがあってはならない、こういう建前でございます。その法則というようなことはすでに常識化されておるのでありますが、古代から今日まで一つの生活体系というようなものが逐次変ってきているという、その変り方の歴史というものを一瞥するということが、社会科において、特に歴史学においては重視されなくてはならない。今日のすべての学問の諸領域というものの成果をここに念のために取り上げたということでございます。
  185. 福永一臣

    ○福永(一)委員 あなたの説明によりますと、社会党展の法則は歴史的必然性によるものであるということのようですが、これは、俗に言われますところの歴史的必然性、つまり、原始共同体から始まりまして、奴隷制から封建制となり、そうして資本主義社会ができて、次に社会主義の社会ができる、これこそ歴史的発展の必然性である。これはいわゆるマルクス・レーニニズムの考えだと私は思いますが、これに対してあなたはどう考えますか。
  186. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 あなたのおただしの趣旨を適用いたしますと、今日の世界中の学問というものはすべて諸領域においてマルキシズムということに断定されるおつもりかどうかわかりませんが、そういう断定については、私自身研究においては、今日の歴史学や社会科の扱うべき素材や目的や、そういうものから言いまして、そのような論定そのものについては、私は学問が浅いためか論定できません。
  187. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永君に申し上げます。簡単に願います。
  188. 福永一臣

    ○福永(一)委員 あなたの考えの適合を私は論ずるものではありません。ここに示されておるところ日教組採択基準なるものの中にはっきりと書いてある。この文言に対して私は疑問を持つのであります。すなわち、社会の発展が法則的に示されているような時代の区分ということがはっきり書いてある。これをどうしてはっきりさせなければいかぬか。こういうことをあなた方が強調される眞意はどういうところにあるかということを、もう一ぺんお伺いしたい。
  189. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 非常に疲労したのですが……。
  190. 高木松吉

    ○高木委員長代理 疲労しましたか。どんな状態ですか。
  191. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 一分間休まして下さい。——申し上げます。私が責任を持って立案をし、数多い現場実践経験の題材を素材にして検討して提示しましたものは、御指摘のような特定の学説をもとにして、そういう論理の展開を目ざしてものしたというようなものではありませんし、これらのことはすべての歴史や社会をものする方々の常識となっておるのでありまして、全然そのような問題ではないわけです。ただし、お尋ねの中で、特に強調して云々という言葉がございましたが、こういうものをここに書き出さなければならなかって理由というものは、きわめて常識的で問題でないものを、こう考える、こう書き直すことがあなたの社のおためですよとか、あるいは、こういうふうな考えは悪いのじゃないですかとかいうようなさまざまのことによって、執筆や編集過程ところで非常な手間取りをする。そういうことで、きわめて当りまえの編集が日手間をとってかなわぬというような苦情は、たくさん教科書問題の会合等にも出されておりますので、そういう常識的なものを何も問題にせずに、やはり当然のものは当然のものとして列挙するだけの客観性と科学性というものの努力の跡があったかどうかということは、今日の教科書を評価する場合にどうしても見のがしてはならないということで、そういう点を出したということでございます。
  192. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永君、時間が経過しておりますから、あなたの良識によって適当な処置をとって下さい。
  193. 福永一臣

    ○福永(一)委員 あなたは国定に反対しておられるというが、国定制度とはどのような制度でございますか。
  194. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これは、今日の教科書制度を実施する場合に論議されました通り、従前の国定教科書というものを排して、デモクラシーの教育原理そのものを具体的に生かすために、教科書の編集というものは民間でやり、そうして数多くの素材が提供されて、現場教師の指導計画からくる判断やあるいはそれに対する批判の自由というものがあって、教育実践というものが拘束されない自主的な教育態勢というものがぐんぐん伸びるようにするという趣旨から言って戦前、戦中を通してありましたような、国が教科書というものを一つに規定し、しかもそれを国家の官僚群が執筆をし、これを発行管理する、こういうようなものについては再現してはならない、民主的なこの営みというものをより実際的に生かすための努力を工夫して進むべきである、こういう立場で国定化してはならないということを、私ども日本教職員組合では大衆討論の結論として決定しているのであります。
  195. 高木松吉

    ○高木委員長代理 福永君、相当時間が超過しました。
  196. 福永一臣

    ○福永(一)委員 六月二十一日に衆議院の第一議員会館で、よい教科書で子供の教育を守る会なるものを開催して、これは、総評、それから日教組、子供を守る会とか、いろいろな団体が集まりまして、国定教科書に対して大反対、そして、そこでできました決議を声明書をもって、全国にこれを流されたということは事実でございますか。
  197. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 その通りであります。
  198. 福永一臣

    ○福永(一)委員 そこで、日教組はこの行政監察特別委員会調査に対して非協力の指令を出した、これは教科書の国定の目的に反対するがためである、こういう目的のために指令を出されたといわれておりますが、指令を出されたことは事実でございますか。
  199. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 根も葉もないことでございます。
  200. 福永一臣

    ○福永(一)委員 根も葉もないければよろしいが、こういうことが巷間伝えられております。これが事実とするならば、国政調査に対する妨害でございます。これはないことを種にして言うわけじゃございません。が、どうか、この教科書問題は重大でございますから、あなた方も協力していただきたいということを一言敷衍して、私は質問を終ります。  どうも御苦労さんでした。
  201. 高木松吉

    ○高木委員長代理 山田長司君。
  202. 山田長司

    ○山田委員 参考までに証人に伺っておくわけですが、六月の二十七日と二十九日の行政監察特別委員会で、学図の川口証人を呼んでいるときに、同じ社の古山という人から聞いての証言に、日本教育新聞が学図をゆすったということで、これに対して日本教育新聞が声明書を出しているのです。私が伺いたいことは、この声明書が、何かしら日本教育新聞という日教組関係のある印象を持つのですが、日教組とこの日本教育新聞というのはどういう関係にあるか、一言証人から明確にお答え願いたいと思います。
  203. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日本教職員組合の機関紙は日本教職員組合の新聞でございまして、それ以外の諸出版、新聞一切は、日本教育新聞を含めまして、日本教職員組合とは何ら関係がございません。
  204. 山田長司

    ○山田委員 一般的には、これが何か日教組関係のあるような印象が強かったのですが、このことが明確になりまして、私は非常に痛快に思うのです。  次に伺いたいととは、過日の本委員会で、石井一朝君が、偏向教育という問題について、この行監で、強く偏向教育をされている意味のことを断定的に言われているのですが、この石井君はどういう関係日教組と不仲になったのか、一応このことを明確にしていただきたいと思います。
  205. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教科書の問題の証書でございますから、その関係以外のことをお答えする必要はないと思いますが、特に過般の証言日教組の問題についてたまたま石井一朝君がまるきりわれわれの判断のつかないことを申し述べられて、それが印象づけられたり、素材になるということについては、日本教職員組合というものは国民の大勢の方々の輿望の上に立ってのみ運動が可能なのでありますから、そういう意味で、誤解や間違いがあってはなりませんので、ただいまのお尋ねに対して、そういう観点からのみお答え申し上げたいと思います。  石井一朝君という人は、一例をあげますと、十一月に日本教職員組合をやめます時期に、愛媛県教育委員会教育時報というものに、教育は政治の奴婢であってはならない、こういう寄稿がなされまして、その中で、吉田茂もマレンコフも、政権の座にすわっている限りは、教育を聾断したいという意味と、その活躍ぶりにおいては全く同じものである、こういうことを論じ去り、そして、しかも、大達文相のやることはきわめてそういう意味合いから言ってかっこうなものであるというようなことを論証されたことがある。こういうことを言ったかと思うと、その次の八日の日にはもはや大達文部大臣ところに行ってあの事件の報告をするというような、実に思想的にも信念からいいましても性格破綻ではないかとさえ思わなくてはならないほど、私どもとしては判断できない人物であったわけであります。そういう方であったことが最近一年に顕著だったわけであります。それで、経緯を申し上げますと、実は日本教職員組合結成されましてから約二年間だけ日本教職員組合の愛媛県選出の中央執行委員でおりました。そして、そういうことから落選されて、そして日教組の書記として採用されたい、こういうことから、日教組の書記になって今日に至った人でございます。
  206. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐藤君、佐藤君に申し上げます。山田君の持ち時間は十五分が申し合せでありますから、それを勘案いたしまして簡略にお願いします。     〔発言する者あり〕
  207. 高木松吉

    ○高木委員長代理 静粛に願います。
  208. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は別に長く申し上げるつもりではないのでありますから、お聞き取り願いたいのです。たってのお尋ねでありますので、私はある限定をつけた上で、誤解されてはいけないので申し上げるだけでありまして、端的に申し上げますと、日本教職員組合の書記としての勤務が全然成り立たないような状態になりましたので、石井一朝君が書記としては不適当ではないか、君はよそに転職する心がまえがあるのか、こういうことで、再三、書記長としても、よい書記として活躍してもらうために、かつての同志でありますから、いろいろ注意を申し上げたわけでありますが、そのときに石井一朝君の方から九月の中旬に辞表を出されたわけであります。従って、その辞表を受理するかどうかについても考えておりましたが、その直後に、転職するためにいろいろ御助力をいただけないか、こういうことがありましたので、それらの心配をいたしておりましたやさきに、実はまるきり私どもには何の前触れもなしに、この声明書を買わないかとか、あるいは日教組が妥協するのは今だぞとか、さまざまそういうことを言いまして、十一月初旬にあのようなことをいたしましたので、日本教職員組合としては、その辞表を受理いたし、日本教職員組合の書記という職を免じたのが実情でございます。
  209. 山田長司

    ○山田委員 大体了承いたしました。われわれがなぜ今石井君の問題を持ち出したかというと、われわれは少しも今の教育を偏向教育と思っていません。むしろ、われわれの考えていることをなぜもっと正しく、われわれの考えている面までいかなくても、もっと積極的に教えなければならぬものがあるのに、それを教えないかと思っているくらいであります。  そこで、私が次に伺いたいのは、この採択をめぐって、かなりいかがわしい、新聞やラジオをにぎわしている問題が日本中の都道府県に起っています。五十万教員の中で各府県にそういう問題が起っているわけですが、国会四百六十七名の議員のうちで造船疑獄事件に関係した者などから考えてみると、パーセンテージはまだはるかに教員のやっていることの方が少い状態です。しかし、これがよいものとは私は決して言わない。そこで、業者の人たちからこの採択をめぐってどのような露骨な働きかけが教員の人たちになされているか、その二、三の事例をあなたからお伺いいたしたいと思います。
  210. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 そのような事例ということについて、私はこれこれというようなものを持ち合わせておりません。日本教職員組合研究集会の中で、そういう働きかけ等があって現場教師の清潔さに対して非常に不信を抱いてやり切れない、自粛するような態勢を現場教師からも起すし、日本教職員組合執行部においても声を大にして働きかけをせよ、こういうような要請がありましたので、そのとき出されました資料を先ほど午前中に証言申し上げたわけでございます。従って、ここで一例を申し上げてこれこれであるということは、その持ち合せは私自身はございません。ただ、報告書によれば十数件の件数があるわけです。ただ、しかし、それらのものも時間に制約がありますから省略いたしますが、大体その対象となっているものも、現場教師そのものではなくて、教育委員会関係の人であってみたり、あるいは元教育界のいろいろの顔役であってみたり、あるいは特定の研究会におけるところの顧問格の著名人であってみたり、そういうことなのでございます。日本教職員組合のタッチしている資料によりますと、修学旅行の下検分のために行ったときに、教科書の出版されます工場を見学などされる場合もある、そういうときに校長先生のような代表者が行った場合に、そのあとで、こんな暑い日であれば、涼しいものをどうですかということで氷水などが運ばれたりする、こういうようなことで、初めの計画に反するところの業者の計画が露骨に出るので、まことに迷惑であるということで、現場教師、当事者から、それを非常に不潔に思って、そんなことをやめてほしい、そんなことで誘惑されるように教員が見られたこと自身がたまらないことであるということで、非常な憤りを持っておるという報告でございます。たまにありましてもそういうことでございまして、現場教師ところまでは及んでおらないのが現状でございます。
  211. 山田長司

    ○山田委員 本委員会におきまして、何人かの証人から、学校生活協同組合の問題が取り上げられて、論難されておったわけですが、福岡、山口、佐賀、愛媛と、全国で四県ぐらいな学校生活協同組合というものについて、その実態の追及が盛んになされたわけですが、その経緯と特徴は、どんなときにどんな形で生まれて今日に至っているのか、ごく簡略にこのことを御説明願います。
  212. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 それは、午前中に申し上げましたが、私自身この種の団体に対しては直接関知したこともございませんし、日本教職員組合関係団体でもございませんので、明らかな経験や資料というものはございませんが、報告されておる事実を申し上げますと、教科書現場子供たちに渡すところの供給ルートの中で、非常に業者の介入があって、学校にどかんと荷物を一括して投げ込む、それをすべてあなたの学校で先生方骨を折ってこれをわけてみてくれませんかというようなことがあったり、どこまでとりに来てくれませんかというようなことがあってみたり、そういうことで、教科書の供給ルートに携わる業者やその他の者が不親切であるために、それを何とか現場子供たち要求に応じて直接速度をもって親切に、しかも誘惑や中間搾取的なものをなくするためにということで、現場教師意見を聞いた上でそういうものを取り扱うということで始めたのが実情でございまして、そういった意味で好評を博しておったのが当時のいきさつであったことだけを私は知っております。
  213. 山田長司

    ○山田委員 調査員の非公開に対して、公開せよということが発行業者からまで言われているが、この論拠はどういうところにあるのか、伺います。
  214. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 項目的に申し上げますと、調査員というのが非公開のために、みずから行う調査について徹底的な責任というものを負わなくてよろしい、つまり、隠されてしまう。こういう意味合いで、責任ある調査というもののありかが隠されていくというためにまず第一には問題がある。それから、二つ目には、同じ基本的な性質のものでございますが、非公開になっておって、しかも個別的に渡されるだけでありまして、お互いに話し合う機会がありませんために、この問題についての共同討議が全然できない。従って、問題の把握というものに対するところ検討がきわめて独断的になってしまう。こういうことで直接責任を負える調査はできないということを調査員自身それぞれのところで漏らしておるということさえ現実にある。それから、もう一つは、本来、検定基準があり、それから検定審議機関があるのでありますから、特別に問題はないわけでありますが、この非公開秘密主義の中において、実はさまざまの内容についての干渉やあるいは業者の暗躍や、さまざまのものが実は公然たる事実として行われてしまうということがあるわけです。従って、公開しておりまするならば、すべてそれらの人たちは国民大衆の前に責任を持たなくてはなりませんので、そのような無責任な、あるいは疑惑を生むような行為は全然できないし、なすことが許されない状態になる。みずから調査したものに対してはみずから責任を負わなければならない。こういうことで、世論の批判と、それから編集や執筆者の真実の陳述、あるいはそれに対する申し入れによって、間違いを起すことが絶対になく済ますための唯一の方法であろうというふうに考えられるからでございます。
  215. 山田長司

    ○山田委員 指導要領作成委員会の民主化という問題について、ちょっと尋ねたいのです。すぐれた製品を作るためにはやはりすぐれた技術者が必要である。これと同様に、指導要領というものがりっぱにでき上っていなければ、これに付随する一切のものがりっぱなものができないということは申すまでもないことです。そこで、指導要領を作る教材等の調査委員会は、ときの政治権力に屈服するようなことがないようにしなければならないことはむろんである。真に日本教育責任を持ち得るようにするためには、どうしても指導要領というものの作成が最も民主的になされなければならないと思いますが、証人指導要領の作成の民主化についてどんな考えをお持ちになっておられるか。
  216. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 指導要領の作成過程が、午前中も申し上げましたように、非常に短時間に、しかも文部省の判断による限られた人々によって構成され、そして逐次まじめな学究的な方々文部省の意向に沿わないと入れかえをされる、こういうことまでやって作られているという事実から、どうしても、学習指導要領というような基本的なものは、公選的な性格の、つまり一定の法律基準があって、ときの文部大臣や文部省の意向によって絶えず変動するということのない一つ法律基準というものがあって、その基準の上において人選が行われて、そうしてその場合には現場教育実践家もその選定の中に入れ、あるいは教育学者も、諸学問領域における学者も、あるいは良識ある方々参画というようなものも、推薦あるいは公選に近い方法が講じられて、国民すべての人がこれを承知するという状態が必要である。つまり、学術会議のようなああいう一つの性格によって十分責任を持った長期の検討というものがなされることが必要であるという立場の、私どもは改善の要請でございます。
  217. 山田長司

