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2008-02-13 第169回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十年二月十三日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員氏名     会 長         矢野 哲朗君     理 事         佐藤 公治君     理 事         広田  一君     理 事         藤本 祐司君     理 事         愛知 治郎君     理 事         加納 時男君     理 事         松 あきら君                 犬塚 直史君                 加賀谷 健君                 亀井亜紀子君                 小林 正夫君                 友近 聡朗君                 中谷 智司君                 姫井由美子君                 藤原 良信君                 舟山 康江君                 増子 輝彦君                 石井 準一君                 佐藤 信秋君                 長谷川大紋君                 橋本 聖子君                 森 まさこ君                 山田 俊男君                 澤  雄二君                 大門実紀史君     ─────────────    委員異動  二月十二日     辞任         補欠選任         小林 正夫君     津田弥太郎君  二月十三日     辞任         補欠選任         舟山 康江君     川崎  稔君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         矢野 哲朗君     理 事                 佐藤 公治君                 広田  一君                 藤本 祐司君                 愛知 治郎君                 加納 時男君                 松 あきら君     委 員                 犬塚 直史君                 加賀谷 健君                 亀井亜紀子君                 川崎  稔君                 津田弥太郎君                 友近 聡朗君                 中谷 智司君                 姫井由美子君                 藤原 良信君                 増子 輝彦君                 石井 準一君                 佐藤 信秋君                 長谷川大紋君                 森 まさこ君                 山田 俊男君                 澤  雄二君                 大門実紀史君    事務局側        第二特別調査室        長        今井 富郎君    参考人        JT生命誌研究        館館長      中村 桂子君        東京学芸大学教        育学部教授    山田 昌弘君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○国民生活経済に関する調査  (「幸福度の高い社会構築」のうち、国民の  生活環境意識について)     ─────────────
  2. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ただいまから国民生活経済に関する調査会開会をいたします。  委員異動について御報告いたします。  本日までに、川合孝典君、小林正夫君及び舟山康江君が委員辞任され、その補欠として犬塚直史君、津田弥太郎君及び川崎稔君が選任をされました。     ─────────────
  3. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国民生活経済に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ参考人出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  6. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会構築」のうち、国民生活環境意識について参考人から御意見を聴取したいと考えております。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、JT生命誌研究館館長中村桂子君及び東京学芸大学教育学部教授山田昌弘君に御出席をいただきました。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げたいと思います。  御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会構築」のうち、国民生活環境意識について忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。その御意見調査参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますけれども、まず、中村参考人山田参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと思います。その後、約一時間程度、これは新しい一つの試みであります、委員間の意見交換を行わせていただこうと思います。その際、随時、参考人方々の御意見も伺うことがあろうと思います。御協力をお願い申し上げます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず中村参考人からお願いを申し上げたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
  7. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 中村でございます。よろしくお願いいたします。  まず、このような発言機会を与えていただきましたことにお礼申し上げます。ありがとうございます。  ただ、私は半世紀生き物、生きているってどういうことなんだろうということを科学立場で考え、また一面、子供を育てるという生活者として考えるという、その中から、とにかく命というものを基本にした社会にしたいという気持ちだけで仕事をしてまいりました。その立場から今日お話しさせていただこうと思います。  そこで、最初に、これは私の自己紹介なのですが、自己紹介とともに私の基本姿勢ですので、見ていただきます。(資料映写)  これは扇になっておりますが、扇の一番縁が現在でございます。ここにたくさんの生き物がいる、地球というのは生き物がたくさんいる場所だと、今五千万種ほどいると言われております。その非常に多様な中、一番端には人間が書いてございます。人間もその一つであるということはもう生き物研究から分かっております。しかも、これほど多様なんですが、全部が、生物学ではございませんけれども、DNAというのを入れた細胞からできている。これは例外なしですので、祖先一つだろう、しかもそれは三十八億年ほど前に海の中で生まれただろう、それが扇のかなめにしてございます。私どもは、この三十八億年を掛けて様々な生き物になり、それから、みんな結局同じ祖先から出てきた仲間である。ですから、この長い時間とこの関係の中に人間を置いて考えるというのが私の基本姿勢です。  今、環境問題などが大いに問題になっておりますけれども、その場合に、これまでは人間をこの外に置きまして、そして自然というものは別のもの、自分だけは外にいるように考えていろいろなことをやってきたと思うんですが、私はこの中にいるということを基本にして考えていきたいと思っています。  そうなりますと、今申しましたように、命を基本社会をつくっていきたいんですが、そのときに、生き物はすべて共通で多様である、人間もその一つである、そして、人間の幸せを求める活動というのはこの人間生き物一つだということを踏まえてやらなければいけないというふうに思っています。  ところで、今年の年賀状を友人からたくさんいただきましたが、そこに添え書きがしてございます。その中でほとんどの方がお書きになったことがここに挙げました二つのことでした。一つは地球環境問題。それからもう一つは、何だか人の心が荒れているのではないか。これが心配だ、次の世代にもっと良い社会をつないでいくためにはこの二つを何とかしたいねというのが友人たちからのメッセージでした。私もそう思います。これは政治の中でもお考えくださっていることだと思いますが、私は命を基本に考えておりますと、この二つを別々に考えていらっしゃるように思うのですが、生き物基本に置くという立場で考えますとこれは一つのことなのです。  今申しましたように、自然の中にヒトという生き物として私たちは命を持つものとしている。ただし、五千万種いると申しましたが、その中で唯一たちだけが文化とか文明をつくれるわけですね。大きな脳と器用な手と言葉と、そういうものを持っているために、ほかの生き物にはできない文化文明をつくることができる。それを思いっ切りやっていかなければいけないわけです。けれども、実は、二十世紀に私どもがつくってきた社会というのは、さっき私が申しました生き物が自然の中の一つであるということを少し忘れて、外にいるようにしてやってきたために、その自然を破壊するようなことを起こしてしまった。それが地球環境問題だと思います。  それから、同じことだと私が申しましたのは、実は、私たちも生きているものですから、内なる自然を持っている。その自然が壊れる、全く同じ原因で壊れる。いろいろなアレルギーですとか様々な病気が今出ておりますが、体も壊れる面が出てきていますし、心も壊れる。心とは何か、何が壊れると心が壊れるのかといいますと、これは難しい問題ですが、生物学からは、先ほど申しました非常に長い時間を掛けなければ生きているということは考えられない。それから、関係が大事なんですが、この時間と関係というものが非常におろそかにされてきているということが心を壊しているのではないかと私は思っております。  その原因は何かと考えましたときに、ここに思い切って金融市場原理科学技術というのを挙げさせていただきました。これがいけないと私は申し上げるつもりはありません。科学技術資本主義も私たちにとって大事なもの、先ほど申しました私たち文化文明が生み出したものです。ただし、これが利便性というものと、それからお金というものを絶対のようにして、それが優先され、それが目的になると、私たちは例えば幸せというものを目的にしたときには競争というものはあってよいものなんですけれども、何を目的にして私たちは本当により良い社会を目指しているんだろうかというような中で、こういう科学技術金融市場原理の中で過剰な競争を強いられると非常に心がつらくなるのだと私は思っています。  日本文化は自然を基本にしてきました。日本人宗教心がないと言われますけれども、自然を恐れて自然とともに暮らすというのが私たち文化だと思います。  今年は実は源氏物語千年紀なんですね。千年前に欧米にこれほどの洗練された文化があっただろうか。しかも、源氏物語お読みになっていると思うんですけれども、ここには金銀財宝の話はほとんど出てこないんですね。美しい庭とか自然とか、知的で優しい人のかかわりとか、そういうものが出てくるんです。それが幸せであり豊かさである。私は、現代もそういう自然を生かして暮らすという選択があってよい、それが日本人の幸せにつながるのではないかなと思っております。  じゃ、それは日本だけのことかと申しますと、私は今先進国と言われているところの特徴を、二つあると思っておりまして、一つは、一極集中でない、地域が非常に豊かである。これは私だけでなく、最近はいろいろな経済評論家方たちも、今成長している国は地域活性化しているということをおっしゃっております。それからもう一つは、食料自給率が高いということだと思います。先進国というところは自分の食べるものは自分で作っているのではないか、今四〇%を切った自給率の国というのは先進国でないと言ってもいいのではないか、少し大ざっぱな言い方をさせていただいていますが、そう思っています。そうなりますと、これは地方が豊かで活性化している、それは日本の国でいえば自然を生かしていくということだと思っています。  今申し上げました命と、それからそれを支える技術、それから経済ということがございますが、これが一体化して私たち生活を支えているのだと思いますが、もちろん政治とか様々なことがございますけれども、今限られた中で、私が命ということからいうお話でこれだけのことを取り上げさせていただきました。  今私は、先ほど心環境を壊していると申しました過剰な競争経済は、経済がありき、それを支える技術を開発しよう。日本科学技術創造立国を目指しておりますが、そのほとんどが経済を支えるための技術を開発しよう。それが私ども生活を支えるわけですけれども、命が先にないので、非常に命につらい場面が出てきているんだと思っています。  今私は、農業の方とかNPOとか、そういう命のことを考えている方とのお付き合いが多いのですが、下に細い点線でかかせていただきました。実は、命を基本に考えた上で、それを支える技術を開発し、そこから経済活性化していこうという活動がないわけではございません。今、細い点線で出ていると私は思っています。できたらこれを太い矢印にしていきたいというのが私の願いです。これをやっていくと、実際に私はそういう活動をしている方とお付き合いをしていて、その方たちが持っているのが生きる力だという感じがいたします。  じゃ、生きる力って何か。それが私は幸福だ、生きる力を持って生きているのが幸せだと私は思っているんですが、それを測る私の物差し個人的な物差しですが、私はその物差しを持っております。  その物差し一つ笑顔です。こういう地域へ行って、非常に活動はつらい、例えば農業などをきちっとやっていこうと思うと大変つらいんですが、非常にすばらしい笑顔をしているということ、その方は多分生きる力を持ち幸せなのではないかというふうに思っています。それからもう一つが、これは後で時間があったらお話ししますが、私は子供たちがそういう農業、そういうような活動をするのを応援しているんですが、その子供たち発言を聞くと、非常に表現力が豊か、言葉が豊かなのです。都会の混雑した電車の中などで聞く言葉に比べて表現力が豊かで言葉が豊かだ。それから、三番目が人間関係が豊かだ。この三つがあるときに、何か私はその人は幸せだなと感じ、生きる力があるなと思うという、これは私個人物差しですが、そういうふうに思っております。  命を基準に技術を開発し、経済活性化していくというときには、具体的には何をやっていけばいいかと考えたときに、ここに挙げた四つです。食べ物をきちっと作っていく。先ほど自給率のことを申し上げました。農林水産業をきちっとしていく。それから、健康であること。これは医療がきちっとしていること。それから、心と知が豊かであること。これは教育です。それから、環境、特に生き物にとっては水が大事です。これを今日、短い時間ですので一つ一つ申し上げる時間はございませんが、政治の中でもこういう問題は考えていただいていると思います。  こういうふうに申しますと、これは今の経済の中でいうと非常に能率の悪い分野です。人間がかかわる分野能率が悪い分野。だから、これが経済活性化につながるかというふうにお思いになられると思うんですが、ちょっと一つアメリカの例を申し上げます。  アメリカの、私はバイオテクノロジーというところにかかわり合っているんですが、バイオテクノロジーというのは今農業医療に非常に大きな未来を開発すると期待されています。そのバイオテクノロジーの中で、医療アメリカ中心になっているのがNIH、ナショナル・インスティチュート・オブ・ヘルスというところ、そこがリードしていく、いろいろな考え方もリードしていくんですが、今NIHが非常に力を入れておりますのが統合医療という医療です。これは、西洋の今まで遺伝子とかそういうことだけをやってきた医療ではもう医療はうまく進まない、東洋医療漢方ども含めた全人的な医療、ここでは医食同源ということが非常に大事な言葉になっています。アメリカですから、漢方について今全部調べて、全部分析してデータベースを作り、そこから新しい医療を考えていくというようなことをやりながら統合医療ということをやっております。これが多分これからの医療を引っ張っていく、医薬産業でもこれが引っ張っていくと思いますので、こういう考え方は決して経済につながらないものではありません。  これで最後ですけれども、二十世紀というのは科学技術経済でやってまいりまして、先ほど科学技術資本主義、それは悪くはないけれども、それが先立ち、命を先に考えないとと申しましたが、実は機械というのは利便性価値に置いております。利便性は良いことなんですが、実は生き物の方は継続性、続いていくということを大事な価値にしております。ですから、プロセスが大事なんですね。先ほど笑顔とか言葉の豊かさとか人間関係とか時間とか申しましたが、それが生き物の大事なことなんです。利便性は実は効率を唯一にしますので、そこを無視しがち。それから、もう一つ大事なのは多様なのですが、多様も無視しがち。私は、こちらを基にして、それを踏まえた科学技術開発をしていただくと機械もそういうものになると信じておりまして、そういうことをしていただきたいと思っています。  あと五分ほど時間がございますので、少し具体をお話しさせていただきます。  こういうようなことで、今私の日常は、命って何だろうということをただ考えるという基礎研究をしておりますので、具体的な社会的な活動とか、それから経済活動とかをする人間ではございません。けれども自分生き物研究をしている中でいろいろな形で働きかけがあるのを応援しております。  例えば、資料にも出させていただきましたが、小学校農業をやったらどうだろうというようなことを考えまして、一時、これは日経新聞に書かせていただいたんですが、グローバル化という中で、英語をみんなで勉強しよう、小学校から勉強しよう、それは本当に大事なことなんですが、本当のグローバル化を考えて日本から発信するとしたら、先ほどから申し上げている自然を生かすということが日本人のアイデンティティーだと思うので、農業というのをやったらどうだろうというのを書かせていただきました。これは、そんなことを言ってもと言われるだろうと思いながら書いたのですが、大変反響をいただきました。  その中の一つで、資料にも出させていただきましたが、例えば喜多方白井市長は、それでは特区でうちの市では小学校農業をやってみようというふうにしてやってくださいました。それで、去年の四月から始めまして、私は、十一月、収穫のころに、子供たちがいろいろ発表したりするからそれを聞きにくるようにと言われて、伺って子供たちの話を聞きました。そのときに、その笑顔表現力の豊かさと関係とを感じたのです。  そこで一番感じましたのが、喜多方でそういうことをやろうと思うと、先生方も決して農業専門家ではない。そうすると、地域にいるお年寄りが腕を振るって子供たちを指導するわけです。そうすると、子供もそれにこたえて一生懸命やる。  それから、もう一つ私はそこで非常に印象的だったのが、一年生から六年生まで一緒にやるわけですね。そうすると、六年生が本当に一年生を大事にかわいがるのです。できないことがあると一生懸命手伝ってやる。そういうことで、六年生がとても六年生らしいのですね。そういうことが起きておりました。  それから、もう一つ印象的だったのが、お米はとても上手に、そのお年寄りの指導でとても上手にできたのですが、トウモロコシが思ったようにできなかった。それから、メロンがいつも大人が作ってくれて食べているのほど自分たちの作ったのが甘くなかった。こういう失敗があるわけです。なぜ自分たちはこれ失敗しちゃったんだろうって一生懸命考えて、来年はここで頑張るぞって言っている、それがとても印象的でした。  こういう例は今たくさん、今ここに挙げましたのは小学校、中学校、高校生、大学生が、私がお手伝いしております農村環境整備センターというところがやりましたコンクールに応募してくれた人たち発表で、これもすばらしい発表だったのでこれはまた機会があったらお話しさせていただきますけれども、こんな形で小ちゃな活動ですが、こういうところから幸せがあり、それで社会活性化していく。経済というのも、大きなグローバル経済ですけれども、こういう形で活性化していくということでこの国ができ上がっていくことができないだろうか。私は経済政治素人ですので、本当に命のことだけを考えている素人人間の申し上げていることですけれども、そんなことを感じております。  本当につたない話を聞いていただいて、ありがとうございました。
  8. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  それでは次に、山田参考人お願いをいたします。どうぞ。
  9. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 山田昌弘でございます。座らせてやらせていただきます。  もう何度か出させていただきまして、今日は幸福ということ、幸福というものの時代的変化についてお話しさせていただきたいと思います。  何度かお会いした方もいらっしゃいますので御存じの方もいらっしゃると思いますが、私は、余り仕掛けがない人間なので、レジュメに沿ってお話しさせていただきます。  まず、自己紹介を簡単にさせていただきますと、私は家族社会学中村先生生命研究してウン十年であると思われますが、私は家族研究して何十年やっております。そのほかに感情社会学というのもやっておりまして、感情がどのように社会的に形成されるかということも含めて研究しております。耳慣れない方もいらっしゃるかと思いますが、アメリカではもう数百人規模で学会が組織されているほどの研究分野でございます。  あと御存じの方もいらっしゃると思いますが、家族調査する中で、少子化を調査する中で、独身者というのは独り暮らしの人ではなくてパラサイト、親と同居している人であるとか、あと、前回お呼びいただいたときはフリーター調査などを基にして格差社会等について発言させていただきました。今は、次の家族ペットとか個人化とか、そういうことについて研究しております。  最初、幸福というテーマをいただいたときに、ああ、これは面白いことに国会方々も着手したなというふうに思われ、私も同感したわけです。私は社会学中心にやっておりますが、社会学の中では、幸福というものは社会的なものであって、時代とともにその感じ方は変化するというのは基本的な考え方としてあります。例えば、生きててよかったと実感することが幸福感であるならば、まず、幸福というものは意志や説得によって感じられるものではない。マズローの幸福の段階説にあるように、社会発展段階や人の成長段階によって幸福を感じる要素が異なるであろうという立場に立っております。  そして、感情社会学の成果を応用しまして、幸福と言っても一口に手掛かりがないので、私は、希望と愛情と物語というこの三つの点に、もちろんこれだけが幸福ではありませんけれども、希望と愛情という感情、そして物語、この三つの点についてお話をさせていただきたいと思います。  社会心理学者のネッセという人は、努力が報われると感じれば希望が、努力がむなしいと感じれば絶望が生じるというふうに述べました。つまり、人間は一生懸命いろいろ努力をしたり、働いたり、家族をつくったり、家事をしたりして努力をするんですけれども、それが報われるというふうに感じれば人間には希望という感情がわくであろうと、しかし努力してもしなくても同じだと考えれば絶望感が生じるだろうと、それがどういうふうに社会的に変化しているかというのが一つの主題でございます。  もう一つは愛情でございます。ラブというのを、これは一応愛情と日本では訳すことになっているんですけれども、江戸時代は、ラブ若しくはそれに相当、アムールとか、相当語は、江戸時代は実はお大切、つまり人を大切にすることというふうに訳していたわけです。つまり、人間関係の中で自分が大切にされ、自分が必要とされるということを経験する、そういうときに愛情が生じるんだ。逆に言えば、愛情を実感するには自分を大切に思う他者若しくは、かつであればいいんですけれども自分個人として必要としてくれる他者というものが必要になってくるわけです。  そして、三番目の要素が物語でございます。物語というのはその希望や愛情を実感できるモデルでございます。つまり、その物語に自分を乗せていったときに希望を感じたり愛情を感じたりするということが起きてくるわけで、その物語の在り方が社会的に時代的に変化しているというふうに私は考えております。  そこで、まず幸福の時代変化を先にざっと述べさせていただきたいと思います。  前近代社会は、宗教や共同体が信じられていた時代でありますし、選択の自由がなかった時代です。要するに、今の学生に、選択の自由も、結婚の選択の自由も職業の選択の自由もなくて何が楽しかったんだというふうに聞かれるわけですけれども、確かに日常生活は単調で繰り返しであったけれども、希望や愛情は確保されていた。それは宗教や共同体が保証していたわけです。つまり、良いことをすれば、死んだ後、天国に行けるなり良いところに生まれ変わるなり、そういうことが希望になっていたわけです。逆に、努力しなければ地獄に落ちてしまったりするというようなことで、来世に希望が持ち越されていたわけですし、さらに、伝統を守って努力していさえすれば、人が大切にし、自分を必要としてくれるわけです。じゃ、楽しみはと言えば、年に一回のお祭りとかカーニバルといったようなところで循環的に楽しみが巡ってくるというような生活をしていたわけです。ただ、そういう生活に今の自由を知った我々が戻れるかどうかといったらなかなか難しいところがあるというのが実感でございます。  次に来るのが近代社会でありますが、その近代社会を産業社会とポスト産業社会二つに分けております。特に、社会科学系、もちろん経済学もそうなんですけれども、そういう理論家の人たちにとっては、どうも世界的に見ても一九八〇年代ぐらいに社会が変わり始めた。つまり、ここに書いてあるように、工業を中心とした、生産者を中心とした成長社会、中流社会であったものが、一九八〇年代を境に消費社会、豊かな社会、脱工業社会グローバル化社会、そして格差社会といったものに全世界的に転換しているというようなことを言っておりますので、二つに分けさせていただきました。  日本では大体戦後から一九九〇年ごろの社会が産業社会であり、一九九〇年代後半以降の社会がポスト産業社会になったと私は判定しております。  戦後から一九九〇年ごろまでの幸福のモデルというのは、私は家族社会学をやっていたということもありますが、家族生活が豊かになるということが多くの人々の幸福を形作っていた。つまり、だんだん家族生活が豊かになってくること、それが幸福であったというふうに私は考えております。そして、希望や愛情というものが、安定的な職場や安定的な家族がありましたので、それが保証されていた。これは後でまた解説いたします。しかし、ポスト産業社会になると、そろそろ家族が豊かになるという物語がだんだん信じられなくなる。つまり、自分家族が豊かになるという物語に乗せて幸福を感じるという回路が細ってくる時代になってきたと思います。  第一番目には、まず実現できない人が増大してくる。つまり、将来家族生活が豊かになるという見通しがない中で暮らす人が増えてきたというのが一つです。もう一つは、逆に物足りないと思う人が増えてくるわけです。つまり、豊かな家族をつくり上げた人でも、それだけでは物足りないという人が出てくる。それは富裕層とかパラサイトシングルとかそういう人たちを見ていて思うことなんですが、そうなるとどうなっていくかというと、小さな物語による幸福を消費するというパターンが出現している。別にこれは日本だけではなくて全世界的に出現しているわけですけれども。そして、実現可能性が低い夢を見続ける人というものが出現してきている。そういう流れだと考えております。  あと十分間、時間がある限りこの流れについて説明していきたいと思います。  三番目に行きます。戦後社会の幸福というのは、先ほども言ったように家族とともにあった。それは家族を豊かにすること。つまり、仕事をするのも家族生活を豊かにするための手段という意味付けが強く、消費をするのも幸福な家族生活をつくり出すということを実現するために行われたものだと考えます。その豊かさの物語のアイテムとしてあったのが、より広く快適な住宅、家電製品や車、そして子供の育ちであったわけです。そして、この物語を完成に向かって進ませることが幸せの実感をつくっていったわけであって、戦後から一九九〇年、まさにバブルのころまでは、これがすべての人がすべて実現できる、そして幸せであるというような幸せの方程式が存在していたというふうに考えられます。  それは同時に希望保証社会でした。つまり努力が報われることが保証されていた。教育においては、努力をして勉強して卒業すれば学校相応の就職先がだれでも保証されましたし、仕事は、これは男性に限られますが、だれでも仕事で努力すれば昇進し、収入が増えた。家族であれば、女性ならだれでも家事、育児をしていれば、夫の収入が上がっていって、豊かな生活を将来築ける見通しが持てた。つまり報われたわけですね。  愛情においても、自分が必要とされ、大切にされているということが保証されている社会であったと考えます。それは、男性であればほとんどの人が正社員若しくは業界の中での自営業の一員として生活できる環境が整っていましたので、職場が自分を必要とし、企業が自分を心配してくれるということを実感できていたわけです。  さらに、家族においては、男性は自分の稼ぎが必要、つまり自分が稼ぐのは家族のため、女性が家事、育児をするのは家族のため、そして二人の力で家族生活がどんどん豊かになっていって、そして一戸建て、車を持って、子供を大学に入れてゴールインというのが戦後の多くの人々の幸せの物語だったわけです。  しかし、それは実は危うい前提に立っておりまして、危ういというか、当時は当たり前だったんですけれども、三ページに参りますと、だれでも人並みに努力をすれば幸福の物語に自分を乗せることができた。つまり、職業上では男性の就業が安定していた。つまり、まじめな男性だったら正社員になれ、終身雇用で、努力して昇進した。自営業でしたら、安定して収入が増大した。そして皆婚社会であったということがあります。  その当時の消費活動というものは、つまり家族から消費活動を眺めてみれば、幸せな家族生活に必要だとされたものを一つ一つそろえていくことが戦後の社会における消費活動であったわけです。  当時は格差問題が起きなかったというのは、収入が上がれば将来のある時点でみんな同じようなものを手に入れられるんだというような期待があったからです。つまり、カラーテレビにしろ一戸建てにしろ、今は買えなくても、今は持てなくても、一年後、若しくは家だったら五年後、十年後に必ずうちの家族も持てるというようなことを思えたから格差問題というものは起きなかったわけです。  しかし、戦後の幸福モデルが一九九〇年ごろから揺らいできます。それは、先ほど言ったように、豊かな家族生活を築くことが、幸福という物語ができないという側面と物足りないという側面から崩れていくわけです。豊かな生活自分の努力では築く見通しがなかったり、豊かな生活が失われるかもしれないという不安、多分年金不安というのはそれが大きいと思います。つまり、成長期は年金をもらっている人でも年金額は上がり続けたのでこのまま豊かな生活が続いて送れるんだろうなという見通しがあったんですけれども、今は何かあったらこの豊かな生活さえも失うかもしれないという不安と隣り合わせになってしまいましたので、それは消費は増えないだろうというふうに思います。  もちろん、格差社会ですから豊かな生活をしている人も一方で出てくるわけで、そういう人は物足りない、単に豊かな家族をつくっただけでは物足りないという人も出てくるわけです。そうすると、これから述べますが、小さな物語を消費することによって幸福感を感じようとするという動きが生まれてきます。  四の二、四ページに行きますと、それが崩れる原因というのは、これはもう私が言うまでもないんですけれども、仕事と家族が不安定化したということが一番大きな原因でございます。  それについてはいろいろ理由がありますが、非正規社員が増えた、つまり非正規社員が増えたというときに、多くの人は収入が少ないとかそういうことを心配なさいますが、それよりも、自分が職場で大切にされない、大事にされないという経験がどんどん増えてくるわけです。  私は、フリーターとか非正規雇用の人たち約百人以上の人にインタビュー、調査をしてきましたけれども、みんな、けっとか言うわけですね。こんな仕事はだれでもできますよ、けっ。つまり、必要ともされないし、何かあったらすぐ辞めさせられるし、過剰労働させられるしというところで、つまり職場で自分が大切にされないという経験がどんどん蓄積されているのが今の仕事の変化でございます。となると、仕事は単なるお金を稼ぐ手段になってしまうというのは、実は一つの不幸が始まっていると私は思っております。  二番目には家族の変化でありまして、未婚者の増大と離婚の増大というものが出てきます。  双方実は身勝手な人が増えたというわけでもなく、私は離婚に関してここ数年アンケート調査、インタビュー調査をしてきましたが、結局、夫が失業したり収入が少なくなったんで見限って子供を連れて実家に帰ったというパターンが多分ここ十年ぐらいの離婚の増加のかなりの部分を占めております。さらに、私はそれをパラサイトディボースと呼びましたけれども、離婚してパラサイトで戻ってくるというケースが結構あるんだということが調査によって分かりました。  あと家族が家を持ってしまって豊かになる。家を持ってしまいますと、今度は自分の必要性を実感できる場というのが家族の中で減少してくるということも出てくるわけです。  ということで、もう時間があと二分少々しかありませんので、四の三の若者世代と団塊世代の格差拡大の一つのモデルケースとして挙げておきました。  一方では、夫婦とも高収入で、夫婦ともフルタイムで働いていて、三十半ばで一戸建てや都心にマンションを買ってしまうといったような若者が現れる一方で、三十半ばでも収入が少なくて親と同居してフリーターとして暮らしているという人も増えてきているわけです。後で言いますけれども、この二つの層が同じことで楽しみを感じているというのは実は不思議なところでございます。  一方、団塊世代は、これは私いろいろなところで言っているんですけれども、団塊世代で親と同居している未婚者がいる確率はほぼ五割なんです。大体六十ですから、三十ぐらいで結婚していない子供が家にいる確率、一人以上家にいる確率は五割で、かつ未婚者ではフリーターが多いですので、大体団塊世代の十人に一人は未婚で親と同居していてフリーターなり失業者なりを抱えているという計算になりますから、インタビューしても心配で心配でしようがないわけです。  つまり、ずっと子供のサポートを続けることを運命付けられる人たちがいる一方で、子供が自立しちゃった人はそれで家も建てちゃったし何かすることもないしという形で自分探しを始め出すというように、団塊世代は自分の収入というよりも子供の状況によって消費行動が変わってくるらしいということまで分かっております。  次に、もう時間が一分ぐらいでございますので、最後に、じゃ小さな幸福な物語というのは何かというと、例えば、もう一、二、三に行きます、短く言ってしまえば、自分が他人から評価されているという幻想をどこで得るかということです。  ここでパチンコと書きましたけれども、つまり、現実の世界で努力が評価されない人は、パチンコとかゲームに行くと、あんたすばらしいって言ってくれるんですね、機械が、パチンコが。これだけ努力をした、頑張りましたねって言ってくれるわけです。つまり、逆に現実の仕事で努力が報われない人がそういうところへ向かっているというところがあるわけです。  さらに、私はメードカフェに通う人にインタビューしましたけれども、メードカフェというのは別にカフェを、コーヒーを売っているわけではなくて、自分が大切にされるというものを売っているわけですね。私は学生に聞いた。学生は妹カフェというのに行ってきたそうです。つまり、若い男性が行くと妹みたいな子が出てきて、お兄ちゃんお帰りなさい、今日は疲れたでしょう、今日は何々を入れてあげるわねというふうに言ってくれると。おまえ、妹いるじゃないかと言ったんですけれども、それが、いや、現実の妹はそういうことを言ってくれない。  ペットでも一緒でございまして、後で参考文献で付けましたけれども、ペットを家族のように飼う人に、十数家族にインタビューしたんですけれども子供が小さいころは、おれが帰ってきたらお帰りとかいってパパどうこうと言ってくれたんだけれども、もう子供が中学生になると何も言ってくれない、だけれども、今は犬の何々ちゃんがおれが玄関を開けた途端に飛び付いてくる。つまり、私は必要とされ、私は大事にされているという場をお金で買っているわけです。  というように、つまりは小さな物語というものを、大きな物語、豊かな家族生活をつくるという物語で戦後ずっと来たわけですけれども、それが一方でできない人と物足りない人に分かれていって、できない人、物足りない人双方が小さな物語を消費し続けるというような状況が今生じているというふうに思っております。  済みません、ちょっと二分ぐらい時間を超過してしまいまして、どうも申し訳ございませんでした。これで終わらせていただきます。
  10. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  あらかじめ質疑者を定めずに行いたいと思います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願い申し上げます。  なお、質疑に当たっては、参考人方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただきますよう御協力をお願いをしたいと思います。  約一時間ぐらいにわたって今の参考人の御意見に対する質疑、そしてその後、約一時間ぐらいを掛けて委員間の意見交換を行うというふうな展開をさせていただこうと考えております。御協力をよろしくお願いを申し上げます。  それでは、質疑のある方の挙手をお願い申し上げます。
  11. 犬塚直史

