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証人(
小泉忠孝君)
摘発が始ま
つたのが忍の警察におきまして駅の取締に
行つておりました。名前は忘れましたが、巡査が、
綿コードという木綿の織物があるのですが、それを五十反ばかり駅へ背負い出すところを捕まえまして、これが本年の一月十九日頃と思います。それで忍の署におきましてどこから持
つて來たのだということになりまして、捜査を進めて行きましたところが、
埼玉布帛製品株式会社というのがあります。そこから出たのだということが分りまして、これは闇である、では相当そこには
闇物資があるのではないかというので、在庫の調べに著手したのであります。檢察廳へその
報告が参りましたのが、大体
相当数量の
隠退藏品があるという
報告が参りましたのが、一月二十九日か三十日頃でした。それで三十一日頃から数名
行つてお
つたようです。私が
行つたのは二月の一日に始めて参りました。それから約十日くらいに亘りまして。片つ端から
埼玉布帛関係の在庫しておるところを
調査して
行つたのです。帳簿と対照しまして……で
本当数の無籍ものを出したわけです。それに引続きまして、これは忍町に相当あるのだという目鼻がついたので、本格的に全般的にや
つてみようじやないかという計画を立てまして進んだのであります。本格的に忍町へ着手したのは三月三日頃じやないかと思います。正確な日は忘れました。それから引続いて四月一杯ぐらいまでやりまして、相当な
隠退藏を供出させるまでに
至つたのであります。