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参考人(金
敬得君) 当事者にかわりまして若干の意見を述べさせていただきます。きょうはお招きいただきましてありがとうございました。
私は約十年ぐらい前に、今、横浜の病院におられます
石成基さん、きょう皆様に資料をお渡ししておりますが、という方に初めて出会いました。マーシャル群島で爆撃を受けて右腕を切断した方でございます。今、第三項症ということでございまして、もしこの方が
日本国籍を有しておるならば現在まで受領できた
年金額は八千万円に達する人でございます。しかし、
韓国人であるがゆえに全く
補償を受けられずに現在まで至っておる人でございます。
この方が、今病院に伏せっておりますが、よく言われる言葉の中に、私
どもはぬれぞうきんだと。戦前は天皇の赤子だということでおだてられて、戦争が終わればぽいと捨てられたと、よくこういう言葉を口に出します。五二年に
援護法ができまして
国籍条項が設けられるわけですが、同じ
日本帝国臣民として戦争に従事しながら、戦争が終わったら
国籍がないという形で切り捨てられるということは納得できないということで、
政府、各官庁に何度も請願に足を運んでおります。しかし、そのときの言葉は、
日韓請求権協定ができればこれはあなた方の問題も
解決されるから、それまで待てというのが一つの回答でございました、
日本政府の。
しかし、一九六五年の、
先ほどのアジア局長の
答弁にもありましたが、六五年に
日韓請求権協定が成立するのでございますが、この
日韓請求権協定に関しましては、
日本側
政府の
考えは
先ほどアジア局長が答えたとおりでございますが、
韓国側はこれとは全く逆の
立場をとっております。
韓国在住の
韓国人に対しては
日本政府の解釈と一致しておりますが、
在日韓国人の
財産、
権利、
利益に関しては、これは
日韓請求権協定第二条において
協定の
対象外となっておるということで、したがって
韓国が
国内法でつくられた
法律の中からも
協定の
対象外である
在日韓国人は除外されたわけでございます。
言ってみれば、
韓国政府に対して要求すればそれは
日本政府が責任を負うべきである、また
日本政府に対して要求をすればそれは
韓国政府が責任を負うべきであると、こういう
状況で、言ってみればキャッチボールのような形で実は現在まで至ったということでございます。
韓国政府の
答弁は一貫しております。これは皆様のお手元の資料に、ことしの三月三十日の憲法裁判所、
石成基さん等
日本で訴訟を提起しております
方々が、九八年に
韓国の憲法裁判所に、
日本の
政府に対して
韓国政府の側から仲裁
委員会の開催要請をしてほしいと、これは
日韓請求権協定の第三条で定められた条約上の
権利でございますので、それを何とか行使してもらえないかということを憲法裁判所に訴え出たものでございます。
しかし、これは、そういう高度の政治問題は
政府の裁量であるので、中身としては、
韓国政府は
日韓請求権協定で
解決しておらないというふうな解釈をとっておるけれ
ども、それを仲裁という申し入れをするところまでは
日韓の外交上のさまざまな問題を考慮してするところではないと、現状では、そういう
答弁になっておりますが、しかしその中身については終始一貫したものがあるわけでございます。
もう一人、
東京高裁の
判決の
原告であります陳石一さん、九四年に亡くなりましたが、この方はボルネオ沖で爆撃を受けまして左足を切断した方でございます。この方と私はお会いして、よく言った言葉が、切断されてなくなった左足の足の裏がかゆくて仕方がないと。神経があるわけですね、その足をかきたいんだけれ
どもかけない。これは、彼が
日韓の間に、
石成基さんと同じように
日韓両
政府に何度も何度も訴えるわけですが、隔靴掻痒の感があって、何度もどちらに言っても答えが出ないという、彼のこの間の苦しみをそういう自分の足のかゆみに比喩して言った言葉だと
思います。
とにもかくにも、非常に
議員の
方々の御苦労、そういう
日韓の間で非常に意見の一致がないままに今回
法案が提出されておる御苦労はわかるわけでございますが、東京高等裁判所の九八年の
判決は、これは
日本の司法消極主義といいますか、高度の政治問題であるので
