○小西洋之君 民主党・新緑風会の小西洋之でございます。
私は、これまでに引き続きまして、七月一日の
閣議決定の
集団的自衛権行使を解禁しましたその解釈変更、その根幹でございます四十七年見解の読み直しの問題について追及をさせてい
ただきたいと思います。
先生方、すっかりもうおなじみだと思われますけれども、念のため一言で申し上げますと、七月一日の解釈改憲のその構造というのはどういうことかといいますと、まず第一として、昭和四十七年見解の中に実は限定的な
集団的自衛権の行使が概念として含まれていると、そのように昭和四十七年見解を読み直しまして、その読み直しに基づいて、後でまた追及しますけれども、御自分たちの都合のいいところだけ四十七年見解の文字をくりぬいて、憲法九条解釈の根幹、
基本的な論理というふうにおっしゃっていますけれども、
基本的論理なるものを捏造して、そしてそれに、今日、
集団的自衛権が必要だというその政策
判断たる事実の
認識というものを当てはめて、
集団的自衛権行使を解禁しているというような構造になっているところでございます。
しかし、まず、そもそも昭和四十七年見解に
集団的自衛権の行使が概念として含まれていたと、限定的な
集団的自衛権の行使が、そういうふうに読み直していいのかどうか。それがこれまでの論理的整合性や
国会の
議論の積み重ね、あるいは法的安定性に反しないのかどうか。これまでるる質問をさせてい
ただきまして、論理的な質問をさせてい
ただくんですけれども、
横畠内閣法制局長官を始め安倍
政権の皆様は何ら論理的な
答弁をしてい
ただけませんので、論理破綻、すなわち憲法違反の解釈改憲を強行されているというふうに
認識をさせてい
ただいているところでございます。
そして、今日は、更にそれを新たな観点から深く追及をさせてい
ただきたいと思います。
前回の
委員会におきまして、この昭和四十七年見解を作ったときのその起案をこの
委員会に
提出することをお願いしましたら、早速法制局、出してい
ただきまして、それが皆様、このカラーのページをめくってい
ただきまして、三枚めくると出てまいりますけれども、これが昭和四十七年見解そのものでございます。
委員会の理事会の方には白黒の紙で
提出されているようでございますけれども、私、実は同時に
情報公開請求をさせてい
ただいておりまして、私の
情報公開請求に対してこのようなカラーのものを出してい
ただいたので、付けさせてい
ただいているところでございます。
私も、かつて霞が関の役所でこういう起案をもう何十本と作っておりましたけれども、少しそうした経験と、あと法制局からヒアリングをさせてい
ただいた事実
関係に即してこの起案について御説明をさせてい
ただきます。
このかがみの部分ですね、起案の、御覧い
ただけますでしょうか。起案を書いた方は早坂さんという方、これは主査と書いていますけど、早坂という判こがございますけれども、これは参
事官、いわゆる課長クラスの方でございます。法案の審査や憲法解釈の意見事務の実務をやられている方でございます。実務をいわゆる課長クラスとしてやられている方でございます。その方が、四十七年の十月の五日に起案ですね。これめくってい
ただいたら分かるんですが、手書きなんですね。さらさら、さらさらさらと手書きしたものを、上に判こをついている上司の方々が直していって、みんなで、最後、
長官の印を押して決裁をしたというものでございます。十月の五日にさらさらとこの早坂さんが書いて、二日後の十月の七日に決裁をしていると。大体、私も役所の時代はよくやっていましたけれども、こんなものでございます。
また後でゆっくり申し上げますけど、何か安倍
政権は、この四十七年見解というものを、もう
政権の総力を挙げて、
日本国憲法ができて約三十年後だと思いますけれども、作り上げた、もう比類なき憲法九条解釈を詳細かつ具体的に論じたものであるかのようにおっしゃっておりますけれども、実は、これまで
政府が
国会などで示してきていた憲法九条解釈の
基本的な
考え方、本当の
基本論理というものをさらさらと書いてあるにすぎない普通の
政府見解であるところでございます。
この判こでございますけれども、一番の上の
長官は、これ吉國さんとおっしゃいます。左下の次長は、これ真田さんとおっしゃいます。第一
部長、これは、今日も今の現職の第一
部長にお越しい
ただいておりますけれども、憲法解釈の審査など憲法問題を担当する部が第一部なんですけれども、そこの、当時の角田さん。ちなみに、真田さんと角田さんは後の法制
局長官でございます。左下のこの総務主幹という、これは普通の役所の官房長に当たる方なんですけれども、これは
前田さんというふうに読むところでございます。
で、先ほどの問題です。この昭和四十七年見解に限定的な
集団的自衛権の行使が概念として含まれていると読み直していいのかどうかという問題をまずは追及をさせてい
