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酒井参考人 ただいま御紹介にあずかりました
酒井でございます。私は、このような場所でお話をした機会はこれまでございませんので、非常にしゃべりなれない、お聞き苦しいところがあるかと思いますが、御容赦いただきたいと思います。
私は、主に
アラブの地域研究という形で研究をやっておりますので、これまでお話しされましたお二方の
先生方とはまた違った、
アラブからの視点ということを若干お話しさせていただきたいと思います。
先ほど
伊藤先生の方から、新
国際秩序の確立という形で、国際
関係、
国際政治の方から非常にクリアな分析をしていただきましたが、これで
一つだけポイントとして落としてならないのは、その新
国際秩序に対して真っ向から利害を分かつ国が
存在する、それが
アラブ諸国であるということを視点から落としてはいけないであろうと思われます。すなわち、超大国あるいは先進国主導の新
国際秩序というものが築かれることになりますと、それまでの
国家的枠組みというものが大前提として今後
国際秩序が築かれていく。そもそもこれまでの
国家の枠組みといったものを問題にしてきた地域が
アラブ諸国でございまして、そういった
観点からも
アラブ諸国の中で、これは政権担当者としてではございませんが、むしろ民衆、大衆の
レベルで、
サダム・
フセインの今回の
行動を支持するまでには至らなくても、これに対してある
程度の期待をかけるといった要素を非常に強く持っております。この
アラブ民衆の中におきます
サダム・
フセインに対する期待感というものがどういう点から起こってきているのかということを考えてみたいと思いますが、これは三点ございます。
一点目には、
アラブ諸国と申しますのは、そもそも
アラブ民族という
一つの
民族が分断されてできた結果である。これは
アラブの国民自身が自発的に分断して
国家を築き上げたものではない。むしろ当時の、第一次
世界大戦後のイギリス、フランスといったヨーロッパ諸国によって恣意的な形で
国境を引かれてしまったという遺恨を現在に至るまでずっと残してきております。特に六〇年代には各
アラブ諸国間の
国家統合案などが非常に頻繁に出されておりましたように、現在の
国家の枠組み、これは例えば東西
ドイツが統合する、あるいは南北朝鮮が和解に向けて進んでいくといった方向性と同じような方向性をとってしかるべきであろうというような発想が当然
アラブ諸国の中にもございます。ですから、こうした
アラブの統一を進めていく上で、
アラブ諸国の中にビスマルク待望論、
日本で言いかえてみますれば織田信長待望論とでも申しますか、力の面でも
お金の面でも、あるいは外交的な面におきましても非常に力強いリーダーを待ち続けている。リーダーが生まれてきた際に
アラブは最終的に統一されていくのであろうというような一般的な大衆における期待感が
存在しておりまして、この期待感にある
程度サダム・
フセインという人物がオーバーラップする部分がございます。
第二点目は、
アラブ諸国間の富の不平等という問題でございます。
これは、先ほど
アラブの統一という希求についてお話しいたしましたけれ
ども、もちろん国民
国家というものが成立していきますれば、その
国境が大前提となりまして物事が運営されてまいります。ですから、
アラブの統一というような大義におきましても、これは徐々にトーンを変えてまいりまして、それぞれの
国家、エジプトならエジプト、シリアならシリアというような形を前提に
中東における域内
関係が進められてきております。それは事実でございますが、ただ少なくとも最低限の
アラブ諸国間の
協力は維持するべきであるという発想はまだ残っております。これは特にイスラエルとの問題が非常に大きく作用しておりまして、各国ともにそれぞれ国民
国家というものを持っているのであればその方向性で動いていくということは可能でございますけれ
ども、不幸にして、
アラブ民族の中には
国家というものを与えられなかったパレスチナ人の
存在があるということで、常に、パレスチナ人の問題を考える以上は、そのパレスチナ人を含んだ
アラブ諸国民の間の
協力関係というものを維持しておかないと、あるいはパレスチナ人というものをうまく封じ込めていくためにはこうしたものに対して常に
アラブ諸国から援助を与えざるを得なかったというような
関係がございますので、経済的な面に関して言えばこれまでも
協力関係が非常に密接に続けられていたということが言えるわけです。
しかしながら、一部湾岸諸国の中には、そうした最低限の経済
協力関係といったものについても比較的軽視する傾向が出てきた。これは、八〇年代におきます
石油だぶつき現象によって産油国の経済的な利益が、収入が徐々に減少してきたということから発生する問題でございますが、湾岸諸国の中に、経済志向のみ強めて、対外
関係、いわゆる
安全保障的な経済援助といったものに対して
認識が非常に薄れてきたということがございます。こうした典型的な国が
クウェートであったわけでございますけれ
