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下河辺参考人 私、ただいま
委員長から御紹介いただきました
総合研究開発機構の
理事長の
下河辺でございます。
本日は、
国会等の
移転に関する
特別委員会で
参考人として
意見を述べさせていただく機会をいただきまして、光栄に存じております。
実は、私は
政府の役人として長く勤めておりまして、
国民所得倍増計画あるいは第一次
全国総合開発計画、新
全総、三
全総、四
全総の
作業にかかわってまいった者でございますし、
国会議員の有志の
皆さん方でつくられております新
首都問題懇談会にもいろいろお
手伝いをさせていただいた
経験もございまして、かつ、現在では
国土庁の
長官の
諮問機関の
移転に関する
懇談会のお
手伝いもしているということで、約三十年にわたって
首都機能移転問題について
関係してまいった者でございます。現在は、私が今おります
総合研究開発機構の中におきまして、
首都移転に関する
研究を続けておりまして、若干の
報告書をつくるという
作業をしているということを
最初に申し上げたいと思います。
しかし、私がかかってこの
首都移転の問題についてかかわっております立場というものは、
国土計画の
視点ということであります。
国土計画という上で、
日本の
国土の
構造が
東京一極
集中構造であるということから来るいろいろな問題がございます。
東京の過密問題もありますし、
地域の
活性化の問題もあります。そして、
国土軸の形成がどうも西
日本に偏りがちであるというようなことを修正しなければいけないというような諸問題がございますが、そういった
国土計画視点から、あわせて
首都機能をどう見たらよいかということは、絶えず三十年間の
議論でありまして、
結論的には、
首都機能を何らかの形で分散
移転すべきであるという
方向を考えながら、
国土計画的な
視点からの
作業を今日まで続けてきたわけであります。
しかし、
事態が去年から一変したというふうに私は認識しております。その一変したという
理由は、
国会がみずから
国会等の
移転に関して
決議をなされたことであります。
国土計画的視点からのみ論じて、いわば主体性を抜きにした
計画論を展開してきた私
たちにしますと、
国会がみずから
移転の
意思を
決議されたということは歴史的な出来事であるというふうに考えたわけであります。
この
国会移転の意義というものは、まず第一に、今申したように、
国会がみずから
意思を明確にしたということがありますけれども、
二つ目に言いたいことは、この
首都機能の
移転というものが、二十一
世紀の
我が国の
政治、あるいはその二十一
世紀の
政治を支えるべき
国会の
あり方を問うているという点であるわけであります。
国土計画的な
視点というだけで三十年間やってきた私
たちにとりまして、
国会移転というものが初めて
国会の
意思によって、しかも、
日本の
政治の未来を語ることによって始まる、つまり、
国土計画視点ということにとどまらずに、
政治的視点というものが
国会移転の問題の中で明確にされたということは、私は、非常に重大な
決議であったというふうに思っています。しかも、この
決議に合わせて、
政府、
行政というものがみずからの
意思を決めなければいけないことを促したという
意味がとても大きいと思います。
政府においても
有識者会議が開かれ、
国土庁の
諮問委員会も
作業を急ぐということになり、やがて、私は、
政府も
移転の
意思をみずからはっきりすることだろうという期待を持っておるわけで、去年の
国会の
決議以降、
我が国における
首都機能移転問題は
一つ大きく第一歩前進したという
見方をしてい一るということで、
国土計画的視点だけではなくて、
政治的視点というものが大きく組み込まれてきたということを、とても重いものとして私は受け取っているということを第一点に申し上げたいと思いました。
それから次に申し上げたい点なのですけれども、
国会というものを考えます場合に、私
たちの
国土的計画の中で
幾つかの
提案をしてまいりました。
それは、
改都論といいまして、
移転をしなくとも、
東京の
都市を改造することでよい、しかも一方で
分権化が進めばよいという
見方、これを私
たちは
改都論というふうに言っておりました。
それにさらに
展都論というものを言い出しましたのは、
東京を改都しながら、実は、一部の
首都機能を六十キロ圏ぐらいの
範囲ならば分散することが可能ではないかという
見方でありまして、
筑波研究学園都市やあるいは立川の
防災基地やあるいは
大宮等の