    ○山田委員 民主党が、選挙に勝つためばかりでなしに、から人気でも一応得ようというので、日ソ国交調整や日中国交調整というようなことを、この選挙に臨んで盛んに言いまくった。これと同時に、アメリカの対日文化工作がにわかに活発化してきて、日教組ばかりでなしに革新勢力に対抗して、新日本教育協会とか、あるいは自由アジア協会というようなものをこしらえ上げて、盛んに日本教育の面にまでアメリカが精神的な基地を作ろうという意図から、特定会社を中心にして野望を持ってきているというような事実が感じられるのでありますが、これらについて、私は日本教育の危機を感ずるのです。そこで、この新日本教育協会及び自由アジア協会というようなものが日本の国内に活発な活動を開始してきて、すでに新日協の場合には全国に六十二の支部を持ち、さらに講演会とか研修会というものを次々に開いてきておられるが、最初これが学図の経営であるとわれわれは感じておったわけですが、今では、学図の経営ではなくて、外国資本まで入れてこういうものが計画をされておると聞く。私は、これは国定教科書をねらっての行動であると感ずるのですが、そういうことをあなた方はお感じになりませんか。証人に参考に伺っておきたいと思います。
  218. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 新日本教育協会とかフリー・アジア協会とか、そういう団体があることにつきましては承知いたしております。それから、文部省の人事とともに、特に特定の某会社が、フリー・アジアとは別個でございますが、新日本教育協会の理事あるいは重要メンバーになっておったという事実も承知しております。ただし、このことは日本教職員組合にいろいろ某会社から申し入れ等もありました。実際はないんだから承知してくれ、こういうようなことがありましたが、わざわざ社長と二人の方が日教組の本部に参りまして私たちに陳述しました結論に上りますと、実は三十万以内の金については社長決裁でないので、何回出されたか知りませんが、社長の知っている範囲ではそう何回も出してはいません、こういうことを申し述べられ、さらに、某編集部長がその理事をやっているということについても申し述べられました。そして、ただしこれは、やはり日教組方々の意向によりましても、国民的な非難の的になっているから、間違いであったと思います。こういうような陳述さえ行われたという事実がごく最近ありましたということだけを御報告できるわけであります。  それから、もう一つ、根本的にどう考えるかという問題でございますが、これはもはや常識になっております通り、池田・ロバートソン会談におけるところの「会談におけるところの会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。」というふうに朝日新聞においても報道されましたが、こういうようなことがありましたから、今日の教育政策に対するもろもろの制約やら再検討というような運動が、公然とさまざまな政党においても取り上げられているのではないかというふうに感じとれることだけは事実でございます。
  219. 山田長司

    ○山田委員 時間が来ましたから、正確に時間を守ります。
  220. 高木松吉

    ○高木委員長代理 山中貞則君。
  221. 山中貞則

    ○山中委員 証人は、先ほどの証言で、採択について、現場教職員全部が、自分たち教育に対する現場の体験を通しての希望というものによって、それぞれ採択権を持つようにするのが望ましい、こう言われたのですが、その希望は別として、現在あなたは、採択権というものは法的にいずれにあるとお考えでございますか。
  222. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 採択権というものは採択される手だてる含めての権限規定でございまして、その決定権というものは、今日の法律においては教育委員会が持っております。
  223. 山中貞則

    ○山中委員 現状から見て、採択権教育委員会が法的に、臨時規則ですけれども持っていることはあなたのおっしやる通りですが、実際においては採択実情はどうなっておるか、御承知ならば御証言願いたいと思います。
  224. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 具体的な資料は「日本教育」の第四集に抄録されてありますので、これはここでは朗読することを省略いたしまして、申し上げますと、午前中も若干述べましたが、採択権というものの解釈がまちまちであって、つまり、手続方式というものを含めて採択権が成り立つのに、その手続というものを省略して、教育委員会が頭からこれをきめるのだ、採択権があるのだ、こういう解釈が行われているという実情が相当数ございます。ただし、これを私ども文部省に過般来何度も尋ねますが、文部省においては、緒方さん自身も申されている通り、そういうものではなくて、現場教師教育計画によって、その上で選んで、それを教育委員会許可をするというのが建前であるという解釈徹底について努力されておりますが、その徹底府県教育委員会まではまあ行ったとしましても、数多い地方教育委員会にまで趣旨の徹底ができていないために、起っている現象があるということが一つであります。もう一つは、そういう解釈のあいまいさを逆用して、事前統一採択というようなものを、福島県などでも反対を押し切ってやられたのでありますが、そういうことが解釈の不統一というところに隠れて公然と行われている。そして、現場教師良識ある人々が、それは違法じゃないか、間違いじゃないかと言いましても、いや、その解釈については幅があって、教育委員会としては衆議決定してこうなんだから、教育委員会の権能としていいのである、こういうことでこれを強行している。こういう事実がたくさんあるわけです。そういうのが現状であるというふうに申さざるを得ません。
  225. 山中貞則

    ○山中委員 あなたのおっしゃることは、私少しくわからないのですが、たくさんはないんですよ。あなたがおっしゃるのは、福島県の教育委員会展示会前に採択を発表したという顕著な例があったので、それを指摘されたと思うのですが、現状から考えると、それは逆であって、あなたは先ほど、直接現場の先生方が売込りみ競争等の犠牲者となって間違いを起したことは自分は知らないとおっしゃるのですが、知られないはずはない。新聞その他にも出ているのでありまして、そこだけあなたが目を閉じておられたわけはないのでありまして、具体的に検察庁において調査を受け、あるいは法的な処罰を受けたところさえも例が幾つもございます。従って、あなたがおっしゃるような、そして私どもが肯定するような、法的にはなはだあいまいではあるけれども採択権が明瞭にあると思われる教育委員会が自主的に決定ができるのは実際には少いのであって、現実には、あなたが主張される現場の先生方あるいは現場の先生方の代表である校長等の手においてほとんど九九%の採択の権利が握られているということを、教科書会社は売り込むのですから、商売人だから一番よく知っており、そういう結果が生まれている。これによって採択実情は明瞭に立証されると私は思うのですが、もう一度お答えを願います。
  226. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私自身福島出身でありますから、福島県の実例は一番よくわかっておりますので、一つの例に出しましたが、報告書によりますと、県教育委員会においてそういうもうまいなことをやるところは、そうはないのです。ところが、私申し上げましたのは、数多くある地方教育委員会の中に、今度はおれたちがおれの村の学校教科書についての採択権があるのだから、こういうことで、その採択ルールや何かを参考にすることを省略して、押しつける傾向がある、という報告がたくさん出ておりますので、その点を申し上げたということで、その点の誤解だけは解いていただきたいと思うのであります。
  227. 山中貞則

    ○山中委員 先ほど、あなたは、現場の先生方が教科書の編著に携わられることは、いけないことではなくて望ましいことだということを繰り返し、しかも、何べんお聞きになっても同じことを私は答えます、こう言われたのです。あなたの見解は、いわゆる証言を求める人の尋問が、ただ聞くということであなたの証言を求めたので、そういうふうになったのですが、私はこれはいけないと思うのです。そういうことであってはならないことだと思います。以下その理由を申し上げます。  なぜいけないかというと、先生方は、半面において、今おっしゃるように、なるほど教科書を編著するには最もよい体験をお持ちでございましょう。また、それらの意見というものは、何らかの形において教科書に反映することが当然のことです。しかしながら、それらの人々は、半面においては、今私が明らかにしましたように、あなたもまた全面的に否定はできなかったように、採択の権利を持っているわけです。そうすると、教科書というものは、義務教育の最も重要な、神聖なものとして、しかもこれはあくまで公平に完全供給が行われなければなりません。従って、幾ら出版社が多くとも、どれだけ多数の教科書の種類があろうとも、それはあくまでも一般の商業の理念を離れて公正にそして完全に供給するということに重点が置かれなければならないのですが、自分が編著に携わった立場の本でありますならば、だれだってその本を採択して使わせたい思うのが、これは教育の情熱から考えて当然でありましょう。従って、編著ばかりでなく、あなたは先ほど学生協についても同様の肯定する立場をとられたのですが、学生協が公取から警告を受けたということは、供給事務に携わるものがいわゆる採択権を裏づけとして持つような機構はよろしくない、こういうことで警告を発し、文部次官通達においてもそのような点を指摘をいたしているのがその真相なんです。すると、私どもの考えるのには、現場の先生方が教科書の編著に直接携わることは、望ましいことでなくして、実際には完全供給という公正な採択というものを妨げる一番大きな原因になる、こういうことを私どもは考えるわけです。例をあげるならば、北海道国語教育連盟ですか、何かそういう先生方のグループがございます。その人々が、某出版者と契約して、ローカル色豊かな教育をしようというので、北海道の特殊事情に立脚した教科書を作っておられますが、しかしながら、その反面どういうことが行われているかというと、その教科書の印税等をもらうことによって、それらの人々は、自分たちの出版しておりまする印刷物その他を通じて、ほとんどすべての教科書会社についてボイコットをいたしまして、国語教育については自分たちが編著に参画したところの某会社のもののみを推薦いたしておりまするし、また、その推薦のパンフレットの中に広告的な扱いをしております。ワーク・ブック・テスト・ブック等を各学校の先生方に決定版という言葉をもって推奨いたしておりますけれども、それは全部その会社の出版物であります。現実にかような事実が出ておりますし、また、私が先ほど述べましたように、もしあなたの言う通り望ましいことであるならば、公正取引委員会の警告、また文部次官通達が、われわれは了承する通達であっても、あなた方にとってはそれはいけないことだというふうにわれわれは受け取らなければならぬのですが、そういうことは望ましいのではなくて、いけないのだという私の断定に対して、証人はいかようにお考えでございましょうか。
  228. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教員組合というような権利を主張したり要求をしたりする団体自身が、公教育教科書を編集、出版する、こういうような状態については、私はそういう筋ではないということは認めますし、その態度はとっていないわけです。ただ、どんな出版社の教科書を見ましても、著名な方々が顧問になってみたり、監修人になってみたり、あるいは執筆者編集者等になっておりますけれども、しかし、相当数は現場教師原稿依頼が行われて、それが編集者によって取捨選択されているというような事実があることを私どもは聞き及んでおるわけです。それほどに教科書執筆というものは現場実践を抜きにしては書き得ないことと、それから、そういう教材そのものは価値が現場教育に結びつかなければならないのだということが実証されているということを実は思っておるわけです。ただし、著しい弊害が起るような、つまり独占体のようなものが公然と行われているような、そういう団体活動は評されませんし、そういうことは、世論においても、それから良心的な教師の批判活動においても、事実上淘汰されていくものと私どもは考えておるわけであります。従って、私の望ましいと申し上げましたのは、現場教育実践経験のある人々執筆にタッチするということを抜きにして教科書が作成されませんし、そういうことであるからこそ検定機関というものがあって、そこでさらに比較検討されるだけの素材が提供されるという建前であるので、その趣旨から言って、私は、望ましいということは可能であるし、決してそういう弊害を起すようなものとして私は申し上げたのではないのでございます。弊害がありますような点、私の不明の点につきましては、遺憾なことであると存じます。
  229. 山中貞則

    ○山中委員 検定制度については、あなたは実情を御承知でしょう。教科書を編集して検定に出しますと、よほどの欠点がない限り、ほとんどが通ってしまうのです。従って、検定制度経過してくるのであるから採択に携わる人々が編著に参加をしてもいいという結論はどうしても出てこないと思う。私どもは、教科書は、現行検定制度を前提として考えられるならば、少くとも編著と供給の面、あるいは編著と採択の面、あるいは供給と採択の面、これは明らかに分離することが必要である、少くとも日本の将来を決定する重大なる教育、しかもまた教師の考え方いかんによっては赤にも黒にも染まり得る純真な気持を持った生徒に対する教育という特殊な立場から考えて、あくまでも断ち切らなければならぬ、かような主張を持っておるわけでございます。  それで、次に参りますが、先ほど、あなたは、ワーク・ブック、夏休み帳、冬休み帳がいわゆる県単位ごとの教組において大体編著されて生徒に配られておる、そういう副読本が実費販売をとっておるので、若干の利潤があったとしても、それは貧困家庭等に無償で配付するその補償をする程度のものだ、こういうことを言われた。実際に私どもがあっちこっちの実例を調べてみますと、たとえば東京で配付いたしました「夏休みの友」ですか、これはどこの会社に見せましても大体九円くらいでできると言っておるのですが、実際には生徒には十八円で渡っておる。あるいはまた、北海道等においては、普通の教科書会社が出しておるものよりも十円ほど高い三十円で出されておる。こういうことは、私どもとしては、日教組が各県ごとに生徒のために努力されて出される出版物の定価としては、不当利潤は全くないとおっしゃるような内容とは少しく背反するものでないか、こう考えるわけですが、その点、証人はどうお考えでしょうか。
  230. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私の申し上げましたことは、私の知っている範囲では、東北の各県や日教組教育文化活動について報告されておる現状について所見した範囲でございますので、その点について申し上げたわけでありますが、例に出されました東京の場合でありましても、実は詳細な計算書があるのでございます。それによりますと、決してそういうものではないのが実情のようでございます。大体二十九年度は厳密に計算して十六円九十六銭の実費がかかったものを十八円で配付をした、三十年度、つまり今年度は十七円八十三銭のものを十八円で配付しておる、こういうことでございまして、しかも、市販の場合ですと、三十二ページをもって二十五円のものが売られておるのに、四十八ページで十八円ということでありまして、その点は、決して暴利どころじゃなくして、献身的な活動によって流されるものであるということが明らかにされているような現状でございます。そういう資料に基きまして私は申し上げました。
  231. 山中貞則

    ○山中委員 あなたの資料については、私は持っておりませんから、御信用申し上げます。ただ、普通の会社が教科書を流すとします。あるいはワーク・ブックでもそうですが、教科書の正当なる中間利潤というものが一六%見込まれておるわけです。ところが、先生方の教組でやられると、少くとも一六%は全然不要なんです。特約所やあるいは取次店といった供給所というものは全く要らないわけですから一六%は原則として安くなければならぬ。一般の教科書会社の教科書あるいはワーク・ブック等においては、大体利潤が四五%ほどあるのが通例だそうでありますが、そういうものから考えると、私は、貧困家庭に無償で配付する分を補うに足る程度の利潤ではどうしてもないと考える。しかし、時間がありませんので、次に進みます。先ほど日教組採択基準についていろいろございましたが、あなたの方では社会と職業と家庭と算数とおっしゃったのですが、理科はありませんか。
  232. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 失礼いたしました。理科について抜けておりましたら、それを追加いたします。
  233. 山中貞則

    ○山中委員 あなたの先ほどからの証言を聞いておりますと、いわゆる採択基準というものを本年度初めて作られたようですが、配られたのは採択の参考にしてもらいたい、こういうふうにおっしゃった。そうすると、私どもは、あなた方の立場に立って肯定するならば、あなた方の教科書の全分野においてこういうものが出されてしかるべきだと考える。しかるに、なぜあなたが先ほど言われた限定された数科目のみにそういうような、採択基準をお流しになったのか、何らかの理由があるのか、ほかのものはこれを取り残された理由があるのか、御説明願いたい。
  234. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 先ほどの報告でその点の説明が省略されてしまったので、失礼しましたが、すべての教科にわたってそういう研究をする建前で各県の研究現場において行われておりますが、私どもの手元に的確に資料として出されましたものは、以上出しましたものだけであったわけであります。その他のものにつきましては、さらに現場実践報告等があった上でなければ、私どもとして研究して成案するということには責任を持てませんので、そういう意味合いで、今年度はこれだけっ切りできなかったわけであります。その他の教科目については、各現場教師によってこなされている実情に期待をしているという状態に尽きているのが現状であります。
  235. 山中貞則

