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2006-04-20 第164回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第9号
公式Web版
会議録情報
0
平成十八年四月二十日(木曜日) 午前九時三分
開議
出席委員
委員長
中山
太郎君
理事
愛知 和男君
理事
近藤
基彦君
理事
福田 康夫君
理事
船田
元君
理事
保岡
興治
君
理事
枝野
幸男君
理事
古川 元久君
理事
斉藤 鉄夫君 井上 喜一君 伊藤
公介
君 小野寺五典君 越智 隆雄君 大村 秀章君
加藤
勝信
君 河村 建夫君
笹川
堯君
柴山 昌彦君
杉田
元司
君 高市 早苗君 棚橋 泰文君
渡海紀三朗
君 中野 正志君 野田 毅君 葉梨 康弘君 早川 忠孝君 林 潤君 平田 耕一君 二田 孝治君 松野 博一君 森山 眞弓君
安井潤一郎
君 山崎 拓君 吉田六
左エ門
君
市村浩一郎
君 小川 淳也君 逢坂 誠二君
北神
圭朗
君
鈴木
克昌
君
仙谷
由人君 園田 康博君
田中眞紀子
君 筒井 信隆君 平岡 秀夫君
森本
哲生
君 石井 啓一君
太田
昭宏君 桝屋
敬悟
君
笠井
亮君
辻元
清美君 滝 実君 …………………………………
参考人
(
社団法人日本雑誌協会編集倫理委員会委員長
) 山
了吉
君
参考人
(
社団法人日本雑誌協会個人情報
・
人権問題特別委員会委員長
)
鈴木
哲君
参考人
(
社団法人日本雑誌協会専務理事
)
勝見
亮助
君
衆議院憲法調査特別委員会
及び
憲法調査会事務局長
内田
正文君
—————————————
委員
の異動 四月二十日
辞任
補欠選任
石破
茂君
笹川
堯君
林 潤君
杉田
元司
君
岩國
哲人
君
森本
哲生
君
鈴木
克昌
君
市村浩一郎
君 同日
辞任
補欠選任
笹川
堯君
石破
茂君
杉田
元司
君 林 潤君
市村浩一郎
君
鈴木
克昌
君
森本
哲生
君
岩國
哲人
君
—————————————
四月十八日
憲法改正国民投票法案反対
に関する
請願
(
保坂展人君紹介
)(第一五二〇号)
国民投票法
の制定に反対することに関する
請願
(
笠井亮
君
紹介
)(第一六二七号)
憲法
九条改悪のための
国民投票法案反対
に関する
請願
(
阿部知子
君
紹介
)(第一六二八号) 同(
郡和子
君
紹介
)(第一六二九号) 同(
郡和子
君
紹介
)(第一六八〇号) は本
委員会
に付託された。
—————————————
本日の
会議
に付した案件
参考人出頭要求
に関する件
日本国憲法改正国民投票制度
及び
日本国憲法
に関する件(
日本国憲法改正国民投票制度
と
メディア
との
関係
) ————◇—————
中山太郎
1
○
中山委員長
これより
会議
を開きます。
日本国憲法改正国民投票制度
及び
日本国憲法
に関する件、特に
日本国憲法改正国民投票制度
と
メディア
との
関係
について
調査
を進めます。 この際、
参考人出頭要求
に関する件についてお諮りいたします。
本件調査
のため、来る二十七日木曜日午前九時、
参考人
の
出席
を求め、
意見
を聴取することとし、その
人選等
につきましては、
委員長
に御一任願いたいと存じますが、御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
中山太郎
2
○
中山委員長
御
異議
なしと認めます。よって、そのように決しました。 引き続き、お諮りいたします。
本件調査
のため、本日、
参考人
として
社団法人日本雑誌協会編集倫理委員会委員長山了吉
君、
社団法人日本雑誌協会個人情報
・
人権問題特別委員会委員長鈴木哲
君及び
社団法人日本雑誌協会専務理事勝見亮助
君の
出席
を求め、
意見
を聴取したいと存じますが、御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
中山太郎
3
○
中山委員長
御
異議
なしと認めます。よって、そのように決しました。
—————————————
中山太郎
4
○
中山委員長
この際、
参考人各位
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中にもかかわらず御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございます。
参考人
それぞれのお
立場
から忌憚のない御
意見
をお述べいただき、
調査
の
参考
にさせていただきたいと思います。よろしく
お願い
をいたします。 本日の
議事
の順序について申し上げます。 まず、
山参考人
から代表して十五分以内で御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
からの
質疑
に対し
参考人各位
にお答え願いたいと存じます。 なお、発言する際はその都度
委員長
の許可を得ることとなっております。また、
参考人
は
委員
に対し
質疑
することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 御発言は着席のままで
お願い
をいたします。 それでは、
山参考人
、
お願い
いたします。
山了吉
5
○
山参考人
おはようございます。
日本雑誌協会
から参りました山と申します。 三人という異例の
意見陳述
をお認めいただきましたことをまず感謝いたします。ありがとうございました。 簡単に
紹介
しておきます。 私が
日本雑誌協会編集倫理委員長
をやっております
山了吉
と申します。私の隣が、
個人情報
・
人権問題特別委員会
の
委員長
をやっております
鈴木哲
と申します。その隣が、
日本雑誌協会専務理事
の
勝見亮助
でございます。 きょうは、それぞれ
役割分担
といいますか、
雑誌協会
のことは
専務理事
の
勝見
が、
雑誌一般
に関しては
鈴木
が答えさせていただくということで、私は、この
意見陳述
とともに、
憲法
及び
憲法改正国民投票法案
に関しましてのお答えをしたいと思っております。一応の
区分け
はしておりましたけれ
ども
、それぞれが
質問
に応じて答えるようにいたしますので、よろしく
お願い
いたしたいと思います。 まず、今回、こういう形での
要請
があったのが約十日前でしたので、ちょっと慌てまして、
日本雑誌協会
というのは、各
出版雑誌
の
上部団体
ではございません。緩い縛りはあるんですけれ
ども
、
理事会
及び
編集委員会
、それぞれの
機構
はしっかりしておるんですけれ
ども
、主として、
委員会ごと
に
出版社
の
代表者
が、
専任委員
がいまして、その
委員
が集まって議決するようになっております。それで、それが
理事会
に上がって最終的には決まるという
方向
になっております。いろいろな
利害関係
の問題がありますから、
販売委員会
があったり、
編集倫理委員会
があったり、
取材委員会
があったりいたします。そういう
機構
上の問題がありまして、きょう、三人がそれぞれ分担するような形になっております。 それから、緊急だというのは、十日前に言われたので、一回集まって
会議
をやったんですけれ
ども
、
意見
がまとまった
部分
と、まだ非常にまとまっていない
部分
もございますので、私がこうやってしゃべることは
日本雑誌協会
の一員としてしゃべります。それで、
日本雑誌協会
として今度の問題をどのように受けとめるかという
立場
から話したいと思いますので、よろしく
お願い
したいと思います。 まず、
国民投票法案
というのが、もう何度もこれは、
議事録
を読みますと、約六十年ぶりにこうやって具体的に制定されるという
段階
に来まして、これに対して、今なぜやるのかということの
批判
も一部の
憲法学者
から上がっていますし、与党が大勢を占めた中で、
衆議院
では圧勝した中でやられるということに関する疑問もありますので、我々も、この場に出てくることに関しての
意見
についてはそれぞれ交わしましたけれ
ども
、
批判
は
批判
として受けとめようということをお断りしておきます。 それで、実は、昨年、
中山委員長
の隣にいらっしゃいます
保岡先生
に、私
ども
が属しております
マスコミ倫理懇談会全国協議会
というのがございます。この
マスコミ倫理懇談会全国協議会
というのは、
新聞社
、
放送局
、
出版社
、
広告代理店
あるいは映倫、このような
マスメディア
がほとんど属している
全国組織
があります。 そこの
東京地区
の
月例会
で、
保岡先生
に出ていただきまして、
自民党案
で最初に出ました
国民投票法案
について、
マスメディア
の
規制
がございましたので、
規制
といいますか、やはり
マスメディア
に対しては、予想をしてはいけないとか、あるいは
虚偽
な
報道
は問題だとか、公正を欠いちゃいけないとかいうことがございましたので、あのときは、主として
公職選挙法
に準ずる形で
憲法
を扱うということがありましたので、それはちょっといかがなものかということで
質疑応答
をしたことを
保岡先生
は覚えていらっしゃいますよね。私
ども
はそこで
問題提起
をいたしまして、
メディア
はこう考えているということで、
雑誌
もそこの場で発言いたしました。 その後、同じく
マスコミ倫理懇談会全国協議会
の
シンポジウム
を開きまして、その場では
船田
元
先生
、その隣の
枝野先生
に出ていただきまして、
憲法改正
と
国民投票法案
について四時間にわたる
シンポジウム
を開催いたしました。 そういう経緯を経て、最近おまとめになった案を見ますと、
メディア
に関しては
自主規制
ということで進んでおるというふうに、私、ちょっとさっき
太田先生
と話していて、完全なものじゃないよということで、
メモ程度
のものしか持っていないのでちょっと恐縮なんですけれ
ども
、
報道機関
の
自主的取り組み
というところは変わっていないということなので、それを
参考
にして、きょう検討してまいった次第です。 まず、私
ども
が問題にしたいのは、ここに書いてあります中の、
虚偽
の事項を
報道
し、または事実を歪曲して記載する等
表現
の自由を濫用して
国民投票
の公正を害することのないよう、
報道機関
に関する
基準
の策定、
報道
に関する
学識経験
を有する者を
構成員
とする
機関
の
設置
ということを自主的に行えということが書いてあります。
雑誌
というものは、基本的には
新聞
やテレビと違いまして、一次
報道
ではございません。一次
報道
をやっていたら、
雑誌
は一部も買ってもらえませんから。
雑誌
の性格からして、これは
週刊誌
だけじゃなくて、
月刊誌
とか
オピニオン誌
もありますけれ
ども
、こういうものは、大体論評あるいは
記事
の裏面や
側面
、断面を、いろんな識者に
取材
したり現場で
取材
したりしながら、一次
報道
の裏側あるいは
側面
を
記事
にする
ケース
が多いわけです。 往々にして、それが
人権侵害
とか
プライバシー
の問題とかになることはあるんですけれ
ども
、
事憲法
に関しまして、今度の
憲法改正
の是非をめぐっては、これがなぜ
虚偽
なものを、
虚偽
なものとは一体何なのか、
虚偽
というのはどういうことを
虚偽
というのかとか、あるいはここに書いてありますように、事実を歪曲するとは何をもって歪曲というのか、あるいは
国民投票
の公正を害することがないようにと、公正を害するとはどういうことなのかということで、こういうことに関しまして余り浮かんでこないんですね。全部そういう、
立場
が変わったら、いや、これは
虚偽
だろうとか、これは事実を歪曲していると言われるかもしれないとか、よって立つ
立場
が違っていれば、
報道
する
中身
あるいは
記事
の
内容
についてはいかようにも言えるのではないかということが考えられます。 ですので、むしろ、
現行憲法
の二十一条にございますように、
言論
、
出版
及び一切の
表現
の自由はこれを保障するという項目があります。
出版社
とか
雑誌
は、この
憲法
二十一条がある
意味
では金科玉条でありまして、これがあるからいろんなことが、
民主主義社会
が成り立つと自負しておるぐらいで、我々も自由に活動ができるわけです。ですから、この二十一条というのをやはり基本に据えて、もちろん
自主的取り組み
に関しては真摯に受けとめたいと思いますけれ
ども
、濫用とかあるいは公正を害するとかというものを具体的に想定するのはちょっと難しいので、この辺に関しましては、極端な
ケース
にどういうことが考えられるのかということでちょっと思い浮かばないので、この辺に関しては恐らく取っ払ってもいいんじゃないかというような気もいたしております。
自主的取り組み
に関していいますと、今私
ども
の
日本雑誌協会
では、
第三者機関
として
ゾーニング委員会
というのを設けております。お
手元
に資料がございますので、ちょっとごらんになっていただければわかると思うんですけれ
ども
、これは、青少年に対して、性と暴力に関して余りに過激な
表現
とか行き過ぎた
表現
がある場合は、
第三者
がチェックして、
当該出版社
にその旨を
通達
して
改正
を促すというふうになっております。ですから、この
ゾーニング委員会
は、設立して五年間、十分機能しております。書いてありますように、
ゾーニング委員会
のマークの表示の
要請
とか、これは今弁護士の
内田剛弘先生
が
委員長
でやっておられますけれ
ども
、各
出版社
に対してこのような
通達
が行きます。
学識経験者
も加わっております。 それともう
一つ
、名誉や
人権
や
プライバシー
に関する
異議申し立て
。 これは、
出版社
はそれぞれ
編集方針
が違いますので、
編集方針
に干渉することは今できませんし、してはならないと思っております。しかし、やはり
雑誌
というのは、往々にして
人権侵害
すれすれの
記事
もあります。やはり、世の中というのは、善悪の
基準
というのも含めて、なかなか難しい
判断
をしなきゃいけない
ケース
があります。
雑誌
も、そういう
意味
では、
取材
の過程で
名誉毀損
あるいは
プライバシー侵害
がないとは言えませんし、現実には起こしておって、
民事訴訟
もかなりな件数があります。しかし、
人権侵害
、
人権侵害
といっても、裁判にまでなっていくものは、これは我々も
主張
をきちっとその場ですればいいんですけれ
ども
、
異議
、
抗議
の
段階
では、何らかの形の統一した
受け付け機関
は必要になるんじゃないかということで、これも、今から四年前に
雑誌人権ボックス
というのをつくりました。 この
雑誌人権ボックス
のパンフレットもお
手元
にあると思いますけれ
ども
、これに関しても、
雑誌協会
が責任を持って各
出版社
に
抗議
の
通達
を渡して、各
出版社
はその
抗議
の
通達
が来ましたら二週間以内に回答して、回答した
中身
を
雑誌協会
に必ず通告するというふうになっております。
雑誌人権ボックス
の
設置
に関しましては、私
ども加盟社
は全員一致して、これをつくろうということで決めました。 このことも、お
手元
にありますように、各
週刊誌
なり
月刊誌
で告知をしております。今まで五年間で約六十件余りの申請がありました。もちろん、的外れのものもございますけれ
ども
、それでもって解決した
ケース
もございます。ただし、
国会議員
の
先生方
とか、あるいは芸能人、
スポーツ選手
などの
対抗措置
が可能な方のものに関しては、
訴訟
になった場合はもう
訴訟
ということで取り上げておりますけれ
ども
、
一般
の方々に対してはこのような形での対応をいたしております。 これを発展させて
第三者機関
としてやろうかという話は出たことはありますけれ
ども
、なかなかその辺のところは一致をしておりません、正直なところ。ですから、
自主的取り組み
に関しても、話し合う場はたくさん持っておりますけれ
ども
、話し合う場から何らかの形で
言論
にかかわる
部分
を管理したり、あるいは縛ったりすることは、今のところはちょっと考えておらない次第です。
取り組み
に関しては、
現状
はそのようになっておりますので、
あと
細かなところは、もし御
質問
があれば、私なり、
雑誌協会
の同席しております
勝見なり
が答えさせていただきます。 私
ども
の
主張
ということで、約十五分、ちょっとオーバーしたような
感じ
になりますけれ
ども
、一応私の
意見陳述
はこれで終わりたいと思います。
あと
は、
質疑応答
では真摯に答えたいと思いますので、よろしく
お願い
いたします。 どうもありがとうございました。(拍手)
中山太郎
6
○
中山委員長
以上で
参考人
の御
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
