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1992-04-07 第123回国会 衆議院 法務委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年四月七日(火曜日)     午前十時二分開議 出席委員   委員長 浜田卓二郎君    理事 鈴木 俊一君 理事 田辺 広雄君    理事 津島 雄二君 理事 星野 行男君    理事 小森 龍邦君 理事 冬柴 鐵三君       愛知 和男君    石川 要三君       大島 理森君    武部  勤君       小澤 克介君    沢田  広君       仙谷 由人君    高沢 寅男君       谷村 啓介君    松原 脩雄君       倉田 栄喜君    中村  巖君       木島日出夫君    中野 寛成君  出席政府委員         法務大臣官房長 則定  衛君         法務大臣官房審         議官      本間 達三君         法務省入国管理         局長      高橋 雅二君  委員外出席者         参  考  人         (関東学院大学         法学部教授)  萩野 芳夫君         参  考  人         (在日本朝鮮民         主法律家協会幹         事)      殷  宗基君         参  考  人         (愛知県立大学         外国語学部教         授)      田中  宏君         参  考  人          (和光大学文学 ロバート・         科助教授)    リケット君         参  考  人         (弁 護 士) 金  敬得君         法務委員会調査         室長      小柳 泰治君     ――――――――――――― 委員の異動 四月七日  辞任         補欠選任   坂本三十次君     大島 理森君   大内 啓伍君     中野 寛成君 同日  辞任         補欠選任   大島 理森君     坂本三十次君     ――――――――――――― 四月七日  夫婦別氏・別戸籍選択を可能にする民法・戸  籍法改正に関する請願宇都宮真由美紹介  )(第八九八号)  同(森井忠良紹介)(第八九九号)  同(遠藤和良紹介)(第九四九号)  同(長田武士紹介)(第九五〇号)  同(馬場昇紹介)(第九五一号)  同(長田武士紹介)(第九九〇号)  同(井上一成紹介)(第一〇一〇号)  同(岡崎トミ子紹介)(第一〇一一号)  同(岡崎宏美紹介)(第一〇一二号)  同(北沢清功紹介)(第一〇一三号)  同(清水勇紹介)(第一〇一四号)  同(田中昭一紹介)(第一〇一五号)  同(竹村幸雄紹介)(第一〇一六号)  同(辻一彦紹介)(第一〇一七号)  同(戸田菊雄紹介)(第一〇一八号)  同(堀込征雄紹介)(第一〇一九号)  同(串原義直紹介)(第一〇四三号)  同(中沢健次紹介)(第一〇四四号)  同(池端清一紹介)(第一〇五五号)  同(村山富市紹介)(第一〇五六号)  非嫡出子差別を撤廃する民法等改正に関する  請願後藤茂紹介)(第九〇〇号)  同(永井孝信紹介)(第九五二号)  同(永井孝信紹介)(第九九一号)  同(永井孝信紹介)(第一〇四五号)  夫婦別氏・別戸籍選択を可能にする民法・戸  籍法改正に関する請願伊藤忠治紹介)(第  九〇一号)  同(中村巖紹介)(第九五三号)  同(春田重昭紹介)(第九五四号)  同(細川律夫紹介)(第九五五号)  同(松前仰君紹介)(第九五六号)  同外二件(松原脩雄紹介)(第九九二号)  同(近江巳記夫紹介)(第一〇五七号)  同(中村巖紹介)(第一〇五八号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  外国人登録法の一部を改正する法律案内閣提  出第七号)  外国人登録法の一部を改正する法律案高沢寅  男君外三名提出衆法第四号)      ――――◇―――――
  2. 浜田卓二郎

    浜田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出外国人登録法の一部を改正する法律案及び高沢寅男君外三名提出外国人登録法の一部を改正する法律案の両案を、一括して議題といたします。  本日は、両案審査のため、参考人に御出席をお願いいたしておりますが、まず、午前の参考人として、関東学院大学法学部教授萩野芳夫君、在日本朝鮮民主法律家協会幹事殷宗基君、愛知県立大学外国語学部教授田中宏君、以上三名の方々に御出席いただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位におかれましては、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  両案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  次に、議事の順序について申し上げます。  御意見の開陳は、萩野参考人殷参考人田中参考人順序で、お一人十五分以内に取りまとめてお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は、その都度委員長の許可を受けることになっておりますので、あらかじめ御了承をお願いいたします。  それでは、萩野参考人、お願いいたします。
  3. 萩野芳夫

    萩野参考人 萩野でございます。この委員会におきまして、私のつたない意見を申し上げることを大変光栄に存じます。  私を推薦くだすった党が何党であるのかということも実はよく存じておりませんで、もちろん打ち合わせをしたわけでもございませんので、その辺、食い違いも多いことと存じます。御容赦いただきたいと思います。  今回は、政府の案と対案とが出されております。この二つを比べてみますと、極めて大ざっぱに見ますと、対案の方がいささか理想に近いと評することができようかという印象を持っております。  私は、長年の間、人権尊重を至上とする立場研究をしてまいりました。ただ、その場合、私は一介の研究者でございますので、法律実務家、とりわけ判例研究などやる場合には、裁判官、検察官、弁護士方々がどういった点に御苦労されたか、その点をできるだけおもんばかるようにいたしました。また、行政の任にある方々の御説明もできるだけ聞かなければならないという立場でやってまいりました。  さて、今回、この時点でどういうふうな立場に立つべきかという点につきましては、この場は大変重要な法の制定という責任の重い場でございます。法的安定性、法的な妥当性観点人権とともに、我が国主権尊重社会秩序と安全、そういった極めて重要な問題がかかわり合っております。そう考えますと、最初に、対案政府案と並べて対案の方が理想に近いと申しましたけれども、では直ちにその対案の方で立法化をお進めいただきたいというふうに私は申し上げることができません。個々の問題について、やはり検討をさせていただきたいと思うのであります。  外国人登録法の前回の改正のとき、昭和六十二年、一九八七年でございますが、そのときにもお呼びいただきましたので、特に指紋押捺の問題について意見を述べさせていただきました。その際申し上げましたことは、この制度を実施しなければならない必要性合理性が実証されない限り、個人の尊厳を保障する日本国憲法十三条の規定、それから十四条の平等権保障、三十一条の適正手続条項及び国際人権B規約の七条の品位を傷つける行為の禁止の規定、それから二十六条の平等条項から見て、指紋押捺強制することは人権侵害の疑いがあると申しました。そして、指紋押捺強制されない権利発展途上のものであるということも申しました。つまり、その意味は、どんな場合にも指紋押捺強制することは許されないのだという意味ではなくて、そのような意味で絶対的に確立している権利という意味ではなくて、必要性合理性がある場合には、一定の場合には、制度として残しておくことは憲法上も許される、そういう趣旨でございました。  先年、私の勤務しておりました大学の学生が当時の西ドイツに留学することになりまして、十指指紋をとられた、そのときには涙が出たということを言っておりました。これはその指紋の問題を象徴的にあらわしていると私は思います。それは、指紋というのは、そのように押させられる側にとっては涙がこぼれるほどのものであるということと、もう一つは、場合によりますと、その国の主権の保持という観点からいたしますと、社会の安全とか治安とかいろいろな考慮があると思いますが、そのような観点から指紋強制されるということがあり得る、ドイツの例を見てあり得るのだからというような言い方をすることはいささかどうも単純過ぎるかと思いますが、私のこれまで研究したところによりますと、いろいろな国々の最高裁判所あるいは憲法裁判所判決を調べましても、指紋押捺強制違憲である、直ちに人権侵害であるとした判決は見当たりません。  我が国法律母法でありますところの一九四〇年のアメリカの外国人登録法、これにつきましても何件か訴訟が起こっておりますが、この最高裁判所判決を見てみますと、指紋押捺強制違憲であるという立場をとったものはありません。ただ、適正手続に反して指紋強制する場合は憲法違反である、そういう判決立場でございます。  そこで、今日の段階で、我が国におきましてこの指紋問題をどう考えるべきであろうか。大変難しい問題でございます。最近、外国人不法就労ケースがふえておるということでございますが、私はその点については、だからといって指紋を置いておかなければならない、強制しなければならない、それはどうも説得力が弱いと思います。つまり、不法就労であるかどうかというのは政策選択の問題でございまして、今不法だけれどもそれを不法でなくしてしまえばそれまでのことという面がございます。  ただしかし、そのことに関しまして、私は最近東南アジアの国に住むことが多いのでございます。と申しますのは、夏休みと春休みは大体外国に行きまして、フィリピンの大学日本研究センターというのを設置いたしまして、そこで日本のことについて講義をしております。  余談になりますが、日本のことについて余りよく知られていないのです。日本軍国主義の国とか全体主義の国というような誤った見方をしている人もたくさんあります。私、大変残念に思いまして、毎年、年に何カ月か講義に行っておるのでございますが、そういう生活環境の中で見聞きしたところから申しますと、向こう人たちは、日本に対する熱と申しましょうかあこがれと申しましょうか、大変熱心です。政府も、外国に出稼ぎに行けという政策をはっきり掲げております。現実向こう人たちは、日本に行って稼ぐことに大変な熱意を持っております。そこで考えてみますと、そういう人たちは間々旅券を偽造、変造する、できれば日本人のでございますが、そして、日本に来た場合にどのような仕事にでもありつけるような外国人登録証明書を偽造する、多分そのようなこともあり得るかなということを向こう生活しておりまして痛感することがございました。  そこで、私は、指紋押捺という制度はない方がいいと思っております。ただ、さあ、今なくしてしまえるのかなということになりますと、行政当局の御説明のように、まだなくしてはしまえないのだ、そういうお話を聞きますと、やはりまだ無理かなという印象を持っております。  それから、あとはまた御質問がございましたら御説明するといたしまして、次の問題は、外国人登録証携帯義務の問題についてでございます。主な問題だけについて申し上げたいと思います。  私は、外国人登録証の常時携帯義務強制は、その強制の仕方によっては人権侵害のおそれがあるものだと思ってまいりました。つまり、何の必要もないのに例えば警察官携帯の有無を尋ねる。よく前から例に出されてきましたのが、おふる屋さんに行っている途中で警察官外国人登録証持っているかと聞かれて、ズボンをかえてきたので家に置いてある、おふる屋さんに行くときになくしたりしてはいけないから、そんなふうな説明をしても許されないで同行させられる場合があるんだというようなことが間々言われましたけれども、もしそういうふうなことがあり得るといたしますというと、これは人権の問題といたしましても、具体的には例えば憲法二十二条に居住移転の自由が保障されておりますが、移転、これは今日では広く移動つまり旅行なんかも含めて解釈されておりますが、それを非常に制限することになるであろう。だから、この携帯義務強制の仕方がどうであるのか、人権の上からして大変問題であると考えてまいりました。  この点につきましては、前のときにも衆議院及び参議院の各法務委員会において附帯決議がされていて、外国人に対して配慮してほしいというようなことでございました。そのことが現実には生きているとみえまして、何でもお聞きしたところでは、非常に多かったときに比べれば、今では検挙件数は百分の一になっているということでございますので、今、私極端な例を挙げましたが、多分そのような例はもうほとんどなくなっているということだと思います。  それと、刑罰の問題でありますが、私は以前から、このようなケースについて拘禁刑で処罰をするのは当を得ていないということを申してまいりました。罰金刑によって間接的に所持を強制する、せいぜいそこまでであるということを申しておりました。ところが、これはもう先年に改正になってしまいましたので、私が求めていたところはもう既に実現されてしまっているということであります。  あと刑罰ではなくて過料にしたらどうか、というのが対案趣旨でございますが、その点につきまして、それも理想的なように見えるのですが、ただ本質的に考えますと、外国人というのは、日本人に極めて近い生活をしておりましても、外国に対して忠誠義務を持つ存在という点は変わりません。その点から考えますと、日本国民住民登録を怠った場合あるいは何か証明書を所持しなければいけないときにそれを持たなかったのと全く同じに考えていいのか、その点は疑問でありまして、その点、今日の国際化社会においても、外国人であり続ける限り、これが一定刑罰によって強制されてもやむを得ないのではないかという考えを持っております。  さて、時間でございますので結びでございますが、私はこれまで論文の中で現行制度をいろいろと批判してまいりました。ところが、今も申しましたように、実は、私は大変進歩的なつもりでおりましたが、前の改正、今回の改正におきましてそれがもう全部実現されてしまうことになってまいりました。したがいまして、私は、今回の政府案で結構だという立場になるわけでございます。対案最初理想的と申しましたけれども、今申しましたように、本質論と申しましょうか根本的な理論の問題として考えてみますと、今の刑罰問題とか指紋制度そのものの根本のところからいたしますと、私自身が保守的になったことになるのかもわかりませんけれども、ちょっと踏み切れないところがございます。ただ、この委員会におきまして十分御審議の上、その点もう心配ないんだという結論になりましたら、一歩進んで対案の方向でお考えいただければというような考えを持っております。  失礼いたしました。(拍手)
  4. 浜田卓二郎

    浜田委員長 どうもありがとうございました。  次に、殷参考人にお願いいたします。
  5. 殷宗基

    殷参考人 ただいま御紹介にあずかりました朝鮮民主法律家協会殷宗基です。私は、まず、私にこのような機会を与えてくださいました諸先生方に心から感謝と敬意を表します。  御承知のように、今、日本国会提出された外国人登録法一部改正案は、永住者及び特別永住者、以下永住者と総称いたしますが、これらについて指紋押捺廃止し、それにかわる手段として写真、署名、家族事項登録を新たに導入することを趣旨としています。  永住者に限ってとはいえ、指紋押捺義務廃止を決めたことは、それなりの改善措置と言えないこともありません。だがしかし、それにかわる手段が新たな管理につながるおそれがあるだけでなく、とりわけ外国人登録証明書の常時携帯提示義務外国人登録法違反に対する刑事罰制度については、何ら手つかずで残されております。このことからも明らかなように、今回の改正によっても、朝鮮人を初めとする在日外国人管理という外国人登録法基本的枠組みには変化がないと指摘せざるを得ません。  したがって、私は、この機会に、その適用を受ける在日朝鮮人立場から、外国人登録法朝鮮人を含む在日外国人人権保障にふさわしい内容に速やかに改められることを願って、意見を述べさせていただきたいと思います。  改めて指摘するまでもなく、在日朝鮮人は、最近パスポートを持って日本にやってきた外国人労働者短期在留者でもなく、かつての日本植民地により渡日を余儀なくされた人々とその子孫であります。しかも、今では三、四世が大半を占め、日本生活の基盤をしっかりと築いています。このような歴史的事情を考慮するならば、日本政府は、かつて朝鮮人民に及ぼした被害と苦しみに対する過去の反省と謝罪に基づいて、それにふさわしく彼らを処遇すべきでありました。ところが、日本当局は、そのような処遇をするかわりに、彼らを治安管理対象とみなし、その人権を抑圧する態度をとり続けてきたと言えます。その姿勢は、現在に至るまで基本的な変化はないと思っております。  その具体的なあらわれの一つが、外国人登録法の諸規定に基づく運用における過酷な人権侵害であります。  外国人登録法は、専ら在日朝鮮人を主たる適用対象として制定され、最後の勅令である一九四七年の外国人登録令施行以後一九九〇年までの間に、登録法違反理由に、実に五十二万人もの在日朝鮮人が送致されています。単純化して言えば、この数字は罰則適用を受ける十六歳以上の在日朝鮮人四十五万人すべてが一回以上送致されたことを意味しています。  外国人登録法違反事犯の中でも、登録証携帯が突出しており、またささいな手続上のうっかりミスに対してさえも過酷な罰則が科されています。私たちが一致して求めているのは、すべての在日朝鮮人からの指紋押捺制度全廃とともに、登録証常時携帯提示刑事罰制度廃止中心内容とする外国人登録法の抜本的な改正であります。これは、在日全同胞の所属団体立場を超えての一致した要求となっています。  指紋押捺制度廃止永住者以外の朝鮮人や他の外国人にも適用されるように、人権尊重の面から再検討されるべきであります。  さらに進んで、外国人登録証の常時携帯義務制度廃止されなければならないと思います。  私たち登録証常時携帯義務制度の速やかな廃止を求める理由は、この制度人権侵害の武器として最大限利用されてきたからにほかなりません。ちなみに、在日朝鮮人送致件数に占める登録証携帯の割合は、一九八四年が七〇・二%、八五年は六四・六%に達しています。  登録証常時携帯提示義務を口実にした警察官による人権侵害は、老若男女を問わず、また時間を問わず、無差別かっ日常的に行われてきました。銭湯に行く際に、あるいは近くの八百屋に用足しに出かけた際に、マラソン中に、果ては民族衣装であるチマ・チョゴリ姿で歩いていたところ、登録証提示を求められ、不携帯で取り調べられたなどという信じがたい事例まで起きています。これらの事例における特徴は、いずれも朝鮮人であることを知った上で登録証提示が求められているというところにあります。  在日朝鮮人は、外国人登録証明書をいつでも所持していなければならないという精神的負担と、いっ警察官から登録証提示を求められ、いつ不携帯で取り調べられるかもしれないという不安と苦痛にさいなまれています。未成年者である年端もいかない十六、十七歳の子供も、六十、七十歳を超える高齢者も、同様の立場に置かれています。  日本関係当局は、弾力的、常識的運用の結果、最近検挙数減少したことをしきりに口にしているようですが、そのことは、これまでいかに登録証常時携帯提示義務条項を用いて過酷な人権弾圧を行ってきたかを示すものであります。あえて減少を口にするのであれば、そもそもこの条項が必要でなく、在日朝鮮人いじめ条項でしかないことを反証するものと言えるでしょう。問題の本質は、検挙数減少にあるのではなく、登録証常時携帯義務規定そのものにあると思います。  次に私たちが求めたいのは、外国人登録法違反に対する刑事罰制度を、日本国民対象にした住民基本台帳法による過料程度に緩和してもらいたいということであります。  それは、外国人登録法違反における罰則が余りに過酷であり、近代法の原則の一つである罪と罰の均衡にも著しく反するからにほかなりません。外国人登録法違反は、一年以下の懲役もしくは禁錮または二十万円以下の罰金に処されます。これは、刑法の賭博罪よりも過失致死罪よりも厳しいものです。  外国人登録法では、うっかりミスや誤りの訂正さえも刑事罰対象になっています。住所変更届運転免許証切りかえの遅延など、うっかりミスはだれにでもあり得ます。ちなみに、日本国民住所変更届遅延は、行政秩序罰ともいうべき過料とされています。また、運転免許証の切りかえをうっかり忘れたところで、救済措置があります。ところが、在日朝鮮人住所変更届や五年ごと登録確認申請遅延など、外国人登録法規定違反すれば刑事罰に処され、前科がつくようになります。現に、うっかりミスによる住所変更届や五年に一回の登録切りかえの遅延などを理由に、多くの人たちが処罰されております。  ちなみに、埼玉では警察が、市役所の告発もないのに、居住地変更登録違反理由に、一時的に本人が住んでいた会社の寮と、母親が住む他の市内の実家まで家宅捜索しています。日本弁護士連合会では、救済の申し立てに基づき調査した結果、同事件を外国人登録法違反に名をかりた人権侵害と判断し、再びこのような人権侵害が行われないようにとの警告書並び勧告書当該警察にそれぞれ送っているほどです。  兵庫・加古川では、うっかりして登録の切りかえがおくれたことを理由罰金五万円、また大阪では、五年ごと登録切りかえの遅延により罰金七万円の求刑を受けました。本人たちが不服を申し立てて法廷で争い、いずれの裁判でも減刑にされただけでなく、執行猶予一年がつく異例の判決が出ております。もともと起訴に値しないものが不当に起訴されたものと言わざるを得ません。  また、東京では、住所変更届を期日内にしなかったという手続違反で、区役所の告発もないのに、当人の勤める学校や自宅が家宅捜索された上、逮捕までされました。それだけでなく、大阪では、本名が間違って登録されていたので正式名に改める登録を申請したところ、手続が遅いことを理由に罪に問われ、懲役六月、執行猶予一年の有罪を科されています。外国人登録法では、間違いを正すことすら罪に問われるのです。  以上はほんの数例にすぎませんが、これらからも、外国人登録法がいかに過酷な人権侵害法であるかは明白であると思います。  もはや、戦後の冷戦体制下につくられた外国人登録法抜本的見直し時代の要請であると言えます。平和と協調の時代である二十一世紀を前に、朝鮮日本関係改善のための努力が重ねられ、新しい政府関係が築かれようとしています。国交正常化のための朝日政府間会談でも、法的地位問題の論議の中で外国人登録法抜本的改正、つまり指紋押捺全廃とともに、とりわけ登録証の常時携帯刑事罰廃止が重要に提起されています。  私は、新しい時代要求にふさわしく、日本在日朝鮮人を初めとする外国人治安、取り締まりの対象とみなす冷戦思考から、今や完全に脱却すべき絶好の時期にあると信じてやみません。人権尊重なくして朝日両国民間の信頼構築などはあり得ないと思います。  日本憲法の前文で「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と高らかにうたっています。今内外では、かつて日本朝鮮半島出身者を初めアジア諸国の人々に対して行った強制連行、従軍慰安婦問題など、半世紀もこれらの問題を放置してきた日本政府の責任が問われています。そのことは、とりもなおさず、このような強制連行者やその孫、ひ孫である私たち人権を引き続き侵害する外国人登録法の存在そのものを問い直しているのです。  既に、このような特殊事情を考慮して、昨年の出入国管理特例法で、在日朝鮮人に特別永住による在留の一本化などの措置が講じられました。私は、とりあえず、このような措置が外国人登録法についても講じられ、出入国管理特例法との整合性が図られるべきであると強く主張するものであります。  繰り返しになるかもしれませんが、私は、何よりもまず日本によって歴史的な反省と謝罪、償いがなされなければならず、あわせて協調と人権保障という時代の趨勢にふさわしく、内外人平等、法のもとの平等を説く国際人権規約を初めとする国際法や日本国憲法の精神に照らしても、外国人登録法は、指紋押捺制度全廃登録証常時携帯制度廃止刑事罰行政秩序罰である過料程度に改めることを中心に抜本的に改正されるべきであると確信してやみません。  外国人登録法抜本的改正は、二十一世紀を前に、朝鮮半島と日本列島で生きる両民族が善隣友好の関係を築く上で越えなければならないハードルの一つであり、日本が国際社会において名誉ある地位を占められるかどうかを占う試金石の一つであると考えます。私は、諸先生方が、国際的要請と時代の趨勢にふさわしく、外国人登録法を抜本的に改正してくださるよう強く訴える次第です。  発言の機会を与えてくださり、どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 浜田卓二郎

