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1984-07-19 第101回国会 参議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年七月十九日(木曜日)    午前十時二分開会     —————————————    委員異動  七月十八日     辞任         補欠選任      中村  哲君     本岡 昭次君  七月十九日     辞任         補欠選任      柳川 覺治君     吉村 真事君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         長谷川 信君     理 事                 杉山 令肇君                 田沢 智治君                 久保  亘君                 吉川 春子君     委 員                 井上  裕君                 大島 友治君                 藏内 修治君                 山東 昭子君                 世耕 政隆君                 林 健太郎君                 柳川 覺治君                 吉村 真事君                 粕谷 照美君                 本岡 昭次君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 中西 珠子君                 小西 博行君                 美濃部亮吉君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君    政府委員        文部省高等教育        局長       宮地 貫一君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    参考人        玉川大学文学部        講師       楠山三香男君        法政大学経済学        部教授      尾形  憲君        城西大学経済学        部教授      杉原誠四郎君        立命館大学生        部厚生課長    伊藤  昭君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○連合審査会に関する件 ○日本育英会法案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨十八日、中村哲君が委員辞任され、その補欠として本岡昭次君が選任されました。
  3. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 次に、連合審査会に関する件についてお諮りいたします。  臨時教育審議会設置法案について、内閣委員会に対し連合審査会開会を申し入れることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、連合審査会開会の日時につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。     —————————————
  6. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 次に、日本育英会法案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は、順次御発言願います。
  7. 小西博行

    小西博行君 先日来、この育英会法案につきましていろいろ審議がなされておるわけでありますが、その中で特に私が申し上げたいのは、方法論として、非常に大切な奨学金の問題が、四月に本来学生に支給されるべきものでありますのに、制度改正のために大幅なおくれを来しているという、大変、私は、これは学生に対しても、あるいは国会、特に参議院で十分な審議をするという意味におきましても問題があるというふうに思いますので、もう一度大臣考え方お願いしたいと思います。
  8. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 小西先生指摘どおり、確かにこの種の法律改正は、四月一日から新学期が始まるという、日本のそういう学生に対する配慮という面と、そして、もう一つは、国会法案審議経緯というものとが絡むわけでございまして、大変、その点については、御指摘どおり、今回の場合は、学生皆さんに種々の迷惑をかけるという面では、確かに、私も大変申しわけないことだと思っております。これは、衆議院文教委員会、また、先般、参議院の、この文教委員会でも、この点についての御指摘がたしか吉川さんのときだったか、あったように記憶いたしております。ただ、この育英会資金につきましては、一般の、いわゆる予算と絡まっておるわけでございまして、予算関連法案ということになります。したがいまして、予算審議をするという、その時間的な経緯もございます。それに伴いまして、その新しい五十九年度予算に伴う予算関連法案ということになりますので、どうしても、その予算というものを頭に置いて、この法律改正をせざるを得ないという、そういう経緯があるわけでございます。確かに慎重に審議をしなきゃならぬということも、もちろん言うまでもないことでございますが、私は、こんなことを申し上げていいかどうかわからないんですが、大蔵委員会などで、歳入法案の場合に、どうしても先にしないとまずいというものが出てくるわけですね。そういうものは、私も大蔵委員長の経験があるんですが、国庫の場合には実質的に歳入が組まれるという状況の中で、予算委員会などと並行して審議をするということは、国会の中で与野党話し合ってできることでございます。この制度といたしましては、一つ考え方としては、前の年にやって、法律国会で御成案を得たら次の年からやるというのも一つのまた考え方なのかもしれません。これは、かつて、国立学校設置法案の改定の際に、やはりそういう経緯がございまして、新しい学生の募集ができないじゃないかというような問題もたしかあったことも、私は文教委員をしておりまして、記憶があるわけであります。予算政府としては出して、そして、ことしの場合は選挙というのがありましたから、おくれたことも現実問題としては否めない事実でありましたけれども、その間、審議の日々が非常に少ないという、そういう意味では、審議日数が非常に窮屈になるという面は確かにあるわけでございますが、一応、私どもとしては、予算を伴う関連法案として従来なりの国会提出方法方策提案お願いをしたという経緯があるわけでございまして、確かに御迷惑をかけるという点では、これは一考を要さなければならぬ問題であるなというようなことは私自身も国会審議を通じて確かに感じたわけでございますが、大臣立場で申し上げちゃいけないんで私もまた国政、国会の場で議員として活動をこれからしていく場合には、この種のものは、でき得れば大蔵委員会などでやっているように予算委員会と並行して審議をしていただくような、そういう慣行にできないものかなというような感じを、私は、この種の法案審議をしながら、そんな感じも実は持ったわけでございます。小西さんの御指摘どおり、確かに学生さんに対しては大変御迷惑をかけるし、それから国会で慎重な審議を、何かこう束縛をされるといいますか、そういう面では大変遺憾なことだと、申しわけないことだというふうに思っております。
  9. 小西博行

    小西博行君 他の法案と性格が私は多少違うと思うんですね。特に、弱者の立場にある奨学生ということでありますから、私は、一般法案とは少し違って、何としても早くこれ成立してあげて、そうして勉強させてあげたいという、ちょっと私はその意味がそこに必要になってくるんじゃないかという感じがいたしましたものですから、今後は、そんなことのないようにぜひお願いしたい、このことを申し上げたいと思います。  そして今回の改正法案の主な点を見てみますと、何といっても財政が非常に厳しい、したがって無利子貸与制度による奨学生の数を、本当は大臣としてはふやしたいんだけれども予算上はもう切り込まなきゃしようがないんだという点が一つ今の大きな問題になっておるわけですね。同時に、それだけではぐあいが悪いので、もう少し奨学生の幅を広げるために有利子貸与という今までなかった制度をここに創設していく、こういうことがあろうかと思うんです。ここの審議でも、いろいろ委員が質問をされたと思うんですけれども、一番心配なのは、これから先、ますます、こういう無利子貸与制度が削られて、現実には有利子貸与というような形の幅がどんどん広がっていくんではないか、こういうような心配がまずあるんじゃないかと思うんです。この点については大臣考え方を明確にしてもらっておかないとぐあいが悪いというふうに思いますので、その点もお願いしたいと思います。
  10. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 無利子貸与制度というのはこの奨学制度根幹であるというふうに常々政府としては申し上げているわけでありまして、量的な拡充を図っていかなければなりませんし、小西さんから御指摘がありましたように、単価アップ等、その育英資金中身充実も図っていかなければならぬ、そういう中から、こうして補完的に有利子貸与制も併用していくということになったわけでありまして、しかし、育英奨学制度根幹は無利子貸与ということが私どものとるべき一番大事な基本であるという認識を持っておりますので、この辺につきましては、奨学生制度全般は、あくまでもこの無利子貸与根幹として維持していく、その中で、奨学資金を求める学生立場もいろいろ多様になってきておると思いますから、そういう中で、有利子貸与、そしてその利子ももちろん低率にするし、また、利子補給も国のお金によってそれを賄うということの仕組みを取り入れているわけでございます。先生から御指摘のとおり、大事なところでございますので、無利子貸与制根幹として進めるということを、この際、再度明言をいたしておきたいと思います。
  11. 小西博行

    小西博行君 現行法国会に上程されました昭和十八年、それから今日まで、学生数において大体三百四十万人、それから八千五百億円、こういうような非常に歴史のあるといいますか、それによって大勢の学生さんが救われたというように私は考えておるわけです。大変意味があったというふうに考えております。  その当時ですが、これを推進しました国民教育振興議員連盟会長永井柳太郎先生ですね、この方が、同法案趣旨説明の中で次のように言っておるわけです。「日本国民の大多数が貧富の如何を問わず、ひとしく高級の教育を受け、その天賦の良智、良能を発揮し得る教育制度を確立することが急務中の急務であると信ずる。優秀なる資質を有するにもかかわらず学資の乏しき故を以てその資質を練成する機会を与えず空しく墳墓に下らしむるが如きは国家の損失是より大なるはなし」、こういうふうなことを、まだ後続いておるわけですが、私は非常に格調の高い話をされているということを文献で読ませていただきました。こういうような奨学制度を設けた時代というのは、大変そこに基本的な倫理といいますか、貫かれているような、そういう威じがするわけであります。それにもかかわらず、どうも最近の、この法案の文言を読んでみますと、何となくその辺が軽いような感じがしてならないわけでありますが、この点が私は一つ気になるところでございます。  そういうような基本的な理念というものがこれからの奨学制度においても非常に私は大切な問題になってくるんではないかという感じがいたしまして、何も財政のみに縛られた物の考え方というのでは、これから先の育英制度というものは大変心配だというふうに感じておるわけですが、大臣も私と大体同年配でございますから、我々の年代から見て、先ほどの先輩のお言葉あるいは理念、こういうものと現在というのはほとんど変わっていないというふうに解釈されているでしようか。
  12. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 永井柳太郎先生は、私の郷里の政治家として大先輩でございまして、私も、永井先生の秘書官をしておられる方に学生時代御指導いただきました。そういう縁もございまして、永井先生のこの国会におきます趣旨説明等も大変私も感激をして読ませていただきました。  確かにその当時としとは、戦争の大変激しい時期でもございまして、そういう国民一人一人が大変厳しい経済状況の中で、まさに学びたくともそういう経済的な余裕がないということが、これはもう日本全体の当時の状況であったと思うんです。しかし、また一面、そういう上級学校お金を借りてでも学びたいという層も、ある意味では非常に局限をされておったという、そういう状況も当時はあったと思います。そういう状況を踏まえていけば、永井先生のこうした格調高い趣旨説明というのはよく私ども理解されるわけです。  しかし一方、今日、見てまいりますと、こうした奨学生制度というものの一つの成果として、これだけの日本の繁栄があるわけでありまして、端的に申し上げましたら、量的拡大も大変なものでございます。そういう量的な拡大の中で、また経済的な国民一人一人の基盤も当時とはかなり違ってきておる、あるいは当時と今とでは、いわゆる高等教育に学ぼうという、その学びとろうという意欲もまた当時の価値観とかなり違っているような面があると思うんですね。そういうふうに考えますと、精神はこれは大事にしていかなきゃならぬと思いますが、今日的な環境を考えてまいりますと、当時とはもう大変な大きな違いがある、大学というものに対する位置づけそのものも、国民との関係といいましょうか、大学というものと、国民感じさせる一つ価値観というものも、私は相当変わってきておると思うんですね。そういう中で奨学制度そのものも、需要の多様化にも対応していかなきゃならぬということも、当然、私は一つの歴史的な過程ではないかなというような感じがしておるわけです。しかし、奨学生制度根幹といいますか、この精神は、まさに永井先生提案をされておるこの趣旨であることは間違いないというふうに私は理解しております。
  13. 小西博行

    小西博行君 私は、今、大臣言葉にありましたように、随分世の中は変わってきている。だから、当初、昭和十八年ごろ考えられた奨学制度意味というのは大分変わっているんじゃないかという、感じとしては実感を持って感じるわけです。そういう意味では、今回の改正法案というのは有利子貸与と無利子貸与、この関係、無理に有利子貸与をこの中にぶち込んできたという、それ以外には何ら細かい改正というのはないような、実は、感じがするわけでして、この時期に同じ改正法案を出すのなら、もう少し中身の問題も含めて、例えば財政的に非常に厳しいというんであれば、財政的に厳しい方を中心の改正案というのがもっとできなかったんだろうか、あるいは財政が非常に苦しいというんであれば、もっと財政的に方法が、いきなり有利子貸与ということをしなくとも、ほかに方法はなかったんだろうか、そういう感じがいたしまして、この改正法案というのが非常に——今までよりは当然有利子貸与ということで全体のすそ野を広げるという意味ではある意味をなすと思うんですけれども、どうもその辺の改正の根本的な問題に触れでないような気がしてならないわけでありますが、その点はどうでしょうか。あるいは、もっと抜本的に、将来こういうふうに変えたいんだという御意見でもあればお伺いしたいというふうに思います。
  14. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これは、法案の準備をいたしました当時、私もまだ大臣という立場でなかったものでございますので、事務当局からその経緯、背景などを説明させます。
  15. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御指摘の点は、この育英奨学制度のいわば時代変化に対応して抜本的な見直しというような考え方でいろいろ考えられる点もあるんではないかという点で、ただいま御指摘があったわけでございますけれども、私どもといたしましては、いろいろな見方があろうかと思いますけれども、今日まで作業を続けてまいりました経緯から御説明をいたしますと、基本的には、確かに制度見直しについては、臨調での指摘でございますとかそういうことがございました。それを受けまして、この育英奨学事業というのが、やはり文教政策の中における基本的な事業一つであるというような考え方に立ちまして、育英奨学事業改正について考えるとすれば、やはり文部省に、関係者の御意見をいただくために育英奨学事業に関する調査研究会というものを置きまして、それぞれ関係の各界の方々にお入りいただきまして、そこで十分慎重に御検討をいただいて今日の内容を固めていただいたわけでございます。  基本的な点は、その調査会報告に述べられているわけでございますけれども、ただいま申しましたように、憲法及び教育基本法に定められております教育機会均等確保するということがまず第一でございまして、能力があるにもかかわらず経済的理由により就学困難な者に対して講じている基本的な教育施策育英奨学事業というのはそういうものであるという観点に立ちまして、長期的な考え方事業改善充実を図るというのがまず目標の第一で言われておるわけでございます。  そのほか、全体的に社会環境変化でございますとか、あるいは、これからの日本の発展のために、人材育成のために高等教育量的確保質的充実というような、そういう観点からも育英奨学事業が大事であるというようなことが基本的に言われておるわけでございます。  確かに、具体的な内容といたしましては、従来の無利子貸与育英奨学事業というものを根幹として存続させるという考え方でございますが、議論過程においては、その中で、例えば育英奨学事業は国の施策として実施をするという考え方であります以上、先進諸外国公的育英奨学事業給与制基本としていることにも留意しというようなことで、議論としてはいろいろな議論調査会でもなされたわけでございます。しかしながら、今日の現実的な具体的な施策としてどうやっていくかということになれば、やはり、この無利子貸与事業事業根幹として残していき、さらに育英奨学事業というものの量的拡充も図ることが必要であるというような考え方に立って、その点では、確かにおっしゃるように、財政的な観点というものが入っておるわけでございますけれども一般会計からの貸付金資金とするだけでは限度があるので、それを広げるためにどういう資金調達方法が考えられるかという、むしろ、そっちの方の観点から、それは財政投融資資金を活用するしかないというような話でございまして、財政投融資資金実施をする以上は、それは有利子にならざるを得ない。もちろん、有利子ではございますけれども基本的に育英奨学事業として実施する以上は、在学中無利子、卒業後も奨学生の返還能力等勘案して低利に抑えるというような観点は、私どもとしてはぜひとも必要なことだということで確保をするという考え方で、財投との利率の差については、これは一般会計から利子補給するというような考え方をとったわけでございます。いわば、そういうぐあいに調査会でもいろいろな議論をしていただきました。それから給費生についての議論もし、さらに諸外国事情等十分調査をいたしまして、現実の具体的な施策としてどうかということで結論をいただいて、その結論に従って今日脚提案を申し上げておるわけでございます。先生、御指摘の点は、育英奨学事業というものをもう少し抜本的に、基本的に見直して、その点で組み立てるべきではないかという御議論かと思うわけでございまして、そういうような点についても今後の課題としては取り組まなきゃならぬ課題というぐあいにども思うわけでございますが、今日の時点で御提案申し上げている点は、ただいま申し上げましたような経緯を経て、具体的な施策としてはこういうことでお願いをしたいということで御提案を申し上げた次第でございます。
  16. 小西博行

    小西博行君 私は、できれば国の方から全部無利子拡大してもらってというような考え方、当然持っているわけです。しかし、実際に国の状態がそういうことだということは皆さんも大体了解していると思うんです。したがって、民間奨学制度財団ですか、こういうものは、これは諸外国では非常に進んでいると。つい先日も本田宗一郎さん、あるいは藤沢さんですか、このお二人が長い間、二十年にわたって千七百三十五人に奨学金をお渡ししたと、その方々が非常に勉強されて、今、学者としてもトップクラスになっているというやつが出ておりましたですね。こういう民間財団といいますか、こういうものが、例えば、アメリカに比べてどうなのか、日本では大体どのくらいあるのか。私の確認では百二十九団体、これは資料が古いかもわかりませんが、こんなにたくさんあるというのは私も知らなかったんですが、そのようにたくさんの財団がある。中には、どうも資金隠しのためにというのが、この間、五月の新聞に載っておりましたが、そういうのもあります。しかし、いずれにしても、そういう民間資金を活用して財団をつくっていただいて、一般学生に十分に勉強していただくと、こういうことも同時に私は考えるべきじゃないかと、このように考えておるんですが、その辺の実態については、これは通告しておりませんけれども実態について、もしおわかりでしたら、簡単で結構ですからお願いしたいと思います。
  17. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 民間育英奨学事業振興といいますか、そういう点は先ほど申し上げました調査会報告の中でも触れられている点でございます。育英会による育英奨学事業のほか、民間でも行われていて、それぞれ独自の役割、任務を持っているわけでございますが、特色を生かしながら事業を行うということも重要で、これらの民間育英奨学事業振興を図るという観点から税制上の措置の活用その他の方策を講ずることが必要だということは指摘をされているわけでございます。  現状でございますけれども、やや資料は古いんでございますが、五十四年度に実施をいたしました文部省調査によりますと、育英会を除きまして地方公共団体公益法人学校その他、これは学校法人実施をしておるわけでございますが、全体合わせまして二千七百二十六の事業主体で、全体で約二十万人の奨学生に対し、約二百十九億の事業が行われておるわけでございます。五十年度の調査と比較をしますと、事業主体で五十九、奨学生で九千人、奨学金で百十億の増加が見られております。この中で育英奨学事業を行っております公益法人でございますが、六百七十三法人で、約七万五千人の奨学生に対して約八十八億の事業を行っておるというのが民間実態でございます。  私どもとしては、税制上の優遇措置その他の点で、これらの民間育英奨学事業がさらに充実されるように対応すべきことは当然でございまして、ただいま御指摘の中で、中にはという御指摘もございました。それから実際に育英奨学法人の中には、設立をされましたのがやや古い時期のもので、資金的に実際の事業運営上、いわば休眠法人になっているものも中にはございますので、それらの点については積極的にいろいろ施策としては私どもも対応しなければいかぬ点はあろうかと思いますが、現実に、そのように学生育英奨学事業を行っております公益法人の今後の、さらに、より全体の中で伸びてまいりますように、私どもとしても対応してまいりたいと、かように考えております。
  18. 小西博行

    小西博行君 大臣、お聞きのとおりでございまして、大変たくさんの財団がございまして、そして学生のためにいろいろやっていただいている、こういうことなんですが、文部省そのもののいろいろな、こういうPR活動ですね、私はこれは積極的にやっていただきたいという感じがしているわけなんですが、実際にこういう財団をつくる場合のいろいろなまた問題点があると思うんですね。そういう問題点を整理してあげない限りは、なかなかこういう財団をつくるというのも大変だというふうに思うんです。その点について、細かいことは別にしましても、大臣考え方どうでしょうかね。こういう民間というものをもう少し活用できる、あるいは団体をつくっていただく、このためのPR活動ですかね、こういうようなものをはっきりされた方がいいんじゃないかと、こういうように思いますが……。
  19. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、局長から申し上げましたように、民間団体は大変な数でこうした事業を行っているわけです。もちろん、政府としては、それぞれの、民間がいろいろな角度からこうした学生たちに対する援助をしていく、大変すばらしいことだと思いますし、民間活力を導入するということは、新しい日本のエネルギーを創出することになるというふうに考えますから、政府としては歓迎をいたしたいと思いますし、できるだけそのお手伝いもしていくということが大事だと考えます。  ただ、素直にそうした資金学生たち、学徒たちに対して援助していくという、そのものを素直に受けとめられるものが大半であろうと思いますけれども、時たま、そうでないいろいろなものも出てくるわけでございますから、そういうところの財団の認可などについては本来の趣旨にもとることがないように、十分厳重に見ていかなけりゃならぬというふうに考えます。また、そうした方々にPRといいましょうか、文部省としては積極的にそういうものを輩出させるようなPRといいましょうか、政策活動、これは必要に応じてやっていかなければならぬだろうと、こう思います。
  20. 小西博行

    小西博行君 民間の奨学というのは、非常に私がおもしろいと思うのは、採用段階でも、そこの財団の独自な採用基準で展開できますね。今の国の場合ですと、この間から議論されていますように、三・二であるとか三・五であるとか、何か平均的人間といいますか、官僚型の人ばかりつくるんじゃないかという心配すら起こるような……。ところが、民間の場合には、例えば、技術者に対してとか、あるいは研究生に対してと、非常に目的が明確になっているだけに、実際のこういう財団  たくさんあるわけでありますが、これに対するいろいろなチェックの体制といいますか、まじめにやっていただいているのかどうかと言うたら非常に言葉は悪いんですけれども、そういうチェックの方法というのは一体どういうふうになっているのか、それをちょっとお聞かせ願いたい。
  21. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 育英奨学法人の設立の許可あるいは監督の問題は、その法人が全国を対象としているものでございますと、文部大臣所管の公益法人になるわけでございます。それから、それぞれの都道府県内に限定をされますものについては、都道府県の教育委員会が監督を行うことになっております。  そこで、文部大臣の主管に属するものについてでございますが、これは育英奨学法人に限らず、公益法人全体に共通する問題につきましては、文部大臣の主管に属する民法第三十四条の法人の設立及び監督に関する規程というものがございまして、それに従って指導、監督を行っているわけでございます。この監督規程では、法人の寄附行為の変更、基本財産の処分等については文部大臣の認可、承認が必要でございますし、また、毎年度の事業計画、事業報告の届け出、理事の変更の届け出等が義務づけられております。そしてまた、必要のある場合には随時報告を求めたり、あるいは実地調査を行うというようなこともあるわけでございまして、それぞれ法人が設立の目的に沿って適切に運営されますように監督をいたしておるわけでございます。  なお、育英奨学法人の場合については、特に、例えば奨学生の範囲についてとか、あるいは奨学生に対して職種、勤務先等、将来の就職に条件を付さないようなことだとか、あるいは奨学生については毎年度採用するなど、原則として定期的に採用し、相当数の人数を維持するようにしますことでありますとか、あるいは奨学金の額についても、修学の援助として相当な金額であることが必要であるというようなこと、それから貸与制の場合の取り扱いについての現在の指導としては、償還については利子を付さないというような指導をいたしております。それで、この点につきましては、将来、奨学法人として有利子の問題を実施したいというようなことが出てまいりますような際には、この指導基準については、なお検討を要する点ではないかと思っております。そのほか、採用交付に当たって、奨学生の採用に当たっては選考委員会の議を経て行うなど公平な選考が必要であるということなど、特に育英奨学法人の場合にはチェックする基準としてそういうものを持っておるわけでございます。
  22. 小西博行

    小西博行君 先日も、いろいろ議論されましたけれども、交通遺児、これやはり収入が大変少ないですね。これ、新聞に出ていましたね。この間、他の同僚委員の方からも御意見ございました。平均月収で九万七千五百九十四円ですか、交通遺児の家庭といいますか、収入ですね。一般家庭の平均というのは二十二万九千二百十四円。随分額が違う。したがって、四二・六%しか実は交通遺児の家庭というのは収入がないんだ、そういうことがございます。  それから同時に、そういうことで交通遺児の育英会というのが現在やられている。あるいは警察とか消防の殉職者についての、こういう育英会もやられている。私は、これが非常に大切じゃないかと思っているわけですが、これで十分対応できるんでしようか。あるいは、これと文部省のやっておる育英会と両方ダブっていただいている方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、大体どの程度の充足率といいますか、いただいている人数のパーセンテージといいますか、こういう数字がもしあったらお聞かせ願いたいと思います。
  23. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御指摘のように、民間団体財団法人で警察育英会でございますとか、あるいは交通遺児育英会というようなものが、それぞれの目的に応じた育英奨学事業実施するということで、具体的な事業内容で若干御説明を申し上げますと、警察育英会の場合には給与制でございまして、例えば五十八年度の事業では、大学生で百四十三名、高校生で百二十二名というような一なお、警察育英会の場合には小中学生も対象にしているものがございます。  交通遺児育英会の場合には貸与制でございまして、大学生で千三十七名、高校生で四千六百九十七名、専修学校、各種学校等で百三十名というような、事業内容としてはそういうようなものを実施をいたしております。  それから、日本育英会の場合との併給の問題でございますが、これは併給の禁止の規定はございませんので、併給は可能でございます。  それから、日本育英会でございますけれども一般的には学業成績と家計収入の基準によって選考をしておるわけでございまして、この基準に該当する者の中から必要度の高い者が採用されるということになっております。しかしながら、例えば母子世帯の家計の基準の判定というような場合には特別の配慮も行う、そしてまた学業成績の基準の判定に当たりましても、交通遺児等、主たる家計支持者が死亡したことなどによりまして家計が急変したような場合というようなことについては特別な配慮も行い得るような形で対応をしておるわけでございまして、そういうような母子世帯でございますとか交通遺児等に対する修学援助の措置については、事態に即応して適切な対応ができますように努めておるわけでございます。
  24. 小西博行

    小西博行君 だから、私は、本当に困っている方にできるだけ援助をする、そういうことをぜひお願いしたい。だから、文部省にすべてをお願いしてやっていただくのは結構でありますけれども、それではどうしょうもない事態というのがきているから、有利子貸与というような制度を無理にとったんだということでありますから、民間に対してもどうぞそういう活動を展開して指導してあげていただきたい、そしてぜひ財団をふやしていっていただきたい、そのことを申し上げたわけでございます。  次の質問に移りますが、返還免除制度というのがございます。これもいろんな資料がございまして、これを見てみますと、またいろんな矛盾点を感じるわけです。  それで、一つ二つ質問をさしていただきますが、現在、大学卒業者、この方は研究職ということでは認められない、したがって免除が全然認められないわけですね。大学院を出ますと、これはもう研究職として免除制度といいますか、その規定がございまして、それでもって免除される、こういう、私にしてみますと非常に矛盾があるような感じが実はするわけでありますが、この点はいかがですか。
  25. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 現行の返還免除、それぞれ教育職、研究職の返還免除制度でございますけれども、御指摘のように、研究職の返還免除制度は、大学院において奨学金を貸与されました者が文部大臣の指定する試験所、研究所等に一定年限在職した場合に返還を免除されることになっておるわけでございます。実はこの返還免除制度の対象を大学院に限定しておりますのは、いわばこの制度が創設をされました歴史的な経緯といいますか、そういう点がございまして、この現行の育英奨学制度の発足以前から行われておりました大学院特別研究生制度というものがございましたが、これは給費制度で、そういうものが研究者の確保という観点から、大学院特別研究生制度が行われておったわけでございます。その制度をこの現行制度に吸収をいたしました際に、給費制にかわるものとして研究職返還免除制度ということで、この制度が導入をされ、研究者養成という大学院の設置目的等を勘案をいたしまして、この制度が創設をされたという経緯があるわけでございます。  したがって先生の御指摘では、大学卒業者でも研究職として立派な業績をおさめている人たちがいるのではないかという御指摘であろうかと思いますけれども、そういう経緯を経まして、いわば返還免除というのは、契約の際にそのことを明示をいたしまして、いわば研究者に人材を確保するというような観点から行われるわけでございますが、例えば大学卒業生でも研究職として非常に立派な業績を上げている人、そういう人たちに対して、後からいわば免除をするというような形で運用するものとはやや本来の性質が違うという点があろうかと思うわけでございます。したがって、大学における奨学生採用の際の条件として、研究職の返還免除制度の適用をすべての大学生に示すというような形で実施をするということになれば、この点は返還免除制度についていろいろ議論もあるわけでございますけれども、これを研究職返還免除の対象として示すということは、やや考え方としては無理ではないかというぐあいに感じておるわけでございます。
  26. 小西博行