    犬塚直史君 今日は、両参考人、どうもありがとうございました。  まず、中村参考人に伺います。  日本が世界で唯一二つしかないんですけれども人間の安全保障ということを外交の主要な柱にしておりますね。これは日本とカナダしかやっていないんですけれども日本人の安全保障ではなくて人間の安全保障と言っているわけですね。  今まで、事実としての情報、例えばGDPですとかいろいろな経済指標があると、これがずっと来ていたんですけれども、それでは測り切れないものとしてUNDP、国連開発辺りがHDI、ヒューマン・ディベロップメント・インデックス、人間開発指標というのを出してきまして、これは何かというと、平均寿命ですとか成人の識字率ですとかそういうものを出してきたんですけれども、このGDPもHDIも結局は事実情報だと思うんですね。  おっしゃるように、例えば食べ物、健康、教育、水というような、本当にこれは人間価値にかかわる情報を数値にして目標にするという作業がやっぱりどこかで必要だろうと、こう思うんですけれども、このいわゆる生きる力、幸福度というものを、大変難しいことだと思うんですが、事実情報を数値化するだけではなくて、その価値情報をどうやって数値化するか、おっしゃっていただいた四つのものを数値化するかということについて今どんな取組があるのか、教えていただけたらと思います。  それから、山田参考人に伺いたいんですけれども、豊かな家族生活をどこに築くのかということが、私は選挙区が長崎県でして、人間が住んでいる離島が四十七ありまして、例えば壱岐なんかに行きますと、いまだにおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる離れがあって、夫婦が住んでいる母屋があって、中庭があって、牛小屋があって、孫たちが走り回っている。だんだん少なくなっているんですけれども、まだそういう名残があるんですね。一方では、例えば都内で最大手の広告代理店に入社した人の生活なんかを聞きますと、毎日終電まで社内の新聞を配達していると。それはエリートコースですねと言ったら、そうだと言うんですね。要するに、社内の人間関係が最もよく把握できるのが社内の新聞配達であるというようなこと。  今後とも、じゃ日本的なそういう社内評価を高くするためにエリートと言われる人たちがいわゆる組織人間になっていく。一方では、そこに入れなかった、新規学卒の一括採用でそういうエリートコースに入れなかった人たちはパラサイトシングルと化していくのかというような時代になって、一体、日本社会というのは今後ともこういう豊かな家族生活を会社内につくっていくんでしょうかということを一つお伺いしたいと思います。  以上です。
  12. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 大変難しい、私も人間の安全保障ということには大変関心を持っております。今おっしゃってくださった私が挙げた四つのことはそれに非常に大事だと私も思っています。  ただ、今の社会はすべてを数値化する、数値化しないとそれは存在しないというか比較できないというふうになっている社会だと思います。それがいわゆる科学がつくってきた社会。ガリレオという人がこの世界は全部数字で語れるんだと言ったところから始まって、ただ、今科学が、宇宙ですとか生き物ですとか、そういうものを対象にするものになってきたこの二十一世紀科学というのが今数値では表現できないものがあるのだということを、これを複雑系というふうに言っておりますけれども、そういうものなんだということになっています。それを表現するのにはどうしたらいいかということで、今これは山田先生がおっしゃった物語ということなんですけれども、物語を作って語っていく、それがどういう物語が作れるかということが大事だということになっているんです。  私が思っております命を基盤にした食べ物とか健康とか心とかという問題を、例えば自給率ですとか栄養価ですとか、そういうものを出すことは大事なんですが、それは本当に意味があるかというところは、最後にはこの社会がどういうものを求めているかという人々が物語を作っていくしかないというのが、今科学の世界でもそうなっているものですから、思っています。それはどうやって作るのと言われると今すぐお答えはありませんけれども、全部を数値化していかなければ答えは出ない、比較はできないという考え方自体がちょっと今破綻を来しているように私は思っていて、幸福とか命とかいうことには新しいそういう考え方を持たなければいけないのではないかと思っています。  お答えになっているかどうか分かりませんが。
  13. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  犬塚君、山田参考人から答弁をいただいて、もしまた御意見があればと、こういう関係でよろしいですか。
  14. 犬塚直史

