○
山本(有)
委員 数々お聞きいたしてまいりますと、
記憶も定かではないというところが間々あるわけでございます。
山崎議員に対する怒りは怒りとして、事実は案外別なところにあるのかもしれません。どうかひとつ、
証人の
記憶が明らかになり、違う事実が出てきた場合には、ことを改むるにちゅうちょなくお願いしたいと思います。
次の
質問に移ります。
私は、どうも
証人と
山崎議員との
関係が破綻したことが不思議でなりません。その理由について
証人の書いた
手記には、
山崎氏に「今後の付き合い方はどうしたらいい」と国税の査察後尋ねると、「
山崎議員は即座に「一年か一年半会わんでくれしと言い放ちました。」とあります。それで立腹する必要は、私には毛頭ないと考えられます。一年半会わないようにするというのは、お互いの立場を考えますと当然のことであります。そしてこの言葉の裏には、ほとぼりが冷めたらまた再び親友としてつき合おうという友情が込められていると思うのであります。真実は別にあるのではないでしょうか。
平成七年十一月十日、
大阪国税局の査察がありました。書類、会計帳簿一切合財持っていかれた。
証人の不明朗な会計では、直ちに所得税法違反が明るみに出てしまいます。そこでまず十一月十三日、三日後、
証人は
山崎議員にある種の期待を込めて、国税の査察があった、そのうち
泉井という名前が世間に出てくるかもしれぬからお知らせしますという趣旨の電話をかけられた。けれども、一向、
山崎政調会長が国税に働きかけをした形跡はない。
そこで十一月十五、六日、東京に出かけてきて
山崎議員の個人事務所でお会いになり、直接、政調会長という立場なら国税に電話一本かけるだけで税務
調査は中止になる、何とか国税庁に働きかけてみてくれないかと、
証人にしては、これまでの
つき合い、その立場からすれば全く別人のような気持ちで辞を低くし、懇願するようなつもりで
山崎議員に頼んだ。しかし、この
山崎議員は多少のお茶を濁すということもなく、言下にそれはできぬと断られてしまった。
証人としては、立場もメンツも丸つぶれ、いわば逆上してしまったということではないかと思います。
時の政権の地位にある与党の政調会長の権限がいかに強大であるか、
証人は政官界に極めて詳しいだけに、十分過ぎるほどわかっておられます。日ごろ大蔵省の
人間との
つき合いもあるから、予備知識など十分あり得ました。だからこそ
山崎政調会長への期待度が大きかった。大きな期待を裏切られたとき、人は激怒するのであります。
さらに、金策に窮し、
保釈される前後に
資金援助を各方面に依頼した。
自民党以外の
政党所属の
議員から
多額の援助を受けた。
山崎議員には再三申し入れたが、全額
渡辺事務所に入金している以上、
証人への援助は無理であった。
証人はますます
山崎議員への落胆が著しくなった。このとき恐らく
証人の気持ちは、かわいさ余って憎さ百倍という心境になられたのではないかと私は思います。
証人は、
山崎議員に国税庁への働きかけ、すなわち査察に伴う税務
調査の中止を依頼したことがあったのではありませんか。はいかいいえでお答えください。