○
参考人(
山口二郎君)
山口でございます。
きょうはこういう機会を与えられまして大変光栄に思っております。心からお礼申し上げたいと思います。
私は、
政治学を
専門にしております
関係上、今の
国会法や憲法の解釈の問題ではなくて、これから
制度を改革する場合にどういう
観点から
考えるべきかということについて私見を申し上げたいと思います。
まず、
国政調査権のあるべき姿を
考える際に、
議会政治というものが一体いかなるものかということについて
考えることから始めたいと思います。
一般的に申しまして、
議会政治には
二つのタイプがありまして、
一つはイギリスのようないわば
議院内閣制における
議会政治であります。イギリス型の
議院内閣制におきましては、与党が
議会において過半数を占める、そして内閣を構成し、行政部を監督するということでありまして、与党において立法権と行政権が融合するという大きな特色があります。統治の最高責任者であります内閣総理大臣は
議会の信任に基礎を置くわけでありますから、当然、
議会においていわば多数を支えるための
政党の結束というものが必然的に必要になってまいります。したがって、
政党を単位とする
議会運営というものが
議院内閣制においては必然的な帰結となるわけであります。
こういう権力の融合及び
政党を単位とする
議会運営という
二つの特色から導かれる帰結といたしまして、いわば
議会が独立した主体として行政権がかかわるさまざまな腐敗やスキャンダルを追及するということは非常に難しい。何と申しましても、多数を占める与党というものがみずからの指揮監督する行政権において発生した腐敗や
不祥事というものを積極的に追及するということは、いわば与党にとっての自殺
行為になるからであります。こういう場合、
議院内閣制の
政治におきましては、いわば政権交代によって、いわば腐敗した与党が次の
選挙で政権の座から滑り落ちるということによって腐敗のチェックが行われてきたわけであります。したがって、
議会が主体となってさまざまな
不祥事を追及するという仕組みが
議院内閣制のもとで必ずしもうまく
機能するかどうかというのは難しい問題を含んでおります。
もう
一つの
議会政治のイメージはアメリカ型の立法府でありまして、これは完全な三権分立を前提としております。アメリカの
議会をごらんになればわかりますように、
議員は個人個人で独立して行動しております。アメリカの
政党は極めて緩やかな構造を持っておりまして、党議拘束というものはありません。したがって、法案の採決などにおきましてもいわゆるクロスボーティングというものが日常茶飯であります。こういう場合、
議員は立法府の構成員という自覚を持って行政府に対するさまざまな追及やチェック活動を行うということになるわけであります。
アメリカ型の立法府においては、まさに立法府が行政府のさまざまな問題を
国民の
立場に立って
究明するということで
国政調査権というものが意味を持ってきた、あるいは立法府が法律をつくるという作業を行う上で必要な
資料や素材を収集するという
観点から
国政調査というものが蓄積されてきたと言うことができるだろうと思います。したがって、
国政調査権というものがフルに発動されるというのは、やはり
政党の強い規律とかあるいは
政党単位の
議会運営というものを前提としないアメリカ型の立法府において有効に作用してきたものというふうに私は
考えます。
日本の
国会における
国政調査権の
問題点なんでありますけれども、日本の
国会は、骨格としては御承知のとおりイギリス型の
議院内閣制を前提としております。しかしながら、憲法や
国会法においてはアメリカの思想というものがある
程度反映されております。それは、例えば
議員立法に関する比較的緩やかな
規定でありますとか、あるいは
議会に与えられました強い
調査機能というものがあります。しかし、最近の日本の
議会政治を見てまいりまして、憲法や
国会法に
規定されました
国政調査権というものは絵にかいたもちという印象を
国民に与えております。
なぜかということを
考えてみたいのですが、
一つは、
国会の仕組みそのものにおいて、まさに先ほど申しました
議院内閣制の帰結として党議拘束というものがあるという問題であります。
戦後、新しい憲法のもとで
国会が発足した当時、これは
国会がいわば国権の最高
機関として、立法やあるいは行政部に対するチェック活動を行う主体として積極的に活動することが期待されておりました。そして、例えば
議員立法