    犬塚直史君 はい、結構です。
  15. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 御指摘どうもありがとうございます。  私も社会学者ですので、北海道から沖縄まで調査等に回っておりますので、本当に地方の実情等も様々見てきております。地方で何か昔ながらの家々でゆったり暮らしている人もいれば、もちろん都会であくせく働く人も、朝から晩まで働く人もいらっしゃいます。ただ、それが今も昔も変わらないように見えるんですけれども、やはりここ十年、二十年の間に同じ働き方をしているように見える人たちでも違ってきているような気がするんです。それは何かというと、十年前、二十年前は、やはり家族生活を豊かにするという物語の中で地方の人も都会の高収入の人も生きていた。つまり、地方の人も、少しずつですけれども収入が上がっていく中で豊かになっていくという実感を持てた。そして、都会の人も、一生懸命働くのは家族生活を豊かにするためという実感を持てた。  しかし、ここ十年ぐらい、やはり私、調査をしていて実感するのは、地方の人たちは果たしてこれが続くのだろうかというような不安を持ち始めている。つまり、団塊の世代ぐらいまでは、自分子供が結婚して跡継いでそこで同じことをやってくれるんだろうなというようなことが言えたんですけれども、今は御存じのように地方の跡継ぎというのはだんだんいなくなっていますし、いたとしても結婚難が進行しています。  そして、都会の方は都会の方で、私は富裕層にもよくインタビューをするんですけれども、富裕層にインタビューをすると、やっぱり物足りない、つまり、豊かな生活築いたんだけれども、逆にこれでいいのか。もちろんこれでいいのかという人は、いい方に向かえばボランティア活動とか更にプラスアルファの活動をするという形で行きますし、まあ悪いということはないのかしら、またいろんな趣味をやりたがる。  つまり、同じ一生懸命働いているような人であっても、やはりここ十年の間で大きく変化してきた。その変化に対して社会制度はどうあるべきかということがこれから問題になってくるんだと思っております。  ちょっと済みません、お答えになってないかもしれませんが。
  16. 加納時男

    加納時男君 加納時男でございます。  お二人の参考人のお話伺って非常に感銘を受けました。ありがとうございました。私の質問は、お二人に共通するキーワードとしては夢ということで質問させていただきたいと思います。  初めに、中村桂子参考人のお話でございますけれども、お話の中で私非常に関心を持ったのは、農業を取り上げられたことであります。農業というのは非常に極めて重要なものでありますけれども、先生のお書きになったもの等を読んでいますと、農業の特徴の一つは自然との触れ合いにある、今日もおっしゃった、自然の中にあって、人間が人為的につくるものじゃなくて育っていくものだと。人間がかかわるとすると、自然の営みをお手伝いする、育てることであって、人間が傲慢にも部品を組み合わせて食料を作るんではないという、お書きになったもので非常に感銘を受けたわけですけれども。  そのことに関連しまして、自然との触れ合いの中で人間も、生き物ですね、植物も動物もみんな同じ自然の中にいるんだという、今日の先生の冒頭におっしゃった扇の絵がございましたけれども生命誌の絵巻がありましたけれども、まさにそこに戻るわけでございます。つまり、人間にとって大切なのは謙虚さである、自然に対して謙虚であることというのは今日のお話の一つのポイントだと思います。  そこから質問になってきますけれども、このことは、実は自然との触れ合いの中で何が出てくるのか。これは、私が若いころですから中村先生はもうちょっと若かったと思うんですけれども、雑誌の対談を先生とやったときに、科学する心は何かという議論をやったのを今でも覚えているんですけれども中村先生は四つの「き」だと。驚き、輝き、ときめき、ひらめき、順番違ったかもしれないけれども、四つの「き」だと言われたんですが、四つの「き」というのは実はこの農業の中に、農業を包む大気の中になんて余計なことを言いますけれども、その中にこの四つの「き」があるような気がします。  つまり、農業を通じて自然と触れ合う中で刺激を受けて、そこで科学する心、驚き、ときめき、ひらめきが出てくる。そしてそれが、実はそこからが私の質問なんですけれども、それがイマジネーション、想像力を刺激するんだと。そこから出てくるのが夢であり、例えばこんなものを作ってみたいとか、あるいはこんなことの仕事をしたいとか、自然界への関心から宇宙に行ったり地球物理に行ったり、いろいろな方面に行くと思うんです。あるいは、その中に住んでいる人たちの幸せということで政治に目覚めたり、いろんなことで刺激をする、その基になるのが自然との触れ合いかなと思っています。  こういうところで大事なのは、何といっても自然との付き合いの中で相手の立場、つまり自然の立場で物を考える。これは、人間の暮らしにとっては相手の立場に、相手の思い煩いに感謝する、こういう人間基本のところにくると思うんですけれども、それがまたベースになって夢をはぐくむ。私の質問は、そういうことで、農業というのは夢をはぐくむのに非常に役に立っているんでしょうかという質問が中村先生への質問です。  山田先生への質問、短く申し上げますと、先生のお話でちょっと気になったのは、ずっと今、希望、社会という一つのモデルがあって、それが崩壊をしてきた、その中で今や希望がなかなか達成できず、希望がなくなり、あるいは不安が増えてきているという、おっしゃるとおりだとは思うんですけど、ちょっと切り口を変えてみると、希望とは一体何なんだろうかと、人間の幸せとは何なんだろうかというと、これも夢というのにつなげてみますと、夢を描くこと、そしてその夢の実現に向かって努力すること、その成果を確かめることというのが夢の三つのプロセスだと私は思っているんですけど、そういうことで考えていくと、夢というのは、自分だけじゃなくて、自分家族だけじゃなくて、地域のこともあるし、社会もあるし、もっと言えば地球のこともあるし、そういったものについて望ましい姿を夢として描くということで考えていくと少し希望が出てくるのかなと。先生のお話を伺っていたらだんだん何か希望がなくなってきちゃったものですから、何か希望の出るような、夢というふうにつないで先生のお話が伺えたら有り難いなと思っています。  以上、二つです。
  17. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 私は、最初源氏物語で申しました、日本は本当に豊かな自然があり、四季があり、この中で自然を生かしていくという文化があると思っています。子供たちも自然と思っているんですが、それは、自然というと何か美しいとか楽しいとかというふうに言われてしまいますが、実は自然というのは非常に恐ろしいものでもあるわけです。  私は、自然に触れることで非常に夢ができ、と思いますのは、自然というのは未知なんですね、知らないことなんです。そこにたくさん知らないことがある。実はコンピューターも何も、私どもの人工の世界というのは、とても複雑のように見えますが、全部知っていることなわけです。私は知りませんけれども、作った人は知って、人間が知っていることなんですね。知っていることの範囲でしかできていない。けれども、自然は知らないことだらけなわけです。そこから新しいことが探せるはずだという、それが私は夢だと思っています。  しかも、今、加納議員がおっしゃってくださったように、人間が持っている、ほかの生き物が持っていない、人間だけが持っている最大の能力は想像力。想像力というのはイメージをする能力です。未来を考えたり、過去を考えたり、ここにいない人のことを考えたりすることはほかの生き物はできません。その想像力というのが人間の特有のもので、それは自然のものを見ているとたくさんの想像力が生まれる。  しかも、この想像力は、日本語は大変面白くて、もう一つのクリエーティビティー、クリエーティビティーというのも創造力なのですね。このクリエーティビティーは、これはもう科学をやっているとはっきり分かりますが、イメージ、想像力を持っていない人はクリエーティビティーの創造力はないというのが私が科学の世界でいた実体験でございまして、この自然の中で生まれた、だれでもが持ち得る想像力をクリエーティビティーにつなげていくのが二十一世紀の幸せを生んでいくのではないかと私は思っています。
  18. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 確かに私も、この前ゼミ生から、山田先生のゼミが終わるたびに私暗くなるというふうに言われて、まあ私本人はそれほど暗いとは思っていないんですけれども、そういうふうに聞こえることがあるというのは重々承知しております。  多分、夢ということ自体も、やはりここ十年、二十年の間で大きく様相が変わったんだと私は踏んでおります。それはどういうことかというと、九〇年ごろ、戦後社会の夢というものは、その夢を一つ追いかければ多分全生活自体がそれで組み立てられてしまう、かつそれが社会的に十分実現可能なものであるということであったがゆえに、夢を見て、それを努力して実現するというようなプロセスが可能だったかと思います。しかし、それが今、私が若い人たち調査、観察する中であるのは、この一つのことを、夢を実現すれば、その人生が全部組み立てられるというものがだんだんなくなってきているというか、そういうものではなかなかないものが多くなってきたというのがあります。  となると、取りあえず生活生活として確保していく中で各人がそれぞれの夢を見る。例えば、農業で自然と触れて、それで周りの人とも一緒になって実感できるというのももちろん一つの夢としてはあります。ただ、団塊世代の退職農業とか土日菜園とかで非常に楽しくやっている人もいます。でも、それで暮らせる夢ではないわけですよね。そこが多分ポイントになってくると思います。つまり、暮らすところは別に持っていながら、プラスアルファの夢を十分実現可能で、かつ周りから評価されるような夢を実現していく。今後モデルとなるような生活があるとすればそういうことだと思います。逆に言えば、家庭菜園だけで全部生活できるようなのを夢にしてしまうと、かなりそれは失敗してしまう可能性があると思います。  そういう形で、社会の夢の在り方というのも社会の変化によって私は変わってきているものだと思っております。
  19. 松あきら