    浜田委員長 どうもありがとうございました。  次に、田中参考人にお願いいたします。
  7. 田中宏

    田中参考人 愛知県立大学田中でございます。  大変読みにくいものかもしれませんけれども、簡単なメモを用意いたしましたので、それをごらんいただきながら、しばらく私の意見を申し述べたいと思います。  実は、ことしは、御存じのように対日講和条約が効力を発生して日本が再び国際社会に迎え入れられて四十周年を今月の終わりに迎えるわけで、日本が対日講和条約が発効して主権を回復したその日に公布、施行されたのがほかでもない外国人登録法であるということは、やはり想起する大変重要なことではないか。先ほどの参考人先生方もおっしゃっていたようですが、内外人平等の原則の観点から、この法律をどういうふうに考えたらいいのかということに私はこだわりたいと思うのです。  日本では、外国人外国人なるがゆえに国民と著しく異なった取り扱いを受けてもやむを得ないのだということがごく一般的に言われてきていると思うのですが、ただ一つだけ例外があります。それは、税金を納めることについては、日本国民外国人かということについて全く関係がない。  私もいろいろなところで話をしたり学生に講義をしたりして、しばしば返される疑問は、「えっ、外国人も税金を払ってるのですか」という質問を私は随分受けます。これは、現在の日本社会の状況にとって大変大きな問題をはらんでいると思うのです。実は、外国人は税金を払ってないと思っているのですね。そういう意識で外国人をどう遇するかということが政策として展開されている、その辺のところから考え始める必要があるのではないか。  実は、昨年の暮れに日本政府は、日本が加入をしている国際人権規約のB規約に基づいて第三次報告書を国連に提出いたしました。そこで、日本における外国人の地位とか権利に関する包括的な説明をした部分があるのです。そこには、日本は基本的人権尊重とか国際協調主義を基本的な理念とする憲法に照らして、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除いて、他は基本的人権の享有は保障され、内国民待遇は確保されている。要するに、内外人平等の原則は日本では確立されている、極めて例外的に参政権等その性質上国民に限定されるものはともかくとして、こういう説明をしているのです。  これは、恐らく日本に暮らすあらゆる外国人が、日本の現状と全く違うということを実感していると思います。外国人登録法はその最たるものだということを念頭に考えていく必要があると私は思っています。  外国人登録法をどういう法律として考えるかということは、いろいろな立場があると思いますけれども、私は、日本政府が国連に提出した報告書に依拠するとすれば、これは内国民待遇が確保されているべき性質の問題であろうというように理解をしております。現行の外国人登録法は、実は日本人対象とする住民基本台帳法あるいは戸籍法がいずれも外国人を明確に適用除外する制度になっているものですから、日本生活をする外国人の身分事項あるいは居住関係、そういうものを明らかにするのはまさにこの外国人登録法しかないのです。ほかのものは全部適用しないようにしてありますから。したがって、外国人登録法外国人の身分関係とか居住関係を明らかにするためにつくられたものであるというように考えるべきではないか。  地方自治法の十三条の二によりますと、市町村は、住民たる地位に関する正確な登録を常に整備しておかなければいけないということが定められています。外国人については住民基本台帳法なり戸籍法適用されませんので、外国人登録法があることが、地方自治法が要請する住民記録を用意することになるんですね。そういう観点からこの外国人登録法というものを考えてみる必要があるだろう。  それで、実は、残念ながらこの外国人登録法というものが余りに外国人管理に偏り過ぎた法律であるために、というのは日本人住民登録とのバランスを欠いているために、現場では信じられないことが起きているんです。  例えば私のいる名古屋の近くに、四日市市という三重県の一番大きな人口を擁する都市がありますけれども、ここが人口二十七万人目に到達したときに、よくあることですけれども、市長がその日の手続をされた方に記念品を、時計か何かだったと思いますが、贈られたんですね。ところが、後でよく調べてみたら、この二十七万人の中には外国人はカウントされていなかった。要するに四日市の人口の中に外国人登録の人間を除いて勘定していたんですね。どうしてこういうことが起こるかというと、外国人登録というのは全く別枠になっておるものですから、別に四日市市が意地悪をしたんじゃないんですね。普通に仕事をしていると、逆に外国人がこぼれてしまう。ただ、くどいようですけれども、税金を取るときは絶対そういうことはないようですね。  それから、これは地元の恥をさらすようですが、私のいる名古屋市は、住民票のオンライン化をいたしました。したがって、十六区どこに住んでいる人でもどこの区役所ででも住民票がとれるようになりました。住宅地に住んでいる人が、都心のビジネス街の近くの区役所で簡単に住民票がとれます。このために名古屋市は九億円の予算を使って制度を導入しました。ところが、このサービスが受けられるのは日本人住民だけなんですね。外国人は従前どおりの居住区でしか住民票に該当する外国人登録済み証明書を得ることができない。これは私は、先ほど申し上げた地方自治法に戻れば、地方自治法の十条には、住民は、公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有するとうたわれているんですね。ところが、この住民の中に、外国人は外されたことになってしまう。それで「負担を分任する義務を負う。」と、税金の方のことはちゃんと平等だと書いてある。こういう視点からこの問題を考えることがやはり大事だろう。  少し内容に入っていきます。  従来指紋のことをいろいろ言われてきましたけれども、指紋については、日本では犯罪捜査以外で指紋押捺の義務を課すことは好ましくないということを、にれも大変皮肉ですが、外国人登録法ができる直前に、当時の地方自治庁は行政課長名で自治体に対して見解を明らかにしています。これは当時、一部の自治体で日本人に対しても指紋押捺の義務を課そうという形で条例制定の動きがあったときに、政府見解が明らかにされたわけです。したがって、外国人だけから指紋をとるというのは、日本では、人権上好ましくないという一般的な認識の例外として承認され、今日まで存続されてきた制度である、私は内外人平等にこだわりたいものですから。  今度確かに指紋については一歩前進だという意見がありますけれども、よく調べてみると、実は、指紋が今後とられなくなる人は、毎年指紋をとられる人の中の大体六、七%、新しい外国人がだんだんふえできますので、このパーセンテージはさらに下がっていきます。恐らくゼロに無限大に近づいていく。ということは、指紋制度はほとんど変わらないということなんですね。ところが、とられなくなった人が、永住者等が六十万人もいるということなので、ごく一部の例外の人がとられるというように世間では理解されているようですが、これは明らかに事実誤認ですね。しかも、既に例えば在日朝鮮人を初めとする人たち指紋政府はちゃんと確保しているわけですから、署名に切りかえても、法案を見るとそれを返還するということもないわけですから、もうとっているわけですから、何の痛痒もないわけですね。  さらに今度、新しい人はどんどんとっていくわけですから、指紋制度はほとんど変わらない。在日朝鮮人の特別永住等の人たちの子孫、十六歳に達する人というのは、出生統計から見て毎年一万人前後ですね。この人たちが、極めて例外的な者として、指紋ではなくて署名で済むということにすぎないんですね。さほど大騒ぎをして外国人指紋押捺がなくなると言うのは、私はおかしいというように思っています。  それから、諸外国指紋をとっている国が随分あるということは日本でも話題になってきましたけれども、意外と単純なことで忘れられていることは、実はアメリカ以外は、ほとんどの国はすべて外国人指紋をとっている国では自国民からも指紋をとっているんですね。そこではもう指紋の問題が議論の余地はないわけです。アメリカが唯一自国民からとらずに外国人だけからとっている。ところが、そのアメリカは、国籍法が御存じのように出生地主義ですから、外国人の二世というのはありません。アメリカで生まれた子供はすべて、両親とも外国人であろうともアメリカ市民になるわけです。そうすると、外国人だけから指紋をとって、その外国人は子々孫々にわたって指紋をとるというのは、世界広しといえどもどうも我が日本だけだというこの点は、やはり念頭に置いた方がいいと思いますね。  実はアメリカは確かにとっているのです。アメリカでは実は永住資格を与えた、いわゆるグリーンカードを持っている人だけは指紋押捺義務を課されているようです。ところが、在外邦人、今外国で仕事をする日本人は随分ふえていますけれども、その中の約四割は今アメリカにいます」この人たち永住者ではありませんので、在外勤務者、この人たち指紋をとられていないはずです。したがって、このままいくといろいろな意味で、貿易摩擦、経済摩擦ありますけれども、よほど考えないと、非常に日本が特異な国だということを世界に明らかにすることになると思うのですね、これだけ法律改正をしても執拗に指紋にこだわっている国であると。  指紋問題の解決というのは、非常に簡単なんですね。日本人も全部とればいいんですよ。どうして日本人指紋をとらないのですか。そうすれば、指紋問題はなくなります。  それから、常時携帯の問題についても理屈は全く同じことですね。諸外国では、自国民が身分証明書を持っている国は大変多いはずです。ところが、日本はその点では大変特異な国で、自国民は身分証明書はありません。もちろん常時携帯なんぞはないわけですね。外国人だけにそれを持たせるというところに日本の際立った特徴があるのです。そういう点で、外国人登録証の問題は、外国人は別だという思想を貫くか、同じ人間ではないかという思想でやるかという、そこに尽きるわけですね。  重罰規定の問題についても一言申し上げますけれども、先ほど萩野先生もおっしゃられましたが、例えば、住居の移転の届け出義務、義務というのは大体内外人平等なんです。これは実によくできている。先ほどの税金に象徴されるように。十四日以内に届け出をしなさい、これは平等です。ところが、これを怠った者は、日本人の場合は五千円以下の過料外国人の場合には懲役一年以下または罰金二十万円以下というこの法律を支える思想は何か。日本人法律をよく守る、しかし外国人は当てにならないから重く罰しておかないと同じ義務が履行されないという思想に立たない限り、こういう法律は許されないはずなんです。  しかも、外国人登録法にさまざまな罰則規定がありますけれども、実は今のように非常に重罰規定をつくったのには別の意味一つ原因があったと思うのです。それはなぜかというと、外国人登録法というのは、外国人管理することを専ら中心に運用してきた法律です。ところが、途中から内外人平等の国際的な潮流を日本も受け入れざるを得なくなりましたので、八〇年代に入って、例えば児童手当も外国人に出す、国民年金の加入も認める、住宅金融公庫のお金も外国人に貸しましょうというように、大分変わってきたんです。変わってきたことによってどういうことが起こったかというと、外国人登録手続を怠れば、例えば児童手当がもらえなくなるわけですね。さまざまな行政サービスが受けられなくなるわけです。ということは、外国人手続をしておけば、それに伴うメリットが今ではかなり生じてきているのです。それ自体が法律を守らせる機能を持ってきているんですね、昔と違って。にもかかわらず、罰則がそのまま維持されているというのは大変奇妙なことなんですね。昔は、とにかく罰則でぎゅうぎゅうやるしかないわけです。ところが、今は、外国人登録手続を仮に怠れば、例えば転居をきちっとしていなければもらえるものがもらえなくなりますが、昔はもらえるものが全くないわけですから、その点では法律の自動執行力、何と言ったらいいのか知りませんけれども、そういうものが明らかに変わってきているんですね。ですから、従来の罰則は大幅に見直しをしなければいけない。これは僕はいつ出てくるかと思うのですけれども、絶対出てこないんですね。実は、法務省は、裁判所では外国人登録というのはほかに外国人権利のためにいろいろ大事な役割を果たしているということを最近は言うようになっているんですね。したがって、それは自動的に守られるようになるはず、そういう側面が随分ふえてきているわけです。それが、四十年前にできたときの罰則がそのまま維持されている、これをどう見直すかということを申し上げておきたいと思います。  時間があれですから最後に、外国人の労働者がふえてきていることが、どうもほとんど指紋はそのまま残すことになった原因ではないかと伝えられています。外国人労働者がだんだんふえてきているのは、貧しい国があって日本が豊かだから押しかけてきているという議論が盛んですけれども、実はこれは事の一面にすぎない。日本における今の若年人口の減少は、すさまじいものがあるわけですね。ロボットを開発すればいいと言われますけれども、ロボットは社会保険を払ってくれませんから、どうするんですか、年金を。そういう日本社会そのものが大きく人口構成が変わってきて、もう外国人がいなければ成り立たないような日本社会を、いいも悪いもない、私たちがつくってしまったわけです。  私は学生に説明するときに、平均出生児数が今は一・五三ですけれども、私は一九三七年生まれですけれども、そのときはその数字が四・三なんですね。それが今一・五三まで落ちているわけです。したがって、外国人がいなければやっていけなくなっているわけです。私のいる愛知県は、自動車産業トヨタの拠点がありますけれども、ここの関連企業は今、日系人なしにはもうやっていけないんですよ。したがって、大量のブラジル人が生活をしています。三河地区では、外国人登録のトップは朝鮮人ではなくて今やブラジル人になっているわけですから、外国人を余り敵視することと決別をしてほしいと思います。今度の外登法改正案が報道されたときに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンという外国の新聞が「日本静かなアパルトヘイトの国」という表題で日本紹介した。日本は正しく紹介されていないという面はありますけれども、事外国人に関することは、正しく紹介されると極めて特異な国として国際社会で映っている。その観点から、法制をどう見直すかということを私はぜひ期待したいと思います。  片や日本政府は、自衛隊を海外に派遣する、みずからを守る軍隊といえども国際社会で必要とあらば世界のために貢献をしようということを一方で言っているわけですから、それほど国際的な視野に立って国際社会における地位を云々するのであれば、日本の国内に住む外国人を著しく日本国民と異なった形で扱うという制度を維持しながら国際貢献を口にすることは余りにも醜いと、あえて私は申し上げておきたいと思います。  以上です。(拍手)
  8. 浜田卓二郎

    浜田委員長 どうもありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  9. 浜田卓二郎

    浜田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田辺広雄君。
  10. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 ただいま御指名をいただきました田辺広雄でございます。  まず最初萩野先生にお尋ねをさせていただきますが、萩野先生も田中先生も私も愛知県でございますので、感覚としては非常によく似ておると思います。今回のこの法律というのは、先生御承知のように、昭和六十二年の外国人登録法改正の際に衆参両議院で法務委員会において附帯決議がつけられました。その後また昨年一月には、海部前総理が訪韓した際に決着しました日韓法的地位協定に基づく協議が実現して、そして一日も早くこれを実現しなければならないというような事態になっておるわけでございます。特に萩野先生は現在、関東学院大学で、またフィリピンのセブ中央大学で教鞭をとられております。しかも、外国人人権につきましては憲法を中心として数々の専門的な研究をされております。今回の法案で外国人登録制度について幾つか質問をさせていただきたいと思います。  私は、いろいろ先生の御意見を今聞いておりまして感じましたことは、これが結論であるのか、それともこれから将来ともに指紋押捺廃止されていく過程なのかというようなことも、自分でも疑問を持ち、また先生みずからも対案についてはいいと思う、しかし現状ではこれは行政の面からいろいろ現実面では難しいのじゃないか、だから今度の改正案が妥当で執行しやすいのではないかというような受け取り方を私はしたわけでございます。そこで、まず、国際法、憲法から見て、主権国家であります我が国が、国の構成員である国民とそうでない外国人との間において出入国の管理外国人登録について異なる取り扱いをするといたしましても、合理的な必要性があるならば違法とは言えないのではないかというようなお話を聞いたわけですが、そのことにつきましてもう少し触れてお話をいただきたいと思います。
  11. 萩野芳夫

    萩野参考人 私は、とりわけ一九七〇年代に入りましてから、いろいろな意味合いにおいて国際化が進んできたと思います。それは、国境の壁がだんだん低くなってきた、そういうふうな表現が可能かと思うのであります。したがいまして、そのことは国民と外国人とがだんだんと区別がなくなってきているという指摘もできる方向にある、そういうふうに認識はしております。  もう一言そのことについてつけ加えたいのは、そのような状況から、ある国の国籍を持つ人が国境の向こう生活をするという事態が非常に多くなってきていると思います。そうして、何世代もの間、国境の向こうでもともとの国籍を持ち続けながら生活をするというのが、あちらでもこちらでも起こってきております。日本にもそれがあるわけでございますが、さてそのような実態を見てみますと、長年ある国で生活をしてきた外国人というのは、その国の国民と極めて近い立場に立つようになっている、そういう言い方ができるかと思うのであります。  しかしながら、根本的には他国、自分が住んでいる国ではない他国の国籍を選択するということは、他国に対して忠誠を誓うということを意味するわけであります。その辺ですぐ思い出されますのが、例の山崎豊子が書きました「二つの祖国」という、テレビ映画にもなりましたが、二つの祖国の間で、兄弟が戦争の場で撃ち合いをするという小説でございます。あの中に非常に深刻な形であらわれております。兄は日本で勉強をし、日本人だという意識を持つのですけれども、国籍はアメリカを選択しておりましたがためにアメリカの軍人として出陣をして、ついに日本人を撃つ。その撃った相手が自分の弟であったという、そういう出来事でございます。  私は、国籍を選択するというのはそれほどに、やはり国境が低くなったとはいえ非常に重要な問題として残され続けていくであろう、そう考えますと、国民と外国人との間に何がしかの違いがあり続けるということは、これは将来ともにどうも区別はなくならないのではないだろうかと考えます。
  12. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 今、いろいろ具体的な例まで引いて御説明いただきました。本当に私も、そのことがある程度自分でもわかるような気がいたします。この問題は、憲法保障されております十三条の意見もありますが、また、もう一方では今のようなお話も私は理解ができると思うのです。  そこで、指紋押捺制度というのは人権を侵害すると考え、また、違憲、無効だというところまで考えるということは、私は無理ではないか。また、日本人外国人の差というのは、今おっしゃったように法的に云々もあるであろうけれども、感情的な、今おっしゃられました忠誠心ですか、そういうものもあると思うのですが、この人権侵害ということについて先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  13. 萩野芳夫

    萩野参考人 その点につきましては、先ほどごく枠組みだけを申し上げましたけれども、今日の段階におきましては、と申しますのは、指紋押捺の問題について裁判所でもたくさん判決が出されておりますが、それらを通じて言い得ることは、いたずらに指紋押捺強制されないのは権利である、それは人々の人権であるというような考え方はもう既に確立していると見ていいと思います。  ただしかし、先ほど申しましたような意味で、それは絶対的な意味合いのものとしては確立しているわけではない。というのは、例えば表現の自由を例にとってみますと、それを侵害してはいけないのははっきりしておるのでありまして、政治的に考えてこの際には表現の自由を制約しなければいけない事情があるというような説明は成り立たないわけでございます。しかし、指紋押捺の場合には、先ほども申し上げましたように、そのこと自体もう絶対的にしてはいけないもの、強制してはいけないものとして憲法上禁止になっているかと申しますと、そうは言えない。なぜならば、今日、内外人平等になったとはいえ、外国に対して忠誠を誓う、そういう意味合いを持つ国籍選択、そのことによって外国人になっている人たちがたくさんおりまして、中には、私外国から見ておりますと、やはりこの人たち日本社会生活にはなかなかなじまない人であろうというような人たちをよく見かけます。  そんな経験からいたしますと、場合によると、指紋押捺という制度によって同一人性を確認しなければいけないような必要性がまだ今の日本にも残されているのかな、そういう印象がございます。そういうふうな必要性がある場合には必ずしも人権侵害とは言えないのではないか、そういう考えでございます。
  14. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 引き続いてお尋ねを申し上げます。  今回、この法改正によりまして永住者特別永住者指紋押捺廃止して、一部新規外来される外国人につきましては押捺を必要とするというような、その差がありますね。これについての先生のお考え方をお聞きしたいと思います。
  15. 萩野芳夫

    萩野参考人 私は、十数年前に、私の所属します学会におきまして、外国人外国人と言うけれども、その外国人の間に区別を設けるべきではないかというそういう理論を私なりに立てまして、報告をしたことがございます。そのときは大変過激な考え方であるという御批判をいただいたんですけれども、どうやら最近、私威張るわけじゃありませんけれども、大体そのような方向で考えることが多くなっていると考えております。  と申しますのは、私は、先ほど来も外国人外国人と言っておりますが、その外国人の中にも日本人にいわば限りなく近い人たちがあります。ただ、その人たちは、自分のおじいさんあるいはひいじいさん、ひいばあさんの祖国であった国に対する愛着、そういうふうな気持ちから、あるいは自分の血につながる文化、民族への懐かしみから国籍を維持し続けている、そういう人たちもあると思います。  そう考えますと、先ほどもお話ありましたが、税金も払い、日本人とほとんど変わらない、ただそのような意味で国籍を、日本とは違う国籍を選んでいらっしゃる、そういうふうな人たちの場合と、まだ日本に来て間がない、いわばその人がどういうふうな人であるかまだ周りの人にもわからない、そういう人たちと一緒に扱うというのはこれは当を得ていない、法制度としても私はその点を別個に扱うべきであるという主張でございました。  その点は、最近になってまいりますと、具体的な問題がいろいろ出てまいります。例えば社会保障を受ける、福祉を受けるというふうな場合に、もう何年以上滞在しているとかあるいは永住しているとかというような要件のもとに認めていくという、こういう法制度がだんだんできてきていると思いますので、今の御指摘の区別というのは、もうこれは法制度現実化していると見ていいんではないかと考えております。
  16. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 次にお尋ねしますが、携帯の義務についてでございます。  先ほど来いろいろ御意見が出ておりまして、携帯を義務づけることそれ自体がまた人権侵害に当たるんだというような、かつての、古い話か新しい話かわかりませんが、そのような意見も聞かれるわけでございますが、今御承知のように、我が国は非常に外国人労働者がふえてきておりまして、世に言う不法就労、それから不法残留者も十六万人を数えると言われております。こうしたときに、外国人の身分関係、居住関係を明確にするためには、外国人方々にやはり外国人登録証明書を常に携帯していただく必要があるというふうに私どもは考えております。  そこで、先生のそれに対する考え方をお聞きしたいと思います。
  17. 萩野芳夫

    萩野参考人 私は、外国人登録証携帯義務につきましても、以前は法制度に対して大変批判的でございました。拘禁刑によってこれを強制しておりました。それが、六十二年の改正罰金刑になりまして、私の主張していたところは入れられた形になったのでございます。その点につきまして、私は、携帯義務を課すこと自体既に違憲であるという立場はもちろんとりません。  あと問題は、先ほども御指摘がありましたが、日本人との違いの点でございますが、日本人との違いは明らかにあります。日本人はおおよそ証明書類を持っていなくても自由自在に行動できるわけでございます。  ただしかし、一たん外国へ行きますとパスポートは常に所持しておらなければなりません。私は実際には日本のパスポートをもっともっと小さくしていただきたいのですが、あれが大きいがために持ち運びにくいのでよく日本人はとられたりいたしますが、私はあれをコピーいたしまして、コピーを持ち歩くことにしております。何かのときには、こういうパスポートを持っているんだということを説明することにしておるのです。  さて、外国人登録証携帯義務というのは、先ほど来繰り返しておりますように、余りそれを繰り返しますと、私は、外国人であるがゆえに日本人とは違う差別意識で見ているのではないかというようなおしかりを受けるおそれもありますが、決してそうではなくて、根本的にやはり他国に対して忠誠義務を持つという点がございますので、これはだんだんと永住者特別永住者について特別の規定を設けていくべきだと思います。具体的には、例えば一定の地域の市民であるという地位、これをだんだん認めていくべきであろうと考えております。というのは、それは行きつくところ地方の参政権も与えてもいいという議論になっていくわけでありますが、そのような地位はだんだんと認めていかなければならないと思います。  しかし、外国人であり続けるということは、これはやはり、繰り返しますけれども、忠誠義務を持つわけでありますから、日本人とのその程度の違い、携帯義務は課せられる、その点はいたし方のないところではないだろうか。そして、それに対する罰則でございますが、さっきも申しましたように、拘禁刑を科するというのは行き過ぎであるけれども、罰金によって間接強制をするという形ならば許されるであろうというのが私の考えでございます。
  18. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 どうもありがとうございました。  それでは、時間がございませんので、殷参考人に簡単にお尋ねをいたします。  今、いろいろ参考人からお話を聞いておりまして、非常に長い日本朝鮮との関係というものは、我々も覚えておりますし、また今まで続いてまいりまして、これから一日も早く日朝関係を正常化しなければいけない、これが一つの大きな打開の道であろうと私は考えておりますが、そうした中から過去の問題について私どもも考え、また参考人もよくお話を聞かしていただきまして、私もありがたいと思っております。  そのほかに一つだけお尋ねを申し上げますが、今回の政府提案によった法案では、長年日本居住しておる在日朝鮮人等と新しく日本に入国した外国人とでは異なった扱いをすることになっています。一方では指紋の押捺義務というものはなくなり、一方においてはそれが存続する、先ほどもちょっと萩野先生にお尋ねしましたが、それについてどういうふうにお考えになってみえますか、お聞きをしたいと思います。
  19. 殷宗基

    殷参考人 私の考えを述べさせていただきます。  私は、内外人平等の原則で一貫して処理されなければならないというふうに考えております。それは、どうしてそういうふうに言えるかといいますと、これは、現在パスポートを持っていろいろやってくる人々、それから歴史的な事情のある人々、そういう人々も内外人平等の原則で扱われるというふうにされるのがベストだというふうに思っております。しかし、私は、そうかといって、それですべて区別をなくするということも、これはどうかというふうに考えております。
  20. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 大変ありがたいお話を聞きまして、実は最後に田中参考人にもお聞きしたいと思いましたが、時間がありませんので、以上で終わりたいと思います。先生方には、大変お忙しいところ、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
  21. 浜田卓二郎