    ○山中委員 ただいまの証言については、私は少しおかしいと思います。しかしながら、あなた方がそういう現状しかできなかったとおっしゃいますれば、それはやむを得ますまい。しかし、常識として、こういう教科書採択基準をお示しになるならば、全科目にやられなければ、私は意味をなさないと思うのです。あなた方のその流された趣旨に合わないと考えます。従って、私は私なりに、なぜこの数科目のみに限って出されたかということについて、立場が違いますから、勝手な解釈をしてみたのですが、私の見るところ、あなた方の最も重点を置いておられるものは社会科だと断定せざるを得ない結論になってくるのですが、この社会科というものをあなた方は重点に取り上げられて考えておられるが、たまたま、この採択基準については、社会科を盛り上げて重点に置いた形でほかの科目を流した。従って、取り残された国語とかその他の科目は、これは取り残されたのではなくて、まあつけ足しにするときにその点はもうよかろうというので取り残されたものと私は考えるのです。もちろん証人は別な見解がありましょう。しかし、私があなた方のこの採択基準について調べてみた場合に、私どもから考えて、教育が最も中正でなければならず、あらゆる立場にとらわれないものでなければならぬという観点から見ると、最も疑問の多い点が社会科にある。従って、社会科の教科書というものを重点に私はいろいろ調べたのですが、中の顕著な例を二、三あげてみますと、これは現に文部省検定済で採択されている中学の社会科の第三学年用でありますが、たとえば太平洋戦争の説明の前置きがこういうふうに書いてございます。「日本の軍国主義はますます勢いを得ていった。強大な軍隊を背後にもつ陸海軍の指導者や、それと結びつく財界や官僚たちが国の政治を思うままに動かすようになり、重い税金に苦しむ国民の不平をそらすために、戦争をほめたたえ、外国の侵略に備えるためと称して軍備の必要を説き歩いた。そのうえ政府は、国民の平和思想の発表や政治の批判を封ずるために、警察だけでは足りなくて、憲兵までも使ってだんあつした。こうして日露戦争に続く第一次世界大戦、山東出兵、満州事変、上海事変、中日戦争、」——これは日本と支那の戦争だと思いますが、日本教科書に中国を先に書いてあります。大体普通の常識では、日本と中国というならば日中と言うのが普通ですが、ここでは中日戦争としてあります。それから、「太平洋戦争と次から次へととめどもなく戦争を続け、とうとう一九四五年の大敗北となった。」、これは中学のやつです。それから、小学校の「あかるい社会」六年の上です。それに日露戦争の話が出ておりますが、「だから、中国の領土へせめこむのは、日本もロシアもおなじことなのに、日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って、戦いをつづけました。しかし、国民のなかには、戦争に強く反対する人たちもいました。」—ここで堺利彦とか幸徳秋水等が書いてあります。それから、この日露戦争の結末はどうついたかということでは、「戦いは、陸も海も、日本の勝利におわりましたが、そのときは、日本には、もう戦う力がなくなっていました。そこでアメリカのとりなしで、講和条約をむすびました。その条約で、日本は樺太(いまのソヴィエトのサハリン)の南半分をロシアから手に入れました。」、この史実などはそれぞれ解釈はございましょう。私どもとしては、こういうふうな解釈が国民の最も中正な解釈だとは考えません。たとえば、常識から考えましても、「樺太(いまのソヴィエトのサハリン)」といっておりますが、南樺太の所属というものは、国際法上まだ教科書でしかも生徒に「ソヴィエトのサハリン」といってカッコして教えるほど確固たるものではないのです。私はここでは二、三の例を述べただけですが、まだあちこちございます。たとえば蒙古来、蒙古が日本に攻めてきたというのは、これは常識でみんな知っている歴史の大きな事件でございますが、その蒙古の攻めたことをどういうふうに印象づけようとしているかというと、中国が攻めたのではない、蒙古が攻めたのである、こう書いてあります。「蒙古は、らんぼうに、中国や朝鮮をしたがえたので、中国や朝鮮の多くの人々にうらまれていました。日本にせめてきたときの船も、中国や朝鮮の人たちからむりにとりあげたり、そこの人々に、むりにつくらせたりしたものでした。日本が蒙古軍をおいはらったことを聞いて、中国や朝鮮の人々も、勇気をふるいおこしました。蒙古は第三回めの日本の攻撃をくわだてていましたが、中国の農民たちは反乱をおこして、これをじゃましました。そして、蒙古が、日本へせめていくことをあきらめたのがわかったとき、中国の人々は、たいそうよろこびました。」、なるほどそういうこともありましょうが、しかし、今までの歴史の概念から言って、蒙古というのは中国大陸を征服した国なんです。従って、今日の中国の、その当時の国名の蒙古が攻めてきて、しかもまたその船の指揮者が中国人の范文虎とか、いろいろおります。そういう者であったことも常識です。そうすると、蒙古という国が攻めてきたことの解釈が、どうも中国が蒙古から無理やりに連れてこられたのだ、こういうふうな記事が生徒の教科書として出ておるわけです。この内容がよい悪いということを論議する前に、このようなよい悪いの論議、どちらが正しいかの論議は非常にかまびすしいことなんです。従って、生徒に教科書の活字を通じて教育すべき教育の仕方として、このような、ただいま述べたような方向を持つということは、私はちっとも正しいことではないと思う。むしろ、純白な青少年、児童というものを教育する上には非常に慎しまなければならぬ態度だと考えるわけであります。ところが、このような内容が、あなた方の教科書採択基準の社会科の部の明細なる項目その他によりますと、明らかにこれに合致します。私どもは、こういう方針で文字にして事実を取り上げて解明をすれば、こういう言葉になり、こういう史実の述べ方になる、これは直結したものだという感じしか持てないわけであります。しかも、先ほどあなたは、この採択基準を作って流した目的はただ採択の参考にすると、こう言われたのですが、しかしながら、私どもの考えるところでは、今年から始められたということは、文部省検定基準その他に日教組としてはあきたらないものを持っておる、あるいは日教組としては文部省が反動化しつつあるということを考えておる、従って、自分たち教育の擁護者としてあるいは実践者としての立場から、これに対抗するための意味で流したものとわれわれは受け取らざるを得ないのです。そうして、あなた方のこういうものに対して、教科書出版会社というものは非常に敏感である。何となれば、日教組といえば全国的な先生たちの集団である。全国の先生方といえば、実際に一冊々々の本を採択する権利を持って、教科書会社の生命を左右することのできる人たちがその構成分子でありますから、日教組はことしはこういう方針で教科書採択するということがわかったならば、教科書会社というものは商売人ですから、社運を賭してその方向に教科書を合致せしめるのが当然のことだと考えるのであります。従って、このようなことは、私どもとしては、むしろ、あなたが述べられました教育基本法というものにあなた方自体が逸脱する傾向を現実に形作りつつあるのではないかと考えるのでして、その点心配でならない。いわゆる宗教に片寄り、あるいは思想に片寄り、あるいは特定の政党に片寄った教育をしてはならないという点から、私どもはかように実際に批判をする。先ほどは同僚の山田君が質問いたしましたが、左派の立場において、自分は全然差しつかえないと考えるばかりでなく、逆にどしどしやってもらいたいということを言っておるのです。そこに論議の分れるところがあります。そうすると、結果的に言っては、どれが正しいという国民の世論の判定というものがない以上は、そういうものを教科書の中に載せるのは、教育の中正の上から、しかも義務教育の本旨から、私はどうかと思いまするし、また、児童がこれを自分たち教育の材料としての明瞭に消化できるものでなければならないという範囲を超えておると思いますが、この点はいかがでしよう。
  236. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私にただされます根底に、その評価基準がこういうものと合致するような向きで、そういうものを予想した上でやったのではないかということを含めての御質問でありますので、お答え申し上げるわけでありますが、この点につきましては、先ほど来申し上げた通りでございます。私も相当数の教科書を個別に当ってみましたけれども、一律に、これは片寄っておる、これは片寄っていないという判断のつくようなものは、そう簡単に出ませんでした。ただいま例証されましたような内容等も、全体を精細に私なりの学識経験で読みますと、全部を評価いたしますと、そういうふうな解釈に、それだけを規制するためにやっておるというような向きでもないようでございますし、また、私どもの特にここで結論的に申し上げたいことは、教科書内容そのものということに片手落ちがあってはならないということだけが私どもの特に何度も申し上げる点なのでございます。従って、そういうふうに見てみますと、教科書内容にまだまだ研究の余地があると思うのです。それから、まだまだ現場教師の批判もおとなしいと思うのです。黙っておると思うのです。そういう意味では、ようやくとういう問題が爼上に上って研究批判というものが活発化する段階でありますので、今後いろいろ懸念される問題は解決される時期が近ずいておるというように私どもは考えるわけです。  それから、特に学術的な問題であってみたり、きわめて実証的な——最近の学問はすべて実証的、科学的になっておりますから、そういう外国の資料等は科学的な資料なしには取り扱わないのでありまして、そういうような解釈上の立場からいろいろな論争が行われることは当然でありますけれども、しかし、そういうものを政治政策の観点からのみ検討されるというふうになりますと、現場教師実践から見ますと、非常にこれは迷惑をするという事実があるのでございまして、私どもは、いろいろ御検討されました御意見についてはよく拝聴いたしておりますけれども現場教師は決してそういうふうにとってこの教科書問題というものをそんな角度から問題にするということではないのが現状であるということは、長野研究集会等を見ましても、それからさまざまの研究会におけるところ教科書内容検討会においても実証されておりますから、そういう点については、努めて機会を見ましては直接参加する機会等をお持ち下さいまして、誤解がありましたらそれをお解き願いたいのが私どもの念願なのであります。
  237. 高木松吉

    ○高木委員長代理 山中君に申し上げます。申し合せの時間が経過しておりますから、簡略にお願いいたします。
  238. 山中貞則

    ○山中委員 教研大会のお話が出ましたが、私どもも、今あなたのおっしやるように、直接の共産党の教育部門に対する侵略に対してあなた方が努力をしておられることは認めます。しかしながら、その努力をしておられることを認めるにしても、その共産党の意図する侵略、教育分野の支配というものが、現実には徐々に芽をふきつつあるというところに、どうしても看過できないものがある。というのは、私は、先生方が共産党員であれ、あるいはまた先生方の集団である日教組あるいはその他の団体が何党であれ、かまいません。しかし、教壇に立った場合には、五十名の児童を預かろうと三十名の児童を預かろうと、それはあくまでも公正な立場でなければならぬ。ところが、実際においては、教育の技術、方法、考え方そのものばかりでなく、その先生方の題材にする教科書の中にすでに忍び込まんとする気配が濃厚になってきているのを、私どもは非常に憂えるのであります。私はここに共産党に対するところの機関である公安調査庁の資料を持ってきておりますが、内容について詳しく述べることは時間がありませんので差し控えますが、長野あるいはその前の高知ですか、それらの教研大会等において、いかに日教組のこの教研大会に対する集団攻撃が重点的に行われたか、しかもまた、あなた方の教研大会を自分たちがイニシアチブ、ヘゲモニーを握るに至るまでどのような努力を大会に集中しておったかということは、具体的に何月何日何時より何時までどういう人々が集まったかということがはっきり出ております。その中には、日教組の中にある全国グループ会議というようなものも持たれておりますし、また、共産党のそのような会合に対して、あなた方日教組講師団の教研大会に出席されました人々がここに一ぱい入っておられますが、それらの人々のうち、そのグループ会議に出席をされまして、しかも指導的な役割を果しておられる方もおられます。しかも、それらの人々のうちには、単にあなた方の日教組の講師団の一人であるばかりではなく、教科書の編著に明瞭にタッチしておられる人々がおられるわけであります。しかもその中には明瞭に届出の共産党員もおられます。私どもとしてはそう思っているわけです。たとえば国分一太郎、福島要一という人、こういう人は届出党員であります。その他にシンパサイザーもおられましょうし、いろいろとそういった人が、あなた方の教研大会を目ざして、共産党が重点を置いたそのグループ組織会合に出席をせられまして指導的な役割を果しておられる。はたせるかな、あなた方としてはこれに対して努力されたととも、ここには明瞭にしるされているが、現実においてそれらの人々は着々と一歩ずつ地歩を固めてきつつあります。共産党の機関誌「前衛」において、長野教研大会の成功は全くわれらのパック・アップしたものであって、新しい労働運動がここから始まってきたのだということを高らかに謳歌しております。もちろん、大西君も立って、共産党がどう言われようとも日教組の主体性に関係のあるものではないと言われました。もちろんその通りでありましょう。しかし、それがだんだん食い込んでいくということは、私どもとしては日本教育を考える上において無視できない。しかも、その「前衛」に取り上げられる前に、あなた方の日教組の中に巣くっている全国グループ会議会議というのですが、その会議の出す「教育情報」という本がこれは全国の先生方にばらまかれておりますが、共産党の「前衛」が全面的に謳歌をする前に、手放しで自分たちの勝利であると言っている。ことに、第八分科会等におきまして執行部の方針を全面的にわれわれがひっくり返して、これをわれわれの方針通りに持っていったことは明らかなわれわれの党の勝利であるといって謳歌して、それを受けて共産党の機関誌「前衛」が取り上げたのがその真相であります。これを考えますとき、今は表面に共産党が教科書を通じあるいは現場の先生方の実際の教育を通じて支配するという態勢が現実に具体的に現われてこないからといって、このような動きを黙視するには、教育というものに関する限り事あまりにも重大である。従って、私は、あなた方の日教組の内部に、共産党のそういうフラク活動教育支配という野望を秘めて行われているということを非常に心配するものです。あなた方は日教組の講師団というものをかかえていて、その中には共産党のシンパもありますれば、届出党員もいる。教研大会の会合の日に、時を同じゅうして開催される共産党の細胞会議にも出ていかれる、こういう人を依然としてかかえておられる。日教組は、表面においては、迷惑であるから今後共産党はお断わりまする、日本教育を守る立場上峻拒すると言われたそうであります。そうでなければならぬとわれわれも考えるが、現実にはあなた方と直接間接のつながりをこのように持たれておりますから、私どもはこれを手放しで楽観できない。この点について証人の最も良心的な答弁を願いたと思います。
  239. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 お尋ねの素材として提供されました諸内容につきまして、私自身はその詳報に接しておりませんから、その点だけは前もってあらかじめ申し上げておきます。  おただしになりますように、共産党というような政党の活動が国民の生活諸領域または文化的な教育領域に浸透工作されるということについて、どうなのか、こういう端的なお尋ねではないかと私はとりました。これは、私どもは明らかに申し上げますが、反共のための文化活動とか、反共のための組合運動とか、こういうふうな規定づけはいたしておりません。これは事実でございます。それは、憲法に規定されております通り、言論、思想、信条、すべての学問の自由や、こういうものの拘束というものは、もちろん、日本教職員組合というこの学問や文化や人間の成長、命を最も大事とする諸営みの上において、綱領や政策に出すということは絶対に避けなければならないものであるということを確信しているからでございます。ただし、先ほども証言申し上げました通り日教組としては、政党という一つの政治権力を行使する、そういう目的のために結成された団体が、現場教育活動のためにその政策を計画的にグループ会議やフラク会議というものによって持ち込まれることについては、これはいけないことなので、そういうことは絶対に避けなくてはならぬということで、避けさせるための努力を継続してきておる。これは一共産党に限らないわけです。自由党にせよ、民主党にせよ、社会党にしましても、党として文教政策を考えてそれを現場教師研究集会に持ち込むということであるならば、これは平等に峻拒するという立場に立っておるわけです。  それから、もう一つ、結論的なことになりますが、日本教職員組合というものが、そういう国民の生活権を平等に持っている人々の諸営みにおいて、特定のものを排除するために君らの努力が足らぬのじゃないかと幾らおしかりを受けましても、そういうことが日本教職員組合文化活動だけにおいて可能なものではないし、そういうことは事実上なすべきことではないし、なせないことなのでありまして、そういう経緯というものについては、お尋ねになられました趣旨からも十分明らかなことと私は存じておるわけであります。日本教職員組合や私自身としましては、現場学校単位研究が自主的に結ばれて、しかも、特別の研究家や特別の団体に所属している人たち研究ではなくて、平凡にじみに子供たちと一緒に生きている数多い教師の方たち研究運動になるための努力を精一ぱいやって、それが長野の集会等でもようやく評価されましたし、本年もそれのためのあらゆる努力をしてこの営みをやっている事実から、その方向に対する期待と御協力をお願いして、国民のものになりたいという所存であることだけは明らかにしておきます。
  240. 山中貞則

