○
委員以外の
議員(
山内俊夫君) 第四班の
報告をさしていただきます
山内俊夫であります。
我が班は、実は今日、田村公平先生が当初
報告されるという予定であったんですけれども、突然の予定が入りまして、私が代わりに
報告をさしていただきます。
私
たちは、田村
団長以下、私と新進気鋭の民主党の松下新平先生、三名でお邪魔をいたしまして、大変少人数の団でありまして、非常にコミュニケーションをしっかりと取りながら
ODA調査に行ってまいりました。七月の十八日から二十八日まで、ケニアそしてセネガルと二か国であります。ちょうどたまたま、イギリス経由で入ったわけでございますけれども、イギリスが近年まれに見る熱波が到来しておりまして、大変暑いイギリス、ロンドンでありまして、帰りもやはりロンドン経由だったんですけれども、まだ熱波が引いてないという
状況の中で、大変アフリカの方が涼しかったという
印象がまずあります。
その中で、こういう団の特徴というのは、常に私は思いますが、
団長のポリシーが中心になろうと思います。特に、御承知のとおり、田村公平
団長は非常に個性豊かな
団長でありまして、我々が出発する前に、まず三つの確認をしようということで出発をいたしました。
その中では、この
ODAというのは大変
国民の税金使っているんだからしっかりと
調査をしようよと、これが大きな柱。そして、
現地視察を丁寧にやろうよと、現場主義でいこうと、これが
二つ目であります。そして、
大使館の、ここはちょっと難しかったんですけれども、便宜
供与をできるだけ受けないようにしようと。でも、なければ十分な
視察できないじゃないかという
意見もありますが、彼のポリシーは、まあ
大使館で飲み食いはやめようと。ただし、
JICAの
メンバー、そして
大使館のそれぞれの我々に便宜を図っていただいている皆さん方とはやっぱりコミュニケーションを取らなければ
情報が入らないということで、我々の費用を持ち出してホテルで招待をしてやろうということで約十一日間行ってまいりました。大変有
意義であったと思います。
細かい
報告については、二百一ページから二百五十六ページ、大変すばらしい
報告ができ上がっておりますので、細かいところはそこをごらんになっていただけたらと思います。
今日は、口頭では、ケニアでの
視察、特にナイロビ、この一か所と、そしてキスム、少しナイロビから三百キロばかり西へ行ったビクトリア湖の近くのキスム地区でございますが、その中で、もう皆さん御承知のとおり、鈴木宗男さんで大変有名になりましたソンドゥ・ミリウというその水力
発電所、先ほど
大門先生がコタパンジャンの
報告もありましたけれども、少し毛色の違うところを少し今日は御
報告させていただけたらと思っております。
そして、セネガルについては水が大変不足しております。特に、近年、アフリカ全土で大変水が不足している。それは降雨量が少なくなっているというわけじゃなくて、やはり近代文明社会には水が大変多く使用するということでありますから、当然その水の確保ということを、その中で
タイバンジャイ村というところで
日本が行っております
ODAのその
日本版のシステム、これを私、今日二つばかり紹介をさせていただけたらと思います。
まず、ケニアでのナイロビで行いました我々の基本的なところは、林業研究所とか中等理数科教育強化
プロジェクト、この辺りをしっかりと見てこようと、どこまで根付いてるかな、これが第一回目の我々の一番大きな見方でありました。
特に、林業研究所は、半乾燥地帯で社会林業強化ということでございますが、乾燥地帯をどう緑化をしていくかということであります。まあ二〇〇九年までの計画でありました。今ちょうど半ばでございます。第一フレーズが終わりまして、第二フレーズ、近隣の国の
人たちの指導者養成も今行っております。確かに、目に見えた形じゃないんですが、研究所もそれなりにかなりバイオの高レベルな研究もやっておられまして、その地域に合った苗の育苗をどうするかということまで研究をいたしております。大変我々も参考になったし、彼らが本当に真剣にこの問題、乾燥の問題について取り組んでいるということが分かりました。
そして、キスム地区でありますが、これは非常に、皆さん御承知のとおり、九州の一・四倍ぐらいあります湖に流れ込んでおりますソンドゥ川の水をせき止めて水力発電を起こす。これは、我々行く前に、これ
団長も松下先生も私も同じなんですが、大体の概略
情報をいただいておりました。そして、我々が感じておりました、例えば黒四
ダムのように大きな
ダムを造ってそこから水力発電をするんだという概念だったんですが、全く違いましたね。どう違ったかといいますと、ソンドゥ川の上流域に七メートルぐらいの小さな堰を造ります。その堰からトンネルを掘って、ちょうどキスムの町の外れでありますが、二百メートルぐらいの落差のある急斜面のところにその導水管を出してくる、そこから水圧管を真下へ落としていくと、そこで約六十メガワットの発電をするということなんです。
じゃ、その水をどうするかといいますと、そのまままたソンドゥ川の下流域に戻すという。ちょうど今我々が行ったときには、
発電所の建屋の建設とその排水、合流さす排水の工事をやっておりました。そこもまたもったいないので、そこからまた少し五十メーターか六十メートルぐらいの落差を利用して、最後の川に落とす寸前にまた二十メガワットの発電をしようと。我々も非常に感心したのは、正に
日本人の知恵が入っている
プロジェクトだなと思いました。
現地の責任者の方にいろいろ約二、三時間お話を聞いて、現場にも入ってまいりました。そうしますと、この
ダムが約実は四年間止まりましたという話なんですね。なぜ止まったか。ちょうどそのころ
日本のムネオハウスで随分有名になったものですから、マスコミが随分取り上げた。その取り上げたマスコミは、確かに