    小西博行君 大臣、今、お聞きになってどうですか。私は何かすっきりしない感じがしてならないんですね。大学院を出れば研究職として認められる、返還免除の対象になる。大学出て研究職、企業でもいいわけでございますが、そういう研究職についた場合には、全然これは奨学金ももちろん返還免除ということにはならない、こういう実は規定になっているわけです。教職員の問題も、多少そういう過去の歴史からの問題があると私は思うんですね。だからその辺のところを、何か、私は、これは出ておりますけれども、非常に古い感じがしてならないわけでして、この辺の整備も含めて改正法案ということであれば、非常にすっきりするのにというのが実は私の考え方でございまして、これに対して大臣はどういうようにお考えでしょうか。
  27. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども、目頭の際、小西さんとの御議論の中で出ましたが、時代的な背景というのが大分変わってきておりますから、一律に学問研究を進めていく、その学問研究をしていく範囲をどこに置くかということで、簡単に割り切れば大学院がそうだとか、大学の場合は一般的な学問ということになるのかなという判断が一つの基準になるのではないかと思うんです。いろんな矛盾というのはありますが、基本的には給付制という制度をとっていない日本のこの奨学制度の中で、できる限り給付制に近いものにしたいという、そういう願望が歴史的にあったと思うんです。ですから、そういう意味で、逆に言えば、よく私どもは、この辺、よそから聞く声でありますが、どうして教育関係にある者は返還しなくていいんだというふうな意見もあるわけですね。教育職にある者はいい人材を吸収して、日本教育に大きな貢献をして、人づくりのためにやっていただくという大きな一つの大義があるわけでありまして、こういう場合には、それを残していこう、あるいは師範学校制度時代の給付制度というものはあったし、そういう経緯があって今の制度に残っているわけでありますが、基本的には確かにこの返還免除制度というものについても、もう少し検討して、精査をしていく、そういう私は時代的要請があるのではないかということは先生のおっしゃるとおりであると、こう思います。  ただ、端的に申し上げて、いわゆる有利子制というものを採用していく、ある面においては量的拡大をしていくという意味での事業の意義もあるわけでございますが、逆に言えば、御指摘をいただいておりますように、有利子制を採用することによって奨学制度そのものが後退をしているではないかという御意見もあるわけでございますから、そういう御議論がある中、返還免除制度のところにいろいろと手を加えるということはいかがなものかという、そういう考え方も働いているというふうにも理解をしていただきたい、こう思うわけであります。
  28. 小西博行

    小西博行君 そこで、返還免除という問題になるわけですが、特にその中で研究機関ですね、これは国立の研究機関と、民間の研究機関とでは、その設置目的や研究員の待遇なんかでも相当最近は格差ができているんじゃないかと思うんですね。そういう面に対しても一律に適用するのであるとか、あるいはここの研究機関であれば奨学金の返還は要りませんよ、こういう認定というのはある程度大臣がやっているような感じになっているわけです。認定するようになっているわけですね。これはどうなんでしょうか。私も資料ちょっと集めてみましたら、たくさんのそういうところがございますね。こういうものは何を基準にしてそういうふうに民間の研究機関でも、ここはよろしい、ここはだめですよなんて決められるのかなと、私は審査基準なり、審査の方法というのはどこで決められているのか、これをちょっとお聞きしたいと思うんです。
  29. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御指摘のように、研究職の返還免除の対象機関でございますけれども、文部大臣が指定をすることになっておるわけでございます。具体的にはそれぞれ国、地方公共団体、特殊法人、民法法人ということで全体の指定機関は五十七年度末で四百十八機関ということになっております。例えば、民間の民法法人の点で言いますと、例えば癌研究所でございますとか、あるいは労働科学研究所、特殊法人の場合で言えば理化学研究所、原子力研究所というような、先生、御存じのように、そういう研究所が入っておるわけでございます。  指定の基準でございますけれども日本育英会貸与金の返還を免除される職をおく研究所等の指定に関する省令かございまして、その中で設置者については、ただいま申し上げましたような設置者でございますが、「目的及び主たる業務が、教育、学術及び文化の振興に資する研究又は教育を行なうものであり、かつ、このことが、」明記をされており、その業務の「内容が、それを行うにあたって大学院を修了した者を必要とする程度のものであること。」、そして「主たる業務としての研究又は教育を行なうために必要な職員並びに施設及び設備を」持っている、それから「管理及び維持経営の方法が確実である」というようなことで、省令の規定としては非常に抽象的な規定になっておるわけでございます。  それで具体的にそれらの機関から申請が出てまいりました際には、専門家で構成しております審査委員会を設けまして、そこに諮りまして、具体的にはそれぞれの機関から申請が出てまいりました際に審査をするというような手続きを経て実施をしているものでございます。
  30. 小西博行

    小西博行君 研究生ということになると、当然、研究の実績評価というか、なかなかそういうのが文部省関係の関連というのはできないわけですね。その辺は実は私は非常に大切な、今後の奨学の返還なんか決める場合に大切な要素になっていくであろうというように私は考えるわけですけれども、そういうようなのはどうなんですか、諸外国では全くないわけでしょうか。全然、そんなものは、もう歯どめなしに、とにかく、出すものは出すという、こういう制度になっているんでしょうか。日本ではそういうことは考えたことはないでしょうか。
  31. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 従来、御議論ございますように、諸外国の場合は、奨学金が、給費制が基本的にあるものでございますから、今、説明申し上げているような日本の仕組みとは基本的に異なるということかと思います。そして、先ほどの研究の実績等については、それぞれ研究員が確保されており、その研究員が相当実績を上げた研究を行っているというような内容的のことが、もちろん、それぞれの研究所については基本的にそういうことが確保されるということは必要なことでございますし、先生の御指摘は、そういう形で行われた、あるいは免除された方々の後々の評価といいますか、そういう点を考えるべきではないかという御指摘かと思うんでございますけれども、確かに、その点は御指摘のとおりかと思いますが、どう評価するかという点はなかなかその点は難しい問題かと思いますが、研究所の指定に当たりましては、そこにおります研究員が、それぞれ一定の実績を上げた研究が行われているというような実績をもちろん見ることは当然のことでございます。
  32. 小西博行

    小西博行君 いや、この返還の法律文を読んでみますと、例えば教職員の場合に、大学を出て、あるいは中退してもということがありますけれども、そして一年以内に先生なら先生になると。そして二年間在職すると、一応、これ一部ですけど、全部返還になりませんけれども、そういう一部返還しなければいけないと、こういうような計算式がございますよね、ちょっとややこしげな計算式でありますけれども。そういうような制度というのは、これはどうなんでしょうかね。私は、ちょっと、あの計算式見ますと、非常に甘いなという感じが実はするわけなんですがね。そういう非常に小刻みな、例えば二年ぐらい、実際、教職についていた場合には四分の一ぐらいだったでしょうか、返還免除になるんでしょうか、そういう計算式になるわけですね。だから、そういうようなものは、果たして、今後必要なんでしょうかね。二年ぐらい勤めたからこうだというような、そういう小刻みな返還の計算式といいますか、これは私は必要じゃないんじゃないか。せめて五年や六年は勤めてもらわなきゃという感じが実はするわけですがね。非常に親切な計算式になっていると思うんです。その点はどうでしょうか。
  33. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 教育職の在職年数についてそれぞれ算式、御指摘のように算式で返還、教育職の勤務年数に応じて全部または一部の返還が免除される今の仕組みになっておるわけでございます。御指摘の点は、あるいはそういう年数だけの評価じゃなくて、もっと実績を見るべきではないかとか、あるいはもう少し教育職には相当年数勤めてもらうということを基礎にすべきではないかというお考えのお尋ねかと思うわけでございますが、一つには、個々の方々の業績の公平な評価というようなことも、それに応じて返還免除額に差を設けるというようなことも実際問題としては不可能といいますか、困難であろうかと思います。そこで、今のところは在職年数に応ずる返還免除額の算式による方式で返還免除というものを規定をしておるわけでございますけれども、その点が扱いとして非常に機械的で、しかも、かつ、そんな小刻みな対応ということでする必要があるのかという御趣旨の御質問かと思いますけれども考え方としては、ある程度、客観的につかみ得るものとして、勤務年数という形でやっておりますし、その勤務年数に応ずる返還免除という点も、それもそこまで細かくやる必要があるのかという御指摘ではございますが、ただいまのところは、そういう取り扱い方をいたしておるわけでございます。返還免除そのものについてもいろいろ議論があることは事実でございまして、返還免除制度そのものについての議論というのは今後さらに検討しなければならない課題というぐあいにどもは心得ておるわけでございますが、御指摘のありましたような点は、将来の課題ということで検討さしていただきたいと思います。
  34. 小西博行

    小西博行君 それでは、時間がありませんから、採用の方の問題に移ってまいりたいと思います。  これも、先日来、各委員の方から質問がございましたけれども、どうも私学の方が奨学金をもらっている率が非常に少ないというような先日指摘がございました。私もちょっとデータでもって調べてみました。例えば学生納付金で比較してみますと、国立大学では三十九万一千円。これは五十九年度のデータですが、年間三十九万一千円の学生納付金がかかっていると。それから、私立大学では八十七万八千七百二十七円かかっていると。明らかに私学の方が高いという実態であります。それからもう一方では、学生生活費に占める奨学金の比率ということで、これは五十七年のデータがございましたから、これでもって調べてみました。そういたしますと、学生生活費というのは国立の場合が九十六万九千九百円、これは年間であります。奨学金がその場合に九万九千三百円。これ、生活費の中の一〇・二%が奨学金で賄われていると。私立の場合は、これは学生生活費、先ほどの九十六万円に対して百三十二万一千百円。非常に私学の方がいろんな意味で高くなっている。これはもちろん月謝から全部入っておりますから、そうなります。それから奨学金が七万百円。これは国立に比べて平均的に少ない、五・三%。ところが、私は驚いたのには、アルバイトが圧倒的に多いんですね、アルバイト。これは国立の場合にアルバイト年間二十二万八千八百円、二三・六%と、アルバイトがもうかなり奨学金の倍以上になっておる。実際に稼いでいるわけですね。それから私立の場合も、これはアルバイトですからそんなに変わりません。二十三万四千六百円、一七・八%ということになっております。いずれを見ましても、私学の方が学生数からいっても大学の数からいっても——大学の数からいったら八〇%ですね。そのように私立大学で比較してみますと、もう圧倒的に私学が多いのに、実際の奨学金をもらっている人の人数というのは圧倒的に低いと、こういう問題があります。過去の歴史の経緯があるんだろうというふうに私は思うんですが、それにしても、そういう計算基準というのは余り合理的ではないというふうに私は考えるわけですが、この点はどうでしょうか。
  35. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 細かな説明が必要でございましたら局長からお答えをさせますが、高等教育量的拡大というのは私立大学にウェートがかかったというのは先生も御承知だろうと思います。そういう意味で私立大学学生数が著しく増加をしておる。そのために貸与人員も私立大学にかなり増員の幅をもたせているわけですが、結果的には国公立大学の場合は大体四人に一人、私立大学の場合は十人に一人という程度の数字になってきている。先生からお話しのとおり、歴史的な経過もいろいろあろうかと思いますが、私どもとしては、できる限り私学にウェートを置くようにという基本的な配慮は十分にいたしておるわけでありますが、全体的な数字を見ますと、どうしても、そういう形に結果的にはなるということは、十分私どもも考えていかなきゃならぬ点だと思っております。今回の有利子貸与制度の創設に際しましても、その辺については十分配慮しなければならぬ。もっとも有利子のところの家庭が、私学の方が経済的に恵まれているとは、そういうことは言えませんけれども、今回の有利子貸与制度の創設に際しては、国公立の場合は五千人、私立大学の場合は一万五千人を措置するというふうにいたしましたので、学年進行を完成をいたします六十四年度には約四万四千人の増加という形になるわけでありまして、少しでも国公私立間の格差を解消していこうということに努めてはいるところであります。
  36. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 確かに、御指摘のような点、ただいま大臣から御答弁申し上げたとおりでございまして、私どもも、私立の方の貸与人員をふやすことに極力努力をいたしたいということで、ただいま大臣から御答弁申し上げたわけでございますが、例えば、具体的に、ただいまの、今回、五十九年度、御提案申し上げておりますような数字で推移をいたしますれば、五十九年度が国公立貸与率が二六・三%、私立が七・八%という数字でございますが、学年進行が完成をいたします六十四年度では、私立の方が九・八%、国公立は若干下がりまして二六%というようなことで、私立の貸与率の方を上げるように努力はいたしておるわけでございます。  なお、もう一点補足をいたしますと、私学と国公立の志願者に対する採用者の割合の点で申し上げますと、これは大学の場合、五十七年度では一般貸与、特別貸与含めまして、奨学生の願書を提出しました者のうち、国公立大学では約七割が採用され、私立大学では約六割が奨学生として採用されているというような数字でございまして、実際に出願をいたしました者についての採用率、その点もなお国公立が高いことは事実でございますが、全体の貸与率はどのその点では差がないという点はあるわけでございます。
  37. 小西博行

    小西博行君 それじゃ、私学の方は余り出さないんですかね。それが私は何か不思議のような気がするんですね。私学だから金持ちだと決して言えないと思うんですね。それは今のデータは事実でしょうから、私もこれは初めてこういうことを勉強さしていただきましたけれども、何かPRといいますかな、学校も多いし人数も多いから十分徹底してないという面の方が私は強いんじゃないかという感じがするんですね。だから、その辺は、これは学校単位でそれぞれやらなきゃいかぬのでしょうけれども、どうもそのように私は理解したいですね。金持ちだから、全然もう奨学制度へは関心ないということではないような感じがするわけですね。そうでしょうか。
  38. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) いろんな要因があろうかと思います。私学の方は規模が大きくて学生に徹底してないというようなことでは決してないと思いますけれども、ちょうど、今回、この制度改正の時期に当たるわけでございまして、私どもこの制度改正機会に、育英奨学事業というものがこういうぐあいに変わってこうなるというようなことの理解を学生全体にも深めますように、ちょうど制度改正のいい機会でございますので、全体に十分制度について正しく理解をしていただきますようないろんなPRと申しますか、そういうような点については、ぜひとも力を入れてまいりたい、かように考えております。
  39. 小西博行