    浜田委員長 小澤克介君。
  22. 小澤克介

    ○小澤(克)委員 委員の小澤でございます。  先ほど既に委員長の方から委員会を代表してお礼の言葉がございましたけれども、一委員立場としても、お忙しいところをおいでいただきまして、貴重な御意見をいただきましたことに厚く御礼を申し上げたいと思います。  さて、順不同になりますが、余り時間がございませんので、まず田中参考人にお尋ねいたします。  御意見を伺っていて、内外人平等という観点から極めて論旨明快で、もうお尋ねする必要もないかなという印象を受けました。この田中先生の御意見からすれば、私どもの社会党で出してある案についても、例えば外登証制度についてなお残している等、むしろ批判の対象になるのではないだろうかなというようにお聞きしたわけでございます。  一点だけ、この重罰規定について御意見がございました。日本人住民基本台帳法などで過料五千円以下である、これと比較して余りにも不合理であるというお話でございました。私どもも全く同様の考え方を持っておりまして、この法律は、本来外国人居住関係、身分関係を明らかにするという極めて技術的な法律でございますので、それに対する担保としては日本人と同様過料ということで十分であるという考え方を持ち、そのような観点から私どもの法案をつくったわけでございますけれども、そのようなところはともかくといたしまして、現行の法案、しかも今回政府案では刑罰について手がつけられてないわけですけれども、余りにも過重、過酷ではないだろうか、特に懲役、禁錮という拘禁刑が付されていることについてはむしろ非常識ではないだろうか、このように思うわけですが、この点について御意見を伺いたいと思います。
  23. 田中宏

    田中参考人 基本的なことは申し上げましたけれども、私は、日本における外国人政策全体の基本的な前提を、原則は内外人平等である、そして合理的かつ具体的な内容について必要性があるものについては一定の取り扱いをするということはあり得るだろう。しかし、先ほど御紹介した政府報告によれば、参政権等権利の性質上外国人に異なった扱い方をするものはともかくとしてというのが基本認識であるとすれば、外国人登録法は、どう考えても、参政権から説き起こして、外国人が参政権を持っていないので、よって、例えばいろいろな手続に対する期限を超えたものを処罰する規定が、参政権を持っていないがゆえに今のように懲役一年以下でいいというような説明は、これは国際社会ですごく説明しにくいだろうと思うのです。外務省はどういうようになさるのかなと私は非常に関心を持っているのですけれども、基本的には私はそういう立場をとりたいと思います。  それで、先ほども言いましたように、ぜひ法律を制定し執行している機関で吟味していただく、御存じのはずだと思うのですが、法律そのものが持っている規範力が全然今変わっているわけですから、それに見合った罰則の軽減ということも行われるべきなので、そういう点からも、全く手がつけられていないというのは、ちょっとオーバーな言い方をすれば信じられないですね。これはさっきも言いましたのですが、昔、いろいろな制度外国人に均てんされてないときはおもしか何もないのですね。ですから、罰則だけで法律の遵守を促さざるを得ない。ところが、今は随分状況が変わって、さまざまな手続をしてないと不利益をこうむるのは登録をしている外国人自体ですから、そこから手続を速やかに行うということの必要性が生まれてきているわけですから、それに見合った罰則の軽減ということはもう理の当然だと思うのですね。ですから、私は内外人平等の原則を掲げたいと思いますけれども、あえて言いますけれどもこれは日本の名誉だと思うのですね。しかし、現行の実態を考えて、自由刑を科すというのはどう考えたって過酷のそしりは免れない、国際社会で通用するシステムだとは到底思えないという気がいたします。     〔委員長退席、鈴木(俊)委員長代理着席〕
  24. 小澤克介

    ○小澤(克)委員 ありがとうございました。  次に、殷参考人にお尋ねいたします。  お三方の中で唯一この法律適用を受ける側の立場に立たれる方かなと思いまして、主としてそのような立場から、大変聞いていて胸を打たれるような御意見だったというふうに伺いました。この法の適用を受ける側から、余りにこれまで過酷に、しかも管理という観点から適用されてきたことに対するむしろ弾劾であったかなというふうに思うわけでございますけれども、しかし御意見の最後の方で、その立場にとどまらず、むしろ日本国民が今こそ冷戦思考の中から脱却してほしいという大変格調の高い御示唆をいただいたというふうに思うわけでございます。  一点お尋ねしたいのですが、殷参考人罰則が余りに過酷、過重であるというお話がございました。特に殷参考人強制捜査が行われている実態等について言及があったわけでございますけれども、これは刑事訴訟法の規定等によりまして、罰則が重いということはただ単に実体法が重いというだけではなくて、それに伴って逮捕、拘禁等が行われる、一定刑罰以下については逮捕、拘禁は原則として行われないという刑事訴訟法の規定があるわけでございますけれども、このことと非常に密接に関連するのではないかなというふうに伺いました。この強制捜査に関して、既にお話ありましたけれども、これまでの実例等々あったら敷衍して御説明を願いたいと思います。
  25. 殷宗基

    殷参考人 説明させていただきます。  ただいま小澤先生の方から御指摘がありましたけれども、例えば居住地変更で強制捜査をされた事件として、埼玉での金賀一事件というのがあります。それは、この金賀一さんが就職をいたしまして、そして一時期正式な住所が定まるまで会社の寮に入ることにしておりました。そして会社の寮から正式な住所が決まればそこに移る、そうして住居変更届をしようというふうにしていたところが、警察当局は、十四日以内の住居変更届におくれたということで、本人の会社の寮はもとより母親が住む実家まで強制捜索をして、そしていろいろな書類まで押収していくというふうな事態に置かれたわけです。日本方々でも、住所を二つ持ったりいろいろしている人がたくさんいると思います。ところが、在日朝鮮人が住所を二つ持てば直ちにそういうふうな形で警察権力が、先ほども申し述べましたように市役所の告発もないままに捜索をしているというふうな事件であります。  もう一つは、これは日本の新聞にもいろいろ報道されましたけれども、東京に住む方が住所変更届を怠ったがために、それがまた区役所の方から告発のないままに自分の住所はもとより自分の勤め先以下七カ所を強制捜索されたというふうな事態に至っているわけです。  これは、今先生もおっしゃいましたように、刑事罰で法違反の対応をしようとしていることは、警察権力が介入できる余地を残しておこうとする、ほかの言葉で言いますと、在日朝鮮人治安対象あるいは犯罪の対象とみなす、そういうことの具体的なあらわれではなかろうかというふうに思うわけです。
  26. 小澤克介

    ○小澤(克)委員 ありがとうございました。  先ほどのお話の中で、外登法違反、特に登録事項変更などについて、うっかりミスといいますかおくれた場合でも、実に過失致死罪、うっかり過失で人を死に至らしめたよりも刑罰が重いというお話を伺いまして何ともすさまじいなという印象を受けたわけでございますけれども、先ほどのお話にもありました、比較的最近の例で、自分のルーツをわざわざ調べて外国人登録登録事項に違いがあったことがわかった。この方は韓国の方でしょうか、本国まで行って済州島ですかで戸籍を調べた結果、違っていたことがわかったのでその訂正の手続をしたところ、執行猶予とはいえ懲役六月という拘禁刑を受けているわけですね。これなど本当に過酷そのものだと思うわけでございますが、実際にこの法の適用を受ける立場といたしまして、実際にこういう刑罰を受けるということがなくても、日常、心理的重圧感というものは大きなものがあるのではないだろうか。懲役、禁錮、まかり間違えばそういう刑罰を受けかねない、少なくとも法律上は受けても文句は言えないということに対する心理的圧迫感、このあたりについて実際のところを教えていただきたいと思います。
  27. 殷宗基

    殷参考人 私、きょうここに参考人としてお呼びいただいたわけですけれども、まず最初に確認をして家を出ましたのは、外国人登録証明書を持っているかどうか、それをまず確認いたしました。そしてさらに、参考人として意見を述べる場合に、これは私一人でなくて全在日朝鮮人が、日常的なこういうふうな精神的な負担、あるいは不安と申しましょうか恐怖と申しましょうか、そういうのにさいなまれている古いうのが実情です。  具体的に一つだけ例を挙げますが、私も子供が何人がおります。それで、ある日新宿駅で朝鮮学校に通っている子供たち警察官からいろいろと質問されていたわけです。そこで、僕はどういうことかということで、できれば指導をして早く家に帰させようというふうに思ったわけです。ところが、すぐそこに出ていけない、登録証を果たして持っていたのかどうかということを考えざるを得ないということがあります、同時に、子供たちが家を出るときにまず聞くのは、登録証を持ったかというふうに話をするわけです。そしてまた、子供が例えば就職をしたりいろいろする場合にうちから立ったときに、十四日以内の住所変更届を忘れてはだめだぞ、必ず十四日以内にしなければだめなんだというふうに言い聞かせざるを得ないというふうなことがあるわけです。ほかの言葉で言いますと、それほど常に頭の中に外国人登録法の諸規定を入れておかなければ、ひどいときには二万人余りが送致されていたりあるいはそのうち半数以上が起訴される、そして刑事罰に処されるというふうな事態があるわけです。そういう点で、これはそういう不安を一刻も早くなくしていただきたいというふうに思います。  そして、あえてもう一つつけ加えますと、私この外国人登録法違反関係の裁判に証人として出たり傍聴をしたりするわけですけれども、その中で、この法違反に問われた人たちが一致して訴えていることは、私が何か悪いことをしたのですか、だれかに被害を及ぼしましたか、だれかを危めたり負傷させたりいたしましたかというふうに聞いているわけなんですね。ほかの言葉で言えば、例えば住所変更届がおくれたり五年ごとの確認申請、これはなくなれば一番いいのですけれども、おくれたとしても、これは行政指導で十分足りる、そういう問題なんですね。  それにもかかわらずこういう形でなされているということは、かつては朝鮮人取締法あるいは犯罪製造法というふうに言われておりましたのが外国人登録法です。そういう点で、今国会を機会に、先ほども申しましたけれども、抜本的に訂正されるように、そういう御努力を願えればと考えている次第です。
  28. 小澤克介

    ○小澤(克)委員 萩野参考人にお尋ねいたします。時間がなくなってしまいましたので二点一度にお尋ねいたしますので、大変失礼ですがよろしくお願いいたします。  先ほど御意見を伺っておりましたところ、刑罰に関して、拘禁刑は当を得ていないというふうにおっしゃいました。最初これは外登法全般についてのお話かなと伺っておりましたところ、この点については前回の改正で外されたので解決した、二のように言われたので、これは携帯義務に関してのみおっしゃっていたんだなということがわかったわけでございます。  携帯義務以外にも、今お話のありました登録事項の変更の申請、例えば勤務所または事務所の名称、所在地などもこれを怠れば、現状では懲役、禁錮というまさに体刑が科され得ることになっているわけです。これに限らず、常時携帯義務以外について体刑があるということについて当を得ているとお考えかどうか、これが第一点でございます。  第二点は、常時携帯義務でございますけれども、これはさきの改正の際の衆参両院の附帯決議等の趣旨が生かされていて、検挙件数も百分の一になっていて事実上問題が解消したあるいは解消に近いという趣旨のお話でございました。  確かに運用の面で弾力的になっているのは事実だと私も認識しておりますが、このような弾力的運用が常態化しているということは、既に厳格な法制度の必要がないということが社会的にも定着しているということであろうかと思いますし、また弾力的運用というのは大変いい面もございますけれども、逆に言えば法的な不安定がございます。運用する人によって恣意的な運用がなされ得る、幅があって法律適用を受ける側からすれば非常に不安がある。それから、法律がこのようになっている以上またいつ何ときもとの過酷な運用に戻る可能性も否定し切れない。これらを考えますと、立法機関である国会としてはむしろ法制度の方もきちんと現状に合わせていくということが必要であり、立法府にいる我々の義務ではないだろうかなというふうに考えるわけですけれども、この点。  以上二点についてお尋ねいたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
  29. 萩野芳夫

    萩野参考人 まず第一点の問題でございますが、おっしゃるように私は携帯義務に関する問題として申し上げました。  それで、携帯義務の問題とほかの、例えば事務所等の申請に関係する規定との関係でございますが、これは私は性質が違っていると考えましたので携帯義務だけに触れました。なぜなら、携帯義務の方は先ほども申しましたように人権にかかわります。しかし、事務所等について申請をするということは直接には人権にはかかわっていないと私考えましたので、そのことについては触れませんでした。  ただ、この刑罰が重いか、適当であるか、軽いかという問題は、懲役刑が定められているから等々を単純には比較できないところがあると思います。私この点について、一々について、どの項目が刑が重過ぎるとかいうような検討はまだできておりませんが、具体的には例えば刑法との関係で、ある場合には、公文書を作成するについて正確な申請をしなかったというふうな場合等、日本人の場合にも一定刑罰があるわけでございますから、そういう刑法との関係も勘案しながら細かく検討していくべきところではないかと考えております。今おっしゃった点だけにつきましては、懲役、禁錮が定められているというのはいささかどうも厳し過ぎるという印象はございます。ただ、その点はちょっと検討ができておりませんので、その印象だけを述べさせていただきます。  それから、第二点につきましては、私は今おっしゃったところに賛成でございます。なぜならば、やはり実際の運用の面で問題がなくなっているということは運用が変わればまた問題が出てくるということ、おっしゃるとおりでございますので、何らかの法制度上の担保が必要であるという点については全くそのとおりと思います。ただ、現在の段階で私、ここをどういうふうに書けばそれが担保ということになるのか、その点いいアイデアがございません。それで、今の点につきましては、もしこの委員会におきましてそのような方向でいい案がございましたならば、そのような方向にお変えいただきたいということで終わらせていただきたいと思います。
  30. 小澤克介

    ○小澤(克)委員 終わります。
  31. 鈴木俊一

    ○鈴木(俊)委員長代理 冬柴鐵三君。
  32. 冬柴鐵三

    冬柴委員 公明党の冬柴鐵三でございます。  参考人方々には、大変お忙しいところをおいでいただき、貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。  それでは、私から順次お尋ねをしていきたいと思います。  日本の国土にいられる人々は、国籍法によって日本人外国人、この二つに区分をせられるわけでありますけれども、それによって日本人はこう、そして外国人は一律にこう、このように立て分けて規制することがいかがなものであろうかということを考える一人であります。それは、先ほど来殷参考人もおっしゃいましたように、我が国には、外国人と区別された方々の中にも、通過外国人と申しますか、パスポートを持って日本に勉学に来られるあるいはお勤めに来られるという一部の外国方々と、そうでない、戦前からの韓国あるいは朝鮮あるいは台湾というような歴史的な意味を持った多くの人々の一部があると思うわけであります。  この方々は戦前から日本にお住まいであり、そしてまたほとんど日本語しか解されない、母国語である韓国、朝鮮の言葉あるいは台湾の言葉をうまく話せない方々、故郷の山河を知らない方々、そして恐らく終生日本居住を続けて我が国で骨を埋められるであろう、そのように思われる方々、こういう人を、国籍法上立て分ければ外国人のカテゴリーに入るということで、十把一からげと申しますか、そのような外国人法制をとることは許されないんじゃないか。むしろこういう方々は、定住外国人と申しますか、そういう一つのカテゴリーを設けて、限りなく我が国日本人と近い扱いというものをすべきであろうというふうに私は思うわけであります。  そういう意味から、今回この外国人登録法の中で、今私が申しましたようなそのような沿革をお持ちの、仮にこれを定住外国人と申しますれば、そういう人々について他の外国人、すなわち通過外国人と劣位の取り扱いをすることにした。前者については原則として指紋の押捺を求めないけれども、後者には指紋の押捺を求めるという劣位の取り扱いをしたということは、私の考えからすればこれは相当な前進であるというふうに思うわけでございます。  田中先生のお説によると、これは内外人は等しく扱うべきであるから、日本人であろうが定住外国人であろうが、あるいは通過外国人であろうが、これは限りなく近い扱いをすべきであるという御調のようですから、若干私の考え方と違うのかなと思いますけれども、私は原則としてそのような感じを持つわけでございます。  そうしますと、日本人の場合はまず係累といいますか、出生地、父母の名前等々、これははっきりしているわけでございまして、通過の外国人すなわち個人としてどのような係累、どのような出生を持っているかというこの人と、その今言っている外国人が同一なのかどうかというそういうことを区別するメルクマールといいますか、そういうものが必要になる。  考えられるのは、これは万人不同で終生不変という、非常に不思議なことでありますけれども、同一性を確認する場合に科学的に一番すぐれた手段指紋であることは間違いないと思うわけであります。しかし、それ以外に写真あるいは本人の署名、あるいはその人の係累、出生地とか住所とか父母の名前、配偶者の名前、生年月日、こういうものがあると思うわけでありますが、こういうものは、みだりにとか、ゆえなくとか、合理的根拠なしにという頭書きをつければ、指紋もだめですし、写真を撮るのもいけないと思いますし、署名もいけないと思うわけであります。  そこで、順次お尋ねしたいと思うわけでありますが、まず萩野先生、私が今言いましたように、ゆえなくとかみだりにとかいうそういう言葉がつかずに指紋をとるということ、これは法律的にどう評価したらいいのでしょうか。それと、みだりに写真、本人の意思に反して肖像写真、裸にするというのは別ですが、裸の写真を撮るというのは別にしまして、正面を向いた顔写真をその意思に反して撮るということは指紋押捺法律的に区別できるのでしょうか。その点についてまずお教えいただきたいと思います。
  33. 萩野芳夫

    萩野参考人 裁判所の判例によりますと肖像権の観念が確立してきておりますから、写真の場合も、本人の承諾なくみだりに撮るということは、それは今日の日本では許されないという点ははっきりしていると思います。  そういう意味では指紋も写真も同じだと思うのでありますが、ただ、例えばある証明書のために写真を提出するというのと指紋を押捺するというのとでは意味合いが違ってくるであろう。さっきも申しましたように、私は指紋を押させられて涙を流した経験はありませんが、実際に涙が出たということを聞きました。その辺から考えてみますと、写真を撮られて涙が出たというようなことはまずないと思います。根本的なところが違うんであろうと考えます。     〔鈴木(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
  34. 冬柴鐵三

    冬柴委員 同じ話を田中先生にお尋ねしたいのですが、もちろんみだりに指紋をとられない権利があることははっきりしているように思うわけでありますが、ここでみだりにと言うのは、本人の意思にかかわらずということだと思うのです。指紋採取を強制されない権利と言った方がもう少しはっきりするのかなとも思うのですけれども、そのようにこれを言いかえまして、写真撮影を強制されない権利というものがあるのか、署名を強制されない権利というものがあるのか。その三つを並べたときに、指紋、写真、署名ではどう違うんだろうかという点について先生のお考えを伺いたいと思います。
  35. 田中宏

    田中参考人 一般論として申し上げるのはなかなか難しい問題だと思うのですが、私は、この法律の関係では、こだわるようですけれども、やはり内外人の関係で考える。そうすると、実は日本人戸籍があったり、いろいろ身分関係を証明するものがあるからいいけれども、外国人はそうはいかないので指紋が必要だということが従来言われてきたのですが、非常に単純なことは、例えば私の住民票とか戸籍というのはありますけれども、それと私を直接結びつけるものは実はないのですね。  例えば私の顔写真が欲しいと思っても、私の身分登録に関する重要な戸籍と住民票を調べてもわからない。それから、もちろん指紋もないわけですし、そこには署名もありません。したがって、結局は直接は結びついてないのです。外国人の場合には、直接その本人の顔写真、指紋、そういうものを結びつけてその人物を特定するということを制度化しているという、そこに一番私は問題があると思うので、ただ合理性があるかないかということで一定の違いがあり得るということはあり得たとしても、一般論として、例えば指紋強制されない権利というものを、これは刑事捜査のときにどうであるとかいろんなことがあるわけですが、日本人についてその身分を明らかにするために政府が持っている情報と、特段に外国人だけのものが必要かどうかという、その点では現行制度を支えている物の考え方というのは非常に問題があるということを特に感ずるのですね。  それで、僕はこういうふうに考えるのです。内外人平等というのは、非常に抽象的に聞こえますけれども、日本人外国人の関係を一体日本という社会は対立関係で考えるのか、ともに生きていく共生関係で考えようとするのか。私は、やはり可能な限り共生を追求していく、ということは逆に対立関係を前提にしたものは極力抑制をしていく、それがやはり良識だと思うのですね。そういう点で、例えば署名を求めるか写真を撮るかという問題を考えた場合に、常に私は、一緒に暮らす仲間だという意識を前提に、しかしこの点についてはやむを得ないということで取り扱うことにすることが許されるかどうかという、そこの権利との関係で議論をするということに私はこだわりたいと思います。
  36. 冬柴鐵三

    冬柴委員 どうもありがとうございました。今回一部の人ではありますけれども、指紋押捺にかえて、写真、署名、家族関係、そういうものでこれを代替しよう、こういうことが法律改正の骨子になっているわけでございますから、果たしてその指紋採取を強制されない権利というものと、そういう人は写真を撮られるのも嫌だと言い出した場合どうなるんだろう、あるいは署名をしてくれというのも嫌だと言われたらどうなるんだろうということが当然考えられるものですから、果たして指紋をやめて顔写真と署名を求めることの代替措置で何か改良になるのかならぬのかという議論を私はしているわけで、これは非常に形式的な議論であって、心情的にはこれは改良だと信じているわけです。  そこで殷参考人に、指紋押捺が今まであったわけですけれども、これが今回の法律でやめにして、写真と署名そして家族関係、家族関係も、これを意に反して公表を求められるということは私にとっても苦痛ですしあれですけれども、その程度のことは、この指紋採取から写真や署名あるいは家族関係の開陳、こういうようなことにかえられることが代替措置として前進だと思われるかどうか、心情をお聞かせいただきたいと思います。
  37. 殷宗基

    殷参考人 お答えいたします。  結論的に言いますと、指紋もなくなり写真もなくなり署名もなくなれば一番いいというふうに考えております。在日朝鮮人の場合、特に一世は一〇%を切っておりますけれども、その人たちの中で文字も書けない人も少なくありません。そういう点でベストなのは、やはりなくなれば一番いいのではないかというふうに思っております。  しかし、先ほど来話もありましたように、国際人権規約が日本で効力を発生したりいろいろしている状況の中で現在外国人登録法が個人登録の仕組みになっている。そういう点で、家族事項を加味して、そして社会保障の問題だとかいろいろな家族関係をはっきりさせていく、そういう点については、これまで拒否するのはどうなのかというふうに率直なところ考えております。これまで指紋押捺制度廃止を一貫して主張してまいりました私たちですが、そういう限定された点ではありますけれども、先ほど言いましたように、指紋の押捺が永住者に対して廃止されたということは一定の手直しであろうというふうに思います。  それと同時に、新たにそれにかわる内容として導入される写真、署名、家族事項、これが新たな管理につながらないように。なぜかというと、指紋にかわる制度としてこれを導入されたわけですから、これまではそれが管理手段として使われてきておりましたから、そういう点での代替にならないように、そういう歯どめはやはりなされるべきであろうというふうに思います。
  38. 冬柴鐵三

    冬柴委員 それでは、あと一問。  確かに指紋をとられるということは、我が国におきましては刑事訴訟法二百十八条に、身体検査令状をとってやる、身体を拘束されている人にとっては、それは令状がなくてもとれる。足の型をとる、あるいは身長、体重を測定する、写真を撮る、こういうことと並べてこの指紋押捺ということが記載されているわけですけれども、いずれにいたしましても、こういうものを意に反して強制されるということは確かに我々は苦痛ですし、またそういうことをすべきでない。しかしながら、そこに合理的な理由があれば、例えば刑事訴訟手続上必要な合理的な理由があればこれは許される、外国人管理の必要上どうしてもこれが必要である、万人が納得できる理由があればできる、こういうように感じるわけです。  さて、今般参考人も、これは一歩前進だけれども管理につながってはいけないということで、管理というのは、罰則による担保というのが僕は一番大きな問題であろうと思うわけであります。ぜひこういうものについて、代替手段についても、指紋押捺拒否というものについては一年以下の懲役もしくは禁錮というような体刑がついていましたね。こういうものがもしなくなるということになれば、殷参考人にお尋ねしたいのですけれども、写真や署名あるいはそういう家族事項等を表白するについて、もし拒否する人に対して、これは法律である以上罰則が全然ないということは、この法律規定を担保する上でやはり不相当であろうと思うわけでありますが、その罰則が一挙に秩序罰まで、過料まで落とせるかどうかは別としまして、少なくとも体刑、懲役、禁錮というものがないということであればこれは耐えられるのかどうか、ちょっと愚問がもわかりませんけれども、最後に殷参考人にお尋ねしたいと思います。
  39. 殷宗基

