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2006-12-11 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十八年十二月十一日(月曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  十二月七日     辞任         補欠選任      辻  泰弘君     広中和歌子君  十二月八日     辞任         補欠選任      舛添 要一君     大仁田 厚君  十二月十一日     辞任         補欠選任      浮島とも子君     山本  保君      後藤 博子君     亀井 郁夫君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         中曽根弘文君     理 事                 岸  信夫君                 北岡 秀二君                 保坂 三蔵君                 佐藤 泰介君                 櫻井  充君                 蓮   舫君                 風間  昶君     委 員                 岩城 光英君                 小野 清子君                 大仁田 厚君                 岡田 直樹君                 岡田  広君                 小泉 昭男君                 小泉 顕雄君                 鴻池 祥肇君                 坂本由紀子君                 中島 啓雄君                 南野知惠子君                 松村 祥史君                 神本美恵子君                 下田 敦子君                 鈴木  寛君                 西岡 武夫君                 林 久美子君                 広中和歌子君                 福山 哲郎君                 藤本 祐司君                 水岡 俊一君                 山下 栄一君                 山本  保君                 鰐淵 洋子君                 井上 哲士君                 近藤 正道君                 亀井 郁夫君    事務局側        常任委員会専門        員        山口 俊史君    参考人        愛媛県知事    加戸 守行君        品川区長     濱野  健君        前志木市長        NPO法人地方        自立政策研究所        理事長      穂坂 邦夫君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第  百六十五回国会衆議院送付) ○日本国教育基本法案輿石東君外六名発議) ○地方教育行政の適正な運営確保に関する法律  案(輿石東君外六名発議) ○学校教育環境整備推進による教育振興  に関する法律案輿石東君外六名発議)     ─────────────
  2. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、辻泰弘君及び舛添要一君が委員辞任され、その補欠として広中和歌子君及び大仁田厚君が選任されました。  また、本日、浮島とも子君及び後藤博子君が委員辞任され、その補欠として山本保君及び亀井郁夫君が選任されました。     ─────────────
  3. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 教育基本法案日本国教育基本法案地方教育行政の適正な運営確保に関する法律案及び学校教育環境整備推進による教育振興に関する法律案、以上四案を一括して議題といたします。  本日は、愛媛県知事加戸守行君、品川区長濱野健君及び前志木市長NPO法人地方自立政策研究所理事長穂坂邦夫君、以上三名の参考人の御出席をいただき、御意見を聴取し、質疑を行います。  この際、参考人の皆さんに対し、本委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございました。  皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、今後の本委員会の審査の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  まず、加戸参考人濱野参考人穂坂参考人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、各委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず加戸参考人からお願いいたします。加戸参考人
  4. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 本日は、教育基本に関する御審議が行われています当委員会参考人としてお呼びいただきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことに厚く御礼申し上げます。  私は、かつて文部省に勤務しておりました期間のうち、飛び飛びでございますが通算十年、教育委員会制度を担当させていただいた経験がございます。また、愛媛県知事ということで八年間、地方教育行政の一端を担っております立場からの意見として申し述べさせていただきたいと思います。  教育行政におきます地方公共団体役割は、戦前と戦後はがらりと変わりました。このきっかけとなりましたのが、昭和二十一年三月にアメリカからストダード博士を団長とする二十七名の教育使節団が参りまして、改善の意見を、報告マッカーサー司令官に出しました。中の一番問題は、ローマ字を日本の国語にという提案は、これは日本政府見識ではねたわけでございますけれども、六三三四制という学校制度教育委員会制度はこの報告をベースといたしております。  そのときの考え方が、かつての上意下達の中央集権方式教育行政から地方分権型へという基本理念で、報告書の中では、内務省地方官吏学校に対する管理行政を排するため、公選による教育行政機関を設けるという提案でありました。これを受けて昭和二十三年に教育委員会制度が設けられまして公選制が行われましたが、その後四年、昭和二十五年の九月に第二次教育使節団が参りまして、第一回目の使節団構成員の五名が参りまして、言うなればアフターケアの形で報告を出しました。  その中では、教育委員選任について、特定自分考え方を押し付ける人、集団の意思を代弁する人、そういった人は委員としては適当でないというような提言もありました一方、もう一つ踏み込みまして、教育委員会教育予算編成権を与えるべきだという強い提言もございました。  これを受けて昭和二十七年に教育委員会法改正が行われて、教育予算議会への提案権教育委員会が持つという改正が行われました。しかし、このことは議会教育委員会との間の対立関係を生む形になりまして、昭和三十一年の法改正でそれはまた首長権限に戻され、単に教育委員会意見を聴くという形に改められました。と同時に、公選制による教育委員会制度特定の党派あるいは団体意見を強く反映し過ぎるということで、議会の承認を得た任命制に変わったという経緯があります。  そこで、現実に私自身知事立場教育行政を担当させていただいておりまして、問題は、教育委員会が機能していないという意見がよく出されます。このことは、実際上は制度の問題といいますよりも、まず教育委員選任は、人格高潔で、教育、学術、文化に関し識見を有する者の中から任命するとされている。正に首長見識においてその地域社会で尊敬されるような人格あるいは識見を有する方を選んでいただくということが基本条件でありますと同時に、任命されました教育委員は、今現在の制度の下におきまして地方教育行政の最終的な責任者立場に立つわけでありますから、それなりの与えられた責務を自覚した上で主体性を発揮して委員会としての意思決定を取りまとめるという形でならなければならないだろうと私は思ってもおります。  現実の問題といたしまして、長が持っております権限は、言うなれば教育予算編成執行権のみでありまして、現実にじゃ教育在り方について何も言えないかというと、必ずしもそうではありませんのは、直接教育委員会に対する指示は不可能でございますけれども、例えば議会での答弁、あるいは新聞記者との会見等々で教育問題に関しての意見を求められた場合には、これは教育委員会の所管ではあるが私はこう思うという自分なりの考え方意見表明をさせていただきます。そのことは、当然議会出席されております教育委員あるいは教育長は聞いておるわけでございますし、また報道での発表は新聞、テレビを通じて報道されますから、知事はこんな考え方教育に向けての思いを持っているんだなということは当然理解していただいた上で、具体的な取組は、それは教育委員会主体性によって行われるということであろうかと思っております。  もう一つは、予算編成権といたしまして、特に定数配分の問題があります。これはそれぞれの県によって違いますけれども、やはり知事考え方はかなり影響力を持つかなと思いますのは、現実定数配分をいたしますときに、音楽の専科教員を重視するのか体育の専科教員の配置考えるのか、あるいは教員資質向上教育大学院への派遣学生数を増やす、定数を増やすかどうか、教育困難校にどの程度配分をするのか、あるいは学級編制を四十人学級から三十五人にするのか、様々な形で限られたパイの中で、厳しい財政状況の中でやりくりしながらそれを考えていくということは、ある財源を生み出すためにはどこかの財源を切らなきゃいけませんから、どこかにウエートを置くということは他の分野ウエートが下がるという、ある意味ではやじろべえのような関係になることはあり得ますけれども基本的に知事首長として教育に関して大きな影響力を持つのは、そういった意味でのウエートの置き方はどちらに向けるのかということで左右されるであろうと思ってもおります。  教育内容等の問題は、これは教育委員会が正に自主的に御判断になることでありますし、今申し上げました教育内容学習指導要領という国の基本的な基準がございますから、その枠の中でどこまで弾力的な取組をしていくのか。  今、愛媛県におきましては、可能な限り学校自主性を尊重して弾力的な運用自主性創造性を発揮するようにという校長に対する権限移譲が進められておりまして、教育委員会はそういった点で教育内容面に関して負荷する分野は余り強くはないのかなと印象は受けております。  いずれにいたしましても、その教育方向性についての大きな国の枠の中で県は判断をし、また市町村教育委員会も同様な、それに準じた形での取組をしていくのかなと。  教育自体は多くの人がたくさんの意見を持っております。その意見はみんな違います。その違いを一つに集約するということは極めて困難なことでありまして、特に義務教育分野では、全国民教育水準維持向上という視点からするならば、国が大枠を定めた中でどの程度弾力的運用が可能なのか、例えば、学習指導要領あるいは授業時数編成にありましても、何時間とかあるいは何単位ということが固定的であるよりは、むしろ若干、二単位から三単位の差とか、何時間から何時間までとか、ある幅を示した形での基準があると県なり市町村なりの取組はもっと弾力性自主性を持って発揮されるのではないかなという感じがいたします。  現在、未履修問題が大きな問題として、社会問題として取り上げられておりますけれども、これはある意味では学校自分たち取組として善意で取り組んだ結果でないとは言い切れないとも思います。その辺が、枠の決め方がどの程度拘束性を持った枠の決め方をするかによって地方取組も変わってくるのかなという印象を持ってもおります。  西遊記で、孫悟空が大きく飛び跳ねて、気が付いてみたらお釈迦様の手のひらの中で飛び跳ねていたという話がございますけれども、言うなれば、国の基準は私の感覚としては手のひらであって、その中でどこまで及ぶのか、親指にとどまるのか中指まで行くのか、それは県なり市町村教育委員会判断が加えられる要素があるといいなと正直思ったりもいたしております。  大切なことは、教育行政の中で大きなウエートを占めるのが教育予算であります。しかも、その固まりはほとんどが人件費であります。残念ながら、先般、義務教育国庫負担金の二分の一が三分の一に減らされましたけれども、考えてみますと、こういった財政的負担義務教育国民に対しその子女に就学させる義務を負う国の立場からするならば、全額又は二分の一の義務教育国庫負担が正しいと私は今でも信じております。その中で、どんな形での様々な取組をしていくのか、それぞれ地方公共団体の長なりの考え方がありますけれども、大切なことは、教育政治的中立確保するという点で、教育委員会制度は、いろいろ問題は抱えているとしても、現時点におけるベストな制度だと私は思っております。  私自身も、自らの思いがなかなか教育行政に反映しないというもどかしい思いはすることもあります。しかし、私の感覚判断がすべて正しいとは限りません。思い付きで何かをやるということは教育にとって大変危険なことでもあります。大きな流れの中で徐々に徐々にいい方向へ向かっていくと、それがあるべき姿ではないのか。特に考えなけりゃなりませんのは、人事の問題として、教育内容はどこからどこにウエートを移すために必要なくなった教員の首を切るのか、必要な分野教員を新たに採用するのか、そういうことは短期間のスパンではできることではありません。  五年、十年の見通した形で徐々に移行していく。これはあらゆる分野そうだと思いますけれども教育は教師、教員そのものが命であります。正に教員のある程度の安定した形での仕事を情熱を持って取り組んでいただくためには、単なる首長考え方一つ教員の数や身分や、あるいは採用や退職、リストラ等々が行われるという危険だけは排除しなければならないと私は思ってもおります。もどかしいようではございますけれども、長の考え方を徐々に浸透させながら、教育委員会がその基本的な方向性を、専門的な見地から様々な取組をしていくのが正しい制度在り方ではないのかと思っております。  教育委員会制度はレーマンコントロールと言われております。正に素人の委員が五人。しかし、考えてみますと、そこに専門家のエキスパートである教育長が加わった構成になりますけれども、単独の首長一人の判断よりは三人とか五人という、その合議制教育委員会に大きなメリットがあります。三人寄れば文殊の知恵という言葉もあります。五人寄れば普賢の真理、そんな形で教育がある程度政治的に中立で安定して継続的に行われる、地方教育行政にとっての教育委員会制度は私は高く評価しておりますし、あとは運用の問題ではないのか。運用はまだまだ要求すべきことも多いでしょうけれども、その中にその地域の未来を様々な創意工夫を凝らしながらつくっていくということは可能だと思ってもおります。  私の一応考え方を表現させていただきました。ありがとうございました。
  5. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  次に、濱野参考人、お願いいたします。濱野参考人
  6. 濱野健