一つをとってみましても、個人が議案を提出できるとかあるいは国政に関する自由討論の場を設けるといったような活発な立法府のイメージが想定されていたわけでありますが、一九五五年の
国会法改正によりまして個人個人の
議員の活動の余地というものが大きく狭められたわけであります。そして
政党単位の
議会運営という色彩が非常に明確になってまいりました。
つまり、
議員個人個人が
議員立法を行うとかあるいはさまざまな国政に関するチェック活動や
議論を行うということばかりやっておれば、これは内閣が提出をする大事な法案や
予算というものの審議が滞ってしまうという問題ももちろん他方にあるわけであります。つまり、統治の能率、法案を要領よくどんどんさばいていく、
予算を速やかに成立させるという意味での統治の能率と、それから立法府における
議員の自律的な活発なチェック活動というものは、ある意味でトレードオフの
関係といいましょうか、簡単に両立することは難しいということがあるわけであります。
そして一九五五年以降、日本の
国会においては、
国会が自立した主体として行政府をチェックするというよりは、むしろ統治の能率を高めるために内閣の提出をした法案や
予算というものを通すというところに主たる
機能を発揮してきたというふうに私は
考えております。
それから、もう
一つの
問題点といたしまして、日本の
国会においては、やや立法府という自覚といいましょうか、意識が
議員の間に弱いのではないかという印象を私は持っております。
一九五五年以来まさに政権交代というものを日本においては経験していないわけでありまして、まさに与党と野党というものが固定化してしまっております。そういたしますと、与党の
議員というものはまさに行政部と一体になってさまざまな政策の立案を行う、野党の側はといえばこれは少数でありまして、ありていに申せば政府・与党のさまざまな法案や
予算に批判を加える、揚げ足をとるということに終始してきたわけでありまして、
国民の代表として国権の最高
機関を構成するという、いわば与党野党を超えた意識の一体性というものが果たしてどこまであったのかということも疑問であります。
特に与党の側の事情ということについてここで申し上げれば、与党というのは、先ほど申しましたように、何と申しましても
議院内閣制のもとにおいては行政部と一体となって統治に責任を負うという原理になっております。したがいまして、行政部におけるさまざまな
不祥事や腐敗というものが発生した場合、与党が率先してこれに追及のメスを入れるということは極めて難しいわけであります。したがって、与党が自己批判を行うということを私
たちは余り楽観的に期待することはできない。よしんば野党が
国政調査権の発動を主張いたしまして
証人喚問とか
資料の提出などといったことを要求いたしましても、
議会で多数を占めてきた与党がこれに反対をすれば、せっかく憲法や
国会法の条文の中で
国会に立派な
機能が与えられていても、それは具体的には発動されないという問題があるわけであります。
ここで私は、だから自民党がけしからぬということだけを言いたいわけではありませんで、およそ与党というものはそういうものであります。
〔
委員長退席、理事
井上裕君着席〕
つまり、将来において政界再編が起こってほかの
政党が与党に座ったとしても恐らく同じことがその与党のもとにおいて起こるわけでありまして、つまり、その立法府における多数を占めかつ行政権を握るという与党がいわば自己の権力を保存しようとする本能に従って動く限り、
国会が
一つの主体として
国政調査権を行使し、
政治、行政にまつわるスキャンダルを追及するということは極めて難しいと言わなければいけません。
それから、野党の側の
問題点なんでありますけれども、野党はもちろん、与党が指揮する内閣、行政府において
予算のむだ遣いとか許認可にまつわるトラブルというものが起これはこれを
国民の
立場にかわって追及するという責務を負っているわけであります。しかし、いかんせん野党は、八九年以降の参
議院を除きますと
議会における少数派であります。
国政調査権の発動などを主張してそういった
不祥事の追及や
解明をしようとしても、野党の力だけでは
調査権を発動できないという数の力の限界がございます。
八九年の
選挙以降、参
議院においては野党が過半数を占めるという
状況が生まれてきたわけでありますが、依然として
証人喚問等重要な
国政調査権の発動については全会一致で行うという慣習が守られております。もちろんそのことは、後で申します喚問される側の