    殷参考人 私ども、一貫して話をしておりますけれども、内外人平等の原則から見ましても、また先ほども申しましたけれども、私たちの歴史的特殊性、それから三、四世にわたって日本に住んでいる、そういう生活の実態、それから今後ますます日本での生活の基盤は強くなっていく、世代が進むにつれて強固になる、そういうふうな実態を踏まえて話をした場合、やはりこれは体刑はなくされるべきだ、それと同時に刑事罰自体がなくされるべきだ、そういうふうに思います。これが過料にされて、そして先ほども話がありましたけれども、行政側が指導、勧告によって、例えば住所変更届け出がおくれたりすれば早くさせるというふうな手だては幾らでも講じられるだろうというふうに思います。先ごろ大阪地裁で、五年ごと登録確認がおくれた人の判決がありましたけれども、その人も、最終陳述で、私が何か悪いことをしたのでしょうか、だれかに害を与えたのでしょうかというふうに話をして、切々と訴えているわけですけれども、これらの訴えにぜひ耳を傾けていただいて、そして犯罪人をつくるのではなくて、行政の力によって指導しあるいは勧誘をして、そして法に決められたそういう手続が行われる、そういうふうになされるのが一番いいのではないかというふうに思います。
  40. 冬柴鐵三

    冬柴委員 どうもありがとうございました。  終わります。
  41. 浜田卓二郎

  42. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。  時間の関係で率直にお尋ねをいたします。  最初に、萩野参考人からお尋ねをしたいと思います。  お聞きのように、田中参考人の方からは、内外人平等の原則という立場から、外国人登録法の中の指紋押捺制度あるいは外登証の常時携帯義務を見直すべきではないかというかなり明快な意見が陳述されたと思うわけであります。一方、萩野参考人の方からは、国籍を選択するというのは非常に重要なことだ、将来ともに何らかの区別が残されるのではないかということ、あるいは忠誠義務の存否によって内外人の区別に合理的根拠弧あるのではないかという趣旨の陳述が行われたやに払お聞きをいたしました。  萩野参考人のお話を承っていますと、例えば忠誠心、忠誠義務の存否によって内外人に対する差別をしても合理的なのだという考え方の根本は、どうも敵対的な国家関係といいますか、あるいは戦時下の国際関係といいますか、それを前提にして外国人に対する区別あるいは管理一定程度許されるのではないかという根本から、どうも今直ちに指紋押捺義務廃止することは無理があるのではないかという印象を持たれているのではないのかなというふうに払お聞きをしたのですね。  そこで、改めて萩野参考人に、この内外人平等の原則という立場から、指紋押捺義務、外登証常時携帯義務を抜本的になくすというお考えに対しては先生のお考えはどうなのか、お聞きをしたいと思うのです。
  43. 萩野芳夫

    萩野参考人 どうやら私が申し上げましたことに説明が不十分で、誤解されたと思います。  私は、外国人について敵対的な考え方というのは全く持っておりません。その辺は今まで私が書いてきたものをごらんいただければ一目瞭然でございますが、内外人平等という物の考え方、田中参考人が明快に述べられましたけれども、私はその考え方と全く同じでございます。内外人は平等でなければならない、それは当然であります。  ただ、この内外人平等の原則もここ百年くらいの間を見てみますと、大変移り変わりがございました。今日の段階におきましては、国境の壁が低くなりましたから内外人は事実上相当程度に平等に扱われるようになってまいりましたし、さっきも申しましたように、長年外国で住む人たちが出てまいりましたので、そのような人たちを国民に準じる扱いをしなければいけない、そういうような方向で法制度も充実してきている、私はそう見ております。  私の趣旨は、内外人平等の原則というのは、外国人を、ある一定人たちの場合、現在の提案されております案では永住者特別永住者という言葉が使われておりますが、大体そういう人たち考えていいと思うのですけれども、そういう人たちについては外国人として最高の扱いをするあるいは最善の扱いをする、日本国民に極力近い扱いをするということであって、日本国民と全く同じに扱えという、そのような原則ではないと私は理解しております。じゃ、なぜ国民と区別するのかということになりますと、それは外国の国籍を選択しているからだ、そういうように申し上げているのでございます。
  44. 木島日出夫

    ○木島委員 田中参考人にお聞きいたしますが、今萩野参考人から、国籍を選択している、そのことにより区別はあってもしかるべきではないか、そういう趣旨意見陳述になろうかと思いますが、この点に対しては田中参考人はどういうお考えなんでしょうか。
  45. 田中宏

    田中参考人 二つのことを申し上げますが、一つは、萩野先生、国籍を選択というのをどういう趣旨でおっしゃられたか必ずしも正確に理解してないかもしれませんが、私が冒頭で、ちょうど四十年前に講和条約が発効したところにこの外国人登録法ができているわけですが、実は四十年前め一九五二年四月二十八日、その日に日本政府はどういう措置をとったかといいますと、選択ではなくて、一方的にきょうからあなたたち外国人ですよという申し渡しをしたのですね。したがって、戦前の旧植民地出身者を外国人として扱うかどうか、あるいは彼らが日本国籍を持つことにするか自国籍だけを持つことにするか、その国籍に選択機会はなかったという点は、私はかなり大事なことだと思うのですね。ですから、一方的に外国人扱いをして外国人登録法をつくっておいて指紋を押しなさい、こういう形で国籍の変動のところが措置されたということ、特に在日朝鮮人についてはそのことは大事なことなんです。  それからもう一つは、国籍を選択しているという国籍の問題ですけれども、国籍をどうするのかということはそれぞれの国が独自に考え方を持っているわけですが、御存じのように、世界には大きく分けて、生まれた国の国籍を取得するという出生地主義、アメリカ大陸は大体そうですけれども、それから日本のように、親の血統で子供に国籍を付与するといういわゆる血統主義と二つあるわけですね。日本は、血統主義をとっているために外国人が常に再生産される構造になっている。その人が何代世代を交代しようと、あるいは自分の属する国の言葉あるいは習慣、そういうものといかに無縁になろうとも、全く純粋の外国人として法律的には遇される、こういう制度の中で外国人は暮らしていかざるを得ない、これは日本がまさにそういう国籍法選択しているわけですね。  そうすると、日本における外国人の地位処遇問題を考えるときには、そういう国籍法の中で暮らしている外国人の地位というのはどうあるべきかというように考えないといけないわけで、ですから、外国人がいつまでも外国人の国籍を持っているのが悪い、こういう認識というのは割合日本の中にある。先ほど私は時間の関係で省略しましたけれども、レジュメには書いておいた、日本に一番たくさん外国人が住んでいる大阪の府警の外事課長という、これは直接その担当の人なんですね、責任者。その人が、指紋を押すのが嫌なら帰化するか国に帰ればいいだろう、こういうことをあえて、これはテレビで私も見ましたけれども、公言してはばからない。この考え方の裏には、いつまで外国人やっているのというニュアンスが見えるんですね。それは、日本がいつまでも外国人にするような法制をしいているわけです。  わかりやすく説明をしますと、もしアメリカのような国籍法をとれば二世は外国人じゃありませんから、外国人というのは、日本に来てその人が一生を日本で終わったとしてもそれで終わりなんです、子供さんはもう日本の国籍を持ってしまうわけですから。ですから、日本が血統主義をとっていて外国人の再生産をするような仕組みの中でその外国人の処遇を考えていかざるを得ないという状況にあるという点で考えないと、萩野先生が忠誠心というのをどういう趣旨で言われたのかという気はしますけれども、国籍のひもで外国人日本人を峻別していくという思想を保持していくというのは非常に危険だと私は思うのですね。  ですから、むしろそういうことであれば思い切って国籍法を出生地主義にする。そうすれば、対象になる外国人というのは極めて少数になります。そして滞在期間も、長い人でもとにかく一生です。それは国の政策選択の問題なので、結論的に言えば、内外人平等の問題を真剣に考えないと、血統主義日本がとっている限りいつまでもその人たち外国人を繰り返すしかないわけですから、そういう点で、国籍と外国人の処遇の問題というのは裏表の関係になっているというように思っています。
  46. 木島日出夫

    ○木島委員 国籍といってもそれぞれの国によって建前が違う、日本がとっている現在の国籍法という枠の中でのみ、国籍の違いによる外登法の扱いを、違ってもいいという立場は賛成できないというお話だと思うのですが、じゃ、これに対しては萩野先生はどういうお考えでしょうか。
  47. 萩野芳夫

    萩野参考人 血統主義か生地主義がという、私は田中参考人ほどには単純に考えておりません。  生地主義の国アメリカで出生いたしましても、世界じゅうが世界連邦になっているわけじゃありませんで、いろいろな国がいろいろな立場でそれぞれ主権を行使しております。したがって、日本が生地主義になればということですけれども、血統主義をとっている国々がたくさんあります。したがって、やはり重国籍があらわれてまいります。そうなりますと、これは国籍選択の問題があります。  今ですと、日本人たちがアメリカに行きましても、アメリカの国籍になってしまうのではなくて、当然それは本人の意思によって国籍を選択するということになるわけです。でありますから、日本人がアメリカに行って、日本の先祖あるいは日本の民族の文化なりをやはり大切に思う、あるいは懐かしく思う、そういう人がアメリカで日本の国籍を持ち続けるということはあり得るのであって、生地主義をとるか血統主義をとるかによって、それほど単純に国民と外国人との差異が解消するということではないと思います。
  48. 木島日出夫

    ○木島委員 これに対して田中参考人から御意見もあろうかと思うのですが、時間の関係で次の質問に移らせていただきます。  ちょっと田中参考人にお聞きしたいのですが、登録証の常時携帯義務の方の問題ですね。これについては、先ほども原則は指紋押捺義務と同じだということはおっしゃられたのですが、今回全部残るわけですね。これに対しては、やはり常時携帯義務全廃すべきだとお考えなんでしょうか。先生の御意見を率直に述べていただきたいと思います。
  49. 田中宏

    田中参考人 私は非常に単純に考えていまして、日本人にそういうものがないのだからそういうことをやる必要はないだろうというのが基本です。  よく、密入国があったりいろいろな問題があるので、外国人には登録証を持たせておかないと困ると言うのですけれども、それでは伺いますけれども、じゃ、その不法入国と思われる人が、私日本人です、どうするのですか。じゃ、日本人証明書を出しなさいといったら、ないのですね。ですから、それほど外国からいろいろな侵入者がいて困るということであれば、非常に単純なんです、日本人も身分証明書をつくればいいのです。そうすると、外国人外国人登録証を持っている。日本人日本人の身分証明書を持っている。潜ってきた人は何もないわけですから、たちどころにわかるわけですね。  そういうふうにして日本人も負担を共有すべきなんです。不便だし、もし忘れていたら摘まればいいのです、それは。だって、日本治安を守るためにやるのですから、当然日本国民も協力すべきなんですね。その負担を外国人だけに負わせて、もうほとんど制度的に破綻すると思うのですね。だって、私がそういうことをやろうと思ったら、日本人ですと言いますね。おまえ、日本語がおかしいじゃないかと言われても、いや、私は中国からの帰国者ですとか。最近、日本語の不自由な日本人というのはだんだんふえていますから。例えば高見山はどうするのですか。あの方は日本国民ですよ。ですから、言葉が不自由だとか顔かたちを見て日本人だというわけにいかないのですよね。もうだんだんそうなっているわけですよ。  ですから、もし国の治安を守るために、いろいろな外国人が入ってくるのできちっと守りを固めようということであれば、一億二千万の日本人もそのためにやはり同じ努力をすべきなのです。ですから、身分証明書をちゃんと持って、ここに来るときには、殷さんだけではなくて、私も朝出るときに、ちょっと待てよ、身分証明書を持っているかなど確認して出る。同じような痛みを分かち合うべきだ、そういうふうに私は考えております。
  50. 木島日出夫

    ○木島委員 殷参考人にお尋ねをいたしますが、殷さんは内外人平等の原則というのは大変重視される、そして、ただ一万歴史的特殊性という言葉もお述べになりまして、在日朝鮮・韓国人の歴史的特殊性から、内外人平等の原則がすべての区別なく適用されるのはどうかと考えているという御発言もなさいました。  それで、どうも私からお聞きいたしますと、田中先生と萩野先生の中間のような立場のようにもお聞きしたのですが、今回の政府の一部改正案で一年以上の残留者については指紋押捺義務が残ってしまう。この点については、歴史的特殊性を持った旧植民地下で大変困苦をされた在日朝鮮・韓国人の皆さんとそれ以外の在留外国人の皆さんとの区別が残るわけですが、率直に言って、この区別が残ることに対しては参考人の御意見はどうなんでしょうか。
  51. 殷宗基

    殷参考人 最も好ましいのはすべての人々に指紋廃止される、これがベストだというふうに思っております。
  52. 木島日出夫

    ○木島委員 最も望ましいという言葉を使われたのでちょっと心配な、気がかりなんですが、今回はやむを得ないというような気持ちは一部あるのでしょうか。それはどうなんでしょうか。
  53. 殷宗基

    殷参考人 私ども自体は指紋全廃されるように、というのは、今回の改正案によりましても十万人近くの在日朝鮮人、この方々の中には戦後に一時故郷に帰って再び日本に戻ってきた人、そういう人たちもいたりいたします。そういう点で、この指紋がなくなれば一番いいというふうに思っております。  それで、それができなければ、せめて特殊な歴史的事情を持ち、また日本生活の基盤を置くそういう人たちから、そしてだんだん指紋全廃へと向かっていく、そういうのを現時点ではやむを得ない面もあるのかな、そういうふうに思っております。
  54. 木島日出夫

    ○木島委員 一九九二年の今日では、場合によっては、歴史的特殊性を持たない人たちについてはやむを得ない面があるのかなというお考えなんですが、これについては、では田中先生の方はどういうお考えですか。
  55. 田中宏

    田中参考人 私は、指紋に限定して申し上げれば、これだけ日本社会で随分外国人登録の議論をして考えてきたので、今回の改正案では結局、今まで議論してきたことはほとんど残されたことになるのですね。ですから、私は、今回のでやむを得ないなという気もしますけれども、それは日本の国民なり国政関与者のレベルがそういうものだということにすぎないので、ただまたとにかく指紋のことで延々と議論をしていかざるを得ないということですね。さっき申し上げましたように、指紋をとられなくなる人というのはほんの一部ですから、大部分の人はずっととられていくわけですから、日本指紋制度というのは何も変わっていないのです。ですから、引き続きまた指紋をめぐっていろいろ議論をしていく。そして、一番最後になると、いや、外国人というのは日本人と違うんだということで、それが今の日本のレベルであればやむを得ないなという気はしますけれども、もう少し進歩したいなというように私は思います。
  56. 木島日出夫

    ○木島委員 時間が参りましたから、終わります。
  57. 浜田卓二郎

  58. 中野寛成

    中野委員 民社党の中野寛成でございます。きょうは、三先生にはわざわざ御足労いただきましてありがとうございました。また、段先生にはテダニカムサミタと申し上げたいと思います。  今回の法改正の根底に流れる精神というのが、大別して二つあると思っております。一つは、日本における人権についての考え方の進歩をどうしていくかということがあります。もう一つは、今回の改正のきっかけが、海部前総理等の訪韓を初めとする日韓関係がありました。そうして考えますときに、私も在日韓国・朝鮮人人権問題に長らく取り組んでまいりましたが、この国際的な人権に対する考え方の進歩というベースを一方で持ちながら、もう一つは、先ほど来参考人先生方おっしゃいましたように、朝鮮半島の皆さんを初めとして多くの方々日本が戦争中に随分と多くのひどいことをした、その反省と償い、その気持ちが一方にあることは否めない事実であります。今回の改正はその後半の部分、反省と贖罪の面から生まれたものが一番大きなきっかけということになるのであろう、こういう気もするのであります。  しかし、今日まで法務省を初めとして日本政府及び国会で取り組んできた入管法、外登法、そしてその他社会保障制度に至るまでの諸改正は、ほとんどその視点で考えるよりももっと普遍的な、まあ具体的に言うと難民条約に基づく国内法の整備というふうな視点でとらえてきたことも歴史的経過としてあります。そのたびに在日韓国・朝鮮人の皆さんから、我々に対する特別の待遇、扱いというものは何も配慮していないではないかという不満の声が聞かれたこともありました。  そういう視点に立ちまして考えるときに、今後とも人権の上から普遍的な改正を進めていく必要がありますが、同時に、在日韓国・朝鮮人の皆様のお気持ちを考えますときにどのような配慮を加えたらいいのであろうかということが常に私どもの心にあるわけであります。今回の法改正の件も含めまして、その二つの視点に立って何をどうするべきかということを、先生方のお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。  まず萩野先生からお願いいたします。
  59. 萩野芳夫

    萩野参考人 第一点の人権の進歩という点につきましては、もう今までに述べてまいりましたように、指紋押捺制度にしろ登録証の常時携帯義務にしろ、こういうものが全くなくなってしまう、そういうふうな方向に行くのが最も望ましいと考えます。ただ、先ほど来申しておりますように、さて具体的な妥当性、法的な安定性、現在の時点での主権とか人権とかという点を考えました場合に、具体的にどういう制度をつくるべきかということになりますと、理想の少し手前のところになろうかというふうに思います。  あともう一つの点につきまして、日本が過去において植民地として迷惑をかけた国々の人たちに対する反省、贖罪の点がもっとはっきりと出てきていいのではないかという御趣旨だったかと思うのでありますが、その点につきましては、過去の日韓協定以来幾つかそのような方向での立法もされてきたと思いますが、これが、言うなればややこしい扱いであったのが一本化されて、昨年の特例法によって一本化されてすっきりした。それを受けてまた今回の改正がなされようとしていると解します。今回の改正によりましてそのような人たち指紋押捺から解放されるということは、今御指摘のような方向でのやはり一歩前進であろうというふうに考えます。ただ、その場合、永住者特別永住者が一緒に扱われておりますので、いわゆる我々が反省、贖罪しなければならない人たちだけに有利というわけではありませんので、その点についてどうかということになりますと、これはまた別の考え方で何か立法をお考えいただくほかないのではないか。この外国人登録法制度の問題としては今のような方向でいくのがよいのではないかと私は考えております。
  60. 殷宗基

    殷参考人 私は、次のように考えます。  まず、人権の進歩の面では、現在人類が到達した国際人権法の規定に基づいて処理されるべきであろうというふうに思います。それは一律に在日外国人をそのように処遇するというのが無理であれば、とりあえず特殊な歴史的事情を持ち、日本生活の基盤を置く在日朝鮮人の処遇をその人権法に見合った形で、言葉をかえて言えば内外人平等の原則に立って処理すべきであろう、そういうように思います。また、日本の国会におきましても、先ほど申しました出入国管理特例法で、一歩前進のそういう結論を出しております。それとの整合性を図る意味でも今回の外国人登録法改正について、その問題が指紋にとどまらず登録証の常時携帯の問題、そして刑事罰の問題においても援用されていくべきだろうというふうに考えます。  ちょっと引用になりますけれども、ドイツの例ではブラント元首相は次のように話しております。「我々は過去の重荷から解放されて生きているかのように振る舞うことはできない。歴史は振り落とせないものである。歴史の重荷を克服する唯一のチャンスは現在の歴史をよく書き続ける以外にない」、またコール首相は「ナチスの犠牲になった人々の遺族や子孫との和解はドイツ人として歴史に対する恥と責任を認めたときにのみ可能となる」、またワイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在も見えなくなります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」、そういうふうに述べております。こうした発言を引用しましたのは、先ほども述べましたように、まずできるところから一気にやることが無理であればそういうところから手をつけていただいて、そして今回の国会がまさに在日外国人人権保障においても新たな歴史を書き記す、そういう大きな一歩になることを心から願っているものです。
  61. 田中宏

    田中参考人 それでは、具体的な提案をいたしましょう。  私は、とりあえずこうしたらいいと思うのです。基本的には、私は、外国人登録法というのは住民記録を整備するための法律というように割り切って、昨年でしたか、成立した特例法の対象それから永住、ですから今回指紋がなくなるというようになっている部分、この部分は住民基本台帳法の中に全部繰り込む。そうすると、大体六十四万人は住民基本台帳の対象になります。恐らく、法務省の登録課も随分仕事が楽になると思いますね。警察登録証提示とかなんかいろいろなことを考えなくていいですし、市町村の窓口も登録の切りかえのためにいろいろな苦労をしなくても済む。それ以外の外国人については、基本的に現在ある外国人登録法をさらに改善をする。  これは我々の社会の知恵の進歩に合わせて、外国人はどうしても外国人として別扱いしたいという気持ちが強ければこれはしょうがないですから、しかし可能な限り私は内国民待遇、これは、先ほど私が御紹介した国連に外務省が出した報告書にああいうことを書いだというのは、私は書いた人間じゃないからわかりませんけれども、恐らく書きたくなった気持ちは非常によくわかるのです。ああいう説明が国際社会では一番通用するというように恐らく外務省は考えられたのです。そういう社会でありたいと私たちは思っているわけで、ただそのレベルに達しなければもうしばらく続けるしかないだろうという気はしますけれども、とりあえず思い切って住民基本台帳法に全部組み込んでしまう。私についてと同じように、その人が何のたれべえで生年月日がいつでどこに主住所を有するかということがあれば、この人たちについては、特例法の趣旨にもありますように、歴史的な背景を前提にして国の退去強制権についてもかなり制限をしたわけですから、在留期間の管理ももう放棄して、定期的にその人の在留の可否を判断するという、そういうこともしない人たちですから、日本に永住することを承認された外国人日本の住民基本台帳に登載することによって住民記録にする。そうすると、お役所の仕事も随分楽になるはずで、行政改革の点からも私は大変望ましいことだというように思います。
  62. 中野寛成

    中野委員 次の質問をいたしますが、先ほど来登録証の常時携帯の問題が極めて大きくクローズアップしているわけであります。私も具体的な事例に幾たびか出会ってまいりました。そのたびに何とかならないかという気持ちは持ってまいりましたが、どういう法改正をすればいいのだろうか。例えば、日ごろは自宅に置いておいていざというときには速やかに取り寄せられる、または職場に置いておく、旅行中はホテルに置いておいてもいいとするならば、それを具体的に法律的にどう明記したらいいのかというのが一つあります。  また、それとは別に、罰則の問題が先ほど来大きく取り上げられました。理想は一気にすべての罰則をなくす、懲役や禁錮や罰金をなくして過料に切りかえるということが一番いいということはわかりました。これは三先生それぞれ基本的にはそろった御意見であると思いますが、ただそれを具体的にこの法改正の中で取り上げて検討いたしますときに、一気にすべてをというのがなかなか難しいというのは率直に思うのであります。そのときに、先生方の御意見としてせめてこれは外したらどうかというふうなお考えがあればお聞かせをいただきたいと思うわけであります。いや、もうこういうものは基本的になくすべきだ、それ以外考えられないとおっしゃられるかもしれませんし、さはさりながら、しかし具体的な現実論としてやるときにせめてこれはどうかというふうにもしお考えいただけるとすればどういうことがあり得るだろうかというお尋ねであります。これまた三先生にお伺いいたします。
  63. 萩野芳夫

