運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1991-02-18 第120回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年二月十八日(月曜日)     午前十時開議  出席委員    委員長 渡部 恒三君    理事 大石 千八君 理事 鹿野 道彦君    理事 近藤 鉄雄君 理事 二階 俊博君    理事 増岡 博之君 理事 加藤 万吉君    理事 佐藤 敬治君 理事 松浦 利尚君    理事 草川 昭三君       粟屋 敏信君    志賀  節君       戸井田三郎君    星野 行男君       細田 博之君    松本 十郎君       村山 達雄君    五十嵐広三君       北川 昌典君    串原 義直君       新村 勝雄君    新盛 辰雄君       辻  一彦君    戸田 菊雄君       野坂 浩賢君    武藤 山治君       和田 静夫君    石田 祝稔君       日笠 勝之君    冬柴 鐵三君       佐藤 祐弘君    三浦  久君       中野 寛成君    柳田  稔君  出席公述人         青山学院大学教         授       伊藤 憲一君         日本大学法学部         教授      浅井 基文君         放送大学教授  仲村 優一君         財政金融研究所         顧問         青山学院大学教         授       館 龍一郎君         青山学院大学国         際政治経済学部         教授      阪中 友久君         東京大学教授  佐藤誠三郎君  出席政府委員         内閣官房長官 大島 理森君         総務政務次官  井上 喜一君         北海道開発政務         次官      鳩山由紀夫君         防衛政務次官  江口 一雄君         経済企画政務次         官       井出 正一君         沖縄開発政務次         官       仲村 正治君         国土政務次官  植竹 繁雄君         外務政務次官  鈴木 宗男君         大蔵政務次官  持永 和見君         大蔵省主計局次         長       田波 耕治君         文部政務次官  中山 成彬君         厚生政務次官  伊吹 文明君         農林水産政務次         官       杉浦 正健君         通商産業政務次         官       自見庄三郎君         運輸政務次官  今枝 敬雄君         郵政政務次官  大野 功統君         建設政務次官  杉山 憲夫君         自治政務次官  岡島 正之君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      多田 俊幸君     ───────────── 委員の異動 二月十八日  辞任         補欠選任   佐藤  隆君     細田 博之君   松本 十郎君     星野 行男君   新盛 辰雄君     北川 昌典君   小沢 和秋君     三浦  久君   柳田  稔君     中野 寛成君 同日  辞任         補欠選任   星野 行男君     松本 十郎君   細田 博之君     佐藤  隆君   北川 昌典君     新盛 辰雄君     ───────────── 本日の公聴会意見を聞いた案件  平成三年度一般会計予算  平成三年度特別会計予算  平成三年度政府関係機関予算      ────◇─────
  2. 渡部恒三

    渡部委員長 これより会議を開きます。  平成三年度一般会計予算平成三年度特別会計予算平成三年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成三年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようにお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず伊藤公述人、次に浅井公述人、続いて仲村公述人順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、伊藤公述人にお願いいたします。
  3. 伊藤憲一

    伊藤公述人 ただいま御紹介いただきました伊藤でございます。本日は、平成三年度予算案の御審議関連いたしまして、私の専門といたしております国際政治分野における問題点につきまして、私の見解を御参考までに述べさせていただきたいと思います。  予算案との関連でも大きな比重を占めております国際情勢の問題といたしましては湾岸戦争の問題がございますので、この問題につきまして大部分の時間を使わせていただきたいと思いますが、時間が許せばもう一つ、今後の国際情勢展望の大きな不安定要因となっておりますソ連における情勢につきましても、若干私見を述べさせていただきたいと思っております。  最初に、湾岸戦争日本対応でございますが、私は、この問題につきましては、情勢をどのように判断するかということが直接的に政策をどのように考えるかということに直結するという意味で、情勢判断を的確に誤らずに行うということが非常に大切ではないかと思うわけでありますが、この場合におきまして、あらゆる事象がそうでございますが、特に湾岸戦争は非常に複雑かつ多面的な現象でございますので、その本質をとらえることが情勢判断のかなめとして特に大切ではないかと考えるわけであります。  このような観点から考えますと、湾岸戦争本質は、湾岸戦争がいわゆる戦争ではないという事実を把握することがまず非常に大切ではないかと考えるわけであります。湾岸戦争は、国際社会によるその秩序紊乱者に対する制裁行為であります。戦争制裁行為相違は、言ってみれば、戦争は対等な立場にある二者間のけんかでありますが、制裁行為は公的な機関による公的な立場からの私的な公益侵害行為に対する制裁行為であります。この意味で、湾岸戦争は正しくは湾岸事件と呼ばれるべき性質のものであろうかと私は考えるわけであります。国連による経済制裁軍事制裁にエスカレートしたものであります。国連というのは、現実的に国際社会の九九・九%を代表している組織体でございます。ここの意思決定によって、この組織体のメンバーの一国の、組織体ルール規定に対する違反行為に対してとられている制裁行為でございます。  皆さん御承知のとおり、一九二八年に不戦条約というものが締結されまして、それ以降、世界戦争観には大きな変遷があったわけでございます。古典的国際法におきましては、いわゆる「無差別戦争論」の立場がとられ、戦争というものは主権国家自由意思発動であり、どちらが悪くどちらがよいというものではないという考え方が行われていたわけでございます。しかし、一九二八年の不戦条約及びその精神を受けて現在行われております国連憲章、これらの流れの中で、戦争は一般的に禁止され、正当な理由、それは自衛制裁でございますが、その場合以外を除いて非合法化されたわけであります。そのような中で、国際法戦争観も「無差別戦争論」からそういう正当な原因を有する戦争以外を非合法化する「正戦論」の立場へと変遷してきておるわけでございます。  このような国際社会における大きな戦争観変遷背景として、私は、今回の戦争本質を、それはいわゆる戦争ではないのだということを強調し、それを理解することが湾岸戦争本質の把握につながるのではないかと考えるわけでございます。  もちろん、そのような立場を主張する前提といたしましては、そのような立場社会における平均的市民あるいは国際社会における平均的構成員たる国家にとって利益であり、それを否定して、すべての暴力は否定されねばならないがゆえに、自衛または制裁目的とするいわゆる「正戦論」の認める「正戦」についてもこれを認めることができないという暴力すべての絶対否定の立場、あるいは正義を相対化してどちらもどちらなんだという立場に返ることは、不戦条約以前の「無差別戦争論」の世界に返る、つまり、弱肉強食のジャングルの世界に返ることをよしとする立場に通ずるものであり、それは国際社会全体の利益と相反するものではないかと考えるわけであります。  今日本は、そのような国際情勢展開背景として、国際社会とともに生きる道を選ぶか、それとも、日本一国さえ無事平安であれば世界はどうなっても構わないという一国平和主義立場に閉じこもって世界から孤立するか、この岐路に立っているということを感ずるわけでございます。  最近の日本人は、その技術力を誇り、その製品の国際競争力に自信を持つ余り世界がどうなっても日本だけは大丈夫だというようなおごりを示すようにさえなっております。世界全体の秩序や平和に対する日本人の根本的無関心さの根底にはこのような考え方があるような気がするわけでございます。  しかし、よく考えてみれば、日本にあるのはお金の力だけであります。それで日本繁栄を謳歌できるのは、高い金さえ払えば売ってくれる国があり、よいものを安く提供しさえすれば買ってくれる国があるからであります。これが世界的なマーケットメカニズムの存在を前提としているものであることは言うまでもございません。この世界的なマーケットメカニズムこそが日本繁栄前提であると同時に、世界全体の秩序や平和というものなのであります。そして、これが天賦、天与のものではなく、人類の血と汗によって創設され、維持されてきた制度であることを考えれば、日本はこの世界の平和、秩序の維持に尽力することが、道義的に求められているだけではなく、日本国の平和と繁栄に直結した、日本の国益に直結した行為であることは疑問の余地がないところではないかと考える次第であります。  日本対応でございますが、もし湾岸戦争意味をこのようにとらえることができるとすれば、日本としてこれにいかに対応すべきかという問題につきましては、おのずと、可能な限り、できるだけのことをするという前向きの対応とならざるを得ないのではないかと私は考えるわけでございます。  そういたしますとその次に、そのようなことが現在の日本法体系、あるいは保持する人的、物的資源でできるのかできないのかという問題に次に移行するわけでございます。  であるとすると、その後に初めて、もし現行法体制でできないことがあればどうするか。これまでの解釈を変更する余地があるのかないのか、あるいは法改正あるいは憲法改正のような問題を含めてする必要があるのかどうか、こういった筋道で議論をしていくのが政治的議論であり、戦略的議論であり、立法論的議論であり、ぜひとも国権の最高機関である国会において、国会議員の諸先生に立ち向かっていただきたいと考える問題でございます。  ところで、イラク革命評議会声明を発表いたしました。このことにつきまして私の考えを若干申し上げ、それに加えて、戦後、湾岸戦争後の展望に一言言及いたしてみたいと考えます。  イラク革命評議会声明は、国連決議によって行動しております多国籍軍及びそれを支持している諸国立場から見て受け入れ不可能であることが自明の条件をつけて出された声明でございます。クウェート撤退部分を除けば、つけられている条件はあたかも勝者が敗者に要求するがごとき条件でございます。到底、イラク側でこれを多国籍軍側が受け入れると期待し、あるいは予期して発出したものであるとは考えられません。であるとすれば、イラク側のねらいは何であったのか、私は三つ考えられると思うわけであります。  第一は、数日中にも発動されると言われている、切迫してきた多国籍軍側地上作戦発動をおくらせるということであります。第二は、多国籍軍及びそれを支持する諸国の陣営を分断するということであります。第三に、アラブ世界に対して、イラクは利己的な目的戦争をしているのではなく、まさにアラブの大義のために無私の戦いをしているものであるということを改めて強調することでございます。言いかえればこれは、イラク戦争遂行過程における政治的、戦略的な駆け引きの中から出てきた声明であると私は受けとめております。  しかし、それにもかかわらず、すべての諸条件をつけたにもかかわらず、イラククウェート撤退に初めて言及したことの意味は極めて大きいと考えるわけであります。なぜならそれは、クウェートを併合し、それをイラク一体不可分の一部であると主張した自国立場を取り消したことにほかならないからでございます。イラクは、この声明自国にとってプラスの側面を意識していただけでなくマイナスの側面をも意識していたか、これは疑問の余地の残るところでございます。あるいは意識していなかったかもしれませんが、このことによって湾岸戦争は今一つの突破口を通り、戦争終結への第一歩が踏み出されたことは、イラクが欲すると欲せざるとにかかわらず否定できず、ここに湾岸戦争は転機を迎えたと考えるわけでございます。言ってみれば、軍事的に防勢に追い込まれていたイラクは、みずからの行為によって今後政治的にも防勢に追い込まれるという事態になったものと考えられるわけであります。  多国籍軍地上作戦は近日中に実施されると私は考えておりますが、その地上作戦展開に伴い、湾岸戦争後の構想が大きく世界的に展開してくるものと考えております。そしてこの場合、多額の資金援助を行っております我が国としても、もちろん積極的な発言を行うことは権利であると同時に責任であるとも考えますが、しかしこのときに、経済大国と言われる日本は、とかく湾岸復興のための経済援助に専ら関心を集中し過ぎる余りに、戦後構想の全体像の中で日本の果たすべき役割を誤ることがないように注意しなければいけないと考えるわけであります。  それはどういうことかというと、湾岸構想は、まず政治安全保障分野における戦後構想としてその最初の輪郭をあらわし、その次に、その中で、戦後経済復興というものが具体的な形をあらわすものでありまして、この順序をわきまえずにお金だけをばらまくような形で日本が戦後復興に乗り出すことは極めて喜劇的な姿となるのではないかと思われるわけであります。  なお、この政治安全保障をめぐる戦後構想につきましては、フセイン大統領の現政権の除去を望ましいとし、それを前提として構想するアメリカなどの立場と、むしろフセイン政権を温存することによって自国にとってより好都合な湾岸戦後の政治安全保障体制をつくりたいと考えるソ連などの思惑の相違が既に表面化いたしております。こういう極めてデリケートな展開に対する洞察及び配慮を欠いて、日本資金援助構想だけが突出することは賢明な対応ではないと考える次第でございます。  この後ソ連に関する問題についても御意見を述べたいと考えておりましたが、時間がございませんので、それは御質問等があればお答えすることにいたしまして、私の公述はこれをもって終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 渡部恒三

    渡部委員長 ありがとうございました。  次に、浅井公述人にお願いいたします。
  5. 浅井基文

    浅井公述人 私の最大の関心は、九十億ドルの追加拠出自衛隊機派遣問題であります。ただ、時間の関係もございますので、ここでは九十億ドルに関連する問題に限らせていただきます。  冒頭に明らかにしておきたい私の問題意識でございますが、第一に、憲法違反行動が認められるかどうか、第二番目に、九十億ドルは憲法違反に当たらないのか、第三番目に、憲法違反でもやむを得ないというほどの何か必然的な理由、事情があると言えるのかどうか、四番目に、もしそうでないとしたならば、それ以外に日本国際的な役割を果たす上でもっと積極的な道はないのかということでございます。  私は、一国平和主義かそれとも対米協力かというような形でしか問題提起されていない現在の国内の論議に非常な疑問を感じております。政府自民党がこれまでに決定いたしました湾岸支援策といたしましては、九〇年八月の二十億ドル、そして今回の九十億ドル、以上総額百十億ドルに達する多国籍軍への支出がございます。これらは物資、輸送、食糧などに充てられるものであり、いわゆる兵たん支援として、近代戦争遂行上最も重要な地位を占めるものであります。これは国際的には自明であります。つまり、国際軍事常識として戦費であることは明らかであるということでございます。つまり、日本資金提供という形で多国籍軍軍事行動に参加するということであります。  日本国憲法第九条は、国際紛争を解決する手段としての戦争武力による威嚇、武力行使を放棄すると明確に定めております。私は、この規定を私たちが謙虚に読む限り、この九十億ドルの拠出ということはこの憲法規定に明確に反するものであると言わざるを得ないと思うわけでございます。  ところが、日本国内で九十億ドル拠出正当化する議論は、この前の公明党市川書記長政府とのやりとりに反映されていますように、武器弾薬の購入に充てられなければ戦費ではない、だから戦争協力とは言えない、したがって憲法違反ではないといったたぐいの、およそ国際的には通用しない議論という形になっております。  九十億ドルの拠出にしても自衛隊機派遣にしても、日本憲法理念基本原則民主主義立憲主義法治主義という根幹がなし崩しにされようとしていると私は感じております。しかも、その政府自民党行動は、専ら日米関係のためということで正当化が図られております。このような形でしか維持されない日米関係であるとしたらば、その将来もまた限りなく暗いと言わざるを得ないと私は思います。  自民党が改憲を志向する政党であるというように承知しておりますが、それである以上、以上のことは怪しむに足りないのかもしれません。しかし、従来護憲を標榜してきた公明党が、この問題についての明確な判断を示さないままに、国際協力、実は対米協力が重要という論理だけで政府自民党行動を支持する側に回ったということは、国民として全く納得できません。明快な判断と説明を公明党国民に対して行うことを求めておきたいと思います。  さて、国内各種世論調査でも、政府自民党のこのような行動に対しては、国民の厳しい判断を明確に読み取ることができると思います。ただし、このように問題点が明確であるにもかかわらず、特に九十億ドルの拠出に関しては、なお政府自民党行動を容認する声が根強いことも事実であります。これらの声は、自民党のやり方について、ついていけないものを感じながらも、対イラク制裁上、国連決議に基づく多国籍軍支援はやむを得ないあるいは当然、日米関係悪化回避至上課題、あるいは野党側から積極的代案の提起がないなどの判断から、政府自民党の提起する方向を容認せざるを得ないと見ている向きも非常に多いと思います。  私は、これらの認識が実は正しいものではないことを以下において示したいと思います。  まず、アメリカ軍を中心とする多国籍軍の対イラク軍事行動を容認することができるでしょうか。私は、次の諸点から、これらの行動は容認され得ないものであると言わざるを得ないと思います。  第一、経済制裁が尽くされなかったことであります。しかも、その裏には、最近明らかになりましたように、アメリカ軍事手段優先策があると考えざるを得ないということもございます。国連憲章第四十二条は、非軍事的措置では「不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるとき」軍事的措置をとることができると定めております。しかし、ウェブスターCIA長官は、開戦直前と言ってもよい九〇年十二月五日の下院軍事委員会公聴会で、国連決議に基づく制裁禁輸措置イラク経済に深刻な打撃を与えたと述べております。これは、私は、去年の十二月六日付の日経新聞に基づいております。しかし、開戦直後に行われたブッシュ大統領の一月十六日の演説では、五カ月間にわたって制裁を続けたが、このままではイラククウェートから撤退させられないとの判断になったとだけ述べております。これでは初めから軍事力行使の結論があったと考えざるを得ないと思うのであります。  第二、米国イラクをたたこうとする戦争目的国連決議六百七十八で正当化できないということがございます。  米国を初めとする多国籍軍の対イラク軍事行動の根拠となっているのは、国連安保理が九〇年十一月二十九日に採択した決議六百七十八以外にはございません。しかし、同決議第二項の文言は次のとおりであります。イラクが一九九一年一月十五日以前に十一の決議を十分に履行しない場合、クウェート政府に協力している加盟国に対し、安保理決議六百六十及び累次の関連決議を堅持かつ実施するとともに、この地域における国際の平和及び安全を回復するためにあらゆる必要な手段をとる権限を与える。以上、引用を終わります。ここで引用されている決議六百六十は、イラククウェート侵攻を非難し、イラク軍が一九九〇年八月一日現在駐留していた地点まで即時かつ無条件に撤退することを要求し、イラククウェートとの間で対立点の解決に向けて集中的な交渉を開始することを求めているものであります。以上の二つの決議から判断できることは、安保理決議は、イラククウェートからの即時かつ無条件の撤兵と、この地域の平和、安全の回復に資する範囲で多国籍軍があらゆる必要な手段をとることを許容したにすぎないということであります。  しかし、米国政府行動は、明らかに決議が予定した範囲を超えております。このことはアメリカ軍の実際行動にあらわれているだけではありません。ブッシュ大統領が一月五日付でサダム・フセイン大統領にあてた親書では、問題はクウェートではなく、むしろイラクの将来だ、選択するのはあなた自身だというくだりがございます。このように、アメリカの実際の戦争目的国連決議によって正当化できる範囲を超えていることに対しては、国際的にも既に警戒感が表明されるようになっております。ところが、日本国内ではこの点を殊さらにあいまいにしたままアメリカ行動に目をつぶっておると私は思います。  第三、決議六百七十八は、日本行動を縛る拘束力を持たないという点も指摘したいと思います。  同決議は、国連憲章第七章に基づくものであります。しかし、その内容は、第三項で、すべての国家に対し、この決議の第二項を履行するためにとられる行動に対し、適切な支援を与えることを要請すると規定しているにすぎません。この決議拘束力があれば、原則上すべての加盟国戦費拠出に応じる義務を負うはずであります。ところが、実際に戦費拠出に応じているのは、サウジ、クウェート、ア首連、ドイツ、韓国、日本ぐらいなものでございます。  以上の議論から明らかになることは、日本にとってのこの問題は、国際貢献を果たす上での日本立場はいかにあるべきかという最も基本的な点が意識的に回避され、政府自民党が強調する対米協力しないと大変なことになるという危機感が、憲法違反、すなわち九十億ドルの戦費負担民主主義ルール法治主義無視措置、すなわち自衛隊機派遣をも正当化しようとしているということに集約できると言っても過言ではないと思います。つまり、日米関係のためには憲法上疑義のある行動もやむを得ないと見るのか、それとも違憲、民主主義違反行動まで求める日米関係は真の友好関係を形づくることができるのかという形で問題が正面から問われているのではないかと私は考えます。まさに日米関係あり方そのものが問われていると思うのであります。  ここで、多くの国民が抱いている、もし九十億ドルを出さなかったら日米関係はどうなるのかという第二の問題につながってまいります。この極めて重大な問題点についての私自身の判断は、次のようなものでございます。  第一に考えたいことは、日本が九十億ドルを出し、その結果アメリカ指導による対イラク戦争が勝利するとして、その後のアメリカ世界戦略は日本を初めとする国際社会をどこに導いていくのかという問題であります。  ブッシュ大統領の本年の一般教書は、この問題に関して次のように述べております。我々が湾岸で成功したとき、「世界は新しい世界秩序の長期間にわたる合意を履行する機会を得ることができる。新しい秩序のもとでは、暴力は報酬を受け得ず、侵略は集団的な抵抗を受ける。米国はまさに、この努力を主導する主要な役割をになっている。世界各国の中で、米国だけがよって立つ倫理と、それを支える資源を持ち続けてきた。世界中でわが国だけが、平和のための戦力を束ねることができる。これが指導するものの責任であり、米国を、世界が探し求めている自由の灯台にならしめる力でもある。」引用を終わります。  以上のブッシュ大統領の格調高い発言の真意をかみ砕いて言えば、国際社会において起こる出来事が正しいか正しくないかということの判断アメリカが行うということ、また、アメリカが軍事超大国たる立場を堅持する決意であるということを意味するものであります。  ただし、ブッシュ大統領はいま一つ重要なポイントに言及しておりません。それは、アメリカ国際秩序の正悪の判断に当たり、必要と判断するときにその強大な軍事力を行使するが、そのための経費は日本を筆頭とした同盟国が負担することが前提になるという点であります。そして、この財政面での同盟国の協調体制が確保されるか否かは、新しい世界秩序が維持される上での最も基本的前提条件だということであります。  私は、以下の諸点について皆様にぜひとも考えていただきたいと思います。  第一、アメリカの戦後対外政策の実績を踏まえた場合、そのアメリカ国際問題の正悪判断のフリーハンドを与えることができるであろうかという点であります。  第二、アメリカの軍事戦略、すなわち新しい世界秩序でありますが、これを日本以下のアメリカの同盟国、特に金持ち国が受け入れる場合、それらの国は恒常的に財政負担を迫られる仕組みに組み込まれることになりますが、そのことは一体何を意味するかということを考えたことがあるかということであります。  第三、国際経済は経済的に米国の戦略、新しい世界秩序構想を負担できると思うかという点であります。  この問題の深刻性を考えるために、一つだけ統計を御紹介したいと思います。経済企画庁のある試算によりますと、一九九一年から一九九五年までに蓄積される民間貯蓄は、世界じゅうで三兆九千億ドル弱だそうであります。そのうち、先進国自身の民間投資で吸収されてしまう金額が約三兆六千億ドルに達すると言われます。つまり、国際経済の他の目的に充当され得る金額はわずか三千億ドル強であるということでございます。しかも、この五年間に東欧経済だけで必要とする資金需要が約七千億ドル、日本の公共投資、ちなみにこれは日米構造協議でアメリカが実現を求めてきた結果でありますが、これで千八百億ドルがさらに必要となります。ということは、東欧と日本の資金需要だけで既に三千七百億ドル以上の不足が見込まれるということであります。これに開発途上諸国の累積債務一兆三千四百十億ドル、これは九〇年末現在の数字でございますが、それからアメリカ経済の空洞化を何とか活性化するということの追加資金需要を見込んだらどうなるのか。それに加えて、今回の湾岸戦争によって必要となる戦費というのが加わってくるわけでございます。これをちなみに一日当たり五億ドルという戦費で勘定いたしますと、三カ月では四百五十、半年で九百、一年では千八百億ドルという巨額に達するわけでございます。  このように見てきたとき、国際経済が米国の軍事費を負担するという前提に立って初めて成立するブッシュ大統領の新しい世界秩序なる構想が、実は極めて非現実的な前提に基づいていること、湾岸戦争に勝利をおさめるとしても、ただでさえ資金の需給アンバランスという構造的問題に悩む国際経済にとって、秩序として定着させるだけの余力はないということが明らかになってまいります。  以上の諸点についての私の指摘がそれなりに意味を持つとすれば、仮にアメリカ湾岸戦争に勝利をおさめるという前提に立ったとしても、その後の国際秩序ブッシュ大統領が一般教書の中で展望したようなバラ色のものとなる可能性は極めて乏しく、むしろ私たちとしては、そのような将来に日米関係を含めた国際社会を導こうとするアメリカ政府の政策にストップをかけ、湾岸問題の政治的解決の可能性を最大限追求するべきだという結論に導かれると思うのであります。  次に考えたい問題は、湾岸戦争の泥沼化の場合には、国際経済を初めとした国際社会の将来展望はどうなるかという点であります。  第一に日本人の私たちとして当然考えなければならない問題は、九十億ドルに加え第二、第三の追加拠出が不可避になる、そのようなことに日本経済はたえられるのか、国民感情としていつまでも政府自民党の主張に耳をかす余裕を持ち続けるか、さらには、そのような日米関係のあり方についていつまでも無批判的であり続けるかという点であります。  また公明党に対してお聞きしたいのは、その場合に、再び今回のような便宜主義的な方法で切り抜けるというつもりであるかどうか、この点についても明確な判断国民に示す義務があるんではないかと思います。  第二に考える必要があるのは、景気後退入りしたアメリカ経済は泥沼化した戦争の負担にたえ切れるのかという問題がございます。  米国経済が深刻化するということは、当然のことながらアメリカ一国の問題には終わりません。アメリカ経済の不振が長引けば、国際経済は深刻な影響を免れません。しかも、米ソ二極対決構造から抜け出そうとしている現在の国際社会には、これにかわる長期的な安定を保障する秩序を見出し得ないでいます。戦争が泥沼化した場合、ブッシュ大統領の言う新しい世界秩序構想が絵にかいたもちに終わることは明らかであります。その場合、国際社会は有効な指針もないままに漂流するという非常に恐ろしい事態に入ることが懸念されます。  以上から明らかなように、ブッシュ大統領が進めようとしている政策は、戦争アメリカに有利な形で終結する場合でも、またその意図に反して泥沼化する場合でも、ともに国際社会に対して到底たえ切れない負担をもたらすということを考えざるを得ないわけであります。日本国民の立場からいえば、政府自民党を支持する場合のツケは、憲法違反法治主義ルール違反という既成事実が残されるだけではなく、国民生活は深刻な影響を受け、日本経済が重大な試練に直面する。そして、政府自民党がその重要性を強調する日米関係自体が危うくなりかねないということであります。  時間が来ましたので、最後の、もう一つ国民の抱く第三の疑問である、ではいかなる代案があり得るかという点につきましては、御質問に応じてお答えしたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  6. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、仲村公述人にお願いいたします。
  7. 仲村優一