    ○松あきら君 本日は、中村先生山田先生、お忙しいところ大変にありがとうございます。本当にお二方のお話を聞いていて、奥の深いお話であります。簡単に質問が出てこないくらいのすばらしいお話であったと思いますけれども。  中村先生に対しましては、生命科学というものは、まさに人間生き物一つであると、五千万種の生き物の中で、しかし文化文明がつくれるのは人間だけ。その人間がこの地球を壊してしまうような、あるいは人間の自然の営みを壊してしまうようなことをしてしまっては大変なことになるということをつくづく感じたわけであります。  先生のお話を伺っていますと、やはり哲学的といいましょうか、最後は宗教的といいましょうか、何かそういうことにも通ずるようなお話であるというふうに伺っておりましたけれども、今の社会は残念ながらいろいろな欲望あるいは刺激というものが非常に多くて、そういうものを満足されないと不幸だと感じてしまう残念な今社会かなというふうに思うんですけれども、またそれに振り回されているということは多いと思うんです。  ただ、もう一方、先ほどまた、希望あるいは努力、加納先生も、私も希望と夢というのはどう違うかなと思いましたら、まさに夢というものは夢を描いて努力をして達成するためにある、そうすると希望が生まれると、本当にそうだなというふうな思いで伺いましたけれども。まさによく言えば夢であり希望である、悪く言えば欲望であると。そういうものがないと、また反面、そういうものがあって生きていかれるという面も私は否定できないのではないかなという気もするんです。  そこで、悪く言ってしまえば欲望かもしれないけれども、そうした大きな意味での夢かもしれない、そういうものと社会の在り方、そういうものをコントロールしていくような生き方も実際は必要じゃないかなという気もいたします。そういうことに対してどういうふうに感じられるか、これは中村先生にお伺いをしたいと思います。  また、両先生にお伺いしたいのは、やはり世の中の半分を占めるのは女性でありまして、私は、女性だからといってその女性の性というものを振りかざして、だからこうだというのは嫌いなんですけれども、しかしまた、女性についての存在、生物的、医学的研究がまだまだ不十分じゃないかなと、こういうものももっと突き詰めればより良い社会生活がもっと送れるというか、潤滑にいくんじゃないかなという面もあると思います。ですから、そうした女性の在り方あるいは健康というものを大いに研究することによって、また幸福な社会を築いていかれるプラスアルファになるんではないかという気がいたしますけれども、この点については両先生の御意見をお伺いしたいというふうに思います。
  20. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 生命科学、命ということを考えると哲学、宗教にと、哲学、宗教、大事じゃないと私は思っておりませんけれども、私は是非これを、この命ということを基本に考えるというのを政治経済にしていただきたいというのが私の切なる願いなのです。なるはずだと。  例えば、農業というのを産業にしていく、単なる家庭菜園で夢にするのではなく、これが本当に産業として日本自給率を上げていくということは可能なはずなわけですね。先ほど申しましたように、先進国はすべてそれをやっているわけですから、日本ができないはずがないと私は思っていますし、恐らく食べ物が安全で安心でおいしくて食べられたら非常に幸せな気持ちにみんながなれると私は思っています。その意味で、非常にたくさんの問題点があるということは理解しますけれども日本自給率を上げ、農業を産業にしていくということを都会の人たちも全員それに向かって考えてくださるということにしていただきたいと私は思っております。  それから、女性についての生物学とおっしゃいましたが、ちょっとこれは余談ですが、生き物を見ていましたら全部雌が基本なんですよ。例えば、子供が生まれるとき卵でつながっていくわけですね。もちろん精子必要なんですけれども、細胞としては卵でつながっていくわけです。本当に私、女性とは言いません、雌なんです、五千万種いる生き物たちのみんなが雌でつながっていきます。ですから、様々なところで雌が基本なんです。別に私はフェミニストでも何でもない、ここで主張するつもりはありませんが、見ていると。これは自然界の摂理として、本当に生物として続いていきたかったら雌を基本基本にするというのは、別に権利を主張する、社会的な意味での権利を主張するという意味ではなく、そういう実態を見るということは大事だと思って、私は政治家の方たち生物学勉強してくださるといいなと心の中では思っておりますけれども。改めて研究するというよりは、むしろそういう生物としてのメカニズムというんでしょうか、そういうところを考えていくと、雌とは何か、女性とは何かというのが一つ見えてきます。それで全部社会を動かしましょうなんて申しませんけれども、それを知ってくださるのは良いことではないかというふうに思っています。
  21. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 女性の健康ということでございますが、私も生物学者でも医学者でもありませんので……
  22. 松あきら

    ○松あきら君 健康とか在り方とか。
  23. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) はい、ということでお話しさせていただきたいと思います。  中村さんが女性が生物学的に基本形というふうに言われましたが、最近は精神医学、精神分析学でも実は女性の方が基本形であり、男性の方が派生形である。それはなぜかというと、つまり女性は何もしなくても、何もしなくても女性というのは変な話ですけれども、女性は女性でいることが比較的楽にできるけれども、男性は男であることを認められるためにいろんなことをしなきゃ男としてなかなか認められないというような近代社会の構造があるということで、今は多分、今はというか、男性であることの方のつらさ、プレッシャーというものがいろんなところに現れてゆがみができているんだと思います。つまり、ほとんどの男性が正社員として収入が稼げていた時代は問題は表面化してこなかったんですけれども、最近は流動化する中でいろんな問題ができてきたんだと思います。  その中でも、女性に関しては可能性というものも一つあります。つまり、高度成長期の物語ですと、女性は家事や育児をやっていさえすれば自動的に夫の収入が上がっていってどんどん豊かになっていくという中で生活、幸せを実感できたんだと思います。もちろん育児、家事という努力はしてきたわけですけれども、やはり夫の収入の増大する中でということが一つ前提としてあったと同時に、また自己実現にはならないという不満も中に抱えてきたんだと思います。  ですから、今後はもちろん、女性でも家事、育児をして豊かになるという物語だけに固執しているのでは、これからはなかなかそれで幸せを実感できる人の数はどんどん減ってきます。それはなぜかというと、収入が上がり続ける若い男性の数がどんどんどんどん減っているわけです。となると、女性も自分の努力でいろんなところで活躍していって夢を実現させていって評価されるというところに女性の幸せが懸かっていると思いますし、社会的にもそれをサポートしていくことが必要だと思っております。
  24. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。反論、よろしいですか。
  25. 松あきら

    ○松あきら君 はい。
  26. 大門実紀史

    大門実紀史君 今日はどうもありがとうございます。大門でございます。  本当にもっと長い時間お聞きしたいような話でございました。  中村参考人に、命という視点から世の中を見るということで、非常に示唆の富んだ話を聞かせていただきましたけど、最近、命に関しては悲しいやりきれない事件がかなり起きております。人心の荒廃のところに該当するのか分かりませんが、命の大切さみたいなものがどうなっているのかと思います。子が親に手を掛けるとか、親が子に手を掛けるとか、夫婦同士とかですね。前は子供が事件を起こすと、子供に孝行の心を教えればいいんだと言うような人もいましたけど、もうそれをレベル超えてしまって違う異常なところに入っておるんじゃないかと思いますが、私たち国会議員というか政治家も、こういう事件が起きていてどうするんだというふうによく聞かれるわけですけれども、なかなか一言ではどうしたらいいかという答えが出ない問題なんですが、中村参考人の御意見を聞かせてもらえればというふうに思います。  山田参考人のお話で、私も青年の非正規雇用問題をやってきましたので非常によく分かる話をお聞きいたしました。ただ、日本だけが低成長で非正規雇用が増えていてということでは、格差が広がっているというわけではなくて、ヨーロッパでも、中身は違いますが、広がっておるわけですけれども。どうして日本だけこの最後のところにあるような、もう本当に、これは小さな幸福というか、バーチャルな幸福といいますか、こういうものに陥ってしまうのか。ヨーロッパの人たちはもう少し幸せな顔をしていると思うんですけれども、どこが違うんだろうと。男がつらいのもヨーロッパも同じだと思うんですけど、どこが違うんだろうというふうに思うんですが、その辺でお感じになることがございましたら。
  27. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 私は、命という、このごろ私が試みていることは、生命と言わないで、生命尊重と言ってしまうとそれで終わってしまうわけですね。そうではなくて、生きているとか、全部動詞で考えましょうということを言っています。生きているというふうに考えると、生きているものを見るしかないわけです。そうすると、私ここに、農業高校の子と今付き合っているんですが、例えば、出雲の農業高校へ行きました。そうしましたら、そこで豚を非常にかわいがって育てている。その豚が私に行ったらしっぽを振ってくれました。私、生まれて初めて豚にしっぽを振ってもらった。よっぽどかわいがられているなと。けれども、その豚は、その子たちはしばらくするとそれでソーセージを作るわけですね。そういうことをやっていくわけです。命を大切にするということは何も殺さないということでもないということを実感として、そうすると、その子たちは次もまた豚をとてもかわいがるわけです。  生きているを見詰めるということをするしか命を大事にすることはないと思います。これを配らせていただいたんですが、この最後のところに「愛づる」というのを書かせていただいたものを配っています。これは虫愛づる姫君というお姫様がいらして、これは源氏物語千年紀と申しましたが、源氏物語と全く同じときに書かれています。  このお姫様はこんな小さな毛虫をかわいがるのでみんなから駄目だ駄目だと言われるんですが、そのお姫様が、美しいチョウチョウになったらみんながきれいだと言うじゃないですか、けれども、そうなったらもう後ははかない命。本当に生きている力を持っているのはこの虫にあるので、そう思ってこれをじっと眺めていたら、これは何とかわいいものだろうと思える。これは、先ほど山田先生のおっしゃったラブとは違う、本当に時間を掛けて生きているを見詰めたら生まれてくる愛なんですね。フィロス、フィロソフィーのフィロです。愛智の愛です。これは非常に知的な愛なんですね。  私はこういうふうに、今このお姫様の気持ちを生かそうと言っているんですが、例えばこの「愛づる」という言葉は、生きているというものを時間を掛けて見たことによって生まれてくる愛。そうすると、例えば赤ちゃんを殺してしまうというようなことがあるわけですが、本当にだっこして、赤ちゃんって泣いているときは私もうるさいと思いました。けれども、だっこして、おっぱいを時間を掛けて飲ませているうちに、時々にこっなんてされるとかわいいとなってくる。  だから、生命尊重というのは、命というものが抽象的なものがあってそれを尊重するということがあるのではなく、生きているものを見詰めるということからしか生まれてこない。これをさせることだと。私が自然に触れましょうと言うのは、実は生きているを見詰めましょうということを言っているのです。これは別にほかの虫やそういうものじゃなくて、人間同士が見詰め合えばそれはやっぱり生きているが見えてくると思いますので、そういうことを是非していただきたいと思っています。
  28. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) ヨーロッパとの比較ということですが、手前みそなんですけれども、やはり私は、パラサイトシングルというか日本の若者の大部分が親と同居しているというところに一番大きな要因が求められるかと思います。  一つエピソードを紹介させていただきますと、二年前、フランス経営大学院の人と若者の状況について意見交換をしたときに、日本では最低賃金は四ユーロだとか若者に対する社会保障プログラムは全くないというようなお話をしたときに、ヨーロッパ経営大学院の人は、えっ、年収百五十万とかそれ未満の人が何百万人もいる、どうしてデモや暴動が起きないんだというふうに聞かれました。そこで私は、いや、日本の低収入の若者は大部分が中流の親と同居をしていて、おたくの国に行って、ブランド物を買いに行きますよと言ったらメルシーとか言っていましたけれども、それはまあいいんですが。つまり、欧米では、イタリアとスペインは親同居者が非常に多い、イタリアとスペインは親同居者が多いので少子化も同時に起こっているんですけれども、欧米では一緒にできません。フランス、イギリス、アメリカ、北欧等の諸国では、大体成人すれば親と同居して、自力で生活しなくてはいけないので自分で働かなくてはいけない、働いて生活しなくてはいけないというところで、夢やそういうバーチャルな消費に浸っている余裕がないというのが正しいところだと思います。  日本の特徴というのは、親は、つまり四十、五十の親の世代は中流生活を築き上げたんだけれども自分子供は正社員に就けなかったというような家庭が大部分を占めているというところが今の現時点での日本社会構造の世界的に見る特徴だと思っています。ただ、それももたなくなってきたがためにネットカフェ難民等が出てくるし、親同居未婚者が高齢化してくるという問題も同時に起こっている。つまり、若者に非正規低収入雇用を押し付けたツケが今後十年、二十年の間に回ってくる。若者に押し付けて、その社会保障をその親に押し付けているという構造になっているわけですけれども、私は、そのツケが十年、二十年に回ってこないかと心配ですので、早急に対策をお願いいたします。
  29. 加賀谷健

