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2007-06-15 第166回国会 衆議院 本会議 第44号
公式Web版
会議録情報
0
平成
十九年六月十五日(金曜日)
—————————————
議事日程
第三十七号
平成
十九年六月十五日 午後一時
開議
第一
消防法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
、
参議院送付
)
—————————————
○本日の
会議
に付した案件
河村建夫
君の故
議員松岡利勝
君に対する
追悼演説
日程
第一
消防法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
、
参議院送付
)
電子記録債権法案
(
内閣提出
) 午後二時二分
開議
河野洋平
1
○
議長
(
河野洋平
君) これより
会議
を開きます。
————◇—————
河野洋平
2
○
議長
(
河野洋平
君) 御
報告
することがあります。
議員松岡利勝
君は、去る五月二十八日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の至りにたえません。
松岡利勝
君に対する
弔詞
は、
議長
において今十五日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年憲政のために尽力し
さき
に
農林水産委員長
の要職にあたられた
農林水産大臣議員松岡利勝
君の長逝を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます
—————————————
故
議員松岡利勝
君に対する
追悼演説
河野洋平
3
○
議長
(
河野洋平
君) この際、弔意を表するため、
河村建夫
君から
発言
を求められております。これを許します。
河村建夫
君。 〔
河村建夫
君
登壇
〕
河村建夫
4
○
河村建夫
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、本
院議員松岡利勝先生
は、去る五月二十八日、逝去されました。まことに
痛惜
の念にたえません。
農林水産大臣
の重職にあって、「
攻め
の
農政
」の
陣頭指揮
に当たっておられた中での突然の訃報に、
言葉
もなく、ただただ今もって信じがたい
思い
であります。御遺族の御心痛はいかばかりかと察するに余りあります。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べさせていただきます。
松岡利勝先生
と私は、私の方が若干年上ではありますが、同じように、
安倍晋
三
総理
のお父様であります
安倍晋太郎先生
の御教導を仰ぎながら、
平成
二年二月の第三十九回
衆議院議員
総
選挙
で初
当選
した同期の間柄であります。
松岡先生
とは、初
当選
して間もない
平成
四年十二月、
日本農業
の根幹、
国民生活
の土台である米、水田を守ることを
目標
に、
日本
の
農業
を守る
特別行動議員連盟
を結成いたしました。
平成
五年三月、
松岡先生
を団長とする我が
党議員
六名の第一次
訪米団
に私も団員として参加し、
日米
間の懸案となっていた米の輸入自由化問題について、
アメリカ側
に対し、新
ラウンド交渉
における
我が国
の
立場
への理解を求めるなど、実に戦略的な
交渉
を行いました。 その際、
訪米団
は二名ずつ三班に分かれて
アメリカ議会下院
の
議員会館
に乗り込み、私は
松岡先生
とともに
下院議員
五名と
会談
をいたしましたが、中でも、
アメリカ
の米どころ、アーカンソー州の出身で、
農業
問題に関し
クリントン大統領
のブレーンでもあった
ソーントン下院議員
との
会談
は大変厳しいものとなりました。 しかし、
松岡先生
は、「粘り強く頑張って
交渉
を続けていけば、必ず
解決
の道は開かれる」との
信念
に基づいて、気迫のこもった
交渉
をされました。
日本
の
農林水産業
の
発展
にかける
松岡先生
の強い
信念
と抜群の
行動力
、
指導力
は、
ソーントン下院議員
をして、「
松岡先生
はハードネゴシエーターだ」と言わしめるほどで、
