○阿部参考人 ただいま御指名いただきました阿部でございます。本日、著作権に関しまして私の考えを申し述べる
機会をいただきましたことを、まず御礼申し上げたいと思います。
御承知のように、
日本の現在の
著作権法は
昭和四十六年一月一日から施行されております。しかし、その前に、いわゆる旧
著作権法でございますけれ
ども、これは明治三十二年、つまり一八九九年に施行されております。それ以来、たび重なる改正がありましたけれ
ども、抜本的な改正が
昭和四十六年の現行法となっているわけであります。明治三十二年に施行されました旧
著作権法、これはどういう性格を持っているのかということから
お話を進めさせていただきたいと思います。
この旧
著作権法は、一口に、端的に私の考えを申し上げますと、
日本における著作権思想の普及、これが向上した結果としてでき上がったものであるというようには私には思えないのであります。明治年間におきまして、いわゆる治外法権ということがございました。それにつきましては、皆様御承知かと思いますけれ
ども、諸
外国とお互いに肩を並べていく、対等な立場でもって
日本の国が進んで行こうという場合には、
外国におけるところの諸立法と肩を並べる立法が必要となってくるわけであります。治外法権を撤廃するために、明治三十二年当時に
日本におけるところの主要な
法律が制定された。例えば民法とかあるいは商法、これらのものが制定されたということは御存じのとおりであります。その一環としてつくられたのが明治三十二年の旧
著作権法であります。したがいまして、その範とすべきところのものは、その以前においては
日本にはまずなかった、こう考えてよろしいかと思います。
その範としたのは何かと申しますと、一八九九年、既に制定されておりましたいわゆるベルヌ条約であります。このベルヌ条約は、その当時におけるところの
世界における唯一の全
世界的な条約であります。その条約に範をとってつくられたのが旧
著作権法であります。したがいまして、明治三十二年の旧
著作権法の中身と申しますのは、これはその当時においては
世界に肩を並べることができる内容を持っていたということが言えるだろうと思います。しかし、そのことは、内実的にもなお著作権思想が
日本において普及しておったということを意味するものではないというふうに言わざるを得ないことを非常に残念に思うわけであります。
しかし、それ以後いろいろと、その著作権思想あるいは無体財産に対する感覚、これが
日本国内において醸成されてくるというふうなことがありますけれ
ども、なお依然として、そのような思想というものが必ずしも熟成しているとは言えないというふうに私には思えるわけであります。
そういうわけで、明治三十二年、ベルヌ条約というものに範をとりまして、それからベルヌ条約は約二十年ごとに大きな改正があります。その二十年ごとの改正につきまして、例えば一九〇八年のベルリンの改正条約あるいは一九二八年のローマ改正条約、それらについても、その都度
日本は加盟してきているわけであります。最後に加盟しておりますのは、一九七一年パリ改正条約であります。そのパリ改正条約におきまして、その前のブラッセルの改正条約は、ちょうど一九四八年の改正でございますので、
日本は戦後間もないということで参加はいたしておりません。しかし、現在各国と肩を並べるところの条約に加盟というふうなことはなし遂げているわけであります。
と同時に、一九五二年にUCC、万国著作権条約が制定されておりますけれ
ども、それに対しましても
日本は加盟しているわけであります。一九五五年だったと思いますけれ
ども、そこに加盟しているわけであります。さらには、レコード保護条約につきましても、御承知のように加盟しているということになっておりますし、あるいは隣接権条約には昨年加盟するというふうに、現在、
世界における大きな著作権条約として四つございますけれ
ども、その四つのすべてに加盟しているということが言えるわけであります。
したがいまして、法制度の面におきましては、
日本は決して
外国に遜色を持っているというものではないと考えてよろしいかと思います。ただ単に
外国に遜色を持っているというようなことが見られないだけではなくて、ある面におきましては、さらに進歩していると申しますか、さらに一歩進んでいるというふうな面もあるわけであります。
例えば、現在この国会に上程されていると承っておりますところの
著作権法の改正に関する百二十一条の二につきましても、別に条約上の義務ではないけれ
ども、なお
外国のレコード、それに関連して
日本のレコード製作者も保護していこうというようなことも、間接的にではありますけれ
ども、
外国のレコード製作者を保護していこう、こういうようなやり方もとっているわけであります。
さらには、隣接権条約というものにつきましては、隣接権条約に加盟しましたのは一昨年でございますけれ
ども、しかし、それ以前に、
昭和四十六年におきまして、もう国内におきましては、それと同等の中身の隣接権に関する保護の規定を現行の
著作権法の中において既に盛り込んでいるわけであります。隣接権条約に加盟していないという国も、現在これは珍しくございません。例えばアメリカ合衆国は加盟しておりません。しかし、
