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山田参考人 御紹介いただきました名古屋市立大学の
山田と申します。きょうはこのようにこの
委員会で
意見を申し述べさせていただく
機会を与えていただきまして大変恐縮し、また大変ありがたく思っております。
きょうは、日ごろ
財政学あるいは
経済学を学んでいる者として、現在
地方交付税がこの
委員会の議論になっているということですが、それに関係してもう少し広く
地方行財政の
制度について、学んでいる者として考えるところ、思うところを申し述べさせていただきたいと思います。これから申し上げさせていただくところは、前のお二人の
市長さんがお話しされたところとは、少し大上段の議論になりまして、私のような若輩の者が申すにはちょっと恐れ多いという感じもするのですけれ
ども、少し大きな
観点からの問題ということで
意見を申し述べさせていただきたいと思います。その点どうか御容赦を
お願いしたいと思います。
さて、
地方財政あるいは
地方自治体、
地方政府という場合も同じですが、その最も
基本的な機能は、言うまでもなく国がその
国民の
福祉に寄与すべきだ、それと同じように
住民の
福祉に寄与するんだ、それが
目的であると思います。したがって、その
行財政の
制度がどうであるか、いいか悪いかというのはすべてそのような
観点から評価されるべきだと考えます。
地方行財政の姿がどういうふうにあるべきかということについて、それはもうかなり長い間の議論があると思います。
先ほど益田市の
市長さんもお述べになっておりましたが、
自主性、
自律性を備えることが重要なんだということが長い間言われてきました。そしてそのような考え方は民主主義という考え方にまさに合致するということで、現在のいろいろな
制度のもとになったと考えられます。特に
地方行財政の
制度についてはそういう要素が強いかと思いますが、かなり昔になりますがシャウプ勧告において、あるいはその後何度も
地方制度調査会というのが設けられていろいろな議論がされてきたと聞いておりますが、そこにおいてもその重要性が指摘され、確認されてきたと思います。
さらに、最近の世界あるいは
日本の変化ということを見たときにも、そんな要素が我が国でも大切になってきているのだということがあらわれてきているのではないかと思います。その
一つは、東側、東欧の諸国において昨年後半以来大きな変化があったわけですけれ
ども、そのときにあらわれた変化あるいは動きの要素は、国からの統制ということを嫌ってそれに反して民主的な要素あるいは
国民、
住民が自律的に決めたいのだという要素を要求する、そういうふうな動きのあらわれと見れるところがあるのではないか。それから我が国においても、現在この
委員会でも関係している問題かと思いますけれ
ども、
税制改革、
消費税の導入をめぐっていろいろな動きがあった。その動きについても、それに関係しては
国民の
意見がいろいろな形であらわれたということがあるかと思いますけれ
ども、その場合にもそういうふうな要素、その国なり社会なりを構成するそれぞれの人が
意見を言って、その
意見の反映として何かが決められるべきだということがあらわれたのではないかと思っております。
そういうふうな変化があるわけですけれ
ども、
地方行財政の
制度につきましては、まだそんなことが表立って問題になるというところには至っていないと思います。それどころか、昨年のその
税制改革に関係してですけれ
ども、一部の
地方の間接税あるいは関係した直接税である
住民税等の税収が減るという形で
地方の税収は逆に減るというふうに、自主的な
財源あるいは一般的な
財源と言われる
地方税収入の全体の
歳入に占める
比率が減るという変化があったというふうに、ある点では逆の動きがあったというようなことがあるかと思います。しかし、そのような
税制改革が行われたということに対しては、自治省の内部でも次には
地方税ということに焦点を当てた
税制改革、
地方の
自主性あるいは
自律性を回復するという
観点ということと思いますけれ
ども、そういう
観点で
税制改革をもう一度考えるべきだという
意見があるというふうにも聞いております。
それから、そういうふうな方向、
自主性あるいは
自律性ということを求めたい、あるいは強くしたいというふうな動きが我が国でもあるのだというふうな変化というか動きとして、次のようなことが挙げられるのではないかというふうに思います。
その例の
一つということですけれ
ども、これからいろいろな形で、
高齢化という問題も言われますし、特に
高齢化ということに関係してかと思いますが、
国民負担率がこれから次第に高くなっていくということが避けられないとしきりに言われております。そのことは、
負担をしたのだから一方でその
負担の見返りを求める考え方というか気持ちというのをだんだん強くさせるということになっていくのではないかと思います。そうすると、
行政サービスのあり方がどうなのだということについて関心が次第に高くなるのではないか、そういうことが明示的なあるいは顕在的なものになるのではないかと思います。
二つ目の例ですけれ
ども、やっと決着しそうだというような
状況かというふうに聞いておりますけれ