    参考人濱野健君) 御紹介をいただきました品川区長濱野でございます。  本日は、大切な教育基本法にかかわる特別委員会にお招きをいただきまして、意見を述べさせていただく機会を与えられましたことを心から感謝申し上げます。  私からは、具体的な事例を挙げまして品川区が取り組んでいる教育改革内容を御紹介させていただきながら、もう一つは、首長として、今子供を取り巻く環境の中で地方公共団体がどういうことに取り組まなければいけないかという、そういう課題について少しお話をさせていただきたいと思います。  具体的な事例に入ります前に、私が思っておりますことでありますけれども、国では安倍総理が、これからの社会のありようの中で教育はいかにあるべきか、子供たちはどのようにあるべきかということを考え、実践し、発言をされているわけであります。それは、これからの国家というものを考えたときに当然のことであろうかと思います。  しかしまた、教育というのは、国家だけではなくて、その地域社会次代において担っていく人材を育てる営みでもございます。品川なら品川地域社会を担っていく人間をはぐくんでいくという、そういう営みでございます。そこにやはり、安倍総理が国の文科省に対して一定の指揮なり発言力があるのと同じように、首長としてもやはり教育の問題について一定の、権限とは申しませんが、そういうものが必要ではないかというふうに思っております。  今の加戸知事お話とも関連いたしますけれども、実際には、例えば予算の査定でありますとか議会との関係でありますとか、こういったことで首長教育の問題について言及はするわけでありますけれども、現在の法制度の中では、首長役割というのは学校設置者ということであります。つまり、校舎を建て、校庭を整備する、これだけが明示されている首長役割でありますけれども、先ほど申しましたように、次代地域社会の担い手をはぐくむという営みに関して首長はもう少し明文的に影響力を行使できるような、そういう仕組みが必要なのではないかなというふうに思っております。  私自身は、教育委員会の存廃については特段独自の意見は持っておりませんが、教育委員会と並立するような形で首長一定権限を持つ明文の明示があってもいいのではないか、こんなふうに思っております。  私、品川区では、教育改革の根幹を、これは区政すべてそうでありますけれども子供本位というふうに考えております。子供本位、これは区政区民本位というのと同じでございます。象牙の塔とか白い巨塔といって、病院や学校というのは一種の権威性閉鎖性の中にあるという、かつてそういう時代がありましたけれども、そうではなくて、やはり社会構成員として、一つ社会構成する組織として学校というものはあるはずだというふうに思っておりまして、学校社会性を持つべきだというふうな思いを持っております。そんなことで、そういうことを観点に、それともう一つは、経営感覚学校経営に必要だという、そういう観点から教育改革を進めてまいりました。  平成八年に戸越台中学校という中学校特別養護老人ホーム合築をしたんです。これは思わぬ効果があった。これは、学校が世間と向き合わざるを得ない装置になったわけであります。学校といえば、塀を巡らせて学校の中だけで自己完結する、そういう施設でありますけれども特別養護老人ホーム合築することによりまして、お年寄りといやが応でも直面する、こういう言わばハード的な仕掛けになったわけでありまして、ここに初めて品川区の学校社会と直接向き合うようになったというふうに思っております。  そして、平成十八年に、これは第三次長期基本計画という地方基本計画を作る段階の中で、これは前の区長が、非常に素朴な発想でありますけれども、何で子供たち自分の行く学校が決められているのか、何で自分で選べないのかという、そういう発想から学校選択自由化という問題に取り組んだわけでございます。  長期計画策定の中でこの学校選択自由化に積極的に取り組もうということになりまして、平成十一年に、いろんな面で大変に名前が知れておりますけど、若月教育長招聘をいたしました。この若月教育長は、その前に私ども指導室長をやっておりましたので品川区の実態をよく知っているということと、非常に大胆に改革を断行してくれるという、そういう期待を持って十一年に招聘をいたしまして、早速、教育改革プラン21というのを策定をいたしました。プラン21の初版本でございます。  これは、中身は、学校選択自由性と、それからもう一つは、選ばれる学校という、学校が今度は選ばれる立場になるという観点から特色ある学校をつくっていこう、こういう学校独自の取組をしなければ選ばれないという、そういう仕組みをつくったわけでございます。その仕組みをつくって、平成十二年、十三年で小学生、中学生にこの制度を導入して実際に実施をいたしました。この時点で教育改革が始まったわけでございます。  もう一つ重要なことは、教育においては社会との先ほど付き合うということでありますけれども、この平成十三年にすまいるスクールというのを立ち上げました。これ、従来、学童保育クラブという格好で、学童保育ということで、いわゆるかぎっ子対策として一部の子供たち放課後見守るという、そういう事業をやっておりましたけれども、それを学校の中でやっていこうということでございます。したがって、すべての小学生が対象になる、すべての小学生放課後学習であるとか、それから遊びであるとか、あるいは得意分野のことをやっていくと。その中に、地域のボランティアの方々あるいは地域指導者が入っていただいたわけであります。ここにおいて、放課後学校地域に開かれている、そういう時間帯を設けたということになります。そういう意味で、学校社会性を持つということにこのすまいるスクールというのが一役を担ったというふうに思っております。  そして、その十三年にそのすまいるスクールを始めたわけでありますけれども、十四年にもう一つの試みでございます、今日お手元に資料でこういう「二葉すこやか園」という資料を付けさせていただきましたが、幼保一体化施設を十四年、品川区で設立をいたしました。これは、先ほど申しました理念である子供本位というところからの発想でございます。つまり、子供が、親が働いているかどうかでもってその扱いが、行政扱いが異なってくる、幼稚園なのか保育園なのか。これは子供が選んだわけではありません。親の就労という、その親の事情によって子供の見守り方が違ってくるという、これは子供本位ではないだろうということで、幼稚園保育園というものを一体化していく必要があるんだと、こういう観点から保育園幼稚園を一体的に設置をしたものでございます。  それは、平成十六年になりまして、もう一つぷりすくーるというものを立ち上げまして、これは私立幼稚園マンパワーであるNPOを活用して幼保一体化施設を造りまして、平成十八年、今年でありますけれども、もう一つびっこ園台場というのを造りました。今三つ、そういう意味幼保一体化施設がございます。  のびっこ園台場には、先ほどデンマーク首相夫人がお見えになりました。デンマーク首相夫人というのは、横道にそれますが、現職の保育士だそうでございます。そういった意味で、私どもが出迎えるという儀礼的なことよりも、まず園長さんとお話がしたいということで、デンマーク首相夫人がのびっこ園を訪問していただきました。そういったことで、子供本位ということから幼保一体化施設を造ってきたわけでございます。  一方、学校改革でございますが、学校選択をつくった、制度を導入した、そして選ばれる学校になった。それでは、その選ばれる学校が、あるいはそれぞれの学校がどうやってこの子供たち教育を保障していくかということで、そこで取り入れましたのがいわゆる学校評価制度でございます。今はもう一般的になっておりますけれども外部評価委員によって学校を評価していただく、社会から見てどうなのか、あるいはその先生方の努力をどう見ていただいているのかというのを外部評価をしていただくという仕組みを取り入れました。  そしてもう一つは、学力の定着度調査というのを区独自で実施をいたしました。一斉テストです、一言で言えば、品川区独自です。これをホームページに公表いたしました。個人個人ではありません。各学校のホームページに、うちの定着度はこうでしたということを発表いたします。そして、それだけが大切なのではありません。その学校が、うちの学校は算数がちょっとこうこうこういうことで落ちている、あるいは低いと、特にこういう分野について問題があるということであれば、ここにどういうふうな手を打つかという、いわゆる学校の態度表明を併せて載せるようにしております。つまり、各学校自分学校の現状を振り返って、そしてこれからどうするかということをワンセットでもって子供たちにあるいは保護者にあるいは地域に明らかにしていくと、そういうシステムを取ったわけでございます。  したがって、外部評価と、もう一つは定着度調査と、そしてそれに伴う態度表明、そして具体的な手法としては、習熟度別授業を平成十五年でしたか、取り入れました。  習熟度別というのは、先ほど申しましたように、学校としてのその出っ込み引っ込みがある、このへっこみをこういうふうに改善していくということと同時に、生徒一人一人の状況に着目して、この子にはこういうところが必要だ、こういうところの補習が必要だということで、習熟度別の授業を展開するということを始めております。そういう改革を進めまして、そしてそういう改革を小中一貫校ということで、あるいは小中一貫教育ということで体系化していったわけでございます。  これは、私ども品川区における小中一貫の教育要領でございます。この小中一貫の教育要領の中で、今申し上げたような事柄を全部体系化をして全区的に小中一貫教育というものも展開しているところでございます。  この中で、ちょっと話が行ったり来たりになって恐縮ですが、市民科という科目を設けておりますが、これは、市民科というのは従来の道徳でありますとか総合学習の時間とかというものをくくりまして、いわゆる社会性ですね、先ほど冒頭で学校社会性をということを申し上げましたけれども、生徒の社会性を高めていく必要がある、地域社会の担い手をはぐくむという意味では市民性を持ってもらうことが必要だ。自分がしっかり生きる、その生きる力を養うと同時に社会の一員としてしっかりと構成員になるという、そういう意味での市民科というのを設けております。  この一端としまして、これは、その市民科というのが始まったのは今年ないし去年でありますけれども平成たしか十四年ですか、スチューデント・シティというのを、八潮南小というところにスチューデント・シティというのを、シティバンク、外資系の銀行ですけれども、シティバンクと提携をいたしましてスチューデント・シティというのをつくりました。これは、その学校の中に仕掛けをつくります。スーパーマーケットをつくります、区役所をつくります、銀行をつくります、店舗をつくります。それぞれ生徒がそこの店員になったり、銀行員、バンカーになったり、あるいは役所の職員になったりするということで、ロールプレーイングをしながら社会がこうして成り立っているんだということを実体験をさせる、そういう場でございます。そういうスチューデント・シティをつくりまして、各学校がそこへ行って、そういう実践としての社会の成り立ちを学んでくると、そういうものをつくりました。  そして、一昨年でありますけれども、十七年には今度はファイナンス・パークというのをつくりました。これは城南中学という中学校の中でありますけれども、これもやはりハード的な仕掛けをした上で人生設計というものを自分なりに立ててみようということです。  生きるにはお金が掛かります。その生きるための費用なりあるいは力をどうやって養っていくのかということで、例えば税金が幾ら、例えばこういう職業を選ぶ、収入がこうだ、そうだとすると、そういうその経費でありましょう、生きるための経費、税金あるいは公共料金、生命保険料、こういったものが一体どういうふうに掛かってくるんだろうかというようなことを身をもって各人がシミュレーションをするという、そういうファイナンス・パークというものをつくって、これも現在の市民科の中で生かしておりますけれども子供たち社会性を持つという、そういう観点改革を行ってきたところでございます。  ちょっと時間がないんですが、もう一つだけ言わせていただくのは、これから首長役割としましては親育てだろうというふうに思っております。親育て。今、教育力が低下していると言っておりますけれども教育力どころではない、養育力が低下している、朝御飯を食べてこない。  その親育てというのは、今品川区の例で申しますと、ゼロ歳児は八五%がお宅にいます。お宅にいるというのは、子供がですね。その他は保育園のゼロ歳保育に預けています。八五%が、子供がお宅にいるということは行政とのかかわりがないということです、親御さんが。それから、一歳で七五%だと思います。三歳で六五%かな。つまり、ゼロ歳から三歳まではほとんどの親御さんが行政とかかわりなくお宅にいらっしゃる。そこをどうやって親育てに引っ張り出していくかということが非常に大きな課題だと思います。  申し述べたいことは幾つかあります。学校の適正配置の問題とかありますが、もし機会がありましたら御質問をいただく中でお話をさせていただきたいと思っております。  どうもありがとうございました。
  7. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  次に、穂坂参考人、お願いいたします。穂坂参考人
  8. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 前志木市長穂坂邦夫です。今、NPO法人地方自立政策研究所というのを主宰をしております。  私は、基礎的自治体の立場から申し上げたいと思うんです。  最初にちょっと簡単に自己紹介しておきますが、私は、県の職員、町の職員、市議会議員、県議会議員、市長というふうに、地方自治に職員から合わせますと三十九年、議員だけでも三十四年間やっておりました。最後に市長、一期四年で辞めたわけでありますが、別に悪いことしたわけじゃありませんが、ちょうどもう区切りだなと思って辞めた次第ですが。  そのときに、市長になりまして、簡単にできると思った二十五人学級あるいはホームスタディー制度、これらを日本で初めて市長のときに教育委員会と協力してやったわけでありますが、別に四十人から、いろいろ財源を捻出してやるという、そういう試みをしたわけでありますが、別にその少人数学級がいいとか悪いとかという論議をすることは、まだ十年先、十五年先でなければ分かりませんので言うことはありませんが、ただ、それらが自由にできなかった。非常にあっちこっちの壁にぶち当たって、かなり最後は強引に、何でもかんでもやると、ペナルティーを科すんだったらペナルティーを科してくれと、そこまで言って初めて実施できた。そういう経験から、今の教育行政、特に義務教育行政というのは何だろう、そんなふうに思いました。  そういうところから、二点にわたって申し上げたいと思うんですが、一点は、教育行政における地方公共団体役割、その実態でありますが、まず一点は、先ほど首長の話も出ましたが、実態的には支配しているんですね。それは、さっきもお話があったように、一つ予算編成権を持っている。あれこれ言ってきても、嫌なことはお金がないから駄目だと言えばそれで済んじゃいますから、そういう支配権の一つ予算編成権を持つ、要するに財源を持っているということです。  もう一つは、教育委員会委員の指名権を持っていますから、気に食わない教育委員は、大体議会にかけなければいいわけですから、そういう二つの形から、どうしても、まあ裏に隠れてといいますか、そういう実態的支配権を持っているという現実があるということをまず理解をしていただきたいと思うんです。  さらには、そうありながら、首長、誠にいい立場でありまして、都合の悪いことが何か起きると、教育委員会は独立しているから責任ありませんよと、それは教育長なり教育委員会に聞いてください、そういうふうに責任回避ができますから、誠にある意味では都合のいい、うまくいったときには首長の手柄にもなるだろうと思うんです。そういうことを実感をしておりました。これが一つ地方公共団体役割であります。実態でもあります。  それから二つ目なんですが、じゃ市町村教育委員会はどうだろう、こういうふうに申し上げますと、これはもう御承知のように、教育行政、これを担う唯一の機関だというふうに思っています。しかし、今度もいろいろ国の方でも大変お考えのようでありますが、もう動線が長い。文科省から都道府県教育委員会へ行って、それが今度は市町村教育委員会に行って学校に行きますから、物すごい動線が長くて、マニュアル化をしないとなかなか国の意思も伝わらないという、そういうことを私は実感をしております。まあ、遠い指揮官がいて、都道府県の指導、助言も受けますから、ある意味ではそれらも混在をした形で指導、助言、まあ簡単に言えば命令ですが、そういうものが入ってきますので、そういう現実にあるということが一点でもあります。  特に、指導、助言というのの実態は、教育行政にかかわっている人たちは教育専門家が多いからまじめな方が多いんですね。首長は何だとかこうだとか言いますが、案外、教育関係者というのは従順で、一つの出た指導、助言の言葉が現場に着くともう実態的に命令になっている。有無を言わせない。ほとんど、ですから教育委員会意見を言うというのは、都道府県の場合、私が県議会の議長もやりましたが、ほとんどありませんね。市町村もほとんどそうです。そういう意味では、受動的機関になってしまっている。ですから、言うこともマニュアル化をするし、報告をすることもマニュアル化をしてしまう。大体、機械の部品を作るんじゃなくて子供をつくるわけですから、できるだけ私はマニュアル化をしないような、そういう実態に近づくことがいいのではないか、こう思っております。  さらに、こういうことになってきますから、どこに原因があるか。ほかにもあります。一つは、責任者が不在です。私もよく市民に聞かれたんです。市長は何か責任あるんですかと言うから、別にありませんよと、教育委員会は独立していますからと。ああそうと。それでは、教育長というのは責任者ですか。あの人は事務局長ですよ。教育委員長というと、これは座長さんですから、もちろん政治的中立性、特定意見から中立性を守る、そういう形の上で合議制が取られているわけでありますが、何せ小中学校の執行機関持っているわけですから、そういう意味では、その無責任体制といいますか、責任者がいるのは唯一学校現場の校長だけ、こういうことになっております。  さらに、レーマンコントロール、これらも形骸化をしているところが多い。それはなぜかといいますと、五人で、市町村の場合ですね、町村の場合には三人というところがありますが、専門のスタッフと常勤の教育長と、ほかの委員さん非常勤で、大体月一回か二回の原則会議ですから、教育長がこういうふうにやってよろしいでしょうかと、ほとんどそれに反論することがないんですね。ですから、皆さんも議事録を見ていただければ分かりますが、教育委員会の議事録というのは非常に簡単です。ほとんどが了承とか、まあいいよとか、そういうことになります。ちょうちょうはっし議論をするというのは、理想論的にはありますが、現実的にはない、こんなふうに思っております。  市町村の今度は立場に戻ってきますと、なかなかこれも難しくて、もう一点あるんです。これは教員が、皆さん御承知のように、県費負担教職員制度なんです。ですから、どうしても県からのお仕着せ人事といいますか、上級官庁から、指導官庁からの派遣人事になります。ですから、どうしても玉突き人事にならざるを得ない、こういう実態があります。  私は、鴻池さんが大臣のときに、そういうことから教育委員会の必置規定の廃止を国に提案をしたんです。もちろん教育委員会でも、今お二方参考人いますが、うまくいっているところもあると思うんです。しかし、うまくいっているところはもっとこれらを是正すればもっと良くなると思っているんです。ですから、そういう意味で必置規定の廃止を特区で申請したわけでありますが、別に今回の自殺等々の予見をしたわけじゃありませんが、やはりもっと実態に合った教育委員会制度というのを考えるもう時期に来たのではないか。事象面からの検証も必要ですが、私は制度面からの検証も必要なのではないか、こう思っております。  最後になりますが、自治体からの提言でありますが、私が実感した中で幾つか申し上げますと、一点は、やっぱり国はもう少し現実的な意味での末端の実施主体のそれぞれ裁量権、これはやっぱりある程度確保してもらった方がいいのではないか。もうはしの上げ下げまでがんじがらめですと、さっき言ったように、どっちもマニュアル化しちゃって、報告も命令もお互いにマニュアル化じゃなくちゃ通じないという、そういう不合理な関係が出てきております。これらが全体的な一つのお願いでもあります。  具体的には三点ありますが、一点は、さっきも出ましたが、私は、義務教育費は全額国が持っていいと思うんです。二分の一ということになっておりますが、この二分の一も交付税措置をしてあるわけでありますから、だったらもっと分かりやすく、交付税ではなくて全額国が国庫補助金としてきちんとしてもらった方がいい。しかも、できれば、さっき言った県費負担教職員制度で都道府県から市町村に来ますから、市町村には採用権、要するに任命権が全くありません。ですから、そういう意味では、もちろんこれは希望するところと希望しないところ、もちろんその自治体の大きさにもよるでしょうが、できるだけもっとシンプルにした方がいいのではないか、こう思っております。  いつかも中教審でも申し上げたんですが、いや、派遣制度というのはうまくいっている、こういう意見もありました。しかし、派遣制度の元が上級官庁じゃ、これはどうにもならないんですね。少しぐらい悪い先生が送られたって、この先生返しますという具合にはいきません。やっぱり、そんなこと言うとより悪い先生をおっ付けられる危険性がありますから、なかなかそういうわけにはいかないので。この辺も、やっぱり国庫負担を堅持していただくと同時に、もうちょっとシンプルにきちんとしてもらった方がいいのではないか。  さらに、国の場合にはモニターといいますか、検証制度が私はあってしかるべきだと思うんです。国が一つの責任を持つわけでありますから、しっかりやっているかと、それらをしっかり検証する、そういう制度は確立した方がいいと思うんですが。何もかも自由だとは思っていません。しかし、その前に縛っちゃっておいて、さあやれというと、なかなかそこに創造性や何かが実施主体に出てこない、こう思っております。  先ほど言ったレーマンコントロールでありますが、これらもたった五人じゃ無理だと思うんですね。私は今、例えば福祉の専門家なんかも必要なんです。そういう意味からすれば、新たな教育議会地方教育議会制度みたいなのをつくって、そこに十人から二十人ぐらいの委員さんが入ってやる。さらに、教育長が私は責任者となってもいいと思うんです。しかし、その教育長が余り横暴なことをされると困りますから、そういう新たな審議会に牽制機能を付与する、そういうチェックの方法だってあると思うんです。  首長も総括的な責任というのはあると思うんですね。もちろん、私は教育の直接現場に首長が、公選首長が指揮権を振るうというのは良くないと思っています。ですから、それも国の義務化をしてもいいですし、法律化をしてもいいですし、あるいは地方にとっては条例が法律でありますから、それらで担保してもいいのではないか、こう思っております。やっぱり、レーマンコントロールというのは多様な意見の反映ですから、それらが実態的に形骸化しているというものはやはり避けなければいけないのではないか、改革をしなければいけないのではないかというふうに思っております。  この際、一言言っておきますが、私も県で長かったものですから思うんですが、地方自治体というと、どうしても市町村と公益機能を持っている都道府県は同じに取られやすいんですね。やっぱり、公益的機能を持っているところは教育の中でも限定を私はすべきだと思うんです、はっきり分けるべきだと思っています。この際、私は、県の立場ではありませんが、多少付け加えておきたいというふうに思っております。  最後でありますが、今申し上げましたけれども、やはり新たな教育委員会制度教育委員会というものをもう一度見直して、国の様々な方針や何かもあるでしょう、それが実態的にやっぱり弾力化を持った形で地方に届けられる、守るべきものは国が守っていただく、やるべきところは実施主体が創意と工夫を持って頑張っていく、こういうやっぱりシンプルな形にしていただいた方がいいのではないかというふうに思っております。先ほど申し上げましたように、動線が余りにも長過ぎる、できるだけシンプルにした方がいいのではないかと、こう思っております。  どうもありがとうございました。
  9. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  10. 大仁田厚