日本はおくればせながらも加盟しておりますし、しかも、なお国内においては隣接権条約にマッチするような法制度を既にとっているわけであります。さらには、その隣接権条約におきますと、それらの隣接権者についての保護期間は二十年というのが保護の最低条件でございますけれ
ども、これを三十年に延ばす、あるいは今回は五十年に延ばすというように、その一歩先に進んでいくというようなやり方も考えているわけであって、法制度の面につきましては、少しも遜色はないということをはっきり申し上げてよろしいのではなかろうかと思います。
ただ、
外国から注文があり、あるいは
日本国内においてもいろいろと審議されるような問題につきましても、まだ未解決の問題がもちろんあるわけであります。それらは何から生じてくるかと申しますと、情報伝達手段、それらの開発普及というところから出てくるわけであります。つまり、科学技術の
発展から来ている、こういうふうにお考えになってよろしいかと思います。その科学技術の
発展に伴いまして、
著作権法というものが改正されてきていると考えても間違いではなかろうと思います。
それは過去の旧
著作権法におきましても、大正九年には演奏、歌唱、これが著作物の中に加えられております。これは、筋としては余りよいというふうに私は思いません。さらには、
昭和九年にはレコード製作者、レコードについての保護ということも考えられてきております。その間におきましては、映画についての保護も考えられてきております。そもそもの初めにおきましては、それらは著作物としての対象とはなっていなかった。しかし、レコードにつきましてもだんだんとそれらが開発されてくる。レコードはエジソンによるところの開発である。まあ、初めのエジソンの場合においては円筒でありましたので、余り役には立ちませんでしたけれ
ども、ベルリーナでしたか、それらによるディスクの開発に伴ってレコードが
世界的に普及する。それが
著作権法による著作物としての保護ということにつながってくるわけであります。あるいは放送ということにつきましても、著作者の放送許諾権ということにつきましても、
日本ならば放送が一九二五年に開設されましてから放送についての権利ということも考えられてくるわけであります。あるいは戦後になりますと、最近の例を取り上げますと、コンピュータープログラムもまた著作物というふうに明定されているわけであります。コンピューター著作物は、一見いたしますと通常の、昔のような小説や脚本とは性格を全く異にするというような印象を与えてまいります。これが著作物ではないと即断する方もいらっしゃったはずであります。皆様方のことを申し上げているわけではございませんが、そういうような見解もあったわけであります。
それはどこから来ているかと申しますと、ベルヌ条約、
日本の公定訳は文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約と申すわけであります。明治三十二年にベルヌ条約を翻訳するに当たりまして、まさしくそれが適切であったというふうに考えるわけですが、その文学というもともとの言葉は何かと申しますと、これはリテラリーワークというふうに言われているものであります。そのリテラリーワークをその当時は文学的著作物というように翻訳した、まさに適切であったろうと思います。
しかし、それを文学というような
日本語の範疇にとどめておいて理解することがそもそも間違いであるということを私は申し上げたいと思います。つまりリテラリーというのは、その当時、
日本の
著作権法の制定者といいますか起草者であられました方々であろうと、あるいはベルヌ条約を管理しておりますWIPO、
世界知的所有権機関の見解でありましても、文字と記号によって構成されるところの作品というものがすべてこのリテラリーの中に入るのであると考えているわけであります。したがいまして、プログラムのようなものも、これは記号の連続であります。記号、〇と一というものの連続でありまして、一定の思想の結果がそこにプログラムとなってくる。したがいまして、
外国ではこのプログラムを著作物と見ることについてほとんど抵抗がないわけであります。そのリテラリーという言葉の意味から申しましても、著作物の中にコンピュータープログラムも入ってくるというふうなことになってまいります。さらに、最近の
日本における改正におきましては、データベースもまた著作物として考えてきているわけでございまして、そういうようにリテラリーと申しますか、それについての枠というか、懐というか、それが非常に広いというふうなことであります。それらのものを包含しながら、その作品を保護していくというのが
日本の
著作権法であり、そしてまたベルヌ条約の主として考えているところであります。
それに対して、ベルヌ条約と対比される万国著作権条約というのがございますけれ
ども、これらはもちろん著作者を保護することも考えております。しかし、私から言わせますと、必ずしもそちらの方に基本的に重点があるというわけのものではなくて、むしろ一国の産業