    ○山中委員 これで最後にいたしますが、念のために御注意申し上げておきますけれども、あなたの方には資料がないとおっしゃいますが、明らかにこれにはあなた方の講師団の人々の名前も載っております。また、現在においては、全国教育統一懇談会あるいは日教組の統一委員会等の名前によって、大体これはあなたも御承知でしょうが、岩間正男氏の系統だということになっておるようでありまして、そういうものが教育を支配するという意図を持っておることは事実でありますので、こういうものが表面の現象として現われないような努力は、あなた方に課せられた最高の責任だということを私は指摘しておきたいと思います。  それから、誤まりをもう一つ申し上げておきますが、先ほど、あなたは、大達文部大臣日教組大会にお招きしたが来られなかったとおっしゃいましたが、これは逆であって、大達さんが出席させてくれと申し込まれたのを、日教組がお断わりすると言って、大達さんが行けなかったのが眞相でありますから、お間違いのないようにしていただきたいと思います。  最後に、先ほど聞かれた方がおったのでありますが、全国に行監の調査に即応する指令を出したことはないとおっしゃいました。だが、それがはっきりしておりますのは、福島県においては、福島県の教職員組合中央執行委員長の野口忠夫君の名義によりまして、各学校長に文書が発送されております。それは行監の調査というものを不当に歪曲いたしておる。御承知のように、行監は過程において論議はございますが、社会党も自由党もおりますし、いわゆる保守も革新もいずれも教科書問題をやることについて意見が大体において一致して初めてこの問題を議題にするわけであります。このような意味から、私が読み上げるような誤解をあなた方の下部の組織が持って、しかも組織的にこれを拒否する態度をとられたということは、私は非常に遺憾なことだと思います。読みますと、   教科書問題については現在のところ、文部官僚、民主党議員、又はかつての教学局グループが、教育界支配の野望をもって、極めて悪質な策動をしているが、教育の民主化と民主的採択を熱望する大衆の抵抗により阻まれていることから、これを一挙に粉砕し、国定にもっていこうとする意図をもって最近急速な運動を進めて来ている。   この度、教科書問題について衆院行政監察特別委員会がこれをとりあげ、各学校毎に調査を開始するに至ったことは重大なものがある。それは教科書採択・販売・供給等にまつわる不正を摘発することによって  1 教科書会社の整理をする。  2 教育そのものに対する不信を   もたらす。  3 教科書国定化への道を拓こうと   する。  4 教科書問題に世論をそらしてい   る間に教育内容改訂を強行しよう   とする。  等のことが考えられる。しかもこのことによって、特定の教科書会社、特定少数の人達の利益を合理的につくりあげようとする意図が働いていることを見逃すことができない。   教科書会社は、今日の教育費削減  や教師生活の不安に便乗し、教育振興に名をかりて、不正取引、贈収賄等、数々悪質な行為を行って来た。しかるに行政監察特別委員会が右のような狙いをもって調査、摘発にのりだすや、直ちに自社の防衛体制を固めるあまり、学校教師及び教研団体にまで責任をなすりつけようとして来ていることを重大視しなければならない。   本県においては、他県に類を見な  い「県教委による枠づけ採択」の事実が行われて来たことについても、行監特別委員会からは、特段の関心がもたれているという情勢が十分にうかがわれる。   われわれは、すくなくとも本県に  おける学校現場には、かかる不正が行われていることは、ないと確信するものであるが、何等かの事象を故意に拡大して取上げられる恐れもなしとしないので、教育委員会に対し、事の眞相経過を伝え、善処方を要請して来た。その結果は六月十六日付出張所会議通達警告として各職場に発せられたものである。われわれは国定の復活をあくまで阻止し、民主的な採択を実現させ、不当なる調査摘発にも対処する方針のもとに厳秘裏に調査を行うことに決定した。   校長各位は、この点を諒とせられ、  別紙調査書により事実について親展書をもって至急お知らせ願いたい。   尚、本調査は固く秘密を守るもの  であり決して個々に迷惑のかかるものでないことを附言する。これがその内容でございますが、読売新聞は、その福島版におきまして、御承知の通り大きな活字でもって、「国定復活の運動、教組衆議院調査委員に非協力指令」、こういうようになっております。新聞の内容を読み上げることはやめますが、ただいまのような、福島教職員組合中央執行委員長の名前によりまして、各学校長に、しかも行政監察委員会教科書問題を取り上げた眞義というものを歪曲して、このようないわゆる協力してはならないとするがごとき文書を現場の職員に配布したことについて、われわれは、国会の権威の上から、また本委員会の権威の上から、まことに遺憾とするものでございます。あなたはたまたま福島県の出身でもありますので、私は幸いとしてお聞きをするわけでありますが、日教組としてこのようなことについてどういうようにお考えであるかまた、個人として御承知ならば、自分としては日教組としてどういう態度をとるべきであると思い、またとったか、それらの点についてお話しを願います。
  241. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 午前中も申し上げましたが、福島県の教員組合がただいま読み上げられましたような指示といいますか通達といいますか、そういう文書を出されましたということは、ごく最近に至りまして私自身に送付されましたので承知いたしました。ただし、その説明を伺いましたところが、行政監察委員会等で取り上げられているこの問題を重視して、そうして、現場において混乱するような事実があってはならない、ただし、そういうものは幾ら聞いても全然隠されてしまうので、それで秘密文書としてならこの事実を資料として出してもらえるので、それを出していただくためにその文書は出されたということで、責任ある者として、私自身福島教員組合の役員の一人でありますので、特にその事実を申し上げるわけであります。それから、もう一つは、これは行政監察特別委員会の事務の官僚の方が日教組本部の私のところに参られました。しかも開口一番私は詰問を受けたのです。日教組は今回の行政監察に対して非協力の態度をとったのではないか、秘密指令を出したではないか、こういうふうに言われましたので、私は何のことやらわからなかったのであります。それどころではない。私自身証人喚問に付されまして、鋭意努力をいたし、営々として資料を集めたりしておる。教科書問題の眞実についてこの際国会で国民的な立場に立った審議検討が行われて、教科書というものがよりよくなるための手だてを講じられるというチャンスというものを重視して、協力こそすれ、それに対して非協力的な態度をとるということは、日教組のすべての諸会合において一言もそういうことはなかったのでありますし、私自身もそういう立場で参っておりますので、福島県教組がたまたまそのような文書を出されたという眞意については、私自身も尋ねた経緯だけをここに申し上げる次第でございます。かりに国会の審議権に対する拒否的なものであるというふうに解釈されたり、そういった印象づけされるような文書の表現であったならば、その点は遺憾なことであると私は思います。
  242. 高木松吉

    ○高木委員長代理 高津正道君。
  243. 高津正道

    ○高津委員 今までの証人の中には、知らぬ存ぜぬというようによく言われる証人があり、いろいろわれわれは不満を持っておったのでありますが、本日の佐藤証人はきわめて忠実に、ほとんど行監にサービスし過ぎるくらいに懇切にしかも明快に答弁をされるので、私たちは非常に感謝しておるのでありますが、なお一、二の点をお伺いしたいと思います。  第一は、日教組日本の保守勢力から非常に攻撃され、またねらわれておると思うのであります。私は、日教組というものがあの組織を守ってその運動を進めていなかったならば、日本の民主化はおくれたであろう、教育の民主化もほとんどできなかったであろう、また教職員の人のいわゆる労働条件はもう今日のように維持することはできなかったであろう、こういうように考えておるのでありますが、佐藤証人は、これは行監委員会の全員でないことはもちろんでありますが、私のこのような考えに対して、どういうようにお考えでありましょうか。御意見をイエスかノーか、どっちでもいいから、ごく短かい質問ですから、簡単にお答え願いたいと思います。
  244. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 簡単に申し上げるために短かい記録を申し上げます。「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである。」、こういうことから書かれまして、「他の勢力に手段として利用されるようなことがあってはならない。民主主義は当然政党政治の発達を促すのであるのが、政党の争いがはげしくなって教師がそのための道具につかわれるようになると、国民全体を公平に取り扱うべき教育の仕事がゆがめられ、また教師がつねに政党の勢力によって動かされるおそれがある。むしろこのような弊害を防ぐためにこそ、教員組合は必要なのである。すなわち、もし政党から不当のあっぱくがあって、教育の方向がゆがめられたり、教師の身分が不安定になったりするおそれがあったときには、教員組合はその団結の力をもって、教育の正しいありかたと、教師の身分の安定とを保障しなければならない。もとより教師といえども政治に関心をもつべきであり、かたよらぬ立場にありながら、諸政党の動きには十分の注意をはらい、事に応じ機に臨んでよいことはよいとし、わるいことはわるいとする有力な意見を述べ、政治を正しい方向に指導しなければならない。教員組合がこうした意味で勢力を増してゆくことが健全な発達であって、それはただ教育者だけの幸福ではなく、国家のために大きな奉仕をすることになるのである。」という文部省が出しました新教育指針の趣旨通り私は感じておりまして、ただいまの御質問の趣旨につきましては、天野元文部大臣なども言われましたように、日本教職員組合がもし教育の民主化の手をゆるめたならば、教育というもの及び民主主義というものに対するその弊害は顕著ではなかったかという中央教育審議会において述べられました趣旨等も、私どもは意を強くしてその趣旨通りに存じておるわけでございます。
  245. 高津正道

    ○高津委員 日教組は、御存じのように教育二法案が通過する場合に非常に反対をされたのでありますが、その教育二法案が通過した後に現場教師の方にどのような影響が現われておるか、その点を、今よりももっともっと短かく何か語っていただきたいと思います。
  246. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 二つあります。その一つは、現場教師のものを語り合うことの自由が著しく警戒的になった、こういうことが述べられております。それから、もう一つは、従来は協力的に容認しておった人々が、二法律の実施を契機にして、学校教育に対して干渉が非常に激しくなってきた、こういう事実が明らかに述べられておるのが実情でございます。
  247. 高津正道

    ○高津委員 教科書会社の資本主義的な売り込み競争が激甚になって、そのありさまは全くものすごいものがあるのであります。そこで、郡でも市でも町でも売り込みの戦争があるのでありますが、そのために、大会社の社長や専務、戦争で言えば大将、中将という者までが、そういうところに乗り出していって運動しなければならないようになっておるのでありますが、そこで、今度教科書の値段が高い、種類が多い、いろいろな理由で教科書問題が取り上げられると、民編統一というような解決案が出て、その中の一つとして、府県単位のような大きな単位教科書採択して、その県ではあまり多くの教科書採択されないようにする、だから教科書の売り込みの勝負は県単位でやればいいのだ、こういうような意見が出ておるのでありますが、もしもそのようなことになれば、個々の戦場を統一して大会戦の決戦場を幾つかにしぼりますから、その決戦場に臨むところ教科書の出版会社というものは、全く大手筋だけになるのであります。これは私の見解でありますが、そうすれば、大手筋の集中化がここに現われまして、これは教科書出版界における中小の会社をぶっつぶす結果になるであろう、そうして、民編の現在の教科書制度というものがこわれて国管へ移ることに、結果として必ずそういう方向に向くことになるであろう、このように私は考えるのでありますが、個人としてのあなたはどんなふうにこの現象をごらんになるのでしょうか、それを簡単に承わりたいと思います。
  248. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 各県が幾つかの教科書の種類にこれを統一して、その中から現場教師が選ぶというワクづけをするという方式を実施することは、せっかく教科書の民主的なあり方や、そのための充実を努力して参った今日までの努力の方向から見ますと、それはきわめてせっかちなことであり、むしろ宣伝競争、売り込みのための激烈な場を設定するだけであって、決定的にこれは避けらるべきものであるし、避けねばならない、こういう立場に立っております。ただ、証言を求められましたその説明の中で、中小会社が云々ということがございましたが、日本教職員組合は、いかなる会社であろうとも、会社の存続のために教科書制度というものが維持されなければならないということだけは毛頭考えておらないわけであります。それは、内容のよろしい、現場教師の判断に適合した教科書を作って、良心的にやるところは残るでしょうし、ときの指図等によって表現されるような教科書は信頼を失うでしょうし、自然淘汰というもので、あまり長い期間でなくて、短い期間にむしろいい教科書が残る、ようやくそのきざしがきているというふうにむしろ判断されますので、私どもは、教科書会社の存続のために、中小企業であろうと大資本であろうと、その存続のために教科書制度を守りましょうというようなことは毛頭考えておりません。ただし、為政者や国会等における方々の御努力によって、倒産や失業というものが安くて済ませるような状態になることは期待されますが、日本教職員組合教科書の問題という立場から企業を守る運動などということをやっておるのではないということだけは明らかにしておきたいと思います。
  249. 高津正道

    ○高津委員 私の言ったことの大部分に賛成で、中小企業を守るという見地から教科書制度日教組は守ろうという議論は引き出せないのだ、こういうあなたの付加された部分にも私は同意しますが、ところで、さらにお尋ねしますが、教科書採択の場合、一つの県で一種類あるいは二種類、三種類まで、上から、よけいとった会社の分を残して、四位、五位以下は削ってしまう、そういうように教科書の種類をしぼるという案が出ておるのでありますが、しかし、この解決策というものも、少数者がまるで無視されるではないか。デパートだけがいいものを出すのではなくて専門店にもなかなか見るべきものがあるのでありますから、こういう点もあるし、それからまた、そういうことになれば、あなたは中小企業のことは別の場合は考えるが教科書の角度からは考えないということで、それはまさにそうでありましょうが、全くその場合も弱肉強食で、大手筋を助ける結果になるわけであります。しかも大手筋を助けるためにこういう提案をしておる者さえもある場合においては、この動機、このような事情というものは、われわれはそこを強く認識しなければならないと思うのであります。だから、第一から第二、第三までしぼるという、こういうやり方は、どういうようにお考えでしょうか。
  250. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 政策としてしぼるものを打ち出すということについては反対であります。理由は簡単でございます。大手筋というような大資本を擁する会社の教科書全国を支配するのではないか、こういう御指摘でございますが、それは内容が問題なのでありまして、内容が、現場教師のまじめな研究の観点から判断される限りにおいて、その判断と要求にこたえないものは、いかに資本の力があろうとも、宣伝をもってしようと、それは破滅いたしますので、そういう点については、私どもはその角度で教科書というものを伸ばすという立場に立っておるわけなのでございます。しぼるという政策については、当然独占的な力のあるところが残ることになる可能性が今のところありますので、しぼるということを急いではなりませんし、それを政策として出されることについては、徹底的に私も日本教職員組合も反対でございます。
  251. 高津正道

    ○高津委員 弱肉強食、そうして大手筋がみな独占的な方面に向うということは、日本のあらゆる産業にみな現われておることでありまして、この教科書出版業界にもまた、問題が起るたびごとに、それをひねくっておると、必ずそこへ帰着してしまう。われわれはこういうことを注意せねばならない。そんなことを考えておる行監委員もおるということを認識してお帰りを願いたい。  どうも長い間御苦労さまでした。
  252. 高木松吉

    ○高木委員長代理 神田大作君。
  253. 神田大作

    ○神田(大)委員 だいぶ証人も長時間で疲れておりますので、私は今までの証人証言において大体了解いたしましたので、簡単にただ一点だけお尋ね申し上げます。  それは、私たちは子供のころ、天孫降臨というようなことが歴史にありまして、天照大神が降臨したというようなことを麗々しく事実としてわれわれは教えられた。そのような史実に即しないところの統一した思想のもとの教科書によって教えられてきたのであります。     〔発言する者あり〕
  254. 高木松吉