ただく。それに当たりまして、私は、この昭和四十七年見解、これ御
案内のとおり、水口議員という方が当時、
政府に憲法と
集団的自衛権の
関係について
政府として文書をまとめて
委員会に出してほしいという要請を受けてやったものなんですけれども、そのまさに要請を行った
委員会の質疑がございましたので、それを皆様に今お配りをさせてい
ただいているところでございます。
議事録の方の紙でございますけれども、一つ目、真田次長
答弁というふうに書いておりますけれども、判こをついていた方ですね、そこをちょっとめくってい
ただきますと、下にマジックでページ数を書かせてい
ただいた、P5と書いていますけど、吉國
長官答弁というのが出てまいります。この吉國
長官答弁、日付は左に書いてあります、昭和四十七年九月の十四日でございます。この約二週間後に先ほどの起案を作って決裁をして
国会に
提出したということでございます。まさに、この昭和四十七年見解を作り出す基になった質疑でございます。この質疑の中で、当時の法制
局長官がどのように憲法九条の
基本論理というものを考えていたのかということが事詳細に書かれているところでございます。
ですので、ここの、もし
長官が、
集団的自衛権が概念として含まれるなんということをおよそ考えているとは、どう論理的に考えてもそういうふうには読み切れない、
理解できないということであれば、先ほど申し上げました昭和四十七年見解の読み直し、そこはもうそこで倒れて、今、安倍
政権が一生懸命やられている、アメリカにも訪米もなさるそうですけれども、そこの全ての前提が崩れ去るというわけでございます。結論からいいますと、こっぱみじんに崩れ去ります。すさまじいほどに崩れ去ります。
なぜかと申しますと、実は、今お示しする吉國
長官答弁のこの質疑なんですけれども、今まさに安倍
政権が強行した自衛かつ他衛の
集団的自衛権はあるんですかという問題意識に基づいて水口先生は質疑を重ねているわけでございます。それに対して、そんなものはあるわけがありませんと。憲法九条の
基本論理、
基本論理の根底、根幹からして、
我が国に武力攻撃が発生したときに必要最小限度のことができる、それ以外のことはもうできないと、それが論理、それ以外の論理はないんだということを言っているところでございます。
じゃ、それを早速
確認をさせてい
ただきたいと思います。
吉國
長官答弁のこの下のマジック、五ページでございますけれども、太線を引かせてい
ただいておりますところが
長官の
答弁ですね。これは、まさに
長官が
認識しているところの憲法九条の解釈の
基本論理というものを述べているところでございます。私の三代前の
長官から、もう何十回と、ずうっとこういう
答弁、同じ説明を、
答弁をひたすら繰り返している。
つまり、これまでの
議論の積み重ねというのは、全くこういう同じことを言っているんだというふうに言っているわけでございますけれども、憲法九条は戦争の放棄などを書いているんだけれども、左に行きますと、「憲法の第十三条の規定を見ましても、」という文言がありますけれども、「憲法の第十三条の規定を見ましても、
日本国が、この国土が」、ここですね、「他国に
侵略をせられまして国民が非常な苦しみにおちいるということを放置するというところまで憲法が命じておるものではない。」。下に行きますと、「いよいよぎりぎりの最後のところでは、この国土がじゅうりんをせられて国民が苦しむ状態を容認するものではない。したがって、この国土が他国の武力によって侵されて国民が塗炭の苦しみにあえがなければならない。その直前の
段階においては、自衛のため必要な行動はとれるんだというのが私どもの前々からの」、ずっと同じ、歴代
長官が繰り返している憲法九条の
基本論理であるということでございます。なので、「国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない。」ということでございます。「さらにわが国が侵されようという
段階になって、
侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだ」、よって、「集団的自衛の固有の権利はございましても、これは憲法上行使することは許されない」というふうに言っているところでございます。
まさに、後の平成十六年の島聡
答弁書の憲法解釈と軌を一にする、全く同じことを言っているわけでございます。これが歴代
政府が一貫して述べてきた憲法九条の
基本論理であって、それを勝手に、「外国の武力攻撃」という
言葉が裸で書いてあるということに付け込んで勝手な論理を捏造しているわけでございます。
じゃ、今の
基本論理を押さえてい
ただきまして、次のページをおめくりい
ただけますでしょうか。
二段目に吉國
長官の
答弁がございます。よろしいでしょうか。冒頭に、憲法の前文の二つの平和主義の文言を
