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1986-04-23 第104回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年四月二十三日(水曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 青山  丘君    理事 高橋 辰夫君 理事 仲村 正治君    理事 町村 信孝君 理事 上原 康助君    理事 新村 源雄君 理事 玉城 栄一君    理事 和田 一仁君       上草 義輝君    大島 理森君       鈴木 宗男君    月原 茂皓君       東家 嘉幸君    中川 昭一君       野中 広務君    深谷 隆司君       奥野 一雄君    関  晴正君       有島 重武君    吉井 光照君       瀬長亀次郎君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総務庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         総務庁行政管理         局長      古橋源六郎君         北方対策本部審         議官      稲橋 一正君         北海道開発庁計         画監理官    滝沢  浩君         外務大臣官房審         議官      都甲 岳洋君  委員外出席者         外務省欧亜局ソ         ヴィエト連邦課         長       野村 一成君         大蔵省関税局監         視課長     岡下 昌浩君         厚生省生活衛生         局検疫所業務管         理室長     吉里  実君         水産庁漁政部水         産流通課長   竹中 美晴君         水産庁振興部沿         岸課長     堀越 孝良君         水産庁海洋漁業         部国際課長   窪田  武君         気象庁総務部長 新谷 智人君     ――――――――――――― 委員の異動 四月二十三日  辞任         補欠選任   安井 吉典君     奥野 一雄君 同日  辞任         補欠選任   奥野 一雄君     安井 吉典君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  沖縄及び北方問題に関する件      ――――◇―――――
  2. 青山丘

    青山委員長 これより会議を開きます。  沖縄及び北方問題に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中川昭一君。
  3. 中川昭一

    中川(昭)委員 私は、北方隣接地域に関する諸問題について江崎大臣を初め関係各省庁に御質問させていただきたいと思います。  まず初めに、あの隣接地域隣国ソ連ということで、どうしても日ソ関係というものに非常に大きな影響を受けると思いますので、最近の日ソ関係についてお伺いをいたしたいと思いますが、日ソ関係というのは、日本ソビエトの二国間の問題とそれからそれぞれの国が属する東西両陣営の関係と複眼的に見ていかなければならないと思います。そういう中で日ソをめぐる状況というのは、戦後四十年間、領土の問題あるいは平和条約締結の問題という長くて大変大きな問題が基本的にございまして、その上で昨年の十一月にレーガン・ゴルバチョフ会談があって米ソ対話の道が開かれたとか、あるいはまた、ことし一月に八年ぶり日ソ外相会談が行われまして日ソについても対話のムードが進んでおるという状況だと思いますが、最近では例のリビアとアメリカとの紛争でソビエトが五月中旬に予定をしておりました米ソ外相会談を一方的にキャンセルするとか、あるいはまた、日本にとりましては非常に重大な問題でございました日ソのそれぞれの二百海里の中での漁業交渉が大筋妥結したわけでありますが、日本にとってみれば大変納得のいかない結末であったわけでございます。こういう事例的なものが幾つかございましたが、今の日ソ関係につきまして外務省はどういうふうに見ておりますのか、お伺いをしたいと思います。
  4. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のように、日ソ関係領土問題という二国間の特別の問題それから東西関係というものの大きな枠組みにあることは確かでございます。しかし、先生指摘のように、昨年からの米ソ間の話し合い雰囲気の醸成それから一月の日ソ外相会談において対話継続するということに合意したということから、雰囲気的にかなりよくなってきているということは事実でございます。その際に、御案内のように、領土問題を含めて平和条約交渉継続するということも合意されたということで、ソ連日本をより真剣に考え始めているという兆候があるというふうに感じます。最近の、四月に行われました日ソソ日経済合同会議におきましてもソ連側から、ソ連の内政の最優先課題技術革新であり、そのために日本との経済交流を進めたいという大変強い意欲が示されたということもございます。  そういうことで、日ソ関係は一般的に雰囲気的にかなりよくなってきており、そしてソ連側においてもこれを前向きに進めたいという意欲があるということは感じられるわけでございますけれども、一月の外相会談の際におきましても、領土問題を含めて平和条約交渉を行い、政治対話継続するということは合意いたしましたけれども、実質問題において特に進展があったかというと、それはそうでもなかったという評価もできるかと思います。それから、最近、御指摘のように二百海里の漁業交渉が非常に厳しかったということもございますので、いろいろな問題がまだまだございますので、雰囲気はよくなり、そして前向きの姿勢が見られるということはございますけれども、これから一つ一つの事例につきまして実質的にこれを前に進め得るのかどうかということを慎重に確かめていかなければならないというのが現状であるというふうに認識しております。
  5. 中川昭一

    中川(昭)委員 領土問題につきましては、今申し上げました一月の安倍シェワルナゼ会談におきまして十年間途絶えていた平和条約交渉が再開されまして、その中の共同コミュニケにおきまして、両国が同床異夢の形を排除するような形で、領土問題が平和条約内容となり得べき諸問題の中に含まれたというふうに書かれておるわけでございまして、これは外務大臣を初め外務省そして日本政府全体の大変な御努力の成果と高く評価をさせていただきたいと思います。  そこで政府における北方領土問題解決責任者である北方対策本部長である江崎大臣にお伺いをいたしたいのですが、今回の八年ぶりの日ソ定期外相会議、そしてその中で共同コミュニケにこういう形の一文が載せられたということは今後の北方領土返還運動にどのような影響を与えるか、どのように評価をなさっているか、お伺いしたいと思います。
  6. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の点は極めて重大だと思います。今外務省からの説明もありましたように、日ソの間にしばらく外交交渉が途絶えておったものが正式に外相会談が行われた、しかし領土の問題についてはようやくテーブルに着いた、私はそう思っております。その後のソ連からの放送によりましても、これを傍受した人々の取りまとめたものを拝見してみても、やはり領土のことについては非常に厳しい向こうの考え方を述べておることは依然として変わりありませんですね。  領土の問題についてはそれくらい先方においては、まあテーブルに着いたとはいえ変わらないという点について私どもも甚だ残念に思いますが、今も話がありましたように河合良一団長のもとに経済団体が訪ソしております。そのいろいろな報告によりますと、相当日本親近感を寄せるというか、むしろ向こうの強い要望でありましょうが、日本からもっと近代的な高度な技術を供与されたいというような強い要請が出ておることは事実です。そういうことを思いますと、やはり世の中ギブ・アンド・テークの原則というものもあるわけですから、先方がそれをしきりに求めるというならば、まず日本としては固有領土であるこの北方四島についての問題を十分話し合って、そしてそれが円満に解決される方向が出てくる、このことが技術協力にしても、今後の日ソ平和条約締結に向けての、最終的な大目的を果たしていくためにも重要な条件であることは変わりがないと思います。確かに、今外務省説明のとおりに、日本側に非常な深い関心と近寄りを求めておるということは総じて言える問題だというふうに私は認識しております。
  7. 中川昭一

    中川(昭)委員 これはやはり日ソの長年の懸案事項といいますか、十年間中断をしている北方墓参についてお伺いをいたしたいと思います。  先ほどの両外務大臣共同コミュニケの中で、昭和五十年以来ストップしております北方地域日本固有領土でありますが、この地域への墓参問題についてソ連側人道的立場からこの問題をしかるべき注意をもって検討していく旨述べたというふうになっておるわけであります。日本固有領土である地域にある自分の先祖のお墓にすら墓参に行けない。しかも旧島民の方は戦後四十年以上たっておりまして大変高齢化しております。そしてまた、あの地域は非常に気候の変化が激しい、厳しいところでございますので、墓参に行ける期間というのは夏のごく限られた時期ということ等を考えますと、この墓参早期実現というのは今共同コミュニケで述べられましたまさに人道的な問題でありまして、これは我々としても非常に重大に考えていかなければならないと思っております。仮に墓参についてソ連との話し合いがついた場合には、今度は我が国としてもこの墓参団に対しては国として細かな配慮もしていかなければならないと考えておるわけでありまして、大臣としては早期墓参実現と国としての細かい配慮についてどのようにお考えになっておられますでしょうか。
  8. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは今お示しのように、一月の共同コミュニケで「ソ連側人道的見地からこの問題をしかるべき注意をもって検討していく旨述べた。」これは明記されています。そういう見地からいいまして、当然これは人道的見地に立って速やかになさるべきである。四十年というと長いですからね。もう既に引き揚げをして亡くなった方が随分たくさんあります。そればかりか、先回の北方領土返還国民大会を催したときにも八十四歳の方から北方領土返還を強く求める電報が寄せられておりました。これは各党各派代表もこれに参列をされ、両院の議長、総理初め担当大臣である私どももこれに列席したわけですが、八十四歳の方の電報と思いまして、そのときはちょっと、随分お年寄りの方が熱心に電報を寄せられるというふうに思いましたが、考えてみれば引き揚げられるときは四十四歳の全く働き盛りということを思いますと、本当に感慨無量ですね。ですから、目下外務省に対して我々担当省庁としても積極的にこの共同コミュニケの線に沿って墓参ができるように強く要請をしておるところであります。外務省においてもこれに対して、現地大使館はもとより熱心に対応してもらうというのが現況であります。
  9. 中川昭一

    中川(昭)委員 今のお話にありますように、領土問題あるいはまた平和条約締結という長年の夢、それから墓参の問題、そしてまた最近の日ソ交渉の結果、特に北方隣接地域といいますか、北海道全体がソ連に対して非常に感情的に悲しみというか怒りを持っておるという現状を考えますと、日本全体としてもう一度ソ連とゆっくり対話をしなければいけない。つまり、具体的に申しますと、ことしの日ソ定期外相会談で約束された今度は日本外務大臣がモスクワに行って、今申し上げたようなことを含めて、あるいはまた文化交流協定等いろいろあると思いますけれども、そういうものを含めて向こうの首脳と日ソの基本的な対話の流れをさらに推し進めていく必要があるのではないかと考えますが、外務省その辺はいかがでございますか。
  10. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のとおり、日ソ間におきましてはいろいろな問題がございますので、じっくりと対話を進めていく必要があると考えております。その意味で、先回一月の外相会談において対話のレールが敷かれたということは非常に貴重なことでございまして、安倍外務大臣といたしましても、次に合意されたところに従ってみずからソ連を訪問してこの対話継続を図りたい、そして平和条約交渉継続したいということで強い意欲を示されておられ、現在ソ連側と訪ソ問題について折衝中というところでございます。
  11. 中川昭一

    中川(昭)委員 それでは、北方隣接地域で今一番の緊急重大な問題である日ソ漁業交渉についてお伺いをしていきたいと思います。  昨年以来ずっと続いておりました日ソ地先沖合交渉につきましては、ことしになりましてずっと出漁できないまま今月の十一日に、羽田農林水産大臣が訪ソをされて大体大筋で決着をしたわけであります。結果は底刺し網はえ縄漁業全面禁止でありますとか、あるいはまた三角水域、これはもう北方四島の中にある日本固有の海と言ってもいいわけであります。非常に魚の豊富な三角水域全面禁漁、そして漁獲量は昨年六十万トンであったにもかかわらず四分の一の十五万トンと想像を絶する過酷な結果になったわけであります。この結果、大打撃を受ける地域日本全体、水産基地中心として幾つかあるわけでありますが、その中でまことに不幸なことに北方隣接地域中心都市である根室市が一番の被害をこうむっているのが実情だと思います。羽田大臣は四月十二日に帰国なさった後、直ちに釧路根室稚内と非常に大きなダメージを受けた地域を図られまして、今回の非常に厳しい長い交渉の経過について御説明なさり、また現地実情を視察なさってきたわけでありますけれども大臣はどのような御感想をお持ちになって、そして水産庁当局にどのような御指示をなさったのか、水産庁にお伺いしたいと思います。
  12. 竹中美晴

    竹中説明員 お答え申し上げます。  羽田大臣におかれましては、今次交渉の厳しい結果につきまして、ぜひみずから現地に赴きまして直接経緯も御説明いたしたい、あるいは現地実情もみずからの目でごらんになりたいということで、先週末十八、十九日でございますが、まことに強行日程ではございましたが、釧路根室稚内を図られました。これらの地域におきまして、市長さんを初め漁業水産加工業その他関連業界代表から現地の極めて厳しい実情を聞かれまして、これら地域におきます北洋漁業ウエートの大きさあるいは今日の交渉結果の地域経済に与える影響につきまして認識を新たにされたと伺っております。このような視察結果を踏まえまして、大臣からはこれから関係各省との連携を密接にいたしまして早急に必要な対策内容を詰めるよう指示があったところでございます。
  13. 中川昭一

    中川(昭)委員 水産庁におかれましては、交渉事務レベルでまだ継続中でございますが、結果については、地元人たち交渉はもう終わったんだ、そしてことしは大変厳しいんだという認識でおりますので、ひとつ早急に考えていただきたいと思います。  と同時に、江崎大臣、この根室市というのは、御承知のように北海道開発の発祥の地の一つでございます。そしてまた、戦前は非常に豊かな漁場固有領土である北方四島に対する中心基地として、また外国貿易港として大変栄えていたわけでありますが、戦後北方領土ソ連に占領された後、経済的にも行政的にも北方四島と根室というのは一体であったわけでありますが、それが無理やり分断をされてしまいまして、日本最果ての袋小路の地域になってしまいました。そういう中で衰退の一途をたどっていった根室地域でございますが、その中で唯一、町というか根室市の経済を支えていたのは漁業でございます。そしてまた、漁業に関連するいろいろな産業ということでありますが、今回の日ソ交渉の結果、影響を受ける主要な幾つかの町の中で、例えば工業製品出荷額に対する水産加工製品ウエートを調べてみますと、釧路市が三・三%、小樽市が九・四%、網走市が五八・三%、紋別市が六三・九%、稚内市が七六・三%、ここまででも大変異常な数字でありますが、根室市に至っては八九・九%、もう全根室市の工業出荷額の九割が水産関連のもので占められているという状況であります。これは一つの町の一つ産業である漁業が大きな影響を受ける。例えば中型船二十三隻、小型船八十五隻の計百八隻が漁場を失う、あるいは根室市の漁協の三〇%を占めるタラ、カレイ等の七十四億円の水揚げがなくなるとか漁船員の八百八十四人の職が失われるという。これだけでも大変なダメージでありますが、一産業だけのダメージじゃないのです。漁業のほか、関連産業の造船、鉄鋼、漁網、漁具、船舶、機械、製氷、魚箱、船に積み込む食料品、燃油、運送業、もう町のほとんどの産業が大変なダメージを受けるわけであります。賃金がもらえない結果、四月入学時期に入学金が払えなくて、政府系金融機関に借り入れを申し込みに行ったところ、あなたは漁業関係者だからお金は貸せませんと言って断られて入学金もままならないという話も聞いております。また、昨年のサケ・マス交渉のときには、交渉がおくれまして、電機関係の方だったと聞いておりますが自殺者が出ました。ことしもこのままいけば何人かの方がみずから命を絶たなければならないということも、これは残念ながら予想せざるを得ない状況になってきているわけであります。商工業中心として四万人の一つの大きな町が、ほとんどの業種が経済危機に陥って、大量の失業者が発生して、しかもこの都市北方領土中心都市北方領土返還運動の拠点、聖地の町が今消滅するかどうかの瀬戸際に立たされているという状況であります。  地元の人は、北方領土日本固有領土ですから、北方領土はもう実質的に日本のもので、経済活動もできたら当然こんな問題が起きなかったであろう、あるいはまた、この時期に来たら、北方領土返還も大事だけれども、我々が生きていく方がもっと大事だから、生きることをまず第一に考えてくれ、領土問題は二の次だ、こういうまことに残念な意見も出ておることも事実であります。そしてこのままいけば北方領土返還運動、これは大事な大事な国民的合意事項である北方領土返還運動にも重大な支障を及ぼすことは、当然予想しなければいけないというふうに考えております。  さらに、江崎大臣、副総理としてぜひ聞いていただきたいのですが、日本最果て地域、しかも隣国日本体制を異にし、日本にとって脅威な国がすぐ近くにある、その地域が疲弊をしていくと日本の国防上大変に重大な問題が起こってくる、ゆゆしき問題になるということも当然考えていかなければならない。  ちょっと長くなりましたが、こういう日ソ交渉の結果、根室市を中心とする隣接地域が、今いろいろな意味で大変な状況になっているということに対して、大臣の率直な御感想をお伺いしたいと思います。
  14. 江崎真澄

    江崎国務大臣 まことに重要な御質問だと思います。  私自身もあの漁業交渉の結果を見まして、これは予想に反して相当厳し過ぎるなという印象を持ったことは事実であります。羽田農水相も随分努力をしてくれたということは評価できても、結果としては、やはり日ソ交渉というものはこの程度のものか、何かちょっとがっかりする感じですね。  これも私さっき申し上げましたように、経済使節団が行けば、それに対して相当強い要請もあるのですから、今後の経済的な協力体制と相まって、何かこういう現実的な困難な問題の道を開くことはできないのかということをしみじみ思いますね。領土はもとより、これは根幹に関する重要な問題です。しかし、とりあえずの問題は、少なくとも向こう技術協力や高度な産業の移転をもし考えておるというならば、それについて我が方として、やはり要求すべきものは相当強く外交的に要請をしていく。これは農林大臣がその場面でやる話ではないでしょうね。しかし、外務大臣が今度訪ソするというようなことになれば、当然そういった問題と一緒に議論をする場面もあっていいのではないか、またあるであろう、こう私は予測するわけであります。  私も十四、五年前になりましょうか、たまたま北海道開発庁長官というのを自治大臣と兼務をして任ぜられたことがありますから、現地をよく見ております。その後はまた、自衛隊の隊友OBの会長ということで直接見てみましたが、何もヘリコプターで飛ばなくても目の先、肉眼で見えるのですから、その地域が全く自由に自分たち漁場でないということは、もとあそこに住んでいた人にしてみれば、また根室の人にしてみれば、どんなに残念なことか。歯舞、色丹は、もともと北海道庁の管内にあったのですから、そのことを考えますと、根室市民の心情というものは察するに余りある。これはやはり政府としてもこのことは重要に受け取っております。
  15. 中川昭一

    中川(昭)委員 大臣の大変厳しく受けとめていただいていることを、心から感謝を申し上げます。と同時に、これはやはり北方対策本部長行政最高責任者として、具体的な対策を考えていただかなければならないと思うのです。  昭和五十八年七月五日の内閣総理大臣決定の「北方領土問題等解決の促進を図るための基本方針」というものは、特殊事情から、望ましい地域社会としての発展が阻害されておる北方隣接地域を安定した地域社会にしていかなければならない、というふうに決められておるわけでありますが、今の状況というのは、まさに安定発展どころか、大パニックというのが実情であります。水産庁は、先ほどの御答弁にもございますように、早急に対策を練っていただくということでございますが、これは、日ソ交渉にかかわる影響を受ける日本全体の地域について、早急に対策を考えていただかなければならないわけでありますけれども、この地域は、やはり北方対策本部長として、ぜひ考えていただきたいと思うわけであります。  この地域は、総務庁そして北海道開発庁として、独自に対策を――これもちょっと長いのですが、北方領土隣接地域安定振興対策等関係省庁連絡会議という十三省庁にわたっての連絡会議で、この地域振興発展に努めるという大事な会議がありまして、この事務局北海道開発庁、そして責任者対策本部長だと思いますが、こういう大事な会議をこの際大いに利用していただいて、例えば労働省が雇用対策とか通産省には中小企業対策、自治省には特別の地方財源対策、あるいは大蔵省には、今地元から強い陳情が出ております、所得の激変に伴って特例措置として所得税減免措置をしてくれという要望も出ておるわけでありますが、十三省庁一致団結して、この地域特殊性あるいは緊急性から見て対策を練っていただきたい。本部長として、そして次に事務局である開発庁に、これについての具体的な対策をぜひお示しいただきたいと思います。
  16. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは十三省庁にまたがる重要な問題ですから、もとより絶えず連絡をとっておりますが、今度のこの問題について、正式に議題としてよく論議をするように対策をとりたいと思います。
  17. 滝沢浩

    滝沢政府委員 お答えいたします。  北方領土隣接地域振興につきましては、北海道開発庁が窓口になりまして、政府部内の協力を得ながらあそこに重厚な振興対策を進めているということで今日に至っているわけでございます。現在も、明年度の講ずべき施策について今作業を取りまとめ中であります。それについては鋭意進めていきたいと思っておりますけれども先生がおっしゃいましたような最近の日ソ交渉をめぐる影響が、地域に非常に深刻な影響を与えている事態になっておりまして、私たち、大変深刻に受けとめているわけでございます。  今水産庁の方でその影響等について全部調査をしておるということで、対策がいずれまた出てきますし、場合によっては当庁などにも御相談があるかと思いますが、私ども会議関係がある部分が出てきましたら、積極的に受けとめまして、何とかあの地域早期に安定するように努めてまいりたいと思っております。
  18. 中川昭一

    中川(昭)委員 今大臣から関係省庁連絡会議で正式な議題に取り上げていただくというお話伺いまして、ひとつ早急にしかも具体的にぜひともお願いをいたしたいと思います。  次に、旧島民に対する援護措置についてお伺いをいたしたいと思います。  戦後四十年間、島民の皆さんはもちろんでございますけれども日本全体の悲願である北方領土返還運動というのは、国民に対する啓蒙運動、そしてまた隣接地域振興、そして旧島民の皆さんに対する援護が三つの大きな柱だというふうに理解をしておるわけでございますが、このうち旧島民の皆さんに対する援護につきまして、旧漁業権者の方々の漁業権も含めましてお伺いをいたしたいと思います。  旧島民の皆さん、特に漁業中心とした町でございますが、漁業をしていた皆さんは、今でも当然日本固有領土、したがって自分の海だ、自分の海であるにもかかわらず漁業ができない、したがって生きていく糧が奪われてしまったという特殊な事情に対して、特別の融資をしておるわけでございます。終戦当時約一万七千人の方が元居住者というふうに言われておりますが、もう四十年たちまして、亡くなられた方も大勢いて、今一万一千人ぐらいの方がいるというふうに伺っております。自分固有領土でありながら帰りたくても帰れない、先ほどの墓参すらできない、しかも大多数が高齢化し、またもう世代交代をどんどん迎えておるという時期でありまして、こういう元居住者の皆さんの特殊な地位というのは、その方が高齢化し、あるいは仮にお亡くなりになっても、やはりそのお子さんやお孫さんたちの代に当然に引き継がれていくべきだというふうに考えております。小さなお子さんでもその当時生まれておったならばそういう権利があるそうでありますが、その当時生まれてない人は、こちらに引き揚げてきてから生まれてきたお子さんやお孫さんについてはその権利がないということは、ちょっと島民の皆さんの心情としてはまことに理解ができない、実は私もそう思っておるわけでございまして、やはり地位の継承、そしてまた融資枠についても、これだけの経済の成長をしておる日本でございますから、経済の実態に合った形での融資枠の拡大というものも考えていただきたいというふうに思っておりますが、大臣、お答えをお願いいたします。
  19. 江崎真澄

    江崎国務大臣 この問題は、古くからの問題でまた新しい問題でもある、随分議論をされてきたところであります。現に、引き揚げてきた人に対しては特別措置をしておることは御存じのとおりですが、その新しく引き揚げた後のお子たち、あるいはもう孫もありましょうね、そういった人たちに一体どうするのか、これは現在の経済事情などの問題もありますが、これはやはり北方四島が固有領土であり、これを本来我が国に戻してもらわなければ平和条約締結できない、こういう環境にある特殊な問題であります。  したがって、総務庁としては、ぜひ今あなたのおっしゃるような形でこれが継続されるような処遇がしかるべきであるということで、大蔵省当局の理解を求めておるところであります。今後も熱意を持って問題解決のために努力をしていかなければならない、古くしてしかも新しい未解決の問題、そのままにしておいてはならぬというふうに考えておるものであります。
  20. 中川昭一