    ○高木委員長代理 静粛に願います。神田君、質問を続けて下さい。
  255. 神田大作

    ○神田(大)委員 そういうような間違った歴史を教えられてきました。しかし、現在のような社会科の本を見ますと、私は今の子供は非常に幸福だと考えるのであります。事実を一つ一つ教えてきておるのであって、私たちは、現在のこの教科書を見まして、一つも偏向しておるというようには考えておらないのでありますが、証人は、この何人かの委員によって偏向教育ということを言われておりますけれども、現在の教科書が偏向しておるかどうかという点につきまして、あなたの率直な意見を承わりたいと思います。
  256. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 今日展示会に出されました教科書をすべて網羅して長時間にわたって研究するという機会を私自身持ちませんので、私の証言は限られたものになりますが、一般的に見ましても、今日の教科書自身が偏向教育という——これ自身、私自身がわからない問題の定義でありますが、そういう意図や、そういう方向やそのために素材として編集されておる教科書はないと私は存じます。簡単でございますが、問題は、考え方を規制する、思想を統制する、子供たちが見て考える感じ方を統制する、こういうことが一国の教育問題を論議する機関においてかりに論議されることになりますと、これこそが重大なのでありまして、いろいろな考え方を子供たちが持つので、そういうための各種各様の素材を間違いなしに提供するという立場こそが、教科書編集の内容として一番重要なので、私が朝から努力をして皆様の前に陳述いたしました真精神というものがそこにあることだけははっきりおくみ取りをいただきたいわけでございます。
  257. 神田大作

    ○神田(大)委員 そうしますと、先ほど山中委員などからも指摘されましたようなことは、一つの事実を記述したのであって、それを読んだ子供がそれによってどういうような考え、思想を持つかということは自由だ、そういうことからいたしますと、現在発行されておる教科書は、文部省のいわゆる指導要領に基いてこれが出されてきておるのであって、文部省の指導方針にのっとった教科書であって、それが審議会といいますか、そういうものを通過いたしまして、これが一般の市場に出されておるという点において、正しいものと私は考えます。それで間違いないと思うのですが、特に文部省指導要領に沿うておるかどうかという点について証言を願いたいと思います。
  258. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 簡単な事例がございます。特に私が社会科関係について読みました範囲においては、向米一辺倒的に書いたというような意図を読み取れるような材料はございませんが、アメリカの民主主義の発達だけや、アメリカやイギリスの二、三の自由主義国家と言われる国家だけの産業の発達や経済状態だけが克明にページをさいておって、それが歴史や社会科の教科書でありながら、すべての領域にわたった素材の提供の全然ない教科書というものが二、三ございます。ただし、それが偏向を目ざして編集したものであるかどうかというような判断を私自身は持ち得ない内容であるということを附帯いたしたいわけです。これは書名を言えと言われれば出すこともできます。  それから、もう一つは、指導要領及び検定基準を運用をする問題は、その人によってなさいますので、そういう調査員に、執筆者でもなければ執筆もできない人を大量に頼む、しかも東京在住の人を頼むというようなことになりますれば、数多い中からは執筆もできないような人が調査に当りますから、内容の学問的な検討もできなければ、全くおめでたい検討をして、笑いものになるような意見書を出すという事実も二、三聞き及んでいるわけです。そういうことから、実は精力をしぼって素材を盛ってやったものに対する内容検討が十全に果されないために、教科書の問題がいまだに地についたものになり得ないという事実がありますので、私どもとしてはこの点に非常に努力をいたしたわけです。それから、指導要領そのものも、先ほど申し上げましたように、国民公開の場所において相当時間をかけて、そうしていろいろの領域の学者実践家の意見を出し合う機会を持って成案を得るという手だて一つもとれないでおりますので、そういう意味合いにおいて、幾多不備がある、こういうことだけは幾つかの例証ができるというのが現状なのでございます。
  259. 神田大作

    ○神田(大)委員 現在の文部省の指示しているところ指導要領があまりにこまか過ぎて、執筆者にいたしますれば非常に狭められて、教科書を編さんするのに非常にまずい、もっと自由な、もっと広範な立場において執筆されなくてはならない、それには指導要領というものの規制がこまか過ぎるという批判がありますが、証人はその点についてどうお考えになりますか。
  260. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これは、教科書執筆や編集にタッチしました大ぜいの方々が口をそろえて提唱される事実でございますから、そういう意味合いところが顕著であるということは、その事実をもっても指摘できると思います。
  261. 神田大作

    ○神田(大)委員 そうすると、何人かの委員によって、その偏向教科書だといわれるものも、そういうようにこまかい規定をされました文部省指導要領にかなっているかどうかが検討され、そういうような狭い範囲において苦心をされて作られたものであって、決して偏向的な教科書ではないということが証言されると思うのでありますが、それに違いありませんか。
  262. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 数多い教科書個別に、絶対に偏向でなくて、しかも公平で望ましい、しかも児童の発達段階に即応した教材の配列が行われているという証言のできないことをはなはだ遺憾に存ずるのであります。それは、個別的に見ますればずいぶん不備なものが多いのが現状であるということだけは、実際の報告書によって明らかなのであります。その点だけは申し上げておきます。  それから、もう一つ、御質問になりました、しばしば使われております偏向というものに対しては、私は偏向というものを問題にする人の立場自身が偏向した場合には、まことにこれは困った事態が起るということだけ非常に心配しておりますので、客観的な立場から、子供たちの発展段階を無視して子供たちに無理じいするような教育、おとなの考えを押しつけるような教育、こういうものがあってはならないという意味ということであるなら了解できますけれども日本教職員組合やあるいは私どものやり方に対して偏向だということをしばしば安易にお使いなさいますけれども、それは実に私どもとしてはわかり得ないことなのでありまして、立法府の皆様方において、そういうことについては私どもの十分納得できるようなものにしていただきたいと思うわけです。
  263. 高木松吉