日韓の
請求権協定の解釈自体は回避いたしました、
日本の東京高等裁判所は。しかし、
日本に住んでいる
在日韓国人は
日本国民に準じて処理するのが事案にふさわしいという付言を出しております。今回提出されたその
法案が、果たしてこの付言に十分こたえ得るものになっておるのかどうなのかということをよく御
審議いただきたいと
思います。
それから、
先ほど帰化をした方も今回この中に含まれておるという
河合議員のお答えがございましたが、実は
日本の援護行政は、
日韓請求権協定までに帰化をすれば
在日韓国人、
台湾人、朝鮮人は
援護法の適用を受けられるという
措置を長らくとってきていました。
私が存じております、これは訴訟はしておりませんが、大阪に在住しておりますある
在日韓国人の婦人は、夫がフィリピン戦線で戦死した方でございます。この方は実は帰化をしたのでございます。帰化をしたんですが、帰化の許可が一九六六年、
日韓請求権協定の一年後でございました。帰化をすれば
年金がもらえると思って帰化をするんですが、帰化をした時期が
日韓請求権協定後であったがゆえに何らの
補償を受けられずにいる。
こういう
方々に対しては、
日本の
遺族会の方が寄附をもらいに来るらしいです。あるいは近所の人々が、戦死した人の
遺族だという話を聞いて、いいね、
年金たくさんもらえてと言うらしいのです。しかし、彼女は
日本の戦後社会の中で帰化をしたということを伏せて、そういう声も出せずに、一体自分の夫の戦死は何であったんだろうか、
日本における戦後というのは何であったんだろうかと、いつも私
どもとお会いしたらそういう発言をいたします。
そういう
在日韓国人の心情からいきますと、今回出ております
与党案と野党案、何とか一本にして合体して
法案がつくれないものだろうかというのは希望でございますが、
先ほど千葉景子議員の御発言がありました
姜富中さんは、こういうことも言っております。なぜ私
どもがこういう
補償を求めるか、これは
補償だけを目的としているのではありません。「
日本政府の戦争責任が正しく実現されることが、これからの世代の人たちに国境を超えた真の信頼と友好を、生み出してくれると信じております。」と言っております。
陳石一さん、きょうはその御子息の方が傍聴に見えておりますけれ
ども、陳石一さんはいつもこういうことを言っておりました。「私にとって
日本という国は何だったのか、また、
日本にとって私は何だったのか」と。実は、この陳石一さんの疑問は、
日本で生まれ育った私
どもは二世になりますが、
在日韓国人、一世も含めて、いつもそれを
考えながら戦後生きてきた人間でございます。大
日本帝国憲法下、
日本帝国臣民として
日本に来た人々でございます。
しかし、戦後、
日本国憲法のもとで、
日本国憲法は主権在民、
基本的人権の尊重、恒久平和主義が三権確立されておりますが、我々
在日韓国人は、主権在民の民と
日本の社会でいつそういう
認識を
日本の社会に持ってもらえて、それから
基本的人権の主体となり得るか。
なぜそれを求めるかといいますと、まさに我々こそ植民地支配あるいはそういう侵略主義の犠牲であって
日本に住むことになった、
国籍と居住は分かれておりますが。いかなる人間も民族や
国籍を選んでこの地に生まれることができません。しかし、この二十一
世紀を目前にするこの現状にありまして、
在日韓国人はそういう侵略主義、植民地主義の犠牲であるけれ
ども、何とか
日韓の溝、間隙を埋めることによって、それはみずからの
日本における人権を確立することによって、本当の
日本の平和の使者として、アジアにおける平和の使者として
日韓のかけ橋の役割をしていきたい、そういう願いがあるから実はこういう運動をしておるわけでございます。
今回の
法案が提出された御苦労は非常に
理解いたしますが、しかし
日本と
韓国の
日韓請求権協定に関する
見解の不一致がこのような状態のままでこのような
法案がつくられざるを得ないということに対して、やはり若干の
在日韓国人としての懸念といいますか、今後ますます
日韓の
見解が縮まるような御
努力もしていただくということをお願いして、簡単でございますが、終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。