    大仁田厚君 どうも、参考人の方々、お忙しい中、ありがとうございます。二十分しかありませんので、手短に回答していただければ有り難いと思いますが。  まず初めにお聞きしたいんですが、簡単なことなんですが、三人の参考人の方、教育基本法が変わってこの国が変わるのか、この国の教育は変わるのかということをちょっと端的にお話お聞かせ願いたいんですが。
  11. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 現在の教育基本法教育の目的は、人格の完成と言っております。ただ、すばらしい言葉ですけれども、人格の完成がブレークダウンすると基本的な事柄は何と何と何と何なのかという、そういう目的とする基本的な考え方は、もっと教育基本法でも現在御審議中の形で、人間としての生きる目標、それを学校でどう教えていくのかという形や、改正の案で、私の考え方としては、相当分かりやすく指標、目標が設立されるという点で変わっていくと思います。
  12. 濱野健

    参考人濱野健君) 教育基本法をどう変えたらいいかというようなお話についてはちょっと直接コメントする立場ではありませんけれども、旧来の教育基本法で戦後教育がなされてきて、今現状としてこういう教育の実態になっているということを考えれば、何らかの教育に関する基本的なテーゼというものを変えていく必要があるんではないか、これは私思っております。  つまり、教育というものがいわゆる社会と、先ほども申しましたように、社会と無縁で成り立つものではないと思います。したがって、社会の変化というものが厳然としてある以上は、その社会の中で現在あるべき教育はどういうものなのかといった観点で考えれば、基本法が変わっていく、これは自然なことではないかと、こんなふうに思います。
  13. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 余り変わらないと思うんです。それはなぜかというと、届ける手段がそううまくできてないんで、その辺が大きな問題ではないかと、こう思っています。
  14. 大仁田厚

    大仁田厚君 変える、変えるということは進歩させるということですから、確かに僕はすばらしいことだと思いますが、それが現場に伝わらなければ何もならないわけです。子供たちや、そしてまた家庭に対して、そして学校に対して、教育委員会に対して伝わらなければ何にもならないんです。そう思われませんか。  僕は、幾ら基本法を変えたとしても、現場が変わらなければ、子供たちの意識が、そして親たちの意識が変わらなければ、何の教育基本法でもないと思うんですが、参考人の方々、手短に。
  15. 濱野健

    参考人濱野健君) これを伝えていく手段を変えるのもやはり教育基本法の中ですべきことではないでしょうか。それを含めて変わっていくべきだ、進んでいくべきだというふうに思いますが。
  16. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 法律というのは学校の現場で全員が読んでいるわけじゃありません。学習指導要領もすべてマスターしているわけじゃありません。  ただ、基本的な、国が今、日本国民に求めようとしているもの、教育の現場で、という考え方が何らかの形で、例えば教育基本法で定められるということであるならば、それは時間は掛かるとしても学校現場に浸透していくだろう。浸透の手段は、今、濱野さんも言われたように、いろいろ方法があると思いますけれども、要するに日本国民共通の目標はここなんだよということはいろんなあるベースに伝わっていくということを私は思います。
  17. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) そのとおりだと思うんです、委員の御意見だと思うんですが。  結局、教育行政と一般行政を分けているんですね。ですから、分けると、教育基本法の例えば心なんというものは、一般の地域だとか一般の住民だとか、そういうものが一緒にならないとなかなかできないんですね。今の、現実的には分けていますから、その辺のやっぱり問題点も整理をしていただいた方がいいのではないかと、こう思っています。
  18. 大仁田厚

    大仁田厚君 戦後六十年たったわけです。確かに戦後、敗戦した、敗戦国だということを、戦争の悲惨さというのは忘れちゃいけないと思うんですけれども、新しい国づくりを目指すためにはやっぱり新しいものを打ち立てていかなきゃいけないと私は思っております。  そういった意味で、そういった意味でですよ、ワールドカップの、ワールドカップのときに三都主選手、三都主選手といえばやっぱり、代表選手の一人なんですけど、ブラジルから帰化した人ですよね、ブラジルからですよ。その選手が一人だけ、国旗掲揚されて君が代を鳴らしたときにこうやって。こういった習慣は確かに日本にはありません。だけど、だけどですよ、普通にですよ、普通に国旗掲揚させ、そして普通に国歌を歌えないこの国というのはどういうように思われますか。
  19. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) どなたにですか。
  20. 大仁田厚

    大仁田厚君 いやいや、三人の方に。
  21. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 悲しいかな、ある期間、国旗・国歌に対する反発アレルギーがあったことは事実でございまして、そのことの指導徹底に対するいろんな強烈な反応でびびってしまったという現場の空気がありました。それはやはり、自然の気持ちの中から国を愛する、それは国旗を愛する、国歌を愛する、諸外国の事例を見れば分かることですけど、日本という閉鎖社会の中でいるとそれがまかり通ってきたということは悲しい事態だったと思っています。  ただ、これだけ、今先生おっしゃいましたように、国際スポーツ大会等々で外国の人たちが自国の旗や歌をどんなに大切にしているかということをテレビの画面等を通じて日本国民がどんどん知っていくということは、大きな進歩だと私は思います。
  22. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 埼玉県でもそういう事件が高校で起きましたが、要するに国家と政府、ガバメントとネーションという表現してどうか分かりません、そういうのを区別さえきちっとしていないんですね。それが、そういうところがやっぱり教育の中でするべきところが欠けているんではないかと思います。
  23. 濱野健

    参考人濱野健君) 私ども品川区では、もちろんすべての学校で国旗掲揚し、そして国歌を歌うというふうになっております。  先ほどもお話がありましたように、一時期、こういうことに対してそれを忌避するような傾向がありましたけれども、今は品川区においてはないというふうに思っております。やはり、国というものを思い、そして思うというのは意識をし、その一員であるということを知るという、そういう一つの手段として重要なことじゃないかなと。  ちょっと余計なことでありますけれども、君が代が全員で歌えるためには、もう少し音程を下げるといいますか、音域を下げるということも少し考えていただきたい。ちょっとこれは横道にそれますが、このことは是非お考えいただきたいなというふうに思っております。
  24. 大仁田厚

    大仁田厚君 いや、僕はこだわっているわけではないんです。ただ、それを意図的に学校責任者が国旗を隠したりとか、意図的に国歌を歌わせないとかって、そんな国の進歩と発展があり得るのかなと僕は思います。そんな国でいいのかなって。  だってそうじゃないですか。僕らの存在理由って、僕らが存在しているというのはだれのおかげですか。やっぱりお父さん、お母さんのおかげじゃないですか。そしてまた、その先祖であるおじいちゃん、おばあちゃんがここまでおれたちの家族を養ってくれたからだと。その方々というのは戦争を体験しているわけです。悲惨な思いもしているんです。だけど、それでも自分たちが住んでいる国はこの日本である、そして日本国家というのは、国家であるということをちゃんと僕らに受け継いでくれたわけです。僕らの時代にそれをちゃんと受け継げないような、そういった教育改革だったら僕は必要ないと思いますよ。僕はそう思いますけど、まあそれはちょっと、手短にいかないと二十分しかないもので。  聞いておられる方、家族って何ですか。僕は、家族があって、家族があって、あっ、参考人の方々ね。家族があって……(発言する者あり)
  25. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 静かに願います。
  26. 大仁田厚

    大仁田厚君 家族があって、村があって町があって市があって県があって国があると思うんです。参考人の方々ね……(発言する者あり)
  27. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 静かにしてください。
  28. 大仁田厚

    大仁田厚君 参考人の方々……(発言する者あり)ちょっと静かにしてくださいね。参考人の方々、僕は、僕はその家族が、家族が、どんなに学校の現場を変えても、その家族が基本的なものを取り戻さなければ何にもならないと思うんです。  だって今の時代って、今参考人の方々、今の時代って、親が、親が愛情を込めて子供をしかれない時代ですよ。愛情が、そしてまた愛情が伝わらない時代。愛情に対して、僕は別に暴力を振るうとか、親が暴力を振るうとかそういったものに賛成するつもりはありません。ただ、親の権限として、親の権限の範囲として子供を適切に指導するということは僕は必要なことだと思っています。  そういうことに対して、やっぱり家庭、学校と家庭の連携っていうものが物すごく重要な時代になってきていると思います。それに対してどう思われますか。
  29. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 常にいろいろな問題が起きると、家庭の責任か、学校の責任か、社会の責任か、いや三つともだという議論があります。どちらにウエートがあるかは別として、やはり先生おっしゃったように、子供は親の背中を見て育ちます。親の生き方を見て自分の生き方を決めます。そういった点の家庭教育の重要性というのは、教育と言わなくても、母親と、あるいは父親と子供との関係の中からいい関係が生ずれば、その人は立派な人間の人格の完成をするでしょう。そういった点で、先生のおっしゃるとおりだと思います。
  30. 濱野健

    参考人濱野健君) 私も委員お話のとおりだと思います。  一方で、先ほどちょっと申し上げたことでありますけれども、家庭の教育力あるいは養育力が下がっているというのは、これはもうまごうことなき事実だと思います。そういった意味で、私ども行政という立場から、これは親育てという言葉が適切かどうかは別でありますけれども、親がまず親としての自覚と、それからその行動を取っていただくようなことを仕掛けとしてつくっていくことが必要だというふうに思っています。
  31. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 国を愛するなんというのはもうこれは国際的な当たり前のことで、私は国を愛さないなんて人はだれもいないと思っています。  ただ、次の家庭との連携なんですが、家庭は現場から見ると落差が大きくて、どうしてもその補完をするやっぱり必要性がある。そうなると、やっぱり私は、地域というその自治力といいますか、そういうものがこれからしっかりしていかないと、コミュニティーといいますか、そんなふうにしていかないと、家庭がとにかく崩壊しちゃっているところがあるんですから。だから、それの補完するのはやっぱり私は地域の力だと、こう思っています。
  32. 大仁田厚

    大仁田厚君 僕は、家庭に対して、親に対して子供が普通に感謝できるような社会をつくりたいだけです。普通に感謝して何が悪いんですか。お父さん、お母さんありがとうって普通に感謝できるような、それが国に僕はつながると思っているんです、国につながると思う。ここでやっぱり国の尊厳を取り戻さなきゃいけないと思っているんですけど。  ちょっと話は変わるんですけど、義務教育国庫負担金なんですけど、基本的に余り僕は、義務教育国庫負担金には基本的には余り賛成ではないんですけど、今こそ国が尊厳を持って教育に対する姿勢をぼんと示すべきだと、国が父になり示すべきだと僕は考えているんですけど。国庫負担金により地域教育の格差が出るとかって言われてますけど、それについてはどう思われますか。
  33. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 全国知事会で義務教育負担金の議論がありましたとき、私は残念ながら三分の一弱の少数派で負担金の堅持を主張いたしました。  それを、理由は、明治五年に学制発布以来、市町村でいかに教員確保することが困難だったのか、代用教員を雇えるかどうかが必死な状況。しかも、教員にいい人、処遇がどこまでできるのか。そういった点で国が何とかしてくれというほうはいたる声を受けて、国庫負担制度ができました。そのおかげで全国至る所で、都市部であろうと山間へき地であろうと、教員の同一の処遇、財源の保障、それが今日の日本の発展の原動力であったと私は思っております。  負担金制度を廃止した結果、地域間バランスはいずれ出てくるでしょう、財政力の有無によって。それで義務教育はいいんでしょうかと、そんな意味での主張をさせていただいた次第でもあります。
  34. 濱野健

    参考人濱野健君) 国の役割というのは、やはり教育義務教育基本を保障するところだと思います。ベースを保障するところだというふうに思っておりますので、この国庫負担金というのは堅持されるべきものじゃないかなというふうに思っています。
  35. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 税金ですから、これはどこが持つといったって国民のお金であることは間違いない。  私は、中央集権的にやっぱり国と都道府県と市町村というその垂直的な関係じゃなくて、水平的な関係にすべきだとは思っているんですが、それにはやっぱり役割分担というのはおのずからあると思うんですね。国がやるべき仕事、都道府県がやるべき仕事、市町村がやるべき仕事、それを明確にすべきだ、こう思っています。
  36. 大仁田厚

    大仁田厚君 これをちゃんと見ていただけますか、いじめの問題についてなんですけど。(資料提示)これゼロ回答です、ゼロ回答です。これ項目なんですけど、この項目があって、その主たる理由を一つ選択しろといって、いじめの欄はゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロという回答になっている。法務省も警察庁も増加傾向にあるということだった。はっきり言って文科省もうていたらくです、はっきり言って。だから、総理がつくられているあの教育再生会議、僕ははっきり言ってあの教育再生会議に対しても異論があります。  こういうときだからこそ文科省に力を付けてもらいたい、こういうときだからこそ反省してもらいたい、こういうときだからこそ今改革しなきゃいけない。文科省が力を入れてこの国の義務教育、そして及び教育に対して直接的にダイレクトに関与してもらいたいと思うんですが、それに対してどう思われますか。
  37. 加戸守行

    参考人加戸守行君) いじめは、程度の問題は別ですけど、昔からあったと思います。私たちの子供のころにもありました。子供たちは知っているんです。でも、教師がそのすべてを把握することは不可能です、子供たちが告げ口をしたり報告しない限り。ですから、その中で、古くは子供社会の中で自律性がありました、群れがありました。そういう群れ社会の中で、上級生が下級生に対していじめをする子を指導しました。そういったやはり集団という友達の関係、特に縦社会がもう一度再構築されるべきではないかと思います。
  38. 濱野健

    参考人濱野健君) いじめの問題だけの話ではないかと思いますが、まずいじめの問題。  私自身は、小学校一年生のときにいじめに遭ったと思って転校いたしました。しかし、後になって分かったことは、それはいじめではなくて、その人のいわゆる風貌だったということであります。  したがって、いじめというのはかなり主観的な要素も入ってくるんだろうというふうに思っておりますので、この調査というのは非常に難しいと思います。しかし、ゼロということはあり得ないだろう。品川区でも独自に調査をして、そういういじめを感じている人間がいるということは承知しています。
  39. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 大体マニュアル化というのは、いじめのマニュアル化というのは無理だと思いますよ、子供によって違うんですから、その痛みとかつらさとかというのは。これが一点。  それからもう一点、改革の話が出ましたが、できれば現場からの視点で、ということは子供の視点からと言った方がいいでしょう、そこから改革をしてほしい、特に制度についてはそうあってほしいと、こう思います。
  40. 大仁田厚