    ○高木委員長代理 証人に申し上げますが、健康状態はどうですか。もし健康状態が耐えられないようなほどならば、皆と諮って延期をしようかと考えますが、どうですか。
  264. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は、ただいまのような御質問に対してならば、十分にお答えが継続できますから、無制限に夜半に及ぶということでなければ、可能でございます。
  265. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐々木秀世君。
  266. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 長時間にわたります証言をいただいておりまして、お疲れであろうとも思われますので、私の質問に対しましては要点だけをお答え願えばけっこうだと思います。     〔高木委員長代理退席、山中委員長代理着席〕  あなたの御証言によりますと、われわれも同感でございますが、教育は公正でなければならないということは異論のないところであります。そのために、本を作るにいたしましても、またそれを検定するにいたしましても、採択にいたしましても、公平に行わなければならないわけであります。そこで、日教組といたしましても、各方面の学者方々と御相談なさって、いわゆる講師団というものでございますか、それらの方々にいろいろ諮問なさいますということもこれはけっこうなことだと私は思います。ただ、その場合におきまして、その学者方々選定いたしますに当りましても、その選定される人がほんとうに公正、妥当な人であり、しかも知識の深い人であり、しかも利害や何かに全然関係していないという立場方々をお選びなさることが当然だと私は考えますが、先ほど御証言をいただきましたあなた方の選ばれました講師団の中に、何か各会社に関係しているとかなんとかいうことを承わったことがありますかどうか、そういう点からまずお答えを願いたいと存じます。
  267. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 会社というのは、おそらく教科書出版、編集関係だと思いますが、日教組の講師団の選定としては、少くとも、——私が昨年後半就任いたしまして、今年度の選定に至りましたが、教科書執筆をされているということは条件に入れない、会社の編集顧問であってみたり経営者であってみたり、会社の重要な政策を決定するような、影響を及ぼすような立場に立つ者、こういう方々は、いかに学識者であろうとも、これは絶対に入れない、こういう立場でおります。
  268. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 私のもとに来ております資料では、大内力さんという東大の教授は二葉書籍の役員をしております。以下読み上げますのは、ことごとく書籍会社の顧問であり役員である。今井誉次郎さん、日本作文の会中央委員長、この方は実教出版株式会社。弥永昌吉さん、東大教授、これは東京書籍であります。飯塚浩二さん、東大教授、これは古今書院であります。佐藤功さん、これは三省堂であります。日高六郎さん、これは中教出版株式会社の役員であります。馬場四郎さん、教育図書の役員であります。宮原誠一さん、これはやはり実教出版社の役員であります。それから宗像誠也さん、この人は教育出版の役員であります。その他ありますが、私のもとに参っております資料の講師団の方々は、このように各出版会社の顧問なり役員なりをいたしておるのでありますけれども、こういう点は、御調査なさっての上でお選びなさったのでありますか、それとも、こういうことは知らないで講師団としてお迎えしたのかどうか、承わりたいと思います。
  269. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 講師団の方々をお願い申し上げます場合には、教科書会社の理事者的な、そういう立場の役職におつきになっている場合は御遠慮願いたい、こういうことを申し上げまして、執筆、編集スタッフまではその選定内容に入れずにやっておりまして、御本人の方々からすべて御了解を得た上でのことでありますので、日本教職員組合として、申し上げていますような条項に当っている方々ではないと存じます。
  270. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 顧問というような立場においてもお断わりするという先ほどの御証言のように承わったのですが、この中には確かに顧問をなさっておる人もおるのですが、そういう方々に対してはどういう御処置をとられるお考えでございますか、承わりたいと思います。
  271. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教科書問題の行政的な検討のこの場で、名前を指定して示されました事実につきましては、国会の選良の方が例証されるのでありますから、おそらく根拠のある事例も多いのではないかと存ぜられますので、日本教職員組合の私が責任を持って証言しました内容条項にそごする場合のことにつきましては、私どもは別途検討するということでございます。
  272. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 それでわかりました。世間から疑いを受けるようないろんな立場にある人は、われわれとしても、そういう特殊な、しかも教職員組合という公正な行動をしなくちゃならぬ方々の講師団としては不適任である、こう考えましたので、以上御証言をいただいたわけであります。  そこで、私は、教育のあり方についてお伺いいたすのでありますが、もちろん民主主義を基調とする公正妥当な教育でなければなりません。しかしながら、われわれは、敗れたりとはいいながら、いやしくも一つの国を形づくっているのであります。そこで、個人の集まりの社会であり、社会の中の個人であり、しかもその社会が一つの国家という形をなしてわれわれ民族が生をうけているのでありますが、そういう現実の姿に即した教育のあり方というものが必要であるものかないものか。こういう質問をいたしますと、ややともすると、あるいは逆行教育だ、あるいはまた祖国愛などというと反動思想だということを世間で言われるのでありますが、やはり国を形づくっている以上は、その国を愛さない者はございません。そのいわゆる祖国愛というものが戦争の形に使われてはいろいろ弊がありますが、いやしくも文化国家としてこの独立国家をより一そう発展せしめ、しかしてそれが世界平和に貢献するという形でいくことは、決して逆行でも何でもないと私は考えているのでありますが、その中に生まれた子供たちといたしまして、その現実の姿というものも、児童の上に押しつけるのではなしに、そういう形も教科書の上に私は現われてこなくちゃならぬ、こう思うのであります。そういう点に対しての証人のお考えを承わりたいと存じます。
  273. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 きわめて根本的なお尋ねでございますが、私は、お尋ねになりましたような趣旨、つまり、日本子供たちが、日本という国を形成して、その中で日本人の幸福というものをお互いに実現し合うのだ、そういう国の活動というものを世界のすべての国々の承認を求めながら、国民の自由な、つまり幸福を追求し、幸福を築く国家の営みに対して干渉しない、こういう状態を実現するために、教育という営みはそういうことを勇敢に的確に眞実に把握させる、子供たちにそういう素材を間違いなく提供されなくてはならない、こういうふうに考えておるわけです。従って、愛国心を否認するというようなことは毛頭ございません。それから、家族生活を仲よくやっていこう。こういう意味の私どもの考え方というものを、世上取りざたされて、あたかも何か別なように解釈されたりする向きがありますが、私たち眞実のものは、こういう報告書をごらんいただきましてもわかりますように、それから、現実にやっております私どもの年間を通しての活動大会などに出る論証で明らかでありますので、その点は、お尋ねのそういう向きの趣旨というものについては、私どもは生かすための努力を惜しみません。
  274. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 まことに私ども同感でございます。ただ、そういうことは否認いたしませんという御証言でございましたが、それが具体的にどう現われているか。最近教科書問題が出て参りましてから、われわれもほんとうに不勉強であったのでありますが、最近努めて小中学校教科書を見るようになりました。しかしながら、私は残念だと思いますことは、以上申し上げましたことは常識としてだれも反対する者がないと思うのですが、ただそれがどれだけ教科書の上に現われているかということを見ますと、どうも民族性あるいは愛国思想というものがなかなかわれわれの目には映らないのであります。あなたがずっと担当されまして、ことに文化活動をやる上からは十分その点の御研究がなされておると思いますが、そういう感じからいたしまして、もう少し積極的にそうした方面の教育に力を注いでもいいとお考えになりますか、現在の程度である程度そういう趣旨が徹底されているとお考えになりますか、その点を承わりたいと存じます。
  275. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 ただいまの問題は、少くとも今日のおとなのすべてにこれを要請し、おとなたちのそういう生活態度まで一挙に築こうとしましても、なかなか実現できない問題があるようであります。少くとも子供を育てる教育文化活動というねらいは、ただいま御指摘されたような立場に立って、子供たちの国というものに対する認識と、それから自分の命を大事にすると同じようにお互い民族自身の民主主義を確立していく、こういう立場の認識といいますか、つまりゆがみをなくして、そういう立場子供たちに成長してもらうための資料活動というものに主力を置いておりますので、お尋ねの点につきましては同感でございます。
  276. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 同感でなく、今の形で十分であるか、もう少し力を入るべきであるかということをお尋ねしたのであります。
  277. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 今日出版されている教科書が、素材を通してどうかというお尋ねのようでございますが、この点から申し上げることは、容易に論断はできません。しかし、少くとも現場教師採択立場に立ってものを見る場合には、その点を非常に重視している、こういうことだけは事実でございます。それから、教科書が民間で編集され、民間検定になりましたその当初から今日までわずか七年でございまして、この間における教科書は、克明に検討しますと、ずいぶん不備なものもありますし、実にこっけいなところを力説するものもなかったわけではありません。今こうして国民的検討をされる時期におきまして、ようやくそういうことに対するお互いの提唱や認識や努力というものが続けられることによって、これは解決しなくてはならない問題が内包されているであろう、こういうふうに存じます。     〔山中委員長代理退席、高木委員長代理着席〕
  278. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 戦争前のわれわれの子供時代の小学校教育は、その大きな目標があったのであります。しかも、指導要領と申しましょうか、日本国民の育て方という意味からしても、——こういうことを言うと、まさに逆戻り的な証言をいただくことになりますが、日本教育勅語は戦争前の教育のいわゆる基本であった、こう私は思うのであります。戦争によって、アメリカの要請もありまして、この教育勅語は廃止されました。教育勅語の中には、もちろん皇室中心主義を強調し過ぎた点もございまするし、また時代に逆行した部面もあったかと思われます。しかしながら、教育勅語の中の、私たちの考えによりますと、親に孝行する、夫婦相和し朋友相信じというようなことは、時代がいつの時代になっても、決して逆行ではないと存じます。あの教育勅語の大部分にわたります字句には、人生生きる道に対する大きな教えが含まれておると考えます。そうした一つ教育の根本というものが打ち立てられておりました。現在はそれがなくなっているのであります。あの形を私は直ちに復活しろと言うのではございませんが、こうした民主主義の時代にふさわしい教育の根本、いわゆる民族性の愛国心、しかも世界平和に基く趣旨を入れた教育の根本的なものが打ち立てられなければ、現場教職員といえども教育の方法については非常に悩み多いのではないか、こう考えますが、そうした点に対する証人の考え方をお述べ願いたいと存じます。
  279. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 基本的な考え方のお尋ねでありますが、教育勅語というものは、先ほど神田委員からも御指摘になりましたように、神話に始まって、それが国を立てることの中心であり、こういう一つの根本的な認識、そういう立場から出されました徳目主義——孝行、友愛あるいは勤勉、こういうような徳目主義によって教科書内容教科書そのものが編集される、こういうことは、私どもとしては、するべきでない、徳目主義による教科書編集はなさるべきものがない、こういうことであります。それはどういうことかと申しますと、問題は、今日一番必要なことは、日本人の一人々々の生活や考え方の中に、ほんとうの意味におけるところの自分の権利の主張とともに、他人とともに生きる、他人と権利のゆがみを排除し合う、こういう一つの個人の自覚、お互いに生きられる状態のために、社会生活というものをどのようにしてお互い努力すべきか、こういう把握が根本なので、そういう認識を持ち合うための教育活動の素材提供ということが主なのでありますから、そういう立場から編集されておる今日の教科書教育基本法や検定基準に指定されております今日の内容の提供の仕方でよろしい、ただし、そのものをもっと具体的に、私が申し上げましたような子供たちの認識し合うための数多い素材提供というものと、討議の場所を持ち合せるようにしていくならば、徳目主義というものは、そういう練成された個人によっておのずから表示されていく、こういうことで、教育の民主化を提唱し、今日も努力しているのが現状でございます。
  280. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐々木君に申し上げますが、持ち時間が経過いたしましたから、簡略に願います。
  281. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そういうことで承わっておると、時間がないということでございますので、具体的な問題に移ります。  先ほど価格の問題が出たのでありますが、教科書の価格は現在の価格でそう高いとは思わないという御証言でございました。私は教科書の価格はべらぼうに高いと考えています。これは意見が違っていますので、議論になりますからやめますが、ただ一言、証人の参考のために申し上げますが、かつて石井君を証人に呼んだときも私は言っているのです。物価指数から言っても非常に違うのです。学校の先生は、学問の方面ではいろいろ知識が深いのでありますが、経済方面では非常にうといのじゃないかと考えるのです。——失礼な話でありますが。たとえば、物価指数から言っても、私の小学校時代の修身が三銭でした。国語と称するものが六銭でございました。その当時のはがきが一銭五厘なんです。今三百数十倍になって五円です。鉄道運賃の一キロ当りの値が百八十倍になっている。三銭や五銭の教科書が、ただいまそとで読んだのを見ましても、大てい八十五円、九十円の定価であります。そうすると、内容がよくなった、あるいは印刷が進んだということは別といたしましても、そういう物価指数から言っても、なぜ千五百倍だの、千三百倍だのという高い価格の教科書を子供に与えなくちゃならぬか。しかも、日本は戦争に負けて経済力が非常に弱まっている。各家庭の生活も非常に程度が低くなっている。ことに勤労階級の人たちの生活は楽じゃない。そのためにストライキまでやって、〇・五の手当の問題までも闘争する。こういう中にあって、一家庭において一年間に三百円あるいは五百円、千円という金が節約されることは、これは経済的に非常に大きな問題であります。そういう点において、私は現今の教科書は高いという結論でありますが、そのことをあなたと議論しようとは思いません。ただ、ここに材料がありますから申し上げますが、東京の教職員組合が発行している夏休み、冬休みのおさらい帳、北海道は北海道の教職員組合で発行しております。その原価計算は、あなたの御証言によりますと、本年度のは十七円八十五銭、昨年度のは十六円何がしということで、それを十八円に売っているから実費頒布だということでございましたが、十六円何がしかのものを十八円で売るということになりますと、原価から言うと、すでに二割あるのです。私は小売り商人出でありまして、たとえばビール一本売って何銭もうかるというようなことをやってきた。そういう点から言うと、二割、三割という利益は非常に大きな利益に私たちは考えております。しかも、教科書全国的に使われている数字は、あなた御承知の通り、正式の教科書だけで二億四千万冊、夏休み、冬休みおさらい帳、あるいはテスト・ブックその他いろいろな児童の必要とするものを含めますと、おそらく三億冊以上になると思われます。金額も二百億以上になるのであります。その二割、三割という数字は、何十億という金額になるのであります。だから、小さいと思っていても、一冊で二円、三円もうけたと思っているものが、積み重なって大きな数字となる。こういう点にわれわれは考えが向くのであります。先ほどのおさらい帳のあなたの原価計算はどこから聞いたか知りませんが、私たちの調べによると、こんなざら紙の夏休みのおさらい帳というものは、たとえば五十万冊なら五十万冊、百万冊なら百万冊という部数を言ってほんとうに業者に聞いたのですが、八円ないし九円でできると言うのです。それを十八円で売っている。しかし、十八円で売っているのは、あなたの御証言通り、これは原価頒布だと信用いたしましょう。そこで、東京都の教職員組合で出しているのは四十八ページであります。北海道の冬休みおさらい帳というものは、あなたがごらんになっても、紙の質は同じだということはしろうとでもわかると思います。それからページは八ページ少い。しかるに、東京都の教職員組合で出しているのが十八円で、北海道のおさらい帳が定価三十円であります。同じ教職員組合で出しておって、どうしてこう違うんだろうと、私は不思議でならないのであります。こういうことを総合して、先ほどあなたは石井証人は精神撹乱のようなことを言われましたが、石井君自身が、日教組の幹部として、教科書の問題や夏休み、冬休みのおさらい帳に関係した人であります。しかも、その人の口から、日教組が当初これを作って全国的に配布した、そうして多額の利潤をあげました、その利益をどこに納めたかと言ったところが、日教組の一般会計に入れましたと、はっきり宣誓をしてここで証言しているのであります。もしこれがうそだということになれば、石井証人証言が偽証であります。あなたのおっしゃっている実費頒布だということを、実際に確信を持って言われるならば、あなたの証言が違うのであります。どちらが正しいかということは、国会の権威に基いて正しい真実をつかむ、正しい調査をするという当委員会においては、明らかにしておかなくちゃなりません。しかも、一割違っても何十億であります。三割、五割、十割と違ってくる金額を考えるとき、われわれはただ単に一冊において十二円違うからというて簡単にそれを放置するわけには参らないのであります。あなたは、これを両方ごらんになって、どういうところにこうした大きな変化が生まれてくると思われるか、しかも相当の利潤をあげていると言う石井証人証言が真実でないのか、あなたの確信ある答弁をいただきたいと思います。  それからまた、利益の分については貧困児童にそれを回しているということであります。その証言だけではわれわれは信用できないのでありまして、東京都においては、どのくらい経済的に困る児童がいるので、これだけのおさらい帳は無料で配付した、北海道においてはこれだけの児童に無料で配付した、それでプラス・マイナス・ゼロだという数字的な御証言をいただかないと、われわれとしては真実を述べていただく証言だとは受け取れませんので、一つその点は冷静に、しかも大きな問題でありますので、ゆっくりお考え願って御証言をいただきたいと存じます。
  282. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 先ほどお尋ねなさいました内容に、教科書の問題を含めて、価格の妥当性を私が証言しているんではないか、こういうふうにおただしでありますが、その点は、私の出しております資料によって、物価指数や国民生活の諸条件との比較の上から、教科書だけをとってみれば、全然国定教科書内容よりいいのでありますから、そういう向きまで計算に入れた場合に、必ずしも高いという資料は私の調査内容では出し得なかった、こういうことであります。ただし、今日の教科書が、出版業者が相当の利潤をあげている、こういう事実を私は否認したのではございません。従って、原価計算というものをもっと文部省においても経済界においても十分出されまして、徹底的に格安にする必要がある、大づかみに、私どもしろうとの、しかも実に経済的な常識が発達しないと言われる私たちの頭で計算しましてさえ、今日の教科書は約三〇%程度は、今のままで手ぶらで引き下げすることだって可能ではないか、こういうことさえ私どもとしては資料的には考えられる、従って、それを値下げするということは絶対必要なことなんだ、こういうことについて私は証言申し上げているわけであります。従って、今日出されている教科書そのものがもっと安く生産できないか、こういうことに対しては、安く生産できるんじゃないか、安く生産させるだけの運動が必要である、こういうことを証言申し上げておりますので、その点だけはお答え申し上げます。  それから、次でございますが、北海道のと東京のと比較してのことでございますが、これは間違いなく北海道の方が高いのでございます。ただ、私は、これについての報告書をいただいておりませんので、克明にこうこうという証言はできませんが、東京の場合だけは、私自身実際に伺ったので、申し上げます。教職員自身は、出版や何か教員組合に機械があってやるわけではありません。一切それは委託してやるわけでありますから、その委託している先のもうけについてはよくわかりませんけれども教員組合やあるいはこれに関係している教職員というものは、もともと利潤をあげることを目途としているわけではないのでありまして、これは会計決算を要求されるもので、それぞれの諸機関に決算報告をして、監査を経た資料によって報告をいただいたので、それを私は信じて証言申し上げたわけです。北海道の場合におきましては、その資料がございませんのでわかりませんが、この比較において高い値段であるということだけは、私、わかります。ただし、その内容の構成については私は不明でございますので、そういう意味証言はできかねるのであります。  それから、日教組が当初に学習帳等によって一般会計に云々というようなお尋ねの内容につきましては、私自身証言記録等も拝見いたしましたので、私の知り得る範囲内において十分調査をいたしました。しかも、私自身結成前から日教組の諸会合には必ず出席しておりますので、そういう報告事項や発翰文書等を克明に検討いたしましたが、一般会計に利潤の組み入れをされたというような証憑書類というものは全然ございません。それから、その編集自身も、誤解されては困りますので明らかにいたしますが、教科書研究協議会という機関が教育出版社でしたか何かの出版会社と契約を結んでなされたという書類があがりまして、教員組合がこれと契約をしたり編集をしたり出版をしたりしたのではなかったということも事実として出されました。それから、印税の使い方につきましては、これはむしろほんとうに私自身まじめに調査した資料に基くわけでありますが、決して日教組関係者によってやられているのではなくて、教科書研究協議会の方々と、それから契約された出版社との間における印税のやりとりでございまして、日教組責任ある機関の人々参画をしているという事実はないわけであります。石井さんがその印税について相当数受け取って、そうしてそれの編集関係者等に対する配当がきわめて微弱であったという編集者からの不満の実証資料というものは、ごく最近たくさん出てきたというような現状でございまして、日本教職員組合がそれの編集をしてみたり、あるいはその利潤目当に、あるいはそれを一般会計に繰り入れたというような証憑は、私はつかみ得ませんでしたし、そういうことではなかったのが事実であります。これだけを証言申し上げます。
  283. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐々木君、相当時間が経過しておりますから、簡略に願います。
  284. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 綿密にそのことに対して御調査いただいたようでございます。時間がないそうでありますから、そのあなたの御調査なさった、日教組としてかどうか、その内容はいずれにいたしましても、その形で発行いたしました冬休み、夏休みのおさらい帳の詳細の実情は、一つ委員会の方へ資料として御提出願いたいと思います。  それから、ただいま私の承わった中に一つ落ちているのでありますが、あなたの方で貧困な児童に無料配付したというその数字、これを一つ明らかにしていただきたい。
  285. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私、各県のは出し得ません。東京のだけは、直接伺って報告いただきましたので、出されておりますが、全児童数の七%である、こういうふうに報告をいただきました。その全児童数は幾らかということは、この資料には計算して持って参りませんでした。
  286. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 東京都の児童は、大体私の方で調べて、こういうおさらい帳を使うのは八十五万とか聞いているのですが、その七%に無料配付したとしても、十六円のものを十八円で売ると、まだそこに幾らか利潤が残るのですが、その処分はどうなさっておりますか。
  287. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 その決算報告書というものが克明にここに出されているわけですが、作品展覧会に使う、それから人件費に使う、連絡費に使う、広告料に出す、見本の配本に使う、それから輸送費とか、そういう克明なものが十四項目にわたって決算報告書というものが出されているわけであります。その資料に基いて私は申し上げました。それから、なお残余のものについてどうするかということについては、口頭で報告いただきましたのは、若干のものは来年度の教育研究、つまり研修や研究、それから夏友、冬友の問題もある、そういうようなことで、それは繰り越しながらやっている、こういうような口頭報告をいただいた次第でございます。
  288. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 その繰り越しの金額は幾らになっておりますか。
  289. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 昨年の場合のだけ報告を伺ったのでございますが、それは約四十五万であった、そうしてこれを本年度に繰り入れた、こういうふうに伺っていました。
  290. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 こういう教員組合で出して、大体これを九〇%以上の児童が使っているのでありますが、こういうものでも宣伝費などというものが要るのでありますか。
  291. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私はその点までの詳細な実証資料というものには当っておりませんので、責任ある証言の場所で申し上げることはできません。
  292. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうすると、あなたの冬休み、夏休みのおさらい帳に対する御証言は、ある方面から報告をいただいた資料であって、あなたの直接調査なさったという資料ではないのでありますね。
  293. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 組合の機関に出された決算報告によりそれから、現実に担当している人に当ってそれを実証した。これ以外のことは、役職を持っている私として調査の方法はございませんし、それから、業者に対して、一体これは幾らでできるか、こういうことについて二、三聞きましたが、つまり、何というのですか、価格に投票して請け負うことをやらせますが、そういうようなことになった場合の価格ならば、大体東京でやっておるような価格では出せない、しかし、責任なしに、あるいは可能ではないかということで出そうとすれば、もっと安くできそうなケースだって出せるけれども、しかし業者はそんなことでは応じないだろうということをおっしゃる方が多くて、ただいまお尋ねになりましたような内容証言を私が責任資料として出せるようなものはつかみ得なかった、こういうのが事実でございます。
  294. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 この価格の問題は最も重大だと思うのです。現行のやり方でも、宣伝費とか輸送費とか、いろいろ節約すれば、三〇%を値下げすることは可能だと言われる。先ほど社会党の方は教科書の種類の上から何とか言ってましたが、教科書の数だけで二億四千万冊あることは間違いありません。それに冬休み、夏休みを入れますと、これは相当な数であります。正式の教科書だけでも総売り上げの金額が百数十億になっている。そうすると、こういうものを入れた計算だけでも二百億は下らないのであります。全国学校では二百億というものを使うわけです。あなたの証言通りあらゆる努力をして本の価格を三〇%下げたとすれば、六十億の金というものが助かるじゃないですか。これは大きな金額であります。しかも日本の国民生活が経済的に非常に破綻に瀕している今日、日教組としてそれだけの確信を持っておられるならば、その値下げをするためのいろいろな工夫と努力と行動があってしかるべきだと私は考えるのであります。ただ、品物が戦前よりもよくなっているからこの程度でいたし方がない、あるいは、そう高いと思わぬというような消極的な考えと、三〇%安くしてやろうという積極的な考え方だけで、すでに六十億の金が違ってくるのであります。そういう点に対して、日教組は今日までどういう具体的な行動をなされ、努力をなされたか、そういう点についての御証言をいただきたいと思います。
  295. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日本教職員組合教科書の価格や内容やすべての領域にわたっての研究をようやく可能にしましたのは三年前からでございます。それ以前の準備期間というものは、官僚統制や、非常に干渉を行えるような教科書のやり方や、国定との二重仕組みの温存組織や、こういうものを排除するための努力で消耗して参った。そして三年前に至ってようやく教科書内容や価格の問題についての検討ができるようになった。昨年長野県において行われた研究会において、ただいま私が証言しましたような結論を出すところまで到達したという現状でございます。従って、昨年この結論が出ましたその過程において、私どもは、教科書の協会に対しましても、また文部省に対しましても、それから各県の教育運動及びその中における教科書問題の検討に際しましても、よい内容でもっと安くすることが可能であるという世論を実証的に作りながら、お互い国民的な期待にこたえるためにやりましょうという運動や申し合せを何度も重ねて今日に至った。そして今日ここに皆様の前で不肖私が証言できますこの時期に至りましては、特にこういう運動の焦点というものを明確に出しまして、私どもとしては国民的な期待に沿うための努力を傾注して参ったという事実を証言申し上げる次第でございます。
  296. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 その点に対しては、大きな組織でありますので、組織の力をもって、われわれもいたしますから、あなた方も今後とも積極的な御努力をしていただきたいと思います。これに関する御証言をいただくことはこの程度にしておきます。  次は、いわゆる採択の問題であります。採択の問題につきまして御証言をいただいたのでありますが……。
  297. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐々木君、簡単に願います。
  298. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 簡単にやります。  全国的に非常に忌まわしい問題が起きておる。供応あるいは買収が起きておるという各委員からの発言に対して、あなたは、そういう事実はおそらくないであろう、ただ軽いお茶を出されたとか、あるいは暑いときには氷水とかいうような御証言でありましたが、あなたの言うお茶というのは酒の間違いじゃないですか。(笑声)これは酒とお茶とを間違えておるのじゃないかと私は申し上げたい。しかも、現に、新聞に出た長野県におきましては、もうすでに検察庁で取り上げられておる問題があるのです。すでに告訴されている問題がある。これは新聞にも出ております。しかもこの被告は現職の学校教員であった人であります。ことで名前を申すことははばかりますが、新聞にも出たことでありますから、あなたも御承知だろうと思います。長野県のほかにも、すでに検察庁の問題として取り上げられておる問題があるのでありますが、これはことごとく供応であり買収であります。金額も書いてあります。こういう点はあなたは答えられなかったのでありますが、こういうことを御承知になっておりながら、真実をできるだけ隠蔽しようとしてお茶と氷水で流してしまったのか、その点に対してのはっきりした御証言をいただきたいと思います。
  299. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 暑い中での答弁であるので、なるべく簡潔にするよう努力いたしましたから……。つまり、数多くの教師に対してじゃないのですよ。教師から指摘されて、業者の誘惑はいかぬ、教育の潔癖性を汚す、これは疑獄と同じものであって、教育現場まで汚されてはたまらないから厳粛に禁止されなければならない、そのための運動をしなけばならぬという提唱や報告には数多く接しておる、これは前申し上げた通りであります。  それから、各県に起っておりますそれぞれのケースについて、個別的に詳細に知ることは私できませんが、つまり、そういう誘惑によるところの忌まわしい事件のあることをきわめて遺憾のこととして私どもは認識せざるを得ないし、こういうことがあったということの証言は申し上げておる。  それから、酒、お茶の問題がございましたが、それはすべてを私が酒の場合何の場合というように証言せずにきたのでありますから、その点は御理解を願いたいのであります。
  300. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 採択もまた公正でなければならぬのであります。金で買収されたり、あるいは酒や芸者に踊らされて第二の国民を養成する大事な教科書採択するということがかりにあったといたしましたならば、重大なる問題であります。これは一つの事実を究明するだけの意味ではございません。採択全般の是正を行わんがために、私はこういう点についてあなたの証言を求めておるのであります。暑い折だからなるべく簡略に言ってその点は省略したということですが、あなたは故意にこの問題に限ってはお茶と氷水で簡単に逃げてしまったが、その他の問題に対してはもう丁寧過ぎるほどの御証言をいただいたのであります。私の手元に参っております全国からの投書というものは数限りなくあるのであります。しかも、この日教組の講師団の中の弥永昌吉さんという東大教授の人のことについても投書が来ております。きのうは、供応、買収その他いろいろな飲み食いのことに関しての投書を私は長々と読み上げましたが、しかし、本日はそれをまた別の部面から繰り返すことを省略いたしますが、仙台、兵庫、あるいは長野、福島、各方面から来ております。また、業者の方、図書会社の方でも、そういうことはあるという事実をここで証言しております。しかも、宣伝普及あるいは接待、研究会費というような名目をもって全価格の四・八%はその費用として見ているという会社もございます。あるいはまた、きのうの証人証言では、四・八%が宣伝普及その他の費用になっている、こういうことを言っております。そうすると、こうした……。     〔「簡単々々」と呼び、その他発言する者あり〕
  301. 高木松吉