    加賀谷健君 どうも今日はすばらしいお話をいただきまして、ありがとうございます。  格差社会、先生は本でも書かれていると思いますけれども日本のこの格差社会というのは、戦後ずっとうまくバランスが取れてきたんではないかと思いますね、競争と公平という部分でいえば。国民は結構納得をしてずっと来たわけでありますけれども、ここ最近、市場原理主義と申しますか、その競争と公平がうまくバランスが取れなくなってきて格差が生じてきているというふうに私は思うし、また先生もそのようなことを書かれていると思うんですけれども。  この格差というのは、やはり収入というのが大きな要因になっているわけですから、ここで幸せという部分でいうと、消費の豊かさとか、先ほどいろんな話がありましたけれども、この辺をどういうふうに思っていけばいいのかなと私は思うんですけれども、収入があれば、じゃ幸せなのかなというとなかなかそうでもない。先ほど先生が言ったように、若い人は決してそれだけでは幸せに感じないんだろうというようなことも言われていました。  そしてもう一つ、私はやっぱり格差の大きな要因は雇用にあるんだろうと思うんですね。その雇用も、非正規雇用が三分の一にもなっている、あるいは若い人たちが何も拘束された雇用を望んでいないという、そういう半面も先生の今日の話の中では出てきているのではないかと思います。  これで、その雇用をこれからどういうふうな形にしていけばいいのか、若い人たちの考えを含めて。私は、我々は非正規雇用の正規化ということを一つのテーマに取り組んでいかなければならないというのは分かっているんですけれども、本当にそのことだけで満足度が得られていくのかどうなのか、先生の何か経験を少し教えていただければと思います。  それから、格差の問題で、先生の本の中では、北欧ではかなりうまく解消してきたのではないかというようなことが書かれていて、日本のこれからの中で大変大きなテーマだろうと思いますので、何かありましたら御示唆をいただければと、こんなふうに思います。  それから、中村先生の中で、私は、農業の部分、大変興味を持ちました。特に、農業をしている若い人たち子供たち表現力も豊かだし、笑顔も美しいし、大変はつらつとしているという表現がございました。実は私も、余りしっかりはできないんですけれども、仲間とお酒を造るための米を田んぼで作ったり、家庭菜園をやったり、暇を見てやっているんですけれども、ほとんど今のところはできていないんですけれども、こういうことというのは大変大事だろうと思うんですね。私どもが借りているところは、正にここにいる石井準一さんの田舎のそばなんですけれども、もう休耕田になっている、遊休地がある。そういうところというのはいっぱいあるんですね。  ですから、これをどのようにして活用をしていって、多くの人たちが、営農といいますか、食べるわけにはいかないんでしょうけれども、参加をしていく、こういうことが大事だろうと思うし、また教育の中でも農業の大事さ、また自然とのかかわりというのは先生の言葉にもありましたけれども、そういうこともしていかなければならないと思うんですけれども。  先生、具体的にこういうことをさせていく、というのは、先生は農業高校の子供たちと付き合っているというお話ですけれども、そうではなくて、やっぱり中学辺りまでに、かなりそういうふるさとといいますか、田舎の再生といいますか、そういうところで、我々の代でいうと二代ぐらいいけば大体元々農家ですから、そういうふるさとがあると思うんで、そういうところを再生をしていくということが、私は、そういうことを子供のうちに経験させる大事なことかなと思っているんです。  こんなことを思っていて、じゃ具体的にどうしたらうまくいくのかなというのがなかなか答えが出てこない、こういうことなんですけれども、先生の方で何かこんなことで御示唆があればと、こんなふうに思います。
  30. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 質問に順次お答えをいただきたいと存じます。
  31. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 本を読んでいただきまして、どうもありがとうございます。  まず、収入と幸せとの関係でございますが、私の見立てですと、どうも収入と幸せの関係というものが連関がなくなりつつあるのではないかというのが私の見立てでございます。昔も格差があったんですけれども、昔は、将来収入が高くなるという見通しの下で、これだけボーナスもらったら次に何が買えるんだねという形での実感するというパターンがあった。だから、もちろん一時点で見れば格差はあったんですけれども、将来の自分を考えれば収入が高くなっている、だから幸せが感じられたんだと思っています。でも、最近の私のいろんな調査、これは本当に実感レベルなんですけれども、どうも幸せと収入というものが連動しない世の中になり始めているのではないかと思っております。  実は、家族ペット家族をペットと、じゃない、ペットを家族とみなして、逆ですね、そういう人もいらっしゃいますけれども、ペットを家族とみなしていらっしゃる方々のインタビュー調査の中で、もちろん高収入の会社経営者の人にもインタビューしましたし、高齢で低収入できつい清掃の仕事をなさっている方にもインタビューしました。だけれども、幸せ感は一緒で、とにかくこの犬と一緒に外を歩いていて犬の喜ぶ顔を見るときが幸せだとか、逆にパートできつい非正規の労働をなさっている高齢の御婦人は、これで働いて、これがうちの飼っている猫のペットフードになると思うと一生懸命できますというふうに答えて、猫ちゃんの喜ぶ、猫ちゃんたちの喜ぶ顔を見たときに幸せを感じるというふうに言っていました。  つまり、今は収入とは別に、そういう人から大切にされたりとか心配されたりとか、人からおまえすばらしいと言われるような幸せの場というのがそう収入とは相関せずに存在しているんだと思います。だから、先ほど加納委員が言われた、もし希望があるとすれば、そういう限定された収入の中でも自分が幸福に思えるようなところというのは工夫次第で幾らでも探せるんではないかというふうに考えております。  次に、雇用と北欧の問題に入らせていただきますと、北欧では、人口五百万とか七百万というのはやはり一つの村社会に近いところがありまして、非正規の人が、困っている人がいると見えてしまうわけですね。つまり、私は、ここで最後に結論として言おうと思っていたところなんですけれども、身近にいる人が幸せだとその幸せをもらって自分も幸せになるんだというふうに思っています。だから、自分が幸せになる一番いい方法は身近な人を幸せにすることが、多分身近な生き物でもいいんだと思います、身近な生き物であろうが、身近な自然であろうがいいんだと思います。  ただ、今の日本社会というのはそれを実感するような、実感しなくても、つまりフリーターの人とかそういう人が、そういうフリーターで生活すれすれとかワーキングプアの人たちを見なくても生活できてしまっている人が大多数だという中では、いや、そういう人たちはどうでもいいよねというふうな気分になりがちだと思います。しかし、やはり北欧社会は本当に小さい社会ですので、そういう不幸な人がいると見えてしまう。だったらそれに対してどうにかしなきゃいけないということで、共助の理念というのが働きやすい社会ではないかと私は思っております。  済みません、ちょっとお答えになったかどうか分からないんですが、取りあえず終わらせていただきます。
  32. 中村桂子

    参考人中村桂子君) もう繰り返しになりますけれども、私は、小学校、中学校、義務のところで学校の中に農業を取り入れられないかというふうに個人的には思っています。  自分の食べ物を自分で作るということは、個人としても大事ですし、国としても大事だと思っている。自分の食べ物が自分で作れないというのは一人前ではないのではないかと私は思っています。実際に小学生たちがそれをやりますと、よく私もそれを見ましたけれども、ピーマンとかああいう食べられないものがたくさん今の子供たちはあるんですが、自分で作ったら必ず食べるようになる。それはどの場面でもそうでした。  ですから、今お話を伺っていると、何か農業というものはもう産業としては成り立たないもの、それで仕方がないから何とかというふうに思われているように思いますけれども、私は、もっと本気で日本の中の農業というのを考えていく必要があるでしょうし、小中学校のころにはそれを体験する。場所場所によってその体験の仕方は違うと思いますけれども、今総合教科というのが何かゆとりは駄目だということで消されてしまったんですが、これは総合というものをどうやってやったらいいかということが分からない先生方が多くて無駄にしてしまったのですけれども農業をやりますとこれは本当に総合になります。  一つの例を申しますと、豊岡のコウノトリというところの里の子供たち農業をやっています。新田小学校というところなんですが、これはなぜ彼らが始めたかというと、あそこは物すごい洪水で全員の家が床上浸水になった。そのときに周囲の人たちにとても助けられた。自分たちも何か助けることができないかといったら、目の前にコウノトリがいたので、コウノトリを助けることをやろうと思って、コウノトリのための田んぼを作った。フナやドジョウがいる。そうするとそこでお米が取れるわけですね。おいしいお米が取れます。  そうしたら、この子たちが何をしたかというと、こんな自分たちが努力したお米は、この市の子供たちみんなで食べたいと思った。そこで、市長さんのところへ掛け合いに行くわけですね。これを買い上げてくれ、給食用に。あそこのお米ちょっと高いので、市長さん計算して、月二回なら大丈夫だという計算をして、今給食で食べている。これはある意味でマーケティングです。このマーケティング進んで、コンビニへ今度行きまして、自分たちのお米はとてもいいんだからコンビニのおにぎりにしてくれと言ったら、コンビニは厳しくて、ちゃんと一年中安定供給ができるかと聞かれて、今ちょっと悩んでいるところです。でも、この間会いましたら、僕は絶対コンビニのことはあきらめてませんと六年生が言っていました。ある意味ではこれは経済ですね。  本当に総合ができるんです。ですから、総合教育というのは実はこうやってやればよかったんじゃないかとその豊岡の子供たちを見てそう思いました。  しかも今、高校は全入です。そうしたら、その中で私は職業教育をどんどんやっていくべきだと思うんですが、今地方自治体は非常に逼迫している中で、教育にお金を掛けるのがなかなか難しい。そうすると、職業高校というのは普通の高校よりお金が掛かります。そうすると、どんどんそれを消していってしまっているんですね。これは逆方向だと思っていて、もちろん農業だけじゃありません。高校まで行ったら、今度は農業の子、工業の子、いろんなそれぞれの向きがあると思いますので、そういう教育システムをつくることで本当に幸せ感のある社会ができていかないかなと、私はそんなことを希望しています。
  33. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 三人の委員から質問を求められております。約十分ぐらいで質疑を終了させていただき、その後意見交換というふうなことにさせていただこうと思いますので、御協力をお願いします。
  34. 石井準一

    石井準一君 中村参考人のスライドを見せていただく中で、「ヒトとしての「私」」とか「人間としての「私」」というタイトルを見させていただく中で、一年前ふと読んでいた社説の中で、私たち人間は先祖代々両親から受け継いだDNAと制約された環境の中で創造的に価値ある人生を生きていかなければならないという言葉がちょっと浮かび上がったんですけど、幸福度の高い社会構築とか幸福量。  また、この間テレビを見ておりましたら、サッカーの中田選手がブータンを回っている風景が映し出されていたんですけど、世界で一国民の幸福量の一番高い国はブータンであるというようなことがテレビの画面に映っておったんですけど、先生言われるとおり、数値ですべて物を表していく、それならば、貧困と飢餓で苦しんでいる国の方々幸福度や基準というのはどこへ持っていったらいいのかなと。  そしてまた、私たちは現実をかいま見たり体験したりしたことでなければ本当に物事を想像することのできない動物であると言われていると思うんですけど、そういった点をどのようにとらえて、私たち政治家の言葉の中で、本当に価値ある人生とか夢のある社会をつくりますとか、もう軽々に簡単に言っているわけなんですけど、じゃ本当に夢のある社会というのはどういう社会なんですか、反対に問われたときにどのように答えていいのか物すごく不安視する部分もあるんですけど、まず、幸福度だとか幸福量、その数値だとかその違い、簡潔に我々の立場で説明するとしたらどのように先生だったらお考えになるかなと、その辺ちょっとお聞きしたいと思います。
  35. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 正直申し上げてお答えするものを持っていませんというのが正直な話です。  ただ、最初にも申しましたように、幸福量というのは数値で表すものではないと思っています。多分、ブータンにはブータン社会の人々が全部が共有する物語があるんだと思います。それを共有しているとき、そこにいる人々は共通の幸せ感を持てるんだと私は思うんですね。そういうものを今の社会が失ってしまった。  先ほど山田先生がこの十年間とおっしゃいましたけれども、私も本当にこの十年間で急速に私が一生懸命五十年間生命を考えながら考えてきたことがどんどん崩れていくのを実感しています。こんな短い時間で崩してしまうようなことを今私たちやっていいんだろうかという疑問を持ちながら、それじゃ一体私は何をすればいいんだろうと考える日々なんですけれども、やっぱり日本もそういうみんなが共有する物語を失ってしまったんだといって放り出しておいちゃいけない、もう一回みんなでつくる努力をしなければいけないんじゃないかと思っています。  お答えになっていませんが。
  36. 石井準一

