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1991-09-25 第121回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年九月二十五日(水曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 金丸  信君    理事 加藤 紘一君 理事 近藤 鉄雄君    理事 村田敬次郎君 理事 山口 敏夫君    理事 綿貫 民輔君 理事 五十嵐広三君    理事 山口 鶴男君 理事 鳥居 一雄君       塩谷  立君    武村 正義君       中村喜四郎君    野呂田芳成君       萩山 教嚴君    浜野  剛君       原田昇左右君    井上 普方君       木間  章君    斉藤 一雄君       和田 貞夫君    平田 米男君       金子 満広君    米沢  隆君  出席政府委員         内閣官房内閣内         政審議会室長         兼内閣総理大臣         官房内政審議室         長       伊藤 博行君         国土庁長官官房         長       藤原 良一君         国土庁計画・調         整備局長    田中 章介君         国土庁大都市圏         整備局長    西谷  剛君  委員外出席者         参 考 人         (総合研究開発         機構理事長)  下河辺 淳君         国会等移転に         関する特別委員         会調査室長   杉本 康人君     ――――――――――――― 委員の異動 九月二十五日  辞任         補欠選任   渡辺 秀央君     萩山 教嚴君 同日  辞任         補欠選任   萩山 教嚴君     渡辺 秀央君     ――――――――――――― 九月二十日  国会等移転に関する陳情書  (第一〇八号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国会等移転に関する件      ――――◇―――――
  2. 金丸信

    金丸委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  本件調査のため、参考人から御意見を聴取いたします。  本日御出席願っております参考人は、総合研究開発機構理事長下河辺淳君であります。  この際、参考人に一言ごあいさつをいたしますが、非常にお忙しい中を御出席いただきまして、まことにありがとうございます。忌憚のない御意見をお願いいたすわけでありますが、最初に三十分程度お話しいただきまして、あと一時間半、先生方から御質問をするということで御了承を願いたいと思います。何とぞよろしくお願いいたします。  それでは、下河辺参考人にお願いいたします。
  3. 下河辺淳