    ○高木委員長代理 静粛に願います。
  302. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 社会党はこういうことを言うと聞きにくいだろうが、しんぼうして聞いて下さい。
  303. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐々木君に申し上げます。簡単に願います。
  304. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そこで、洲本市の鍋藤旅館に校長先生や先生方を四十名くらい集めて、芸者連をはべらせ飲めや歌えの大騒ぎをした、東京から社長なり重役なり役員の方々が来た、——東京の教科書会社は東京書籍という会社だそうです。そして、一緒に来た人の名前は、ここの講師団の中に入っておりまする弥永昌吉東大教授、それもわかりましたと、こう書いてある。そうすると、日本教科書をめぐる実態、というものは、著作者と編集者、それからそれを作る会社、学校教員、そうして学校教員あるいはその中の団体が編著者となって、そうして、採択する場合に、あなたの証言によると現場の先生の意見を尊重してやらなくちゃならぬということになって、こういうことで、作る人も発行する人も買う人もぐるになったのでは、迷惑するのはいたいけな学童とその家庭だけであります。そういう点で、先ほどからの価格の問題も、膨大ないわゆる飛び上りの高い価格がつけられているのにかかわらず、それが高いと言い切れなかったり、しかも三〇%値下げができるというのに、いろいろ御努力はなさっているでありましょうが、それがまだ実現していないというような実情等々を考えますと、日本の小中学校教科書実情というものはまさに伏魔殿であります。忌まわしいいろいろな事件の重なり合いであります。ここをわれわれは是正しなくちゃならぬという考え方でやっているのでありますが、こうした問題が各地に起きているというようなことに対して、あなたの方では、日教組として先ほど資料を読んでいただきましたが、しかし、具体的な供応、買収などということは書いていない。ただ抽象的な文字によって、一応知り得たということでありますが、そんなことでは私はこういう現実の姿は解消できないと思います。もしこういう問題が起きた場合は、日教組としては今後どういう処置をとるか。そのときはこういうやり方をするという厳然たる態度をもって臨めば、そこに小学校の先生の誘惑もなくなると思います。これは誘惑する方の立場も悪うございます。しかしながら、選挙違反におきましても、ごちそうした方もされた方もこれは同罪でございます。こうした実情というものは一日も早く根底からなくさなければなりませんので、日教組といたしましては、これらの問題が今日続出しているのでありますから、厳然たる態度をもって一つ臨んでいただきたい、こう思いますので、時間が参ったということでございますから、最後に、あなたとしても、あるいはまた日教組としても、どういう態度でこれの根絶を期すか、——先ほどのような御証言では私は満足できないんです。一つそれに対する御覚悟のほどを承わりたいと思います。
  305. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私の証言しました内容について、故意に隠蔽するとか、いろいろ私に対する御意見でありましたが、私は本日は証人として参っていますから、一々これに反駁は申しません。ただ、私が誠心誠意これだけの努力をして研究もし資料も持参してやっているという事実に対して、その眞意と努力をお認め願えないということは、現場教師も注視しておりますし、子供たちからも激励をいいだいておりますし、そういうまじめな人々要請の前に立った私としては、国会のこの委員会でお認めいただけないということが事実であるならば、私はまことに断腸の思いです。私は誠心誠意、誓約しました通り、明日になろうと、五日続きましょうと、私の証言はいつまでもやります。そういうつもりでありますから、その点の印象的な誤解がございましたら、私の証言の言葉づかいの不備や、あるいは私の研究素材の不備がそうさせていると思いますので、その点だけはお許しをいただきたいと思います。  最後におただしになりました点は、日本教職員組合というこの教員組合は行政機関では毛頭ございません。これこそがほんとうに教師自身子供たちの真実の姿を見ながら愛情をもって結び合おうという、こういう自主的な運動団体でございますので、これを断固としてかくするというような処断権があるわけでもなければ、そういう意味におきましては、あくまでも、私たち、国民大衆の要請の前に立っている公教育担当者として、良心に恥ずる行為のないようにみずからの態勢を整えるとともに、そういう体制を是認するような政策があってみたり、あるいは政治が行われたり、官僚がそういうものを黙認するような情勢がありましたならば、私たちはそれを排除するたために可能な努力をいたし、その仕方というものも、教員組合というこの団結のその真精神と限界においてのみ可能なのでございまして、大みえを切って断固これこれこうするというように証言できません。この事実というものに対してはお許しを願わなければならないわけです。しかし、日本教員組合としては、このような不正行為の排除のためには今後とも徹底的にやって参る。そういうことに対する教員組合の自主的な活動に全幅の御支援と御協力というものを皆様方にもお願いを申し上げたいと存ずる次第でございます。
  306. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 私は何も行政的な処分をやれとかなんとか言うのではないのです。教職員という、しかも教壇に立つ教員というものは、国民からも生徒からも信頼を受けなければならないのであります。こういう事実がすでに各方面から投書として現われ、あるいは検察庁の問題となり、世間のうわさとなっておりまするこの現実の姿において、あなた方の証言は熱心なあるいは真摯な態度でやっていることも認めますが、しかし、こういう事実があることは事実として認めて、そうして行政処分でなしに組合としてできる限度におけるところの断固たる態度というものは必要だと私は思うのであります。そこにおいて、本日この国会の国民環視の中において、あなたのような文化部長担当者の口から、教員組合においてはかかる不正があった場合にはこういう断固たる処置をとるんだということを承わりますならば、こういう問題を根絶する機会ともなる絶好の場所だと、こう考えまして、私はきつくあなたに要求いたしたのであります。もちろんこれは行政上の制裁ではなくして、あるいは道義上の問題、あるいは組合員を除名するというような問題は当然取り得る処置だと考えますので、こういう考え方からあなたの御証言を求めたのであります。しかし、それに対してのただいまの御証言でございますが、時間がだいぶたっておりますので、これ以上繰り返すことを省略いたしますが、そういう気持で私は証言を求めたということの御了承を願いたいと思います。  以上であります。
  307. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私は不備でありましたから補足申し上げますが、日本教職員組合は、各県の組合活動の中において、少くともこのような問題に対する疑獄的なもの、あるいは誘惑に打ち勝てないような教師組合員というものは現職教育担当者としての不適者であるという立場に立つたとの自粛運動というものは徹底的に行なっていくし、それから、いやしくもこのような刑事問題になるような事件を起したその事実に対して擁護運動などというものがされた事実はございませんし、こういうことの御懸念に対して、決して私たちは隠蔽するというような意図が全然ないということと、そういうものに対する徹底的な排除ということに対して努力を続けるという証言を明らかに申し上げまして、御了解を得たいと思います。
  308. 高木松吉

    ○高木委員長代理 米田吉盛君。
  309. 米田吉盛

    ○米田委員 大へんお疲れのところ恐縮でございますが、先ほどあげられましたあなたの方でお出しになった教科別教科書の評価基準、この社会科の中で、5番、6番、7番、これらの中で、5番の「社会問題の原因を、人口の過剰と資源の貧困とに転化させてしまっているようなことはないか。」、こういう点をとの基準におあげになっております。そうすると、日教組としては、どういうようにしたらお気に入るような内容になるのか、一応日教組のお考えを承わりたい。
  310. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 この問題はどういうことかといいますと、日本の社会にあります問題は、人口が多いからと資源が欠乏しているからということだけが社会問題なのである、この問題を解決する以外に何もないのだ、こういう社会問題に対する把握の仕方の独断的なきめつけというものは今日の学問や常識においてはなされていませんけれども、その以外のものについて隠蔽したり、あるいはそういうものに触れさせまいとするような意図が教科書内容にあってはならない、こういうことでありまして、つまり、社会の問題というものは、人口の問題もあれば、資源の問題もあれば、生産の問題もあれば、それからその政治の仕組みや、さまざまの問題があるという、すべての問題を網羅して出されるということが行われているかどうかということが、材料の公平性の条件であるという立場で出したのでございます。
  311. 高木松吉

    ○高木委員長代理 米田君に申し上げますが、あなたの持ち時間はございますが、本会議を開いておりますから、簡単にお願いしたいのであります。
  312. 米田吉盛

    ○米田委員 6の「自然改造の可能性を社会的条件とむすびつけて考えさせようとしているか。」、これはどうですか。  委員長、これは非常に思想的のものですから、簡単に三分や五分でやれということは、これはものを知らぬ者ならよろしいけれども、知っている者としては無理ですよ。
  313. 高木松吉

    ○高木委員長代理 よくわかっております。できるだけ簡単に願います。
  314. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 思想問題として考え方の問題を規制するための教科書編集というのがあってはならない、こういう立場が終始一貫した私ども立場でございます。そういう角度でものを見た場合に、ことさらに、公平に素材として出されるものについて、自然改造の可能性というものを社会的条件を抜きにしてできるというような、そういう解説があったならば、それは誤謬の要素があるから、やはり社会的な条件というものとの関連において自然改造というものは検討されなければならないというのが今日の到達した科学性なので、そういうものについて不備があってはならないということを、関心を呼び起すために指摘したという程度のものでございます。
  315. 米田吉盛

    ○米田委員 7番の「交通の発達がそのままそれだけで、社会の進歩であるかのようなときかたをしていないか。」
  316. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 それは、おただしになります選良の方がどういう研究資料に基いてのおただしか、私はわかりませんが、これは、学術会議においても、現場教師実践においても、すべての方々のもやは到達した常識問題となっておりますので、別に取り立てて、思想問題なんだといって、私をあたかも思想を何か鼓吹する発頭人みたいに印象づけておただしいただくような筋ではないのでありますが、私はそういうことではなくとっておるわけなんです。つまり、汽車がたくさんできた、それだけが社会の発展なのか、そうではないのだ、社会の発展というものは、交通もよくなれば、文化的な一般の人々の生活そのものが、台所の中までよくなることが社会的によくなるということなんだ、こういう点を置き忘れられたような判断があったならば間違いではなかろうか、こういう意味のことでございます。
  317. 米田吉盛

    ○米田委員 それから、「歴史的な面から」として、「一揆についての史実がとりあげられているか。」—百姓一揆とか、あの一揆でしょうが、そういうことが書いてあります。これはどうです。
  318. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これも、国民の生活の歴史というものを本にする場合には、事実ありましたことは、一揆があった、それがどういう規模のものがあったか、こういうことが記録されるのは当然なので、そういうものがことさらに抜かれているようなことであったならば問題である、こういう意味で、そういうものも公平に記載されているかということがやはりポイントになる、こういうことで指摘しただけのことでございます。
  319. 米田吉盛

    ○米田委員 あなたは、先ほど、歴史やなんかの御専攻と承わりましたが、歴史の中で一揆だけがとのようにピック・アップしなければならぬほど大切でございましょうか。普通の思想であればもっともっと大切なことがあるので、もしありとすれば、そういうこともここに御指摘にならなければならぬのですが、これだけが取り上げられているところに私たちの疑いが起るわけなんです。
  320. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 この点も、ここに全部出さないことについて、日教組教科書採択の場合にこれだけを見るんだ、こういうことなのかというふうに判断されれば困りますが、これは組合員方々に出したのであって、組合員方々はそうはとらないのです。そうではなしに、現在数多く出されておる教科書の中で、こういうテーマをことさらに抜いていてはならない。抜かれがちであるから、現実に官僚の干渉となって間違った学問観を強制する動きが実証的に出ておるから、そういう誘惑の前に弱いような執筆や編集であってはならないので、これはそういう点について努力の跡が残っておるかどうかということを見なくてはならないのだというだけのことでございます。
  321. 米田吉盛

    ○米田委員 その次に参りまして、「政治・経済・社会の面から」の5番の、「人権の意味が権力との関係においてとかれているか。」、次の6、「人権の尊重がいわゆる公共の福祉にすりかえられていないか。」、こういうような点は、あなたの満足せられる社会科の本であれば、どう書かれればいいんでしょう。
  322. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 これは、先ほど文部省の出したものについても例証しましたが、さらに、三行ほどのものでありますから、読んでもよろしいのですが、社会科の基本的なねらいというものは、基本的な人権というものの認識をより民主的に把握して、それを実現する一つ手だてや努力というものが真実の命のかてになるようにするのがねらいである、こういう立場に立って社会科というものが設定されておる。これは現実の歴史的な実証でございますので、そういう意味合いで人権というものを把握しておるだけでございます。そこで、人権というものが尊重されなくてはならぬということをだれが言うか。これは少くとも憲法に規定している。しかもそれは政治によって実現するという努力を皆さん御自身においても提唱されますように、やはり権力ということの関係においてのみ人権の十全なる生活化ということが可能なので、圧政が行われたり、それから、もうくたびれたけれどもお前働けといって奴隷のように働かせる状態の中に、そういう権力の行使の中に果して人権というものがあるのかということでございまして、これは、人権というものをゆがめる条件やあるいは重んじ合う条件というものがやはり権力関係にまで発展して長い歴史の問題となっているという事実を明らかにさえされればいい。そうでなければ、人権というものの認識がきわめて片手落ちになって、事実上どうにも役に立たない人権論があるだけになる。この点について、このものの真実性というものを見失わないための条件について指摘した、こういうだけでございます。
  323. 米田吉盛