    大仁田厚君 いや、ちょっと時間がないもので失礼な言い方になったかもしれませんが、僕は、コミュニケーションの間で、やっぱり人間同士が真剣に向き合うというのが必要なものだと思っています。そしてまた、ちょっと声が大きいものですから、佐藤先生の方から、おまえ参考人の方々にああいう言い方はって、そういう言い方をしているつもりは全くないんです。  ただ、僕としては、やっぱり情熱を持って教師が、やっている人たちもたくさんいるんです。本当に、子供たちを本当によくしよう、子供たちのためにという、頑張っている人たちもいるということだけは、やっぱり僕らが忘れちゃいけないことなんだと思います。全部、いじめがあったら教育現場が腐敗しているんじゃなく、その中でも一生懸命やろうとしている人はたくさんいるということを、おれたち自身も忘れちゃいけないなって。  僕は、この間教育再生会議が提言の中に出された中で、出席停止ですか、僕はあれに対してはちょっと異論があるんですが、出席停止ということ、何でもかんでもいじめがいじめであるという。どこにいじめの定義を持っていくかということが物すごく難しい問題だと思うんですけど。相手がいじめられたと感じたらいじめなのかという部分でとても難しい問題だと思うんですけど、その辺の教育再生会議の在り方及びあの辺の提言をどう文科省とうまくやっていくべきなのか。そうしたら、参議院の文教委員会なんかも必要でなくなってくるような、そんな気もします。情熱が私たち自身、何かなくなってくるような気がします。  先生方には、それについて、教育再生会議の在り方について御意見をお伺いしたいんですが、よろしくお願いいたします。
  41. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 加戸参考人、簡潔にお願いいたします。
  42. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 今の出席停止の問題に関して言えば、いじめたという結果責任としての何らかのペナルティーが、そのクラスの中、学校の中であってしかるべきだと思います。それがどの程度出席停止なのか、あるいはそれに代わるものがあるのか。そのペナルティーを受けることによってまた反省もするだろうと、そういうことは期待できると思います。
  43. 濱野健

    参考人濱野健君) 先ほどお話の中に現場の先生方の意欲ということをお話がありましたけれども、やはり現場で意欲を持ってやっている先生方が多い、大変に多いわけです。その現場の意欲のある先生がもっと頑張って仕事ができるような、そういう全体として教育環境整備していくということが必要じゃないかというふうに思っています。
  44. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 出席停止については、やっぱりある種のペナルティーと、ただ同時に、セーフティーネットをしっかりしかなければ、私は一方的で駄目だと、こう思っています。
  45. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 大仁田君、時間です。
  46. 大仁田厚

    大仁田厚君 どうもありがとうございました。
  47. 鈴木寛

    ○鈴木寛君 三人の参考人の皆様方、本当に今日はありがとうございました。  私ども、以前より、やっぱり国会に教育基本問題調査会というのをつくって今日のようなお話を十分にいただく機会をつくりたいなということを主張してまいりましたし、これからもやはりその重要性を今日改めて痛感をいたしました。  今日は、本当にわずかに十五分ずつということでございまして、それぞれの参考人の皆様方に一時間でも二時間でもお話を聞きたいなと本当に率直に思いました。やっぱり、それだけそれぞれの県あるいはそれぞれの市で直接に子供の人生を預かっておられる最高責任者のお言葉、そしてそうした毎日、日々の中からわき上がってこられるお知恵、お考えというのは、我々もっともっと勉強させていただかなければいけないなということを感謝をもって聞かせていただきました。  加えまして、今回のお願いは先週の末という、極めて社会常識的に申し上げますと失礼なタイミングで、今日そういう中にかかわりませずお越しをいただきましたことを、おわびとそして御礼を申し上げたいというふうに思います。  それで、質問をさせていただきたいと思いますが、私ども民主党も今回、日本教育基本法というものと、それから参議院におきましては教育行政教育財政に関する改革案ということで新地方教育行政法と教育振興法という法律を併せて出させていただいております。  今回の教育基本法を作り直すという、六十年ぶりに作り直すというその意味は、特に、先ほど加戸参考人から御説明がございましたように、一九五六年以降の地方教育行政法の中で五十年間教育行政が行われてきておりまして、それがやっぱり少し、少しというかかなり時代に合わなくなっているというか、やはり総点検、再点検をこの実情に応じてする必要があるのではないかということで、正にそういう議論を深める場にこの国会の審議あるいは教育基本法の作り直しということを行っていかなければならないと、こういうふうに思っているわけでございます。  それで、お三人の方にお伺いをしたいと思いますが、我々の案は、一言で申し上げますと、ほとんど穂坂参考人のおっしゃった現状認識と御提案にかなり近い制度設計にさせていただいておりまして、それから私ども品川区の若月教育長とは日ごろからいろいろお勉強をさせていただいて、御指導をいただいているところでもありまして、品川区のそうした実態という、この濱野参考人穂坂参考人の御意見にかなり近い案になっているわけでございます。  それで、まず加戸参考人に御質問をさせていただきますが、もちろん、これは教育というのは制度だけではございません、一番重要なのはやっぱり現場におけるリーダーシップだというふうに思いますし、それから現場に一番近い基礎自治体における首長さんと教育長さんが力を合わせてリーダーシップを発揮されておられるところは品川区、志木市を始めすばらしい改革が行われておりますし、そういう地域品川区、志木市を始め最近は各地にかなり出てきて、これは大変喜ばしいことだなというふうに思っております。  加戸参考人のおっしゃるように、運用でかなり、現行でもそこまで頑張っておられる首長さんあるいは教育長さんがいらっしゃるということでありますから、運用でできるというお話は私もよく分かってはおりますが、せっかくこれ五十年ぶりに地方教育行政制度も一から点検をし、そして議論をし直して、そしてこれから二十一世紀に向けてこういう教育のガバナンスで臨もうではないかという、非常に千載一遇のチャンスだと思うわけであります。そのことを穂坂参考人もおっしゃったと思いますし、私どもも余りにも動線が長過ぎるという現在の教育行政法の問題点ということは、恐らく加戸参考人も共有をされていらっしゃると思います。  その中で、私どもは是非、今国会、さらには次の国会で地方教育行政法についての抜本改正というのはこれは与野党を挙げてやっていきたいというふうに思っておりますが、加戸参考人には具体的には地教行法、どこをどういうふうに変えていったらいいのかということについてのお考えをお聞かせいただきたいと思いますし、濱野参考人から先ほど、やっぱり首長にももう少し権限をというお話がございました。では、具体的にどういう権限を更に、特にこの現場市区町村の首長にお与えをしていくという制度設計がよろしいのかということをお聞かせをいただきたいと思います。  それから、穂坂参考人におかれましては、ほとんど私ども参考にさせていただいた御意見でございますので、そういう意味では、中身についてはもう全くそのとおりだというふうに私どもも思っているわけでありますが、この度、内閣府の方で、参考人が当時の鴻池大臣に御提案をされた教育委員会必置義務についての報告書へ盛り込むということになっていたのが見送りになっております。  こうしたことについて今どのような御意見、御感想を持っておられるか、それぞれお答えをいただきたいと思います。
  48. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 現在の教育委員会制度五十年たちまして、それぞれ制度疲労等の問題が大きいと思います。  ただ、現在の制度を改めるとした場合に、改めた場合のもちろんメリットがあるでしょうけど、私はデメリットも大きいと思い、そのメリット、デメリットの比較は慎重にすべきだと思います。  基本的な一つは、教育政治的中立です。首長の選挙でいろんな公約を掲げて戦います。そして、当選したがために自分が選挙戦で戦った公約を教育の場で実現しようとするとがらりと変えなきゃいけません。逆に、四年たった後、また知事が交代した、市長が交代した、またがらりと変わる。教育は、そんな形、四年スパンで変えるべきものだとは私は思いません。そういった点で、変化というのは、いろいろな民意をくみ上げながら修正に修正、十年、二十年たってみたら変わっていたなという結果が教育の世界では正しいんではないかと、そういう点を思います。  それからもう一つは、実は人事権の問題をこれから市町村へ移行していくんであれば別ですけれども、人事権を首長が持つことは教職員に関して極めて危険なことだと思います。先生も御承知かと思いますが、戦前は、官選知事の下に土木部長、農林部長と並んで学務部長、それが人事をやっていました。役人が人事をやるんです。正に上の機嫌を取っていなければどこへ飛ばされるか分からない、そんな恐怖心の中で勤務する姿がいいとは思いません。それやはり合議制とは言いながら教育委員会、まあ別のシステムがあればいいんですけれども、それが公正公平な視点からの首長の圧力といいますか、そういった気持ちはまあまあ待ってくださいよ、この辺でとどめましょうよというようなブレーキ役、クッション役は私は絶対に必要だと思います。
  49. 濱野健

    参考人濱野健君) 何というんでしょうかね、法律条文上どうやって明示するのかということはちょっと私も法律に詳しいわけではありませんからあれですが、やはり先ほど申しましたように、次代地域を担う人材をはぐくむという、そういうやっぱり首長役割というのはあるんだと思います。したがって、教育委員会と連携してというような感じで、何らか首長教育の問題について関与できるということを法律の中に示していただきたい。  先ほども加戸参考人がおっしゃったように、首長が直接教育行政を仕切るということはそれはあり得ないことでしょうし、また実際にそれは行き過ぎだというふうに思いますが、教育委員会に対して何らかの働き掛けができるということ、まあこれ実際には先ほど皆さんもお話しになっているように、実態的にはそれやっているわけですね。実態がそうならそれでいいじゃないかというと、やっぱりそういう問題でもないんだろうというふうに思っていまして、教育委員会との連携というようなことがどこかに盛り込まれないだろうかということを感じています。  教育学校だけで行われているわけではないわけですね。先ほど申しました親の教育力を高めなければいけない、あるいは地域学校に対するかかわりも強めていかなくちゃいけないというようなことでもって、総合的な観点から学校というところにかかわってくるはずですので、そういう点でも何らかの明示というものが必要ではないかというふうに思っています。
  50. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 見送ったことに対する感想みたいなものなんですが、やっぱり一つ改革というのはメリットとデメリットと必ずあるんですよ。だけれども、デメリットが怖いから改革に踏み込まないという姿勢は私は良くないと思うんです。  それは、今の義務教育に問題がなければいいですよ。いじめの問題にしても、落ちこぼれの問題にしても、それから先生方がばたばた病気になっちゃうことも、いろんな意味でもう山積しているんですよね。ですから、それは事象面で検討すると同時に、私は、根本的な制度にメスを入れてそこもやっぱりしてみる、そこからどうするかを考えてみるという姿勢が私は必要だというふうに思います。
  51. 鈴木寛

    ○鈴木寛君 ありがとうございます。  私どももやっぱり今の教育現場を見ていますと、特にいじめの問題とか不登校の問題とか、要するに想定をされないといいますか、要するに正常な状態から逸脱している状態というのが続発をしているということでありまして、結局それに対して、穂坂参考人もおっしゃいましたけど、マニュアルで幾らいじめマニュアルを作っても、あるいは不登校マニュアルを作ってもこれは難しいわけですよね。正にそれぞれのケース、ケースに応じてきちっとそのタイミングを逃さず、そしてケースに応じたきめ細やかな対応をリーダーシップを取ってやっぱり果断にやるということが私は今の教育行政制度に最も欠けているんだろうと思います。  その中で、非常にリーダーシップと見識のある首長教育長さんがいるところは、法律の枠の中ではありますけど、それを最大限に裁量権を発揮してやっておられるところはかなりうまくいっていますが、通常の場合は、この法律の枠の中で正にマニュアルに従っていればそれで責任が全うされているという、こういう悪循環が行われていて、ここをどういうふうに断ち切るかと、こういうことだと思います。  やはりその制度設計とそしてこの裁量と、こういうところのバランスだと思いますけれども、じゃ裁量というのは、正に教育長という方々が発揮できる裁量の範囲と、やはり民主的な選挙あるいは民主的なプロセスを経て市民あるいは子供本位の、学習者の代弁者である保護者、そうした方々からやっぱり信託をされて、そして子供たちのために、あるいはその地域のためにより良いことをやるためにどういうあんばいにしていくかというところが非常に私は重要だというふうに思っておりますけれども。  その一方で、加戸参考人がおっしゃる政治的中立の問題というのはこれ出てきて、我々もここを正に悩んでいるわけであります。穂坂参考人にお伺いをしたいのでありますが、もちろん政治的中立、我々重要だと思っています。したがって、教育委員会教育監査委員会ということに改組して、そして教育監査委員会によって政治的公正性とか中立性というのは確保しようということを思っています。しかし、一定程度やっぱり首長に、これも濱野参考人基本的に同じ方向だと思いますけれども、やっぱりある程度権限を付与して、緊急事態に対しては、あるいは緊急事態を予防するためにはやはり迅速に相当な権限を持って対応できるということが我々は必要だというふうに思っております。  ここを、一方で、実態としてはもうかなり影響を被っているではないかと、影響力を行使しているではないかと。行使しているところがいいリーダーシップでもあるわけで、ここが悩ましいところなんですが。穂坂参考人に、この政治的中立性の問題と、それから脱マニュアルで現場本位、子供本位教育行政をこれ実現するためにどうしていったらいいのかというよくある政治的中立論に対するお考えをお聞かせをいただきたいと思います。
  52. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 私も政治的中立性は絶対守るべきだと思っているんです。  ただ、その政治的中立を守る手段が今の合議制で、しかもあやふやで責任者がいなくて、何かぬるま湯みたいで、それで本当に守れるのかということ、それがいいのかということなんです。ですから、ある意味では私は首長学校の先生の人事にまで口出すようなシステムはいけないと思うんです。ですから、それは、ただ予算を握っていますから、全体的な総括的な責任というのはあってしかるべきだと思うんですね。ですから、それは制度の中で私はきちんとするべきだと思うんです。  例えば、今度の改正法がいろいろ言われておりますが、教育中立性というのはもう本当に法律できちんと明示しているわけですよね。ですから、こういうことはやっぱりしっかりしておかないといけない。その中で、さて現場の政治的中立を守るのにどうかというのは私は制度の中で十分できる。例えばさっき言った、どういうやり方でもいいんですが、例えば教育委員会制度の中に教育長がもし合議制でなくて責任者になれば、現場の、教育行政のですよ、そうすれば牽制機能やチェック機能をきちっと持たせればいいと思うんです。あるいはまた、首長もそういう専横だとか横暴さがあれば、その辺をきちっとチェックをするのが必要です。あるいはまた国が、私はそういう関与、政治的中立を、現場の政治的中立を守る国の責任だってあってしかるべきだと思うんです。それはそれぞれがそれぞれの役割の中でしっかり担保する制度を私は補完作用として作るべきだと、こう思っています。
  53. 鈴木寛

    ○鈴木寛君 濱野参考人にお伺いをしたいと思いますが、穂坂参考人もお時間があればお聞かせいただきたいんですが。  かなりリーダーシップを持って品川区も志木市もやられました。しかし、それに相当やっぱり障害がおありになったというお話をお二方からいただいたわけでありますが、具体的にどういうところでどういうふうに引っ掛かっていって、それが取り除かられたならば、品川とか志木は極めて強力なリーダーシップを発揮される首長さんがいたんでその障害を乗り越えられたと思いますが、そのバーが下がれば、より多くの市区町村で教育改革が生まれてくるだろう。我々はそういうことを期待して制度設計をもう一回作り直そうと思っているわけでありますが、例えば、こういうところがやっぱり非常に困るんだと、ここを何とか変えてほしいんだというところで、事例に即して御紹介いただければと思います。
  54. 濱野健

    参考人濱野健君) 品川区が教育改革を進めていく中で、いわゆる隘路というか障害になったということは、例えば小中一貫校をする、学校選択制を取るということで、やはり地域住民に十分な説明が行き渡らなかったということもありますが、やはり戸惑いはあったのは事実だと思います。地域学校との関係とか、あるいは小中一貫でうまくいくんだろうかとかという、そういう、何というんでしょうかね、漠たる不安みたいなもの、これはやっぱり丁寧に丁寧に説明をしていくことが必要だと思います。  私は小中一貫校の必要性というのは、やはり公教育が、私立にかなり進学が行っていく中で、公教育が果たす役割をきちっと行うために必要なことだということで、あらゆるところで、教育長ももちろんですけれども、私も丁寧に説明をしております。やはり区民に対してしっかり説明をするということが一番重要じゃないかと。  もう一つは、教員自身がやはりこの改革に対して前向きに取り組んでもらう必要がある。これはちょっと前にもお話出ましたけれども、やはりある程度スピードというものが必要だと思うんです。改革をしているということが実感できるのは、ある程度のスピードがあって、ああ、今改革の中にあるんだなということが体感できるような程度のスピードというのが必要ですので、余りゆっくりゆっくりというのも、それでは改革が進まないんだ、一定のスピードを持ちながら、しかし区民に対しては戸惑いが起きないような十分な説明をしていくということが必要だというふうに思っています。
  55. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 私ども一番困ったのは、都道府県が同意すればいいということになっているんですが、都道府県は駄目だと言うんです、二十五人程度学級のときに。なぜかというと、機会均等が壊れると言うんです。機会均等が壊れているのは、例えば複数担任制だって壊れているんじゃないかと、山の中と都会とはやり方違ったっていいじゃないかと。駄目なんですよ。  ところが、結局、なぜ駄目かというのが怖いかというと、教育委員会はやっぱりさっき言った人事なんですよ。市長ね、こんなことして盾突いたら、もし悪い先生ばっかり集められたら志木市の教育どうするんですか、こう言うんですね。ですから、そこのところが、私は県会議長とか県議団の団長なんかもやっていましたから、そんなことあったら表向きから大げんかしようやと言って、やっと教育委員会の人たちは納得をしてくれたし、まあ、たまたま私の同期が教育長だったものですから、そういう運もあったんですね。  しかも、それでも志木だけいいとは言いませんね。埼玉県全域でやるということで許可をしたんですよ。なぜそんなことをする必要あるのか。秩父の山の中と、志木市は東京から三、四十分のところなんです、何でそれと一緒にしないといけないのか。今でも、やっぱりそこが県のぎりぎりの許可条件だったと。全県でやるという形を取って許可してくれた。やっぱりその辺の何か裏側でのおそれというのはやめた方がいいですね。余り健康的じゃないと思います。
  56. 鈴木寛