    下河辺参考人 私、ただいま委員長から御紹介いただきました総合研究開発機構理事長下河辺でございます。  本日は、国会等移転に関する特別委員会参考人として意見を述べさせていただく機会をいただきまして、光栄に存じております。  実は、私は政府の役人として長く勤めておりまして、国民所得倍増計画あるいは第一次全国総合開発計画、新全総、三全総、四全総作業にかかわってまいった者でございますし、国会議員の有志の皆さん方でつくられております新首都問題懇談会にもいろいろお手伝いをさせていただいた経験もございまして、かつ、現在では国土庁長官諮問機関移転に関する懇談会のお手伝いもしているということで、約三十年にわたって首都機能移転問題について関係してまいった者でございます。現在は、私が今おります総合研究開発機構の中におきまして、首都移転に関する研究を続けておりまして、若干の報告書をつくるという作業をしているということを最初に申し上げたいと思います。  しかし、私がかかってこの首都移転の問題についてかかわっております立場というものは、国土計画視点ということであります。国土計画という上で、日本国土構造東京一極集中構造であるということから来るいろいろな問題がございます。東京の過密問題もありますし、地域活性化の問題もあります。そして、国土軸の形成がどうも西日本に偏りがちであるというようなことを修正しなければいけないというような諸問題がございますが、そういった国土計画視点から、あわせて首都機能をどう見たらよいかということは、絶えず三十年間の議論でありまして、結論的には、首都機能を何らかの形で分散移転すべきであるという方向を考えながら、国土計画的な視点からの作業を今日まで続けてきたわけであります。  しかし、事態が去年から一変したというふうに私は認識しております。その一変したという理由は、国会がみずから国会等移転に関して決議をなされたことであります。国土計画的視点からのみ論じて、いわば主体性を抜きにした計画論を展開してきた私たちにしますと、国会がみずから移転意思決議されたということは歴史的な出来事であるというふうに考えたわけであります。  この国会移転の意義というものは、まず第一に、今申したように、国会がみずから意思を明確にしたということがありますけれども、二つ目に言いたいことは、この首都機能移転というものが、二十一世紀我が国政治、あるいはその二十一世紀政治を支えるべき国会あり方を問うているという点であるわけであります。国土計画的な視点というだけで三十年間やってきた私たちにとりまして、国会移転というものが初めて国会意思によって、しかも、日本政治の未来を語ることによって始まる、つまり、国土計画視点ということにとどまらずに、政治的視点というものが国会移転の問題の中で明確にされたということは、私は、非常に重大な決議であったというふうに思っています。しかも、この決議に合わせて、政府行政というものがみずからの意思を決めなければいけないことを促したという意味がとても大きいと思います。  政府においても有識者会議が開かれ、国土庁諮問委員会作業を急ぐということになり、やがて、私は、政府移転意思をみずからはっきりすることだろうという期待を持っておるわけで、去年の国会決議以降、我が国における首都機能移転問題は一つ大きく第一歩前進したという見方をしてい一るということで、国土計画的視点だけではなくて、政治的視点というものが大きく組み込まれてきたということを、とても重いものとして私は受け取っているということを第一点に申し上げたいと思いました。  それから次に申し上げたい点なのですけれども、国会というものを考えます場合に、私たち国土的計画の中で幾つかの提案をしてまいりました。  それは、改都論といいまして、移転をしなくとも、東京都市を改造することでよい、しかも一方で分権化が進めばよいという見方、これを私たち改都論というふうに言っておりました。  それにさらに展都論というものを言い出しましたのは、東京を改都しながら、実は、一部の首都機能を六十キロ圏ぐらいの範囲ならば分散することが可能ではないかという見方でありまして、筑波研究学園都市やあるいは立川の防災基地やあるいは大宮等多核都市をつくるということで首都機能の一部を分散させようという、これを私たち展都論と言っておりました。  さらにそれに、もっと長距離に分散するということで分都論ということも言っております。これは諸外国にも例がありますので、我が国にとって分都論はどうかという作業もいたしたことがあります。そして、さらに基本的には、遷都論ということで、東京という首都をいずれかに移転しようということも論争しておりました。  しかし、それにさらに二つ、特異な方法を論じています。  その一つは重都論でありまして、重都論というのは、東京にとって、過密であるがゆえに一層深刻である直下型地震に対していかに対応したらよいかというテーマでありまして、現実の問題としては、東京首都として機能しなければならないにもかかわらず、一方で直下型地震による災害を考えていかなければならないということから、首都機能を二重に持とうということを考えて重都論ということを考えたわけで、首都機能災害を受けたときのリダンダンシーといいますか、予備的な処理能力を持とうということで重都論ということを申しました。  さらに、それに加えて休部論ということも提案しています。この休部論というのは、東京が過密であるということに対しまして、よく調べてみますと過密の困った要素はいっぱいありますけれども、特に夏において過密の問題が非常に大きいということを考えました。特に電力の需給バランスが非常に困難な状態にある。そしてさらに、水の需給バランスがなかなか夏場は容易ではないというような認識から始まり、光化学スモッグのこともあり、夏ということを東京の過密問題として議論したわけでございますが、諸外国首都を見ておりますと、夏は、私たちが出張しても相手がいなくて仕事ができないということはむしろ常識でありますが、世界首都が、夏こそ東京でのみ仕事ができるというのを聞いて憤然とするわけで、東京ももうそろそろここまで来たら夏休みがあっていいんじゃないかということも考えたわけでありますので、夏休むということが文明的にも、過密問題に対しても一挙両得じゃないかということで、休都ということを言い出したわけであります。  しかし、国会機能というものは、シーズンによって休んでよいということがあるかどうかということになりますと、私にはよくわかりませんけれども、緊急事態その他から考えれば、やはり夏でも国会を開会しなければいけないときが多いだろう。しかも重都として、地震のときでも、地震が起きたのでしばらく国会を開かないということはできないのではないかということから、重都や休部という議論をした時期があります。  そういったようなことで、首都機能移転ということを移転方式の方から考えますと、改都、展都遷都、分都あるいは重都、休都ということを議論したことが長く続いておりました。しかし、初期の段階ではその六つのパターンのいずれを選ぶかというようなことが議論になっておりまして、遷都がいいという論者もおれば、あるいは改都で済むという論者もいれば、政府は、一どちらかというと展都でいいということを今まで実務上は言ってきたというふうに考えています。重都と休部については、ほとんど識者として述べるだけで、実際の問題にはなっていないというのが現状だろうと思うわけであります。しかし、去年の国会移転決議以降、もっと現実性が増しましたために、国土計画的視点である私たちも、一層現実的な案をつくろうという方向に変わってきています。  そのときの特色は何かといいますと、六つ移転方式をばらばらにして、いずれを選択するかという論争はほとんど意味がないということを考えるようになってまいりました。つまり、どういうことかといいますと、改都を進めるということは、現実的な、日常的な行政におきます責任のある仕事であることはどなたも否定できないものではないだろうかと思うわけでありまして、首相官邸もこのままでいいはずはないわけで、遷都があるまで首相官邸をこのままにするということも現実的ではないということがありますし、現在政府が行っている一部首都機能移転大宮その他への移転の問題も実行すべきであるということがあり、東京都市改造も進めるべき事態にありますから、改都、展都ということが現在の実務であり、それをおくらせることはできない。  しかしながら、今最も重要なのは重都と休都ではないだろうかということを考えるようになってきておりまして、直下型地震への恐怖というものを考えますときに、人命、財産への管理ということが防災の基本でありますけれども、今日の東京の状況を見ると、情報災害情報が渋滞するということの被害ということは、東京だけではなくて全国あるいは世界じゅうに与える影響がちょっと恐怖的なほど大きいのではないか。この回復にどのくらいの日にちを要するのか、一週間であればどうなるのか、半年であればどうなるか、数年かかるとなってしまったらどうなるのかということを考えますと、その安全性を確保するべき政策を急がざるを得ないということが私だちの結論であって、国会等移転に当たって、地震というものとの関係が緊急を要するということで、遷都がいいか悪いかと論ずる暇はないというぐらいに私は思っておりまして、重都、休都に対する首都機能あり方国会あり方を緊急に結論を出していただかなければならないということをまず思うわけであります。そして、それが行われましたときに、やはり少しずつ首都機能が全体として東京から離れていくということは、歴史の流れとしての必然性を持っているのではないかというふうに思います。  そして、先ほど申しましたように、国土的視点以上に政治的視点ということが加味されてきたということは、国会中心として二十一世紀日本政治あり方、そしてその政治あり方を支えるべき国会、そしてその国会が開かれる国会議事堂というものをいかなるものとして考えたらよいか。抽象的に言えば、国民に開かれたとか、あるいは国際的なというような言葉がいっぱい出てきますが、それらが具体的には一体どういうことになるのか。  私が一人の設計家として新しい議事堂設計をもし頼まれたとしましたときに、その設計の思想の根本は何かというようなことが明らかでなければ設計は不可能なわけでありまして、重都、休都ということを進めながら、実は長期的に遷都についての議論も欠かすことができないということを思うわけであります。  そして、中間時点においては、やはり東京首都であるにもかかわらず、他の地域において首都機能集中都市ができるとすれば分都というような構造にならざるを得ないということで、恐らく、これから始まる二、三十年のところは、重都、休部ということから始まって、そして遷都論を論じながら、分都論的な構造になっていくだろう。それを超えて、二十一世紀に入っていくに従って、ひょっとすると遷都という構造に近づくかもしれない。しかし、現在遷都というものがいいか悪いかということを論ずるのには十分な準備がなされていないということを私としては思うわけであります。  そういうことが二つ目に申し上げたかったことで、移転方式というものは選択するというテーマではなくて、すべてが連続的に進められていくということが合理的ではないだろうかということを申し上げたかったわけであります。  三番目に、若干の提案をさせていただきたいと思いますのは、そのような考え方の上で考えましたときに、せっかく国会がみずからの意思移転決議したということとも関連しますし、私がきょう申し上げた遷都までの歴史的な流れの中でまず何をすべきかということを考えましたが、目的としては、地震対策としての重都論をやることが優先すると思っておりますが、その作業の具体的な内容としては、国会中心とした都市をつくるということを始めてはどうかという見方をしております。私どもは、それを国会都市と称してビジョン、イメージをつくろうとしています。  最初から全首都機能を入れた新しい首都を構想することはほとんど不可能に近い要素がいっぱい出てきてしまうということもあります。したがって、ここで小規模な、国会中心とする都市をつくるということを現実的な問題として考え、それを重都としてつくっていくということが一つ考え方ではないかということを思うようになってきておりまして、その国会都市というのは、恐らく都市規模としては五万人程度の都市で十分ではないかという見方をするようになってきました。このことは、国会だけが重都論として、さしあたって現在の国会とその新しい国会都市議事堂二つを持つという時期が長く続いていかざるを得ないという見方をしておりますので、いわば国全都市には第二議事堂というようなことが議論になってくるだろう。したがって、第二議事堂ということについては、単に国会開会だけという目的ではなくて、国民が平時においては利用できるということさえも考えるということが重要ではないだろうか。  世界議事堂の中でも、最近議事堂というものを国際的な会議に開放するというような議事堂も出てきたというような時代でもあるわけでありまして、いわばオリンピック村と同じような構造で、宿泊施設を持った会議施設あるいはスポーツ施設を持った国会都市をつくるということから始めて、そして、それは時間の推移とともに実は本格的な国会への建設につながっていくというようなことさえ考える必要があり、その段階に来ると、遷都の対象としてその国会都市議論されるということにつながっていくのではないだろうかと思うわけであります。  そのときに、国会都市だけができればよいというふうには思っておりませんで、あわせて小さな規模中央官庁都市幾つかできてくる、しかも、国会関係者公務員関係者あるいは一般市民を入れた居住のための都市もつくっていくというようなことになり、国会都市から始まったものが官庁都市居住都市というようなものを周辺に持って、小都市幾つもできてきて、その小都市が交通、通信でネットワーク化されていくというようなビジョンを頭の中に描きながら、まず第一歩として国会都市をつくるというようなことは一つビジョンではないだろうかというようなことで、若い方々と作業を続けているというのが現状でございます。  それから四番目に、最後に申し上げたいのは、そういった作業をしながら思うことでありますが、三つのことについて、政府にいろいろ考えていただきたい、あるいは国会に考えていただきたいと思っていることがございます。  その一つは、直下型地震というものに対する情報災害、そして、その情報災害の中で国家機能というものがどのように安全であるかということを再調査した上で、その安全性を確保すべき方向を明確にしていただきたいということが一つございます。  民間企業は、利益ということと直接結びついているだけに、企業を個別に見ますと、地震対策情報管理の上でもう終わっている企業、始めている企業、まだ無関心な企業、いろいろございます。しかし、特殊会社であるJRとかNTTとかKDDとかというものがどれだけ進んでいるかというところは必ずしもまだ明確ではない、NHKがどれだけの対策に成功しているかということもまだ明確ではないというふうに思いますが、私の知る限りにおいては、国会中央官庁情報管理についてはほとんど無防備な状態にあるというような気がしておるわけで、これはあるいは誤解を伴っているかもしれません。そのために、まず第一に、首都機能移転問題に関しては、国家情報危機管理について考え方が明らかになるということが一つ重要であるというふうに思っています。  二つ目に重要なことは、国会あるいは中央官庁、あるいは場合によっては司法皆さん方三権のそれぞれの独自の意思決定に基づいて、その意思が統合されて首都機能移転ということになるのだろうと思いますが、こういった三権にまたがる移転に関する検討をだれが責任を持ってどのようにやったらよいかということが、国土計画の私たちにとっては非常に問題であるわけでありまして、首都機能移転に関するちゃんとした権限を持った組織、そして、その組織がどのように計画を練っていくかということも明らかにしていただかなければならないテーマではないだろうかと思っています。     〔委員長退席綿貫委員長代理着席〕  それから、三つ目に申し上げたいことは土地問題でありまして、私たち国土計画視点からのみ首都移転を論じますと、一般的な質問や取材というものは、大体場所面積であります。場所面積ということから議論が始まるということは、日本土地問題の性格をあらわしていると思うのですけれども、しかしそれが現実的な問題でありまして、ひどいときには、私たち首都機能移転問題の勉強会として地方へ行きますと、たちどころにここが候補地じゃないかと言われてしまうというようなことを繰り返しておりますし、現実にうわさが出れば、その地域はもう全く理由もなく地価が高騰するという経験も持ったわけでありまして、具体的に討論するという前提には、基本的な土地に対する制度が必要であって、十分に具体的な計画を討論できる基礎として、土地に対する何か事前の予防的な措置を講じていただかなければならないのではないかということで、以上三点については、具体的な首都機能移転問題に入る前提として重要なテーマではないだろうかというふうに思っております。  私から申し上げたいことは以上でございますが、皆さん方の御審議に何かお役に立てばありがたいと思います。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  4. 綿貫民輔