人権の保護ということから見て理由がないことではありませんけれども、しかし、全
政党が一致しなければ
証人喚問ができないとか
国政調査権の発動ができないということであれば、これは本当に
国政調査権というものを現実に行使することは極めてまれなケースになってしまうということも当然であります。
それから、野党の側の限界のもう
一つの
問題点は、いわば野党は徒手空拳で
疑惑やスキャンダルの
解明に取り組まなければいけないという
問題点であります。つまり、与党は行政部を監督する
立場にありますから、当然行政部の情報の入手とかさまざまな知識や技術の吸収というものも簡単であります。しかしながら、野党というものは、
考えてみますと、本当に
疑惑を追及する上で
資料の収集であるとか情報の入手という点で大きなハンディキャップを負っていると言うことができるわけであります。
いきなり
証人を呼び出して本当のことをしゃべれと言っても、それはその
証人の方がごまかすというのもこれはやむを得ないわけでありまして、真相を
究明しようと思えば、当然その裏づけとなるような物的な
証拠とか素材というものがなければらちが明くものではありません。その意味で、現在の野党の
議員の活動を支援するための仕組み、すなわち法制局であるとか
国会図書館といったようなものの貧弱さというものも野党の側の追及活動の質を下げている
一つの原因ではないかというふうに思います。
それから、もう
一つの問題として、
国政調査権というのは一体何を明らかにするのかという点でいささか誤解があるのではないかということであります。
先ほど
委員長のお話にありましたように、ややもするとロッキード
事件のときの華々しい成果などの記憶もありまして、
議会で
証人喚問を行って悪者を退治するという単純な勧善懲悪のイメージが
国政調査権の発動につきまとっているわけであります。しかしながら、ロッキード
事件のときの教訓というものは、まさに
疑惑や腐敗の当事者も十分学習しているわけでありまして、
国会の喚問でしっぽをつかまれないようにするための技術というものもまたこの十数年の間に向上してきたということはもう率直に認めざるを得ないわけであります。
そこで、
考えてみますと、要するに
国会というものは検察や警察とは違うわけでありまして、悪者を探し出してそれを糾弾するということを
国会がやるべきなのかということは
一つの
問題点であります。やはり
国会において追及すべきは、
政治的な責任あるいは道義的な責任というものであろうと思われます。
その場合、特に問題となりますのは、
国会議員や高級公務員などいわゆる公人の道義的、
政治的な責任というものを特に追及するのが恐らく
国政調査権の本旨であろうというふうに私は
考えております。
昨日も
証人喚問がございましたけれども、例えば一民間の証券
会社が
政治家の不正蓄財に協力をした。それ自体は余りよいことではありません。しかし、それが
犯罪を構成しないということであれば、これはいわば国家権力を持った
機関が要す
るに悪者捜しをするということはいささか問題がある。むしろ、そういった一私人とか民間企業が行った道義的に問題のある
行為というものは、例えば一般消費者とか株主とかそういったものが企業の責任を追及する。例えば日債銀には絶対預金をしないとか岡三証券では絶対株を買わないという格好で、いわば市民的な制裁を加えるということ以外に恐らく手はないわけであります。
むしろ
国会においてやってほしいことは、例えばワリシンを脱税の温床としていわば当たり前のように使ってきたことを大蔵省は一体どう
考えてきたのか。それを知っていて放置したとすればこれはやっぱり大蔵省の責任になるわけでありまして、そういう
疑惑や
不祥事というものを十分
解明しない行政官庁、あるいはそういった
不祥事を放置する監督官庁の責任がどうなのかということを
国民にかわって追及することが恐らく
国会に与えられた最大の使命ではないかというふうに私は
考えております。
次に、具体的な改革の方向について私見を申し上げたいと思います。
最初に私がここで提案したいのは、
国政調査権というものを、
議院ないし
議院の
委員会という
国会法第百四条の
規定にありますいわば
一つの
機関ではなくて、具体的な
国会議員個人個人の手に移すということであります。
つまり、
国会法第百四条にありますように、
議院とか
議院の
委員会が
調査機能を持つという
規定があれば、これは
議院ないし
委員会として議決をする、慣習においては全会一致で決めるという
手続を経なければ