    ○鈴木寛君 ありがとうございました。  穂坂市長のような強力でなく、そこまでスーパーマンでなくても、真っ当な教育改革がやっぱり行われるための教育行政制度の構築に向けて、これからも私どもも頑張ってまいりたいと思いますので、引き続き参考人の皆様方の御指導をお願いを申し上げたいということと、それからやっぱり、今日お見えいただいた三名以外にも本当にすばらしい実践をされておられる県、市区町村一杯おありになりますので、是非そういう方々の御意見も伺ってみたいなということを申し上げて、今日の御礼に代えたいと思います。  どうもありがとうございました。
  57. 山本保

    山本保君 公明党の山本保でございます。  今日は教育行政について、また現場なども大変お詳しい三人の参考人に来ていただきまして、ありがとうございます。  私、実は大学院で教育行政学を東大の持田栄一教授の下でやりまして、まあここは一番の専門でございますが、今日は特にまず政治的中立性について、このシステムの問題ということで、この問題が出ますと今まではもう常に教員組合がどうだとか、割と感情的な議論が多かったんですが、今日はさすがにそうではなくて、システムの本質論をいろいろおっしゃっていたと思っております。  そこで、加戸参考人穂坂参考人にまずお聞きします。濱野参考人、もし御意見がございましたら言っていただければと思いますが、先ほどのお話の中ではお二人の方が中心に委員会制度のことをおっしゃったのでちょっと聞きたいと思っておりますが。  つまり、今の制度というのは、言うならば首長の方に当初の教育委員会制度よりは相当シフトしましたけれども教育委員会のレーマンコントロールという形での住民の意識が直接に反映するという制度と、両方うまくミックスさせたものではないのかなという気もしております。  そこで、ただいろいろ問題があるということは今日指摘がされたところでありまして、特に一点、一番最初にお聞きしますのは、正に形骸化されているんではないか、人数の点なども五人、三人と。政令都市で二百万以上の都市でも五人であると。これで一体本当に教育に対する住民の意思が集約できるものか。また、先ほどお話にもありましたけれども委員会のスタッフといっても、ほとんど教員中心の指導主事さんですから、そういう専門家に対して素人がどれだけ発言ができるのかと、こういうこともお話があったと思います。  まず教育委員会の、廃止するとかどうという前に、現状の教育委員会制度にどのような改革を加えたらいいのかという点についてもう少し詳しくお二人の先生からお聞きしたいと思っております。
  58. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 参考意見で申し上げましたけれども、私は教育委員会制度、様々な問題を抱えながらも、じゃこれに代わるべき制度があり得るのかという点で、その長所、短所というのは十分考えないと、一国の教育政策ですから失敗したら取り返しが付かないことだと私は思っております。  その基本がいわゆる政治的中立の問題です。これをどうやって担保するのかと。変な話ではございますけれども、先般、宮崎県のいろいろな問題、報道を拝見しましたら、新しい知事が当選したら幹部が総入れ替えになったと。多分それは任命権の範囲内だからであれですけれども教育長は四年の任期がありますから恐らく異動しなかったんだろうと思います。  そういった点で、どの方が首長になってもすぐ自分でぱっと首のすげ替えができる、ややそことは別格な形で教育委員会あるいはその責任者はあるべきではないのかな、そうでないと、私自身教育に対して様々な思いを持ちます。こうしたい、でも教育委員会ってクッションがあるからできない分野も相当あります。でもそれは健全なブレーキ役、クッション役を果たしていると思います。  しかし、じわじわと私の考えは通っていくだろうと思いますし、今回の愛媛県でいいますと、教員採用試験で思い切ったことをしました。私がスポーツとかボランティア、それを何とか教員採用の視点で取り入れてくれということを訴えました。千点満点の試験で、国民体育大会の成績入賞者あるいは海外青年協力隊の経験者は百点を加算するということで、この百点加算で今回大幅なスポーツ関係あるいはそういったボランティア関係、その他の教員採用ができました。  でも、こういうことをあれもこれもとやり出したらどうなるのかなと。自分自身が思えばできるということは、やはりブレーキ役が必要である。それは英明なる教育管理、人格高潔で教育に関する識見を持った五人の委員がいるから遠慮もする、まあこのことなら理解してもらえるだろうなと、そんな形で機能する今の姿が現時点で思い付く限りベストではないか。その短所が大きく出ないような制度改革は当然あり得ると思います。これがベストかどうかは分かりません。現時点ではこれに代わる制度は見いだし難いというのが現時点での私の結論です。
  59. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 私は廃止論者じゃなくて再生論者なんですよ。そこのところを理解をしてほしいと思うんですね。これが一点。  それからもう一点は、政治的中立性を担保するために、結局あいまいな形で、で教育行政を進めることのマイナス点。そこをどういうふうに担保、両方を両立させるかがその一つの課題だと思うんです。今の制度がやっぱりベストだから、全然見直さないで今のままでいいというんだったら、じゃ問題は事象面だけの問題解決でできるのかどうかと。いじめなんかもう一八二〇年代から、一八三〇年代始まっているんですよ、もう。ずっと来ている、だんだんだんだん拡大しているんですよ。あるいは落ちこぼれも、私現場なんかにいますけれども、大変心配ですよね。  だから、そういう意味では、やっぱりそれらをぬるま湯みたいな形で、政治的中立を担保することは確かに大事なことなんですけれども、大事なことを担保するための副作用みたいな形で、あいまいで責任者がいなくてという形はいかがなものかと。  私は県にもいましたけれども教育委員さんもまあ案外有名人が多いですよ、都道府県のことになると。今度は、市町村になってくると、人格でもう最高に円満でいいというと、どうしても年齢も六十五、まあ年齢のことを言っちゃ失礼なんですが、私ぐらいの年になっちゃうんですよ。そうすると、かなり年配層で、なかなかそれらが本当に積極的に教育改革に取り組めるか、新しいことにチャレンジをできるか、だからそういうことの問題なんです。  ですから、政治的中立は守るべきなんです。守る手段をやっぱり先生方が、それは国家を担う方々がいろんな意味で新しい形をつくってもらう、そういうことでもいいんじゃないですかね。それは、現場の視点を入れてほしいと思いますが。
  60. 山本保

    山本保君 今お聞きしていて、加戸参考人からは採用という正に県の、県の今まで教育委員会、県というのはもう幼稚園と高等学校しかできないと、あと社会教育だと、こういうようなイメージがあったんですけれども、正に教員採用のときにそういう御自分識見を生かされたというのは、なかなか聞いていまして、ああ、そういう手もあったかというような気がしました。  それで、穂坂先生にちょっと、もう少しお聞きしたいんですが、正に当初、教育長の上位承認制というのがあって、それでもって正に教育委員会、文部省、また県が各地方についてチェックといいますか、やろうと。ところが、これが法律改正でなくなったと。これに代わるようなものが何か必要なんだなということを先ほどおっしゃったのかなという気もするんでございますが、その辺、少し追加で詳しくお話しいただけますか。
  61. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 都道府県と市町村教育長の承認制度、これは確かに廃止になった。で、廃止になったから本当に今の上意下達の慣習が取れたかというと、ほとんど取れませんよ。  ですから、私は残すべきものは残したっていいと思うんですね。ただ、そこのところが、確かに市町村行政の中の教育事務というのは自治事務ですから、そこが、自治事務をそこで縛るというのは今度また法律的に、じゃ自治事務でなくなるじゃないかという問題がありますね。  ですから、そういうことだけではなくて、私はいろんな角度からもう一度、私は、一つの私案は、時間がないので申し上げられませんが、さっき言った二十人ぐらいで中教審みたいな形の、で、もう少しその審議会にいろんな牽制機能をきちっと付けるような形で、現場の政治的中立性を担保する。それから、都道府県の中立性というのは今度は、高等学校は直接ですが、市町村の場合には間接になってくるんですよね。さっき言った採用も、多分知事のところはいいと思うんですけれども、埼玉県は七百万人もいるわけですよ。そうすると、がばっと一遍に採っちゃうわけですね。なかなか一遍に採るというのは難しいものですよ。私はよく県のときも言ったんです、もうちょっと違うやり方があるんじゃないかと。そういうことがありましたから、それとは違うと思うんですけれども。ちょっと長くなっちゃって恐縮なんですが。
  62. 山本保

    山本保君 今私申し上げたかったのは、確かに上位のといいますか、そういうところからのチェックというのがなくなったとすれば、まあ建前からいけば議会がチェックすると、こういう制度になっているわけですが、しかし議会というのは正に政治的な戦いの場でもあると。こういうところでというよりは、もう一つ幅広く住民の意見を、正に教育委員会のように行政委員会ではないが、それについての評価をするようなものをつくったらいいんじゃないかという御提案だと思いまして、私もなるほどと思いますので、参考にしたいと思っております。  次に、濱野参考人にお聞きします。  私も若月さんとは非常に仲が良く、品川も何度も行かせてもらいまして、プレスクールなんかで話したりとかいろいろやっております。  そこで、ちょっと今日のお話、ほとんど私賛成で、最初のときからいろいろとお互いに話し合って決めてきたことなんではありますが、今度の教育基本法改正で、私としては実は特に強く家庭、学校地域の連携というものを、これを是非入れるべきだと。  というのは、今までの学校教育というのは、明治以来の学校令以来、保護者というのは正に教育へ、学校へ行かせろ、罰則付きだという、こういう命令対象にしかなっていないわけでして、教育法のどこにも保護者というのは出てきませんですね。ですから、これをきちっとやって入れていくべきだというようなこと。そしてまた、教育の実際の責任は、今までのいろんな裁判論争なんかでありましたように、教師か国かじゃなくて、基本的には親なんでありまして、そのことをきちんとまず法律に定めるべきだと。  こういうふうに主張してまいりまして、今回の中に何とかそれが入ってきたのを非常に喜んでおるわけですけれども、今日いろいろお話があった中で、そういう法律、今度の、私もこの辺をちょっと今度また時間があったらお話ししようと思っているんですけれども、是非参考にしたいと思っていますのは、例えば親との連携といいますと、親というのはもうエゴであって、そんなことを聞いていたら、正にこれ明治の初めに、そのために今の教育法体制ができているわけですね、親をまあ締め出す体制です。しかし、これを連携するんだと、こういうふうになってきたときに、今でもそういう心配というのはあるわけですね。これに対してどのような対応をされているのか。  正にこの選択制というようなものが非常に面白くて、選択制イコールいい学校と悪い学校の格差拡大ではないかと私も最初に若月さんにかみ付いたんですけれども、いや、そうじゃなくて、これは正に、自分が行っている学校自分で選んで行ったんだと、こういう形をつくることによって親の意識が学校に生きると、こういうものなんだという話を聞きまして、ああ、なるほど、それはそのとおりですねと、非常にそこで私もなるほどと思ったことがあるわけです。  ですから、こんなような形もあるんですけど、何か一般的に、親の意見を聞いていたら学校なんて運営できないよと、こういうような俗論といいますか、しかし非常に根強い意見に対してはどのような反論をされるでしょうか。
  63. 濱野健

    参考人濱野健君) まず、ちょっと質問の趣旨と離れて恐縮ですが、親というのは、小学校一年生に入って初めて親になるわけではないですね。保育園に入って初めて親になるわけではない。やっぱり生まれたときに親になっている。しかし、親としての自覚とか親として何をすべきかということについて、子供一定の年齢になるまでにそれが醸成されていないということが非常に大きな問題だろうと思います。醸成されていなくて我が子ということになるから、いきなりいわゆる親のエゴというのが入ってくるんだろうというふうに思います。  したがって、親を育てるということが、ちょっと言葉は語弊ありますけど、非常に大切な地方自治体の責務になってくるんじゃないだろうかというふうに思っています。そういう親育ての中で、我が子を大事にするということと我が子の友達を大事にするということ、そのことをやはりきちっと子供が小さいときから、本当に小さいときからやっていく必要があるだろうと。  今私どもは親子クラブというのを児童センターでやっておりまして、親子がやってくるわけです。これは保育園ではありません、児童センターでやっているんですが、親同士が付き合う中で、指導員が入っていって親の在り方とか親の考え方というものを少しずつ話をしているというふうなところであります。親のエゴ云々の前にやはり親としての自覚を、正しい自覚を持っていただくことが大事だというふうに思っています。
  64. 山本保

    山本保君 そのことをちょっとお聞きしようと思っておりました。  正に親を育てなくてはならないんだけど、これを学校がやりますとちょっとやはり問題だなと思っていたんですよ。その辺を矛盾しませんかと。学校というのはやはり親と対等若しくは専門家として、親の気付かないところについてもちゃんと計画を立て、目標を立てる。しかしながら、親の方は、自分子供ですから、今までの経歴を知らない先生が立てたことに対して異議があるというのはこれは当然であって、しかしそのときに、しかし実際的には親というのはなかなかそれだけの力を持っていないということで、親育てという言葉、先ほど魅力的な言葉がありましたが、その主体は一体どこですかということをお聞きしようと思っておりました。正にこれは学校、ただ、場所としての学校とか、それは構わないんですけれども、正にこれは自治体がやるべきであるということで、後でお聞きしようと思っていたことをいただきまして、ありがとうございます。  もう一つ、例えば今日は、地域のニーズにこたえる学校でなくちゃならないと、これも実はどこにも法律にはないと思うんですね。今度初めてそういうことが出てきたわけであります。特に大学教育などにもそのことは出てきましたから、もうすべての学校はそうだということになるわけですけれども、この辺も私は、今回の法律できちんと決めたことは、例えば今日もお話があったいわゆるキャリア教育ですとか体験型であるとか、若しくはそれに今度反対に、地域のニーズに合った学校のカリキュラムであるとか、そんなことが非常に重要だというふうに思っておりますが、もしこれらのことについてもう少しお話があったらいただきますし、なければ次へ移りますが。
  65. 濱野健

    参考人濱野健君) 地域のニーズということに直接お答えになるかどうか分かりませんが、先ほど申しましたように、学校というのは社会の中で成り立っている組織であると、施設であると。とりわけ、その地域社会の中で成り立っている、小学校なんかは特にそうでございます。そういった意味では、その地域の成り立ちだとか歴史だとか伝統だということをしっかり子供たちに伝えていくということは非常に大事なことじゃないかと。  地域のニーズといって具体的に、具体的に何かこの地域に、学校に対して特殊なニーズがあるということは私はないと思います。もちろん、あの商店街のお祭りに一緒に子供たちも参加してくださいという、こういうニーズはあるかもしれませんけれども、もう少し抽象的なニーズで、それは地域を愛するといいますか、地域に目を向けてほしいという、そういうことであろうと思います。そのことはやっぱりしっかり進めていかなければならないことだというふうに思っております。
  66. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。  まだこの辺はお聞きしたいことが、特に加戸さんにお聞きしたいんですが、ちょっと飛ばしまして、今度の法律改正義務教育年限を九年というのを外して、もう少し融通、今後の皆さんの意見を聞きながらということになったわけですけれども、この辺は、上に延ばすか下に延ばすかとかいろいろ議論がありますが、この九年を外したということについての御意見を伺いたいと思うんですが、御三人の方からできればお願いしたいと思います。
  67. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 今の六三三四制、冒頭申し上げましたが、昭和二十一年の教育使節団報告で九年の義務教育という提言を受けて実施されたものですから、九年が絶対であり得るはずはないんで、それはその国その国、あるいはその時代の事情に応じて八年でもいいかもしれないし、十年に延ばした方がいいかもしれないし、これはある意味では国民的なコンセンサスの下で考えるべきことであろうと私は思います。  ただし、六三制を実施するときのあのときの学校の手当て、教員の配置等々、当時大混乱をしたということがありますから、改革のときは一定の期間、四、五年なりの準備期間を持って体制を整えて切り替えていくべきだろうと私は思います。
  68. 濱野健