中山太郎
7
○
中山委員長
これより
参考人
に対する
質疑
を行います。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。
加藤勝信
君。
加藤勝信
8
○
加藤
(勝)
委員
自由民主党の
加藤勝信
でございます。 きょうは、
参考人
のお三方、
大変お忙しい
中御臨席をいただきまして、ありがとうございます。 今いろいろ
お話
がありましたけれ
ども
、まず、私
ども
が
皆さん
の扱っておられる
雑誌
というものを少し理解するために、少し
雑誌そのもの
について、二、三御
質問
をさせていただきたいと思うのであります。 そもそも
雑誌
というのはどういうものを指すのか。広辞苑を引きますと、「雑多なことを記載した書物。」こういう書き方をされているわけであります。
一般
的に、
週刊誌
、
月刊誌
、あるいは季刊ですね、三カ月
ごと
とか定期的な、こういう
区分け
もあると思うんですけれ
ども
、それ以外に、
ジャンル
的な区分というものにどういうものがあるのか。何か分類といったものがあれば、少しお教えいただきたいと思うんです。
山了吉
9
○
山参考人
お答えいたします。
週刊誌
、
月刊誌
のほかに、
コミック誌
、あるいは
児童誌
、
幼児誌
、
女性誌
、それから
オピニオン誌
。
オピニオン誌
の場合は隔週誌がございますので、隔週というのは二週に一回出る、
御存じ
かと思いますが、サピオみたいな
雑誌
をいいます。
あと
、
趣味
の方ではもう無数にあるんですね。釣りの
雑誌
から始まりまして、サライのような
旅行雑誌
や、モーターバイクの
雑誌
とか、
ジャンル
分けしますと、
勝見
さん、どのぐらいあるんでしょうかね。
勝見亮助
10
○
勝見参考人
雑誌協会
の
勝見
でございます。
日本
には
雑誌
の数というのは四千五百と言われております。先ほど山の方から説明いたしましたように、
ジャンル
に分けますと大体四十ぐらいに分かれておりまして、これは
週刊誌
とか
月刊誌
とは別に、やはり、
オピニオン誌
、
総合誌
、そういったところから、
モノマガジン
、
コミック
、そういったところで
ジャンル
を分けてございます。
雑誌協会
は、四千以上ある
雑誌
のうち九十四社で構成しておりまして、そこで出している
雑誌
の点数が千二百を超えております。
山了吉
11
○
山参考人
以上のようなことでいかがでしょうか。
加藤勝信
12
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 今、
お話
がありました、広い
意味
で、
ジャンル
でいえば四十
ジャンル
、四千五百と、本当に多種多様ということになるわけでありますが、例えば
一つ
の種類で、
発行部数
で多い
部数
というのは大体どのくらいなのか、あるいは平均でいうと大体どのくらいなのか、そのボリュームですね、その辺はどんな
感じ
なんでございましょうか。
勝見亮助
13
○
勝見参考人
きょうはお
手元
にはお持ちできませんでしたが、私
ども
で「
マガジンデータ
」という、
雑誌
といいますか、
データ集
を年に一回まとめてございます。それは六百誌を上回る
データ集
でございまして、
部数
をすべて掲載してございます。 その中では、やはり、
一般週刊誌
になりますと、四十万から大体六十万というふうな、平均しますと若干下回るかもわかりませんけれ
ども
。
月刊誌
でも七十万を超えている
月刊誌
もあります。また、
女性誌
、
男性誌
の
創刊ブーム
、この一年ぐらい
創刊ブーム
が来ておりますが、最近の
創刊誌
は、
大量部数
を発行するというより、やはり、
ターゲットメディア
としての少
部数
、例えば十万前後を発行して、できるだけそういう関心の高い
読者
を
ターゲット
にした
雑誌
が比較的人気があるというふうな傾向もございます。
雑誌
によって、十万前後の
部数
の
雑誌
もあれば、百万近い
雑誌
もあるというところでございます。
加藤勝信
14
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 では、最近、特に
活字離れ
というようなことも
主張
されているのでありますけれ
ども
、そういう中で、随分
雑誌
の、今言った
ジャンル
的な
意味
での、例えばでありますけれ
ども
、かつての
総合誌中心
が、より
趣味
やそういうものがふえるとか、いろいろな動きがあろうかと思うんですけれ
ども
、最近の十年間あるいは二十年間を見たときに
雑誌
の世界でどういう流れがあらわれているのか、少し御解説いただけたらありがたいんですが。
山了吉
15
○
山参考人
全体に
出版
はかなり細っております、正直言いまして。数字がちょっと具体的には出てこないんですけれ
ども
、
一般週刊誌
でいいますと、
一般週刊誌
が百万部ほど売れていた
時代
というのが、何度か山がありますけれ
ども
、もう過去のものになっております。今、やはり、正直言いまして、
部数
でいいますと六十万ぐらいがトップの
雑誌
になっております。
雑誌
というのは、
御存じ
のように、これは生き物と私
ども
は言いますけれ
ども
、きのうまで出ていた
雑誌
が途端に休刊したり廃刊したりします。フォーカスなんかいい例ですよね。週刊宝石なんかもうありませんし。あしたも出し続けられるかどうかというとなかなか難しいところがありまして、簡単に、買ってもらわないともうそれで
部数
は激減します。ですから、
雑誌
というのは、
新聞
や
放送
と違いまして、割と
真剣勝負
なんですね、毎週毎週が。売れないと、
編集長
もすぐ更迭されますし、経営も
判断
を下さざるを得ないというふうになります。 そういう
意味
では、
出版界
全体からいいますと、
週刊誌
、
月刊誌
、あるいは各
ジャンル
の
雑誌
は、総じてやはり細っておるのが
現状
だと思います。唯一、
女性誌
の
ジャンル
で、若い
女性向け
の
雑誌
の一部が隆盛を、きわめているとまでは言えませんけれ
ども
、まずまず売れているという
状況
にもありますけれ
ども
、全体には、やはり
インターネット
の発達とか、二十代、三十代、四十代の
雑誌離れ
といいますか、
活字離れ
といいますか、そういう
意味
では、
雑誌
だけしかなかった
時代
に比べますと、はるかに
媒体
がふえておりますので、決して隆盛だとは言えません。 以上です。
加藤勝信
16
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 それで、今ちょっと
お話
が出ました、
インターネット
の絡みでありますけれ
ども
、これは今いろいろな形で
インターネット
を使った
情報発信
ということが出てくるんですが、
雑誌
という
メディア
から見たときに、
インターネット
というのはどういうふうにとらえられているんですか、何かその活用みたいなものを考えておられるんですか。
山了吉
17
○
山参考人
今、
インターネット
と
携帯ネット
というふうに、
コミック
の
配信
だとか
記事
の
配信
とかというのを、
携帯
を通じてやったりしております。やはり、新しい
メディア
の出現によって、
雑誌
でつくった
コンテンツ
を
配信
するというふうな新しいビジネスも起こってきております。ですから、
コンテンツ
をつくる力はあるんですけれ
ども
、
紙媒体
だけではなくて、そういういわゆる
電波媒体
といいますか、
インターネット
、
携帯
に対して
配信
していくような
方向性
はこれからますます広がっていくだろうと思います。今まだ端緒についたばかりだというふうなところでしょうか。
加藤勝信
18
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 何となく
雑誌
の
状況
あるいは感覚をつかめたような気がしながら先に進めさせていただきたいと思いますが、かなり広範なものであるということが
一つ
わかったような思いがします。 そういう中で、いわゆる
マスメディア
と言ったときに、通常、
放送系
と
活字系
というのが分類されるわけでありますし、
活字系
の中にも、今
お話
がありますように、いわゆる我々が平素読む
新聞
と
皆さん
の担当される
雑誌
と、大きく三つぐらいに整理できるのではないかと思うんですが、そうした
放送系
と
新聞系
とそしてさらに言葉でいえば
雑誌系
。先ほど一次
報道云々
という
お話
もございましたけれ
ども
、それぞれの
役割
、機能というものをもう少し、他の
メディア
に比べて
雑誌
というのはこの
部分
を特に強調しているんだ、この
部分
が特徴なんだ、あるいはこの
部分
が
役割
だと思っているんだ、その辺をどういうふうに認識されているのか、御説明願いたいと思います。
鈴木哲
19
○
鈴木参考人
雑誌
というのは、さっき山からもありましたけれ
ども
、
放送
や
新聞
との一番の違いは、
定期購読
というのは少しありますけれ
ども
、基本的には
読者
が決めるものであって、一冊一冊、毎号毎号、書店の
店頭
とか売店とか、あるいはコンビニの
店頭
とか、そういうところで手にとって、
内容
を吟味して、納得をして買ってもらう、そういう
メディア
ですね。外見からいえば一番違うのはそこだと思います。要するに、買っていただいた時点で既に
読者
の評価があるわけで、
雑誌
の
中身
に
読者
の意向あるいは賛成、反対も含めて考え方というのが反映されて、それが購読につながり、淘汰される場合には淘汰されるわけだし、隆盛を呼ぶときもあるということで、外見としてはそれだと思います。 もう
一つ
は、さっきこれも山からありましたけれ
ども
、多様な切り口あるいは多様な光の当て方、多様な論点、そういうものを
読者
に提示するということがあります。
雑誌
自体の考え方というのを併記する場合ももちろんあるわけですけれ
ども
、世の中にはこれだけの多様な考え方がある、あるいは、同じ、一定の事実だと思われているものも、光の当て方、切り口を変えることによって違って見えることがありますね。そういう多様な切り口をいかに開発して
読者
に提供することができるのかということが
雑誌
の
役割
じゃないかと思います。 以上です。
加藤勝信
20
○
加藤
(勝)
委員
そうすると、今、速報性ということではなくて、すなわちあるテーマについてさまざまな角度から、またその角度が
一つ
の特徴、切り口が
一つ
の
雑誌
の特徴あるいは売り物、こういうことになってくるんだろうということであります。 そういう
意味
で、ある
意味
では政治
報道
とか、それからまさに今回ポイントになる
憲法改正
というテーマあり、
憲法改正
もどういう事項が
改正
の対象になるかによってもちろん当然変わってくるんだと思いますけれ
ども
、こういうテーマについて、今言われた
雑誌
という
立場
から、ただいろいろ
ジャンル
があるので
ジャンル
によって関心があるないはあろうかと思いますけれ
ども
、どのような取り上げ方が考えられていくのか。
山了吉
21
○
山参考人
私、ここに来るに当たって、どういう取り上げ方をしているのかなということで、少し調べてはみました。
雑誌
で
憲法
を正面から取り上げて論ずるということは、
月刊誌
の
オピニオン誌
は取り上げております。具体的に名前を挙げますと、例えば「世界」が取り上げる見方と「正論」が取り上げるテーマがあります。これはもうある
意味
では反対なんですね。私
ども
の会社にありますサピオという
雑誌
が取り上げるテーマあるいは週刊金曜日が取り上げる
憲法
、これも違います。
雑誌
というのは、
編集方針
とか取り上げる論者によって全く視点が変わってきます。 先ほどの話にちょっと戻りますと、一次情報が使命ではないというのは、
雑誌
は記者クラブがないんですね。警察にも、もちろん国会記者クラブにも入っておりませんし、全くそういう
意味
では、記者クラブ、官庁から直接もらう情報というのはないんですね。
新聞
、テレビで話題になっているけれ
ども
これは本当だろうかというところからまず疑いがあったり、当事者とか周辺から実はこんな話があるということを、やはり
雑誌
という
ジャンル
は、大衆の中に、
雑誌
はこれは取り上げるだろうとか、こういう見方は
雑誌
はやるだろう、テレビや
新聞
は一次情報でこう流しているけれ
ども
実はというところを大衆はよくわかっているところがありまして、それで持ち込まれるネタとか、あるいは新しい切り口、新しい情報がもたらされることが多々あるんですね。 そういうことに関しますと、
憲法
に関してはどうなのかと言われますと、
憲法改正
をテーマにした場合にはやはり論議の対象になりますので、これは
オピニオン誌
が今、さっき言いましたそういう
オピニオン誌
とか
月刊誌
がテーマにはしておりますけれ
ども
、主として、大学教授なり、例えば九条の会とか、それぞれ反対する
意見
の方とか賛成する
意見
の方々が、論者が論評しているのが多く見られる
段階
でして、
週刊誌
の特集
記事
などでの
憲法
の問題というのは今のところ余りございません。
加藤勝信
22
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 次に、いわゆる
編集方針
ということをちょっとお伺いしたいと思うんです。
放送
の場合には、御承知のように
放送
法第三条の二の中に大きく四つございますけれ
ども
、ちょっと読み上げますと「公安及び善良な風俗を害しないこと。」「政治的に公平であること。」「
報道
は事実をまげないですること。」「
意見
が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」この四つが掲げられているわけであります。 先ほどお示しをいただきました
雑誌
編集倫理綱領の中にも大きく言うと五つ書かれているわけでありますが、ざっと読む中で
一つ
違うのは、政治的に公平という文言が、
放送
法の方には明記されているわけでありますけれ
ども
、この
雑誌
編集倫理綱領の中にはそういう言葉では入っていない。「
人権
と名誉の尊重」という中で、(1)で真実を正確に伝え云々という
表現
はあるわけであります。そういう
意味
で、まさに政治的公平性というんでしょうか、あるいはこの
放送
法の第三条の二の四番目の「
意見
が対立している問題については、できるだけ多くの角度から」、こういう論点というのは
雑誌
の編集においてどのようにとらえられているのか。 あるいは、先ほどの
お話
では、各社
ごと
にかなり視点が違った形で同じものを取り上げておられる、こういうことで、かなり
雑誌
ごと
に色合いというんでしょうか考え方というんでしょうか、明示的にか暗示的にかはともかくとして
一つ
の流れがあるような
感じ
もするわけでありますけれ
ども
、そういうことも含めて、そうした政治的な
意味
での公平性とかバランスとか、その辺を
雑誌
の編集の
段階
においてどのように配慮されているのか、御説明いただければと思うんです。
山了吉
23
○
山参考人
はっきり言って、一次的な
報道
といいますか、そういうものをやるときに、事実を曲げたり、こういう現実があるにもかかわらずそれを曲げて書くなんということは、してはいけないし、それをすると全く
虚偽
の
報道
になるんですけれ
ども
、我々はそれでもって
記事
をつくるということはまずないんですね。 ですから、政治的に対立した
意見
があれば、対立したものは対立したもの、政治的な見解が違っていれば違っているまま、それでどちらかの
立場
に立つ方もいらっしゃるし立たない方もいらっしゃるという
意味
では、公平性ということに関する
部分
では政治的にはないんじゃないでしょうか、はっきり言って。
加藤勝信
24
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 そうすると、そういう
意味
で、編集する
段階
で、むしろ公平とかいうことよりは、それが、そうするとどういう視点に立って編集をされていくわけですか、ちょっと抽象的で申しわけないんですけれ
ども
。 もちろん、事実は事実として的確にとらえる、今度それに対する論評、考え方、視点、これはいろいろな視点がありますけれ
ども
、その辺にどういう視点からいくかというのは、まさにそれが
放送
とか何かの場合は公平にバランスをとってということになるんでしょうけれ
ども
、例えばある考え方だけを中心に述べるということもあり得る、それも
一つ
の使命だ、そういうふうにお考えになっておられるのか。
山了吉
25
○
山参考人
そのとおりだと思います。 むしろ、中間をとった
雑誌
記事
は購買意欲に何にもつながらないんじゃないかという気がするんですね。要するにどちらつかずで、これは何を言っているんだと。Aさんはこう言い、Bさんはこう言い、