    中川(昭)委員 この件で総務庁の事務当局にお伺いをしたいのでありますが、実は昭和五十九年の八月二日、当委員会で私同じ質問をさせていただきました。そのときにも政府委員の御答弁は、地元の強い要望もあるし、質問の趣旨もわかるから慎重に検討させていただきたい。また、当時の後藤田大臣は、検討の課題である、科学的に検討して必要とあればこれはやはり考えなければならないというふうに御答弁をなさっておるわけでありますが、その後具体的にあるいは科学的にどのように検討なさったでしょうか。
  21. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 お答え申し上げます。  この問題につきましては、実は継承権というふうに一般に言われているわけでございますけれども、継承権、親から子に伝わるという継承権という問題だけではなくて、実を言いますと、この融資制度そのものが、生活の本拠を奪われて北海道なり本州なりに引き揚げてきた人たちに対する援護措置という考え方に立っておるわけでございます。それに対しまして、継承される人たちというのですか、子とか孫とか、こちらに来て生まれた人たちに対する措置になるわけでございますが、そうしますと、これは単なる援護措置というものではなくて別の考え方に立たないとこれはちょっとできないんじゃないかという点があるわけでございます。  といいますのは、こちらに来て生まれて、こちらの学校を出て、こちらで就職をしているという人たちがいるわけでございます。早い話が、千島連盟の人たちの話を聞きますと、やはりこちらのどこかの市町村の公務員になられた方とか学校の先生になられた方とか、そういう方がおるわけでございます。そういう人たちの子にまでいくという話になってくるわけでございますと、これは単に援護という話ではなくて、新しい制度、継承権といいますけれども、全然別の考え方に立った新しい制度にならざるを得ないという問題点が一点ございます。これが一つの問題点でございます。  それからもう一つは、これは最近の話になるわけでございますが、先生指摘のように今まで毎年度の貸付枠は十億円あったわけでございます。それをことし十二億円に増額させていただいたということでございます。十二億円に増額させていただきました理由は、一つは貸付対象者のところになかなか順番が回ってこないとか貸付金額の総額が少な過ぎるとかということで非常に競争が激しいからふやしてくれという要望がありまして、やっとことし五年越しで日の目を見て十億円が十二億円になった。そういう厳しい条件というんですか、競争が激しい融資の条件の中で、現在の北方領土から引き揚げてきた元居住者の方々ですらそういう厳しい条件で受けている状況の中で、新たな対象者をここでぐっとふやすということが果たして今の段階でいいのかどうかという問題も一つあるわけでございます。  といいますのは、これは世帯単位でございますので、対象者の数が、当時人間の数でいいますと一万七千人、現在一万一千人くらいだろうと言われているのですが、世帯の数でいいますと、三千世帯くらいだったわけでございます。それで、例えば一家で引き揚げてきた、一家というのは全部対象になるわけでございます。ただ、一世帯である場合には一つしかないわけでございますが、それが例えば子供さんが三人おりまして、それぞれ結婚されまして三つ世帯が持たれると、今度は対象が四つになってくるというような状態がありまして、その子とか孫とかに広げていきますと、対象者がまた非常にふえてしまうのじゃないか。そうすると、今まででも今言ったような対象枠を広げるというような議論があるということと非常に矛盾してきてしまっているという問題がありますので、これはちょっと慎重に検討しなければならぬ問題ではあるというふうには考えております。  ただ一方、そうはいっても前からありますので、果たしてその世帯がどうなっておるのか、どのくらいふえてしまうのかというような実態調査だけは六十年度から続けております。
  22. 中川昭一

    中川(昭)委員 この問題はさらっと通ろうと思ったのですが、今のお話を伺っておりまして、確かにその理屈もわからないではないのですが、しかし、北方領土が今実態も伴って日本領土であったならば、やはりそのうちのだれかが漁業を継いでずっと北方の海で魚をとっていたであろう。今のお話を伺っておりますと、世帯がずっと広がっていくからだめなんだということでありますが、逆に言えば、自然減を待って何十年後かにはゼロにしてしまうようなお話にも聞こえるわけでありまして、その辺は地元の皆さんの感情としてはちょっと理解できないところでありますので、大臣、ひとつその辺はよく御理解をしていただきたいと思います。
  23. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはやはり重要な問題で、まあ事務方から答えればああいう答えになると思いますよ。これはああ言わざるを得ぬと思うんです。  ただ、政治問題として考えるときに、北方領土返還をこれくらい執念を燃やして努力しておるというときに、これを放置しておいていい話じゃないのです。だから、これは私もその職にあろうとなかろうとこれはやはり協力して、今後もその子孫に広がっていくように、それは領土返還された暁にはそこへ行きたい人は行ってくれるでしょう、戻る人は戻ってくれるでしょう。けれども、そのときはあるいは打ち切りということになるかもしれませんが、やはり北方領土の灯を消すなというときに、あなたが言われるように自然減少で最後にゼロになったらさよなら、それで一体北方領土返還の熱意が子々孫々に受け継がれていくかどうか、これは大きな疑問ですね。ですから、政治的に考えるならば、これは非常に重要な問題だ。その点を多少大蔵省ども考慮して、今度の現世帯にも総務庁の事務当局も一生懸命努力をしてそれなりの、窮屈なときに融資増額を図った、対策増額を図った、この点は酌んでやってもらいたいと思いますが、今の答弁はやはり私どもの立場からすれば、もうちょっと熱意を持ってこの広がりを何とか実現する努力を、あなた方関係者と一緒に協力したい、こういう心情であります。
  24. 中川昭一

    中川(昭)委員 どうもありがとうございました。  次に、北方領土問題等解決の促進のための特別措置法、いわゆる措置法でありますが、第七条に、振興対策を積極的に推進するために国の補助事業については特別の助成措置をするということで、補助率のかさ上げが規定されておるわけでありますが、今までいろいろ行革関連絡みで凍結をされておったわけでありますけれども、今のところの実情はどうなっておるのでしょうか。
  25. 滝沢浩

    滝沢政府委員 先生御承知のように、北方領土特別措置法の七条では、隣接地域についての特定の事業について補助率のかさ上げをするということが定められておったわけでございます。しかしながら、この規定については、従来行政改革特例法に定める特例適用期間、これは五十七年度から六十年度までの三カ年間適用されないこととされてきたわけでございますが、このたびその特例法が延長されないこととなりましたので、七条のかさ上げ措置を発動するということで現在作業を進めているわけでございまして、当庁が中心になりまして、今関係省庁と鋭意作業を進めている段階でございまして、近く結論が出るというふうに見通しております。
  26. 中川昭一

    中川(昭)委員 この補助率のかさ上げ措置というのは、この地域振興安定対策に非常に大きく寄与をすると思います。できるだけ時期的に早い時期に政令指定をいただきたいというのが一つと、それから地域特殊事情を考えまして、これは政令でできるわけでありますから、できるだけ広い範囲で、ひとつ政令の指定をしていただきたいと思います。ひとつ御決意をお願いします。
  27. 滝沢浩

    滝沢政府委員 当庁としてはできる限り先生の趣旨を入れて努力したいと思っておりますけれども、なかなか壁も厚うございまして、最近の財政状況も非常に厳しゅうございますから必ずしも楽観を許さないという状況でございますが、できるだけの努力をしていくということで御了解いただきたいと思います。
  28. 中川昭一

    中川(昭)委員 当委員会としても全面的にバックアップをしますので、ひとつよろしくお願いします。  同じく特別措置法の十条に北方領土隣接地域振興等基金というものが決められておりまして、この中で五年をめどとするというふうになっております。また、金額につきましては、これは審議の過程におきましては百億円となっておりまして、また、我が自由民主党の最高幹部の覚書にも百億という金額が明記をされておるわけであります。これは責任政党、公党としての自民党の、日本国民に対する公約というふうに私は理解をしておるわけであります。また、以前に私、同じ質問をさしていただいたときにも政府委員の方の答弁は、基金が百億円というふうに想定されていたことはよく承知をしておりますというふうな御答弁もいただいておるわけでございます。ところが、五十八年から六十一年までの四年間で、国費、道費合わせて毎年十億ずつ、四十億ということであります。それから期間については五年以内ということですから、これは造成するのに三年で終わろうが一年で終わろうがいいわけでありますが、いよいよ最後の五年目を迎えてしまっておるということで、地元の皆さんはこの基金の五年百億という造成に大変な期待とそれから不安を抱いておるのが実情であります。  金額については、五年で百億ということであれば、単純に割れば毎年二十億ずつということになるのでありますが、当初予定の半分のペースでしか進んでいないということでありまして、昭和五十九年八月に私が質問をさせていただいたときには、当時の後藤田大臣が、五年で百億できるのかという質問に対しまして、「厳しい財政事情等もにらみ合わせながら精いっぱい努力をしてみたい、」後藤田大臣、精いっぱい努力をしていただいた結果がやはり前年と同じ十億円であったというわけであります。  北方領土とその隣接地域に対する国民の合意のある非常に特殊な地域、そしてまなその地域振興のための基金であるにもかかわらず、金額は当初の予定のペースの半分ということでありまして、この地域振興が計画どおりに進んでいるのならいざ知らず、依然として地域の活性化の必要性が叫ばれておったり、また、先ほど申し上げたように、根室では大打撃、もう壊滅的状況ということであるわけであります。しかもさらに、造成した基金の運用益で賄うわけでありますが、最近三度にわたりまして公定歩合が非常に下がっておりまして、その結果利回りも大幅に下がっておるということで、利用する金額も当初の見込みを大きく下回らざるを得ないというふうにも予想されるといういわゆるトリプルパンチに見舞われておるのが実情だと思います。何としても五年で当初の予定どおり百億円、つまり六十二年度に六十億円、国費四十八億円の概算要求をすべきだと思いますが、大臣、いかがでしょうか。
  29. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 特別基金の計画でございますが、先生おっしゃるように、ことしの予算でもって十億円積むことになりまして、それが交付されますと四十億になるということでございます。これまでもたびたび先生方に叱咤激励されてきたわけでございますけれども総務庁といたしましては、これまでにないような厳しい財政事情のもとにおいて対前年度マイナスの概算要求基準という設定がありまして、これは補助金でございます。で、これにかかるわけでございますが、こういう中で前年どおりというのですかの枠を守るのが精いっぱいでございました。といいますのは、北方対策本部の予算そもそもが五億円しかなかったわけでございます。そこに八億円のものが降ってきたわけでございますので、そこにまた一割の削減がかかってくるということでございまして、それをやっていくのが大変な話だということで、我々としては精いっぱいやってきて現状どおりになっておるということでございます。  法律で定める造成期間が確かに五年以内をめどとなっておりますので、あと残すところ一年ということでございますが、総務庁といたしましてもこの基金に対する地元の強い要望あるいは特別措置法の立法経緯等十分承知しておりますので、財政事情等諸般の事情を総合的に勘案いたしまして、従来同様最大限の努力はしてまいりたい、こういうふうに考えております。
  30. 中川昭一

    中川(昭)委員 この基金は、市町村単独事業に対する補助というふうに限られておりますが、地元としてはもっと弾力的に使い道を広げてほしいという要望が強いのですけれども、この辺の補助先の枠を広げるかどうかということについてお考えございますか。
  31. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 北方領土隣接地域の市町村でございますけれども北方領土返還要求運動を推進するためには、厳しい財政事情の中で積極的に事業を実施していることから、これら市町村に対しまして単独で実施してきている事業に対してその一部を補助するというのがこの立法の趣旨でございます。言ってみれば、補助対象にならないような細かいものについてきめ細かな対策をするというのが趣旨であったと思っております。したがいまして、基金対象事業の実施に当たりましては、国庫補助事業にかかわる附帯事業、国庫補助事業本体ではなくてその附帯事業のようなものについてこの基金が充てられるというようなことで実施していくのが必要ではないかと考えております。したがいまして、第十条の「国の補助又は負担を伴わないものに限る。」という規定を撤廃するということは、立法の趣旨から考えまして困難な問題ではないかと考えております。
  32. 中川昭一

    中川(昭)委員 大臣、確かに法律的にいけば今のそういう御答弁になるのだと思うのですが、この法律というのはそもそも北方隣接地域振興ということでありまして、振興と、先ほど申し上げました国民の北方領土返還の啓蒙運動というのは表裏一体だと思うのですね。そういう意味で、例えば北方領土の歴史をもっと理解するための施設をつくってもらうとか、あるいはまた観光で人を呼んで、そして大臣先ほども仰せられたように、高い所に登ればすぐに国後島が見えるわけでありますから、ここが日本固有領土だというふうに思っていただくためのいろいろな施設をつくるというのは、やはりこの法の本来の立法趣旨からいってむしろ合致するのじゃないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  33. 江崎真澄

    江崎国務大臣 先ほど来御質問を傾聴しておるわけです。何とか私も最善の努力をしたい。事務当局としてもマイナスシーリングのときにとにかくどうにか前年どおりを守ってきた。しかし、一遍にあと六年分というと四十八億ですか、これを満たすというようなことは幾ら何でもちょっとこの財政事情では不可能と言わざるを得ぬと思います。しかし、最善の努力を尽くします。そしてこれを応援してください。ぜひ努力いたしましょう。そしてそれが今おっしゃるように、なるべくやはり地元民の要請にかなうような面に広く使われていくように、今何といっても原資が少ないですから、思うような行き届いた施策ができませんが、今後とも努力をしてまいりたいと考えております。
  34. 中川昭一

    中川(昭)委員 財政状況が大変困難な折と言いますけれども、先ほど政府委員から御答弁あったように、当初の予定を超えて、シーリングと全然関係なく国費八億がついたというのが最初の経緯でございますし、何としてもこの基金、六十二年度で百億を造成していただきたいと思うわけであります。実現されれば江崎大臣のお名前が北方領土返還運動の歴史の中にさん然と輝くわけでありますし、何としても一市四町、十万人の皆さんの、生まれたばかりの子供からそれこそ八十歳、九十歳のおばあちゃんに至るまで、江崎真澄先生という名前が十万人の心の中に完全に刻み込まれるわけでありますから、ひとつ大臣、概算要求時期までまだちょっとありますけれども、それに向かって、大臣の御決意をひとつもう一度お聞かせいただきたいと思います。
  35. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは最善の努力をしましょうね。そしてぜひ協力してくださいよ。これはやはり政府としては財政事情の困難なことがにわかに変わるとは思いません。しかし、何かアイデアがないのかなということを就任以来私も考えているのです。世の中にはばかに金をたくさん持っておる人もおるのですからね。そういう篤志に今依存するというわけにもいきますまい、これは政府の公約ですから。これは政府が責任を持つ問題でありますが、最善の努力を積み重ね、また皆さんの御協力のもとにやはり何らかの成果を上げるような努力をしてみたいと考えます。
  36. 中川昭一

    中川(昭)委員 立法の趣旨からいって、振興、安定という目的が五年で当然達成できるとは思いませんけれども振興、安定どころか、先ほど申し上げたように、今まさにこの地域がもう降ってわいたような大変な、地域全体が沈没するかどうかという状況でありますから、これをひとつ特例として、これを一つのきっかけとして、理由として、この地域の救済ということで特別の措置をしていただくようにできないでしょうか、大臣
  37. 江崎真澄

    江崎国務大臣 いやなかなか、これはもっと景気よく御期待にこたえたいと思うのですが、政府全体のことを考えるとそう私が軽受け合いをして、何だあとできなかったじゃないか、これではそれこそ汚名を残しますな。しかし、これはひとつ努力しましょうね。努力というのは絶えざる努力、やはり努力努力努力ということが不可能を可能にするんですから、これはひとつ最善の努力を果たしてまいりたい、そう思います。
  38. 中川昭一

    中川(昭)委員 我々も本当に地元の問題でありますから、これはもう命がけでやらざるを得ないし、頑張りますが、大臣が今努力を三回言っていただいた結果、何となく不可能が可能になりそうな感じもしてきましたので、ひとつよろしくお願いをいたします。  最後になりましたけれども、今までずっと申し上げてきましたように、この北方領土に住んでいた方々の四十年間の気持ち、そしてまた隣接地域の皆さんの地域の御苦労、そしてまた今何回も申し上げておりますが、漁業交渉の結果、根室という北方領土返還運動の聖地が今大変な危機に陥っておるという厳しい状況でありまして、今まで申し上げたような対策を万全に練っていただきたいというのが一つ。  それからやはり天下の副総理北方対策本部長、そして総務庁長官江崎大臣北方領土の見える地域にそのお姿を見せていただきたい。これがやはり一市四町、十万人の皆さんがそれによって、江崎大臣にわざわざ忙しい中来ていただいたんだということで、領土返還運動にもあるいは地域振興にも、地元の皆さんの御努力がまず第一番でありますけれども、その努力をする上でも大変な力がわいてくるというふうに考えておるわけであります。今までも担当大臣にはお忙しい中、来ていただいたわけでありますが、江崎大臣の場合は特に副総理ということもございましてお忙しいと思いますけれども、だからこそ江崎大臣に一日も早い時期に国後、択捉が見える、三キロ先は外国の領土、しかも日本固有領土という地域を実際に見ていただいて、地域実情を肌で感じていただいて、そして地元の皆さんを激励し、さらに北方隣接地域振興にお力添えをいただきたいと思っております。ぜひとも大臣、近いうちに来ていただきたいと思いますが、イエス、わかったという御答弁をぜひともいただきたいです。
  39. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは当然のことだと思います。既に私、北海道開発庁長官として見せていただいだ、それからまた自衛隊のOBの会長として見せていただいた、これはそれぞれ目的が違いますからね。やはり責任者として速やかに参上したいと思っております。
  40. 中川昭一

    中川(昭)委員 じゃ、できるだけ早い時期に来ていただけるという大臣のお答えを大変ありがたくいただいて、質問を終わらせていただきます。
  41. 青山丘

    青山委員長 鈴木宗男君。
  42. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 先ほど中川委員も御質問なさったんですけれども江崎大臣は副総理ということで、実力大臣北方領土返還運動の総責任者になってくれたということで、私も大変心強く思っています。そして今中川委員から早い機会に北方領土現地視察をしてもらいたいという要望がありましたけれども、具体的に大臣、時期はいつごろ足を運んでもらえるか、明確な返事をいただきたいと思います。
  43. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっと今日程を決めかねるわけです。ということは、土曜、日曜、いろいろなところへ応援に出かけるんです。それから党の政経文化パーティーだとかいろいろなことで約束をしております。その間に、サミットに直接関係はしませんが、やはりそのときはぜひ控えておってくれという総理お話もありますから、本来なら連休にでも行きたいところでありますが、もうしばらく時間をおかしいただいて、あなたのおっしゃる速やかにというその意味を十分心得て日程をつくってみたいと考えます。
  44. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 大臣、しつこくて申しわけないのですけれども、何といっても副総理が主管大臣になったというのは今回初めてなものですから、それで現地の人は何とか江崎大臣の顔を見たい。特に江崎大臣は、四十七年から四十八年にかけて北海道開発庁長官をやってもらいまして、あのときも熱心に根室もあるいは道東地区も見てもらったのですね。そんなことで大臣には大変な愛着を持っているのです。ですから、とにかくわずかな時間でもいいから見てもらいたい。江崎大臣の日程を見ていると、選挙の遊説に行ったという記事はあるけれども、何か北方領土で動いたという記事はないじゃないかといって、僕らは選挙区に行くとしかられるわけですよ。そんなことですから、大臣、しつこくて申しわけないのですけれども、日帰りでも結構なんです。日帰りでも結構ですから、例えばサミットが終わった後に行くとか、これは何とか明確にしてもらえないでしょうか。
  45. 江崎真澄

    江崎国務大臣 党務を優先しているわけじゃないのでして、これはやはり約束事で、熱心に言われるとつい約束してしまうのですな、これはお互い、政党人の常として。しかし、これはやはりなるべく早い時期に、いつと今ちょっと私も特定できませんが、鈴木さんの御期待にこたえるように努力をしたいと思います。最善の努力をいたします。
  46. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 この点につきましては、事務方も何とか大臣の日程をつくるようにくれぐれもよろしくお願いしたいと思います。  次に、北方領土隣接地域振興等基金について私からも伺いたいと思います。  五年間で百億の約束、現在四年間で四十億です。あと一年しかないわけなんですけれども、来年度予算で残りが積めるかどうかというと、先ほどの大臣の答弁を伺っていると、極めて悲観的であります。  ただ、やはり昭和五十七年四月二十七日、党三役、当時の二階堂幹事長あるいは田中龍夫総務会長あるいは田中六助政務調査会長、そして参議院の議員会長であり、当時道連会長であった町村金五先生、四人が覚書で百億積む、これはきちっともう公の文書で外へ出ているのですね。これを地元の人はストレートに受けとめているのです。責任政党の自民党が、しかも党三役が、さらには北海道連の会長、参議院の議員会長も入ってやっているじゃないか、なぜできないんだ、おまえたち政治力がないのじゃないかといって、我々あの根室あるいは別海、中標津、羅臼、標津を選挙区にする者としてはなかなかつらい立場なんです。しかも、何百億、何千億のお金といえばやはり問題があるかと思いますけれども、百億といえば今の日本の予算の中においていかほどのウエートかというと、それほど大きな負担になるものではない、これはなぜ上積みできないか、ただ行政改革だ、財政再建だ、補助金は一律カットなんだ、私はこれは同じテーブルで議論する問題じゃないと思うのです。大臣、その点いかがでしょうか。
  47. 江崎真澄

    江崎国務大臣 この点は、先ほどからお答えしておりますように、マイナスシーリングのときにとにかく前年並みということで四年間続けてきたわけですね。しかし、もうあと一年でそれこそ四十八億円負担しなければならぬ。今の財政事情からいえば非常に困難な問題だと言わざるを得ません。これは私がお約束したいところですが、むしろ軽受け合いをすることがうそになってあなたを辱めてもいけません。しかし、この努力はやはり続けましょうよ。これはやはり国が負担すべきもので法律で決めたものですから、当然やらなければなりませんが、何かそれにかわるアイデアがないのかなと本当にいろいろ思い悩んでおるわけですが、またお互いに知恵を出し合ったり努力をし合って、先ほどの話じゃありませんが、努力を重ねてこの問題解決に最善を尽くしたいと考えます。
  48. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 これは大臣北方領土の日というものを決めてもらって、とにかく北方領土返還なくして日本の戦後は終わらぬ、こういう議論もあります。さらに、一億民族の悲願であるから何とかしよう、署名運動だとかあるいはいろいろな啓発運動、啓蒙運動をやっておりますが、その中にあってやはりあの隣接地域の人が燃えなければ、一番運動は効を奏さないと僕は思うのですね。あの地域人たちは、やはり地方自治体は財政が大変です。何とか予定どおり積んでもらってお金を有効に使いたい、それをばねにして、北方領土返還運動を一生懸命やっていきたいのだというある種の夢や希望を持ちながら、この制度に乗っかってきたものなんですね。  ところが、五年間で百億といいながら現実は十億ずつだ、しかも、それは財政再建という名のもとでお金がないからという理屈で切られる。しからば、政治が存在しているのか、決めておきながら、約束事はどうなったのだ、それでは返還運動に熱心ではないのじゃないか、政府・自民党はどうなっているのだというとらえ方をされかねないのですね。しかも、歴代の大臣が、これは五年間で百億にするよう努力しましょう。きょうの江崎大臣の話は、今までの大臣よりももっと積極的ですから、私は敬意も表しますし、ある種の安堵感を覚えておるのですけれども、ただ努力、それは精神的な気持ちとしては大事ですし、私は評価もいたしますけれども、実際、お金は数字で出ますので、五億でもあるいは一億でも上積みをしたというのならば、何がしかの説得力にはつながると思うのですけれども、同じベースで来ております。しかも、何も財政再建というのはきのうきょう始まったのではなくて、昭和五十六年から始まっているわけですから、それは、五十八年にこの制度は要求がなかったものを政治で要求して八億つけた経緯もあるのです。そういった経緯からいっても、十億や二十億上積みしたってこれは罰は当たらぬであろうし、逆に自民党が喜ばれる政党であるという評価もされる結果につながると私は思うのですよ。その点、大臣いかがでしょうか。
  49. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御質問の趣旨は本当によくわかります。これはやはり大いに努力を続ける、こういうことだと思います。(発言する者あり)
  50. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 質問者が言っていませんから黙っていてください。  再度大臣にお願いしますけれども、とにかくこれは政治が存在した、政治があったと地域人たちが納得できるような形を何とかとってもらいたいと思うのです。しかも、予算は、シーリングを決めるにしろ、概算要求の枠を決めるにしろ、閣議決定が最優先なんですから、その閣議の席で大蔵大臣と前もって詰め合わせもできるであろうし、あるいは他の省庁協力も得ながら、何とかこれは形だけをつけてもらいたい。本当に僕はこの根室、そして一市四町を抱える選挙区を持つ者としてはいたたまれないというか、僕は申しわけないという気持ちを今持っているのですよ。何とか六十二年度予算では、もう既に来年に向けて走っているわけですから、これは大臣、特段の力を注ぐということをあえて表明してもらいたいと思いますけれども……。
  51. 江崎真澄

