○杣
公述人 ただいま御紹介いただきました国際商科大学で
政治学を教えております杣でございます。
先ほどからの御
意見を伺っていて、非常に問題が難しい、しかもまだ非常に多様な問題性を持っておるということを痛感しております。
私は、まず
定数、つまり議席の数でございますが、議席というものの
意味を基本的に考え直していただきたいと思うのであります。
憲法の前文にもありますように、「正当に
選挙された
国会における
代表者を通じて」
国民は
政治行動をする、そしてまた
国政の権威は「
国民に由来し、その権力は
国民の
代表者がこれを行使」するというように
議会制民主主義の
政治体制がここにはっきり述べられております。
政治学の用語で申しますならば、このように
憲法に即してつくられた権力の座である議席というのが、これが正統的権力の座と申し得るものでございます。正統というのは筋の正しいという字を書きます。正統的権力の座である。議席がこのような
意味を持ちますということは、
議員の皆様よく御存じのことであろうかと思います。
ところが、その議席の配分に関しまして、
公職選挙法がどのように措置しておるかと申しますと、
公職選挙法はこの議席の配分について形式的に大変な混乱をしております。
公職選挙法の第四条に「
衆議院議員の
定数は、四百七十一人」と書いてあります。現在五百十一人です。五百十一人というのはどこでわかるかというと附則の方でわかる仕掛けになっております。それから、
定数配分用の別表でございます。この別表は四百七十一人を分けておるのでありますが、現在はそれに幾
段階も附則がつけられまして、附則を合わせてそれをあれこれと地名その他と照らしながらやっとその五百十一人がどこにどういうようになっているかとか見当がつくような状態でありまして、もう普通の
国民の場合にとても
定数状態がどうなっているかというようなことが簡単にわからないという状態になっておるのであります。
国民の正統的権力の座である議席の配分の状態が法律の本文で処理されないで附則で、しかも、こうしてばらばらに処理されているという状態は非常に遺憾な状態であると、私は立法当局にこの点非常に訴えたいのであります。
それから、この混乱は
昭和二十八年の奄美群島の施政権の返還による奄美群島区の一人区をつくったときから始まっております。しかし、このときの一人区の設置について、大村清一
議員からこの点についての質問がございました。第十七
国会の十一月三日の
公職選挙法改正に関する調査
特別委員会連合審査会の席でございます。これについて当時の担当の国務大臣であります塚田十
一郎氏が回答しておられますが、別表の
改正は
昭和三十年に予定されている、そのときまでのほんの臨時措置である、このとおりの言葉でこの措置を弁明しておられます。この担当大臣の弁明というのは
一つの公約と考えていいかと思うのでありますが、その後現在まで三十二年たってなおかつこの奄美特別区の一人区の
例外が、ほんの暫定措置というのが三十二年も続いているという現実に御留意願いたいと思うのであります。今の
野党四党案はこの点を解消しておりますので、この点は大いに評価できると私は存じております。
それから、一人一票等価の原則、ワン・マン・ワン・ボート、ワン・ボート・ワン・バリューの原則、これは
議会制民主主義をとっております西欧自由諸国のこれも
定数冊分、
選挙権の平等を維持するための基本原則として尊重されてきております。もちろん
憲法もこれを
規定しておるわけです。これを実行する際に、
有権者数をとるか人口数をとるかといったような問題もございますが、私はやはり
国民というのは人口だということから考えまして、人口
基準をとるべきだというふうに考えますし、
我が国におきましては明治二十二年から人口
基準を守ってきております。明治二十二年の
最初の
選挙法では約十三万人に一人、明治三十三年の
改正においても約十三万人に一人、大正八年の
改正におきましても十三万人に一人、大正十四年の
改正におきましては十二万人に一人になりまして、この形が
昭和二十五年の
最初の公選法の制定のときまで維持されてきているという状態であります。
ですから、この
定数の配分について人口
基準をとるということ、そして、その
定数の配分の仕方、まず都道府県の人口に応じて
定数を配分し、都道府県の中で郡市の境界を尊重しながらできるだけその
基準に近いような形で三人から五人までの
選挙区に編成するというやり方、これも人口
基準をとり、そして、それをまず都道府県に人口に比例して配分し、しかる後
選挙区にほぼその人口
基準に合うように分けるということ、これも旧
憲法から新しい現在の
憲法に至るまでの
憲法的慣例であるというふうに私は承知しておるのであります。
ところが、
昭和二十五年以後、
政党政治が強化発展されてきました
段階で、このよい
憲法的慣例が守られていない、逸脱しているという状態が今日あるように見られるわけです。これは非常に残念なことであると思います。
さらに、との
定数是正の問題に関しては多数決の原理というものの
意味を考え直していただきたいと思うのであります。これは申すまでもなく、議会制民主
政治の実践原理で、ございます。つまり、
政治闘争というものを暴力的に解決するかわりにこのルールを採用した、そして、このルールを尊重することによって
政治闘争の暴力的解決が回避されているということであります。しかも、この多数決の原理の恩恵に一番あずかっているのは多数派であります。多数派はこの多数決の原理が尊重されるがゆえに政権を担当し、政権を維持し、そして