    綿貫委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  5. 綿貫民輔

    綿貫委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。  この際、委員各位に一言申し上げます。  質疑につきましては、時間が限られておりますので、委員各位特段の御協力をお願いいたします。  なお、委員長の許可を得て御発言をお願いしたいと存じます。
  6. 斉藤一雄

    斉藤(一)委員 簡単に先生の御意見をお伺いしたいと思うのですが、一つは、首都機能とは何かということですね。二つ目は、先生がおっしゃった、仮に国会都市をつくるという場合に、それならば最低限必要な機能というのは何かということ。三番目は、その場合に東京から何が移転できるだろうかという三点について。時間がありませんので簡単に申し上げましたけれども、先生の御意見をお伺いしたいというように思います。
  7. 下河辺淳

    下河辺参考人 首都機能とは何かということになりますときに、簡単に言えば、国会である立法と、政府である行政と、裁判所である司法三権のことを私は言いたいと思っております。  ただ、この三権については非常にたくさんな関連機能が一体となって機能していることは明らかでありますから、関連機能をどこまで入れるかということについては、作業上いろいろな数字を散見することができます。国会機能というのでも、各政党の調査能力というところまで含めると、どこまで含めるかというような議論移転の場合にはなってきますので、機能的に言えば三権といって明確ですけれども、その三権が十分機能するための関連をどこまで入れるかということによって、首都機能範囲が少しずつ人々によって違うというふうに思っております。  したがって、国会機能を考えます場合に、国会ということが中心というふうに考えておりますが、しかし、国会が十分機能するためには、最小限どれだけのものを国会都市に収容するかということが私たちにとってもかなり大きな仕事のように思っておりまして、明快な結論を今ここで持っているわけではありません。しかし、私が一番興味を持っているのは、国会調査機能をどれだけ強化するかということへの対応というテーマ、それから広報といいますか、マスメディアとの関係をどういうふうに見るかというようなこと、それから国民がいろいろな関係国会と接触することをどう見るかということが大きなテーマであります。もちろん行政との関係包どう維持していくかということについても特段の配慮が必要でありますが、しかし国会都市を論ずる段階では、まだ東京首都機能があるという前提議論するところが国会都市出発点では非常に重要なテーマになるかもしれません。  そのようなことからいいますと、最後におっしゃられましたけれども、国会という機能二つに分かれていくということで、第一国会と第二国会という煩わしい議論をどれだけこなせるかというところは、私たちが独断では決めかねるポイントではないだろうかというふうに思っております。
  8. 平田米男

    平田(米)委員 先生が一九八八年の「ウィル」でインタビューにお答えになっておられるのですが、「首都移転の問題を論じるとき、まず日本の二十世紀首都機能と二十一世紀首都機能とを分けて考える必要があるんじゃないかと思います。」「二十一世紀の新しい首都機能を創設するほうが重要なんです。北海道だったらどういう二十一世紀首都機能を描くのか、関西ならどうか、九州ならどうかという論議を期待したい。」大変斬新なお考えではないかというふうに思うのですが、先生のお考えになるその二十世紀首都機能と二十一世紀首都機能、これほどのように違うといいますか、二十一世紀首都機能というのはどういうふうに考えたらよろしいのか、お教えをいただければと思います。
  9. 下河辺淳

    下河辺参考人 今、御質問いただきましたことに関して、全部をお答えすることがなかなか私の能力ではできませんけれども、お話ししてみたいと思いますのは、二つの点があります。  その一つの点というのは、やはり中央の権限としての首都機能の問題でありまして、これは明治維新があって、明治憲法ができて、帝国議会ができて、そして仮議事堂で運営しながら本議事堂は昭和十一年になってやっとできて、そしてそれから戦争状態になって、帝国議会は第二次大戦の終了とともに閉鎖されて、そして同じ場所で今度は平和な民主憲法の中で民主国会をつくろうという努力がなされて今日に来たという思いがいたしますが、この段階に来て、やはり世界政治経済の動きというものは我々が信じがたいほどの変化であって、日本も終戦後の私たちにすると信じがたいような経済大国にもなったということから、我が国の二十一世紀いかにあるべきかということがどの方でも論争をなさる事態になっている。そのときに、明治百年というときに国会移転決議をなさったということに私は政治意味がとても大きいと思っていますのは、そういった段階としての国会ということを論じて方向をお示しいただけることが一つテーマではないだろうかということを思うわけで、そういう意味で二十世紀から二十一世紀へということを申し上げたと思います。  それから、もう一つ視点というのは、明治百年の首都機能というものが非常に中央集権的であって、一部は民間に移っていく、一部は地方公共団体、その他に移っていくという、いわゆる分権化の道というのが出てきたように思います。その姿をどう見るのかということでありますが、私が申し上げた点というのは、一般的に言われている分権化とは少し異なったことを申し上げたつもりでおります。  一般的な議論というのは、日常的な権限は中央ではなくて地方へという意見が、いわゆる分権化中心になっているように私は思えます。しかし、このことは分権化が正常化するという意味であって、狭い意味での分権化ではないと私は思っておるわけでありまして、世界各国を見て、日常生活に近い行政なり首都機能というものが中央に集まっているということは、戦後の特殊な事情における状態であって、そういったものが地方の権限であることは当然であって、それは分権化ではなくて正常化だということを申し上げているわけです。  そうではなくて、本来、国家主権が持っているべき機能というものを地方あるいは団体に移譲するかどうかということを問題にしたわけでありまして、外交であるとか、あるいは財政、税制、金融というようなことについて、私たちが常識的に思っている国家の主権ということに対して分権化が可能であるかどうかということをテーマにしたときがあります。そのときに、外交の面で思いましたことは、九州の皆さん方がアジアの中心としての九州ということを考えていらっしゃるということを聞きますと、九州の皆さん方がいかなる権限のもとにアジアとの交流を進めるのであろうか。進めるたびに霞が関に来なければ決定ができないというような折衝をするのであろうか。北海道の皆さん方が北方領土を含めて北太平洋あるいは北方圏との外交的な交流をしようとするときも同じではないだろうかというふうに思いましたし、関西の皆さんが我が国の歴史的伝統の上に文化的、経済的な首都機能を国際的なレベルでつくっていきたいということを提唱していらっしゃいますけれども、それはいかなる権限のもとで可能であろうかというようなことを考えて、そういう意味で本来あるべき国家主権というものの一部を地域分権化するということの夢を描きたいということで申し上げたことがお目にとまったのかもしれませんが、私の考え方というのは、そういう意味で申し上げたというふうに御理解いただけたらありがたいと思います。
  10. 武村正義