    仲村公述人 仲村でございます。  私は、一転いたしまして、専門が社会保障、特に社会福祉の問題でございますので、平成三年度予算案関係で盛り込まれております社会福祉関係予算中心に私の所見を述べさせていただきます。  まず、総括的な数字でございますけれども、来年度の一般会計予算の総額は御案内のように七十兆三千四百七十四億円、そのうちの政策経費であります一般歳出は三十七兆二千三百八十二億円でございますけれども、その中で社会保障関係費は十二兆二千百二十二億円となっております。これは一般歳出対比では二八・三%となりますが、この数字を少しこれまでの経過をたどって顧みて見てみますと、一般歳出対比の社会保障関係費の割合は、一九七〇年度では一九%でございました。八〇年度では二六・七%、そして昨年度、本年度と三二・八%と、これは、高齢化の進行とともに社会福祉、社会保障の充実のための国民の要求も高まり、また経済的な対応の能力もそれだけ日本は高まってまいりましたから当然だといえば当然でございますけれども、ここまで社会保障関係費の比重が高まってきたということ自体は高く評価してよろしいことかと思います。もしこれに、国際的な通念としては恩給関係費なども社会保障関係費に入りますので、これを加えますと三七・七%、四〇%近くになります。今後に向けてぜひ、これから述べます社会福祉の充実の方向でこの社会保障関係費の相対的な比重についても現在の水準を落とさないように、一層これを充実させていく方向で今後の予算についてはお考えをいただきたいと思います。  そこで、事柄をもう少し限定をいたしまして、社会福祉の方の事柄に重点を置いて申し上げたいと思います。  社会福祉は、今日御案内のように非常に大きな制度改革の過程にあります。社会福祉の制度は戦後、私どもは社会福祉の三法と申しておりますけれども、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法が一九四〇年代にできまして、五〇年代の初めに社会福祉事業法ができ、この四つの法律がいわば社会福祉の当時の象徴的なサービス法でございましたが、その後、経済の高度成長下に一応福祉サービスの枠が広がって社会福祉の六法となりました。社会福祉事業法及び社会福祉の六法を中心に一九五〇年代に組み立てられました社会福祉の行政あるいはサービスの供給の仕組み等々の入れ物の枠組みが基本的には変わらないままで今日に至っておりまして、今日の非常に大きな状況の変化の中で、そうして特に高齢化の進行とともに変わってきております状況の変化の中で、古い仕組みの社会福祉は今日用をなさなくなる、適合しなくなるということで、社会福祉の制度の大きな見直しがこの十数年来問われてきております。  そういう状況下におきまして、一昨年の三月でございますけれども、厚生大臣の社会福祉に関する諮問機関が三つございます、福祉関係の三審議会と申しておりますが、この合同企画分科会が「今後の社会福祉のあり方について」という厚生大臣に対する意見具申を出しました。この内容を細かくここで述べている余裕はございませんけれども、その方向づけとしては、基本的には市町村の役割を重視する、住民に一番近いところの地方自治体が責任を持って社会福祉の行政なりあるいはいろいろな関係業務を積極的に推進をする、そういう責任を市町村に持ってもらう必要がある、そして在宅福祉を充実する、これが一つの大きな目玉になっております。これまでの社会福祉は、施設に例えば老人、障害者等を、昔の言葉で申しますと収容をして、今日の言葉では入所をさせて、そして施設福祉サービスとして、特にさかのぼりますと貧困の、経済的に恵まれないそういう要援護者を施設に収容して援護するという、そういう社会福祉でございましたけれども、明らかに世の中は変わってまいりまして、そういう施設も大事だけれども、その施設自体も経済的な要援護者だけではなくて、例えばいわゆる寝たきりのお年寄りに対する特別養護老人ホームに見られますように、経済的な条件を問わずに、介護を要する、そして家族が見切れないお年寄りをお世話をする、そういう老人ホームに象徴されますような社会福祉が広がってまいりました。しかし、決定的に数年前までの社会福祉で欠けておりましたのは、施設福祉に対する在宅福祉という面の貧弱さでございます。  これは細かい数字をいろいろ申し上げるとすぐおわかりいただけることでございますが、私調べてみましたら、一九八〇年度という年で、政府一般会計予算の中で施設福祉に対して在宅福祉に向けられておりました予算は二十分の一にすぎませんでした。その後徐々に在宅福祉はその重要性が強調され充実してまいりましたので今日はそういうことはございませんが、来年度の予算案でこれを調べてみましたところが、かつての二十分の一は一対四になっております。現年度で一対五で、来年度は一対四になります。これは当然二十一世紀に向けての社会福祉の充実の方向は、施設福祉とともに地域における在宅福祉を伸ばしていって、そして施設福祉と見合う程度に、私は私見としてはこれは、一対一というのは必ずしも望ましいとは思いませんけれども、少なくも三対二、施設福祉に対して在宅福祉は二ぐらいのところまで伸ばしていくということで、二十一世紀に向けて在宅福祉を伸ばしていって、そして地域において在宅福祉と施設福祉のネットワークと申しますか、福祉サービスの網の目を在宅看護ないしは在宅保健サービスと、保健と福祉が提携する形で地域に伸ばしていって、そうした地域において地域の住民がそのサービスを主体的に選択をして利用できるような、そういう保健と福祉のサービスの網の目をつくり上げていくということ、これがこの「今後の社会福祉のあり方について」で意見具申として出された基本線でございます。  これまた委員の皆様御案内のように、これを受けて、これと軌を一にして、一昨年の十二月にはいわゆるゴールドプランといいます高齢者保健福祉推進十か年戦略が策定されました。私は率直な感想としてそのとき、これはどえらい計画が出たものだ。大変申しわけないことですけれども、福祉関係ではこれまでも随分いろいろな計画なるものが出されて、これらは全部が絵にかいたもちであったというのは言い過ぎかもしれませんが、少なくも出された計画が一〇〇%そのまま実現する方向で具体化されたという例はいまだかつてございません。状況は変わっておりますから、こういう計画の推進ということについては政府も大いに力を傾けられるとは思いましたけれども、正直のところこれが一〇〇%で計画の具体化に動き出すというところまでは予想いたしませんでしたが、一昨年の予算編成過程、つまり本年度の予算編成過程でこの高齢者保健福祉推進十か年戦略、ゴールドプランで立てられた十カ年の年次計画に基づく計画に対応する数値が計算されて、そしてこれが全部、本年度の予算では全額通るという、いまだ福祉関係では例を見ない結果が生じました。そして来年度はその二年次でございます。来年度の予算案の組み立てられる過程で私はこの点を大変注目しておりましたが、これまた要求が全額、満額通るということで、少なくもこのゴールドプランの最初の二年は計画どおりにすべてが予算化されるということで、これはもう大変高く評価してよろしいことかと思います。  ただ、これはそう簡単に喜んでいるわけにはおれませんので、関連してたくさんの今後の十年に向けて検討しなければならない課題がございますし、また予算的にも、すべてこれが予算に絡んでまいりますので、その計画を実質化するためのいろいろな手だてをこれから講じてもらわなければならないわけですけれども、そういう視点から見まして、これも時間が限られておりますから、二、三のごく大事だと思われる問題を具体的な数字等にも触れて申し上げてみたいと思います。  例えば象徴的な、これも細かく挙げますと切りがありませんので、十カ年戦略で打ち出されております象徴的な事項の一つとして、在宅福祉の充実ということですと、当然人の面で、いわゆるホームヘルパーの充実ということが問題になります。ホームヘルパーを一つの例に挙げてみますと、十カ年戦略では二〇〇〇年、平成十一年にホームヘルパーを十万人にするという数字が挙がっております。これは、現年度におきましては予算措置の枠はほぼ三万五千人であったかと思いますが、来年度これを五千人ふやして四万人を超えるということになっております。これは十万人にしたとしてもどうかというようなことがよく問題になりますけれども、ともかくここまでは絶対に達成しなければならない数字、目標として政府はお立てになったのだと思いますので、これは何としてでも実現をしていただかなければならないのですけれども、さて、これを実態がどうかということで見てみますと、地方自治体が直接市町村にこれをおろしていって責任を持ってもらうことになっているわけですが、決して地方自治体はこれの受け皿として十分な対応措置ができておりません。例えば、地方自治体の首長が大変福祉に熱心であり、そして困難な財政の中でもできるだけ福祉には力を割いて福祉を充実するということに熱心に取り組んでおられるようなところは明らかに一歩も二歩も進んでおりますけれども、いろいろな理由がつけられて、例えばホームヘルパーを置いてみたところでホームヘルパーへのサービスを要求する人がそんなにいるわけではない、置けと言われてもこちらは困るというようなことで、消極的な自治体も決して少なくはありません。  そういうような状況下で、これまでに比べますと、これを思い切ってふやしていくということが実現できるようにするためには、市町村の福祉行政の強化ということがあらゆる面で今後に向けて考えられなければなりませんし、また、市町村行政の担い手としての人の問題等も含めての福祉行政の強化が必要でございます。ですから、国のレベルで立てられますこういうゴールドプランのような計画が実質的な中身を伴って十年間充実していって、そしてそれが地域における国民の福祉の向上のために実質的に役立てられるというようなところまでいきますためには、このあたりのことを十分に考慮に入れて今後の行政を進めてもらわなければなりませんし、また、予算的な措置もこの面では十分に今後に向けて配慮されてしかるべきだと思います。  例えば、ホームヘルパーのイメージというのは、大変残念なことですけれども、決して一つの、とうとい仕事ではあるけれどもちゃんと社会的に評価される職業ということにはなっておりません。したがって、こういう人手不足の時代には特にそうですけれども、処遇もまだ不十分なままで、こういう仕事にどんどん入ってくれるというような労働力が確保できるかどうか、マンパワーが確保できるかどうかということになりますと、大変心もとないところがあります。来年度の予算案を見てみますと、このあたりも単価のアップ等についてはそれなりの配慮がされておりますけれども、恐らく今後に向けては、これだけでは不十分だということで、ホームヘルパーの受け皿の仕組みを充実させるというようなことをいろいろな面で考えていかなければならないだろうと思います。  もう一つ例を挙げますが、このゴールドプランで一つの目玉として大変強調されましたのが、今までなかったもので新しいセンターを地域に設けるということで、在宅介護支援センターというものが柱が一つ立てられて、これは二〇〇〇年には、平成十一年には一万カ所に設ける。このプランが立てられましたときはこれはゼロであったものですが、一万カ所にする。そしてこれは、本年度の予算では三百カ所、来年度これが四百カ所ふえて七百カ所にする、そして平成十一年には一万カ所にする、こういうプランが立てられております。私、先ほど、当初の二年はともかく予定どおりいったけれども今後に向けて大変心配だと申しますのは、例えばこういうところにも見られるわけですが、本年度この三百カ所をこなすのに必ずしもスムーズに事柄が進んでいるとは言えません。来年度四百カ所、今後に向けて一万カ所と申しますと、これはほぼ中学校区に一カ所でございますけれども、そしてこの考え方自体は大変結構な、つまり日本国民、全国どこに住んでおってもその住んでおるところのごく近くで、介護の問題等で困難に直面している国民はそこに足を運んで二十四時間サービスで相談に乗ってもらえる、そして何らかのサービスと結びつける機能も果たす、そういうねらいで、そしてそこにはフルタイムの保健と福祉の専門家を置いて、ボランティアを組織化してそういう体制を整えていく。アイデアとしては大変結構でございますけれども、これをフルタイムの、二人と仮にいたしましても一万カ所で二万人の専門の職員を今後確保しなければならない。先日、こちらの委員会で看護婦さんの問題が取り上げられておりますのをたまたま私も拝聴いたしましたが、同じような、ある意味でそれ以上に深刻な問題に福祉の世界でも今日私ども直面しております。  そういうような状況下で、こういう入れ物のセンターをつくるということについては大変壮大な計画が立てられておって、その中身をどうするかということになると、結局はこれは人の問題になります。それで、福祉にいい人を、特に若い人たちを受け入れて、そしてこれをやりがいのある仕事として、職業活動として、しかし保健医療や教育などに一段と劣る職業活動としてではなくて、二十一世紀には百万の大台に乗ります三つのヒューマンサービスの職業集団の一つとして、社会福祉につながる従事者、職員が誇りを持ってこの仕事に入ってこれるような、そういう体制を整えるということが必要になります。  それで、これが実現できて初めて二十一世紀には、今回のゴールドプランの、あるいはこれを受けて昨年全会一致で可決をしていただいて法律面から、法制の面からその体制固めをしていただくことになりました老人福祉法等の一部を改正する法律、これは事実上、老人福祉法で代表されておりますけれども、福祉関係の主要な八つの法律の改正でございますが、これを財政面で実質化するプランとしてのこのゴールドプランの、今申しましたような中身の面を含めての充実ということを図っていただくこと、これが二十一世紀に向けての社会福祉の、単に社会福祉のサービスを必要とする一部の国民の問題だけではなくて、すべての国民が直面する介護問題等の不安にこたえて福祉のサービスを充実していくということが今日要求されていると思いますので、先ほど本年度及び来年度の予算案についてこの面からの、今回のこの予算の数字については私は高く評価すると申しましたが、この評価が実質的に実現されるためにはかなりいろいろな検討課題があるということを申し上げて、このあたりを委員の皆様方の御検討の課題にしていただければ幸いでございます。  そのほか社会保障関係予算ではいろいろと問題になりますことがないわけではありませんが、これはもし御質問等ございましたら、私の専門の範囲でお答えできることはお答え申し上げたいと思います。  時間が参りましたので、ここまでといたします。(拍手)     ─────────────
  8. 渡部恒三

    渡部委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。細田博之君。
  9. 細田博之

    細田委員 私は、三先生のそれぞれのお立場における御意見を拝聴いたしまして感銘を受けたわけでございます。特に私は、伊藤憲一先生のおっしゃったことと大変意見の一致を見るところも大きいわけでございますので、伊藤先生に対して、時間も制約がございますので、いろいろ御質問をしてみたいと思っております。  先週、私はアメリカのジャーナリストからインタビューを受けたわけでございます。女性でございましたが、もう食いついてきまして、一時間半以上にわたっていろいろやりとりをしたわけでございます。私も、二年以上アメリカに住んでおりましたから、アメリカ人の考え方というのはよく知っておるつもりでございますが、その中の一番大きなことは何であったか。それは、イラク行為が侵略であって、侵略というものがどういうものであるか。そしてこれは、人命を奪う、そして傷害をする、そして財産を奪う、そして例えば婦女に対する凌辱等、好きほうだいのことをしていくというのが侵略ではないか。過去の人類の歴史に幾らでも例があるわけでございます。そういったものを許すことができるのか。たとえそれに対して、戦争という、あるいは国際法に基づく戦闘行為というものが開始されたとしても、それは侵略よりはいいことであって、侵略をまず排除すべきではないかということが論点でございました。  私は、それに対して懸命に日本立場をもって反論いたしまして、日本憲法の問題ですとか、あるいは自衛隊をとりあえず戦闘行為に派遣するということは今の体制下ではなかなか難しいんだというようなことを申しておりましたけれども、その中で私が感じたことは、日本という国は本当に侵略を受けたことはない国である、したがって多くの国民の方々はこの侵略というものの実態について十分体験をもって認識することがなかなかできないんだな。それに対して、欧米人あるいはアジア人も南米人も、あるいはアフリカ人もそうでございますが、数多くの侵略の歴史を受けておりますから、それがいかに大きな悪であるかということを認識しながら、それに対する対応策をとるべきであるということを言っておる。日本も、沖縄においては一時戦闘行為で上陸もありましたし、それから戦後の占領というのもありましたけれども、占領行為においては、一兵士が一農夫を射殺したということがもう最大の事件になるような形での占領でございましたので、全体の秩序は保たれた。侵略というところ、そういう体験にはとても及びがつかないわけでございますが、そういう日本人の文化的な背景があって、この侵略というものに対する大きさ、自由に対する迫害あるいは簒奪、そういったものの大きさについての認識がどうしても足りないんだな、したがってなかなか意見がすり合わせられないなという気が私はしたわけでございます。  先ほど伊藤先生が、これはやはり一種の事件であって、最初から国際法に基づく戦争というものが起こったというふうに認識することがおかしい、まさにその点が世界じゅうで今叫ばれていることであり、また日本対応が非難されているもとであるというふうに私は感じているわけでございます。  そういった認識のもとで、私は三つばかりの伊藤先生に対する質問を申し上げたいわけでございますけれども、現在、九十億ドルをめぐりまして、我が国において今財源問題、いろいろ検討が行われ、与野党間の折衝等もございまして、防衛費の削減という形でかなり具体的な案が検討されるに至っているわけでございます。私は、本来ですと、この問題はどうも筋が違う面がある。九十億ドルというのはあくまでも国際的協力のために必要な額として決めたわけでございますから、これはこれで支出すべきであって、防衛費をそのために削減するということは必ずしも筋が一貫しないと思うわけでございますが、一番心配することは、このために昨年十二月二十日に我が国において決定されました次期防衛力整備計画、これに支障が出てはならない、この点でございます。この額にもよりますけれども、あるいはこれからの計画の考え方にもよりますけれども、世界的に緊張が緩和されたからといって、現在次期防に影響を及ぼすような形での見直しというものは行うべきではないのではないか。むしろ、イスラエルがあのようにペトリオットミサイルの活用によって、いわばハリネズミ型で我慢をしている、あの状況を見ても、将来いかなるフセインのような男が世界に出てくるかわからない、それに備えてもっともっと充実した防衛計画というものは整備しておく必要があると私は考えるわけでございますが、この点について伊藤先生のお考えをまず第一点としてお伺いいたしたいと思います。  それから、第二点でございますが、時間の関係がありますから質問をさっと申し上げておきたいと思いますが、先ほどソ連にお触れになりました。そして、ソ連はやはりフセインを温存して、何とか今の中東のバランスというものを維持したいというふうに思惑があるというふうにおっしゃいましたが、やや具体的な点がわかりませんでしたので、本日もイラクソ連の会談、相当行われるようでございますが、この湾岸戦争、中東問題、パレスチナ問題に対してソ連が基本的にどういう立場であるのか、どういう利害を持ってこの問題に当たろうとしているのかという点をお考えをお教えいただきたいと思います。  それから、第三点でございますが、ゴルバチョフの訪日を控えまして、ソ連はペレストロイカが進んだわけでございますが、最近は保守化現象がどんどん進んでくるという面がございます。そして、伊藤先生の論文をいろいろ読ませていただいておりますが、やっぱりゴルバチョフというのはそんな神様のような人でもなければ天使でもない、あれは現実主義的な政治家であるからやっぱりもとに戻るということは十分あり得るんだよ、だからもっと注意をしてつき合いなさいということがあります。私は見方が多少違いますのは、政治家というのはすべてプラグマチスト、実際主義者であり、また、日和見的オポチュニストである面がございます。国内情勢によって政策というものはいろいろ考えて変えていくということはやむを得ない事情もあると思うわけでございますが、やはりこれまで東西ドイツの統一等大変に我々西側にとってすばらしい政策を実行してきたわけでございます。それのためにノーベル平和賞も受けたわけでございますけれども、そういう自由化体制というものを、たとえゴルバチョフ政権自身がもつか、もたないということが可能性としてあるにもせよ、その後に来るソ連の体制というのはやはり超保守化の後戻りということは避けて、日本としては友好関係をさらに維持し、拡大していく、そういう考え方でつき合っていく方がいいんじゃないか、そのためにはもっと経済協力をしてお金をつぎ込んでいく、あるいは食糧援助をやるという前向きの姿勢が必要なんではないかと思うわけです。ややこの点は、伊藤先生は、余りやると保守反動のために援助することになっていけないかもしれませんよということをよくいろいろなところに書いておられるのですが、前のようにゴルバチョフを英雄視する必要はもちろんないと思う。したがって、伊藤先生が長い間言ってこられたゴルバチョフは必ずしもそういう人物とは限らないよということはいいのでございますが、かといって、ここでまた足を引っ張って、日本政府もあるいはヨーロッパも、バルト三国のような問題を理由にむしろ敵視するような政策をすることは誤りじゃないか、湾岸戦争も含めてもっと前向きの包括的な政策をとるべきじゃないか、こう思うわけでございますが、この点についてのお考えを第三点でお伺いいたしたいと思います。
  10. 伊藤憲一

