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岩永分科員 岩永でございます。
中山大臣以下、政務次官、皆さん方には、本当に大変な御心労、また、こうした
予算委員会におけるすし詰めの会議に大変な感謝を申し上げる次第でございます。
きょうは、私こうして質問に立たせていただきましたのは、
大臣におわかりいただきたいのと、それから、
建設省並びに公団の
努力で大変大きな成果を上げた事例がございますので、ひとつそのことの御礼並びに今後の見通しについて
お話を申し上げたい、このように思っております。
実は、吉野川の住民投票の問題でございますが、私は、なぜああいうことが起こったのか、今でも大変残念な思いをいたしております。国の行政並びに政治の大きな責任は、人の生命財産を守ることだ、このように思っておりますし、ああした井堰ができ上がらないと、今後本当に住民の皆さん方の生命財産が守られていくんだろうかどうだろうか。
だから、あのプロセスなり今までの経緯をずっと振り返ってみますと、住民というのは、相対立した状況の中で理解し合うことはできないのかどうか。私は、政治の
努力が実を結ぶと必ずやそうしたものは解決できる。ましてや、日々災害におびえながら
生活している住民がいるわけでございます。そこへ徳島市という大きな市の住民があの井堰に対して住民投票をする。だから、直接被害を受ける皆さん方と、景観やそういうものに対しての関心のある部分とが今回不幸にもバッティングしてしまった。そして、一方の住民の皆さん方の投票がやられて、あの徳島県という
地域の中で相互に理解ができ合えないままあの住民投票がああいう形で終わった。そして、そのことが全国的に、全体的にあたかも正しいことであるかのような結果が出た。
私は、ああいう事実を見るにつけ、確かに
公共事業に対するいろいろな問題が提起をされております。しかし、その問題は、真にその
地域の
経済性や生命を守る、そういうことの正しい判断に立ってなされたものかどうかということを考えますと、これから政治なりまた行政がもっともっと
努力をして、最終的にやはり相互理解の中できちっとした部分を生み出す、そういうものでなければならぬのではないかというような気がしてならぬわけでございます。
あの結果が出たときに、私も、決算行政監視
委員会ですぐそのことをお尋ねしたい、このように思ったのですが、残念ながら、国会が野党の出席を見られないまま推移したというようなことで、決算行政監視
委員会も開催されずに終わりましたので、いつかの
機会に、
自治省をも含めて、ああいう住民投票のあり方について一度
大臣にその本心をお聞きしたいと思いますし、これからああいうことが二度と起こらないシステムというものをひとつきちっと
構築してもらいたいな、こんなことを思っているところでございます。
それで、そういうことを踏まえて、実は、
公共事業と福祉という大変大きなバッティングを滋賀県ではいたしました。これは、第二名神高速
道路が今着々と建設にかかっていただいておるわけでございますが、草津市に今の名神と第二名神とをつなぐジャンクションが実はできる、そのインターチェンジのところで起こった問題でございます。
最初、
平成九年の十月でございましたが、私の秘書が、ひとつおやじさん、草津の養護学校並びに草津の第一びわこ学園からこういう要請があるんだ、現場を見てくれということで私のところへ参りまして、即刻私が草津の養護学校、第一びわこ学園に走りました。そして、校長
先生や父兄の代表の皆さん方、並びにその運動をしている教員の皆さん方にお会いいたしましたところ、
岩永さん、実はこの養護学校のほんの三十メーター近くに第二名神高速
道路が走るんだ、もう騒音だとか粉じんの公害やら明らかに出てくるだろうと思う、これは大変な問題だ、こういうようなことでございましたので、私も、その養護学校の三階に上がりまして、どのあたりに第二名神高速
道路が通過するのかなということで現場を見てみますと、本当に間近にそれが走る、こういうことでございます。
草津養護学校の現状でございますが、知的障害と肢体不自由障害の児童が約百名ほど通っております。そして、第一びわこ学園は、重度心身障害者の入所施設なんですが、ここにも約百名の知的障害児が入所しておられるわけでございます。私も第一びわこ学園へ一度見学に行ったことがございますけれ
ども、もう自分の体すら動かすことができない、本当に寝たきりで、何ら自分で自分の意思どおりに体を動かすことができない、本当に重度心身障害児の方でございます。
この現実を見たときに、私が即座に感じましたのは、一方は滋賀県の福祉ゾーンである、一方は日本の国の
公共事業で、今まさに
経済や
地域発展の根幹になる施設がつくられようとしている、これはバッティングしてはならない、福祉と
公共事業の対立を起こしてはならない、そこから出ている政治家の一人としてこの問題には積極的に取り組まなきゃならぬ、そのときにこんな思いを持ちました。