現地にもやってきたと、私
たちも丁寧に
説明したんですが、ほとんど現場見ず、そのまますっと帰ってしまった。で、それから何日か何か月かすると、
日本で随分マスコミで騒いでいると。少しおどおどしい話になってしまったということで、大変、我々は一生懸命やっているし、
現地の
人たちともいろんな話をしながら、小学校、中学校も新しくしながら、そして地域の人の仕事を確保しながら、いい品質のものを造り上げていこうと。
技術的には大変自信を持っておいでになったようでございますけれども、その四年間のブランクが非常に残念だったと。それで、コストも結果高くなってしまったということもあります。その辺りは是非御
理解をいただきたいというようなことも現場の人は申しておりました。
そういうところで、また後ほど御質問があればお承りしようと思います。
そして、セネガルへその後行ってまいりましたけれども、そのセネガル、アフリカというのは西から東、横に行くのが大変な時間が掛かります。一度また、それこそロンドンかフランスへ戻ってから行った方がいいのかなというぐらいの
状況でございますが、そのままマリという国のトランジットで、そのままダカールへ入りました。
そのダカールというのは、もう皆さん御承知のとおり、パリ・ダカで有名なところでありますけれども、まだまだ乾燥地帯でありました。まだ半乾燥地帯で、大変乾燥状態が厳しいところで、水も不足もしておりました。そこへ行ってまいりまして、先ほど申し上げましたように、
タイバンジャイ村というところへ我々行きました。大変な歓迎でありました。ええっ、何とこんなに準備をしてくれていたのかなというぐらいびっくり仰天をしたわけであります。
ただ、私は、この
タイバンジャイ村のその水の
管理の
在り方、これは正に
日本人の知恵なんですね。私も昨年ザンジバルにも行ってまいりました。ザンジバルでその水の
ODA、無償
供与か有償になるか分かりませんけれども、その計画をしているんだけれども、なかなか村人がお金を払う、自分
たちが受ける給水の料金を払うという習慣がないものですから、なかなかスタートができない。
日本サイドは、ちゃんと
管理運営をしてくださいね、するんだったら
ODAを付けますよというス
タイルで進んでいるんです。ところが、なかなかそれがうまくいかない。
ただ、ここは、
タイバンジャイ村も最初もそうであったんですけれども、今、
日本の給水塔ができ上がっておりまして、やはり電気代掛かります。そして、最初、配水をしたときにみんなじゃんじゃん使うわけですね、喜んで。メーターを見て、あと請求が来て、皆びっくりしたと。それでかなりもめたらしいんですけれども、その後、ちゃんと村の
人たちとその
委員会をつくりまして、
管理の仕方を一緒にやりましょうということで、
現地の
人たちを中心にその水の
管理のやり方をやった。これが非常に功を奏しまして、周辺の村でも結構あるんですけれども、そこの
タイバンジャイ村が一番うまくいっている。ちゃんとその給水塔のメンテナンス費用までその中で組んである。我々が行きますと、メモ帳みたいな収支決算書も見せていただきまして、コピーがありませんから、もう原本を見せていただいて、このとおり一生懸命やっていますと、皆村人も喜んでくれていますということ、村の村おさがそういうふうな
報告がありました。
このシステムをもう少しアフリカ全土に私は広げていく必要があるのかなという気がいたしまして、まず御紹介をさせていただいた次第であります。
ところで、このアフリカ全体で青年海外協力隊の
在り方、また
NGOの団体の
在り方、それと
JICAの
在り方というのを我々はいろんな各所で交換会をやりました。
その中で、一概にして彼らが言うには、まず、青年海外協力隊の場合は非常に夢と希望を持って一生懸命やっているんだが、いざもうそろそろ帰国かなと思うときに、再就職はどうなんだろうというのが大変どなたも心配されております。学校の先生の職を一時離れて、帰ればまたもう一度教育現場へ戻れる方は何人かいるようですけれども、どうしてもまだ帰って就職口を探さなきゃいけない。幸い、例えば京都とかある一部の地区は海外青年協力隊で頑張ってこられた
人たちというのは、その教育現場にすごくいい効果を現すんだということで、最優先で採用してくれている県もあるようであります。何か京都府はそのようなシステムを取っております。ですから、これをもう少し各県に広げていって、学校の先生になりたい人、また地域の会社を経営している
人たちにも、単なる
大学出た
人たちよりも青年海外協力隊でそれこそ水も電気もないところで頑張ってこられた
人たちの方がより効果的じゃないですかというようなアドバイスもしていかなきゃいけないなと思っております。
最後になりましたが、この
ODAの
関係について、我々は、三人は常に大使と懇談会をやります。そして、いろんなこの
ODAの
在り方について議論もしてまいりました。特に
印象に残っておりますのが、イギリス、ロンドンでの大使との話の中で、ヨーロッパの
人たちは、アフリカはもう
供与なんだと、彼らにはもう与えるしかないんだと、こういう概念なんですね。で、
日本はそうじゃないですよと。
日本は自立
支援がベストなんです。そのために今アフリカよりも東南アジアはそれなりに自立しているでしょう。その結果は是非、大使、ヨーロッパ、フランス、イギリス、そういう
人たちにしっかりと
日本のアピールしてください、この
日本式のやり方というのはこれはアフリカにも持ち込めるはずだと、その
日本式というものを非常に我々はもっと自信を持ってやる必要があるんではないかなというような
意見交換もしてまいりました。
いろいろ雑駁な話になりましたけど、以上でございます。ありがとうございました。