多核都市をつくるということで
首都機能の一部を分散させようという、これを私
たちは
展都論と言っておりました。
さらにそれに、もっと長距離に分散するということで分
都論ということも言っております。これは諸
外国にも例がありますので、
我が国にとって分
都論はどうかという
作業もいたしたことがあります。そして、さらに基本的には、
遷都論ということで、
東京という
首都をいずれかに
移転しようということも論争しておりました。
しかし、それにさらに
二つ、特異な方法を論じています。
その
一つは重
都論でありまして、重
都論というのは、
東京にとって、過密であるがゆえに一層深刻である
直下型地震に対していかに対応したらよいかという
テーマでありまして、
現実の問題としては、
東京が
首都として
機能しなければならないにもかかわらず、一方で
直下型地震による
災害を考えていかなければならないということから、
首都機能を二重に持とうということを考えて重
都論ということを考えたわけで、
首都の
機能が
災害を受けたときのリダンダンシーといいますか、予備的な
処理能力を持とうということで重
都論ということを申しました。
さらに、それに加えて
休部論ということも
提案しています。この
休部論というのは、
東京が過密であるということに対しまして、よく調べてみますと過密の困った
要素はいっぱいありますけれども、特に夏において過密の問題が非常に大きいということを考えました。特に電力の
需給バランスが非常に困難な
状態にある。そしてさらに、水の
需給バランスがなかなか夏場は容易ではないというような認識から始まり、
光化学スモッグのこともあり、夏ということを
東京の過密問題として
議論したわけでございますが、諸
外国の
首都を見ておりますと、夏は、私
たちが出張しても相手がいなくて
仕事ができないということはむしろ常識でありますが、
世界の
首都が、夏こそ
東京でのみ
仕事ができるというのを聞いて憤然とするわけで、
東京ももうそろそろここまで来たら夏休みがあっていいんじゃないかということも考えたわけでありますので、夏休むということが文明的にも、過密問題に対しても一挙両得じゃないかということで、休都ということを言い出したわけであります。
しかし、
国会の
機能というものは、シーズンによって休んでよいということがあるかどうかということになりますと、私にはよくわかりませんけれども、
緊急事態その他から考えれば、やはり夏でも
国会を開会しなければいけないときが多いだろう。しかも重都として、
地震のときでも、
地震が起きたのでしばらく
国会を開かないということはできないのではないかということから、重都や
休部という
議論をした時期があります。
そういったようなことで、
首都機能の
移転ということを
移転の
方式の方から考えますと、改都、
展都、
遷都、分都あるいは重都、休都ということを
議論したことが長く続いておりました。しかし、初期の
段階ではその
六つのパターンのいずれを選ぶかというようなことが
議論になっておりまして、
遷都がいいという
論者もおれば、あるいは改都で済むという
論者もいれば、
政府は、一どちらかというと
展都でいいということを今まで
実務上は言ってきたというふうに考えています。重都と
休部については、ほとんど識者として述べるだけで、実際の問題にはなっていないというのが
現状だろうと思うわけであります。しかし、去年の
国会移転決議以降、もっと
現実性が増しましたために、
国土計画的視点である私
たちも、一層
現実的な案をつくろうという
方向に変わってきています。
そのときの特色は何かといいますと、
六つの
移転方式をばらばらにして、いずれを選択するかという論争はほとんど
意味がないということを考えるようになってまいりました。つまり、どういうことかといいますと、改都を進めるということは、
現実的な、日常的な
行政におきます
責任のある
仕事であることはどなたも否定できないものではないだろうかと思うわけでありまして、
首相官邸もこのままでいいはずはないわけで、
遷都があるまで
首相官邸をこのままにするということも
現実的ではないということがありますし、現在
政府が行っている一部
首都機能の
移転で
大宮その他への
移転の問題も実行すべきであるということがあり、
東京の
都市改造も進めるべき
事態にありますから、改都、
展都ということが現在の
実務であり、それをおくらせることはできない。
しかしながら、今最も重要なのは重都と休都ではないだろうかということを考えるようになってきておりまして、
直下型地震への恐怖というものを考えますときに、人命、財産への
