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参考人(
人羅格君)
人羅と申します。
今日は、メディアで
地方自治とか
分権改革の取材を担当しているということを踏まえましてお話を申し上げます。よろしくお願いします。
私たちメディアは、
地方自治、
分権改革について、東京から、
地方から、できるだけ多角的にいろんな角度から取り上げたいというふうに日々努めているつもりでございます。とはいいましても、実際のことを申しますと、
分権改革の話というのは非常に多岐にわたって、しかも
テーマごとに複雑な話も多いので、とりわけ映像メディアを
中心になかなか取り上げにくいというような傾向もあるようであります。
これが、ちょっと残念なことに、最近は活字メディアの方も
分権改革について取上げが同様の傾向にあるようでありまして、せっかくの機会なので、毎日新聞のデータベースで、
地方分権、さらに民主党政権
時代に多く用いられました地域主権、この二つの
言葉が入った記事が中央、
地方版も含めてどのぐらいなのかなというふうに調べてみたところ、おおむね大体千から七百ぐらいの推移であったのですが、東日本大震災の年からちょっと減りまして、六百ぐらいに減りまして、この記事数が最近またどんどん減ってきていまして、昨年一年間では二百五十ぐらいでございました。こういうふうに、これはうちだけじゃなく、恐らく各メディアに共通する傾向なのではないかというふうに思われます。
それで、じゃ、なぜこの
分権改革の報道が昨今ちょっと収まっているというような傾向にあるかというのは、これはメディアの
課題ということももちろんあるかもしれませんが、そこのところの理由には、国民に言わば切迫的な関心ですね、これがやはり分権ということについてもう
一つ薄いのではないかという点があるのではないかというふうに私自身は感じています。恐らく、どうして
分権改革は必要なんだろうかと、そして、それが自分たちにとってどう影響するのかというところがいま
一つイメージがつかみにくくて、ともすればこれは国と
地方の
権限争いなんじゃないのというような、そういった印象があるように見えてしまう。そこで、総論では分権いいねというんだけど、じゃ、実際に切迫的な関心があるかというと、どうもいま
一つそこにはまだ至っていないのかなという印象が、私は感じています。
あともう
一つは、それに加えて、昨今、やっぱり国と
地方の
権限、分権ですね、あと
事務とか、そういった
議論が一種踊り場にあるんじゃないかという感じがあります。第二期
分権改革と言われるものが御承知のとおりここ数年来行われまして、これは
義務付け・
枠付けの
見直しですとか、国の
地方行政への
関与ですね、
関与の
縮小という点について進められまして、これはかなりの
成果を収めたというふうに私自身は見ております。
そうすると、そこがある程度見えてくると、じゃ、これから先、国と
地方の
権限関係をどう整理して分権
論議とか
自治の方に
議論を進めていくんだと、そこについて政治的なイメージが集約されていない。このため、それがとりわけ民主党政権で、国と
地方の、先ほどもお話ありましたが、出先
改革、これが膠着して行き止まって以来、どうもこの分権というのはこれからどう進めていくんだということについて、一種の足踏み感があるんじゃないかと
考えております。
それでは、じゃ、今どういう方向があるのかというと、単純化させていって言わせていただきますと、二つ
議論の方向がございまして、
一つは、先ほど
所掌事務の拡大という話が
西尾先生からございましたけれども、
一つは、もう一回国から
地方に大胆に
事務とか
権限を移して、それでブレークスルーしようという、国の守備範囲というものは極力狭めていこうと、そういった方向の
議論が
一つあると思います。これの代表が道州制ということではないでしょうか。
もう
一つは、いや、
地方の方はかなりもう
事務を
移譲されていて、正直おなかいっぱいだと。もうそこよりも、
事務を移すよりも、それぞれの例えば
市町村とか
基礎自治体できちんと町づくりとか都市計画とかそういったものができるように、そういう分権を進めるべきだと。ラージとスモールという言い方がいいか分かりませんけれども、二つ方向の対立感があるというふうに私自身感じております。
そういった中で、昨年来、
地方創生という
課題が
政府を
中心に出てきて
議論されているということだと思います。この
地方創生というのは、厳密に言うと
分権改革とは違うベクトルの
議論でありますが、人口減少問題への対応ということなんですけれども、これはどうして今こういう
