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犬塚直史君 法的には直接の参加は難しいと、しかし
PRTに対する後方支援は
検討中であるというふうに
理解をいたしましたが、しかし、その法的な側面と、もう一つは先ほど来申し上げている撤退の時期あるいは何を目標にするのかということにこれは密接に
関係をしてくると。
一応
アフガニスタンの
政府、民主主義に基づいた投票が行われて、そして大統領も選ばれたというようなところにあるけれども、実際の現地の
状況は、
社会制度構築等々全く通常の普通の民主国家の状態とは懸け離れていると。衛生にしてもあるいは治安にしても、そして医療にしても、全く現地では手が届いていないと。
そういった中にあって、今NGOを始めとしていろんな文民の人たちが一生懸命
活動をされていると。しかし、その人たちの治安の問題はどうするんだと。一方では、軍閥がばっこしている中で、そういう治安を確保しながら国づくりをどうやってサポートしていくんだと。
日本としては、一刻も早く安全でしっかりとした国づくりに貢献しなきゃいけないという辺りが指標として持つところだと思うんですけど、ここで一つこの参考になる資料を今お配りしましたんで、お手元をごらんになってください。
これは、二〇〇四年四月十二日、カンダハール県で米軍が飛行機からまいたビラであります。これ、私アラビア語は読めないので、どういうふうにしっかりと書いてあるのかちょっと分からないんですが、英語の方から見ますと、この
日本語で書いてある「引き続いて支援が欲しければタリバンや
アルカイダの情報が必要」と。こんな優しい書き方ではないようになっているんですけどね、もっと支援が欲しければ情報を出せということをこの絵入りで上空からばらまいたということなんですね。
〔
委員長退席、理事浅野勝人君着席〕
その下のところを見ていただきますと、その二か月弱後、現地でしっかりと医療
活動を一九八〇年以来二十四年間にわたってやってきた
国境なき医師団、このスタッフが五名殺害をされて、これに対して撤退を、
国境なき医師団が
アフガニスタンからの撤退を余儀なくされたというこれは資料なんですけどね。
ちょっと一部読ましていただきますので、二番目の段落から読ましていただきます。例えば、二〇〇三年十月にバダギ県においてマラリアが流行したとき、MSFは一か月で一千三百人の患者を治療し、抜本的なマラリア
対策を行ったと。バーミヤン地方の五つの
地域では六か月から十二歳の子供を対象とした医療
活動を行ったと。二〇〇四年にはパンジャブ
地域において妊産婦を対象とした医療支援を開始したと。難民
対策としては国内各地のキャンプはもとより、
パキスタンやイランに逃れたアフガン難民の支援も行ってきたと。こういう
活動を二十四年間やってきたわけですね。
国境なき医師団は、国際スタッフが六十七名、そして現地スタッフ六百五十八名、これだけの陣容で二十五年間やってきたわけなんですね。それが、このビラがまかれた後、二〇〇四年六月二日、この
国境なき医師団のスタッフ五名が殺害されると。もちろんのこと、訴追は十分に行われていないと。さらには、タリバンのスポークスマンが、
国境なき医師団等の人道組織は米国のために働いており将来の攻撃対象だと発表したというんですね。
これを受けて、
国境なき医師団は、これ以上スタッフの命を危険にさらし続ける
活動はどうしてもできないと。痛恨の思いで、二十四年やった後、
アフガニスタンから撤退を決意したという声明をこの事務局長の名前で十二月十六日に出しているわけですね。
これ、JICAがやっている現地のいろいろな
活動、あるいは
世界じゅうのこうしたNGOの
活動というのは、正に国づくりの一つの最も現場に近いところの
活動なわけですけれども、それに対して、今度の
PRTのように、一方ではドンパチやっていると。全く目的が違うものを融合させる
PRTというものは、よっぽど、法的な枠組みだけではなくて、気を付けて参加をしないと、これは大変な間違いをするぞという
理解をこれを見て私はしたんですが、
外務大臣の御感想を
お願いいたします。