    参考人濱野健君) 別の法律で定めるようになってその九年という枠が外れたということについては、これは柔軟な対応だというふうに思っています。  どちらに延ばしたらいいかというのをここで直接申し上げるあれではありませんけれども、やはり今自治体にとってもかなり重要な課題になっているのは、幼稚園から学校へ上がる、保育園から学校へ上がるときのこの溝というものをいかに滑らかにつないでいくかというのは、これいわゆる幼小連携というようなことでもって様々な事業を展開しておりますけれども、そこが非常に難しいのではないか、難しいといいますか、子供にとって難しい一つの溝ではないかということを考えると、そちらの方向なのかなというようなことは、これは全くの私見でありますけれども、感じております。
  69. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) この間、履修不足の問題があって、私すごく憤慨したんですよ。というのは、中学卒業までが義務教育でしょう。高校行けない人だって一杯いるんですよね。ところが、何かそこが、履修を不足すると何か一人前の人間になれないんじゃないかという錯覚がこの間の論議からしたんですよ。だから、そういう意味では、やっぱりもう現実的に九〇%超えていますよね、高校が。だから、そういうことになると、どこまでが一つ義務教育一つの時代の中でせざるを得ないのかというのが一点。  それから、やっぱり教育費は私はもっと財源をどんどん付けるべきだと思うんですよ。私は国のことは分かりませんから、まあ財政再建で借金だらけで大変でしょうが、でもやっぱりお金がなくちゃ教育もできないと思いますね。是非お願いしたいと思います。
  70. 山本保

    山本保君 まとめます。  ありがとうございました。  義務教育というのはイコール無償教育という、こういうことになるわけでして、私学が多い幼稚園と、そして高等学校をどのように義務化するかと、自民党の方とまたこれはじっくり話をしなければならない課題だと思っております。  最後に一つ、私は、その後厚生省に入りまして、当時の児童自立支援施設、前の教護院、この担当を大分やりまして、今回のいじめ問題なんかでもっとこの辺を活用したいなということで、ただ、現場から使いにくいという声があるのはもうよく承知しております。この辺をしっかり直して、正にこの問題は専門化のチームがきちんと対応しなくちゃいけないということを考えておりますので、また今後も御指導いただければということをお願いしまして、質問を終わります。  ありがとうございました。
  71. 井上哲士

    ○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。  今日は、参考人の皆さん、急なお願いで、しかも地方は十二月議会の最中だと思いますけれども、大変ありがとうございます。非常に貴重な御意見をいただきました。今後の当委員会質疑でもしっかり深めていきたいと思っております。  最初に、教育委員会制度につきましては、先日もそれに絞った参考人質疑も行いましたし、特に参議院における質疑ではかなり議論になってまいりました。この教育委員会制度が、いろんないじめや未履修問題で大変隠ぺい体質とかいうことが議論になる中で、例えば文部科学大臣などは、先ほども少しありましたが、地方分権で国の権限をある程度教育委員会にしても移譲したのをもう一回見直す必要があるんじゃないかと、もう少し国の関与を強めることも考える必要があると、こういう御答弁をされているわけですが、そういう改めて国の関与を強めるというような方向についてどうお考えか。  先ほど穂坂参考人からは御意見がございましたので、加戸参考人濱野参考人からそれぞれ御意見をいただきたいと思います。
  72. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 教育委員会制度は、様々な問題があることは御承知のとおりです。  例えば、即効性の問題からすると、何かあったときにすぐ、それはこうしろ、発表しろというのは、知事部局にあればすぐできます。でも、教育委員会という合議制のところだと時間が掛かります。そういった問題はありますけれども、いろいろな事柄に関しての処理で、こういう事柄に国としてどう考えるのか、言うなれば、国が関与すべき事柄は全国的な義務教育水準の維持、確保、そういった点で、あるいは教育内容の担保、そういった大きな見地から、全国的に見て極端な県が出て、あるいは極端な市町村が出て、それはおかしいんじゃないかと言える分野はどこなのかという、それは言うなれば事項による交通整理をした上で、それは国の関与が措置要求なのか、指導なのか、助言なのか、内容に、性質に応じて区分すべきであろうと私は思っております。
  73. 濱野健

    参考人濱野健君) 国の関与というふうな面ですが、やはり国の一番の役割というのは義務教育を保障するという、基本を保障するということが一番の役割だろうと思います。  そういった意味で、こう教えるべき、ああ教えるべきというのを、これはやはり国が関与するんであれば中教審なりいろいろな合議体、会議体によって十分に練られた上で下に下ろしてくるべきものであって、直に教育委員会を指導するというのはちょっと短兵急なのではないかなと。これは印象でございます、私個人の印象でありますけれども、そんなふうに思っておりまして、国には国の役割というものがあるんではないかというふうに思っています。
  74. 井上哲士

    ○井上哲士君 国の役割といいますと、これも先ほどのお話にもありましたように、とりわけ義務教育の無償化という観点からの財源的な保障ということは大変大きな役割かと思いますが、この間、義務教育費の国庫負担制度の削減ということもございましたし、さかのぼりますと、例えば教材費の一般財源化、それから就学援助についても、いわゆる準要保護については一般財源化をされたということがございまして、そのことが非常に、特に財政基盤の厳しい地方自治体などに様々な影響を与えている。とりわけ、教材費などは本来の水準の七割とかということも出ているということも私ども文教委員会等でも議論をしてまいりましたが、こうしたこの間の言わば財源的措置の後退がどういう現場に影響を及ぼしているのか、またどうあるべきなのか、それぞれから御意見を伺いたいと思います。
  75. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 県も市町村財政状況は厳しいわけで、そうすると、必要な経費をどうやってひねり出すのか、そのためにはここは削ってもこっちへ回そうとか、いろんな工夫をいたします。  そういった点で、義務教育国庫負担金のようにもうひも付きでそれ以外に使えないものは、それは削ってほかへ回すということがあり得ないわけです。でも、教材費のように一般財源化、それがされれば、ああ、今年、財政苦しいよな、ああ、ここ、じゃ、ちょっと削ってこっちに回しとこうとか、そんな形になることは目に見えてます。  そんな意味で、それは教育関係立場から言わしていただければ、先ほど申し上げた第二次教育使節団が、正に教育予算編成権教育委員会に認めて、かつ徴税権まで付与してやるべきだという激しい提言があったんです。そのときに、あらゆる公共施設の中で教育を最優先すべきであるという言葉まで付いております。もしその考え方を今受け止めるとするならば、社会保障は削るわけにいかない。それは生活保護にしても介護給付も医療も年金もと。ならば、義務教育費も同列じゃございませんかと私は申し上げたいところです。
  76. 濱野健

    参考人濱野健君) 今お話しのとおり、国においても、あるいは都道府県、市町村においても財政的には限りがあるわけで、その中でウエート付けをしながら予算付けをしていくということであります。国には国のその財政事情というのがあろうかと思います。  そういう中で、教育というもののウエート付けを、重きを置きながら国もその財政バランスを取っていくんだろうというふうに思っていますので、そういう意味での、財政の中でどれをどういうふうにウエート付けをしていくかという中での一つの結果だろうというふうに思っていまして、これはやはり、自治体としてもそれを受け止めた上でどうやって工夫をしていくか、これがまた、何というか、地方自治体の首長の責務でもあろうかというふうに思っています。
  77. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 教育費にお金掛けた方がいいと言ったのは、私は、全体の予算の中でそういう意識もあるのかなという意味なんです。一概に国の、このような悪いというか、もう正に未曾有の借金大国になっているわけですから、これは地方もある意味では私は担わなければならないと思っているんです。  ですから、財政規律は規律として、市町村あるいは地方公共団体もやっぱりその辺はしっかり受け止めなければいけないとは思っているんですね。と同時に、教育の方は国の役割分担の中で、持つべきものはやっぱりしっかり国が責任を持った方がいいだろうと、こういう意味です。
  78. 井上哲士

    ○井上哲士君 続いて、先ほど来少し議論になっています学校選択制について濱野参考人加戸参考人から御意見をお聞きしたいと思います。  品川学校選択制については、この間、テレビ番組などでも様々な角度から報道もされております。保護者などの選択ができるという言わばメリットと、同時に、やはり様々なデメリットについても指摘のされていることだと思うんですね。  先ほど格差の固定化にもつながるんじゃないかということも議論があったということがありましたが、この間、いろんな研究者などの報告を見ておりますと、いわゆる子供たちが集まる学校と、そして、むしろその地域からは、従来の地域から出ていく学校というのが固定化をしていると、こういうことが言われております。そして、そのことが例えば学校自体の言わば廃校の流れなどにもつながっていくんじゃないかと、こういう指摘もされているわけですね。  それで、いったんあそこの学校は人気がちょっと悪いとか入学者が来年は少ないようだというようなうわさが流れてしまうと、それがうわさがうわさを呼び、ずうっと不人気が固定をしてしまうと、こういう固定化がしてしまって、そのことが結果としては例えば地域学校がなくなっていくということで、その地域との密着、そして地域教育力の低下ということなどにもつながっていくというような指摘、報道もされておりますが、この点のデメリットという点についてはどのようにお考えでしょうか。
  79. 濱野健

    参考人濱野健君) 今の御質問は、品川の区議会でもよく一部の方からお聞きをいたします。学校選択制。  その前に申し上げたいのは、現実の問題として、四人から一人あるいは三人から一人の子供が私立に行こうとしているという、こういう一つ現実がありますね。そうすると、それで果たして公教育というものが責任を果たしているだろうかということが一つ。そしてもう一つは、子供が、自分の行く学校ははなから決められているんだと、ほかの学校に行かれないんだということの非合理性、こういったものを考える、あるいは私立へ流れてしまうということを考えれば、それぞれの学校が一生懸命努力することが必要だろう、その努力の一つの契機として学校選択制というのがあるんだというふうに思うんです。  結果、やはり今言われたようなことが多少出てくるかもしれません。しかし、これはもう一つ学校がその学校として一生懸命努力することによってやっぱり呼び戻せる、また呼び戻した事実がある。そういう意味では、各学校が切磋琢磨する一つの仕掛けだというふうに思っていますんで、これでもって学校が荒廃するとか地域が荒廃するということはないというふうに思っています。  もう一つ自分地域子供が他の地域学校へ行ったからといって、その地域がその子供をないがしろにするか。そんなことはないというふうに思っています。私自身が先ほど申しましたようにほかの私立へ行きましたけれども地域では温かく迎えていただきましたし、子供たちも公立の学校子供たちと一緒に仲よく遊んでいたわけですから、その辺は少し誇大に語られているんではないかなという感じがしております。
  80. 井上哲士

    ○井上哲士君 もう一点、同様のことで濱野参考人にお聞きするんですが、学力テストが学校選択制とセットで行われるということでありまして、このやっぱり学力テストの結果が学校選択とリンクすることによるデメリットということもまた語られております。  どうしても学校間の競争になって、いわゆるできない子が少し学校にいたたまれなくなるような状況であるとか、そして言わば平均点を上げるための補習などが行われたり、そのことが学校行事などに影響が起きたりと、こういうようなことも父母の方からも我々はお聞きすることがあるわけでありますが、そういう点の学校現場への影響という点についてはどのようにお考えでしょうか。
  81. 濱野健

    参考人濱野健君) この学校でこういう学力が勝っています、劣っています、あるいはこれから努力が必要ですと、こういうことを公表することは一向に、何というんでしょうか、妨げになることではない、むしろ各学校の努力の方向性を区民に明示をして態度表明をする、そしてそこに向かって努力をしていくということは学校が進化していく一番の方法じゃないかと思うんです。  今言われたようなことは、物事を後ろ向きにとらえれば何でも後ろ向きにとらえられますけれども、前向きに考えるということで申し上げているんであって、つまり、学校がどういうところにどういう努力を必要としてやっていくかということを父兄に、あるいは地域に明示しながらそこを進んでいくという、そのきっかけとしての学力定着度調査でありますし、それの公表と態度表明だということで、学校にとって良いことだというふうに私は信じております。
  82. 井上哲士

    ○井上哲士君 じゃ、加戸参考人にお聞きしますけれども、この学校選択制については、例えばいじめなどでその学校にはもう行きづらいというときに、ある程度柔軟にするというようなことは既に制度としては行われているわけですが、いわゆる通学区そのものをなくすようなやり方というものは、これは地域的に見ますとなかなか難しい条件もあろうかと思うんですけれども、こういうものを全国的に広げていくという点についてはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  83. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 県の立場で考えた場合に、今瞬間的に頭に浮かぶのは、小さな町村、へき地、離島、こういったところでは学校選択制なんというのは採用する余地はあり得ない。言うなれば、都市部における論理だろうなという感じがいたします。ですから、例えば愛媛県でいいますと松山市という県庁所在地で、そこの地域の中で学校選択制というのは試みのケースとしてあり得ても私はいいと思いますし、しばらく試行の形で数年間やってみた結果で定着させるのか、それともまた元へ戻すのか。言うなれば、最初から学校選択制ではなくて一定の数年間の試行期間で、地域によってテストケースをやってみてうまくいくかいかないかということをやるべきではないのかな。  いずれにいたしましても、全県下でこれをやるということは不可能だろうと私は思っております。
  84. 井上哲士

    ○井上哲士君 ありがとうございました。  次に、いじめ対策にかかわってお聞きをいたします。  今度の教育基本法の政府案の中ですと、今後の基本計画の中で、例えばいじめをなくすための数値目標というのも出てまいります。この間、教育委員会がいじめの事態をなかなか公表をきちっとしなかったということに、いじめの数が少なければいい学校、多ければ悪い学校というような評価がされることがあって、結局むしろそれを対応するんじゃなくて隠すというような事態になったんではないかという指摘もありますし、文部科学大臣もそういう評価については考えなくちゃいけないということも言われておりました。  私は、例えば三十人学級をいつまでにこうするとか、耐震構造をここまでにやるとか、こういう数値目標は大いに教育にとっても必要かと思うんですが、例えばいじめなどを何年間で半減するとか、こういう数値目標というのはなかなかそぐわないんじゃないかという意見を持っておるんですけれども、そういう教育という在り方とそういう数値目標の在り方についてのそれぞれ御意見をお三方から伺いたいと思います。
  85. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 数値目標は言うなれば結果の努力目標なのかなという感じでお聞きいたしましたが、これは犯罪の発生件数の抑制の数値目標とはちょっと違うと思うんです。というのは、客観的基準がありませんから、それをいじめと判断するか判断しないか、子供がいじめと思うか思わないか、それぞれの地域子供たち感覚で。ですから、目標が設定されるとそれに合わせるためにこれはいじめとして報告しないとかいうような意識的な数字操作が結果行われる危険性もあるかなという意味で、設定することに関して、私はその効果は疑問だと思っています。
  86. 濱野健

    参考人濱野健君) 私も、いじめというのはかなり主観的な要素もありますから、はっきり数値で表せるものかどうかというのは大変に難しい問題だというふうに思っています。したがって、数値ではっきり表せないことを半分にするとか三分の一にするというのはなかなか難しいと思います。  しかし、そういうことに向けて努力するという姿勢は非常に大事なことじゃないだろうか。一件でもそういうことを少なくしていくという姿勢を何らか後押しをするような制度あるいは牽引するような制度というものは、仕組みというのは必要だろうと思います。それを半分にするがいいとかということがいいかどうかは別として、そういうものは必要だというふうに思っています。
  87. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 今、国の方針も全体的にそういうふうな、要するに数値目標にすべきではないという方向で進んでいるというふうに理解をしています。
  88. 井上哲士