    ○米田委員 これは実ははなはだこっけいな文章だと思うのです。この日本国憲法のある今日、教科書の中に人権が尊重されないとか、ここに書かれているような心配の教科書検定されるということは、夢にもないはずだと私は思うのであります。(「近江絹糸があるじゃないか」と呼ぶ者あり)それは教科書と違うでしょう。よく区別して下さい。
  324. 高木松吉

    ○高木委員長代理 静粛に願います。
  325. 米田吉盛

    ○米田委員 そういうようなわけで、今日いやしくも天下の教科書として通過するようなものならば、人権の何ものであるかについて、それは尊重しなければならぬが、公共の福祉との関連、その調和点、こういう点を全然無視して、右翼偏向の内容があるなどという本があったならば出していただきたい。御心配になるようなものはないのに御心配になっておると私は思う。
  326. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 その点は、非常に時間を要する問題でございますが、文部省がごく最近に至りまして第五次案として出されました社会科改訂のあの指導要領の細案にわたって御研究なさいますならば、今までやって参りました社会科の扱い方とは、その意味合いにおいてずいぶんずれがありますことだけは論及されております。しかも、今回の展示会というものに対して—お聞き取りいただきたいのでありますが、今年展示いたしますのは、少くとも来年あるいはその次の教科書になるわけですが、それを二年前に編集しなければ編集ができないということが教科書の現在の編集の過程でありますのにかかわらず、第五次案がごく最近出ましたのにかかわらず、改訂案準拠ということでたくさんの教科書が展示されておる。一体、第五次案が出されない前に、少くともどんなに考えても一年前にやらなければならないものが、改訂が発表されない前に、準拠したというようなことで明らかに改訂展示するというようなことがあるという報告に接しまして、私どもはびっくりしたわけです、そういうことから見ますと、ずいぶん先を見通して、こんなのが出るのではなかろうかと推測しながら編集をしたというような事実があったならば、出されました文部省のあの指導要領の細目にわたって全体的に検討しますと、往々にしてこれらの解釈については見落されやすい条件で出ておりますので、そういう意味合いの心配などがないということではなくて、そういう意味で特に指摘なければならぬ問題であるということだけは事実であります。
  327. 米田吉盛

    ○米田委員 大へん世の中のことを御心配いただいて感謝いたします。しかし、心配なさることは、もっと前にまだまだ大切なことがたくさんある。一体とれは今度の教科書採択に御利用になったわけでしょうが、今度の教科書の中に、どこに心配するようなものがあるか出していただきたい。それを出していただきたいというのが私の要求なんです。つまり、幽霊が出ないのに幽霊が出る出るというような憶病なことでは、そこに何か健康な状態でない考え方があるのではないかと疑う余地があるわけです。幽霊があれば幽霊を出していただきたい。これを私は御要求申し上げるのであります。あなたの方は相当の企画もあり、何億という金を使っていろいろおやりになっているのですから、今年出た教科書の中に、どこにこれに該当するようなものがおるかということは十分おわかりのことなんです。あいまいな言葉ではなしに、ここにあるのだというふうにお示し願えませんでしょうか。     〔「幽霊は出せないよ」と呼ぶ者あり〕
  328. 高木松吉

    ○高木委員長代理 静粛に願います。
  329. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私、証人として喚問されまして、そのようなおただしを受けるようなことは予想できませんでした。それは、なぜかといいますと、教育というものを眞実実践した者であるならば、今日あるものは、五年先、十年先までの一つの関連の問題として、教育は理想を描きながら努力し合うという意味でありますから、あすの問題、きょうの問題がこれこれだからこれというような、そういう今日だけを追求するような運動現場教師がなったら問題なのであります。教科書研究はようやく緒につき始めたので、ここから始めるのだ、そういう場合には、教科書というものを題材にしながら、お互いの教材そのものの取捨選択の場合にも片手落ちがあってはならぬ、—教科書というものは義務的なものではございません。資料として使えばよろしいのであって、そういう意味で、資料活動の中で片手落ちがあってはならないというので、教科書そのものに対する見る場合の窓を兼ねながら、日常の自分たち資料活動に片手落ちがあってはならないという一つ運動の素材としてのものを兼ねての継続的なものでございますから、そのように御判断をしていただきたいのです。それで、満足できるような素材を提供しないとおしかりになられましても、これだけの時間では、個別に教科書のこれというものは出すだけの時間はなかったのです。ただし、現場方々がたくさんの採択を本年やっておりますから、来年度どういう教科書が明らかに採択されたかという傾向によって、その内容的なものもやや具体的に把握できるというのが現状ではなかろうか、こういうふうに思う次第でございます。
  330. 高木松吉

    ○高木委員長代理 米田君に申し上げます。持ち時間が経過いたしますから、簡略にお願いいたします。
  331. 米田吉盛

    ○米田委員 七番のところの、「ただ働けばよいというようなことがとかれていないか。」ということなんですね。こんなことを書いた本は今の教科書にはないと思うのですよ。そこで、日教組方々にお伺いしたいことは、こういうような教科書がないのに、こういうようなことをお書きになっている。(「あるよ」と呼ぶ者あり)——だから、あれば出していただきたいと申し上げているのだが、あなたの方は具体的にお出しにならない。  それから、九番のところの政治の問題その他ですが、これは、全体を見まして、においが、何かあなたの今まで力説せられるような工合にわれわれはとれないのです。それで、実ははなはだ失礼ですけれども、今のようなお尋ねをするわけです。もしこれがあなたの言われたように全体的に中正な立場であるならば、もっともっと取り上げていただかなければならぬ問題が多いのです。友愛の問題であるとか、先ほど佐々木さんが言われたところの愛国心という言葉、その言葉自身が古ければ、そういったかわりのものとか、あるいは責任だとか、法律に従わなければならぬ順法の問題とか、それから、あなたの言われた文部省の社会科の解説のところを見てもそうだが、いろいろここに書いてあることで、あなたらの方でこういうことは抜けていないかということを基準としてお示しにならなければならぬことが、私の常識から見たらあまりにも多いのです。ところが、ある種のある考え方を持っている者でなければそれほど取り上げないでもよいようなことだけが抜き書きしてあるから、はなはだ失礼なんですが文化部長さんにお尋ねをするわけなんです。私は、ただ働けばよいなどというようなことが今日の教科書にあるはずはないと思うが、そういうような点について疑いがあるのでございましょうか。あれば、その事実をちょっと指摘してもらいたいのです。
  332. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 教科書のここにあるというふうに、今そういう意味におけるものは持参をしておりませんので、実証するということはできませんが、時間をかけるならば、これは確実にいたします。  それから、もう一つ、どうも何度も同じ角度から一つの思想を私に押しつけられるような印象を受けて、とにかく私は答えようがないわけでありますけれども、私が何度言ってもわからないということでおっしやられたのでは、あなたと同じように考える条件をこれこれと出さないではとても満足しないのでしょうが、それはそういうことはないのであります。私は、ここで申し上げますが、こういう問題を取り上げているということについては、先ほど来申し上げましたような趣旨であり、そうして、しかもそれは、個別に今持ってこないではないかとおっしゃられるけれども、具体的に四年間の研究集会等によって、そういう傾向のあいまいさや、素材としての取扱い方の変化が顕著になりかけているという実際的な報告資料に基いて、今現場の人たちが問題にしているものだけを中心にして私どもは問題にしているのだ、問題にならないものを問題にするのではないのだ、こういうことで何度も御説明申し上げたのですから、その点は、眞実をそういう意味にとっていただきたいのです。  それから、教科書内容を規定する指導要領とか、それから検定基準とか、こういうものを今日の立法府におきまして論議するということは短時間の間ででき得ないことなので、つまり教育審議会というようなものを持ってみたり、学術会議というようなものがあってみたり、こういうことで十分それぞれの専門領域における学者実践家によって立案検討されなくてはならない、こういう建前でおりますので、ただいまこの席上で日本教職員組合教育文化担当者であるがゆえに、すべての領域にわたって克明に解釈をしなければならないというようなことについては、私の学問の修練程度ではとてもできませんし、今日の立法府においてこの中でそういう問題を取り上げられるような筋合いとは予想もしておりませんので、私としてはそういう素材を克明に持ち込めなかったということを正直に申し上げます。
  333. 米田吉盛

    ○米田委員 その「ただ働けばよいというようなことがとかれていないか。」という七番のこういうようなことは、別にむずかしいことじゃないでしょう。あなたは歴史の先生であっても、これは日教組のそういう立場におられる方として十分御解明になれるわけです。これ全体を見まして、社会科の一番大切なことというものは、民主化のみに重点を置くわけではないと私は思うのです。いかにして社会と個人とがあるかとか、それから友だちとの関係だとか、そういうようないろいろの大切な問題がまだほかにたくさんあるのです。しかし、このあなたの方の評価基準なるものは、ただ一点、民主化を重点に置かれているということになるのです。どの項を見ても大体そこに落ちついておるのです。そこで、いろいろその書き方なり何なりから、先ほどのような失礼なお尋ねになったわけです。そこで、一体、日教組人々は、教員というものは民主主義になってだれでも同じような平等な道徳さえ守ればいいのだ、特別教員なるがゆえに教員としての職業的倫理というものを特別に守る必要はないのだ、そこらの自動車の運転手も学校の先生も全く同じ倫理水準でいいのだ、こういうお考えでしょうか。それとも、たとえば裁判官はそういう普通の倫理を守らなければならぬほかに、裁判官であれば公平でなければならぬとか、官吏であれば廉潔でなければならぬとか、お医者さんであれば博愛でなければならぬとかいうようないろいろな特殊なその職業に付加された倫理というものがさらにあるとお考えでしょうか。先生は先生なるがゆえに、普通の人間の倫理よりも先生としてのまた加えられた倫理があるのだ、こうお考えでしょうか。
  334. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 簡単でございます。その点は、私が朝から申し上げました証言の素材や内容や、それから民主化——民主化というのは、もちろんデモクラシーでありますから、デモスがクラシーするということで、これは申すまでもございません。そういうことは、単に政治経済だけで民主主義があるのでなくて、側別的な生活の中に人間個別がそういうものに行き合うということが条件でなければならないという立場で、広い意味において民主化ということを私どもは規定いたしておりますので、社会科の中で検討し合うというものは、社会科の基本的なものとして出されております通りに、その点というものを広義に解釈をして、そうして人間を尊重し合う友愛というものが行われる、こういうようなものが含まれているように解釈しています。  それから、この中に出しましたのは、今現場で問題として私たち研究集会で問題に出されたものだけに限定して、それについてのみポイントを整理したわけでありまして、これ以外に必要な問題がたくさんあるということを私どもは申し上げているわけです。そういうものは常時行われているわけでございますから、その点についての誤解が印象的にあるとしましたら、そうでないように御了解願いたい。
  335. 米田吉盛

    ○米田委員 倫理の責任の問題はいかがでしょうか。
  336. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 私が申し上げました証言の中でお聞き取りいただきたかったわけでありますが、教師であるがゆえの教師の倫理というものがあります。そのために私どもは努力し合っておるのであります。これは、少くとも、ここにありますように、職域を通し、働くという機能を通してのみお互いの国家形成も社会もあるのでございますから、そういう意味における職能におけるところの果すべき役割とともに、それを能率化するところの、しかも社会的の信頼というものを基盤に置かなければならぬという教師要請ということが重過ぎるほどありまして、それを全うするために特別に教育研究運動等まで私どもはやっておる、こういうことでございます。
  337. 高木松吉

    ○高木委員長代理 もういいですか。簡単に願いたいのですが……。
  338. 米田吉盛

    ○米田委員 そうしますと、今まで日教組の方が、たとえば文部大臣の部屋の中にすわり込みをやったり、廊下にすわり込みをなさった。そのほか地方の教育委員会でも同様なことをおやりになった。こういうようなことは、一般の勤労者であれば場合によれば許されることがあっても、——法の上で許される許されないは別ですよ。私は倫理の問題を言っておるのです。教師なるがゆえに、そういう大臣が公けの仕事をやれないようになるまで多数の人がすわり込んだりするのは、今の教師の倫理性から言って、あなたはさしつかえないとお考えですか。非常によいことで、さしつかえないのだということでしょうか。
  339. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 日教組活動内容についてのおただしでありますが、一体すわり込みというものについて可否はどうか、こういうことでございますが、すわり込みをするというようなことだってあり得るし、あったでしょうし、そういうことが決して悪いことであるとは言い切ることはないわけであります。大臣が会える条件を持っているのに故意に会わないという場合には、お会いできるようにして下さいといってお願いするということが、会うということの継続状態であり、それまでを否認されて行ったならば、何にも会えないということになる。そういうことなので、別にそれだけを取り出しておただしになるような向きではないのでございます。
  340. 米田吉盛

    ○米田委員 これは教科書に非常に思想的の関係がありますから、あなたはおわかりにならぬかもしれないけれども、これは非常に大事なことです。
  341. 高木松吉

    ○高木委員長代理 米田君に申し上げますが、あなたの持ち時間を相当経過しているので、簡略に願います。
  342. 米田吉盛

    ○米田委員 承知しました。  もし先生がすわり込みを大臣室や教育委員長室にできるならば、今度は生徒が先生に同じような方法で校長室なり教員室にすわり込みができると私は思う。おれはするのだけれども、生徒はするなとは言えないだろう。そこで、そういうような教育でいいかという問題なんです。そういうような考え方でこういう基準を書かれていいかという問題を私は心配しておる。先生がそういうすわり込みをやれば、生徒もやってもいいということになる。京都大学でもそうです。そういうことが私は心配で、そういう考え方の人が、そういうことをやる人がこういうような評価基準なるものを作る資格があるかという疑いが、正直のところ私個人にあるのです。そこでこれをお聞きするわけです。これは水かけ論になるかもしれませんが、天下国家のため、日本教師のために、詭弁はどうでも言えますけれども、りんとした、国民の師表になり得るだけの倫理性を日教組も持ち、日本教員がそれを目標に進むという考え方に切りかえていただきたい。何かといえば、すぐ、金よこせ何よこせと、一般勤労者の運動と同じようなことを過去の日教組は、——今は教育の方に熱心になりましたから、これは古傷を申し上げてはなはだ申しわけありませんけれども、だんだんと少くなりつつありますが、これは一切絶縁していただきたい。私も、議員ですけれども教育者の一人です。それで、教師というものがもっともっと大衆から尊敬せられるものになってもらいたい。これが私の偽わらない、腹からの希望です。これだけ申し上げて、時間がありますればうんと言いたいのですけれども、終ります。
  343. 高木松吉

    ○高木委員長代理 佐藤証人、何か答えることがございますか。
  344. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 はい。
  345. 高木松吉

    ○高木委員長代理 簡単に願います。
  346. 佐藤幸一郎

    佐藤証人 評価基準を書く資格がないなどということをあなたに言われましても、私どもは資格がありますし、現実に教育担当しておるのですから、そういうきめつけに対して返答を申し上げずに、あなたのようなお説も最近風潮としてとみに顕著になってきたという事実は私も知っておりますので、その点を申し上げまして、私たちの努力を誓うということについて信用下さるようお願い申し上げたいのでございます。  以上でございます。
  347. 高木松吉

    ○高木委員長代理 それでは、証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。  証人には長時間にわたって御苦労でございました。     —————————————
  348. 高木松吉

    ○高木委員長代理 この際お諮りいたします。本委員会設置の決議によりまして、本委員会は少くとも月一回調査報告書を議長に提出いたすことになっておりますが、ただいま諸君のお手元に配付いたしてあります通り簡単な調査経過の報告書を委員長において作成いたしたのでありますが、これを議長に提出いたすことに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  349. 高木松吉

    ○高木委員長代理 御異議なしと認め、さよう決しました。  なお、字句の訂正整理等につきましては委員長に御一任願います。     …………………………………     〔行政監察特別委員会調査報告書(行監調二十二ノ二)本号末尾に掲載〕     —————————————
  350. 高木松吉

    ○高木委員長代理 次会は八月一日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十三分散会