    小西博行君 文部省はいつもいろんな話する中に、創造性の豊かな人材の育成なんていうのは、僕はすばらしい言葉だと思っているわけですよ。ところが、現実、私は、これは入学試験問題にもなりますけれども、国立の場合は科目は非常に多い、だから平均的にできなきゃ入れない。私学は、例えば三科目できれば入る、そういうところに私は非常にまたユニーク性があると思うんですよ。だから、一芸に秀でた人がその中にあってもいい、こういうふうに思っているわけですね。だからこそ、そういう方々に援助できるような、そういう体制はできないかというところが私の言いたいところなんです。  そうかといって、国立大学がだめだという言い方じゃないんですよ。私学の方が、もう圧倒的に八〇%大学があるわけでありますから、その中へもう少し積極的にこの奨学金が渡るような体制を、さっきのあのPRやなんかではないというようにおっしゃるわけですけれども、何かそこに私はあるような気がしてならないんですね。もっとこのやり方によっては申請者がぐっとふえるんじゃないかという感じがしておりますから、その点もあわせて御指導をひとつ願いたいというように思います。  大体もう三分ということですから時間が参りましたんですけれども、私は、今回のこの改正案、正直に言って五一%ぐらい賛成しようかなというように思っているわけです。四九%反対だという実は感じなんです。というのは、さっきから申し上げていますように、苦し紛れに何か有利子貸与を持ってきてひっつけた、そういう感じがするのと、それからもう一点は、やっぱり、それ成績査定でもって一つの要因で、三・二と三・五でもって有利子か無利子かをそこで決めつけてしまうというやり方ですね。これは、私は、もらっている人は、あんた奨学金もらったの、ええ、有利子をもらいましたと言ったら、あんたちょっと悪かったんですな、こういうような感じに私はなるような気がしてならぬのですよね。その点は私は、もうちょっとずるいやり方を考えてみましても、人数はほとんど変わらない、金額は少ないんだけれども、無利子を全体に渡るようにする、今までの応募人数ですね。そして、それにさらに欲しい者は有利子をいただくんだ、こういう何か制度の方がもっとすっきりするんじゃないかというのが、実は、私の率直な意見でございますが、これは大臣は、それがいいなんてとても言えないと思うんですけれども、要するに、これから先のこの奨学制度というのは、非常に私は大切な問題だと思いますし、これは、先日来、いろいろ議論がありましたように、大蔵省に押し切られたんじゃないかというふうな問題もございますけれども、何としても、この教育問題というのは、文部大臣中心になって文部省が熱心にやらなければいかぬ問題でありますから、この点だけはぜひお願いしたい。決意がございましたら、ぜひお願いしたいと思います。  終わります。
  40. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) いろいろ示唆に富む御意見をちょうだいをいたしまして、ありがとうございました。確かに歴史的にも奨学生制度というのは、まだ国民の中に、ある意味では成熟しでないような面もあると思うんです。小西さん、さっき、同じような世代だとおっしゃいましたが、私も学生時代のことを考えてみると、奨学資金というのは我々と全く縁のないものだと思っていました。これは優秀な、よっぽど頭のいい人たちがもらうものだと思って、我々の学力じゃもう全然対象にならないものだというふうな、大体みんなそう考えた。最近の学生さんを見ましても、奨学生資金をもらって試験がどうだの、点数がどうだの言われるより、アルバイトしている方がよっぽど収入はいいよという学生さんも結構いらっしゃる。それがまた時代的に大きな変化だと思います。確かに、この法律改正一つの機に、先生からいろいろ細かな御注意をいただいた点がたくさんございました。大変私は参考にさせていただく点も多いと思いますので、今後、事務当局を十分——育英奨学制度がなお一層充実をするように、そしてまた多くの学生たちが、いろんな機会に、これをやはり甘受できるんだ、受けとることができるんだということをもう少し徹底的なPRをすることも大事だろう。奨学生制度というものの価値観が相当違ってきているわけでございますから、そういう意味で、文部省も十分もっと努力をしなければならぬなという点を、今、先生の御質問をいただきまして、いろいろ反省点もたくさんあるような感じがいたします。どうぞひとつ、五一%と言わず、改善を努力いたしますので、七、八割、御賛成を賜れば幸いでございます。
  41. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 きょうは、日本育英会法案の討論をするはずですけれども、私は育英会法という言葉が大変に気に入らないんで、それについてはなお後で質問をいたします。できるだけ育英会法という言葉は使いたくないので、奨学資金法とか、別室言葉を使いますから、どうぞあしからずお許し願いたいと思います。  それで、いろいろお話し合いを始めます前に、私は、何といいますか、総論的な部分、つまり、いろいろな問題、基本的な問題について大臣あるいは文部省方々と同じ土俵の上で議論をしないと、かみ合わない、きっかり同じ土俵とはいきませんけれども基本的な部分において同じ土俵で話をしたい、そう思うんでございます。例えば、教育の意義はどうだ。それは教育というものについても千種万様な考え方がある。それで、私たちがこの議場でお話をする場合においては、日本の政治において、教育とはどういうものであるかというふうに考えるか、その点ならばほぼ一致することができると思うんです。それから、その教育の意義ということで近寄った結論になるとするならば、その教育を担当なさる文部省はどうあるべきかという点においても、やはり相当近寄った意見にならないと、話は全然まとまらない。それからもう一つは、少し意味が違いますけれども教育と、それからその本元である文部省というものの、何といいますか、理論的なあり方、そういうことが決まって、それでは現実文部省がどうであるのか、そういう問題に対しても一応考え方が一致していなければならないのじゃないか、そう思うんですけれども、いかがでございましょうか。
  42. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 基本的には先生のお考えと同様でございまして、まずそういう同じテーブルといいますか、同じベースで教育振興議論をしていくということが大事だというふうに考えます。
  43. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 それでは、今までもたびたびこの委員会で話題になりましたけれども教育というものをどう考えるかということを、何から何まで引き抜くことはできませんけれども、重要なものを重要な法律の中から簡単にしてお話をしたいと思うんです。  それで、まず憲法ですけれども、二十五条に、これはたびたび出てまいりますけれども、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」、これは有名な条文でございますから御存じのことと思います。それで、「健康で文化的な最低限度の生活」という意味の中には、その二十六条にすぐに教育の必要ということが書かれているところから見ますと、最低限度の教育が基礎になっているということではないか。そういう意味において、一見、教育関係がないように見えるけれども、やはり教育がここでも顔を出すのではないかと思うんです。  それで、憲法二十六条に参りますと、「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」、私は、ここで今の育英会の問題が出てまいりますんですけれども、それは後にいたしまして、「すべての国民は、」「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」、これはもう憲法として重要な部分であると思うんです。  これを受けて教育基本法の前文では、「世界の平和と人類の福祉」、これは民主主義ということだと思うんですけれども、に貢献しようとする理想ですね。そういうものに貢献しようとする「理想の実現は、根本において教育の力をまつべきものである。」ということ、それは民主主義的精神と申しますか、民主主義的精神は、根本において、その育成は教育の力にまつべきである、これも非常に重要だと思うんです。これは前文ですけれども教育基本法の第一条には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」「健康な国民の育成を期して行われなければならない。」、これは私は、つまり教育というのは民主主義的な考え方を持つ人たちを育成する、そうして、その人たちの力によって平和的な国家及び社会を形成する、そういうことであろうと思うんです。  それから第三条は、だんだん具体的になりまして、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」、これは憲法に書かれているとおりですけれども、これは法律によりということが憲法には書かれておりますけれども、これには除かれております。「国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」。  それから第三条の二、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」、私は、これがつまり、日本の政治における教育理念である、それだから、憲法及び教育基本法に掲げられている、こういう理念にできるだけ忠実に従わなければならないんだ、そう思いますけれども、いかがでございましょうか。
  44. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 美濃部先生の憲法、教育基本法を中心にした教育の民主的あり方、お説はそれぞれごもっともでございますし、文部省といたしましても、憲法、教育基本法は先ほども先生が引用されましたけれども、民主的で文化的な国家建設の理想の実現は教育の力にまつべきことを示している、このように私どもも考えておりまして、文部省もその趣旨を踏まえまして今日までの文教行政を進めておるわけでございます。
  45. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 一つ土俵に上がれたような気がして非常にうれしく思います。  もう一回、重複いたしますけれども、今の法律に掲げられている教育に関するいろいろな条項をまとめてみますと、こういうことになると思うんです。教育というものは平和と福祉に貢献する人物、つまり、民主主義の実現に貢献し得る人物を育てる、それが教育である、したがって、できるだけ多くの国民教育を受けなければならない、そうしてまた、すべての国民は能力に応じて教育を受ける権利を持っている、それは具体的に言えば義務教育であり、あるいはまた奨学資金を与えて修学せしめるというのもその一つである、そういうふうに思うんですけれども、いかがでございましょう。
  46. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そのとおりでございます。
  47. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 そういたしますと、文部省の任務というのも、今、申しました教育の本質は民主主義的な教育であるということであると思うんですけれども、一言で言えばそういうことであると思うんですけれども、いかがでございましょう。
  48. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先生のお話になりたい点というものを想像いたしますと、そのとおりであろうというふうに思います。いろいろと民主主義の教育、そうして民主主義教育を行うという理念や哲学は、角度によってはいろんな見方があろうかと思いますが、要は先生の御指摘のように、平和的な国家あるいは平和と福祉に貢献する人物を育てていくということにとっては、国家的な大きなこれは命題である。教育は、またそれを具体的に進めていく大事な行政であるというふうに考えております。
  49. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 そのとおりだと思うんです。それで、民主主義的教育と申しましても、いろいろな主観によって違いますけれども日本の政治においては、今、憲法、基本法等に述べられた、そうして私が要約したようなのが、日本の政治面においては民主主義的教育というふうに認められる、そう思うんですけれども、いかがでございましょう。
  50. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そのとおりだと思います。
  51. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 そこで、文部省も、もちろん、そういう民主主義教育を発展させ、推進する、それが文部省の任務でなければならない、そう思うんですけれども、残念ながら、事実はどうもそうは思えないということでございます。  そこで、第一に、そこで育英会という字が出てくるんですけれども、これは戦争中に定められた名称であって、それをそのまま今日まで育英会、つまり秀でた人、英才、それは国から見た英才なんです、国から見た英才を育てる資金と。私はそういうものではないんで、憲法にも、あるいは基本法にも書かれているように、修学の希望を持ちながら経済的な理由によってできない者、そういう人たちに修学の門を開く、それこそが奨学資金の本当の目標であって、国のためになる英才と、そういうものを育てるためじゃない。それですから、こういう名前をつけることは、私はもうそれはここで変えてくれといったって無理ですから申しませんけれども、どうも不適当な名称ではないかと思うんですけれども、御感想をお伺いいたします。
  52. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教育基本法第三条第二項に言っております、先生も今引用なさいました「能力があるにもかかわらず」というこの「能力」というのは、どの程度の能力かというのは、これはそれぞれ議論があるというふうに思いますが、一定のすぐれた能力を持ちながら、経済的理由により進学の道を阻まれている者を真に進学の機会を与える、この趣旨教育機会均等等に寄与している、先ほど先生が引用されました民主主義教育を進める上においての条項の趣旨に私は合致をしているんだというふうに考えます。  ただ、その育英という言葉がどうもということでございますが、大変、御無礼なことを申し上げますが、こう人生をずっと過ごしてこられた先生の価値判断で言う育英、私のような年齢、小西さんなんかもそうですが、育英というのは、先生の当時お考えになった育英という概念とは、ちょっと、私ども価値観が違うような気がするんです。最近の若い連中に育英というと、ああ野球の強い育英高校というのがあったなあというぐらいで、育英高校、必ずしもすぐれた秀でた人を集めている学校だとはそう思えませんが、スポーツも強いし、学業も大変頑張っておられるいい学校だと私は承知しておりますが、そういうふうに育英という言葉の概念規定に余りこだわらなくてもいいような感じがするんです。  確かに、好き嫌いというのはあると思うんです。先生の御感覚からいえば、どうもあの名称はということになるかもしれませんが、もう少し私は、先ほど小西さんのときにも申し上げたんですが、社会の環境も、それから学問をする目的も、特に私は学問をする目的というのはとっても違うんじゃないか。昔の場合は、有為な学徒をつくり上げて、国家のために有為な人材をつくるという、すぐ目的はもうはっきりするんですね。当時の昭和十八年、十九年といえばすぐする。しかし、今は、将来、国家のために寄与するために学ほうなんという、そんな気持ちを持つ若者はまずいない。しかし、いろんな職業につくということが一つの目標だろうと思うんですね。これは私は正しいと思うんです。その職業について、働いて、納税の義務の責任を果たすことによって国家が発展をするということですから、私は要は同じことでありますが、今の学生さんたちの概念から見れば、先生が、育英ということで、秀でた、すぐれた者だけをというような、そういう解釈は私は今の若者の、国民の中から、出てこないんじゃないかなという感じがするんです。しかし、先生のおっしゃるように、この名前はどうもよくないと、感覚としてよくないということであれば、これは一つの御意見であろうと思いますから、まあ、私なんかも余り勉強好きじゃないし、した方じゃないもんですから、私も、若干、美濃部先生の感覚はよくわかりますから、そういう意味では、育英なんという名前じゃなくてもいいのかなというような感じを私はしないでもないんです、率直に申し上げて。しかし、今、先生が御指摘にされるように、すぐれた学生及び生徒という少数の英才に限定しているものではないというのは、これは、私は、国民皆さんも理解をしてくださっているんじゃないだろうか。今日的な学問の価値体系、そして学問を進めようという、それぞれの人々の求めているものを考えてみますと、限られたそういう少数を限定をしていくというものではなくて、運用上また幅広く対象を広くいたしておりますので、そういう面では、この名前が必ずしも憲法や教育基本法理念に反しているものだとは言えないんじゃないかというふうに思います。おしかりをいただくことを覚悟で申し上げました。
  53. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 私は、そうは思わないんですけれども、今の若い人は英才なんということは考えないで、もうちっとも秀でなくてもいいと、家庭を持って、かわいらしい奥さんと仲よく暮らして、子供が二、三人いればいいと。昔のような、政治家になってどうこうするという考え方は、これはないんで、むしろ、私が言ったような考え方をするのが普通で、大臣の言われたようなことは、むしろ自民党的考え方であるというふうに、もっと、今の若い人たちが考えるのに、考え方に右へ倣えしていただきたいと思いますけれども、今ここで幾ら議論をしても始まりませんから、育英会議論はそれで終わらせます。  それから、私が、今、これから申し上げたいことは、つまり民主主義的な教育、それを推進をすると。それは、むしろ、つまり、民主主義的な環境をつくることもその中に含まれているわけで、政府の、大臣の前の話でしようけれども文部省のとった手段は必ずしもそうは思えないと。例えば昭和三十一年に文部省教育委員会  文部省がというわけじゃないですけれども政府全体ですけれども教育委員会の公選制をやめたと。そして推薦制にしたと。そして現在中野区では準公選制をやっていると。これは推薦制になったことに反抗をしてやっておられるだろうと思いますけれども、つまり、教育国民全般の考え方に基礎を置くべきである。それを推薦でやっては必ずしもそうはいかないから、国民が直接に選挙をする教育委員会を中心として教育を行っていくという民主主義的な考え方に基づく制度であろうと、そう思うんです。それを、つまり、大臣の前ですから仕方がないとして、現在、中野で行われている準公選制をやめさせようと、そしてひきょうにも地方債の借金のもとをとめてもやらせようと。私は中野の準公選制のPTA、それから教育委員会の会合にも参りましたけれども、それはそれは非常に気持ちのいい、つまり国民と、それから生徒の父兄と、それから行政と、文教委員会の人たちと、それがひざを交えて、そうして公開でもって一月に一遍は懇談会をやると。これはもう非常にいい制度である。それは、私は民主主義的な教育を進める根幹であり、中心であると。それをやめられたということは、文部省というものが決して民主主義的な教育を進めるのに熱心ではない、むしろ逆であると、そういうふうに思うんですけれども、局長いかがでしょうか。
  54. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 公選制から任命制に切りかえましたのは昭和三十一年で、直接、私の知らないころだというふうに先生がおっしゃってくださっていますが、私も当時の、子供時代といいますか、高校生時代でございましたか、小さなころの教育委員会の選挙というのをよく見聞きをしておりましたが、かなり激しい選挙戦を展開しておったようでございます。そういう意味からいえば、選挙によって選ぶということは一つの民主主義の行き方かもしれませんが、教育ということの重要性を考えますと、政治的な色彩が強まってくると、子供時代にも、私は、そんな感じを持ちました。したがって、この任命制という制度に切りかえたわけですが、そのことによって先生の、文部省が民主主義の教育をやっていないということにはならない。任命制をいたしましても、やっぱり選ぶその長は民主主義によって選挙で選ばれているわけでございますし、任命をいたしましても、その方々はやはり議会で、民主主義で選ばれたその地域の代表者によってこれを承認を得るというような幾つかの民主的手続の担保というのがあるわけでございますから、私どもは、必ずしもこれは民主的ではないと、そういうふうな解釈はとらないものでございます。現行の法律というものが、そういうふうに任命制度でやっている以上は、文部省としては、現実の法治主義という、そのルールから考えましても、私どもは、この制度は、今の、先生が御指摘になりました準公選制度というものは法律に違反をしているという判断をとらざるを得ないんですが、ここの法律の違反云々ということは、先生、今、御質問の趣旨ではないんでございますが、文部省は、民主主義的な教育をやっていないというおしかりをいただく一つの例としてお取り上げになったことだと思いますが、この任命制度というのは、私は、民主的なルールによって行われているものだと、こういうふうに判断をしておるわけです。
  55. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 これ以上、議論をいたしましてもしょうがございませんけれども、世論は、私は中野の準公選制を支持していると。その証拠には、新聞がほとんどすべてあれを支持している。あれに反対しているのは自民党だけじゃないんですか。言い過ぎかもしれませんけれども、そういうことを考えております。  それからもう一つ、それと同じょうに、これはこの前の文教委員会で述べたことですから、きょうは簡単でありますけれども、教科書の検定ですね、要するに、この前は来年の教科書の検定が行われる前でしたから。ところが、ことしの検定は非常に厳格であると。それは、もちろん、私、会議は公開ではございませんから、密室の中で行われるから知りませんけれども、新聞に出ている限りにおいては、今度の検定というのは大変なものであって、つまり、教科書の国定化に数歩近づいたものであると言っても言い過ぎではないほどの干渉である。これは、ひいては憲法における言論の自由それから検定制度を禁止している、そういうことにも通ずるのではないのか。ましてや、民主主義的な教育を推進する文部省のやるべきことではないというふうに思いますけれども、いかがでございましょうか。
  56. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教科書は、端的に言えば、まさに心身が未発達な、もちろん、これは学習の進達程度によって違うわけですけれども、いわゆる初等教育でいえば、まさに未発達で純真な、それこそ真っ白なハンカチ、そういう純真な子供たちに与えるものでありますから、教科書は、常に子供たちの判断というものが迷わないということが、基本的に大事なことだと思うのです。そういう意味で、日本の現在の教科書検定制度というのは、教科書の著作、編集を民間にゆだねることによって、著作者の創意工夫に期待をする、そういうことが、この現行の教科書検定制度の一番いいところでございます。したがいまして、先ほども申し上げましたように、子供にとっては、できるだけ客観的に、そしてまた公正に記述をされてなければならぬというふうに私どもは願っておるところでございます。特に、いろんな意味で、歴史などもそうですし、いろいろ問題にされますが、戦争体験等もいろんな記述があるわけでありますが、その中で一番大事なのは、子供たちにとって教育的配慮というものがなされなければならない。もちろん中学校、高等学校によってそれぞれ子供たちの頭の判断もだんだん適応能力が出てまいりますけれども、そういうことも十分考えて適切な教科書を確保していると、そういうためにこの検定制度が機能を果たしている、私はそのように感じておるわけでございまして、先生、いろいろと御心配をなさる点も私もわからないわけでありませんが、伝えられるほど非民主的で密室性ということでは私はないと思います。記述等についての改善意見や修正意見というのは出ますけれども、これも特定の検定官が一人で判断をしているわけじゃありませんので、その意見は、検定の会議の場において皆さんで合意をして、御相談をいただいた、それを改善あるいは修正のお願い意見として著作者に提示をしているということでございますので、そういう意味でも民主主義的な手続はちゃんととらえてやっておるんだというふうにぜひ御理解をいただきたいと思います。
  57. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 教科書はできるだけ多様性を持たせなきゃならない。それが民主主義的で、つまり一つに統一するということが反民主主義的であると、そう思うんですね。そうして、一つに統一しようとするのが今の文部省のやり方であって、前の、私が一番初めに教科書を書いたときには、その採用は各学校に任せられている、あるいは教員の自由に任せられている、そうして検定は、字句の修正とか年号の間違いとか、そういう技術的な間違いだけであって、その点は正すと、そういう昔に返って、初心に戻って教科書問題も考えていただきたい。今では、がんじがらめでもって、そうして、つまり、今、大臣は、八十何人いる委員でもって決めると申しますけれども、八十何人の委員一つ一つの教科書の内容などは決められないんで、大体において、それは調査員あるいはその上の人たち、そういう人たちの意向によって決められるんで、もし民主主義的な教育を推進するという考え方で、つまり、そういう考え方だということも先ほど冒頭でおっしゃいましたけれども、そうであるならば、できるだけ考え直していただきたい。  もう時間がございませんけれども、あと私学の助成金をことし削減をした。つまり、これは、全体の学生の八割が私学で勉強をしているんで、そうして、私学の問題は、国立、公立の大学との格差をできるだけなくすと、そうして国立と私立の学校と、両方、できるだけ早く同じレベルに持っていく、そうして、そこには、やはり、戦前のように助成金というのがほとんどなかったときでなく、今日のように相当の莫大な私学助成金が与えられる、それはもっともっと多くして、国公立との格差というものをなくすべきであると、それが民主主義的な教育精神であると思うんですけれども、いかがでございましょう。
  58. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) まさに、私学は、日本の国の教育に大変大きな役割を果たしておりますし、特に高等教育部門については、八割が私学におぶさっているわけでございますから、国公私立間の格差というものはどうしても是正をしていかなきゃならぬ。そういう意味で私立学校助成法も私ども提案をさしていただいて、国会での成案を見たわけでございます。財政的に大変こういう時代でございますので、私は、先生と同じように、私学の助成などは、これは、むしろ、人件費が八割も実質にはかかっているわけでございますから、これなどは一般の公務員の給与等はシーリングにはまらないわけですから、本来はこれは枠外にあるものだと私は思うんです。しかし、国全体の財政基本はすべて聖域と見なさずという考え方でございますので、国務大臣という立場ではこれに従っていかざるを得ないわけでございます。しかし、私学助成は私立学校振興助成法の精神、何とか実現をしたい、こう思って、私たちも、これからも努力をしていきたい、こう考えておりますが、ただ、私学助成のあり方については、やはり、いろいろと検討する問題がかなり出てきたと。一時的には三〇%を超えておりましたので、こういう時期に私学助成のあり方なども、もう少し検討してみる必要があるのではないか。大きな大学で百何十億ももらっているところは、それにまた年率、パーセントを上乗せして、また何億足していくということも一つの行き方なのかもしれませんが、本当に教育を細かく、そして特に地方などでやっておられるところは、わずか千万か千五百万のお金、それをまた同じような率でやっていくことがいいのかどうか、あるいは分野によってもう少し検討してみる必要があるのではないか、そういうようなことなども、これは、まず、できるだけ私学の中で考えてもらいたい。そして文部省は後押しをしていきたいというふうに考えております。基本的には私学助成を進めていく、充実をさせて国公立との間の格差をなくしていこうということについての考え方先生と全く同じテーブルでございますので、なお、こういう財政状況でございますが、一層、私学の予算については文部省としても最大の努力を払っていきたい、こう考えております。
  59. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 最後でございますけれども、非常に一番耳の痛い話で、汚職の問題でございます。汚職というのは最も非民主主義的な行為だと。つまり、国民の汗とあぶらの結晶である税金、それを私利私欲のために使ったと、これはもう許すべからざる民主主義的でない人たち、そうして、そういう人たちが文部省の中におられたということは、私は非常に残念でありますし、残念である以上に、最も民主主義的でなければならない文部省に、こういう人が出てきたというのは非常に遺憾であって、文部省の性格を疑われるものであるというふうに思うんです。  私は、この質問で終わりますけれども、私の聞きたかったことは、これで終わるのではなくて、こういう結果として、こういう文部省の決定として出てきた、嫌な言葉ですけれども育英会法というものが、これまた実に非民主的なものであるということを言いたかったので、それが、むしろ、中心になるべきであったのに、いろいろと議論をしてしまいまして、またの機会に譲りたいと思います。  それで、汚職の問題について一言御答弁をお願いします。
  60. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先生から御指摘をいただく以上に、私自身も、まことに今度の事件については残念に思っております。特に先般も当委員会で申し上げましたように、教育問題が国民の極めて大きな関心のあるときでございますだけに、今回の問題に対しましては、まことに申しわけない、委員会を通じて国民皆さんにおわびを申し上げた次第でございます。今後の事件の解明を見なければ具体的なことについては私ども議論を申し上げるという立場でございませんし、また処分等につきましても、事件の解明を待っていたしたいと思います。ただ、契約上の問題とか予算の留保の問題とか、そういうことについて、いろいろ問題があるのではないかということで、文部省では、早速、月曜日から検討委員会を設けまして、今、改善すべきところは早急に改善をしたいと結論を急いでおるところでございます。もう一度申し上げますが、極めて残念なことでございまして、私からも極めて遺憾でありますと、おわびを申し上げる次第であります。
  61. 長谷川信

    委員長長谷川信君) この際、本岡君に申し上げます。  日本育英会奨学金の貸与を期待している学生等の窮状を救済するため、各党理事の合意により、在学採用予定者を現行法に基づいて募集を開始するよう文部省に対し申し入れを行いましたが、去る十二日の理事会におきまして、この申し入れに対する回答があり、その説明を聴取いたしました。  この回答につきましては、同日の理事会におきまして協議を行い、さらに十六日の理事懇におきましても協議いたしましたが、各党それぞれの御意見があり、意見の一致を見ることができませんでした。  この際文部省より、このたびの国会の救済措置要請に応ずるためには、原則として特別貸与相当の基準で採用することとし、また、貸与については、一般貸与とせざるを得ないと判断したものであり、このため、現行法に基づきとの趣旨の理解が異なることになったことは遺憾であるが、御理解を願いたい旨の報告がありました。  委員長といたしましては、各党理事の意見の一致を見ることができませんでしたので、この報告をやむを得ないものと判断いたしましたので、御了承をお願いいたしたいと存じます。
  62. 本岡昭次

    本岡昭次君 今の委員長報告、私は理解も了解もできませんけれども、とにかく先へ進めてみます。また戻るときがありましたら戻らしてもらいます。  本論に入る前に、若干関連する問題を大臣に直接お伺いをしたいと思います。  七月十六日に出された「昭和六十年度行財政改革小委員報告」を見ますと、文教関係の方に私学助成の総額抑制というのがあります。私学助成と育英奨学制度には、私学に学ぶ学生教育機会均等、就学保障という関係で深く私はかかわっていると見ています。この私学助成は、昭和五十九年度大学三百三十一億円、高校七十九億円減額をされております。六十年度予算がこれ以上私学助成を減額してはならないと私は考えておりますが、予算の概算要求期を迎えて、私学助成について大臣がさらに減額されるというふうなことは絶対ないと私は確信しておりますが、この点についてまず大臣の所信を承りたいと思います。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕
  63. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、御指摘をいただきました六十年度行財政改革小委員会の報告が、二つの委員会から審議会に報告をなされておることは私も承知をいたしております。その中には、文教に関しまして幾つかの事項が述べられているわけでございます。  正直申し上げて、本岡さんの御指摘どおり、大変、私自身も文教予算につきましては心を痛めておる者の一人でございます。しかし、ただいまのところでは、この二つの委員会が報告をいたしました、これを審議会のこれからなお議を経るわけでございますので、今の私の立場から、この小委員報告につきましてとやかく申し上げるということは立場上差し控えなければならぬというふうに考えております。ただ、大変、心配をいたしておりますので、我が党を通じまして、いろいろと文教予算については、十分なる判断をしてもらうように、いろんな角度でお願いをいたしておるところでございます。先般、自民党の文教部会、制度調査会も、合同会議におきまして、六十年度予算に対しましても、文教予算についての非常に今日的な面を踏まえて十二分に配慮するような決議もいたしておるところでございまして、一昨日ですか、総理と藤尾政調会長の会談も持たれておるようでございまして、その中には従来と違った予算の仕組みを考えておるということも党では検討いたしておるようでございまして、教育は重要な段階に来ておりますし、ただいま、美濃部先生からも、そういう御指摘もございましたように、私学については、本岡先生のおっしゃるとおり、大変、大事な予算一つであるというふうに文部省も受けとめております。現段階では、六十年度予算に対します基本的な考え方を述べるということは差し控えたいと思っておりますが、私学助成については、なお一層政策が運営上支障のないように最大の努力をしていきたい、こういうふうに申し上げて、お許しをいただきたいと思います。
  64. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は、大臣がここで「私学助成の総額抑制」というこの報告についてあなたの御意見を述べることは決して差しさわりのある問題でなく、文教委員会では堂々とあなたの所見を述べておかれるのが、むしろ至当である、こう思うんですね。そういう態度がおかしいと思うんですよ。その部分だけでやりとりしますと、時間がありませんから、関連して、同じように、この報告の中には、我慢のならないことがやっぱり載っておるんですね。四十人学級を含む第五次教職員定数改善計画、公立高校教職員定数を引き続き当分の間抑制せよ、これは何ですか、一体ね。ここまで小委員会というところはやれるかと思うと、本当に腹が立ってくる。四十人学級を早期実現せよとか、あるいは行き届いた教育をするために教育条件を整備せよというようなことは、これ教育改革を望んでいる国民の一番大きな要望であるわけで、文部大臣は、まさか、このような、私から言わしたら暴論ですよ、暴論にくみすることはないと思います。六十年度には、三年前、行革によって凍結された四十人学級、あるいは教職員定数増計画、これ、六十六年完結を目指して早急に手をつけなければ、政府国民に対して重大な違反行為であり、不信をまき散らし、政治に対する信頼を一挙に崩壊させるということだ、私はこう思うんですね。だから、大臣が、今、そんな発言をするものでない。いずれはどこかでというようなことじゃなしに、大臣の命をかけてこれはやらにゃいかぬ問題だと思うんですよ。もう少し明確な答弁をいただきたいし、さらに、大蔵省は、教科書無償を、どうしても来年度からやめてもらわにゃいかぬというようなことをまた言い始めている。一体、文教予算をどうするつもりなのか。文教委員会でこそ、あなたは、ここで明確な、あなたの態度を示して、そして文教委員会全体の合意を受けて、あなたが頑張らなかったらどこで頑張るんですか。はっきりさせてください。
  65. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 行革小委員会の報告について、担当大臣として、まだ審議会で決定をしているものじゃありません。これはあくまでも小委員会の報告でプロセスにすぎないわけですから、現時点で文部大臣という立場で、このことについてとやかく申し上げることは差し控えたい、こう申し上げております。ただし、先ほどの御指摘のように、私学予算については、大変大事な重要な課題であるというふうに受けとめておりますし、努力をしたいということもたびたび申し上げております。これくらい明確に申し上げていることをおしかりをいただくことは私も大変不愉快な思いがいたします。定数にいたしましても、やはりそうでございまして、何とか六十六年目的達成のために最大限の努力をしたい、私はこう考えております。  この小委員会の意見中身も私は大変関心を持って見ておりましたが、例えば教科書の問題なども、この中に、当初は織り込まれているというふうに私たちも予想をいたしておりましたが、教科書の問題は幸いに外れております。こういうことも、文部省、またこうして衆参あわせて文教委員会皆さん教育に大変熱心に御検討や御関心を持ってくださる方々の声というものがやはり反映をしておるものだろうと思って、大変私も喜んでおるところでございますし、もちろん、大蔵省は文教関係あるいは党に対しまして、有償化というものについての働きかけはするというようなことが新聞には出ておりましたが、私といたしましては、無償化継続に最大限の努力をしていきたい、このことも終始委員会で申し上げているわけでございまして、私は先生から今おしかりをいただきましたけれども、まさにこの委員会で私は、定員の問題にしましてもあるいは私学の問題にしましても、教科書の問題にしても、最大限の努力をして、皆さんのいろいろと御注意いただく点について、また、いろいろと御質問の中にいろいろ御要望として出されておる点については最大限の努力をしていきたいと明確に私は委員会を通じて申し上げておるわけでございます。ただ、今の小委員会のこの問題についての過程でございますから、この点については今とやかく大臣という立場で申し上げることが適当ではない、こう申し上げておるわけでございまして、気持としては先生と同じ気持ちでやりたい、こう申し上げておるわけでございますので御理解をいただきたいと思います。
  66. 本岡昭次

    本岡昭次君 私もあなたの答弁大変不愉快ですよ。この小委員会が言っているから小委員会に物申せと言っておるのじゃなくて、文部大臣としての立場をここでもっと鮮明にされたらどうですか。最大限の努力、最大限の努力と言っても、できなければ、最大限の努力しましたができませんでしたなどと言って、四十人学級を含む教職員の定数改善計画、六十年度から行革による三年間の凍結を解除して断固やるようにしますとか、あるいはまた私学助成の問題も、これ以上抑制をさせませんとかいう、あなたの決意が述べられないということについて、私はけしからぬと、こう言っている。これは、いろんなところで、こういうものが出てくると思います。  新聞を見ると、社会労働委員会で、ここに、これの同じような小委員報告に載っている児童手当を、これも抑制せよという問題が出ていて、厚生大臣に、あなたはどう思うかというて尋ねると、厚生大臣は、ああ、それは手をつけさせない、そういうふうにやるというて、はっきり言い切ったと新聞に載っているじゃないですか。あの程度のことは私は言えて当たり前だと思うのです。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 大臣の見識として私は言えると思う。しかし、あなたが言わない。言えと言ったら不愉快だと言うから私はやめるけれども、また次の機会に、あなたが不愉快だと言ったことがどれほどちゃんと実効上がって、あなたが不愉快なことを言ったけれどもちゃんとやることやったでしょうと私の前で大きな顔をしてもらうようにひとつ頑張ってください。  次の問題に入ります。  文部省に尋ねますが、欧米の育英奨学事業による奨学生の選考基準、これはどうなっていますか。
  67. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 欧米の奨学資金についての選考基準についてのお尋ねでございますが、明確に御答弁申し上げるほど私も知識を持ち合わせていないわけでございますけれども、先進諸外国では奨学生の採用選考に際しまして、学力を重視するということは少ないというぐあいに承知をしておるわけでございます。ただ、アメリカにおいては、在学中は十分な学業成績を維持することが要求をされるというようなぐあいに承知をしているわけでございます。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕 基本的に、その点は、奨学金に対する考え方の相違ということもあろうかと思いますが、一つには、諸外国の場合には奨学金の貸与率も大変高い。イギリスの場合について言えば、例えば九割というようなものが貸与されているというようなこともございまして、貸与率が大変高いから、その点では主として経済的な基準といいますか、所得基準といいますか、そういう点が選考採用といいますか、採用の基準として用いられていることかと思います。  それともう一点。例えばこれはヨーロッパの場合でございますけれども、全国的な大学入学資格試験が実施をされておりまして、一定水準以上の学力を有する者が大学へ入学しているというような、大学の入学制度の仕組みのところにおいて、やはり一つ基本的に違う仕組みがあるということもその一因ではないかというぐあいに感ずるわけでございます。
  68. 本岡昭次

    本岡昭次君 何の答弁しているのかさっぱりわからへん。私は、欧米の育英奨学事業による奨学生の選考基準はどうなっているかと聞いたんです。文部省、出しているじゃないか、「世界の育英奨学事業」といって、文部省大学学生課長の名前で出ているじゃないか。私は、これ読ましていただいて、このことのちょっと骨格だけ述べてもらおうと思っている。いいこと書いてありますよ。
  69. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 例えば、概括的には先ほど申し上げたようなことでございますが、イギリスの場合については、先般お尋ねもありましてお答えをしたわけでございますけれども、イギリスの場合には、標準学生生活費が設定をされておりまして、その奨学金の基準については、標準学生生活費から、本人あるいは親、配偶者の負担可能額を控除した金額を給与額とするというような決め方をいたしておるわけでございます。それぞれ国によって異なりまして、フランスの場合でございますと、奨学生の選考は、奨学金センターで、奨学金申請者について受給基準に該当するかどうかを客観的に判断をして決めるというような決め方が行われているというぐあいに承知をしておるわけでございます。
  70. 本岡昭次

    本岡昭次君 よくわかりませんけれども、前へ進めます。概括すれば、欧米はほとんど経済的理由基本にして、そしてこの奨学資金を出し、その奨学資金は授業料等に充てるということでなく、生活費として給付しているというのが一般的な状況であるというふうに文部省の出しているこの資料の中で読み取れます。にもかかわらず、日本育英会の場合、日本の場合、我が国の場合、学力基準というものを重点において採用しているというところが特徴的なんでしょう。違うんですか。
  71. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先ほど最初に申しましたように、    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 例えばアメリカの場合に、在学中、学業成績を維持するというようなことが要求されるという点は、やはり学力についても求められている点はあるということが言えるかと思います。  ただ、先生、御指摘のように、概括的に申し上げれば、確かに、欧米諸外国の場合には、学力を基準にして考えるということは、基本的にしていない。その点の理由として考えられる点は、先ほどちょっと御説明したような点にもあるわけでございますが、そして経済的な基準で、それも授業料だけではなくて、生活費を見るような形で奨学金の給与といいますか、が行われているのが欧米の考え方であるという指摘についてはおおむねそういう方向であろうかと思います。  ただ、まあ、これはそれぞれ奨学金というものの仕組みの成り立ち、いろいろと経緯がございますので、その点については我が国の育英奨学事業がそこまでいっていないという点は御指摘のとおりかと思います。
  72. 本岡昭次

    本岡昭次君 それで、その学力基準という問題なんですが、これは五段階評価による成績でやっていますね。そしてその平均をとって、三・二とか三・五とか四・〇というふうな点数による学力を選考基準としているんですが、その一番根拠になるのは、すぐれている者というところに結びつくと思うんですが、そのすぐれている者ということと、この三・二、三・五という関係、一体、この三・一とか三・五というのは、だれがどこですぐれているというふうに決めるんですか。
  73. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 能力をどのように判定するのかというのは大変難しい問題であろうかと思います。具体的に、すぐれた学生及び生徒を判定するに際しまして、学校における長期間の評価の記録でございます学業成績を判定の資料とするというのは、他に適切な方法というものも見当たらないわけでございまして、御指摘の点は、その三・二なり三・五というのが、すぐれたということが言えるのか言えないのかというお尋ねでございますけれども、共通して客観的に見る基準という点で申し上げれば、全体の平均の中で、そういうものが用いられるということは、やむを得ないかと思っております。  なお、その三・二なり三・五と言われておりますもの、一応、私どもの大学生の高校成績分布という点で考えてみますと、高校成績の三・五以上が六四%近く、三・二以上が八割弱というような把握をいたしておりますけれども、したがって、それをすぐれたと判定するかどうかという見方はいろいろあろうかと思いますけれども、大学生の成績の点で申せば、高校成績の八割近くの者が対象になり得る範囲の学力ということで言えば、採り方としては、対象になり得る学生としては相当幅広く拾っているということも言えるわけでございまして、一応、現在の育英会奨学生採用の選考が各学校から推薦を求めるというような形で採っております以上は、そこに何らかの客観点な基準というものを考えるということは、公平に取り扱うという観点からすればやむを得ない方法ではないかというぐあいに考えております。
  74. 本岡昭次