国会の運営に主導力を発揮できる、まさにこれは多数決の原理がルールとして尊重されているというところにあるわけです。
この多数決の原理が機能するためには、その多数をつくり上げている一が同じ一でなければならないのです。同じ一でなければ多数決の原理というのは数学的に機能しないわけです。この多数決の原理というのは
国会だけではなくて
選挙の
段階から働くべきものなんです。議会制民主
政治の実践原理として、多数決の原理というのは
選挙の
段階から働くべきものであります。皆さんよく御承知のとおり、
選挙も
政治闘争でございます。これを多数決で、票の数で解決するというのが多数決の原理でありますから、やはりこれもこの多数をつくり上げている一が同じ一でなければならない。あるところの一は四であり、五であり、あるところの一は一であるというようなことでは多数決の原則というのはゆがんで機能いたします。
ですから、私はやはりこの
定数是正の最後に落ちつくところは、少なくとも
格差は一の見える範囲にするということでございます。極端な場合一・九九の
格差でも結構でございますが、ともかく一が見える範囲にこの
格差を
是正するということが最終的に落ちつくところであろうかと思います。アメリカの場合は大体一・一%ぐらいで落ちついております。これはアメリカでは
憲法的な
規定でありますからこうなるのでございます。
次に、三人から五人の中
選挙区の問題でありますが、これも
憲法的な慣例と見るべきものであるかと思います。この
選挙区の問題というのは
政党間の妥協の産物であるという色彩が強いわけでありますが、大正十四年にこの三人から五人の中
選挙区が案出されましたのは、当時の護憲三派が政権を担当して、そこで妥協的産物として三人から五人の中
選挙区が案出されました。戦後、大
選挙区の制限連記制でありましたが、これは一回やっただけで、
昭和二十二年に最後の帝国議会で自由党と進歩党が中
選挙区案を推進いたしまして、かなり無理があったわけでありまするが、結局これが成立して今日に至っているということは御承知のとおりであります。こうして成立した妥協、この
選挙区制については
政党間の
対立闘争が非常に厳しいのでありますが、その厳しい中で成立した妥協、これも民主
政治の賢明な知恵の所産であると考えていいのではないか。ですから、中
選挙区制のこの
憲法的慣例も尊重し、守っていくべきであると考えるのであります。
それから、今
自民党の
議員の方が
提出されております六・六案がございますが、もし、これを今その形でやるといたしますと、
最高裁の五十八年の
判決の論理からいたしますと、
定数是正ということがともかくも曲がりなりにあったわけだから、その合理的
期間としてさらにこれから先五年間
定数是正のために費やしてもこの点では
憲法違反にはならない、
定数の配分状態は
違憲であるけれども、
是正の合理的
期間としてさらに五年間が考えられる
可能性があるのであります。ですから、今の
是正案の基礎になっております人口は五十五年の人口でありますが、これが六十五年までそのままに持っていかれる、
速報値がどうであるとか
確定値がどうであるとかという問題を超えて持っていかれる
可能性が、さきの奄美群島区と同じようにあるのであります。
私は原理原則ということを幾つか申し上げましたけれども、
国会の
審議それから
選挙の争い、これ者すべて
政治闘争であります。
政治闘争と申しますのは、極端なことを申しますと、昔は殺し合いになり戦争になったような、そこまで行く激しさを持っているのであります。その困難な複雑な問題を処理するのにはどうしてもこれだけはという原理原則を守っていくことが一番正道であると思うのであります。亡くなられました河野謙三さん、参議院議長をやられました方ですが、あの方が非常にいいことを言われたのです。「複雑な問題は単純に考える」ということを言われましたが、名言であると私は思います。とにかく
政治的
対立のぶつかる場面であります
定数配分の問題、これは確立された原理原則に即して処理していくというのが最も賢明な、また穏当な処置であると考えるのであります。
その際にぜひお考え願いたいことは、
選挙というのは
国民の仕事であるということであります。
選挙というのは決して
議員の皆さんが主役になる仕事ではなくて
国民が主役になる仕事でございます。それは初めに申しました正統的権力の
意味からしてもそうであります。ですから、当然
政党の利害得失いろいろございますが、そういうものを抑えて
国民の
立場から見てどうすべきか、
国民の
選挙としてこれを処理していくという態度に徹していただきたいと思うのぞあります。でなければ
選挙が
国民から軽視されていく、
選挙に対する関心が失われていくということが起こります。そうなりますと、結局、
政党政治の力を、エネルギーを弱めていくということになりまして、戦前にたどりました
政党政治の衰退という道がここに見えてまいるのではないか。現に最近の
選挙を見ますと、
国民が
選挙によっては
政治はよくならないといったような
選挙制度に対するあきらめさえも強く出てきているというのが現状でございます。
以上のことで、非常に原理原則というかたいことを申し上げましたけれども、こういうようなことで、私は、現在の
自民党案と申しますのはこの原理原則をかなり逸脱しているという点で
反対しておるものでございます。
これで
意見を終わります。(拍手)