    ○武村委員 冒頭に自己紹介がございましたが、文字どおり戦後の国土政策の中枢で御苦労された下河辺さんでございますが、率直に振り返って、この半世紀近い日本国土政策、我が日本の国づくりは結果としては、言われておりますように大変いびつな国をつくってしまった。東京に、人も物も金も情報もこの一点に集中をして、国全体からすれば大きなゆがみといいますか、ひずみを出来してしまったわけであります。その現実に対する認識なり反省の中で、この国会移転という議論も出てきていると私は思うわけであります。  新全総のときには、国土の均衡ある発展、地方分散が言われましたし、四全総でも、三全総でも、多極分散型の国土の形成というふうな言葉も何回も使ってきたわけでありますが、こういうものが単なる願いに終わって、むしろ現実は逆の方向にどんどん進んでしまったわけであります。  それで、なぜ国会等移転なのかという一番基本の認識なのでありますが、そういう戦後半世紀近い国土政策の反省の上に立って、従来の発想の延長ではとても目的は達成できない、かなり大胆な、思い切った政策が必要だという認識を持ちながら、まず政治がかかわっている一の国会あるいは政府といった機能を真っ先に、思い切って大胆な場所移転をする、そういう発相になってきていると私は認識をしております。そのことは一つのきっかけであって、このいびつな日本をもう一度いびつでない、バランスのとれた国につくりかえていくための第一歩だという認識を持つわけであります。ですから、政治としての意味合いを強調されました。これはそのとおりでございますが、同時に、新日本列島改造論といいますか、北海道から沖縄まで含めたこの日本列島をどう新しい世紀の中でつくりかえていくのか、その中で国会移転をどう位置づけるかということが私は大変大事ではないかというふうに思っております。  そういう見方をしますと、先生のきょうのお話でもう一つ理解ができなかったのでありますが、まず直下型地震のこともあり、当面は重都、休都までやるべきだ、そして、これは東京に特別に近いところにつくろうということなのかよくわかりませんが、小規模国会都市をつくろう、そしてその先に分都がきて、そしてさらにその先に、必要があれば遷都、必要があれば遷都というような表現を使われたので、私ども、遷都が一番いいとは思っておりませんけれども、何となく、国全体をつくりかえるんだという発想からしますと、かなり大胆な思い切った新しい都づくりというふうな気持ちでとらえているわけでありますが、ちょっとフィーリングが合わないといいますか、今のお話、非常に現実的な段階的なお考えなんですけれども、そこはどう整理したらいいのでしょうか。
  11. 下河辺淳

    下河辺参考人 今の御意見に全く反対のところはないのですけれども、きょう申し上げてみたいと思うことは、もし仮にブラジリア型の大型の都市をつくることから首都機能移転を考えるとすると、実務的には、私は、日本列島の場合に不可能に近いという見方をしているということが、国会都市から始まろうという現実的な方法に落ち込んでいったという説明の仕方もあるかもしれないというふうに思えます。  ただ、そういう技術的なことではなくて申し上げたいと思うのは、東京一極集中構造についての理解の問題でありまして、私の理解するところでは、日本の市場を中心とした経済発展政策の中で東京一極集中構造には極めて合理性があったということを再認識するわけでありまして、金融というところまで進んできた日本の経済体制が、東京一極集中したからこそここまできたということは否定できないと思うわけです。したがって、私が現役として担当していたときの国土計画は、そのことを否定するというところまで言う度胸はなかったと言ってもいいかもしれません。  しかし、その一極集中構造がもたらす非常に巨大なデメリットで、東京の過密が発生するとか地方が過疎化するというようなことをぜひ修正しなければいけないということの努力を積み重ねてきたということで、格差ということに対して政治的命題があって、それを国土政策が受けてきた、それは十分であったかといえば反省することがいっぱいありますけれども、精いっぱいそのデメリットに対して仕事をしてきたということを私はあえて言いたいと思うのです。地域間の所得格差も依然として深刻ですけれども、世界各国に比べれば格差が一番小さい国をつくり上げたということも言わせていただきたいという気もしています。  しかし、今日、それではどういう合理性が出てきているかという議論をしますときに、市場での合理性というものがもう完全に東京一極集中構造を否定し始まったというふうに私は思っておりまして、二十一世紀に行くに従って市場での集中性というものは間もなく回避できるという見方をしておりますので、これからの集中問題とは内容が違ってくるという見方をしています。  今日、なぜ依然として集中構造かというと、ビジネスや機能の問題ではなくて、青年たちの価値観の問題になってきていると思います。全国の青年たちが、若いとき一度は東京の国際化した文化に触れたい、こういう若い人の流動が東京の人口の一極集中の今や最大の原因になっているということは御承知のとおりでありまして、したがって、同じジェネレーションで見ると、東京集中は二十歳前後というのがピークであります。二十歳前後に東京へ来たいというのはなぜなのかということが東京一極集中に対する私たちの課題でありまして、実績から見ると二十歳前後でピークになりますが、三十歳前後になるとかなり分散してきているというのが現状であるわけでありまして、戦後ベビーブームの連中の統計を処理しておりますと、二十歳前後で全国の戦後ベビーブームの三〇%が東京居住でありました。しかし、今日は約二五%ぐらいの居住に下がってきています。なぜ三〇%まで集中して、なぜ二五%まで下がってきたかという要因分析が、私たちには東京一極集中構造への勉強の基本であるわけです。ところが、第二ベビーブームのときになると東京生まれが圧倒的にふえておりますので、東京生まれの若者たちという議論をしなければならなくなってきている。  しかし、二十一世紀で、人々の価値観もかなり多様なものになってきて、東京でなければという価値観の若者もいっぱいいますけれども、世界にとかあるいは地方にということを選択する青年たちがふえてくるということで、国土計画としては、そういった人々の居住の選択に関する価値観をもっとフォローしてみようということで東京一極集中を考えているという段階に来たということも今おっしゃられた御意見の中につけ加えていただいた上で、国会というものがそういう歴史的な流れの中でどういう位置を占めるかということを私としては考えてみたいというふうに思っております。
  12. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員 きょうは大変貴重なお話を承っているのですが、私は、先生がおっしゃった国会都市というお話よりはむしろ、もっとずばり言って、素朴に言いまして国会村でいいと思うんですね。国会村というのは、まさに国会議事堂と、それから我々の住む議員会館、議員宿舎と国会図書館とそして政党本部、これだけ持っていっちゃう。そのかわりいろいろなお役所は残しておいて、それでリニアモーターカーなんかで一時間以内に出てこられるという距離にあればいい。  なぜそうかといいますと、私も役人をやりました、先生も役人をやった経験がおありになるわけだけれども、どうも今の我々国会議員というのは行政府に頼り過ぎていますよね。特に私たち政府・自民党は、全くもう、私たちのいわばシンクタンクは行政府に頼る。ですから、何でもかんでもお役人に持っていってお役人に考えさせて持ってくる、こういうことが多いわけです。それでは本当の意味三権分立ができないのではないか。だから、距離を置くことによって国会みずからが自分で考える、国会みずからが自分の調査機関を持つ、政党も同じように自分の調査機関を持つ、そういうことをしないといけないのではないか。  ですから、明治以来の一極集中というのは、あらゆる機能機能を全部集めましたね。要するに、集中のメリットがあったと思うのだけれども、さっきもそういう話なんだけれども、私は、これからむしろ分離のメリットといいますか、距離を置くことのメリット、ここで一緒になって行政と立法がわあっとやるよりも、行政府にやらせておいて、我々立法府は離れて客観的に行政を見る。大臣だって、行政府の長であれはここに置けばいいのです。国会に呼べばいいわけです。しかし、最終的に法律を通し、予算を決めるのは国会です一から、おのずから国会だけ移れば必要なものがついてくる。こういうことでありますので、むしろ三権分立のために立法府は離す、行政府はとどめる、場合によっては裁判所も近くに持っていったっていいと思うのです、さしあたって国会だけ。しかもそれはほかの方を煩わせずに、我々国会議員みずからが決めればいいわけです。まさに超党派で国会だけ行こう。政党も行けばいいわけですから。そういういろいろな意味で、私はその方がいい、こう思っているんですが、先生、どうでしょうか。
  13. 下河辺淳

