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大橋国務大臣 保安庁というものは、現在の
警察予備隊並びに
海上警備隊を継承いたしまする
保安隊、それから
警備隊の管理をするというのがこの役所の
使命でございます。従いましてこの
警備隊、
保安隊の
使命というものについて、完全にこれを理解して行くということが、その
職務を
遂行するにあた
つて第一に要請せられることであると存じます。
保安隊、
警備隊は、
法案においても明らかにいたしてあります
通り、
わが国の平和と
秩序を保持し、
国民の
権利と自由を守るということがその
使命にな
つておるのでございまして、この
使命のために、常に
実力を涵養し、そうして必要に応じて
総理大臣の命令によ
つて、その
実力を十二分に発揮することによ
つて、その
使命を全うする、こういう建前に相な
つておるのでございます。
そこで平和と
秩序を維持するということが
根本でございますが、これは、それではどういうことであるかということをさらに分析して
考えて参りますと、平和と
秩序を破壊するものに対して、
実力でこれを防止するというのが、その
根本にな
つておるわけでございまして、平和と
秩序の
破壊者というものは、
国内において
犯罪として発生する場合もございます。
暴動であるとか、騒擾であるとか、あるいは集団的な暴行であるとか、こういつた
方法によ
つて発生する場合がございます。かような発生いたしまするものも、單純に
国内において独立的に計画され
遂行されるものもございまするし、また
国外の勢力の教唆または干渉によ
つて引起される場合もあるのでございますが、いずれにしても、それが純粋に
国内において計画され発生するという点においては、
国内的な
破壊活動と見ることができると思うのでございます。これらの
破壊活動は、すでに
国内法において
犯罪とせられておるのでございますから、これを防遏し、鎮圧するということは、第一次的には
普通警察の
職務であります。しかしながら
普通警察の手に余るような事態に発展いたしまするならば、当然に
警察予備隊あるいは
海上警備隊がこれが処理をしなければならない。
この場合におきましては、
警備隊、
保安隊の
鎮圧手段として予定されておりまするのは
実力活動でございます。従いまして
実力によ
つてこれを処理するということになるわけでございます。すでにこれらの
暴動なり騒乱なりというものが
実力行為として現われており、これに対して
実力で処置をするということになりますると、その際における
隊員個人としての
生命、
身体に
相当な危険を覚悟しなければならぬということは当然でございます。かような
危險を予想しながら、しかもあえて国のために
職務を行わなければならぬという点は、これらの
職員の
職務の執行について、特に注意をすべき点ではなかろうかと
考えられる次第でございます。もちろんすべての
公務員は、個人的な安全を
犠牲にしても
職務を
遂行しなければならぬということは、当然のことでございまして、
ひとり保安隊、
警備隊に限つたことではございません。たとえば警察官のごときは、そういう場合がしばしばあるでありましようし、また
監獄職員等についても
考えられまするし、また税関の
役人等にも、そういうことは
相当考えなければならぬ。
まあ程度の差こそあれ、
公務員には一般にそうした心がけが必要であることは、もとより申すまでもないのであります。
ただ
警察予備隊なりあるいは
海上警備隊といたしまして、さらに他の
公務員と多少違
つて考える必要がありはしないかという面は、
国内の平和と
秩序の
破壊活動というものは、
国外から引起される場合があるわけであります。これはいわゆる
侵略行為とな
つて現われるわけでございますが、これらの
侵略行為というものが、多くの場合において外国の
軍隊というものを背景とする、あるいは
軍隊そのものの
活動として現われて乗る。従いまして、この際において
警察予備隊、
海上警備隊が
使命を
遂行する場合における危険の度合というものは、非常に大きなものがあるということは、当然
考えなければならぬことであろうと思います。こうした場合におきまして、
職員がその
使命を
遂行するためには、もとより決死の覚悟をも
つて当らなければならぬのでございまして、自己の
生命、
身体を顧慮いたしてお
つたのでは、その
使命の
遂行はとうてい不可能であるといわなければならぬと思います。そういう
意味において、
予備隊の
職員に、そうした場合にあくまでも
使命を完全に
遂行してもらいまするためには、か
つての
軍人と同様な、非常に高い
愛国心というものが要求される。この
犠牲、
奉仕の
観念が
基礎にならなければ、そういう
危險なる
職務を完全に行うことを期待することは不可能だろうと思うのであります。
こういう見地からいたしまして、
警察予備隊の
隊員に対する
訓練は、かような愛国的な
犠牲心の発揮を促すということが、創立以来
指導にあた
つて最も力を入れておる点なのでございます。こういうふうな
考え方のもとに、国のため、
国民大衆のために
犠牲とな
つて、その利益と幸福を守る。こういう
考えはいわゆる民族的な愛であり、
国家に対する
愛国心でございます。これはいかなる
基礎に基いてそういう
考え方を起して行くか。いろいろ
考え方はあろうと思うのでございますが、私
どもは、
国家というものが
国民の
生活のため第一義的に必要な存在であり、そうしてこの
基本をなしておるところのものは
民主主義的憲法でございまするから、この
民主主義的憲法というものをどこまでも守
つて行く。これによ
つて保障された
国民の
権利と自由を守
つて行く。そのために必要な
組織である。この
国家を維持して行くということがひ
つきよう民族の幸福のために、また
世界の発展のために第一義的なものであるという
考え方を十分に徹底することによ
つて、その
基礎をなすところの
国家に対する
犠牲、
奉仕の
観念を養う、これが最も大切なことである、こう
考えておるわけでございます。
従いまして
予備隊といたしましては、創設以来こうした
考えをできるだけ早く徹底して、
隊員の
使命遂行に一段と遺憾なきを期して参りたい、こういうふうに
考えておるわけでございます。但しこれらの
考え方は單に
一つの
考え方として、いわゆるお説教を聞かせるというだけではとうてい
効果をあげ得るものとは
考えられませんので、
予備隊全体のあらゆる
仕事の面を通じて、こうした
考え方を
常住座臥隊員に対して訴えて行くということが必要であろう、こういうふうに思いまして、特にそうした
精神指導のための特別の
訓練という時間は設けておりません。折に触れてそうした
考え方々伝えて行く。そうしてあらゆる
訓練を通じてそうした
考え方に実際上
指導するような
効果を上げるようにいたしたい、こういうやり方をいたしておるわけでございます。