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参考人(
熊谷俊人君)
熊谷です。今日は、こういう
意見陳述の場をお与えをいただき、誠にありがとうございます。
また、先ほどの東国原知事の
お話は私も大いに賛同するところでありまして、特に冒頭の
自治の
お話というのは全く意を同じくするものでございます。我々のように本当に
市民、県民と直接接している
地方首長からすれば、この国は本当に
自治という
概念を置き去りにしてきているんじゃないかという危機意識を強く強く持っております。これは先ほど東国原知事がお任せ民主主義という
お話をおっしゃっておりましたけれども、まさにそれでありまして、
日本が昔から持ってきた自助、共助、公助という、自ら助け、共に助け、公が最後に助けるんだというこの自助、共助、公助のバランスが私はこの国は崩れてきているというふうに思います。
八木先生の
お話もありましたので、保守的な
概念から申し上げても、昔は
地域のことはそれぞれがやっていたと思うんですね。具体例でいえば、例えば家の前の雑草は
自分で抜いていましたよね。どぶさらいもそれぞれ
自治会なり
地域それぞれがやっていたと思います。今それがどうなっているか。全部それが、道路管理者は市ですよね、県ですよねということで、土木事務所なり、そういう
行政にやらせようとしているわけですね。
確かに厳密に言えば我々の業務ではあるわけですけれども、それが今まではそれぞれの人
たちがやっていたわけで、それを我々のような税金が掛かる高い公務員がやらざるを得ない状況が少しずつ増えてきている。私は、国も含めてなぜここまで財政が厳しくなっているかといえば、それは、今まで家族なり企業なり
地域なりが様々な形で担っていたこの自助と共助のものが、すべてそういうお任せ民主主義の中で我々
政府がやらざるを得ない状況になっている、そのことによる負担というのも私は相当大きくなってきていると思います。
ですから、この国は、
自治というもの、自らのことは自らが決めるんだ、それは権限だけではなくて、
責任も、そして汗も伴うんだということをもう一度私はこの
国民は考えなければならないというふうに思います。そういう
意味での私は、今回の三法案であったり
地方分権の動きを私はそういうふうな
考え方でとらえております。
私自身がなぜ会社員を辞めてこの
地方政治の世界に飛び込んだかというと、我々
国民にとって
政治というのはすべて国政、テレビで映るのは、マスコミが取り上げるのはほとんど国政だけであります。ですので、どうしても
政治というのがそういう大きなことばかりだというような認識があって、そういうもっともっと身近な、市であったり県だったり、
自分の住んでいるところのごみ
行政とかについてどうなんだということについて、ほとんどの場合考える機会を与えられていないわけですね。
私は、そういうのを変えたい。市長の顔すら実は思い出せないような
国民がほとんどだと思います。
自分が過ごした市の、町の長は一体だれであったか、多分言える人はほとんどこの国にはいないんじゃないでしょうか。そういうものを変えていかなければ、私は先ほど申し上げた自助、共助、公助のバランスというのは成り立たないんだというふうに思っております。その中での
地方分権だと私は思っておりますので、そういう認識で国の方は是非
地方分権をお考えをいただきたいと思います。
私は、そういう
意味での、
地域主権というのは、
地域がまず何をやるべきなんだということがあるんだよという、そういう
概念での私は
言葉だというふうに思っております。いろいろな
議論があるようですので、私はここでは
地方分権という
言葉を使わせていただきますけれども、そういう
理念について是非御理解をしていただきたいというふうに私は思っております。
私が今回申し上げたいことは三点ほどございまして、一つは、まず、
地方分権というのは
基礎自治体、
市町村への
分権こそが最終ゴールであって、そのためには我々のような政令指定都市を十分に活用すべきだということ、そして二点目が、
地方分権というのには財政運営の自主性が必要不可欠であるということ、そして
三つ目に、国と
地方の
協議の場の今後の
在り方について、私、申し上げたいというふうに思っております。
まず一つ目に、
民主党の
地方分権に私は期待していることは、
基礎自治体への
分権であります。
さきの総選挙でそれぞれの
政党が
地方分権について積極的な公約をお出しをいただいたというふうに思っておりますし、それについては十分に評価をしているところです。ただ、その中で、
民主党のマニフェストで少し特徴的なのは、マニフェストの中に、
基礎自治体が対応可能な
事務事業の権限と財源を大幅に移譲するという、いわゆる
基礎自治体への
分権だということが明確に私はうたわれているということで、私はこれは
意味があるだろうというふうに理解をしているところです。
私
たち基礎自治体は、常日ごろ
地域住民と本当の
意味で顔を突き合わせていますし、当然クレームも真っ先に我々が受ける、そういう現場であります。ですので、
地域ニーズや現場について我々が一番肌で実感して理解をしている