国政調査権は発動できないということになります。しかし、先ほど申し上げたように、行政部と一体となっている与党が
疑惑の
解明に往々にして後ろ向きであるという現状からすれば、これは具体的な個々の
議員に
機能を与えなければ本来の
国政調査権のねらいというものは達成できないというふうに私は
考えます。
そういうことをすれば、野党に対してのみ特別な有利を与えるのではないかという批判も当然与党の側から出てくると思います。しかし、そもそも
議院内閣制という
制度のもとにおいて立法府が行政府をチェックするという権力分立の理想を実現するためには、まさに野党こそが立法府として行政府にチェックの手を加えなければほかに追及の主体がいないという現実的な問題があります。
つまり、三権分立における立法対行政という
関係を
議院内閣制の中で
考えれば、これは野党対政府・与党連合軍という図式になるわけであります。したがって、立法府が責任を持って行政府にかかわる
不祥事やトラブルを追及するという場合、野党に対して何がしかのアドバンテージといいましょうか優位を与えなければ、これは幾ら
国会法や憲法で
調査権の
規定を置いても空文になってしまうというふうに私は
考えます。
個人個人が
調査権を発動するということがもし無理であれば、
議員立法の提案と同じように、一定数以上の
議員の要求によって
証人を喚問するとか
資料の提出を命ずるという形の
規定を将来置くということを御検討いただきたいというふうに思います。
そういうことをやった場合、当然、弊害というものも予想されます。つまり、スタンドプレーをやって
調査権を乱用するという
政治家があらわれてきた場合これをどうするか、あるいは
調査権を行使して
証人喚問をする、その喚問される側の権利を保護するというのはどうするかという問題があります。
これについては、例えばアメリカの有名なマッカーシズムであるとか、あるいは日本でも、終戦直後、シベリア抑留中のソ連への協力問題をめぐって
議会で喚問が行われて菅孝治氏が自殺に追い込まれたといったような悲劇的な
事件もあったわけであります。そういった事柄をいかにして防ぐかということが当然あわせて検討されるべきであります。
それについては、やはり先ほど申しましたように、まず
国政調査権の発動のねらい、ターゲットというものを主として他の国家
機関、つまり権力を持って統治、行政を行っている他の
機関というものに一義的には据えるということ、それから
国政調査権の発動、行使に関するいわば第三者的な監視
機関というものをつくるといったようなことである
程度対応することもできるのではないかというふうに思います。
いずれにしましても、乱用の危険があるから
調査権を拡充しないということであれば、これはいつまでたっても本来憲法や
国会法で理想とされていた
国政調査権の有効な活用というものはできないわけであります。多少の試行錯誤というものもこれは不可避であります。後で申しますように、
調査権というものを日常的に使う、経験を蓄積する中から、
人権に配慮した
調査権の発動の慣習というものができてくるのではないかというふうに
考えますし、また、売名
行為や党派的な利益のために
調査権を乱用した
政治家に対しては後日
国民の側から
政治的な制裁というものも下るのではないかというふうに私は
考えております。したがって、
調査権を拡充していくという場合、いわば
調査権を持つ主体というものを変えるということが第一の論点であります。
それから第二の論点なんですけれども、先ほど来たびたび申しておりますように、いわば
国政調査権というものを日常的に行使をし活性化するという場合に、やはりそのねらいを私は行政府におけるさまざまな利益配分や利害調整の過程というものに向けていただきたいというふうに思います。
国会法第百四条に「各
議院又は各
議院の
委員会から審査又は
調査のため、内閣、官公署その他に対し、必要な報告又は記録の提出を求めた」場合というような条文がございまして、つまり、内閣、官公署という行政府がまずこの第百四条の
調査権のいわば名あて人になっているということを私は重視したいわけであります。
日本の
政治腐敗の歴史を振り返ってみれば、これは
佐川急便における運輸省の許認可行政とか、あるいは建設、公共事業をめぐる不透明な献金
事件でありますとか、およそ必ずといってよいほど行政
機関の利益配分ないし利害調整というものが腐敗
事件の舞台となっておるわけであります。そして、御承知のとおり、