    下河辺参考人 私、国会都市と申しましたのをビジョンとしてもし御説明するとすると、エコポリスということを設計上夢見ています。  エコポリスというのは、エコロジーというものを基本に生かせる都市でなければいけないという意味でエコを言っていますが、しかし、そこで国会等が立地したときにポリスとしての知的な情報のセンターでなければいけないということで、エコポリスという一つのジャーナリスディックなテーマを言っていまして、これは私たちだけではなくて世界の学者の中でも、生物学者を含めて言い出していますけれども、国会都市はぜひエコポリス型でなければいけないということもビジョンとしては申し上げたい点でありますから、おっしゃられたように、あるいは国会村という言葉の方がエコポリスに近い言葉だとおっしゃられれば、そうかもしれないと思います。ただ、これだけ国際化して、経済大国の日本というのは、やはり都市として国会機能を見る方が、まあ俗に言う常識的なことじゃないかという意味で、国会都市と申し上げたわけです。  それから、その国会都市の中での国会あり方論のところは、私が余り僭越に申し上げるという立場にございませんけれども、ビジョンとして考えると、例えばこういう特別委員会は、芝生の上で太陽の光を浴びて寝っ転がりながら自由に委員同士でお話し合いをし合うなんということさえも実は重要じゃないかということを考えたり、役人は、呼べば三十分ぐらいには来られるという条件は必要でしょうけれども、今おっしゃられたような国会での審議がある一つのモデルかなという気もしたりしておりまして、国会都市論のビジョンを若者とフリートーキングしていると、無限におもしろいテーマになってきます。国会代議士も、お忙しくてそういう時間がないんだろうけれども、プールやテニスをしながら国会審議をしておられるという姿を見ることは、国民にとって開かれた国会のイメージであって、何か密室ではないのに密室の中でやっているような印象は設計屋の悪さからきているんじゃないかという、反省する建築屋もおったりするわけでありますので、夢としては、今おっしゃられたようなおもしろいテーマがいっぱいあると思いますけれども、しかし、国会移転に伴う政治家の皆さんの考え方というものが、国土計画が受けるべき基本的なテーマだということは申し上げたかった点であります。
  14. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員 ちょっといいですか、関連ですけれども。  だから、一極集中とか過疎過密だとかいろいろなことを言われますけれども、それはいいんですよ。だけれども、余り四つにそれに取り組んじゃうと動きがとれなくなっちゃうわけですね。だから、もっと簡単に国会機能だけ持っていく。それは、立法府と行政府を離してしまって、距離を置くことによってお互いの独立性を保つ。そして、今のような国会ではなしに、国会みずからの調査機関、政策立案能力を持つ。そして国会図書館を充実していく。そして政党も一緒に持ってくる。あとは、国会をもっと開かれたオープンスペースにしてどんどん人が入ってくるようにします。デモでも何でも結構、陳情も結構ですということにしておけば、私はそれだけでも相当日本政治が明るくなる、オープンになるというふうに思います。しかも、これは私たちだけで決めればいいことですから。あとはインテリジェントビル化すれば、今でも世界じゅうの情報が入りますし、国会から世界情報を発信できるわけです。それから行政府との関係は、全部それは、テレビ電話からファックスから、すべての情報を送るテクニックがある、テクノロジーがあるわけですから。そう私は思いますので、ひとつお考えをお聞かせいただきたい。
  15. 下河辺淳

    下河辺参考人 おっしゃるとおりだろうと思うのです。したがって、私、きょう特に誇張的に申し上げたのは国会都市論なんですけれども、もちろん官庁も移転のプランを持つべきだと思いながらも、さしあたっては国会都市をつくって、東京と新しい国会都市との二部の存立といいますか並立という時代をしばらく経験して、その経験の間に新しい遷都が見えてくるかこないかというテーマではないだろうかというふうに思います。
  16. 五十嵐広三

    ○五十嵐委員 今の議論は大変楽しい議論だと思います。しかし、そもそも遷都だとか首都移転だとか国会移転だとかということが議論される根拠というのは、一つ東京の一極集中、一体これをどうするのかということでありますし、また下河辺先生が今お話しのように、地震災害がいつ来てもおかしくない、こういう中で一体どうしたらいいか、殊に情報管理危機管理をどうするんだとか、御提言のとおりのところが大きな根拠であろうと思うのです。そう考えると、国会移転、それも諸官庁と割合に離れて国会だけ一つ新しいところへ移すということで、それらの諸問題は一体どうなるのか。簡単に言えば、国会というのは、国会議員の五百人なら五百人、何百人なら何百人というものが集まる場所があればいいものであって、私はそのことが、国会移転だけが今必要とする問題の中心ではないというふうに思うのですれ。やはりそうなると、国会関連をして諸官庁や、あるいはそれの周辺には我が国政治の頭脳的な情報機能というものをちゃんと、一体どういうぐあいに移転を、あるいは重都的な配置をしていくかということも考えながらやっていくことが非常に必要であって、その中の一部として国会が、今お話しのような、非常にエコポリス的な楽しいものであるということは、国会あり方として大変結構なことだと私は思いますが、今我々が論ずるスケールとしては、やはり今のような諸問題を含めて議論をする必要があるのではないかと思うのです。     〔綿貫委員長代理退席、村田(敬)委員長     代理着席〕  したがって、今先生のお話の、面積からいっても、あるいは人口五万くらいというスケールでお話しになっておりましたが、しかし、さまざまに想定される国会政府機関及びその他関連のマスコミやいろいろなことも含めての将来の絵というものは、もちろんそれは幾つかの小都市が連合的に一つのゾーンを形成するのかもしれませんが、それにしてみても相当なものになってくる、これは一挙にとかブラジリアのようなことを考えるというような意味ではなくて、しかしそれは将来そういう想定がなされるとすれば、先生が御提言になったように、やはり土地の利権的な動きや値上がりというものをどう規制していくか、当然それはあらかじめ規制措置というものが必要になってくるわけですから、その規制措置は小範囲国会村ないし国会都市にとどまらないで、今のような諸機能をも含めた移転を想定しての規制がなければ、それはもう大変なことになってしまうということもありますから、その辺の計画的な発想はどういうことになっていくのかという点が一つです。  長くなりましたので、あとはちょっと短く言いますが、あとはもう一つ国土的な発想とは別に、政治なり行政的な発想がこの機会に必要になるだろう。それはもう百年もたっているわけですから、一体省庁間の縄張りのラインというものはこれでいいのか、もう少し現代的な再検討というものが必要でないのか、あるいは全体として移転を機として、できれば中央の行政機構というのは相当スリム化していく。お話のように、日常、住民生活にかかわるような仕事は最大限、やはり先生のお話で言うと、分権というよりは正常化していくということだとすれば、そこの大胆な再配分の検討が同時に行われるべきものではないだろうか。そういうようなことが一方で同時進行で行われて、そして国土的な配慮と政治的な配慮による二十一世紀の全体構造というものが出てくるべきものではないだろうかというふうに思うのですが、それらについて、特に先生から御提言があった首都機能移転のための新しい検討組織といいますか推進組織といいますか、これの一つのイメージと関連させながら、その辺のところをお聞きいたしたいというふうに思います。
  17. 下河辺淳