行政機関であります。ですから、こういう現場がニーズに合わせて
責任を持って柔軟に対応ができるように
基礎自治体への
分権を進めていって、国なり都道府県は
広域自治体として行うべき事業をどんどんどんどんそこに選択と集中をしていっていただく体制をつくっていただきたいと思っております。
これは、税金の無駄遣いをなくすためにも私は必要なことだというふうに思っております。国の出先機関の
議論の際にもあったと思いますけれども、
住民から遠いところへ行けば行くほど、やはりどうしてもチェックの目が届きにくくなる傾向がこれはもうどうしてもありますので、
住民に最も近くてチェックの目が届きやすい
基礎自治体への
分権というのは、税金を一円でも賢く使うために私は必要なことだというふうに思っています。
今、国で事業仕分というのが人気になっておりますけれども、やはり
国民にしてみれば、成長がある程度見込めなくなった今、税金を少しでも正しく賢く使ってほしいというニーズは高いんだというふうに思っております。ただ、国の事業仕分で
対象になる事業というのはほとんど限定的だというふうに思います。国
会議員の数としても結局千人を当然超えていないわけですし、また、それぞれの施設であったり現場というのは、そのとき
対象になって視察に行かなければ分からないというふうに思います。
しかし、例えば都道府県の議員というのは三千人弱おります。それから市
議会議員は二万人以上います。それから町村議員も一万人以上います。
基礎自治体だけでも三万人いるわけですね。昔はいざ知らず、今は本当に
地方議会、私も市
議会の場に出ますと、予算のたび若しくはそれぞれの
議会のたびに、この施設の利用率はどうだとか、これは本当に
意味があるのか、それぞれもう細かく、ほとんど多分すべての
事務事業について一年掛ければ大体追及をされるような、確認をされるような、そういう状況になってきています。
そして、これからはもっともっと、
国民の意識が変わっている今、選挙のたびに恐らくそういうチェック機能を持つ議員というのがどんどんどんどん私は
地方議会に送り込まれてくると思います。そうなってくれば、毎年それぞれの
議会ごとに、事業仕分がある種これだけの何万人という議員によって行われるようになってくるわけでありますから、本当の
意味で国の、
政府の無駄遣いを少しでもなくしたいということであるならば、この万という単位の人間による事業仕分をいかに効率的に行うかという
発想の中で私は
基礎自治体への
分権というのがあるんだというふうに思っています。国にあっては、そういうゴール、
基礎自治体への
分権をゴールとして、じゃ、そのためにどういうプロセスを踏んで
分権を進めていけばいいのかという
議論を是非していただきたいというふうに思っております。
もちろん、ただ
基礎自治体への
分権といっても、
基礎自治体には本当に数千人の町村から何百万という大都市までいろいろあるわけですし、財政力や人材が十分でない
市町村に対して直ちに
分権を進めていくというのは、現時点では
一定の
限界があるというのは事実であります。だからこそ、
基礎自治体でありながらも人材と財政力を有していて、既に都道府県からも多くの事務を移譲されている政令指定都市というのを私は活用すべきだろうというふうに思います。
政令指定都市は現在十九市、この前、相模原市が増えましたので十九市ありますけれども、この十九市だけで人口の約二割を占めております。経済的な規模でいえばもっともっと大きいわけです。この
分権の担い手として十分な能力がある
基礎自治体である政令市、ここを私は
基礎自治体に最終的に
分権するための実験場として十分に活用していただいて、この政令市の中での状況をつぶさに見ていただいて
議論を進めていただきたいというふうに思っております。
我々、政令指定都市の市長としていろいろやっていますと、例えば権限移譲でも不十分なところが今でもありまして、保育園というのは当然市がやるわけですけれども幼稚園
行政というのは都道府県が持っていたり、若しくは学校教育においても、我々がいわゆる教員の人事権を持っているわけですけれども給与の
部分は都道府県が持っているとか、政令指定都市の
制度というのはちょっと今浮き上がっているような感じがします。ある程度、
基礎自治体でありながら権限を持たそうという、そういう中での政令市でありながら、今、都道府県のところにそういう形で、同じ分野にありながらも一部持たれていて、非常にやりづらい状況にあります。まずはこういったところについて渡してみて、そしてその中でどういう化学反応が起きるのかというものをつぶさに私は見ていただきたいというふうに思っております。
二つ目に、
地方分権には私は財政運営の自主性が必要不可欠だというふうに思います。
先ほど東国原知事も税源の移譲の話されていましたし、この税源移譲の話はもうずっとされてきておりますので、
委員の皆様方はもう十分御承知のことだと思いますので、改めて余り私は申し上げる必要はないだろうというふうに思いますけれども。
ただ、そうはいいながら、実際、例えば政令指定都市でいえば、千葉市でいえば、都道府県に代わって負担している経費というのは大体百五十億円ぐらい。私の千葉市の場合は三千五百億円ほどが