国会でさまざまな法律をつくりましても、それを実際に運用するのは行政府の官僚制であります。官僚機構がさまざまな通達をつくり行政指導を行うということで日常的な行政活動を行っております。その通達をつくる、行政指導を行うという過程について、一般の
国民はこれをチェックする、統制するという手段を持っておりません。
日本では情報公開法もまだありません。また行政
手続法もようやくこの
国会に提出されようとしているところであります。その意味で、腐敗の温床になりやすい行政府におけるさまざまな利益配分や利害調整の過程というものを
国民に成りかわって立法府がチェック、統制をするということが腐敗の根絶のためにどうしても必要なことではないかというふうに思います。
もちろん、通常の法案や
予算審議の中でも野党の
議員が
質問やなんかの形でそういった腐敗の温床になりやすい行政府の政策執行過程についてチェックを加えておりますが、いかんせん法案や
予算に対する
質問という形でチェックを行うことには限界がございます。何と申しましても、行政府、大臣とか
政府委員の答弁が出てきた場合、それをさらに追及する、二の矢三の矢を浴びせるということが、例えば時間的な
制約があるとかそういった問題で難しいわけであります。したがって、そういったいわば歯がゆさというものを克服する上で、
国政調査権の強い
規定というものをそういった行政府における政策の執行過程のチェックに使うということを、ぜひ御検討いただきたいというふうに思います。
そういった
調査権を実際に使っていく場合、幾つかの条件がございます。
一つは、これは
国会議員の持っている
調査スタッフの問題であります。やはり野党の
議員が個人個人で動いて、あるいは秘書や
政党の職員を
使って情報収集を行うということについては大きな限界がございます。これについては、
国会として
議員のそういった活動を支援するための
調査スタッフというものを充実していくということが必要だろうと思います。
それから、
国会議員の特に情報に対するアクセスの問題も重要であります。つまり、例えばイギリスの
国会におきましては、野党の
議員が一定の書式に従いまして行政官庁に対してこれこれの情報を提出してほしいということを要求した場合、行政官庁はこれを拒むことができないというような仕組みがございますが、日本の場合には野党の
議員のそういった情報収集というものもいわば事実上の協力というものによって行われているのが現状だろうと思います。これについてもっと強い法的な根拠を与えるということも必要ではないかというふうに思います。
それからもう
一つは、時間の問題です。つまり、今の
国会の審議時間というのは非常に短いというふうに思います。したがって、政府の提出した大事な
予算や法案というものを審議することがまず優先される。そうなりますと、
国会が
調査権を発動してさまざまな問題をチェックするということがどうしても時間的に不足しやすい。逆に申しますと、野党は会期の短さみたいなものを逆手にとりまして、
予算や重要法案を人質にとって政府・自民党から例えば
証人喚問等について譲歩を引き出すといういささか不健全な取引をやっているわけであります。
この際、
国会の活性化を図る上で大幅に
国会の活動時間というものを拡張する。例えば
国会を通年開催する。もちろん休暇はありますけれども、通年開催にして政府提出の重要な
予算や法案が上がった後はいわば立法府としてさまざまな腐敗や問題についての追及活動を行うといったような、いわば
国会としての活動の量的拡大ということを図ることがどうしても必要ではないかというふうに私は
考えております。
いずれにいたしましても、現在の
国政調査権の
規定というものは、そのねらいや精神においてもちろん正しいし、また
国民もこれに期待するところは大でありますが、それを支えるさまざまな仕組みという点で十分
国民の期待にこたえていないという問題がございます。したがって、今後、
国会法を全面的に拡充するという方向で、
国政調査権の行使をいわば実質的に可能にするための条件の整備ということをぜひ行ってほしいと思います。
将来的にもし二院制との関連で参
議院の個性を引き出すということを
考えるのであれば、いわば行政府、内閣を支えるための多数派の形成ということは衆
議院に任せる、そのかわり、参
議院というものはいわば三権分立の本旨にのっとって、要するに内閣を支えるということではなくて、むしろ行政府のさまざまな問題というものをチェックするというところにその個性を見出すといったような形の二院制の改革も長期的には必要となってくるのではないかというふうに
考えております。
以上で私の報告は終わらせていただきます。