    本岡昭次君 ちょっと、せっかくのあなたの答弁が私の質問に答えられていないですよ。それでもう一度聞きますけれども、三・二、三・五、それはいつだれが決めたんですか。
  75. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 現行の特別貸与の学力基準でございますけれども、これは育英会法第十六条の二の規定に基づきまして日本育英会が特別貸与を行う場合の認定方法に関する省令が定められ、文部大臣の承認を受けて育英会が定めることになっているわけでございます。  また、現行の一般貸与の学力基準を定める方法でございますけれども、これについては特別の法令の規定はございません。育英会が業務方法書に基づきまして推薦基準を定めて学校に示しておるわけでございます。  現行法の決め方は以上のとおりでございます。
  76. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、その特例の点数は文部大臣の承認を得て決まったものであり、一般奨学の方はこれは文部省の範囲でといったら、これは育英会自身で決められることのようですが、やっぱり文部省がこの三・二という点については承認するんですか。
  77. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先ほど御説明しましたように、業務方法書に基づいて推薦基準を定めて学校に示しておるわけでございますが、業務方法書については、やはり文部大臣の承認を得るということになりますので、その形では、いずれも文部大臣の承認を得て実施をしているものというぐあいに御理解をいただければと思います。
  78. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、五十七年、五十八年と過去現行法実施された奨学生の採用というのは、特別貸与、一般貸与いずれも、そのときどき文部大臣の承認を得て実施されたものですか。
  79. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 基準について一般的な承認がなされておりますので、個別にそれぞれ承認がとられるというようなものではないというぐあいに理解をしております。
  80. 本岡昭次

    本岡昭次君 いや、その点数に、そのときどきの、毎年三・一とか三・五という事柄について、そのときどき文部大臣の承認を得なくとも、点数というのは文部大臣が責任を持つべき点数になっているのかどうかということです。
  81. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先ほど申しましたように、特別貸与が創設されましたのは昭和三十六年度でございまして、昭和三十六年度から、特別貸与の点については三・五以上、それから一般貸与については三十七年度から三・二以上ということで定められて今日まできておるわけでございます。
  82. 本岡昭次

    本岡昭次君 いや、だから、そのときに、三十六年、三十七年に決められて、ずっと今日まで、その三・二、三・五という学力基準が選考の土台になっているということは、それでわかるんですが、例えば、五十六年度、五十七年度、五十八年度と実施するときの点数も、そのときどき文部大臣の承認を得てないけれども、その点数については、文部大臣が責任を持って実施させるべき点数がどうかということを聞いているんです。
  83. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 全体の国の行います育英奨学事業については、もちろん、日本育英会実施をしておるわけでございますけれども日本育英会については文部大臣が監督をしておるわけでございまして、その意味では御指摘の年次の学力基準につきましても、そういう特別貸与、一般貸与についてそれぞれ三・五、三・二で実施をするということについては、文部大臣が、そういうことで実施をすることについて承認を受けたものというぐあいに理解をしております。
  84. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、三・二、三・五という点数以外の学力基準なり、あるいはまた三・五とか三・一とかいう学力評価が明確に点数で示されない限り、奨学生というものを募集することはあり得ないし、当然、文部大臣が承認しているということであれば、そういうことは実際絶対に行われないというふうに解釈していいんですか。
  85. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 基本的な基準として、そういう形で実施をしておるわけでございまして、例えば、先ほどお尋ねの際にもございましたが、母子家庭の場合でございますとか、あるいは交通遺児の場合に、特別に選考をする必要のある場合というような、通例のケースとは異なる対応をする必要のある場合については、それは、それぞれ対応しなければならないかと思うわけでございますけれども一般的な形で申し上げれば、先ほども申し上げましたような選考基準で実施をされるというのが、全体的な育英奨学事業というものを、客観的に公平に実施をしていくためには、そういう基準で学力基準を考えておるわけでございまして、それぞれ、そういう基準に合致する者を推薦いただくという建前でございます。
  86. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は、点数による記述でなくて、今、文部省が言ったように、他に適切な方法があれば、それによって学力とみなすものを判断できるし、してもいいし、むしろ、その方が適切であるという立場に立っています。文部省は、他に適切な方法が見当たらないから、この三・二とか三・五というものが必要だと、こう言っている。そこで、一九七五年から一九八三年まで、文章記述によって学力評価を行い、それをもとにして奨学資金が渡されております。今の大学局長の話であるならば、それは文部大臣が承認した事項に反して、一体、これはどういうことになるのか、その学生たちが全く一般的な学生であって、母子家庭とか、そうした特別な形にある奨学生ではない。私は、これは違反をやっていると思わない。むしろ、正しいと思って評価している。そういうことをやった育英会が立派であると思うし、そういうことを認めた文部省が立派であるというふうに私は評価をするんです。文部大臣、これはどうですか、私は評価しておるんですが、どうです。
  87. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) ちょっとお尋ねに外れるかもしれませんが……
  88. 本岡昭次

    本岡昭次君 いや、外れぬで真っすぐ答えてほしい。
  89. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は、この奨学資金制度、どういう判断を基準にするかというのは非常に難しいところだと思うんです。入学の選抜にもよくあることで、我々としても、余り、点数で判断をするというのは好きじゃないんです。私は本岡さんと同じです。だけど、日本人には、どうしても、何といいますか、厳格に、それから、不公平さがないということになると、結果的に点数というものを重視せざるを得ない。そういうことが、三・一とか三・五という数字を出したんだろうと思うんですが、具体的に、私も、実際には、こういう数字というのは、どうも、はっきり言って、余りいい方法だとは思っておりません。私は、局長にもそのことよく聞くんですが、しかし、三・五というのは、実質的には大学生全体から見ると、八割ぐらいは大体三・五をとっていると言うんです。ということであるとするならば、大体、学力基準を、そううるさく置いて判断をしていることにはなってないじゃないか、現実の問題としては、というふうに、最大限の解釈をすれば、そういう見方ができるわけでありますが、国の予算を使っている、その国の予算の制約上の中で、その中で一定のすぐれた能力という言葉よくありませんが、要は、能力というよりも、まじめに、国のお金借りてやるんですから、若干は遊ぶために使っても私はいいと思いますけれども、学問をやるために、まじめにやるという、そのまじめにやるというための学資の援助、じゃ、まじめにやったその結果のあらわれと評価をどこで見るかといえば、学業がある程度維持されているということで判断をせざるを得ないということから、こうした数字による基準というものを置いておるんだと思いますが、私は基本的には、先生のおっしゃるように、いろんな多様なやり方をしてあげるべきだと思います。しかし、その多様なやり方を、育英会の三角理事長が全部やるわけじゃないわけで、それぞれの学校なりで推薦をするわけですから、学校が自主的によく考えてくださって、いろんな、可能な限り難しい状況、あるいは、例えば、こういうことで、家族に、こういう困った状況がある、それぞれのケース・バイ・ケースで採用する、そういう判断の基準の枠も、十分文部省としては、そういう指導をしているわけでございますし、そういうことをもっともっと徹底をしていかなきゃならぬなという面は確かにあると思います。今、先生が御指摘をされました例として、私はつまびらかにいたしておりませんが、むしろ、学力よりも、そういういろんな個人のケース・バイ・ケースの事情を勘案をして採用して、育英資金を与えるというやり方は、私は、それはそれなりの一つのやり方だろうと思いますが、推薦する学校長、あるいはまた育英会が十分そのことを柔軟に対応してやるべきだというふうに考えますので、そういう面で、私は先生の御趣旨は、むしろ正しい方向だろうというふうに考えています。
  90. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は、文部大臣は、けしからぬ、そんなことをしておるのがおるんかとここでおこってもらえるんかと思ったら、ちょっと逆の方向になってぐあいが悪いんですがね。文部大臣、ここに私こんなの持ってるんですよ。これ、奨学生願書、ここには全部文章記述で、学校先生が、なぜ、この子供にはその奨学資金が必要かということ、それで本人も、私は奨学資金をもらって、そして頑張って、将来、こういうふうにして生活を立てて返していきます。まあ、言ってみれば、奨学制度そのもの奨学生が本当に自覚的に受けとめて、まさにその趣旨にのっとって私はこれは渡されていると思うんですね。立派な文章を書いています、欲しいと本当に願っておる子供はね。これが昭和五十六年——昭和五十八年と、五十六、五十七、五十八、兵庫県とか大阪、そういうところで、ずっとこういう方向でされている。三・五とも三・二とも何も書いてない。だけれども奨学金を受け取っている。文部大臣は、それを今の話では肯定していただいたんですね、それでもいいと、柔軟に対応したらいいと。それでいいわけですね。
  91. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 三・五、三・二というのは、学業を続けているという一つの目安だろうと思うんです。先ほども申し上げましたように、遊ぶためにその金を使うということはいかがなものかというふうに、当然、国の予算がございますから、国の、国民の税金でありますから。ですから、そういう意味では一つの目安として、日本人というのは、選抜の方式に個々の感情、主観を入れるということについては何となく拒否をするという、これは日本人の特性だろうというふうに思うんです。もちろん、外国の人の性格もそう私はわかりませんが。ですから、そういう意味では、ある程度の基準としては、学力による点数ということを目安にする。しかし、個々のケースというものは十分に判断をしてあげることが、これは教育上一番正しいことだと私は思います。ですから、そういう意味で申し上げておるわけであります。
  92. 本岡昭次

    本岡昭次君 もう少し詰めてみます。  学習成績の評定平均値というものを書く欄があるんですね。そこには三・五とか三・二というのを書くということを指示している。しかし、そこに書かないで推薦所見というところに書かれ、そして本人も申請している。これで出ているんです。だから、文部大臣として過去そういうことの行われたことを、ここで認めていただきたいということを言っているんです。三・二と書いてない。いいですね。——いや、文部大臣に聞いているんです、これは。
  93. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) その具体的な事例を私は承知をいたしておりません。その当時、どういう判断をしたのか、ちょっと局長からお答えさせます。
  94. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先生、御指摘のケースが過去においてございまして、ただいま具体的なケースでは、一件、訴訟問題になっておる件がございますことを、私も事柄としては承知をしておるわけでございます。全体として、公平、妥当な選考採用が行われるということが必要なわけでございまして、そういう点では、従来からも、適正な選考採用が確保されるよう指導しておるわけでございます。  具体的に、現在、具体の案件で、今、出ております点では、訴訟案件になっておりますことについては、(「そんなこと尋ねてないよ、何も私」と呼ぶ者あり)その点については、その事柄の処理として行われるべきものと思いますが、一般的に、全体的な考え方としては、先ほど来、三・五、三・二という基準で申し上げておるわけでございますけれども、(「何を言っているんです。ちょっと委員長整理してくださいよ。私はそんなこと尋ねてない。時間が延びるだけじゃないの。」と呼ぶ者あり)
  95. 本岡昭次

    本岡昭次君 もっとはっきり、三・一とか三・五とか書いてなくて、文章で表現した者にも奨学資金がおりていると、このことを文部省は認めるのか認めないのかということを言っているんですよ。認めるか認めないか、はっきりどっちかにしてくださいよ。
  96. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 従来、そういうケースがありましたことは事実でございますが、五十七年三月に、育英会本部が大学予約の弾力運用、文章記述を廃止するように決定をいたしまして、その点は廃止をするということで育英会は対応をしているところでございます。
  97. 本岡昭次

    本岡昭次君 そんなことを私は聞いてないんですよ。ここに書いてなくって、奨学資金が出たことを文部省は認めるのか認めないのか、二つに一つの返事をしてくださいよ、そんな。尋ねもせぬことを言わぬでもいいじゃないの。認めるのか認めないのか。ここに奨学資金、こういうこと出ている、たくさん。
  98. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) もちろん、文部省といたしましては、全体的な基準を定め、育英会に、個々の奨学生の採用の事務そのものは、これはもちろん日本育英会実施をするわけでございまして、過去にそういうことを、文章表現のみで採用したケースはございます。
  99. 本岡昭次

    本岡昭次君 違うかな。文部省として、このことを認めるのか認めないのかと聞いているんです。さっきから、あなたは、この点数については文部大臣の承認事項だと言っているでしよう。だから、文部大臣としては、当然、点数によって奨学生が募集されたと、こう思っているんでしょう。だけど、違うことが行われているという、このことについて認めるのか認めないのかということを言っているんですよ。
  100. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 過去において、そういうことが行われたことは事実でございますし、それはそれとして、育英会がそういう処理をしたことについて、私ども、それが三・五、三・二という基準に該当する事柄として育英会が判断をして実施をしたことかと思いますので、そのことについて、それは違反しているというぐあいには理解をいたしません。ただし、その後、客観的な表示としては、文章記述は廃止をするということで、育英会が、現在、実施をしておるわけでございまして、その点は、先ほど申しました学力基準として、客観的な表示を求めるという形での実施という形で、育英会がそういう措置をとったものというぐあいに理解をしております。
  101. 本岡昭次

    本岡昭次君 その当時のやり方について、文部省は認めているのか認めないのかということを言っているんですよ、学力基準、学力基準と言うから。そのことを是認しているのか是認してないのか、文部省として。是認してないんだけれども、勝手にこれを育英会がやったと言うのか。それは、学力基準として、文章表現でも、そのときは構わぬと文部省が思ったのかどうかということを尋ねているんじゃないですか。何をやっているんですか。やってくださいよ。こんな時間ばかり、私は一時間しかありませんのに……
  102. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 当時、そういうことを実施したことがございまして、そのことについて、当時は認めておりました。しかしながら、そのことについては問題があるという指摘もございましたので、今日、ただいまのような取り扱いをいたしているわけでございます。
  103. 本岡昭次

    本岡昭次君 今は認めてないんですね。
  104. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) ただいまは認めておりません。
  105. 本岡昭次

    本岡昭次君 認めてないのに、もし、あったらどうしますか。
  106. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 基本的には、先ほど来の御説明に尽きるわけでございまして、適正な審査というものが確保されるということが必要なわけでございまして、そのために客観的な基準として示しておるということで実施をしているわけでございます。
  107. 本岡昭次

    本岡昭次君 ちょっと、この文部省の今の答弁というのは、事実に基づかない答弁が多いんですよ。委員長、ちょっと整理してもらいたいですね。私の持っているのは、日本育英会が出している一九八三年三月の奨学生推薦調書ですよ。そこには、学習成績評定平均値というのがあって、そこに三・五とか三・一とか書くんでしょうね。その横に注というのがあって、「学習成績の評定について文章記述が可能な場合はそれに従ってよい。」と書いてある。何ですか、これは。あなたは認めてないと言ったんじゃないですか、今。ちょっと、こんな、そのときそのときの都合のいい答弁したら、私、質問できぬですよ。
  108. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ちょっと休憩して整理をしますから、ちょっと休憩します。    午後零時二十九分休憩      —————・—————    午後零時三十二分開会
  109. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会を再会いたします。
  110. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先ほど来の答弁が必ずしも十分把握をしていない御答弁を申し上げました点をまずおわび申し上げます。  学力基準についてのお尋ねでございますけれども、高等学校奨学生につきましては、「学習成績の評定について文章記述が可能な場合はそれに従ってよい。」という措置については、高等学校の進学率が九〇%に及んでいるというような実態を受けまして——もちろん、望ましいのは先ほどの数字でございますけれども、「文章記述が可能な場合はそれに従ってよい。」という措置をとっております。  ただし、大学生の採用につきましては、在学採用について、採用枠の制限で、学力基準内にありながら推薦できない者があるにもかかわらず、学力基準に満たない者が予約によって採用される不合理というようなことも指摘をされておりますので、大学については、その弾力的運用を廃止をするという考え方で現在対応しているわけでございまして、その点は、先ほど御説明を申し上げた点は、大学生の採用については、そういう方向をとっておりますが、そういう運用をいたしておりますけれども、御指摘の推薦調書の印刷物には、大学の特別奨学生の採用について、先ほども申し上げましたような注記が残っていることは事実でございますが、運用としてはただいま、そういう運用をいたしておるというのが実態でございます。
  111. 本岡昭次

    本岡昭次君 そんな……。ここに書いてあって、そして公文書でしょう、こんなものは。そして、これは運用ではしてはいけないと言うてね。そんなでたらめな行政があるか。しかも、文部大臣の承認事項にまでなってきておる点数の問題について、そんな、あなた、ここに書いてあるけれども、このとおりしては出せないと言って、このとおり書いてきたところをぶっつぶしたでしょう、あなた方は。そんな論理の一致せぬことできますか。はっきりしてくださいよ、こんなことは。だめや。私はもう質問せぬ。やめ。しょうもない。むちゃくちゃだ。(「委員長、休憩をお願いします」と呼ぶ者あり)
  112. 長谷川信

    委員長長谷川信君) それでは、午前の審議はこの程度といたしまして、これから理事会を開きます。  一時半より再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時三十七分休憩      —————・—————    午後一時三十五分開会
  113. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、日本育英会法案を議題といたします。  本日は、本案審議のため、お手元の名簿にございます四名の参考人の御出席を願っております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙中のところ、当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、本案審査の参考にいたしたいと存じます。  つきましては、議事の進行上、名簿の順でお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答え願いたいと思います。  それでは、まず、楠山参考人からお願いいたします。楠山参考人
  114. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 楠山でございます。  私は、その名簿に玉川大学文学部講師となっておりますけれども、この仕事はこの四月から始めたばかりでございまして、まだ駆け出しでございます。それまで、三月まではサンケイ新聞の記者をしておりました。主として教育、文化の問題というのを担当しておりました。最後は論説委員をいたしておりました。きょう申し述べます意見も、それ以前の長い記者活動の中で見聞し、あるいは認識したことに基づいて多くを申し上げることになろうかと思います。  今回の日本育英会法の改正でございますけれども、私はそれが目指す方向というものを基本的に支持する考えを持っております。と申しますのは、その改正案というのは、目下の社会、経済の状況というものに対して非常に現実的に対応するという要素を備えておるというぐあいに考えるからであります。教育費の問題というのは、それをだれがどういう形で負担をするかということは、さまざまな形で教育のいろいろなところに波紋を及ぼす大きな問題であるわけでございますけれども、その中でも育英奨学事業というものは、学ぼうとする人間に直接働きかける要素を持っている、そういう事業と申しますか、活動として注目しなければならないし、大変大切なことだろうと思います。その育英事業というものを、今回の措置というものが、在来の制度というものを一応保ちながらというか、それを中心に据えながら、さらに新しい制度を加える、つまり増設をするという形で拡充していくという方向をとっている。その面からも私は支持をしたいというぐあいに考えております。  高等教育の発展というのは目覚ましいものがございまして、進学意欲というものが大変な勢いで伸びてまいりました。そういう中で、大学、短大への進学率というのは、近年一応横ばいもしくは低下というようなことが言われておりますけれども、三五%程度。しかし、それだけにとどまらず、一方、専修学校、専門学校といったようなものが一〇%を超える進学率を見るようになりまして、合わせれば五〇%、つまり同一年齢の約二人に一人は高校以降の学校生活を引き続き送るというような状況になっているわけでございます。そういう中で、高等教育についてはさまざまな問題も言われているわけでございますけれども、やはり世の中がそれだけの人材を求めているということも一方にあるわけでございまして、今までの明治以来の高校以下というか、中学校以下の教育に比べれば、高等教育に関してはやや手薄な面もあるというところもあると思います。そうしたさまざまなことが絡まりまして、大学、短大、あるいは広く高等教育ととらえましても、それへの進学というものに関してなかなか困難な状況というものが出てきている。つまり、教育費という面において困難な状況が出てきている。それは、殊に家計というものと比較しましたときに大変重いものになっているということは、さまざまな調査報告といったようなものがそれを物語っていると思います。  つい先日、六日でございますか、発表になりました労働白書にも、勤労者の生涯生活というものの分析をして、その中でも特に教育と家計のかかわり合いというようなものを文部省や総理府の調査というのをもとにして分析をしておりました。それを御承知かと思いますけれども、ちょっとモデルになっておりましたのを申し上げますと、二十九歳で第一子が生まれて三十二歳で第二子が生まれる。それがずっと大学まで進学をする。第一子が大学へ入学するのは四十七歳、それから第二子が大学四年生になるのは五十三歳である。そうすると、その勤労者にとっては四十七歳から五十三歳の間は毎年約百万円を超える教育費がかかるというような計算になっておりまして、殊に第一子と第二子が同時に大学に在籍をしているという間のときには二百万円を超す教育費を必要とする。これは一方の家計というようなものとの対照で比べますと約四〇%にも当たるという数字になっておりました。こうした状況から、奨学事業というものを拡大しなければならないということはもう自明の理であるわけでございますけれども、ところが今日の状況を見ますと、それは必ずしも思わしいものにはなっていない。これからざっと二十年前、今日と二十年前というのとを比べてみますと、例えば進学率におきましては、昭和四十年は一七%ございました。で今日は三五%、つまり約倍になっているわけです。それから一方、奨学金の貸与人員というのを見ますと、昭和四十年当時は二十九万人、これが今日では四十万人です。そうしますと進学率は倍になっておりますけれども、こちらの方は五〇%しか伸びていないということになるわけです。一方、奨学金学生の中における受給率というのを見ますと、これはもう四十年当時が一五%であったわけですけれども、今日ではそれが一一%にすぎない。つまり、むしろじり貧の状況になっているということが言えるわけです。そういう意味で、一方これは日本育英会奨学金の場合でございますけれども民間その他それから地方公共団体といったものの奨学金ももちろん近年はなかなか盛んになってきてはいるわけでございますけれども、それも必ずしも全体から見れば、育英会との対比から見れば三分の一程度の規模でしかないということで、なかなか奨学金を得るという機会は少ないわけでございます。これを何とかして伸ばしていかなければならないわけですが、それには確かに善意の意味での寄附と申しますか、奨学ということに対する社会の意識といったものも私は大いに必要だろうと思います。それは育英会に対しては寄附金というような形でもあろうかもしれませんし、それから民間その他の財団その他における寄附金というようなもので行われるということも必要ではないかと思います。しかし、それもなかなかままならないのが現状でございます。  そうしますと、国の事業というか、国のかわる事業としては育英会事業拡充というものをどうしても考えなければならない。しかし、それを考えますに、今までのように貸付金の原資を一般会計に求めているのでは到底現在の厳しい財政状況の中では多くを望むことは無理だし、むしろそれに対して抑制の方向さえ出てくるかもしれないというぐあいに考えるわけです。  そこで、新たな措置として財政投融資資金というものを導入し、必然的に、それは借りるわけですから、有利子ということになるわけでございますけれども有利子の貸与制度というものを設けるということが今回の改正一つの大きな目玉になっているわけでございますけれども、そういう形で事業拡充を図るというのは今日の状況の中ではやむを得ないし、また積極的にも当を得たものであるというぐあいにも言えるかと思います。ちょっと今のところほかに手が考えにくいのではないかという気さえいたします。  有利子と申しましても、在学中の返還というのは免除されるわけでございますし、それから卒業後に返還をする場合も年利率三%ということで二十年まででございますから、いわば長期低利の資金ということになろうかと思います。その間の在学中の利子あるいは財投の利子との差額というものについては国が利子補給の面倒を見るということで、これはやむを得ないことだと思いますけれども、そういう形でより奨学事業の規模というものは拡大されてくるということは大変好ましいことだろうと思います。無利子に比べまして有利子は、確かに、貸与総額でトータルとしますと、二割ぐらいふえるということになるわけでございますけれども、返還というようなこと、長期にわたっての返還ということを考えますと、例えば国公立の場合年間十二万六千円、私立の場合十五万三千円、つまり民間給与の初任給というものと比較いたしますと、国公立の場合は八%、それから私立の場合は九・七%、初任給に対してでございますけれども、一割に満たない返還の額というようなことはそう無理なことではないだろうし、そういう意味で今の法案に盛られております方法というものは基本的に無理のないところではなかろうかというぐあいに考えます。  それから、奨学金というのは学習意欲を持った人々、しかし経済的に条件が整わない、そういう人たちに対して何かの形で支援をしていくというものだろうと思いますけれども、一方、先ほど進学というのが五〇%、専修学校を含んで五〇%であるということを申し上げましたけれども、一方においてそれは、裏を返して言えば五〇%は高等教育に進学をしてないということがあるわけでございますから、それらのことも考えますと、全体のバランスとして給与であるべきである、給与どころか、貸与どころか利子までつけるのかということもいろいろなところでは言われますし、現に、私もそういう考え方はあり得ると思うのでございますけれども、しかし、今市し上げましたような国民全体のバランスというようなことを考えますと、ある程度の利子がつくにせよ何にせよ、学習意欲を妨げられないで学習できるような体制をつくるということの方が先決ではないかというぐあいに考えるわけです。  翻りまして、有利子制度というのはかの第二臨調の答申の中にそのことが言われているわけでございます。しかも、その臨調の指摘というのは、無利子制度というか、外部資金による有利子制度への転換というものを奨学事業に対して求めている趣旨だと思います。それは全面的にそういう転換をするということは私の到底やはり考えられないことでございますし、どういう事情か余りそこのところは詳しく存じませんけれども文部省では学識経験者による育英奨学事業に関する調査研究会議というようなものを設けられて、臨調答申がきっかけであったと思いますけれども、そこで検討をされて、その結果、無利子制度という在来の制度というものを国による育英奨学制度事業根幹ということにして、新たに有利子制度を導入し、つけ加えて拡充を図るというような結論を出されて、その趣旨に沿って今回の法改生が行われたものだと思います。そういう意味でも、よりそこにワンクッション置いた教育的な配慮というものがなされたという努力も認めないわけにはいかないのではないかというぐあいに思います。  しかし、そうは申しましても、一般会計というものが今後さらにどのようになっていくか私は余りあずかり知らないわけでございますけれども、そうしたものがいささかでも好転をするというようなことがあればさらに現在の制度というものを、また、根幹となっている制度というものを拡充するということも考えられましょう。そういうことも必要だと思います。ですから、有利子制度の導入というのは、ある意味においてはやむを得ざることではあるわけですけれども、しかし、それをしなければさらに制度全体がじり貧になって、拡充どころか縮小の方向に向かわざるを得ないということになると思います。そこらを考えまして、一応、有利子制度というものの導入は考えられなければならないし、この法案が出まして、世の中の一般学校大学その他の現場におきましては、この制度がちょっと停滞を見ているためにさまざまな波紋も起きております。そういう意味から考えましても、一日も早くこの制度が確立をして、そして、より拡充された方向で行われることを期待いたします。
  115. 長谷川信