松岡先生
は、
当選
一回にして既に、
我が国農政
の第一人者たる風格があったのであります。私には、それがつい昨日のことのように、鮮やかに、懐かしく
思い
出されます。
松岡利勝先生
は、
昭和
二十年二月二十五日、
世界最大級
のカルデラを誇る
阿蘇
山の雄大で静かな自然の中、
熊本
県
阿蘇
町、現在の
阿蘇
市にお生まれになりました。戦中戦後の、食べ物も乏しく、貧しい
時代
でありましたが、
子供たち
はみんな仲よく元気いっぱいに遊び、物はなくても心の豊かな
時代
でありました。 御
実家
は
農業
を営まれ、
松岡先生
は、
幼少
のころから御
両親
を助けて、田植えから稲刈り、家畜の世話や夏の炎天下での
下草刈り
といった
手伝い
を一生懸命にされました。そうした
手伝い
を通じて、
子供
ながらに、
農業
の厳しさ、大切さを胸に刻むとともに、御
両親
の御苦労、大変さを知り、御
両親
への感謝の
思い
を強くされました。また、一つのことをみんなで取り組むことの大事さに深く
思い
をいたされたのであります。
お世話
になった方を大切にされる細やかな心遣いは、
農業
の
手伝い
をされる中で、幼いころから培われてきたのであります。 長じて、
松岡先生
は、御
地元
の
伝統校
、
熊本県立済々黌高等学校
から、
鳥取大学
に進学をされました。当時、御
実家
では
農業
のほかに
林業
を営まれ、おじ上が
営林署
にお勤めであった
関係
もあって、お父上の勧めにより、
大学
は
林学科
のある農学部を選ばれたそうであります。
松岡先生
は、高校、
大学とも
に
空手部
に入部をされ、文武両道をきわめられました。
大学
四年生のときには、主将として、多くの
部員
の模範たる
立場
でありました。 当時、
鳥取大学空手部
は
地元
の千代川で正月の
寒げいこ
を行っていましたが、あるとき、現代の若者を題材とする
テレビ取材
を受けて、
松岡先生
は、
部員
とともに
日本海
での
寒げいこ
に挑まれました。川でやっているのを海でやるだけだと気楽に引き受けられた
松岡先生
でありましたが、冬の鳥取砂丘はいてつき、夏とは違って、幾ら走っても
海岸線
が近づいてこない。やっとのことで
海岸
にたどり着き、海に入って
空手
の型を披露し始めたところ、冬の
日本海
の冷たさはこんなに厳しいものかと、ほかの
部員
を
思い
やり、身にしみたそうであります。しかし、
取材陣
と一度交わした
約束
だからと、
最後
までこの
寒げいこ
をやり通したそうであります。このころから、
松岡先生
は
約束
を大事にする方でありました。
松岡先生
は、
昭和
四十四年、
鳥取大学卒業
後、
農林省
に入省され、北海道の
天塩営林署長
、
秋田営林局室長
、
林野庁課長補佐等
を歴任されました。中でも、二十代後半、
農林大臣官房企画室
で
係長
をされていたころの若き
松岡先生
は、
技術系
、
事務系
の枠や、
農業
、
林業
、
畜産業
、
水産業
という
分野
の枠での
縄張り意識
の強かった
農林省
の中にあって、この枠を乗り越えなければ
我が国
の
農林水産業
の将来はないとの強い
思い
を持っておられました。そうした中で、
中川一郎先生
を初め、多くの
政治家
の薫陶を受けられたことが、
政治
を志すきっかけになったと伺っております。 また、当時、
農林大臣
であった
安倍晋太郎先生
が、
食料
危機的な背景があったその
時代
に、恐らく
我が国
で初めて「
攻め
の
農政
」という
言葉
を使われました。
自分たち
の持っているもののよさをもう一度見直して、今までにない新たな領域、
分野
を開拓し、
攻め
ていく意欲、この
安倍晋太郎農林大臣
の「
攻め
の
農政
」の
言葉
が、
政治家松岡利勝先生
の
農政
に対する
信念
、すなわち、「
攻め
の
農政
を展開していくことが
農林水産業
を
発展
させる道である」との強い
信念
につながっていったのであります。 こうして
政治
への志を強くされた
松岡先生
は、
ふるさと阿蘇
への
思い
を胸に、
昭和
六十三年、
林野庁広報官
を
最後
に
農林水産
省を退官され、
平成
二年、
衆議院議員
総
選挙
に立候補、見事に初陣を飾られました。 その後、
松岡先生
は、連続六回の