    萩野参考人 対案で保管義務という考え方を示されておりますが、一つのアイデアだろうと思います。ただしかし、これは具体的にどういうふうになっていくのか、現実問題考えますと、まだ未知と申しますかはっきりしないところが幾つも出てまいります。私はこのことを具体的にまだよく検討できておりません。それで、保管義務が大変結構だと言うことは私は今できません。ただ、今のお考えの方向での一つの大変おもしろいアイデアだというふうに考えます。  あとそれから、私が今まで考えてきましたのは、外国人登録証以外に本人の同一性を示す何か、例えば運転免許証とかあるいは学校に勤務する、あるいは在学している者だったならば学生証とかいうふうなものによって代替物の価値を認めるような方向で何か方法はないだろうかというようなことも考えるのでありますが、やはりそれも必ずしも十二分に機能するのかどうなのか、もう一つ現実的なことがよくわかりません。  あと、それからもう一つ考えてきましたのは、これは人権という観点からでございますが、過失を罰しないという方向で法制度を改める、あるいは少なくとも、運営はどうもそのようになっているようでございますけれども、何かその辺をもう少し制度的に保障されるような方向はないものだろうか、そんなことを考えてまいりましたけれども、その過失を罰せずというのを入れました場合には、これはほとんど機能しなくなってしまうおそれもある。そこで、どうも名案ございません。申しわけありません。
  64. 殷宗基

    殷参考人 ただいまの御質問ですが、やはり常時携帯制度はなくすべきだというのが最大の、また最善の策だというふうに思います。しかし、それが諸般の事情でどうしても無理だということであれば、先ほども申しましたように日常的な精神的苦痛、不安、そういうのを取り除く方策をぜひ講じていただけないものだろうかというふうに考える次第です。これは、登録証の常時携帯ということになっておりまして、そして弾力的あるいは常識的運用ということで数は減ってはおりますが、いっその運用が変わるかもわからないというふうな実情にあるというふうに思います。そういう点で、この次善の策として常時という、これがなくなれば、そしてある一定の期限内にそのことが証明できればそれで済むという程度に、これは非常に遠慮した言い方をしておりますけれども、せめてそういう程度にはしていく努力がなされてしかるべきではなかろうかというふうに思っております。  それから、罰則について言いますと、やはり日本国民適用される住民基本台帳法並みに、それと全く一緒にせよというふうに話をしているのではありません、少なくとも、懲役あるいは禁錮、そういうふうな体刑それから前科がつくようなそういう法の仕組み、この罰則の仕組みをなくしていただきたい、そういうふうに思っているわけです。
  65. 田中宏

    田中参考人 私は基本的にはなくすべきだと思いますけれども、ただ、今の日本社会のコンセンサスがそれを許さないということであれば、次善の策としてどういうことを考えるのかというように考えた場合に気づいたことを一、二申し上げますけれども、一つは、やはり罰則のところで逮捕したり勾留したりすることができないように非常に制限を加える。今非常に悪用されていますので、そういう悪用が起きないように罰則のところを量刑をうんと引き下げて、そういうことができないようなところで歯どめをかけるというのが一つの方法でしょうね。  それからもう一つは、先ほど萩野先生がおっしゃられたように、その人がどういう人であるかわからないということで、その人を知りたいという必要があり得るでしょうから、これは例えば私なんかも書留郵便物を受け取りに行くときに、学長が判こを押した身分証明書だとかあるいは保険証だとか、通常それこそ常識的に考えて、まあこれならよかろうということで代替することは我々の日常生活で頻繁にあるわけですね。したがって、そういうもので証明できればいいということで済ませるとか、ただ、今の制度を支えている考え方をやはり根本的に直していくということが私はポイントだと思うのですね。  とにかく、私は、レジュメには書きましたけれども言いませんでしたが、長く留学生の仕事をして、今大学の教師をしていますが、その留学生の仕事をしているときに、非常に親しいなかなか回転の速い男が、田中さん、日本では外国人というのは国を害する人と思っているんですかと言われたことがあるのですが、これは恐らく日本に暮らす外国人に共通する感想だろうと思うのですね、一億二千万と百万人の外国人との関係を考える場合。ただ日本人は非常にはにかみ屋だから外の国の人という字を使うけれども、実際には国を害する人とでも思っているのかと言われたことがありますけれども、私は、こういう日本と決別をするためにどうするか、そのためにはやはり知恵を絞る。  外国人を排除したり取り締まるためにいろいろ知恵を絞るというのをそろそろやめにして、外国人と一緒に暮らすためにいろいろ問題があるだろう、そのためにはどういう知恵を絞るか、我々にどういう努力ができるか、我々の頭を少し使おうじゃないか。私は、政府委員も、国会議員もそのために神経を使ってほしい。今までやってきたことは、何か外国人を追っかけ回すためにどうやって一生懸命つくるかということに努力してきたんですね。その基本的な切りかえを、冒頭で言いましたようにことしは講和条約ができて四十周年ですから、私は、本当はかなり大々的な記念行事でもして本当に新しい日本の出発点にする、ところが四月二十八日が全然話題にならない、非常に残念です。そういう点では少なくともこの法律改正のときにそのための打っ立てを起こしてほしい。そういうものに何かこたえられるような形で常時携帯義務を変える、そのために少し知恵を絞ろうではないかというのが私の気持ちです。
  66. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。
  67. 浜田卓二郎

    浜田委員長 以上で午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  どうぞ御退席ください。(拍手)  午後一時三十分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時四十五分休憩      ――――◇―――――     午後一時三十分開議
  68. 浜田卓二郎

    浜田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出外国人登録法の一部を改正する法律案及び高沢寅男君外三名提出外国人登録法の一部を改正する法律案の両案について、午前に引き続き、参考人から御意見を聴取いたします。  午後の参考人として、和光大学文学科助教授ロバート・リケット君、弁護士敬得君の二名の方方に御出席いただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位におかれましては、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  両案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  次に、議事の順序について申し上げます。  御意見の開陳は、リケット参考人、金参考人順序で、お一人十五分以内に取りまとめてお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際はその都度委員長の許可を受けることになっておりますので、あらかじめ御了承をお願いいたします。  それでは、リケット参考人にお願いいたします。
  69. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 皆様こんにちは。私は四十七歳のアメリカ人です。アメリカ人ですが、私の意思でいかなる国家、政府に忠誠を誓った覚えはありません。三十二万人の永住権を持たない在日外国人立場から、法務省の外国人登録法の一部改正案について意見を述べさせていただきたいと思います。  一九六六年を初めとして、それ以来私は三回、日本に来て、合わせて十六年間日本に滞在していますが、外国人登録法に従って三回ほど指紋をしっかり押しています。大学研究生として来日した一九八〇年の押捺のときは特に記憶に残っています。日本に来て二週間後、市役所の外国人登録の窓口に出頭し、左手の人さし指の指先に黒いインクがべったり塗られて、指紋がとられました。終わった後、とった方もとられた方も気まずい雰囲気が続き、白けてしまい、市役所を後にしました。  そのときは、手が汚れただけではなく、自分の人格も奇妙に汚されたという、まるで恥ずかしいことをやったような気がしました。なぜ日本政府日本に留学する人々を敵視しなければならないのかと思いました。  この数年間、アジアを初めとする諸外国から多くの人々が日本に来ています。勉強したり働いたりあるいは日本人と結婚したりして、この地を生活の場とするようになりました。そして、毎年来日する一年以上の在留資格を持つ外国人の多くにとっては、指紋押捺という強制は、自分たちが歓迎されない異質な存在であるという異様な第一印象を与えるのではないかと思われます。国際化時代と広く言われている今日、日本で犯罪の被疑者以外に適用されない指紋制度外国人に押しつけることは、先進国にとって果たしてふさわしいのでしょうか。  この十年間、日本指紋制度人権侵害であると国内外の批判が高まってきましたが、その批判を背景に、今回の政府案は前進と断定できるかどうかという問題があります。  この案によると、旧植民地出身の人々など永住資格を持つ約六十四万人の在日外国人指紋押捺から一応解放されるようになるとされていますが、三十二万人の非永住者には指紋制度が存続されることになります。歴史的背景や基本的人権の配慮からいえば、在日韓国・朝鮮人、台湾・中国人を指紋強制から解放されるのはごくごく当たり前のことであると思われます。しかし、指紋を押さない外国人指紋を押す外国人を区別することは、結果的に制度上の新しい差別を持ち込むのではないかと思います。  また、永住者と非永住者との分け方は、外国人立場からいえば複雑でわかりにくく、また恣意的に見えます。例えば同じ家族の中でも永住者と非永住者両方が存在するので、指紋を押す家族と押さない家族、両方があるという極めて変則な場合も出てくるでしょう。  そして、非永住者の多くは留学、文化活動、ビジネスなどの関係で一年から三年の間に、比較的に短期間に滞在します。しかし、五年、十年、二十年、あえて骨を埋めるつもりで長期間日本に暮らし、この地に子供を産み育て、日常生活の中で日本人と対等につき合っている外国人も少なくないと思います。  時々、非永住者永住者よりも日本に長く滞在し、日本社会に深くかかわっています。例えば、知り合いの一人なのですが、日本人と結婚して配偶者資格を得て、ただ三年間滞在しただけで永住権をすぐ取られたのですが、それに対して、もう一人の友達がいるのですけれども、その人は大学の出版会に引き続き十五年間勤めているのですが、その人は一年の在留資格しか認められなく、毎年更新の手続をしなければならなかったのです。子供二人がいますが、お二人とも日本で生まれ育ち、日本の学校に通っています。ことしやっと初めて子供とともにその友達は定住外国人として認められましたが、三年の在留資格が出ました。  しかし、来年十六歳となる長女は永住権を持たないために指紋押捺が強要されます。その長女の同級生の中に永住外国人もいるわけですが、今回の政府案によって彼らは指紋押捺義務がなくなります。結局、その少女だけが指紋を押さなければならないのです。  友達の長女のような外国人は少なくないのです。彼らの指紋をなぜとらなければなりませんか。私たちは、子供になぜ押さなければならないかと聞かれたときに、どういうふうに答えればいいのでしょうか。法務省の方々は、その未成年たちあるいは彼らの親に、十分納得できるような御説明があれば教えていただきたいと思います。  在日外国人指紋をどう思うかはともかくとして、押捺にこだわっている警察庁、法務省、外務省などにとって指紋はどういう意味を持つのでしょうかということを考えなければなりません。しかし、残念ながら関係省庁の説明を聞きますと余りにもわかりにくいものです。  例えば、国連規約人権委員会の一九八八年七月二十日の会合で、政府日本人権状況について取りまとめた第二回の報告書がほかの国からさまざまな問いを引き起こしましたけれでも、その中で指紋・常時携帯制度も批判の対象となりました。そのときに外務省人権難民課の国枝代表が、在日韓国・朝鮮人指紋押捺などを弁解するために、指紋制度は十六歳以上もしくは一年以上に在留する外国人に平等的に適用されているから差別ではありませんと昂然と答えました。  しかし、今回の政府案では旧植民地出身者を中心に一部の外国人指紋押捺という法的規定から除外されます。今まで法務省、外務省からいただいた御説明と今回の法案の内容をどう整理し、理解すればいいのでしょうか。  また、外国人登録法は、本来、すべての在留外国人の公正な管理を目的とするものとされていますが、関係省庁のお役人の方々は時々違うような解釈をします。例えば法令研究会編「出入国管理令・外国人登録法違反態様と捜査要点」というマニュアルの中ですが、これは一九七九年四訂版八十九ページですが、引用しますと「わが国における外国人管理対象は、朝鮮人であると言っても過言ではあるまい」という指摘があります。  さらに、法務省も似たような説明をしたこともあります。一九八六年十月二十四日、当時の入国管理局長小林俊二氏は東京の外国人記者クラブで記者会見を英語で行いました。質疑応答のときにドイツの新聞デル・シュピーゲル紙のテラザーニ記者に、あなたは、指紋押捺について話をしていると韓国・朝鮮人について話してはかりだ、韓国・朝鮮人にだけ指紋押捺をさせればいいのではないか、なぜスイス人が指紋押捺をしなければならないのですかと聞かれました。小林入国管理局長は次のように答えました。日本において韓国・朝鮮人だけをそのほかの外国人と区別するわけにはいかないのです。外国籍の人はみんな同様に扱わなければなりません。さもなければ、そこには何らのもっともな理由提示されないわけですから、区別ではなく差別になってしまいます。法的に、事実として言えば、不法入国者が来ているのは朝鮮半島からだけです。それは、その観点からいえば日本に住む韓国・朝鮮人だけから指紋をとれば十分でしょうが、しかしそれは実行可能でもないし、合理的でもないし、適当でもないと思います。日本国籍所有者とそうでない人に差をつけるのは可能ですが、国籍によって外国籍の人々の間に差をつけるのはできません。不可能だと思います。  また、「世界」の三月号の吉田類さんの記事によりますと、警察庁が、指紋はいわゆる不法残留者のために必要だと説明しているそうです。しかし、いわゆる不法残留者は短期滞在者なのですから指紋を押すことはありません。このような指紋押捺がだれにとってなぜ必要なのか、私たち外国人はさっぱりわかりません。私たちがこの数年間指紋などについていただいた御説明はそれぞれですが、かいつまんで言えば矛盾だらけと考えざるを得ません。  ほかの国では指紋がどうかという質問は三月二十七日のこの委員会の審議で出ました。法務省の回答によりますと、先進国の中では日本以外に外国人指紋をとっている国はスペインとポルトガルと米国だけだそうです。しかし、田中先生がさきにおっしゃったように、スペインとポルトガル両国は、日本と違って自国民の指紋をもとっていますから、内外人平等の原則を犯しているわけではありません。  では、米国の場合はいかがでしょうか。確かに米国は一九四〇年にナチスや共産主義者を排除するために戦時立法として外国人登録法を設定し、それ以来は外国人指紋強制しています。現在米国は、永住権つまりグリーンカードを得る外国人だけから十指の指紋をとりますが、それはそれなりの屈辱的な取り扱いだと思いますけれども、少なくとも見返りがあるわけです。日本と違うところですが、米国で永住権をもらえば一般のアメリカ人とほぼ同じ権利保障されます。つまり、外国人は公立学校に教えられますし、地方公務員にもなれます。また、米国公民権立法というのがありますが、国籍を問わずにすべての住民を各種の差別から守っています。  田中先生がさきに指摘されたように、その上に米国の国籍原理は出生地主義ですから、つまり米国で生まれる子供たちは親の国籍はどうであれアメリカ人になります。血統主義にこだわる日本では、外国人である以上何世代がたってもあくまで指紋がとられるし、外国人登録証を常時携帯しなければならないし、常に警察管理下に暮らさなければなりません。そして、日本人と同じような権利があるかといえば、保障されていません。  今まで述べたことは必ずしも私一人の意見ではありません。この一カ月間、私と数人の友達、知り合いは、永住者を中心に国際レベルで商売または文化活動を行っている人々から今回の政府案についてコメントを求めました。まだ最終的結果が出ていませんが、四月六日現在、外国人百八十八人、日本人百五十二人、合わせて三百四十人の人々は指紋全廃要求しています。指紋制度の一部を残すことは仕方がないと考えている人は三十六人だけです。その三十六人のうちに、外国人指紋をとっても仕方がないけれども日本人指紋をもとってほしいという強い調子のコメントがあります。  すべてのコメントを述べる時間はありませんが、幾つかの代表的な意見をお知らせしたいと思います。  それに入る前に、一九八七年一月号の「外人登録」という雑誌ですが、小林俊二元入国管理局長は、指紋押捺に対して次のように言っています。感情的反発を示し心理的困難を感じるのは在日韓国・朝鮮人だけですというふうに断言しましたが、私たちの手元に集まってきたコメントは、植民地支配という悲しい歴史を背負わない外国人のかなりの数も指紋押捺精神的負担が大きいことを伝えています。  例えば引用しますと、私も夫も子供二人も外国籍ですから一日も早く指紋制度廃止されるよう願っていますと、文筆業に従事している外国人は書きました。ある大学教員は、こう言いました。ことし日本で生まれた娘が十六歳になり指紋押捺の時期になっており、自分の意思で日本永住を選んだ私とはまた別な立場で押捺を強要されることは納得いかない。また、外国人を一般社会から追放された者もしくは犯罪者として取り扱うのは御免ですと、ある研究所の所長は書きました。そして、一人の外国人宣教師は、私は一九八七年に来日したときに指紋をとられました、この不快、無意味なやり方は屈辱的だと思いますという厳しい批判もありました。  それだけではない。多くの外国人が、問題は指紋だけではありませんと返事しました。一人の法律家は、常時携帯義務指紋以上に屈辱的な強制ですと書きました。また、ある会社の社長ですが、日本に滞在する権利を持つ外国人がなぜ日本に自由に出入りすることができないのでしょうかと、再入国許可問題を指摘しました。  日本人側に、それぞれありましたけれども、代表的な意見としては、私は外国に長期滞在したことがありますが、指紋を求められたことは一度もありません、私は大学で教えており、職業柄外国から学者を長期に招聘することが多くありますが、このことが、このことというのは指紋押捺が一番頭が痛い問題です、以前来日を取りやめた場合もあります、一日も早く撤廃を望みます、まことに恥ずかしい制度です。  一九八一年、カリフォルニア大学の教授ジョージ・デボスとイ・チャンソ教授が共編した「在日朝鮮人」という本の序文に、保守流政治学者ロバート・スカリピノ教授は、在日韓国・朝鮮人をめぐる諸法律はアパルトヘイト的だと言及しました。先ほど田中先生も触れましたけれども、ことしの三月十日、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙では在日韓国・朝鮮人の処遇、法的地位などを問題にし「日本 静かなアパルトヘイトの国」という記事も出ました。  日本外国人に対する取り扱いを南アフリカのアパルトヘイト制度に例えるのは極端で、そぐわないと反論する人たちが多いと思います。確かに両制度の間に大きな違いがあるわけです。しかし、いずれの場合にも有権者と無権利者との間に法制度的な障壁を設け、後者を異質なものとして隔離するという機能上の共通点があるように思われるのも無理もないでしょう。極めて残念なことですが、政府の高官がアジア人労働者、アメリカの少数民族までをけなす、中傷するような発言を繰り返してきた意識がこのような制度を支えているのではないでしょうか。  この数年間、指紋押捺日本の排他性の象徴となりました。しかし、人権を守る立場にある法務省は、法でもって差別をなくするのではなく、指紋の一部存続によってあえて新しい差別を生み出そうとしているのではないでしょうか。  私たち外国人は、日本社会に害を及ぼそうとして来日したわけではありません。日本の学校、企業、工事現場、さまざまな分野でさまざまな役割を果たしています。そして、その役割、日本が国際社会一定の貢献をするためあるいは日本社会の繁栄のため今まで役立ってきたと思いますし、これからも役に立つと思っています。日本の中で外国人と出会い、さまざまな文化と知り合うことは日本人にとってよいことではありませんか。また、逆に、海外から来る人々も日本人から学ぶことが多いと思います。短期・長期滞在、在留資格、民族、国籍、皮膚の色を問わずに、外国人は多くの日本人の友人を持ち、日本社会とのかかわりを深めています。今や、政府は、多くの日本人が望む国際化を妨げるような政策をとるべきではないと私は思います。  国籍が違ったり、民族が違ったり、在留資格が違うということで、指紋押捺、常時携帯、重い刑事罰という人間の尊厳にまで傷をつけるような管理体制は、どれほど日本社会に生きていこうとしている一人一人の外国人の日常生活を脅かしているかということを考えなければならないと思います。政府は、在日外国人が差別的な制度適用されてもよいのだと考えている限り、日本社会に根をおろしている差別はなくなりません。今回の政府案は、国内外で日本の内なる国際化の鏡としてとらえられるでしょう。そのために十分な時間をかけて議論を尽くしていただきたいと思います。  最後に、人さし指の自由という表現がありますが、それはともに自由に生きる社会への道を指しているのではないかと私は思います。  以上です。(拍手)
  70. 浜田卓二郎