    伊藤公述人 残り時間五分くらいでございますか。  九十億ドル財源問題でございますが、私は、これは国際社会全体の中で日本国家あるいは日本国民、政府すべてが連帯して負担する国際協力税、国際貢献税のようなものだと思いますので、この負担というのは政府国民ひとしくみずから痛みを感じて拠出すべきものであると考えますので、これが論理的必然性なきまま特定分野に負担が集中するということは望ましくないと考えます。その観点からいいますと、防衛費だけを削減するというのはいかがなものかと考えるわけでございます。湾岸でこういう戦争が起こり、こういう今後不透明、不安定な国際情勢展望されるとき、むしろ防衛費については慎重な対応が最も必要とされる分野ではないかと思われるだけに、特にそこから、防衛費を削減して財源を捻出するという考え方には、論理的に私は違和感を感じております。  ソ連湾岸、中東に対する基本的な立場は、私はやはりシェワルナゼ外相辞任前と辞任後では明白な相違が起こってきておると思います。シェワルナゼ当時までは米ソ協調、東西緊張緩和の中でソ連の政策というものが考えられていたと思いますが、その後の内政の急速な保守化、反動化の過程で対外政策が今深刻な影響を受けており、そこに具体化してきているのは、表面化してきておりますのは、かつての冷戦的な志向の再現であります。そういう中で、いまだ結論が出ているというわけではございませんが、中東につきましても、このまま国連決議あるいは米国主導の多国籍軍支持でよいのかという動き、特に地上作戦の結果サダム・フセイン政権が完全に排除された後の戦後の中東秩序というものを考えると、全くソ連が手がかりを失い排除された形になることを恐れる気持ちから、私は、サダム・フセイン政権の温存ということをソ連は今や真剣に考えており、ここに今後中東の戦後構想を見ていく上でのポイントがあろうかと考えるわけでございます。  ゴルバチョフ訪日に関連いたしまして、ゴルバチョフの評価と対ソ経済支援という問題でございますが、ゴルバチョフの評価につきましては、彼につきましていわゆるアメリカ、ヨーロッパを風靡したゴルバチョフ崇拝熱の中で、余りにも彼を理想化し、過大評価し、その中で、彼が理想と信念を掲げ、そのためには生命をも賭して先頭に立つ政治家であるかのごときイメージが流布され、このために無条件でゴルバチョフを支援せよ、ゴルバチョフの失脚を阻止せよというような対ソ支援政策論までが流布されておりましたので、私は、それは情勢判断に誤りがあり、政策判断がゆがんでいるということを申し上げたわけで、ゴルバチョフは党書記長になるまではスースロフ、アンドロポフなど典型的な冷戦派、タカ派の最高指導者からかわいがられて登用された政治家であり、きっすいのマルクス・レーニン主義者であったことは全く疑問がないわけでありますが、その後、みずから党書記長になった後問題と直面する中で、彼の本来の脱イデオロギー的なプラグマチストとしての側面から、状況に対応する形でペレストロイカを打ち出したものであり、そこに彼の理想家、戦略家というよりも、プラグマチスト、あるいは少し厳しい表現でありますがオポチュニスト的な性格が彼の本質としてあるのではないか。であるとすれば、また状況が変われば彼はプラグマチスト、オポチュニストとして保守反動に転身する人である、このように言い続けてきたわけでありますが、果たせるかな、本年に入りまして一月十三日のリトアニアにおける血の日曜日事件などを契機として、私が数年来言い続けてきたことが的中したということであったわけでございます。     〔委員長退席、近藤(鉄)委員長代理着席〕  その中で、私としての今後のロシア、ソ連展望につきましては若干悲観的でございます。ペレストロイカは、私は挫折したものと見ております。もとより、挫折したからといってソ連が一九八五年以前の世界に戻るということではございません。経験した歴史というものはそれなりに根をおろしております。しかし、これまでの五年間行われたペレストロイカは挫折いたしました。これは基本的に上からの改革であったということが特徴でございます。そして上からの改革というものは、これは歴史を見ましても、帝政ロシアにおけるアレクサンドル二世の農奴解放のような、ニコライ二世の土地改革のような試み、フランスにおけるルイ十六世のチュルゴーの改革のような試み、上からの改革というのはすべて体制の中に巣くう既得権益層の抵抗に遭ったとき実に無力でございます。  今私が申し上げましたロシア、フランスの例はいずれも挫折いたしております。今回のゴルバチョフの改革もまた上からの改革であり、ペレストロイカは本質的に、唯物史観の言葉を使いますとブルジョア革命であったわけであります。市民的自由と市場経済の導入を掲げたペレストロイカはブルジョア革命であったわけでありますが、これを推進すべきブルジョアジーを欠いたブルジョア革命でありまして、下からの盛り上がりが全くない中で今回の挫折は必然的であったのではないか。その過程の中で、ゴルバチョフの権謀術数的、オポチュニスト的性格から、彼が改革派を切り捨てて保守派に政権基盤を乗りかえたのは明白ではないか。ここから私は、今後数年間は保守反動期がソ連に訪れるのであって、その間、対外政策も著しい影響を受けざるを得ないと考えております。しかし、さらに長期を考えれば、さらにその四、五年後のことを考えますと、そのような保守反動の政治でソ連の問題が解決されるわけではありませんので、その後に第二段階としての改革がやってくるであろう。そのとき、そのリーダーはもはやゴルバチョフではなく、またその内容はかつてのペレストロイカではない、新しいロシア的な要素を深めたペレストロイカではないかと考えております。  対ソ支援につきましては、そのようなことを十分に認識にとどめた上で、このような金額のこのような援助をこのような方法でやった場合どのような目的が達成されるのか、その目的と効果の関係を厳密に考えた援助をしなければならない段階に差しかかっている。そうでなければ、目的とは反した逆効果の効果を生ずるような複雑なソ連内政の展開となってきている。この兼ね合いで申しますと、私は、日本の対ソ支援というのは、ソ連体制の民主化であるとか市場経済の導入であるとか、そういうソ連体制の変質というような壮大、巨大なというよりも過大な目的を掲げるべきではなく、そのような目的を掲げてかつて成功した対外援助というものはソ連との関係ではございません。ロシア革命のとき、アメリカはあのときも援助をしたわけでありますが、全く逆効果の目的を達しているわけでございます。  日本ソ連との関係では、私は当面やはり北方領土を返してもらうということに、援助をするのであれば援助の目的を限定するのが賢明ではないか。そして、そのために本当に効果がある方法とやり方が確認できるのであれば、その道を通じて対ソ支援をやり、その結果として北方領土を返してもらう、これ以外に私は、今積極的に日本が対ソ支援に乗り出すべき環境はつくられつつあるかに見えたが今や失われたというふうに考えておるわけでございます。  どうもありがとうございました。
  11. 細田博之

    細田委員 ありがとうございました。
  12. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員長代理 次に、戸田菊雄君。
  13. 戸田菊雄

    ○戸田委員 三人の先生には御多用中おいでをいただきまして、ありがとうございました。  まず、浅井先生に国連関係でお伺いいたしたいと思います。  国連憲章発足、これはかつての大戦争二回、この反省の上に立って、今後世界的な紛争が生じたというような場合にはあくまでも平和裏に解決をしよう、これが根本だ、このように考えております。しかし今回の場合は、イラクに対する撤退要請から十二の決議が行われておるわけでありますが、この中で最終的に六百七十八号、これが武力行使を含むあらゆる行動、こういう決議になっておるわけです。本来の国連の運用からいけば、まず四十一条、これの制裁の徹底した、経済封鎖を含め航海、航空あるいは運輸通信各般のそういうもの、最終的には国交断絶等々、こういうものを含めてなおかつ不備な点があるというような場合には四十二条で武力行使ができる、こういうことになっておるわけですが、しかしその場合でも平和維持軍、こういうことなんですね。だから、今の多国籍軍というのは二十八カ国が参加しておるわけですが、これは各主権国家の集合体、こういうことだと思うのです。ですから、これは国連とは何ら関係のないものだ、私はこのように考えますが、その辺の見解を浅井先生にお伺いしたい。それから、伊藤先生にもお願いしたい。
  14. 浅井基文

    浅井公述人 私の理解をお答え申し上げます。  多国籍軍国連軍に当たるかどうかというお問い合わせだと思いますけれども、これは明確に国連軍ではないと言わざるを得ないと思います。その点は、必ずしも私個人の見解ではなくて、デクエヤル事務総長も含めてみんなが言っていることである、そういうふうに考えているということが、私読んだこともございますし、間違いないところだと思います。これは、やはり本来多国籍軍先にありきでございまして、その多国籍軍行動を例の決議六百六十五ですか、それから六百七十八までに至るところで容認したというだけでございますから、それもその容認したというのがどういう性格を持つのか、その多国籍軍にどういう性格づけを与えるのかというのは確かに問題があるのでございますけれども、国連憲章上、軍事行動が容認されるのは憲章第七章の場合と憲章五十一条の個別的か多角的自衛権の行使の場合だけでございますから、この第七章の国連軍の集団安全保障という概念ではないということになっている以上、反対解釈としてこれは五十一条に基づく集団的自衛権を行使した軍隊、先生のおっしゃる言葉で言えば集合体である。ただその集合体の行動国連として認めたということであろうと私は理解しております。
  15. 伊藤憲一

    伊藤公述人 それでは、お答えいたします。  先生の御質問は、多国籍軍国連軍であるかということではなくて、多国籍軍国連関係ないと思うがどうかという質問であったと思いますので、その御質問にお答えいたします。  多国籍軍国連と大いに関係があると私は考えております。別言いたしますと、今回の多国籍軍、ちなみに多国籍軍、多国籍軍という言い方をしているのは日本だけでございまして、欧米の新聞をごらんになりますと同盟軍、連合軍、こういう言葉が使われて連帯意識が言葉の中ににじみ出て共有されているわけでございますが、こういう日本の受けとめ方に私はむしろ国際社会の常識は日本では非常識、日本の常識は国際社会で非常識という実態が反映されているかと思いますが、多国籍軍という言葉を引き続き使わせていただきますと、この多国籍軍は御承知のとおり、累次の国連決議の精神を踏まえ、これを背景として、いわばボランティアとして出動しているものでありまして、このボランティア精神を私どもは世界の平和と秩序の維持という観点から高く評価し、それにみずから参加できないことをむしろ我々は申しわけないと思う心の中で多国籍軍の問題、多国籍軍国連決議関係を考えていくという心構えが日本の生きていく道筋として求められているものであろうと考えるわけでございます。なぜなら、御承知のとおり、先ほど冒頭、私の公述で申し上げましたとおり、日本はまさにこのような世界秩序世界平和の中で日本繁栄を今日享受しているわけでありまして、であることを考えるならば、この世界秩序維持に対してどのような姿勢をとるかということが、私は、戦略的、根本的、政治的な出発点であり、この出発点から物事を考えていくのが道理であり、その逐一の条文の字句から、解釈のいかんによってはいろいろな解釈が引き出せる余地が残されているわけでありますが、そこから出発していくのは議論が本末転倒しているというか、瑣末におぼれて本筋を失う結果になるのではないか。今回の場合は、冒頭私の公述で申し上げましたとおり、何が本質的な点なのであるかということを踏まえて、そこから国連との関係も考えていくことが大切ではないか、そしてその意味からいっても、今回のこの多国籍軍の軍事効力発動ほどその正当化のために国際社会においてありとあらゆる手続が踏まれた上で発動された軍事力の行使はなかった、歴史上なかったということを指摘して、御質問にお答えしたいと思います。
  16. 戸田菊雄

    ○戸田委員 もう一点国連関係についてお伺いをいたしますが、浅井先生に。  国連の正当な活動に協力の場合でも、日本憲法、これは平和原則を持って国連加盟、こういう状況ですね。ですから、平和維持軍、停戦監視団、軍事的政策を持ったものは一線を画し、協力の対象を非軍事に限定すべきだ、こう考えますが、そしてまた、国連の態度は、各国の民族自決権、これはあくまでも尊重する、こういうことになっておりまするから、これが国連創立の立法精神だと思うのです。そういうところからいっても、日本は、仮にこの湾岸戦争各般の協力態勢といった場合には、例えば難民救済それから戦後復興あるいはこの湾岸のオイル流出に伴う公害、こういったいわば平和条項に限定すべきだ。したがって、今支援金とそれから自衛隊輸送機その他派遣をするという、これは国連憲章からいっても私は非常に誤っているのではないだろうか、このように考えますが、御見解いかがでしょうか。
  17. 浅井基文

    浅井公述人 お答えいたします。  私は、その前にちょっと伊藤公述人のおっしゃったことについて、ちょっと心配がございますので、私の見解を述べさせていただきたいと思うのでございますけれども、やはり物事は、法律というものがあった場合、国際法というものがあった場合あるいは国内法があったという場合、その法律における解釈の限界というものはしっかり踏まえておかなければいけないと思います。それを目的意識から故意にその解釈をゆがめるということはやはり法治主義の建前からいっておかしいと思います。したがいまして、もしそういうふうにしてその多国籍軍国連の活動に合致するものとしたいならば、それに即したように国連において位置づけを明確に与える、そういうことが必要ではなかったのか。それができなかったということは、やはりそこに国連においても多数の反対意見があるということを私はむしろ示しているものであるということを申し上げたいと思います。  次に、国連の正当な活動、それと私たちの平和憲法とのかかわりでございますが、私は、平和憲法というのは決して消極的な一国平和主義だとか、私たちさえよければいいという絶対平和主義とか、そういうものではないと思っております。平和主義というものは非常に積極的な概念が入っている。それは、まさに失われた平和を回復する、平和がなかったらそれをつくり出す、そういうことに対して日本が貢献するということも立派な平和主義であります。そういうことが今まで論じられてこなかったことがおかしいのであって、それをまさに湾岸危機ということは私たちに、我々の日本憲法は一体何を我々に求めているのかということを問いただしているのではないかと思っています。  そういう点からいいますと、いわゆる多国籍軍とかPKOとか、その軍事的な行動日本が関与しなければおかしいではないかとか、そういうような議論があるというのは、私は、その憲法の理念を非常に一面的に狭く解釈した考えであって、これをやらなければもう何もやることがないと思うからそういうことになってしまう。しかし、実は日本がやるべきことはほかにもいっぱいあるわけです。時間がございませんからちょっと申し上げられませんけれども、そういうことを考えれば、何も軍事的な協力をしなければ日本立場国際的に通用しないという話ではないということを我々はやはり肝に銘ずべきだと思います。  ちなみにスウェーデンの財政担当の大臣が今日本へ来ておられるそうでありますけれども、スウェーデンはやはり中立主義という立場から多国籍軍には金も軍隊も出さないということを明言しておられるということをつけ加えておきたいと思います。
  18. 伊藤憲一

    伊藤公述人 浅井公述人から私の言ったことにあれがありましたので、誤解は解いておく必要があると思うので。私は決して解釈をないがしろにしたり、いいかげんにして進めるべきだということを言っているのではなく、冒頭申し上げましたように、国会は国権の最高の場であり、日本国民の国益は何か、世界の人類の利益は何か、これをしっかりと見詰めていただきたいということでありまして、その観点から国連憲章なり憲法なり法律なりを見ていただきたい。そしてその現行の解釈の中でやるべきことができないのであれば、したがって私は、何もその解釈をいいかげんにしろと言っているわけではございません、やるべきことができないのであれば、ではどうするかというふうに目的に向かって進んでいただきたいということを申し上げているのであって、目的を忘れて消極的、後ろ向きの議論で法を解釈し、できないからできない、だめなものはだめだで済ますのでは、皆様を国権の最高機関に選んだ国民として、国益を託した国民としてたまらないということを申し上げただけでございます。  また、日本が平和維持のために軍事的な活動をすべきでない、そのほかになすべきことがたくさんあるという浅井公述人公述につきまして私の意見を申し上げたいと思いますが、私も全くそのとおりだと思います。そしてそういうことはどんどんとやるべきだと思います。しかし、それをやるからといって、私は、日本ほどの国際社会の重要なメンバーがスウェーデンのような小さな中立国と同じ道を行ってそれで国際秩序国際社会は維持されるのかというところに来ていることが問題の本質ではないか、そのように考えるわけであります。また、日本はそれだけの大きな利益をこの世界秩序世界平和の中から得ているということもやはり日本として自覚すべき点ではないか。あえて言えば、浅井公述人によって提起された問題は、浅井公述人だけではなく広く我が国の世論を分断して一方において行われている議論でありますので、あえて質問すれば、一体その方々は湾岸においてクウェートの原状回復のために、平和回復のために戦っている多国籍軍行動を是とするのか非とするのか、これを私は聞きたいと思います。是とするのであれば、なぜあることはするがあることはしないということになるのか、私はここが問題の根本的な判断の分かれ目ではないかと考える次第であります。
  19. 戸田菊雄

    ○戸田委員 浅井先生にもう一点お伺いしますが、九十億ドルの支援金については明快に御見解を示されましたが、私は、政府が今支援金の支出根拠、これはGCC、協力会議、これとの交換公文、これを土台にしているのですね。少なくともさっき浅井先生は憲法論、これを盾にとってそれはまさに戦費で違反だ、こういうことをおっしゃられましたが、財政法上からいっても私はそういう支出はできないだろうと思います。それからもう一つは、少なくとも百歩下がっても、何らかのこれから湾岸協力基金として難民その他これを救済する場合でも、やはり立法は必要だろうと思うのですね。それからもう一つは条約、こういうものがあって初めて、立法措置をとって国内の手法としてはそういう支援金の手だてをやるべきじゃないか、このように考えるのですが、その辺の見解はいかがでございましょうか。  それから、仲村先生に、いろいろと著書類を調べてみましたら多数発刊されておるようでありまするが、殊に平成三年度の社会保障、福祉等々の予算についてですが、私も時間がありませんからまだ詳しく精査はいたしておりませんが、御指摘になったように十二兆二千百億円、これは二八・三%、こう御指摘になったようであります。確かに前年比でもって五千九百七十四億円、五・一%増ということになっておりまするが、極めて全般的な政策としては新しい視点のない社会保障対策だと私は思うのです。あるのは確かに高齢者福祉十カ年戦略、こういうものがありまして、在宅老人のショートステイ、これを増床するとか、それからホームヘルパー、これを五千人ふやします、あるいは福祉町づくりでもって事業所を五十カ所設定したといった前進したものもありますが、総体的にはまだまだそういうことにいっておらない。  殊に私は、今後の社会保障、福祉を考える場合には、一つはやはり医療だと思いますね。この医療を充足していきませんと、救急医療にしても何にしても大変な状況になる。ですからまず最初に、一つは、老人医療無料化、これを私は復元すべきだ、このように考えています。  それから年金ですが、年金についても食える状況じゃないですね、今の状況は。ですからそういう点について、平成七年に三種六共済、政府はこれを統合すると言っています。統合に当たっては、私は一定の案を持っているのですけれども、そういうものに対する構想。例えば、私は今の年金総体を見まして欠陥だと思うのは、積算配分ですね。これは六・四・三体制をとっています。所得、利子、物価。これは私は大体妥当な線じゃないかと思うのですね。しかし、やめたとき即六十歳に到達しなければ連動しないのですね。だから、こういうものは連動させるべきだ。退職イコール年金受給、こういうことで連動させる。それから物価スライド調整、これがあるわけですけれども、これは私は賃金スライドに持っていくべきだ、こう思いますね。それからフランス等は現職時の八〇%を保障していますね。だから、そういう点ではさしあたって六〇%程度は保障する、そういう骨格の上に立って今後の年金統合その他はやるべきじゃないかという気がしているのですが、先生の構想があったらお伺いしたいと思います。
  20. 浅井基文

    浅井公述人 お答えいたします。  もしお許しいただけるなら、まず最初伊藤公述人がおっしゃったことについて申し上げたいと思います。  私はクウェートでの現状での戦いを是とするか非とするかという問題提起に対しては、もう冒頭発言で申しましたように、今の段階に至ってはもう許容する範囲を超えていると思います。したがって、否(いな)であります。  それともう一つ、私はたとえ国際的な警察行動であるとしても、それはそれで守るべきルールがあると思います。国内においての警察行動が一定の要求される行動ルールそれから限界があるように、国際的な行動であったって、悪者がいたからといってそれに対していかなる手段を使ってもいいということにはならないということをちょっと触れておきたいと思います。  それから、スウェーデンに関して私が申したのは、国の大小の問題を言っているのではなくて、この湾岸戦争とされているものの法的な性格を言っているわけであります。要するに、これはいわゆる先ほど言いました国連憲章第七章に基づく集団安全保障としての概念でとらえ切れないということをそのスウェーデンの大臣が言っているということを私は指摘したかったということでございます。  次に、直接先生の御下問の九十億ドルの問題でございますけれども、私もそもそもこれは財政法上も非常に、およそあってはならないこと。例えば国内で、ある問題を処理するための財源としてこれほど積算根拠もはっきりしないような多額の金が予算書にぽんと入り込んできて、さあ承認しろといったときに、そんなことを国会が承認できるのか。それはもうまさに財政法定主義の根幹を揺るがすではないかということがほとんど議論されてないということに非常に危惧を覚えております。  それから、立法、条約が必要ではないかというお話でございますけれども、私はそもそも、立法の形をとったって条約の形をとったってこの違憲性という問題をはっきりさせるということがその前提として明らかにされるべきであって、その点があいまいにされて、立法されたからいいじゃないかというようなことになると、違憲であるが合法であるというようなへんてこな話になる。そういうことではおかしいのではないか。もっと筋道を立てて議論していただきたいと私は思います。
  21. 仲村優一

    仲村公述人 御質問、たくさんのことが含まれておりましたから全部細かくというお答えはできないかと思いますし、また私の専門の関係から若干重点の置きどころが違うかと思いますが、社会保障制度、御案内のように、所得保障と医療保障と社会福祉と大きく三つに柱が立てられると思いますが、所得保障と医療保障、所得保障の方は公的年金制度を中心にそれなりのこれまでに形を整えるいろいろな努力がなされてきて、そして将来の方向に向かっては、御案内のように一本化の方向ということで少しずつ改められてきているわけですが、まだ何といっても公的年金制度間の格差がございますし、それから、特にこれはよく誤ったイメージを与えますのは、厚生年金のモデル年金というもの、これは確かに一番大きな年金ですから、今度の来年度の予算案では、三十五年勤めた平均の被用者の夫婦で年金二十万円を超える、例えば、これは大変いい年金になったというようなイメージで受け取られます。それだけとってみますとそのとおりなんですが、実は、実際にまだ完成年度、年金の成熟に達してない年金制度のもとでは、現実に受けている年金はたしか現在で十四万前後だと思いますし、それから、それ以上に国民年金制度、これは昭和六十年度の改正で制度は変わりましたけれども、しかし、まだ福祉年金を受けている、あるいは前の制度での拠出年金を受けている方が相当数おられます。こういう方々は月額三万円以下のところで、もし年金しか収入がない、あるいはそのほかほとんど所得がない、収入がないという人の場合には生活保護でカバーせざるを得ないというような年金間のアンバランスがあります。したがいまして、将来に向かっては一本化の方向というのは、こういう全体の年金制度を通して一定の、それが実質的に生活保障につながり得る、つまり、せめて厚生年金制度によるモデル年金の線に一本化していくという方向で年金水準が高められ、かつ全体がならされるというところまでいくことを目指して改善されていくべきであろうかと思います。年金についてそれでお答えになりましたかどうか。  それから医療の問題については、地域医療の問題、これは大変大きな問題だと思いますし、もっともっと力を入れてほしいと思います。  それから、老人医療につきましては、これまた国民医療費の中の老人医療の部分の相対的な比重がどんどん高まってまいりますし、これを、どういうふうに実際にかかる費用を持ち合うかということについては、現実の問題としてはやはりそのお年寄り自身に払ってもらうということではなくて、その時点での実際に働いている方々の保険料を持ち寄る形で現在のような仕組みができているわけで、したがって、これは若い人たちとの持ち合いで、国とそれから若い人たちと老人自身という三者の持ち合いで、バランスを失しないようにということでその費用が持たれて、そして、今後ともふえていくだろうところの老人医療費を全体で支え合っていくという仕組みをもう一応形の上ではつくっているわけですが、これをしっかりと保てるように維持していくことが必要だと思います。  その点で、今回老人保健法の改正に伴って若干の老人自身の費用負担分が上がる案になっておりますが、これは極めて具体的な例を出しますとおわかりいただけるかと思いますが、例えば、現在お年寄りが特別養護老人ホームに入所して、そしてそこでケアを受けるという場合には、国の全体をならしての費用、予算の上では月額二十二万円かかっておりますし、それから、地方自治体によってはこれに上積みをしてかなり大きな金額になっているところがあります。二十五万円を超えているところがあろうかと思いますが、平均で見ますと、その中で本人の費用負担分というのは三万円弱、二万数千円のところです。それから、老人保健施設が同じようにございます。これは御案内のように、一人利用料月額ほぼ五万円程度ということでお年寄り自身が払っているわけですね。もしお年寄りが病院に入院いたしますと、現在のところは月額一万二千円で済んでいて、あとその間は食事でも何でも病院入院中はそちらの医療費枠で出るということで、そういうことを見ますと、もう既にアンバランスを生じているわけですね。ですから、そういうところでもせめて大体同じぐらいのところに持っていくということで費用をそれぞれが持ち合う、そういう仕組みをつくっていくことが必要だと思いますので、私は個人的には今回の程度の費用、そして十分に低所得の老人に対する配慮を伴って、そこにしわ寄せがいかないようにということで、この程度、若干の負担の増を要請するということはあってしかるべきだと思います。  それから、年金の水準のことについてお尋ねがあったと思いますが、まあ一応は従前給与の六〇%というところが一つの目標になっているとされておりますが、私は個人的にはそのぐらいのところをまず、さっきも申しましたとおり全体の年金制度を一本化の方向でならす、そのときの当面の目標をまずそこに持っていくということで目標を設定してよろしいのではないかという私見を持っております。
  22. 戸田菊雄

    ○戸田委員 あと三分程度でございますが、最後に浅井先生に、先ほど意見陳述の中で平和的解決の代案はあるのだけれども時間がないからと、こういうことで打ち切られたようですが、その代案なるものを、構想をひとつお聞かせ願いたい。
  23. 浅井基文

    浅井公述人 私は、平和主義というものが余り積極的な平和主義ということでは国内的に十分な議論がされておらないと思いますけれども、私の考えでは、例えば政治面それから経済面、まあ政治、軍事面と言った方がいいかもしれませんけれども、それぞれに大きな思想的な、政策的な方向性を出すものだと思っています。その政治、軍事面で言いますと、私はやはり力の政治、権力政治というものに対する否定であり、それにかわる思想の提示であるというふうに思います。したがいまして、私は、イラクの侵略、占領には断固反対するというのは積極平和主義から必ず出てこなければいけないことだし、しかし、だからといってアメリカ軍の、力によってサダム・フセインを圧殺するというか屈服させるという方法も認められてはおかしいのではないかというふうに思っております。——決して評論ということではないと思います。よく考えていただきたいと思います。  それから、経済的には——いや、本当は私は自民党の先生方にむしろ聞いていただきたいと思っておるのですけれども、経済的な面では、私はやはり平和の回復、それから平和の秩序をつくっていくというところで日本が経済的に果たすべき役割というのはとても大きいと思います。とても九十億ドルでは済まない金額というものを国民は負担をしなければいけない。しかし、そのためであれば、私はむしろ求めたいのは、国民がそのために必要ならば本当に平和税とかいろいろな形で税金負担をするのも、あえて負担するのだという、そういうような積極的な姿勢というものを備えないと、私はこの積極的平和主義というのは国際的には説得力を持たないだろうというふうに考えております。
  24. 戸田菊雄