管理ということが
防災の基本でありますけれども、今日の
東京の状況を見ると、
情報の
災害、
情報が渋滞するということの被害ということは、
東京だけではなくて
全国あるいは
世界じゅうに与える影響がちょっと恐怖的なほど大きいのではないか。この回復にどのくらいの日にちを要するのか、一週間であればどうなるのか、半年であればどうなるか、数年かかるとなってしまったらどうなるのかということを考えますと、その
安全性を確保するべき政策を急がざるを得ないということが私だ
ちの結論であって、
国会等の
移転に当たって、
地震というものとの
関係が緊急を要するということで、
遷都がいいか悪いかと論ずる暇はないというぐらいに私は思っておりまして、重都、休都に対する
首都機能の
あり方、
国会の
あり方を緊急に
結論を出していただかなければならないということをまず思うわけであります。そして、それが行われましたときに、やはり少しずつ
首都機能が全体として
東京から離れていくということは、歴史の
流れとしての
必然性を持っているのではないかというふうに思います。
そして、先ほど申しましたように、
国土的視点以上に
政治的視点ということが加味されてきたということは、
国会を
中心として二十一
世紀の
日本の
政治の
あり方、そしてその
政治の
あり方を支えるべき
国会、そしてその
国会が開かれる
国会議事堂というものをいかなるものとして考えたらよいか。抽象的に言えば、
国民に開かれたとか、あるいは国際的なというような言葉がいっぱい出てきますが、それらが具体的には一体どういうことになるのか。
私が一人の
設計家として新しい
議事堂の
設計をもし頼まれたとしましたときに、その
設計の思想の根本は何かというようなことが明らかでなければ
設計は不可能なわけでありまして、重都、休都ということを進めながら、実は長期的に
遷都についての
議論も欠かすことができないということを思うわけであります。
そして、
中間時点においては、やはり
東京が
首都であるにもかかわらず、他の
地域において
首都機能の
集中都市ができるとすれば分都というような
構造にならざるを得ないということで、恐らく、これから始まる二、三十年のところは、重都、
休部ということから始まって、そして
遷都論を論じながら、分
都論的な
構造になっていくだろう。それを超えて、二十一
世紀に入っていくに従って、ひょっとすると
遷都という
構造に近づくかもしれない。しかし、現在
遷都というものがいいか悪いかということを論ずるのには十分な準備がなされていないということを私としては思うわけであります。
そういうことが
二つ目に申し上げたかったことで、
移転の
方式というものは選択するという
テーマではなくて、すべてが連続的に進められていくということが合理的ではないだろうかということを申し上げたかったわけであります。
三番目に、若干の
提案をさせていただきたいと思いますのは、そのような
考え方の上で考えましたときに、せっかく
国会がみずからの
意思で
移転を
決議したということとも
関連しますし、私がきょう申し上げた
遷都までの歴史的な
流れの中でまず何をすべきかということを考えましたが、
目的としては、
地震対策としての重
都論をやることが優先すると思っておりますが、その
作業の具体的な内容としては、
国会を
中心とした
都市をつくるということを始めてはどうかという
見方をしております。私どもは、それを
国会都市と称して
ビジョン、イメージをつくろうとしています。
最初から全
首都機能を入れた新しい
首都を構想することはほとんど不可能に近い
要素がいっぱい出てきてしまうということもあります。したがって、ここで小
規模な、
国会を
中心とする
都市をつくるということを
現実的な問題として考え、それを重都としてつくっていくということが
一つの
考え方ではないかということを思うようになってきておりまして、その
国会都市というのは、恐らく
都市の
規模としては五万人程度の
都市で十分ではないかという
見方をするようになってきました。このことは、
国会だけが重
都論として、さしあたって現在の
国会とその新しい
国会都市の
議事堂と
二つを持つという時期が長く続いていかざるを得ないという
見方をしておりますので、いわば国全
都市には第二
議事堂というようなことが
議論になってくるだろう。したがって、第二
議事堂ということについては、単に
国会開会だけという
目的ではなくて、
国民が平時においては利用できるということさえも考えるということが重要ではないだろうか。
世界の
議事堂の中でも、最近
議事堂というものを国際的な
会議に開放するというような