    浜田委員長 どうもありがとうございました。  次に、金参考人にお願いいたします。
  71. 金敬得

    ○金参考人 金敬得でございます。  きょう、実は午前中、私は、自分の子供の入学式があったものでちょっとその入学式に少し顔を出してきて、午前の傍聴は見られませんでした。  私の子供、八王子市立の小学校に入ることになったわけですが、つらつら考えてみますに、私の父親は一九〇八年に生まれまして、当時は韓国の慶尚北道の片田舎の普通学校という日本植民地支配下制度の、今流に言えば小学校ですが、その小学校で日本人教師から日本語によって日本教育を受けた。その父親が一九二七年に大阪に来まして、戦後私が生まれ、私はこれまた小学校から大学まで日本の教育、日本の学校で教育を受けました。それで、今回私の子供がこれまた同じく日本の学校で教育を受けるということになったわけでございます。  今回外国人登録ということで参考人としてお呼びいただいたわけですが、法律自体が外国人登録法となっておりますけれども、どうもこれは、私のように日本で生まれ育った人間にとっては、外国人ということ自体が私にとってはそれほど実感のあるものではないのですね。先ほどロバート・リケットさんが外国人というのは国に害を及ぼす人か、そういうふうにおっしゃいましたが、私自身は国に害を及ぼす人としての外国人としての実感がないというわけです。それは当然でございますけれども、日本の国に害を及ぼすなどという気はさらさらありませんので、それはもっともながら、この言葉そのものの国の外の人という意識が私にはそれほどないのですね。  というのは、私は日本で生まれ日本に育ち、要するに日本の国の中にあった、生まれたときから現在に至るまであった人間であるということ。それから、私の父親は韓国から来ておりますけれども、それはかつて日本国民であることを強要されて日本国民として日本社会に来たという歴史的経緯を持っておる。そういう私が生まれ育った社会的実態と私の父あるいは母が韓国から来るに至った歴史的経緯から見まして、私が国の外の人という意識がどうも実感としてはない。  にもかかわらず、私どもは外国人登録という形で登録をされてきたわけですが、私などは、外国人登録というのは結局のところは朝鮮人登録である、韓国人登録である、そういう意識で育ってまいりました。これは、外国人登録朝鮮人登録であるということが、外国人登録法の発足当時はまさに実態がそうであったわけでございますね。日本外国人登録対象者の九〇%以上が朝鮮人であった、実態自体もそうであった。そういう形で朝鮮人登録をされたのですが、私などは、登録をしておるころに、なぜこういう日本人と違った、日本人は住民基本台帳ですが、朝鮮人朝鮮人登録をしなければいけないのかということについて、子供のころですから余り深く考える知恵もありませんので、幼少のころそれほど深く考えませんでしたが、私ども直観的に感じておりましたのは、これは朝鮮人であるから仕方がない、朝鮮人は差別されているのだからもうしようないじゃないかというあきらめに近い境地で、私は十四歳のときに指紋を押しましたが、私が指紋を押したときの境地もそういう境地でありました。  朝鮮人であるがゆえに差別されて仕方がないというのは、なぜこういうことになるかということでございますけれども、これを話しすれば非常に長うございますので一言言わせていただきますと、私がきょう子供の入学式にちょこっと顔を出したのも、最近問題になっております君が代・日の丸、それが入学と同時になされる。これは日本の学校の日本の教育でしょうから、日本の文部省がそう考えて指導要領でなさることですから私はつべこべ言おうという気はございませんが、しかし私が受けた教育は君が代・日の丸に始まって、小学校のときに例えば豊臣秀吉の朝鮮侵略、これは最近の教科書では朝鮮出兵ぐらいのところでとどまっておりますけれども、当時は朝鮮征伐というふうに書かれておったのですね。  私が小学校のときに受けた教育は、朝鮮侵略の話の前に必ず桃太郎の鬼退治の話が出るわけです。小学生に非常にわかりやすく先生が説明するつもりでそれは善意でやったことかもしれませんが、桃太郎が犬、猿、キジを連れて悪い鬼を退治に鬼ケ島に行って宝物をどっさり持って帰ってきた、豊臣秀吉が加藤清正を連れて朝鮮の悪いトラを退治し、悪い朝鮮人を退治してどっさり宝物を持って帰ってきた、こういう教え方ですね。それから、戦後解放されて朝鮮人の独立ということで非常に喜んだ、そういう戦後の混乱期に、朝鮮人はかって日本国民として我々は平等待遇をしてやったのに日本がアメリカに敗戦した途端に非常に威張りやがって、電車の中では座らしてもくれなかった、朝鮮人というのは本当に恩知らずだ、そういうことをとうとうと教室の中でやられた記憶があるわけです。日常茶飯事、学校では多勢に無勢でいじめられておるわけですから、これはどうも学校の先生は、形の上では人間皆平等だ、福沢諭吉の天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、そういうことを言いながらみんな平等だと言うのですが、しかし日常殴られておる朝鮮人差別については一言も言及がないわけですね。それどころか、桃太郎の鬼退治それから朝鮮人は恩知らずだという話をとうとうとやられているわけですから、我々は肉体的に仲間から殴られるだけじゃなくて精神的に非常にこれは、我々儒教国で育った、そういう教育を家庭で受けておりますから、先生の言うことは絶対である、絶対に聞きなさい、その先生がそういうことを言うわけですから、ああ、これは朝鮮人は劣等が、これは差別されてしょうがないじゃないか、そういう意識で外国人登録をずっと甘受してきておった、こういう経緯があるわけです。  これは私自身、私個人のそういう体験じゃありませんでして、例えば私が八五年に指紋押捺拒否という形で弁護させていただいた李相鎬さんという方も指紋の押捺について法廷でこういう陳述をしているわけです。「「指紋を押させられるのはしかたがない」「お役所のやることには何があってもさからえないのだ」、そんな感じだったのです。まさに、あきらめきっているのです。私もそんな気持ちで指紋を押したのでした。怒りや屈辱感というよりも、敗北感、あきらめといった気持ちの方が強かったのです。」私と同世代にあるような指紋押捺拒否者が法廷で大体こういう趣旨の陳述をしております。  まさにそういう状態で、非常に腹にわだかまるものはあるけれども、それを言ったところで日本社会、しょせん受け入れてくれるはずはないし、これは仕方ない、みずからがあきらめるしかない。差別する者とされる者の関係において、より非難されるべきは差別する側であるべきはずですが、事朝鮮人差別に関していえば、差別される側の朝鮮人が全部我慢してきた、こういう構造にあるわけですね。  こういう差別という形があるわけですが、では一体外国人登録法のどこが差別なんだということがいろいろ問題になろうかと思いますが、これはやはり大きく言って三つだと私は思います。  一つは、やはりこの指紋押捺に象徴されますようなプライバシーの侵害。例えば我々外国人については、職業あるいは勤務所、こういうものも登録事項の対象になっておって、こういうものを変更した場合に二週間以内に届け出ないと一年以下の懲役もしくは禁錮または二十万円以下の罰金、こういう刑罰法規に科せられておるわけですね。  それから、その外国人登録証は常時携帯しなければいかぬという形で、この常時携帯ということに関していえば、私は実は司法修習生のころ、東京都内のデパートを片っ端から歩き回った記憶があるのです。それは、外国人登録証というのは常時携帯義務がありますものですから、当時は手帳でございましたので、かなり大きな財布でなければこれは入らない。それで、胸のポケットに入れる財布であれば外国人登録証が入る大きさの財布は十分あったのですが、それだと夏、上着を脱いでいくとどうしたってこれは忘れていくということですね。そうしますとこれはまずいので、やはりズボンのポケットに入れられるようなものでなければいかぬ。そうしますと、あの外国人登録証という手帳が入る財布というのはそうなかったのです。私は東京都かの百貨店を探し回った記憶があります。その財布を今でも持っておりますが、そういうことに代表されるような常時携帯ですね。  それから、常時携帯指紋押捺や、先ほど言いました変更登録等に違反した場合に科せられる制裁ですね、重罰規定。これは非常にやはり差別的といいますか日本住民基本台帳法あるいは戸籍法と比べて、戸籍法住民基本台帳法はいずれもこれは三万円以下だとか五千円とかの過料で、行政過料で終わっているわけですが、それと比べて非常に均衡を失しておるということですね。ですから、私どもはこの外国人登録法は、これは第一条の目的が「外国人居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とする。」こうなっておりますが、言ってみれば民事行政法的な立法目的がある、私どもはこう読むわけですが、私どもの実感は、これは刑事警察的立法である、要するに刑事警察的立法の対象になる存在としての我々である、それが実感でございました。  もう亡くなりましたが、私の父親の口癖は、とにかく警察が怖い、警察が怖い、何かすると、おまえ、悪いことすると警察に行くぞ、こう言うわけですね、それは戦前の植民地支配の特高警察の思いがあるからでしょうが、必ずしも戦後もその意識が消えておらなかったというのは、やはり日常絶えず外国人登録法という形で監視されておったという意識がどうしても父親の方から抜け切らなかった、そういうことが私はあったと思うのです。  また、私にとってはその警察だけが怖いのではなくて、市役所というものが私にとっては非常に怖い存在でした。これは今から考えれば、市役所というのは行政サービスの窓口ですから市役所を怖がるなんということはちょっと常識では考えられないのですが、私なんかは市役所に行くというのは大体外国人登録に行くということですから、私が十四歳、中学二年のときに指紋押捺しておりますけれども、その当時は外国人が市役所に行く必要はないわけですね。というのは、国民健康保険の対象になっているわけではないし、住民行政サービスとしての市役所という役割は外国人にとっては必要なかったのですね。行くとすれば外国人登録のために行く。その外国人登録のために行くと、指紋をとられる。当時の役所の方々も非常に横柄だったですね。指紋を押すときに、とにかく黒々とした墨を塗られまして、終わった後あごでこっちをこうやるのですね、あごでこういう形を。何のことかよくわからないのですが、その隅を見るとわら半紙を切って置いてある。それで指をふけという意味なんですね。それなら口で言ってくれればいいのに、こうやるものだからさっぱりわからない。そういうような一事が万事の扱いで、市役所というものが非常に怖かったのです。  また、その怖いというのが、何も私の主観的な意図だけじゃなくて、当時やはり市役所と警察というのが、これは八〇年代の指紋押捺裁判で明らかになったことですが、絶えず警察登録原票を市役所に行って自由に閲覧しておるという実態があったわけですから、これはやはり市役所と警察がつながっておった、そういう背景があったればこそ私どもはそれを非常に怖がったんだ、こういうことです。  そういう外国人登録法に対して、八〇年代に入りまして指紋押捺拒否という形で、朝鮮人の方がこれはおかしいじゃないかということをやっと声を上げるようになった。これはもちろん二世、三世の、もうこれ以上こういう屈辱的なものを我慢できないじゃないかという人権意識の高まりということも否定はできませんが、やはり我々がそういう声を上げれば日本社会がある程度聞き入れてくれるのじゃなかろうかという、日本社会がその程度の範囲においては開かれたということと、国際社会自体がやはり日本のそういう閉鎖的な制度を許さないという、そういう三拍子がそろったといいますか、非常に象徴的ですが、国際人権規約が七九年に批准され、八一年に難民条約が批准されておりますが、そういうときと軌を一にして指紋押捺拒否という形で運動が盛り上がってくる、こういうことでございます。  それで十年、我々こういう指紋押捺制度をなくすのになぜ十年もかかるのか。その指紋押捺拒否ということが起こって、日本社会日本方々は何で朝鮮人ががたがたやるのか、そういうお気持ちをお持ちになったかもしれませんが、十数年間指紋押捺拒否だなんだといって裁判をするしない、そういうことで非常にこうむった負担というものも、これは日本人方々朝鮮人は騒ぎ過ぎると言うこと以上に、我々騒いでいる方がもっとしんどいのですよ。そこのところを御理解いただきたいのですね。これは何も我々間違った闘いをしているわけではないのであって、誤った制度日本の国際化のために合わない制度をなくそうとして我々やっているわけであって、我々は褒められこそすれ余り非難されることはないと思うのですが、やはり日本方々と話をすると、もう少し静かにしていればいいのにとかなんとか、意識は進んではおるのですが、日本の国際社会の経済力あるいはそういう地位から見て非常におくれた意識があるのではないかというふうに私は思っております。しかし、やっと指紋押捺廃止という、これは非常に不十分でございますけれども、一応永住者については廃止ということになったわけです。今回そういうふうな法案が出ておるわけですが、私は今回の改正案につきましてやはり若干問題点を指摘せざるを得ないわけです。  というのは、やはり一番大きな問題は、今回永住権者からは指紋をとらないことになったわけですが、なぜ一年以上の外国人に対しては指紋を存続しなければいけないのか。前回の八七年の改正のときも、法務省の役人の方々は口を酸っぱくして、指紋押捺制度は永住外国人にこそ必要なんだということを強調して余りあったわけですね。それが今回は永住外国人からは要らなくなったということですね。それで一年以下の在留外国人はこれまた指紋押捺義務はないわけですから、なぜ一年以上の人々だけをとるのかというここのところの説明が、どうも私の聞くところ、この前も傍聴いたしましたけれども、明快な論理が出てこない。これはやはり私は、言ってみれば今に至るもその明快な論理が出てこないというのは、これはもともと一年以上だけを残すという根拠がないのです。それであればぜひ今回の国会ですべての外国人から撤廃というふうにやっていただきたい、そういうふうに思うわけです。  特にこの外国人登録法は、従前我々は、外国人イコール朝鮮人だ、そういう意識で朝鮮人登録法で朝鮮人を敵視し排外し、そういう思想のあらわれじゃないか。そういう日本人の意識、思想、そういうもの自体を変えようじゃないかという形でこういう運動をしてきたわけですが、どうも今回の改正自体は、朝鮮人はそういう対象から一応指紋の範囲では外そう、しかし日本人のそういう外国人に対する敵視・排外思想そのもの自体がまだまだ是正されるに至っていない。だから、本質的なところから変わってない。  といいますのは、今は外国人登録はもう既に、当時、外国人登録の発足時代と違いまして外国人登録対象者のうちで朝鮮人が占めるのが六三%と非常に低下しておるわけですね。この資料についております。それのみならず、この資料にあります平成二年度の指紋押捺者の総合計が十五万ぐらいありますが、結局今回の法案の改正によって指紋押捺がなくなるのは、この確認申請の二万のうち、恐らく朝鮮人、永住権者の数というのは出生児から見て一万いないと思いますね。そういう人が外されるだけで、言ってみれば、結局パーセンテージからいえば六、七%じゃないか。それが外されて、結局は外国人登録法指紋制度は厳然として残る。外国人を敵視、排外して指紋管理していくというその考え自体は相変わらず残っていくということですね。  私は、こういう日本指紋による同一性の確認と言ってみたところで余り根拠がないのですね。それは同一性の確認のために指紋があればそれほど確実なものはないでしょう。しかし、そういうことで言えば日本人だって同じなんです。日本人と永住外国人を区別する根拠もなければ、永住外国人と一年以上の外国人を区別する根拠もない、一年以下の外国人を区別する根拠もないはずなんですね。それを同一性の確認だという形でずっと持ってくるということ自体が非常に無理がある。こういう論理は恐らく世界に通用しないと私は思いますね。もっとストレートに、例えばこれは警察目的のためにやるんだとかストレートに言ってしまえば別ですが、しかし、日本外国人登録法というのは、立法目的は刑事警察規制が目的とはなってないわけですから、この外国人登録をもってそういうものに代替していくということは、これはもう私は憲法違反だ、そういうふうに思っておるのですね。  これが警察目的であるということは、一九五一年の五月二十五日にこの衆議院の行政監察特別委員会というところで、当時の古屋警視庁刑事部長がそれは明言しておるわけですね。こういうふうに言っておりますね。「警察側の意見といたしましては、犯罪の防止その他で指紋採取を必要とするという意見でございます。」「制度的に指紋ということはぜひやりたい、そういうことが制度化されれば非常に便利であると思います。」要するに、これは警察目的であったということですね。そういう警察目的であることを、同一性の確認だ云々だという非常に無理な論理を今まで通してきた。その結果が今現在ここにある。なおかつ今後もそういう無理な論理を通していかなきゃいかぬということは、これは私は恐らく国際社会に通用しないと思います。だから、こういうことであれば私は速やかに直す方がいいんじゃないかと、日本に住んでおる一住民として本当に日本のためにそう思っておるのでございます。  それから、今回こういう一年以上という形だけで存続する根拠の余りない法案が通過しますと、外国人日本国民との間の差別だけじゃなくて、今度は外国人の間にも差別を設けるということになってくるわけでございまして、どうも日本という国は身分登録を初めそういうことに対して非常に精密な国で非常にきめが細かい。日本人というのは本当に単一民族か何かあれで非常にきめが細かいのですが、余りきめの細かいのをその刑事刑罰規定からがんじがらめにしていくというのは、そういう余り窮屈な社会の組み立て方というのは、これはもう基本的に考えを変えていただいてよろしいんじゃないかと私は思うのですね。そういう意味でぜひ指紋はこの際全廃していただきたい。これは全廃しないと、恐らく今後は欧米の方々からの外圧でもう遠からずして廃止せざるを得なくなる方向に追い込まれると私は思います。そういうことになるようなことをするのではなくて、みずからが進んで、日本はこれだけの社会になったという形を内外に示すことが日本にとっての本当の利益じゃないか、私は真実そういうふうに思うわけでございます。  それから、もう少し細かな問題に入っていきますと、今回、指紋にかわって署名という制度が出てきたわけですが、従前法務省の方から言われておりましたのは、指紋は同一性の確認だ、署名と家族事項登録というのは同一性の確認のために代替手段として導入したんだ、そういう論理でございますが、この論理を追求するのであれば、その論理で代替手段としてなさったというのであれば、この署名あるいは家族事項登録というのは、要するにこれから改正法施行後に指紋を押さなくてもよくなった人々に対してのみ適用すればいいはずであって、例えば私のようにもう既に、指紋を何回押したか記憶にありませんが、随分押してきた人間で同一性確認は指紋によって確定されている人間になぜ署名と家族登録を求めるのか。仮にその論理を一貫すれば、署名と家族登録をかって指紋を押した人間からもとるということであれば、かってとられた指紋はすべて消却、仮にコンピューターに入っているとすればそのコンピューターの磁気も全部消却してしまわないと、署名なり家族登録事項を既に指紋を押して同一性確認がされておる人間からとるということが論理的に説明できないんじゃないか、私はそういうふうに思うわけですね。だから、改正法の中でもそういう問題点はあるということです。  それからもう一つ、今回家族登録という形で家族登録がされるわけですが、ここでどうしても考えていただきたいのは、家族登録をすること自体、そのことよりも、我々本人外国人登録原票の開示を要求できないシステムになっておるということなんですね。なぜ自分の登録事項を、自分がその原票を確認できないのか。要するに、自分らの身分確認あるいは行政サービスのための根拠として、それは本人自身が見られなければ、間違った登録をされているのかどうかわからないわけですが、しかしそこはさせない。これは要するに刑事警察的規制立法目的、そのための登録であるという考えが如実に出ているわけですね。しかし、これはやはり変えていっていただかないと、例えば家族登録をするのであれば、その家族がどこかにいなくなった、捜したい、捜したいときに家族の住所を教えてくれ、こういうときに、今のシステムではこれは本人が市役所なり法務省に行っても教えてくれないシステムになっているのですよ。  それで、現在実務ではどうしているかといいますと、民間人として唯一できるのは弁護士会長ですね。ですから、我々個人が弁護士会長に照会を求めて、それで法務省に照会を出して、法務省から答えが返ってくる、それでやっと、あなたの御主人は実はここに外国人登録していますよということがわかるというシステムなんですね。これはやはり非常に不便。その根本のところには、外国人登録原票を本人にも見せない、知らせないというそういう秘密主義、要するに刑事警察の目的のために国だけがそれを持っていればいいんだという、あなたがたのためには何ら便宜の用に供しないというそういう考え自体を改めてほしいと思うのですね。家族登録制度を導入するかどうかについてもいろいろ問題点はありますが、少なくとも家族登録制度を導入するのであれば、では、その家族がどこにいるかということを本人が知りたいとなればそれを教えるぐらいの情報開示制度は設けていただきたい、私はそういうふうに思うわけでございます。  ちょっと長くなりましたので、この程度で終わらせていただきます。(拍手)
  72. 浜田卓二郎

    浜田委員長 どうもありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  73. 浜田卓二郎

    浜田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田辺広雄君。
  74. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 今いろいろ両先生、両参考人の皆さん方からお話を聞かせていただきました。長い歴史の中でございますから、取り上げて言えばあれもありこれもあり、なかなか大変だったということは私どもも理解をするわけでございます。同時にまた、今お話をされました方々も、一方においては在日朝鮮または韓国人という立場、一方においてはそれ以外のアメリカという国の立場から、同一状態で指紋の押捺という問題を検討することができないんじゃないかというような感じも受けたわけでございます。しかし、今回の場合は、昭和六十二年の外国人登録改正の際に衆議院、参議院でそれぞれ附帯決議がつけられまして、また先回海部総理が盧泰愚大統領と会われまして、そのときに、今回の指紋押捺制度にはいろいろな長い間の歴史と苦しみとまた御迷惑がある、これを何とかひとつ一日も早く解決しようというようなことで、年限を二年に切って今回この法案という形になってあらわれたということは既に御承知のとおりだと思います。  そこでお尋ねを申し上げるわけでございますが、リケット先生に対する御質問でございますが、いろいろお話を聞いておりますと、大分頭へきちゃったような話が多いので、敵視をしたとか、もう歓迎されないとかいろいろなことを言われるんですね。一つの家族の中でも、そういう指紋を押捺する方やら、またしなくてもいい人やらいろいろあるんだということについては私どももわかるわけです。しかし、今までの状態からいきますと、なるほどある程度のものは間違いが、間違いというのか、人によって指紋を押捺する人とない人とあるということはわかりますが、今までの状態から比べて幾らかでも前進したとお考えかどうか、お聞かせをいただきたいと思います。
  75. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 先ほど言おうとしたんですけれども、一つの差別をなくするために新しい差別を持ち込むということはとても前進だと私は言い切れません。同じ家族の中で、押さなければいけない妹、押さなくてもいいお兄さん。先ほどアンケートというかコメントを求めたところでは、欧米系の外国人のコメントだったんですけれども、母親で大学の先生でもあるわけですが、本人は永住権を選んだんですけれども、娘さんは永住権を持たないもので、やはり非常に非人間的な取り扱いをされなければいけないのかという、とても納得いかない、それは率直な気持ちだと思います。その辺ではどこが前進でしょうか。在日朝鮮人・韓国人、台湾人・中国人、植民地出身者の人々、その指紋を撤廃するのは当たり前のことじゃないですか。なぜ今さら、もう二十年前に行ったはずのことをそれじゃ大拍手するんですか。当たり前のことをやっと行いました。いや、御苦労さまですけれども、それは当然のことですけれども、とても問題を解決するわけにはいかないと思うのです。  というのは、いろいろ指紋の問題を考え始めてから初めて在日韓国・朝鮮人人たちに出会って常に言われたことが一つあるんですが、指紋というのは民族も国籍もないですよ、我々こういうふうに、こういう目的で、こういう歴史を持っているからこういうふうに取り扱われていますけれども、欧米系の人たちとか、そういう歴史を持っていないさまざまな外国人はじゃ違うかというと、やはりとられている側の考え方、とられている側の心境、とられている側の気持ち、理念を理解しなければわからないことはあるんじゃないですか。結果としては、人権人権ですから、一部の人間をこの強制から除外することは当たり前でありながら、とても解決につながっているとは思いません。
  76. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 重ねてリケットさんに聞きますが、先ほどリケットさんからもお話がありましたように、スペイン、ポルトガル、米国、日本、これが指紋押捺をやっているんだということで、リケットさん、あなたの国には外国人登録制度があるわけなんですね。そしてまた、指紋押捺外国人登録証の常時携帯制度があると思いますが、どうなっておりますか、これは。
  77. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 制度上の変化それぞれありましたけれども、今現在のところ、外国人でいえば永住権を求める外国人、つまり永住権を得る外国人だけから十指指紋をとりますけれども、その前はそれぞれの長い――まあ指紋はアメリカではまた別の意味を持っているんですけれども、その制度がどこから来たかということをむしろさかのぼってごく簡単な形ででも説明させていただいた方がいいと思います。  アメリカでは指紋の話が初めて出たのは一九三〇年代ですね。ナチス・ドイツが強くなっていたし、やはりいろいろそういう政治的背景からどうもアメリカにいる外国人指紋をとらなければいけないんじゃないかという考え方がありまして、それで一九三七年の二月十六日、アメリカの議会で議論されたわけです。当時アメリカの労働省の、大臣に当たる人間ですけれども、大臣はすごく反対しまして、これは一九三七年の段階ですけれども、大臣はこういうふうに言いました。登録といいますと常時携帯義務指紋押捺ということだったんですが、引用しますと、   登録は結果として三千五百万人以上の在米外  国人を困惑させ、不便を感じさせるだけに終わ  るだろう。包括的な外国人登録は、合法的に滞  存する外国人と他の住民との間に差別的な区別  を設け、さらに、比較的に少数の不法滞在者を  見つけるというむだに近い努力のために、彼ら  大多数に出費と屈辱を強いるだけになろう。い  かなる登録制度の導入の是非を問う際にも、そ  れがアメリカ型の政治体制から完全に逸脱し、  個人に対する警察管理の厳しいヨーロッパ型の  政治体制への逆戻りを意味するということを率  直に認めなければならない。一旦、このような  制度外国人適用すれば、似たような措置が  アメリカ市民へも適用されるのは時間の問題だ  ろう。包括的な登録に反対する主な理由はその  ような制度外国人を普通の住民と違うカテゴ  リーに分類することになり、その上彼らに、自  分だちが歓迎されない劣等な差別対象であると  の印象を与える効果をもたらすからである。そ  して、それは彼らに、我が国における法の下の  平等の原理に反すると解釈されるだろう という、当時、一九三七年のアメリカの労働省の大臣の話ですけれども、しかしながら、その後三年たちますともうヨーロッパでは戦争が勃発するし、ナチス・ドイツとソ連が不可侵の協定を結んだところでアメリカの中では反ナチス、反共ヒステリーに近いような状態になってしまったところでこの法案が通りました。以来ずっと、一応戦時立法として通りましたし、そういうふうにアメリカの中でも認識されているわけです。そこからアメリカの外国人登録法が始まったわけであります。
  78. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 その場合、もし指紋押捺を拒否した場合その罰則はあるんですか。
  79. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 あると思います。
  80. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 時間がもうありませんので、いろいろお聞きしたいと思いますが、金先生にも一言お聞きをしたいと思います。  やはりおたくにもそうした指紋押捺という制度はあるわけですね、おたくの国にも。どうですか、金先生。
  81. 金敬得

    ○金参考人 ございます。ただし、きょう午前中の田中宏先生のこのレジュメにもありますように、韓国は韓国国民からもとっております。ちなみに申し上げれば、韓国国民からとれるようになったのは一九六八年です。外国人からとれるようになったのはその十年後です。指紋制度自体はプライバシーの観点から見て決して好ましくありませんが、しかしかの地では内外人平等といいますか、悪法を平等に適用しております。日本は悪法を不平等に適用しております。そういう国でございます。
  82. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 先ほどもちょっと参考人の方に聞いたのですが、おれがこうなっているんだからおまえにもやればいいんだ、外国人だけが指紋押捺するのはおかしいじゃないか、日本人も全部とったらいいじゃないかという発想、なかなかこれもおもしろい発想だと私は思っております。これによって差別をなくするということですが、もう一つ人権侵害という問題もありますので、私どもは、日本人はない、外国人も将来はなくすべきだという考え方に立ってここまで来ておって、まだその中に一部残された問題があるんだ、そこを先生はどう思うかということを私は聞きたいのです。
  83. 金敬得