    委員長長谷川信君) どうもありがとうございました。  次に、尾形参考人お願いいたします。
  116. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 尾形でございます。  法政大学教育経済論という講義それから研究をしております。今の教育が人間のための教育ではなくて、経済のために、人間ではない、人材あるいは人的資源をふるい分ける、そういう教育になっている。そういうところに今の教育の問題の根源がある。経済のための教育になっている、そういう角度からの研究あるいは授業をやっております。それから一方では、ここ二十年ほどになりますけれども、全国、現在、約二百ほどの私立大学、短大等を含めました国庫助成に関する全国私立大学教授会連合という組織があります。参議院衆議院文教委員皆さんにもいつもいろいろお世話になっておりますけれども、そういう、実際に国庫助成の方に携わっている、そういうような立場、それから先ほど申し上げました研究者という立場、そういう立場から本法案についての意見を若干申し上げたいというぐあいに思います。  まず前提として国庫助成、現在、経常費助成が根幹になっておりますけれども、この問題は育英会奨学金の問題と密接につながっているわけですが、現在の国庫助成のあり方について、私は助成運動を実際やっておる者でありながら、非常に大きな疑問を持っております。特に、その配分のあり方等について、むしろ、現在の機関に対する直接の助成よりも学生への助成、これを主体にすべきであるというぐあいに考えております。と申しますのは、詳しいことは、後で御質問があれば、また述べたいと思いますけれども、経常費助成が始まりました年、この年は、あの当時の政務次官であった西岡さんがいみじくも申しておりますように、大学とは何ぞや、あるいはその中で私学の位置づけとは一体どういうものかという哲学あるいは理念、そういうものなしに、つかみ金みたいなもので始まった、そういうものです。それが、その後も、自動延長されてきたというところに一番大きな問題があろうかと思います。当参議院文教委員会で私学振興助成法を御検討いただいたときに、なるべく早く二分の一に達すること、そういう附帯決議をつけられております。しかし、そういうことがありながら、ここ何年かの括弧つきの財政窮迫の中で、三割までに達しないうちに見事にUターンを始めた、そういう状況があります。それは、二分の一目指してということがはっきりした理念の上に立っておるものだったら、そう簡単にUターンするはずはないというぐあいに私は思います。そのことを前提としまして、本法案について二、三意見を述べたいと思いますが、有利子の問題、これはもちろん大変な問題で、これは後で申し上げます。  その前に一つ、先ほど申しました、今の教育が人間のための教育ではなくて、人材あるいは人的資源、そういうものをふるい分ける教育になっている、そういう観点から申しますと、本法案の最初にあります「国家及び社会に有為な人材の育成に資するとともに、教育機会均等に寄与する」、これは話が全然逆であります。戦後、国家主義が根本的に再検討されて、民主主義、人間を中心に、そういう方向に日本は変わったはずであります。ところが、国家社会という名のもとに、結局のところ、一部の、戦前ですと天皇の名により、戦後は資本、そういうもののための人間の育成、そういうものが行われてきた。それが、先ほど申しましたように、現在の教育をゆがめている、そういう事実があります。したがって、教育機会均等、これが大前提であって、人間のための教育、憲法二十六条、ここに私は先ほど申しました私学助成なんかも根底を置くべきであるというぐあいに考えております。そういう意味では一人一人を大事にすれば、これはおのずと国家社会のためになるはずであります。したがって、この点は逆である。このことは育英会、そういうものが、実は、戦争中に、専ら国家枢要といいますか、そういう人材、文字どおり人材の育成としてスタートした、そのことと密接につながっているわけでありまして、この際、検討なさる、改正なさるならば、この点を、はっきり人間のための教育なんだということで改めないとおかしなことになるのじゃないかというぐあいに思います。  その点は、具体的に申しますと、有利子なり、あるいは今までのような無利子の問題について「学資の貸与」という二十二条がありますけれども、今度の改正案二十二条で、第一種の学資金はこれは無利子ということなのですが、これが話が逆になっておりまして、第一種の方が、むしろ、今までの特別貸与を受ける方の「特に優れた学生及び生徒」なんですね。こっちは例外になるのです、むしろ。第二種の方が、今までの一般貸与に当たる「優れた学生及び生徒」で、しかも「経済的理由により修学に困難があるもの」、そういうぐあいになっていて、いずれにしてもすぐれた生徒、育英、そういうような思想ですね。しかし、そういうことになりましたら、例えば、その思想を延長しますと、もうやがて死ぬ運命にあるような障害者、そういう障害者に対しては一切金をかけない。あるいは、例えば夜間中学のような見捨てられた存在については金をかけない、そういう思想につながります。むしろ、ハンディキャップがあるそういうところほどお金をかける、それが大体二十六条の精神ではないかというぐあいに私なんかは考えております。  これは余談になりますけれども、例えば大学一年生に入りますと、何をもってすぐれたという基準にするか。一般貸与の場合は平均三・二ですね、評価が。それから特別貸与の場合は三・五。ところが、高校のがらくたの知識、あれ文教委員皆さんもぜひ一度自己採点なさってみたらよろしかろう思います。あれで六百点まずとれませんね。ああいうがらくたを基準にして三・一とか三・五ということで、すぐれたとか特にすぐれたとかいうのは一体何なのかということですね。それから私、個人的な話になりますが、大学におりましたころ奨学金を受けました。通信教育編入で三年、四年のときの成績、もう惨たんたるものでした。これではとても奨学金もらえないということで、大学の一年のときからはやめまして、二年のとき、それでも通信教育の成績づけますから、これはやばいなと思っておりましたが、何とかもらえました。これは大学も同じです。ああいうがらくたの知識、そういうものを前提としての、すぐれたとかすぐれてないとかいうことの無意味さ、それと同時に先ほど申しました育英ではなくて、やはり一人一人を大事にする、学びたいという人を本当に大事にし、経済的な裏づけを与える、そういうことが基本ではなかろうかというぐあいに思います。  有利子の問題に入ります。有利子の問題について四点ほど申し上げたいと思います。  一つは、例えば二%が三%になるとか三%が五%になるとか、これは量的な変化です。しかし、今までゼロだったのが三%になる、これは質的な変化です。外部の資金というのは問題もありますけれども、これは後の方で申し上げます。ゼロだったものが一遍一定の量的な数字を持ち始めますと一人歩きを始めます。そのことは例えば軍事費の問題なんか完全にそうです。憲法九条によって日本は自衛のための戦力さえ持たない、これは当時の吉田総理大臣がはっきり言っていることであります。それがいつの間にか警察予備隊あるいは保安隊、さらに自衛隊ということでひとり歩きを始め、小型の核兵器だって持てる、そういうような恐ろしい見解さえ出ているというぐあいになります。したがって、このゼロが三%、これがやがてどういうような数字になるか。先ほど申しましたように、この法令案自体で言うと、むしろ特別貸与と一般貸与と逆の形になっておりますから、財政的な理由でもっていつどうなるか、これわからぬ。決してそうじゃない。一般の第一種の方が根幹で第二種の方がむしろ補足だ、補完だということを衆議院の方で何か附帯決議をなさったと聞いておりますけれども、附帯決議なるものがいかに無力なものであるかということは、先ほど申しました私学振興助成法の当参議院文教委員会の附帯決議、あれが如実に示しております。これが第一点。  それから第二点としまして、ちょうど、ここに出席せいということで、いろんな参考資料を送ってくださいましたけれども、この参考資料を見ましても、例えば主要国における公的な育英奨学事業、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ等並べてありますけれども、これを見ましても、大体諸外国育英制度奨学制度というぐあいに言った方が正確かと思いますけれども、給費制が根幹であります。貸与制はごく一部というぐあいになっております。しかも、この額あるいは受給者の比率、これはもう日本のGNPなんかのことから考えましたら、まるっきりけた違いというふうに考えざるを得ないですね。そういう状況の中で、さらに利子をつける、これはとんでもない話であります。これが諸外国なんかと比較しての第二点。  それから第三点としまして、例えば外部から、財政投融資等から資金を仰ぐ、一般会計では非常に財政が厳しいから外部から仰ぐというようなことで、それは当然利子がつくから、利子をつけるというような話が出ておりますけれども、外部から持ってくるお金には利子がついているということと、それをストレートに今度は借りた人間が利子をつけて返さなきゃいかぬということは別な問題であります。これは例えば利子補給、そういう形で行いましても、六十数億の三%ですから、たかだか二億のお金です。そういうようなものについて利子を、先ほど言いましたように、質的な変化を伴う形で導入をするというのは非常に大きな問題だろう。戦後、大蔵省の預金部からの資金育英会が運営されたことがありました。これはGHQの指令によってストップされました。あのころは利子がついているお金を借りながら無利子で貸していたというぐあいに私は理解しております。それがストップされたために現在あるような国庫からの、一般会計からのお金が出るようになった、無利子でですね。という経緯から見ましても、利子がついたお金を借りるから、これどうしても利子をつけて返さなきゃいかぬというぐあいになるというぐあいには考えられません。まして、財政の仕組み、これは例えば先ほど申しました軍事費一つ見ても非常に大きなからくりがあります。後年度負担という形で軍事費自体も非常に大きなごまかしがあったり、いろんな問題点があります。したがって、先ほど申しましたように、財政窮迫というのは、私は格好をつけて窮迫というぐあいに言わざるを得ないというぐあいに思います。  それから第四点、これはもう先ほど触れましたように、第一種あるいは第二種というのは実はもう逆になっておりまして、この点は、今後の運営なり財政状況によってどういうぐあいになるかわかりません。非常に危険な要素である。  以上、るる申し上げましたけれども、この制度趣旨について「国家及び社会に有為な人材の育成」という、そういうこと自体もう一遍根本的に、せっかく、戦前の、そういうような趣旨の規定を変えるわけですから、御検討いただきたいということと、有利子については、これはむしろ時代逆行であるというぐあいに言わざるを得ない。私は、当参議院は良識の府である、あるかどうかは、その辺よくわかりませんけれども、少なくともあるべきであるというぐあいに考えております。そういうところで、後世の歴史家によって、時代逆行である、そういうような法案が制定され、検討されたというようなそしりを受けないよう、どうぞ慎重な御審議をいただきたいというふうに思います。  以上で意見を終わります。
  117. 長谷川信