時あたかも、その草津養護学校並びに第一びわこ学園から請願が出ておりましたので、これはやはり弱い立場の方々の請願だ、すぐ自由民主党の議員会に連絡をいたしまして、ともかくこの請願は採択しよう、そして採択した状況の中からこれから皆さん方と話し合おう、こういうことで採択をさせていただきました。この採択に際しましても、公団や
建設省並びに県の土木におきましては大変深い理解をいただいたわけでございますし、その採択を起点にして実はこの問題の解決がなされてまいったわけでございます。
先ほども申し上げましたように、特に第一びわこ学園の重度心身障害児というのは、呼吸機能が基本的に低下をしている、そして排たん、たんを排出する、そういうような気道クリアランス機能というのが大変弱く、各種合併症を非常に併発しやすい、こういうような問題がありますし、その子らの約半数の死亡原因というのは、呼吸器感染症による死亡でございます。だから、自動車の排気ガスに含まれる二酸化窒素やディーゼル排気の微粒子というのは人間の呼吸機能を弱める、こういうことも具体的に言われているわけでございますので、そういうようなことを率直に受け取って、そういう問題がありますよというようなところから実は出発したわけでございます。
しかし一方、第二名神高速
道路は滋賀県の長い間の懸案事項でございましたし、その
地域におきましては本当に心からの悲願でございまして、滋賀県はもとより、滋賀県の
経済界、また名古屋
経済圏と
大阪経済圏をまたぐ大きな機能を実は有しているわけでございます。私は、このことの誘致のためにも県会議員当時から大変な
努力をいたしました。
滋賀県の草津、栗東、大津、守山、中主、私の選挙区は今人口の増加率が〇・九八%と日本で一番でございますし、二番が埼玉、三番が沖縄というように、大変な人口の伸びを来しております。そして、滋賀県自身がそうでございますが、湖南
地方は一・五九%という、滋賀県の中でも特に人口の伸びの高いところでございますので、それだけに期待感も大変大きい。だから、福祉とその第二名神高速
道路という
公共事業との整合性というものを図らなきゃならぬということで出発をいたしました。
県におきましても、県の公害調停になりまして、何と
平成九年十二月、約二年ちょっとの間に二十四回の公害調停が実は行われたわけでございます。当初は、もう一回アセスをやり直せとか、高速
道路の位置変更ができないのかとか、大変厳しい要求でございました。
だから、請願を採択して以来、基本的にそれらの話し合いがきっちり持たれるべきだということで、公害調停を表の部分とすれば、裏の部分で、
道路公団なり
建設省それから県の土木、そして議会、それから例えば両方の弁護士、またその学校の
先生方、PTAの方々、本当に裏でもう並々ならぬ
努力が実はあったわけでございます。そして、その二十四回、一回一回開かれる調停
委員会の中の事前の話し合いというものはすさまじいほど、もう腹を割って、本当に両立することができないかという話し合いをされました。
私は、よくぞ公団も、またうちの滋賀国道
工事事務所、また県の土木、そして県議会も、それに本当によくこたえてくれたな、むしろこれだけ大きな
計画を、どう福祉のゾーンとそれから
公共事業とが一体となってやっていくか、そういう
努力をよくぞしてくれたなという感謝の気持ちで今いっぱいでございます。
また、相手のPTA、学校の
先生方、そして弁護士の方々も、その一々に対して裏で実はおこたえをしてくれたわけでございます。だから、表での衝突というのはほとんどなかった。一時ちょっとデモをするというような形のものが出かけたわけでございますが、しかしながら、お互いの誠意による話し合いによってそういう表に出る部分にまで至らなかった、こういうことでございます。
それで、最終的に、きょうの新聞でございますか、草津の第二名神
道路のインターチェンジ、「公害調停まとまる 可能な限り影響低減を」というような形で新聞に載るまでに至りました。そして、三月十五日には具体的に協定書を結ぶというような状況になったわけでございます。
むしろこれが相反する状況の中で推移したとしたら、それこそ福祉か
公共事業かという状況になりますし、またこの国会においても、
環境庁長官あたりを踏まえてのこの問題に対する議論もあったわけでございますが、しかし、大きな議論に至らない、内部の相互の
努力が払われたということで、本当に私は安堵の胸を実はなでおろしているところでございます。
こういう状況にまで御尽力をいただきました
建設省当局それから学校当局に、きょう、この場をおかりいたしまして、政治家の一人として改めて心から感謝を申し上げる次第でございます。
一方、吉野川ではああいう事態があった。しかし、滋賀県ではこういうすばらしい結果を生むことができたのです。また県も、養護学校の増築の問題、またプールの移設等の問題、県が県としてなさねばならない
努力も、大変大きな
努力を払ってくれました。
大臣におきましては、そういうことを踏まえて、今回この公害調停がまとまり、相互の理解が得られた、こういうことに対するお気持ちをお聞かせいただきたい、このように思う次第でございます。