読者
はどう考えるだろうかというので終わったら、何だこの
記事
はということになるんじゃないかと思います。 だから、非常にインパクトの強い情報なり、あるいはテレビ、
新聞
はこういうふうに伝えているけれ
ども
、現実にそういうふうな、果たしてこの裏にはどういうものがあるんだろうか、表向きこういうふうに
皆さん
理解しているかもしれないけれ
ども
実はこうなんだみたいなところですね。その辺で、やはり非常に切り込んでいく
側面
が、ある
意味
ひんしゅくを買ったり、スキャンダリズムになったり、センセーショナリズムと言われたりすることもあり得ますね、間々。はっきり言って偏っていますよね、見方にすれば。偏っていないと売れないし、偏っていないと
報道
する価値があるかどうかわからない、誤解を恐れずに言えばそういうことになるんじゃないかと思います。
加藤勝信
26
○
加藤
(勝)
委員
そうすると、あるテーマで、こういう見方がおもしろいとか斬新だということだけでなくて、むしろ、こういう
方向
でいこう、例えばこのテーマだったら反対でいこう、そしてそれに必要な切り口でいこう、こういうような編集の仕方というのは当然あると思うんですね、
意見
は。その辺と、こういう
雑誌
社なりあるいは編集者の
意見
というものと、それから今言ったいろいろな切り口があるよということの切り口の多様性というか、それを
読者
に知ってもらう、理解してもらう、両方の点があると思うんですが、前者みたいな形で、編集者の
意見
というものはどの程度色濃く出しておられるのか。あるいは、これはもちろん
雑誌
社によっていろいろあると思うんですけれ
ども
、その辺についての、何か綱領とか
基準
というようなものをお持ちなのかどうか。
山了吉
27
○
山参考人
雑誌
というのは、端的に言って
編集長
が決めるものです。社の幹部がこうしろ、ああしろと言っても、
編集長
が首を縦に振らなかったら、
雑誌
は、今度は
編集長
の首を経営者がすげかえるしかないんですね。
編集長
の
編集方針
というのが、ある
意味
ではどの
雑誌
も恐らくかなりなパーセンテージを占めるんじゃないかと思います。
編集長
が
方向性
を決めて
雑誌
の性格が決まると言っても過言じゃないと思いますし、それが経営方針につながっている
ケース
もあれば、恐らく、
編集長
のブレーンなり何らかの物の見方、考え方、あるいは自分の
雑誌
についている
読者
の吸い上げ方、こういうもので決まるんじゃないかと思います。
読者
というのは、やはり一度ついてしまうと、変えるということになるとかなり思い切った方針転換をしなければいけません。ついた
読者
には、その
読者
を裏切らないように、やはり
編集方針
も
読者
に沿った形にもなるし、
読者
に与えるという形にもなると思うんです。ですから、ある
月刊誌
が全く逆の論客をそろえて入れかえるなんということになったら、全く別の
雑誌
になります。
週刊誌
にしても同じようなことが言えると思います。
加藤勝信
28
○
加藤
(勝)
委員
それから、ちょっと視点が違うんでありますけれ
ども
、先ほ
ども
ちょっと
お話
が出ました、よく
雑誌
に係る
名誉毀損
だとか
プライバシー侵害
というか
訴訟
が出されたり、あるいはその前の
抗議
の
段階
では
人権
ボックスを用意されるという話がありましたが、そうした最近の
名誉毀損
訴訟
なんかを見ておりますと、いわゆる裁判官の方が、ちょっと
取材
が甘いんじゃないかとか、ちょっと
人権侵害
が行き過ぎてるんじゃないかということをストレートに指摘されたり、あるいはその賠償額も年々高くなっているというような学術的な話も少し読んだことがあるんです。 そういう
状況
の中で、
雑誌
において、先ほどは、
記事
内容
の真実性ということ、事実をゆがめることはないということの
お話
もあったんですけれ
ども
、ただ、実際に、今言った
訴訟
案件等を見ていると、こういった
中身
についていかがなものかという指摘もぽつぽつとある、あるいは最近ふえている。こういう
状況
の中で、
雑誌
を編集する中で、その
記事
内容
の真実性というのをやはりきちんと担保していかなきゃいけない。出た後ではなくて、出る前に担保していかなきゃいけない。その辺について、今各社どのように取り組んでおられるのか。
山了吉
29
○
山参考人
確かに、五、六年前に、
名誉毀損
の
訴訟
において金額が一遍に五百万、一千万にはね上がったことがございまして、それに対して各
雑誌
は、今の
お話
は
週刊誌
のことをおっしゃっていると思いますので、
週刊誌
の場合は、それぞれがやはり裁判で訴えられる
ケース
に対して一定程度の萎縮はあったと思います。 しかし、我々の
主張
そのものと裁判官の
判断
の間には、やはりある政治的な、法務
委員会
の動きがありまして、それで、低過ぎるんじゃないか、百万円
訴訟
と言われるようなものがあってはいけないんじゃないか、もっと
名誉毀損
、信用毀損、
プライバシー侵害
に対しては厳しくすべきだというやりとりがありました。その命を受けて、裁判所の方で検討
委員会
を開きまして、三
方向
あったんですけれ
ども
、それぞれ検討して、賠償金の額をつり上げるということが決定されたという背景はあります。そういうことがあって、我々も、
訴訟
に対しては真実性、あるいは
取材
源というものに対してはより厳密にやるようにはなってきていると思います。 ただし、この間ちょっと問題になりましたけれ
ども
、
取材
源の秘匿に関しても、
雑誌
の
取材
源の秘匿に関しては認められなかった
ケース
があります。
取材
源の秘匿といいますのは、
取材
源を明らかにすることによってその方に非常に大きな迷惑がかかったり、要するに、
取材
源を明らかにするということが
取材
先の萎縮効果につながる。これはやはり物すごくあってはならないことじゃないかと思って、
メディア
が
メディア
として社会的に使命を果たすためにはどうしても欠かせない要素であったんですけれ
ども
、それが裁判所によって厳しく
判断
されるという
ケース
もあります。 今のところ、確かに
訴訟
は各社抱えてはいるんですけれ
ども
、
一般
人からの
訴訟
というよりは、むしろ
利害関係
の対立する、芸能人や
スポーツ選手
、政治家の
先生方
の周辺、その辺のものがやはり割と多いんです。それで、
一般
の方からの
訴訟
というのはそんなには多くないんです。だから、我々としても、そういう問題に関しては、今は少し高額賠償の流れから落ちついてきているんじゃないかと思っております。我々も、それに対する対処はしておりますけれ
ども
、
取材
源の秘匿に関しては非常に大きな問題だと思っております。
加藤勝信
30
○
加藤
(勝)
委員
ここまでは
雑誌
社としての御自身の責任でやる
記事
のことをちょっとお伺いしたんですが、同様に、
雑誌
の中には
意見
広告の
部分
がございますね。最近ではいろいろな団体、個人も、もちろん商業的な広告もありますし、
意見
広告ですね、こういったものもいろいろ出ているように思うんです。 こういったものについて、それぞれこういう広告を出したいと言って持ってこられた、それについて、それを載せるか載せないかということに対して、何か
一つ
の
基準
みたいなものをお持ちなのか。その辺ちょっと教えていただきたいんですが。
山了吉
31
○
山参考人
お配りしております中に
雑誌
広告倫理綱領というのがございまして、ちょっと古いんですけれ
ども
、昭和三十三年五月に制定されております。これでやはり一定程度の
基準
には、非常に抽象的ですけれ
ども
、なっておるんじゃないかと思っておるんです。
意見
広告は難しいんですけれ
ども
、余りにも連発されたり丸
ごと
買い占めるみたいな動きがあった場合にそれに応じるかといいますと、
雑誌
の信用にもかかわりますので、これもやはり、
雑誌
及びこういう
意見
広告の乱発、例えば十ページ丸
ごと
買い切りでこんな
意見
広告が出たと、例えば
憲法
なんかの場合、買い取って一遍にやられるということになりますと、これはいかがなものかということで、審査の対象にはなると思います。 それで、私、そういう
ケース
に当たったことはちょっとないんですけれ
ども
、やはり、この広告倫理綱領に書いてありますように、
雑誌
の信用問題もなりますので、広告といえ
ども
、倫理あるいは真実性、こういうものを踏み外すことはやはり問題だと思っております。これは
自主規制
をすべきだというところで、お金でもって丸
ごと
買い取ってやられるということがもし
憲法改正
の是非をめぐって起こってきたりすると、これは十分審議する対象になるだろうし、恐らくそういうことはないんじゃないかと思いますけれ
ども
、ちょっと心配ではありますね、確かに。
加藤勝信
32
○
加藤
(勝)
委員
それと、先ほど編集者の方がどういう
雑誌
をつくるかということについてかなりリーダーシップを持っているという
お話
でありましたけれ
ども
、この広告
部分
を含めて、例えば、編集する方の
意見
と全然違う
意見
広告を載せてくれというような話があっても、それは、何といいますか、
意見
が違うから載せるとか載せないというようなことは余りないというふうに考えていいんですか。
山了吉
33
○
山参考人
それは、恐らく
雑誌
読者
を裏切ることになるんじゃないかと思うんですね。論調と全く違った
意見
広告が載っている場合に、この
意見
広告をなぜ載せたのだということになってしまうんじゃないかと思いますし、やはり、それも
編集長
が、この広告はおかしいだろうということを
判断
になるんじゃないかと思います。ですから、広告といえ
ども
雑誌
の一部ですので、これも、やはりその
雑誌
の特性、あるいは
読者
へのイメージ、あるいは
読者
の信頼、そういうものと不可分じゃないと思います。
加藤勝信
34
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 それから、先ほど
お話
がありましたけれ
ども
、まさに
憲法改正
に関する
国民投票
運動における
マスメディア
に対する
規制
といいましょうか対応ということで、もちろん、原則としては自由な
報道
をしていただく、そして、そのことで国民の方が多様な
意見
をある
意味
では見たり聞いたりして、
憲法
を
改正
するテーマについてさらに理解を深め、そして最終的に
判断
をしていく。これが民主主義にとって大変重要な
部分
でありますし、当然だろうと思うわけです。 そういう中で、やはり
虚偽
報道
、イメージがわかないとおっしゃったわけでありますけれ
ども
、しかし、極端なことを考えればいろいろな
ケース
も出てくるんじゃないかなと。あるいは、先ほど申し上げた広告等において、非常にリピーティングを何回も何回もかけるとか、やはりそういうような不法利用、こういった問題も当然ある。それに対する対応として、当初の議論では罰則までという話もあった。 しかし、それではということで今
自主規制
という話が出てきているわけでありますけれ
ども
、先ほど
自主規制
の問題については真摯に受けとめられる、こういうような
お話
も少し出てきたわけでありますが、ただ、
マスメディア
に対する
規制
と言ったときに、先ほどからずっと御説明いただいているように、
放送
あるいは
新聞
という一次
報道
と、そして
雑誌
のような多面的な
意味
から切り込んだいわゆる論評みたいな
部分
と、それぞれやはり質が違ってくる。そうすると、それに応じた
規制
も違う仕方があるのではないか。 例えば、スイスを例にとれば、テレビやラジオには
規制
があるけれ
ども
新聞
、
雑誌
には
規制
がない、こういうような
状況
もあるのでありますけれ
ども
、そういう
意味
で、
雑誌
の
立場
から見れば
雑誌
は一番
規制
がない状態だという御
主張
なのかもしれませんが、
メディア
ごと
の特性に応じた
規制
ということについてはどのようにお考えですか。
山了吉
35
○
山参考人
正直言いまして、
放送
法の先ほどの範囲内で
判断
されるということで、
放送
でここで
意見陳述
された堀さんもおっしゃっていますけれ
ども
、私
ども
は、
新聞
にしろ
雑誌
にしろ、
規制
の法律がもしつくられて、こういうふうな
基準
に準じてやれということになりますと、それはやはり猛然と反対せざるを得ないと思うんです。 それはなぜかといいますと、やはり
雑誌
の特性というものは、多様な
言論
、多様な論評があって、それを
読者
なり大衆なりいわゆる国民が、ああ、こんな見方もあるのか、こういう考え方もあるのかみたいな形で取り上げて初めて存在する
意味
があるというようなところがどうしてもありますので、先ほど言いました
規制
の仕方という
質問
に対しては、
規制
ということに対して、えっというような形で私は反論せざるを得ないんですね。
雑誌
に対する
規制
というのは、
憲法
の二十一条にあるような形で、民主主義を支えるのは一切の
表現
の自由を保障するという、戦争直後にできたとしても、戦争中の大政翼賛体制で
言論
が封殺されたという歴史がこの第二次世界大戦の悲劇を生んだんだということで生まれたものがやはり到達した、人類としては非常に大きな、到達点としてはかなり高いかもしれませんけれ
ども
、そこは重要な高みだと思うんです。 ですから、
規制
となじまないと思うのは、集会、結社の自由とか、信教の自由、学問の自由と同じように、
言論
、
出版
及び一切の
表現
活動はこれを保障するという、保障という重みがあると思いますので、私は、この
規制
というのは、もし何らかの形が決まった場合には、それはちょっと違うだろうということで言わざるを得ないと思うんです。 ですから、
新聞
の
規制
も反対ですし、
雑誌
の
規制
も反対です。総論ではそうです。
加藤勝信
36
○
加藤
(勝)
委員
ありがとうございます。 それでは、時間もなくなってきました。最後に一問
お願い
したいと思うんです。 あるテーマについてさまざまな論評をする。当然、そうするとこの
憲法
問題でも、大学の
先生
とか公務員の方とかという
立場
もある。あるいは外国からのさまざまな
意見
、こういうものをどんどん
一つ
の視点として取り上げていくということになる。今この議論の中で、公務員等については地位利用による
国民投票
運動を禁止すべきではないか、あるいは外国人に関しては組織的な
国民投票
運動、あるいは国民の投票行動に重大な影響を及ぼすおそれのあるような運動についてはやはり抑制すべきではないか、こういう考え方があるわけでありますけれ
ども
、その辺について、今申し上げた多面的な観点から取り上げる、そういう
雑誌
という
立場
から見て、そういう
規制
について何かお考えがあればお示しをいただきたいと思います。
山了吉
37
○
山参考人
本当はこういうことに関して議論をしてくるべきだったんですけれ
ども
、正直言って、今
雑誌協会
ではそういう法案の
中身
の議論はしておりません。 それで、今
お話
しになったことに関しても、かなり
批判
的な
雑誌
もありますし、公務員の地位利用に関しては、全くこの問題はおかしいと言う
雑誌
もあります。ですから、
雑誌
によってそれぞれの
立場
で
意見
を出す、表明するというレベルでしかお答えできないと思います。私
ども
の
日本雑誌協会
としては、それに対して統一見解は持っておりません。
加藤勝信
38
○
加藤
(勝)
委員
どうもありがとうございました。
中山太郎
39
○
中山委員長
次に、
北神
圭朗
君。
北神圭朗
40
○
北神
委員
民主党の
北神
圭朗
でございます。 本日は、
雑誌協会
の皆様方に貴重な
お話
をいただきまして、まずは感謝申し上げたいと思います。 本日は、私、先ほ
ども
雑誌
といわゆる
放送
の話が出まして、先週も当
委員会
で
放送
協会の
皆さん
の御
意見
も聞いたり議論をしたりしたわけでございますが、
雑誌
と
放送
の最も大きな違いの
一つ
は、
放送
の方は
放送
法という法律によってある程度公正中立性とか政治的な中立性とか、そういったものが担保されているというか、縛りがかかっている。一方、
雑誌
の方はそういった法律がない。いろいろ内部的な、
第三者機関
とかそういったものはあるというふうに思いますが、そういったことを踏まえていろいろ
お話
を伺いたいというふうに思います。 それで、
雑誌
はいろいろな
ジャンル
があるというふうにおっしゃっておられますが、特にこの
憲法改正
、あるいは私たち民主党は
国民投票法案
は
憲法
だけじゃなくていろいろな喫緊の政策課題、そういったものも対象にすべきだというふうに
主張
しておりますが、その中で、特に私は個人的に、問題となり得るのは
週刊誌
かなというふうに思っております。本日は、協会の