    委員長長谷川信君) どうもありがとうございました。  次に、杉原参考人お願いいたします。
  118. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 城西大学の杉原と申します。  教育行政学を専攻しておりまして、特に教育基本法の研究を手がけておりますが、教育経済学ないし教育財政学も教育基本法観点から避けられない問題ですので、関心は持っております。たまたま属しております大学の学部が経済学部でありますので、経済学など同僚に教えていただきながら、多少原理的なことは勉強いたしました。しかしながら、お隣の尾形先生ほどの専門家ではございませんので、その点は御容赦いただきたいと思います。したがいまして、原理的な観点からだけ、参考人意見として述べさしていただきます。  それで、原理的な観点ということで、経済成長と教育費の関係を述べさしていただきたいと思いますが、本来教育と経済がどのような関係にあるかにつきましては、教育を投資的に見た場合に、一般に経済成長に伴って教育の量は増大いたします。なぜならば、経済成長は生産技術が高度化して、その維持、伝達のために教育がより必要となってくるからであります。それから教育を消費だと見る場合も、経済成長をすると経済生活にゆとりが出てくるわけですから、そのゆとりの一部が教育に当てられて、やはり教育の量は増大します。要しますに、経済成長をすれば一般教育は量的に増大することになります。  さて、このように増大した教育はだれがその費用を負担するかという大変複雑な問題になるわけですが、教育意味や効用、それから国民性も考えまして、この複雑な問題は考察をしなければならない問題であります。それを単純に教育経済学的に見ますと、だんだん個人負担は困難になって社会的負担が増大するという方向性があることを指摘できます。  これにはおもしろい研究がありまして、これは国立教育研究所の市川昭午氏らが研究されたものですが、小学校児童一人当たりの費用——教育費ですね、教育費が明治二十三年から昭和三十五年までの七十年間にどれだけ伸びたかを比較したものです。これを消費者物価指数で換算してみますと、この七十年間に九・三八倍になっております。つまり、日本の小学校児童は明治二十二年から昭和三十五年の七十年間に一人当たり九・三八倍のぜいたくな教育を受けるようになったわけです。  ところが、よく御存じのように学校の費用は約半分は教職員の給与費で、昭和三十五年の場合は六三%がそれに当たっております。その次に施設費というものが大きく占めております。そのほかに維持運営、設備備品費がかかるわけです。そこで、これらの費用をそれごとの物価指数で換算してみます。つまり市川氏の研究では、教育費は製造業総合貨幣賃金指数で、それから施設費は非住宅建物建設物価指数で、その他維持運営、設備備品費は消費者物価指数で換算をしています。そうして明治二十三年と昭和三十五年を比較しますと、そうすると何と一・九三倍にしかならないわけであります。つまり、明治二十三年に対する昭和三十五年の小学校児童一人当たりの費用を消費者物価指数で換算すると九・三八倍、給与費等内容別に換算して比較すると一・九三倍にしかならないわけであります。  これは何を物語るかといいますと、経済成長をして、一般の消費者物価は、インフレで見かけは高くなりますが、教育費はさらにそれを上回って上昇しているということです。    〔委員長退席、理事杉山令肇君着席〕 要するに、一般の消費者財は生産性の向上によってそれほど値段は上がらないんですが、一人の教師が何人かの児童を教室で教えるという教育の形態は一向に生産性が上がらず、一般の消費者財の中で教育費は相対的に高くなっていくということであります。つまり、一般の消費者財の中で生活している一般国民にとっては、教育は相対的に高くなって、個人的に負担しにくいものになっていくということであります。つまり、経済成長をすると、教育は社会的に見たときに、その量は増大するのですが、その教育を受ける個人の側からはだんだん負担しにくいものになるわけです。一見すると、経済成長をすると国民の経済力は大きくなるわけですから、一層負担しやすくなるように見えるのですが、日本教育財政史を見ましても、昭和四十年代前半の高度経済成長のとき、一方では高等教育等、教育は量的に増大しながら、同時に私立大学の授業料がどんどん値上がりをし、私学助成の制度を明確に打ち立てなければならなくなったのは如実にそのことを物語っているわけであります。もっとも、経済成長どこの教育費負担の関係は、大まかに言って言える一つの傾向でありまして、細かく見ればまたいろいろ言うべきことはあります。  ともあれ、以上の経済成長と教育費の関係から、奨学金の問題に移りたいと思います。今問題になっている奨学金は、事実上貸与ですから、意味合いは違っているとも言えるのですが、広い意味ではやはり公費助成の一環であり、したがいまして、このような奨学金も経済成長とともに拡充していかなければならないだろうということは十分推定できるわけであります。事実、昭和十八年、日本育英会が発足して以来、今日まで拡充の一途をたどってきたわけであります。しかし、この際注意すべきは、奨学金のみを見ていましては、かえって奨学金のことがわからなくなることであります。先ほど私学助成のことを述べましたが、考えてみますと、私学助成は、私学に通う学生、生徒全員に対する給費制の奨学金という意味合いになります。日本は、昭和四十年代前半経済成長が急速であったため、奨学金制度拡充よりも私学助成という形をとったわけですが、このとき経済成長の速度がもう少し緩やかであったならば、私学助成の制度拡充よりも、私立学校学生、生徒に対する奨学金拡充という方向をとっていたかもしれません。  いずれにせよ、経済成長をすれば教育に対する広い意味での公費助成は拡大するわけで、今、日本では、大きく見ると、奨学金と私学助成の両方から攻めているということになります。  しかしながら、次に考えていただきたいことは、この公費助成の限界です。やはり財源は国民の税金によるもので有限なものであります。経済成長とともに公費助成は拡大するといっても、それは、そのときどきの経済力によって限界があります。現在、財政再建と称して奨学金に関する政府貸付金一般会計からの増大はとても無理だというのは、そのことをあらわしております。そこに一定の限界が出ているということであります。    〔理事杉山令肇君退席、委員長着席〕 理想論を、一方向性を持って理想論を説くことは簡単ですが、国民の生み出した有限の資源の中で、より妥当なことを考えるわけですから、このような枠を抑えていかなければ国民を説得することはできないわけであります。  そこで、私の意見結論を述べなければなりませんが、このたびの日本育英会改正案では、奨学金のさらに一層の拡充を図るためには有利子制度を取り入れて、外部資金を活用し得るようにしているわけです。  ただ、この際、昭和五十七年七月三十日の臨時行政調査会の勧告についてですが、そこでは通常の意味における有利子化への全面転換とも読み取れる勧告をしております。これは大学のあり方などを根本的に考えた上のものではなく、それほど理論的な根拠があるようにはどうしても思えません。  これに対し、昭和五十八年六月二十八日の育英奨学事業に関する調査研究会報告では、無利子制度を国の育英事業根幹として存続させるとしており、また有利子制度も返還可能な範囲で考えれば三%にとどめることは、ある程度必然であり、また、そのような観点を踏まえて改正案実施の準備はなされているようですが、その意味では返還可能な範囲の貸与という育英事業の一貫性があるわけです。もし、このような無利子制度根幹とするとか、利子率を三%にするというような保障がはっきりするならば、従来の国の育英奨学事業とそれほど大きく転換しているとは考えられず、従来の延長の量的拡大というようにも見えなくはありません。  今の日本育英会の事務能力、事務体制から見ましても、将来民間教育ローンと競合するような事業を、例外的にはともかく、大々的に営むことはおよそ考えられません。そして、改正案第一条の目的の規定からも、そのようなことはできないものと思った方がいいでしょう。その意味からすれば、有利子化の利子率三%は無利子制度根幹とする場合、ほぼぎりぎりのものと言ってよいものであり、したがいまして、そのときどきの財政事情や経済事情によって変化させるべきものではありません。また、変化させたところで、返還は長期にわたるものですから、そのときの財政事情や経済事情の好転に貢献するとは少しも考えられないわけです。やはり、一旦、決めれば長期的に固定すべきものということになります。ですから、問題は法文上、無利子制度根幹にするとかいう保障がはっきりしていないことであります。利子率も、事実上三%前後に固定化するものと考えられるにもかかわらず、その保障が明らかになっていないことです。その点で、政府はこの改正案を出されるに当たって、これらの保障を何らかの形でもう少し明確にされた方がより賢明であったと思います。  その他いろいろ述べたいことはありますが、ひとまず割り当ての時間がきましたのでここで切り上げさせていただきたす。
  119. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 次に、伊藤参考人お願いいたします。
  120. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 私は、立命館大学学生部厚生課長であります。事務職制ではありますが、ここに来ておりますのは大学の見解を述べるということではなくて、私個人の意見を申し上げるということで最初にお断りしておきたいと思います。  なお、職制であるにもかかわらず、このような場所に出席をいたしましたのは、直接担当であります私の職場のかかわりで、学生実態を知れば知るほど、今回の法案が質的な後退を招くという点で、やはり、これはもう賛成しがたいということに私どものところでは非常に強く感じまして、ここに出席したわけであります。特に、現場の実情を十分御承知いただいて、当面の緊急措置をとっていただきながら、十分関係者国民の納得いく御審議お願いしたいと思います。  それで、私は主として実態の点からこの法案をどのように見ていったのかということを中心に申し述べたいと思います。  第一に、奨学金は生きているということを、本学の実態から申し述べたいと思います。  その一つとして、私のところで行っておりますアンケートがおよそ三種類あるわけですが、一九八二年度卒業予定の奨学生アンケートから若干御紹介をしたいと思います。これは八一年十一月に、四百八十四名、回収率五二・二%で、記述式の回答であります。  まず一点目として、奨学金の使途であります。ここではどのようなことになっていますかと申しますと、学費が三七%、下宿代などの生活費三七%、教科書、教材、書籍等が一八%、サークル活動二%、趣味、レジャー費六%というわけであります。いずれにしろ、学費、生活費、教科書などで九二%に上るわけであります。ここで、趣味、レジャー費などについてはわずか六%にすぎないということを御留意いただきたいと思います。  二点目には、奨学金がどのような点で役立ったのかということであります。記述式の回答の中から、特に精神的側面の評価という点で上位二つをとってみますと、これは前年度に比べてみましても、さらに感謝の気持ちが一層強くなっているというわけであります。そして、経済的な側面上位三つをとってみますと、単なる経済的な援助以上に、非常に効率的な使い方をして有意義な学生生活を送れたといった点が大変急上昇しております。八一年度の一一%から二七%であります。  次に、全体として、記述式の回答の中では、増枠や増額要求というのが八一年に比べて、これは三分の二近くに減っておりますが、逆に、臨調の動向を批判的に見ながら、自分はこの制度がなければ学び得なかった、ぜひ後輩のために、日本の発展のためにも絶対後退させないでほしいという意見が大変増加をしております。そして、文章の中には、私が読んでみましても、思わず熱いものが込み上げてくるような文章が幾つもあり、本当にやっていてよかったとつくづく思った次第であります  次に、その二としまして、一九八三年度の二、三回生在校生奨学生アンケートから御紹介いたします。これは、八三年の十月に、千四百五十九名、回収率九二・六%からマークシート式で回答を得ております。ここでは、特に同じ十月に実施いたしました本学の全学学生実態調査と比較しながら、若干特徴点を申し述べたいと思います。  まず一点目でありますが、家庭の年間所得です。これは、とりわけ三百万円以下という大変厳しいところで見てみますと、奨学生は何と五四%に上ります。ところが、全学のところでは一二%にしかすぎません。あと刻みがちょっとありますが、省略をいたしまして、もう一つ五百一万円以上、これが一番上の刻みでありますが、奨学生のところはわずか四%を割るといったような状態であります。逆に、全学のところでは約四八%ということで、このような数字を見て一遍におわかりかと思いますが、全学に比して奨学生の家庭が圧倒的に厳しいと、こういうことが明らかと思います。  二点目は、学費、生活費負担及び仕送りの状況という点であります。特に学費の負担のところで、家族が全部という部分と家族が大部分というところを見てみますと、奨学金を受けている学生は約六六%に対して、全学の方では九二%に上ります。生活費負担では、家族が全部と家族が大部分というところで見ますと、奨学生はわずか二二%を切るという状態でありまして、全学のところでは約六〇%と、もう大変大きな差がここで見られます。もう一点つけ加えますと、仕送り額でありますが、六万一円以上というのをとってみますと、奨学生は五%を切るという厳しい状況であります。これに対して全学のところでは約五七%と、こういう数値が出ております。  以上のようなことから見てみましても、全学のところから比べて奨学生の肩にずっしりとこの負担がかかっているということは明らかであります。  三点目として、アルバイトの理由というところでの比較を見てみました。学費などの補助と日常の生活費補助という部分でありますが、奨学生は約七〇%、それに対して全学は約四四%弱であります。もう一つの項目、レジャー、耐久消費財で見てみますと、奨学生は約一八%強、全学は三九%強ということであります。これは先ほどの所得と負担の状況からして、当然アルバイトの理由も大きく違ってきているということになります。  全体として四点目、奨学生は、幾つかの項目を見渡してみますと、勉学の姿勢が非常に堅実である、あるいは自習時間も非常に長く、単位もよくとって図書館もよく利用すると。そして将来進みたい分野は何かという項目でいきますと、全学と奨学生で一番大きな差が出てくる項目でもあるわけですが、教員、研究者というのが二三・四%あります。これが全学と比べても一番大きく違うところであります。一言で言って、やはり奨学生は非常によくやっている、すぐれているというように言って間違いなかろうと思います。  次に、三つ目の調査から述べてみたいと思います。  これは一九八三年度日本育英会奨学生の一回生一次出願者の家計収入調査からであります。少し古いですが、国民の家計所得の十分位を援用しながらすべて分けて統計をとったわけであります。特に六学部ありますうちの三学部をとって見てみましたが、時間の都合がありますので、三つのポイントだけ申し上げたいと思います。  一つは、いわゆる課税最低限に近い二百五万円という第一分位のところであります。そして二つ目には五百七万円、これは第七分位になりますが、ほぼ日本育英会の有資格かどうかというところに当たるかと思います。そして七百四十万円以上、これが第十分位というわけであります。これで見てみますと、一般奨学生の場合は二百五万円未満が約二三%、五百七万円未満で七五%、七百四十万円以上でわずか三・二%というわけであります。特別奨学生のところでは、二百五万円未満が二五%、五百七万円未満が約八九%、七百四十万円以上は〇・六%にしかありません。そして推薦漏れと失格者の点で、二百五万円未満は六・四%、五百七万円未満が二六・九%、七百四十万円以上が二二・一%というわけであります。これを押しなべて見てみますと、実に一番厳しい層に非常に正確に奨学金が渡っているということは明白であります。そして成績基準による失格者はこの中で約二七%もあって、特に二百五万未満層でだめになるといった場合が六%強もいると、この点に注目をする必要があろうかと思います。  なお、やむなく一般の方に、特別を本当は渡したいんですが一般に回さざるを得ないという事例のあることもつけ加えておきたいと思います。さらに、七百四十万円以上のところでも多額の住宅ローンなどを抱えて可処分所得は低い、大変苦しいというように感じている学生も多いということもつけ加えておきたいと思います。  以上、私ども三つの調査、新入生、在校生、卒業回生、こういった調査と窓口での面接などを通して、本学の場合は経済条件の本当に厳しい有資格者にきっちりと奨学金が交付されているし、奨学生もまたその趣旨を十分生かして有効に活用しながら、卒業するときには感謝とともに後輩にもぜひこの制度を残して、後退させてはならないということを願いながら、また社会に出てからは大いにその奨学生であったことを確信して役割を果たしていこうとしていることは明らかであります。  以上、奨学金は生きているということを確信を持って申し述べたいと思います。  続きまして、第二点目としまして、このような奨学金を生かしてきたという背景について少しだけつけ加えておきたいと思います。  私どものところでは、一九六三年の学園の長期計画を立てましたときに、相対的低学費政策というのを定立をしたわけであります。このことから、相対的な低所得層が入りやすい、したがって教育機会均等の一側面をできるだけ実現したいということをとりました結果、またこのことが日本育英会の有資格者を大変たくさん引きつけているということになっているかと思います。ここに私たち厚生課のところで日本育英会奨学金根幹としながら本学独自のものもつけ加えて学生生活の全うを図るといった姿勢が生まれてきたわけであります。特に、一九八〇年度の新入生から、いわゆる低所得層調査をやってきております。これは一回生の間に集中的に日本育英会などの制度に結合して早く生活の見通してつけようといったことをやってきたわけであります。  ちなみに、八三年度の昼間部、一部の方では六百五十一人、一六・一%に上り、そのうち日本育英会には三百十三人、四八・一%、学内学費貸与制度に六十七人、一〇・三%を結合させて見通しをうんとよくしてきております。  第三に、ここから先の見解になるわけですが、先ほど申しましたようなところから、現行の制度を守り発展させるということを強く望みたいと思います。  ここも若干実態から述べていきますと、その一つとしては無利子のこの制度を維持していただきたいということであります。  まず一点目ですが、いわゆる相対的低所得層の調査でリストアップをして第一次に応募しなかった者をずっと呼び出して事情聴取をしておりますと、無利子でも借金であって、借金はよろしくないという哲学を持っておりまして、質素な生活とやっぱり考えてアルバイトをやっております。  第二点目、女子学生の場合ですが、特に借金を抱えては嫁に行けないと、こういうことで借りないと、しかも母子家庭にそういった例が非常に多いというところが大変厳しいところかと思います。  第三点目は、アンケートからですが、有利子なら奨学金を受けないかという点では、もう明らかに受けないという意思表示が大変たくさん出されております。  四点目には、幾つかの府県育英会のところでは、日本育英会に準じて運営を行っております。したがって、ここで有利子制度等が導入されますと、全国的に非常に大きな波及効果をもたらすんではなかろうかと憂慮をしております。  五点目には、日本育英会と本学の学費貸与を併用した場合ですが、これは現在でも最高五百万円近い借金になります。これは初任給の動向から見ても、どうしても債務過多になる。その上に利子がつきますと、これはもう完全に返済できないし、返済できる者しか借りられないという点で、この制度から離れていくんではないかと思っております。そしてアルバイトなんかで非常に勉学に支障を来すんではなかろうかということで、むしろ給費制の導入こそ検討をしていただきたいと思います。  その一としては、成績基準の引き上げということは、これはやはり足切りになるという点でぜひやめていただきたいというように考えます。  先ほど申しましたようなことでありますが、最も憂慮しますのは、経済事情がよくないから高校以下のところで三・五未満になっているという層が大変たくさんおりますが、ここが切り捨てられるということで、むしろ、私どものところから見てみますと、三・〇への引き下げ等、これこそ検討をしていただきたいというわけであります。  なお、人員枠で削られるならともかく、門前払いで今後成長の可能性を閉じてしまうという点については、やはりこれはいただきかねるということであります。  その三としては、経済基準や学力基準、いずれにつきましても基準に少し満たない、しかし、本当に必要とすべき、考慮すべき事情の者がおりますので、こういった点については大学推薦の基準について余裕を与えていただいて、有効に活用されたいということであります。  最後に、私が申しました見解は、ひとり私どものところだけではなくて、既に関西学院大学さんが学長要望書ということで八三年五月二十六日に文部大臣日本育英会理事長に出しておられます。また、関西大学さんも要望書を八二年の十二月二日と八四年の一月二十四日に出しておられるということから見ても、広く大学関係者の声でもあるということをつけ加えさしていただいて、発言を終わります。
  121. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 以上で参考人からの意見の聴取を終わりました。  これより質疑を行います。  なお、参考人の皆様に申し上げます。  各委員質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、お答えは簡潔にお願いいたします。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  122. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 四人の先生方、どうもありがとうございます。  奨学金に対する学生及び社会、それはいろいろな層を含めてですけれども、それを受給しながら学校を出たということに対する評価を、どのように皆さんは受け取っていらっしゃるかということであります。  例えば、旺文社の大学紹介、この本を見てみますと、何々大学こうこう、いろいろな紹介がありまして、奨学生受給者○○名とこう書いてあるわけですね。つまり、この大学へ行きますと、奨学生はこのくらいの人たちがいるんですよということを、名誉に思っているのか、どういうふうに思っているのかわかりませんけれども、大変大きなウエートを占めて紹介をしているということがあります。  それから、例えば外国でいいますと、今、アメリカで民主党の大統領指名がいろいろ出ておりますが、あの副大統領候補になりましたフェラーロ女史の紹介なんかもちゃんとテレビの中で○○奨学金を受けて大学を出たというふうに、奨学金というものを受けて学校を出たということが高い評価を受けているようでありますね。西部のケリーさんなんかも奨学金大学を出たと、こんなことも紹介されているわけですが、そういうものに対する評価がどういうふうになっているかということが一つ、これは全員にお伺いしたいと思います。  楠山先生にお伺いしたいのは、現実的な対応であって賛成だと、こうおっしゃるんですね。財政困難な状況である、そして財政困難な状況だから、なかなか枠も拡大しないし、額も上がっていかない、充実していかない、だからこの法案はやむを得ないというふうにお考えになっていらっしゃるようです。しかし、私ども奨学金というのは本当は貸与じゃなくて給付であるべきだ、こう考えているんですが、その貸与の中に有利子制が導入をされてきたということは、基本的な問題だというふうに考えているんです。先生は、やむを得ないというのは財政上の問題だとすれば、この財政が好転した場合には、この辺は見直していくということについて、どのようにお考えになっていらっしゃるかということをお伺いいたしたいと思います。  それから、尾形先生ですけれども、尾形先生は先ほど経常費助成よりは学生個人に対する助成というものをもっと重視していいのではないか、この辺をもう少し詳しく述べていただきたいと思います。先生、また学校で公開大学なんかやられて、特に主婦の方々が集まっていろいろな意見なんかも直接ぶつけていらっしゃるようでありますから、昔、なかなか大学にも入ることができなかった、制度そのものもなかった女性が、一体、こういう大学入学に対してどのように考えているか。もし、そのときに奨学金などというものがあったらどのように自分たちの人生が変わっていったかなどということなんかもお話を伺っているかと思いますが、お伺いをしたいと思います。  それから、杉原先生ですけれども、大体やむを得ないのではないかと言いながら、法制文の中にやっぱり三%はもうきちんとして明確にしておきなさい、つまり、低利を明確にする必要がある。それから、無利子根幹にしていくんだという、ここのところを法文の中で明確にしていったらいいのではないか、こういう御意見でありますが、なかなかそれが入らないから今、国会の中で難航しているわけでありますね。  先生も、私は楠山先生と同じように、基本的にはやっぱり今の無利子貸与、この制度よりは今回の法案は改悪をされているんだというようにお考えになっていらっしゃるのかどうか、そこをお伺いしたいと思います。  それから、伊藤先生、大変具体的な資料などいただいて、本当にもう奨学生がどのように奨学金を有効に使い、そして人生を学び取っているかという御報告をいただいて感動したわけでありますけれども、今度、無利子が九千人減るわけですね。具体的に立命館にもその割り当ては減らされていくということになりますね。そうすると、有利子の部分がふえるわけでありますから、奨学生は全体としてふえるかもしれませんけれども、その無利子有利子に対する生徒の物の考え方は一体どうだろうかということであります。特に、この資料の一番最後のところに、推薦漏れ失格と、こうあります。一般奨学生で失格したのか、特別奨学生で失格したのか、この辺は明らかでないのでわかりませんけれども、多分、これは二百五万円未満で失格になったということは、学力基準が悪いというように理解をしたらよろしいのか、あるいは医学部に行っている子供でも、三千数百人も奨学金をもらっているわけなんですね。医学部に行けるということは——これは私立と国立明確にしてくださいと言ったんですが、なかなか明確になりませんで、私は言えないんですけれども、相当の資金がなければ行けないわけですが、そういうところでも奨学金が必要になっている。いろいろとお伺いしますと、医師の優遇措置というのがありまして、七二%の優遇措置がありますね。それで適格基準にすっと入る、サラリーマン大変不満だと、こういうことがいろいろ出されておりますけれども、実質的な生徒の状態などについてもう少し詳しくお伺いをしたいと思います。
  123. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 最初に、社会がどのように評価するであろうかということにっきましては、それは一般的には、個人については、彼が奨学金を受けたのかどうかというようなことを、その周辺の人間がそれほど知らないでいるのが、私の知る限りでは、ほぼ実情ではないかと思います。  それから、今度は御本人がどう思うかということでございますけれども、それは先ほどこのデータにもございましたように、例えば奨学金に対して感謝をしたり、あるいは自覚、その励みになるというような気持ちであるという人が多いということでもあるわけでございますから、そういう意味で自分が進んで社会の中でもって、一層、社会に出ても、そうした奨学金によって自分が学習をしてきたということに対する大きな一つの支えになることもあるのではないかと思います。  さらに、つけ加えて言えば、私は教育というのは自立をしていく、あるいは自立を求めていく、そういうことの一つ過程であろうと考えます。その意味教育費というのはその自立を促す必要経費であるというぐあいな言い方もできるのではないかとも思っております。そうしますと、みずからが自分の教育をする、自分が学習をしていく費用をみずからが後で賄っていくということを考えていくということは、マイナスばかりではなくて非常にいいことでさえあるというぐあいに考えます。そういう自覚というものがより学習社会というものを拡大していく一つの原因にもなる。これは付随的なことでございますけれども、結果としてはそういう効果もあるであろうというぐあいに考えるものであります。  それから後の方の、じゃ現実的に対応云々ということで、経済的な問題ということでございますけれども、これはもちろん一般会計その他の財政事情が許せば、その面の、今、根幹と申しますか、中心というか、在来の形でございますね、そうしたものを拡大していくということを考えられてしかるべきだと思いますし、ただし一般会計というのも、打ち出の小づちでない限り、やはり無理である。  それから、もう一つは、先ほども申し上げましたけれども機会均等ということからすれば、やっぱり高等教育ということで見れば五〇%は行っていないわけですから、その全体として公的な税金をいかに使っていくかということからすれば、やはりそこにある種のバランスを考えた施策が考えられなければならないんではないか、そういうぐあいに考えます。よろしゅうございましょうか。
  124. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 旺文社の評価というのは私拝見してないんでどういうような内容なのかよくわからないんですが、育英会奨学金を受けて大学を出たというようなことを非常に評価しているわけですか。
  125. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 いえ、数字が載っているということです。
  126. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) つまり、育英会にせよあるいは諸外国奨学金なんかにせよ、どういう制度でどういうような奨学金なのかということによって評価する、しないが違ってくるんじゃないかというぐあいに私は考えるわけですね。  先ほど申しましたように、育英というか、国家、社会−括弧つきで私は言いたいと思うんですが、に有用なそういう人材をということで、成績の優秀なそういう人間にということで、そういう人間が大学を出て名をなしたとか立身出世をしたとかいうような形で評価するのであれば、私はもう全然おかしいと思いますね。むしろ、今のお話にも出ましたように、高等教育人口、たかだか三分の一、専門学校含めて半分しかいないわけですから、そういうような人たちが残りの人たち——三分の一あるいはほかの半数、全体の人たちのためにどれだけなる人間になって育ったのか、そういう人たちがどれだけいるのかということでの評価が、例えば奨学金もらった人たちがそういうぐあいになっているというような話でしたら、私は、それは意味があるというふうに思います。例えば、先ほど申し上げましたように、障害者とかいろんな、いわゆる日の当たらない、そういう部分の側に立つ、そういう人たちの側に立つ人として育つという人たちがこれだけいるというような数字が、例えば今言ったような数字で出てくるのならば一定の意味があるだろう。そうでなくて、これだけの人間が奨学金を受けて大学を出たとか、それだけの人間が優秀であるとか云々とかいうことであれば余り意味はないだろうというぐあいに私は考えます。  それから、後の方の点なんですが、これは先ほどちょっと触れましたように、実は現在の経常費補助、いろんな矛盾を、これはもう改めて申し上げるまでもなく抱えておりまして、いわゆる一般補助、頭数方式ですね、教員一人当たり幾ら、それから、これは大学院あるなし、そのほかによって、あるいは学部、学科、性格等によって違いますけれども、あるいは学生一人当たり幾らという頭数方式でいきますと、最大の百数十億、黒字を出している大学は最大の百数十億補助金をもらっている、そういう話になります。  それじゃ、そういう頭数方式ではなくて、特別補助の方式で、特色ある、そういうような方向はどうか。これは、例えば臨調なんかの場合には、研究について私立大学が特色あるところをというような、そんな報告も出しておりますけれども、これは臨調なんかのは−これはこういう言葉を言ったら何ですけれども、ある自民党の文教委員の方が、あんなど素人が何を言うかという言葉を言っているんです。全く、ど素人だと思います。そういう人たち——必ずしも、専門がいいというぐあいに申し上げませんけれども、専門ばかということもありますから、そういうようなことで出てきたような方向、一体どうなのかという感じがいたします。  特別補助−話はちょっとそれましたけれども、特色あると、一体、何をもって特色あるというぐあいに言ったらいいのか。私なんか、例えば今ある一般補助については、これは先ほど申し上げました憲法二十六条の教育機会均等、これを中心にすべきだという考え方につなげて言いますと、大学の公開度といいますか、開放度といいますか、例えば立命館のように授業料の安いところ、それから都市の大学より地方で一生懸命苦労している大学、これは今度の特別補助に若干盛り込まれていることになりましたけれども、そういうところとか、あるいは開放講座そのほか設けて、あるいは二部を持っているところ、それから、二部も特に勤労者が多い、あるいは通信教育のあるところというような形で、国民に開かれた、その度合いに応じて傾斜配分をするという、そういう方向で一般補助というのを考え直してみたらどうかというふうに思うんですが、それを別にしますと、特色ある補助というのは、これはもう下手をすると、非常にそのときどきの考え方によって左右されやすい、ひもつきといいますと、そういうことになりかねないような要素を含んでいますね。したがって、特別補助というのも、これも考え方によっては非常に危険な財政誘導的な、そういう方向に持っていかれかねない要素を含んでいる。それから、さりとて一般補助ということで無難な頭数方式、これもやはり困るということになりますと、現在のアメリカでは、大体、原則的に機関の補助というのはないわけですね。ニューヨーク州なんか例外はありますけれども、大体が連邦あるいは州では学生の補助、いろんな形のスチューデンドローンとか、いろんな形でやっておりますね。ああいうような形で学生が自由に選べる。それで大学については、もうつくるも、それから、つぶれるのも、どうぞ御自由にという、そういうような形で、自分たちが望む大学学生が行く。そういう形で教育機会均等を保障するという方向に主力を置くというぐあいに考えるべきじゃないかということなんです。  以上です。
  127. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) それでは私の範囲内でお答えいたします。  まず、奨学金を受けている本人がどのように評価しているか、その受けていることの評価ですが、私はそういう現場を知っているわけでありませんので、それに対しては十分お答えできませんが、多少、高等学校大学状況が違うんではないかという、そういうことがあります。高等学校につきましては、この参考人として来るために衆議院の方の文教委員会の議事録も読まさしていただいたんですが、その中で出られた木宮参考人は、高等学校の場合は、奨学金を受けてくれる人を探すのに多少苦労をするというふうなことを言っておりました。したがいまして、高等学校ではむしろ受けないことに一般の関心があるということですか、そういうちょっと表現は適切ではありませんが。それから大学につきましては、これも、はっきり知っているわけじゃございませんけれども大学の場合は、応募者というか、潜在的な希望者が相当多いようであります。したがいまして、先ほども言いましたように、高等学校大学の場合、そしてなおかつ進学率が全然違いますから、事実上、高等学校は義務化しておるわけですから。そういうことの状況で、ちょっと一律には申し上げられなくて、また、事実違っていると思います。  それから、特に私に御質問いただきました有利子化の問題を改悪とか改正とかという、どちらとして考えるのかということですが、私は、先ほども申しましたように奨学金の、育英奨学事業拡充していかなければならない方向にあることは当然といいますか、言えると思っているんですね。しかしながら、財政状況においては、そういう限界がある場合、その限界を突破するためには、そういうふうな財政投融資金ですか、そういうものの活用というものもあり得るというか、いたし方ないといいますか、そういうことが言えると思います。そうすると、今度は利子率の問題ですが、この三%とかいうことは、どうも、返還能力ですか、そういうものを見越してつけたようでありますし、それから、もともと古いといいますか、現在の育英会法におきまして貸与して、利子をつけないで返すということも、本来は、経済状況によって貨幣価値が目減りするということを予定してつくったものではなくて、もともとは貸したものを貸しただけ戻していただくという、そういう趣旨だったと思うんです。それが外部の経済状況変化するために、例えば昭和四十六年から五十八年の十二年間にインフレ等のために百万円の価値のものが四十一万円に下がっているという、この十二年間にですね、実質的に。そういうふうな状況の中で、本来の趣旨はやはり実額を返していただくという意味だったと思うんです、本来はですね。これは利子をつけるよりも、例えば、これ、たしかスウェーデンでやっているんだと思いますけれども、スウェーデンでは、そういうふうに物価指数にスライドしまして、それで返還していただくとか、そういう制度があるやに聞いております。そういうことで考えますと、三%というのはそれほど過酷なものではないんではないか、そういうふうな気がいたします。これが六%か七%、さらに一〇%となりますと、これは商売上の利息でありますから、これはまた全然意味が変わってくるというふうに思います。  私は、たまたま大学の教員をしておりながら、今、ただいま奨学金を戻しております。それで、私自身が決して裕福なわけではありませんが、しかしながら、その返す額を見たときに、それが今の学生に多少でもプラスになるんであれば、不平を感じながら返すというのではなくて、一応返してもいいという、何となく自分としても納得のいっている感じで返しております。  以上です。
  128. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 最初に、奨学金を受けた者の評価でありますけれども、受けること自身は大学の名誉といった、そういったことは一切ないと思いますが、ただ受験をしようと、これから大学に行きたいという高校生から見れば、かなりたくさん奨学金が当たるような確率があればやっていけるんではないかと。やはり、高等教育、どういいますか、機会が均等に、少しでも分け合えるような、そういう点のやはり一つの指標になるというような点では意味があろうかと思いますが、特に大学としてそれが名誉云々ということはありません。ただ、私どものところでは、先ほどもちょっとお話があったように、奨学金を借りることが恥ずかしいという点についてはようやく克服をしてきて、特に低所得層で二次、秋の方で応募をさせるというようなこともかなりやっておりまして、応募した者は一〇〇%これはきちっと支給されております。  さらに、私どものところでは一遍決まればそれでよいということではなくて、本当に国民の汗が入っている、このお金を大事に使いなさいという点では非常に厳しい成績審査なんかを行いまして、警告等についての面接をかなりたくさんやっております。あわせて、すっといく、問題のない学生がありましても、こういう大事な制度を本当に自分で守り育てる、そういう主体者になりなさいよということをいろんな機会に申しております。  続いて無利子有利子の方でありますけれども、これは、かなり複雑なことが、やはりあるんではなかろうかと思っております。といいますのは、七九年以降、いわゆる基準が変わっておりませんので、そうしますと、だんだん経済基準で失格になる者がふえてきます。すなわち、ボーダー層はちょっとずつふえていくわけですね。そうしますと、ほんの少しの違いで、友達は給付受けたけれども、私はないと。何とかならぬかと。そういった層は、やはり在校時〇%、卒業後三%であったら、それでも借りたいという気持ちが、これないではないという点だけは一言申しておきます。  それからもう一点は、御質問の二百五万未満で漏れはと、これはもう明らかに経済基準では全く問題ありませんので、これはもう明らかに学力基準ということになります。この点で、やはり、医師はどうなるかという点がございますが、これまた控除額等が非常に違いますので一概には申せませんし、また聞き及んでいるところでは、慶應大学の方からお聞きしましても、たまたまタクシー運転手の息子さんが医学部に入っているとか、いろんなケースがございますので、余り私どもの、医学部持っておりませんので詳細はわかりませんが、やはり控除額の違いは大きいんではなかろうかというように考えております。
  129. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 ありがとうございました。  討論を酌み交わす時間がありませんので、じゃ、また質問だけにさせていただきますが。伊藤先生ですけれどもね。今、有利子になったら借りざるを得ない生徒は借りるのではないかというふうにおっしゃいましたけれども、それは相当ありそうな実態かどうか、勘でしかないと思いますけれども、お伺いをすると同時に、その奨学生の選考の方法がいろんな手順があると思うんですよね。具体的にどのようにしてやられてきたのか、ほかの生徒から見て不公平感がないような措置というものはどういうふうに行われているかということであります。  それからもう一つは、杉原先生のおっしゃった、高等学校においては、受けてくれる人を探すのに苦労すると、こう言われましたけれども、これはそうではないんで、本当は欲しいという生徒がいっぱいあるんですけれども、学力基準がなかなか高くて、三・五なんていうのはとてもじゃないけれどもやれない。また三・五とるような生徒は中学時代にもう塾に行ったり、家庭教師が入ったりして、成績がもう相当いいというような状況があって、そういう貧しさの中に、貧しいために、そういうところに行けなくて成績が下がった子供たちはもう受けられない。受けてくれないんじゃなくて、初めからあきらめているということの方が大きいのではないか、こう私は思いながら、もう一つ伊藤先生にお伺いしたいのは、母子家庭の話なんです。  それで、女子学生がなかなか奨学金を申請するのをためらっているという事実があると思うんですね。現に大学を見ましても、女子大あるいは女子がほとんどを占めているような学校においては奨学の受給率というのは一番下の方に行って、ほとんどないという実態があるんですね。結婚したら返せるだろうかどうかなんていう以前に、今、就職の入り口から、もう女子は就職の試験さえ受けさせませんなどというのがあるわけですし、昇給だって男子とは明らかに違いますし、国の、総理府の統計局の報告によりましても、男子と女子の初任給、大卒の中には六%も女子の方が低いという現実があるわけですから、さっと、お金借りて返すよりは、アルバイトして今のうちにというのがあろうかと思いますが、その辺の実態をお伺いいたしたいと思います。
  130. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 有利子でどれぐらい借りるか、これは大変難しいわけでありますけれども、例えば、この今の七九年以降の経済基準変わっていないということで、やはりだんだんと経済失格者がふえてきておりますので、そうですね。ごくごく勘で言いますと、有資格ではねられた者の一〇%ぐらいかなという、ごく大ざっぱな勘で申し上げておきたいと思います。  それから、手順のところで不公平感はないかどうか、これはよく新聞等あるいは税金のところでも問題にされるケースでもあろうかと思います。この点につきましては、本学の場合は大変厳しい内規で処理をしております。今ちょっと別の参考資料を持ってきているわけなんですけれども、例えばですが、お手元にちょっとお配りしてありますような、一番最後の資料、家計収入調査とこうありますけれども、こういった中で、本当は私どもの手持ち資料では、給与所得者とそれから自営業者とその他と、全部種別に、職種ごとに分けて実は統計とってありますので、その点でごく簡単に御紹介しておきますと、私どものところでは、自営業者の場合は、三百八万円未満で一般の場合も九五・四%の奨学生がどっと固まっています。ですから、三百八万以上のようなところの自営業者はほとんど渡らない。一般のところでもそういうことですから、特別の方でしたら、九一・五%が三百八万円未満に固まるということで、給与所得者と自営業者との差というのは、実は自営業者にさらに厳しく内規としては扱っております。したがいまして、本当にこんな安いので食べていけるのか、あるいはお金も払っていけるのかということもございますので、厳しく問い詰めますと、税務署以上に厳しいと言われるくらい、本当にここは厳しく取り扱っております。そういう点で、私どものところでは、結果としては、不公平だ何だということでの意見をほとんど聞いておりません。  以上です。
  131. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 女子の問題。
  132. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 失礼しました。  もう一点、母子家庭にかかわった女子の点でありますけれども、やはり、この点は、いろんな調査を私どものところでしておりますが、例えば、ことしの四月に入りましたところですが、この点で見ましても、厚生省の発表している母子世帯の比率に比べますと、大体倍に近い比率で母子家庭がございます。さらに夜間部、二部の方でありますと、母子世帯率、国民全体の中に比べましても、大体五倍ぐらいの高い比率でおります。しかし、そこもやっぱりなかなか希望してこないといいますのは、先ほどもちょっと触れたような点と、今、先生の御指摘の就職問題があろうかと思いますが、本学の場合は、かなり就職問題についてはいろんな段階で指導等も強めておりますので、やはり自立をしてきちっと就職をして返還をするという点で、教員、公務員等の志望者が非常にたくさんありますので、就職が困難だから余り出してこないという側面は相対的には少ないんではなかろうかと見ております。そういう点では、今後のところでは、むしろ高校以下までのところで、家の方で考えておられるような点をどう克服していくか、そういう点の方が大きいんではなかろうかと思っております。
  133. 山東昭子

    ○山東昭子君 ただいま、四人の参考人方々から、それぞれ貴重な御意見をいただいたのでございますが、育英奨学事業のあり方としてはいろいろな意見もございます。しかし、現在のような苦しい財政事情のもとにおいては、特に予算編成で厳しい抑制が引き続き行われることで、むしろ、貸与人員を減らされるのではないかという心配もございます。  そこで、楠山参考人を初め、各参考人方々にお伺いいたしますけれども、もしも今回制度改正を行わなければ、現在の国の財政事情のもとで貸与人員や貸与月額の増を図ることはできず、学生生活費の負担に苦しみ、より充実した奨学金の貸与を希望している多くの学生たちの期待を裏切ることになるのではないかと思いますけれども、実際に学生たちと接していらしての皆様方の御意見をお伺いしたいと思います。
  134. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 現状のままでは後退せざるを得ないのであろうと思います。そのことは、したがいまして、現在まで以上に厳しく、奨学金を受けたいと思う者に対して苦しい状況になるというぐあいに考えます。
  135. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 先ほど申し上げましたように、財政全体が実は問題でありまして、財政窮迫というのは括弧つけてやはり申し上げたい。GNPが世界第二位でありながら、先ほど見ましたデータで見ても、諸外国に比べてけた違いですね、文字どおりけた違いの奨学状況、これ一体どう考えたらいいのかというぐあいに思います。例えば、今もお話出ましたように、人数の増、あるいは増額、そういうことについても、外部資金をどうしても導入するというんなら、先ほど申し上げたように、たかだか二億ですね、三%で。当然利子補給をしなくちゃならぬ、それじゃ出てくるわけですね。そういう意味じゃ、絶対有利子化にしなければいかぬという必然性は何もなかろう。そういう上で、なおかつ拡充という方向をもう一遍、財政全体及び教育全体のあり方を見直す中で拡充十分できるのではないかというぐあいに思います。  以上です。
  136. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私も、先ほど述べましたように、全体として奨学生がふえるようにしていかなければならないことは時代的傾向から見てもそうだと思います。そのために経済の状況から、財政投融資のお金を使うというのも、これも私の見ましたところ、やむを得ないというふうに思っております。  利子のことは、先ほども言いましたように、今の三%であれば問題なかろうというふうに思います。しかしながら、それならばそれで、なぜ立法の過程において、長期低利であると、先ほど先生が言われたような趣旨であるならば、そういうものがなぜもう少し明確にできないんだろう、そういう趣旨のことは、そういう感想は持っております。
  137. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) この問題につきまして、やはり過去の日本の中でのいろんな逸話がございますが、米百俵というお話がしばしば引用されるかと思います。やはり、領民が飢えて死ぬと、そういった段階でも学校を建てて教育に投資をした、そういった経験もございますし、あるいは関西電力におられた芦原さんなんかは、百年先であればこれは人を育てようということはおっしゃっておられます。そういう点では、やはり、現在そこまで本当にこういった教育にかかわる議論が詰められていたのであるかどうか、その点では私どもまだまだ足りない。そういう点でまだ残念ながら教育改革ではなくて行政改革ということで余りにも話が進められ過ぎているのではなかろうかというように考えております。
  138. 山東昭子