    江崎国務大臣 鈴木議員の熱意は十分わかります。これはよくわかります。したがって、私も誠意を持って最善の努力を傾ける、これをお約束します。
  52. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 ありがとうございます。  次に、基金の運用益はどのくらいになって、どのように使われているか、また、その市町村の配分はどうなっているか、ちょっと教えてください。
  53. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 現在、計画が確定しておりますのは昭和六十年まででございますので、一番新しいのは六十年でございますので、六十年度のものについて御説明いたします。  この運用益は、六十年度で約一億六千三百万円というふうになっております。それで、運用益による事業の具体的内容でございますけれども、これは基金の管理運営主体である北海道が定めることになっておるわけでございます。  内容は三つの柱がございまして、御承知のように、世論の啓発に係る事業、それから北方地域の元居住者の援護に係る事業、それから地域振興事業、この三つでございます。  最初の世論の啓発に係る事業といたしましては、中身は、根室地域における大規模な住民集会とか少年弁論大会、望郷サイクリング大会等の各種の啓発事業の開催を行っております。それから、納沙布岬にある北方領土返還要求祈念シンボル像の祈りの火というのがございますが、これの点灯事業。それから北海道の各地で冬になると行われます冬祭りの会場で北方領土コーナーを設けまして署名集め等をやっております。これが啓発事業の中身でございまして、これに約二千万円ほどかかっております。  それから二番目の元居住者の援護に係る事業でございますが、北方領土における元居住者の方々の体験を、大分風化してくるというおそれがございますので、これを記録して残そうというので北方ライブラリーという事業を始めております。次に、元居住者団体の育成事業といたしまして、千島連盟の各支部に相談員を置きまして、その地域の元居住者をまとめて運動に参加していただくというような援護事業を行っておりまして、これが約一千四百万円ほどかかっております。  三番目の北方領土隣接地域振興等に係る事業につきましては、所管省庁北海道開発庁になっておりますので、北海道開発庁さんの方から御説明をしていただきます。
  54. 滝沢浩

    滝沢政府委員 当庁が所管します六十年度の基金の対象に係る支出の計画によりますと、隣接地域振興対策事業として一億二千九百万円。その細目が六つの柱に分かれておりまして、項目ごとに申し上げますと、水産資源増大対策事業が六千四百六十五万円、二番目の水産加工研究開発事業として三百三十万円、三番目の漁業経営強化対策特別事業として九百九十万円、四番目の教育施設整備事業一千五百万円、五番目の生活環境施設整備事業二千三百四十五万円、六番目の厚生施設整備事業といたしまして一千二百九十万円ということになっております。  なお市町村別の内訳といたしましては、パーセントだけ申しますと、根室市にそのうち四五%、別海町一五%、中標津町一二%、標津町一六%、羅臼町一一%ということになっております。
  55. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 この運用益ですけれども、国の補助事業は対象外だというのですけれども地元では基金の運用益については自由に使わせてもらいたい、地元要望に沿って余り枠を決めないで使わせてもらえないかという希望があるのですが、その点どうでしょうか。
  56. 滝沢浩

    滝沢政府委員 先生指摘の運用益の使用について、もう少し弾力的に運用したらどうかという地元の御意見があることについては十分承知しております。ただし、この件につきましては法律の十条にそうではないという規定がございますので、原則的にはなかなか無理があると承知しております。ただし地元要望につきましてはよく理解もできますので、そういう枠組みの中ででも何か地域の役に立つような新しい事業というものについてもう少し工夫する余地があるのではないか。今まだはっきりしたことは申し上げられませんが、私ども今勉強しておりまして、例えばあそこの地域には羅臼町に地熱が出ているわけでございます。あれを何とか水産業の高度加工の冷凍施設とかそういうものの新技術を導入した技術に使えないかとか、あるいは尾岱沼というところがございますが、あそこでホッカイシマエビというのがとれるわけでございますが、あそこの海水の交換が非常によくないということで生産力が停滞しているのを何か活性化する方策がないかとか、そういう新しい技術を取り入れながら地域の将来につながるような使い方というものができないかということを今勉強しているわけでございます。地元からももちろん知恵を出してもらいますし、道にもこのたび水産に非常に詳しい専門の方が本部長になられましたので、いろいろそういう技術者とかそういうものを入れまして、枠は崩せませんけれども、運用益の使い方については相当工夫していかなければならぬという考え方を持っておりますので、いましばらく時間をかしていただきたいと思っております。
  57. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 せっかくの制度ですしお金ですから、経済の活性化につながる使い方をしなければいかぬと思うのです。特に根室、羅臼、尾岱沼にしろ別海、中標津にしろ大変きれいな環境というか風光明媚な場所ですから、そこらなんかも生かしながらそういったものにもお金を使える、例えば観光施設だとかレジャー施設といったものに使わせて再生産なんかさせるという方が逆に基金の運用には一番いい制度ではないかと思っているのです。特に昭和六十三年ですか、あそこには中標津空港なんかできますからね、政治のおかげでできた基金で、その運用益でこういったものをつくったというアピールもしながら、領土返還運動の啓蒙もしながら、そういった施設なんかつくりながらやっていった方が逆に喜ばれるし価値も高いと僕は思うのですけれども、この運用益は観光施設やレジャー施設なんかに使えないのですか。
  58. 滝沢浩

    滝沢政府委員 具体的にはなかなか申し上げられませんけれども先生の御趣旨はよくわかりますので、そういう地域の活性化につながるような前向きな施策をどんどん生み出していくというために一生懸命勉強していきたいと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
  59. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 その点篤とお願いをしておきます。  次に、また地域振興についてお尋ねしたいと思います。  北海道開発庁にお願いしますけれども、現在東梅-別海間に橋をつくって道路をつくってほしい、そのことが地域にとっては一番だということで今強い話が来ていますけれども、それはお聞き及びかと思いますけれども、この計画はどうなっておりますでしょうか。
  60. 滝沢浩

    滝沢政府委員 東梅-別海線の整備につきましては、かなり古くからそういう課題があるということは十分承知しております。現在の状況は、北海道庁と根室市があの道路の建設についての環境の調査とか技術的な工法の調査を進めているさなかでございますが、問題はあの地域で環境団体との間にいろいろまだ検討しなければならぬ問題が残されているというふうに聞いておりまして、私どもは第一番にしなければならないのは、あの道路についての地域のコンセンサスを固めていただくことが先決だと思います。その上で、道並びに市の調査結果等をベースにしまして、先生の御趣旨なども入れながら十分検討していきたいという気持ちは持っておりますが、そういう状況になっておりまして、なかなか地元サイドの合意がまだ進んでいないという非常に困難な状況にあるというふうに承知しておるわけでございます。
  61. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 地元サイドのコンセンサスというのですけれども、市長さんあるいは市の議会からあるいは町の議会から議会として決議をして、議会として要望が上がってきたものが地域の声だと僕は思うのですよ。一部の環境団体の人が反対しているからそれでコンセンサスが得られてないというのは短絡過ぎるのじゃないかと思うのです。町民や市民の代表の議会だとか市長さんが決めてきたものは地域の声として十分受けとめていいと思うのですけれども、その点おかしいのじゃないですか。
  62. 滝沢浩

    滝沢政府委員 確かに先生の御指摘もよくわかるわけでありますが、あそこの道路の予定されるところというのは道立自然公園という網がかかっておりますので、そういう意味で、環境問題との調整というのは念には念を入れて調整をして、びしっとした上でというふうに慎重に取り組まなければならぬという気持ちでございますので、合意が形成されれば私どもは積極的に検討するのにやぶさかではないということでございますので、よろしくお願いします。
  63. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 なぜ東梅-別海間の道路を私が強調するかというと、中標津空港ができますと、六十三年にジェット化になるのですけれども根室-中標津間が三十分くらい短縮されます。さらに羅臼-根室間が約一時間くらい短縮されます、極端な話。そうすると、観光客も来るだろうし、流動人口を引っ張るという意味からも効果があると思うし、さらにまた羅臼は今魚の宝庫です。羅臼だけはスケソウがとれて今あの地域は潤っているのですね。その羅臼の魚を根室に運べば根室の加工屋さんも生きるわけですから。特に私が考えますのに、漁業交渉、特に対ソの漁業交渉はだんだん厳しくなると思うのです。そうなると、やはり原料が欲しいのです。その原料は、自分の目の前の原料を使えるわけなんですから、しかも一時間違うということは大変これは価値が高まるわけですから、そういった意味からも道路を積極的に、開発庁が中に入って道だとかあるいは環境団体との調整、僕は汗を流してもらいたいと思うのですけれども、その点はどうでしょう。
  64. 滝沢浩

    滝沢政府委員 あの道路についての先生の御認識というのは、大変地域実情に合った道路としてやはりかなり価値の高いものになるというふうに考えますし、おっしゃられるように根室市の疲弊という背後には、やはり豊かな水産資源がある、それを地域内に循環させながら高次に使っていくという意味でもあの道路の価値は高いものだとは思いますので、先生の御指摘も頭に入れながら十分に勉強さしていただきたい、こう思います。
  65. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 とにかくこれは積極的に進めていただきたいと思います。  よく道路をつくるとき、必ず反対する人がいますね。その反対している人が道路を使わぬかといったら、イの一番に使っています。しかも、反対する人はそこに住んでいる人じゃないのですね。そこに市民税や町民税を払っている人が反対するならばいいけれども、どこか地方から来て、たまたま白鳥がいるとか、いや野鳥がいるからといって反対されたのでは、これは本当に地元の人が泣いているのですから、地元の人が頼むという声は、それをまず優先的に扱うのが僕は政治だと思っているのです。そういった意味からも、この点は特に開発庁の方は前向きに取り組んでもらいたいと思います。  次に、総務庁にお伺いするのですけれども、居住者連盟で管理しておった千島会館、今休館になっているのですけれども、これを何とか改装をして、それも改装の資金は基金の運用益を充ててもらえないかという声も根室の声としてあるのですね。これなんかはいかがなものでしょうか。
  66. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 千島会館につきましては、これが大分赤字になってきましたので、といいますのは宿泊施設が根室地域でも相当整ってまいりまして、そちらの方に立派なホテルとかビジネスホテルができてまいりまして、お客さんがとられてしまう。それから、旅行者のニーズも変わってきまして、上等志向の方に行っているというので、ただ泊まれればいいというような、ああいう施設はどうもお客様が減ってきまして、赤字になってしまったというので、とりあえず昨年十月に私どもとそれから千島連盟それから北海道庁にも入っていただきまして協議いたしまして、どうしたものかというので、とにかく冬の間はあれだというので十月に宿泊施設はとめたわけでございます。赤字の幅をそれ以上大きくしない方が傷が深くならずに済むだろうというのでとめたわけでございまして、現在、それを実際運営に当たって管理運営しておりますのが千島連盟でございますので、千島連盟さんの方に果たしてどういう使い方がいいのか、ひとつ検討してみてくれということを一応お願いしてございます。  ただ、先生おっしゃったようにこれをホテルにするというお話になりますと、私ども見ておりますといろいろそういう、国じゃないのですけれども、共済組合とかそういうところでやっているホテル業というのは非常に難しいようでございまして、軒並み赤字になってくるというのが実態のようでございます。それから、民活とかなんとかということでそういう官営というのですか、国の金を使ったようなものは余りこのごろははやらなくなったという点もございますので、ホテル業みたいな宿泊業みたいなものを再開するというのは多分難しいのじゃなかろうかという認識でございます。
  67. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 僕は、宿泊施設とかホテル、これは希望していません。ただ例の千島会館自身が居住者連盟の一つのシンボルになっているわけですね。だから、やはり会議室なり、何かの集会に絶えず利用できるような形にしておくことが僕は大事だと思うのですよ。そのために改装をしたらどうかということですよ。僕は泊めるためだとかそんなことで改装せいと言っているのじゃないのです。きちっとした会議だとか集会に使えるように、そういったものにしてほしいという希望を僕はしているのですよ。
  68. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 いずれ千島連盟の方からこういうふうにしたいという希望も出てくると思いますが、それを見て検討しなければならぬ話だろうと思います。しかし、先生おっしゃったように、話も確かにおっしゃるとおりで、過去ずっと千島連盟、元居住者のよりどころになっておったということで、研修施設とかそういう会議施設、そういうもの、あるいは別の考え方があるのかどうか、あるいはそれを併用したいろいろな考え方があるのかどうか、そういった考え方のもので結局はまとまるのではないかと私ども考えておりますが、いずれにせよ千島連盟の方から私どもはこうしたいのだという御意見を聞いた上で相談したい、こういうふうに思っております。
  69. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 稲橋さん、僕は現地に行ってそういう要望を直接聞いてきているから言っているんですよ。それを僕が言っているということは、千島連盟なりその会館の人の言っている話なんですよ。あなたがそれを上がってきたらと言うのはおかしな話で、筋違いの話で、僕はこの前も、つい先週です、行ってきて、そうしてくれないかという話があったから今ストレートにあなたにかけているんですよ。上がってきてからというのなら、僕の質問が何のための質問がわからないでしょう。そういう声が現実にあるから言っているんですよ。
  70. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 ちょっと行き違いがあるようでございまして、千島連盟の方に私どもの方からもこういうふうに考えてくれというので、千島連盟の方で何か委員会をつくってやるということを言っていますので、私はそのことを申し上げたことでございまして、先生の話がおかしいという話じゃございません。私どもの方でちゃんとお願いしてございますので、やおらそのルートを通してまた私どもに同じ意見が上がってくるんだろう、こういうふうに考えております。
  71. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 こういった問題は、下から上がつてくるというよりも、地元ではそんなに知恵ないです。ですから、逆に稲橋さんのところでまとめてこうやったらどうか、こういうふうにできないかと指導するのが親切であり、それが行政であって、下から回ってくるなんというのは、とてもじゃないですけれどもはっきり言って来ませんよ、実際の話。ですから、そういったものは逆にあなたが管轄してあなたの方で指導しているならば、きちっと稲橋さんのところでこういうふうにしたらどうかというふうに指導してもらいたいと僕は思うのですが、どうですか、それは。
  72. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 先生のお言葉、もっともだと思います。ただ、繰り返しになりますけれども、そういうふうに地元に声があるのならば同じ声が上がってくるのじゃなかろうかと思います。私どもの方は、もともと引き受ける団体の方がやる気がないものをこうやったらああやったらと言ったところで後々の運営にもいろいろ支障を来すのじゃないかというので、千島連盟自身の能力とかそういうものを見ながら検討しているのだろうと思います。
  73. 江崎真澄

    江崎国務大臣 鈴木さん、これはやはりあなたがひとつ地元をおまとめになって、そして上がってくるのを待っているといっても、これはなかなか能率が上がりませんな。だからひとつ地元要請そして時代のニーズにどう合っているのかとか、そしてまたその利用効率が上がるものでないといけませんね。これはむしろ地元人たちはあなたを頼りにしているでしょうね。ですから、積極的によそも見られたり、いろいろなアイデアを出されてまとめ役に回っていただく、それで審議官とまた話をしていただけば対処のしようはあるし、簡素にして能率的な官庁づくりをやっておる総務庁ですから、ただ漫然と待っておるというだけじゃいけませんね。だから、どうぞそれはひとつ積極的にやってください、関係者と一緒になって。そして関係の代議士皆さんもそれに協力されて、お話があれば速やかにおこたえをしていく、こういうことだろうと思いますよ。ですから、どうぞひとつ結論を出すのは大いに進めていただく、こういうことで進められることが望ましいと思います。
  74. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 大臣の的確なお話ですから、私もよくわかりました。ただ、さっきの趣旨は基金の運用益を回せなかったかということの話がスタートですから、それを勘違いしないように審議官お願いします。  それと、それはそれで検討はしてもらえるのですね。
  75. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 検討さしていただきます。
  76. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 あと、この千島会館に関連して、僕はまた会館の話を一つしたいのですけれども、やはり地元では啓発運動を進める上で国で何とか啓発センターみたいなものをつくってもらいたいというのが、これは虫のいい話なんですけれども、一〇〇%国でやってもらえないかという声があるのですね。たまたま去年から道では調査費だけをつけて、何かそういったセンターができないかということでスタートはしておるのです。僕は去年もこの委員会で質問しておるのですけれども、国の方ではその後道とはどんな打ち合わせになっておるか、ちょっと教えてほしいのですけれども……。
  77. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 私どもの方で伺っておりますのは、道で百万円ほどの調査費がついたという話でございまして、その後につきましては、私ども余りその話については聞いておりません。
  78. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 あのときの委員会での答弁も、道の方で調査費をつけて、道から話があったら当然国も検討はしてみたいということで一応終わっているのです。これまた僕は道の方にも積極的に呼びかけて、また話もさせたいと思いますので、大臣領土返還運動の上からも、今の財政事情からいうとなかなか大変だ、それはよくわかりますけれども、何がしか国でそういった施設をつくるというふうな検討はしてもらえないでしょうか。
  79. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはやはりもう四十年もたち、これからも相当困難が予測される日ソ交渉、これは速やかであれば言うにこしたことはありませんが、四十年たち、だんだん知っておる人たちも逆に減っていくというような事態に、やはり啓蒙運動ということは私必要だと思います。よく検討いたします。
  80. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 ありがとうございます。この点もよろしくお願いをしたいと思います。  次に、今根室で問題になっておりますのは、大蔵省の人来ていますか。現在貿易港として根室港が開港されているのですけれども、それを花咲港に振りかえてくれという話が陳情で上がっているのです。特に今回の日ソ地先沖合漁業交渉なんかでも大変根室は打撃をこうむっているものですから、これから少し貿易関係でも力を入れなければいけない、そのためには何とか今の根室港の開港を花咲港に振りかえてくれ、根室、花咲というのはこれは重要港湾で今一つになって運輸省では仕事を進めておるのですけれども大蔵省でもその配慮をしてもらえないかという話が当然行っていると思うのですけれども、その点いかがでしょうか。
  81. 岡下昌浩

    岡下説明員 お答え申し上げます。  根室港を花咲港の方に振りかえて開港してくれという点でございますが、関税法上の開港指定に当たりましては振りかえという考えは全くないのです。あくまでもその当該港が開港指定の必要な状況、つまり外国貿易船の入出港隻数が一定数に達しておるかとか、貿易額が幾らであるかとか、そういうような必要な状況にあるかどうかということで判断をいたしておりますので、御要望の趣旨は確かに承っておりますけれども、振りかえという点につきましてはちょっと考えられないんじゃないかと思います。
  82. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 これは事務的にはそうだと思うのですけれども、例えば根室港と花咲港というのは根室市の行政下にあるんですね。重要港湾としては二つで一つにしているんです。いいですか。これはよその町だとかよその都市にある港ならばこれはちょっと問題だということがあってもいいんですけれども、いわゆる北方領土隣接地域として、しかも今国が振興策にいろいろ力を入れている、それでいろいろな特例などを設けているという状況の中で、僕はこの振りかえをしたって悪い話でないし、そのくらいの配慮をしてやっていいんじゃないかと思うのです。しかも、今花咲港に入ってくる船が多いという現実を見たとき、それをしてやるのがまた行政ではないかと思うのですけれども、どうですか。
  83. 岡下昌浩

    岡下説明員 ただいまの北方領土の問題に関連する特殊なところであるということはよく承知をいたしておりますが、開港するかどうかということは、今花咲港に相当船が入っておられるとおっしゃいましたが、花咲港自体が開港できるような港であるかどうか、そこが問題でございまして、先ほどから何度も申しますが、振りかえという考え方は我々としては全くとれないところでございます。問題は花咲港の入出港隻数とか、貿易港としての重要度合い、これが開港の判断の基準になるものでございますので、大変遺憾ながら御指摘の点につきましては前向きのお答えができないところでございます。
  84. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 その花咲港の器の問題がありますが、それはよくわかります。実は去年からやっと工事が始まって、今一生懸命やっておるのですけれども、しからば花咲港としてこの受け皿ができた場合、そして見通しがついた場合は、それは考えてもらえますか。
  85. 岡下昌浩

    岡下説明員 開港の指定は、先ほど申しましたようにその港の貨物の輸出入額とか外国貿易船の入出港隻数とか、それから施設の整備状況とか、そういうものを勘案いたしまして総合的に判断をしておるところでございます。  ところで、その花咲港についてでございますが、現状並びに今おっしゃいました将来のバースの整備等、こういう問題を見回しましても、仮に北方領土という問題の特殊性を考慮いたしましても、我々の段階では現状ではまだ指定の必要な状況には至っていない、こう考えておりますので、遺憾ながら花咲港の開港の問題につきましては今後の情勢の推移を見て検討させていただきたいと思っておるところでございます。
  86. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 そこで、一つお願いがあるのですけれども、実際今釧路に入ってくる船を燃料費を持って根室まで引っ張ってきているというのが現状なんです。なぜかというと、指定の取り消しをしてもらっては困るものですから、指定の取り消しをさせないためにわざわざ市は燃料代を払って来てもらっているのが現状なんです。そこで、根室市の特殊性を考えて、船が実際一これは二年間で十三隻ですか、実績がないとだめだというのは。(岡下説明員「十一です」と呼ぶ)その十一隻なくても、事根室に関しては特別の措置はとりましょうというような検討はしてもらえないでしょうか。
  87. 岡下昌浩

    岡下説明員 開港の基準につきましては、これは政令で定まっておるものでございますので、行政裁量で云々のできる問題じゃございませんものですから、遺憾ながら根室港の特殊性ということで開港基準の緩和ということはちょっと考えられないのじゃないかと思います。
  88. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 これは大臣、申しわけないのですけれども大臣の所管とは全然関係ないのですけれども、この問題はやはり根室特殊性ということがありますので、少々船が基準に達しなくても当分の間、例えば北方基金が積み立てられている間はそのままで持っていくとか、何か拳々服膺の形はとってもらえないものかどうか。僕は、これはお答えはいいですから、大臣もちょっと頭に入れておいてほしいと思います。  ただ、監視課長さん、それは政令の問題もわかるけれども、要はあなた方がやる気になるかどうかという問題です。だからこれは一回ひとつ検討課題としてやってもらえませんか。どうです。
  89. 岡下昌浩

    岡下説明員 根室港の問題につきましては、先ほど申しましたように将来の検討課題として情勢の推移を眺めさせていただきたいと思っておりますので、御了承を願います。
  90. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 なかなか大蔵省というのはガードがかたいものですからこの辺でやめておきますけれども、これは特に頭に入れておいてほしいと思います。  次に、水産庁伺いますけれども、これは旧漁業権者に対する救済措置の問題なんですけれども、私はやはり去年の四月十七日の当委員会で旧漁業権の補償の問題について質問させてもらいました。今、補償はだめだという議論が出てきたものですから、地元人たちも補償がだめならば融資はどうだろうかという話があります。     〔委員長退席、高橋委員長代理着席〕 例えば融資枠が九十三億九千五百万円、償還期限は二十年後の一括償還、利率は無利息にして、そしてこの数字の背景というのは、いわゆる本土における旧漁業権者に対し措置したと同様の措置、または小笠原、沖縄に対して見舞い金措置が講ぜられたのと同様の扱いということでこの数字なんかが出てきて、今地元から要望水産庁に上がっておるわけですけれども、昨年の四月十七日の委員会では、補償は法律上できない、しかし北方地域漁業権補償推進委員会の要望書の話については検討をしてみようという答弁をいただいておるのですけれども、その後何か変化なり動きはあるでしょうか。
  91. 堀越孝良

    ○堀越説明員 北方地域漁業権補償推進委員会からの要望につきましては、今お話しのように融資という格好をとっておるわけでございますけれども、その中身、使い方は、運用果実を旧漁業権の補償に充てよう、そういうものであるわけでございます。したがいまして、法律上旧漁業権の補償を行うことができないということからいたしまして、その御要望に沿うのは非常に困難だというふうに考えております。
  92. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 課長さん、これは融資も全然検討できないということですか。
  93. 堀越孝良

    ○堀越説明員 検討はいたしておるのでございますけれども、実態が旧漁業権の補償ということでございますので、その御要望に沿うのは極めて困難だ、こういうことでございます。
  94. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 例えばこれは旧漁業権者ということに限定するとまた話は難しくなるしややこしくなると思うのですね。もう少し大きな網で融資をしよう、その中で優先的に旧漁業権者を融資対象にするという手は考えられるのではないかと思うのですけれども、どうでしょう。
  95. 堀越孝良

    ○堀越説明員 そういうことになりますと、それは水産庁というよりも総務庁さんの方で中心になって御検討いただくべきものではないかというふうに考えております。
  96. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 やはり旧漁業権者の補償の問題もずっと長い話で来ていますので、沿岸課長さん、一回また水産庁総務庁さんとも相談して、九十三億円の融資といったって満席に来るなんて地元人たちもだれも思ってやしない。何がしかのいいことをしてもらったなという気持ちがあれば納得できる話ではないかと思いますので、そういったことで一回水産庁が窓口になって、今までいつもこれはどこの役所が受けるかなんということでキャッチボールをしてきたのですね。ですから、これは水産庁が一回窓口になってそういった検討会議でもしてもらえませんか。
  97. 堀越孝良