当選
を果たされ、「
真実一路
」、「
お世話
になった人を大切に」を信条に、
我が国
の
農林水産業
が直面する課題に精力的に取り組み、数多くの
功績
を残されました。 本院におきましては、主に、
農林水産委員会
、
予算委員会
の
委員
、
理事
として御
活躍
になり、
平成
十一年から十二年にかけては、
農林水産委員長
として、公正かつ円満な
委員会運営
に尽力をされ、大いにその職責を果たされました。 また、
内閣
においては、
平成
七年には
農林水産政務次官
として、ガット・
ウルグアイ・ラウンド農業合意
による新たな
国際環境
の中で、
農業
を魅力ある
産業
として確立し、
食料
の
国内供給力
を確保するための
対策
の
具体化
に精力的に取り組まれました。
平成
十三年には、初代の
農林水産
副
大臣
に就任され、新しい
食料
・
農業
・
農村基本法
に基づく新たな
農業政策
の構築に尽力されるとともに、森林、
林業
、
木材産業政策
の見直しや、新たな
水産基本政策
の確立にも
指導力
を発揮されました。 さらに、自由民主党においても、
農林水産関係議員
の中核として、
農産物貿易交渉
や
鳥インフルエンザ対策
など、
国民生活
に直結する重要な問題の
解決
に尽力されてこられました。 そして、
平成
十八年九月、
松岡先生
は、
安倍内閣
の
農林水産大臣
に就任されました。
農林省
の
係長
当時、
農林大臣
であった
安倍晋太郎先生
の「
攻め
の
農政
」という
言葉
に感銘を受けられてから三十年余り、その御子息である
安倍晋
三
総理
から
農林水産大臣
を拝命されるというめぐり合わせ。
松岡先生
は、
言葉
が出ないくらいに感激をされ、頑張ってお役に立ちたいとの
思い
を
安倍総理
に伝えられたとのことであります。
農林水産大臣就任
後、直ちに、
松岡先生
は、
農林水産業
の
潜在能力
を
最大限
に発揮させ、二十一世紀の
戦略産業
にすべく、その具体的な道筋を示されました。「おいしく、安全な
日本産品
」の
輸出
を
平成
二十五年までに一兆円
規模
にするという大胆な
目標
に向かい、
ブランド戦略
の
推進等
、
品目ごと
の戦略的な
輸出促進
に取り組まれました。 その結果、
世界
の胃袋と言われ、豊かになった
中国
への本格的な
米輸出
を実現することができたのであります。高品質でおいしく安全な米は、
日本
の
農産物
のシンボルであります。その
日本
の米を、急激に
消費市場
の
拡大
が進み、
富裕層
を中心に
高級志向
を強める隣国、
中国
に
輸出
することは、
大変意義
深いものがあります。
中国側
の求める
検疫基準
への
対応等
で、その
交渉
は大変難しかったと伺っておりますが、
日本
の
農業
の未来のため、
松岡大臣
が寝食を忘れて
中国当局
と
交渉
されたおかげで、我々は、若い
農業
の
担い手たち
に、巨大な
中国市場
に乗り出すという極めて大きな夢と希望を与えることができたのであります。(
拍手
) また、他
産業並み
の所得を確保し得る効率的かつ安定的な
農業経営
の育成の
加速化
や、
国産バイオ燃料
の大幅な
生産拡大
など、将来を見通した
農政改革
を進められました。 さらに、
松岡大臣
は、
国際交渉
についても戦略的に取り組まれ、各国の
交渉相手
からも一目置かれる存在であったと伺っております。
松岡大臣
は、
EPA交渉
や
WTO農業交渉
において、
国内農業
への影響を十分踏まえ、守るべきものは守るとの確固たる方針のもと、その知見を生かし、
日本
として
最大限
の利益を得られるよう、精力的に
交渉
に当たられました。
さき
のハイリゲンダムにおけるG8サミットに先駆けて、去る六月三日及び四日、ベルリンで、
GLOBEインターナショナル
、
地球環境国際議員連盟主催
による
違法伐採対話国際フォーラム
が
開催
をされました。
松岡先生
は、
英国代表
とともにその
会議
の
共同議長
を務められる予定でありました。
松岡先生
の代理を務めてこられた我が党の
西川京子議員
によりますと、冒頭、
会議
を
開催
するに当たり、
英国
の
議員連盟議長
から、「
松岡先生
の御
活躍
なくしては、今回の
会議
の
開催
はあり得なかった」との
発言