    ○戸田委員 ありがとうございました。終わります。
  25. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員長代理 次に、日笠勝之君。
  26. 日笠勝之

    ○日笠委員 公明党国民会議を代表して質問させていただきます日笠勝之でございます。  先ほどからの公述人の先生方のお話を聞きますと、あすの朝の新聞のコラムは、公述人火花を散らす、こういうことで掲載されるのではないかと思いますが、我が党の名誉のためにも、まず浅井公述人に申し上げたいことがございます。  それは、先生は名指しでもって公明党の名前を挙げられ、憲法違反の九十億ドルの支援を決定されたことを批判をされたと私どもは伺いました。我が党が、国論が真っ二つの中で、一国平和主義ではいけない、国際貢献をしなくてはならないというはざまの中で、従来の公明党の政策であります国連中心主義を踏襲していこう、こういう議論を重ねた結果、政府も、平成三年度予算も修正をしよう、また国民への税金の負担も六千七百億円に削減をする、こういう経過があったわけでございます。まさに苦悩の選択であったわけでございますが、どの程度そのことを御承知の上で発言されているのかわかりませんが、時間が非常に限られた公聴会の場でございまして、一方的に云々されることはいかがなものかな、このように私は感想を持っております。このことをまず申し上げておきたいと思います。  そこで、伊藤公述人にお伺いいたしたいと思います。  自衛隊機の輸送機の派遣の問題でございますが、これには私どもは断固反対という立場を貫いております。なぜかなれば、自衛隊法百条の五の改正ではなくて特例政令という、こういうこそくな手段でもって自衛隊機を派遣をしようということについてはいかがなものであるか、こういうことでございます。先生におかれましては、この特例政令、これについてはどのような御見解をお持ちなのか、これが一点。  それからもう一点は、戦後復興に対しまして、湾岸構想の一環として政治安全保障、これが第一だ、こうおっしゃいましたけれども、その政治安全保障は具体的にはどういうことをおっしゃっているのか、これが第二点。  三点目は、復興にはいずれにしても日本資金援助をしなきゃいけない、乗り出していかなきゃいけないという御意見でございましたけれども、その財源はどういうものを考えておられるのか。  以上三点、簡潔にお答えいただければと思います。
  27. 伊藤憲一

    伊藤公述人 お答えいたします。  私は、冒頭、意見陳述で申し上げたところでございますが、政治家に国民が期待することは、本当の国益あるいは人類の利益、これが何かということをまずしっかりと第一に把握していただきたいということであります。次に、それを実現するためにはどうしたらよいのか。やはり、その場合も物事の本質を見抜くことが大切で、枝葉末節にとらわれることは一番戒めなければならない。そういう意味から申しますと、湾岸本質は、いかにして国連決議背景とした多国籍軍による平和の回復を実現するかということでございます。浅井公述人のコメントにまた言及して申しわけないのでありますが、私が是とするや否(いな)とするやという二者択一の質問をしたのに対して、浅井公述人が明快に、否(いな)とするというお答えでございましたが、これはまさに木を見て森を見ない議論の結論ではないかと考えるわけであります。このようなことから、もしこれを是とするのであれば、付随的な要素としていろいろ問題があることは御承知のとおりでございますので、そういう観点から考えていかなければならないと思うわけでございます。  さて、付随的要素、いろいろあるけれども、本質的には、これはやはり多国籍軍の軍事作戦を成功さしてクウェートの平和を回復しなければならないのだ、さらには湾岸の平和を回復しなければならないのだとすると、そのために何をどうするかということでございます。そういう観点から考えると、私は、自衛隊機というのはどうしても派遣しなければならない、あるいはした方がよい、こういう性質の問題であろうかと考えるわけであります。  その次に、それで日本の法制を見ますと、自衛隊法の現状があるわけでございます。百条の五、この解釈として特例政令で派遣し得るものなのか、あるいはやはり自衛隊法を改正すべきなのか、これが御質問の御趣旨であったかと思うわけでございますが、私は一番望ましいのは、もちろん自衛隊法を改正して正々堂々と日本の意思を発揮することであろうかと考えますが、しかし、それが国会の状況を見て不可能であるとしたときに、政府判断として特例政令というものが可能であるかどうか、これを政府政府の責任において考えるのは当然のことであろうかと考えるわけでございます。その場合において、私は、特例政令の結果、もし湾岸への自衛隊機の派遣というものがどうしても認められないということであれば、これは内閣不信任案をもって解決するのが憲政の常道ではないかと考えるわけでございます。  そのようなことで、私は、もう一度答えを整理いたしますと、自衛隊法の改正によって臨むのが本筋である、本道である、しかし、それが不可能な政治的状況の中で、根本の大目的を達するために、政府がベストを尽くして自己の責任と判断において可能であるとして特例政令を制定することは、これは認められることであると考えております。また、私自身は、これは今回の状況において違法、違憲であるかというと、違法、違憲ではないと考えておりますが、しかし、それは私個人の意見でありまして、その問題については国会において御判断を下されるのが至当ではないかと考えます。  次に、中東、湾岸の政治安保がどうなるかということでございますが、これは大問題でございます。私は、もはや事態がここまで進展してきた以上、単にクウェートの原状が回復されるということだけで、サダム・フセインがその政治的、軍事的力を維持したまま中東に居座るという形で本当の中東の平和があるのか、ここは大目的に返って、人類の平和、中東の平和という観点から考えてみる必要があろうかと思うわけでございます。各国それぞれ思惑があり、ソ連のようにフセインの温存を有利と考える国もあるかもしれません。しかし、私は、事態がここまで進展してきていることを背景として考えると、中東の恒久平和ということを考えるときに、サダム・フセインを温存した形での中東、湾岸の平和というのは、これはなかなか難しいことである。しかし、おっしゃるとおりにこれは複雑、多面的な問題を含んでおりますので、これ以上現段階で申し上げることは差し控えたいと思いますが、私は、これはそう単純な問題ではない、また、この問題は国連の枠内だけで考えて、もってよしとする問題でもない、国連を超えて、超国連的な世界平和の構想というものを真に考えていく、そういう側面をも生み出している問題ではなかろうかと考えるわけであります。  戦後復興において日本が何らかの役割を果たすときの財源の問題の御質問が出ましたが、私は、戦後復興ということになりますと、これは平和回復の問題ほど直接的な日本の責任というものはないと思います。私は、平和回復については、これは日本は直接的な責任を負っておりますが、戦後の復興ということになりますと、これは間接的なもの、日本にとっての義務としての緊急性はより間接的なものになるのではないかと考えております。したがいまして、その財源につきましては可能な範囲でということで対応して、これは世界的にも私は通用する、許されることではないかと考えております。
  28. 日笠勝之

    ○日笠委員 仲村先生、二点ほどお伺いしたいのですが、一点は、在宅介護と公的施設に入所されている方、格差があるということで、私どもは、寝たきり老人介護手当を創設すべきであるということを従来から主張をしております。これについて先生は、寝たきり老人介護手当というものについてどのようにお考えか、これが一点。  それから二点目は、先ほどおっしゃいました高齢者保健福祉推進十か年戦略、いわゆるゴールドプラン、一番のネックはやはりマンパワーの確保だと思います。三K職場とも言われておりますし、これが解決しないことには、幾らホームヘルパー十万人といえども、これは絵にかいたもちでございます。そこで、先生にお伺いしたいのは、現場の市町村の立場に立ちました場合、このマンパワーの確保に向けて具体的、有効な手段が実際あるんだろうか、これについての御見解、二つお伺いしたいと思います。  以上です。
  29. 仲村優一

    仲村公述人 寝たきり老人の介護手当の問題、いろいろ話題になることを私は存じておりますけれども、これは寝たきり老人だけではなくて、重度の障害者の問題その他、介護を要する状態をどうとらえて、そして所得保障的にその部分にどう対応するかということについては、今のところまだ、こういう方法が一番最適、最善であるということで基本の線が打ち出されているとは思えないのですが、現実にその必要が出てきているということは事実でございます。で、現在のところはそれにサービスで対応しようということで、サービス面を充実するという方向で施策が講じられていると思いますけれども、将来に向かっては、そのサービスが充実してきて、しかもそのサービスが非常に多様なものになってきた場合、つまり、公的なサービスと民間のサービス、まあ民間のサービスといっても営利の、かなり高額の費用を払わなければならないようなものはともかくとして、御案内のような公社あるいは社会福祉協議会のいわゆる有償サービスとかそういうものが今どんどん広がりつつありますが、そういうものが広がっていって、そしてそういうサービスを利用するための利用料金を自分で払うというときにそれに困難を覚える、そういうお年寄りや障害者に対して、それが払えるような一定の線での手当を保障するというような仕組みは考えられないだろうか、これは十分に検討に値することだと私は考えております。  それから第二点の問題、これはまさに、私は在宅福祉の充実ということを申しましたけれども、一番肝心のポイントになる点の御質問だと思いますが、私は、今回の法改正国会において、先ほど申しましたとおり、全会一致でお認めいただいて成立しました老人福祉法等の一部を改正する法律でたくさんの大事な点がありますけれども、一番大事な点は、市町村への権限の移譲とともに、市町村で在宅福祉、施設福祉ともに責任を持って、その措置の権限を持って、そのサービスの提供の仕組みを行政が責任を持ってやっていくという方向に変えるということで法改正された点でございます。ただ、現実には市町村の体制が整っていないということもあって、これも御案内のことかと思いますが、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム等への入所の措置は従前どおり市町村が権限を持って、それが必要な老人に対しては措置をしなければならないという義務になっておりますが、今回改正されました老人福祉法の在宅福祉部分は、いわゆる在宅福祉の三本柱と言われるサービスについて、必要な老人に対してこちらは措置することができるということで、義務規定にはなっておりません。私は、私見としては、このあたりはもう義務規定にした上で経過措置を充実していくという方向に持っていくべきではなかったかという意見なのですけれども、現状は、市町村の状態が非常にアンバランスで、まだ、さっきも申しましたとおり、受け入れの体制ができていないところも多いという現実を踏まえてだと思いますけれども、これはできる規定になったわけですが、何とかこれは、できる規定でもよろしいですから、実質化する方向で財政措置も積極的に講じる。特にこれはやはり財政的に弱いところが、こちらではそうやれと言われても金がないということで、市町村も一部持たなければならなくなりましたから、その四分の一の費用は持つことができないからやらないということになりかねないので、これはやはりちゃんとした財政措置を講ずるとともに、特に弱いところに対しては特別な財政措置も講じて、そして、市町村が責任を持ってやれる体制をつくっていくようにするということ、それがとりもなおさずその地域においてよいマンパワーを得るための一つの大きなてこになるだろうと思いますので、そのあたりに重点的に当面の、これは施行は再来年の四月からでございますけれども、平成五年の四月からの施行以後の体制固めをそういう方向で進めるように財政措置も講じてほしいということを強く期待、希望しております。
  30. 日笠勝之

    ○日笠委員 時間が参りましたので、以上で終わります。     〔近藤(鉄)委員長代理退席、委員長着席〕
  31. 渡部恒三

  32. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 本日はどうも御苦労さまでございます。時間が十五分でありますので、浅井先生に専らお聞きすることになりますが、御容赦いただきたいと思います。  浅井先生には国連平和協力法案の際にも公述をいただいて御質問もさせていただいたわけでありますが、私たちは、今回の湾岸危機、やはりこの元凶はもちろんイラクのフセイン、クウェート侵略であることははっきりしておりますし、それに対する国際的な糾弾と経済制裁による平和的な解決、この道をこそ追求すべきだというふうに考えてまいりました。そして事実、経済制裁は、抜け穴の問題もありましたけれども、大きな効果を上げつつあった。きょうの先生の公述にもございましたけれども、にもかかわらず、アメリカ開戦を急ぎ過ぎたというように我々考えております。そのアメリカ開戦を急いだ背景にどういうことがあったのか。我々は、軍事力による中東制覇といいますか、そういうこともあったのではないかというふうに考えておりますが、まずその点について浅井先生の御見解をお伺いしたいと思います。
  33. 浅井基文

    浅井公述人 お答え申し上げます。  私は、アメリカがどの段階で軍事力行使ということを考え出したかというのは、なかなか正確に判断できる材料はないものですから、結論先にありきだったというようなことには申し上げにくいわけであります。ただ私は、やはりNATOに展開していた軍隊を中東に派遣するあのころか、十一月ですね、あのころにはもう既に明確に戦争プランというものができ上がっているというような感じで後は動いていったというふうに考えざるを得ないと思います。やはり、外交努力をアメリカがしたというふうに言われておりますけれども、多くの西欧の新聞論調で指摘もあるように、やはり何か平和的なイニシアチブが出てくると必ずそれがつぶされるという形が繰り返されたということも否定できないところであって、そういうこと、いろいろほかにも挙げると切りもございませんけれども、時間が制約されておりますのではしょらせていただいて、私の総合的な印象を述べますと、やはり私は、決議六百七十八ができた時点で、もうアメリカというのはその期限切れの後いつ何どき軍事手段発動するかということだけを考えていたのじゃないか。その前にサダム・フセインが屈服すればいいのですけれども、屈服しない限りはオール・オア・ナッシング、白か黒かという感じで動いていたのではないかと思っております。
  34. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 その問題、今の湾岸戦争の問題で、米軍の開戦によって今のような深刻な事態が続いているわけでありますが、この問題での当委員会での質疑の中でも、海部首相は戦争という言葉はできるだけ避けるといいますか、あくまで平和回復のための活動だという言い方をされておりますし、きょうの公述人、伊藤公述人のお話でも、国際社会による秩序紊乱者への制裁行為戦争ではないというふうなお話もございました。私は、もうこれはどこから考えても戦争だというふうに思うのですが、そういうアメリカ武力行使を全面的に支持して、自衛隊機の海外派遣、それから財政支援、これはもう事実上財政面での戦争参加といいますか、戦費でありますから、そういう道に日本を引き込もう、こういう今のやり方は明白に憲法違反だというふうに考えるわけです。  そういう点について一つお聞きしたいのと、もう一つは、こういう方向に進んでいくということは、事実上、その根本に日米安保条約があるわけでありますし、日米安保条約の拡大といいますか、そういう問題をはらんでいるのではないかというふうにも考えるわけですが、その点につきまして浅井先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  35. 浅井基文

    浅井公述人 お答えします。  私は、戦費の点につきましては、もう冒頭の陳述で申しましたように明確に憲法違反と考えるしかないと思っております。この点では本当に、もし憲法違反でないという議論があるなら、それをむしろ聞かせていただいた上で私の見解を考え直してみたいとすら思っております。  それから、自衛隊機派遣の問題につきましては、いろいろ政令改正というような変な話が出てきちゃったので非常にややこしいと思いますけれども、結局政府の、自民党側のお気持ちというのは、とにかく自衛隊機派遣という既成事実をつくるということではないのかとしか思えないのですね。それは確かに人道上の理由ということをおっしゃっておりますけれども、これはもう日本国内の各種の論調を見たって、その真の意図はまず既成事実をつくるということに主眼があるということははっきりしているわけで、もしそうではないとするならば、その点もやはり政府自民党の方からそうではないということをより積極的におっしゃるべきではないか、そういうふうに私は思っております。そういうような説明がない限り、私はもうごく常識的に、国民の素朴な感情からいっても、これは結論先にありきの非常に危ない憲法違反の疑いの濃い行動であると思います。  それから、日米安保条約の拡大をはらんでいるということでございますが、私の考え方はこういう感じでございます。日米安保条約だけでは海外派兵ということはどうしても踏み切れない、これはこれまでの国内でのいろんな議論でもできなかったことである。ところが、ここで今、国連協力という非常に新しい考え方が飛び出してきた。国連協力ならば、それは日米安保ということを離れて日本行動を外に伸ばす可能性もあるんではないかということなんではないかと思うのです。それがまさに出てきたのは、去年の国連平和協力法の審議の過程で出てきた海部首相の、国連安全保障の一環としてならば自衛隊の海外派遣もあり得るといういっとき流された意見、あれじゃないかと思うのですね。ですから私は、この日米安保条約はそのままにしておいても、別の考え方を使って、別の法理を使って自衛隊の海外派兵というものを実現させる、その可能性ということを模索した、あるいは模索しているのかもしれません、まだ模索されているのかもしれませんけれども、そういう問題が今ここにあるのではないかというふうに考えております。
  36. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 今、最初にお伺いした問題で、戦争かどうかという問題ですね。実は、戦争の定義はどうかとかそういうやりとりも当委員会でもありました。その点、いかがでしょう。
  37. 浅井基文

    浅井公述人 私は御質問の趣旨を取り違えているのかもしれませんけれども、戦争であるかどうかということを考える必要は、必要というか、戦争でなければ何なんだということでありまして、むしろ私の考えたいのは、憲法の九条の規定から申しますと、先ほど御紹介しましたように武力の威嚇または行使、これもちゃんと憲法で禁じておるわけですから、ですから今回の行動は、そういう国際問題を解決する手段としての戦争武力の威嚇あるいは行使、これを全部禁じているわけですから、その戦争に当たらないとしたって武力の行使に当たることは当たり前なんで、したがって、そういう意味でこれは明らかに憲法に違反する行動、それに日本が加担すれば明らかに憲法違反である。それで、戦費調達という形で、新しい形での戦争協力でありますけれども、戦争参加でありますけれども、これは私は、新しい時代における新しい発展であるということで、憲法は当時そういうことをまだ予想してなかったということはあるかもしれませんけれども、やはりそこでは素朴に忠実に憲法の理念というものに従って解釈すべきではないかと思っております。
  38. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 今、地上戦にもう間もなく突入するんじゃないかとか、あるいは化学兵器や核兵器までが使われるのではないかと非常に心配される事態が続いているわけです。そういう状況で、長期化か早期終結による平和の回復かということが本当に大事な課題になっているというふうに思います。  そういう点で私たちは、一月十五日のあの時点でフランス提案というのがありました、六項目のフランス提案。ポイントは、第一段階としてはイラククウェートからの撤退、そして第二段階でパレスチナ問題を含む中東全体の平和回復のための国際会議という提案であったわけです。それには国連安保理の多数の国が賛意を表し、イラク国連大使も歓迎の談話を出された、あるいはサウジとかエジプト、イタリアその他も歓迎、支持するということでありました。ですから、あの提案で本当に平和的な解決の道が開けたならば、もう人類の歴史にとっても本当に貴重なことになったんだろうと思うのです。それがそうならなかったことは極めて遺憾だというふうに考えておるわけですが、今のこの状況でも、やはりこの戦争を一日も早く終わらして平和回復をしていくという上では、このフランス提案のポイントでありました二段階解決論といいますか、それがやはり私たちは道理のあるものではないか。まずイラククウェートからの撤退、そして第二段階でパレスチナ問題、これも当然国連決議も何度もやってきているわけでありまして、十二月にもやっております。これをのけて最終解決ができる問題ではないと思うのですね。もちろんリンケージの立場には私たち立っておりませんが、そういうことで第二段階に進んでいく、それこそが停戦を実現し、中東に公正な平和をもたらしていく一番大事な道だというふうにも考え、二月十五日には国連事務総長にそういう方向での御努力をお願いしたいという要請もしたところでありますが、今後のそういう解決の方向といいますか、そこで日本が果たすべき役割といいますか、そういう点について先生の御意見をお伺いしたいと思います。
  39. 浅井基文

    浅井公述人 お答え申し上げます。  冒頭発言で申しましたように、早期終結にしろ泥沼化にしろ、その結末というのは国際社会にとってたえられないものがあるということは私は申し上げたと思います。したがいまして、今、国際社会に求められており、そして日本に対して求められていることはそういうことではない、政治的な解決によって世界を混迷から救い出すことではないのかということだと思います。また、そのこと自体が、日本の平和と繁栄というものを長期にわたって展望する上でも必要不可欠なことではないかと思っています。そういう意味で、私は、そのフランス提案の第一と第二の、リンケージではないけれども、その二つの内容を含む提案というのは中東問題解決にとっては不可欠だろうと思います。  ただ、なぜこれがだめになったかということでございますけれども、やはり私は、パレスチナ問題を含む国際会議ということに対してアメリカがもう年来反対し続けてきた、したがって今のあの一月十五日という、まさにアメリカがやいばを抜こうとしていた瞬間にそういうことを言われても困るということが非常に大きな事情としてあったのだろうと思うし、それだけでもなくても、とにかくこういうパレスチナ問題を含む全体の解決ということを視野におさめたような解決案というのは今のアメリカにはのむ余裕がない。なぜかといえば、やはり今アメリカ展望しているのは、この戦争後の中東におけるみずからの地位の確立ということがあるから、そういうことに対して支障になるようなほかの国からの提案というものに対しては、どうしても難色を示さざるを得ないということなんではないか。したがって、今のゴルバチョフの新しい行動に対しても、そういうような観点からアメリカとしてかなり牽制球が投げられているのではないか。  私は、ソ連のことは御質問とは関係ございませんけれども、やはりソ連が今動き出したのは、やはりあの決議六百七十八に賛成してしまったなという気持ちがかなりあるのではないかと思います。それほどアメリカソ連の意向も酌まずに勝手なことをやるということは、何も保守派ならずともソ連の見識のある人間だったらおもしろいはずがないわけで、その点がやはり今のゴルバチョフの動きになっている、逆に言えば、アメリカにとっては警戒すべきものとして映っているということではないかと思っております。
  40. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 時間になりましたので、終わります。
  41. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、柳田稔君。
  42. 柳田稔

    柳田委員 きょうは御苦労さまでございます。  私は、野党で一番若うございまして、実を言いますと、ことしも三番目が生まれるということで、子供の顔を見ながらいろんなことを考えているわけなんですけれども、最初仲村先生にお伺いしたいと思うのです。  お話の中心がほとんど、お年寄りが心豊かに穏やかに生活するためにはこれからどうしていったらいいだろうかというお話が中心になっておりました。国会の中でもそれが中心になっているわけですが、考えてみますと、その社会、高齢化社会を支えていくのはやはり若者であり、これから生まれてくる子供ではないかなというふうに思うわけです。現状、いろいろと施策がありまして、それなりの成果は出てきていると思うわけですけれども、昨年、一・五七ショックといいますか、若者が減少している、するだろうということもありますし、医療の高額化もどんどん進んでいく、年金の負担もふえるだろうというふうに言われております。戦後、荒廃からここまで繁栄をきわめて復興してきたお年寄りの生活を守っていくということは、私は最重要課題だとは思うわけですけれども、やはりバランスを考えていきますと、この高齢化社会を支える若者、この若者が今後財政的な負担にもたえなければならないし、また、在宅福祉を進めていきますと、やはりそこにいる家族、この人たちも心身ともに負担をしていかなければならない。この負担をいとうわけではありませんけれども、多分どんどんまたふえていくのではないかなという気がいたします。  ちょっとお伺いしたいのは、二十数年先になりますと四人に一人がお年寄りになる、それを支えていく若者、これからいろいろと施策を講じていかなければ、その時点になったときに若者の労働意欲なり生活をエンジョイしようという気持ちがだんだん薄れてくるのではないかなという気が私はするわけなんです。そういうときを念頭に置きまして、若者に対していろいろ御示唆とか御意見なりお考えなり、また政治でもこういうことをした方がいいのではないかなということがありますれば教えていただきたいと思います。
  43. 仲村優一

    仲村公述人 若い議員さんにもう高齢に達しております私がどういうふうに申し上げたらよろしいのか、私も既に高齢化社会の高齢化の方に入っておりますから、若い方に大いに期待しているのですが、大変お答えするのが難しい問題で、後輩の方々のために、年とったら私どもはこういうことをしておかなければならないということで、やるべきであってやり過ごしたことはたくさんあるように思います。  大変抽象的なお答えしかできないのですけれども、やはり若い方々が働いておるときに、よい労働環境で、そういうよい環境というのは、つまり家庭生活もちゃんと保てるような、したがって労働時間一つにしても、ちゃんと家庭の家族とともに過ごす時間も十分にとれるようなとか、そういったことなども含めて労働環境というものを整えることとか、あるいはそれと関連しては、当然もう既に国会でも取り上げられております育児休業の制度の問題、お母さん方が母親として子供の養育とともに、同時にこれからの母親自身も働きたいという意欲を持って働きに出る人もますます多くなるわけですから、それが両立できるような条件を整えるようにするとか、そういう点から見て、例えば今回も改正になりました児童手当の問題というようなものも含めての所得保障の問題もあろうかと思いますし、そういった諸政策が総合的に今おっしゃられたような視点からまとめ上げられていくということが大事なのであって、従来は個々の政策ごとにばらばらに、お互いの連携もなしに展開されてきて、そして結果としてはいろいろな破綻を生ずるというところがあったと思いますので、大変抽象的なお答えですけれども、今申しましたような諸政策を、そして恐らくそこに教育の問題も入ってくると思いますし、教育政策等々の、そういった線での統合的な展開を図るということが大事なことじゃないかと思います。
  44. 柳田稔