ども、ヨルダンでありますとかパレスチナ人、あるいはスーダンといった
アラブ諸国の中でも貧しい国々の大衆にしてみれば、こうした一部の富裕な
アラブ諸国のある
意味では勝手な路線に対して
サダム・
フセインが鉄槌を下したというような、ある
意味では打ち壊し運動的な性格を付与して考えている民衆が
存在するという点が指摘できると思います。
三点目には、先ほ
ども簡単にお話しいたしましたが、イスラエルの問題がございます。
現在
イラクの
クウェートに対して行っております占領問題、これを一方的な力の
論理による占領であるとして
国際社会が非難を強めておりますわけですが、これと同じような問題を当然
中東域内に抱えている。それが先ほど申しましたようなイスラエルによるパレスチナ占領地支配、あるいはシリアに対する、ゴラン高原というところがございますが、そういったところの支配、こうした問題が発生して既に二十年に至るわけでございます。もちろん当時
国連及び国際世論におきましてイスラエル非難の声が上がったことは事実でございますが、時間とともに既成事実としてそれが受け入れられていくようになってしまった。こうした事実が厳然と目の前に
存在いたしますので、これは
イラクの占領問題を問題にする以上にイスラエルの問題を同時に問題視すべきではないかというような発想が非常に出てきやすい、そういう
構造になっているということが指摘できると思います。
以上のように、
アラブの中で
サダム・
フセインの
行動そのものに対してプラスイメージを付与している部分が
存在するということでございます。
ただ、こういったプラスイメージを、もともとそれでは
サダム・
フセインが意図して
行動を行ったかどうかということを考えてみますと、必ずしもそうは言えない。むしろ
イラクという国は、先ほどお話しいたしましたように国民
国家というものができて比較的長い歴史を持っておりますし、実質的には、政策等を見ますと極めて一国主義、
イラクという
国内のみの権益を重視するという方向に近い政策をとっておりますので、
アラブの大義、
アラブの統一といったスローガンは、むしろ今回プロパガンダ的に使っているところはございましても、実質的には一国のみの権益で動いていると考えてしかるべきだと思います。
これは具体的に申しますと、八月十二日に
フセイン大統領が妥協案あるいは
クウェート問題についての解決案という形で和平案を出してきております。資料でお配りしてございますので後で見ていただければありがたいのですが、その中で当然
アラブの統一と、あるいは
アラブ地域における占領地の包括的な解決といったようなことを掲げてはございますが、一番大きなポイントは、
イラクの
クウェートにおける歴史的な権益といったことを主張しているという点でございます。すなわち、この問題は、経済的な解決策によって解決できる問題でございまして、
アラブの中で今広がっております
アラブの大義あるいは
アラブの統一といったイデオロギー的なぶつかり合いでは必ずしもないという点は注目すべきだと思います。
こうした
イラクの
現実的な発想、ある
程度の経済的な権益を
確保さえすれば、いわゆる国民
国家の枠組みというような形での今後の国際的新
秩序については
異議を唱えないといった方向に導くために、むしろフランス等は、
イラクを過度に追い詰めることなしに、ある
意味では
イラクの大義名分をある
程度聞く、そういった問題も新しい
国際秩序の中で解決の方向を考えるということを前提とした上で
イラクに撤退を要求している。
イラクサイドにおきましてもこれについてはかなり高い評価をしているというような外交
関係の中で動き方をする国も
存在しているということは注目すべきだと思います。
アラブ諸国の中でも、現在サウジ、エジプトを
中心とした反
イラク陣営と言われている国々がございますが、この反
イラク陣営の中におきましても、特にサウジにつきましてはまだまだ
イラクとの間のいわゆる手打ちといったものを捨ててはいないであろうというような傾向が見られます。すなわちこれは九月の十七日でございますが、サウジの外務大臣が、
イラクが
クウェートから撤退するのであれば
イラクに対して経済援助を惜しまない、すなわち
イラクが今回の
行動をとった最大の原因は経済的な不満でございますので、これに対しては経済復興に対してサウジは援助を惜しまないといった
現実的な解決策を模索しているというような報道もございます。
このように、一方で
現実的な
対応を模索する要素が
存在すると同時に、
アラブ大衆、民衆の中で
サダム・
フセインを
アラブの英雄という形で一種神格化していくような動き、二つの動きがあるということが指摘できると思うわけですが、むしろ今後非常に問題となりますでしょう点は、
サダム・
フセインの
現実的な
クウェートに対する権益の要求という問題よりも、むしろ
アラブ諸国の中で今起きております
アラブの大義への期待、
アラブの統一への期待あるいは
アメリカがサウジに対して軍事介入をしたという、駐留をしたということによって再び巻き起こっております反米感情、こういったものが今回の
