○吉岡
吉典君
アメリカのあの
大量破壊兵器をめぐる一連の宣伝、これは、別の人は、口実であって、目的は
フセイン打倒、中東支配だったと、こう書いているわけですけれども、あそこの中に謀略性が感じ取れないような
外務大臣では、私は世界の戦争の歴史から教訓を学ぶことができないと思います。
日本の戦前行った戦争からも我々は日本が繰り返してはならない教訓を学ばなくちゃいけない。同時に、
アメリカその他世界が行った戦争、その中から教訓を学んで、世界が謀略によって、虚偽宣伝によって戦争に引き込まれるようなことはないようにしなければならないと私は思います。そういう教訓を学ぶ姿勢が全く感じ取れないということを私は申し上げておかなくちゃなりません。僕は、
外務大臣にもこの「
アメリカの国家犯罪全書」という本を是非読んでもらいたいと思います。
いずれにしろ、時間が迫ってきたので、私は
結論に進まなくちゃなりません。
私は、二十二日の
委員会で、三月十九日付けの東京新聞で、
アメリカの
イラクへの最後通告を歴史的大敗北の瞬間であったと書いた記事の
意味の重さを感じ取りました。しかし、それは三月十九日、今、数か月たちました。今、数か月たった時点で、我々は
イラクの事態を見詰めることができるわけです。
四か月たった時点ではいろいろな本も出、例えば私は、寺島実郎さんらの「
イラク戦争」という、これもつい最近出たばかりの本も読んでみました。そして、そういう中で、大義のない
アメリカの戦争が成功することがないという見通しをはっきり述べられている。この本で寺島さんは、
アメリカの戦争の大義は崩壊し、
アメリカニズムの終えんということさえ見通せるということを書いています。
私どもは、そういう時期に
自衛隊を海外に派遣しようとする、私は、日本の
政府にも、また与党にも、日本の
国民の、我々のすべてが過去の戦争からの教訓も学びながらこの歴史的な大転機に正確な対応をしなければならないと思います。
昨日の本会議で吉川議員がたしか触れたと思いますけれども、一九三一年九月十八日、満州事変の始まりです。これは、関東軍の謀略によって始まったことは、これはもう公表されている
外務省の文書でも明らかです。
この関東軍の謀略だという現地の領事館から
外務省へ送られてきた文書は、三月十九日の
閣議で幣原
外務大臣が読み上げて全閣僚が知るところとなり、そして満州事変の不拡大という方針が決まりました。ところが、軍は従わなかった。そして、三月二十二日の
閣議では不拡大という方針を
政府も変えました。その変えるときの変え方、これは私は中谷前
防衛庁長官にこの
委員会で確認を取りました。防衛研究所にある資料によって明らかになることは、これに賛成する者一人もなしと、しかし反対する者も一人もなかったと、だから反対はなかったということで
閣議は満州事変へ突き進む決定を行った。沈黙の共犯ということが戦後言われております。
私は、新聞によると、
政府部内でも、また
外務省でも
防衛庁でもこの問題にそろって積極的にこの法案で行こうということではなかったということが書かれているのも読んでいます。私は、沈黙の協力ということを行わない、かつての教訓を生かした
判断を今、日本は、
政府も与党も議会も野党もすべてが行わなければならない重大な時期だと思います。私は、この謀略的なやり方で始まった戦争、そして今、泥沼化しつつある、
総理大臣自身が安全なところがあるということを言えない、こういうところへ
自衛隊を送っちゃならないと思います。
それで、私、この前も一言触れました。多数決で決めなきゃならないこともあるんです。しかし、こういう
自衛隊を危険なところへ送る問題、こういうことは多数決で決めていい問題ではないんです。
私はそのことを申し上げまして、
官房長官の御
意見をお伺いし、時間があったら三人に一言ずつで結構ですから
答弁求めたいと思います。