一般の会計ですけれども、その中で百五十億円が都道府県に代わって負担する事務によって必要とされている経費です。ただ、このうち、政令指定都市に税制上措置をされているのはたったの五十五億円ですので、百五十億円のうち、五十五億円だけもらって、残り九十五億円は持ち出しの中でやっているような状況であります。これはもう以前から、我々政令指定都市がここの
部分についてやっていただかなくては困るというような話をさせていただいているところですので、国から県に税源を移譲するだけではなくて、県から市への税源移譲をどのように適正化するのかという
議論も私は国において是非していただきたいと思います。
このときに、よく言われるのは、ただ、政令指定都市は財力があるんだからある程度頑張ってもらってもいいじゃないかという、こういう
議論がよく行われます。
実際に、例えば都道府県から市が補助をもらうべきものでやっぱり十二億円ぐらい単年度で補助がもらえていないんですね。本来であれば他の
市町村と同じようにもらわなければならないものを政令指定都市という理由で、千葉市でいえば千葉県から十二億円ぐらいもらえていない、それも持ち出しの中で財政悪化の原因になっている、そういう要素があります。
そういうときによく
議論になるのは、財政力が豊かなんだから政令指定都市は頑張れるだろうというような話があるわけですけれども。ただ、そこでお考えをいただきたいのは、そういうふうにやると当然政令指定都市の財政が傷みますので、その分、大都市としてやらなければならない経済振興施策だったり都市基盤の
整備、都市
行政というのが遅れるということですよね。
大都市というのは、
日本の経済の成長戦略の中でも重要な位置を占めているにもかかわらず、そういう財政力があるから大丈夫だろうということで、本来そっちに使わなければならないお金を維持費の方とかメンテナンスの方にお金が取られていっているという状況があります。そうなれば、結局困るのは国全体であります。この大都市が弱ってしまえば、不当に財源を措置されずにその分経済が落ち込んでしまえば、それは当然周辺の
市町村にも波及するわけでありますので、そういう悪平等をやめようというのが私はこれからのこの国の
方向性だと思っていますので、大都市への財源、税源の配分を考えるときに、財政力が豊かなんだから大丈夫だろうという
発想をしたときに起き得る
日本の将来の問題点についても是非私は意識を傾けていただければ有り難いというふうに思っております。
そのときに、もう一つ申し上げたいのは、
地方財政健全化法の問題であります。これが夕張市の破綻によって導入されたわけですけれども、結局、どれだけ
地方分権の
議論をしても、我々が毎年幾ら借金をするかをすべて国が基準を決めているような状況の中で
地方分権というのは私は
実現しないというふうに思います。
千葉市においても、この
地方財政健全化法の中で、実質公債費比率とか様々な財政指標の中において、千葉市が早期健全化団体の基準に近づいてきているところがあります。ただ、それは、今のような税収構造、いわゆる景気がここまで落ち込んだりすれば当然ある程度は財政出動をしなければならない、そういう時期も当然あるわけであります。しかし、そういう時期にそういう柔軟な財政運営をしようとして市債を発行しようとすれば早期健全化団体になってしまうと。そうなると、
国民はそういう細かいことまで分かりませんから、あっ、千葉市が早期健全化になって危ないんだ、この市というふうに解釈をされてしまうわけですね。
我々政令市レベルになれば、ちゃんとした財政運営の
考え方の中で適宜そういう
判断をしていくわけですけれども、その中で一万の市もそれから百万の市も同じ健全化基準の指標の中で
判断をされてしまって、更に言えば、市債の発行に毎年そういう画一的なキャップをはめられてしまうことによってどれだけ現場に即さない財政運営を強いられているかということを私は様々な場で訴えておりますけれども、是非、そういう
地方財政健全化法においてもそういう画一的な、一番
地域主権に逆行するような
理念が盛り込まれていることを私は伝えたいというふうに思います。
では最後に、
三つ目の国と
地方の
協議の場の今後の
在り方ですけれども、こういう国と
地方の
協議の場の法制化というのは大変有り難いというふうに思うわけでありますけれども、私は、こういうまた新たなものをつくるよりは、最終的にはこういう参議院の場で常に
地方の声が
意見として出される環境が一番ベストだと思います。そのためには、こういう我々
地方の首長であったり、若しくは
地方議員が国
会議員を兼ねることができるようになれば、私は国と
地方の
協議の場なんていうのはまさに必要なくなるというふうに思います。
それは
憲法を
改正せずとも、
地方自治法とそして国会法の
改正によって兼務ができるわけです。せめて良識の府と言われているこの参議院こそ限定的に
地方の首長、議員の兼職を可能にすれば、ここの
議論というのはもっともっと私は花開いてくるのではないかというふうに思っておりますので、ここの
部分も、
ヨーロッパの事例なども実際にありますので、是非そういったことも一院制、二院制の
議論の中で私は俎上に上げていただきたいと思います。
以上です。