    ○山東昭子君 今回の有利子貸与制度の利率は、在学中分は無利子、卒業後は基本的な貸与月額は年三%ということになっておりますけれども、こういう長期低利の有利子貸与制度を創設して貸与人員をふやすことについてどう受けとめられているのか。民間金融機関の教育ローンは年利一〇・五%と、非常に高くても借りる人は多いと聞いておりますけれども、それに比べ日本育英会のような低い利率なら喜んで受け入れられるのではないかと思うのでございますけれども、その点について、先ほど御意見を述べられた方もいらっしゃるので、楠山先生にお伺いしたいと思います。
  139. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 今は民間の奨学ローンというのが随分盛んになりました。これは私の記憶では、私大奨学事業というのが四十九年から始まったと思います。これはかの大学紛争が終わった直後から、やはりあれが、学費の問題というのが大変深くかかわっていたわけでございまして、そうしたことの検討の一つとして、学費をいかに賄っていくか。先ほども申し上げましたように、そういう意味から奨学金あるいは民間の奨学ローンというようなものも盛んになってきたものと思います。しかし、それと同時に、財投の資金を使って私立大学が個々に奨学金を設定をして、そして自分のところの大学学生に利用してもらうというような制度も設けられたわけです。しかし、これがなかなか伸展を見なかったようにも思うのでございますが、最近はややふえてきているというぐあいには聞いておりますけれども、その制度の場合には在学中は据え置きで卒業後は五・五%、返済期間十年間でございましたか、という制度であったと思います。それに比べればはるかに今回の在学中は据え置き、三%というのは楽なわけでございますし、それで私大奨学事業も、今後、有利子制度が導入されればその中に吸収をされていく。ただ、もっとも私大奨学事業の中には、入学一時金を支払うという仕組みがもう一つあるわけでございます。それは依然として残るようでございますけれども一般的な奨学金の方はそちらに吸収をされる。そうすれば、その部分も要するに在来よりはより拡充された形になるだろうと思います。  民間との関係でございますけれども民間の方は一〇%、あるいはたしか国民金融公庫が八・一%か何か、それが一番安くて、市中銀行、都市銀行が一〇・一%ですか、というぐらいだったと思いますけれども、これはやはり据置期間は極めて短いものは六カ月でございますし、そして五年ぐらいで償還をするという形ですから、ちょっと比較にならないんだろうと思います。  ただし、先ほども杉原参考人から御意見の中でございましたように、それと今回の育英会措置が競合するというようなことがあっては、またいけないわけですけれども、その辺はもう一つ育英会の奨学事業の場合には、先ほどからしばしば問題になっている成績評価というようなものが一つ加わってくるということになるんだと思います。この成績評価をどういうところでつけるかということには、私、多々疑問がございますけれども、目下のところは三・五とか三・一とかいう一つの平均、まあ五、四、三、二、一を平均したようなものでやっているということで、やむを得ないのかも知れませんけれども、将来、その辺には検討を加える必要がある。ただ銀行ローンの方はそういうものが一切ないということが条件だろうと思います。ですから、そこのところの関係というのは余り競合はしないのではないかというぐあいに考えます。
  140. 山東昭子

    ○山東昭子君 尾形先生にお伺いしたいのでございます。  今回の有利子貸与制度実施に当たっては、私立大学の医学、歯学、薬学系の学生については、学生納付金などが高いことが考慮され、学生の希望により増額した月額を借りることができることとしたり、特別に修学困難な学生に対しては、無利子貸与有利子貸与とを合わせて貸与することもできることとするなど、奨学金の額をふやすためにもさまざまな工夫が凝らされていて、従来より学生の要請に応じられるようになっているところでございます。  このような特別な配慮をすることは、現行制度の中では困難であり、今回有利子貸与制度を設けることの一つの大きなメリットであると考えるのでございますけれども先生の御意見はいかがでございましょうか。
  141. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) いろんな形で今までのものを多様化していく、そういう方向は大賛成です。むしろ成績ということを別にして、所得に応じて徹底的に逆傾斜配分する、そういう方向をもっと多様化して考えるべきだ。その一つが、例えば私立大学なり国公立なり、それからおっしゃられるように医科系なんかの場合、授業料非常に高いわけですから、そういう分についての配慮なりということを多様化して考えていくのは大賛成なんですが、ただ、それと有利子というものを抱き合わせにする必要は必ずしもないし、するのはやっぱり問題ではないかというぐあいに考えます。  特に、医大なんかについては、これは私は前から、先ほど申し上げました私学助成なんかの問題に関連しての持論なんですが、現在、私大助成については、御存じのように、医科系が一番一人当たりで言うと多いわけですわ。ところが、特に四十年代後半、雨後のタケノコのごとくできた新設医大なんかの場合には、ほとんど九割が医者の子弟です。しかも、医者が大体自分の子供を後継ぎにしたいといったのが九割。大体見合う数字なんですね。そういうところは何百万でも、ことに何千万あるいはひところは億と言われた入学金さえ出せる、そういうところなんです。そういうところに最大の補助金が投入されているというのは非常な矛盾なんですね。私は、これは仲間から時々おしかりを受けるのですけれども、医大への助成はストップすべきだ、むしろ、それじゃ学生はどうするのか、学生については、おっしゃられるようにもっと徹底的に、さっき言ったように所得に応じて傾斜配分する形でもって奨学金拡充する、そういう方向で考えるべきだというぐあいに思います。  いずれにしても、有利子化という問題と、それ以外に奨学金について多様化するという問題とは切り離して考えるべきであるというぐあいに思います。  以上です。
  142. 山東昭子

    ○山東昭子君 杉原、伊藤両先生にお伺いしたいんでございますけれども、いつも学生たちと接しておられまして、学生たちがスカラシップに対してどういう注文を持っているか、どういう注文が一番多いのかということと、貸与を受ける学生の選考基準というものが、法に定められたもの以外、それぞれの皆様方の学校ではどのようなことを念頭に置いて考えておられるのか、その二点をお伺いしたいと思います。
  143. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私はそういう実際の方のところには携わっておりませんので、的確なお答えはできませんが、学校の中で、何といいますか、不公平な感じで配分されているというふうなことは聞いた覚えはありません。  私の経験で多少申しますと、私は先ほど奨学金を戻していると申しましたけれども、あれは大学院でいただいた奨学金でありまして、私は昭和三十六年の学部に入ったときには、所得のすれすれのところで切られたといいますか、もらえなかったんですが、そのときに多少矛盾を感じましたのは、農家の方が、私の場合よりも少し低くて、その方がもらえるんですけれども一その所得の意味が全然違っているにもかかわらず、そういうことで一律に切られたということがありますが、これは最近、育英会の方も随分努力されて、大分改善されているように思います。  それで、この点は尾形先生と同じですが、やはりもう少し細かく、例えば今度の場合も二段階なり三段階なり、もう少し分けてやってもいいのではないか。最近のコンピューターとかそういうもので処理すれば、事務的には処理できるのではないか。昔のような事務の形式であれば、複雑にしますと大変な事務費がかかりますのでできませんけれども、現在なら、もう少し細かくできたのではないかという、そういうふうに感想を持っております。
  144. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 大学生奨学生の注文でありますけれども、先ほども何点か申しましたが、まだこれから受けたい、あるいは申請したけれども残念ながら枠があってだめだったといったところから、一番厳しく、何とかしてたくさんの人を受けられるようにしてほしいというのがやっぱり一番強い声かと思います。  なお、受けている学生から見てみますと、例えば、私どものところは学費が最近のところではスライド制をとっておりますので、やはり若干のスライドアップ額、そういった制度は設けられないかどうか、これも現に出てきております。  なお、有利子については賛成というのは、これは全くございませんでした。念のために申しておきます。  それから選考基準の方ですが、これも先ほど申しましたように、不公平感を学生の中ではできるだけ起こさないようにするという点でかなり厳しい内部基準で処理をいたしておりますので、大きく問題が出ているということではございません。特に自営業者といいますのも、かなり広く、商、工、農、水と全部いきます。しかしながら、先ほどちょっと税務署以上に厳しいという批判を受けだということを申しましたけれども、最近、たまたまある学生がトラブルに巻き込まれたわけで、そのときに、お父さんなんかから、こういう厳しい経済状況の中でどうだったのかと聞きましたら、もう入学のときから借金をしましたと。そのとき本当にこんなに厳しくしてよかったのかどうかということすら思うくらい私どものところではやっておりますが、これもやはりすべて、大きく日本育英会の増額、増枠、そういったことがなされておれば、特に七九年以降の基準の改正もやられておりましたら、恐らく救われたのではないかと、そういったことを感じております。
  145. 山東昭子

    ○山東昭子君 どうもありがとうございました。
  146. 高木健太郎

    高木健太郎君 今度の政府の、日本育英会法案改正の一番大きな点は有利子制の導入ということでございます。しかし、そのために無利子制の方が少し削られまして、全体としての量的の拡大はあった、この点は私は評価しているものでございます。ただ、有利子制を入れることによって現場の先生方がどういうふうにお考えになっておるか、その点をまず最初にお伺いしたいわけです。  例えば、有利子制を入れたために今までの奨学金というような概念が学生の中で変わってきたのじゃないか。あるいは有利子制を入れたために奨学金を借りたいという学生が減るのかどうか。または、将来、それを返還していく場合に、学生にあるいは家庭に大きな負担になるかどうか。現在のような、大体、日本では貯金も多いということも聞いておりますが、一方においては、先ほどお話しのように非常に家計の苦しいところもございます。卒業したからといって直ちに返還しなければならぬ、しかも、それが有利子制であるという場合に、かなりの負担になるのじゃないかなとも思いますし、要するに、有利子制というものを今度導入したことによって量的には拡大したけれども、そのために何かデメリットというようなものが考えられるかどうか、その点について御感想をまず皆さんから一言ずつお伺いしたい、そう存じます。  それから次は、これは伊藤先生にお伺いしたいわけですけれども奨学金を受けて非常に感激している、感謝の気持ちがあるとか、奨学金を受けたということによって学生に対して非常にいい影響を与えているというふうにお聞きしましたが、その奨学金を受けた生徒と受けない生徒というのを比べるわけにはいかないかもしれません。しれませんが、それを受けた人の学習態度というものはどういうふうであろうか、それから、それはどのように有効的に使われているか、あるいは返還に対して非常に負担を感じておられるかどうか、そういうようなことと、それから長く見られた統計的なものが、あるいはお調べになった調査の結果がもしおありになれば、そのフォローアップされたもの、学生はどういうふうになっているか、もしもそういう何か調査されたものをお持ちになればそれをぜひお聞かせ願いたいと存じます。  それから、これは皆さんにお伺いしたいのですが、各学校によって非常に違うと思うのですが、例えば国立の医学部というようなところでございますと、育英資金を申請した者のほとんど全部がもらえる。それほど裕福なのかもしれませんし、志願者が少ないのかもしれません。しかし、ある私立大学では六〇%ぐらい、あるいは五〇%ぐらいというところもあるかと思いますが、先生方の学校では大体どれくらいの申請が出てきて、それがどれくらい受給しているか、その比率はどれくらいになっているかも、もし御存じならばお聞かせ願いたい、大体の数字で結構でございます。  それから尾形先生にお聞きしたいわけですが、先ほど私学の国庫助成というようなものは、その哲学がはっきりしないと。まあ、哲学がはっきりしないというと、ほかのことにも哲学のはっきりしないものはたくさんございまして、これだけでは私はないと思いますが、そういう私学助成が何千億か出ているわけです。それが去年から減ってきたわけです。そうしますと、授業料が上がっていくのじゃないかなということが予想されるわけですが、そうなると私学助成というのもやっぱりあった方がいいのじゃないかという気もします。授業料が上がるというと、今度は、またその他の学費も上がる。これに対して学生の負担が、相当、また家庭の負担もふえるのじゃないかと思いますが、そういう国庫助成の類と、それから学生の負担というようなものについてはどういうふうにお考えか。  それからまた外国のこともお話しになりましたが、外国奨学金というのは非常に多いわけでして、総額も多い、それから一人当たりの額も多い、それからパーセントも多いわけですね。私は、日本と同じくらいの今財政の窮迫状態にあると思うのですが、どうして日本だけ一〇%ぐらいしかやってないか、どういう理由でこうだとお考えなのか。例えば外国では非常にファンドが多いわけですね。あるいは民間の寄附金が多いというようなことがあるかもしれません。先生のお考えは、どこに原因があるのか、同じように窮迫している国が非常にたくさん出しているし、日本では非常にそれが少ない、どこにその矛盾があるとお考えなのか、その点もしお考えがあればお聞きしたい。  最後にちょっとお聞きしておきたいことがございます。それは、外国人の学生が各先生方の学校に行っていると思いますが、その多くのアジアの優秀な、私は優秀だと思うんですが、優秀な学生は主としてアメリカヘ流れているんじゃないか。昔、日本でもいわゆる頭脳流出というんで外へ流れておったわけです。そういう優秀な学生がアメリカあるいはヨーロッパヘ流れている、これは私非常に残念なことである。特に、技術模倣の時代には、日本はこれで今まで何とかやってきた、しかし、新しい技術をつくっていかなきゃならぬというこの際に、そういう頭脳が外に流れていくということは、将来の日本にとって非常に憂慮すべきことではないかと思うわけですが、先生方の学校にそういうアジア諸国の学生がどれくらい来ておられるでしょうか。それから、その人力の生活はどうなんでしようか。また、国立では留学生会館というのはおいおいつくられておりますが、きょうお見えの先生は皆私学の方でございますが、私学ではそういう留学生を受け入れる施設設備というものがどういうようになっているんでしょうか。あるいは、その生活費の補助というものはどうされているんでしようか。あるいはまた、事務機構はどういうふうになっているでしょうか。国立大学では二百人ぐらいの留学生を引き受けているところがあって、しかも、事務要員は全然ふえていないということで、先生や職員に非常に負担がかかっているわけです。私立大学ではこれをどのように処理しておられるか。以上、五点ばかりをお聞き申し上げたいと思います。  よろしくお願いします。
  147. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 有利子への感想はどうかというお尋ねでございます。利子がつくより利子がない方がいい、貸与より給与の方がいい、これは当然のことだと思います。しかし、現実には、先ほどから繰り返し申し上げますように、打ち出の小づちではない限り無理でございますし、それから税金をいかに配分をしていくかという視点から考えましても、現行制度を大きく揺るがすことは無理ではないかというぐあいに考えます。そして、その中で有利子制度もやむを得ないというぐあいに私は思います。  それからもう一つは、留学生のことでよろしゅうございますか。私は、実は先ほども申し上げましたように全くの駆け出しで、玉川大学という大学の名前はついておりますけれども、実情についてほとんどまだ了知しておりません。一般論的に私が多少存じていることを申し上げますと、約一万人の留学生が私費、国費を含めて現在いる。そのうちの八割がアジアの留学生であるということは現実であるわけでございますけれども、しかし、どうも日本人全般のアジアの人々に対する関心と申しますか考えと申しますのは、そういうのが余り進んでいないというのが私の新聞記者時代の、実際、私体験としてもあるわけでございまして、それは個々の大学そのものはそういうことはないと思いますけれども、なぜ日本を通過してアメリカに行ってしまうのかというようなお話もございましたけれども、これは日本語の問題とかいろいろなこともあると思うんですけれども日本自身にやはり留学生を存分に受け入れる風土というものができ上がっていないという、それは大変残念なことで、そこらにも大変これから大きな力を尽くしていかなければならないのではないかというぐあいに考えております。以上です。
  148. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 御質問の第一点と第二点、第三点含めて関連しますのでお答えしたいと思いますが、御存じのように、文部省学生生活の実態調査等なんかによりますと、国立では第一分位から第五分位まで割と均等に学生が来ているという数字が出ておりますが、私立については、もう決定的に所得の差がそのまま進学の状況にあらわれているという状況があります。そういうようなことから考えますと、特に私立で第一分位、第二分位等の低所得層ですね。その辺あたりは、やはり先ほど来から話も出ておりますけれども、家庭の所得の低さがそのままいろんな受験そのほかについても非常に不利でありまして、どうしても、そういうところの進学が阻まれるという問題が能力、括弧つきの能力であるにせよ、能力等の以前にそういう状況がある。したがって、そういうところでは、初めから奨学金希望を出さないんですね。どうせ出してもだめだろう。これは御質問の数字、私手元に法政大学の数字持っておりませんけれども、近く、先ほど最初に申し上げました国庫助成に関する全国私立大学教授会連合会で、この九月に第三次の私立大学白書を出します。これ第二次白書四年前に出まして、そのときもそう、それからそのもう四年前も。今、御質問の各大学奨学生の受給状況等も各大学ごとに詳しく個別的に出します。それから、それを全部見渡しての分析も行います。今回、前回に比べて一体どういう状況になっているのか、まだまとまっておりませんのでわかりませんが、個別大学について全部出ます。全部というか、調査対象については全部出ます。もちろん、全大学、短大、悉皆調査じゃありませんから、お答えいただいた約二百ほどの大学、短大についてということになりますけれども、これ出ましたら文教委員方々もぜひごらんいただきたいというふうに思います。  それで、前回ので見ますと、圧倒的に、国公立に比べて、私立の場合、受給率が低いですね。この低いのも、今申しましたように、もう初めから、どうせもらえないだろうということで出さないわけですね。そうしますと、御質問の第一点にありました、これにさらに利子がつくということになりますと、たとえ三%であってもやはり心理的な負担といいますか、返さなければならない、それにさらに利子がつくということになりますと、これはもう二の足を踏む、特に低所得層で二の足を踏む、そういう状況が出てくるのではなかろうか。したがって、助成、そういう関連で見ますと、先ほど申し上げましたように、助成と奨学金の問題やはり組み合わせて考えていかなければならないわけでありまして、助成について最近どんどん減らされる状況にある。来年も一〇%減というシーリングがもう現在出ておりますけれども、そういう厳しい状況の中では私立大学の学費アップということに当然はね返るわけでございます。そうしますと、なおさらのこと奨学金充実、今後非常に重大な問題になっているやさき、もちろん多少の人数の増はあるわけですけれども有利子化という方向で現在までの無利子に対して一つの質的な転換が行われるというのは、これはやはり非常に重大な問題じゃないかというぐあいに考えます。  それから、私に御覧間がありました、諸外国に比べて、先ほどから申し上げておりますように、GNPそのほかの状況ではもう第二位という状況でありながら、なぜこんなにけた違いに悪いのか。これが実は我が国が明治以来とってきたGNP主義といいますか、経済のための教育、そういうような、人間のための教育じゃないあらわれではないかというぐあいに私は見ております。具体的に申しますと、諸外国では一人一人を大事にする教育、そういう観点から申しますと、全般的なレベルアップの上に峰ができます。ところが、日本の場合は、もうはっきり経済の二重構造というよりも、むしろ多層構造と言った方がいいと思いますが、大企業なり中央官庁を頂点にするピラミッド、それから最底辺は沖仲仕とか、バーテンとか水商売、こういうところは中卒が全部そこへ行くわけですね。そういう形の教育の差別構造が見事に経済の差別構造あるいは多層構造につながって、そういう構造をとっておりますから、GNP主義である、とにかく全般のレベルアップなんてそんななまぬるいこと言っちゃおれない。明治の時期に諸外国に非常におくれて競争にはせ参じたわけですから、そういう国ではとにかくごく一部のエリートと、その他大勢と、そういう経済の、教育の二重構造の上に立って諸外国に息せき切って追いついてきたというのがあるわけですね。しかし、もうそういう時代じゃなくなっているというふうに私は思います。そういう明治百年この方のGNP主義は、今や、もう一度根本から見直されねばならない、そういう時期である。にもかかわらず、基本的に、教育については、やはりごく数%のエリートとその他大勢という、そういう姿勢はちっとも変わっておりません。それが、先ほど申しましたように優秀な人間には金をかけて伸ばしていって、国家社会のために、そうじゃない役に立たない人間には金をかけない、そういう姿勢のあらわれが、いみじくもこういう数字に見事に出ているのではないかというぐあいに思います。  それから、外国人留学生なんかの状況を、これも法政に来ている東南アジア等々の学生たちがどういう生活をし、または、どういう実情なのか、事務機構どうなのか、ちょっと私手元にそういう具体的な状況を持ち合わせておりませんけれども、そういう細かいことについて全部とまでは申しませんけれども外国学生の受け入れ状況その他については、これは先ほど申しました私立大学白書、この次のにもありますし、それから前回も大学の開放といいますか、諸外国とのいろんな交流の状況とか、それからいろんな、先ほど粕谷さんから御質問がありました開放ですね。そういうような状況とか等々についての個別的なデータなり、それから、各大学でのいろんな実情なり、一編設けてありますので、これできましたら、また、ぜひごらんいただきたいというふうに思います。  以上です。
  149. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 最初にお断りしておきますが、私の大学奨学生の希望者が何人で、何人ぐらい受給しているかというのは、申しわけございませんけれども、調べておりませんのでお答えできません。それから、外国人の留学生も来ておることは見ておりますけれども、何人来ておるかという数字もつかんでおりませんので、これもちょっと申しわけございませんがお答えできません。ただ、外国人のことにつきましては、これは余計な答えになるかと思いますが、日本としては、諸外国に比べて非常に少ないといいますか、そういう意味においては、こういうときに大国という言葉を使うのはよくないかもしれませんが、経済大国としてもう少しなすべきことがあるように思っております。  以上お断りいたしまして、有利子のことに対して自分の感想ということですが、これは先ほど私が大学に入るときに、すれすれで奨学金をいただけなかったときに、もしこういうふうに三%でもあって、それで増員があったならば、恐らくひっかかったであろうということを考えますと、やはり人数は多いことはいいことであるというふうにも申し上げられます。ただ、それで有利子という場合に、この改正法案の二十二条で見る限りは、この有利子は一〇%にもなっても何ら抵触しないわけですね。実際、しかしながら、先ほども申し上げましたように、そんなにしょっちゅう変動できるものではありませんし、要するに利子率によって意味が全然変わってくるわけでございますね。三%の場合は、返還能力とかそれからインフレとか、そういうものを含んで、先ほど申しましたように、今までの延長の量的拡充の中に入っているというふうに解釈するということです。  それから外国のことですが、これは尾形先生の今言われたことと似ている部分がかなりあるんですが、似ている部分は申し上げても仕方がございませんので、違った部分だけを申し上げたいと思いますが、アメリカの場合は、確かにたくさんのお金がふんだんに出ておりますが、これは憲法上に問題がございまして、原則的に私立大学に対して公費助成というのはできないんですね。全然してないというわけじゃないんですが、場合によってはあるようですけれども、原則的にできないんです。したがいまして、アメリカの場合は、援助するとすれば学生に渡すより仕方がないわけなんですね。したがいまして、先ほど申しましたように、日本で私学助成を全部やめて、それを私立大学学生に給費制の奨学金で出したのと同じような結果になるわけです。そういうことで見ますと、必ずしも向こうが多くてこちらが少ないという言い方は多少できない部分もあります。ただ、それでも差が大き過ぎるんではないかということもあると思うんです。  そこまでいきますと、多少やはり国民性というものがございまして、この国民性につきましては、こういうちょっとおもしろい数字があるんでございます。国民一人当たりのGNPをずっと調べまして、そのときに初等教育千人のうち何人が中等学校に進学したかという数字があるんです。これは外国の人が調べたんですけれども。ちょっと申し上げますと、スエーデンが一人当たりのGNPが三百二十七ドルのときに千人中二十六人が中学校に行っているのです。これに対して日本は三百五十ドルのときに百七十二人行っております。それからアメリカは三百六十九ドルのときに十一人行っております。これはもちろん経済発展の年代が違いますから、同じ時点のことを言っているわけじゃございませんが、こういうふうに大変大きな数字があります。もう少し言いますと、スウェーデンが五百十八ドルのときに四十七人、日本が五百三十ドルのときに六百四十九人、アメリカが五百九十五ドルのときに十一人。もっとも今のこの数字は、日本の場合五百三十ドルと申しますのは一九五〇年で、戦後改革ですから、これはちょっと除外いたしまして、一九三〇年のときの日本とスウェーデンが近いものですからそれを比較しますと、一九三〇年のときに日本国民一人当りのGNPが六百十四ドル、そのときに千人中二百二十九人が中学校に進学しております。スウェーデンは一九三〇年のときに六百五十二ドルですけれども、そのときに百十四人ほど行っております。この数字で見てみますように、いかに日本人は教育に対して熱心であったか、そしてそれは決して国家だけの政策ではなくて、国民一人一人がいかに教育に熱心であったか、そういうことを物語ると思うのです。そういう意味もありまして、そういう国民性というものは今後も尊重しなければならないし、大切にしなければならないというふうに思っております。こういうふうに、かなり国民性というものもありまして、そういうことも踏まえて諸外国を比べる必要があるように思います。  以上です。
  150. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。
  151. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 最初に有利子化によるデメリットの件でありますけれども、やはり、先ほど申しましたような点でボーダー層についてはやはりこれを借りたいということがあろうかと思いますが、一番やはり問題なのは、本当に必要とするところにいわば有利子化を持っていかざるを得ないというような形になるのが、いわゆるこの三・五未満を、これはもう有利子なんだと、結局そこのところが一番問題ではなかろうかと思います。なお、現在のところはまだ有利子化ではありませんのですが、それでもなお正確な説明会を聞かずに、何かもう有利子になるそうだといったようなことで、残念ながら千八百人から千六百人に出願者が減ると、現にこれはもうありました。その点をひとつ申し上げておきます。なお、実態の点でありますけれども、本学の場合は八三年度の場合、学部のところで約千六百人の出願者がありまして、トータルで学部段階では三千五百六十七人の奨学生がおります。これは全体としては一七・五%に上ります。なお、大学院の方は交付が少ないということもございますので、率だけで申し上げますと六五・四%であります。交付総額は十四億六千八百六十六万円、これは私大経常費助成費との比較で見ますと、実に七五・八%の額に上っております。これが実情であります。  次に学習態度等でありますけれども、これも先ほど若干御紹介しました点につけ加えるという形でお話ししていきたいと思います。  まず、勉学の態度の点でも、先ほどちょっと申しましたので、重複しないように申し上げますと、例えば一週間当たりの平均登校日というのがございます。五日、六日以上といったような比較的よく勉強するところで見ますと、奨学生は七二・三%、それに対して一般学生のところでは六六%ということで、こういうところにも差が出てきます。それから勉学態度というところでも、授業はもちろん、自主的テーマを設定して積極的に勉強するという部分と、さらに授業を中心として単位を着実に取得するというように答えた部分を合計してみますと、奨学生の方は三九・三%でありますが、全学の方では二六・五%というところで、やっぱり差が出てきます。さらに課外活動、サークルもありますが、特に奨学生が学芸、体育サークル等に比較して学術系サークルの方でやはり多い。余り大きな差ではございませんが、奨学生一六・七%に対して全学は一四・六%ということで、比較的勉強するようなサークルの方に一般学生よりはたくさん入る。あるいは大講義でのいわゆる出席状況ですね。この点でいきますと、例えば専門科目をとってみますと、どの講義にもよく出席するという点で、奨学生が二六・四%に対して全学は二〇・三%ということで、大体は五%以上ぐらいはずっといろんな面でよいということは言えるかと思います。  なお、図書館利用についてもちょっと数字を申し上げますと、よく利用するという点で奨学生は二二・五%、一般の全学学生は一五・四%というわけであります。  なお、読書傾向のところでも、趣味娯楽のところでは、奨学生の方は低いんですけれども、自分の専門に関することというところでの読書傾向が奨学生二一・八%に対して全学は一五・四%ということで、いずれをとってみましても奨学生の態度が非常によいということはもう明らかであります。  次に、有効に使っているかという点でありますけれども、これは先ほども幾つか申し上げましたので、重複ということになりますので省略したいと思いますが、ただ、もし世間で言われる点が誤解を受けるとすれば、一回生の最初にお金が出るときには四カ月分ほど遡及するわけですね。このときは十八歳の学生が十数万円ポケットにするわけですから、これはためといて上手に使えというのは、これはなかなか聞かずに、一部は耐久消費財買ったり、バイクを買ってみたりと、こういうことはございます。これはむしろ大学側が、生活をどのようにきちっとしていくのかという点での指導がなお残っているというように思っております。  それから返還負担感でありますけれども、現在のところは、大変だ、もうかなわぬと、そういったたぐいの声をほとんど聞いておりません。むしろ、卒業回生のアンケートで見てみますと、これは後輩のためにもきちっと必ず返すと、そういった決意が何件も出ているといったことであります。  なお、フォローアップの資料はあるかということでございますが、私どものところでは奨学金の問題を大変重視してきましたし、特に今回のように四十年以来の法律改正だと、やはり歴史的な時点だということでありますので、実は昨年度いっぱいかけていろんな調査をしてきました。そして、三月十四日にこういった「立命館大学奨学金白書」ということで、かなり長期の基本資料をまとめましたし、今幾つか申し上げているような実態調査等もここヘコンパクトにまとめてございますので、御入り用でしたら差し上げたいと思っております。  それから、残るアジア諸国からの留学生の問題でありますけれども、私どものところでは、アジアから現在十二名しか来ておりません。大変、国際交流という点では私どもまだおくれているかと思います。  なお、少ない学生ではありますけれども、懇談会を開いたり、先日は一緒にハイキング行ったりいろいろしておりますが、やはり特別な受け入れ施設、設備等がまだ用意しておりませんので、この点は確かに御指摘のように、国立のところでは留学生会館等々がございますが、やはり、少なくとも各府県に私立大学が受け入れるような留学生のための寮等ができれば、かなり私立大学側も、今の文部省の方の、できるだけたくさん受け入れるという方針に即しても、やはり、いいんではなかろうかというふうに考えております。  なお、若干ですけれども、国際教育協会等からのいろんな奨学金を受けておりますが、これは大変ありがたいと思っております。ぜひ留学生を受け入れるためのいろんな制度皆さん方のお力もおかりして拡充できればありがたいと思っております。  以上です。
  152. 高木健太郎