    下河辺参考人 おっしゃられるとおりで、きょうは緊急性ということを特に強調したいことから、重都、休都から始まって国会都市論のところでとめたような感じになりますが、首都機能移転の全体像についてのイメージなりビジョンというものは同時に考えなければいけないと思っています。したがって、二つ目の御質問関連いたしますが、中央官庁移転についてどういうプログラムを持つかということも実はあわせて議論をしてみていますが、そのときのポイントが二つあります。  一つのポイントは、今おっしやられたように、移転するときに霞が関からごみくずごと移転することはどうもこっけいだという意見が出てきておりまして、スリムな形で移転ということを当然考えますが、そのスリムにということは一体どうしたらいいのかということになりますので、官庁移転を例えば十年なり十五年で展開しようということをもし考えた場合に、最初移転していく官庁から順番にスリムさを検討して、スリムになった姿で移転していただきたい。これは技術的に言えば、移転するたびに移転する省庁の設置法の抜本的な改正を伴うというようなことさえ重要じゃないかという議論も出てきたりしておりまして、国会移転と少し異なって、省庁の移転というものが、私としては五つなり七つの小都市へ行くというふうに考えたりして小都市論なんですけれども、その一つ一つをつくっていくときに、幾つかの省庁が移転していくというプログラムに沿って、省庁のスリムなものを考えることができたら非常にいいのじゃないかということを思うわけで、日本政府全体を同時に極度にスリムな形に一度にやるということについては、私としてはちょっと困難じゃないか。移転ということと内容がよくなるということで、新しいお酒と新しい革袋という関係を私としては非常に楽しみといいますか問題にしていて、したがって国会の場合も、国会という都市が新しくできるのに対して新しい国会というイメージをつくりたいというのと、中央官庁の場合とは同じように思っているわけです。     〔村田(敬)委員長代理退席、綿貫委員長     代理着席〕  そして、最後におっしゃられた三つの注文の一つ組織論については、これまで立法と司法行政三権の共同会議というものはなかったのじゃないか。分権化するから完全に独立ていいという考え方もあるでしょうけれども、移転論となると、対等に議論をする場というものが要るのじゃないか。これほどんな場がというのが私にはちょっとよくわからない点であって、国会という立法権が行政権に移転を一〇〇%任せちゃって監督的立場だけになるということでは、主体性が余りにもないのじゃないかというあたりは、私の頭の中がまだ未整理ですけれども、しかし何かそういうことを決めていく組織が必要だろうということだけきょうは申し上げさせていただいたわけです。
  18. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 下河辺さんは大分行政におられたから、かな旦言いにくい立場もおありなんじゃないかと思うのですが、ずっとお聞きしてみますと、結局、中央集権の部分をかなりスリムにしていかなきゃならぬのだけれども、それは行政ではできません。したがって、立法がかなり大きななたを振るわなきゃならぬのだけれども、その首都機能移転の問題も含めて行政に知恵を任せているところに限界があるのじゃないですか。少ししっかりしなさいというようなふうに、きょう言いたいけれどもおっしゃらないでいるような感じがしますので、そこはいずれみんなで芝生の上に寝つ転がって話すようなときも、何も国会都市をつくらなくともやらなきゃいけないような部分なんじゃないかと思うのです。  その戦略的なところは、何となくきょうおっしゃったことはわかったような感じがいたしますが、先ほどの説明の中で非常に重要なことをおっしゃったのは、世の中ちょっと若い世代から変わり始めていますというポイント、なんですね。効率性だけで考えてみれば、東京一極集中のマーケットメカニズムの、それに対する行政のある程度の支援のこの体制というのは非常に効率的でした。それが、でもちょっと変わりつつあるのじゃないでしょうかということでしたね。  アメリカのある有力な大学は、入学試験で学生を採るときに、アイダホとかノースダコタとか、何からっちゃな州からも必ず一人ずつ、二人ずつ採るようにしているのだそうです。また、人種的にも散らばさせて採るようにしているのだそうです。学長いわく、本当に優秀な学生だけを採ろうと思えば試験でやればいいんです、結果は全部東部から集まるでしょう、そしてほとんどが白人でしょう、そしてほとんどがユダヤ人でしょう、こう言ったそうです。しかし、そうではなくて、アメリカ社会を考えると、少し学術レベル、学生の質という意味からは若干落ちても、やらなきゃならぬことがあるから我々はそうやってやっているんですと言ったそうですけれども、そういうことが日本では国民の若い世代の意識から、おい、そういう効率だけでいいのかねという動きが少し出ていますよという話は非常に示唆的だと思います、下からきているような話ですから。下河辺さんは、そこの変化の分析がまだなかなかできないところなんだとおっしゃっていますけれども、何がそれを今もたらそうとしているのか、まだ分析途中のお話でもいいですから、もう一歩突っ込んでお聞きしたいように思います。
  19. 下河辺淳

    下河辺参考人 国土計画を自然条件とか社会資本とかビジネスの配置ということで私たち考えてきたのですけれども、最近になって思うことは、若者の価値観というものによって国土計画を考えざるを得ないということになってきたところは最近の変化だと思うのです。  そのときに若者の価値観というのがどういうふうに形成されているかということを分析しなければなりませんけれども、まず第一に言えることは、東京圏、三千万人の都市であるわけです。今三千二首万人になっていますけれども、これが一人当たり三万ドルというような高い経済水準で三千万人が居住している地域世界にどこにもないわけであります。そのために、情報をつくることではなくて、世界情報の最大の消費基地になっているということが東京中心テーマになってきているわけで、金融機関が国際的にとか本社がということ以上に、三千万人の高度な消費市場というテーマ東京テーマになってきたわけです。したがって、国内はもとより世界じゅうの情報なり文化が東京へ集中する一極集中構造を見せているわけでありまして、それに対する魅力というものが国内でも国際的にも一番高い状態になっているわけでございますね。丸の内が有名なのではなくて、三千万人市場の魅力が東京の魅力という状態にあります。したがって、すべての青年たちが一度は三千万人の消費市場で、行ってみたい、暮らしてみたいと思うことには当然の傾向と見ざるを得ない要素だと思うのです。当分の間、日本の青年の三人に一人が東京居住者になるということが続くだろうということをそういう面から思うわけであります。  しかし、これが少し事情が違っできますのは、そういう市場を経験した青年たちが、消費者ではなくてメーカーといいますか発信人になりたいという青年たちが相当出てきている。これは、年功序列で終身雇用制の企業で、いい大学へ行っていいところへ勤めようという価値観とは大分違うというような見方をし始めていまして、それがどういう形でビジネスにつながっていくだろうかというメカニズムが非常に大きな問題でありますが、そのときに、そのメーカーとしての存在は東京での必要がないという考え方がとても広がってきているように思うわけです。これは、コンピューターとか通信の技術が進歩したり航空機が進歩したというのが大きな理由として挙げられると思いますけれども、いずれにしても、情報と文化の製造基地は東京消費地の中から出ていくというのが私の一つ見方になっているわけで、三千万の消費市場がいつまで続くかというのはまた別の議論としてありますけれども、そういう分散論というものが、国土計画上は初めて出てきたのじゃないか、そのために青年たちは海外ということも全く国内と区別しないで考えるところまでやってきたのじゃないかという受け取り方をしておりまして、言い方がまずいのですけれども、優秀な青年ほど早く東京を離れて東京へ売るものを考えるというような言い方が出てきたのもそのためじゃないかと思います。これはジェネレーションごとに相当考え方の違いがありますので、ジェネレーションごとにその辺の価値観の変化をトレースしたいということを考えていることを申し上げたわけです。
  20. 井上普方

    ○井上(普)委員 下河辺さん、あなたは筑波学園都市もごらんになって、あれはえらいおくれましたわな。結局ああいうようなことがございますので、下河辺さんのおっしゃるのは、地震災害なんというのがあるぞ、早くともかく結論を出しなさいということであろうかと思うのです。しかし、首都機能をみんな持っていくとしますと、一番抵抗するのは、これはお役人ですよ。役人がともかく抵抗するから筑波学園都市もあれだけ長くかかったのだしするので、いかに公務員が喜んで行けるかということが、私は首都移転のキーポイントじゃないだろうかという気はいたします。  同時に、今おっしゃっておられる、役所をスリムにしろとか、あるいはまた分権論とか、いろいろ理屈はありますが、これは役人的発想。じゃありませんでしょうか。理屈は何とでもつくと思うのです。だからもう隗より始めよで、これは国会移転することがまず大事だぞという結論から国会移転ということを決めたので、そのときには、すなわちことしの各党の調査会の合意としては、首都そのものを移そうじゃないか、しかし余りにも刺激が強いから、この際は国会を初めとして首都機能移転ということで実はぼやかしておるのが実態です。私は、ともかく公務員の諸君の抵抗がなければ案外スムーズにいくんじゃないだろうか、こう思うのですが、いかがでございますか。それに対する処置、これをひとつお考え願いたいと思うのです。
  21. 下河辺淳