議論が起きているかということは、私なりの印象で申し上げますと、町村とかにはこの
議論をしていくことがいずれまた町村合併につながっていくのではないのかなという受け止めをしているところも多いようなんですが、実際のところは、道州制という言わば遠大な話をするよりも、目先の切実な
課題をきちんと、まずは
都道府県を
中心に
考えて、さらに今の
市町村、それが周りと連携しながら
課題を解決していこうという、そういった方向の力学が働いて今の
地方創生という
議論が起きているんじゃないかというふうに私自身は捉えております。
そこで、じゃ、道州
制論議をこれから、とか
地方制度の
改革論議、これをどう
議論していくかという問題がやはり政治的には大きいのだというふうに思います。
例えば、毎日新聞は道州制について、
分権改革というものを徹底するのであれば、それは
一つの選択肢であろうというような取上げ方を社説では従来しております。とはいうものの、この四十七の
都道府県を、これで駄目だということであるのであれば、じゃ、それで、ブロックで再編して一体何がどう良くなるのかという具体的なやはり
説明ができていなければいけないというふうに感じております。
とりわけ、私、今の基本法の制定
論議というものを、これは印象ではありますが、感じることは、やはり何のための道州制で、じゃ、
事務をどういうふうに
権限を移して、それで、じゃ、
基礎自治体、
市町村を将来どういう姿にするのという、そこがまず固まって、それで、じゃ、道州制やろうよという
議論なら分かるんですけれども、基本法をまず制定しようと、手続だけ走ろうというようなふうにややもすると見えてしまう。
これは私、非常に危ないと思います。やっぱり、もしやるのであれば、まず何のためのどういう道州制をするかということをきちんと
議論して、そこを固めて走らないと、やはり四十七
都道府県を再編するというのは非常に大きな話ですので、最終的には私、個人的には、これは憲法改正の国民投票に値するぐらいの
テーマではないかというふうに思っておりますので、そこのところのまず基本、何のためにと。さっき、
西尾先生のお話に至っては、それは行革のためなんですか、分権のためなんですかと。行革のためだというのなら、じゃ、
都道府県の合併をして、どれだけ人数が削られるんですかと。じゃ、国の
地方出先機関をどれだけ移すおつもりですかというところまできちんとベースで
議論しておかないと、何やら手続論の話ばかりが走ってしまうのではないかという、そういったちょっと印象を持っております。
そうなりますと、その大きな
地方制度改革の
議論ということは、それはそれとして、やはり最低限やっていくべき話は、
基礎自治体ですね、
基礎自治体で町づくり、都市計画、こういったことについて
自由度を高めていくということは、これからの人口減少社会で都市の計画を、都市の再編というんですか、そういったことを、町づくりをまたやり直さなきゃならなくなりますので、そういった方向のアプローチをして、そこに住民参加ということを、方策を講じていくというアプローチは、やはりここは最低限必要ではないかというふうな印象を持っております。
それが、どうして有権者は、じゃ、
分権改革にいま
一つ積極的に関心がないのかということに対するやはり答えにもなり得ると。そこをきちんと
考えていくことがやはり、ああ、なるほど、生活に分権というのは
関係があるんだなというふうに納得も得心も得ていただくという、そういった道になるのではないですかというふうに
考えています。
あと、もう
一つ、
分権改革について何年か取材をして感じることは、やはり税
財政ですね。これについての
議論、難しい多々問題があるわけですけれども、とはいうものの、やはりちょっと政治的に乏しいのではないかという印象を持っております。
御承知のとおり、小泉内閣のときに三位一体の
改革というのがございまして、三兆円税源は取ったけれども、五兆円交付税を減らされちゃったということが大まかに言うとございまして、それで
地方側は非常に不信感を強めてしまったわけです。それで、あつものに懲りてなます云々といいますか、もう
地方税
財政の話をすると、どうせ財務省にいいようにやられて損するんじゃないかというような妙なシュリンク感が出てしまっているのではないかと。とはいうものの、やはり
分権改革というのをきちんと
考えていくというのであれば、この
地方の税
財政ということをどう拡充していくかという
議論を、やはり私は政治的にもう
一つ積極的に
考えていただきたいという印象がございます。
とはいうものの、なぜ、先ほど
地方のシュリンクという話もございましたけれども、どうしてその
地方の税源