    ○金参考人 私は、今の日本の経済力それから国際社会の地位から見て、これはもう今の時点で、永住外国人だけから撤廃するというのじゃなくて、全部撤廃するような時期になっておると思います。その程度の自信は持っていただいて日本社会はいいのじゃないか、もう揺るぎない、私はそういうふうに思っております。  いつも私ども日本の差別法規のあの改正過程を見ておりますと、すったもんだすったもんだ、外国人の方から何だかんだ十年以上言われてやっと変えていくという一まあ韓国人はよく日本人のことをインセッカダ、非常にけちだと言いますね。だから、人に言われて言われて言われ続けてやっと少しやるという、そんなやり方じゃなくて、どうせやらなきゃいかぬものは進んでおやりになったらいかがでしょうかというふうに私は申し上げたいのですね。  それからもう一つ、今回一般外国人、私どもはとにかく今回この改正案が通れば指紋押捺をしなくていいわけですが、指紋押捺をすることの負担はなくなるかもしれませんが、一般外国人を踏みつけた上で我々は指紋をとられる必要がなくなったという精神的負担は負っていくことになるということを御理解いただきたい。あなた方が、今外国人からだけ指紋をとって日本国民はとられないということについて果たして精神的負担を感じてこられたかどうかは私は存じ上げませんが、私どもは、将来仮にこの改正案が通れば一般外国人の犠牲の上に我々は指紋をとられなくなったという精神的負担を負っていかなきゃいかぬということを御理解いただきたいと思います。
  84. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 なかなかこれは難しい問題ですが、もう一つだけお聞きしますが、携帯義務、それに対する罰則についての妥当性についてちょっとお聞きしだいと思いますが、先生お聞かせください。絶対的に反対には違いないと思っていますが。
  85. 金敬得

    ○金参考人 だから、外国人登録についても、一年以下の懲役もしくは禁錮もしくは二十万以下の罰金、こういうものはもう全く必要ない。私はその外国人登録証の常時携帯自体がもう必要ないんじゃないかと思います。先日の大阪高裁の判決、これはまあ最高裁で免訴になって最高裁では確定しませんでしたけれども、在日韓国人二世が学生証を持っておってそれでピラ張りをしておるということで捕まえられたときに、そういうものは無罪である、常時携帯の必要ない、こういう判決も出ておること、これが日本で今最新の、一応大阪高等裁判所の判決でございますから、こういう趣旨を十分御理解いただいて、常時携帯を一日も早く撤廃していただければとお願いします。
  86. 田辺広雄

    ○田辺(広)委員 どうも大変短い時間で十分な意を尽くしませんでしたが、ありがとうございました。  終わります。
  87. 浜田卓二郎

    浜田委員長 小森龍邦君。
  88. 小森龍邦

    ○小森委員 非常に重要な、いわば国際的な視野に立った議論をしなければならない問題でありますので、先般も我が党の委員から議員の出席の問題について発言がございました。いたずらにそのことで時間をとめたりしてもいけませんので申し上げておきますが、可能な限りひとつ与党の議員の皆さん方に出席をしていただく。野党は非常にまじめに出ておりますから。もし野党の人が一人意地悪をして出たら過半数を割れる、こういうような運営では本当に国際的な信義をたっとんだ態度とは言えないと私は思いますので、委員長の方でひとつぜひ配慮をしていただきたいと思います。  きょうはせっかく参考人の皆さん方おいでになっておられますので、時間の節約がございますからこれ以上のことを申し上げません。しかし、これからの審議についてはある程度厳格に野党の理事の一人として委員長に要請をし続けたい、こう思っておりますので、よろしくお願いします。
  89. 浜田卓二郎

    浜田委員長 委員長から申し上げます。  与野党を問わず、出席の要請を一度してください。
  90. 小森龍邦

    ○小森委員 それでは中身に入りますが、お二人方、先生方本当に御苦労さまでございました。  まず、ロバート・リケットさんにお尋ねをしたいと思いますが、外国人の中においてもある者は指紋押捺があり、ある者は指紋押捺が免除されておるということで、極端に言うと家族の中でも指紋押捺する者としない者とが出る、こういう危惧の念をお話しになりましたが、私それを聞いておりまして、やはりこの指紋押捺廃止する取り組みというのは、確かに韓国の盧泰愚大統領と我が国の当時の首相であった海部さんとが話をしたということが今日の直接的な契機になっておると思いますけれども、長い間の関係者の努力というものがそういう形に結びついておると思うのであります。そうすると、やはり指紋押捺廃止といういわば人権をより尊重するという立場の方向に向かっていくものの足並みが乱れるという意味で、私はリケットさんの先ほどの指摘は非常に重要だと思ったのですが、単にトラブルが起きるというだけでなくて、そういった民主主義的な感覚が前進するという意味でそこに分裂が持ち込まれたら大変なことになるという意味でお話しになったのかどうか、その点、リケットさんのお考えをお尋ねしたいと思います。
  91. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 御質問を正しく理解したかどうか、ちょっと言語障害の問題が多少あるものですから。  確かに、日韓覚書というものがありまして、それを見たときに率直に思ったのは、言い方は適切かどうかわかりませんけれども、なぜ在日外国人人権は両政府の覚書とか、言ってしまえば政治決着によって振り回されなければいけないのか、それが私の率直な気持ちだったんですよね。じゃ、今度アメリカと日本が、じゃアメリカ人に有利な待遇をしようというような、そういう協定を結ぶのでしょうか。それは国際法上おかしいんじゃないですか。とにかく日本在日朝鮮人に対してその待遇とか法的地位とかそういう問題を両政府の交渉にゆだねるんじゃなくて、日本は本当に正義でもって自主的に解決するべき問題だと思います。  それで、今回の法案もそうだし、たまたま日韓両政府の協定があっただけで一部の外国人は今度場合によると指紋を押すこともない、その子孫も押すことはないけれども、もうずっと引き続いて日本に長年暮らしても、しかも日本のだれでも永住権を取れる、取るわけでもないですね。非常に難しいのです。永住権を得るのに十五年。先ほど友人の例を挙げましたけれども、十五年日本にいても、子供二人日本で生まれ育っても、日本の学校に通っていても、しかもやっとことし定住外国人として認められて、子供はまだ永住権もないし指紋をこれからも押すだろうし、非常にこう、もうわけわかりません。ですから、とにかく原則に基づいて、いやこれはいかぬな、とにかく常に常に長年言われ続けてきたのは、法のもとの原則を守らなければいけない。百万人近い在日外国人、そのほとんどは在日朝鮮人、韓国人ですけれども、裁判でこの外国人登録法、特に指紋押捺強要を法廷で違憲性を訴えてきたのですけれども、返ってきた判決は例外なく、一部の在日外国人をこの法規定から除外することはできません。なぜかというと、国際法上、法のもとの平等という原理があるわけで、その原理に反することになるのでできません。それで、いきなり政治決着でそういうことになってしまいました。非常に私の方で混乱……。
  92. 小森龍邦

    ○小森委員 それでは、金敬得さんにお尋ねをいたしたいと思います。  私も確かに、先ほどお話しのように、長い間の努力の成果としてやっとここまで到達した、しかしそれは、本当に心の痛む話でありますが、その他の外国人の皆さん方の指紋押捺が残されたといういわば非常に心残りの問題を持ちながら、やっと永住者の、主としてこれは在日韓国・朝鮮人の皆さん方の指紋押捺廃止されるということになったというお話でございました。  そこで、今回のこの問題、日本政府のこういう差別的な、同じ外国人でも差別的な扱いをしたということについて、今後の日本の国におけるこの問題の根本的解決のために、いわば当事者の間からの声がうんと大きく日本の政治に届くようになるようなことなのか、それとも、こういうちょっと分裂がかったような形になると声が小さくなって、前途が不安であると思われるのか、その点いかがお考えでしょうか。
  93. 金敬得

    ○金参考人 私は指紋全廃というのは、これはもう必然的流れだと思います。だから、そういう意味では全然、仮に今回の改正が通って、これでもう終わりだろうと私は思っておりません。だからこそ、先ほどから強調するのは、もうこういう根拠のない、余り意味のない、長続きしない指紋制度は今回でなくしたらどうでしょうか。今後また国際的世論が上がり、国内でまたがたがたして、それでやっと、もう仕方ない、じゃ直しましょうということをいつまでなさるのか。本当に、一年以上の外国人にのみ指紋を残さなければいかぬという合理性が一体どこにあるのか。今までもずっと、今後もその討論を深めていただきたいのですが、どうも明白な理由が出ておらないようでございますので、そういうのであれば、今回の改正案のときに指紋制度だけは全廃していただきたい、私はそういうふうに思っております。
  94. 小森龍邦

    ○小森委員 金先生の方から重罰の問題について少し触れられておりましたが、やはり筋が通らないことを何とか管理するというか、法律で決まったことを何とか形を保とうとすることから重罰というものが出てくると私は思いますが、この重罰という感覚に対して、いま少し先生のお考えを述べていただけないでしょうか。
  95. 金敬得

    ○金参考人 この外国人登録法は民事行政的な外国人管理に役立てるように使うということが立法目的でございますけれども、我々がこれは刑事規制立法であると強調しますのは、指紋押捺にしろ、常時携帯にしろ、変更登録にしろ、それに対する違反がすべて一年以下の懲役もしくは禁錮、もしくは二十万円以下の罰金となっておる。まさにこれは日本の刑事警察がその気になれば、例えば常時携帯についてそういう、この前大阪高裁の無罪判決が出ましたけれども、それで運用について、今後もそういう余りにひどい運用にならないようにするというような申し合わせがあるというふうに聞いております。しかし、その申し合わせというのは別に法的根拠があるわけではございませんで、いっその申し合わせが変わり、別の申し合わせでどんどん摘発してくるか。  特にこの外国人登録法というのは、外国人登録法違反しまして禁錮以上の刑を受けますとすぐ強制送還の対象になるという、入管とリンクされたこういう法制度になっております。現に、例えば指紋押捺制度に関して申し上げれば、一九五五年当時の在日朝鮮人あるいは韓国人の指紋押捺反対運動で拒否をした方には懲役二月の判決がおりておりますね。これについて執行猶予判決がつきましたので強制送還は免れておりますけれども、やろうとすればそういうことができる法令になっておるという、これはやはり現在、四〇年代、要するに戦後直後のそういう混乱期、まだ日本が戦後の国づくりの段階であれば、そういうこともあるいはやむを得ぬという面があったのかもしれません。  しかし、この九〇年代に入って、二十一世紀をにらもうとするこの時代において外国人を犯罪人扱いし、少しでも気に入らないことをする、例えば住所変更が二週間おくれた、それで裁判にかけられて禁錮刑を与えられた、それで強制送還する、こういう法制度を残しておくこと自体がやはり私は、日本人はよく恥という言葉を口にしますけれども、これはまさに憲法の「名誉ある地位」どころか恥じゃないか、私はそう思うのですね。だから、一日も早くなくしていただくのが日本のためにとってもいいでしょうし、私ども日本に生まれ育った人間として、やはりそういう法制度をなくすべく努力するのが日本で生まれ育った者としての義務だ、そういうふうに考えておるのでございます。
  96. 小森龍邦

    ○小森委員 重ねて金先生にお尋ねをしてみたいと思いますが、先生の感覚では、この種の罰といいますか、これに対する一つ強制力みたいなものは、私どもの考えでは過料でよいと思っているのでありますが、先生のお考えはどうでしょうか。
  97. 金敬得

    ○金参考人 それは、社会党・護憲共同から出ておりますこの関係の資料にもございますが、我々は、その身分あるいは行政法的目的の制度ということから考えれば、日本住民基本台帳法あるいは戸籍法に定めるところの制裁規定過料でございますね、そういうもので十分だと私ども考えております。
  98. 小森龍邦

    ○小森委員 それでは、再びリケットさんの方にお尋ねをいたしたいと思います。  先ほどのリケットさんのお話を聞いておりまして、我が国における政府の著名な高官とかいわゆる著名な政治家がしばしば外国人に対する差別発言を行ってきておる。このことは私も十分承知しておるのでありますが、先生の先ほどのお話の中にこれらの、言うなれば、言葉で出てくるのは人間の意識がそうだから言葉で出てくるわけでありますが、そういう意識というものと、それから外国人指紋押捺をいつまでも存続させようとする、そういう国の現実法律的な制度というものの存続とに、先生は因果関係があると思われますか。その点ひとつお願いしたいと思います。
  99. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 関係ないはずがないと思います。というのは、七〇年代までは日本政府高官が時々、在日朝鮮人に対して似たような発言がありまして、一九六五年、法務省の高官は、池上努という方なのですけれども、外国人を焼いて食おうが煮て食おうが自由だという発言がありまして、その方は在日韓国人の法的地位問題を担当していた方ですから、それは因果関係はないととても言えないと思うのです。  それで、とにかく今の制度上のもの、私たちは、外登法がまた変わりますという情報が伝わってくると、非常に落ち込むような気になります。なぜかというと、相談されないのですね。在日朝鮮人・韓国人、台湾人、中国人でさえ相談されずに、自分たちの手が届かないところで自分たちの運命がずっと決められてしまうというパターンが終戦後あったわけです。そのパターンは一切変わってないのです。今度、都合上一部の外国人、旧植民地出身者の方々指紋制度から除外しますけれども、また同じような思想を生かして、今度違う人間にしわ寄せをするわけで、何一つ変わらないというところで非常に不安を感じます。  それで、そういうことですから、勝手ながら調査をやったわけです。その調査結果はここにありますけれども、今の政府案に賛成の声はこれぐらいですけれども、反対の声ばこれぐらいあるのですね。英語と日本語でびっしり書き込まれているのです。反対の声の中にも、とにかく月本人指紋もとるべきだとかいう意見もあるわけですけれども、なぜ政府がそのような相談をしないのでしょうかという理由がその政府高官の発言を聞くと大体わかるわけですね、そんなのは関係ないと。
  100. 小森龍邦

    ○小森委員 ありがとうございました。
  101. 浜田卓二郎

    浜田委員長 倉田栄喜君。
  102. 倉田栄喜

    ○倉田委員 公明党の倉田でございます。  まず、リケットさんにお伺いを申し上げたいと思います。  御意見は大変貴重にお伺いをさせていただいたわけでございますが、リケットさんの御意見は今回の外国人登録法改正案は新たに外国人同士について差別を持ち込むものではないのか、このような御意見ではなかったのかな、このように思います。そこで、先ほど委員の方からのこの法案は前進なのか後退なのかという質問の中で、とても前進だとは思わない、このような御答弁でございました。外国人同士の中に新たな差別を持ち込むものであって、これは前進だとは思わず、いわば後退、いわゆる改悪だ、そのようにお考えになっているのかどうか、この点をまず一点お伺いいたしたいと思います。  それから、アメリカのいわゆる外国人登録法に関して、先ほど少し御説明をいただきましたけれども、知っていらっしゃる範囲で常時携帯義務の点と刑罰の点、そして現在登録義務者十六歳ということになっておりますが、この年齢の点についてもう少し御説明をいただければと思います。
  103. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 十分な答えができるかどうか自信はありませんけれども、第一の問題点についてはこういうふうに考えております。  法務省、外務省の一部存続の理由を聞きますと本当によくわかりませんけれども、警察理由を聞きますとなるほどと思います。先ほど引用した記事によりますけれども、不法残留者の人たちのためだというふうに言っているのですけれども、実はもっと早い話がアジア人労働者のためにどうしてもこの制度をとっておかなければいけない。そうすることによって外国人の人々の中に、結果として、法制度でもって階級制をつくってしまうのではないかと思います。ある程度歴史的な背景があるからしようがなく日本に住みついてしまっている、あるいは日本に来させられてしまった人たちがいるわけですね。一応その人たち指紋の法的規定から除外します。今度、じゃ例えば五年以上とか十年以上、長く滞在する人間も除外しましょう。どう考えてもアジアから日本に入ってくる人々を除外しないのじゃないかというおそれがありますので、とにかく外国人としてみんな同じ人権がありますので、それを平等に守るために闘わなければいけないと思います。  それで、先ほどこの場で、まさかそのような話があると僕は思わなかったのです、聞いてびっくりしたのですけれども。日本の東京でも、歩きながら最近いろいろな人間に出会います。でも、多少ニュアンスの問題だと思いますけれども、皮膚の色がちょっと濃くて、あるいはどうもどこか南の国から来たような、そういうような様子の人間はちょっと管理しなければ気が済まないというところでとても差別発言として聞きましたけれども、とにかくそのような状況を日本の中ではつくられないように努力をお願いしたいと思います。答えになるかどうかわかりませんが。  もう一つの問題は常時携帯の問題とか、比較的に重い刑罰の問題なんですけれども、歴史をたどってみると、常時携帯制度というのは一九四九年に一応現在の形で持ち込まれたわけですけれども、その制度はどこから来たかというと、アメリカの占領軍の当局から導入されたわけです。一九四九年、GHQの中に特別な拡大会議が開かれて、朝鮮半島から日本に入ってくる大勢の不法入国者があったわけですけれども、その中にスパイも入っているのじゃないかという心配で、やはり外国人登録制度をより強化しなければいけないのじゃないかと、GHQの高官の中でそういう意見が一致したわけですね。  当時、記録を持っていますけれども、きょうは持ってこなかったのですが、記録によりますと、朝鮮人登録証という言い方をしているのですね。外国人登録証というのじゃなくて朝鮮人登録証。まず朝鮮人登録証を、一年の切りかえ制度を導入して、それと不携帯罪を設けて、その罰をより強いものにしようじゃないか、GHQの中にそういう発想があって、そこから一九四九年の外登令の法改正が行われた。もちろん日本側のインプットが随分ありましたけれども、そこから今のような非常に厳しい体制になっているのですけれども、そういうところから考えると、いまだに戦時立法が、もう冷戦の時代じゃなくなりましたのですけれども、その戦時立法として日本外国人登録法はまだ生きているというところはやはり考え直した方がいいのではないかと思います。  それで、十六歳の子供に関しては、未成年なんですけれども、国際法のもとでも十六歳の人間が屈辱的な強制を強いられるのはどうかという大きな疑問を抱かざるを得ません。ごく簡単ですけれども。
  104. 倉田栄喜

    ○倉田委員 リケットさんにもう少しお伺いしたいのですけれども、御趣旨は、指紋押捺外国人に関しても全部撤廃をした方がいい、こういう御意見だと思うのですが、その場合、お国の場合等も考えながら、代替手段として、今回の法律は写真、署名あるいは一定の家族の登録記載事項、こういうふうに永住者等に限って提案をされているわけですけれども、この代替手段としてどのようなものが考えられるのか、これについてはどのようにお考えでしょうか。
  105. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 失礼しました。さっきの質問、多少聞き間違ってしまいましたもので。  アメリカではもちろん指紋押捺義務はありますけれども一永住権を求める人間はあるのですけれども、すべての外国人外国人登録証明書を持たなければいけないのですけれども、常時携帯という日本ほどの厳しい体制はありません。必要なときだけ提示すれば済むのですね、実際の問題としては。  それで、じゃこれからどうすればよいかということなんですけれども、とにかく外国人だからという理由だけで外国人日本人との間に特別な、何というのですか、壁を設ける必要はないと思います。その辺で、実際日本に滞在する外国人は結果として住民ですから、同じ住民として取り扱った方がよろしいのではないでしょうか。アメリカは決していい例だと私は思いません。それよりももっと主体的に、日本はこれから二十一世紀に向かってどのような社会があればいいのかというところを踏まえた上で考えた方がよろしいのではないかと思います。
  106. 倉田栄喜

    ○倉田委員 続いて金さんにお伺いをしたいと思うわけですけれども、今回永住者等に限って指紋押捺制度廃止をされるという点に関しまして、いわばこれは、外国人同士に限って言えば、新たな差別の持ち込みではないのか、このような御意見もございます。  そこで、この点についてお伺いをしたいわけですけれども、金さんはそもそもこの法案を、つまり将来的な、指紋押捺その他の点も含めて、理想的な形に向かっての前進的なものだというふうにお考えになるのか、あるいは今みたいな形で新たな差別を持ち込むものであって後退するものではないのか、そのようにお考えになるのか。その点について、まずちょっとお伺いをしたいと思います。
  107. 金敬得

    ○金参考人 だから、指紋押捺制度対象者が、永住権者が対象者から外れたというそのことだけをとれば、外形的事実だけでは、それだけを見れば進歩ではないか、それは一歩前進だ、そういうこと自体は否定できないのじゃないかと思うのです。しかし、問題は、やはり日本指紋押捺制度に残る排外思想といいますか、そういう本質のところに突き詰めていきますと、どうもやはり根本的な変化はない。むしろそれ以上に、最近の報道を見ておりますと、新しく来られる外国人労働者等に対する規制等々が、これはもともと外国人登録対象になっておらない人々ですから全然根拠がないんですが、しかしそういうことが非常に流布されておるという、あたかも彼らに対してはそういう監視、規制が当然ではないかというような風潮、これはやはり私は非常に憂慮するんです。そういう思想が何ら変わらずに今回の法案がそのまま通ってしまうことについては、私はやはり危険なものを感じる。答えになったかどうかわかりませんが、そういうことでございます。
  108. 倉田栄喜

    ○倉田委員 金さんのお話の中で、この外国人登録法自体がいわゆる刑事警察立法的な、そういう意味合いがあるのではないのか、つまり治安立法的性格と申しましょうか、そういうものを持っているんではないのか、こういうふうにお考えなのかもしれないんですが、例えば今回の改正によりまして家族事項等々が新たに導入されることになる。この点をとらえていえば、金さんのお考えからいえば、それは薄められたというふうに考えてもよろしいのかどうか、新たに強化されたというふうにお考えになるのか。この点についてはいかがですか。
  109. 金敬得

    ○金参考人 この家族登録事項ということでございますけれども、指紋の代替手段としての家族登録制度ということですが、家族登録制度自体は、日本人の場合は御存じのように戸籍制度があり、住民基本台帳があって、戸籍ではすべて家族単位、氏を同じくする家族単位で身分関係が明らかになるというようなシステムになっておるわけですから、私は、家族登録そのもの自体、もちろん日本社会の中でも戸籍による管理住民基本台帳法によるそういう管理、そのこと自体が非常に問題である、だから戸籍を解体しなければいかぬというような、そういう意見もあるように伺っておりまして、そういう問題性があること自体は私は承知しております。  しかし、一応日本人がやっておる戸籍制度の家族登録事項のようなものを要するに外人登録に導入すること自体については、私は指紋にかわるものとしてそれが、私は署名と写真だけでもいいんじゃないかと思うのですが、そういう将来に向けての家族関係の明白化、それを例えば住民行政に生かしていくという、というのは、住民基本台帳法の住民のための台帳というのが地方自治体にありませんので、外国人登録法、代用しているようなところもありますので、それを家族単位のものにしていく、そういうところに利用しようじゃないかという、言ってみれば住民行政サービスのための家族登録制度というふうな観点からとらまえれば、私は、そういう観点からのものとして利用されるという担保といいますかそいうものがあれば、これはそれでいいんではないかと考えております。  ただ、先ほど私申し上げましたように、みずからの登録原票自体も本人にも見せられない。それから、例えば家族の住所の変遷とか、例えば私自身の外国人登録の住所変遷を知ろうとしても、これは私個人ではできないのです。弁護士会を通じて弁護士さんに頼んで、これはかなりの弁護士会費で、今弁護士会の登録の費用が、私なんかの所属している二弁では、五千円か六千円ぐらいかかるのですね。自分の住所一つ知るのにそれだけかかるという、こういうシステムになっておる。やはりこういうものは、非常に刑事警察的な、秘密行政といいますかそういう制度下での家族登録というふうなものになるおそれがあるものだから、皆さんその家族登録について規制がもっと厳しくなるんじゃないかと言うのであって、外国人登録行政をもっと開かれたもの、要するに自治体に対する権限をもう少し大きくしていって、より開かれた外国人登録行政住民基本台帳法行政に近いようなものにしていけば、家族登録制度というのは、私は行政上、例えば児童手当を出すときに子供何人いるかということがわからなければいかぬわけですから、そういうものから見れば私は後退ではないと思うのですが、今のままの制度下で、どう使われるかわからないという不安が残る制度のもとでは、やはり家族登録制度にも問題があるのではないかという批判の声は上がってくるのではないか、そういうふうに理解しております。
  110. 倉田栄喜

