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堀委員 そこで、実は私は二回にわたって当時の総理
大臣に西ドイツ方式の
提案をしておるのでありますが、もし
衆議院に仮に西ドイツ方式を入れれば、
参議院の
制度は、同じような
比例代表が衆参にあるのはおかしゅうございますから、これはおのずから変わらなければいけない。そこで私は、私
どもの党内における
方たちとの懇談の中で、
参議院の方も御
出席のところで、今ひとつ
参議院の
制度を抜本的に
考え直したらどうだろうか、何か
参議院というのは
衆議院のコピーみたいだと言われておるけれ
ども、今の
制度ではなかなかそれは直らないと私は思うので、ちょっとこれは
個人の
考えだけれ
どもと言ってお話をした。
アメリカの上院のように都道府県から二名ずつ、そうしますと、今四十七都道府県ですから総数が九十四名になります。今の二百五十名から九十四名というのは大変に減るのですが、九十四名で都道府県から一人ずつ三年交代で出ていただくという格好にする。そういたしますと、まず第一に、これはもう非常にステータスが上がると思うのですね。
衆議院が五百近くいて
参議院は九十四名だ、都道府県を代表している人たちだということになると、まず
国民が見る目も変わりますし、同時に、いろいろと
衆議院との話し合いの中で
参議院の
あり方を新たに検討していただくということにしたらどうだろうかという試案を話しましたら、その席におられた私
どもの
参議院の
皆さんも、それは検討に値する。そうなると
参議院の権威というものが非常にはっきりしてくるのじゃないだろうか。
そこで私は、ただしこれは、森先生のおっしゃるように、多党化しておりますから、二回投票で過半数を得ればその方が当選、しかし、過半数を得る者がなかったら一番、二番で再
選挙をしてやるということにすれば、その都道府県における民意が反映できる。実はこの
方たちは都道府県を代表した議員でもあるということで、何といいましょうか、今の
参議院のような、
選挙区
選挙もあるけれ
ども全国区とか
比例代表であるとか、
一つ
の院の
選挙制度を二つに分けたという最初の発想に非常に誤りがあったと私は思います。
一つの院の議員は同じ
選挙制度で出てきていなければ、公平、平等と言えないのですね。私は前からそう思っていましたけれ
ども、いつだれが決めたか知りませんが、我々が知っている限り昔から
全国区と地方区になっていましたから、なかなかこれにさわることができなかったのでありますけれ
ども、
衆議院がもし今のような西ドイツ式の
比例代表小
選挙区ということになれば、これは
参議院の
制度は抜本的に変えなければならぬ。このチャンスにひとつアメリカの上院式の形のものを
考えたらどうだろうか。これは私の
個人の試案でございまして党の
関係ではございませんから、そこだけはちょっとはっきりさせておきますけれ
ども、そういう試案でございます。
その次に、実は
政治資金に
関係するところで、
自由民主党の方はこれまで百万円だったのを六十万円にするとか、いろいろ御
努力をされていることはよくわかります。この前、野党四党のそれの話に出ましたときに、私は野党四党案に大変不満を申しました。それはどういうことかといいますと、要するに、こういうときに根本的、抜本的な
改革をしなければ
改革なんということはできないのであります。
そこで、この間
後藤田さんもお話しになっておりましたけれ
ども、私は伊東さんと
後藤田さんのところへはいろいろな資料を持っては、先生、こういうふうにやった方がいいですよといって持ち込んでいますから、
後藤田先生も御
理解をいただいていたとみえます。
そこで、
政党法をつくって、ただし西ドイツの
政党法は、規制部分と国庫補助の受け皿部分と二つの問題が入っている
政党法なのですね。しかし、
日本は憲法で結社の自由があるわけでありますから、規制の部分はだめです。だから初めから
政党法に規制の問題はだめです。しかし、要するに企業から
お金を集めるとかなんとかといっても、そこはやはり
お金を出した側と受け取った側ではどうしたっていろいろとつながりができるので、できるだけそれを避けるためには、西ドイツの
選挙に対する国庫補助の
制度をこの際導入することが一番いいのではないか。その国庫補助を導入するためには、受け皿としての
政党法だけはどうしても要りますから、受け皿としての
政党法だけで、規制の部分のない