移譲という話が難しいかということについて、
一つの理由は、
地方に税を移せば移すほど、それは
地方同士の、
大都市と
地方、ほかの地域の税収格差が拡大してしまって、それで結局のところ、それは
地方のバランスを逸してしまうと。これは
地方消費税にしても住民税にしろ恐らく同様だと思いますけれども、そこの壁があるんですね。そこの壁に当たってしまうので、なかなか
地方に税源を移すという
議論が進まない。
そうすると、これはとても難しい話かもしれませんが、やはり
地方の間で、共同税という言い方がいいのかどうかは分かりませんけれども、何かの形で税を融通し合うような仕組みは何か
考えられないか。それは交付税という形しかないのであろうかということについて、ある程度やはり政治的に
議論していただかないと、なかなかこの
地方税
財政というものについての
議論について進めていくということは難しいのではないかというふうに感じております。
最後に、先ほど道州制の話と、あと
地方税
財政の話をしましたが、もう
一つ政治の場面において積極的に
議論していただきたいのは、やはり
地方議会ですね、
地方議会の在り方ということについて
議論を活発にしていただきたいという思いがございます。
御承知のとおり、現在、日本の
地方自治は、首長と議会がそれぞれ住民から選ばれる二元代表制という仕組みを取っておりますので、そこの歯車がうまく回らないと
地方自治の歯車はうまく回らないという仕組みになっております。しかるに、では、
地方議会の方の歯車がきちんと機能して回っているのかということについて言うと、多くの
地方議会において、最近、政策機能でありますとか、監視機能でありますとか、そういったことの拡充に努めているということは私も重々承知はしておるつもりなのでありますが、やはりまだ足りないと、十分ではないということがあります。ここは、これから分権ということを
考えていく上でも大きな
テーマになるのではないかというふうに
考えています。
昨今、しかも去年から、例のやじの話ですとか、あと政務活動費の話でありますとか、
地方議会については、どちらかというと残念な話題ばかりが、私たちも報じているというようなことがあるわけなんですけれども、あと、最近は、なり手の不足という問題も町村議会においては深刻なようでございます。ただ、そういう問題は問題としてありますが、やっぱり基本的に一番
地方議会について問題なのは、
地方議会というのが住民の方々から非常に遠い存在に思えて、それで、加えて言うと、何をしているのかがよく分からないという状況がやはり
地方議会を
考える上では一番根っこの問題なのではないかというふうに私は
考えています。
こういった状況を、じゃ
地方議会をどうするかということについて、例えば通年議会にして夜間の開催を拡充するとか、議員提案で政策条例を制定いたしますとか、あと、情報公開に努めるとか、そういった運用面で
地方議会の
改革でできることがかなりあるということは、これは確かに実際そういった動きも起きております。
ただ、その一方で、制度的に
考えると、例えば何か四十人ぐらい候補の、定数があって、大選挙区で、
一つの選挙区で四十何人出馬した中から一人選べというような選挙の仕方ですね、これが本当に住民にとって選択にいいシステムなのであろうかということであるとか、あと、例えば
都道府県議会と政令市議会について女性議員が少ないということであれば、政党色ですね、政党本位の選挙制度ということを
考える
余地はないのかとか、さらには、
大都市と町村の、小規模
自治体の
地方議会ですね、そこの人員のリクルートの仕方、機能の仕方というのは本当に同じでいいのかとか、そういったことをもう少し政治の方からも
議論していかないと、
地方議会の現状というものを分権
時代にふさわしい
地方政府にするということから
考えていくには、政治の
議論ということが必要じゃないかという印象がございます。
あと、その
関係でいいますと、例えば住民投票、これについても、住民投票というのは、では、どういうふうに
地方政治の中で位置付けていくべきなのであろうかと。一時、片山善博さんが
総務大臣のときに、箱物については法的拘束力を認めたらどうかというような
議論もありました。これは
地方側の反発が、逆に
知事会の方が難色を示してうまくいかなかったという経緯がございますけれども、例えば、その
テーマとか拘束力についてどういうふうに
考えていったらいいのかとか、そういった住民参加ということの在り方ということについても、与野党、政党において、もう少し正面から
考えて
議論していくといいのではないかという印象を持っております。
少し時間が残りましたが、以上であります。