    ○井上哲士君 じゃもう一点、学習指導要領に関連してお聞きをいたします。  加戸参考人からも最初のお話で、学習指導要領というものはもっと運用の幅を持った規定にするべきだと、こういうお話がございました。その一つとして、履修時間などはもう少し幅を持ったらということもあったわけですが、その大綱的基準と言われながら現場ではここから寸分も外れるなというような形でやられたり、様々なことがあろうかと思うんですが、どういう運用にするべきなのか。そして、そのためにも、先ほどは履修時間についてのお話がありましたが、それ以外の分野も規定ぶりもこうするべきだというような御意見がありましたら、元々文部科学省におられてむしろこれを進めてこられた立場と、そして地方自治体にいらっしゃる立場からは様々なことが見えてこようかと思うんですが、その辺、御意見を伺いたいと思います。
  89. 加戸守行

    参考人加戸守行君) これは教育に限らず、すべての分野であり得ると思うんですね。言うなれば必須要件として、建物を建てるときに鉄筋ならばここは三本以上入れる耐震構造にするとか、そういう最低要件、つまり建物として壊れないものはどんなのかという要件と、それに付随して、快適な生活を保障するために通風口を幾ら付けるのか、あるいは換気扇をどうするかとか、様々な応用動作があります。そういった点で学習指導要領も、私は、これは子供を建物に比較するのは良くないですけれども、これだけのしっかりした耐久性のある建物が基本ですよと。あとは、この辺はそれぞれの地域判断で、応用動作でというような基準であるべきだと思いますし、また、基準があっても、それは一〇〇求められたら一〇〇をやらなきゃいけないわけじゃなくて、まあ八〇程度沿っておれば、一〇〇の目標、基準であってもいいじゃないかという、その幅、揺れをどこまで判断するかということがあると思います。  言うなれば、単に数値だけの話ではないんで、子供たちにとってみれば、一〇〇が教えられても一〇〇を吸収しているわけじゃありません。人によって三〇しか吸収していない子も、五〇吸収していないのかもしれない。でも、そのことの評価は別として、機械的に何時間何をやったからということがすべてではないだろうと。そういう意味弾力性というのは幅を持たしてほしい、あるいは最低基準はもうちょっと縮めてほしい、その中で学校創意工夫するようなカリキュラムであるべきだと私は思います。
  90. 井上哲士

    ○井上哲士君 どうもありがとうございました。今後の徹底審議の参考にさしていただきます。  どうもありがとうございました。
  91. 近藤正道

    ○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。  今日は、三人の参考人の方、貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。お三方とも地方自治の、自治体の教育行政の先頭に立って、その体験に基づかれて貴重な御意見を話していただきました。是非この後の審議の参考にしていきたいと、こういうふうに思いますが、そういう皆さんに私の方から何点か質問をさしていただきたいと、こういうふうに思っています。  最初に、今回の政府案につきまして皆さんの御評価をいただきたいんですが、教育基本法は一般行政教育行政を明確に峻別をしたということと、それと教育地方自治を徹底した、これは大きな特徴ではないかというふうに思っておりまして、この二つが今回の政府改正案でどういうふうに変わるのか、その評価なんですが、とりわけ皆様方は地方教育行政にかかわりの非常に深い立場のお方でございますんで、私としては、今回の政府改正案で教育地方自治がどうなったというふうに皆さんは見ておられるか。端的に言いますと、前進をしたというふうに見られるのか、少し中央集権が強まって、地方自治という観点では少し後退したんではないかと。非常に分かりやすく今二者択一的な問い掛けをさせていただいたんですが、どういうふうに見ておられるのか、お聞きをしたいというふうに思うんです。  私自身は、今回、政府案につきましては改正案の十六条の中でそれが規定されているわけでありますが、教育内容のスタンダードを決定する権限だとか、あるいは達成度を評価する権限を政府が大きく握ると。そして、評価を通じて財政配分権限も持つようになるんではないか。そういう意味では、今までに比べると相対的に非常に大きな集権的な権限を持つんではないかというふうに見ているわけです。    〔委員長退席、理事北岡秀二君着席〕  その一方で、教育財源につきましては必ずしも国の最終責任が明確ではないと。大変な今財源難に国も地方もありますが、私は財源については少なくとも国の最終責任は明確にすべきではないかというふうに思うんですが、今、義務教育費国庫負担、話がありました、二分の一から三分の一になった。これからまたどうなっていくか分からないわけでございますが、そういう流れから見ると、財源については国の言わば姿勢がかなり、よりあいまいに、国と地方の分担という名目の下であいまいになってきているんではないか。つまり、総じて、口は出すけれどもお金の点については非常にあいまいになってきているんではないか、教育地方自治というのは少し後退したんではないかというふうに私には思えてならないんですが、三人の先生方、どういうふうに教育地方自治という観点でこの政府改正案を見ておられるのか、お三方から御意見をお伺いしたいと、こういうふうに思います。
  92. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 今の御質問で、教育基本法のこれは十六条四項ですか、「必要な財政上の措置を講じなければならない。」、それから日本教育基本法法案の二十条で「必要な予算を安定的に確保しなければならない。」、これらの規定は現在の教育基本法にございませんから、そういう意味で、今までよりは何か財政的なこと、予算的なことを書いていただいているなという意味では喜ばしいことだと思いますけれども、じゃこれで十分かというと、今の置かれた状況からすると不安定な形であって、担保されているとまでは言えないのかなという思いはあります。  その他の面の地方行政に対する影響度は、現行法も改正案も、自治体、県の立場から見ればそれほどの変化はないのかなという意味で受け止めております。
  93. 濱野健

    参考人濱野健君) 私も財政面での担保というものをしっかり明記をしていただきたいと。これでしっかり明記しているかということになると、さあ、どうかなということはありますけれども、一歩前進ではないかなということが一つと。  それから、今、加戸委員がおっしゃられたように、現行基本法と新しい基本法で、私の感覚です、これは。品川区で教育行政を行う上で大きな、何というんでしょうか、影響というのは特段にないだろうというふうに思っておりまして、その地方の公共団体のあれを大幅にこう狭めるものではないかというふうにおっしゃいますけれども、必ずしもそうではないんではないかなというのが印象でございます。
  94. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) それぞれの取り方があると思うんですね。私は、教育の自治が後退したとか、あるいは財源の面でも後退したとか、全くそういうふうには取っておりません。
  95. 近藤正道

    ○近藤正道君 分かりました。  改正案の十六条の二項あるいは四項の解釈にかかわるところだというふうに思いますが、私は、文科大臣にもいろいろ質問をさせていただきました。改正案ではそれなりに教育財政の措置を講ずるという、そういう文言があるけれども、例えば、これを拡充するとか安定的に確保するとか、そういう一定方向を示した文言がないとか、あるいは国の、全国の教育機会均等とか、あるいは水準維持の向上のために財政措置を講じますよ、そういう極めて明確な文言が書かれていないと。教育の円滑かつ継続的な実施という極めて抽象的な文言、これはやっぱり問題ではないかと。もっと明確に全国的な教育水準機会均等とか水準維持、これを打ち出すべきだ。あるいはOECDの中でGDP比の予算、あの割合が非常に低いと。こういう現状から見れば、教育予算のやっぱり拡充の方向は打ち出すべきだと。なぜこういうものを明確にしないんですかという不満を直接文科大臣にぶつけたわけでございますが。  文部省でずっとこの分野で言わば仕事をされてこられました加戸参考人、私の疑問についてどういうふうに考えておられますでしょうか。
  96. 加戸守行

    参考人加戸守行君) おっしゃられますように、教育予算というのは、やっぱり国の、地方も通じてですけれども、財政の論理の中でこれしかないよと言われると我慢しなきゃいかぬ分野ではあるんでしょうけれども、ただウエートの置き方を、先ほども私申し上げましたけれども、生活保護や介護給付費が国が面倒を、必ず確保しなければならない予算とするならば、少なくとも義務教育費は同列ではないのかということを申し上げた趣旨も、やはり教育を大切にするかどうかの姿勢の問題だと私は思っております。  そんな意味で、こういう表現、教育基本法の文言もさることながら、私今非常に懸念しておりますのは、教育は人にあると言われています、教員の資質の問題です。  そういった点で、教職員人材確保法の見直し並びに教職員の優遇措置の縮減という、骨太の方針で今流れておりますから、もしそういう形で手を着けられていくと、一方において教育の再生、教育に寄せる期待、それを担うのは、主役は教職員であって、その教諭の優遇措置をはがされることになっていくと、教育基本法で財政上、予算上の措置と書いてもむなしいなと、そんな意味合いで懸念を持っているところでもございます。
  97. 近藤正道

    ○近藤正道君 加戸参考人が今おっしゃったことが、私も全く同感なんです。  実は、行革の推進法の中で、子供の数以上に教職員の数を減らすこととか、あるいは人確法の見直しも含めて考えると、こういうことは法律の中に明記されました。そしてまた、先ほど来出ております義務教育費の国庫負担の二分の一から三分の一、この問題もああいう形で決着が付いて、更に今後議論が進むと。    〔理事北岡秀二君退席、委員長着席〕  そういう脈絡の中で、今回改正法の十六条が言わば方向性を示せない、国の最終的責任は不明確にしたまま決着をするということに大変懸念を覚えて、まあ杞憂と言われればそれまでなのかも分かりませんけれども、単なる杞憂ではないだろうと。この流れの中で、本当に教育を大事にする、そういう姿勢がはっきり出ているとはやっぱり言えないんではないかというふうに思えてならないわけでございますが、重ねて加戸参考人の御所見をお伺いしたいと、こういうふうに思います。
  98. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 私も、今の国家財政の窮乏をよく承知しておりますだけになかなか地方立場で申し上げにくい面はございますけれども、でも幾ら厳しくても苦しくても大切にしなきゃいけない分野は幾つかある中の一つだと、そんな意味で、今の人確法に基づく教職員の優遇措置を見ている次第でもありますし、教育すべてとは言いませんけれども、少なくとも義務教育における諸条件整備というのは、国家百年の大計としてほかの経費と同列に論じてもらいたくないなという思いがございます。
  99. 近藤正道

    ○近藤正道君 教育委員会制度のことについてお尋ねをいたします。  私も、その中立、安定、継続と、こういう観点から教育委員会制度は必要であると、こういうふうに実は思っておりますが、しかし様々な局面を見ますとこれが十分に機能していないと、批判されるべきたくさんの問題点を含んでいるということは私もそのとおりだというふうに思っております。  そこで、この制度をやっぱり残しながらなおかつ運用面で当面何が、残すという前提でどこを運用面でどう改善することがやっぱり喫緊の課題なのかと。参考人先生方一つずつ、今一つ挙げろと言えば何なのかというふうにお聞きするとすると、どういうふうにお答えになられますか。
  100. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 一つは、県費負担教職員制度をやっぱり、全国一律ではなくて、規模とか場所とかに応じてやっぱり実施主体が私は任命権を持つべきだろうと思っています。
  101. 濱野健

    参考人濱野健君) 私も同様で、やはり人事権がないということは、教育委員会教育委員の皆さんの一種の無力感というものにつながっているんではないかというふうに思っています、実際にどうこうできないという。そこで、こういうことを言うとあれかもしれませんが、それでは一体何ができるんだろうかという無力感がやっぱりどうしてもお持ちなのではないかなという意味では、人事権というものを市町村教育委員会が持つべきだろうというふうに思っています。  それからもう一つはやはり、大変お忙しい方が教育委員になられているのが現状です。そういった意味では、なかなか時間が取れないということでありますけれども、やはり教育というものについてより見識を深めて、アップ・ツー・デートなんですね、教育情勢というものについてよく勉強していただく必要があって、そのためのいろいろな資料の提供というのが必要ではないかというふうに思っています。
  102. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 県の立場からしますと、今の市の教育委員会に人事権が必要だというお気持ちはよく分かるんです。ただ、県から眺めた場合どうなるのかなというのは、教職員の人事権というのは極めて難しい問題は、計画的に将来を見据えて採用していく、どの教科の先生を何人これから採っていくというような長期計画があります。それから、カリキュラムが変更した場合に、その教員の入替えとか、教員の需給を考えたときの問題が一つと、それから教員を配置するのが一番困るのはへき地、離島です。そこへ先生が行ってもらえるかどうかと。  それで、県は人事権を持つ必要はないですが、市町村にこれ権限が移譲されたときに困るのは小さい町村だろうな、あるいは小さい市だろうなと。首都圏あるいは県庁所在地は困らないと思います。それだけのことは肩代わりできます。でも、残された周辺部は一体こぼれの、言葉は悪いですけど、教員採用をするのか。しかも、小さい町や村になると、体育の先生採ったら三十年先までは体育の先生が採用できないよねと、この地域は音楽の先生あと二十年は採用見込みのない地域だよねというようなことになったときに、教員の需給関係がうまく調整できる市町村連合、県でやる必要ありません、市町村連合、調整機能で、そこで言うなれば広域消防組合と同じような人事をやらなければ、これは大変な事態になるんじゃないのかという懸念を持っております。
  103. 近藤正道

    ○近藤正道君 もう一つ加戸参考人にお尋ねをしたいと思いますが、地教行法で首長教育委員会予算編成に関する意見交換、教育委員会からは意見を言う、首長からは意見を聴取する、こういう規定がありますけれども、実際はほとんど機能していないんではないか。せっかくそれなりの歴史的な背景があって、教育委員会首長との間である意味での、いい意味での緊張関係予算編成の過程で制度として設けているのに、これほとんど機能していない。これやっぱりもっと機能させて活性化させるといいんではないかというふうに私思えてならないんですが、どうしたらいいと思われますか。
  104. 加戸守行

    参考人加戸守行君) かつて旧教育委員会法時代に予算権を教育委員会に持たせたがために、首長との関係対立関係が生じて、三十一年の法改正でなくなりました。現在は、教育委員会意見を聴かなければならないという規定だけです。  率直に申し上げますと、予算編成に当たりましては、各部の予算教育委員会予算、いずれも同列に要求を受けて、査定をして、それでこれをまとめ上げていくというプロセスから、予算に関しては通常の部と同じ対応になっていることは現実です。  問題は、今委員がおっしゃいましたように、教育委員会のこの教育予算編成でのどれだけの強い力を持たせるかということになるならば、かなり予算自体が、例えば定数の問題、教職員配分の問題等々、あるいは施設の経費等々、積み上げでございますから、要求が出て、それを知事部局の方では切ってもらう、あるいは切り込むという事態のときには、なぜこの要求を受けて県の財政状況としてはこれだけしか応じられなかったかということを対外的に説明する義務なり規定なりが私は例えば現在の地教行法の中に必要なのかなと。今のままだったら、もう意見を聴かなければならないというのは全く空文に帰していると私は思っておりますし、そういった点の教育予算に対して、すべてこたえることはできないけれども、なぜ要求に対してここまでしか付き合えないのかということを県民に対して、あるいは教育委員会に対して知事部局の方が説明できる、しなければならないような義務を課すとか、そういう方法は一つの案かなと思ったりもします。
  105. 近藤正道

    ○近藤正道君 分かりました。  最後に、学校における競争のことについて濱野参考人加戸参考人にお尋ねをしたいと思いますが、品川区における非常に意欲的な取組については敬意を表したいというふうに思うんですが、この間、参考人質疑教育における競争の議論がいろいろ議論になりまして、これも地方教育行政にかかわっている参考人の中からは、競争が言わば学校間格差をやっぱり拡大するという、そういう側面と、同時に、競争をやると、できる子、真ん中の子、できない子、このできない子がやっぱり寝てしまうと、こういう話をされている方がおられまして、これは競争ではなくてやっぱりどうやって起こすかと、そのための技術とやっぱりハートの問題だというふうな話をされていました。  いろいろ習熟度別だとかあるいは学校選択の問題、取り組んでおられますけれども、今の言わばできない子対策についてどういうふうなお考えをお持ちなのかということと、もう一つ加戸参考人につきましては、やっぱり地方へ行きますと私立学校ほとんどないですよ。まあ愛媛県もそうだと思いますけれども、過疎、離島。そういう中で、競争の限界、これは学区の問題もそうでありますけれども、これがこれから改正法、振興計画の中で全国的な形で行われたときにどうやって地域の特殊性についてバランスを取っていかれるのか、お考えをお伺いしたいというふうに思います。  済みません、時間がちょっとオーバーになって。
  106. 濱野健