政党法をつくって国庫補助を入れたらどうだろうか。
今、西ドイツの
制度でいきますと、有権者一人当たり五マルクを国が四年間の分を含めて
政党に補助をいたしております。補助の仕方は、
選挙の終わった最初の年度が二〇、次が二〇、次が二〇、
選挙の年が四〇と、こういう配分で、有権者一人当たり五マルク、今七十円くらいでありますから、一人三百五十円の計算で実は国庫補助が行われている。金額は何も西ドイツを例示することはないのでありまして、みんなで検討すればいいことであります。
このように、企業と政治というものを遮断いたしますためには、主たる部分を国の費用で出してもらっても、
国民はその方が、政治の透明性という
意味ではこの際ならば
国民も納得していただけるのではないだろうか、私はこう思っておりますので、そういう
意味で受け皿としての
政党法、国庫補助
制度というものをこの際つくりたい、これが
一つでございます。
同時に、しかしそうだからといって今の献金を遮断することはできませんから、献金は結構ですが、献金はすべて党に集中をする、
個人に対する献金は全部遮断するということにこの際したいということでございます。そうしなければ、六十万とかなんとかいろいろありますけれ
ども、やはり
個人と企業とのつながりが遮断できない限り、今後また何が起こるかわからない。そこで党に対する献金を中心にして、我が方は十万円だったかな、十万円くらい以下のものは
個人の献金でも問題ないと思うのでありますが、その程度にして、そうして党に献金をするが、これはイギリスもそうやっている
制度があるのでありますが、こちら側は
政党が献金の公表をいたしますね。同時に企業側に、今の財務諸表の中に政治献金という項目をつくりまして、企業側もどこへ幾ら出したということを
法律で義務づける。ダブルチェックにするわけですね。イギリスはダブルチェックにしていますからね。要するに、
政党の側がこれだけどこの企業からもらいましたというのを出すが、同時に、財務諸表の方を調べれば、どこの企業がどこの
政党に幾ら出したというのがわかる。それがびしっと合えばもう疑惑はありません。透明度一〇〇%になるわけであります。私は企業献金を禁止しようとは思いません。
この間、
後藤田さんは大変誤解をしておられまして、どうも社会主義
政党というのは企業についてはもう全然関心がないのでどうとかこうとかおっしゃっておりますけれ
ども、私は大蔵
委員会に
昭和三十五年からおるのでありますが、三十六年以降、競争原理、市場経済論というのを大蔵
委員会でずっとやっておりまして、とにかく大蔵
委員会におけるデレギュレーションというのは、
自民党の
皆さんより私の方がはるかに前へ行ってデレギュレーション、デレギュレーションをやっているので、ちょっと
後藤田さん、そこの御認識は、
社会党は何か社会主義を目指してやっているというお話ですが、党はこれは機関でちゃんと大会決定にしておりますから、それはちょっと誤解があるわけであります。
そういうことなので、私は企業の政治献金を否定するものではございませんが、問題は透明度だと思うのですね。
国民が見て、ああこれは間違いない、それも
政党に行くのでありますから、だからすべてを
政党本位の
選挙制度にして、資金も
政党本位にする、そうしてその資金は
政党が
皆さんに分配をしてやることになればこういう問題はない。
私は、実は大蔵
委員会に
昭和三十五年から今日までずっとおりまして、歴代大蔵
大臣に大変申しわけないけれ
ども、大蔵
大臣として私が一番評価をしておりますのは田中角榮さんです。田中角榮さん、どうしてかというと、三年大蔵
大臣をしておられましたけれ
ども、普通の方は皆
答弁は役人の書いたのを読まれるのですね。役人の書いたものを読んでもらうのなら、
大臣に来てもらう必要ないのです。局長
答弁で十分なんです。私
どもが
大臣に入っていただきたいのは、
坂野自治大臣のように紙を持たないで自分のお
考えで
答弁していただくところに
政治家としての
大臣の
答弁があるわけですから。
ところが田中さん、一番象徴的なのは、証券取引法の
改正問題をやりましたとき、当時の証券部長が横におりまして、
大臣、ひとつ慎重に
お願いします、こう言っているのですね。角さんの
答弁は、いや、堀さん、御案内のように、事務方は今もここへ出る前に、一年や二年で免許制なんかやられたら事務局はとてもついていけません、だからその
答弁だけはやめてくださいと言っていたし、今もそうだけれ
ども、私は
政治家として堀さんの免許制に