    石井準一君 ありがとうございます。
  37. 澤雄二

    ○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。  今日は両参考人、本当にどうもありがとうございました。  中村先生のお話を伺っておりまして、今日私はすごく何か楽しい気持ちになりました。というのは、高校時代から考えていたことがありまして、それと先生がおっしゃったことがすごくよく似ていました。何か別に系統学的に勉強したわけでもありませんし、高校時代から考えていたからといってふだん考えているわけじゃなくて、忘れたころにちょっと思い浮かべる程度なんですけれども、ただ、それにしても、間もなく六十になりますが、その間考えてきたことと先生が言われたこと、非常に近いんで非常にうれしい思いをしました。今日先生からこういうお話が聞けるということはちょっと考えていませんでしたので、余計うれしいところもあるんです。  私が考えていたというのは、要するに主体と客体との関係、つまり一元論か二元論かということをずっと考えていました。つまり、人間とその周りの環境はどうあるべきなのか。それから、人間一つ生命でいうと、生命と肉体とは一体どういう関係なのかということを考えなければいけないんだろうというふうに思っていて、別に哲学の議論をするわけじゃありませんけど、今近代合理主義と言われています、現在をつくり上げたのは。その近代合理主義は二元論だと言われていて、結局その主体と客体との関係、肉体と生命との関係を解明しようとしたけれどもできなかった。だから、お互い関係していることは分かっているわけですよね。父危篤という電報を見たら人間生命ってすごく悲しい気持ちになる。一万円札を拾ったらうれしい気持ちになる。つまり、同じ紙という客体なんだけど、人間生命に与える影響は物すごく違う。だから、皆そのことを考えていて、デカルトも考えていたわけですけど、結局分からないから、脳の松果腺で生命と肉体が関係しているんだって方法序説に書いて、そこで終わるわけですね。  だから、近代合理主義というのも、結局そのことが分からないから主体と客体の合理性を別々に追求してしまったと。これはよく言われていることですね。だから、客体の合理性を追求していくと、要するに科学至上主義、科学の合理性ばかり追求していく。個人人間の合理性を追求していくと個人主義になってしまう。だから、それが今、現代をつくり上げているんだと。  先生が四枚目に書かれた金融市場原理科学技術人間という対立軸で書かれて、このお互いの関係が分かっていないから、内なる自然とか体とか心とかということが今ばらばらになっているのよと言われたのはまさにそのことで、つまり、地球温暖化もこの近代合理主義で別々に合理性追求したから出てきたんで、ですから、今我々が考えなきゃいけないのは、そういう二元論ではなくて、実は主体と客体は同じものなんだと、肉体と生命は同じものなんだという何か価値観が必要なのかなというふうに思うんです。  じゃ、それは科学的にどうだと、これも高校時代に読んだガモフ全集に出ていましたけど、アインシュタインの特殊相対性原理の二番目の原則がエネルギーと質量の等価の原則というんですよね。つまり、肉体と物質は紙の表裏で同じものだというのが相対性原理なんですよね。ということは、まさに一元論ということを今になって科学も証明し始めた。つまり、人間でいうと肉体と生命は同じものである、人間がつくり上げたものと人間がつくり上げていった文明人間とは実は一体なんだという価値観が必要なのかな。  それが家庭でいったら家族一人の、父親なら父親とその周りの人間でもありましょうし、クラスでいったら一人の生徒とそのクラスの生徒全体、実はこれは同じものなんだという価値観に目覚めたら、今先生が心配されていることは大分解決をされていく。  ただ、問題なのは、そういう価値観があるかどうかということと、そのことを人間が受け入れることができるかどうかということだと思うんですが、別に、済みません、哲学の議論をするつもりは全くなくて、ただ何か高校時代から思い浮かべていたことを先生がまとめてくださったんで、非常に今日は愉快な気持ちになってこういう質問をしてしまいました。  どうぞよろしくお願いいたします。
  38. 中村桂子

    参考人中村桂子君) ここは哲学の議論をするところではないと言ってくださいましたので、それに直接お答えすること、私に能力ありませんし、ただ、私が思っておりますのは、私はエキソとエンドと言っているんですが、いつも私たちは外から物を見て、自然も外から見て操作をする対象としてきましたけれども自分も中にいるんだというふうにして考えて何かをやると違ってくるんじゃないか。自分も中にいるという考え方をこれまでの科学は取ってこなかったので、そういう科学が新しく生まれている、それは事実です。  そこから、じゃどうなるのという体系付けるのは、それは今の実は私のテーマでして、まだ答えは出ておりませんけれども、中から考えることが大切だということだけは事実だと思っています。
  39. 澤雄二

    ○澤雄二君 済みません、一言だけ。  今日は度々しかられておりますが、私、実は農林水産大臣政務官というのをやっておりまして、食料の自給率と、それから農業を産業にしろということは三回、四回言われておりますので、政務官として申し上げますが、農業を産業にしなければ農業はこれから成り立っていかないというふうに考えております。それから、食料自給率を上げていかないと日本は大変なことになります。  小麦が高騰しておりまして、これは間もなく発表になりますが、高い値段でも買えなくなる時代がもう間もなくやってきそうであります。つまり、壮絶な食料の争奪戦になってくることが予想されております。ですから、自給率上げざるを得ない。  何をするかというと、一つ地域活性化のために農業を生かしていこうということを様々な見地から今策を考えています。それから、食料自給率を上げるために、お米を食べてもらおう大運動の作戦を今戦略として作っておりますので、ちょっと待っていただければと思います。  済みません。
  40. 増子輝彦

    増子輝彦君 今日はありがとうございました。お二人の先生からいいお話をお伺いさせていただきました。  お二人の先生に端的にまず最初にお聞きしたいんですが、お二人とも今お幸せですか。それは、もしお幸せなら、何がその理由なのかということをまず第一点。  第二点、私は実はすごく幸せなんです。好きなことをずっとやってこれたということで大変幸せに、今団塊の世代ですが感じております。好きなことがやれること、身近にいる人がみんな比較的幸せそうで、それぞれの個人を尊重されているという環境の中にいるということで、私は大変今幸せ感に浸っているんですね。ですから、多分それぞれの人生の中で嫌なときもつらいときもあるんだと思うんです。ですから、好きなことがやれて、何となく幸せ感を感じられることがずっと持続するということが私はいい社会になっていくんだと思うんです。  問題は、そういう社会をどういう形でつくっていくかということが極めて難しいということだと思います。そういう意味で、幸せというのは、計量的なものとか数字ではなかなか表すことのできない大変心の問題だと思っております。  そこで、二つ目に、中村先生、大変いいお話いただきまして、ありがとうございました。  私ちょっと遅れたのは、農業生産の組合が二十周年の実はお祝いがありまして、少し顔を出してまいりました。私も実は、農業は全くやったことがなかったんですが、十三年前から農家の方から三反歩一枚の田んぼを借りて米作りをやっているんです。無農薬でやっているんです。今日行ってきたところも無農薬の組合なんです。無農薬であってもなくとも、みんないい顔をしているんですね、農業で頑張っている方々は。だから、好きなこと、大事なこと、価値観を持つことを皆さんが感じてやっている仕事は、農業にかかわらず、私はみんないい顔をしているなと、別にハンサムでもビューティフルでもなくても、いいグッドルッキングをしているなと、そういう感じを持ちながら多くの方々と接しております。  そういう意味では、農業というのはやっぱり大事な国の基本だと思うんです。この喜多方の市長さん、元農水省のお役人さんで、私の選挙区内の大変親しい方でして、大変知恵があって行動力があってすばらしい市長さんなんですが、小学校に特区で農業科を入れたということ、すばらしいことだと思っています。  よく農業を産業化しないと駄目だという考え方、最近強く出てきているんですが、私は必ずしも産業化することだけが農業がこの国で成り立っていくことだけではないと思うんです。収入がなくとも結構農業で頑張っている方もいるんですね、自然と触れ合いたい。自分の作物を自分で収穫して食べれるし、多くの方々にそれを食べていただくというような幸せ感を感じていることだと思うんです。  ですから、小さいときから農業に携わって、自然と触れ合い、自分の作った作物で多くの方々が幸せになっていくという体験を子供たちがすることによって、それが将来、社会の中でいろんな形に実は転化できれば、私はこれまた大事な農業というものの在り方だと思っておりますので、是非私も小学校農業科を設置できたらいいなと、先生のお考え方に大変共鳴しておりますので、私も努力をしてまいりたいと思います、先生にも一層これから頑張っていただきたいと思います。  農業というのは必ずしも産業化でなくともいいというお考えがおありかどうかを二つ目の質問としてお聞きをさせていただきたいと思います。  以上でございます。
  41. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) それでは山田参考人、お幸せですかというような質問であります。
  42. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 後者、農業についても一言だけよろしいでしょうか。
  43. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) はい、どうぞ。
  44. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) じゃ、含めてです。  幸せということに関しては、総体としては、いろんなところに呼んでもらって、いろいろ自分の話を、考えていることを聞いてくれる人がいるということでは、私は全体として幸せでございます。  ただ、一番幸せを感じるのは、家に帰るとうちの猫が寄ってきまして、私になでることを要求するようになりまして、私が猫にマッサージをしてあげると、猫はもう気持ち良さそうな顔でニャーンと鳴きます。そのときに一番短期的な幸せを私は感じます。  総体的にはいろんなところで仕事ができる、自分の仕事ができること、短期的には猫でございます。  農業に関してですが、私は、実はフリーター対策でよく農作業、農業に携わることを推進しているんですけれども、それは私よく分かるんです。というのは、自分がやっている努力、仕事の努力がちゃんと目に見える形で反応してくれる。実はペットの世話というのも、ニート、一番最初に仕事をして喜ぶのはペットの世話だそうで、やはり自分がやっている努力というものがペットの幸せに役立っているということが一目瞭然なわけです。  つまり、毎日余り評価されない仕事をしている人にとってはそういうことがいいという意味で、私は、そういう意味で社会的な農業というのを一つ推進していくことが必要だと思っていますが、ただ産業としての農業となると、私はアメリカに一年留学していたときに、農業地帯に行って、もちろん農家には寄らなかったんですけれどもアメリカ農業というのは、農業というよりも、私がイメージしていた以上に工場的な農業じゃないかなというような気がしまして、もうトラクターで刈って自分の生産物なんか見ない農場主なんていっぱいいるわけで、だから自給率が高いのかもしれないので、そこはもしかしたら分けて考える方がいいかなという意見を私は持っております。
  45. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 私も好きなことをさせていただいているという意味では幸せです。本当に幸せだと思っていますが、ただこの十年間ぐらいは、例えばワーキングプアとか今まで聞いたことのないような言葉がたくさん出てくる社会になってしまって、私、一生懸命生きてきたのに何でこんな社会になったんだろうというところがちょっと幸せ感が少しないところがあるんですが、原則的には自分は本当に好きなことをさせていただいて幸せです。  それから、私は東京生まれの東京育ちで、決して自分農業を知っているわけでもございません。ただ、農業高校の子と付き合っていて、産業としてやってあげたいと思うのは、例えば、沖縄の子なんですが、そこでおじいさんが酪農を始めて、牛乳をあれして、そうしたら今どんどん下がっているんですね。どうしよう、おじいさんがあんなに一生懸命やってきたのにどうするんだといって、僕は絶対にこれを立て直すんだといって一生懸命やっているんですよ。その子をどうしたって応援したいです、私は。  それから、農業高校の子だと面白い子がいて、とにかくブランド物をいっぱい作って大きな農業をやって、僕は絶対畑にフェラーリで通えるようになるんだと言っている子がいるんですね。その子はやっぱり応援したい。  それから、新潟県の女の子なんですけれども、高校のときに演劇をやっていたら、東京の、何というんですか、タレント業の人が、かわいいから東京へ来なさいと。そうしたら、君は、私が見るととってもすらっとしたかわいい子なんですが、もっとやせなさいと言ったと。どうやってやせるんですかと言ったら、お米を食べなきゃいいと言われた。そうしたら、そのお嬢さんの両親は一生懸命新潟でお米を作っているんです。あれを否定するのかと思ったら本当に嫌になって、若いお嬢さん、タレントにしてあげようと言われているんですよ、それなのにそれをけって新潟へ帰って、農業大学校へ三年間通って、お父さんと始めたんです。ところが、自分は、かわいい子ですから、かわいい写真のブランドを付けた何とかという製品を売ることで価値観高めて売っているんですね。  そういう人たちを見ると、やっぱり産業としての農業というのを考えて、私分からないで言っているんですが、していただきたいということは感じます。もちろん、社会的な農業、趣味としての農業、いろいろあっていいと思うんですが、産業としての農業についても考えていただきたいと思うんです。
  46. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  以上で参考人に対する質疑は終了させていただきます。  次に、「幸福度の高い社会構築」のうち、国民生活環境意識について、委員間の意見交換を行いたいと思います。  議事の進め方でありますけれども、三時になってしまいました。意見が続く限りひとつ展開をさせていただこうと思います。自由に意見交換を行っていただきたいと存じます。また、参考人方々の御意見も求めていただいても結構であります。相互にひとつ意見の交換をさせていただこうと思います。これは初めての試みでありますので、積極的な参加をお願いしたいと存じます。  挙手の上、私の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いを申し上げます。  それでは、挙手を求めます。
  47. 犬塚直史

    犬塚直史君 先ほど来、いろいろ非常に幅の広いお話で興味深いんですけれども、でもやっぱり立法府ですので、これをある一定期間のうちに何とかいい方向に実現をしていかなければいけない。例えば一つの例としては、二〇一五年までにミレニアム開発目標というものがあると。先進国がGDPの〇・七%を拠出をして世界の貧困をそのときまでに半分に減らすとかいういろいろな目標があるわけですよね。  先ほど数値化できないというお話ありましたけれども生活の幅より政治の幅が狭いのは当たり前ですけれども、ただ、何か指標がないと、幸福度の高い社会といってもやっぱり具体的な目標になり難いのではないかな。  先ほどの、物語だとおっしゃったので、例えばスリランカとかああいうところでやっているマイクロクレジット。非常に少額の資金貸付けであるけれども、今まで自立できなかった女性が牛を買って自立していくという小さな物語がマイクロクレジットの売上げの裏にはあると。それは物語だけれども、数字化できる物語であると。  先ほど統合医療の話も、アメリカらしくデータベース化しにくいものをデータベース化しているんだと。やっぱりそういう作業が必要だと思うんですけれども、そういう取組をほかに何か御存じないですかね。
  48. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 参考人に質問になっちゃったんでありますけれども
  49. 犬塚直史

    犬塚直史君 いや、皆さんの御意見を。
  50. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 皆さんの意見を聞いてよろしいですね。
  51. 犬塚直史