政策の方にウエートがあるというふうに考えてもよろしいのではないか。これは立法史と申しますか、歴史から考えてみても、そのように裏づけることができるのではないかと考えております。
条約と申しますといろいろな条約があるわけですが、それの中身は最低の保護を考えているのでありまして、少なくともこれだけのものを保護しなければならないと考えているのが条約の最低基準であります。それ以上のものを考えることは少しも差し支えないということになってくるわけであり、そしてまた各国がいろいろとその条約に加入することを勧奨するためにも、各国で受け入れやすいようなことを考えておる、受け入れやすいためには留保条項を考えていくというふうなこともやっているわけであります。
こういうようなところから、一口に条約と申しましても、あるいは
著作権法の条約に加盟していると申しましても、
日本とアメリカの
著作権法が、同じくベルヌ条約国に最近は入っておりますが、必ずしも同一だというふうな、同一のように全く同じ
発想から考えると、時に思わぬ誤解を招いてしまうということも起こってくるだろうと思われるわけであります。コンピューターのプログラムに関しましても、プログラムで作成する著作物についても、どのように考えるかということは、ドイツであるとかアメリカ合衆国あるいはイギリスというところでは
発想の違いがありまして、その解決についていろいろとこれから一致するというふうな
努力を傾けていかなければならないと思いますけれ
ども、そのような難問が
一つあるということが言えるわけであります。
ただ、そういうような各国におけるところのいろいろな考え方の食い違いをさらに統一するために、現在WIPO、
世界知的所有権機関におきまして、いわゆるモデル規定を作成するように
努力しているわけであります。もう既に昨年四月に第三回目の専門家
会議、
政府間
会議でしたか、それが持たれております。一昨年も二回にわたって持たれております。そこではいろいろな多方面にわたって統一的に、
世界の国において同一に受けることができるような規定は考えられないだろうか。つまり、これはベルヌ条約、それからUCC、万国著作権条約というものとを統合するような意味において考えられないだろうかというふうに取り上げているわけであります。現在ベルヌ条約も八十四カ国、それからUCCも八十四カ国であります。しかし、それらの国がすべて一致しているというわけではございません。両方に加盟している国が六十数カ国、六十カ国でしょうか、それくらいの国がございます。そのどちらか一方にだけ入っているということになりますと、百何カ国になるわけであります。こういうような国々が
世界的に同じような
基盤に立って考えていくことが必要ではないのだろうか。これが
文化に関するところの基本となっている
著作権法ということを考えていきますと、その統一性といいますか相互の理解をまともにしていくためには必要じゃないかというのがこのWIPOの考えであり、そこに精力的にその審議を進めているというのが
現状であります。こういうような
現状に追いつくと申しますか、それにおくれないように
日本の方でも考えていかなければなるまいというふうに思っているわけであります。
そしてまた、そのような視点から考えまして、現在私が属しておりますところの
著作権審議会におきましてもいろいろな問題点を取り上げているわけであります。例えば
世界的な難問とされておりますところのコンピューター創作物、コンピューター・ゼネレーテッド・ワークス、こう言っておりますが、コンピューター創作物については一体どのような性格のものなのか、その著作者はどうなのかということも考えております。あるいは出版者の権利についてはどのように考えたらよいのかということも審議の対象として一応の結論だけは得ているわけであります。あるいはそのほかにもいわゆる録音・録画に関する著作物の私的な複製に関する問題についても精力的にその審議を進めていく、そういうようなことも取り扱っているわけであります。現在、科学技術の
発展というものはとめることはできない。とめることはできませんけれ
ども、それに伴って生ずるところの
マイナスをどのように考えていくか、その
マイナスをプラスに転ずるにはどのように考えたらよいのかというところにポイントを置きながら審議を進めております。
いずれにしましても、何よりも一番大事なことは何かと申しますと、著作権思想が
国民においてどれだけ浸透していくのか、深まっていくのかということが基本になるのではなかろうかと思います。著作権思想のないところに、普及あるいはそれぞれの
認識のないところにどのような立派な衣装を着せたといたしましても、それは単なる外からの見かけだけにすぎないということになるわけであります。著作権思想の普及こそが
日本におけるところの将来の
文化においての、
文化すべてが著作権思想だけだとは決して申すわけではございませんけれ
ども、大きな一翼を担うということになるのではなかろうかというふうに考えている次第でございます。
私の時計でございますと、御指摘になりまし
たちょうど二十五分くらいでございます。これで、後また御
質疑にお答え申し上げることができれば幸いかと思います。一応さしあたりこの辺にさせていただきます。失礼いたしました。(拍手)