賛成です、今内閣
委員会に証券局設置法を
お願いしておりますから、これができたら早速最初の仕事として証券の免許制に取りかかりますと言って、役人がどう言おうと
政治家の判断ではちっとやっておられる。これがやってあったから、証券恐慌になったときに実は免許制の問題がかなり進捗していたので私
どもは政府を責めることをしなかった、こういう経緯があるわけであります。
ですから、やはり問題は
政治家の
答弁が極めて重要なことでございますので、きょうはそういう
意味で
自治大臣が大変明確に
政治家としての御
答弁をいただいておりますので、私は
自治大臣を高く評価さしていただきたいと思います。
そこで、今の
政党本位の金の流れの問題、あとちょっと申し上げておかなければならないことは、今の小
選挙区制の問題その他いろいろこれからありますけれ
ども、今
皆さんのあれの中に「
国会に
第三者機関をもうけ、政府の
選挙制度審議会とあわせて、党内外の英知を結集した万全の推進体制をしき、」こうありますので、これは私、大
変結構だと思うわけでありまして、これはまたひとつ与野党の
皆さんが御相談いただいて、要するに
選挙制度審議会というのは内閣に設けられて
自治省所管の
審議会でありますけれ
ども、やはり
国会もそういう
関係者をお招きして、当
委員会の
皆さんがここで参加をしながら、議員の立場からの問題提起をしていただきながら、それで
選挙制度審議会の案と
国会の
第三者の案とそしてまた私
どもの
考え方というものを合わせて十分論議をした方がいいと思います。何も拙速で
処理をしていいわけではございませんので、時間をかけていいのです。
私は、これまで
法律決めて十年と言っておりましたけれ
ども、ちょっともうこの情勢では
法律決めて十年は長過ぎますので、もし
皆さんが御
協力いただけるならば、どうやら次の
選挙は来年になるのじゃないかという気がいたします。
自民党の
皆さんにすれば少し先の方がいいだろうというお気持ちもあるでしょうが、私はそうじゃないのです。四年という任期をやはりきちんと守る。特別のことがあれば別ですよ。それでなければ要するにみんな四年やろうではないか、こういうことになりますと、
選挙の時期がはっきりしますと、日常そんなに
選挙区へ帰って、ともかく金帰火来で
国会をほったらかして帰る必要がなくなってくる。
衆議院はいつ解散があるかわからぬものですからこうなるのですね。
私は
昭和三十三年五月に当選してきまして、当時、和田博雄先生が率いておられた政策研究会というのに入りました。そうしたら、その会の最初の会合で、亡くなられましたけれ
ども、今度の
選挙で横山利秋君が
全国で一番たくさん票をとって当選した、だから横山君にひとつ二回目の
選挙をどうやったらいいか、それを一年生は聞けと言われまして、そこで会合を開いて聞きました。そうしましたら横山さんが、これは難しいことではない、簡単なことだ、それは金帰火来だ、金曜日の夜行で
選挙区へ帰って、そして土、日、月としっかり
選挙区をやって、そして月曜日の夜行で東京へ帰ってくる、これだけを三年間くらいやれば絶対当選する、これが実は当時の横山先輩の私たちに対する言葉でございました。
そのころは新幹線もなければ、我々は金がありませんので、どういうことをして金帰火来をやるかというと、夜八時ごろ出る銀河という神戸まで行く夜間急行がありました。寝台券なんかとても買えません。私、当選したときに
お金の話なんて全然頭になくて、生活できるぐらいの
お金があるんだろうと思って出てきたんですね。最初に歳費を見たら九万二千円、
昭和三十三年五月。私は当時診療所をやっておりまして、私の診療所に眼科と歯科とを置いて三つの科で診療をやっていましたから、月収三十万円ぐらいあったのですね。そのぐらいはあるのだろうと思って
お金のことを全然
考えないで出てきたら、九万二千円でしょう。いや、これはびっくりしましてね。ですから寝台なんか乗らないで、夜行列車の二等で実は夜帰ってまた夜出てくる。ところが、横山さんとよく一緒になるのですね。彼は夜中の三時ごろに名古屋でおりて家へ帰る。こういうことでございまして、金帰火来。
これをやっている弊害がどこにあるのかというと、
政治家が勉強する暇がないということです。勉強していたら落選するということです。私は
政審会長を四年間やっておりまして、一生懸命党の政策のことを勉強していて、
選挙区へ余り帰りませんでした。そうしたら
選挙区の議員の