    参考人濱野健君) まず一つ、競争を激化していわゆるできない子が置いていかれるんじゃないだろうかというお話ですが、品川教育はむしろそういうことが起きないようなことのために努力をしているわけでありまして、習熟別の授業だとか、あるいは根っこの練習ということで、本当に基礎、基本をしっかりと身に付けるというところを中心にやっているわけですね。何かできる子だけ伸ばして、そういう子は、できない子は置いてきぼりということではない。そういう子供たちのためにこそ習熟度別あるいはその他の根っこということでやっているんで、その辺は是非御理解をいただきたいと思います。
  107. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 私立学校がない地域における競争のお話ございましたけれども、それはそれなりにその学校で、言うなればレベルアップをしていくときに、伸びる子は、優秀な子は伸ばしてあげる、落ちこぼれを出さないようにそれも救う、これ一遍に同時進行、私は難しいと思います。それはそれなりの、例えば習熟度別学級もありましたが、小規模校になりますとかなり個別教育はやりやすいわけですから、その能力に応じた進度に対しての指導ということになりましょうし、結果的にはその地域でその学校をどう評価するか、どう評価されるかが学校間の競争になると思いますし、競争というのはそういう意味で、あそこの学校はよく先生やっているよねと、うちの学校はあそこまでやってもらってないよねというのが言うなれば評価であって、その評価が低い方が頑張って評価を高めようと。そういう形でのある意味の競争が当然あり得るのかなと思っております。
  108. 近藤正道

    ○近藤正道君 時間です、終わります。
  109. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 参考人の皆さんお疲れじゃないかと思いますが、最後のバッターでございますので、もうちょっとだけよろしくお願いしたいと思います。  今日はいろいろと経験に基づいた参考になる御意見をお聞かせ願いまして、ありがとうございました。  今日は教育委員会のことなど一番最初に聞きたいのは、教育委員会は、私、広島ですけれども、大体顔も分からなければ名前も覚えてないというふうな状況ですね、現実に。そうしてまた町に帰ってもだれが教育委員やら全然分からないというような状況の中で、この教育の問題がいろいろやられているということになっているけど、実際に一生懸命やっているかと聞くと、月に一回呼ばれて行くと。行って日当二十何万かもらうと言っていましたけれども、高い日当をもらってから帰った後遊んでおるということで、本当に教育委員が、おたくの場合は違うかもしれませんけれども、本当に教育委員が真剣に地域教育を本当に考えているかというと、考えている人もいるんでしょうけれども、なかなか難しいと思うんですね。  しかし、考えてみると人事権もなければ予算権もない。県の場合は、県の教育委員会は人事権を持っておりますけれども予算権は知事部局が持っていると。もちろん話は聞いてもらえますけど。しかし、市町村だったらほとんどもう市長が持っているんで教育委員会は持ってないと。現に小さな町村では、市町村長が一生懸命教育予算についての陳情もして頑張っておる状況ですから、教育委員会はなくてもいいような感じもするわけで、この民主党の案では教育委員会を否定するような案になっておりますけれども、それぐらい世の中は教育委員会に対して風が、厳しい風が吹いているんだと私は思いますけれども、しかし、何とか教育を良くするためには教育委員会をうまく使う格好を考えていかなきゃならないと思うわけですね。  今日もいろいろとお話を聞きましたけれども、どうしたらいいかと思って自分も考えてもなかなか名案が出ないんですけれども、三人の参考人の方々に名案についてちょっとお話聞きたいと思います。
  110. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 今まで繰り返し申し上げてまいりましたけれども教育委員会制度、様々な問題はありますけれども、やはり政治的中立確保し、あるいは継続性、安定性を確保するためには、今のところこれの制度に代わるべきものが私自身は見当たらないかなと思っている次第でもあります。  特に、今教育委員あるいは教育委員会の無力さというような形でお話がございましたけれども、確かにそう言われる点はあると思います。ただ、考えてみますと、教育委員になられますと、卑近な例ですけれども、ちょっと酒を飲みに行くときも余り深酔いできないしなんて、みんなそれぞれ教育委員であることを意識はされて、地域も見ていることは事実です。問題は、教育委員会教育委員会としての本来果たすべき機能を果たしているかというと、五十年間それほど期待に沿えなかったということは確かにあると思います。それはある意味では、何といいますか、今合議制ということによる結果であるとしても、しかし合議制が持っているすばらしい長所というものを上回る短所ではないだろうと私は思っています。改善の方策は、具体的ないろんな御提言を受けながらそれを生かす方法はあり得ると思いますし、また、今の制度を前提とした運用の仕方あるいはやり方についての国からの方向性を示していただければ有り難いなと思います。
  111. 濱野健

    参考人濱野健君) 教育委員会に大分強い風当たりだというふうなお話でございます。これ、委員会終わって品川区に戻りますと、多分、教育委員さんが心配な顔をして、どうでしたかという話で聞かれるんだと思いますので、ちょっと慎重に発言をさせていただきたいと思います。  先ほど申し上げましたように、やっぱりこれはいろいろその地方地方によって隘路はあろうかと思いますが、人事権を持つということが教育委員さんのインセンティブに非常に寄与するんではないかというふうに思っておりますので、まずは人事権を移譲していただきたいということが一つと。  もう一つは、これは委員さん個人あるいは行政側の責任でもありますけれども教育委員さんの御意見行政システムがなかなかかみ合わないというところがあります。仕事のサイクルでありますとか仕組みだとかいうことと、教育委員さんがおっしゃっている御意見とをうまく消化し切れない、あるいははなから、はなからと言うのは恐縮ですが、無理だというようなお話もあります。そういう意味では、委員さんがもう少し行政システムというものを知っていただくための手だて、これはまた教育委員さんに行政が物を教えるというのはちょっとおかしな話かもしれませんが、やはりそういう面も必要なのではないか。逆に、行政の側もそういうシステムを分かりやすくしておく必要があるんじゃないかと。  こんな二点、感じております。
  112. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) いろいろ今問題になっておりますように、地域との連携が非常に必要なんですよ。とにかく、公立というのは私学よりも優位性がその一つでもあるわけですよね。そうなってくると、やっぱり住民にまず分かりやすい、このことが必要だと思うんです。私ども市長のときよく聞かれましたよ、だれが責任者と。これもよく分からない。ですから、そういう意味では、まず地域に分かりやすい制度でなければいけない、そう思っているんです。教育委員会の傍聴なんかほとんど来ませんよ。特殊な方々が多少来るだけで、ほとんど来ません。ですから、やっぱり一般の住民の皆さんが私たちの学校だということで、結構、市町村だって予算使っているんですから、そういう方々がやっぱりまず分かりやすい制度にすべきだが一点です。  それからもう一点は、三人とか五人とか、あるいは特別職という位置付けがどうしても出てきちゃいますから、さっき言ったように猛烈に高くなるわけですよ。これは市町村自体の責任もあるんでしょうが、もっと私は、レーマンコントロールを生かすんだったら、人数だって五人とか三人じゃなくて、今もう多様なその子供たちの問題に対応しなくちゃなりませんから、例えば二十人でもいいとか十人でもいいとか、そういうふうにやっぱりすべきだと思いますね。つい政治的中立性ということが、もう正にこのことの一言によって、これを担保するためにはすべてをある意味ではその犠牲にしてもしようがないんだというのもあるでしょう。しかし、それは政治的中立の担保の仕方はあると思うんですよ。  ですから、そういう意味で、新しくやっぱり担保をしながら実施主体が自己責任を持ってできるような、そういうシステムにすべきだ、少なくとも自己決定と自己責任がなければいい教育は私できないと思っているんです。
  113. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 ありがとうございました。  それから、人事権も何にもないんで、おまえやれ、やれと言われてみても、本当にやる気が起こらぬわけですよね。ところが、人事権についても、小学校中学校の場合は全部県下でやっておりますから、物すごい数を県の人事委員会で、あるいは教育委員会でやっておるわけですけれども、あれをまた小さくやったんでは困っちゃうんで、中間的なふうな単位で、さっき出ておりましたけれども、事務協力という格好でこれについてやると、複数のね、そういうようなことも考えられると思いますけど、それについてはどういうふうにお考えでしょうか。三人の方にちょっとお願いします。
  114. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 人事権の中で一番大きな問題は採用問題ですね。つまり、県の場合、今は全県的なレベルでの選考をします。それが市町村単位になったらそれぞれの地域で違うでしょうということ。それから、特に中学校になりますと、いわゆる教科が皆違いますから、教科の教員の需要をどう見るのか。それから、例えば教員の採用数自体にしても、どの分野ウエートを置くか。あるいは、将来この分野は先生の退職率が高いから、この分野の補充は多くなるとか。言うなれば、なべて各教科ごとの年齢構成、そんなに違和感のないように持っていかなきゃいけない。  そういう長期計画は一体どこで考えるのかということになると、私は今の県がベストだと思うし、あるいは市町村に人事権が行くのであるならば、市町村連合としてその調整機能を、言うなれば一括共同採用、それから人事異動もお互いに都市部から山間へき地への交流が行われるとかいうような仕組みづくりをしないと難しいのかなと私は思っておりますし、言うなれば、長期的な視点に立ったそういう総合計画をその市町村連合で立てることができるのか、市町村長間のそれぞれの主張の違いがうまく調整できるのかという課題はありますけれども、いずれにしても、市町村、特に小規模町村単位の人事ということは私は不可能だし、やったら後で大きな後悔をすることになるだろうなという懸念を持っております。
  115. 濱野健

    参考人濱野健君) 先ほど以来話あります、例えば、そのいわゆる実技科目の先生のような少人数の先生の異動をどうするのかというようなお話もありました。つまり、人事権をばさっと渡されてそれですべてうまくいくのかというと、必ずしもそうではないと思うんです。今、特別区、二十三区の場合は、幼稚園教員というのを、一部事務組合の中に教育委員会を設けまして、そこで採用をしてあるいは異動を掛けるというやり方をやっております。ですから、A区からB区への異動がある。それは一部事務組合の教育委員会の中でやっていくという。同じように、例えば図画工作、体育の先生、こういったいわゆる少人数の先生についてはそういう方法もあるんじゃないだろうかと。我が区は六十歳近くの体育の先生ばかりしかいないよということではあれですから、そういう意味での調整の場としては一部事務組合教育委員会制度というのもあるんではないかなというふうに思っております。
  116. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 再三これが議題になっておりますが、やっぱり原則は、委員のお考えのように、原則はやっぱり実施主体に任命権があることが原則だと。ただ、補完的な形として、じゃ離島はどうするかとか、それはあくまでも補完なんですよね。補完のことを原則にするのは私はおかしいと思っているというのが一点。  それからもう一点は、私学、例えば慶応にしろ、名前出しちゃってはおかしいんですが、そういうところが本当に小学校八校も十校も持っているわけないんですよ。みんな一校か二校だけれども、工夫をしながらやっているんですね。今、お話のあったように、例えば教育委員会の人たちを入れ替えたり、広域地域をつくったり、保育園幼稚園の先生との入替えをどうするかという問題をしたり、まして今度は認定こども園ですか、そういうものもありますよね。ですから、そういうことの、みんなそれぞれが工夫すれば、それは私は乗り越えられる。  ただし、どうしても難しい場合には、その原則では難しい場合にはその補完的な措置をどうするかということでとればいいと思うんです。しかし、そういうことによって地方、基礎的自治体が本当に教育に一生懸命やる、自己責任を持つ、そういうことが醸成されてくる、こう思っています。
  117. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 ありがとうございました。  次に、第十六条の教育行政の項目についてお尋ねしたいと思いますが、実は私の郷里の広島では、かつてこれで非常に、不当な支配に服することなくということで、教育委員会がもちろんやられましたけれども、外部の団体が組合と組んで大変むちゃくちゃやったということで、自殺者も随分出てきたんですけれども、そういうような状況でありましたけれども、今度の十六条の書き方は、「教育は、」と書いた後で「教育行政は、」と、こう書いていますから、依然として従来のようなことが残っては困るという懸念がするわけでございますけれども首長の経験者あるいは首長そのものの皆さんでございますけれども、こうした外部団体の圧力に対してどうだったかということについてお尋ねしたいと思います。この十六条で守れるかどうかですね。
  118. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) どなたにですか。
  119. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 三人。
  120. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 大体、不当な支配ということで私も様々な局面で責められることもあります。何かお気に召さないとそれは愛媛県知事の不当な支配だという言葉を使われますけど、もうだんだん慣れてきますと、ああ、また不当な支配で来るなというのが見当付きますので、それなりの答えを準備したりしておりますけれども。  ただ、その言葉が使われたということと、現実問題としていろんな訴訟も起きるわけですね、教育基本法十条違反とかいうような形で。ですから、このことは法でどんな書き方をしようとこの傾向が変わるわけではないのかなと正直思ったりもいたしておりますが、やや私ども立場からすると、余り歓迎はできないのかなという気はいたしますが、一方において、これはもろ刃の剣ですから、それぞれ教育に関して何かを圧力を掛けようとする場合にはそれを排除する機能を持つわけですから、そんな意味で、今の現行法であれ、あるいは今度の改正案であれ、実態的にはそう大きくは変わらないとしても、ただ、心のよりどころをどちらに求めるかということで、その両方のサイドでそれぞれの言い分が出てくるのかな、そんな目で見ております。
  121. 濱野健

    参考人濱野健君) 私のところでは、今委員がおっしゃられたような意味での不当な支配ということを、私の記憶の範囲の中ではそう切実な問題というのは事象としてなかった。もちろんかつては大分あったというふうにお聞きしていますが、現在の段階では、このことで教育が停滞するとか混乱をするとかという事態にはなっていないというふうに思っていますので、正直申し上げまして、私自身は余り強い意見を持っているものではございません。
  122. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) 私も、かつて経験の中ではありませんでした。  ただ、その法の、どういうそのとらえ方、あるいは、でとらえていくかという問題になりますが、やっぱりこのことについては、やっぱり首長とかそういう現場がしっかりすることによってそれをいろんな意味での、耐えることもあるでしょうし、排除するときもあるでしょうし、その辺はやらざるを得ないのじゃないか、こういう見解を持っています。
  123. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 最後に一点だけお聞きしたいんですが、これまでいろいろ議論する中で、宗教的情操教育子供のときから教えていくべきだという、これは党に関係なしに、特定の宗教に関係なしに、山には山の神様がおる、川には川の神様がおるというようなことで我々はやってきたわけですけれども、御飯食べるときには手を合わして拝むというふうなことでやってきたわけですが、そういった宗教的な情操教育子供たちに教えるべきだという声がありますけれども、簡単に、あと時間がなんですけれども、三人の方に、このことについて、これは入っていませんから、新しい改正案に入っていないんですけれども、これについてお尋ねしたいと思います、どういう感じか。
  124. 加戸守行

    参考人加戸守行君) 人間形成の上で、あるいはその人の生き方を決める上で、宗教的情操というのは極めて大きい高いウエートを持つものだと思います。  問題は、そういった宗教的情操というのを例えば教育の場においてどこまで子供たちに理解させ、そういった情操が培われていく方向へ向けられるかということになって、教え方もかなり難しいものがあるのかなという感じは率直にいたします。  これは法律で規定するしないじゃなくて、やはり情操の涵養というのは、宗教的なものあるいは音楽的なもの、いろんな形でみんなが感性として受け止める中の一番大きなウエートの高いものだと私は思っておりますが、ただ、そのことをどういう形で書けばいいのか、私には、名案は持ち合わせておりません。
  125. 濱野健

    参考人濱野健君) 昔、おてんとうさまが見ているという言葉がありました。要するに、人を超える力あるいは人を超える目がある、我々はその中で生きているというそういう、これは人の知恵なんでしょうか、分かりませんが。  おてんとうさまが見ているという感覚、これを子供たちにどうやって伝えていくかというのは非常に難しいわけですけれども、これは絶対に必要なことではないかなというふうに思っていますし、また、情操教育というものも、心を豊かにするという意味では、音楽だとか絵画だとかというものに、これはもう個々具体になりますけれども、やっぱり今以上に親しませることが必要だろうと。これはもう授業時間数の問題かもしれませんが、こういうことは必要だというふうに思っています。
  126. 穂坂邦夫

    参考人穂坂邦夫君) やはり、宗教教育というのはある意味では必要だと思っているんです、それがどれだというんじゃなくて。  普通の国では、もうどうしても道徳の裏付けというのは宗教というものとは切り離せないという、そういうものがありますね。日本の場合には、ですから、そこのところを排除してこれから道徳心を高めようというんだからかなり大変だろうなと、そんな率直な感じがします。
  127. 亀井郁夫

    亀井郁夫君 時間があと一分ですから終わります。どうもありがとうございました。
  128. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十八分散会