ども、
日本とアメリカとの間の貿易不均衡ということに端を発していろいろな協議が行われました。その議論の中で、
日本はGNPの水準では非常に大きな国になった、しかしそれに比べて生活のレベルの方はなかなかそうではない、非常に地価が高いあるいは物価が高いということで生活のレベルはなかなかだというふうな認識がアメリカから指摘されたというふうなこともありますけれ
ども、そんなことが広く新聞、テレビを通じて知られるようになったということがあるかと思います。そういうふうなことが認識されること、知られることは、やはり
行政のあり方について
国民の関心がさらに大きくなるということがあるのではないかというふうに思います。
そのような変化があること、そのような動きが
あることは、それから将来に向けての
財政のあり方を
住民あるいは
国民の要求に合わせるのだ、合わせるべきだという
意見が高くなっていく、強くなっていくというふうに思います。その民主化ということは、いろいろな
行政あるいは政府の歳出というのは
市町村あるいは府県を通じてということがかなり大きなウエートで行われているわけですから、
地方行財政の民主化ということが非常に重要な現代の課題であり、将来に向けての課題であるのだというふうに考えられると思います。
それで、そのような
地方の
自主性、
自律性を達成するということを考えます。それは、ずっと長い間考えられてきたことではあるのですけれ
ども、
一つは政治の
制度、
行政の
制度をその目標に合うようにつくるということが
一つの側面だと思います。
もう
一つは、そういうふうな
行政の仕組みあるいは政治の仕組みを保障するような
財政の
制度をつくる、そういうことに関係して、あと少しそれを敷衍するような形で私の考え方を申し述べさせていただきたい。
地方行財政の
自主性を確かなものにするのだ、あるいはそれをさらに強くするのだ、そういうときにどういう問題が大切なのか、その何が大切だという
観点から現代の
制度をどういうふうに見るのかというふうな形で少し申し述べさせていただきたいと思います。
私は、
財政学を学んでいるということで、
地方財政の
自主性の
確保というふうな問題の例から入りたいと思うのですけれ
ども、
財政の
自主性を
確保するのだというためには、
自主財源であり
一般財源である
地方税をふやせばいいのだ、それがまず第一だというのが非常に手っ取り早い考え方、あるいは依存
財源ではあるけれ
ども一般財源だ、使い方は自由にできるのだというふうに考えられる交付税を大きくするのだ、そういうことでいいのではないかという考え方が通常の
意見ということではないかと思います。
私の前に二人の、今は実際に
行政に当たっておられる
市長さんがここにいらしているわけですけれ
ども、その実際の
行政に当たっておられる方からすれば、交付税であろうとあるいは国庫支出金とまとめて言われるいろいろな補助金であろうと、とにかくお金が入ってくることが大事なのだというお考え方は十分あるかと思うのです。それと比べると、
一般財源がふえるあるいは
自主財源がふえるということは、
自主性の
確保、
自律性の
確保という
観点から十分いいのだというふうに考えられるかと思うのですけれ
ども、その十分いいと考えられるものであってもさらに
問題点がないというわけじゃない、非常に厳密な意味あるいはもともとの
自主性、
自律性という見方からすると問題がないわけではないということをちょっと申し述べたいと思います。
その例として挙げました交付税ですけれ
ども、交付税は、よく言われますように、長い年月をかけて非常にきめ細かな仕組みに育ってきた、つくり上げられてきた。これは政府の努力とかいろいろな関係の方の努力があるのだと思いますけれ
ども、しかし、そのつくり方、その
制度の仕組みというものは、基準
財政需要というものを据えて、それに対して
財源を保障しようという考え方に基づいておる。ですから、それは使い方を示していない、決めていないとはいっても、基準
財政需要を満たすのだという考え方がその
基本、底にはあるのだということが一点あるかと思います。それからさらに、その仕組みを決めている法律の中でも、基準が余り下がると、国はあるいは関係の機関は
地方の
市町村、府県に対してそのやり方に対して勧告ができるのだあるいはさらにその交付税を減らしたり払い戻させたりすることができるのだという決まりもあります。それは、
一般財源である交付税であっても補助金と同じような性格を持ち得るのだというふうな問題があるのだということがそういう形で指摘されております。
それは普通交付金の場合ですけれ
ども、特別交付金についてはさらに国の裁量で決められる部分が大きいのだということが、私は現場ではありませんので
実態は必ずしもよく知らないというところなのですけれ
ども、そういうことが大きいのだということが通常言われます。その交付税がそのような特徴を持っていることは、一方でそれは、
財政力がいろいろな府県、
市町村の間で差がある、その差を
解消するのだという
目的、それは当然どういうふうな仕組みになってもその
必要性が残る点かと思いますけれ
ども、そういう
目的と、他方の
地方の
自主性を
確保するのだという別の
目的とが矛盾するという関係がどうしても残るということを示しているものだと思います。