    下河辺参考人 私、思いますことは、東京にある中央官庁というものは、一つのことで言えば、通勤時間が一時間半とか、あるいは長距離通勤というような中に御承知のとおりさらされております。私が国土庁にいて地震対策を討論いたしましたときに、緊急時に職員のだれが本庁に来られるかということを議論したことがありますが、大臣と私だけは確実だという結論が出ましたけれども、あと肝心な職員は来られないんじゃないか。そうすると、地震関係法令を整備して通信施設まで持ったけれども、大臣と私じゃ通信機のいじり方もわからないというような、こっけいというよづな悲しい話をしたこともあるぐらいでありまして、公務員と職場との通勤の関係首都移転にとってはかなり重要なテーマと思っています。  しかも、その公務員の生活のビジョンなり生活のスタイルについてもいろいろと議論を必要としているんじゃないかというふうに思っておりまして、国会都市ビジョンのことを考えるときにあわせて新しい居住都市というものの建設を急ぐことが相当重要なテーマじゃないかと思ったりするようになってきています。これには、公務員だけの居住都市をつくることはちょっと問題があるという見方をしておりまして、一般市民も入った新しい居住都市をつくって住宅の供給をすることが今日とても重要ではないだろうかと思っておりますが、そのときにもこの居住都市ビジョンとしては、近代化された近代都市としてのアパート群というイメージではなくて、自然とか土に親しむような居住環境というようなものをやってみたらどうかということで、世界都市を回っていて思いますことは、最近、近代化すればするほど都市市民は土を求め、自分の野菜をつくる菜園を求めるというような傾向さえ非常に顕著に出てきているわけで、公務員の日常生活に対するビジョンというものを私たちとすれば同時に考えないと、今おっしゃられたように、ある意味では安定的な居住の城を公務員といえども一人一人築いていますから、そういう意味では、役所だけが移転すれば、むしろ役所をやめて民間の所得のいいところへ行く方がいいという考え方の方が素直かもしれないということさえ予想されますので、機能移転という問題は、今、重大な御指摘ですけれども、公務員の生活というテーマを避けて通ることはできないというふうに思います。
  22. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 極めて簡単なことを聞きたいと思うのですが、地震対策についてお触れになりました。私どもも雲仙の災害等を見まして、私の近くに浅間山があるのですが、浅間の噴火から二百年、やはり自然災害は非常に恐ろしいということを感ずる昨今でございます。民間企業ではある程度地震対策は進んでいるけれども、官庁の対策は非常におくれているというようなお話でした。これは極めて大切なことだと思います。どういう点がおくれて、どういう点を即刻やらなければいかぬかというお考えがあったら、お聞かせをいただきたいと思います。
  23. 下河辺淳

    下河辺参考人 私は専門でもありませんし、正確なお答えが不可能ですけれども、簡単に言えば、コンピューターを利用するということが基本的な道具であるときに、コンピューターの管理と、そのコンピューターが持っているデータベースの管理がどうなっているかということに恐らく最初出発点があり、最後にもそのテーマに戻ってくるんじゃないだろうかというふうに思います。  中央官庁のデータベースがどういうふうに管理されているかということは、個別に非常に事情が違いますけれども、安全な状態にあるというふうには私は余り思わない。丸の内あたりの企業では、その辺のデータベースの管理は相当進んでいる企業も出てきているということを申し上げたつもりでございますし、特に国会情報がどういうふうに危機管理されているかということはほとんど私は存じ上げませんので何とも言えませんけれども、今までそういう対策を余り伺ったことがないので、恐らくまだ余りできていないんじゃないかということを申し上げたわけです。
  24. 金子満広

    ○金子(満)委員 首都機能の問題とそれから人口の密集、それに首都機能との関連について若干お伺いしたいと思うのです。  一極集中を排除するということは、もうひとしくだれでも指摘をしているところで、これ自体には問題ないと思うのですね。今、国会移転という問題が言われているわけですが、では国会移転すると一極集中はなくなるのか。そういう単純なものではないと思うし、私は、東京国会があるから一極集中が加速したんだとも思いません。一極集中という場合には、人口過密ということが当然そこで連動して起こるわけですね。過密がある以上、過疎ができるわけですよ。そして先生もいろいろ指摘されておりますが、八八年五月のエコノミストに言われていますけれども、石炭産業の崩壊とかあるいはまた造船産業がだめになった、あるいは製鉄産業の合理化が進んだ、それから国鉄がだめになった、こういうようなことを挙げながら、一極集中、人口の東京圏への集中が加速したということを話されておりますね。  そういう中で、町全体が過疎になった地域というのは全国がなりあると思うんですね。それに加えて、農業、農村の疲弊、破壊というものが各地で全国的に過疎を生んでいる。それが首都圏に三千万を超える、人口の四分の一が集中するというような結果になっているんだと私は思うんですね。したがって、先生も言われるように、電力需要、水の需要、夏は物すごいということ、そのとおりだと思うんですね。これに加えて、住宅問題から交通問題から大気汚染の問題から、さらに今お話しになった地震の問題を考えたときに、今こういう中で過密過疎、一極集中という場合に、すぐ手をつけなければならないのは、過疎を加速したこの政策をやめて、言われるように魅力ある地方をどうつくっていくか、これにすぐ手をつけなければならぬと私は思いますが、この点いかがでしょう。
  25. 下河辺淳

    下河辺参考人 今おっしゃられたことで幾つか申し上げてみたいと思いますのは、一つは、東京一極集中の歴史の分析ということが重要だと思うのです。そして戦後私たちは、大陸から戻ってきた人たち、あるいは戦災で疎開していた人たちが戻ってきた集中を議論したことが住宅問題としてもありますが、その後、今おっしゃられたように、産業構造の激変に伴う集中という経験もいたしましたし、それから、農業人口が高度成長期に三分の一に激減するという中で集中構造議論したこともありますが、このときには政治の命題としては、次三男対策というような形で、むしろ村をいかにスムーズに離れるかというようなことさえ私たち議論であったときもあるわけです。そしてその後、高度成長期のための労働力を確保するという歴史もあったわけで、それと同時に出てきたのは、突然と言うことはいけないのですけれども、大学への進学率が激増するという事態に対して東京一極集中構造が生まれたというのもありますが、今おっしゃられたことも含めて歴史的な要因なわけです。ですから、現在の要因は何かということを先ほどからちょっと申し上げたわけであります。  しかし、いずれにしても、要因は別として、対策としてどうするかという議論が重要になってきましたが、そのときに、おっしゃるように、多極分散型の国土構造ということで極をつくろうという発想が一つと、もう一つは、すべての地域活性化するための仕事二つを並行する必要があるというのが四全総の精神だと思うわけです。多極分散型国土構造というのは解決の一面でしかないという見方を私はしておりまして、それと並行して、すべての地域活性化ということをどのように進めたらよいかということが議論でありまして、それのほんの実験の一隅として例のふるさと創生、一市町村一億円という仕事を試みてみたわけであります。そしてみずから何かを考えてほしいという地域活性化論というものを根っこに置こうと。今まで私たちは、過疎に対して特別法という保護措置を講ずるというやり方をしてきましたけれども、保護ということも重要ですけれども、みずから価値を見つけてみずから立つということが、どこか国土の底辺から出てこないだろうかという期待が地域活性化論であるというふうに私は思うわけです。  そのことは首都圏においても同じことなんですけれども、首都圏は三千万都市が存在するためのトラブルが周辺にいっぱい出てきていますので、東京と周辺という対策議論する必要があるという見方をしてきておりまして、御承知のとおりに、まず首都建設法から始まって、首都圏整備法にいって、百キロ圏という周辺を相手にして東京問題を考えたときがあるわけでございますね。ですから、北関東というのは地域活性化一つ地域としての意味もあるけれども、東京の周辺としての首都圏という性格を二重に持っていて今までやってきたわけですけれども、これがどうも三千万になったときに、私の考えでは限界に来てしまって、むしろそれが少しトラブルを大きくしている面さえある。  それは、首都圏といいますと水戸とか宇都宮とか高崎とか小田原が中心ですけれども、それらのターミナルが、実は衛星都市でありながら東京ターミナルに依存しなければならない構造であることが、東京中心部がより重く荷重がかかってしまった最大の理由でありますので、今私の思うことは、百キロ圏をもっと広げて、三百キロぐらいまで広げたエリアで東京の周辺エリアを議論しないと事が片づかないんじゃないか。それは仙台、名古屋、新潟という都市が国際化して、東京の肩がわりさえできるような状態になることによって、今まで日立や水戸や宇都宮や高崎なんかがやれなかった要素を持って首都と対応することになれば、東京の過密性に対してはかなりガス抜き状態で好転する要素があるんじゃないかということがあって、そして東京−名古屋、東京−新潟、東京−仙台というルートについてどのような環境を維持しながら住宅の供給ができるかという次元までいかないと三千万都市の過密問題は片づかないのじゃないかというふうに私は思っておりまして、国土計画的に言えば、そういう東京対策のためのインフラストラクチャーとしての構想がまとまれば、そのインフラストラクチャーとしての構想と首都移転論とはどのように関係を持たせることができるかによって首都機能移転の方も固まっできますし、意味づけもできてくるという見方をしているわけでございます。
  26. 金子満広