    ○堀越説明員 現在出ております要望のような形では非常に難しいと思いますが、総務庁さんの方と相談はしてみたいと存じます。
  98. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 先ほども私が言いましたように、九十三億というお金自体が、いかに小笠原だとか沖縄に対しての見舞金措置と同様の、ベースにしても計算だと言いながらも、これはやはりちょっと無理があるかもしれませんから、金額は抜きにして、こういったものをもう一回根っこから検討してもらいたいというふうにお願いしておきます。  次に、北方墓参の再開について伺いますけれども、私は去年の十二月十一日当委員会で、ことし一月、八年ぶり日ソ定期外相協議が開かれるということで、その際安倍大臣から直接シェワルナゼ外務大臣北方墓参再開を強くお願いしてもらいたいという質問をしたのですけれども、この一月の定期外相会議では安倍大臣からはシェワルナゼ外務大臣にどのようなアプローチといいますか話しかけをしたか、ちょっと教えてもらいたいと思います。
  99. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のように、五十一年以来中断されております北方領土墓参につきましては、一月のシェワルナゼ外務大臣との会談におきまして安倍大臣より、これは人道的見地からぜひ従来の形において再開できるように考えてほしいということを強く申し上げたのに対しまして、シェワルナゼ外務大臣から、どの国の国民の感情も大事にしたいということを言いまして、御要請の件については改めて検討を進めていきたい、安倍大臣が次回訪ソされた際に意見交換を行いたいというふうな答えがございまして、ソ連側としてはかなり前向きな対応を示したというふうに私どもは理解した次第でございます。
  100. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 特にもう高齢になっておりますね。さっき江崎大臣さんが北方領土返還電報、四十歳の人が帰ってきても八十歳だから四十四歳の人が帰ってきたら八十四歳、当然だというお話伺いましたけれども、本当に高齢になって、とにかく死ぬ前に、亡くなる前にいま一度先祖をお参りしたいとか、何とか一回あの地を踏んでみたい。これは私がここで言うよりは、あの根室や別海へ行って聞く声というものは本当に切実なものです。私は本当に胸を締めつけられます。しかもそういう人に限って、とにかくおれたちの代で帰れないならば息子の代で、息子の代でだめならば孫の代でもいい、孫の代でもだめならばひ孫の代でもいいから鈴木さん、返還運動を続けてくれという非常にひたむきさを持った話をしてくれるのです。そういった声を聞くにつけ、何としても人道的見地から再開をしてもらいたいと強くお願いをする次第です。  今、次の外務大臣の訪ソのときに詰めるというようなお話がありましたけれども、しからばその次の外務大臣の訪ソというのはいつごろになるのですか。
  101. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先回の一月におきます外相会談におきまして定期協議が再度提起されたことと対話のルートが開かれたわけで、今年中に安倍大臣ソ連を訪問し、来年はシェワルナゼ外務大臣が再度訪日するということが合意されておりますので、それに従いまして本年中の訪ソということを前提に現在ソ連側と折衝中でございます。そういうことで時期を含めましてソ連側と現在話し合いの段階にあるということでございますので、さよう御了解いただきたいと思います。
  102. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 本年中というお話ですけれども、新聞記事なんかを見ますと、何か五月の安倍外務大臣の訪ソはだめだ、できなくなったというような、これは新聞記事が先走りしているかどうかわかりませんけれども、そういったニュースもあるのですけれども、これはあくまでも本年中という感触しか得られないのですか。
  103. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  安倍大臣といたしましては、政治的日程その他を考えましてできるだけ早い機会に訪ソしたいという強い御意向を持っておられまして、その御意向を体しまして現在ソ連側と折衝中でございますので、そういう意味でまだ時期等を明確に申し上げられる段階にはございませんけれども、できるだけ早い機会にということで折衝中でございます。
  104. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 とにかく今度安倍大臣が訪ソした際はこの再開がきちっと決まるように何とか尽力をしていただきたいと思います。  次に、また外務省日ソ関係についてちょっとお聞きしたいと思います。  ゴルバチョフ体制になってから、見た目には何とか開かれた新しいソ連だなという感じを我々は受けるのです。そして、新聞あるいはテレビでもソ連の首脳部がいろいろ西側諸国を回ったりして非常に活発になっている。しかし、現実の日ソ関係はどうかというと、今回の日ソ地先沖合い協定を見てもめちゃくちゃに厳しいものになっているのです。そしてことし一月には八年ぶりに定期外相会議が開かれたといいながらも、何か表と裏では逆行しているのではないかという感じを私は受けるのですけれども日ソ関係というのは今どうなっているのでしょうか。
  105. 都甲岳洋

    都甲政府委員 先生指摘のように、今回の漁業交渉がかなり厳しかったということもございまして、一般的に、一月にシェワルナゼ外務大臣が訪日して日ソ間の対話のルートが再度確立されたにもかかわらずどうなっているのだろうという御疑念が出てくるのはもっともだろうというふうに感じております。私どもは、ソ連側がこのような日ソ関係を前向きに進めたいという意向が一方にあることは確かだろうと思っております。これは経済問題を中心として日本との関係を進めたいという強い意向が先般の日ソソ日経済合同会議の席上も強く表明されたということにもあらわれていると思います。他方、漁業の問題に関しましては、ソ連の国内におきまして一般的な背景として二百海里時代が非常に厳しくのしかかってきているということはあるわけでございますが、それに加えまして、ソ連の国内におきまして、ゴルバチョフ体制のもとで各行政官庁に非常に厳しい経済合理性追求とそれから行政効率を上げるということを求められている。その中におきまして漁業省としても二百海里内の資源の利用につきまして従来よりさらに厳しくこれを追求していくという姿勢に変わっている。そのようなソ連の特殊な国内体制が今回漁業交渉にはね返ったということがございますので、あたかも二つは矛盾しているかのごとく見えますけれども漁業の問題につきましては、一般的な日ソ関係と直接に、ソ連側がこれを技術的、実務的問題として処理しようといたしましたけれども関係ないという形で国内問題が表面化したということが言えると思います。さはさりながら日ソ間におきます漁業関係というのは重要な伝統的な関係でございますので、我々としてはこれを政治的な考慮から解決するようにということでソ連側に働きかけ、また先般は羽田大臣が訪ソしていただきまして政治的な配慮も加えた形で解決を見たわけでございますけれども、しかし、先ほどのような国内要因もございまして、非常に厳しい結果になったというのが実情だろうと考えております。
  106. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 例えば今回の漁業交渉でも六十万トンの枠が一遍に四分の一、十五万トンに削られましたね。しかも禁漁区は設けられるとかあるいは着底トロールはだめだとかいういろいろな条件もつけられました。普通、漁業交渉で一割とか二割の削減で来るならまだわかりますけれども、一遍に四分の一に切られた、これは大変なことなんですね。ですから僕が考えるに、一方で好転している、あるいは経済問題を含めて日ソ関係をよくしたいという思いがありながら、それではなぜ水産がこんなに厳しいのかということを、僕は外交素人ですからわからないのですけれども、腑に落ちないわけなんです。何でソ連が事水産問題に対してはこれだけ厳しいか、また厳しくなったのか、そこらを外務省サイドではどういうふうにとらえているか、教えていただきたいと思います。
  107. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  日米間の漁業問題もかなり厳しくなっているという現状は御承知のとおりでございます。このように二百海里時代において沿岸国が二百海里内の主権の主張を強めているということは、一つ時代の背景にあると思います。それと同時に、ソ連の国内におきましてたんぱく資源の確保ということで、畜産の振興が思うようにいかないということでたんぱく資源を漁業に求めるという要請が非常に強くなっております。それと同時に外貨不足ということ、石油の値段が下がり、外貨が非常に厳しくなってきているということもありまして、穀物飼料等の輸入におきましても非常に苦慮しているというのが現状だろうと思います。そういう意味ではソ連経済状態が必ずしもよくない現実においてソ連が二百海里内における資源を従来以上に厳しく自国のために利用するという立場が非常に強く出てきているというのは現実の問題として考えていかざるを得ない事態だろうと考えております。
  108. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 これは外務省さん、今後日ソ漁業交渉はどうなりますか。これは毎年毎年、単年度でやって枠は狭められるわ、出漁の期間は短くなるわで、ただただ漁民はきゅうきゅうとしていくのですけれども、将来どんな見通しになるのでしょうか。
  109. 都甲岳洋

    都甲政府委員 先生御承知のように、本年ソ連側がこのような厳しい態度をとった背景には、昨年の実績におきまして日本側ソ連水域において三十二万トン、ソ連側日本水域におきまして十四万トン強という一対二強の差があったわけでございますけれどもソ連側はこの差を実質的にバランスさせたいという態度を非常に強く打ち出してきたわけでございます。そういうことを考えますと日ソ間の漁業関係というのは長い間の伝統に基づく協力関係でございますので、この際双方の利益をバランスさせた形で何とか今後も継続させていく方法を見出し、そのような形において安定した形に持っていく必要があると私どもは考えております。そのためにはそのバランスをどういう形でとるかということが一つの基本になるだろうと感じております。
  110. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 今審議官が言われた等量主義も資源保護もわかります。ただ、ここに水産庁の人もおりますけれども、等量主義も資源保護もきのうきょう言ってきたんじゃないのです。もう十年前から言われてきた話であります。ですから、そういったことを考えますと、もうちょっと外務省水産庁交渉に当たってはただ資源保護だけ言ってきている、ただソ連の事情がこうだからというのではなくて何かこっちも知恵というか考えを出して、あるいは経済開発問題を出すだとかあるいはシベリア開発の問題を出すだとか、いるいろ複雑に絡め合わせながらこれから交渉をやっていってもらいたいなと思います。私は外交は素人ですからそんなことを言うのは失礼かもしれませんけれども、これは素人としての考えですから、ちょっとお聞き及びしておいてほしいと思います。  最後に、今回の漁業交渉で今北洋漁業は大変な危機に陥っております。そこでやはり今根室初め釧路でも、網走、紋別、稚内でも一番の話は救済対策はどうなるか、どういうふうにやってくれるかという話が出てきているんですけれども、国家間の交渉において打撃を受けた、このことについては国が責任を持って補償なり救済をしてやる、これが大前提ではないかと思っております。その点、水産庁、この救済対策、実際にまだソ連から議事録も来ていませんから減船がどの程度して、実際融資がどうだとか細かいことはわからぬかと思いますけれども、基本的な救済対策はどのように考えておるか、お答えをいただきたいと思います。
  111. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えします。  今回の漁業交渉の結果、先生指摘のとおり相当な影響が出ておりまして、漁業者だけでなくて水産加工業、さらに関連産業にも相当な影響が出ているということは承知しております。このため、この交渉結果に伴いまして減船を余儀なくされるような漁業者につきましては、大臣の御指示もございますので、講ずべき対策については早急に検討してまいる所存でございます。  さらに、減船等に関連しまして必要となります漁業離職者の雇用対策なりあるいは中小企業対策等につきましては、関係省庁とも密接な関連をとりまして、所要の措置を検討しておる次第でございます。
  112. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 水産庁に特にお願いしたいのは、去年もやはり日ソ交渉によってカニ、ツブ、エビ、これの漁ができなくなったんですね。そのときの補償あるいは救済措置について随分大蔵省と長い時間かかって詰めた経過があります。ことしも大蔵省は去年以上に厳しく言ってくるんではないかと思うのですけれども、さっき言ったように外交交渉で受けた打撃は漁民の責任じゃないのです。やはり政府、国の責任だと思っておりますので、この点財政当局にはしっかりした説明をして、漁民に少しでも負担をかけない、漁民を失望させない、この考えに立って救済措置をやってもらいたいと思います。また代替漁業の問題なんかもあるし、また加工屋さん、関連の業界の皆さん方の要望もありますので、その点も強く心にとめて財政当局に働きかけをしてもらいたいと思います。  時間もなくなりましたので最後に、本来ならば五月一日からサケ・マスの出漁に当然なるわけですけれども、いまだサケ・マス交渉テーブルに着かないというのが現状なんです。このサケ・マス交渉の見通しはいかがなものか、ちょっと教えてもらいたいと思います。
  113. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えします。  本年の北洋サケ・マス漁業の操業条件について協議する日ソ漁業合同委員会につきましては、御承知のとおりこの二月三日から東京で開催されることになっておりましたが、御案内のように日ソの地先沖合関係交渉が非常に難航したためにいまだ開催されておりません。このため、先日羽田大臣が訪ソした際にも、大臣からカメンツェフ漁業大臣に対して漁期が近づいているということを強調していただいて、できるだけ早く日ソ漁業合同委員会を開催するよう申し入れたところであります。その後も引き続き働きかけておりますが、いまだ日程は確定していないのが現状でございます。
  114. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 またことしも大幅に遅延なんということになりますと、これまたこの地先沖合協定に続いてサケ・マスもということで、まさに根室なんというのは本当に町がなくなるんじゃないかと思って私は心配しております。この点、相手のある話ですから水産庁だけを責められませんけれども、とにかく外務省協力して一日も早くテーブルに着くよう強く希望しておきたいと思います。  最後に江崎大臣、やはり今基金の問題も大事ですけれども、それと並んで大事なのがこの北洋漁業の救済対策です。農林大臣も大蔵大臣も一生懸命やってくれておりますけれども、副総理江崎大臣からも農林大臣を督励し、さらにまた大蔵大臣に働きかけて、とにかく万全の救済対策だけはとってもらいたい、こうお願いするものですけれども大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
  115. 江崎真澄

    江崎国務大臣 大変熱心な、郷土愛に燃える御質問だと思います。私も、関係閣僚に、よくこの事態を認識して協力してくれるように要請をいたしたいと考えます。
  116. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員 ありがとうございました。これで質問を終わります。
  117. 高橋辰夫

    ○高橋委員長代理 午後一時から再開することとし、この際、休憩いたします。     正午休憩      ――――◇―――――     午後一時二分開議
  118. 青山丘

    青山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。新村源雄君。
  119. 新村源雄

    ○新村(源)委員 私は、主として北方領土問題で、これは外務省中心になろうかと思いますが、お伺いいたします。  この問題は、発生いたしましてから既に四十一年の歳月が流れておるわけです。領土の持つ意義というのは、私から申し上げるまでもなく、国民がそこに定住をして生計を営む、そしてそういうことを通じて国家社会の発展に寄与する、こういう国家の基本的な問題であるわけです。第二次大戦で我が国の失ったものは、莫大な、はかり知れないものがあるわけですが、特にそのうちで、いわゆる千島、これは世界三大漁場一つで、なお今日も非常に大きな問題になっております北洋漁業との関連で、この領土問題は日本の将来にとっても非常に大きな問題であろう、こういうように思われるわけです。  私は、世界地図の北方のここだけをコピーしまして、そして日本の失われたものはどのくらいあるかということで、おおよそで線を引いてみました。今、政府が進めております択捉、国後、歯舞、色丹、この四島を中心にして二百海里を描いてみますと、北海道は御案内のように全国の約二割の面積を持っているわけですが、優にこれの倍以上の区域になるわけです。さらに、これを我が党が主張しております全千島に広げてみますと、これは日本列島の大体半分以上に匹敵するくらいの大きな領土問題になってくるわけです。しかも、ここで最も代表的な資源は海洋資源でございますから、これは地下資源と異なって、掘ればなくなるというものではなくて、農林漁業資源として再生産をされておる。平たい言葉で言えば、永久にそこから生産される資源ははかり知れない膨大なものがあるわけです。こういうように、我が国にとっては非常に大きな問題でありながら、四十年間の領土問題に対する経過を見てまいりますと、非常に残念な経過をたどっておるわけです。  これは北海道がつくりました「北方領土のあらまし」という本でございますが、この中の「日本の主張」「ソ連の主張」の変遷を見てまいりますと、一九五六年、これは鳩山さん、河野さんが訪ソされて、日ソ共同宣言がされたときですが、従来までのソ連の主張は、領土問題というのはもう解決済みだ、こういうように言っておりましたが、このときには、歯舞、色丹は、日ソ平和条約が結ばれれば返還をする、こういうように明確に言っておるわけです。しかしその後、一九六〇年代あるいはそれ以降について、グロムイコ書簡あるいはフルシチョフ書簡を見ますと、もう領土問題は解決済みである、こういうように態度が変わってきております。しかしその後、一九七三年に田中元首相が訪ソいたしまして、日ソ共同声明を発表しております。この中では、また前の言葉を翻して、「双方は第二次大戦後から未解決の諸問題を解決し、平和条約締結することが両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与する」云々と、こういうようにまた大きく変わってきておる。  そこで、このように変わっております背景というものを見てまいりますと、ソビエトがポーランドに介入をした、あるいはアフガニスタンに侵攻した、あるいは大韓航空機が撃墜されたこと等々、こういう問題が起きるたびに今まで積み上げてきたものが、いわゆる日本の外交姿勢としてアメリカに追随をするということから、そのたびごとに変わって逆戻りをしていっているわけです。  一九八〇年でございますが、私の友人の息子が北洋海域で拿捕されまして、早期釈放についてぜひひとつ力をかしてくれぬかということで、私はソビエト大使館に伺ったことがあります。そのとき対応してくれましたのは、ちょうど大使がいなくて、一等書記官でございましたが、私に会ったときの第一の言葉は、新村さん、日本はなぜオリンピックに参加してくれないのですか、こういうことが一番最初の問題として投げかけられてくる。こういうようなことが繰り返し繰り返し行われてきて、一体こういう状態で北方領土解決するというような前進があるのか。  そこで私は、日本は日米安保条約という建前から、あるいは日本とアメリカとの経済の緊密化といいますか、こういう立場から、今アメリカにどうしても協調しなければならないという立場があります。しかし、考えてみますと、アメリカとソビエトというのは世界の二大国でございますから、世界の各国というのは直接間接にいずれかにかかわり合いを持っておるわけです。いずれかにかかわり合いを持っておりますから、どこかで何か問題が起きると、それは即アメリカとソビエトとの関係発展をしてくる。そうすれば、アメリカ側に協調するという立場からいえば、ソビエトからは必ず反発が出てくる。こういうような外交姿勢で北方領土というものは、前段に申し上げましたように日本民族の未来にとって欠くことのできないこういう重要な問題が解決されていくのかどうか、こういうことを私は改めて考えていかなければならないと考えるわけですが、この点について、長官は直接の担当大臣ではございませんが、内閣の責任ある立場として御意見をお伺いしたいし、それからまた、外務省から都甲議官もいらしておりますから、こういう点についてそういう反省を含めて一体どうだったか、これからどうしていくべきかということをお伺いしたいと思います。
  120. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のように、日ソ間におきまして領土問題というものがございまして、これが両国の進展の重大な妨げになっているということは事実でございます。ですから日ソ間におきましては、この領土問題を解決して真に関係を安定させる必要があることを私どもは日ごろ痛感しておりますし、それが日ソ外交の根幹になっていることは御存じのとおりでございます。  日ソ関係というのは、先生も御指摘になりましたように二つの枠組みの中に基本的にあると私どもは考えております。  一つは、やはり東西関係の大きな枠組みの中にあるということ、その中におきまして日米の友好関係というのが日本の外交の基軸であることもまた一つの大きな前提でございます。  と同時に、また日ソ関係というのは領土問題があり、この領土問題のゆえにいろいろと緊張関係が出てくるということもございます。  それからまた、ソ連北方領土周辺において軍事力を強化しているということ、あるいは極東一般におきまして軍事力を強化しているというようなこともございます。  このようないろいろ複雑な要因を抱えております日ソ関係でございますけれども、この日ソ両国の間におきましては、先ほど先生から御指摘ございましたように、漁業資源にとっても非常に重要な意味を持つ北方領土返還を得て関係を安定させることが究極に重要だと思いますので、私どもとしては、日ソ間におきましてはこのような複雑な要因を抱えておりながら、領土問題を解決するために粘り強く交渉していく必要があると思います。  領土問題の絡みにおきましては、御指摘のようにソ連は、過去においていろいろな形で態度を変えてきております。それは極東全般における政治情勢、ソ連日本に対する見方あるいはソ連の外交姿勢、そういう複雑な要因があって、ソ連自身がいろいろと態度を変えてきていることは事実でございまして、例えば一九五六年の共同宣言の際には、ソ連はフルシチョフの平和共存外交路線をとっていたということ、それから一九七三年におきましては日中国交回復後の極東におけるバランスを回復する必要があったということと、日本経済発展の将来を見て日本との関係を非常に重視してきたということ。それから最近におきますソ連の対日姿勢の変化の兆しというのは、やはり一般的な東西関係が緩み始めた、米ソ間の対話ムードが進んでいると同時に、日本経済力に対してソ連が新たな注目をし始めたというようなことがございます。  そういうことで、日ソ関係というのはいろいろな要因によって左右され、それによってソ連領土問題についても硬軟両様の立場をとってきているわけでございますので、私どもとしては国益の基本を領土問題の解決ということに据えて、日ソ関係を安定化させていく方向に粘り強く一貫して頑張っていく必要がある、そういうふうに感じておる次第でございます。
  121. 江崎真澄

    江崎国務大臣 先ほど御指摘のありましたとおり、一九五六年の鳩山・フルシチョフ会談、これはやはりこのときの共同宣言は大事にしなければならぬと思います。それから、一九七三年、田中元首相とブレジネフ会談、これの共同声明においても、やはり領土の問題が戦後未解決の問題ということで確認をされておる。  私はそのときの問答、外務省に保存された文書を読んだ記憶がありますが、戦後の未解決の問題ですね、「はい」となかなか答えない。もう一度お尋ねします、。これは共同声明にも関係しますから、未解決の問題と理解してよろしいですね、「ダー」、「はい」と答えておるのですね。それからいろんな話があって、もう一度重ねて念を押します、共同声明の関係もありますからもう一度お尋ねしますよ、未解決の問題と理解してよろしゅうございますか、「ダー」、そのときはもう速やかに「ダー」。そういう経緯は、私はやはり一つの事実として尊重していかなければならぬと思います。  それから、今外務省から説明しましたようないわゆる東西関係、これはやはり日本が西側に属すること、しかし東西関係というものが、だんだん往時ほど厳しくはなくなりましたね。むしろ複雑に南北の問題が絡み合うというような言葉も出てきたり、以前の東西関係はよほど緩んでおると思います。  その中で、御承知のように経済ミッションがこれも久しぶり日本から、今河合団長が訪れたわけでありまして、相当なやりとりもあったという報道も聞いております。したがって、交通事情がこれぐらい便利になり、高度化されてまいりますと、情報の面においても、また人の往来の面においても相当深くなってくる。そして、やはりイデオロギーだけではお互いの国が立っていけない政治情勢というものも私は否定することはできないと思います。  そういう場面で、何か過去のこういった領土に関する首脳同士の話し合いというものが今後実らないものか、これはぜひ実らせなければならない。特に八年ぶり安倍外務大臣とシェワルナゼ外相との間で、この問題も含めていろいろ多岐にわたる話をいたしましょう、こういう合意ができたということは、やはりテーブルに着くことはできた、それによって直ちに領土の問題が解決するとは思いません。複雑に国際情勢が絡んでおることは、おっしゃる意味、よくわかります。  しかし、ソ連もこのままではどうも、国勢を保っていく上に必ずしも日本とこういう関係にあることがいいとは思っていない。何か打開の道を見つけたい、模索しておるような様子がうかがわれみことは事実だと思います。  さりとて、領土の問題がそんなに甘いものであるとは私どもも思いません。その後のモスクワ放送で聞いても、領土の問題は全く以前と変わりはない、解決された問題だ、こう言っております。しかし、過去二回にわたる戦後の交渉の経緯、それから現に一八五五年二月七日、旧暦によれば、すなわち安政元年の十二月二十一日ですね、当時の帝政ロシアではありましたが、このときのいわゆる日露通好条約、これにおいてソ連領は得撫島以北である、我が四島は日本であるということをはっきり百四十年も前に確認しているわけです。ですからそういうものを大事にしながら、そして今のいろいろな交渉はもちろんでありますが、ギブ・アンド・テークということもありましょうから、相手の求めるものにこちらがこたえるならば、そちらも我が方の求めに応じてもらうというような形で粘り強い努力を払っていくことは必要である。ただ国際情勢に煩わされておるというだけがすべてではないというふうに私は理解しておるものであります。
  122. 新村源雄