    柳田委員 ありがとうございます。  まあ、私もそうかもしれませんが、仲間を見ておりますと、やはり自分の家庭は家庭という気持ちが大分強くなっておりますし、物、金中心というのが大分はびこっておりますので、その辺も変えていかなきゃならないのかなという気がいたしております。  あと、先ほど来からいろいろと、湾岸事件だそうなんで、私も事件だと思っているんですが、いろいろと御意見、御質問なりが出ておりました。私の与えられた時間、あと九分あります。私の考え自体は伊藤先生とほぼ一致いたしておりまして、今回の湾岸事件について、アメリカ一国がやっているんではない、日本アメリカ追従政策ではないというふうに思っております。ECも含めて、また中東の国々も含めて、発展途上国も含めて、いろいろな国が今回の湾岸事件には参加、協力をしているわけでありますので、決して日本の政策なり支援問題がアメリカ追従主義一点張りというのにはちょっと疑問があるかというふうに思っております。また、伊藤先生がおっしゃいましたように、もし九十億ドルの支援がなかったらというお話もありました。日本が孤立するのか、それとも世界と協調して世界秩序をつくっていくのかという岐路にあるというお話も、そのとおりだというふうに思います。  先ほど来からの話がございまして、私もいろいろと御質問はしたいと思うのですが、時間も限りがありますので、できますれば、伊藤先生の方で私に与えられた時間をフルに利用していただきまして、御指導また御鞭撻をお願いできればと思うのですが、よろしくお願いします。
  45. 伊藤憲一

    伊藤公述人 どうもお時間をいただきましてありがとうございました。  先ほど日笠先生から御感想あったように、何か私と浅井公述人との討論会のようになっちゃいまして、浅井公述人は、私、外務省で同僚でございまして、大変尊敬している同僚でございますので、意見は違いますけれども、こういう場で意見交換できるのは愉快に思っております。  ただ私、やはり本質というのを外しちゃって付随的な要素に目を奪われていきますと、議論は果てしなく、いかような方向にでも展開していくということは、これは湾岸戦争に限らず何事についても言えることじゃないかと思うわけで、特に、泥棒にも三分の理というのがありまして、それを取り上げてやっていくともうこれは切りがないわけで、そういうときにはやはりまた原点に返って、結局これは何なんだと、それでもそれがわからなきゃ、じゃおっしゃるとおりにしていったらどうなるかというふうに考えていくというのが、私は本質というか、結局、その問題が自分にとって、自分の国にとって、人類にとって持っている意味を明らかにすることではないかと思うわけです。  そういう観点で考えてみると、やはり今大切なことは、イラクというのは、たまたまイラクがそういうことをやったから、一罰百戒の意味で、テストケースにイラクみずからが飛び込んできてされてしまったということでありまして、何も国際社会が特に昔からイラクにねらいをつけていてイラクいじめをやっているわけではないわけで、要するに、細田議員からも御指摘ありましたように、侵略という行為というのは侵略された国民から見るとこれは悲惨の一語に尽きる事態でありまして、こういうようなことを二度と許してはいけない、それから、そういうことをやるとどういうことになるのか、結局得はしないんだ、許されないんだ、そういう先例をここで一つつくることが、冷戦の終えんと言われ、米ソ二大国が世界を取り仕切ってきた時代の終わりと言われ、新しい二十一世紀への展望の窓口で我々が直面したテストケースということなのであろうと思うわけであります。  したがいまして、ここは何が何でもやはり国連決議、そしてそれを背景として多国籍軍が出動して、アメリカという大国といえども、アメリカという国の盛衰をかけて私はあそこで全力を尽くした死闘をしているのだろうと思います。警察官といえども、相手が武装した強力な強盗、やくざなどである場合には、命をかけてその逮捕に向かっているわけであります。そのとき、私は、浅井公述人に申しわけございませんが言わせてもらいますと、その警官の足をどう引っ張るか、足にどういうおもりをつけるか、手かせ足かせをどうはめるか、そんなことばかり議論しているのは本筋から外れているのではないかということであります。やはりここはあの警官にあの強盗を逮捕させることが根本、本質、そして国民利益なのであります。その後で、それは警官に行き過ぎがあったかもしれない、その問題は後でゆっくり考えようじゃありませんか。しかし今は、この警官だって自分の命がとられるかどうかという必死の思いで闘っているときに、我々がなすべきことは、できるだけの精神的、物質的支援を送り、その成功を確保するということであって、あれこれのけちをつけてその足を引っ張り、邪魔立てをし、あげくの果て、是か非かと言われて、あの警官のやっていることは非だと言って全面否定するというようなことが、これが問題に対する正面からの本質的な取り組みなのでありましょうかということでございます。私、言いたいことはそれでございますので、どうもありがとうございました。
  46. 柳田稔

    柳田委員 おっしゃるとおりだと私も思います。国内におきまして強盗殺人を犯した、どんな理屈があってもそれはまかり通るものではないというふうに思います。日本には死刑ということもあるわけですが、それに値する大罪を犯せばそれもやむを得ないのではないかという気持ちがいたしております。  先生から、時間が少し残りましたので少し聞きたいのですけれども、地上戦に突入した場合に、多分、犠牲者が多分に出るだろうという気がいたします。国際政治ということなので、我が国の若い人の血を、命を金で買うのかという世論がもしかしたら出てくるようなという気が私はするわけですけれども、そういうことがあり得るのか、また、そういう際にはどのように日本として対処していったらいいのか、伊藤先生に教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
  47. 伊藤憲一

    伊藤公述人 実際、私も一番憂慮いたしておりますのは、地上戦に突入し、数千人あるいは数万人というようなアメリカの若者の生命が犠牲に供され、これが、白いいわゆるボディーバッグに入ってアメリカの輸送機で次々と本国に送られてくる、そういうシーンが全米に流れるような状況のとき、またこれは全米だけではなくて多国籍軍に参戦している二十八カ国すべてにおいてそういう景観が見られるときに、私は、小さな国でございますと、スイスだとかタイだとかスウェーデンとかそういう国であれば、これはまあしようがないやということにもなるわけでありますが、日本というのは余りにも世界じゅう隅々まで、至るところまで自動車を売り込み、テレビを売り込み、そしてまた石油を買い、我々の食糧も世界じゅうから買い、このようにして世界を舞台にして最もその繁栄の成果を享受している国民であるだけに、あの日本人が一体何をやってくれたんだろうというところに返っていくことが恐ろしいわけでございます。  アメリカとの関係が破綻するということは、日本の輸出の三分の一が依存している国がアメリカでありますだけに、直接我々の財布、生活に響く問題として深刻なわけでございますが、そういう功利的利点を離れても、道義的にいって日本がいかなる態度をとったのかということはアメリカ以外の世界じゅうの国々で記憶にとどめられ、この記憶というのは私は歴史とともに永遠に残ることになるのではないかと思うわけであります。それだけに、戦後四十五年、平和の中で我々はぬくぬくと生きてきたけれども、改めて日本とはどういう国であったのかということが初めて正面から問われるテストケースに我々直面している。それだけに、この国権の最高の場である国会において、私は、与野党を問わず議員の皆様方に、国際的な視野で、国際的常識でぜひ問題を考えていただきたいということを痛感するわけでございます。
  48. 柳田稔

    柳田委員 どうもありがとうございました。
  49. 渡部恒三

    渡部委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十五分休憩      ────◇─────     午後一時三十一分開議
  50. 渡部恒三

    渡部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成三年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず館公述人、次に阪中公述人、続いて佐藤公述人の順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、館公述人にお願いいたします。
  51. 館龍一郎

    ○館公述人 ただいま御紹介いただきました館でございます。  平成三年度予算審議に際しまして意見を述べる機会を与えられたことを大変光栄に存じております。歳出面を中心にいたしまして、三年度予算について私見を述べることといたしたいと存じます。  まず、平成三年度の予算は、平成二年度にようやく赤字公債依存から脱却という財政再建の第一段階の目標を達成した我が国の財政が、今後、どのような目標を掲げ、どのような道を進むかということを占う試金石という性格を持っているというように考える次第でございます。  それで、いろいろの選択肢があると思います。その一つは、福祉を一層充実して、それとともに相応の負担を国民に求めていくという高福祉高負担の路線であります。それからいま一つは、大きな政府による負担の増大を避けて、極力国民の活力の伸長を図るという選択でございます。今日、我が国の国民の選択は、選挙等の結果から判断いたしましても、どちらかといえば後者、すなわち高負担を望まないという点にあるというように思うわけでございます。  そういう高負担を望まないという考え方から、さきに財政制度審議会や臨時行政調査会は、二十一世紀を展望した場合に、今後の高齢化の進展等を考え合わせるときに、長期的に租税負担率と社会保障負担率を合わせた全体の国民負担率はある程度上昇することにならざるを得ないが、現在のヨーロッパ諸国の水準、五〇%前後でございますが、ヨーロッパ諸国の水準よりかなり低位にとどめる必要があるという提言をいたしたわけでございます。つまり四〇%の前半程度のところに極力国民負担率をとどめたいという、そういう提案をしたわけであります。そうして、このような効率的な財政を維持していくための中間目標といたしまして、景気変動によって税収が変動しても特例債の発行によることなくこれに対応ができるようにするために、つまり二度と赤字公債に依存するということなしに対応していけるようにするために、当面は極力国債依存度を引き下げ国債残高の累増を抑制する、そのためには国債依存度を五%を下回る水準にすることを一つの目安とすべきであるというように述べたわけでございます。  今、平成三年度の予算案を拝見いたしますと、三年度の国民所得が確実にどのような水準になるかということはわからないわけでございますが、そういう意味での不確定要素はありますが、ほぼ国民負担率は三八・七%ということで、平成二年度の三九・五%を下回っております。それから、一般歳出の伸び率は五・三%で、今回新たに計上されることになりました給与改善予備費を除いて計算いたしますと、一般歳出の伸び率は五・三%よりさらに下がって四・九%であります。そうしますと、政府見通しのGNPの成長率五・五%を下回るわけでございます。そういう予算案になっております。  そういう意味から申しますと、大きな政府による国民負担の増大を極力回避しながら財政に求められる機能を果たしていくという、昭和五十四年以来政府が採用してきた基本的なスタンスは維持されておるというように申してよろしいと思います。赤字公債依存脱却後、内外から生じました歳出増加への強い圧力のもとでこの基本的なスタンスを維持した点は、これは評価に値するというように考えておる次第でございます。  そして、これが可能になったのは何によるかと申しますと、公債残高を極力圧縮して負担を後代に残さないという考え方のもとに、公債発行額を前年度の五兆五千九百三十二億円から二千五百二億円減額いたしまして、公債依存度を前年度当初に比べて〇・八ポイント引き下げ七・六%とした結果であるというように申せると思います。  ただし、一応の目安といたしました五%を下回る水準に国債依存度を下げるという、そういう目安との間には相当の差が依然として存在するわけでございますし、平成三年度末の公債残高は百六十八兆円と予想されておりまして、依然として財政は大変厳しい状況にあるということはまだ変わりがないわけであります。そういう意味で、今年度予算案に示されました節減の努力は努力として評価するとともに、今後とも財政のディシプリンを守るよう努力されることを切に期待するものでございます。  また、今後国民負担の上昇が求められる場合にあっても、その負担は極力受益と負担との関係が明瞭な社会保障費負担であるとかあるいは受益者負担の方向で負担を求めていくのが望ましいというように考えております。  以上述べてまいりました考え方に対しましては、日本の財政法は財政法自体の中で建設公債の発行を認めている、しかも現在の日本社会資本の充実は諸外国に比べて相当におくれている、特に下水道であるとか公園等の生活環境であるとか住宅等においておくれが著しい、したがって、日本が二十一世紀になって本当の意味での高齢化社会を迎える前に建設公債を増発して社会資本の充実を図るべきであるという主張がございます。  先進諸国に比べて日本社会資本が若干おくれておるということは否定できないところでございまして、その整備充実が求められるのは当然のことであると考えます。しかし、外国に比べて日本政府の総資本形成は際立って高い水準にあります。つまり、現時点における社会資本はまだ不足してはおりますが、しかし社会資本充実のスピードは非常に大きいということであります。先進諸国社会資本の充実整備のためには、これは非常に長年にわたって徐々に社会資本が充実されてきたわけでありまして、一度に社会資本の充実が図られたわけではございません。  ところで、一定の速度以上で、非常に早いスピードで社会資本の充実を実行しようといたしますと、その場合には、適正なスピードで充実を行う場合に比べていろいろな面で非常に多額のコストがかかるということが考えられるわけでございます。まず第一に考えられるのは、人手不足であるとか地価の上昇というのが考えられますし、さらに事故であるとか公害というものが考えられるわけであります。さらに、余り急ぎますと、十分に計画が練られていないためにむだな投資が行われてしまうということも間々あるわけでございます。したがって、現在のスピード以上に公共事業の充実のためにスピードを上げることについては相当慎重であるべきであるというように考えております。  また、建設公債対象事業のすべてを公債の発行で賄うという場合には、何らかの理由で景気が落ち込むといったようなことがあり、税収が不足するとか予想外の歳出が必要になるという場合には財源不足が生ずる。そうすると、そのとき再び赤字公債を発行しなければならないという状態になってしまいます。  このような事態を避けるためには、建設公債発行限度額に占める公債の収入の割合を一定限度内に抑えておいて、つまり、そこにある余裕を残しておいて、そして必要が生じた際にはその余裕分を必要な分野に回していく。それによって財政の弾力性を確保していくということが望ましいというように考えるわけでございます。  本年度の予算は、一般歳出のうち経常部門の歳出の伸率は四・九%、今年度特に計上されました給与のための分を差し引いた従来どおりの予算の組み方をした場合で考えますと、一般歳出の中の経常歳出は四・四%の伸率、それに対して投資部門は六・七%の伸率になっています。さらに、その投資部門の中で下水道、都市公園、それから廃棄物の処理等にある程度の配慮が払われております。御承知のように、財政再建の過程では財源配分が固定化する傾向が著しかったわけでございますが、今後は一層この重点化、ことし手がつけられました重点化の方向に努力されることを強く期待したいと思うわけでございます。  それから、景気の先行きについて悲観的な見方をとる人からは、現在の公共投資は不十分だという主張が生じ得ると思います。率直に申しまして、平成三年度の先行きの見通しについては不確定要素が非常に多くて、自信を持って平成三年度の経済がこういう姿をとるということを言うことは極めて難しいわけでございます。私自身、とても確信を持って平成三年度の経済がこうなる、こういう姿をとるということは申し上げかねるわけでございます。  平成二年度の経済は、御承知のように大変順調に推移いたしまして、懸念された石油価格の上昇であるとか金融引き締めによる株式、地価のバブルの崩壊、それからBIS基準による銀行の資産悪化から来る影響、憂慮されたような影響は今日までのところ生ずることなく、平成二年度の経済は大きな混乱なく、実体経済面ではむしろ人手不足、つまり労働需給の逼迫による賃金コストの上昇から来るインフレ懸念の方が心配されるというような状況であります。しかし、景気は人々の期待に依存する、予想といいますか、期待に依存するところが非常に大きくて、将来の不確実性がマイナスの方向に作用することは確かでございますから、思わぬことが契機になって景気が後退する可能性を全く否定するということはできません。さしあたりその可能性は小さいというように考えておりますが、しかし、全くないとまで断言するということはできません。  そうしますと、その場合必要なことは、財政金融を弾力的に使って対応していくということになります。そのためにも、財政が平時に余裕を保有するように努力しておくということは望ましいことでありまして、そういう点から申しましても、今年度の予算の構成というのは適当なものであったというように考えておるわけでございます。できるだけ予想しない事態に対応して弾力的に対応し得るような、そういう体質を財政が全体として備えるように努力しておく、できるときに努力しておくということが望ましいというように考え、そういう観点からは平成三年度の予算案、それなりに評価できるのではないかというように考えておるわけでございます。  次に、予定の時間を超過しそうなので急いで申し上げたいと思いますが、個別問題について二つの点を申し上げておきたいと思います。  一つは、整備新幹線についてでございます。  鉄道整備基金を設立するという考え方自身については反対ではございません。しかし、整備新幹線については、干拓事業や圃場整備事業の例に見られるように、工期の長い事業については、その間に社会的なニーズや技術等に変化が生じて、でき上がったときには、無用の長物とまでは言わないまでも、実際上不要であるということがしばしば起こるわけでございます。したがって、新幹線の工事を実施するに当たっては、建設コストと比べて本当にベネフィットが大きいのかということについて慎重に秤量して、かつての国鉄の轍を踏まないように心がけていただきたいというのが一点でございます。  第二は、補助金、地方交付金に関してでございます。  中央政府に比べて、平均的に見れば、地方自治体の財政の方が余裕があることは明らかであります。しかも、その地方自治体の中では、大変苦しいところと、それから大変余裕のあるところとがまじっております。したがって、交付金特会から借入金の返済等の措置を講ずる一方で、五千億円の特例減額であるとか二千五百四十五億円の法定加算の繰り延べ等を行うということは、これは妥当な措置であると思いますが、地方自治体の安易と見られる財政支出に対する納税者の批判は大変強いものがございます。したがって、その点を考え、地方交付金及び補助金のあり方については、今年度はともかくといたしまして、早急にそのあり方を検討していただきたいということを申し上げまして、私の公述を終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  52. 渡部恒三