    犬塚直史君 はい、もちろんです。
  52. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 幸せ度の数値化というふうなことで、先ほどはほのぼのとしてかえっていいんじゃないのかなというふうな中村参考人の答弁だったんでありますけれども、その辺をもってしてまた委員からの御意見をちょうだいしたいと思います。
  53. 佐藤公治

    佐藤公治君 佐藤公治と申します。今日はありがとうございます。  犬塚先生のお話、私も同感の部分がありまして、中村先生の言うように、数値化ばかりすることがやっぱり今の世の中の間違いではないか、悪い方向に導いているんじゃないかというような話も分かるんですが、何かこれを数値化できないかなということを考えている部分が随分昔から私はあります。  犬塚先生とはまた違う切り口なんですけれども先ほど中村先生がおっしゃった、まさに笑顔、そして表現力、そしてコミュニケーション、この三つが幸せ、幸福度といったことを表すとおっしゃったと思います。今、私も専門家じゃないので分かりませんけれども子供たちがなぜ切れるのかということに関しては医学的な分析、これは山田先生の分野かもしれませんが、脳における扁桃体と前頭前野の部分との関係、そこにおけるやはり一番刺激を与えるのが、身近な人たちにおける笑顔が健全な脳をつくっていくというような調査がかなり進んでおります。それにおいては、扁桃体と前頭前野、ここにきちっと健全な刺激を与えていくことというのは、まさに親の笑顔子供たちに与えていく、それが子供たち笑顔をつくり出していく、又は忍耐力、コミュニケーション能力、そして表現力、そしてまさに人との付き合いができていく大本だというふうな研究が今盛んに進んでいるというのを聞いております。  そういうことからすると、そういったことがまさに、中村先生幸福度ということがまさにそこが原点というんであれば、そこが数値化していくことによって一つの、全部が全部それが幸福度ということは言えないと思いますけれども、今はちょっとやっぱりその幸福に至る人間の本質的なその能力というかレベルが低くなっているんじゃないかとか、そういったことを高めるためにはどういった環境をつくるべきなのか。教育論をいろいろと話しますけれども、何となくでの裏付けでしか今のところないんですね。  最近、昔のレトロの映画がはやっておりますけれども、これはまさにこの三つ、笑顔表現力とまさに貧しくとも人間のコミュニケーション、ここが共感、共鳴をみんな呼んで映画がヒットしているなんということもあると思います。  その辺の辺りの数値化に関して、生物学的にというか医学的にというか、そういうことも含めて数値化は、中村先生若しくは山田先生、いかがなものでしょうか。
  54. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) 数値化に関しましては、実は、去年、おととしに内閣府で幸福度研究会というのがありまして、そこで調査をした資料があると思います。それに触発されまして、私と電通の消費者研究所で幸福研究会というのをつくって、様々な形で指標化できないかというのを試みております。  多分いろんなパターンができるのかなと思っているのは、アメリカで一回なされたのは、ポケベルを全員に持たせて、ポケベルが鳴ったときにあなたは幸福かどうかを答えてもらうというような調査が実はなされたことがありまして、多くの人は実は仕事で忙しいときの方が何か自分は生き生きしているとか幸福だとかいうふうに答えた。むしろ家でゆっくり休んでいるときはそれほど幸福感を感じなかったというような調査結果が出ていたと思います。  ということは、それも含めて考えますと、やはり先生方がおっしゃるように、実は国民生活白書の方にも書かれていたんですけれども人間のつながりが幸福感をもたらすであろうということははっきりしてきたんではないかと思っております。逆に、この十年ぐらいの間で不安を感じる人が増えたりそういう人が増えたということは、実はつながっていない人が増えてきたということではないかと思います。  そういう意味からいえば、人間のいわゆるちゃんとつながっているかどうかというところでの数値化というのはできると思います。何度も言うように、男性だけですけれども、正社員としてみんながつながっていたときにはお互いに心配し合ったり助け合ったりするという形でのつながりの中で自分が評価されていたんだと思うんですけれども、今は職場では、正規のもいれば非正規の人もいれば、成果主義の導入によってお互いがつながることができずライバルだったりというような状況の中ではなかなか幸福感を感じる人が減っているのかなという気はいたしております。  参考までにお話しさせていただきました。
  55. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 中村参考人、答弁ではなくて御意見をちょうだいします。遠慮なしに言ってください。
  56. 中村桂子

    参考人中村桂子君) 私は、個人的にはそういうことを数値で表すことを自分でやろうと、それを自分研究にしようとは思いませんが、おっしゃったように、社会の中で何かを発言していくときには数値というのはとても大事だということは思います。  今、山田先生がおっしゃったつながりというのはまさに生き物基本ですので、それは家族のつながり、職場のつながり、社会のつながり、世界のつながりというように階層立てて、そのつながりがどうなっているかというようなことを解析して表示していくということは、これは可能だと思います。ただ、それをつながり一偏にやってしまわないで、階層化してやることで数値化ができないかなと、今お話を伺いながら思っておりました。
  57. 愛知治郎

    愛知治郎君 愛知治郎です。  今の数値化の話で、参考人の両先生方、大変お答えするのも難しいだろうなと思って、そのフォローアップのつもりではないですけれども、もちろん、指標というか、ある数字のようなものがあった方がいいんですが、なかなかそれをはっきりと明確に類型立てて作り出すというのは難しい作業かなというふうに思います。  ただ、もちろん、例えば各地域によりけりですけれども、どこどこの県の住民の意識調査で満足度がどれぐらいあるかという調査なんかもしていますし、いろんな切り口でいろんな調査をして、それを分析することは重要なことだと思います。ただ、すべてそれを統計的に一律に数値化するというのはやっぱり難しいかなと。それを積み上げた上で、我々がそれこそ議論をして、どういう対応をしていくかということを考えなければいけないということが重要であろうというふうに思います。  もう一つ、その数字については、確かに分析もどんどんしてほしいし、我々も冷静にいろんな数字を見ていかなくてはいけないんですが、危惧している点が一点だけあります。というのは、今明確なものがないからこそ、例えば単純に収入の数字であるとか、それだけを目安にしがちなところが、傾向があるんで、それはしっかりと冷静に見ていかなければいけない。  例えば、ある地域、東北の地域、前予算委員会だったときに視察で行ったんですが、物価の差、東京と東北のある地域の物価の差は物すごくて、例えば住居一つにしても、同じ面積で家賃がどれぐらいかというと、そこの地域と東京を比べてみると五倍以上の差があると。それで収入が同じでなければいけないという議論、東京の方が、都市部の方がすごく高くて、過疎地域は少ないということになったときに、同列に議論をしてしまう、つまり格差だという議論になってしまうのは気を付けなくちゃいけない。やはりその地域によって物価であるとか生活、豊かさであるとか価値観とかは様々だろうし、一律に金銭、収入だけで生活幸福度とかそういったものを判断しちゃいけない。そこは冷静に見なくてはいけないということはしなくちゃいけないと思います。それを踏まえた上で様々な角度からいろんな数値を切り出して、それを分析しながら政治的、現実的な対応をしていくというのが必要であろうと。ちょっと取り留めのない意見でありますけれども、そういうふうに思います。  以上です。
  58. 姫井由美子

    姫井由美子君 姫井と申します。本日は本当にいい話をありがとうございました。  特に中村先生のこの四つのキーワードですね、農業医療教育環境と水、本当に大きな柱のテーマだというふうに思いますし、それぞれの先生方のお話で、非常に今日は、先ほど委員もわくわくして聞いたと言いましたけれども、今日は多分皆さん、この話の中でそれぞれがわくわくして聞きましたし、どこか何か心の中にすとんと落ちるものがあったんだと思うんですね。やっぱりここから共通を見出して、本当に何か新しい指針、まあ数値であるか何かは分かりませんけれども、物語が作り出していければいいかなというふうに思います。  先ほど佐藤委員意見に対して、山田先生が人間のつながり、また中村参考人の方もつながりが大事だと言われたんですけれども、マザー・テレサがやはり最後に、世界の、人間社会の救わなければいけない問題として孤独というものを挙げられたと思うんですね。やはりつながりが切れるということは、非常に大切なというか、大事なことだというふうに思います。  今、幸福度の指針、指標をどういうふうに数値化するかということが話されていたかと思いますけれども、ちょっと思い付いたんですけれども、例えば幸福でないものを消去法的に切っていくというような一つの見方というものができるのかどうかということを皆様にちょっと問いかけたいし、あるいは参考人方々に、例えば今日は幸福という視点から切り口で話されましたけれども、じゃ幸福でないというものを減らしていく、あるいは幸福でないものは何かというものは、それは共通があるのかないのかというものを含めてどういうふうに考えられるかということを、参考人を含めて皆さんに聞いてみたいというふうに思います。
  59. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 問題提起されましたよ。どうですか。
  60. 藤本祐司

    藤本祐司君 藤本でございます。今日はどうもいろいろとありがとうございます。  今幸福でないものというのを消去するというお話がありましたが、幸福でないということをだれが決めれるんだろうかというのはちょっと疑問がありまして、この間のこのテーマを決めるときの議論の中で、幸福でないものを見たり聞いたりしましょうという話をされた方もいらっしゃって、私はそれには基本的には反対でございます。  というのは、幸福感というのは本人があるものであって、例えば障害を持った方がじゃ不幸かと言われると、それはそうは言い切れないし、貧しい国の人たちが、じゃ全員我々より不幸かといえば必ずしもそうではないというところがあるので、それを切っていくという作業は、幸福とはということをやるよりも更にはるかに難しい話なのかなというふうに私は思っているので、今のお話でいくと、ちょっとやってみないと分からないところはあるんですが、幸福である人にこの人は幸福でないということを言ってしまうことは、本当は避けるべきことなのかなというような意見はちょっとあります。  ごめんなさい、その話はまた後で皆さん話をしていただければよろしいと思うんですが、中村先生の論文というか書いたものの中に、生き物をつくることはできない、つくれないというような話がございまして、その中で一つ子供をつくるというような表現が最近当たり前になってきていると。子供をつくるということではなくて、今までは子宝に恵まれるとか、そういうような表現をしていたものが、子供をつくるということになると、生産物のようにとらえることが当たり前のようになってきて、親が子供自分の附属物だというような、そういう考え方が当たり前というか蔓延してきているんじゃないかというような御指摘もあっただろうと思うんですね。  その中で、先ほど来からGNPとかGDPという、そのPというのはプロダクトでございますので生産、つまり生産することがすべての指標で、GDPが低くなって十八位になったから日本はいけないんだみたいな話もあるところでありましたけれども、本当はそうではなくて、先ほどブータンの話が石井先生からお話がありましたが、あそこはGNHという、いわゆるグロス・ナショナル・ハピネスという、そういうところをうたっているというところで、少しそこのプロダクトからちょっと違った発想の転換が必要じゃないかというような、前国王になるんでしょうか、ブータンの方が言われたというふうに聞いておりまして、その辺りで一つのハピネスという、いわゆる幸福というものをどうとらえるのかと。必ずしも経済成長あるいは経済効率、そういったところだけで見ていく必要はないのではないかなというふうに私は思って、こういうようなテーマというのが一つ、我々今後のこととして考えるべきものなのかなというふうに思っておりました。  よく格差という話がありまして、山田先生もこの点についていろいろ言及されているんだろうと思うんですが、その幸福ということから考えたときに、いわゆる幸福というのは絶対的価値観、要するに自分が幸福であればそれでいいじゃないかというような考え方もあると思うんですけれども、一方で、いわゆる相対的に隣の人と比べてこうだみたいなところがあって、本来は元々幸福に感じるか感じないかというのは絶対的な価値観であってもいいはずのところが、やはり相対的な価値で見始めることになると、格差の問題というのはとてもこれは大きな問題になってきているのかなと。  絶対的価値でいえば、例えば経済的なことをあえて言ってしまえば、貧困層が拡大するということになると、その人たち生活ができないという意味では大変だなというふうに思うんですが、実は格差が広がること自体が悪いことではなくて、要するに隣の人と、だれかと比較して自分がという意味では、差の問題だけをとらえるとなるとやっぱり相対的価値判断になってくると、やはり均一であることがいいことだみたいになってきてしまうとなると、先ほど中村先生の方で、生き物の多様性と機械の均一性みたいなところが出てきてしまいまして、むしろそういう生き物であるということは均一でないということ、そのことの方が幸福だというように生きるということを考えてとらえることもできるのかなとちょっと思ったりもしたんですが、ちょっともしその辺で御示唆があれば教えていただければというふうに思います。
  61. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) もう二、三、委員の間の意見をいただきたいと思います。  まだ意見をちょうだいしていない亀井君、どうぞ。
  62. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 先ほどから幸福を測る指標として、例えば数値化ですとか、幸福でないものを切っていくというような御提案がありましたけれども、両方とも私は何だか引っかかるものがございます。やはり幸福というのはかなり客観的なものであって、そんなにはっきりと指標にできないから測り方が難しいんだろうと思うんですね。  今日、お二人の参考人のお話を伺いまして、山田参考人のお話を伺ったときには、幸福度というのは第三者が、他人が介在しないと測れないものなのだろうかという疑問を持ちました。つまり、自分の労働が第三者に評価をされたり、自分が大切な存在であるということを第三者に、家族に評価をしてもらわないと幸福を感じないというような印象を私は持ったんですね。  一方で、中村参考人のお話を伺ったときには、どちらかといえば、人間は大きな生命一つであると、生命の起源は一緒であるし、大きな大自然の一部であるという印象を受けましたし、農業が非常に大切であって、要するに他人が介在しなくても、例えば朝日が昇って美しくて幸せだな、自然を感じて幸せだな、あるいは稲が実って幸せだと感じる、第三者を介在させない幸福感というものを感じたんですね。その点で、何かすごく幸福といっても違うものだというふうに感じました。  私、長いこと国際交流やっているんですけれども、あるときアフリカのタンザニアの青年に聞かれたことがありまして、それは、日本では自殺者が非常に多いと、年間三万人以上だと聞いたと。彼は日本に来たことがある人間ですが、日本を訪ねてみて、物はあふれているし、非常に幸せな社会だと思ったけれども、どうしてそんなに自殺者が多いのかと。私の国では飢餓の問題もあるし、それこそ朝起きて、サンク・ゴッド・アイム・アライブと、ああよかった、今日も僕は生きているということで幸せ感を感じるのに、何でわざわざ日本人は自殺をするかと聞かれまして、かなり答えに困ったことがあります。  ですから、他人に評価される幸せというのはあるでしょうけれども、一番健全な形というのは、やはり評価されなくても幸せだと感じられることなのではないかなというふうに私は感じております。  あと、もう一つ。政策の方向性ということでは、私が興味深く思ったのは、中村参考人のプレゼンテーションで、先進国の条件として、一極集中でない、それから食料自給率が高いというこの二つが挙げられておりましたけれども、この両方を今日本は満たしていないなと思いました。東京一極集中ですし、食料自給率も低いので、やはりこれは非常に問題であるなというふうに感じました。  以上です。
  63. 澤雄二