長官は引いていらっしゃいます。つまり、
我が国は戦争の放棄などを規定した憲法九条があり、かつその戦争を放棄しなければいけない根源的な
考え方、理念を書き表した平和主義の規定があると。なので、その含意する、
意味するところは、
我が国というのは、それはもう無防備、非武装、いわゆる非武装ということなんだろうけれども、そういうことは言っていませんけれども、そういうふうな
理解の下に論を説き起こして、真ん中のところですけれども、しかし、「外国による
侵略に対して、
日本は全く国を守る権利を憲法が放棄したものであるかどうかということが問題になる」。まさにここから
議論を出発させているわけでございますね。続いて、「砂川事件に関する最高裁判決でも、自衛権のあることについては承認をされた」。
しかし、問題はその自衛権の
中身でございます。それは憲法十三条を引用して、次、「外国の
侵略に対して」、そして一番左のところの線を御覧い
ただけますか、よろしいでしょうか。「「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。」と書いております。つまり、昭和四十七年見解の有名な
言葉ですね。ここから来ているんです。
私も、役人時代、さんざんこういう経験をいたしましたけれども、
政府がまとまった見解を文書で出すときは、一番偉い上司、つまり法制
局長官ですね、法制
局長官のまさにその
答弁の文言を忠実に引くわけでございます。まさに、この質疑を基に見解を出してくださいと言われているんですから、なおさら引いているわけでございます。
ちなみに、この十三条の生命が根底から覆される、こうした議事録というのは、この昭和四十七年九月十四日の吉國
長官答弁以前には一つもございません。一つもございません。「くつがえされる」という平仮名の用例自体も四件しかございません。しかも、その中で十三条の
関係で言っているのはこれしかございません。まさに、
長官のこの「くつがえされる」という
答弁を使って昭和四十七年見解の生命などが根底から覆されるという
言葉がつくられているところでございます。
じゃ、
長官は、この生命などが根底から覆される、それはどういう場合、どういう論理的な場合でしか使えないんだというふうに言っているのでしょうか。それを次に言っているわけですね。「その場合に、自衛のため必要な
措置をとることを憲法が禁じているものではない、」、「その場合」というのは、先ほど申し上げた外国の
侵略でございます。つまり、外国の
侵略、外国からの武力攻撃があった場合に国民の生命などが根底から覆される、「その場合に、自衛のため必要な
措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。」と言っています。よろしいでしょうか。
「論理の根底」であるというふうに言っているわけでございます。憲法九条解釈の論理の根底。論理の根底と言っているわけでございますから、もうほかの論理はないわけでございます。ほかの論理はあり得ないわけでございます。
次ですけれども、そこから駄目押しが始まります。「その論理から申しまして」、次ですけれども、「わが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ
日本が自衛の
措置をとる
段階ではない。
日本が
侵略をされて、
侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の
措置が発動するのだ、」、その前には、「集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、」というふうに言っておりますけれども、このように言っているわけでございます。
〔
委員長退席、理事
佐藤正久君着席〕
横畠長官に伺います。あなたは昭和四十七年見解を読み直して、もう今までの質疑であなたは
答弁されています。今までは、誰も、どこの
長官も読み直したことはなかった、あなた自身も読み直したことはなかったんだけれども、七月一日の
閣議決定に当たって読み直して、そこに限定的な
集団的自衛権が法理として読めるというふうに
理解をされたというふうに言っております。
しかし、まさにその四十七年見解を作るきっかけとなった質疑において、当時の法制
局長官、先ほどの四十七年見解の起案を決裁をしている
長官は、
我が国の憲法九条の下において許される武力の行使というのは、
我が国に外国の
侵略、すなわち
我が国に対する外国の武力攻撃が発生した、そこで行える必要最小限度の実力行使というのが解釈の論理の根底だと言っております。
昭和四十七年見解に限定的な
集団的自衛権を読み込むというのは、便宜的かつ意図的な、かつ、これまでの
議論の積み重ねを逸脱した許されない解釈ではないですか、憲法違反の解釈ではないですか、明確に
答弁ください。イエスかノーかでいいです。