立場
であられるというふうに思いますが、特に
週刊誌
について、
皆さん
の経験とかそういったものを踏まえていろいろお聞かせ願えればというふうに思っております。 まず、
週刊誌
というものは、グラビアから芸能ネタから、いろいろなものが雑多に入っているわけでございますが、きょう問題にしたいのは、政策的な
記事
とか
憲法改正
に関する
記事
、そういった性質の
記事
の
部分
なんですが、そういったことについて
週刊誌
というのは非常に微妙な位置づけだと思うんですよ。 というのは、外国にも、広範に読まれて、かつ、いわゆるオピニオン
雑誌
でもないし専門性の高い
雑誌
でもない、
新聞
でもない、一方でスポーツ
新聞
みたいな、そういった位置づけでもない。アメリカに、例えばナショナル・インクワイアラー、ああいう
雑誌
がありますよね。宇宙人の死体が車のトランクで見つかったとか、エルビス・プレスリーはまだ生きているとか。 そういった
記事
を載せている
雑誌
は非常に限られた人たちが読むし、みんな一定の距離感を持ってその
記事
を読むんだと思うんですが、
日本
の
週刊誌
というのは、官僚の人たちも読んでいるし、国会でも
週刊誌
のネタをベースに
質疑
をしたりする。一方で、「中央公論」とか「世界」とか、そういったまじめな、まじめななんて言ったら失礼ですけれ
ども
、やはりちょっと距離を置いて読むわけですよね、
週刊誌
の方は。 それは、もちろん
週刊誌
の
一つ
の、ニッチを求めて、そういった戦略的にやっている
部分
もあると思うんですが、問題は、どういうふうに位置づけを考えているのかという具体的な
意味
合いで、公正中立というのは、例えば
新聞
とか総合
雑誌
とか、そういったところは多分比較的厳格に考えておられる。
週刊誌
の方は、まあこのぐらいだったら許されるんじゃないかとか、ほかの
新聞
とか総合
雑誌
に比べて差別化を図っていると思うんですが、その辺、どういうふうに
週刊誌
の方々は考えているのかなということをお聞きしたいと思います。
鈴木哲
41
○
鈴木参考人
今おっしゃったことが当たっているところは多くて、
週刊誌
というのは世界に冠たるといいますか、ほかに類を見ない。
週刊誌
といっても総合
週刊誌
ですね、
週刊誌
という
ジャンル
は、実際には一週間に一回出るものはすべて
週刊誌
ですから。ただ、
日本
で言う
週刊誌
というのは、今おっしゃったような、想像されているような数誌だと思うんですが。
週刊誌
が提供しているものの
一つ
には、さっきちょっと申し上げたこととも関連するんですけれ
ども
、物の見方というのがありますね。
週刊誌
的な、
週刊誌
に載っているということで
皆さん
が共通の理解を持つ。プラスの
部分
もマイナスの
部分
もあると思うんですが、
皆さん
もよくそういう発言をされる。それだけ
週刊誌
が今までこの社会で果たしてきた
役割
が大きいんじゃないかなと私は思っています。
週刊誌
の中にさまざまな
意見
が載る、それは
月刊誌
も含めて、さっきちょっと申し上げたように、右から左まで、あるいは前から後ろから、いろいろな形で
意見
が載りますけれ
ども
、
一つ
は、今のようなこういう
憲法
問題について語るときは、だれがどういう
意見
を持っているのかということを明確にする必要があると思います。だれが言っているんだ、あるいはだれがこういう
主張
を持っているんだ、あるいはどういう集団がどういう考えを持ってこういうことをしているのか。そういう
部分
に関してはきちんと、だれがということが必要だと思います。 それから、
週刊誌
の持っているもう
一つ
の
側面
としては、
週刊誌
にはそれぞれの
主張
がありますね。
週刊誌
あるいは
出版社
というのは
報道機関
であり
言論
機関
なわけですから、自分たちが言明すべきことはきちんと言明をしていこう、それについては我々の
意見
である、こういうふうにしていただきたい、あるいはこういうことを期待するということはきちんと各誌述べていると思います。 それで、そういうものが明確でないと、
記事
というのはどっちつかずになるのか、あるいは論点が明確でなかったり、もっと言えばおもしろくなかったりということで、
読者
の鉄槌が下るというのか、買ってくれなくなるわけですね。そこが、さっき申し上げたように、
週刊誌
が毎週毎週の試験を受けているというのか、あるいは毎週毎週点数をつけられているゆえんだと思います。
北神圭朗
42
○
北神
委員
ありがとうございます。 多様な論点あるいは事実
関係
をはっきりさせる、さらには
週刊誌
それぞれの、
雑誌
の
主張
というものをしっかりとするというような
お話
でしたが、私が特にお聞きしたいのは、
言論
の責任という
部分
があると思うんです。そして、
新聞
とかほかの総合
雑誌
みたいなところはかなりそういう緊張感みたいなものが見られるんですけれ
ども
、
週刊誌
について、別に私、
週刊誌
に取り上げられたとか、ここで復讐を図ろうとか、そういうつもりは全然、全くそういう経験もないんですが、そういうことではなくて客観的に。 というのは、これは
日本
の
言論
の
一つ
の特性だというふうに思っておりまして、
週刊誌
だけじゃなくてテレビとかでも、お笑い芸人とかあるいは
スポーツ選手
までも政治に関していろいろコメントするというのは、余りほかの国では見られないんですよ。 これは私はビートたけし現象というふうに言っているんですけれ
ども
、お笑い芸人が政治的なコメントを例えば何か発言をして、政策的な
意見
を述べたときに、それがある期間を経て、結局それは間違っていた、間違った
判断
だった、そういうことが判明したときに、その
言論
の責任というものを追及しようとすると、いやいや、おれはお笑い芸人だ、君は何でそんなまじめにおれに責任を追及しようとしているんだ、こういう非常に言い逃れられる、無責任な
部分
が出てくると思うんですね。
週刊誌
はそこまでとは思わないんですが、どちらかというと
雑誌
の中でそういった
部分
が強い。これはもちろん、
皆さん
おっしゃるように
表現
の自由というものは極めて大事なことだし、それを保障するというのは大事だというふうに思うんですが、そういった微妙な
部分
について
週刊誌
にはやや緊張感がない
部分
が見られるんではないかというふうに思うんですが、そういったところについてどういうふうにお考えかというのを教えていただければと思います。
鈴木哲
43
○
鈴木参考人
テレビのことは私は答える
立場
にありませんので。ただ、今の感想として言わせていただくと、
スポーツ選手
の
国会議員
の方は発言権がないのかなというんで、
皆さん
大変だろうなというのは感想として持ちます。彼らは発言には責任を持っていないというふうにも受け取れますので、それはちょっと今の感想なんですけれ
ども
、
雑誌
というのはそういうふうにいろいろな考え方を持つということの証左かもしれません。 今の責任感とか緊張感ということでいえば、
週刊誌
というのは、多くの人に読んでいただくために、言ってみれば平仮名で書いているようなところがあります。つまり、漢字で書いてあれば難しくて正しいことであって、平仮名や片仮名で書いてあることは真実を伝えていないのかということにもつながると思うんです。 これは随分昔に教科書で読みましたけれ
ども
、野口英世の母の手紙なんというのは、片仮名と、漢字も入っていましたかね、そういうもので、読まれて実に大きな感動を与えるというふうに教わった覚えがあります。それと同じで、
週刊誌
というのは、たくさんの人に伝えるためにさまざまな工夫をして、それは写真を使っていたり、あるいは、時に漫画を使っていたり、風刺をしたり、相手に自分の真意を伝えるためにさまざまな工夫を凝らします。それをもってまじめであるかないかという御
判断
は、
読者
にゆだねるしかないわけです。 それから、責任ということに関していえば、
新聞
あるいはテレビと決定的に違うところがありまして、すべての
週刊誌
は、ごらんになっていただけばわかりますけれ
ども
、毎号後ろに編集人と発行人の名前を載せております。要するに、その人が責任を持つということですね。その号についてのすべての責任はその二人が持つわけですから、これをもって無責任だと言われるのは非常に、なかなかそれが伝わっていないのかなということは考えてまいりたいと思います。
北神圭朗
44
○
北神
委員
わかりました。その発行人、編集人のいわゆる個人的な責任が明確になっているという
部分
は私も勉強になったというふうに思います。 別にきょうは
週刊誌
批判
をするつもりは全くなくて、こういった
憲法
の問題で、あるいは重要な政策課題で、先ほど
山参考人
の方から、なかなか
言論
の自由を濫用する想定ができない、そういう具体的な想定ができないという
お話
がありましたが、極端な話をすれば、例えば
憲法改正
をするという
記事
があって、そこに何か戦争の場面の写真を載せたり、そういったことも
一つ
の誘導的な意図としてあり得るわけですし、逆に言えば、
憲法
を
改正
しない方がいいという
立場
だったら、すごく田園的な写真がそこに載っていたり、これは写真だけの話ですが。そういった
意味
で、ある
意味
では非常に短絡的な結論というものを載せるということは、
一つ
読者
の
意見
形成をゆがめる可能性も出てくるというふうに思うんです。 そこは別に厳密にどうするか、法的にやるかどうかという話はいろいろあると思うんですが、具体的に、
週刊誌
の中でそういったことに対して、特に
憲法
の問題というのは、今まで
日本
の戦後の歴史の中あるいは
日本
の歴史の中で
国民投票
にかけるという事例はなかったわけですから、ある
意味
では国の形を決める話であり、国家権力をいかに制約するかという極めて大事な話の中で、今の時点で
憲法
の話が議論の俎上にのっているところで、
雑誌
の編集者の中とかあるいは会社の中で、これについてどういう考え方で取り組んでいくかということは議論されているのかどうか、お聞きしたいと思います。
山了吉
45
○
山参考人
私が知っている限りはほとんど聞いたことがございません。
週刊誌
というのがこういうテーマを取り上げるときには、先ほどちょっと、
憲法
を
改正
されるとあなたも戦場に行かなければいけなくなるという考え方は事実をゆがめるのか否か。これは私
ども
、そういう
記事
があったとしても事実をゆがめているとは思いません。例えばそういう
編集方針
があったとしても、それも
一つ
の見方です。
憲法改正
、自衛軍というのを、例えば自民党の五十周年の
改正
草案の中で九条二項を削除して自衛軍ということ、これは別に、自衛軍というのがすぐ戦争ということで結びつくかどうかというと議論の分かれるところですし、それは自衛軍を創設するということは戦争につながるじゃないかという考え方だってあるわけですね。 それで、戦争というので、今度は、今イラクに派兵されている自衛隊の問題なんかでも、これに関しても、私
ども
からすれば、もっとちゃんと
報道
しろよということを言いたいですね。物すごい
報道
規制
があるような気がしてしようがないし、それに関して
週刊誌
はおかしいじゃないかと何度も何度も書いていますよね。実際に、イラクの自衛隊は何をしているんだと。 それから、犠牲になられた外務省の方々についても、あの
報道
はアメリカと
日本
のできレースじゃないのかという
記事
があった場合に、それはそういう見方があっても構わないわけですね。犠牲になられたのは、何で殺されたのかということに関しての情報が、例えば米軍の誤射ではないのかというようなのが何度も
記事
になりましたけれ
ども
、そういうものも
一つ
の情報としてもたらされた場合には何らかの形での
取材
を始めますよね。それで
取材
を始めた結果、そういう疑いもあるという
記事
をつくるのは構わないと思います。 それと同じように、
憲法改正
に関しても、これは、例えば私の
手元
にありますけれ
ども
、週刊文春だ、週刊新潮だ、現代だ、ポストだと、それぞれが
憲法改正
に対しての、どんな論者を選ぶのか、この
改正
されることによって何がどうなるのかということに対するさまざまな見方の
記事
をさまざまな方法で報ずることは何らゆがめることにならないと思いますけれ
ども
、そこのところは私は
先生
とは全然違います。
北神圭朗
46
○
北神
委員
私もいろいろな
意見
があっていいというふうに思うんですよ。 それで、さっきの話だったら、我が党も実は
メディア
規制
というのは設けない、基本的に自由にするという
立場
なんですね。その
一つ
の理由として、今おっしゃったように、例えば
憲法
九条を
改正
して即戦争状態になるというようなことが
虚偽
かどうか、あるいは公正かどうかということは、ある程度の期間を置かないと、なかなか一義的には
判断
できない、それはおっしゃるとおりだと思うんですよ。ただ、その結論に至るまでのある程度の論理とか、そういったものはやはり非常に大事だと。 そして、申し上げたいのは、そういった結論とか
意見
とか、そういったものはいろいろあっていいというふうに思うんですが、センセーショナリズムにならないかどうか。この
部分
が、先ほど申し上げているように、特に私が
感じ
る
感じ
では、
週刊誌
の場合、非常に微妙な
部分
がある。 だから、そこをぜひまたお聞きしたいんですけれ
ども
、どこからどこまでセンセーショナリズムになるのかというのは非常に難しい抽象的な話だというふうに思いますが、恐らく、
週刊誌
の記者や
編集長
の中でそこの区分というものに対する考え方とか、そういったものがあるのではないかというふうに思うんですが、そこはいかがでしょうか。
山了吉
47
○
山参考人
ありません。 センセーショナリズムだと思って、もし、オオカミ少年じゃありませんけれ
ども
、そういう
報道
を繰り返すと、やがて
読者
は離れていきますよね。おまえ、何をやっているんだということで
批判
が来ると思います。それぞれの
編集長
なり編集者なりが同じことを繰り返して、
読者
がそれを信じるというふうな
意味
でいいますと、やはりこういう
記事
のつくり方に対しておかしいと思ったらどんどん離れていくわけですね。
先生
おっしゃるような
意味
でいいますと、割と
週刊誌
は残酷なんですよ。正直言って、売れるということが
読者
の支持があるというふうに考えるとすれば、この
読者
の支持は簡単に離れますし、ある
記事
で支持がついた場合は、その連載の
記事
とか追及の
記事
が非常に歓迎される場合は、社会はぜひこれはもっと追及してほしいと願っているというふうに見るわけですね。 ですから、
編集長
の
判断
によって、この
記事
のインパクトといいますか影響力といいますか、そういうものがどのようにあるかということは各
編集長
の
判断
なんですね。それで、その
編集長
の
判断
がずれている場合、荒唐無稽だとか、あるいは、こんなことはまさかないだろうとか、こんな
記事
のつくり方はおかしいということになりますと、それは
読者
の反応にすごく端的にあらわれるものなんです。ですから、さっき生き物と言いましたけれ
ども
、簡単に休刊、廃刊ということもあり得ます。 ですから、我々としても、さっき緊張感が非常に足りないんじゃないかということをおっしゃっていましたけれ
ども
、緊張感はかなり大きいものがございます。編集も、正直言って、
週刊誌
の編集部に何年かいますと、どこか体を壊します。それぐらい忙しいですね。ですから、その辺から考えますと、割と少人数で、限られた期間に集中的な
取材
をしますから、やはりなかなか緊張感のある職場だと、私も二十年いましたけれ
ども
、そう思っております。隣の
鈴木
は
編集長
も経験していますので、かなりそれを経験していますので言えると思うんですけれ
ども
。 答えになっているかどうかわかりませんけれ
ども
、そのような感想を持ちます。
北神圭朗
48
○
北神
委員
皆さん
の
お話
を伺っていると、責任の問題というのは基本的には市場原理だということですよね。そこの
記事
で信頼を失ったりしたら
読者
が離れて廃刊に追い込まれるとか、そういったことだというふうに思います。 それで、緊張感がないというのは、決して
皆さん
が一生懸命やっていないとかそういう
意味
合いでは全然なくて、営業的には非常な緊張感があるというふうに思いますが、言ってみれば、私が申し上げたいのは
言論
の責任という
部分
について緊張感があるかどうかということでありまして、それも断言するつもりはないんですよ、私も。
皆さん
が持っていないということを申し上げるつもりはないんです。
一つ
、
言論
の責任の
部分
でぜひ
皆さん
にむしろ教えていただきたいのは、よく
報道
の中立性とか公正性とかいうふうに言われておりまして、特に
新聞
なんかは割と中立な
立場