    渡部委員長 ありがとうございました。  次に、阪中公述人にお願いいたします。
  53. 阪中友久

    ○阪中公述人 阪中でございます。平成三年度予算審議いたしますこの委員会で意見を陳述する機会を得ましたことを大変光栄に存じます。私は、国際関係を勉強いたしております。中でも安全保障問題を研究いたしておりますので、その観点から最近の事件につきまして私の意見を申し述べさせていただきたいと存じます。  一九八九年以来、世界は大変大きく動きました。八九年の五月、ポーランドで起こりました自由化の波は、瞬くうちに東欧圏一帯を席巻いたしました。いわゆる自由化、民主化が世界を覆ったと申していいと思います。一昨年の十一月には東西冷戦の象徴でありましたベルリンの壁が崩壊いたしました。それを受けまして昨年十月三日には東西ドイツが統一いたしました。昨年の十一月にはアメリカ、カナダそれにヨーロッパの国々の首脳、三十四カ国が集まりまして全欧安保協力会議を開きまして、分断と対立の時代は終わったと高らかに冷戦の終結をうたいました。  こうした激動をオックスフォード大学でヨーロッパの近代史を長く教えておりますマイケル・ハワード教授は、一九八九年革命という表現を使いました。つまり、二百年前の友愛、平等、自由を掲げましたフランス革命に対比できるような新しい歴史の激動が始まったという意味でございます。さらに、自由と民主主義のイデオロギーと共産主義、社会主義のイデオロギーの対立が終わり、これからはイデオロギーの対立のない退屈な時代が来るという「歴史の終焉」という論文もあらわれたのは御高承のことと存じます。こうした国際関係を扱っております多くの論文がただいま指摘しておりますのは、国際関係で地殻変動とも言えるような新しい動きが起こっているということでございます。  戦後の世界を東西に二分してまいりました冷戦は崩壊いたしました。しかし、この冷戦後の世界の新しい秩序について明確な見通しを語れる人はまだいないように私は思います。東西の冷戦は、米ソという大きい軍事力を持った超大国の力の均衡の中で平和が維持されてまいりました。冷戦は長い平和の時代として記憶されるだろう、そういうふうな表現をとる人もいます。つまり冷戦後の世界がどのように動いていくのか、極めて見通しの難しい時代でございます。現実に、御高承のとおり、ソ連では民族問題が深刻化いたしております。イラククウェート侵攻に見られますように、第三世界の紛争の火種も消えたわけではございません。昨年の八月二日イラククウェートを侵攻し、それに対してこの一月十七日からアメリカを中心にした多国籍軍軍事行動を開始いたしました。世界は今新しい秩序をどのようにしてつくり上げるか、模索の段階にあると言えると思います。  いわゆる湾岸戦争をめぐって我が国に問いかけられておりますのは、この歴史的な転換期をどのように認識するのか、また世界の新秩序はどのようなものであるべきか、さらに我々はこの新秩序の構築に向けていかに参加していくのかということでございます。我々は歴史的な展望を持ってこの問題に取り組む必要があろうかと存じます。イラクが、いかなる事情があるにせよ、軍事力によって既成事実をつくり上げ、その回復ができないとなると、これから先の国際秩序の維持は大変難しくなります。アメリカ湾岸地域に軍事力を急速に展開して、サウジアラビアへの侵攻を防ぐ態勢をとったのは、冷戦後の国際秩序の構築という観点からの行動であると思います。  しかも、軍事力の使用開始まで半年間をかけ、国連による経済制裁、空域の封鎖、武力行使の容認決議六百七十八号と、慎重に対抗措置をエスカレートさせてまいりました。したがいまして、政府が多国籍軍行動を支持しているのは、私は当然だと思います。  その第一の理由は、我が国は、これまで国際連合中心の外交を掲げてまいりました。国際連合の平和維持の中心機関である安保理事会の決議に従った行動を支持するのは、我々の義務であると思います。  第二に、中東は世界が石油エネルギーを依存し、我が国はその七〇%近くを依存している地域でございます。石油供給に支障が生じた場合、我が国のみならず世界の経済発展に重大な支障が生じることは、御高承のことと存じます。  第三に、それに加えて多国籍軍の中心になっておりますアメリカは、日本にとって唯一の同盟国であります。同盟の本質は、価値観を共有し、危険な際にはリスクを共有するということでございます。アメリカ自国の青年の生命をかけてサウジに派遣しているときに、我が国がこれに無関心でいるということになりますと、我が国の安全保障政策は根本から問い直さなければならない事態が生じるかと思います。  しかしながら、湾岸戦争本質は、国と国の利害が衝突し、双方が全力を挙げて戦ういわゆる古典的な戦争とは性質を異にいたします。国連決議に基づく秩序回復のための軍事行動であって、いわば国際社会における警察行動に当たります。戦略研究者の間では、第三世界の紛争の多発を予想して、強制的外交、コアシブディプロマシー、強制外交という考え方が出ております。これは、世界秩序破壊に対しては軍事力のデモンストレーション、示威あるいは限定的な軍事力の行使によって秩序破壊者に圧力をかけ、秩序の回復を図ろうという考え方でございます。軍事力のデモンストレーションや行使が安易に行われていいとは思いませんが、国際社会において法と秩序の維持は依然として重要でございます。  湾岸戦争は、私は強制外交の典型的なケースであると思います。したがいまして、多国籍軍軍事行動が無制限に許されているわけではございません。国連決議六七八に従いまして、イラク軍クウェートからの撤退のためあらゆる行動をとることを認められているわけでございます。軍事力行使目的軍事力行使という手段とが均衡することが必要でございます。多国籍軍は、戦略目標に攻撃を限定して、民間施設の破壊を限定する戦略をとっております。こうした努力が継続されることを期待したいと思います。  次に、自衛隊機派遣の問題について意見を述べさせていただきます。  私は、自衛隊機の派遣に賛成でございます。困窮している避難民の輸送は、緊急性のある人道上の問題でございます。もちろん、避難民の救出に民間機関が協力することは重要なことでございます。しかし、今問われておりますのは、湾岸戦争に対する国の姿勢でございます。国の実力機関である自衛隊の派遣は、湾岸戦争に対する我が国の意思を明らかにするものであります。したがいまして、民間の救助活動とは性格を異にいたします。それだけに、慎重の上にも慎重に考えなければならない問題であり、それだけに国の意思として重要な決定でございます。  私は憲法の前文を今思い出しております。その前文では、我々は平和を維持し、専制と隷徒、圧迫と偏狭を地上から除去しようとしている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思うと宣言いたしております。名誉ある地位とは、行動しないで得られるものではないと私は確信いたします。  私は、自衛隊機の派遣について、政府は三つの条件をつくり上げる努力をすべきだと考えております。  第一は、政府自衛隊機派遣目的を明示して、そのオペレーションに全面的に責任を持つ決意が必要でございます。自衛隊機派遣は、避難民支援という人道上の問題、しかも緊急性があり、海外派兵とは性格を異にいたします。しかし、戦場近くを運航するわけですから、不測の事態も予想されます。政府の完全なコントロールのもとに自衛隊機の運航を行うことが必要だと考えます。  第二は、自衛隊機の派遣について国民のコンセンサスをつくり上げる努力を継続して行うべきです。民主主義国家においては価値観が多様であり、コンセンサスの形成に時間がかかるというのはよくわかります。しかしながら、政府国会で多数の賛同を得る努力を続けるべきだと思います。派遣される自衛隊員は生命の危険を覚悟しなければなりません。派遣される自衛隊員の気持ちになってこの問題を考えることが私は重要だと思います。  第三に、私は、長期的な視点で今後の自衛隊の国際協力について検討を始める必要があると存じます。今後の第三世界の紛争が多発すること、それから秩序維持の必要性などを考えますと、国連の平和維持機能への自衛隊の協力は今後ますます必要になってくると予想されます。国際社会が相互依存性を強めているときに、一国だけの平和、一国だけの安全ということは、私は成立しないと思います。  憲法のもとで、自衛隊が行う国際協力をどのような枠組みの中で考えるのか、そのためにどのような法律が必要なのかなど、具体的な対策を考えねばならない時期に来ていると思います。  最後になりましたが、国際秩序の地殻変動が起こっている時期の我が国の安全保障政策について、私の意見を述べさせていただきたいと思います。  国際的なシステムが変化しようとしているとき、国際環境を安定させることが重要でございます。そのためには、冷戦時代につくられた日米安保体制など、既存の地域的集団安全保障体制を動揺させないことが当面は必要でございます。北東アジアにおける地域的集団安全保障体制は、アメリカを中心にして二国間の安保条約、相互防衛条約を連結して、実質的には国際的な安全保障システムを形成いたしております。このシステムを安定的に維持することが私は重要だと存じます。  湾岸戦争では、NATO加盟国アメリカに協力して軍事力を展開しております。NATO各国は、条約適用地域以外で本格的な軍事行動をとったのはこの湾岸戦争が初めてでございます。東西冷戦が終結いたしましても、当面、冷戦時代につくられた西側の同盟機構が安定のために必要であるということを、現実的に示したケースであると思います。  時間が来たようですので、最後、私、国民の一人として国会に対する期待を述べさしていただきたいと思います。  私は、冒頭、現在が歴史的な地殻変動の時期であるという私の認識を申し上げました。安定している時期には、政治がつくり上げた枠組みに従って行政が政策を着実に実行すれば十分でした。しかし、転換期において政策の座標軸そのものを動かすことが必要になってまいります。これは政治の仕事でございます。戦後四十五年間、我が国は国際環境に恵まれ、歴史上かつてない繁栄を享受してまいりました。このため、国民の間に、何もしなければ平和と繁栄が維持できるといった現状維持の気持ちが強まっていることも否定できません。  日本世界第二位の経済大国となった現在、過去のような何もしないで済まされる時期では私はないと思います。政治が国際情勢の行方を見定めて、これから我が国の生きる道について大胆なグランドデザインを提示して、転換期の国民をリードしてくださるよう期待いたします。  これで私の陳述を終わらせていただきます。(拍手)
  54. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、佐藤公述人にお願いいたします。
  55. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 御紹介いただきました東京大学の佐藤誠三郎でございます。  私は、平成三年度予算案に基本的に賛成の立場から、特に我が国の湾岸支援策について意見を申し上げたいと思います。  湾岸で、イラク軍といわゆる多国籍軍との間に戦端が開かれたという事態に対応して、政府は多国籍軍に対して新たに九十億ドルの財政支援を行うこと、及び戦域から被災民を輸送するため、民間航空機と自衛隊機の双方を配備する旨の決定をいたしました。私は、この決定は時宜に適したものであり、日本として当然やるべき国際協力の一部をなすものであると考えます。  なお、日本では多国籍軍という表現が多いのですが、欧米ではこれはコアリションフォーシズ、連合軍、ないしはアライドトループス、同盟軍と言われております。私は、その方がより実態に合っていると思いますので、以下では連合軍と申し上げます。  湾岸における戦闘に対し、日本が何をしなければならないかを考える場合、まず最初に明らかにしておかなければならないのは、この戦闘は国家国家との間の普通の戦争でもなければ、異なる文明圏や人種間の戦争でもないということであります。我が国には、この戦争イラクアメリカとの戦争であるとか、さらにはアラブないしイスラム教対欧米先進国ないしキリスト教との間の戦争と考える傾向が見られます。しかし、このような考えは率直に申し上げて基本的に間違っております。この戦闘は、クウェートを侵略し、その主権を奪ったイラクと、その侵略行為を阻止するという国連決議を執行するために軍事的制裁行動を行わざるを得なかった連合軍との戦闘なのであります。ここに問題の本質があるのであります。  イラクは、クウェートが独立した主権国家であることを長い間認めておりました。外交関係も持ってきました。しかも、クウェート側からはイラクに対し何ら軍事的挑発行動はとられなかったのであります。そのクウェートを攻撃し、その主権を奪い、その国土を併合するというのは、弁護の余地のない侵略行為であります。国連創立以来、国連加盟国が他の国連加盟国に対し、これほどに露骨な侵略行為を行ったことは初めてであります。  国連安保理事会は、本年一月十五日までにイラクが安保理事会の諸決議を履行し、クウェートから即時無条件かつ完全に撤退しない場合、クウェート政府に協力している国連加盟国にあらゆる必要な手段をとる権限を付与する旨の決議を昨年十一月二十九日に行いました。その際、安保理事会はさらに、そのようなあらゆる必要な手段をとる国々に対して、全国連加盟国ができる限りの協力をするよう要請しております。  我が国は、さまざまな理由から連合軍の一員として軍事的制裁行動に直接参加することはいたしておりません。そのような我が国が、連合軍に財政支援を行い、また被災民救助に協力するのは、国連加盟国として、とりわけ憲法前文が述べているように、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と念願している平和国家として当然の義務であると考えます。世界最大の債権国という我が国の国際的地位を考えれば、九十億ドルという巨費も決して過大とは申せません。  ところが、我が国には、このような財政支援戦争に加担するものであり、憲法の精神に反するといった主張が見られます。しかし、このような主張は、侵略のための武力行使と侵略を阻止するためのやむを得ざる武力行使とを混同したものと言わざるを得ません。  武力行使には、その正統性、レジティマシーに則して三つの違ったタイプがございます。  第一は、日本国憲法国連憲章が禁止している国際紛争解決の手段としての武力行使であります。それは、端的に言って侵略行為を指すものであります。昨年八月二日以来のイラクによるクウェート占領はまさにこのような侵略行為にほかなりません。侵略のための武力行使が我が国の憲法に違反するのみでなく、国連憲章に結実した国際社会の基本ルールを侵すものであることは言うまでもありません。  武力行使の第二のタイプとして、相手から攻撃を受けた場合にそれをはね返すための武力行使があります。これは自衛のための武力行使であり、このような自衛権、それには個別的自衛権も集団的自衛権も含まれますが、このような自衛権の行使が国際紛争解決の手段としての武力行使に含まれないということは、一九二八年の不戦条約、いわゆるケロッグ・ブリアン・パクトですが、この不戦条約以来、国際的に広く認められているものであります。国連憲章が侵略のための武力行使を否定しながら、その五十一条で加盟国の固有の権利として個別的ないし集団的な自衛権の行使を認めている理由はここにあります。したがって、我が国政府自衛権を合憲と主張してきたことには十分な正統性があるのであります。  第三に、国連決議を執行するための武力行使、つまり国際社会による集団的安全保障のための武力行使がございます。今回の湾岸における連合軍による武力行使は、まさにこの意味での武力行使であり、それを支持しないのは国連加盟国として無責任な態度なのであります。  なお、我が国憲法は、この第三のタイプの武力行使に対して日本がどのようにかかわるべきかについては何も記しておりません。つまり法の欠如であります。しかし、国際協力の精神を高らかにうたっている憲法の前文及び憲法九十八条の条約及び国際法規の遵守の規定を考えれば、この第三のタイプの国際的な武力行使日本が参加することが違憲でないことは明らかであると私は考えます。まして今回の政府の決定は、武力行使への直接的参加ではなく、財政支援に限られており、それを憲法違反とするような主張は私には到底理解できません。他の国が侵略されたとき、それを助けようとしないような国に対し、いざというとき一体だれが応援に駆けつけてくれるでありましょう。したがって、イラクの侵略を阻止するために戦っている連合軍を支援しないということは、我が国の国際的信用を失墜させるだけでなく、日本の安全を根底から脅かすことになるのであります。  また、被災民の輸送は、自衛隊機を使用する場合でも、以上の三つのレベルの武力行使のいずれにも属するものではなく、純粋に人道的措置であります。このような人道的措置にさえ反対するというのは、率直に言って理解に苦しみます。国内の被災民の救助には自衛隊の使用を認めるが、外国の被災民の救助に自衛隊を利用することは認められないというのは、国際的には全く通用しない利己的主張であり、強い表現を用いるならば、人種差別的態度であるとさえ言えます。  イラククウェート侵略には反対だが、イラククウェートからの撤退の期限を一月十五日と区切って、それが過ぎたら直ちに軍事的制裁に移るというのは性急過ぎる、あくまで経済制裁を続け、イラクの説得に努めるべきであったという主張が我が国には少なくありません。しかし、昨年八月以来、国連安保理事会が繰り返しイラクの撤退を要求したにもかかわらず、イラクはそれを全く無視してきました。また、アラブ諸国アメリカ、フランス、ソ連等多くの国々がイラクへの説得努力を続けましたし、国連事務総長も二回にわたってバグダットを訪れ、説得を行いました。しかし、サダム・フセイン大統領の口からはついに一度も撤退という言葉は聞かれませんでした。八月二日から一月十五日までに五カ月半という時日がたっております。侵略者を説得する期間としては十分に長いものであります。事実、この期間にイラク戦争準備を着々と進めていたことは現在では明らかであります。イラクの支配のもとに苦しむクウェート人を初め、イラクの侵略によって被害を受けた多くの国々、人々のことを考えれば、これ以上待つということは正義に反する行為であります。我々は、日本が侵略された場合、アメリカを初めとする連合軍が日本列島を遠巻きにし、経済封鎖をするだけで一年も二年も侵略者の撤退をただ待ち続けるという態度をとったら、我々日本人がどういう運命に陥るかをよく考えてみる必要があります。  既に申し上げましたように、今回の湾岸における軍事衝突は、通常の意味戦争ではなく、クウェートを一方的に侵略し併合したイラクと、イラクのこのような侵略を阻止し否定するための国連決議を執行する連合軍との間の衝突であります。したがって、この戦闘の帰趨がどのようになるかによってこれからの世界の平和は大きく左右されるでありましょう。もし、イラクの侵略を否定するという連合軍の武力行使目的が達成されなかったら、それは国連が侵略者に敗北したことを意味します。その結果、国連の権威は致命的に傷つき、十分な軍事力を持てば侵略しても大丈夫だという危険な教訓を世界の各国に与えることになります。その結果、軍拡競争が各地で激化し、紛争が続発することになるでありましょう。人類は冷戦を何とか克服した後で、より平和な新しい世界秩序、ニュー・ワールド・オーダーをつくるどころか、冷戦時代よりもさらに危険な新しい無秩序世界、ニュー・ワールド・ディスオーダーに突入してしまいます。人類が核兵器製造の技術を知ってしまった現在、このような無秩序は人類絶滅の危険を著しく高めるでありましょう。したがって、連合軍には失敗は許されないのです。  これに対し、連合軍が明白な勝利を速やかにおさめ、クウェートイラクの支配から解放することができれば、平和維持機関としての国連の権威は高まり、どのように軍備増強に努めても国際世論に敵対することはできないということを、つまり、侵略は割に合わないということを世界に示すことができます。そうすれば、我々は国際社会をこれまでとは比較にならないほど平和なものとすることができるでありましょう。このように、湾岸における連合軍の軍事的努力が成功するかどうかに世界の平和と人類の将来がかかっていると言っても決して過言ではないのであります。  武力衝突は、程度の差こそあれ常に悲惨さを伴うものであります。いかに精巧な兵器を使い、攻撃を相手側の戦闘継続能力の破壊に限定したとしても、民間人に犠牲が及ぶのを完全に防ぐことは困難であります。     〔委員長退席、近藤(鉄)委員長代理着席〕 とりわけ、今回の場合、イラクが民間人や人質を盾に使ったり、化学兵器の使用や環境の大規模な破壊も辞さない戦術に出ているので、戦闘に伴う悲惨さは高まらざるを得ません。しかし、このような悲惨さだけに目を奪われ、戦闘の即時中止を主張するのは、イラクによるクウェート侵略、併合を既成事実として容認することを意味します。  平和は、単にそれを願ったり主張したりするだけで守られるものではありません。侵略されても抵抗しなければもちろん戦争にはなりません。しかし、そうすれば我々は自由も人権も主権もすべて失ってしまいます。そして味をしめた侵略者はさらに他の国々にやいばを向けるでありましょう。侵略者に抵抗しなければ、世界は侵略者の支配のもとに入ってしまいます。それは奴隷の平和であり、我々が求めるべき平和ではありません。  侵略者ヒトラーとの困難な戦いを指導し、ついにイギリスに勝利をもたらした当時の首相ウィンストン・チャーチルは次のように述べております。平和は、お涙ちょうだい的な平和願望や口先での抗議では守れない、平和を守るために必要なのは、透徹した思考と粘り強い忍耐力と深い洞察力であり、しかもそれらのすぐれた資質は剣とよろいによって武装されていなければならないのである。また、フランスの生んだすぐれた外交官であり、偉大な劇作家でもあったジャン・ジロドーは、平和主義者とは平和を守るためにいつでも戦う用意のできている者のことだと喝破しております。  イエス・キリストは、右のほおを打たれたら左のほおを出しなさい、下着をとろうとする者には上着も上げなさいと教えました。しかし、人間としての誇りを失うことなくこのような徹底した無抵抗主義の倫理を実践できるのは、イエスのような宗教的天才に限られております。普通の人間にとって、攻撃されても戦おうとしないのはひきょうな憶病者であります。そのようなひきょう者、憶病者が社会の多数を占めたら、その社会は無法者の天下となってしまいます。アメリカのすぐれた哲学者アルフレッド・ホワイトヘッドが指摘しているように、人間社会には権利や正義や理想のために武力を用いなければならないときもあるのであります。そのようなときに戦おうとしない絶対的平和主義者は、ホワイトヘッドによれば、市民として落第なのであります。  まして、個人ならともかく、政府が絶対的平和主義を政策として採用することは無責任のきわみであります。政府の最大の責任は国民の生命、安全、権利を守ることにあるからであり、そのために必要やむを得ない場合は武力行使もあえて辞すべきでないからであります。日本は一切の軍事協力を拒否する良心的兵役拒否国家となるべきだといった主張が我が国には見られますが、良心的兵役拒否は、大部分の人がその権利を行使しないことを前提として初めて保障される権利であります。全国民が良心的兵役拒否に走ったら、その国家は崩壊し、したがって良心的兵役拒否の自由を保障することもできなくなるからであります。まして政府が政策として良心的兵役拒否を実践するなどということは、国家としての主権を放棄する無責任な自殺行為にほかなりません。  これに関連して、九十億ドルの財政支援の使途について、武器弾薬の購入に充てられないようにするという政府の言明は、率直に言って極めて遺憾なものであると私は考えます。九十億ドルの財政支援について国会の承認を得るためのやむを得ない妥協としてこのような政策がとられたという事情は、新聞報道等により私も承知しております。そして、戦争には武器弾薬以外にもさまざまな費用がかかりますので、連合軍を構成している諸国もこのような使途制限にあえて異を唱えるようなことはしないでありましょう。しかし、お金に色がついていない以上、このような使途制限は、率直に言って偽善的な気休めにすぎません。それだけでなく、このような使途制限をつけることは、連合軍の武力行使について我が国が批判的であるという理解を国際的に招くことになります。既に申しましたように、連合軍の武力行使は侵略阻止のためのものであり、平和国家日本としては全面的に支持しなければならないものだからであります。つまり、このような使途制限をつけることにより、日本人はばかにされるだけでなく、侵略の阻止と平和の回復に熱意がないとみなされてしまうのであります。  あるアメリカの友人は、私に次のように語りました。日本政府が使途制限をつけても、アメリカを初め各国はそれを認めるだろう、しかし、内心日本を軽べつすることは確実だ。偽善的な気休めに基づく愚かな政治的妥協によって、九十億ドルという決して些少でない金額が十分な効力を持ち得なくなることに対し、国民の一人として、とりわけ納税者の一員として、私は強い不満と遺憾の念を抑えることができません。  以上で私の意見陳述を終わります。(拍手)
  56. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員長代理 ありがとうございました。     ─────────────
  57. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。星野行男君。
  58. 星野行男

    星野委員 ただいまは館先生、阪中先生、そして佐藤先生、それぞれのお立場で貴重な御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございました。とりわけ阪中先生、佐藤先生からは、大変私どもを勇気づける御意見をちょうだいいたしまして、感謝を申し上げる次第であります。  まず、館先生にお伺いをさせていただきたいと存じます。  御案内のように、政府、そしてまた私ども自民党は、我が国の財政再建に長い間血のにじむような努力を傾注いたしてまいりました。そしてお話がございましたように、平成二年度ようやく赤字公債からの脱却を実現をいたした次第でございますが、これから、お話がありましたような進行する高齢化時代への対応、あるいはまた世界から期待されております日本の貢献、さらにまた日米構造協議で決まりました今後の公共投資四百三十兆円、いろいろな課題を抱えながら国債依存度をできるだけ引き下げていく、こういう綱渡り的な財政運営をしていかなきゃならないわけでございますが、これにつきまして貴重な指針をお与えいただいた、こう考えております。  ただ、そういう平常な場合での努力では対応できないものがこの湾岸問題であろうか、そう思うわけであります。御案内のように、イラクはイランとの八年戦争でその戦費を賄うために多額の借入金、八百億ドルともあるいは一千億ドルとも言われる借入金をいたしまして、そういう対外債務の処理に困ったフセイン大統領が中東の石油の支配権を握ろうとした、これがまさに中東湾岸危機の引き金、発端であったということは周知の事実でございます。  ところで、我が国は御案内のように、石油の七割を中東に依存をいたしております。そしてまた、国内における原子力発電所の増設計画もなかなか容易に進みそうもございません。そういう状況下で、中東から適正価格で石油が我が国の必要量を輸入されないような事態になった場合、これは我が国の産業、経済や国民生活に大きな打撃を与えるのみならず、今まで血のにじむような努力で積み重ねてまいりました財政再建の成果も吹き飛ばしてしまうことになるのではないか、そういうことを非常に心配をいたすわけであります。  そういう観点から考えますと、今回の、今ほど先生方からもお話がございました九十億ドルのこの多国籍軍に対する追加支援、これは御案内のように、国連あるいはその決議を受けた多国籍軍が断固としてフセインの野望を打ち砕くために行動を起こしているわけでありますが、これに対して応分の支援、九十億ドルの支援をするということは適切な措置であろうかと私ども信じております。これにつきまして財政、経済の立場から館先生の御見解をお伺いいたしとう存じます。
  59. 館龍一郎

    ○館公述人 それでは、お答えをいたします。  実を言いますと、財政の立場からいいますと大変難しい問題が背後に控えているように考えます。使途が非常に明瞭であるという場合と、実際にその使途が必ずしも明瞭でない場合と二通り財政支出にはあるというように思います。  私、その財政の立場から憂慮することの一つは、資金の使途が必ずしも明確でないままに多額の資金が支出されるということは、これは将来に禍根を残すことになるおそれがある。したがって、少なくともその使途について、日本政府日本の要請を明確に相手方に伝えるという努力を行うべきであるというように考えるわけでございます。  もしそれを怠るといたしますと、これがかつての臨時軍事費のように何に使われるかわからないままにどんどん膨張していくというようなことがあっては、これは皆様方御自身も国会議員としての責務にかかわる問題であるというように考えるので、少なくともその点は明確に相手国に、相手国といいますかこの場合ですと基金でしょうか、平和基金にそれを求めていくべきであるというように私は考えております。その上で全くの一回限りの措置としてこの九十億ドルを出すということについては、やむを得ないことというように私は考えております。  そうして、その財源として何を使うかによって、これが一国の経済に与える影響には大きな違いが出てくるというように考えております。私は、その財源として最も適当なものは石油税であるというように考えております。なぜそういうように考えるかと申しますと、石油税をかけるということは、国民に石油の節約を求めるということでありまして、しかも、この問題そのものが石油とのかかわりで生じているわけでございますから、石油にその負担を求めていくというのがいいと思いますし、さらに公害の防除という点からも、石油税は望ましいというように考えます。  それから、従来石油価格が上昇したときに、石油の節約のためにいろいろな努力を企業を中心にして行われたわけでございますが、最近はそういう節約の努力が随分緩んできて、石油の使用量が上がってきているという点がございます。そういう点から考えましても、負担を石油税に求めるというのが最も望ましいというように私は考えております。
  60. 星野行男

    星野委員 ありがとうございました。  時間が短時間でございますので、次に阪中先生にお伺いをさせていただきます。  冷戦終結後の世界の動き、そしてまた、これからの世界平和あるいは世界秩序の構築につきまして、貴重な御意見をちょうだいいたしたわけでございますが、お話がございましたように、冷戦終結後、国際連合を中心に対話と協調による世界秩序と平和を構築する新しい時代を迎えたと私ども希望に満ちて受けとめたわけでありますが、昨年の八月二日、イラククウェート侵攻によるいわゆる中東危機、その後の中東戦争はその私どもの希望が非常に甘いものであったということを思い知らされた気がいたしております。  そういう点からそれぞれお話がございましたけれども、一つはこれからの世界秩序の枠組み、非常に見通しが難しい、こういうお話がございましたが、阪中先生の私見でよろしゅうございますが、もう少し敷衍していただけないものでありましょうか。それから、それについての我が国の対応につきましてもお触れいただければありがたいと存じます。  以上であります。
  61. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  世界秩序の形成につきましては、将来、しかとした見通しを語れる人は今いないのだろうと思います。ですが、先ほど私、冒頭申し上げさせていただきましたように、現在の既存のこの安全保障の機構を土台にして、それを新しい事態に対応するような形で平和と安定の構造を見つけていくというのが今の一般的な傾向であろうと私は存じます。  したがいまして、我々の日本について申し上げさせていただきますならば、日米安保体制というものは、これにかわる安全保障のシステムは現在ございません。ですから、このシステムを大事にして次の時代へとつないでいくことが大事ではないかと私は存じます。簡単ですが……。
  62. 星野行男

    星野委員 ありがとうございました。  次に、佐藤先生にお伺いをさせていただきます。  大変格調高いお話をちょうだいいたしたわけでありますが、特に憲法論におきまして、我が国の憲法第九条、これは個別的自衛権。そして集団的自衛権については、これは一応憲法の考えている範囲でありましょうが、国連を中心とした世界秩序と平和を守るための武力行使、これについては何ら規定がない、言うなれば欠陥状況にある、こういうお話があったわけでございます。私も実は一憲法学徒といたしましてそのような気がいたすわけでございます。御案内のように、国際紛争を解決する手段として国権の発動たる戦争武力による威嚇あるいは武力の行使はこれを永久に放棄をする。我が国のこの憲法制定時におきまして、太平洋戦争で三百万人という大きな犠牲を払い、そして国内、海外において営々として築いた資産を失った、その戦争の惨禍の経験に立ちまして我が国はいわゆるそういう紛争解決のための戦争等はしない。その紛争は、我が国と他の国との紛争解決、こういうことだろうと思うのでありますが、今の第三の概念にあります国連を中心に世界の平和と秩序を維持していこうということについては我が国の憲法は何ら触れていない、そんなふうに思うわけでありますけれども、この憲法につきまして、今後の我が国の対応について先生のお考え方をもう少し踏み込んでお聞かせいただければありがたいと思います。
  63. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  現在の憲法の第九条の一項は、ほとんどそのまま一九二八年の不戦条約、ケロッグ・ブリアン・パクトの文章です。そのケロッグ・ブリアン・パクトの解釈、不戦条約の解釈というのは、これは個別的及び集団的自衛権を否定するものでないというのが解釈であります。ですから、日本国憲法の九条一項はそういうふうに解釈するのが国際的に確立されている解釈であると私は思います。先生御指摘のとおりであります。事実、サンフランシスコ講和条約のときに、その第五条で、その当時まだ日本国連に入っておりませんでしたけれども、日本と戦った連合国は日本の独立を認めるときに、日本が個別的及び集団的自衛権を持っていることを認めるということを明記しております、サンフランシスコ講和条約の第五条で。ですから、日本が個別的及び集団的自衛権を持っておるというのは当然のことであります。  この点でいいますと、私は、従来の政府国会における憲法解釈答弁は間違っておると思っております。というのは、個別的及び集団的自衛権はある、あるけれども、憲法の精神に従って、集団的自衛権の行使は違憲であるというのが政府のこれまでの態度でありますが、私は、行使できない権利があるというのは形容矛盾だというふうに思います。憲法のどこに集団的自衛権が行使できないと書いてあるのか。何もそんなものは書いてありません。ですから、政府は勇断を持ってまずその解釈を変えるべきだというふうに思います。  それから、侵略戦争をしない、これは当たり前の話であります。憲法第九条一項はそう言っているのですね。第二項は、その前項の目的を達成するためにこういう戦力を持たないと言っているので、侵略のための戦力を持たないと言っておるわけですから、そのとおりで、それでよろしいわけです。  それで、集団安全保障、国連を中心として国際的に侵略を阻止する行動日本が参加すべきかどうか。私は、これは憲法に参加すべきであるとも参加すべきでないとも明示はしておりませんが、しかし、憲法の前文のあの精神を読み、そして、後の国際条約を遵守しろということを考えれば、それは日本が参加するのが当然だ。それこそが合憲の行為であって、参加しないのがむしろ憲法の基本精神に違反する態度である、私は、日本国政府はそういう毅然たる態度をとるべきであると心から考えております。
  64. 星野行男