議事堂も出てきたというような時代でもあるわけでありまして、いわばオリンピック村と同じような
構造で、
宿泊施設を持った
会議施設あるいは
スポーツ施設を持った
国会都市をつくるということから始めて、そして、それは時間の推移とともに実は本格的な
国会への建設につながっていくというようなことさえ考える必要があり、その
段階に来ると、
遷都の対象としてその
国会都市が
議論されるということにつながっていくのではないだろうかと思うわけであります。
そのときに、
国会都市だけができればよいというふうには思っておりませんで、あわせて小さな
規模の
中央官庁の
都市が
幾つかできてくる、しかも、
国会関係者や
公務員関係者あるいは
一般市民を入れた
居住のための
都市もつくっていくというようなことになり、
国会都市から始まったものが
官庁都市や
居住都市というようなものを周辺に持って、小
都市が
幾つもできてきて、その小
都市が交通、通信でネットワーク化されていくというような
ビジョンを頭の中に描きながら、まず第一歩として
国会都市をつくるというようなことは
一つの
ビジョンではないだろうかというようなことで、若い方々と
作業を続けているというのが
現状でございます。
それから四番目に、
最後に申し上げたいのは、そういった
作業をしながら思うことでありますが、
三つのことについて、
政府にいろいろ考えていただきたい、あるいは
国会に考えていただきたいと思っていることがございます。
その
一つは、
直下型地震というものに対する
情報災害、そして、その
情報災害の中で
国家の
機能というものがどのように安全であるかということを再
調査した上で、その
安全性を確保すべき
方向を明確にしていただきたいということが
一つございます。
民間企業は、利益ということと直接結びついているだけに、
企業を個別に見ますと、
地震対策を
情報管理の上でもう終わっている
企業、始めている
企業、まだ無関心な
企業、いろいろございます。しかし、
特殊会社であるJRとかNTTとかKDDとかというものがどれだけ進んでいるかというところは必ずしもまだ明確ではない、NHKがどれだけの
対策に成功しているかということもまだ明確ではないというふうに思いますが、私の知る限りにおいては、
国会と
中央官庁の
情報管理についてはほとんど無防備な
状態にあるというような気がしておるわけで、これはあるいは誤解を伴っているかもしれません。そのために、まず第一に、
首都機能移転問題に関しては、
国家の
情報の
危機管理について
考え方が明らかになるということが
一つ重要であるというふうに思っています。
二つ目に重要なことは、
国会あるいは
中央官庁、あるいは場合によっては
司法の
皆さん方、
三権のそれぞれの独自の
意思決定に基づいて、その
意思が統合されて
首都機能の
移転ということになるのだろうと思いますが、こういった
三権にまたがる
移転に関する検討をだれが
責任を持ってどのようにやったらよいかということが、
国土計画の私
たちにとっては非常に問題であるわけでありまして、
首都機能移転に関するちゃんとした権限を持った
組織、そして、その
組織がどのように
計画を練っていくかということも明らかにしていただかなければならない
テーマではないだろうかと思っています。
〔
委員長退席、
綿貫委員長代理着席〕
それから、
三つ目に申し上げたいことは
土地問題でありまして、私
たちが
国土計画視点からのみ
首都移転を論じますと、一般的な
質問や取材というものは、大体
場所と
面積であります。
場所と
面積ということから
議論が始まるということは、
日本の
土地問題の性格をあらわしていると思うのですけれども、しかしそれが
現実的な問題でありまして、ひどいときには、私
たちが
首都機能の
移転問題の
勉強会として地方へ行きますと、
たちどころにここが
候補地じゃないかと言われてしまうというようなことを繰り返しておりますし、
現実にうわさが出れば、その
地域はもう全く
理由もなく地価が高騰するという
経験も持ったわけでありまして、具体的に討論するという
前提には、基本的な
土地に対する制度が必要であって、十分に具体的な
計画を討論できる基礎として、
土地に対する何か事前の予防的な措置を講じていただかなければならないのではないかということで、以上三点については、具体的な
首都機能の
移転問題に入る
前提として重要な
テーマではないだろうかというふうに思っております。
私から申し上げたいことは以上でございますが、
皆さん方の御
審議に何かお役に立てばありがたいと思います。
御清聴ありがとうございました。(拍手)