を意識的にとろうとする。これは一見すごくいいようにも見えるんですが、実は、その中立の名のもとで体制擁護をしたり、あるいは中立の名のもとで反体制的な誘導をしたり、いろいろ微妙な操作というものができるというふうに思っているんですね。 先ほ
ども
、
雑誌
の
編集長
が非常に強い権限を持っていて、
編集長
の方針というものが、絶対的まではいかないかもしれないけれ
ども
非常に重要だという
お話
もありましたが、私が思うに、例えばイギリスのロンドン・エコノミストという
雑誌
とかあるいは
新聞
でもアメリカのニューヨーク・タイムズとか、こういったところは割と、例えば大統領選挙でも、我々は、ニューヨーク・タイムズは共和党を支持するとか、あるいは民主党の候補者を支持するとか、明確にするんです。 これは中立性に違反するように見えるかもしれないけれ
ども
、実は、その方が
読者
も、ああ、この
雑誌
はこういう
立場
なんだ、この
雑誌
は
憲法改正
反対なんだということが明確にわかっていれば、その中に含まれている
記事
についても割と距離感というものを調整できるし、割と正当に
判断
する手だてにもなる。 もう
一つ
、利点として申し上げれば、はっきりとスタンスを明確に打ち出していてそれが後になって結果的に間違っていたときには、そこに具体的な
言論
の責任というものが生じると思うんですよ。つまり、ニューヨーク・タイムズの例で言えば、我々はクリントンを推したけれ
ども
クリントンは結局こういう失敗をして国民の支持を失ってしまった、我々は当初推していた理由はこうこうだったけれ
ども
、結局ここでこういう点について
判断
を間違えて、我々もある
意味
では
判断
の間違いをしてしまったという
意味
で、はっきりと社論を前面に出していた方が
言論
の責任というものが明確になるという
部分
があると思うんです。 その点について、まず、
週刊誌
が実際に、例えば
憲法
の問題について統一した見解で、いろいろな雑多な、評論家を使って
意見
を載せるんじゃなくて、統一した、
改正
賛成、九条
改正
賛成だといった一貫した方針のもとで編集をするのか。そして、する場合にせよしない場合にせよ、その方が公正中立とか
言論
の責任の観点からいいのかどうかという
皆さん
のお考えをちょっと伺いたいというふうに思います。
山了吉
49
○
山参考人
ニューヨーク・タイムズ、ロンドン・エコノミストという
雑誌
が持っている社会的な
オピニオン誌
としての受けとめ方、あるいはその
言論
機関
としての
役割
、これは明らかだと思います。これはもう社会的に認知されておると思いますね、その
雑誌
はそういう
立場
の
雑誌
だと。
日本
の
週刊誌
は、
言論
機関
としての認知は、されている要素もあると思うんですけれ
ども
、娯楽性とか、あるいは中の
記事
に関する信頼性あるいは信用性、あるいは中の
記事
をどういうふうにとらえるかといった場合に、
言論
機関
として受けとめられている要素というのは、一部はあると思いますけれ
ども
、
言論
機関
としてこの
雑誌
のこの方針は、ニューヨーク・タイムズと同じように、世の中に対して真っ当な形、真っ当と言うと語弊がありますけれ
ども
、世の中の
方向性
を決めるというふうな形での受けとめられ方はしておらないと思うんです。 だからといって
言論
機関
としての責任がないのかといいますと、そうじゃないんです。つくっている
記事
記事
に関しては、その
記事
がもし人を傷つけたり、あるいは社会の
方向性
に対して、社会のやはりある常識とかあるいは世論に対して全くのでたらめなことをやったり、とんでもない侵害をしていた場合には、その責任問題には当然つながっていきます。 ですから、
言論
機関
として
記事
の特徴は、さっきもちょっと言いましたけれ
ども
、例えばテレビではこう
放送
されて
新聞
ではこういうふうな見方をされているけれ
ども
、いや、それは一面であって、本当に、これをやっているこの方は幼い日はこういうふうなことをやっていて、こういう問題点もあるよみたいなことを書いたり
記事
にしたりするわけですね。 ですから、さっき、大衆ジャーナリズムと言ったらちょっとあいまいになりますけれ
ども
、興味本位な
部分
もあるんです。要するに娯楽的な要素もあります。あるいは、さっき私がちょっと言いましたけれ
ども
、スキャンダルを歓迎するような傾向にある大衆の要望、欲望にこたえるような要素もあります。 ですから、正面から
言論
に対置するかどうかとなりますと、
編集方針
としてそういう
編集長
もいるし編集者もいると思いますけれ
ども
、
日本
の
週刊誌
の場合はそういう百貨店といいますかいわゆるデパートのような、いろいろなものがあることによってどの嗜好でもって買うか買わないかを
判断
されたりするわけであって、
言論
の
方向性
でもって買うということは、大きな枠ではあると思うんです。でも、それは私はちょっと、ニューヨーク・タイムズと比較して余りにもいいかげんではないのかと言われたら、そういう要素もあるだろうなとしか答えようがないです、率直なところ。
北神圭朗
50
○
北神
委員
率直な御
意見
、ありがとうございます。 冒頭申し上げた
週刊誌
の微妙な位置づけというのはまさに今言われたことで、政策的な発信もしているんだけれ
ども
、一方では娯楽性とか
読者
が求めているようなスキャンダルな
部分
とかそういった
部分
も含めているという
意味
で、非常に
日本
独特の
言論
形態ですので、そこが一番私なんかはちょっと懸念しているところもあるんですけれ
ども
。ただ、別にきょうは何も結論を出すつもりもございませんし、率直にいろいろ
お話
をしたかったので、いろいろ無礼な発言もあったと思いますが、他意はございませんので、きょうはいろいろと勉強になりまして、ありがとうございました。 ちょっと時間、早目かもしれませんが、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
中山太郎
51
○
中山委員長
次に、斉藤鉄夫君。
斉藤鉄夫
52
○斉藤(鉄)
委員
公明党の斉藤鉄夫でございます。 きょうは三人の
参考人
の方、本当に貴重な御
意見
をお聞かせいただきましてありがとうございます。早速
質問
に入らせていただきます。
山参考人
、最初に
憲法
二十一条を引かれて御
意見
をお述べになりました。ここは
憲法
調査
特別
委員会
ですので、
憲法
から入られたというのに大変感銘を受けたわけですけれ
ども
、
言論
その他一切の
表現
の自由についてはこれを保障するという
憲法
二十一条は、その前の
憲法
二十条、信教の自由とともに最も大切なところだと思っております。 自民党さんと民主党さんの
質疑
を聞かせていただきまして、その自由と、逆に責任ということのバランスの問題かなと思うんですが、
読者
の側からいいますと、最近、
メディア
リテラシーという言葉がございます、
出版
、
報道
も、それをお金と時間をかけて買う
読者
も、ある
意味
では一体としてそのレベルをつくっているわけで、
読者
の側の
メディア
リテラシーということも本当に重要になってくると思います。 ですから、理想的には、
読者
が
メディア
リテラシーをきっちり持って、しかし、
報道
や
表現
、
出版
については一切の
規制
がない、自由であるということが最も理想的な社会だと思いますが、現実には成長過程の子供もいますし、大人でも、ある悪意を持っている人たちも存在しますので、
読者
の
メディア
リテラシーに一〇〇%信頼を置いていくというわけにはいかない。そのためには
自主規制
等の方策も考えていただかなくてはいけないというのが現実の姿だと思いますが、
出版
をされる側にいらっしゃって、いわゆる国民の
メディア
リテラシーが、今、徐々に
日本国憲法
六十年の中で
一つ
ずつ向上している、私自身はこのように思いますけれ
ども
、この点についてどのようにお
感じ
になっているか。 もう一度整理しますと、その責任と自由の線引きがどこら辺にあるのか、その線引きの一端を担っている我々
読者
の側の
メディア
リテラシーについて、どのようにお
感じ
になっているかということについてお伺いをしたいと思います。
山了吉
53
○
山参考人
大変難しい問題だと思います。
メディア
リテラシーというのは、私
ども
も、特に
放送
に関しての
メディア
リテラシーについての本は何冊か読んだことがありますけれ
ども
、
雑誌
の
メディア
リテラシーということになりますと、成熟した社会の成熟した大人がどのようにこれを
判断
するかということが問われた時期がありまして、私
ども
は経済的にある程度満たされた状態で欲望あるいは情報に対する感度みたいなものが磨かれてきて、それでそれに対する反応が起こってくるというふうに考えますと、
日本
というのはある程度のレベルまではもう達しているというところに来ていると思います。ですから、私は、
雑誌
も
読者
を決してばかにできませんし、はっきり言って、
読者
の方も
雑誌
を疑いつつ信じ、信じつつ疑いというふうな形でかなりなところリテラシー的な要素が生まれてくるというか、要するに醸成されてきているんではないかと思っておるんですね。 ですけれ
ども
、さっきおっしゃいましたように、まだ未成年、青少年に関しての性の情報あるいは暴力の情報が一方的に発せられるときには、
判断
ができないまだ未熟な世代に対しては私
ども
でそういう
第三者機関
を設けてやらなきゃいけないんじゃないかというふうには考えておりますけれ
ども
、もう
一つ
、そういう大人の世界に関しては相当成熟してきておるんではないかというふうに思っております。 それに対する我々の方がおくれているのではないかという気もしておりますけれ
ども
、
雑誌協会
でこの
メディア
リテラシーについて論議をして、ある種の
判断
をしたことはございません。
斉藤鉄夫
54
○斉藤(鉄)
委員
私の個人的な感想ですが、この
日本
の社会は、そういう
意味
では
メディア
に対しての
判断
といいましょうか、結構国民はみんな賢くて、きちっと
判断
しているなというふうに私は個人的には
感じ
ているということを申し述べさせていただきたいと思います。 次の
質問
に入らせていただきます。 これは、先ほど
加藤
委員
からも御
質問
が出ました、ダブるかもしれませんが、実は私は超党派の文字活字文化振興議員連盟に入っておりまして、昨年、文字・活字文化振興法を超党派でつくったところでございます。 やはり活字というのは、
メディア
の中でもみずから考える力を養うという面で映像
メディア
と違うところがありますが、この映像
メディア
との差をどのようにとらえていらっしゃるか、また、同じ活字の中でも、いわゆる
新聞
等との差をどのようにとらえていらっしゃるか、この点についてお聞きしたいと思います。
山了吉
55
○
山参考人
今の
日本
で著作権法というのがございまして、これで映像、
放送
に関しては著作権がある程度認められておるんですけれ
ども
、
出版
、
雑誌
に関しては、
出版
権というのは一応項目はございますけれ
ども
、現実には、著作権者、作家、あるいは画家とか、そういう方々との契約がない限りは
出版
権というのは発生しないし、大した力になり得ない。そういう
意味
では、
出版
、文字・活字文化に関する法的な庇護といいますか、ある種の庇護は、ゼロとは言いませんけれ
ども
、今ほとんどないに等しいんですね。
先生
が文字・活字文化振興法の、一員だとおっしゃいましたので大変私
ども
も心強いんですけれ
ども
、ありがたいと思うんですけれ
ども
、
雑誌
とか
出版
の場合は、さっき
鈴木
が申し上げましたように、
新聞
の宅配制度みたいなものがございませんので、買ってもらって何ぼなんですね。ですから、景気に左右されると言いますけれ
ども
、お金を自分の懐から出して、読んでみようかと思って三百何十円出す、
週刊誌
の場合はそうですけれ
ども
、三百円以上出さないことには何も始まらない、読んでももらえないということになります。 それで、これは映像もそうですけれ
ども
、
放送
も今ほとんどコマーシャルで成り立っていますし、NHKはもちろん違いますけれ
ども
、そういう
意味
では、金銭をみずからの意思でもって出すことによって初めて始まる。あるいは図書館というのもございますけれ
ども
、やはり産業として
出版社
が成り立つためには、買ってもらわないことには始まらないというところがあります。そういう
意味
では、商品価値と同時に、さっきの民主党の方の
質問
と同じようになりますけれ
ども
、営業的な責任ということばかり強調していたようなんですけれ
ども
。
言論
としての責任と同時に、営業としての責任も、これは極端に言うと、
新聞
記者はそんなに自分の
記事
が売れたかどうかということにならないかもしれませんけれ
ども
、
雑誌
の編集者なんかの場合、常にそういうものと背中合わせで問われているところがございまして、やはり買ってもらう、影響力を与えて支持を受ける、インパクトのある
記事
をつくらないことには、次の週も買ってもらえなくなるということがございまして、その辺の緊張感といいますか、営業と編集というものがある面では一体になっているような要素がございまして、そういう責任というのは、むしろ産業としての
出版
に従事している者にとっては割と大きいんですね。ですから、チャンネルをひねるというか、テレビのように帰ってぽっとつければ見られるというものでもございませんし、
新聞
のように宅配もないという、その辺の、
出版
産業に携わる者の責任と緊張感というんですか、そういうものは常に
感じ
ております。 情報の差ということからいいますと、はっきり言って、
放送
と
新聞
のように記者クラブなり一次情報を得られるエリアを持っておりませんので、そこから先が勝負なんですね。ですから、一次情報で今こういう
委員会
があってこういうことがしゃべられた、こうだということを流しても、これはもう
新聞
と
放送
がやっておりますので、だからどうなんだと、次の、そこから初めて企画がスタートするという
意味
では、全く異なった
媒体
、違った
媒体
だというふうな要素もあるんですね。ですから、差ということの答えになっているかどうかわかりませんけれ
ども
、
メディア
としての
立場
の違いと同時に、
報道機関
としての違いもその辺にあるんではないかと思っております。 以上です。
斉藤鉄夫
56
○斉藤(鉄)
委員
先ほどのお答えとはまた別の角度からお答えいただきまして、大変
参考
になりました。ありがとうございました。 この文字、活字ということについて、もう一点、きょうの論点からちょっと外れるかもしれませんが、最近、再販制度、これは
新聞
ですけれ
ども
、及び特殊指定、これは
新聞
、教科書ですが、この見直しについて今大きな議論になっておりますが、この点についてお聞かせ願えればと思います。
勝見亮助
57
○
勝見参考人
先生
の御
質問
ですけれ
ども
、私
ども
雑誌協会
としましても、
出版
団体の間で再販研究
委員会
という組織もございますし、
雑誌協会
は
雑誌協会
で再販問題に対しましてはいろいろな弾力運用をしていくというふうなことを進めております。基本的には、再販を維持するというふうな考えは変わっておりません。
斉藤鉄夫
58
○斉藤(鉄)
委員
ありがとうございました。 それから、
山参考人
、
意見陳述
の最初に、きょうこの
委員会
に出ること自体に
批判
があったけれ
ども
、
批判
は
批判
として受けとめてというふうな御発言がありましたが、どのような
批判
があったのか、もし差し支えなければお聞かせ願えればと思います。
山了吉
59
○
山参考人
批判
という言い方が当たるかどうかわかりませんけれ
ども
、親しい
新聞
記者、あるいは
言論
に携わる方々から話を二、三聞きましたら、六十年間つくられていなかったこの
憲法改正国民投票法案
というのが、急にという考え方をすればちょっと語弊があると思います、これは
委員会
の
議事録
をずっと拝見しますと、本当に精力的に、毎週のように積み重ねて
先生方
努力されているのは非常によくわかるんですけれ
ども
、やはり昨年の
衆議院
の与党の圧勝を受けた形で急速にこの機運が高まって、
改正
への一里塚といいますか、重要な要素ですよね、この重要な要素の
国民投票法案
が決められるようになったと。そういうことになりますと、この審議に加わることは、ある面では
改正
への足がかりをつくることになるんではないのかと。もう既に流れが決まっているものに、
参考人
として参加しても余り
意味
がないんじゃないかというような
意見
もありました。 私は、
個人情報
保護法の成立のときに、参議院に最後に行ったときに、これはちょっと話がずれますけれ
ども
、正直言って、
個人情報
保護法に
雑誌協会