    星野委員 ありがとうございました。以上で終わります。
  65. 近藤鉄雄

    ○近藤(鉄)委員長代理 次に、戸田菊雄君。
  66. 戸田菊雄

    ○戸田委員 まず館先生に質問してまいりたいと思いますが、第一点は、先生、金融財政の専門家でございまして、今回の湾岸戦争に対する戦費として九十億ドル、これを支援金として拠出しよう、こういう考えが政府の考えであります。これは、憲法、財政法からいって違反、違法、私はそういう考えを持っているのでありまするが、この点はどうでございましょう。
  67. 館龍一郎

    ○館公述人 お答え申し上げます。  私は財政金融を専門といたしておりますが、法律は私の本当の意味での専門でございませんので、法律論の細部にわたって確信を持ってお答えできません。お答えすることはかえって間違ったあれをお与えすることになりはしないかと恐れますので、控えさせていただきたいと思います。     〔近藤(鉄)委員長代理退席、委員長着席〕
  68. 戸田菊雄

    ○戸田委員 それじゃ視角を変えまして。  主として公債関係についていろいろとお述べになりました。確かに、大蔵省の中期財政計画、これを見ますと、今後の国債依存度、これは五%程度に持っていこう、こういうことでおるようであります。しかし、現在発行残高が約百六十八兆円になる、こういう状況でございますね。そしてなおかつ、その利子、これは十一兆円を超しますね。当初、四十一年に公債発行に踏み切ったときに、歯どめ論というのがいろいろと問題になりました。それでいろいろと論争したのでありますが、そのときに、必ずこれはかつての戦費調達と同じように、麻薬患者が廃人になるまで続けなければいけない、こういう論理を僕は展開したのですが、大体そういうことで、累積、相当高額なものになってきているわけですね。殊に特例公債、昨年はそれから脱却したということで、この点は私も評価をしておるのでありますが、そういう点を考えていきますると、十一兆円の利子払い、これの八〇%はいわゆるシンジケート団、法人に還元されておるのですね、銀行とか市中銀行その他多いのでありまするが。そういうことで結局、従前は分離課税三五%、配当・利子、そういうことで来たのでありますが、二年前に政府の改正案でいわば税率緩和、これをとったときに、五〇%、四〇%、三〇%、二〇%、一〇%と五段階にしておりますね。そのときに、従前のマル優、これは利子のあめ玉代として五%あれしておった。ところが片っ方の配当・利子関係は三五%分離課税。私たちは分離課税はやめなさい、こういうことは主張してきておったのでありまするが、そういうことになって結局二〇%分離課税、これに移行した。庶民の年金生活者その他の皆さんも従前五%の利子がついておったものを、全部なくして、そして一律に二〇%、こういう課税体制になった。非常に不合理な税制操作だと私は思うのです。ですから、これらの問題についてもう少し公平さを確保するために、直税を中心として総合課税方式、これを実行していくのが最も公平に近い道ではないだろうか、今後の財政調達について。そのように考えておりますが、先生の御見解、いかがでしょう。
  69. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  公債残高が非常な多額に依然として上っておるということは、先ほども申し上げた点でございますし、先生御指摘のとおりでございます。したがいまして、できるだけ国債残高を減らすべく公債依存度を下げていくというのがまず基本でなければならないというように考えております。  そこで、次の御質問は、そういう状態になっているところで、利子配当についての分離課税制度という形で税が一律課税になっているのは、総合課税の原則からいえば例外的であり、社会的な公正の観点からも問題を含んでいないか、こういう御指摘と理解するわけでございます。  確かにこれは総合課税の原則の例外になるわけでございますが、御承知のように、日本では総合課税といいながら実態においてはいろいろなところに特例措置が設けられて、総合課税とは違った形に実態がなってきておったわけでございます。そういう状況のもとで望ましい税制のあり方はどうであるかというように考えたときに、いろいろな政策目的が絡んでくるわけでございまして、一方で日本世界の金融の中心国としてその地位を確立していくということが全体としての日本の発展に望ましいという、そういう観点も問題を考えていくときの一つの観点となり得るわけでございます。  利子配当につきましては、一方で特別な優遇措置を廃止するということ等々の絡みから、むしろこの際一本化して分離課税にしていく、しかし今先生御指摘のような問題については、そのほかの所得税等の中で、あるいは支出の面で十分に考慮していきたい、そういう考え方に立ってこの政策に改めたというように私は理解しておりますので、そのほかの面がちゃんと充実されないとそれは問題になってくるというように考えております。
  70. 戸田菊雄

    ○戸田委員 それからもう一点ですが、今回の湾岸戦争支援金として、それは結局税収、増税、これによって賄っていこう。いわゆる石油税を二倍ですね、それで法人税が三・二%引き上げ、それにたばこ税、こういうことで増税で賄おう、こういうことでありまするが、これをやられますとやはり、殊に日本の生活は今石油の上の生活でございまするから、そういうことになりますると非常に国民生活、消費、こういった問題に対して多くの影響が出てくると思うのです。ですから、この間ここで大蔵大臣にも、そういう増税方式ではなくて別な方式で、節約、削減等々、殊に防衛費等を削減をいたしまして、そして調達をすべきじゃないか。もっとも使用については私たちはあくまでも難民救済あるいは戦後復興あるいは原油流出に対する公害防止等々にそれは向けるべきじゃないか、こういうことで考えておるわけですが、そういった方式の財源調達を私はやるべきじゃないかと思うのですが、その辺の見解はどうでしょう。
  71. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  この金額全体、先ほどのような形で財源調達が行われたとき、それが国民経済全体に与える影響は、日本経済は何と申しましても規模が非常に大きくなりましたので、したがいまして、この程度の増税が、これを仮に全部増税としても、それの国民経済に与える影響はそれほど大きくないというように私は理解しております。それが第一点でございます。  それでは、その財源を賄っていく方法としては、いろいろの方法があるのではないか。その中で、私先ほど公述の際に申し上げましたように、私は石油を第一とするということを申し上げました。それは、何と申しましても石油の節約を求め、公害防止に役立てる、それから国民にその石油を節約しなければならないという意識を強く持ってもらいたいということからそういうことを申し上げたわけでございます。しかし、この金額を専ら石油税のみによって調達することができないということであれば、先生御指摘のような支出の削減というような方法も同時に考慮せざるを得ないということになってくると思います。既に非常に厳しい査定を行って余り余裕のない財政が組まれておりますから、削減する余地はそれほど多くないというように思いますが、しかし事柄が事柄でございますから、二番目に歳出の一部削減を、先生のような財源をある程度中に含めながら考えていくというのが一つの方法であろうというように私は考えております。
  72. 戸田菊雄

    ○戸田委員 これは阪中先生と佐藤先生に。  いろいろと著書があるものですから私も読ませていただきました。全部調べたのですが、大体論調はわかるのであります。しかし、今阪中先生が自衛隊並びに自衛隊輸送機、この派遣については全く賛成であるということで憲法の前文を引用されましてお話しになられたのですが、それと同列に、憲法の第九条ですね、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」いわゆる世界的にも日本憲法というものは特殊的だ。この九条があるからなんですね。これに抵触しませんでしょうか。  それからもう一つ。国連の紛争解決の基本は、平和的手段による解決が根本だ。憲章四十一条、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、運輸通信手段の全部または外交関係の断絶等を最大行使することが必要である。それをやっても事態解決に至らない場合は憲章四十二条で武力行使もやむを得ない、こういうことになっているんですね。今回、クウェート侵攻以来イラクに対して十二の決議がありますが、十一の決議はそれぞれ平和条項として、平和的解決としていろいろ打ち出しをしてきた。六百六十号、まずイラククウェートから無条件撤退をしなさい、それで以下経済封鎖その他、こうやってきた。私は、こういった四十一条に照らしてみてまだ不十分さがあったんじゃないか、五カ月もかけて慎重にというおっしゃられ方をしましたが、私はやはり国連憲章の基本、平和的解決、それが根本ですから、そこをやはり追求していくべきじゃないか。殊に国連も第一、二次大戦を経てその反省の上に立って、人殺しその他殺りく的なものはもうやるまいということで国連憲章ができたわけですから、そういう面からいって、今戦われている多国籍軍、だから四十二条、この発動という場合でも、それはあくまでも国連の平和維持軍なんだ。平和維持軍、これでなければ国連はやれないのですから。それを八月二日に侵攻した、撤退要請をする、直ちに十二日には、既にアメリカ軍が十万以上の兵隊をあそこに送った。これはサウジの油を守るためだ、イスラエルを守るためだ、こういうことですね。だからもう出動ありき、戦争ありきでやってきておることは間違いないのですね。ですから、この国連憲章に私は非常に違反していると思うのですが、それが多国籍軍の実態だと思うんです。  それからもう一つは、新秩序アメリカが考えておる、こう言うんでありまするが、この新秩序についてはやはり、戦後処理として安全保障、いわば同盟軍、これを結集するということでしょう。  そしてもう一つは、いわば今まで大体あの中東一帯の油を、アメリカがメジャー五社行っているわけですが、それからイギリスが一社、それで八割を制しているんですよね、八割。だから、そういう油の利権擁護、こういうことで行っていることも間違いないのですね。だから、そういう状況を考えますと、やはり私たちは今のアメリカ軍武力行使、そして統合司令部をつくって、実質は国連の主導じゃなくてアメリカ主導でやられているんですからね、実際の戦争は。  だから、そういう点からいけば、いかなる状態にあっても、しかし、日本国連に加盟するとき、日本憲法の平和原則、これを原則として国連に加盟しているんです。そして国連の運用については、当該各国の民族自決権というのはこれは尊重する、こういうことになっているんですから、日本憲法は明らかに戦争放棄、武力放棄、こういうことなんですから、そういう点からいって、自衛隊輸送機ないし自衛隊の派遣、それから戦費である九十億ドルのこの支出、こういったことはまさしく憲法その他各法に違反するものだ、こういうふうに考えておりますが、もう一度ひとつその辺の新秩序構想と、それから国連関係日本の九条の関係、これについて見解をお伺いしたいと思います。
  73. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  第一点の自衛隊の派遣がこの九条に違反するのではないかという御指摘でございますが、私はそういうことはない、合憲であると思います。なぜならば、これは派兵、作戦行動軍事行動あるいは軍事的なプレゼンス、そういうものを目的としたものでは全くございません。これは先ほど冒頭申し上げましたように、人道的な措置であります。そして、これは軍事行動を何ら伴わないものでございます。  それから、さらにつけ加えさしていただきますならば、国際的な秩序維持は、先ほど私申し上げましたけれども、一国だけの努力ではできないわけでございまして、これは国際的な協力が必要であるということは、私はおわかりいただけるのではないかと思います。  そういう観点から申しますと、人道的な避難民の救済に自衛隊機を出すことが憲法違反であるという説には私は賛成いたしかねます。  それから二番目の問題でございますけれども、国際連合の行動国際連合の憲章に定めてある行動に主としてアメリカが違反しておるのではないかという御指摘でございますけれども、国連決議の経過をごらんいただきますならば、国連決議は当初イラククウェート侵攻国際秩序に対する重大な障害として指摘し、その後に経済封鎖を行い、航空封鎖を行い、そして六七八による武力行使を認めたわけでございまして、このアメリカの扱い方、アメリカ湾岸に対する姿勢並びに国際連合の湾岸問題に対する姿勢は、私は極めて段階的な手順を踏んだものであって、何らそこに疑念を差し挟む余地は私はないのではないかと思います。  それから、第三点目でございます。  国際秩序を冷戦時代の秩序を基礎にして維持するのはアメリカ主導の世界を認めるのではないかという御意見でございますけれども、力と意思を持っている国が国際秩序の維持に当たらなければ国際秩序は崩れてしまいます。我々は、遠いところ、つまり中東で起こっております事態だから割に、比較的にこの起こっている事態に安穏としておられますけれども、もしも我々の近くでこういうことが起こった場合に、秩序の回復をする国がなければどういうことになるのでございましょうか。私は、先生の御指摘でございますけれども、国際社会においても秩序というものは依然として必要である、この秩序維持のためにはそれを支える軍事力というものが依然として重要であるというふうに思っております。
  74. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  まず最初に、憲法九条の解釈でございますが、先生は国権の発動たる戦争が否定されておるとおっしゃいました。確かに憲法九条一項にはそういう文章がございます。ただし、この戦争とは国際法上の概念であって、国際法上の概念である戦争は単なる戦闘行為ではありません。戦争と戦闘行為とは同じものではありません。戦闘行為が全く行われなくても戦争状態になることがあります。例えば第二次世界大戦の末期にラテンアメリカの幾つかの国が日本に宣戦布告をいたしました。しかし実際は戦闘行為はゼロです。しかし、あれは戦争状態に入っているのです。つまり戦争状態というのは一定の手続、多くの場合宣戦布告ですが、に基づいて国交が断絶され、そしてある一定の手続、多くの場合講和会議ですが、に基づいて国交が回復される、その間の過程のことを戦争と言うのであります。これが国際法上の解釈です。国権の発動としての戦争というのはそういう特殊な武力行使でありまして、これは、国際紛争解決の手段としての武力による威嚇ないし武力行使と同じ意味であります。そして既に申し上げましたように、一九二八年の不戦条約のときに同じ文章が不戦条約に入っております。日本国憲法と全く同じ文章が入っております。日本国憲法はそれほど世界にユニークなものではありません。一九二八年以来、既にそれは国際法世界において確立されている原則なのであります。現に第二次世界大戦の後、イタリアの憲法にもちゃんと日本国憲法第九条一項と極めて似た文章が入っております。それから国連憲章第二条も日本国憲法の文章と非常によく似ております。ですから、国連加盟国はすべて日本国憲法と似たような制約、条件のもとにあるのだとお考えいただいていい。日本だけが特別な制約、条件にあるわけではないのだというふうにまず考えるべきだと思います。  その不戦条約のときに、アメリカの上院でこの批准が問題になりました。そして、アメリカ政府は、政府の公文を発表いたしまして、この不戦条約の文章は、これは憲法九条一項とほとんど同じですが、アメリカ自衛権をいささかも侵害するものでないという公文を発表したのです。その公文は広く国際社会に受け入れられております。これは一九二八年の話であります。それ以来の確立された解釈でありまして、日本国憲法は何か世界に特別な、特別に厳しい制約を課しているというがごとき解釈は、率直に申し上げて国際法についての無知からに由来するものであると私は考えます。  ですから私は、あえて言葉を強く申し上げますが、自衛隊機の派遣は、これは戦闘行為ではありません。武力行使ではございません。そうですから、もちろんこれはもう憲法違反でないことは当たり前ですが、仮に武力行使であっても憲法違反でないと私は思っております。つまり、湾岸戦争というのはあれは戦争ではなくて、侵略を阻止するための国際的な努力でありまして、それに参加することは、憲法が禁止している国際紛争解決の手段としての武力行使、つまり侵略のための武力行使でないからです。もちろん、現在の日本政府はまだそこまで、さまざまな政治的配慮からそういう解釈をしておりませんが、私は素直に解釈して、それでさえも憲法違反でないと考えておりますので、まして輸送機を人道的目的のために派遣することが憲法違反であるなどというのは、私には率直に申し上げて理解いたしかねます。  それから第二に、国連というのは平和解決を第一義的にする、もちろんおっしゃるとおりであります。しかし、国連の基本的精神というのは、各国が、各主権国家が独自の判断戦争行為に訴えるということはできるだけやめよう、武力行使をすることはできるだけ避けようじゃないか、やっぱり何かどうしても必要なときには国連がそれにかわって集団的安全保障をとるんだ。その意味では国連のエッセンスは安全保障理事会にあります。国連とは安全保障理事会であると言っても言い過ぎでないぐらいにあれがエッセンスである。つまり、集団的に世界の安全を維持する組織であります。世界の安全を維持するためには、もちろん平和的な解決が望ましいに決まっていますが、そうも言っていられないときには武力行使をするというのが国連の基本精神であります。国連は必要なときには戦う組織であるというのが国連の基本的な考え方であるというのが私の理解でございます。ですから、今回のイラクに対する制裁国連の基本的精神に合致したものであると私は考えます。  第三番目に、イラクに対する、湾岸におけるアメリカの兵力の展開でございますが、確かに極めて迅速に、かなり大規模な兵力を展開いたしました。しかし、アメリカが極めて迅速にかつかなりの規模の兵力を展開しなければ、先生がおっしゃるような平和的手段によるイラクに対する制裁、もっと具体的に言えば経済制裁さえも決して実現されなかったでありましょう。もしアメリカの軍事力の展開なしに、サウジアラビアやトルコが自分の領土の下を走っているイラクのパイプラインを閉めたら、トルコやサウジアラビアはイラクによって攻撃される危険に直面します。そんな危険を冒してまでトルコやサウジアラビアがパイプラインを閉めたでしょうか。私は考えられないと思います。パイプラインを閉めなければ経済制裁などは実際は無内容であります。経済制裁を実際に実効あらしめるためには、アメリカが遅滞なく大規模な兵力をあそこに展開することが必要であったのでありまして、私は、平和的解決を願う人々は、アメリカがあれだけの犠牲を払ってあれだけ大量の軍隊を極めて敏速に派遣したことに感謝する必要がある。私は、日本国会アメリカに対して感謝する決議をしてもいいぐらいであると考えております。
  75. 戸田菊雄

    ○戸田委員 あと一分ですから、ごく簡単にノー、イエスをひとつお答え願いたい。  両先生、阪中先生と佐藤先生、今の論調は、憲法改正しなくてもできると思いますか、それとも憲法改正しますか、どっちです。
  76. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は、憲法改正しなくてもできると思います。
  77. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 私も憲法改正しなくてもできると思います。ただし、今の憲法の文章は非常にあいまいでありますし、日本語として十分美しくないので改正した方が望ましいと思いますが、現行憲法を改正しなくても十分可能であります。
  78. 戸田菊雄

    ○戸田委員 終わります。ありがとうございました。
  79. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、草川昭三君。
  80. 草川昭三

    ○草川委員 三人の諸先生の御高説、大変ありがとうございました。公明党国民会議の草川でございます。  まず最初に、館先生にお伺いをしたいわけであります。  先ほど先生は、平成三年度の予算は歳出増をよく抑えて、評価をする、こういう御趣旨のお話がございました。そこで、ただいまほかの先生からも御質問があったやに思うわけでございますが、日米構造協議で、十年間にわたって四百三十兆というものを消化をするということになります。それはどのような歳入歳出になるか、まだ先の話ではございますけれども、当然建設国債等にも依拠する点があると思うわけでございます。建設国債は余裕を持って発行すべきではないだろうかという御趣旨のお話でございましたが、その点、どのようなお考えか、まずお伺いをしたいと思います。
  81. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  今先生御指摘のように、公共投資をふやしていくことを約束しているわけでございます。しかし、それにつきましては公共事業計画を策定しておりまして、それに従って着実に実行していけば、経済は絶えず成長しつつあるわけでございますから、十分対応可能であるというように考えております。
  82. 草川昭三

    ○草川委員 では、次の質問でございますが、今この国会議論になっておりますいわゆる九十億ドル、湾岸地域における平和回復活動の、いわゆる米国関係諸国に対する支援でございますが、いわゆるTBというのですか、臨時的な短期国債を発行する、一兆一千七百億円ということになるわけでございますが、この日本国内経済に及ぼす影響というのでしょうか、金融上、これをどのように消化することができるのか、問題点はどうか、こういうことについての質問でございますが、よろしくお願いを申し上げます。
  83. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  さしあたり公債を発行して、増税等の対策がなされた後に、それによって償還していくという、そういう考え方でございまして、本来であれば年度内に税収を上げ、それによって償還していくということになれば、資金繰り債の発行で足りるわけでございます。ただ、金額が多いために、これを二年に分けて償還するということになりますと、通常の資金繰り債では不可能だということで、TBの発行ということでございます。そのときの基本的な考え方は、一時的な歳出についてはそういう一時的な措置対応していく、本来なら年度内の、本来の意味でのTBの発行で賄っていくというのが望ましいというように考えられるわけですが、その措置に時間を要するということから今回のような提案がなされているというように理解いたします。  それの金融市場に与える影響について申しますと、現在の日本の市場の規模から申しまして、この程度の公債の消化に困難を来すということはないというように思っております。むしろ最近は、公債の発行額を徐々に抑えてきたので、一部には証券市場の活性化のためにはもう少し公債を発行すべきであるという意見さえ聞かれるという状態でございますので、これが日本経済に著しい影響を与える、あるいは証券市場がそれによって困難を感ずるということはないというように考えております。
  84. 草川昭三

    ○草川委員 もう一問でございますけれども、この湾岸戦争の及ぼす経済的な影響というのは我が国だけではなくて、もちろんアメリカにもあるわけであります。アメリカの金融状況というのはかなり問題が出ておるようでございまして、過日も米国の議会に対日金融の自由化問題という法案が提出をされているわけでございますが、日本の円の国際的な役割というのは非常に重要になってくるというのが先生の「金融再編成の視点」の中に相当大きなスペースで書かれておるわけでございまして、これは先生の六〇年代の著書でございますし、我々も大変参考にさせていただいておるわけでございます。円の国際化というのはもろ刃の剣になるのではないかというような御趣旨の御提言もあるわけでございますが、円の国際的な役割、しかもこのような中東紛争の中での問題点というのはどうなっていくのか、見通しについてお願いをしたいと思います。
  85. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  日本が積極的に円の国際化のための特別な措置を講じなくても、現在の日本世界全体の中に占める地位から申しますと、自然に円は国際化していく、これは避け得ないというように考えております。  ただ、その場合、国際化ということは、ちょうどドルが世界の中のキーカレンシーとなっているために一方でいろいろな意味での負担を負わなくてはならない、なかなか思うように国内的な観点からだけで金融政策をとっていくことができなくなっている。同じような負担を、日本の円が国際化するにつれて負わなければならなくなってくる面があるというように考えております。  当面は、依然としてアメリカのリーダーシップのもとに事が行われておりますし、ごく最近予想されるように、もしこの戦争がそう長期にわたらないで終わるということであれば、アメリカ経済の受けるダメージは少なくて済むと思いますが、しかし、これを契機にますます日本の相対的地位は上がっていって、自然に円の国際化というのは進んでくるだろうと思います。したがって、それに対応して世界の期待も大きくなってまいりますから、それに対応できるようなマーケットのシステムの構成に努力していくという必要はあろうかと思っております。
  86. 草川昭三

    ○草川委員 ありがとうございました。  では、続いて阪中先生にお伺いをいたします。  先生は先ほど安全保障という視点から問題提起をされておられるわけでございますが、先生は昨年「世界週報」等にも、東西の軍事ブロックの問題について、これはいずれは政治同盟化をするのではないだろうかということで、特に欧州の問題を中心に書かれているわけでございます。将来この中東、例えばこの湾岸紛争が一定の結末がついたということを前提にしての質問になりますが、将来の中東における安全保障あるいはまた軍備管理というものをどのようにしたらいいのか、お考えをお願いをしたい、こう思うのであります。
  87. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  中東は御承知のとおりモザイク模様のような地域でございます。アラブ諸国の中にも対立がございますし、アラブとイスラエルの関係もございますし、さらにアラブの中の急進派あるいは穏健派という対立もございますから、なかなかこの湾岸戦争以降の事態をどう収拾するかというのは、私は見定めが非常に難しいだろうと思います。  ただ、今度の湾岸戦争で我々考えなければならない点は、イラクが使用しております武器はソビエト、フランスが提供したものがほとんどと言われております。つまり、地域的な軍備管理は当然のことながら必要でございますけれども、あの地域に平和と安定をもたらすために先進工業国がそういう武器を提供しない、そういった枠組みをつくるのが非常に私は大事ではないかと思います。特に湾岸問題につきましては、これ以降多分核兵器の拡散、化学兵器の拡散、それから高度兵器、中でも長射程のミサイルの拡散という問題が私は今後起こってくる可能性があろうと思います。そういった技術の提供というのは主として先進工業国から行われるわけでございます。ですから、湾岸地域諸国の軍備管理への努力と同時に、これを取り巻く先進工業国が武器の供与をしない、そして、しかもあの地域に安定的な軍備管理のレジームができるように手助けをしていくということが私は大事ではないだろうかと思います。
  88. 草川昭三