    ○新村(源)委員 経過についてはそれぞれお話を伺ったわけですが、この間に国際情勢もさることながら、やはり日本みずからが非常に危機感を醸し出すようなことが幾たびかあった。例えば自衛隊の主力が北海道に配備をされている、あるいはアメリカのF16が三沢に移駐してくる、そういうことがあると同時に、これまた中曽根総理が訪米した折に、日本列島不沈空母あるいは海峡封鎖、さらには日米は運命共同体だ、こういうように明らかにソビエトを敵視したかのごとき発言もあるわけですね。こういう一連の流れを見ておりますと、やはり北方領土を、日本領土を返してもらうんだという大前提を外交の中にきちっと打ち立てなければ、こういう過ちはさらに繰り返していくのじゃないかということが一つ。  それから、この問題は後でもちょっと触れたいと思いますが、ソビエトとアメリカとそして日本領土問題に限ってはこの三極の状態をなしている。ですから、この領土問題はやはり何といっても基本的には、日本ソビエトとは領土問題についてこういう立場があるんだということを明確にアメリカにも理解をしてもらう。その上に立って日本のいわゆるソビエトとの外交あるいは経済協力さらには文化、スポーツ等の協力関係、こういうものを総体的に組み上げて、そして日本ソビエトというものは新たな関係発展させる、米国の理解のもとに発展させる、そういう努力がなくてはこの問題というのは常に過ちを犯していくのじゃないかという考え、思いがしてならないのですが、こういう点についてはどうですか。
  123. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは政治的な問題ですから、私から御答弁いたしますが、むしろ西側の国として日本は、武装においても非常に少数精鋭主義をとっておることは御存じのとおりであります。ソ連から見たら全く比較にならない。そこに日米安全保障条約がある。しからば西側の西欧諸国はどうであるのか、そういうことを思いますときに、例えば西ドイツのごときは、いまだに空軍を中心として二十万余の米軍の駐留を懇請して、現在もまだドイツ国内に駐留しておるという状況ですね。  そういうことを考えますと、日本の防衛の現実、それから外交的な、今の日米安保条約というものは、随分日本としては前の戦争にかんがみて、攻撃はしない、攻撃を受けたときは当然独立国として、自分の国はまず自分の手で守り、そして足りないところは日米安保条約で補完してもらおう、こういうわけですから、これは根本の問題ですから、そういうことが一々領土問題にひっかかるということでは、これはもう話にならぬわけでございまして、やはり固有領土というものは、ヤルタ協定以来の経緯をたどってみましても、力によって、戦争によって、武力によって獲得した領土はそれぞれ返還させよう、しかし固有領土というものは侵略をそのままに放置しない。これは御存じのとおり、沖縄でも、あれは信託統治の形でアメリカが使っておって返還にこぎつけたわけですね。そういうことを考えますと、私は、やはりこの問題については政治情勢の一つ前に、ソ連側のいわゆる不法占拠と申しますか、ソ連側のいわゆる当時の経緯から眺めまして無理があるというふうに思います。  そうかといって、両国の間でそういうことだけに固執をして、いつまでもソ連日本が敵視するというものではありませんね。そうじゃないですわね。現に文化交流もしておりますし、それから、今も通商代表が訪問しておるということでありますから、相手が大国であるだけに、まず先に胸襟を開いてくれる、そういうところから始まりませんと、これは日本が大きな声をしてみてもどうしても声が届かない。いかにも残念に思います。これは力対力というなら、やはりソ連の方に大きな力があることは御存じのとおりでありますから、何かこちらの方が言いなりになれば向こうは言いなりになるか、そういうものではないと思うんですね。やはりまず大きな方からゆとりを見せるというか雅量を示した態度があって、初めて日本の、不当に占拠されたという問題に対しての考え方が緩んでくる。そこで返してくれるという話にでもならなければ、こちらの方から何かソ連の御機嫌伺いをしたら多分いい環境になるだろうということは、私は、国の政治としては、特に外交としては非常に無定見なやり方になる、そういうそしりを免れない。一方の顔を立て過ぎれば一方の方からは疎んぜられる。今は中国とソ連関係も昔ほどではなくなりましたが、私は、やはり相当問題が起こることも考えなければならぬ。あにアメリカのみならんやという感じがいたします。
  124. 新村源雄

    ○新村(源)委員 長官は外交関係あるいは内政関係等について、一国を代表される方ですから、貴重な御意見として承っておきますが、今長官のおっしゃっていますことは、国際通念としての軍事力であり、あるいは配備であるということであれば、私は、相手にそういうことを訴える力があると思う。しかし、その内面にいわゆる敵視というものが含まれたり、あるいは何かあれば経済措置で、ソビエトからの経済協力について日本向こうの期待に沿わないで、むしろこちらの方から拒否しているということが数限りなくあるわけですね。だから、長官のおっしゃることはわかりますけれども、やはり背後には友好そして理解というものがなければ、今の状態を打開していく力、大国の襟度を示せといっても、これは大人と子供の関係であっても、憎らしいことはかり言ってくる、突っかかってくるような子供には小遣いも余計やりたくないという気持ちと同じで、大国の襟度を相手から示せということを待っているのではなくて、先ほども申し上げましたように、国際通念として認められる範囲において、そしてそういうものを建前として両国間の理解、友好親善を進めていかなければ大国の襟度だって引き出せぬのじゃないですか、いつもこちらから何か事を構えておりながらそういう点ではどうですか。
  125. 江崎真澄

    江崎国務大臣 経済的に向こう要請を断ったというのはアフガニスタンのあの事件があってからというふうに理解をいたします。そのほかにもあったかもしれませんが、特にアフガンの問題以来顕著ですね。これは、我々日本としては経済的に、アフガンの問題については不当な侵略をしておる、やはり早くこれが円満に解決することを望むという意味も含めて、拒否をしてきたという経緯もあろうかと思います。しかし何といっても、相手の外相が日本を訪れ、そして八年ぶりにとにかく安倍さんと定期協議をしようということでテーブルに着いていろいろ話し合いをする、これはやはり大きな前進だと思います。領土問題はもちろんでありますが、他の問題についてもお互いが話し合いをする、そのうちに、話し合いがたび重なるうちにやはりほぐれるものもほぐれてまいりましょうし、そこに相互に誤解があれば、誤解は解かれるでありましょうし、また過ちが双方にあれば、またその過ちをお互いが、こんな見方もあったかという考え方などでだんだん和やかになる。そういう意味から言えば、私は、外相会議が定期的に開かれることは大変大きな前進であると評価します。
  126. 新村源雄

    ○新村(源)委員 非常に短い時間でございますので、この論議はここら辺にとめまして、次に、北方領土返還の高まりで国内においては署名が三千九百万人も集まる、あるいは政府主導の北方領土の日を設けられて啓蒙に努めておられる。こういうように、私もかつて北海道議会におった当時、北方領土対策委員会に属して各県に要請に出向いたこともありますが、その当時から見れば、北方領土の問題というものは国民の間に非常に理解と問題意識が定着してきていると思うのです。しかし同時に、やはりこれは各国の協力を得なければならぬ。  こういうことで、これはちょっと古い文章を見たのですが、一九四三年、昭和十八年にルーズベルトとチャーチル、蒋介石の三人がカイロに集まった。そして対独戦争と対日戦争の早期終結を目指して協議をした。いわゆるカイロ宣言ですね。その中で、先ほどちょっと触れられましたように、米国、英国、中国は戦争による領土拡大の意図のないことを確認した。そしてその翌日テヘランで、今度はルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者が会談に加わって、そしてスターリンに対して、対日戦に参加をして戦争の終結を早めてもらうようにということを要請された。そのときにスターリンは、対日戦に参加する代償として南樺太と千島の領有を主張した。そのときにアメリカ大統領は、千島列島は一九〇五年、明治三十八年のいわゆる日露戦争によってロシアから日本が割譲を受けたという理解をしておったというんですね、これは私は文献で調べたのですが。そういう理解をしておったので、スターリンのその要求に対して領土不拡大の原則は持ち出さなかったと言われております。  しかし、その後アメリカの国務省は、この千島列島についてクラーク大学のブレイクスリー教授に、千島の持っておる意義について覚書の作成を依頼している。この覚書の内容は、ソ連へ南千島を割譲することは将来の日本にとって非常に受け入れがたい困難な問題である、それは歴史的にも人種的に見ても明らかに日本領土のものであって、しかも三大漁場と言われる海洋資源を日本から奪うことは非常にだめだ、こういう覚書ができておったんですね。しかし、これが一九四五年二月のクリミアのヤルタ会談で生かされなかった。これが今日北方領土の悲劇を生んだとされておるわけです。そういうことから言えば、第二次大戦の終結に当たって当時のアメリカのとってきた措置というもので日本が今非常に大きな不利益を受けている。こういうことが記されているわけですが、この点については長官、どういうふうにお考えですか。
  127. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  先ほど先生指摘のように、カイロ宣言におきまして領土不拡大原則が明確に規定され、そしてその結果を受けてポツダム宣言を受諾し、終戦に至ったわけでございますが、日本は連合国との間で御承知のようにサンフランシスコ平和条約におきまして千島、樺太につきましての権利、権原及び請求権を放棄するという形で戦後処理をしたわけでございます。ですから、現在の日本政府の立場といたしまして、この千島に固有領土である北方四島が含まれていないという法的な立場からそれに対して主張を展開していることは先生御存じのとおりでございます。この立場につきましては、米国におきましてもこれを十分理解し、たび重なる支持を表明してきているわけでございますので、そういう経緯の中でこの問題はとらえていくべきだと私どもは考えております。
  128. 江崎真澄

    江崎国務大臣 今外務省説明のとおりだと思います。  それから、中国でも、文化大革命の当時周恩来首相に私会ったことがありますが、当然これは日本領土ですよ、日本はもっと強く主張して固有領土を取り戻されてしかるべしだということで周恩来首相でもその当時、随分以前の話になりますが、言っておるくらいでございまして、国際的な環境の理解というものは相当あると認識します。
  129. 新村源雄

    ○新村(源)委員 この問題につきましては、先ほどから申し上げておりますように、やはり新たな視点に立って、とにかく外交あるいは経済協力さらには文化、スポーツ等の交流を深めて、そしてやはり北方領土返還というのは日本の国政の中の最大課題である、日本民族の将来にわたって極めて重要な、今我々がなし遂げなければならない問題だ、こういうように政府当局で理解をしていただいて、ひとつ新たな領土返還のための発展を心から期待をいたしまして、次に移りたいと思います。  北方領土と密接な関係を持っております日ソ漁業交渉が三カ月余にわたる交渉の中断を繰り返しながらようやく話し合いがついた。しかし、その内容は、いわゆる北洋漁業を生計の場としてきた漁業関係者あるいは漁船員、水産関係者、さらにこれを取り巻く地域経済、これらにかつてないほどの大きな影響を与えようとしておるわけです。  政府は、北方領土に関連する対策として、一つ北方地域漁業権者等に対する特別措置に関する法律、それから北方領土問題等解決の促進のための特別措置に関する法律、この二本をつくって、領土問題が未解決なことに対する対応をされようとしておるわけです。旧漁業権者に対する措置として十億円の基金をもって旧漁業者の漁業経営あるいは漁業協同組合、法人、こういうところに資金の貸し付けを行い、あるいは福祉増進のための市町村に対する貸付事業、こういうものを行ってきておるわけです。  しかし、先ほどから申し上げましたように、地域が歴史上かつてないような困難な時期に追い込まれてきたわけですから、旧漁業権者に対する基金というのをもっともっと枠を大幅にふやして貸付金の枠を拡大する、こういうことが緊急に必要となってきておるのではないかと思うのですが、この点について。
  130. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 お尋ねの件でございますけれども、旧漁業権者等に対します資金十億円は北方領土問題対策協会に交付されまして、その十億円をもとにいたしまして銀行からお金を借りて利子補給を受けまして十億円、また同じ十億円が来るので混乱するのでございますが、毎年毎年貸し出しているということでございます。これは利子補給を受けまして、現在貸付残高でいきますと二十七億くらいになるのでございますが、年間の貸付枠が十億円だったというところを、ことし非常に厳しい財政事情の中でございますけれども、その枠を拡大していただきまして十二億円になったという状況でございまして、北方領土に関する元居住者等の援護について今後とも積極的にそういう援護等をやっていきたいと思っております。
  131. 新村源雄

    ○新村(源)委員 この件についてはもう既に御案内のように地域の住民から貸付資金枠の拡大というのは常に要望されておるわけです。これから漁業補償等をめぐって多くの問題が提起されてくると思うのですが、この点につきましては、さらに具体的なものを総合して要請をしてまいりたいと思っておりますが、ただこの中で後継者は貸付対象にしない、子供や孫は貸し付けの対象にしない、こういうことになっているのですね。ところが、北方問題解決のための特別措置に関する法律というのは明らかに法律の中でも子や孫を含めて、こういうふうにしているわけです。同じ対策の中でなぜこういうように差別をしているか、この点についてお伺いします。
  132. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 旧漁業権者等特別措置法に基づきまして先ほど申しました北方領土問題対策協会が実施している低利融資事業についてまず申し上げますと、これは北方地域の元居住者、あるいはこれらの地域漁業権を持っていた旧漁業権者の置かれている特別な事情を考えまして昭和三十六年に国から十億円の基金が交付されまして、それをもとにしてこういう生活の基盤を失った人たちの生活の安定を図ろうという点に若干力点が置かれているわけでございます。  一方、後者の特別措置法に基づく問題につきましては、五十八年に内閣総理大臣の決定になっております北方領土問題等解決の促進を図るための基本方針におきましても、その子、孫を含めた北方地域の元居住者の役割、北方領土返還要求運動についての役割の重要性を考えて、そういう人たち北方領土返還要求運動の認識を深めるというための施策として行われているわけでございます。こういうわけで、後者の方につきましては子や孫にまで対象になっているわけでございまして、若干重さの置き方が違っているという点がございます。
  133. 新村源雄

    ○新村(源)委員 法律の趣旨からいえばそういうようにきちっと割り切れるかもしらぬですね。しかし実際に対象となる人たちはそう割り切れないのです。法律の趣旨からはそういうことだけれども、今日、こういうように非常に厳しい状況になっているので、後継者に対する枠の制限というのは外してもらいたいというのはずっと長い間の要請なんですよ。ですから、こういう厳しい状況が生まれてきた時点ですから、この機会にもう一度検討し直す、このくらいの温かい気持ちがあっていいのじゃないかと私は思いますが、どうでしょうか。
  134. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 今の問題でございますけれども、従来からそういう議論がございまして、私どもといたしましても、本質的な問題点が幾つかございますけれども技術的なことを申しますと、世帯単位になっております。世帯単位で貸し出すことになっておりますので、世帯がどういうふうになっておるか、世帯の分離形態、分離の状況調査するというやり方でもって実態を調べているところでございます。
  135. 新村源雄

    ○新村(源)委員 ということは、制限を撤廃するということに向けてひとつ検討していこう、こういうことですか。
  136. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 事務的には非常に難しい本質的な問題が幾つかあるわけでございますけれども、そういう問題は一つずつ検討を重ねてやっていきたい、こういうふうに思っております。
  137. 新村源雄

    ○新村(源)委員 いや、ですから、それは枠を撤廃するための検討ですかと聞いているのです。
  138. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは事務的には返事がしにくいと思いますよ、予算も伴いますしね、もちろん各省庁との合議もございましょう。  私は、北方領土返還の運動というものを末永く続けていくためには非常に必要、重大な思いやりを広げる措置であるというふうに午前中も中川君の質問に答えたところであります。私は、政治家として、特に担当大臣としてはそういう方向で鋭意検討を進めたい、かように考えます。
  139. 新村源雄

    ○新村(源)委員 次に、北方問題解決促進特別措置によりまして百億円、まあこれは法律でそういうことは明確に言われていないのですが、しかし、法律策定のときに合意事項として百億円、国が八割、道が二割。そして、これは法律に明らかに言っておるのですが、五年をめどにしてこれを積み上げる、こういうように言っているのですね。ところが、昭和五十八年から、ことしも国が八億円、道が二億円ということで十億円積み上げられることになっておりますが、それを加えましても四年にして四十億なんですね。この進度が半分しか進んでいない。これは、財政事情が非常に厳しいということはわかりますけれども、しかし、法律で五十八年度以降五年をめどにしてということを附則ではっきりうたっているわけですね。これは、どうも法律でそういうようにうたっておりながらこの進度であるということは、やはり政府の怠慢である、こういうように指摘せざるを得ないわけですが、これについてはどういうお考えですか。
  140. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 私どもといたしましては、これまでも厳しい財政事情のもとにおきまして、対前年度マイナスの概算要求基準というのが毎年出てきておるわけでございますが、こういう設定の枠の中で精いっぱいの努力を重ねてまいりまして、前年度実績を今日まで持ってきたわけでございます。これが、私どもがやれた精いっぱいの努力であったわけでございます。  法律で定めます造成期間が余すところあと一年ということにはなっておるわけでございますが、総務庁といたしましては、この基金に対する地元の強い期待、要望、それから、先生おっしゃいました北方特別措置法の立法経緯等、これらも踏まえまして、財政事情等諸般の事情を総合的に勘案いたしまして、従来同様最大限の努力をしてまいりたい、かように考えております。
  141. 新村源雄

    ○新村(源)委員 非常に短い時間でなにですが、最後に長官、何度も繰り返して申し上げますように、北方領土の問題というのは、東京では考えられないくらいで、私の選挙区ですが、回っていきますと、必ず北方領土に関するあるいは北洋漁業に関する問題というのは深刻な問題として提起をされているわけです。それが、今日さらに四分の一に削減されたということで、そういう深刻さというのは想像を絶するものが、地方自治体を含めて地域経済の問題として出てきているわけです。  したがいまして、後段で申し上げました基金の百億円ですね。これは、早急に満額を積んでいただくと同時に、時間がなくて申し上げられませんでしたが、日ソ漁業交渉のいわゆる妥結までは行っておりませんけれども、大筋で合意したということですが、非常に厳しい状況にある、こういうことも御理解をいただいて、総合的な、心温かい対策を樹立していただきますことを、最後に長官の御答弁をいただいて、私の質問を終わりたいと思います。
  142. 江崎真澄

    江崎国務大臣 目の前に自分たちのもと大きな漁場がある。これは本当に、冒頭仰せられたとおり大変なことでございまして、私は漁民の人たち――もともとが日本は漁猟民族ですから、そういうことを考えましても、十分御趣旨の点はわかります。責任を持って最善の努力をしてまいりたいと考えます。
  143. 新村源雄

    ○新村(源)委員 以上で終わります。
  144. 青山丘

  145. 奥野一雄

    奥野(一)委員 時間が少ないですからごく簡単に質問させていただきます。  最初に、先日のこの委員会におきまして、長官の所信表明演説がございました。その中で「長い間途絶えていた領土問題を含む平和条約締結交渉が再開され、今後さらに交渉継続することが合意されました」こういうふうに言われているわけでありますけれども、その後の新聞報道等を見ておりましても、そう簡単にこの問題が進行するのかどうか、こういう面では大変疑問にまだ思っているところでございます。特にシェワルナゼ・ソビエト外務大臣の新聞記者会見とか、あるいはまたその後のソビエトにおける発表なんかを見ますというと、領土問題は解決済みだ、こういうようなことをまだ言っているようでございますので、これからの見通しといいますか、そういうことについてちょっとお尋ねをしておきたいと思います。
  146. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは仰せのとおりで、私もそのとおりに認識をいたしております。  しかし、この一月に、とにかく八年ぶりに両者の間で交渉を粘り強く継続しよう、こういう話し合いができたことは一歩前進である。テーブルに着くことができた。お互いに顔を合わせてよく話し合えば話というものはまたほぐれようもあるのではないか。午前中からもしきりに繰り返しておりますように、やはり相手方にも言い分があるだろうし、こちらの言い分は当然な根拠を持って言っておるわけですが、日本に対する期待もありましょうし、そういうことも含めて今後十分話し合いを続けていく、これは外務大臣外務省へ我が序としても強く要請をしておるところであります。
  147. 奥野一雄

    奥野(一)委員 例えば粘り強く交渉するとかあるいは話し合いをするという、言葉としてはそれはわかるのですけれども、例えば碁をやるにしても将棋をやるにしても、相手がこう来たら次の手をこう打つとか、そういうようなことがなければ、ただ黙って盤面を眺めておるだけでは、何ぼ粘り強くと言ったって全然進展をしないわけですよ。  ですから、今ソビエトがそういうような態度をまだ現実にはとっている。それを打開するために一体どういうような方法を講じようとお考えになっているか、その辺のところをちょっと聞きたいと思うのです。
  148. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは私がお答えしても、むしろこれから対話をする外務大臣自身に聞いていただかなければならぬので、ちょっと見当違いな答弁になるかもしれませんが、それぞれの国益を担い、それぞれの主張を持ってお互いが話し合いに臨むわけですね。それには当然、従来の主張、従来の考え方というものはありましょう。双方、これは卑屈になる必要はありませんね。やはり国益を踏まえながら話し合っていく。しかし、話し合いというのは、けんかするわけではありませんが、時には言い争いになることもあります。言い合いや対立すること、これは外交交渉においてはしばしばあるでしょう。しかし、やはりテーブルに着いて話し合っておるうちに話というものは、話の糸口というか解決の道が出てくる、ほぐれてくる。これは今後の努力にまつということでありまして、粘り強くというのをただ漫然と私は申し上げておるつもりはないのでありまして、相手も相当かたくなですが、我が方としてもやはり根拠のある重要な領土の問題でありますから、不退転の決意で臨む。しかしそれはそれなりに、話し合いのうちに何らか妥結の方法とか何か道はないのか、これも今までは全く話ができなかったのですね。それが、そういうことができるチャンスを持つことになったというわけですから、これはやはり貴重な事実として今後継続したいものだということを粘り強くという表現であらわしたわけであります。
  149. 奥野一雄

    奥野(一)委員 戦後四十一年たちまして北方領土返還運動というのも相当な年月を経過をしておるわけですけれども、実際的には今日まで全く進展というものはしていない。だから国民の皆さん方も特にそうでしょうし、私ども北海道の道民なんかはせんだっての日ソ外相定期協議の中で、安倍外務大臣の方から何か先に見通しが見えるような、そういう印象を受けるような発表をされたけれども、また逆にそれを打ち消すようなソビエト側の報道もある。だから、そういう中で北海道の道民というのは一体どういうふうにしてこの問題の処理を図っていくのかということについては非常に大きな関心を持っておると思うのですね。だから、長官の言われることもわかりますけれども、それは国際的な問題ですから、そう簡単にいく問題でないということもわかります。けれども、今までだって粘り強く話を進めてきておられるだろうし、いろいろなことをやってこられているのだろうけれども、一向にこの問題についての進展が見えないということに対する焦りも一つあると思うのです。  時間があればこの問題を本当はもう少し詳しくやりたいのですが、私が今前段そう申し上げましたことはこれから後のことにも関連してまいりますので、そういう点でお聞き取り願いたいと思うのです。  次に、三千九百万人の署名が集まった、これはどういうふうに活用しておられるのか。それからその三千九百万人という膨大な署名が集まったということが北方領土返還ということについてのどんな効果をもたらしてきたのか、これはどうでしょう。
  150. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 北方領土返還を要求する署名でございますけれども、これは全国団体、青年団あるいは婦人団体初め各界の諸団体が中心となって推進されてきておるわけでございまして、現在三千九百万人に達しているという状態でございます。  このことでございますが、国民の北方領土についての関心の深さと北方領土返還に対する強い意思を内外に示すということで、私ども大きな意味があるというふうに考えておるわけでございます。署名促進団体におきましては、今後これを五千万人署名というふうに目標を掲げまして運動を進めているわけでございますが、この活動を通じまして国民の間にさらに北方領土返還についての一致した世論が醸成されるものと期待しているわけでございます。最終的な行き着き先でございますが、署名簿は署名促進団体の代表が毎年国会に請願の形で提出しております。
  151. 奥野一雄