があり、
参加国議員全員
による一分間の黙祷が行われ、
松岡先生
の御
功績
がたたえられましたとのこと、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
経済社会
が大きく変化する中で、
我が国農林水産業
は、今、新たな
時代
を迎えようとしております。このようなとき、豊富な経験と
行動力
を兼ね備え、
農林水産政策
を初め多くの
分野
でこれからますます
活躍
することが期待されていた
先生
が、志半ばのままにみずから命を絶たれたことは、あってはならないことであり、返す返すも残念であります。
幼少
のころ、
農業
を通じて命の大切さを身をもって知っておられた
先生
だけに、まことに痛恨のきわみであります。我々は、
松岡先生
の遺志を継いで、
我が国農政
の揺るぎない
発展
に尽力することをここにお誓い申し上げます。 ここに、謹んで
松岡利勝先生
の御生前の御
功績
をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
)
————◇—————
日程
第一
消防法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
、
参議院送付
)
河野洋平
5
○
議長
(
河野洋平
君)
日程
第一、
消防法
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
総務委員長佐藤勉
君。
—————————————
消防法
の一部を改正する
法律案
及び同
報告書
〔
本号末尾
に
掲載
〕
—————————————
〔
佐藤勉
君
登壇
〕
佐藤勉
6
○
佐藤勉
君 ただいま
議題
となりました
法律案
につきまして、
総務委員会
における
審査
の
経過
及び結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、大
規模
な
建築物等
における
地震等
の
災害
の防止を図るため、
自衛消防組織
の設置及び
地震等
の
災害
による被害の軽減のための
管理体制
の整備の義務づけ等の措置を講じようとするものであります。
本案
は、
参議院先議
に係るもので、去る六月十二
日本委員会
に付託され、同日
菅総務大臣
から
提案理由
の
説明
を聴取し、昨十四日
質疑
を行い、これを終局いたしました。次いで、
採決
いたしましたところ、
本案
は
全会一致
をもって
原案
のとおり
可決
すべきものと決しました。 なお、
本案
に対し
附帯決議
が付されました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
河野洋平
7
○
議長
(
河野洋平
君)
採決
いたします。
本案
の
委員長
の
報告
は
可決
であります。
本案
は
委員長報告
のとおり決するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
河野洋平
8
○
議長
(
河野洋平
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり
可決
いたしました。
————◇—————
加藤勝信
9
○
加藤勝信
君
議事日程追加
の
緊急動議
を提出いたします。
内閣提出
、
電子記録債権法案
を
議題
とし、
委員長
の
報告
を求め、その審議を進められることを望みます。
河野洋平
10
○
議長
(
河野洋平
君)
加藤勝信
君の
動議
に御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
河野洋平
11
○
議長
(
河野洋平
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
日程
は追加されました。
—————————————
電子記録債権法案
(
内閣提出
)
河野洋平
12
○
議長
(
河野洋平
君)
電子記録債権法案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
財務金融委員長伊藤達也
君。
—————————————
電子記録債権法案
及び同
報告書
〔
