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吉岡吉典君 今の
答弁も私はやっぱり誤解が残る
答弁になりかねないと思いますね。
西村議員はこの間の
国会論戦で、我が国の救出部隊の軍規の公正さを大いに強調しておられます。こういう
議論がおっしゃるように今もあることは事実です。
しかし、この義和団事件というのは、私もその
実態は最近まで余りよく知らなかったんですが、当時大問題になっている事件で、当時の新聞を読んでみると、どういうことをやったかが詳細に書かれている。それから、このときの日本軍が中国の金銀などを略奪したということで議会でも大問題になっておりまして、私は、その質問主意書やら論議は大体目を通したつもりです。
帝国議会で大問題になっている事件で、軍規が正しかったなんと今では言えるものではとてもなくて、当時の陸軍
大臣児玉源太郎が天皇に対して責任をとって
辞任の文書を書いた。その草案が
国会図書館にちゃんとあります。私はそれも見てきました。それによりますと、「北清事変ノ為メニ派遣セラレタル我陸軍ノ将校ニシテ不正ノ掠奪ヲ恣ママニシ、若クハ軍隊ノ押収シタル財物ヲ私シテ、以テ自ラ利シタル者太タ少ナカラス」、こういうことがあったので大変申しわけないから
辞任するという、なかなか読みにくい達筆の奏上文が
国会図書館にあります。
そういうように、日本の陸軍
大臣が
辞任する、連隊長が逮捕される、大隊長が逮捕される。逮捕者も出て当時の新聞はもう大々的にキャンペーンをした問題で、これは軍規が正しかったなんといって
国会の速記録に残っていますけれ
ども、こういう状況ではないんですね。
八カ国連合軍が出て、外国の軍隊の参加者もこれについては当時たくさんの記録を残しております。その当時の記録を見ますと、各国の軍隊が全部一流の略奪者だった、そういうふうに書いて、日本はあるいは比較的程度は小さかったかもしれません。その比較が大事じゃなくて、やはり日本も加わったんだということが外国からも記録され、そして中国では外国のそういう記録もとりながら、今でも繰り返し繰り返しこの事件でどんなひどい目に遭ったかということを、向こうの雑誌でも、人民日報などでも書き続けている問題なんです。こういう事件を、軍規が正しかった、そしてこれに学んでやれということになるとぐあいが悪いんですよ。
これはよその国の人が書いただけじゃなくて、北京籠城事件を指揮したということで有名になった柴五郎という中佐が事件の直後にやった講話がちゃんと本になっています。これは福島県立図書館でコピーをとってきたものですけれ
ども、これを読んでみると、これじゃ中国の人が怒るのも無理がないなと思うんですね。
明治三十三年、一九〇〇年の八月十四日に北京をついに連合軍が占領したと。日本軍よりもイギリスとアメリカの軍隊が先に入った、しかし彼らは北京の地理を知らない。我々は後から入ったけれ
ども地理に詳しいので、「英、米軍は既に十四日の午後に北京に入って居り日本軍は夜遅く入ったのでありましたが、他国の兵は不案内敵手を着けずに居りましたので。十五日の朝早く日本兵を出して、大蔵省、米倉、其他役所の主なるものを占領致しました、其れが為めに当然の戦利として殊に価値のあるものは殆んど悉く日本の手に入りました。」という手柄話を、帰ってすぐ講演をやって、それがこういう本になって当時も出ているわけです。
こういう歴史があったものを、軍規が正しかったとか、もう一回そういうことを学んでやらなきゃいかぬというのが速記録に残ったままになっているのは、また
危機管理と言ってあれをやるということに私はなりかねないなと思って、これは百年近く昔のことですけれ
ども、古い時代のこととしないで、私なんかもこんなことをやったことを近年まで知りませんでしたけれ
ども、こういう論議があるので、こういう雑誌も出るのでどういうことかと思って調べてみてびっくりしたところなんです。
そういうわけで、
危機管理と言うけれ
ども、どういうことをやるかということはやはりきちっとしておく必要があると私は思っております。
それから、ついでですが、邦人保護という形で
海外へ出た事件が数多くあるわけですけれ
ども、日清戦争の際の朝鮮への出兵、これはどういう
目的だったんですか。これは外務省ですか。