○沢藤
委員 今度
文部省で出しました、去年の十一月ですか、
学校不適応対策
調査研究協力者
会議が中間報告を出していますね。その中で、特に今までのスタンスと違ってきているのは、
学校の責任を前面に打ち出す中間報告を出した。それから、それと関連して、
学校に、無理無理とは書いていませんが、行かせることだけに力点を置いてきた従来の指導方法を改めて、バイパス等もある程度、適応指導教室など
学校以外の機関を回り道して
学校に戻る方法というふうなものにも触れている。こういうふうなことで、
学校にもかなりの責任があるということは私は否定できないと思います。やはり一番接触しているのは、親もそうでありますけれ
ども、
学校の教師でありますから、これは
学校の責任はあると思うのです。
ただその場合、それをさらに
内容的に登校拒否の背景をさぐってみた場合にどういうことがあるだろうかということを私なりに拾ってみたいと思うのですが、この中間報告をまとめるに当たっていろいろな角度から意見をお聞きしたと思うのですけれ
ども、ある新聞の指摘しているように、この中間報告で足りない点がある。それは、当人たちの意見がないじゃないか。一番の主体、さっき出ましたね、
教育の主体、彼ら、彼女らが不登校、登校拒否をして、それに対してどうするかということの一番の中心になる人たちからの声を何らかの形で聞いてほしかったという意見があるわけです。
私は、それについてこうこうという御
答弁をいただく前に、ここに一冊の本があるのです。これは私の岩手県の
高等学校教職員組合と小中の教職員組合が合同しまして、「子
どもたちからの
教育改革」、その次には、今度は「父母たちからの
教育改革」というのを出しました。そして最近は「教師たちからの
教育改革」というのを出したのです。ここにはもう私自身教師仲間としてこんなところまで書いていいのかと思うくらいのことが、実態が赤裸々に出ています。これは全部並べて読んだら私は一つの
方向性が出てくるのではないかと思うのですが、きょうはここで一々御
紹介することはやめておきます。
ただ、この中の「子
どもたちからの
教育改革」、中
学校、
高等学校の生徒から、五千人ぐらいの
子供たちからアンケートをとった結果があるわけです。例えば、項目を見ますと、「これだけは
先生に言ってもらいたくないこと。」とか「
先生に話してもらいたいこと。」それから「
先生との間で、こんな時、心が明るくなった。」「暗くなった。」それから「こんなことを言われた時、
先生を好きだと思った。」「こんなことを言われた時、
先生を嫌いだと思った。」尊敬したときはどういうときか。軽べつしたときはどういうときか。
学習の
意欲がわいてきたのはどういうときだったのか。その反対はどうか。あるいは
学校でうれしく楽しかったのはどんなときか、楽しくなかったのはどういうときかというふうなことをかなり、二十八項目に及んで、これは一冊ほとんど全部回答なんですが、出ているのです。
そこで私は、今
局長おっしゃった一つのこれからの
対応策というものに入っていくわけですけれ
ども、そのときの視点として多く指摘されていることがあるのです。これを全部
紹介できないのが残念ですけれ
ども、例えばこれは私らの反省だと思うのですが、「
学校でうれしく楽しかったことは、どんなこと・どんな時だったでしょう。」という問いに対してどきっとする答えがたくさん返ってくる。「土曜日の授業が終わった時。」「休みの前の日の帰宅中の時。」「昼食時。」「休けい時間。」「
先生が休んだ時。」「テストが終わった日。」「
学校が早く終わる時。」つまり
学校がない状態、
先生がいない状態が楽しいという答えでしょう、これは。ここに私は根源的な問題があるような気がするのです。
逆に、
先生に力づけられた、「
先生を好きだと思った。」というときはどういうことかというと、一言でいえば励まされたときという答えが返ってくるのです。「ガンバレよ!」「がんばったな。」「よくやった!」「いいぞ!」頑張ればできる。これが一番うれしいというのですね。つまり、それは生徒にとっては自分の存在を肯定されているということ、生徒の存在を受け入れてもらっているということなんです。これが一番心に刻まれているという
子供たちの叫びなんですね。
まだまだたくさんありますけれ
ども、非常に「
学校でかなしくいやだった」ときはどういうときかというと、「
先生に無視された時。」「差別された時。」「ひいきされた時。」も嫌なんですよ。自分がひいきにされても嫌なんです、そこには差別があるから。そういう答え。あるいはテスト、成績、友だちとの
関係、これは確かに大きいです。そういうのが出てきています。そして受験
体制が指摘されています。
そういったことを私なりに整理してみまして、これから二つ、三つの件について御所見を賜りたいのですが、教師はこっちを向いてくれない、そばに行っても忙しいから次にしてくれとか、きょうは
会議があるからおまえたちとはつき合っていられない、書類整理があるからだめだ。つまり一番の主体である生徒が最も大事な接触を求めていっているときに、主体と
関係のない、本来的なものと
関係のない理由で
学校がこれを拒否している。忙しい、
会議だ、研究授業があってその下調べで忙しい。つまりこれは
学校の都合ですね。そして訴えられるのは、忙しい、教材研究だ、こういうことなんです。この忙しさを取り除くことが登校拒否その他の対策のうちの一つだと私は思うのですが、この辺についてお
考えをお聞きしたい。