事件の収拾の仕方によっては極めて大きな形で遺恨を残すということにもつながりかねないという点が、長期的なスパンで見ますと大きな問題ではないだろうかと私は考えております。
すなわち、先ほど申しましたように、サウジあるいはフランスが今志向しているような形で
イラクという国をこれまでどおり国民
国家の枠組みの中に封じ込めて問題を解決していくというような方向をとれば、ある
程度大きないわゆるイデオロギー的な、あるいは精神的な波及効果というものを最低限に抑えることが可能かもしれない。しかしながら、これが例えば軍事衝突になる、あるいは
サダム・
フセインが外部の手によって転覆させられる、あるいは暗殺させられるというような
事態が発生したときにその効果はどうであろうかということを考えますと、むしろ
アラブ人の気質から考えましてプラスイメージのみを残して神格化される可能性が非常に強い。すなわち、
サダム・
フセインが行いました侵略あるいはその他暴挙といったマイナスイメージのものはむしろ忘れ去られ、プラスイメージのみが残りまして、あちらこちらにそういったいわゆる遺影を掲げて、小型
サダム・
フセインといったような形を目指すグループが出てこないとも限らない。こうした問題が非常に大きな問題だと思われます。
特に最近の
アラブ社会の傾向といたしましては、イスラム原理主義者と言われますいわゆる反西欧型、伝統的志向型の宗教勢力が各国において極めて大きな力を伸ばしております。特にアルジェリア、チュニジアといったかつての社会主義国、こうした社会主義的運営がままならなくなっていく中で、
西側諸国にもつきがたいということで伝統的な社会運営に復古するという方向を強めている国が非常に多うございます。非常におもしろいことに、この伝統主義の復活を進めております国と、現在
イラクに対してある
程度の支持あるいは黙認といった
行動をとっている国が非常にオーバーラップしております。つまり、
イラクの
行動に対してプラスイメージを持っている国々は、イコール社会総体として反米的な
対応をとりやすいというか、社会的な
側面から見て反米感情の生まれやすい国々だということを忘れてはならないと思います。すなわち、特にサウジにおける米軍の駐留といった問題に関しても、これはサウジの中でも、米軍が一体いつまでいるのであろうかといった疑念が現在でももう既に起こってきていると言われておりますし、そもそもサウジの王室そのものがイスラム教の聖地を守っていたがゆえに正統性が与えられているというような
存在でございますので、これが異教徒によって肩がわりして守ってもらったというような
現実が長ければ長くなるほど、サウジの王制そのものが正統性を失っていくというような問題点がございます。
非常に長くなりましたけれ
ども、このような形で
アラブ諸国の中の長期的な問題点を考えますと、現在
イラクに対して強硬的な解決策を要求していくということが必ずしもプラスに転化するかどうかというのは非常に疑問であろうということを指摘したいと思います。
最後に、
日本の
対応ということで一言お話ししたいと思いますが、
一つ、
日本は
中東地域に対しては非常に大きな
発言権あるいはパイプを持っております。これは欧米諸国のような形での
政治的なパイプではございませんで、むしろ経済的なパイプということで考えていただければいいと思います。この
政治に関与してこなかったということは、ある
意味では、
中東諸国において
日本が非常にプラスのイメージで見られる要因でもございます。すなわち欧米諸国どの国をとりましても、これまでの
アラブの根本的な問題、つまり
国境が恣意的に引かれてしまったとか、あるいはイスラエルに対して経済的な援助を大きく行っているといった問題に関してどの欧米諸国もすべて関与してきております。
ソ連も、これまでは関与してきておりませんでしたが、現在
ソ連から大量のユダヤ人が出国している。そういった問題をもとにイスラエルとの
関係を改善しつつございます。
そういう
意味では、
日本は、これまで経済的な
関係のみに絞って
中東との
関係を維持してきたという点におきましては、
中東ではこれまで
中東問題でいわゆる悪いイメージを持っていないということで唯一の国だったと言ってしかるべきかと思います。特に
日本と
中東の経済
関係に関して言えば、特に
イラクに言及させていただければ、七〇年代の後半から八〇年代の前半にかけて
日本とフランスが
イラクの最大の貿易相手国でございましたし、現在でもサウジ、イランといった国の中で
日本企業の占めるシェアというのは非常に高いものがございます。
中東の人々の間にもそういった
日本企業に対する憧憬、
協力に対する期待といったものは非常に強くございますので、そういった欧米諸国とは違った独自の経済
関係といった、性格は若干違いますけれ
ども、独自のパイプといったものを生かして
日本なりの
中東とのコンタクトというものができるのではないであろうか、このように考えております。
非常につたないお話でまことに申しわけございませんでした。御清聴ありがとうございました。