    奥野(一)委員 国内的には、私も当時から見ると相当高まりは見せたと思うのです。私どもも北海道議会におりましたときには、各県回りましても各県でもなかなか応じてくれなかったという実態があったわけですが、最近はほぼ全国的に体制が整ったと思うのです。ただ、確かに国内の国民の意識を高めるということももちろん必要なのでありますけれども、今内外に示されたというのですけれども、外国の方はこれによって、なるほどこれは日本の主張というのはそのとおりなんだ、だからそれは外国の方で、例えば、一つは自国の国民に対して日本北方領土という問題についての関心を高めさせていくとか、あるいはまたそういう諸外国がそれでは何らかの形で日本のこういう運動に対して協力をしようとか、そんなようなことというのは具体的にどう出ていますか。
  152. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  北方領土問題につきましては、当然のことながら、先ほどから御指摘ございますように国内での啓発運動とともに国内の世論統一ということが一番重要だと思いますし、基本的には二国間の問題だろうと思います。他方、やはり北方領土問題につきましては、国際社会におきまして国際的な啓発をすることにより我が国の立場を十分に理解させ、そしてその正当性を理解させつつ北方領土問題の解決に有利な国際情勢をつくり出していくということも必要だろうというふうに考えております。  そういうことで、私どもといたしましても英文のパンフレットであるとか英文のフィルムをつくりまして、これを利用しつつ北方領土問題に対しての対外啓発を今までも進めてきている次第でございます。そういう中におきまして、日本の国内において署名が集まっている状況というのは、一つの非常に有力な資料として私どもとしてもこれを利用させていただいております。  そういうことで、一九八〇年の第三十五回国連総会以後、国連においても外務大臣から、その演説におきまして北方領土問題について総会の場でこれに言及するという形で各国の正しい理解を促進するための働きかけを行ってきているというのも一つございます。
  153. 奥野一雄

    奥野(一)委員 何か具体的な諸外国の反応というのでしょうか、大分前のこの委員会でも各委員の方から随分指摘されたのは、例えば諸外国の地図の中には日本領土という感じになっていないとか、そんなようなことも随分指摘をされたこともあるのですが、今言われたようなことを日本が諸外国に対してどんどん啓発をしている、こう言うのだけれども、そのことが具体的に日本のこういう運動に対してプラスになっている面というのは何かあるのか、こういうことなんです。
  154. 都甲岳洋

    都甲政府委員 本件につきましては、具体的には先ほど先生が御指摘になられましたように、地図について若干の国におきましてより前向きに日本の立場を支持するような形での動きが見られるというようなこともございます。  それから、例えば米ソ外相会談におきまして、米側から日本領土問題についてこの解決が必要だということをソ連外相に対して伝えだというような状況もございます。  一般的に、そういうことで我々がこういう粘り強い国際啓発をしていくということによって国際的な理解が高まることが重要だと思いますけれども、やはりこの問題は基本的には二国間の交渉の問題であるということは私どもとして基本的に踏まえていく必要がある問題だろうと考えております。
  155. 奥野一雄

    奥野(一)委員 今二国間の問題だと言われましたけれども、二国間というのは日本ソビエトだろうと思うのですが、私はちょっと違う見解を持っているのです。  対日講和条約を締結をした相手国というのは日本ソビエトではないわけですね。北方領土を放棄させられたというそもそもは講和条約です。だから、そういう講和条約の相手国、そういうところに対して、放棄させられたという日本北方領土の問題について、これは違うのじゃないか、間違っていないかということをまずきっちり理解させることが必要になってくるのではないでしょうか。それはどうですか。
  156. 都甲岳洋

    都甲政府委員 御承知のようにサンフランシスコ平和条約におきまして千島列島に対してのすべての権利、権原、請求権を放棄したわけでございますけれども、しかしこの千島列島の中に固有領土である北方四島は含まれないというのは政府の確立した法的見解でございまして、これに対しては御承知のように米国からも累次にわたって支持表明が行われております。そして我が国の北方領土問題につきましては、多くの国においてかなりの理解が存在しているというふうに私は考えております。
  157. 奥野一雄

    奥野(一)委員 その問題をそもそもからやりますと、これはとても二時間や三時間では終わらない。私は昭和四十三年に北海道議会でその問題について当時の町村知事と随分論争いたしました。ですから、そういう経過というのは私も全部知っているのです。  それから、これは外務省から出している「われらの北方領土」ですか、この中に書いてあることでも我々の見解と微妙なところが違っておったり、あるいは故意に抜かしたのではないかなと思う点があって、本当はそこから出発をして論争していけばいいのですけれども、きょうは私の持ち時間が非常に少ないから、ごく詰めて質疑をしてまいりたいと思うのです。  私、当時北海道議会でこの論争をしたときにも触れました。それから、せんだって新聞紙上でオーストラリアのグレゴリー・クラーク氏の出された対談なんかの記事はお読みになっていると思うのです。これは私が当特質問したのとほぼ内容的に同じな内容になっているわけですけれども、この中で特に主張していますのと、それからもう一つ、四十二年当時、国際法学者の後藤順三先生が書かれた論文もあるわけでありますけれども、この中でも指摘をしているわけなんですが、大体同じようなことを指摘をしているわけです。まず、北方領土を放棄をさしたということについて、今、いや、それは日本固有領土だということでは、例えばサンフランシスコ条約の中でも言っているとか、あるいは日本ではそういう解釈だと言うけれども日本だけで解釈したって国際的にはだめでしょう。日本がそういう解釈をしたって、国際的には認められるということにはなっていかないわけであって、ですから、そもそもヤルタ協定だとかあるいはカイロ宣言だとかあるいはまた対日講和条約の中で日本が放棄をさせられた。そこに我々から言うと間違いが一つあるわけですね。今言われた、例えば日本固有領土ということについて間違いがある。その間違いをしたのはだれだということですよ。これは対日講和条約の起草に当たったアメリカの関係者の方々に、そこから一つ間違いがあったのではないか。だからそのことをきちっと、まずアメリカはもちろんそうだし、それから対日講和条約を締結をした当事国に対してもそのことをまず認めさしていかなければならぬのじゃないか。これは国際的にはそういう手続というものをとっていく必要があるのじゃないかと思うのですね。今は、政府の方はそうでないと言うかもしれないけれども、我々の受ける感触では、ソビエトが不法占拠をしていてけしからぬということだけが何か前面に打ち出されているというような感じがしてならない。ところが、ソビエトにしてみれば、これはヤルタ協定でそう決まっているんだ、だから北方領土の問題については解決済みだというふうに言っているのだろうと思うのですよ。しかし、我々からすればそのヤルタ協定そのものにそもそも間違いがあった。そのことが対日講和条約の中で同じような文言になって出てきている。そこに誤りがあるから一つはそこを正していく必要があるのではないか。日本がいかに自分だけでもって日本固有領土なんだと言ったところで、それは始まらないと思うのですね。だから、その根源である対日講和条約を結んだそれぞれの国、特に起草に当たったアメリカとはそのことについてはきちんとしておく必要があるのではないか。そこからスタートをすべき問題だ、こう思うのですね。  先ほど紹介したこの国際法学者もこういうふうに言っているのですね。「ヤルタ協定による領土処理原則混乱の責任は英米側、とくにアメリカにあることも事実である。対日平和条約の起草者は、この過失を改めようともせず、同条約第二条Cによって日ソ双方に不満を植えつけてしまった。」ですから、「この問題解決のためには、一方では日本と連合国との間における対日平和条約第二条Cの再吟味が行なわるべきであろうし、他方では、米・英とソ連との間に何らかの形でヤルタ協定の再検討が行なわれねばなるまい。」それは実際には今の国際情勢では難しいんだけれども、「しかしながら最大の利害関係国である日本としては、その実現のために最大限の努力を払うべきではなかろうか。」「少なくとも前者、つまり連合国との間の調整、交渉は先決問題であろう。」こういう指摘をもう十何年も前にしているわけですね。  それから、本年の一月十二日の新聞のグレゴリー・クラーク氏の発言でも、「北方領土問題でソ連だけを悪者にして、非を責め続ける日本外交のやり方から、領土の喪失に第一義的責任を負うべきはソ連ではなく米国だと公に宣言する」ことも必要でないか。こういうことをやはり言っているんですよ。ここのところから誤りを正していかないというとこの問題についての進展はないんじゃないか、こう言っているのですが、その辺の見解はいかがですか。
  158. 都甲岳洋

    都甲政府委員 お答え申し上げます。  この件につきましての先生の御指摘の論点につきましての米国の立場は過去の経緯において明確になっておる次第でございます。例えばヤルタ協定につきましては、米国はいわゆるヤルタ協定というのは、当事国の当時の首脳者が共通の目標を陳述した文書にすぎず、その当事国による何らの最終的決定をなすものではない、また領土移転のいかなる法律的効果を持つものではないという見解を明確にしております。これは米国の正式な文書において明確にしております。  それからさらに、一九五四年に北海道上空におきます米機撃墜事件があったわけでございますけれども、それに関連いたしまして米国がソ連に対して正式の書簡を送っておりまして、この中で、サンフランシスコ平和条約、ヤルタ協定などにおける千島列島という言葉が、歯舞群島、色丹島または、国後、択捉を含んでもいなければ、含むようにともされていなかったということを繰り返し言明するということを明確にしておきます。  このような形で、米国のヤルタ協定そのものについての考え方、あるいはサンフランシスコ平和条約の中の千島列島に四島が含まれてないということについての米国政府の見解は明確になっているわけでございます。したがいまして、ヤルタにおいて千島列島をソ連が自国領とすることを認めたというステーツ、この中に北方四島を含めることを認めたという御指摘は当たっていない、明確に米国はこれを否定し、先ほど申し上げたような公式の立場を明らかにしているという事実がございます。
  159. 奥野一雄

    奥野(一)委員 アメリカがそういうふうに公式に認めているということが仮にあるとすれば、じゃあそのことに対して、対日講和条約の第二条(C)項というのは我々の立場からすれば間違っているという判断を持っておるわけですよ。それは当時、吉田総理が国会でも答弁されておったり、サンフランシスコ平和会議の中ではそういう主張をしたとか、留保したとかというようなこともありますけれども、保留したと日本側がただ一方的に言ったって、国際法的には何のあれもないわけでしょう。これはその会議の構成国が認めてくれなければ全然留保したという意味にもならない。  それで、「芦田日記」というのがありますね。この「芦田日記」の中を見てみましても、ちょうどグレゴリー氏が言っているのと大体符節が合うんですね。「芦田日記」の中ではどういうことを言われているかというと、一九五五年の六月に日ソ国交回復交渉がロンドンで始まって、二カ月後の八月にソ連日本中立化の要求を撤回して、歯舞、色丹両島を引き渡す方向を示した。当時の日本の全権松本さんがこれで交渉妥結の見込みが大いに出たと判断をした。このグレゴリーさんの方の話の中では、「当時の重光葵外相は、その提案を受け入れ、南千島はあきらめる覚悟を定めた。が、当時の米国務長官ダレスに呼びつけられ、日本ソ連に対し南千島の返還要求を取り下げるなら、沖縄も永久に返還しないぞ、と脅かされた」こうあるのですね。  さっきの方に戻りますけれども、この日本側の全権松本さんはこれで交渉妥結の見込みがついたと判断をしたのだけれども、しかしながら、このとき日本外務省は何の事前の通告もなしに、択捉、国後の南千島は歴史的、法的根拠に基づいて日本に帰属するというパンフレットを発表した、それでソビエト側の態度が硬化をしてこの会談は決裂をした、こういうようなくだりがあるわけですよ。こっちの方の「芦田日記」に出てくることと、それからことしの一月十二日にグレゴリーさんがこの対談の中で言われたようなことと大体合っているのですよ。そういう経過というものを見ますというと、アメリカが今もし、いやこの四島というものはあれに含まれていないんだ、こういうことになったら、まず対日講和条約を結んだそれぞれの国に対してそのことを認識させて、じゃその帰属はどうするんだというようなことについてもそこできちんとする責任というのがあると私は思うのです。しかし、そういうことについてはほとんどやらないわけでしょう、やっていないわけでしょう。そこの出発点からもう一遍これをやっていかないと、幾ら先ほど江崎長官が言われましたように今後も粘り強くとかなんとかといったって、進展をするきっかけが全然つかめていかないと私は判断しているのです。だから、そういう出発点にもう一遍戻って、そこからきちんとしながらこれは処理を図っていくということにしなければならないだろう。その一つ一つの問題について議論していけばたくさんありますよ。時間がないからきょうはそれをやめたといって、一番結論的なことだけ申し上げているわけですけれども、やはりそういうところから出発をしていかないと、この問題については進展はしない。それは百年河清を待つようなものでないかという感じがしてならないから。  特に、友好国であるからといって、アメリカに遠慮する必要はないと私は思うのです、これは日本の国益に関する問題だから。先ほど江崎長官が言われましたように、国益に関する問題だったら相手に対して言うべきことはやはりきちんと言っていくという一日本が一番大きな被害を受けたのですから。その問題で当時の出発点が非常にあいまいであった。これはそういうようなことから出発をして、後になってしまってから、いやあれは含まれていたとかいないとかなんということを言ったってこれは始まらないということだと思うのですよ。だから、その出発点にもう一遍戻って、対日講和条約を結んだ国々にもきちんと理解をさせて、そしてこれはこういうことなんだということをきちっとした上でソビエトとの交渉に臨むという方針でないと、これは全然進展しないと私は思うのですよ。それはどうでしょう。
  160. 都甲岳洋

    都甲政府委員 先ほどから御説明申し上げていますように、日本政府の立場といたしまして、サンフランシスコ平和条約の千島列島に北方四島は含まれていないという法的な見解は確立したものでございまして、これにつきまして米国政府も累次それを支持する立場を表明してきていることは御承知のとおりでございます。私どもとしては、こういう基本的な立場を踏まえて、対ソ交渉の場において今後とも粘り強くこの問題の解決を働きかけていくということが必要であるというふうに考えている次第でございます。
  161. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは非常に重要な政治問題ですから私からもお答えしておきます。  今サンフランシスコ平和条約でちゃんと記録的にもある、こういうことを言っております。私もそれを支持するものです。それから、歴代外務大臣が国連の場において発言しておることもしばしばでありますし、当然固有領土はそれをどの国も没収したり領有はしない、こういうことで始まったわけで、それが沖縄の信託統治という形になって、アメリカは信義を守ったわけですね。それから、特に歯舞、色丹へのソ連軍の占領についても、もう既に終戦が宣せられて、その後随分おくれて御承知のように進撃してきた、そこを占有したということも明らかなとおりでありまして、そういうもう戦争が終わってからの占領であることも私は具体的な根拠としてはっきり言えることだと思いますし、何よりもやはりサンフランシスコ平和条約において吉田全権も主張しておるということ、これは貴重な日本の主張であるというふうに位置づけていただきたいと思います。
  162. 奥野一雄

    奥野(一)委員 もう質問時間が切れていますから、私は申し上げることだけちょっと申し上げておきたいと思うのです。  例えば米国の一九五六年の覚書というのがあります。その中では、今言われるように択捉、国後両島、北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹、これは常に固有日本領土の一部をなしてきたものだと、このときは言っているのですよ。しかし、そのときに何がついているか。これは政府の方にはついてないのですよ。このアメリカの覚書の中には、このことにソ連邦が同意するならば、という一文がついているんじゃないですか。それから、講和条約を締結した当時のものは、当時の国会の中では吉田総理も、それから西村条約局長だったですかな、の答弁でも、それはもう入ってないんだということを答弁をしているのですよ。後で変わってきている。  それから、今言われた法的な根拠があるというのは、国際法的にはそんな根拠があるということですか。国際法的にそれは認められておりますか。
  163. 都甲岳洋

    都甲政府委員 これは御承知のように、日露間におきまして領土問題を処理する条約におきまして千島列島と使われた場合には、四島は入っていない、千島列島十八島を指すものであるということは歴史的、法的に明確な事実でございますので、私どもはこれは国際法的に認められている事実であるというふうに考えております。
  164. 奥野一雄

    奥野(一)委員 ちょっとその辺のところは私の認識は違いますけれども、もう時間ですから、きょうは失礼させていただきます。いずれまた何かの機会にやらしていただきます。
  165. 青山丘

    青山委員長 吉井光照君。     〔委員長退席、和田(一)委員長代理着席〕
  166. 吉井光照

    ○吉井委員 私は若干の時間をいただきまして北方領土に関する諸問題について質問をするわけでございますが、私は山口の選出でございまして、北海道選出の諸先輩と比して非常にありふれた問題のお尋ねになると思いますが、その点ひとつ御了解をよろしくお願いしたいと思います。  まず最初に、農林水産省にお尋ねするわけですが、モスクワで行われておりました日ソ二百海里漁業交渉、これは漁獲割り当て双方十五万トン、そしてソ連水域での底刺し網漁の全面禁止と、日本側の全面的な譲歩で妥結したわけです。新聞報道等によりますと、今回の交渉において日本側は終始ソ連側に攻めまくられて、その対応に苦慮した、このように報道をされているわけですが、このような結果を招いた原因として日本側の対応の甘さ、また情報収集の不足等、こうした幾つかの要因が考えられるわけですが、政府はこの結果をどのように分析をし、どのように受け止めていらっしゃるのか、まずそのお考えをお尋ねしたいと思います。
  167. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えします。  先生指摘のとおり今回の日ソ漁業委員会における協議におきましてはソ連側は極めて厳しい姿勢を示しておりまして、協議は難航をきわめたところでございます。この背景というものにつきまして私どもなりに考えた点といたしましては、ソ連側は食糧政策上あるいは漁業振興を重視するという見地から、大きくは二つの背景を持っていたと思われます。一つソ連水域における資源保護の問題でございまして、特に大陸棚資源の保護を図ろうとするソ連側の態度は極めてかたい。資源の有効利用という観点から党の大会でも資源の有効利用、合理的利用の問題が取り上げられたという点について、羽田大臣との間のお話し合いでも言及されているところでございます。  もう一つは、実態問題でございますが、二百海里時代以降日ソ間の漁獲実績の格差がございます。クオータはほぼ平等でございますが、実際の漁獲実績におきましては、日本水域におけるソ連漁船の漁獲が非常に低いということで、日ソ間の漁獲実績が不平等であるということではとても容認できないということがソ連側の内部で高まってきた事情があると考えております。そういうことで、今回の協議におきましては、かかる漁獲実績の格差の解消に極めて強い態度を示したところでございます。  このような背景があると考えておりますが、いずれにしても基本的には二百海里水域内の漁業資源に対しまして、沿岸国が主権的権利を行使するということの帰結でございまして、我が国北洋漁業にとって極めて厳しい結果ではございますが、こういうことを承知の上で決断せざるを得なかったというものでございます。
  168. 吉井光照

    ○吉井委員 また、一説によれば、ソ連底刺し網漁の禁止に最後までこだわったのは、日本漁船に違反が多過ぎたからだということも一つの理由に挙げているようですが、政府はこの実態をどのようにとらえていらっしゃいますか。
  169. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えいたします。  交渉の経過におきまして、底刺し網漁業を初めとする我が国漁船の違反が、日本水域におけるソ連側の違反状況よりも極めて多いという指摘は受けておりまして、こういう相手国の二百海里内における操業というものは、いかんせん相手側の資源をとらせてもらうということでございますので、その操業諸規制については厳重に守るという観点から、関係漁業団体、関係地方公共団体を通じて指導しているところでございますが、残念ながら現段階におきましては日本側の違反の方が多いというのが現実でございます。そういうことを踏まえまして、今後におきましても取り締まり体制の強化を初めとする日本側漁船の違反の根絶につきまして引き続き努力してまいりたいと考えております。
  170. 吉井光照

    ○吉井委員 そこで、ソ連の対日漁業政策が質的に転換したことによって日ソ漁業協力関係が変化して、北洋漁業が先細りになってくることは避けられぬことだと思いますが、先ほどちょっと長官の方からもお話がございましたが、北洋漁業日本漁民が開拓した歴史的な伝統を持つ漁場ですね。来年以降の日ソ漁業協力についても大変厳しいものがあると思うわけですが、北洋漁業の明かりを消さないために、政府は今後どのような姿勢で対ソ交渉を行うつもりなのか、その点をお聞かせ願いたいと思います。
  171. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えいたします。  今回の交渉にも見られましたように、各国の二百海里水域内における我が国の伝統的漁獲実績を守るということは、最近における二百海里体制のもとにおいては極めて難しい問題であろうと思います。しかしながら、そういう水域におきましては我が国の漁船のみならず、その関係業者が関与している地域経済を支える大変重要な柱になっているということにかんがみまして、政府といたしましては、今後ともそういうものにつきまして漁業の分野における最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
  172. 吉井光照

    ○吉井委員 今、こうした問題の打開について最大限の努力をしていくという御答弁なのですが、恐らくこうした答弁は毎回行われてきたと思うのです。しかしながら、現実の問題として、北洋漁業は先細りというか年を追うごとに厳しさを増してくるということは当然考えられるわけですが、こうした過去の経緯また将来的な展望を考えたときに政府としても今後業界の再編成を当然考えざるを得ない、このように思うわけですが、いかがですか。
  173. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えいたします。  御指摘のとおり、二百海里交渉については先行き大変難しい問題があることは事実でございます。その観点から、私どもといたしましては、基本的には我が国の沿岸二百海里の漁業振興、いわゆるつくり育てる漁業振興に重点を置いて今後の漁業政策を再編成していく必要があると認識しております。ただ、その場合にありましても、現在相手国の二百海里内に操業している漁業者並びに関係の方々の生活なり権益を守るという観点から精いっぱいの外交努力をしてまいりたいと考えております。
  174. 吉井光照

    ○吉井委員 日ソ漁業交渉は、冒頭に述べましたごとく非常に厳しい結果で妥結をしたわけですが、今後予定されております日ソサケ・マス交渉に今回の結果がどのような影響を与えるとお考えですか。
  175. 窪田武

    ○窪田説明員 お答えいたします。  今回行っております日ソ二百海里漁業交渉の結果、これから行う予定でございます日ソ漁業合同委員会における協議に与える影響につきましては、これからサケ・マス交渉が行われるということでございますので、言及することは差し控えさせていただきたいと思いますが、いずれにいたしましても、二百海里ないしはサケ・マスの母川国主義ということでソ連側は例年以上に厳しい態度を示してくることが予想されるところでございます。
  176. 吉井光照

    ○吉井委員 そこでもう一点。着底トロールの全面禁漁通告に対して、日本側としては当然同意していないわけですが、これに対する見通しはいかがですか。
  177. 窪田武

    ○窪田説明員 御案内のように、今回の交渉におきましてソ連側は、着底トロールをソ連側の二百海里全水域において禁止するということを主張しておりましたが、最終的には東樺太水域における着底トロールの禁止ということで、それ以外の水域におきましては着底トロールの操業を認めているところでございます。いずれにしても、着底トロールの漁具そのものにつきまして、ソ連側が大陸棚資源に対する資源保護という見地から極めて抑圧的な態度をとっておりますし、今後ともとっていくということは十分予想されるところでございまして、私どもといたしましては、着底トロールから中層トロールヘの漁法の転換についても今後十分研究して、現在でも、ソ連水域ではございませんが、ほかの一部の水域におきましては中層トロールによる底魚の漁獲についても、既に採算ベースに合っているという事実もございますので、その辺の研究を今後とも進めてまいりたいというふうに考えております。
  178. 吉井光照

    ○吉井委員 では、次に、外務省にちょっとお尋ねします。  この漁業交渉を通じて、政府は対ソ交渉というものの難しさ、また厳しさというものを改めて認識されたと思うわけですが、北方領土問題に関してもソ連は、一月の日ソ外相定期協議以降再三にわたって、ソ連は国境を変えないとの原則をとっており、北方領土問題に関する立場は全く変わっていない、このように述べて、三月にはプラウダのアファナシエフ編集長が、中曽根首相訪ソでもこの領土問題では妥協しない、二島返還も不可能、そして国際法の現状に照らしても、日本領土返還要求は何ら法的根拠を持たない、このように言い切っておるわけです。またモスクワ放送も、非現実的な要求、このような一方的な暴言とでもいいましょうか、そうした態度を示しているわけですが、政府として対策をどのように講じていらっしゃるか、考えていらっしゃるか、まずここらをお尋ねしておきたいと思います。     〔和田(一)委員長代理退席、委員長着席〕
  179. 野村一成

    ○野村説明員 御指摘にありましたように、一月、シェワルナゼ外務大臣が来日しまして、共同コミュニケにおきまして領土問題を含む平和条約交渉を行ったという事実認識につきましては、私ども、共通のものを日ソ双方間で持っておるというふうには思っております。  他方、領土問題の中身そのものにつきましてのソ連側の立場につきましては、遺憾ながら、先生指摘のとおり非常に厳しいと申しますか、基本的には解決済み、存在しないという立場をとっておるわけでございまして、今回の領土問題を含む平和条約交渉を行ったという事実を新しい出発点にいたしまして、今後、繰り返し行われます平和条約交渉におきまして私どもの立場を粘り強く、強く主張していく、そういう基本方針を持っておるわけでございます。
  180. 吉井光照