本号末尾
に
掲載
〕
—————————————
〔
伊藤達也
君
登壇
〕
伊藤達也
13
○
伊藤達也
君 ただいま
議題
となりました
法律案
につきまして、
財務金融委員会
における
審査
の
経過
及び結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、
金銭債権
について、その取引の安全を確保することによって
事業者
の
資金調達
の
円滑化等
を図る観点から、
電子債権記録機関
が調製する
記録原簿
への
電子記録
を発生、
譲渡等
の要件とする
電子記録債権
について定めるとともに、
電子債権記録機関
の業務、
監督等
について必要な事項を定めることにより、
電子記録債権制度
を創設しようとするものであります。
本案
は、去る六月七日当
委員会
に付託され、十三日
山本国務大臣
から
提案理由
の
説明
を聴取し、本日
法務委員会
との
連合審査
を行うなど
質疑
を行い、これを終局いたしました。次いで、
採決
いたしましたところ、
本案
は
賛成
多数をもって
原案
のとおり
可決
すべきものと決しました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
河野洋平
14
○
議長
(
河野洋平
君)
討論
の通告があります。これを許します。
佐々木憲昭
君。 〔
佐々木憲昭
君
登壇
〕
佐々木憲昭
15
○
佐々木憲昭
君
法案
の
討論
に入る前に、一言申し上げます。 本日の
財務金融委員会
で、
理事会
での
合意
なく
与党
が
強行採決
をしたことに、厳しく抗議するものであります。
与党
と
伊藤達也
君の
委員会運営
は、余りにも強権的であり、
議会制民主主義
を破壊するものだと言わなければなりません。 本
法案
は、本日から審議入りしたばかりであります。午前中、
連合審査
が二時間、
財務金融委員会
としての
質疑
は、
与党議員
が一名、わずか二十分程度の
質疑
にすぎなかったのであります。野党はだれ一人として
質疑
を行っておりません。また、要求した資料も提出されておらず、
関係者
の
参考人招致
も協議中でありました。 このような
状況下
で
採決
を強行するなど、言語道断であります。厳しく抗議するものであります。(
拍手
) 提案された
法案
は、
金銭債権
の
流動性
を高めるために、
電子記録債権
という新しい
債権
を創設するものであります。保管・
流通コスト
がかからず、
譲渡
しやすい
債権
という面では、
中小企業
の
資金調達
にも役立つ面があります。 しかし、本
法案
では、手形、
売り掛け債権
のみならず、通常の
融資
などすべての
金銭債権
が対象となっているため、
金融機関
の
融資
などの
債権
まで
電子記録債権
として
譲渡
が促進されるおそれがあります。これは、
金融機関
が
借り手企業
の
経営者
の資質や将来の
事業
の展望について判断し、長期にわたって
融資
を実行するという、政府が推進しているリレーションシップバンキングの精神にさえ反するものであります。
中小零細企業
、
個人企業
は、そのことによって不利な
立場
に立たされるにもかかわらず、本
法案
にはこのことへの
対策
が盛り込まれておりません。 以上、本
法案
に反対する
理由
を述べて、
討論
を終わります。(
拍手
)
河野洋平
16
○
議長
(
河野洋平
君) これにて
討論
は終局いたしました。
—————————————
河野洋平
17
○
議長
(
河野洋平
君)
採決
いたします。
本案
の
委員長
の
報告
は
可決
であります。
本案
を
委員長報告
のとおり決するに
賛成
の諸君の
起立
を求めます。 〔
賛成者起立
〕
河野洋平
18
○
議長
(
河野洋平
君)
起立
多数。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり
可決
いたしました。
————◇—————
河野洋平
19
○
議長
(
河野洋平
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後二時二十六分散会
————◇—————
出席国務大臣
総務大臣
菅 義偉君
国務大臣
山本
有二君