    ○澤雄二君 亀井先生と同じような意見なんですけれども、幸せというのはやっぱり人によって全部違う。藤本先生言われましたけれども、やっぱり相対的なものですよね。だけど、政治が目指すものというのは、多分それを客観的にして、どう政治をしていけば格差がなくなる、格差がなくなることが幸せそうに見える、そういうものを追求するのが多分政治なんだろうというふうに思います。  ニューヨークにいるときに、中流以上の男性の一番の幸せは何かというと、離婚できることなんですね。年取ってから長く連れ添った奥様を離婚して若い女性をもらうことが一番の幸せなんですね。ですから、それをオナーというんですね、名誉。自分が一生懸命働いてきた人生の勲章として離婚することができる。そうなると、夫婦の愛情とか親子の愛情とかというのは幸せと一体どこへ行ってしまうんだというようなことを思ったりとか。  それから、アメリカは平等な国だと言いますよね。自由な国だと言います。でも、ニューヨークに行って三か月たって分かったことは、アメリカほど階級社会はないということが分かりました。つまり、アメリカ人というのはトップに行くことは多分できないんですね。いわゆるワスプが、つまり階級社会、それを乗り越えてトップに行くということは物すごく難しいこと。ですから、我々はもしかしたらアメリカンドリームという言葉の感じ方を間違っているかもしれませんが、アメリカアメリカンドリームというのは、だれでもトップに行けるんだ、だからアメリカンドリームだという感じを持っているかもしれませんが、実はそうではなくて、アメリカほど階級社会の厳しいところはなくて、それを乗り越えてトップに立った男というのはまさに夢を実現した男なんでアメリカンドリームと言うんだということを三か月で感じまして、となると、幸福というのは一体何だということはすごく難しくなっていく。  だから、政治家としての我々がやることは、要するに、幸せに見えること、幸せに思われることを追求するのは一体政治としてどういうことなんだろうかなということを多分追求することなんだろうなというふうに思います。
  64. 石井準一

    石井準一君 私も亀井先生なんかと同じ意見で、NHKのドキュメントで、アフガンの難民の子供がぼろをまとって震えてはだしで水をくんでいる姿を見て、うちの地元の子供たちにどう思うかということを聞いたことがあるんです。百人の子供のうち百人がかわいそうだと言うんですよね。しかし、その子供に自らの気持ちを聞いてみると、水をくみに行くことによって家族の役に立っていると、将来はアフガンという国を復興させるだけ、そういう将来に対しての大きな希望があると言うんです。  だから、やはり心の持ち方、そうしたものが幸福度や幸福量の中で占める割合というのは大きいんではないかなと、私も実はそういうふうに感じたんです。やはり日本子供たちに足らないというのはそういうところではないのかなと。それをただ漠然的にかわいそうだと見るその発想の乏しさ、それを物すごく自分は逆に心配をしたわけなんですよね。  自分も、はっきり言って兄弟の多いうちに育ったんですよ。今ではそれこそ珍しいと、長幼の序なんという言葉がなくなったと。ですから、去年の選挙のときに言うとみんなびっくりしているんですよ。私は十一人兄弟の一番下なんですよ。だから、その中で、やはり兄弟の愛情だとか教え合い、譲り合い、かばい合いだとかそういうものを自然と社会性というのは身に付いてきたんですよね。だから、親に心配掛けたくない、自分がこういう立場でいくことによって周りは喜んでくれる、そうしたものを感じ取れる、そうした環境というのもやっぱり大事じゃないかなと、それは本当につくづく感じているんですよね。  だから、やはりそうした物を見る見方というものも非常に大切、これからの子供教育の中には取り入れていかなきゃいけない本当に大事なことじゃないかなというふうに感じているんですけど。
  65. 佐藤信秋

    佐藤信秋君 佐藤信秋です。  意見に近いかもしれませんが、中村先生のさっきのお話の先進国の条件、さっき亀井先生もおっしゃった、一極集中でない、食料自給率が高い、地方が豊かで活性化している、こういう議論はまさしく私自身もそうだと思っているんですけれども、傾向としては東京に集まってきている。  それで、山田先生がお書きになっているように、東大、早稲田、慶応というようなところに行かないと就職できないよというので一生懸命地方から大学に来させようとする。一方で、地方大学も医学部、地方のそれぞれの大学も医学部なんか物すごく難しいですよね。東京とか大阪とか、小中一貫の私立の学校から行って、医学部にですよ、また今は自由にしてしまったものだからみんな戻るんですね、東京に戻ってくる。だからますます地方にお医者さんいなくなる、病院にいなくなるというような現象があって。  ここからは勝手な意見を、前から言っておるんですけれども、医学部のふるさと枠とかいって二十人とか三十人とか別の試験する。ふるさとに二十年勤めるとか約束してもらって、別の試験。同じ試験したら東京の子に負けちゃう。別の試験して、医学部や歯学部や、建築士なんかもみんなそうですけれども、資格のある学部、学科というものはそれぞれまたもう一回国家試験があるからそれでいいんですと割り切って、全員というわけにはいかないでしょうが、典型的には医学部、ほかの学部もそうなんで、ふるさとにずっと勤めますという子供たち用の枠というのを設けるべしと、ずっとそう言っていまして、少しずつ文部省も緩めてきてはいるようなんですけど、余り統一的でなくなるとまた文部省さんが予算絞るよとか言いかねない。やっぱり地方の大学はみんなそれを心配しているんですね、国立大学。  だから、そんなことがやれるような方向というのを是非私自身はやるべきじゃないかなと、意見でありますが、提案でありますが、思っています。
  66. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  それでは、意見も出尽くしたような感がいたします。  最後に、両参考人からの御意見をちょうだいして、この調査会を閉めさせていただこうと思いますけれども中村参考人お願いいたします。
  67. 中村桂子

    参考人中村桂子君) いろいろ私のつたない意見を聞いていただいたり、またいろいろ本当に教えていただいて、ありがとうございました。  まだ幸せって何なのかというのは実は分からないまま帰ることになりそうですけれども、ただ、先ほどから出ていることで、人間生き物だから、生き物ということを意識してということを私は申しました。それは本当に大事なことなんですが、ただ、ちょっと気を付けていただきたいことは、生き物の中で、人間というのは文化文明をつくるという特徴を持ったんです。ほかの生き物と全く同じように生きるということが幸せではないということは申し上げておかなければいけません。  と申しますのは、生き物の大事なことは続いていくことであり、続いていくために多様になりました。先ほどもちょっとお話ありましたが、均一じゃなく多様であることとおっしゃって、その多様であることが大事なんです。多様であったときに、それぞれの生き物がどうして生きているかというと、それぞれがそれぞれの特徴を生かして思う存分生きるということをやっている。多様であればいいというのではなくて、アリはアリなりに、ライオンはライオンなりに自分らしく、自分の能力を思う存分生かして生きるという状況ができているのが生物界の特徴です。  ただ、このときに、じゃ一つ一つ生き物はほかの生き物のことを考えて生きているか、これは全くそうではありません。今共生ということがよく言われていて、ほとんどの生き物は共生をしております。  私が今実際に調べているのは、ここの参考資料にも載っていますが、熱帯林の中のイチジクとハチ、熱帯林を支えているのは、イチジクにハチが入って、そのハチがイチジクをいつも実を付けさせてくれているからで、その実をいろんな生き物が食べて生きているのであの熱帯林がある。そのハチを今私は調べているんですが、これは本当に見事な共生です。  じゃ、この共生は、イチジクはハチのことを思い、ハチがイチジクのことを思ってでき上がったかというと、そんなことはない。ハチは自分子供をイチジクの実の中で育てたいから入っていくんですね。だから花粉を運んでやるんです。イチジクも別にハチのためを思って実がなっているわけではない。一つ一つはほかのことを思って生きているのではなくて、野生で生きていくって大変なことですから一生懸命生きているんですが、その結果、一緒に生きないと生きていけないというシステムができ上がっているのが生き物の世界なんですね。  私たちはその中にいるから共生ということをそれを考えられる、それが、あっ共生だねと考えられるのは人間だけなので、そのことを学び取ってそれを私たち文化文明に生かしていくということは大事なんですが、徹底して生き物だけになってしまうのがいいというのではないということだけはお断りしておかないと、生き物から学びさえすればいいというものではない、人間人間という特徴を生かさなければいけないと、そこのところはちょっとお断りしておかなければいけないかなというふうに思いました。  ただ、三十八億年続いていますので、今、私たちこの地球環境があると百年先大丈夫かなというような不安に駆られてみんなが考えているわけですが、そのときには、この三十八億年続いてきた能力に目を向けるということはとても意味があるという意味で私は生き物を見ていただきたいと言っているので、何でも生き物ならいいという気はないということだけ最後に申し上げたいと思います。  どうもありがとうございました。
  68. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  山田参考人お願いをいたします。
  69. 山田昌弘

    参考人山田昌弘君) じゃ最後に、一言にならないかもしれませんが、数言しゃべらさせていただきたいと思います。  私は社会学をやっておりますので、私は物の見方も社会的につくられるというふうに思っておりまして、確かにこういう子供になっちゃったというふうに嘆くんですけれども、そういう子供に育ててしまった我々、そういう環境に置いてしまった我々というのがありますので、じゃ、すぐ意見を変えろというふうに言ってもなかなか変わらないものだと思っております。  あと先ほどとちょっと逆の順番で、御質問等にもし参考になればということをお話しさせていただきますと、やはり私は幸福感というのは社会的な中で感じるものであると思っております。というか、正確に言えばべきであると思っています。  実は、多分幸福について一番研究の蓄積があるのは社会学でありまして、いろんな議論や調査、実験等がやはり行われているんですけれども、一方で、いや、何もなくても幸福を感じれるんだというような人もいます。それは何かというと、人間というのは生物の一種なので、幸福中枢に刺激を与えておればずっと幸福だろうというような人もいます。  実は、それはアメリカで大々的に行われていまして、プロザックネーションという、ちょっとだれが書いたか分からないんですが、論文がありまして、つまりアメリカは精神医がたくさんいる社会ですから、何か悩みがあるとかつらいとか、来た人には全部向精神薬を与えてしまって、悩みを薬でもって消すというような療法が行われていて、向精神薬を常用している人が何千万人にも上るとその論文には書いてありました。だけれども、何となく幸福なんだけれども何となくやる気がないという人たちが結構大量に出現してしまっている。  それをもっと進めていきますと、もう幸福中枢というのに電極を当ててぱっとやれば幸せ感がぱっと出るというような社会になりかねません。なりかねませんというか、私はそういう形での幸福というものは、価値観ですけれども、本当の幸福ではないと思っています。やはり人間の幸福というものは、社会の中で他者とともに生きることを実感すること。私、必要だとは言ったんですけれども、評価というふうには私は考えていません。  そして、その中で藤本先生がおっしゃったとおり、経済学者は幸福というものを考えないんですね。なぜかといえば、経済学者というのは、たくさんお金をもうけて、たくさん消費すれば幸福だというのを前提に研究していますから、その前提が崩れるとまずいので余りその点については議論をしないんですけれども、だけれども、幸福というものに関してはやはり客観的な基準は私はあると信じています。姫井先生がおっしゃったように、これが欠けると幸福ではないというような基準はあると思っています。  それはレジュメの中にも示しましたが、それは自分が努力してもだれも認めてくれなかったり、つまり自分の努力を無視されたりするとやはりそれは幸福じゃないだろう。自分が大切にされないというような経験があったり、自分が何かあったときにだれにも心配されないという孤立した環境にあったら、それはやはり客観的に不幸であろうと。あとは、収入とかそういうことでは測れませんが、やはり人並みの生活というのがあって、自分が人並みの、せいぜいこれぐらいが人並みだと思うような生活をしていないという状況を認識してしまうとやはりこれも不幸というか幸福感は感じられないだろうと。  と考えますと、今は人並みじゃなくても将来人並みになるだろうという感覚でもちろん幸せは感じられるわけです。というか、それが戦後の日本社会の幸福の物語を作ってきたんだと思うんですけれども、それが失われた今、とにかく取りあえず人並みの生活ができて、自分がやった努力はどこかで評価されて、自分が大切にされるというものを社会的に再構築していかなくてはいけないというふうに私個人としては思っております。  どうも何か長い間いろいろ私の意見を聞いていただきまして、ありがとうございます。私は今幸福を非常に感じております。
  70. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 長時間にわたってありがとうございました。  他に御発言もないようでありますから、委員間の意見交換を終了させていただきます。  また、今後の運営でありますけれども、理事間でもって委員間の意見交換等々どうやっていったらいいか、また御意見もちょうだいしてみたいと思います。  中村参考人及び山田参考人におかれましては、大変御多用の中、お時間を割いていただき、貴重な御意見をちょうだいしました。本当にありがとうございます。  本日お述べいただきました御意見、今後の調査参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表しまして厚く心から御礼を申し上げたいと存じます。ありがとうございました。(拍手)  今日の意見交換をもってしても、幸福度の高い社会という一つの方向性がかえってなぞが深まったかなと。これをどういう方向性、政治に反映して、政治的な一つの方向性を見出すということは本当に難しいような感じがしますけれども、一層委員間の御意見をちょうだいしたいと思います。今日はありがとうございました。  次回は来る二十日午後一時に開会することとさせていただきます。御協力をお願いいたします。  これにて散会をいたします。    午後三時四十一分散会