    ○草川委員 大変恐縮ですが、もう一問。  今お話があったわけでありますけれども、ドイツとイスラエルの関係を少しお伺いをしたいわけであります。  今、イスラエルの反撃を国際的にいろいろとブレーキをかけておるわけでありますが、その中におけるドイツの役割というのに大変我々関心を持っておるわけであります。ドイツは過去のイスラエルに対する、ユダヤに対する反省という意味もあっていろいろな配慮をしておるようでありますが、欧州における戦略的な安定のためにはドイツとイスラエルの関係というのは一体どういうふうに進んでいくのか、お示しをお願いしたい、こう思います。
  89. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  ドイツとイスラエルは歴史的な関係がございますので、ドイツがイスラエルに対してどういう政策をとっていくかということは、もちろんそういう歴史的な反省の上に私は立ったものであろうと思います。それと同時に、ドイツの行動を規制いたしますのは、単にドイツの政策だけではなくてNATO、北大西洋条約機構という枠組みの中でイスラエルに対する姿勢が私は決まってくるのだろうと存じます。したがいまして、中東に対する問題は、二国間の関係の改善あるいは関係の安定化という問題と同時に、多国的な関係の安定化、改善という、そういう努力が並行して私は行われるのだろうと思います。したがいまして、この二国間だけで問題をとらえるのは私はいかがなものかと思います。
  90. 草川昭三

    ○草川委員 どうもありがとうございました。  では、最後に佐藤先生に、時間のあるだけで結構でございますからお答え願いたいと思うのです。  佐藤先生は「自民党政権」という大変高名な本を書かれまして話題を呼んでおるわけでございますが、この中に野党の立法活動についての記述があるわけであります。私どもも責任政党として、特にこういう国際紛争の中での役割についてはいろいろな問題提起をしなけりゃいけないという立場で、いろいろと今回も苦悩の中から選択をしておるところでございますが、先生のお立場から、一体今後の野党の政策要求というものはどうあるべきか、御指針を賜れれば幸いだと思います。
  91. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  私は、ぜひ自民党よりももっとよくてもっと現実性のある政策を出していただきたい。そうすることが自民党に対するいい刺激にもなる。そのために絶対必要なことは、私は、目先の選挙のことなどに余りこだわらずに、日本としてやらなければいけないことをぜひやっていただきたい。公明党に特にその点をお願いしたいと思います。
  92. 草川昭三

    ○草川委員 ありがとうございました。
  93. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、三浦久君。
  94. 三浦久

    三浦委員 三人の先生方、貴重な御意見を賜りましてどうもありがとうございました。  まず最初に、佐藤先生にお尋ねいたしたいと思います。  この湾岸危機の解決の方法なんですけれども、これは平和的な解決というのはもう絶対に考えられないものなのか。もうイラクが降伏するまで武力行使をやる、それしか道がないというふうにお考えなのか。  というのは、あの六百六十号決議がありまして、このときにはクウェートからのイラクの撤退、クウェートの主権の回復とか、そういうことが決議されましたね。これはもう当然なことだと思います。しかし、その後六百六十一号以降は、六七八に至るまでの間ですけれども、ずっと国連決議したことというのは主として経済制裁の強化に関する決議だったと思います。ですから、そういう経済制裁をぐっと強化することによって解決をする方法はなかったのかどうか。あの元アメリカの大統領補佐官であるブレジンスキーさんも、アメリカ戦争を急ぎ過ぎたというようなことまで言われておられますので、もう戦争、それしかないのかどうか、今の先生の御認識を承りたいと思います。
  95. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  これは段階によって違うと思います。私は、私自身も最後の段階にはサダム・フセインも理性を持っていれば引き揚げるであろうというふうに、実はことしの一月の九日まで考えておりました。つまり、アジズ・ベーカー会談が行われるまで。あれが御存じのような経過で失敗したときに、私はもう事態は絶望的であると思いました。  つまり、戦争になるかならないかというのは相手があることでありまして、繰り返し申し上げますけれども、サダム・フセイン大統領はいまだかつて一度も、今回初めてイラク革命評議会が、いろいろ条件をつけてはいますけれども、クウェートからの撤退ということを口にしましたけれども、これは激しい戦闘があってから後の話であります。それまでの間は、ただの一言もクウェートから撤退するということは言ったことがないのであります。国連も隠忍自重を重ねた上で、最後に十一月の末になって、期限を切らなければもうだめだというので期限を切って、その間に撤退しろ、十分な時間があったわけですね。  その時間の間にサダム・フセインは何をしたか。現在既に明らかなことは、シェルターを強化し陣地を築く、つまり国際社会が隠忍自重をしている間に、戦争がよりひどくなるような状態をサダム・フセインはつくったわけです。国際社会は隠忍自重をすることによって、戦争が始まった場合、より大きな犠牲を払わなければならないようなことを、コストをあえて犠牲にしてまで我慢をしたのだというのが実態であろうというふうに私は思います。
  96. 三浦久

    三浦委員 じゃ、次に阪中先生にお尋ねいたしたいと思います。  今もちょっと佐藤先生の方からお話がありましたけれども、二月の十五日にイラクが、さまざまな不当な条件はつけながらもクウェートからの撤退の意思を表明いたしました。これが停戦につながるというふうには、それはちょっと即断はできない問題だと思います。しかし、地上戦闘に突入したら、これはもう大変な問題になると思うのですね。毒ガスが使われるかもしれない、ひょっとすると核兵器が使われるかもしれない、そういうような状態が出てくるわけで、やはり今我々国際社会は、イラクがもう参った、屈服すると言うまで戦争を継続していくのか、それともこのチャンスに局面を平和的な解決の方向に転換をさせていくのか、そういう岐路に立たされているのじゃないかというふうに私は考えるわけであります。  その意味で、一月十四日に安保理事会の非公式会議でございますけれども、フランスの提案がなされましたね。しかし、三分の二以上の国の賛成がありましたけれども、アメリカ、イギリス等の反対でこれは採択されませんでした。しかし私は今でも、このフランスのあのときの提案というのはこの湾岸戦争の平和的な解決の基礎になる、そういう極めて貴重なものではないかというふうに思っているわけであります。  私どもの党としては、そういう意味で二月の十五日、あのイラクの緊急声明が出るちょうど三、四時間ぐらい前だったのですけれども、常任理事国の十五の国と、それから国連の事務総長、さらにアラブ諸国、これに対して要請をいたしました。その内容は、一つは、まずイラククウェートから完全に撤退をする、それを実現するということですね。ただ実現するということだけではなくて、第二段階として、パレスチナ問題を含む中東和平の国際的な会議を開きなさい、段階的にですね、リンケージじゃなくて段階的にです。関連諸国がそういう内容の政治的な合意を形成するように努力をするべきだ、そういう要請をいたしたわけであります。  私は、こういう方向でやはり日本の海部内閣も政治的な努力、外交的な努力をするべきだ、今この時期にですね。そういうふうに思っているのですが、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  97. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  もちろん、あらゆる場合に平和努力への展望を失ってはならないというのは御指摘のとおりだと思います。私、冒頭申し上げさせていただきましたように、もともとこの行動、多国籍軍行動国際社会における一種の警察行動でございます。警察行動は、当然のことながら明白な目的とそれを達成する手段との間にある種の均衡関係が私は必要だと存じます。そういう意味で、話し合いあるいは和平への展望を持ちながら話し合いを進めるということは、私は重要なことであろうと思います。  ただし、今御指摘になりましたように、現在が話し合いの時期であるのかどうかということに関しましては、我々は情報を持っておりません。軍事行動がいかなる目的で、地上戦をやるとしましたらどういう目標を掲げて地上戦をやるのかという、そしてまたそういう条件が、どういうわけで地上戦というものを切迫した問題としてアメリカが考えているのかということに関しまして、我々の情報は限られているわけでございます。ですから、今起こっている事態に関しましては、我々はやはり秩序の回復、基本的な問題は冷戦後の新しい秩序への第一歩、そしてまた、イラクによりまして行われました既存の秩序の破壊というところが今問題なのであって、この既存秩序の回復ということが私は前提になるべき問題だと思います。  それから、もう一点つけ加えさせていただきますけれども、イスラエルの問題は、アラブ諸国におきましてイスラエルの正統性といいますか、イスラエルの存在を認めれば随分と話し合いは私は進展するんだろうと思います。しかし、アラブ世界においてイスラエルの存在は依然として認められないままに私は推移していると思います。ですから話し合いは、話し合いという言葉は非常に美しく、そしてまた甘く聞こえますけれども、では実際にそれを打開できるような条件があるのかどうかになりますと、私は非常に疑わしいと思っております。
  98. 三浦久

    三浦委員 それでは、湾岸戦争に対する日本政府の協力の問題について、佐藤先生にお願いいたします。  湾岸戦争、多国籍軍、先生のお言葉をかりると連合軍に対する財政支援の問題、それから自衛隊機の派遣の問題についての先生のお考えはよくわかりました。了解したという意味じゃなくて、先生の御主張はよくわかりました。ただ、国民は全部がそう思っていないと思うのですね。  朝日新聞が二月の二日、三日の電話調査の結果を発表いたしております。この朝日新聞によりますと、自衛隊機の派遣は五五%が反対だったということであります。それから、九十億ドル支援については賛成が三九%、そして反対がそれより多い四四%でございます。大きな見出しでこう出ております。あと、憲法問題の評価を交えた設問があります。「自衛隊機の派遣や多国籍軍への資金援助は、憲法の理念や精神に反していると思いますか。むしろ、憲法の理念や精神を生かすものだと思いますか。」こういう設問です。これに対して、憲法の理念や精神に「反している」と答えた方が五〇%、「生かすもの」と答えた方が一七%、「その他・答えない」というのが三三%ですね。ですから、圧倒的に反しているというふうに考えている国民の皆さんが多いということでございます。それから、「湾岸戦争に対する海部首相の対応を支持しますか。支持しませんか。」こういう問いに対しては、「支持する」が二九%で、「支持しない」は、相当多いですよ、五一%ですね。こういう世論調査の結果について、先生方はどういうようにお考えなのか、お尋ねいたしたいというふうに思います。
  99. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 民主政治というのは世論を基礎にした政治です。つまり、有権者の意思が最終的に政府の政策の方向と政権の担当者を決めるのが民主政治の原則であります。  それでは、その有権者の意思というのは何ではかるか。民主政治、我が国の議会制民主主義の大原則は選挙を通じて有権者の意思があらわれるというのがその精神であります。国会国民代表であるというのはそういう意味であります。民主政治である以上世論が大切だ、当然であります。ただし、その世論というのは政治指導者が、国民代表である皆さん方が、今何が問題であり、日本は何をしなければならないかということを繰り返し繰り返し国会の場その他で十分討論をし、それが正確なマスメディアによって十分国民の皆さんに伝えられて、その上での世論でなければ世論とは言えません。その意味では、民主政治がよく動くためには、政治指導者のリーダーシップと世論とのインタラクション、相互交流は必要なのです。世論調査に従って政治を行うなら、国会など要りません。  それから、もう一つ申し上げますと、私も社会科学の方を多少勉強していますので世論調査をやったことがありますが、世論調査というのは正確にやるのは極めて大変です。まず、サンプリングの問題があります。どういう方法でやるか。電話調査というのは基本的に問題があります。第二番目に、どういう設問をどういう順序でやるかによって答えは変わってまいります。第三番目に、世論調査、パブリック・オピニオン・サーベイというのはパブリックリー・エクスプレスト・オピニオンを調査するんだという説があります。つまり、世の中にかぎ括弧つきの正しい答えという、こういうことを答えた方が、例えば朝日新聞が調査する場合にはこういうふうに答えた方がいいというような判断をして答える人も、世の中にはないとは言えないのです。  ですから、またもとへ返りますが、世論調査によって政治をやる、世論に基づく政治と世論調査による政治とは根本的に違います。
  100. 三浦久

    三浦委員 佐藤先生、もう一問。  昨年自衛隊の海外派遣、いわゆる国連平和協力法案というのが提案されました。これが廃案になりましたね。先生はそのとき、やはり公述人として国会にお見えになっていろいろ御発言をされていると思います。その中に、「この法案が成立しなかった場合の国際的なマイナス効果を強調したい」、そういう御発言がありました。それから、「日本国際的な非難の的となるでありましょう」、これが成立しなければ、そういう御発言もあったと思います。実際に廃案になった現在、どういう国から、またどういう国際機関からどのような非難が寄せられているのか、具体的にお教えいただけたらというふうに思います。
  101. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答えいたします。  さまざまな国の政府は、公式に日本国政府に抗議をするなどという非礼なことはいたしません。それは当然なことです。そして、日本はそれだけ重要な国でありますから、日本からの財政支援も必要でありますし、そういう非礼なことはいたしません。しかし、それは日本国際的に高い評価を得ているということを意味しません。国連平和協力法が廃案になったことによって、私は日本の評価が上がったということを、そういう評価をした外国人の友人に会ったことは一回もありません。そうではなくて、私は職業上、かなりしばしば外国に行き、非常に多くの外国の友人を持っておりますが、そのすべての人は、これで日本は発言権を失った、中東和平について発言権を失ったというのが共通の理解でございます。
  102. 三浦久

    三浦委員 終わります。
  103. 渡部恒三

    渡部委員長 次に、中野寛成君。
  104. 中野寛成

    中野委員 民社党の中野寛成でございます。きょうはありがとうございました。私で最後でございますので、よろしくお願いを申し上げます。  館先生にまずお伺いをいたします。  湾岸戦争日本経済の今後の見通しでございます。戦争が早く終わった場合、長引いた場合、フセイン大統領が健在の場合、失脚した場合、いろいろなケースが考えられると思いますが、しかし常識的にといいますか、こういう言い方は不謹慎なのかもしれませんけれども、現在の状況から申しまして、フセイン大統領健在のまま果たして戦争が終わるだろうか、また戦争がそんなに何カ月も何年も長引くだろうかというふうに考えますと、なかなかそれはないのではないか。むしろ二、三カ月以内に終わるであろうというふうに見るのが通常の考え方ではないかというふうに思います。  そういう前提で、その前提も乱暴ではありますが、一応前提を置かせていただきまして、その後、言うなら湾岸戦争後の復興活動が当然即座にとられることになりましょう。日本はある意味ではどの国よりも先駆けて、しかもどの国よりも多くその戦後復興に対する財政的支援の協力を求められるであろうと思います。これは財政支出、大変大きな財政支出を求められますし、それが日本経済にはマイナスに作用することもありましょう。しかし同時に、復興活動に協力することによって日本経済にプラスになる。例えば石油を確保するという意味でのプラスではなくて、いろいろな資材、復興のためにいろいろな経済活動が行われる、そのことがそのまま日本経済にプラスに働くということもあり得るのではないかと思います。プラス・マイナスあると思います。これがどのような形で影響をするであろうかということについて、お聞かせをいただければありがたいと思います。
  105. 館龍一郎

    ○館公述人 お答えいたします。  大変難しい予想の問題でございますので、大変難しいわけでございますが、戦争が短期に終わった場合に、直接的に世界経済が今度の事件によってこうむる影響はそれほど大きくはないという形で済むということになると思います。しかし、当然その後復興のために各国が協力していかなければならないということになります。  さらに、この戦争のために忘れられていますけれども、まだ発展過程の途上国は世界に多数あるわけでございまして、それらの国々も非常にこの間に大変な苦境に立っているわけでございまして、それらの国々に対しても、私は同じように、場合によれば、日本考え方、政策の方針のとり方によりますけれども、直接的な湾岸諸国以上にそれらの国々の累積債務問題等に日本がリーダーシップを発揮していくということが必要ではないかというように考えているわけでございまして、そのことから来る日本の負担は、当然相当の額に達すると思います。  しかし、今やアメリカ経済自身が、何といいましてもかつての力を持たないわけでございますから、アメリカにかわって日本がそういう意味でのリーダーシップを発揮していくということが強く期待されているんだと思うのですね。かつ、そうでなければ、いつまでたっても日本のリーダーシップというのは成立しないと思うのです。何といいましても、日本が今から何をやっても軍事大国になることはあり得ないわけです。私、自身はそれを望まないわけでございますけれども、仮にそういう方向を意図したとしても、軍事大国ににわかになり得るというわけではございません。日本が追求すべきは、経済の面において世界のリーダーシップをアメリカのかわりに果たしていくという役割を果たしていく、その方向を目指していくのが望ましいというように考えているわけでございますから、多少国民が犠牲を払ってでも、そういう援助のために貢献をしていく。それは同時に、はね返って日本の成長力をさらに高めていくことになるのではないか、そういうように期待しております。
  106. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。  次に、阪中先生にお伺いをいたします。  戦争は、始まったときにどういうふうな終わり方をするかを考えなければいけないと思います。国会をとめたときに、どういう起き上がり方をするかを先に考えておけという話もありますが、それをしないでとめるときもあるようでございますけれども、それは別にいたしまして、今この中東湾岸戦争につきまして、戦争の終わり方といいますか、戦争目的と言った方がいいのかもしれませんが、理想論と現実論があると思います。建前論と本音と言ってもいいのかもしれません。平和回復だ、恒久平和だ、そして人道問題だ、また国家の主権を守るのだ、いろいろ言われます。しかし一方では、イラクをやっつけて相対的にイランが強くなり過ぎても困るなとか、この戦争アメリカの石油メジャー産業のためにやっているようなものだとか、いろいろな言い方があります。そしてまた、これはイスラエルを守るためだとかいろいろと言います。  それぞれの一つ一つをピックアップして、だから日本は協力すべきではないという話もあります。私は、枝葉末節の話だと思いますし、論点をかえって間違えさせるもとになるだろうと思います。しかし、現実にアメリカが中東地域で主導権を握りたいという気持ちを持っていることに変わりはないと思います。これもまた現実だと思います。あわよくば、ソビエトも何とかあの地域で主導権を握りたいという気持ちがあるだろうと思います。もちろん、その中東諸国もそれぞれの思惑があると思います。  そういう中で、その現実を無視してこの事件を考えることはできませんし、現実を知らずして理想的な戦争の終わり方を図ることも不可能であろうと思います。その分析と今後のあるべき姿、それに対する日本のあり方を御指摘いただければと思います。
  107. 阪中友久

    ○阪中公述人 お答えさせていただきます。  大変難しい質問で、これは多分一日ぐらいかけてお答えしなきゃいけないことになろうかと思いますが、私は、この湾岸戦争本質イラククウェート侵攻による原状の変更が原因であろうと思います。ですから、最低限の達成しなければならない目的は、原状の回復でございます。  これがなぜ重要かということでございますけれども、一昨年以来起こっております国際秩序の地殻変動と言われるような変更の中で、もし武力によって原状変更を認める、そういう雰囲気が国際社会で一般化しますならば、紛争要因は至るところにあるわけでございます。どこを数えてみましても、第三世界の国々ではもう至るところに紛争の要因があるわけでございまして、もし武力による原状変更を是認する、あるいは黙認するという雰囲気がつくられますと、冷戦後と言われます新しい秩序の建設に私は大変大きな問題が生じるのだろうと思います。これが第一点でございます。  第二点は、ややその問題とも関係いたしますけれども、イラクの軍事力がやはりあの地域で大き過ぎる、しかも核拡散、化学兵器の拡散、そういう可能性を秘めているわけでございまして、それに対しては何がしかの予防的措置をとらなければならないというのは、私はアメリカの政策担当者の頭の中にある問題だと思います。したがいまして、それが決して、アメリカがあの地域に覇権を求めているとか、あるいはあの地域での影響力増大のためにそういうことをやっているといいますよりも、あの地域における戦争と平和の状態を考えますと、兵器の拡散、その可能性を持っておるということが私は非常に大きな問題であろうと思います。  したがいまして、三番目の問題になりますけれども、どのような形であの地域の平和が回復されるかという見通しは大変難しゅうございます。我々は、しかし朝鮮戦争を既に見ております。あそこでは明白な形での戦争の勝敗はつきませんでしたけれども、原状の回復というところで停戦が実現したわけでございます。まあどういうふうにそういう状況をつくり上げていくかということはアメリカの責任でございましょうけれども、私は非常にあの事態を重く考えるべきだ。それは冷戦後という事態に起こった事件である。それでこれをもし認める、あるいは是認する、あるいは容認するというようなことになりますと、これは本当に私は国際的な秩序、法と秩序というものが崩れてしまう、そういうふうに考えております。  ですから、結論といたしまして、どういう形で終結するのかといいますと、最低限のところは原状回復ということが私は条件になると思っております。
  108. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。  佐藤先生に最後にお伺いをいたします。  自衛隊輸送機の派遣問題、これを政府は政令、特例政令で決定をしているわけであります。これは議論をされました。私は、これは政令でできるかできないかという制度論争、そしてその中で、法制局長官判断が正しいとか正しくないとかという論争がこの国会で行われましたが、私はむしろそれよりも、それはそれで大事かもしれませんが、それよりももっと大切なのは国民の意識と政治論ではないか、政府の政治姿勢ではないかと思います。  例えば国際貢献を考えますときに、自衛隊輸送機よりもある意味では医者もしくは防衛医官の派遣の方が望まれているかもわかりません。こう考えますときに、しかしながら輸送機はあの政令という逃げ道があった、輸送という言葉で。しかし、防衛医官ということになりますと、これはあの自衛隊法の中には逃げ道がありませんから、やろうと思えば自衛隊法を改正するしかない。そうすると、結局国会勢力を考えて逃げられるところへ、できるところへ逃げちゃったというのが実態ではないかと思うのであります。  そういう中で、例えば国連平和協力法案の問題や、それから国際緊急協力、災害に対する協力隊の問題やいろいろございます。これから、ある意味では自衛隊に対する期待というものは、国内の災害協力と同じように国際社会においても期待をされることが多くなってくるのではないか。またそのことが日本国家の姿勢や政府の姿勢を問う一つのバロメーターになる可能性もあるだろうと思います。  しかし、ここでやはり国民の意識を大事にしなければなりません。国民のコンセンサスを得るためには、ここで無理をして、そして国民のコンセンサスをまとめるための要諦、前提条件を壊してしまう、シビリアンコントロールに対する疑念を国民の皆さんに余計に与えてしまうということになりますと、今回政府がとった行動が逆効果になるということが憂慮されていると思うのであります。むしろ私は、今回提案をして国会でもし否決されたとしても、大いに国会で論議をする。そして、国会で否決をされて協力できなくなったことによって国際社会で批判をされるかもしれないけれども、それは否決した国会が与野党問わず全体で、もしくは国民全体でそのリスクを背負わなければならないであろう。しかし、それが将来の展望を開くための一つのリスクであるというふうに考えるべきではないか、こう思うのでありますが、いかがでしょうか。
  109. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  私は先生のおっしゃることは正論だと思います。  去年の八月二日、あるいはそれよりもずっと前から日本の安全保障について国会が真剣な議論を続けていただいていたならば、この時期に至ってこんなどたばた、率直に申し上げましてどたばたしたことをしなくて済んだろうと私は思います。特に去年の八月二日からの事態の推移を見まして、私は率直に申し上げて日本政府のリーダーシップのなさ、混乱に強いふんまんと批判の念を持っております。しかし、それが事実日本の政治の実態でございますので、私は大変やむを得ない。  それで問題は、その長期的な正論を通すためにとりあえずの便法をとるべきかどうかというので、これは高度に政治的な判断だと私は思います。どこまでナショナルインタレストがかかっているかということだろうと思います。  それで、私は書生論として申し上げますと、こんなこと言って失礼ですけれども、先生の御意見に賛成です。本来こういうものはきちんとした筋道を通して、多少日本国際的にたたかれても、むしろたたかれることによって国民が目が覚めるだろう、むしろそうした方がいいという判断はございますが、しかし、今度はもっと責任ある立場に自分を寄せて考えてみますと、それは日本のナショナルインタレストに合わないのではないかというふうに私は思いまして、大変残念だけれども、便宜的な方法も支持せざるを得ないのではないかというのが、私の率直な気持ちでございます。
  110. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。
  111. 渡部恒三

    渡部委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  以上をもちまして公聴会は終了いたしました。  次回は、明十九日午前十時より委員会を開会し、総括質疑を行います。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時一分散会