は一貫して反対してきました。それはなぜかといいますと、
個人情報
保護法という法律を、民間に、事業主といえ
ども
適用した場合には必ず
取材
に制限が加わるんではないかということの危惧がありました。それで最後まで反対をしておったんですけれ
ども
。 それで、参議院へ行ったときにも、私が話している最中でもほとんど聞いていらっしゃらない
先生方
が多くて、何か非常にむなしい思いをしました。城山三郎
先生
はもうお帰りになりましたし、
参考人
として数時間いろいろ
質問
に答えたんですけれ
ども
、そのときも、結局は
メディア
は適用除外だということで、
メディア
の適用除外の項目に
出版社
という名前を入れてくれということを言ってきたんですけれ
ども
、最後は附帯決議の中に加えられるだけで、やはり条文は変わりませんでしたので、なかなかこういう審議というのも反映されないものだなということをそのときにもちょっと思ったんです。 まあ、
新聞
記者と話しますと、国会のことは詳しいので、今度のような流れの中で
国民投票法案
を今審議して決めるということに対する
批判
があるということに関して、これは今ごらんになるとわかるように、世の中の
憲法学者
とかいろいろな方も今決めることに反対の方もたくさんいらっしゃいますし、はっきり言えば九条の会とかいろいろな会が反対しておりますし、そういうことに関しても、私
ども
がここに出てくるからどうだということはないですけれ
ども
、これに加わったことに関する
批判
があっても、それは甘んじて受けようということを言っているのであって、これに無
意味
だと言っているわけじゃないので、私
ども
の
意見
は
意見
としてちゃんと反映させていただければありがたいということを申し添えておきます。
斉藤鉄夫
60
○斉藤(鉄)
委員
今五党で論点整理をして、よりよいものをつくっていこうと。まあ、つくること自体に反対していらっしゃる政党もいらっしゃるという
立場
のもとで、しかし、五党で一生懸命よりよいものをということで
意見
を出し合っておりますので、ぜひきょうの御
意見
も
参考
にさせていただきたい、このように思います。 それから、
国民投票
運動にかかわる
報道
の
規制
について、基本的には
規制
なし、
自主規制
にお任せするという
方向
でございますが、先日、
放送系
の方の御
意見
の中に、いや、この
自主規制
という——入れるとしたら訓示規定のような形で入るわけですが、その訓示規定さえも必要ないのではないかという御
意見
がございました。このことについてどのようにお考えでしょうか。
山了吉
61
○
山参考人
私
ども
も、どちらかといえば必要ないんじゃないかという
立場
をとっております。 何もやっていないんだったら問題ですけれ
ども
、私
ども
もこれだけ長い期間
出版社
で
雑誌
を出してきている以上は、社会的責任、あるいは果たすべき
役割
、
憲法
に対する物の考え方、そういうものに対しては、私
ども
自体がこういう
雑誌協会
に属している以上はみずからを律していかなければいけない
部分
があるということは十分認識しておりますので、もし訓示規定として入れられるということになりますと、それは形式的にはいいかもしれませんけれ
ども
、そういうことに関してはできれば外していただければと思ってはおります。
斉藤鉄夫
62
○斉藤(鉄)
委員
それから、
虚偽
報道
、不法利用等は、現実には考えられない、具体的なイメージもわかないということでしたけれ
ども
、私
ども
は、何が起こるかわかりませんので、そういう事態もあり得るのかなと。 しかし、そういう
報道
に対してきちっと反論できる場、その反論もきちんと
報道
される、国民に知らすことができるということが確保されておれば、
虚偽
報道
をしたこと自体がそちらの側にとってはマイナスになるということですので、反論の場をきちっと用意するということが大事だと思っておりまして、だから、そういう環境さえあればこういうことを書く必要はない、このように思っておりますが、そういう反論の場というのはどうしても
メディア
になるわけでして、そういうことについては用意をするというふうに言っていただけますでしょうか。
山了吉
63
○
山参考人
今、
日本雑誌協会
の性格といいますか、この組織ということからいいますと、お約束はできません。 反論権というのは、これも重要な決定事項でありますので、簡単に私がお約束しますよと言っても、
皆さん
、各
雑誌
の
編集長
が反論権を行使されるとはとても思えませんし、反論権というのは大変難しい要素、問題を含んでおりますので、お約束はできないということしか言えません。
斉藤鉄夫
64
○斉藤(鉄)
委員
ありがとうございました。 〔
委員長
退席、
保岡
委員長
代理着席〕
保岡興治
65
○
保岡
委員長
代理 次に、
笠井亮
君。
笠井亮
66
○
笠井
委員
日本
共産党の
笠井亮
です。 きょうは、
山参考人
、
鈴木参考人
、そして
勝見参考人
、お忙しいところ、ありがとうございました。貴重な御
意見
をいただきました。 先ほ
ども
山参考人
からありましたが、
国民投票法案
をめぐっては、一方で今なぜやるのかということで
意見
や議論もあるということも触れられましたが、御案内のとおり、我が党もそういう点では、九条の改憲の条件づくりになるということで
国民投票法案
はつくるべきでないという
立場
であります。いずれにしても、そういう点を踏まえながらも、きょうの
お話
の中で
メディア
規制
ということに関する御
意見
をいただきまして、大変
参考
になりました。 また、
メディア
といいますと、一把一からげにといいますか、十把一からげにというか、
放送
も
新聞
も
雑誌
もというふうにとかく言われがちですが、先ほど来の
お話
の中で、やはり
雑誌
は
雑誌
なりの特徴があるということについても、私もいろいろな
意味
で理解を深めることができたと思います。 特に、
憲法
二十一条で、
言論
、
出版
を含めて一切の
表現
の自由を保障するということを、ある
意味
、金科玉条ということも言われましたが、これを基本に据えて、
規制
するということについては、あれば猛然と反対されるし、
自主的取り組み
についても真摯に受けとめるけれ
ども
、
言論
を管理、縛ったりすることは、今のところ協会としても考えていないという
お話
でありました。 そこで、まず、
雑誌
を編集、
出版
する際の基本的な
立場
に関連して伺っておきたいと思うんです。 冒頭の
お話
にもありましたが、
日本国憲法
の第二十一条で言われている中には当然
報道
の自由も含まれるわけでありますが、戦前の大政翼賛会の体験を踏まえてという
お話
もありました。戦前は、
報道
に対して国家からの介入があって、そして大きな
雑誌
な
ども
国民を侵略戦争に思想的に動員する
役割
を果たすという残念な事態があった、遺憾な事態があったというふうに思うんです。 御指摘のとおり、その反省からということで二十一条というのが生まれているわけでありますけれ
ども
、そういう点で、
日本国憲法
で二十一条が規定された意義を改めてどういうふうにとらえていらっしゃるかということ。また、
雑誌
の戦争責任ということを指摘される論調もありますけれ
ども
、今日、戦前のことも踏まえて、大きく言えば、全体としてどういう
立場
で
雑誌
の編集や
出版
に当たっていらっしゃるかということについて伺いたいと思うんですが、どうでしょうか。
山了吉
67
○
山参考人
その辺は
日本雑誌協会
でもって統一見解を持っているとはちょっと言えないんですけれ
ども
、私
ども
の
雑誌
倫理綱領の三の頭に「
憲法
」ということが入っております。「
憲法
及び正当に制定された法は尊重されなければならない。」と。
憲法
の尊重というのは、さっき言いましたように、信教、学問の自由、集会、結社の自由と同じように、
言論
、
出版
という、
出版
という言葉が入っていると同時に、さらに言えば
表現
の自由ということを、保障という言葉というのはなかなか出てこないぐらい、保障という強い言葉で言われているというのが……。 はっきり言いまして、
雑誌
も
新聞
と同じように戦前には翼賛体制の中に組み込まれておりました。実際にかなりな
役割
を果たしておりましたし、
発行部数
も多かったし、かなり庶民のレベルでの戦争動員の役目を果たしております。それについても、ここから
雑誌協会
からちょっと離れるかもしれませんけれ
ども
、マスコミ倫理懇談会の全国協議会なんかでも何度もここの話はしたんですけれ
ども
、用紙を制限される、つまり紙を配給制にして制限される。戦争に協力しなければ紙は渡さないぞと。つまり、紙がないと
雑誌
も本もつくれないという
状況
がやはりあったんですね。それで、紙を絞られるということによって、翼賛体制に賛同して戦争を鼓舞していかないといけなくなるような
状況
をつくられたという背景もございます。それで、私
ども
、もちろん論調として進んで賛成したところもあると思うんですけれ
ども
。 つい先日、ちょっととんでもない判決が出ました。横浜事件というのがございまして、この横浜事件というのは、当時、さまざまないわゆる捏造、でっち上げでもって、
出版社
の編集者が、もう今はありませんけれ
ども
「改造」の編集者、中央公論、あるいは
日本
評論社の編集者五人が拷問で殺されて、それで戦争の、八月十五日の後、八月の二十何日に判決が出て有罪になっていたんですね。それで、その証拠は、その書類はといえば、裁判所みずからが焼き捨てたのではないかと疑われております。 そういう事件が、この前は、有罪判決を受けていたうちの三十名近くの起訴者が全員亡くなった後、約六十年ぶりに再審請求があったにもかかわらず、それが免訴という形で、もう治安維持法がないからこれは裁くに値しないということで免訴という処分になりまして、無罪の判決を得ることができなかったんですけれ
ども
。 こういう歴史的な教訓からして、
出版
、
雑誌
というものが翼賛体制の中でいかに過酷な運命をたどったか、編集者もそうやって拷問で殺されるような目に遭ったかということは、我々の中には深く刻み込んでおかなきゃいけないことだと認識しております。 それで、話はちょっとずれますけれ
ども
、そういう中で、我々はこの
憲法
二十一条というものを特に意識的に権利として守っていくと同時に、これを盾にしながら二度と同じ過ちを繰り返さないような
意味
で
出版
活動に携わっていきたいというふうには思っております。 以上です。
笠井亮
68
○
笠井
委員
ありがとうございました。
雑誌
に限らず、
メディア
の
取材
、
報道
のあり方をめぐっては、国民の中にもさまざまな
意見
や
批判
がある、問題も指摘されてきているわけですが、他方で
メディア
に対する
規制
の動きというのも強まっているということで、この間、
個人情報
保護法だとか
人権
擁護法案など
メディア
に対する
規制
を強化する動きがあるというふうに思うんです、先ほ
ども
ちょっと触れられましたけれ
ども
。今日のこうした動きや大きな流れをどういうふうにごらんになっているか。これは協会全体としてというのもあるでしょうし、そうでなければ個人的にでも結構ですが、どんなふうに見ていらっしゃるかということはどうでしょう。
山了吉
69
○
山参考人
これは
先生
に御指摘されるまでもなく、本当に
メディア
規制
三法と言われるものが提起されて、我々はそれに対する反対運動あるいは反対表明を、緊急表明も含めてさまざまな表明をしてきております。 それで、なぜこういう形で
メディア
が
規制
の対象になるのかということに関して言いますと、やはり政治的な動きがありまして、私、あるところに書いたことがあるんですけれ
ども
、一九九八年の参議院選挙の敗北というのが自由民主党の中にありまして、そのときに
雑誌協会
も呼ばれて、あることないこと書いて、おまえらのせいで負けたんじゃないかというようなことを言われた経験がございます。 それで、私
ども
のような
雑誌
がそれほどの影響力を持つのかどうかというのは別問題ですけれ
ども
、要するに、九八年からの動き、もうお亡くなりになりましたけれ
ども
、小渕政権からいろいろな法律ができ始めまして、そのときに、
個人情報
保護法、
人権
擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法というのが三法として出てきました。その後にも裁判員法、あるいはさまざまな、今度の国会でも共謀罪とか探偵業法とか出てきていますけれ
ども
、社会的に
メディア
がかかわるものに対しては、かせをはめていくというふうな動きは、やはりその影響力の大きさに対する権力のある種の本能的反応なんじゃないかという気がしております。 それで、その影響力というのはどこかといいますと、
新聞
も
放送
もそうでしょうけれ
ども
、
雑誌
も特にそうなんでしょうけれ
ども
、伝える
記事
が権力
批判
、政権
批判
ということがベースにあるんじゃないかということで、非常に神経質になられている
部分
もあると思うんですね。ですから、一連のこの動きは非常に政治的な意図があるんじゃないかというふうな形で、反論の
部分
にも私
ども
書いております、権力の腐敗とかあるいはある種の意図的な政策に対して我々が切り込んだ
記事
を、スキャンダラスな
記事
を再三連発しておりましたので、それに対する反応じゃないかというふうには思っております。 ただし、こういうことで
雑誌
はやっているばかりではございませんので、
雑誌
全体からいいますと、むしろ、今御
質問
の野党の方への
批判
もかなりな
雑誌
が展開しておりますし、それに関しても我々は自由に論陣を張っておりますので、必ずしも権力には、与党への
批判
だけではございませんので、その辺はちょっとお含みおきくださればありがたいと思います。
笠井亮
70
○
笠井
委員
政党に対する
批判
という点では、例えば事実に基づかないような
批判
もされているようなこともありますので、そういうのはまた大いに問題になっていくとは思うんですけれ
ども
。 関連して、
個人情報
保護法ですけれ
ども
、これは既に全面施行されているわけですけれ
ども
、この法律によって
雑誌
報道
の現場でどういうことが起こっているかということについてなんですけれ
ども
。 既に、この間、
雑誌協会
は法案の
段階
からアピールも出されたり、また、
山参考人
も参議院の
委員会
に
参考人
として御
出席
なさったという
お話
もありましたが、施行されてから、
日本
新聞
協会も先日、四月ですか、
意見
書を出したりしていて、従来は公表されていた幹部公務員の天下り先が伏せられるなどの情報提供の萎縮や情報の隠ぺいが進んでいるというようなことも書いてあったりしているわけですが、問題だというふうに言われていた危惧が現実のものとなっているのかどうか、
雑誌
の分野では具体的にそういうことがあるかどうか。どんなふうなことで
感じ
ていらっしゃるか、いかがでしょうか。
山了吉
71
○
山参考人
ございます。
取材
現場では、
個人情報
保護法で、これは私の
個人情報
でしょうということで拒否される
ケース
は多々あります。私はそのことを集めたことがございまして、事件現場とか周辺
取材
をしておりますと、その事件に
関係
ある方も含めて、私のことは私の権利だから絶対に書いちゃだめとか教えたくないと。例えば、昔は、
関係
者を卒業名簿で当たったりすると、何でそれがわかったのかということをしつこく追及されたりします。
個人情報
保護法が行政
機関
を守るようになったんじゃないかというのは、今、ここに出てくる前にニュースにもなっておりましたけれ
ども
、ある検事の方が自分の年齢を
個人情報
だから明かしたくないとおっしゃっていたというようなこととか、汚職の行政官の名前は
個人情報
だからということで防御されて出されないとか。 これは、もともとは行政法なんですよね。要するに、住民基本台帳法の
改正
で、カードをつくるために行政
機関
が
個人情報
をつくるに当たって民間にもこれを適用するということで、OECD八原則がありまして、国際社会の一員として生きるためにも
個人情報
保護法が必要だという
側面
はありますけれ
ども
、もともとはこれは個別法をつくるということで包括法としてつくられたんですけれ
ども
、これがひとり歩きして
プライバシー
法に今なっているんじゃないかと思うんですね。 それで、
プライバシー
を殊さら自分の利益として
主張
するための手ごろな法案というんですかね、
個人情報
保護法が制定されているから自分の
個人情報
は守られてしかるべきだということで、
取材
の現場では、本当に、その方の名前を出す出さないは
取材
してから御相談に乗ると言っているにもかかわらず教えていただけなかったり、官庁の
取材
が非常に難しかったりします。 それで、この
個人情報