それから、交付税はやはり
自主財源ではなくて依存
財源だという性格はどうしても残ります。これについては
地方平衡交付金の時代からそういうふうな
収入の
比率が
地方の
収入において余り高くなり過ぎると問題だろう、後ろに
市長さんがいらっしゃいますので、こういうふうに申し上げるのはちょっとちゅうちょするところもあるのですけれ
ども、
市町村の側で努力をして
収入も上げる、それに対応した
行政サービスを考える、そういう努力を鈍らせるという
影響があるんだ、あるいは効果があるんだということはかつてから指摘されてきた、問題にされてきたところかと思います。
それから、
財政の
自主性を
確保する手段として第一の方法というふうに考えられる
地方税ですけれ
ども、それだって、けちをつけようと思えばという感じになりますが、問題がないわけではない。それは、いかに
地方税であっても国の税法の体系の中の
一つとして決められる。それは本来の意味での
地方の
自主性を満たすものというふうには言えないのではないかという問題が残るのではないかという点です。
しかし、最後に言いましたような言い方をしますと、そんなのは非常に純粋な理想論だ、理念だけの話だというふうな反発があろうかと思います。もちろんそういうふうに申しましたのは、そんなことを申したいから申し上げているわけではありません。そうではなくて、
自主財源、
一般財源である
地方税、
地方交付税であってもそういうふうな矛盾した性格を持っているんだという点を注意していただきたいということが
先ほど申し上げた理由です。それは、
地方行財政の
制度そのものがある矛盾した性格を初めから持っているんだということをよく
理解していただくことになるのではないかと思います。
その矛盾した性格というのは、
地方自治、
地方行財政の
制度は一方では国あるいは
国民経済全体としての統一性、国の
観点からの統制ということを要求される、そういう側面と、
地方で
住民の代表、
住民の要求に沿うべき
地方の自治という側面と
二つの面から成っている。したがって、常に
二つの対立する要求の緊張関係の上に立ってでき上がっているのではないか、そういうふうな矛盾した性格を持ったものとして存在しているのではないかという点です。したがって、現実には何らかの
二つの対立する要求のバランスを図って実際の
制度、仕組みがつくられるということになります。そのように
二つの対立するものをもともと基礎に持っているのだとしますと、そのバランスが図られた現実というのは、片一方が強く出ると他の要求は弱められる、不十分にしか満たされないということが必ず起こるということが
理解できるのではないかということです。
それで、現在の我が国の
行政、
財政の
制度ですけれ
ども、これについては一般に国あるいは
国民経済的な統一性の要求が強く評価されている、そういう側面が強く出ているのだと言われています。そして、そのようなことがありますから、それに対して
地方への
事務再配分が必要なんだという議論、そういう形の
地方自主性の拡大ということも長い間言われてきたことかと思います。しかし、その逆の動きも現在ではあるのだと思います。それは、
一つは広域
行政、
都市圏が広がる、あるいは
経済活動の広がりが大きくなる、それに応じてそういう要求が強くなっているという側面。あるいは社会資本
整備ということが言われますが、それについてもあるいは
国民健康保険制度についても、もっと国のレベルでそういう問題があるのではないかということが最近言われるよう
になってきている。それは逆の側面かと思います。
ちょっと長くなったかと思うのですが、そういうふうに矛盾した存在だ、それを
理解していただくことが、今
地方行財政が抱える問題を将来に向けて解決していくために必要なのではないか、そういうことが基礎に置かれるべきではないかということ、それが私が申し上げたいことの最終の
目的であるわけですけれ
ども、その矛盾した存在についてどういうふうに解決を図っていくのか。その理念、考え方の部分ですけれ
ども、それはやはり、言い古されてきたことですが、国と
地方の間で
行政の働きをどういうふうに分け合うか。分け合ってそれぞれの責任をちゃんと明確にすることが大切ではないか。最近、新しい世紀に向けて新しい仕組みを考えるべきだということがいろいろな分野で言われるわけですけれ
ども、
地方行財政においてもそういう形でその問題があり、今申し上げました両者のバランスをどう図るかについて明確に意識し、それを常に考えていくことが大切ではないか、それが新しい
地方行財政の
制度を考える一番の基礎になるのではないかというふうに申し上げたいと思います。
あと、現実にもそういうふうな動きが
高齢化あるいは社会資本の
整備ということに関係して問題になってきているのではないかという具体的な例を少し申し述べたいと思っていたのですが、ちょっと長くなったようですので、最後の点、その問題についてどういうふうに考えるかということが
行財政の
制度をこれからどう考えていくかということの基礎に置かれるべきだということを最後に繰り返しまして、私の参考
意見にさせていただきたいと思います。
たどたどしい議論を清聴いただきまして、どうもありがとうございました。(
拍手)