    ○吉井委員 一方、今国会におきまして中曽根総理の答弁の中で、もし日本国民が喜ぶ結果が得られるならば訪ソしてもよい、このように述べられたわけですが、この発言に対して一部には、北方領土返還に対して若干なりとも明るい兆しが見え始めたのではないか、こういう憶測もあるわけですね。北方領土返還問題というのは、御承知のように戦後四十年間ずっと深刻な問題として、また我が国の悲願として続いてきたわけですが、総理のこうした発言についても、やはり非常に敏感に反応をするわけですからね。これは昨年十二月二十七日のプリマコフ発言、すなわち二島返還論を示唆した発言ですが、一応非公式とはいいながらもやはり重要な発言と考えるわけですが、こうしたプリマコフ発言等を受けての中曽根発言と考えていいのか、こうした点も含めて外務省としてはどのような受けとめ方をしていらっしゃるのか、お尋ねをしたいと思います。
  181. 野村一成

    ○野村説明員 領土問題の中身につきましてのソ連側の立場につきましては、私どもは、依然として非常に厳しい立場でございまして、その立場を変えるとかいうことについて具体的な兆候というのを把握しているという状況ではございません。
  182. 吉井光照

    ○吉井委員 また新聞報道によると、外務省は、ソ連は一月の外相協議の際は領土問題を話し合ったことを認めたわけですが、その後、否定し始めたと指摘したとありますが、このように指摘した背景、これは何なのですか。外務省がこのように考えるに至った背景は一体何でしょう。
  183. 野村一成

    ○野村説明員 ソ連側がどういうふうに具体的に述べているかということにつきまして、私の方からコメントするのもいかがかと思いますけれども、私の推測で申し上げますれば、やはり日本のマスコミなんかで、領土問題の中身そのものについてソ連が譲歩したとかそういう形の報道が若干なされたことに着目しまして、その点についてはそうではないということを言わんとしたかったのではないかなというふうに思っております。
  184. 吉井光照

    ○吉井委員 またこれも新聞報道ですが、北方領土のビザなしの墓参再開問題ですが、これは一月の定期協議では、実現をある程度約束をしておりながら、ソ連側の態度は非常にかたい、客観情勢は今非常に厳しいとあるわけですが、現状は一体どうなっていますか。
  185. 野村一成

    ○野村説明員 北方領土墓参につきましては、先生御承知のように、昭和三十九年から五十年までは身分証明書の方式で実現できておったわけでございます。その後、五十一年以降、旅券に査証をとってこいという理不尽なことを言い始めまして、それ以来十年間実現していないということでございます。私ども、この問題は、純粋な人道的な問題としまして、前回の外務大臣間協議でも非常に強くこの実現を求めたわけでございます。それで、実務案件と申しますか、その中で非常に重要な提案の一つとしまして、これはぜひ前向きに解決するように最大限の外交努力を払っていきたい、そういうように思っております。
  186. 吉井光照

    ○吉井委員 今も御答弁をいただきましたように、旧島民はだんだん老齢化もしてまいりますし、今もおっしゃった、いわゆる人道的見地からも、やはり早期北方墓参が再開できるように、ひとつなお一層の努力政府にお願いしたいわけでございます。せっかく、今まで非常に凍結しておったものがどちらかといえばやや開きかけた感もするわけですから、したがって、今この際、どうしてもひとつ強力にこの問題を推し進めていただきたい、このことを特に強く要望をしておきたいと思います。
  187. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは人道的な問題ですし、もう既にソ連課長からお答えしたとおりであります。したがって、我々総務庁としても、外務大臣が訪ソする日程がしっかり決まれば、今からそのことは強く要請しておるところでありますが、なおなおこれが具体化するように、特にその当時は、火葬というよりも土葬の習慣もあったようですから、そういうことを考えれば、やはり墓参がしたいという念願というものは非常に強いと思います。御趣旨に沿って、ぜひ最善の努力外務大臣要請いたしておきます。
  188. 吉井光照

    ○吉井委員 それでは、総務庁長官にお尋ねをしたいのですが、二月七日の北方領土の日、これを前に長官は、今後粘り強い運動を展開していくためにも中央大会を盛り上げる必要があるとして、北方領土返還要求全国大会への全閣僚の出席を要請されるなど、長官の北方領土返還へ向かっての並み並みならぬ意欲が感じられたわけですが、この長官の意欲と、そして領土返還へ向けての日本国民の熱意といいますか、総意といいますか、これを今後の対ソ交渉に十分生かしていただきたい、このように思うわけですが、まず長官の決意のほどをお聞かせを願いたいと思います。
  189. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、貴党からも正木政審会長の御出席をいただきました。そして、各党派を超えて激励をしていただいたところであります。  やはり領土返還というものは、もともと固有領土であるという根拠を持ってこの話し合いをしておるわけなんですが、何といっても国民の結束が第一義であります。四十年もたつというと、どうしても――先生のように、北海道でなくても関心の深い、こうして一生懸命御質問していただく方もありますが、どうかすると忘れがちな人もないわけではない。これは、絶えず粘り強くという意味は、やはり絶えず国民的合意を持って、そして強くソ連に迫り、国際間に訴えていくということが必要であるというふうに考えております。しかも、この北方領土返還都道府県民会議というものも四十六都道府県において結成されておるのが現状であります。したがって、北方領土の日には、今申し上げましたように御堂の代表はもとよりのこと、両院の議長、総理大臣、閣僚もわずかの時間を縫って顔を出す、こういう形で大いに盛大に事を進めたわけでございます。  したがって、これから政府としても、やはり民間の活動、これは大事なことなんですね。そして、民間の声、これがやはり正義の声となってソ連にも届き、国連その他国際場裏にもこれが聞こえていくような努力を絶えず続けていきたいというふうに考えております。
  190. 吉井光照

    ○吉井委員 今長官からお答えをいただきましたように、返還運動も昨年とそれからことしを比べてみても、やはり盛り上がりが見られるということですが、今長官も、今後粘り強く運動を展開していくため大事なことの一つとして、私は我が国自身の足腰を鍛えておくこともやはり必要ではないか、このようにも思うわけでございます。先ほど触れました北方領土問題、そして日ソ漁業交渉、そういったどれ一つとってみても、我が国の対ソ交渉といいますか、対ソ外交といいますか、これに何かしら甘さというものを感じるわけですが、私はこの甘さというものが何に起因しておるのか。ソ連に対する我が国の認識不足ではないかと思うのですが、その一つに、対ソ研究の不足が挙げられる、このように思うわけです。長官、いかがですか。
  191. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ソ連の研究、これはもう御指摘のとおりで、大変必要な御指摘だと思います。そして、ソ連研究者、外交専門家、法律家、有識者、そういった人たちと北対協において定期的な会合も持っておるところであります。そして、北方領土に関するいろんな情報、意見の交換、これなどにも留意をしておるところであります。何といっても一八五五年、安政元年のあの日露通好条約というのははっきり決めたのですから。もっとその前にも文献は幾らもありますね、間宮林蔵、松前藩の時代からの。しかし、そういうことの研究ももとより必要ですが、ソ連の研究が最も必要だということは同感でございます。今後十分努力をしてまいりたいと思います。
  192. 野村一成

    ○野村説明員 ソ連についての研究ということでございます。私ども外務省、これはまさに外交交渉ソ連とやっておるわけでございます。その真としましては、相手の国を十分理解しないといけないということで、私ども独自に調査、分析、研究に力を割いておるわけでございまして、これは戦前からの積み重ねがございます。そういう意味におきまして、外務当局、外務省の中のソ連の研究という意味におきましては、ほかの国の外務省と比較して私どもは決して劣らないものというふうに考えております。  他方、先生指摘の、対ソ研究一般につきましては、私は前から思っておりますことは、やはり欧米の国に比べまして日本には圧倒的にソ連の研究、学者の数が不足している、少ないというのが実態でございます。  これはやはり、ソ連の研究は私どもの研究だけでは不十分でございまして、外務省以外の、民間その他の頭脳を結集しまして、ソ連という私どもにとって非常に重要な隣国、その研究の体制を固めていくということがこれからますます重要になってくるのだろうというふうに思っております。
  193. 吉井光照

    ○吉井委員 非常に力強い御答弁をいただいたわけですが、聞くところによりますと、アメリカは、対ソ対話というものがとぎれていても、現在、ソ連の研究者を毎年数十人単位でソ連に送り込んでいるということでございます。我が国においても、ソ連の文献、報道等を分析し、かすかな変化も見逃さないソ連研究というものが今後欠かせないものだ、このように思うわけでございますが、長官、政府において強力なソ連研究機関、こういったものをつくるお考えはございませんか。
  194. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは極めて大事な御指摘だと思います。今ソ連課長から申し上げたとおりでございまして、政府は鋭意やっておる、民間には数が少ない、これは確かに私もそういう認識をしております。やはり隣国なんですからね、しかも巨大な、強力な隣国ですから、その研究をするということがいかに必要か、これは御指摘のとおりでございます。政府としても今後格段の留意を払いたいと思います。
  195. 吉井光照

    ○吉井委員 先ほど外務省からも御答弁をいただきましたが、ソ連の動きを的確に予測できた研究者が本当に少ないとか、いろいろな状況もあるでしょうけれども、その中で、的確なソ連研究者の一人に挙げられるところの袴田茂樹先生ですね、この先生も、学生がソ連研究を続けたいと言ってもその就職先がなくては勧められない、このように述べていらっしゃるわけです。長官も今我が国のソ連研究がこうした状況にあるということを御存じと思います。ソ連研究については、先ほど御答弁をいただきましたけれども、ひとつ大きく前進できるように対策をお考えいただきたい、このように強く要望をするわけでございます。  以上をもちまして私の質問を終わります。
  196. 青山丘

    青山委員長 和田一仁君。
  197. 和田一仁

    ○和田(一)委員 この国会においての長官の北方領土問題についての御所信を伺いました。北方領土問題というのは我が国の一番基本にかかわる重要な政治課題であるというふうに総理も位置づけをしておられまして、一日も早い返還が望まれておるわけでございます。これは今までずっと御質疑されておりましたけれども、言うはやすく実現に到達するのにはなかなか難しい問題だ、長官もそれこそ努力の一字だ、こういうような御答弁が繰り返されております。私も本当にそのとおりだと思うわけです。この返還に向かって必要なものは、長官は、政府努力ももとよりだけれども民間の活動とか民間の声が背景にないといけない、これが大事だというお話がございました。まさに打って一丸、国民的な世論の盛り上がりの中で、それを背景に政府としては交渉していただきたいと思います。  あわせて、何でこういうことになってしまったか。先ほどもこの一番大事な点についていろいろと御質問があったようですが、私は、この点について国民の一致した見解が必要だ、同じように国際社会に向かっても、我が国の主張はいささかも間違っていない、国際正義を確立していくという一番大事有日本の立場からいっても、この点をきちっと踏まえた上で国際世論の喚起に当たっていかなければいけないと考えております。  そういう意味で、従来四十年間この問題解決に当たっては両国の間にいろいろ紆余曲折がございました。しかしながら、幸いことし日ソ外相定期協議が再開されまして、長官のお話ではその結果ようやく同じテーブルに着くことができるようになった、こういうお答えを伺いましたけれども、長官の御認識からして、テーブルに着いてひざ突き合わせて話し合えるという見通しがお立てになれるかどうか、その辺をまずお伺いしたいと思います。
  198. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは私非常に重要なことだったと思います。それは、古い話はさておきまして一九五六年の鳩山・フルシチョフ会談、そして一九七三年の田中・ブレジネフ会談で、先ほど社会党の委員の皆様からもあのときの平和条約締結の仕方についていろいろ疑義があったではないかという御質問もありましたが、そのとき、例えば鳩山・フルシチョフ会談のときには歯舞、色丹に触れておりますね。返還可能のような言辞を弄しておるということ。それから一九七三年の田中・ブレジネフ会談では明らかに戦後の未解決の問題であると北方四島については考えておる、「ダー」と言ってブレジネフが認めておるのですね。そういう経緯があるということから一転して、戦後これはもう解決した問題、全部済んだ問題だと変わってきたわけですね。ですから、テーブルに着いた意味は大きいと私が思いますのは、四十年の間にそういう正式の場で首脳対首脳、責任者同士がこの話題を中心に話を詰めておるということ。これは今後安倍外務大臣とシェワルナゼ外相との間で話し合いが進むうちに必ずこのことも話題になるでありましょうし、そうかといってソ連放送、モスクワ放送は、あの領土の問題は今までと方針は変わりはないということを伝えてきておることは御存じのとおりであります。しかし話し合いの段階で、恐らく粘り強く安倍外務大臣もこのことは主張されるでありましょうし、だんだん話し合いのうちにぜひひとつ見通しをつけていきたいものとまた安倍大臣に大きく期待を寄せておるものであります。
  199. 和田一仁

    ○和田(一)委員 いろいろな国際環境の変化の中で日ソ関係というものは少しずつ動いている、こう思うわけなんです。  そういう中で、従来大変、一つのデッドロックになっていたこの問題に対してともかく同じテーブルに着ける。私はこういった難しい問題解決のためには、ほんの少しの動きでもちょっとばかりのきっかけでもそれを逃がさずにとらえて、それから糸を引っ張り出すように糸口にしてだんだんその問題に手繰り寄せてくる、そういう外交努力がどうしても必要だと思うのです。長官もまさにうなずいておられるように、そうお考えだと思います。  私は、昨年国連の四十周年記念総会に総理が行かれる、演説をされる、こう伺いまして、私ども民社党としてはぜひとも国連総会の場でこの北方問題に触れていただきたい、こういうお願いを総理にいたしました。くどいようにお願いをいたしました結果、あらかじめ原稿の中に入れておくのはいろいろと対外的な考慮もしなければならないので、予定の原稿の中には今きちっとは入れられないが必ずそういう方向でという大変、期待をしていいような御返事を実はいただいたのです。その後残念ながら、短い時間であったためかもしれませんが、総理の演説にはこれが触れられないで外務大臣の演説の方で北方領土の問題に触れられた。私は大変残念に思ったわけです。冒頭申し上げましたように、日本の一番基本の、根幹の重要な政治課題という位置づけをしていただいているのですから、国際世論が注目する国連総会というような場でぜひひとつ触れていただきたかった、こう思っておるわけなんですが、それができなかった。当時長官は今のお立場におられなかったのですが、今内閣の副総理というお立場で、この問題の当面の責任の大臣として、これからそういう機会があればぜひこれはやっていただきたい。事あるごとにあらゆる場でこういった宣伝を繰り返すという、我が国の主張を聞いてもらう、これが何よりも大事だ、こう私は思っております。いかがでしょう。
  200. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御質問の御趣旨は全く同感でございます。なぜ外務大臣になったのか、その経緯は外務省の方からお答えをさせます。
  201. 野村一成

    ○野村説明員 昨年の国連総会、御承知のように通常総会とそれから特別総会でございまして、いろいろ御議論があろうかと思いますけれども外務大臣演説、九月におきまして包括的にきちんと北方領土問題に言及したということを念頭に置きまして、特別総会、これは特定のテーマもございましたし、あえてその問題については言及しなかったという事情がございます。
  202. 和田一仁

    ○和田(一)委員 いろいろと御配慮があった上で担当大臣がなさったと思います。しかし、できればこれからは一国の責任者として大事な問題としてお扱いいただきたい、こう思うわけでございます。  外務省の方にお伺いしたいのですが、そういう意味では国際的な宣伝が弱いのじゃないかと思うのですよ。私の同僚がモスクワの飛行場におりたら、飛行場にリーフレットがあって、英文のリーフレットでいろいろなことが書いてある中に、北方領土についてはこれはもう解決済みだ、日本はいろいろ言っているけれどもこれは解決済みだというリーフレットがあったといって持って帰ってきた。これはうちの渡辺朗国際局長ですが、週刊民社に出ていました。事あるごとにそうじゃないんだという宣伝を向こうはやっているのですから、私どもは、そうではないというまたこれをしなければいかぬと思う。さっき外務省お話の中でリーフレットですか、英文のパンフレットとおっしゃったかな、パンフレットがあるとおっしゃっていますが、どのくらいの宣伝をなさっているか。少なくも成田や北海道の飛行場、こういうところに来る外国人向けの、パンフレットと言わなくていいですよ、リーフレットぐらいのもので。そういうものでも自由に持っていけるような格好でそういう宣伝文書をもっと積極的につくって配布していただきたいと思うのですが、実態はどんなぐあいでしょう。さっき、パンフレットというお話を聞いたので、その辺についてお伺いします。
  203. 野村一成

    ○野村説明員 先生指摘のように、派手な宣伝という意味じゃなくて、本当にいろいろな国の国民に、簡単によく問題について理解してもらう、日本の立場、ソ連の立場が理不尽であるということと日本の立場が正しいということをわかってもらうような資料を配り、またそういう方向で国際的に領土問題についての理解を求めるということがますます必要になってくるんだという点につきまして、私ども全く同じでございます。  先ほどパンフレットかリーフレットということでございますけれども、「われらの北方領土」というのにつきましては、今まで五万部だったのがことし十万部にしたという点もございます。これでも不十分だという点がいろいろあるかと思います。私ども最大限努力しまして、英語だけじゃなくて、もっとほかの言葉でつくるとかデモをつくるとかそういう面でもいろいろと努力してまいりたい、そういうふうに思っております。
  204. 和田一仁

    ○和田(一)委員 今おっしゃった部数は、これは例の北方領土復帰期成同盟を通してお使いになっているパンフレットのことだと思うのですけれども、これは五十九年から六十一年にかけて三カ年計画でおやりになっているようですが、対象は全国ではないのですね。何か、北海道だけというふうに聞いておるのですけれども、それはいずれは北海道内だけでなく全国的な広がりを持たせようということでしょうが、それは計画どおりいっておるのですか。
  205. 野村一成

    ○野村説明員 私、先ほど申し述べましたのは、パンフレット、リーフレット、それは副読本のことではございません。私どもの国内広報課の方でつくっているものでございます。今御質問の点は、私どもが小学生、中学生を対象にしまして副読本という形でつくっておる、これは北方領土期成同盟がつくっておるものでございます。これは、戦後四十年経まして領土問題についての国民の認識ということを考えます場合に、教育の中における領土問題の重要性ということを強く認識した上で始めたことでございまして、昭和五十九年度から三カ年計画で北海道内の小学校五年生、中学校二年生全員、合計十八万人を対象にして配付を実施しております。  現状一配付するだけでどうなっているのかということが把握できてないといけないわけでございまして、昨年、その実際の利用状況を調べました。その結果、正規の授業その他で利用されておるのが、小学校につきましては七〇%、中学校については九〇%でございます。他方、この副読本を通じて領土問題についての関心がどうかということにつきましては、遺憾ながら非常に、特に小学生において低いという結果もあわせて出ておるわけでございまして、こういう点で、教育の中における領土問題の認識、位置づけという必要性をますます痛感する次第でございます。  これは北海道については期成同盟でございますが、あと全国的には北対協の方で手当てすることになっております。そちらの点につきましては、総務庁の方から……。
  206. 和田一仁

    ○和田(一)委員 さっき私、勘違いして今の御答弁のことかと思ったのですが、そうすると英文のパンフレットがさっき言った部数ですね。そういうものはどういうふうに配っておられるのですか。求められればありますよという程度で外務省に積んであるのか、それとももっと積極的にそういう宣伝活動の資材として活用しているのか、ちょっとお伺いをしたいと思います。
  207. 野村一成

    ○野村説明員 申しわけございません、私の方にも若干誤解がございまして、英文パンフレットにつきましては、部数は一万部でございます。それで、在外公館を通じまして非常に積極的に配るようにしておりますが、先生指摘のとおり一万部では少ないわけでございまして、今後大いにふやしていくように努力いたしたいと思います。
  208. 和田一仁

    ○和田(一)委員 確かに一万部を在外公館にといったら本当に数は知れてしまうので、恐らくそんなに積極的にそういった宣伝文書を配布するというほどにはいってないと思うので、それはぜひまた政府としてお考えいただきたい、こう思います。  私は、今たまたま小中学生への副読本の話になってまいりましたので、北方対策本部の方にもお伺いしたいのですが、今のお話によると、小学生、中学生のうちで利用率は余り違わない。七〇%、九〇%のようです。やはり小学生には理解度が少ない、これは当然だと思うのですね。まだ国家という意識すらきちっと教え込まれていない小学生に領土問題といっても、なかなかそれはぴんとこない。いきさつや経緯程度のことはおぼろげながら記憶に残っても、それはきちっとした意識にはなかなかつながっていかない。国家というもののとらえ方についても、最近何か国家と言うといけない言葉のようにとられがちでございますが、そんなことはないので、健全な国家観を国民の中に教育することは非常に大事だ。そういうことを教える教材の一つにも、領土問題というものは、こんなことあってはいけないのですが、大変重要な教材になる、こう思うので、これは小学校、中学校、その学力に応じて教材として使っていただきたいと思う。  同時に、これは子々孫々、時と場合によっては覚悟を決めてでも継承して実現しなければいけない事業でございますから、この継承していくべき若者たちに正しい、きちっとした啓発運動をやる。そういう意味で、ひとつ総務庁北方対策本部の方で今現実どのようなことをやっておられますか、ちょっとお伺いしたいのです。
  209. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 青少年向けの、外務省から今説明がありましたいわゆる副読本でございますけれども、これは外務省の方では北海道の中に配っておりますが、私どもの方では全国に配ろうという予定でございまして、六十年度でございますが、宮城、千葉、静岡、滋賀、岡山、長崎、この六県につきまして配付するということでございます。今後の予定は、できますればこれを五年以内に全国に回ろうという格好で考えております。  配付の仕方でございますけれども、これは中学生、主に中学二年生をねらっているのでございますが、一校当たり五十部、五十部といいますのはこれは一クラス単位でございまして、クラス単位に歴史なり社会なり公民の授業の際に学習の資料に使っていただきたいということでございます。といいますのは、前々から国会の御議論等にもありますように、北方領土についての記述が既定の教科書だと余り詳しくないという点もありますので、そういうようなところも補いたいということでございます。それとともに、五十部でございますので、学級図書館とかクラス図書館にそれを備えておいてほしい、それで各自の自習のための参考資料とするようにやってほしいということでございます。  内容は、今北海道のことがありましたけれども、大体全国的に共通な部分につきましては北海道で配られておりますものと同じようにするように努めてあります。ただ、違うのは、各県ごとにその県と北方領土のつながりという部分がありまして、身近なものに学習の興味をわかせようという点が違っております。  こういうことでもって六十年度において六県、それから六十一年度、これは十県分配る予定にしてございます。  以上でございます。
  210. 和田一仁

    ○和田(一)委員 今御答弁いただいたのがこれだと思うのですが、なかなか立派な冊子になっておりまして、許される予算の中でこういうものをつくられている、これはだんだん広がって全体に行き渡ればもうそれにこしたことはございませんが、一部の県の子だけが理解し、一部がおくれるというようなことのないようにできるだけ急いでいただきたい。もしそれが急速にいかなければ、私はもう少し省略してでもスピードアップした方がいいのではないかという感じすら持っております。  今だんだんそれを広げていくとおっしゃいましたのですが、県民会議のできてない県、さっき長官四十六とおっしゃった、どこか一つまたの県があるようですが、そういうところへは、いろいろな事情があるのでしょうけれども、やはり送りますか。
  211. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 県民会議、できてない県が一県ございますけれども、これもことしじゅうにはできる予定でございます。
  212. 和田一仁

    ○和田(一)委員 基本的にぜひひとつこういった啓発運動をきちっとやっていただきたいと思います。  私ども民社党は毎年八月の二十八日、要するに固有領土である択捉に不法に侵略が始まった日を記念いたしまして全国的にキャンペーンをやっております。そして九月早々に支持団体である同盟の組織の皆さんとあの納沙布岬に集まってそして北方領土返還要求の集会を毎年毎年やっております。全国から若者がそこに集まって、日ごろこういう問題は聞いてはいる、知らされてはいる、頭ではわかっているが、しかしあそこへ集まってあの納沙布岬から指呼の間に見える国後あるいは歯舞、色丹、こういった島々を見て遊よくするソ連の船を見て領土問題というものを実感できる、こういう声がたくさん寄せられております。そして、これはぜひひとつ、自分らはたまたま来る機会があったけれども、できるだけ子供たちにもこういったものを副読本で教えると同時に、早い時期に体験的に、あそこにあるいろいろな資料館や何かを使って、頭で理解するのでなしに体で、目で見て、そして肌で感ずるような機会をつくってやりたい、こういう声が参加した若者から、おれたちより若い子供たちにという声が非常に寄せられているのです。  そこで、私はああいうところに子供たちを学校として連れていけるような施設を何か考えていただけるともっとそういう機会がふえるのじゃないかと思うのですけれども、そういう声が参加した若者から出ているのでちょっとお尋ねして、できるだけそういう方向にひとつ実現していただきたいと思うのですが、いかがですか。
  213. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 御承知のとおり、昭和五十三年度より北方領土を目で見る運動というのをやっておりまして、この運動の一環といたしまして現地に望郷の家、北方館、別海北方展望台等、現地啓発施設の建設整備をやってきているわけでございます。その結果、現在では年間約五十万人の方が現地を訪れるというまでになっております。御質問の趣旨につきましては、これら啓発施設の一層の効果的な運用等によりましてその実を上げてまいりたい、こういうふうに考えております。
  214. 江崎真澄