保護法に関しますと、我々の現場だけではなくて、正直なところ、病院の入院患者の名前とか入院患者の状態とかということも本当に親族で身分がわからないと絶対に教えてもらえないし、クラス会とかの名簿でも、これを出すことは漏れるから出したくないというようなことでふさがっていますし、
新聞
も
放送
も私
ども
もこれほどまでに大きな弊害になるとは、匿名化社会、顔のない社会と言われていますけれ
ども
、このようになるとは思っていませんでしたので、影響は非常に大きくなっております。 ですから、もし見直しがあれば、審議会あたりで見直しがあれば、これはぜひ見直しを早急に
お願い
したい法律の
一つ
だと思います。
笠井亮
72
○
笠井
委員
次に、もう時間が迫ってきましたので、今議論になっている
憲法改正国民投票法案
、
国民投票
制度におけるマスコミ、
メディア
規制
の問題について若干の
意見
を伺っておきたいと思うんです。 先ほ
ども
マスコミの
報道
に
虚偽
があった場合とか事実を歪曲して記載したりした場合に
規制
するかどうかという議論もありましたけれ
ども
、
参考人
の御
意見
にあったように、大体何をもって
虚偽
、歪曲とするか、濫用ということも含めて浮かんでこないと、
立場
変わればということで、よって立つものによっていかようにもなるということでありましたが、私もそこのところは大きな問題点だと思っております。何が言いたいかわからないということだと売れないし、
読者
にすれば本質を知りたいということで、明確な
主張
を、なるほどと思うようなことを求めると思うんです。 さっきもちょっとありましたけれ
ども
、例えば、
憲法
九条を改定する
憲法改正
案が戦争をする国づくりだということで、
雑誌
が根拠に基づいて、裏づけを持ってそういう
主張
や論を掲載した場合、そのこと自体が
虚偽
とか歪曲などと
規制
されたら、まともな議論が成り立たなくなると私は思います。 さっきも伺っていて、四千五百ぐらい
雑誌
があって、いろいろな
ジャンル
があると。それぞれがそれぞれの
判断
でカラーを出しながら書きたいことを、根拠に基づいて、もちろん倫理も踏まえながらやるということで、全体として
雑誌
の中でいろいろな見方、
主張
がある。国民、
読者
に対してそういうことが提供されて、それが売れるかどうかというのは、結局は冷厳に国民が
判断
して、なるほどと思えば買うし、ああ、これはおもしろくないと思えば買わないしということで、
憲法
に賛成、反対という人が、それぞれ
雑誌
を手にしながら、あるいは見出しを見ながらということで読んだり買ったりするんじゃないかというふうに思うんです。 それを、個々に、この
雑誌
のこういう
報道
や
記事
は
虚偽
だとかあるいは歪曲だということを言い出してしまったら、これはもう
雑誌
の存在価値そのものが全体として成り立たなくなるんじゃないかというふうに、きょういろいろ伺いながら思ったんですけれ
ども
、その点についてはどういうふうに見たらいいんでしょうか、そんなふうでよろしいんでしょうか。お考えを。
山了吉
73
○
山参考人
全くそのとおりだと思います。 売れる、売れないとかいいますと、私は直截に言いましたけれ
ども
、結局、この資本主義社会の中においては、お金を払って買う価値があると思うからお金を出すのであって、買う価値がないと思ったらお金は出しません。要するに、ある種の欲望に沿って行動しているということだと思います。それは、読みたい、知りたい、見たい、考えたい、こういうことがもし
雑誌
にあれば、それをお金を出して買う、あるいは図書館に行って読む、そういう行為だと思いますので。 売れる、売れないばかりを言いますと、売れないものは何もやらないのかと思われるとちょっと語弊がありますけれ
ども
、そういう
意味
では、私は大きな
意味
では反響があるとかインパクトがあるとか訴求効果があるとかという言い方にした方がよかったのかもしれませんけれ
ども
、我々は、割合大衆の反応というのは物すごく冷厳だと思いますし、厳しいものだと思っております。 ですから、簡単に、
虚偽
だ、歪曲だ、濫用だというふうなことをもしやっている
雑誌
があれば、それはもう完全に見放されていくような
部分
が、もしそういうふうな見方をされるとすればなると思いますので、こういう要素というのはなくて、むしろ、あらゆる
言論
は、多様でさまざまな価値観に沿った形の
言論
があっていいというふうに見ております。
笠井亮
74
○
笠井
委員
ありがとうございました。終わります。
保岡興治
75
○
保岡
委員長
代理 次に、
辻元
清美君。
辻元清美
76
○
辻元
委員
社会民主党・市民連合の
辻元
清美です。 きょうは、本当にお忙しい中、お越しいただきまして、それも十日前に
お願い
して来ていただいたということで、本当にありがとうございます。 まず最初にお伺いしたいんですけれ
ども
、
国民投票
制度の議論というものについて、
雑誌協会
に属している
雑誌
だけではなく、
雑誌
業界の中で、こういう議論が始まっているとか、認知度ですね、どの程度あるんでしょうか。余り知られていないとか知っているとか。どんなものなんでしょうか。中で議論されているのかどうかも含めて
お願い
します。
山了吉
77
○
山参考人
これは先ほど何度も言っているので繰り返しになりますけれ
ども
、マスコミ倫理懇談会という、
新聞
、
放送
、
出版
、広告、すべてが入っている、ほとんどの大手が入っている
全国組織
がありまして、これの
月例会
というのを毎月開いておりまして、全国大会も開いておりますけれ
ども
、その中で、去年三月でした、今、
委員長
をおやりになっています
保岡先生
をゲストに迎えまして……。
保岡先生
、お連れになったのは法制局の方でしたか、その方と一緒に、当時の議連案になるんでしょうか。
保岡興治
78
○
保岡
委員長
代理 与党案ですね。
山了吉
79
○
山参考人
与党案になりますか。それを審議したときに、既に我々の
日本雑誌協会
の加盟社の中では二十社ほどがそれに対して
質疑応答
に参加しておりましたので、そのときには、
メディア
規制
が明確にありましたし、予想行為もだめだということだったので、かなり議論しておりましたので、そのときからはもう認知されておるというふうに考えております。
辻元清美
80
○
辻元
委員
その中で、最初の冒頭の御発言で、今、なぜ急にこの議論が国会の中を中心に始まったのかということについての
批判
もあったということを、先ほ
ども
質問
で詳しく答えていただきました。
憲法改正
の一里塚として
国民投票
制度が位置づけられるという
意見
もあり、それからその
一つ
の流れができているんじゃないか、そういう中に参加することについての
批判
もあったという御
意見
でした。 流れはできていませんので。私
ども
の社民党と共産党は反対しています。それは、六十年間なぜつくらずに来たのかということについては、戦後の
日本
の大きな社会構造や歴史、歩みと随分密着しているものであって、それを急速に、とんとんとんとつくってしまうということは非常に安易じゃないかというような思いで、私たちは、つくるにしてもかなり慎重な審議が必要なんじゃないかということを申しております。ですから、
雑誌協会
で今後この問題を取り上げられるときには、反対している政党もぜひ呼んでいただいて、そういう
意見
というのは、
日本
の空気の中、空気というか、公共空間の中にはそういう
批判
や懸念というのは、やはり
日本
の歴史の特殊性から見ても、
一つ
の大きな
意見
としてあると思うんですね。ですから、ぜひそれはこの場をおかりして要望を申し上げておきたいというように思います。 それに関連しまして、先ほどから
お話
を伺っていまして、
報道
の
規制
が何となく強まっているんじゃないかなという印象を受けました。
雑誌
というのは、
時代
のさまざまな問題を取り上げられますので、
時代
の空気を非常に敏感にとらえていらっしゃると思うんですね。そういう中で、今の
時代
の空気というか、
報道
の
規制
の問題も含めて、それから、権力のあり方とか、どのようにお考えになっているか、率直な御
意見
を伺いたいと思うんです。これは
憲法
そのものをどうするか、
報道
の、
表現
の自由な
ども
含む
憲法
をどうするかということにも
関係
してくると思いますので、率直な御
意見
を伺いたいと思います。
山了吉
81
○
山参考人
日本雑誌協会
が今までどういう声明を出してきたかということでお答えにかえたいと思います。
個人情報
保護法が制定されるときに、
個人情報
保護法というのは、先ほど言いましたように、
メディア
規制
という観点から見れば、特に
出版社
、
雑誌
にとっては
取材
の弊害になるということで三度ほど声明文を出すと同時に、緊急冊子を出したり、あるいは
意見
広告を出したりして、一丸となって
日本雑誌協会
は反対してまいりました。 また、
人権
擁護法案も、差別、虐待、公権力からの差別、こういうものと同列に
報道
による
人権侵害
というのが提起されておりまして、差別や虐待と
報道
による
取材
における
人権侵害
というのを同列に並べて、当時、文言の中に、ストーカー
規制
法というのがございまして、このストーカー
規制
法と同じ文言が
雑誌
によってなされているということで、実はストーカー
規制
法を読んでいたらほとんど同じ文言が出てきまして、待ち伏せとか、たび重なるファクスとか電話とか、
取材
の当たり前の行動なんですけれ
ども
ね、張り込みを待ち伏せとか書かれまして。何か、要するに
取材
活動そのものもストーカーと同じ行為だというようなことで
規制
されるということになっておりまして、これはとんでもない話だなということで、反対の
意見
表明書を二回ほど出しております。 それから、青少年有害社会環境対策基本法も、有害という概念、あるいは不健全という概念が不明確なまま歩き出しているんじゃないかということで、これも
意見
書を出しております。 その他は、裁判員法に対しても出しておりますし、先般来、犯罪被害者救済法に関しても、一部の
部分
でおかしいじゃないかということで
意見
書を出したりしております。 だから、今つくられている
メディア
規制
法と言われるものに関しては、
雑誌協会
としては、我々は問題点をこう考えるという
意見
書を何回か出しております。 そういう流れからいいますと、ますます、こういう活動は今までそんなに活発ではなかったのに、二〇〇二年ぐらいからはたびたび緊急招集して、今、
個人情報
・
人権問題特別委員会
というのを
雑誌協会
の中につくりまして、その特別
委員会
が活発に機能するような事態になっております。それが現実の空気の証左じゃないかと思っております。 以上です。
辻元清美
82
○
辻元
委員
それと関連すると思うんですけれ
ども
、
一つ
きょう
お話
しいただいた中に、戦前の翼賛体制という中での
表現
の自由の制限、封殺という言葉も出てきたように思うんですけれ
ども
、という御発言がありました。私は、今の
時代
、先ほどイラク戦争に対する
報道
の
規制
のような事例も挙げられたと思うんですけれ
ども
、戦前に全部戻るとは思わないんですけれ
ども
、何か国家がいろいろなところに介入するとか、それから、やはりこれは
憲法
の
改正
議論と
関係
してくると思うんです。
一つ
は、この
改正
議論の中で、どうしても九条が焦点になりますけれ
ども
、武力というものとどうつき合うかというところで、それに影響されて
言論
の自由や基本的
人権
の制限ということが出てきますので、ですから、そういう
方向
に私たちは反対をしているわけなんですけれ
ども
、今の
メディア
の
状況
からいって、何かナショナリズムをあおったり、そういう風潮を高めていくような懸念を指摘する人たちもいるんですけれ
ども
、そういうことは一切お
感じ
になっていないでしょうか。いかがでしょうか。
山了吉
83
○
山参考人
これは、
日本雑誌協会
の一員としての答えはちょっと……。そういう話を具体的に、
取材
活動及び
表現
活動における問題点というのはたびたび話はするんですけれ
ども
、ナショナリズムの問題あるいは九条に関する具体的な討論というのは、これは各誌それぞれ違いがございますので、これに対して統一的な話とかそういうことはしておりません、はっきり言って。それぞれの
雑誌
、個人としての見解は持っておりますけれ
ども
、
日本雑誌協会
の特別
委員会
では、今のお尋ねのことに関しては、具体的には、統一見解を持っていたり、話し合いで合意に達したりしたことはございません。
辻元清美
84
○
辻元
委員
それは先ほどからの
お話
で、いろいろな
主張
をする
雑誌
があって、これは健全なことだと思うんですね。ただ、先ほどから戦前の話が出ていましたけれ
ども
、やはり二度と同じような過ちを繰り返さないという点で、現場で働いていらっしゃるのでそういう空気みたいなものを、私なんかはちょっと
感じ
るわけなんですね、最近何か世の中ちょっと変な
方向
行っているのと違うというような発言もよくちまたでも聞くわけで、
雑誌
をつくる現場というのは敏感に
感じ
ていらっしゃると思いましたので、今のことを
質問
したんです。 ちょっとそれとも関連してなんですけれ
ども
、もしも
自主規制
ということが入った場合にどういう影響が出るのか。これはない方がいいというふうに私たちは考えております。ただ、一部入れた方がいいんじゃないかという
意見
もありますので、かなり萎縮してしまう可能性が出るのかどうか、率直な御
意見
を伺いたいと思います。
山了吉
85
○
山参考人
この
自主規制
に関しますと、もし実施されるということになりますと、萎縮というよりは、我々としては
雑誌
が成り立たない。この
憲法
に関して言うと、
記事
がつくれないんじゃないかと思います。というのは、
規制
をかけられてまで編集をするかどうかとなりますと、これは各
編集長
の
判断
になるでしょうけれ
ども
、かなり制約を受けると思います。 ですから、もし
言論
の自由に関するこの
規制
があった場合には、逆に言うと、これは
憲法
違反、今の
憲法
に対する違反なんじゃないかということで、むしろ、私はちょっと今わかりませんけれ
ども
、もし実施されたとなると、とんでもない形での反論か何かの行動に出る可能性もなきにしもあらずだと思いますし、各誌はそれを全然無視してやる
雑誌
もあるかもしれませんね。処罰の対象にもしなっていれば、では、処罰の対象になって、
訴訟
の場でやろうじゃないかみたいなことになるかもしれませんし、何か非常にとんでもない形で反応が起こってくるかもしれません。 今のところ仮説ですので何とも言えませんけれ
ども
、やはり、この
自主規制
というのは
言論
に対してはとんでもない措置だと思っております。
辻元清美
86
○
辻元
委員
今の御発言は現場の声として大変重い声ではないかなというように思いました。 そういう中で、もう一点、きょうの御発言の中で、選挙の折に、先ほど自民党に呼ばれてという話がありましたけれ
ども
、そういうように政党を、例えば、その案件の場合ですと、偏った
報道
じゃないかというような趣旨で参議院選挙の後に自民党に呼ばれたというふうな話がありましたが、どういうことを言われるんですか。ぜひ聞いてみたいなと思いまして。それはやはり
自主規制
とか
規制
とか、
表現
の自由の問題と非常にかかわっていますし、すべての政党にかかわることですから、御
参考
のためにお聞きしたいんですけれ
ども
。
勝見亮助
87
○
勝見参考人
私、連絡があって、私が直接行ったわけではないので、どういうふうな
内容
を言われたのかというのは、ちょっとその辺はよくわかりません。
山了吉
88
○
山参考人
連絡がありまして、話し合いをしたいということで。当時、自由民主党の
報道機関
に関する
意見
交換会という形であったんですけれ
ども
。これは私も直接は参加しておらないんですけれ
ども
、その当時参加しているスタッフはもうリタイアしたりして。まあ、少しは残っておりますけれ
ども
。 ただし、その話は、私
ども
と同じように、その場にいたときから、その当時から聞いておりますけれ
ども
、査問に近いような……。
雑誌
記事
で、あることないこと書かれてこんな目に遭ったとか、あんな目に遭ったということが、議員の方々が入れかわり立ちかわり
雑誌
記事
に対して厳しい反論をされたということなんですね。それは
意見
交換会なので我々も反論の機会はあったんですけれ
ども
、正直なところ、当時のOBの話によりますと、反論しようとすると遮られるし、とにかく一方的にまくし立てられる場面であったということを聞いております。そういうふうなことは確かにありました。
辻元清美
89
○
辻元
委員
今伺って驚いたんですけれ
ども
、やはり、
自主規制
とか
国民投票
