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石破委員 この
一般法は、今、PKO法とテロ
特措法と
イラク特措法と三つの法律があるわけですが、これをホッチキスでとめた
ような法律ではだめだと私は思っておるんですね。ここにおいては新しい概念が幾つか提示をされなければいけないだろうと思っております。これはお答えは要りません、私
どもの考えだけ申し上げておきます、ホッチキスでとめた
ようなものはだめだと。
一つは、国際標準に基づいたものにしなければいけない。
日本だけがいろいろな制約、もちろん
憲法の制約を超えることはできませんが、そのほかのいろいろな制約に基づいて
日本はこれしかできませんよ、ほかの国はいろいろなことができるのに
日本はこれしかできませんよということはなるべく排除をしていくべきだろうと思っております。
もう一つは、文民統制というものをきちんと徹底する仕組み、特に国会の関与というものをきちんと書き込んでいかねばならないのだろうと考えております。
そしてまた、空自が
人道復興支援を今度もメーンにするわけですよね。
安全確保支援もやるけれ
ども、
人道復興支援もメーンにするわけですね。UNAMIのものを運ぶということになればそれは
人道復興支援だ、こういう整理をするわけですね。それはそれでいいです、結構です。
安全確保支援もするけれ
ども、メーンは
人道復興支援だ、それはそれで結構ですが、
安全確保支援というものを余り表に出さない
ようにし
よう、出さない
ようにし
ようということがもしあるとすれば、私はそれは余り正しいやり方だと思わないですね。
治安の維持がきちんとできて
人道復興支援もできるのですよ。どこかの国が
治安維持という、ある意味、より危険な任務をきちんと果たしているからこそ
人道復興支援というのもできるのであって、
治安の維持ということに、
安全確保ということに
我が国が一歩及び腰の
ような印象を受けることは決して望ましいことだと思っていません。
そして、今の
イラクにおいても、法執行の主体として
治安維持をやるのはだれかといえば、それはオーストラリアがやっているわけでもない、イギリスがやっているわけでもない、
アメリカがやっているわけでもない。
治安維持はあくまで
イラクの
治安当局がやっているのであって、ほかの国はそのサポートということが法的な整理なんだろうと私は思っておりまして、そういう
ような
治安維持の
支援みたいなことも本当に
我が国はできないんだろうかということも今党内で
議論をいたしておる
ところであります。
さはさりながら、そういう場面になるとするならば、武器使用の考え方というのは本当に今までどおりでいいんだろうか。自己保存の自然的権利、それは確かに
憲法の認めるものですが、本当にそれと
憲法との間に「すき間」はないのか。
憲法が禁じておるのは
国際紛争を解決する
手段としての
武力の
行使なのであって、そこの「すき間」をどう考えていくのか、そういうことも
議論をしていくことが必要であろうと思っております。
そして、国際連合の決議がなければ絶対にだめなのか。どこかの国が拒否権を
行使したとしたならば
我が国は
自衛隊を国際的な
活動に
派遣できないのかということもぎりぎり
議論していかなければいけないことなのだろうと私は考えております。
今、ゴラン高原に
陸上自衛隊が
派遣をされております。海自、空自からも要員が出ておると承知をいたしております。ゴラン高原は、これはUNのミッションですから、
日本があれこれ言うわけにもまいりません。しかしながら、ゴラン高原においても、
隊員の安全の
確保というものは
日本としてきちんとやるべきことはやっていかねばならぬと思いますけれ
ども、だれが主体なのか、そしてどの
ような基準に基づくべきか、そういうこともちゃんとこれから
議論をしていき、官房
長官お答えの
ように、次の政権においてきちんと成就を見たいなというふうに私自身は思っておる
ところでございます。
最後に、もうすぐ八月十五日というのがやってまいります。私は、靖国云々という
議論をするつもりは全くございません。そのことはもうそれぞれがお考えになることだと思いますが、私は、何であの戦争になっちゃったのか、なぜ敗れたのか、そして、何であんなに大勢の人が死んだのかということについては、これはきちんと今を生きる者として考えていかねばならない、検証しなければいけないことだと思っております。
私、不勉強で、最近まで読んだことがなかったのですが、猪瀬直樹さんが「
日本人はなぜ戦争をしたか 昭和十六年夏の敗戦」という本を書いておられる。この本を読んでみると、昭和十六年の四月一日に、今の首相官邸の近く、キャピトル東急ホテルのあたりでしょうか、あそこに
日本国
政府は総力戦研究所というものを建てているのですね。そして、陸軍省からも海軍省からも大蔵省からも
外務省からも、ありとあらゆる官庁から三十代の若手の最もすぐれた
人たちを集めて、日米でもし戦争をやったらどうなるか、自由に研究してみろという研究所ができた。時の総理
大臣は近衛文麿、陸軍
大臣は東条英機であります。
昭和十六年の八月にその結論が出た。どうやったって勝てない、この戦争はどうやったって勝てない。最初の一年や二年は勝てるかもしれないけれ
ども、まさしく先ほど
議論させていただいた
ように、補給が続かない。南方を仮に一時的に占領することができたとしても、それを本土に運ぶ船、これが脆弱であり、それを守る艦隊が脆弱であり、だとするならば続くはずがないという結論が出ているわけですね。
商船がどれだけ沈められるかというデータを最初は持っていなくて、そのデータはどこなんだといって探して、どこにもない。結局、第一次
世界大戦でイギリスの商船がドイツのUボートに沈められた率というのを持ってきた。全然太平洋と大西洋で違うはずなのに、全然信用ならないデータを持ってきて、それでも戦争はできるというふうにして、やっちゃったわけですね。
彼らが総力戦研究所で発表した、そのときに東条さんが、講評というのかな、コメントを述べているわけですね。諸君がやったのはあくまで机上の演習であります、実際の戦争というものは君たちが考えている
ようなものではない。日露戦争でも勝てるとは思わなかった、しかし勝ったのであります。勝てると思ってやらなくても勝てることはあるんだ、戦いというものは計画どおりにいかない、意外なことが勝利につながっていくという
ようなことを東条さんは言っているわけですね。
やはり私たちは、自分たちに何ができて何ができないのか、今の
自衛隊に何ができて何ができないのか、ほかの国は何ができて何ができないのかということをきちんと見ていくことが必要なんだろうと思う。それが見られないまま、そして、この戦争は勝てないよと言う人がいたにもかかわらず、君たちのは机上の空論だ、戦というのは時の運なんだ。そのことで突っ込んでいったことに対して、私たちはもう一回思いをいたすべきなのだろうと思っている。
どうして、これから先、私たちの国が
世界の平和のために役に立つことができるか、責任を果たしていくことができるか。この
特措法の
基本計画の
変更ということを一つの機会として、そしてまた
一般法の制定ということも視野に入れながら、またよく考えさせていただきたい、
議論させていただきたい、責任を果たさせていただきたい、その
ように申し上げまして、質問を終わります。
以上です。