    江崎国務大臣 大変重要な貴重な御提言だと思います。これはやはり国民運動のような形で進めていくことが非常に大切だと思います。先ほど四十六県のうち一県は島根県だそうでございますから、これはおくれておるというか、別に特段の事情があって妨げられておるものではないということはどうぞ御安心をいただきたいと思います。しかし、それにしても早く結成できるように我々の方からも急いでいきたいと思います。
  215. 和田一仁

    ○和田(一)委員 私、埼玉ですが、四十六番目にできまして、あと一つ残っているところが島根と聞いて非常に気になったわけでございますけれども、島根には竹島の問題もあっていろいろ取り組みが難しいのかと思いますが、しかしまあ年内ということなんで、出身の国会議員の先生がぜひひとつ早くつくって、もう日本どこも漏れなくというふうにしていただきたい。  それで、時間が本当に少ないのでなんですが、先ほどからいろいろ触れられてはおるのですが、国際世論へのアピールで昨年度は国際シンポジウムを開いて大変成果があったというふうに聞いております。これはことしも恐らく計画としてはおありだろうと思うのですが、いつごろどういう形でなさるか、これを東京でだけやるのか、あるいは場所も変えてやる計画があるのか、その辺もあわせてひとつお尋ねしたいと思います。
  216. 稲橋一正

    ○稲橋政府委員 六十年度において内外の国際問題研究者の御参加を得まして北方領土問題に関する国際シンポジウムを開催いたしまして、国際情勢の今後を展望するとともにその中における日ソ関係のあり方等につきまして討論をいただいたわけでございます。これは一般の運動家だけじゃなくて日本ソ連研究者、ソ連東欧学会という学者の先生とか在日領事館、大使館満方々等がおいでになりまして大変盛会でございました。  六十一年度におきましても引き続きこの国際シンポジウムを開催する予定で、現在そのテーマ、人選、開催時期等につきまして、先ほど申し上げました研究会というのが北方領土問題対策協会にできておりますが、その先生方に、どういう先生をお呼びするか、時期をいつにするか等につきまして御検討願っておるところでございます。
  217. 和田一仁

    ○和田(一)委員 時間がありませんので、もっといろいろ聞きたいのですが最後に、そういった国際シンポジウム等を通じて日本の主張をこれからもどんどんしていかなければいけないし、これは国の内外にそういう啓発運動をしていきたいと思うのですね。それでこれは長官にお尋ねいたしますが、平和条約で我が国が放棄いたしましたのは千島とそれから南樺太、こういったところを私どもは放棄をいたしました。しかし、帰属はこれはどこへの帰属とも国際的な取り決めがございません。ただ、現実に実効支配をしているのがソ連である、こういうことでございまして、私どもソ連に向かってこれを返すと言ったのではなくて、我が国はその上における原権を放棄した、こういうことでございますから、帰属は決まってないと私は思うのです。  そうなりますと、例えば南樺太、これはそういう意味で帰属が決まっていないところでございますけれども、現実にソビエトが占有しておるということのために、かつての大韓航空機があの上空を侵したことが領空侵犯である、こういうふうになってきてしまうわけですね。こういう現実でだんだんと国際世論を定着させるというようなことを行わせてはならない。現実に我が国の固有領土である四島の実効支配を四十年間やらせてしまっているということは、逆に言えばそういう方向へだんだんと持っていかれてしまう。日がたてばたつほど難しい問題にもなりかねない、私はそう思うわけでございますので、そういう点を十分踏まえた上で機会あるごとにどんなかすかな糸口でもいいからこれを引き出して、この問題解決に一日も早く到達していただきたいと切に願わざるを得ないわけなんですが、長官どうでございましょう、そういった国際社会の中における領土のあり方というのは極めて厳しい、こういう認識のもとに長官のお考えを伺わしていただいて、終わらせていただきます。
  218. 江崎真澄

    江崎国務大臣 非常に貴重な御督励をいただきまして、感銘をいたしております。私も北方領土返還責任者として、十分ひとつ今後も努力をすることはもとよりでありますが、外務省の広報の予算措置などについても、これは外務省だけに任せないで、もっともっと我々総務庁側としても協力をし、一方これは全体の問題として、バンフの問題一つを取り上げてみても、いかにも何か北方領土の問題が熱意がないような印象を与えてはならないですね。これは非常に重要な御指摘だと思って先ほどから承っておるところです。十分今後御趣旨を体して、政府としても今までの熱意の一層の盛り上がりを期して最大の努力をしてまいりたいと考えます。
  219. 和田一仁

    ○和田(一)委員 最後にもう一つ。私は北対協のステッカーを車に張って走っております。どうぞひとつ長官も率先して車に張っていただいて、そういった細かいキャンペーンから北方問題に日常取り組んでいただきたいとお願いいたして、終わらせていただきます。
  220. 青山丘

  221. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 最初に、江崎長官に御意見を伺いたいと思いますが、行政改革、これは、国民が本当に望んでいる行政改革は、汚職、腐敗の金権政治の根を絶って、軍拡や大企業奉仕のむだを一掃する、そして清潔、公正、民主的で国民へのサービスを充実する簡素で効率的な行政を国民は求めておると思います。  そこでお伺いしたいのは、江崎長官の前の大臣後藤田長官は、昨年の三月七日の内閣委員会で、「行政改革というのは何でもかんでも切って飛ばせばいいというのではなく、必要な部面には人も物も金も充てるということが基本である」と述べておりますが、大臣もそういったような姿勢に変わりないと思うのですが、どうですか。
  222. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはもう全く同感でございます。そしてまたそういう方針に沿って簡素にして能率的な政府、特に最近セクトが強いと言われる政府一つ政府として運営されるように最大限の努力をしてこの行革を進めてまいりたい、もう後藤田前長官の申したとおりでございます。
  223. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 きょうは、具体的には気象台の問題と検疫の問題をお聞きいたしたいと思います。  国民の生命と財産を自然の災害から守る上で重要な役割を果たしているのが国の気象業務でありますが、気象庁は臨調行革の現場の実情を全く無視した無謀な削減計画、第六次人員削減計画、これは昭和五十七年から六十一年で二百九十八名の人員が削減される。昭和四十四年以来実に千名以上も削減されていますが、どの職場も人員不足が深刻化しておる。そこで、きょうは沖縄気象台の問題について具体的にお聞きしたいと思います。  沖縄気象台は復帰とともに本土の管区気象台並みという位置づけをされております。しかし、業務や権限については管区並みとなっても組織や人員では他管区と比べて大きな格差が出ておる。時間の関係で具体的にまとめて申し上げます。  第一、他管区にある会計課、調査課、測器課、大気汚染センターは係で人数も少ない。したがって業務が実に、超勤時間などもあって非常に苦しい立場に置かれている。これが一つ。  もう一つは、沖縄気象台管内にある名護、久米島、与那国、西表の各測候所は人員が少なく、台風などのとき長時間の観測となって体力が続かなく、観測ができなくなっている事態もあります。本庁が「ひまわり」でカバーできるからやらなくてもいいと言っているらしいのですが、地元の観測の必要性からいったらそれでは済まされない。これらの職場では、いわゆる病人、定期通院治療を要する職員がふえているというのが実情であります。  三番目に、航空気象業務について、沖縄は離島が多く、島の連絡は飛行機に依存することが大きいわけなんですが、波照間、多食間、粟国、北大東島の業務は地方自治体の職員に委嘱しているが、一週間の見学研修をしただけの素人がやっているのですね。パイロットも情報を信用することができないということで自分の判断で飛んでいるというふうな実情にある。粟国などは今観光シーズンで非常に頻繁に、一日に三十便近くも飛んでいることで非常に危険な状態だ。  言うまでもなく、沖縄気象台は日本の南の気象情報センターとして、御承知のように台風の常襲地でもある。毎年台風が吹かないのが不思議なくらい台風の通路になっている。沖縄気象台のこうした実態や整備拡充の問題は労働組合関係からも再三請願しているので、政府も承知していると思うのですが、今挙げたような実態をどう見るか、気象庁、御答弁をお願いしたいと思うのです。
  224. 新谷智人

    ○新谷説明員 お答えいたします。  ただいま沖縄の気象業務につきまして、大体三点くらいの問題を挙げられまして御指摘があったかと思います。  一つは、沖縄気象台が現在管区気象台並みの扱いになっておるはずなんだけれども、他の管区に比べたらいろいろな面でかなり見劣りしておるのじゃないか、こういうような御指摘ではなかったかと思いますが、お話にありましたとおり、沖縄は台風の襲来が非常に多いところである、また管轄する地域が非常に広い、こういうことで、我々も気象観測上は大変大事な地域であるというぐあいに考えております。したがいまして、担当する県は沖縄県一県でございますけれども、本庁の直属機関といたしまして、先ほどお話しのように管区と同様の取り扱いをしておるわけであります。  しかしながら、先ほどお話にございましたように、他管区と組織の面あるいは人の面で違いがございますけれども、これは、他管区なら他管区の管内におきます監督指導すべき地方気象台の数とかあるいはそのほか測候所等の下部組織あるいは担当しております府県の数、そういった全体の業務量のバランスから見て現在の体制になっておるわけでございまして、そういったことを全体で考えれば、現在の沖縄の気象台の体制というものは、他管区と比べましてさほど遜色のあるものではないのではないかというぐあいに考えております。  我々としましても、いろいろな気象関係業務、先ほどの御指摘のような大変大事な仕事でございますので、そういういろいろな要請に対しまして常に全体の体制の検討、見直しはやっておるわけでございます。したがいまして、沖縄につきましても、今年の六十一年度におきましては、これは二名の増員でございますが、新たに天気相談業務の開設あるいは気象資料伝送網、コンピューターを入れまして、気象資料を素早く収集いたしまして解析して、解析結果を届ける、そういったような施設面の整備も図りまして、国民の期待にこたえたい、こういうぐあいに考えておるわけでございます。  それから、次に御指摘ございましたのは、沖縄におきます測候所の体制というのが非常に弱いのではないか、特に台風襲来時における測候所について、人数が少なくて大変ではないかというような御指摘だったのではないかと思います。  全国に百カ所近く測候所がございますが、おのおの測候所の性格によりましていろいろな業務分担をしております。沖縄におきます測候所も、予報業務を担当する測候所、与那国の測候所でございますが、そのほか、気候観測とかあるいは地震のときの震度観測とか、それぞれ役割がございます。それに応じてそれぞれの人数も決めておるわけでございます。それで、台風が来襲いたしますと、通常、我々は気象官署におきまして台風の正確な位置とかあるいはそれの勢力とか、そういったものの最新のデータを把握するために気象官署の方で臨時の地上観測も毎時に実施するわけでございますけれども、最近は、おかげさまで静止気象衛星とかあるいはレーダーとかアメダス、そういった自動的に観測する、あるいは宇宙からも観測するということで、そういった台風の位置などもかなり早く正確な位置がとれるようになっております。従来全面的に気象官署のそういった観測に依存していた時期に比べまして、そういったデータを有機的に使うことによって精度の高い観測ができるようになっております。したがいまして、測候所の役割に応じまして、測候所の中には毎時観測もやってもらわなければならないものもありますけれども、先ほど御指摘沖縄の測候所の中には、台風情報の住民への伝達とかあるいは住民からの問い合わせとか、そういった業務が主体となって、観測については必要に応じ上級の官署と相談しながら実施するという体制になっておりまして、我々としては現在の体制で実施できているのではないかというぐあいに思います。我々の気象官署につきましては、離島とか僻地の官署が多うございますので、そういった点については健康面では非常に留意しておりまして、健康診断の的確な実施とか励行、そういったものを機会に応じまして適宜図っております。  それから、最後に、もう一つ指摘ございましたのは、空港におきます気象観測につきまして、これは委託観測をして実施しておるのは安全上問題ではないかというような御指摘であったかと思います。  空港の気象官署につきましては、そこの空港へ到達するまでの出発空港からの距離とかあるいはそこへ来ます便数、そういったものを勘案いたしまして、空港によっては、離島空港に委託観測所というものを設置している場合が多うございます。これは、空港管理の一部を任せられております地方自治体の方に気象観測をお願いしておるわけでございます。  その観測を実施するに当たりましては、用います気象測器は、我々がほかの航空気象官署において実施しております測器と機能上全く同一のものを使用しております。それから、観測方法についても、航空気象官署で実施しておるものと同じものをやっております。したがいまして、我々としては観測データの質に問題はないというぐあいにも考えておりますし、また、観測の従事者につきましても、毎年一回、一週間か十日程度の研修を実施するとともに、また基地空港の方からも適宜人が参りまして、出張いたしまして指導をやるというような体制もとっておりまして、現在のところ、我々は航空保安上特に問題はないと考えております。
  225. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 現状の問題はないといったような見解ですが、具体的に聞きます。  昭和五十九年五月九日、参議院の災害特で下田議員の質問に対しまして、これはニックさんと読むのですか新田企画課長は、「人員、規模、管轄区域その他において引き続き検討してまいりたい」、沖縄気象台のことです。これは五十九年ですからおととし、二年前そういった回答をされているのですよ。あなたは新田さんですか、――新田課長なんですよ。もう一遍言いましょう。気象庁の新田課長は、「人員、規模、管轄区域その他において引き続き検討してまいりたい」、これなんです。「引き続き検討してまいりたい」、どういうふうに検討されたのか。現時点で何もかもほとんど今のような現状でいいのだといったようなことなんですが、この回答についてどういう検討をされたのか、明らかにしてください。時間の関係がありますので、簡潔に言ってくださいよ。
  226. 新谷智人

    ○新谷説明員 先ほど申し上げましたように、沖縄気象台はほかの管区と組織、人員等について相違がちょっとございますが、これは先ほど申しました理由によりまして、全体の業務の量の内容から見れば、そう遜色のあるものではないというぐあいに考えておるということでございます。  それで、どのような検討をしたかということにつきましては、特に人員面につきましては、先ほど申し上げましたように、六十一年度においては天気相談所の開設とかそういった面の業務の強化も図りたい、また施設面につきましても、気象資料伝送網の整備を図るとかそういった適時の必要に応じて検討を加えながら、気象業務の充実を図っていきたい、こういうぐあいに考えております。
  227. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 余りいい回答ではないようなんですが、最後に大臣に、これは行政改革の問題で、実は、管区引き上げ問題、これはいつも労働組合が当局に要請すると、当局は、行革の中、新たに管区並みの課をふやすことは困難という返事が返ってきている。この問題で必要な部門には人も物も充てることが基本と考えるというのであれば、この沖縄の気象管区というのは日本の防災上も非常に重要な気象台なんですよ。それで大臣に、これは気象庁としかるべき検討を加えられて、現在の状態をもっと充実させる、これは他管区並みになっていないのですね、そういった点を配慮してほしいと思いますが、大臣、いかがですか。
  228. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、私、答弁資料をここに持っておりますが、そう細かく知っておるわけではありませんので、答弁資料によれば、沖縄の気象台については台風等も多く、私も沖縄担当だったときもありますから、これはよく知っておりますが、気象観測上重要な地域にあるとともに、地方予報中枢として観測予報面においては他の管区気象台に準ずる機能を有しておるという認識に立って、これまでも政府全体の厳しい定員事情にもかかわらず、所要の増員を認めてきておる、こうあるのですよ。沖縄における気象業務体制については従来から適切な配慮をしてきたものと考える。これ大臣答弁用の資料ですから、私もそう細かいことを、一々日本じゅうの気象台がどうなっておるかまでは知りませんが、答弁資料を率直に御紹介するわけです。ですから、むしろ増員をしてきておる、他では減員しておるが、増員しておる、こういう事情であることは御了解おきを願います。
  229. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 この問題は答弁資料以上に、沖縄の気象台の現状は今申し上げたとおりですから、これを他管区並みに人員も整備するように、大臣はさらに努力してほしいと思います。  時間が余りありませんので、今度は検疫業務について申し上げたいと思います。  現在の米軍人の検疫問題なんですが、沖縄県の宮古、石垣、下地空港の米軍機の利用が近年増加している。私は、民間空港の軍事利用について反対であり、認められませんが、米軍機の利用が検疫業務面にも非常に大きい影響を及ぼしておる。那覇検疫所の苗村所長は、米軍機が何の予告もなしにおりてくる、検疫所泣かせたと言っております。  具体的な事実を申し上げますと、米軍機が通告なしで着陸する場合、検疫所では対応できない。その結果、どうするかというと、やむを得ないで宮古の保健所長とか宮古の病院の院長に委嘱するということをやって、何とか切り抜けようとしておるが、これが実態としてできない。現に、昨年五月十八日、宮古空港におりた米軍機について宮古の病院長は検疫しようと出向いたが、既に乗員九名は市内のホテルに入ってしまっておる。そこで、この九名の乗員に接触したホテルの従業員全部を検疫せざるを得ないといったような事態まで生じております。米軍機が来なければ問題なかったというのが関係者の率直な声なんですが、厚生省、この事件を知っておりますか。
  230. 吉里実

    ○吉里説明員 ただいま沖縄の宮古、石垣につきましての検疫所の体制がどうかというようなことでございますが、先生指摘のように、石垣空港につきましては、那覇検疫所の石垣出張所、ここに検疫官二名を置いておりまして、さらに、厚生省の委嘱した医師二名を配置して、米軍機の着陸に伴うものを含めまして必要な検疫に対応しておるということでございます。  また、宮古空港につきましては、原則として石垣出張所が対応しまして、特に緊急の場合につきましては、那覇検疫所、ここには検疫官が十五名おるわけでございますが、それと厚生省が委嘱いたしました宮古在住の医師に、今は宮古の保健所長さんでございますが、お願いいたしまして対応しておるところでございます。
  231. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 私が言っておるのは、私の挙げた事実を知っているか知っていないか、これだけ言ってもらえれば……。知っているのですか。
  232. 吉里実

    ○吉里説明員 先般、新聞記事を見て承知しております。
  233. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 これは無責任ですよ。事実、お医者さんが行ったのですよ。もう飛行機をおりちゃった。九名の乗員はホテルに入った。コレラ菌を持っている人はどうするのか。だから、お医者さんも一生懸命職務を遂行しようと思って、ホテルの接触した係員まで全部調べているのですよ。こういった事実を知らぬでは、あなた、検疫業務に当たる資格がないと言われても、どうにもならぬですよ。これは事実なんですよ、向こうで調べてこっちへ来たんだから。そういった重大な事態を知らないで一体どうするのか。  そこで、私はもう時間がないという通告を受けておりますので、いろいろ申し上げたいのを準備しておりますが、これは最後に長官にお聞きするだけで時間が来ますが、今のような実態が沖縄の検疫の実態なんです。離島空港、たくさんあるわけでしょう。宮古にないのですよ、無人ですよ。だからそうなる。  そこで私は最後に、直接軍用機の関係じゃないわけなんですが、長官ですから。米軍が民間空港を利用しなければ、このようなことは問題起こらぬわけなんです。米軍が来ることを予想していないのですよ。ところが来るからこうなる。これは、一九五二年五月の安保条約地位協定第五条一項に基づく日米合同委員会の合意には、緊急の場合以外に認めていないわけなんです。この合意というのは、民官空港の利用は原則として認めないということなんですよ。ただ、民間空港におりないともうだめになるとか、燃料が全然なくなるとか、事故が起こるとかといった緊急の場合はその限りではない。これはただし書きなんですよ。原則は、民間空港を米軍は使ってはいけないという合意なんですよ。ですから、私はこの点を強く指摘しておきます。  そして、石垣などの米軍機の利用を今後認めないという方向がはっきりすれば、今のような事態は起こらないで済むわけなんです。私は、安保条約反対です。日米軍事同盟反対です。だが、反対であるが、その五条一項に基づいて米軍が出入りする港、空港、全部決められていて、ただし、緊急な場合ということになっているわけなんですよ、米軍が入るのは。そういう意味で、このような事態が起こらないように、外務省さらに厚生大臣にも長官としてぜひ接触されまして、米軍機が自由自在に我が物顔に民間空港を利用することはできぬわけなんだから、その趣旨に従って、江崎長官、ひとつ奮闘してもらいたい。私、これは最後に、お願いと要請なんです。
  234. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはせっかくの瀬長長老の御要請ですが、私からそういう横の連絡をすることは、今の日米安全保障体制下においてはできない、こういう御返事をしなければならぬと思います。  それは、御承知のように米軍機は日米安保条約第六条、それから今御指摘の地位協定第五条に基づいて、我が国の飛行場への出入りを原則的に認められている。これらの米軍機についても検疫を行う必要があることから、検疫体制としては連絡があればその都度対応をすることになっておる。米軍機に対する検疫業務は米軍機による我が国の施設利用という条約上の要請に対応するものです。したがって、不要な業務として位置づけられるようなものではないわけで、それは入らないようにせいということですが、これも今ちょっと資料を見てみると、宮古島の平良出張所というのが運用上無人化した、これは行革とは関係ない昭和五十五年の出来事だということですね。平良出張所については従来一人体制であったが、所管の厚生省において、その検疫対象の船舶、航空機等の実態を踏まえ、行政サービスの水準が著しく低下しないように配慮しながら、隣の一人配置という石垣出張所に要員を集約して二人配置にした。だから移動させたわけですね。そこで、平良出張所を平常時は無人化して、最近は機械化もなかなか進んでおりますし、少なくとも合理化されておりますので、石垣出張所から必要に応じて派遣をすることの方が業務運営上効率的である、こういうことでこれは無人化されたものというふうに受け取っております。
  235. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 時間がございませんのでこれで締めますが、一つは安保条約六条に基づく地位協定の問題からいって民間空港におりるのはやむを得ないというような解釈ですが、私が申し上げました一九五二年の五月の安保条約地位協定五条に基づく合意、民間空港は原則として認めないが、緊急の場合は認めるというのがこの合意事項なんですよ。だからこの合意事項は、日本の空の安全のためには絶対必要だというので、原則として民間空港はアメリカ軍が使うのを認めない、だが緊急の場合はその限りではないというわけなんです。認めないのが原則なんです。ですから、この点は相当配慮なさらないと、どういう米軍機でも行ったり来たり自由自在、我が物顔に入れるという解釈をとると、空の安全、検疫の問題を含めて守れない。  それで、検疫の問題も今ちょこっと言われましたが、あれはそういうことになったから、平良に米軍が来て、もう要員九名がちゃんと旅館に入っておる、これを知らないんだ。この体制ではだめだという実例を私は挙げたわけなんです。しかし、厚生省は知らぬわけなんです。これは実に無責任である。  今の合意事項でこの問題は歯どめがかかっているわけだから、無制限に民間空港を使ってもいいということはない。ですから、そういった意味で私はこの問題をさらに重視して、長官、この点は御存じか御存じでないか知らぬが、歯どめがあると思うし、民間空港は無制限に使えないということは御存じだと思うのですよ。だから民間空港なんだ。そういった合意事項があるからこそ民間空港では米軍は訓練もできないのですよ。そういうことがあるから特にこの合意事項を申し上げたわけでありますから、この点はもっと検討してもらわぬといかぬのではないか、空の安全のために。
  236. 江崎真澄

    江崎国務大臣 地位協定の問題については私もよく承知しておるつもりです。これはやはり世の中に例外ということはありまして、これは全く例外中の例外という形であらわれた一つの現象であるというふうに思います。民間空港へ絶えず米軍機がどんどん来ているというものではないと思います。したがって、この検疫の問題についても、たまたま漏れたということがもしあったとすれば遺憾なことでありますし、その九人の緊急性がどのようなものであったか、これらについては担当省庁からもよく精査するように私から要請しておきます。
  237. 青山丘

    青山委員長 瀬長委員に申し上げます。約束の時間が過ぎておりますので……。
  238. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 委員長は非常に気に病んでいるようですのでこれでやめますが、今言ったような事実、実例もわからぬような厚生省の状態。長官、これは厚生大臣に言ってくださいよ、そういった指摘があったが、恥をかいたと。  以上をもって私の質問を終わります。
  239. 青山丘

    青山委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時六分散会