制度を考える折にも、
表現
の自由を守るという
立場
は非常に大事であるし、各政党も大事なことだなというように今の
お話
を聞いて思いました。私自身も、どちらかというと
週刊誌
に登場回数が多い議員なんです。言いたいことはいっぱいあるんですけれ
ども
ね。 それで、
一つ
だけ伺いたいと思うのが
雑誌
の影響力なんです。
雑誌
とかテレビの
メディア
とか
新聞
など、それから
インターネット
も含めて、別々に考えられない
時代
に入ってきていると思うんです。よくあるのは、
雑誌
記事
で取り上げたものをスポーツ紙が取り上げて、そしてそれをワイドショーで取り上げるというような形で、結局、
雑誌
ではこの程度の影響かなと思っていることが、すべてのテレビ局などでだあっと取り上げられたりして。
メディア
スクラムと言われますよね、そういう
時代
に入ってきていると思うんですね。 ですから、やはり
人権
との
関係
とか、先ほどの御発言の中に
人権侵害
すれすれの場合があるという御発言もあって、私もちょっと納得するところもあったんですけれ
ども
。そういう影響力の大きさというものが、それから
インターネット
でさらにそれを取り上げる、それについての
意見
をお互いぶつけ合うみたいなこともあって、今までと違う
時代
に入っているなと。
雑誌
の影響力というのは世の中にどういうふうに及ぼしていると、現場でつくっていらっしゃる方は思われているんでしょうか。
山参考人
と
鈴木参考人
と、両方
雑誌
をつくってはるみたいですので、お伺いしたいと思います。 本当に、一斉にやり出すわけですね、だあっと。ですから、非常に私は影響力が大きくなってきていると思うんです。 〔
保岡
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
鈴木哲
90
○
鈴木参考人
影響力に関しては、今おっしゃるところは確かにあると思いますね。
週刊誌
発あるいは
雑誌
発で世の中を動かしていくためには、
雑誌
が単体でその影響力をすべて行使できるとは思いません。 そういう
意味
でいいますと、
雑誌
をつくっている側からの正直な言い方を言いますと、
雑誌
が独自に見つけてきた話、あるいは独自に発見した切り口、物の考え方、こういったものには実は著作権とかあるいは権利を留保できるわけじゃないんですね。ですから、それをもとにしてまた別の議論が起きるとか新しい考え方を付与していくとか、そういうことで伝播していく、まあ、第一次的にはそうではないでしょうが、その後ですね、ということであればいいと思うんですが、言ってみれば、もう少しほかの
メディア
の人も頭を使ってもらいたいなという
部分
はありますね。そうでないと、同じ情報を増幅して使っていくだけでは議論にならないと思うんですね。 我々が発している議論というのは、ただ単に
読者
に迎合しているだけでは受け入れられないわけですね。新しい見方を示したことで、それが時には強烈な反論を得ることもあるし、あるいは賛否両論巻き起こることもあるわけで、それが私たちの使命だと思っています。ですから、影響力ということでいえば、さまざまな
メディア
が我々の発した情報をさまざまな形で使っていっていただきたい、そのことで社会に貢献をしていきたいと思っています。 以上です。
山了吉
91
○
山参考人
ちょっと別の観点からいいますと、
雑誌
にネタを売り込む、あるいはネタを提供するというふうなことからいいますと、今の
日本
の社会の中では、
雑誌
だからやれる、
雑誌
だから恐らくこれは
報道
するだろう、
取材
を始めてくれるだろうというふうなニュアンスがかなりあると思います。ですから、
雑誌
発というのは、
雑誌
が震源になることは、今、
鈴木
氏が言ったような
意味
でいえば、全く社会的な影響力は大きいと思っております。 ただし、御
質問
のように、
インターネット
発というのもございますし、匿名の
インターネット
のサイトがかなりありますし、ブログもこれだけふえていきますと、今度
日本
で始まる、韓国の
メディア
が
日本
に上陸してきますけれ
ども
、こういう
インターネット
ジャーナリズム的なものもぼつぼつと出てきておりますし、あるいはテレビはテレビとしての
役割
も、もちろんかなり影響力は、もう
雑誌
どころではございませんから、ありまして、
雑誌
が必ずしも、昔
メディア
が非常に少ない
時代
よりもより影響力が大きくなったかどうかとなりますと、目立ちはしますけれ
ども
、それほど大きくはなっておらないんじゃないかというような気もしておるんですね。ある程度の影響力はもちろん持っておりますけれ
ども
、多
メディア
時代
に入って、
雑誌
もその一
ジャンル
にすぎなくなってきつつあるんじゃないかという危惧がちょっとあります。
辻元清美
92
○
辻元
委員
ありがとうございました。 ちょうど時間になりましたので、終わります。
中山太郎
93
○
中山委員長
次に、滝実君。
滝実
94
○滝
委員
国民新党・
日本
・無所属の会の滝実でございます。 きょうは、いわば骨まで切り込むような御発言もございまして、本当に
雑誌
というものの
状況
について改めて認識をさせていただいたようなことがございます。そういう
意味
で、私も二、三お聞きをしたいと思うのでございます。 私はもともと、
国民投票
制度は、国民に直接今の
段階
では実感がわかない、したがって、ある程度法案の制度の概要が固まってくれば、恐らくマスコミで取り上げられることになるし、その
段階
で初めて国民はわかってくる、こういう代物でございますから、なかなかこれに対する国民の認識というか、そういうものは期待できないというふうに思っていたのでございますけれ
ども
、先ほど来の
参考人
の
お話
を聞いていて、ある程度は悲観的な気持ちになったのかなという
感じ
がいたします。 といいますのは、先ほどからおっしゃっていましたように、
雑誌
の場合には裏面、断面、
側面
、そういうような切り口でお取り上げになる、こういうようなことでございましたから、
国民投票
の場合はどういう格好でテーマになるんだろうかというと、これはなかなか難しいなという
感じ
がするんですよね。 先ほど、
山参考人
が最初におっしゃっていましたように、
国民投票
制度も淡々としていくようだ、こういうことになってくると
雑誌
の出番が全くない。よっぽど
辻元
委員
にも頑張ってもらって接戦までいかないと、これはどうも
週刊誌
のテーマにはなりにくいんだろう。しかも、その切り口はやはり人ですね、人物を通して扱うということが
週刊誌
の場合の主流になるんだろうということを考えますと、実際にこの
国民投票
制度の賛成、反対に登場する人物というのはいかなる人物が考えられるかというと、これも抽象的な制度の枠組みの話ですから、なかなか難しいのかなという
感じ
がするのでございます。 そこで、そういう観点から、
参考人
にまず最初に
一つ
お伺いしたいのは、
国民投票
制度を本当に
週刊誌
で取り上げるという場面を想定した場合に、何かそういうようなことというのは仮定の問題としてあり得るのかなと。私はあり得ないと思うんですけれ
ども
、その辺の感想をまずお聞きしておきたいと思います。
山了吉
95
○
山参考人
最初にお断りしましたように、
雑誌
ジャーナリズムというのは、ニュースとして必要なものを、今度立法府ではこういうものが決まって、こういうものが今度発布されるから
皆さん
に伝えますという、そういう一次情報ですね、こういう事件が起こって、今高速道路が閉鎖になってどうのこうのというふうな、要するに現実に現象をそのまま情報として伝えるという
役割
を
雑誌
は担っていないということなんですね。 ですから、今おっしゃったような
意味
でいいますと、
国民投票法案
をめぐって実は水面下でこんな動きがある、例えば、正当な論争ではなくて買収行為とか、あるいは何らかの形の不明朗な動きがあるとか、あるいは
国民投票
制度というのを担っている非常に重要な人物が私生活上の非常に大きな問題を起こしているとか、要するに制度そのものに関しての何かというものからいいますと、これは
一般
論ですけれ
ども
、
雑誌
ジャーナリズムの扱う対象としては非常に地味なものではないかと思っております。
憲法改正
に関しては、扱っていない
週刊誌
以外は、
月刊誌
の
オピニオン誌
あるいは
月刊誌
はたびたびこの
国民投票法案
あるいは
憲法改正
是か非か、自民党の新
憲法
草案に対しての
記事
はかなりたくさん展開しております。それは、論者がちゃんとそれに対して論評を加えたり、諸外国との比較をしたり、いろいろな形でやっておりますけれ
ども
、
雑誌
の中でもそういう
月刊誌
、
オピニオン誌
以外がこの問題を取り上げるという機会は今のところ余り目にしたことがないし、これからもどうでしょうか、私も
先生
と同じように、ちょっと今のところ簡単にこの場でお答えできるようなものは持っておりません。
滝実
96
○滝
委員
ありがとうございました。 次に、マスコミ
規制
の問題についてお尋ねをしたいと思うんです。 お聞きしてまいりますと、テレビの場合もそうでございますけれ
ども
、活字
報道
の場合でも基本的に
自主規制
というのはあり得ないし、まず不可能だろう。こういうように
判断
をするのが自然だろうと思っているのでございますけれ
ども
、その際に、スイスやフランスでは少なくとも活字
報道
の場合には賛成、反対の
立場
を明らかにして、後は自由でいいよ、こういうようなことをとっている国もあるように聞いているわけでございます。 しかし、事
週刊誌
、あるいはその他の
オピニオン誌
じゃない
雑誌
の場合に、きょうの
お話
のように、初めからそういう色分けをして、自分のところは賛成であるとか、自分のところは反対であるとかというのは、しょせん
雑誌
の性格からして、あるいは
メディア
の性格からして無理だろうという
感じ
もするものですから、それはなかなか、それもまたそういうような観点からいろいろなことを注文をつけるのは難しい話だなということを言わざるを得ませんので、そういう
意味
では
自主規制
もあり得ないし、あるいは法的に賛成、反対をできるだけ明らかにして
報道
をしてもらいたい、取り扱ってもらいたいというようなことを期待するのは無理かなというふうに考えているわけでございます。 そこで、次に、そういうふうな前提に立って考えてまいりますと、
雑誌
は
雑誌
でもって実際の
憲法改正
の際にいろいろな人を少なくても取り上げていってもらう、そういうことは期待をしないといけない、こういうふうに思うんですよね。 その際に、ネックになるのは公務員に対する
規制
、あるいは教育者に対する
規制
、せめてこのぐらいのことは
公職選挙法
に倣って
国民投票
制度でも入れたらどうかという議論があるんでございますけれ
ども
。私は、前回テレビの際にも申し上げたんでございますけれ
ども
、
憲法
という大変かたい話ですから、多少はかたい専門家も呼ばないかぬ、呼んでもらいたいと。そういうときに、
憲法学者
とかなんかになると、これは国立大学の
先生
であったり、あるいは私大の
先生
であったり、要するに教育者という肩書を持つ人も出てくる。そうすると、そういう人たちに
国民投票
について何らかの
規制
を残すということになると、これは
雑誌
としても扱いにくい。こういう人たちのスキャンダルを掘り下げて扱うということはまず考えられませんけれ
ども
、
一般
的に、こういう人たちが
週刊誌
に出てきて専門家としてのコメントを載せるというのも、場合によってはいかがなものだろうかというふうになってくると、なかなか取り上げ方が難しくなるんじゃないだろうかなという
感じ
がしているんですけれ
ども
、こういうようなことについてどういうような受け取り方をされておられるでしょうか、お聞きしておきたいと思います。
山了吉
97
○
山参考人
今の御
質問
に対しても、前にもお答えしたように、私
ども
で、公務員、教師に対する制限とか、あるいは、当然二十にするか十八歳にするかとか、過半数を有効投票にするか、それとも有権者数にするかとか、いろいろな法律の細かいところがあるのはわかっておりますけれ
ども
、法律の具体的なことに関しての
会議
なり統一見解を持っておりませんので、
先生
の
質問
に対して、今、私は答えるべきものを持ち合わせていないとしか言いようがないんですね。ですから、申しわけございませんけれ
ども
、ちょっと
日本雑誌協会
としての見解はできないということで御了解いただければと思います。
滝実
98
○滝
委員
恐らくは、実際の今の
段階
では、まだそこまで、法案自体も外に出ているわけじゃありませんから、なかなか議論をされるような
状況
ではないと思いますけれ
ども
、そんなことも私は
一つ
のテーマとして考えていく必要があるだろうという
感じ
がいたしますので、改めてここで申し上げた次第でございます。 次にお尋ねしたいのは、先ほどの
北神
委員
でございましたか、
意見
が出されておりました。そのときのやりとりをお聞きしておりまして、
週刊誌
は、なかなか
週刊誌
として難しいなというようなことを認識させていただいたんでございますけれ
ども
。 そういう中で、これは
憲法
論議とは
関係
ない話なんですけれ
ども
、私
ども
も、時々、
週刊誌
を駅の売店で買う。そのときの買い方は、やはり
新聞
広告なんですよね、
新聞
広告を見て買う。しかし、その
新聞
広告を見て買うかというと、全部買うわけじゃないんです。
新聞
広告を大体見て、これが
週刊誌
として今話題になっているからという、話題のテーマを発見するために
新聞
広告を見るんですよね。それでもって納得して、ああ、今こういうことを
週刊誌
は注目しているんだなという
意味
で納得して、おしまいになる。こういうことになるわけでございますから、
新聞
広告といっても、見ようによりましては、これはかなり効果が薄いんじゃないだろうかな。あれを見て納得する人がたくさんいるわけでございますから。それでもなおかつ、
新聞
広告は必ず毎週毎週きちんとお出しになる。そういうようなことは営業的な観点からいってどうだろうかな。 そういうときに、例えば
憲法改正
なんかの問題が
週刊誌
の目次に出てくる、それが
新聞
の広告欄に出てくる。そういうようなことが出てくると、これは多少関心が、今話題のテーマという格好で国民に知られていくのかなという
感じ
もするんですけれ
ども
、その辺のところは、実際の
雑誌
の営業と編集と一体だというような観点からいって、どういうような
週刊誌
の取り上げ方が可能になってくるのかなということを関心を持っているんでございますけれ
ども
、それについて、極めて雑然とした話でございますけれ
ども
、感想があったらお聞かせをいただきたいと思います。
鈴木哲
99
○
鈴木参考人
新聞
広告は、おっしゃるように効果が計量できるものではありません。大きく扱ったから売れたとか、小さかったから売れないということではなくて、やはり、どういう
雑誌
をつくるのか、その中で何をどういうふうに取り扱うかということを広告するわけですから、
新聞
広告がそのまま誌面を反映していないということであれば、これは信用を失ってしまうわけですので、
新聞
広告だけで物を考えるということはありません。 ということでいえば、今おっしゃっている、今度の問題について
週刊誌
で取り上げることが可能なのかどうかということであれば、私は可能だとは思うんです。要するに、それは、今こういう議論を
皆さん
がなさっているのと同じように、この議論がもう少し広がっていって、さっき
週刊誌
は
週刊誌
の話法があるんだということをちょっと申し上げましたけれ
ども
、
週刊誌
の話法で
読者
の一人一人がこの問題について語るようになること、そういうときが来れば、これはごく真っ当に是か非かという議論が
週刊誌
のページをにぎわすことがあると思いますし、こういう問題についてはぜひそういう広範な
意見
の交換があった方がいいんではないかと思います。
滝実
100
○滝
委員
ありがとうございました。 所定の時間も過ぎているようでございますので、私の
質問
はこれで終わらせていただきたいと思います。
参考人
の
皆さん
方、大変ありがとうございました。
中山太郎
101
○
中山委員長
これにて
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
参考人各位
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただき、まことにありがとうございました。
委員会
を代表して、心から御礼を申し上げます。 次回は、来る二十七日木曜日午前八時五十分
理事会
、午前九時
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午前十一時四十七分散会