皆さんが、堀さん、これじゃあなた落選するかもしれぬぞと言うから、それは仕方がない、党のために政策を一生懸命やっているのだから。もう
一つ悪いのは、当時
政審会長なものですから、テレビに月に一遍くらい出るわけですね。
選挙中もテレビへ出た。たまたま新自由クラブが出てきて、土井さんの割り当て地域から刀祢館君という大変優秀な候補者が出てきました。そこで、要するに
社会党支持者は全部土井さんの方へ行きましてね、土井さん危ない、堀さん
政審会長だから心配ない。五十一年、ぽんと落選したわけですね。
だけれ
ども、私は落選しても大変勉強できたからいいと思っているのですけれ
ども、問題は、要するに勉強する時間がない今の
制度というのを、これを何とかしなければいけないということですね。ということはなぜかといいますと、
日本がキャッチアップをする時期にはモデルがありますから、モデルを見ながらやっていくのなら官僚の
皆さんというのは大変すばらしい能力がある。世界で一番すぐれた官僚
制度だと私は思っているのですけれ
ども、モデルがある間はいいのです。ところが
日本が一番前へ出てしまいまして、前にモデルがなくなった。そうすると、今や
日本は政治的にも経済的にも戦略がないのです。官僚の
皆さん、戦略はとても立てられない。
そちらに大蔵省の
出身の方がお二人も並んでおられますが、私は大蔵省以外のことは余りよく知らないのですけれ
ども、大蔵省は御承知のように完全縦割りなんですね。局あって省なしと言われる役所でございまして、完全縦割り。そこで政策立案は課長がする。課長はせいぜいで二年ですね。長くて課長二年。ここで政策立案する。それを決定するのは局長だ。局長も長くて二年。そうすると二年間のことは
考えられても、十年、十五年のことを問題提起しても後の人がどうなるかわからないということで、これは今の官僚システムとしてはもう無理なんです。今の人たちに戦略をつくれというのは無理です。戦略は
政治家がつくらなければいかぬですね。
私もおかげさまで二十八年六カ月在職させていただいておりますから、歴史的な問題も、世界との
関係でEC議員団の副団長だとか党の日朝
委員会の
委員長だとか、いろいろアメリカや欧州ともしょっちゅうやっておるものですから、私はそういう
意味で世界の状態もわかりますし、そして
日本での過去の歴史から将来展望できるわけですから、どうしても
政治家が、今の金帰火来のような
制度でなくて、要するに東京で勉強をして官僚を指導誘引できるような、政治主導の
国会にしない限り
日本は問題がある。
今為替が百四十三円とかいろいろなっていますね。政府は、いやそれは
関係ないとおっしゃいますけれ
ども、私は今いろいろな、例えばおとといのお昼は、シャバンデルマスさんがフランスから来て、田中龍夫先生と柿澤弘治さんと私と実はフランス大使館に呼ばれて一緒に話をしているのですけれ
ども、そこで話が出るのは、次のサミットにはだれが出るのですかと言われたら、さあ。柿澤さん、田中先生どうですかと言っても、さあそいつはわからぬ。これじゃ為替がうまくいかないのですよ、不透明ですから。だからひとつ早く
自民党の
皆さんに後継総裁を決めていただいてサミット対策をちゃんとしていただかないと、公定歩合を上げたって為替はなかなかそう簡単に動かない。
こういう問題もありますので、そういう
意味でひとつ政治主導の
選挙制度をこの次の
選挙、まあもう
一つまではやむを得ないですが、その次には変えるという、五、六年タームぐらいのことでひとつ
選挙制度の
抜本改革をやっていただく。そうして同時に、
政治資金の受け入れの問題は今でもできるのですから、
政党法を改めて国庫補助を入れて、それは今の
日本の国の予算から見ればそんなにたくさんの
お金を我々が求める気はないので、
国民の納得のいく範囲での資金をいただいて
処理をするということにしたい。
最後に、もう時間がありませんから終わりますけれ
ども、本日のこの
法案につきましては私
ども賛成でございますし、あわせて、小
選挙区が中心の
制度をお出しになりましても、これは私
どもは野党一致して
反対をして
成立をいたしませんので、そこのところは
国民世論も十分ごらんをいただき、
第三者委員会の意向も尊重していただいて、ひとつ与野党が一致してつくれる
選挙制度改革をやるように、
政治資金改革がやれるように、
自民党の
皆さんと私
ども野党もそれなりの
努力をして
日本の政治
改革をやりたいと
考えておりますので、ひとつそれについての
大臣の御
答弁をいただいて、私の質問を終わりたいと思います。