    ○倉田委員 時間が参りましたので、最後に金さんにもう一点だけ。  十六歳の登録義務ということに関して、この十六歳という年齢についてどうお考えになるのか。根拠を見出せない。根拠について。適切な年齢を金さんはどのようにお考えでございますか。もう時間が参りましたので、簡潔にお答えいただければと思います。
  111. 金敬得

    ○金参考人 外国人登録というのは、我々の場合は生まれたときからやっておるわけですね。十六歳というのは今度は確認申請で、そのときに何が変わるかといいますと、常時携帯義務、それから、現行法のままであれば指紋押捺制度、こういうものが課せられるのが十六歳になっておる。それについて、やはり十六歳という非常に多感な時期に指紋押捺を求めるのは酷じゃないか、常時携帯を求めるのは酷じゃないか、こういうことがあるわけでございます。登録自体は生まれたときからあるわけですから、そういう刑事重罰規定の担保になっておる常時携帯だとか指紋押捺を求める年齢としては、やはり私は、二十歳ぐらいの成年に達したときがよかろうじゃないか、そういうふうに考えております。
  112. 倉田栄喜

    ○倉田委員 以上で終わります。ありがとうございました。
  113. 浜田卓二郎

  114. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。  午後の参考人のお二人は、お一人は戦前の日本植民地支配という痛苦の歴史的背景を負った在日朝鮮人であられます金さん、それから、全くそういう歴史的背景を負わずに今から十六年前にアメリカから日本に来日したリケットさん、お二人共通して、そろって今回の政府案に対して、一年以上の在留者についても指紋押捺全廃すべきだという意見が開陳をされたわけでありまして、私は重大な指摘だろうと思ってお聞きをしたわけであります。  リケットさんにまずお伺いをいたしますが、恐らく日本に来る前は、アメリカにおいて指紋をとられた経験はなかったんじゃないかと思うわけですね。日本に来て、初めて指紋というのをとられたんではないかと思うのです。日本に来られる前に日本に対して抱いていたイメージ、一定のイメージを抱いていたと思うのですが、それが日本に来て現実指紋をとられたことによって変化があったのか。その辺ちょっと、率直な心理的なところを具体的にまずお聞かせ願いたいと思うわけです。
  115. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 実は私、アメリカで指紋十指指紋をとられたことがあります。兵隊のときとられましたもので、アメリカではやはり兵隊はとりますので、そこから、アメリカで出発したわけですけれども、アメリカでとる指紋、兵隊とか警察なんですが、それは犯罪捜査のためであるわけですね。日本に留学したときにとられたんですが、ちょっとびっくりしました。非常に暗い気持ちになりました。何で別に敵視されなければいけないのかという気持ちがあったわけですよね。それで、やはり在日外国人日本で余り堂々と暮らさない方がいいんじゃないか、ふさわしいんじゃないかというふうに、そういうふうに見られているんじゃないかなという気がしました。  それで、やはり指紋に対してはいろいろ思いがありますけれども、非常に印象に残るのは、一九五〇年あたりですが、ある教会の機関紙の中で、あるアメリカ人は自治体の窓口に出頭して指紋が求められたときに、なぜ私の指紋をとらなければいけないのかと窓口の人間に聞いたら、その外登係の方は、指紋はあなた方のためではありません、指紋在日朝鮮人管理のためですから御協力くださいという話を聞いたら、非常に、ああそういうものだな、日本はそういう考え方だなと思いました。  それで、法改正も八五年以来、八五年も多少手続上の改正がありましたけれども、百八十度の指紋からワンタッチの指紋に変わって、それで政府として非常に満足したようなことらしいんですが、押さなければいけない人たちにとっては、単なる飾りだけであって、本質的なところはどこも変わっていないわけですね。それでまた八七年の法改正がありましたけれども、八七年までに、とにかく日本政府として、二回、三回指紋をとらなければ本人確認できません、古い指紋と新しい指紋を照合しなければ本人確認できませんというふうに言われたのですが、いきなり、いや一回でいいです。当時小島恭次、今法務省の人間なんですけれども、外国人から指紋一回だけをとるのは全く嫌がらせにすぎない、そういう話があったのに急に、じゃ一回だけでいいです。今度、一回だけでいいんじゃなくて、一部の人間は押さなくてもいいと言う。本当に筋が通っていないどころか、全く狂っているような、変則したようなイメージを持っていますけれども、幸いなことに社会党の対案もあります。  その中では、一応ちょっとと思うところはあります。とにかく指紋全廃と常時携帯全廃刑罰主義から過料、一応その辺のいろいろ細かいところ、ちょっとと思うところもありますけれども、大ざっぱでそういう法案が出ているのに、日本のマスコミほとんど取り上げてくれないので、議論になりません。きょう本当にこの場でやっと議論が始まったのではないかと思います。ちょっと答えになるかどうかわかりませんが。     〔委員長退席、鈴木(俊)委員長代理着席〕
  116. 木島日出夫

    ○木島委員 もう一点、リケットさんにお伺いいたしますが、あなたは現実に外登証の常時携帯義務をしょっていられるわけですが、日常生活をしていてどんなときに、こんな義務があって苦痛だなと具体的に思う場面を二つ三つ、常時携帯義務の方ですが、挙げていただければ。
  117. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 いつ提示させられるのかわからないというのがあります。附帯決議があって警察もそんな厳しく管理していないという話を聞いていますが、いざとなると、単なる附帯決議ですから拘束力が余りないように思いますからちょっとあれなんです。私も何度も、ぶらぶら歩きながらいきなりおいというふうに言われて、外国人登録証を見せろ。なぜ見せなければいけないのですかと聞いたら、私は警官ですから提示を求める権利がありますと言う、それだけですね。それで連行されたことが二回ほどあるし、非常に不愉快な経験がありますけれども、その意味においては、やはり警察はいつまた厳しく管理するようになるかわからないという不安はあります。
  118. 木島日出夫

    ○木島委員 先ほどのお話によると、アメリカでは、一九三七年ですか、戦時立法として外国人に対する指紋押捺制度がつくられた。しかし、現在は永住権を持った外国人にのみ指紋押捺義務が課せられるだけだ、いわゆるグリーンカードですか、それに対する指紋押捺義務があるだけだとおっしゃられましたが、アメリカで指紋押捺制度がそのように変えられた趣旨ですか、簡単に一言で説明していただきたい。いつごろだったのかというのもわかりましたら、時期も教えていただきたい。
  119. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 制度が導入されたとき、もう戦争がヨーロッパで勃発していたから、一九四〇年から実施されるようになりましたけれども、もちろんもう戦争は始まっていたわけですね。  それで、そこからずっとあって、一九五〇年、今度強制退去の規定が導入されて、それでまた一九五二年、新しい国籍移民法というものができますけれども、国籍移民法というのは旧外国人登録法と一九五〇年国家安全法両法が含まれたものですが、一九五〇年の国家安全法と一九五二年国籍移民法両法の場合は、アメリカの大統領、拒否権を発動したわけです。なぜ発動したかというと、この立法は戦後世界と余りにもそぐわないものであり、外国人を差別対象にするもので、アメリカは批判されるのではないか。それなのに、やはり冷戦のさなかだったし、マッカーシズムの真ん中でもあったわけですから、議会は大統領の拒否を無視して強行採決したわけです。  ただ、一九五〇年代の半ば、一九五七年前後だと思いますけれども、今度すべての外国人指紋をとるのじゃなくて、アメリカ人の指紋をとる国の人間の指紋をとるという制度に変わりまして、相互制というふうに思われていますが、長年続けましたけれども、多分一九六五年あたりまた改正がありまして、その前後で結局基本的に永住権を求める人間の指紋だけをとるという変化。ごく簡単ですけれども。
  120. 木島日出夫

    ○木島委員 よくわかりました。  続いて、金参考人からお聞きしたいわけですが、先ほど私も初めて、韓国、南朝鮮ではまず自国民から指紋をとるような制度がつくられた、そして十年ぐらいたってから外国人から同じように指紋をとるようになってしまったというお話でしたが、その韓国において自国民から指紋をとるようになってしまったその背景とか理念とか趣旨とか、それがもしおわかりであったら聞かせていただきたい。
  121. 金敬得

    ○金参考人 その前に、先ほどの私の発言の中でちょっと訂正だけ一カ所。  私、先ほど自己の登録事項について、過去の登録事項を知るためには弁護士照会が必要だと言いましたけれども、自己の登録事項については自分の調べを通じて法務省に照会をかけてもらってやることができますので、その点だけは訂正させてもらいます。  それと、今の木島先生の御質問でございますけれども、私もその韓国の制度を詳しくは調べたわけではございませんが、韓国の六八年に指紋制度が導入された国会議事録を読んだことがあるのです。あるいはその当時の新聞記事を読んだことがあるのですが、当時六八年というのは、皆さん御記憶があるかどうか、プエブロ号事件というのがあった年でございます。それから、北のゲリラが青瓦台の近くまで行って銃撃戦があったという時代で、時下の状況にかんがみ全国民から指紋をとるんだという、そういうことで立法化されたというふうに私は新聞記事等で理解しております。
  122. 木島日出夫

    ○木島委員 そうすると、韓国では外国人に対するどうのこうのなんという発想は全くなかった、それで指紋制度がつくられた。それがどうして十年後ぐらいに外国人に対しても同じように指紋をとるようになったか、その辺の理念とか背景というのはおわかりでしょうか。
  123. 金敬得

    ○金参考人 これも私余り調べたことはございませんが、国会議事録等で読んだところによりますと、七八年当時、韓国が外国人人権等あるいは国内の人権等非常に内外から批判を受けておるときでございましたので、この時期に外国人から指紋をとるなんというとこれまた大変な非難を受けるよというような質問を野党の議員から受けておるのですが、それに対して内務部長官の答えが、韓国は十年前から国民から指紋をとっております、ですから、これは外国人に対しても平等適用するのですからその点については御理解いただけると思いますという形で一応外国人からの指紋登録制度を施行したのですが、その背景がどこにあるのかということについては、ちょっと私も国会議事録を読んだ限りではもう一つ明確じゃないのですが、やはり内外人平等にするということが一つの大きな趣旨だったのではないかと理解しております。     〔鈴木(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
  124. 木島日出夫

    ○木島委員 先ほども金参考人から、今度の法案で一年以上の在留外国人に対する指紋押捺が残ってしまうということに対しては、歴史的背景を背負った自分としては逆の意味の精神的な圧迫が残ることを理解してほしいと大変重大な発言があったわけでありますが、自分自身の立場ではない外国人に対してそういう気持ちに今あなたがなられたというその本当の真髄のあたりをもうちょっと詳しく述べていただきたいなと思うのですが、簡潔にもし述べていただければお願いしたい。
  125. 金敬得

    ○金参考人 私もいろいろ差別ということは子供のころから身にしみてまさにそれを受けた体験者でございまして、長じてもいろいろ就職差別等を受けてまいりまして、私も余り人の痛みを理解できる方だとは思っておりませんけれども、しかし幸か不幸か、日本社会にあって差別される側という形で、子供のころから朝鮮人だどうだこうだという形で、今風に言えば子供のころはいじめ、長じては就職差別等々でいろいろそういう差別される側の痛みというものは体験させられてきました。  だから、かなり私は鈍な人間だと思っておるのですが、それでもそういう体験を通じて、これはよくないといいますか、それと、そういう自分の体験を通してのよくないということ以上に、今回の改正法で明らかになったのは、外国人登録法指紋は刑事上の管理が目的であるということが非常に如実になったと思うのですね。ですから、そういう指紋制度、ここまで明らかになったそういう刑事目的の立法を一部たりといえども外国人に残すということはやはり非常に問題だ、人権侵害の非常に最たるものがある、そういう思いがあるものですからそういうふうに申し上げるわけです。
  126. 木島日出夫

    ○木島委員 終わります。
  127. 浜田卓二郎

  128. 中野寛成

    中野委員 定足数は大幅に足りないようでございますが、質問を続けたいと思います。  きょうは、両先生には御足労いただきましてありがとうございました。  両先生の先ほど来の御意見の表明に対しましては、基本的に私も全く同感でございます。そこで、疑問点を問うというよりも、私たちがその中でジレンマに感ずること、日本人として時に困ったなと思うことをお教えいただく意味でお尋ねさせていただきたいと思います。  まずリケット先生にお尋ねを申し上げたいと思うのですが、入管法や外国人登録法の問題を論議いたしますときに、よくアメリカの市民権の例を出されることがあるのです。というのは、合衆国の場合には、国籍があり、市民権があり、そして言うならば短期滞在者がある。その市民権制度があるというのが日本との違いではないかと思うのです。ただ、よく永住権という言葉も使いますけれども、日本の場合、永住権という表現は法律上はしていない。永住資格が与えられている、こうなりますね。ところが、そのいわゆる永住者と合衆国の市民権を持っている人とを比較して論じられることが時々あるように思うのですが、日本もそういうシステムがあった方がいいとお思いになりますでしょうか。いわゆる合衆国と日本のそういう法体系の違いと今回の外国人登録法の論議との兼ね合わせの中で、システムの違いについて先生はどうお考えでしょうか。
  129. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 法学者でもないし、アメリカの移民制度の専門家でもあるわけではないですけれども、大体日本以外の国、私、いろいろな国に暮らしたことがあります。フランスは長く暮らしたこともあるし、アルジェリア、台湾、イギリスは多少暮らしたこともある。ある程度居住すればするほど権利を取得するようになりますけれども、日本はどうしても、先生今おっしゃったとおりですけれども、権利はないのです。資格しかない。  その資格はどうやって与えられるかというと、それは法規定ももちろんある程度ありますけれども、一句よりもやはり法務省の自由裁量なんですね。自由裁量は日本の法制度一つの特徴的なところかもしれないけれども。アメリカでも冷戦のときに特にアメリカの法務省の裁量権が拡大されたのですけれども、ただいろいろな人権侵害が起こらないようなチェックが設けられていて、アピールの権利も、強制退去者についてもアピールができるわけですね。それで、判事はそれを聞いて、強制退去の余地があるかないか、政府は誤っているかどうかと。それで二年前、アメリカ政府は中東問題の絡みで十九人のパレスチナ系の人たち強制退去しようとしたのですけれども、地方裁判所はそれはだめだ、政府はやり過ぎているんだと。それはちょっと日本では考えられないことなんですね。権利じゃなくて、どうもどこかわからないところで自分の運命が決まってしまうということがありますけれども、確かにジレンマだと思います。  それをどう解決すればいいのか。どの制度がいいか。アメリカの制度もいろいろな問題もあるだろうし、ただし住めば住むほどとにかく権利をある程度取得できる。そういう問題もありますけれども、それ以前の問題は意識の問題ですよね。それは歴史に対しての意識とか、あるいは在日外国人あるいは外国人、外から来る人間はどうもマイナスの存在である、先ほど田中先生のお話があったように国に害を与える人間だ。やはりそうでなくて、視野をもっと広げて、あるいは違う観点から――いいかどうかそれは別として、とにかく事実としては日本はもう国際化しているわけですね。大勢の、百万人ほどの外国人がこの国に暮らしていますし、日本人ととにかく日常生活の中で出会っているしつき合っているし、けんかしたりいろいろ普通に暮らしているわけですから、まず外国人としての存在を認めて、日本にとってはそこにいいことがあるのではないかと。意識変革の問題だと思いますね。  意識変革といいましても、どうもやはり特に日本の場合は国というふうになってしまうのですね。国はこういうふうに指摘しているから、国はこういう指令を出しているから、文部省はとにかく在日外国人は教員として、教諭として認めたくない、法律には書いてないけれども、自由裁量で通達とかそのレベルでやっているし、指示しているわけですね。それはどう考えても日本の国際化を妨げているのではないかと思います。ですから、政府の責任は非常に大きいと思います。思い切ってこれは正しい、これは正しくないという政府からの判断が欲しいのです。どうごまかせばいいのかとか、あるいは今の制度を守りながら改正しているかのイメージをどう与えるかという問題じゃない、もっと根本的な問題ですね。  それで、やはりもう過去に戻れないのです。二十一世紀に向かって、ボーダーレスエコノミーという大前研一先生の言い方がありますけれども、国境がなくなってしまったもので、とにかく外国に工場を建てて利益を日本に持って帰るのはいいのだけれども、人間は要らない、そういうわけにはいかないのですね。そういう時代じゃないので、やはり政府とか、特に日本の国会は非常に主導的な役割を果たさなければいけないのではないかと思います。
  130. 中野寛成

    中野委員 金先生にお尋ねをいたしますが、ただその前に、先ほど同僚委員の質問に対するお答えの中で、一年以下の懲役、禁錮、これは強制退去につながるシステムとおっしゃられたように思うのですけれども、去年の入管法の改正でそれはつながらないように変えたつもりなんですが、過去の例としておっしゃられたのでしょうか。
  131. 金敬得

    ○金参考人 確かに、入管法の改正で特例永住者については外国人登録法違反についてはできないというふうになったと理解しておりますが、一般外国人についてはまだ、どうでございましょうか、ちょっと私は、一般外国人についてはまだ残っているのじゃないですか。――残っております。
  132. 中野寛成

    中野委員 結構でございます。  そこで、それとは別にお尋ねをさせていただきたいと思いますが、先ほど来両先生とも、永住者と一般外国人と区別するべきではない、これはよくわかるのです。私もそう思うのです。  ただ、そこで一つ、歴史的経緯を考えますと、旧植民地出身者、在日韓国人等ですが、やはり反省と贖罪の気持ちも込めてそういう方々には制度を優先させたいという気持ちも一方であるのです。その気持ちがあることは御理解いただけると思いますが、しかしそれがもはや手おくれであるといいますか遅きに失するといいますか、それはもっと前にやっておくべきであった、今ごろ何だ、こういうことになるのだろうと思うのです。ただ、おくればせながらそういう気持ちも込めて今回の政府改正案になっているという経緯は間違いがないと私は思うのです。  そこで、これは日本人が自分で考えるべきことであることはよく承知をいたしておりますが、あえてお尋ねして、お考えがあればお教えいただきたい。  すなわち、今回のこの問題などでは区別すべきではない、これはむしろ基本的な人権上の問題として取り組むべきである。ただ、そのお立場にある金先生とそのお立場ではないリケット先生、お二人にお聞きしたいと思いますが、日本の過去の行為に対する反省と贖罪の中で、旧植民地出身者に対する日本政府及び日本国民のあり方についてお考え、御感想があればお聞かせをいただきたい。
  133. 金敬得

    ○金参考人 旧植民地出身者に対しての日本の法制度のあり方というのは、現在の法体制は基本的に外国人登録法あるいは出入国管理法等の規制立法を中心として、よく言われますが、出入国管理体制と言われるように、個々の法律にばらばらにいろいろ国籍条項あるいは刑事重罰規定等で規制あるいは差別をしていく、こういうふうになっておる。これが六〇年代以降随分国籍条項等は是正されてきておりますけれども、私が感じますのは、在日朝鮮人あるいは中国人等の旧植民地出身者に対しては、原則的差別をしておいて何か異議があればそういう差別法令から差別を是正していくということではなくて、この前の日韓の九一年覚書ができた直後の海部総理の言葉ではありませんが、日本社会でともに生きる存在として彼らが生きられるようにしていかなければいかぬという発言がございましたけれども、まさにそういうふうに朝鮮人あるいは中国人が日本の地にあって朝鮮人、中国人ということを明示して生きていけるような、そういう積極的な法的、社会制度をつくっていく。  差別をして、差別が嫌なら帰化しろ、差別が嫌なら日本人らしく振る舞え、そういう形の基本的法制度下に置くのではなくて、やはりともに生きる存在として朝鮮人としての誇りを持って生きられるように、あるいは中国人としての誇りを持って生きられるように、そういう新たなトータルな立法的制度あるいは社会制度、具体的に言えば雇用促進法的なものだとか、あるいは教育においてもう少し、例えば私もきょう朝子供の学校にちょっと行ってきましたが、私が受けたようなとにかく日本人につくり上げるんだというような教育で、入学のときから君が代・日の丸でどんどんやられていくのはちょっとやはり子供に対する心配がある。だから、日本の教育基本法にあるように個性豊かな個人の尊厳が重んじられるような教育ということで、別に朝鮮語を教えてくれとは言わないけれども、少なくとも差別は悪いんだというような教育をしていただければということを一言言っておきたいと思って私はきょう学校に行ってきたのですが、そういうふうに教育の問題、雇用促進法というものをトータルに、要は、基本原理は差別をして日本社会に同化させていくというのではなくて、彼らの固有の文化を持って日本社会でずっと日本人とともに住んでいけるような法的、社会的な客観的制度をつくっていく、そういう考えに立って立法審議をいただきたいと思うわけです。  今回の外国人登録法も、とにかく指紋押捺制度については撤廃というのがありますけれども、そういう私が先ほど申し上げましたような立法制度という観点から見ましたら、やはり原理原則はまだ変わっていない。いまだに差別だと言われてやっと変えていくという域を脱し切れていないな、そういうふうに思うわけでございます。今何分九〇%が日本名を名のらざるを得ないという面もございますので、この前盧泰愚大統領が日本の国会の衆議院で演説しましたときにも、かつて韓半島ではみずからの名前を名のった、あるいはみずからの親から教えられた言葉を使ったということでむちうたれた記憶があった、皆様この痛みは御理解いただけないでしょうという御発言がありましたけれども、それは韓半島ではかってとして過去で語ることができるのですが、ここ日本にあっては在日朝鮮人については現在の状況である。ですから、こういう現在の状況を是正できるような立法制度をぜひお願いしたい。  外国人登録法というのは、常時携帯とか刑事重罰規定というのは、そういう朝鮮人朝鮮人として誇りを持って生きられないようにするような法制度の最も中心的な法律であったということですね。それで、指紋押捺制度反対というような形でも朝鮮人がみずからのアイデンティティーをかけて運動をしてきたという歴史があるわけですから、そういうことを御理解いただいて、ぜひ一日も早く総合的な立法政策をお考えいただきたいというふうに望むものでございます。
  134. ロバート・リケット

    ○リケット参考人 永住者と一般外国人との間にすべての区別をなくすべきだという極端なことを言うつもりはないですけれども、差別的な区別をとにかくなくしない限り、ともにいけるような社会をとてもつくれないです。  最近アジアから大勢の人々が勉強したり働くために日本に来るわけですけれども、日本のマスコミ、世論を見ますと、どう対応すればいいのかとかいろいろな議論がありますけれども、それ以前の問題は、やはり日本は過去に対してどうやって責任をとって、それで在日朝鮮人ととにかくどうやっていけばいいのかという根本的な問題を解決しない限り、新しい問題ととても取り組めないと思いますので、その時点では在日朝鮮人と相談せざるを得ないと思います。むしろ何よりもそれはそうすべきだと思います。  ただ、アメリカの出身者ですから、いつもアメリカの社会のことを考えますけれども、アメリカでも差別はひどいものですね。人種差別、いろいろなあつれきもあったりして、アメリカの歴史、非常に恥ずかしいところ多いですけれども、せめていいところも一つあるとすれば、法上一応平等というそういう法規定はあるわけですね。差別された人間は、国籍を問わずに市民じゃなくてももちろん同じ権利はありますから、裁判で闘えば勝利する可能性も強いし、それは法的体系があるわけです、基本的に。日本はそういうのは欠けています。ですから金先生がおっしゃったように、総括的な問題だと思います。  それで、とにかく外国人は、国籍はどうであれ日本に今暮らしている限り日本社会に貢献していますので、その見返りをどうするか。自分の貢献、それなりの貢献をしているのならそれなりの見返りを得ればいいんじゃないか。その第一歩として外国人登録法における差別的な条項を削除すべきであると思います。  以上です。
  135. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。
  136. 浜田卓二郎

    浜田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  どうぞ御退席ください。(拍手)  次回は、来る十日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時四十三分散会