○岡田(克)
委員 本
法案の質疑に先立ちまして、きょうで四日目にこの
委員会はなると思いますが、この特別
委員会に連日
参加をさせていただいて、そして与野党の
先輩の先生方の質疑を聞いておりましたその率直な感想をまず一言述べさせていただきたいと思うわけでございます。
本
委員会で本
法案と
憲法の問題ということが
一つの焦点になっております。もちろん立法機関である
国会が
法律を審議する際に、その元締めである
憲法との
関係について、その
憲法の範囲内かどうかを慎重に
議論をするということはこれは当然必要なことでありますから、十分たる審議をしていただきたい、こういう気持ちでございます。しかし、他方で、審議を聞いておりますと、どうも
憲法との
議論にやや偏りがあり過ぎるのではないかな、率直に申し上げてそういう気持ちがすることも事実であります。
本来最も重要なことは何かと言えば、
憲法との
関係、これももちろん重要でありますけれ
ども、その前に
議論としてあるべきは、この
法案がどうして必要なのか、言葉をかえれば
国連の
PKO活動に対して我が国が
参加をすることが
国家国民の見地から見て必要かどうかというその
議論がまず第一義的にあるべきだと私は思うわけでございます。今、私の
考えを細かく述べるつもりはございませんけれ
ども、現下の
国際情勢とそして我が国の置かれた
立場というものを
考えれば、私は
国際連合を
中心とした
国際平和
活動のための
努力に対して、お金と物だけではなくて人の面でも一歩進んで貢献をすべきことは当然である、こういう気持ちでいるわけでございます。
この点につきまして果たしてこの場での質疑をされた皆さんかどういう気持ちでおられるのかというのが、質疑をお伺いしている限りでははっきりしない部分があったのは大変残念なことでございます。まず
国連の
PKO活動に対する我が国の
参加という問題を一体どう
考えるのかという根本論があって、その点について共通の認識がなければ、私は、
憲法との
関係とかその他いろいろな問題を
議論したところで結局はそれはかみ合わない、本質的な
意味での歩み寄りは見られない、こういう気がしてならないわけでございます。
もし我が国が
PKO活動に積極的に
参加すべきである、そういう共通の認識ができたのであれば、それじゃその上で、今の
憲法でこれが許されるのかどうか、こういう
議論をすべきだと私は思います。私はもちろん現行
憲法上でこの
法案が十分に枠内に入っている、こういうふうに確信をしておりますけれ
ども、もし、そうじゃない、現行
憲法上この
法案がはみ出している、そういう御意見をお持ちの方がいらっしゃるのであれば、そしてなおかつ我が国が
国連の
PKO活動に
参加することが必要である、そういうふうにお
考えであれば、それはむしろ
憲法を変える、そういう
考えだってあっていいのかもしれません。私はそれが本筋の
議論だと思うわけでございます。
要するに、ずっとこの
議論を聞いておりましてどうもよくわからないのは、何か今の
憲法というものが絶対的な存在としてまずあって、そしてその枠内で読めるのか読めないのかということが極めて技術的にあるいは法
解釈的に
議論されている、こういうふうに思われるわけでございます。私は戦後生まれの世代の一人でありますけれ
ども、同世代の友人とこの
PKO法案について、
国会の質疑についていろいろ
議論をしておりますと、どうも
国会のやっていることはわからないな、こういう意見が多いわけであります。
本来、
憲法というのは国民が
制定したものであります。そして、そのときどきの時代的な変化に応じてもっと柔軟に、
解釈もそして場合によっては法文そのものも変えていくべきものであると私は思います。間もなく戦後半
世紀を経るわけでありますけれ
ども、この間一字一句たりとも修正を加えずに五十年前の
憲法をそのまま引きずっているということに私はむしろ奇妙な感じを抱くわけでございます。
憲法改正を口にすると、それだけで、いや
憲法は絶対であるとか、
憲法改正を口にすることが何か反動的なような印象でとらえられるということは私にとって非常に残念でありまして、むしろそういう風潮こそが我が国の民主主義の根の浅さというものをあらわしているのではないか、そういう気がするわけでございます。
憲法が不磨の大典である、神聖にして侵すべからず、これは
戦前の
考え方であります。それはまさしく
戦前の帝国
憲法の
考え方であって、議会制民主主義の国においては、
憲法のあり方について常に
議論をする、それが本来の姿であると私は思うわけでございます。
これは
憲法九条に限ったことではありません。いずれの条項であれ、もっと自由にこの
国会の場でも
議論できる、そういう雰囲気が私は欲しいと思うわけでありますし、先ほど戦後生まれの者に何がわかるかというお話もありますけれ
ども、それであれば、我々は国民の負託を受けて国
会議員として出てきているのでありますから、我々に黙れと言うのと同じであります。それが果たして民主主義と言えるのでありましょうか。また、そういう自由な
議論をするという雰囲気の中で、初めて本来の
意味での
憲法を尊重する、そういう感覚が国民め間でももっと浸透していく、養われていくのではないか、こういう気が私はしているわけでございます。
そろそろ本論に入りたいと思います。
さて、今の
憲法六十五条は「行政権は、
内閣に属する。」こういうふうに明確に
規定をしているわけでございます。そして、同じく
憲法第七十三条は、具体的に、例えば
法律の執行でありますとか国務の
総理でありますとか
外交関係の処理、こういった事柄を
内閣の
権限として、職務として個別列挙をしているわけでございます。そして、その中で
条約の締結に関しては第三号ただし書きによっていわば例外が置かれておりまして、
国会の承認を必要とする、こういうふうに書かれているわけでございます。
すなわち、この
憲法六十五条と七十三条を貫く
考え方といいますのは、私の理解によれば、行政権というのは本来
内閣の
権限である、そして
法律の執行に当たっては本来
国会の承認は必要がない、こういうことが大原則としてその思想としてある、私はそういうふうに思うわけでございます。本来、今の
憲法で立法
権限を
国会に、そして行政
権限を
内閣にそれぞれ専属させているわけでありますけれ
ども、
国会と
内閣の
役割を明確に区分してそれぞれの責任の所在を明確にしているというのがその基本的な
考え方である、私はそう思うわけであります。
この観点からいいますと、本来
内閣が責任を持つべき事柄についてむやみに
国会の承認にかからしめるということは、
国会と
内閣との間の責任
関係を不明確にする、そういう大きな誤りを犯すことになるのではないかと私は思っております。こういう観点から、私は、本来行政
権限に属することを
国会の承認にかからしめることは極めて限定的に
考えるのが筋ではないか、こういう
立場に立つ者でございます。
そこで、具体的にお伺いをしたいと思いますけれ
ども、現行法上で
国会の承認を必要とする場合として、
自衛隊法第七十六条の
自衛隊の「防衛出動」のケース、それから同じ
自衛隊法七十八条の「命令による治安出動」のケースが参考になると思うわけでありますけれ
ども、その二つのケースはなぜ
国会の承認を必要としているのか、御
答弁をお願いしたいと思います。