    ○金子(満)委員 過疎地域活性化させるという意味一つの例に出されたのがふるさと創生一億円という問題ですね。これは活性化にならなかったことは今日はっきりしているんですね。一億円もらったから温泉を掘ってみよう、出なかったけれども損したわけじゃないとか。私はヨーロッパ、特に西ヨーロッパの人たちに聞くと、随分日本は金が余っておる、みんなああいうようにばらまくのかということも批判で出るのです。  それはさておいて、先生は毎日新聞でも、これは去年ですか、首都機能をどうするのかの議論は人口問題が白紙になっていますが、分散したからかえって人口がふえるかもしれないということまでおっしゃった。これは私もそうだと思います。こういう中で先生は特に関係してこられたわけですが、四全総の問題です。私は四全総は見直ししなければならないと思うんですね。二十二日の読売新聞では、見直し論が国土庁の中からも出ているという中で、人口問題でいくと、北海道。東北それから中国、四国、九州、十八道県で人口が減ってきている、そして首都圏に集中している、こういうふうに思いますと、この地域はどういう産業がだめになったかというのがすっと出るわけですよ。私はそういう点を考えたときに、今四全総を見直さないと大変なことになる。特に首都圏でいきますと、東京でいくと、四全総以後三つの地点で三つの開発が強力にやられてきている。東京駅を中心にした丸の内地域に四十階ないし五十階建てのビル、約二百メーター、これが六十本計画ですね。それから旧国鉄用地の汐留、あれは内外の金融機関があそこに集中しておる。それからもう一つが湾岸副都心計画。こういうことでいろいろ進んでいるのですが、こういう点も四全総を見直す以上、見直さなくちゃならぬ。だから四全総見直しということについて先生がどのようにお考えになっているか、現時点で。
  27. 下河辺淳

    下河辺参考人 私は、一全総から四全総まで関係してきた者ですから、立場としては現行の計画を主張するべき立場にあり、その責任もあると思うのです。ただ、私が現実にやってきましたことを御披露させていただくとすれば、私たち計画を専門とする者は、実は計画が決定された日からその計画に対する批判とか反省を持っているというのが専門家です。ですから、恐らく後輩たちが四全総を閣議決定したときに、決定した日に晴れ晴れしい気持ちになったプランナ」はいないのじゃないかと思うのです。しかし、ある民主的な手続のもとに決定された計画を守る責任というのは公務員に課せられています。しかも次の計画をつくるときに、一全総、二全総、三全総がすべてそうですが、改定作業におおむね五年はかかります。この計画を改定しようとしてから一、二カ月でできるものではなくて、作業は一般的には五年、長いものは七年かかって作業をしていますので、国土庁の後輩の皆さんは、もう五全総のための作業を始めなければ遅いということをよく認識しておられると思います。したがって、公務員として閣議決定された四全総を守り、それを実行していくという仕事と同時に、実は次の五全総に備えるべき作業もしなければならないという事態にあるということだけ御説明して、御理解をいただけるとありがたいと思うわけで、私が国会にいろいろ呼ばれまして御説明して御意見をいただいたときも、その国会でいただいた御意見が閣議決定された計画への御意見ということよりも、次の計画への参考になると思って伺っていたことが非常に多いわけでありまして、それらはかなりのものが次の計画では生かされてきたんじゃないだろうかとひそやかに思っている状況でありますので、いろいろと率直に御指導いただけることがいい計画をつくっていく基礎だと思います。
  28. 米沢隆

    ○米沢委員 国土の均衡ある発展という課題は、昔から重要な課題でありましたし、今日でも依然として重要な課題だと思います。  先ほど先生がおっしゃいましたように、経済が発展する過程で東京一極集中は一つ必然性もあった、私もそう思います。発展が東京一極集中を生み、東京一極集中がまた日本の経済を支えたという一面がある。しかし、今日の。ように、それが今度は弊害となって、逆に地方に悪い影響を与えるような状況になったときに、新たな意味国土の均衡ある発展という課題はもっと重要な課題になった、こう思っておるわけでして、長年その仕事に携わってこられた先生の立場から、今まで国土の均衡ある発展と言いながら、なぜそれが進んでこなかったのか、あるいは、これからまた新しい国土の均衡ある発展がまた新たな脚光を浴びるような重要な課題である今日、一体何が一番大事な問題なのか、何を考えたらいいのかということを率直に教えてほしい。  同時に、今国会移転というのは、まさに政治機能をある程度移転して過密を是正しようということですが、国会移転というものが、先ほどおっしゃったような国会都市を創造するというものがどれぐらい国土の均衡ある発展という観点から意味を持つものだろうか。あるいはまた、効果をもたらすものだろうかという点について御教示いただきたいと思います。
  29. 下河辺淳

    下河辺参考人 非常に難しい御質問をいただいてしまいましたけれども、戦後の国土計画について失敗とか挫折とかということは、私は否定はいたしません。いろいろ問題を伴っています。しかし、戦後の国土政策がどういう役割を果たしたかということについては、専門的にいろいろなコメントをしたいということがいっぱいございます。  それは、先ほど御質問もいただきましたけれども、日本の合理性というものが市場を通じて一極集中型であるということを是認しながら地域との格差是正に取り組んだということを申し上げて、その手段は、工業の再配置ということと交通、通信のインフラであったという時代が長く続いたのですけれども、そのことが成功であったか失敗であったかということになれば、答えは単純ではありません。  そして、私たちが言いたいということを言えるとすれば、一人当たりの県民所得が、国土政策も関係しながら諸政策とあわせて、著しく格差が縮んだということだけは事実でありまして、昭和五十四、五年ぐらいまで高度成長期を通じて一貫して所得格差が是正されていったということは記録されているところであって、それをどう評価したらいいかということは議論にもなり、それではまだまだ不十分という御議論もありますけれども、そういった側面を見なければなりません。  それから、人口で東京一極集中構造というのは、江戸時代から明治、大正、昭和、戦前戦後、高度成長期、今日と、全部人口の移動の要因が違います。したがって、過去の要因で現在を語るということは、政策論としては余り賢明ではない。事後対策という意味のことでしかないと思うわけで、きょうここで申し上げるとすれば、現在の東京一極集中構造は三千万人の情報の消費市場に対する集中であるというふうに私は思うわけで、将来に向けては、その市場というものを前提にしながらも、情報の発信者としての新しい基地ができてくるということを夢見ておりまして、それをやろうという青年層が出てきている。つまり、青年層の価値観が非常に多様化することの中で、その多様化した意見一つ一つに対応する政策論を必要としているのではないだろうかというのが、先ほどのお話からいえば、五全総へ向けての一つの新しい展開ではないだろうかというふうに思うわけです。  そういうふうに考えましたときに、国会移転というのは、過去の東京問題の処理の一隅として考えるという要素は否定されておりませんが、私がきょう特に申し上げたい一つは、地震というものに緊急性があるということがありますが、もう一つ本質的な面では、価値観が変化する、その価値観の変化にどう対応するかという問題として、国会、その移転というものを考えたい。つまり、国土計画的視点にとどまらないで、政治的視点国会移転というものを論じていただきたいというのがポイントなのですけれども、これはほかの過密問題ともあわせて、青年たちの価値観によって居住の選択が行われるとか、あるいは就業の構造なり就業の対象が決まってくるというのと同じ意味であって、どうも世界を見ていて二十世紀末価値観の混乱があり、そして価値観の多様化が進んでいる中でどのような秩序ができていくかという情勢の中での国会移転論であるという見方をしておりまして、国会移転によって人口が分散するというようなことには全く関係がないのではないかというふうに思ったりしております。
  30. 綿貫民輔

    綿貫委員長代理 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言御礼を申し上げます。  参考人には一貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  参考人には御退席いただいて結構でございます。
  31. 綿貫民輔

    綿貫委員長代理 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、来る十月二日、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  32. 綿貫民輔

    綿貫委員長代理 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  次回は、来る十月二日水曜日、委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時四十八分散会