    高木健太郎君 どうも、いろいろ貴重な御意見を伺い、あるいは御資料を披露していただきましてありがとう存じました。  終わります。
  153. 吉川春子

    吉川春子君 それでは、四人の参考人皆さんにお伺いしたいと思いますが、時間が限られておりますので、一括してお伺いいたします。  まず伊藤参考人にお伺いいたしますけれども、今回の奨学金の支給遅延に対して、立命館では受給希望者の予備受け付け、代替貸し付け等の措置をとったというふうに聞いておりますけれども、それは具体的にどういうものだったのかということと、それから今回の、現行法で応急的に措置するというようなことで大変御苦労があったと思いますが、その辺についてお聞かせいただきたいと思います。  それからもう一点は、今回、法改正された場合に、どういう所得層や成績の方にどういう影響があるのか。今まで多少お聞かせいただいていますけれども、そういうことは省いて簡潔に言っていただければ結構です。  それから楠山参考人にお伺いいたしますが、教育費が家計に非常に重い負担になっていると。で、奨学金制度拡充の必要ありというふうに言われまして、私も全く同感です。財政事情が許せばもとに戻してほしいということもおっしゃられましたけれども財政事情がもとに戻るというのは、具体的にどんな時点であるというふうにお考えになっているんでしようか。  それから尾形参考人にお伺いいたしますけれども、育英助成のあり方について非常に疑問を持つとおっしゃられまして、これを突き詰めていけば、一番お金をかけなければならない障害者には金をかけないという方向になるという、非常に重要な指摘をなさいました。現在、奨学金学生に与える場合に、希望者全員に与えることができないといたしますと、どこかで選ばなければなりませんけれども、その場合に、参考人におかれましてはどういうような基準で奨学生を採用すれば最も理想的であるというふうにお考えなのか、その点についてお伺いしたいと思います。  それから杉原参考人にお伺いいたしますが、教育費が明治二十三年から昭和三十五年まで七十年間に九・三八%ふえたと。まあ、インフレの指数を上回るという指摘をなさいました。それで、教育費の個人負担というのが非常に困難になってきたという重要な指摘もなさいました。今回の有利子化の問題について、民間のローンと競合するような有利子化はもう論外だというふうに指摘なさいましたけれども、その場合に、利率を上げないための何らかの歯どめが必要だと。まあ、明文でこれが法律の文言の上でそういうことがきちんとなっていれば問題ないんですけれども、そういう方向での改正というのが極めて客観的に困難であるわけですね。政府にその意思がないわけなんですけれども、そういうような、現時点において、こういう三%がもうぎりぎりだという立場に立った場合に、その保証を何らかの形で明らかにすべきだというふうに言われたんですけれども参考人におかれまして、具体的に考え方があればぜひお示しいただきたいと思います。
  154. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 遅延にかかわった措置等でありますけれども一つは、私どものところは、先ほど言いましたように、単に自分が受け取れさえすればそれでよいということではなくて、やはり、この制度を守り発展させる意識もしっかり持ってもらいたいということでありましたので、今回のおくれにかんがみまして、実は第一回目、四月には第一次説明会ということで、日本育英会状況を取り巻くいろいろな諸状況について私どものところで説明会をきちっと行うということで、状況説明を中心にやっております。その上で、七月、また三日間かけましていわゆる予備登録というのをやっております。願書等はまだこの時点では着いておりませんでしたので、控え等幾つか関連した書類等を渡しまして、これで現在の状況はどうなっているか、そして決まりさえすれば新たに願書をきちっと全員に送りたいので、あて名を書いた封筒を出しなさいといったことで実は先日行っております。もう間もなく発送しようかと考えております。  こういうことで、本当に日本育英会状況どうなっているかということをできるだけ正確に知らせていきたいということでやってきております。  なお、緊急措置にかかわってでありますけれども、これは六月の段階で、理事会としましても大変重大な問題にもなりつつあるという点で、私どものところからも意見を上げまして、最終的には大学の院生と学部学生それぞれについて緊急の措置を用意したわけであります。大学院の方につきましては、本学独自の奨学金制度を持っております。これは簡単に申しますと、日本育英会に申し込むことをまず前提とする、それに漏れた分について、日本育英会の経済基準にさらに二〇%上乗せした範囲の、いわば一定の緩やかにした、そういった範囲の院生について、奨学金額月額の大掛けなんですけれども、六〇%相当をこれは貸与していく、十年後に無利息で返してもらう、十年割賦で返していただく、こういう措置であるわけですけれども、これがいつまでたっても決まらないと、そうしますと秋にもなってしまうということで、本学の場合、もうかなり独立生計者、中にはいわゆる田舎に妻子を残して一人で勉学に来ている、そういった院生もおりまして、中には借金もしている。こういうような状況が私どものところへ持ってこられましたので、できるだけ、こういった点については措置をしたいということで、実は先ほど言いましたように基準に基づいた申し込みをさせて、その上で私どものところは、実は七、八、九、十という四カ月分について貸すという形で、先日申し込みを受け付けをして決定しております。したがって、今、言いましたような金額を四カ月分まとめて、もう来週なんですけれども、出していく。そして日本育英会の方が決まりましたら、採用者については、その段階で一括返済、漏れた者についての有資格者は四、五、六分について一括渡した上で十一月から正規の毎月分を渡していく、こういうような措置をとったわけであります。  なお、学部学生の方は大変数も多いということもあって、新しい制度を今からつくっても間に合いませんので、基本的には生活援助金というのを持っております。これは二万円の三カ月未満、一時的に貸すだけのお金なんですけれども、これも三万円ぐらいまで引き上げて、日本育英会が出るまでアルバイトと生活援助金でつないでいく、そういった段階しかできませんが、いずれにしても、若干の措置にしかすぎませんが、こういうことで措置をとりました。  それで、もう一点ですけれども、いわゆる有利子化によって一体どういう層が影響を受けるのか、この点でありますけれども、これも実は先ほどの指摘にありましたような漏れを行った分、失格であるとか漏れ、こういった部分の内訳をきちっと見ていけばほぼ見当がつくわけであります。先ほども、ちょっと、もう既に意見申し上げましたが、やはり二百五万円未満であるとか、こういった層で落ちるのは、完全にこれはもう成績の基準であるわけですね。しかも、私どものところで見てみますと、三学部だけの調査でありますけれども、いわゆる大変厳しい層、例えばですが、三百八万円ぐらいをまずとってみますと、三十一名おります。これについては、半分の学部ですから、大体、倍ぐらいいると見ていただいたら結構かと思いますが、三百八万円以下で、なおかつ、こんなたくさんの数が落ちるということは、やはり、これはもう成績に尽きるわけです。そうしますと、有利子であれば救えるのかという、これでは、やっぱり、全くございませんで、有利子の方は七十九年以来変えていない。特に経済基準の方ですね。これのボーダー層は確かにこれでは三・五以上であれば一定ひっかかりますけれども、むしろ厳しい層の方が有利子の方に行きなさい、こういう形に一面追いやってしまう。これが大学の現場責任者としては大変忍び難い、つらい問題だと思います。  なお、こういった大変厳しい学生のところは、高校までのところでなかなか十分に勉強ができてこなかったといった要素が大変強いということは明らかでもありますので、やはり有利子化は、こういった厳しい層に、なおかつ有利子というのを乗せる以外には結果として、やはり大変厳しい答えを押しつけることになるんじゃないかという点で大変危惧をしております。  以上です。
  155. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 私は、国家財政の全体構造につきまして特別な見解を持ってもおりませんし、ごく常識的なことしか考えておりませんので、どうなったらということにつきましては、特にビジョンを今申し上げる何物もございません。ただ、もう周知のように、火の車であるわけでありまして、徹底した行財政改革によって、まず、それを正常な形に戻して、そこから新たなることをまた考えなければならないということはもうわかり切ったことだろうと思います。それからさらに、しかし、そう言っていたのでは解決をしないから、新たなることをどこかから打開策を考えなければならないというのが今回の改正一つ趣旨であろうかと思います。  財投の資金であります郵便貯金というのも、聞くところによりますと、やや伸び悩みと申しますか、余りひところのような勢いを持っていないというぐあいに聞いておりますが、そういたしますと、当てにしている資金そのものもある種の危惧を持たざるを得ないことになってくるわけで、せめて、その辺を低利なものとして確保するということは必要なんだろうと思います。  お答えと少し外れているかもしれませんけれども、国家財政の全体をとにかく正常な形に戻すということがまず最低限の目標だろうと思います。以上です。
  156. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 限られた財源の中——これは限られたといってもほかのいろんな費目、軍事費とかいろんな問題ありますから、その辺を限られたというのも、またそこまで括弧つけて言いたいと思いますけれども、そういう中で、一体、奨学金等をどういう基準で配分するということを考えたらいいかという、そういう御質問かと思いますけれども一つは先ほど申しましたように、所得によっての差ですね、これを徹底的に傾斜配分をする。徹底的にですね。ということが一つ。  それからもう一つは、成績ということについては私は先ほどから否定的な見解を申しておりますので、それを除きまして、学ぶ意欲ですね、これをやはり重視をする。残念ながら今の公教育は、私がおります大学を含めて小・中・高・大といわば差別選別の場になり、学校は学ぶ喜びを覚えさせる、そういう場でなくなっているというぐあいに思います。その集中的なあらわれが中学の校内暴力というような形になっていようかというぐあいに思います。そういう意味では、本来学ぶ喜び、これは学ぶというのは喜びを感じ驚きを感ずる、そういうものであるのに、そうでなくさせているのが今の学校じゃないかというぐあいに思います。そういう中では、学ぶ喜びを覚え、学ぶということに本当に生きがいを感じながら子供たちが学校へ行くということではなくて、一定のパスポートを取得する、先ほど言ったような差別の中でできるだけ有利な地位に乗っていこうという、そういうぐあいになっているというのが現状だろうというぐあいに思います。  しかし、そういう中で、それじゃみんながみんなそうかというと、決してそうじゃなく、むしろ日の当たらない先ほど言いました二部とか通信教育とか、まあ二部も最近随分変質してはおりますけれども、これは二部を出たからとか通信教育を出たからといって、一般の企業じゃ大卒扱いにしてくれませんよね。そういうハンディキャップは百も承知の上で、なおかつ学びにくる。それも最近私立なんかでも、特に国立でも昼夜開講制というような形で社会人入学ですね、最近非常に進んでおりますけれども、ああいう社会人の方々なんか本当にそこを出たから企業で有利になるとか、別にそんなこと何もないわけですね。本当に頭が下がります、そういう人たちの学ぶ意欲には。それから、私のところで去年から法政平和大学なんというのを始めておりますけれども、こういうところへ来てくれるお母さんたちなんか、物理なんてこんなにおもしろいものかと、主婦が日常全然関係ないのに、そういうようなものに学ぶ喜びを覚えながら、一回が六回連続というのを終わってから、自主講座でもアインシュタインを一年かかって説もうということをやっているんですね。本当にこれは物理の先生もびっくり仰天しているんです。そういう自分たちが本当に学ぼうというような意欲、それはやはり重視をする。  それで私、さっきの自分の授業にいろんな現場の方々をお呼びして問題提起をしてもらっているんですけれども、例えば夜間中学の生徒、五十五になる生徒の人、そういう人で今まで全然義務教育も受けられなかったのが、長い五十五年もたった後やっと夜間中学の門をくぐるようになった。そういう人たちに来て話してもらったりしているわけですね。そういう中の一人に最近来ていただいたら、ちょうど四十歳になります。四十歳で通信制の高校に行っている方ですね。小さい時に三輪車に乗っていて転んだのがもとで両足をももから切断しちゃったんですね。そういう体でずっと学校へ行けなくて、三十過ぎてからやっと夜間中学の門をくぐり、さらにケースワーカーになろうということで現在定時制から通信制に移って学んでいる、そういう人がいるんですね。そういう人は通信制を出てケースワーカーになったからといって、別にべらぼうに給料上がるとかエリートコースに乗るとか、そんなこと全然関係ない。今、言ったような学ぶ意欲、これをやはり重視をして、これを具体的にどういうぐあいに盛り込んでいくかというのは非常に技術的に難しい問題があろうと思いますけれども、こういうことをやはり重視しながら考えていくということが必要じゃないか。  それから、御存じのように、あと九年たちますと、大学生適齢人口というか、十八歳人口がピークになって、あと激減していくわけですね。そういう中で、日本大学も恐らく、アメリカの大学は、今、十も二十も毎年つぶれていますけれども、ああいう状況がやっぱり来ると思います。そういう中で、いや応なしに二十前後の若者だけに目を向けるんじゃなくて、生涯教育というか、成人にも目を向けざるを得なくなってくる。そういう意味じゃ、社会人をどう受け入れてくるか大変な問題になると思いますが、文字どおり学ぶ意欲といいますか、肩書きではなくて、本当に学ぼうという、そういう人たちなんかを中心に考えながら、今後、そういう人たちが学べるような条件づくりを考えていくということが必要じゃないだろうかというぐあいに思います。  以上です。
  157. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私の質問のお答えに関係しましては、現在の奨学金の回収率のことをお話ししたらよいかと思うんですが、現在、サラ金業者がびっくりするような回収率、九七・七%でございます。これは本当にサラ金業者が聞いたらびっくりする数字だと思いますが、これは育英会方々が努力されていることの裏づけでもあると思いますが、同時に、これはまた回収しやすいところにお貸ししているといいますか、そういう性質が入っていると思うんです。で、要しますに、先ほども申しましたことですが、一条の「目的」も含めまして、そして有利子ということで、返還能力ですか、ということも含めて考えた場合に、現状のもとで、例えば一〇%の教育ローンのようなものを育英会が運営できるわけがないといいますか、できるはずがないわけですね。にもかかわらず、そういうことも論理上可能であるかのような法文があることについては、今、言われたことと同感である。御質問されたことと同感でございます。それでよろしゅうございますか。
  158. 吉川春子

    吉川春子君 具体的に何か歯どめをとおっしゃったので、それをお考えになっているか……。
  159. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) ですから、この育英会のもとでは、長期低利ですか、の貸し付けしか事実上不可能だと思うんですね。ならば、そういう法律の性格を多少はっきりさせた方がもともとよかったのではないかと、そういう趣旨です。
  160. 吉川春子

    吉川春子君 どうもありがとうございました。  終わります。
  161. 小西博行

    小西博行君 参考人皆さん方には長時間大変ありがとうございます。時間もかなり経過しておりますから、一、二点に絞ってお尋ねしたいと思います。  今、尾形参考人の方から大変興味深いお話がございました。私も実はこの採用基準、今、成績と収入というこの二点で採用基準を決めております。そういう意味で、何か新しいものがお聞かせ願えるんだろうかということでございましたら、学ぶ意欲を持たすという、これは私非常に大事なことだと思うんです。ただ、その学ぶ意欲と言う前に、採用基準としてどういう学生といいますか、選んだらいいのかなと。何か特別なアイデアがあったら、ぜひ、この点だけに絞ってで結構でございますから教えていただきたいと思います。  それから、伊藤参考人には、大変、立命館では、そういう奨学金制度、いろいろ配慮されて、それでしかもアンケート調査なんかをやられて、しかも、大学院ではみずからも、そういう財団みたいなものをつくって奨学金を出していると。非常に積極的にやっておられると思うんですが、一点まずお聞きしたいのは、何かそういう卒業生の皆さん方、奨学金をいただいて卒業して、現在、社会で活躍していらっしゃる方々が、民間財団みたいなものをお互いに後輩のためにつくってやろうじゃないか、そういう動きが現実にあるか。あるいは、もう現実にやっていらっしゃるのか、その辺のことを一点お聞きしたいと思います。  それから杉原参考人には、みずから大学院で奨学金をいただいて、現在、返還途中であるかもしれませんし、あるいは研究生ということになりますと、これは返還免除ということになっていらっしゃると思うんですが、私が一番心配しているのは、今回の法案にもちゃんと書いてありますが、大学院を出れば研究職として、所定の、例えば大学であるとか研究所の場合は返還免除になるわけですね。ところが、大学を出て研究生活に入るというのも過去ありましたよね。そういう方々は返還免除がないわけですね、研究生として認められないわけですから。そういうような実態先生学校であるか、あるいは他の大学でもそういうような情報を聞いたことがあるか。この三点だけ、ひとつお願いしたいと思います。
  162. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 学ぶ意欲ということだけれども、さしあたり審査基準みたいな、何か具体的にないかという、そういう御質問かと思いますが、実は、ちょうど吉川さんから御質問いただいたので、私ちょっと不十分だった点を申し上げる機会を与えていただいたわけですけれども、学ぶ意欲という、そういうのを見るというのは、ただ、そこだけ抽象的に切り離して問題にはできませんので、入試ですね、特に大学の、これを変えていくということをしなければ、学ぶ意欲がある学生というのは入れないわけです。今までのような、特に、先ほど言いました共通一次であるとか、あるいは偏差値とか、そういうようなので、とっていくような入試方法では、学ぶ意欲のある学生は入れられっこないわけですよ。  むしろ、例えば、私は、これは高校レベルの話ですけれども、ある私立高校の先生をお呼びしまして、私たち、高校の側からの、大学への入試について、いろいろいちゃもんをつけていただいたわけですね。ところが、その先生が、例えばクラブ活動なんか非常に熱心な子供で、その先生が指導しているわけですけれども、ことしは原爆問題をやろう、来年は原発をやろう、その次の年は二百海里問題をやろうということで、一学期に綿密な事前調査をし、それから夏休みに一週間、十日泊りかけて行って、いろいろヒアリングやったりなんかして、秋の学園祭には見事な成果というか、つくり上げたのを学園祭で報告を出す。そういう子供は実は残念ながら三・一とか三・五なんて絶対とれないんですね。そういう子供はこれまた大学の入試もだめだということで、本当は一番入れたい学生をとっていただけないという話を聞いて、私たちも首を引っ込めながら聞いていたわけです。  そういう学生について、例えば、これはアメリカなんかは、御存じのように、日本みたいに成績一本やりのあんな方法じゃなくて、例えば、そういうクラブ活動をやっている人間とか、それからフットボールの選手だとか、いろいろな人間、多様な人間をとるという哲学があるわけですね。それは大学というのは、いろいろな人間、多様な人間、偏差値五十幾つだから法政の経済なんて、そんな等質集団じゃなくて、いろいろな人間がごたまぜになっている。障害者も健常者も、男も女も、偏差値が高いやつも低いやつも、家庭、所得階層、宗教、みんな違うやつがごたまぜになって磨き合う場だという、そういう哲学があるのですね。そういう哲学をはっきりさせる中で入試を変えていく。という中で、本当に学ぶ意欲のある人間をとっていくということをセットしなければ、私が申し上げたような方向というのはなかなか難しいと思います。  当面、それじゃ全然そういう方法は不可能かというと、さしあたり最小限言えることは、例えば社会人枠ですね。社会人入学はあるけれども、これは社会人の場合は、今の制度から言いますと、ずっと昔卒業した高校の成績がなんか出すということをせざるを得ないのですね。そうすると、昔びりっけつだったりしたら、これはもう絶対とれない。しかし、本当に今学ぼうということで、わざわざ何の得にもならぬのに大学に来る、そういう人たちに対しては全然今の奨学金制度じゃパアです。そういうような社会人入学なんかは、先ほど言いましたように、これからどんどん拡大される方向にあると思いますし、時代の趨勢がとにかく、それを必要としているわけですから、そういう部分なり、あるいは、その中の一部になりますけれども、特に二部とか通信教育の中の勤労者、これは現在の特別助成の中で、ごくごくわずかな枠がありますけれども、ああいう直接助成という形ではなくて、むしろ、今言ったような勤労者あるいは社会人入学、そういう部分については、奨学金制度で、現在、とりあえず一定の枠を設けることが可能ではないか。また、それが、そういうことによって大学をもう一度活性化し、パスポート授与場に成り下がっている大学に対して、あるいは高校なんかでもそうですけれども、そういう場に対して、本当に学びたい人とこれにこたえる人との集団、それこそが大学なんであって、決して制度でも建物でもないというふうに私は思いますけれども、そういうものを取り戻す一つの突破口というか、糸口になるのではないかというぐあいに思います。
  163. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 御質問の民間財団をつくる動きはないかということでありますけれども、まだここまでははっきりはしておりません。部分的には、例えば記念財団をつくってはどうかといったお話は聞いておりますが、まだ具体化には及んでおりません。  なお、育英通信のちょっと古い号などには、もと中央大学の和賀という方が提案しておるような給費奨学金財団を全部でつくっていってはどうかという御提案もすでに、載っておりましたし、また個別の私立大学のところでは、何周年記念事業ということで、かなり積極的にこういった教育基金等を確保するといった動きがあることは事実でありますけれども、私どものところではまだ確定はいたしておりません。
  164. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私に対する質問ですが、先ほど私が大学院の奨学金を返還しているというふうに申し上げましたが、それが、もし私が良心的に返還しているというふうに聞こえましたらちょっと誤解でございますので、返還する義務が私には生じておるのでございます。これは、そのときの規則によってそうなっておると思いますけれども、ただ、それでも私は別に異議感じていないといいますか、それにつきましては、この返還義務を免除するのに研究職と、何ですか、教育職ございますね。私は、これについては、いろいろ事情があるとは思いますけれども、私の考えでは、そういう職種によって分けるべきではなくて、やはり将来の返還期間における支払い能力によって支払いを決めるべきだと思うんですね。研究職というのも、事実上大学院を出た方は、大学で奉職した場合、それほど高給とは申しませんけれども、研究所によれば非常に高給なところもあるわけですね。それから、教育のことも、これは余り言うべき、私も教員でありながら言うのはおかしいかもしれませんけれども、この給費制という、昔、何ですか師範学校は給費制であったわけですね。それの名残で、従来、教育職についた奨学生は返還が免除になったわけです。しかしながら、例の人材確保法によって、一般公務員よりも二割から二割五分増しの給与を取っているわけですね。そういう方が免除になるということは、やはり、私は−教員としては、やはり社会と同じ風を受けなければいけないと思うんですけれども、それがやはり社会と同じような感覚をといいますか、そういうことであって、戦前の意味における免除という意味は事実上消えていると思うんですね。そういうことでは、一方の公務員の方は返還を、二割五分低い給与の中から支払っておるときに、教員だけが払わないというのはちょっと社会的にもおかしいと思うんです。  以上です。
  165. 小西博行

    小西博行君 ありがとうございました。
  166. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 私は、最後に二つ御質問をいたしまして、皆さん方お一人ずつ御返事していただきたいんでございますが、第一の質問は、私も育英会という名前は非常に不適当だと思っておりますが、皆さん方、育英会法案といいますか、あるいは育英会という名前をつけることに賛成か反対か、及びその理由を簡単にお一人ずつお願いをしたいと思うんです。
  167. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 私は余りこだわりません。  育英奨学といって、かつて育英というのは英才を育てることだということなんですけれども、余りそういうことにこだわらなくても私はいいのではないか。ずっと、昭和十九年からでございますけれども、使ってきているわけて、ばかにそのことにこだわって特別に奨学会と変えろというふうなぐあいには私は考えません。
  168. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 私は、もう今まで述べたようなことでおわかりのように、育英というのは大変不適当である。この際、奨学会という、学ぶことを勧めるという、そういうような方向で考えないと、どうしても国家、社会——括弧つきの国家、社会に、昔の国家枢要のあの何か大変忌まわしい言葉がどうも頭に浮かんでくるわけでして、これはやはり、この際、昭和十八年、九年の戦争中ですね。あの当時の育英という言葉、これは絶対変えた方が当然だというぐあいに思っております。  以上です。
  169. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) これは教育基本法のこと、多少関係してくると思いますが、教育基本法をつくるときに、例の機会均等のところは、最初育英となっておって、現行では奨学となっておるんですが、基本法をつくるときには、その当時の育英会の規定を超えて、もう少し広い意味にしたいという趣旨は確かにあったんでございます。そういう意味で、私の冒頭の意見陳述の中にもありましたように、やはり奨学制というものが広く行き渡っていくということは必要であろうと思うわけですね。  ただ、それで名前まで変更するかどうかということになりますと、まあ、歴史的になじんだ名前でもありますから、言葉のそのものから見ると、確かに御指摘のような問題があると思いますが、中身では、だんだんそういう意味で広がっていっているように思います。
  170. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 給費制に変えていこうということでしたら、これは育英という、そういう点もまた残してもよかろうかと思いますが、やはり国際人権規約等でも、高等教育まで無償にしていこうといったような流れの中では、やはり奨学という言う方が事実合っているし、また私どもも、今でも育英会生とは呼ばずに学生のことは奨学生というふうに呼んでおりますので、実態の問題としても奨学の方がよかろうかと思っております。
  171. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 それじゃ、もう一つ御質問いたしたいんですが、育英会にしろそうでないにしろ、学業のために奨励金を渡す、それについて今やらなければならないと思われることが四つか五つあると思うんです。  例えば支給額の絶対額をふやす。これは今の奨学資金は三万、月、多いところで三万、二万、そういうところで、これでは十分な効果が出てこないので、どうしても支給額を一つはふやしてほしい、そういう要請と、それから奨学生の数が大学生全体からいいますと一〇%ですか、そういうふうに非常に少ない。奨学生の数をふやす、そういうところに最も力を入れるべきであるかと。  それから、これは少し問題が違いますけれども、私立大学の補助額をふやして、そうして同志社大学でなすっていらっしゃるそうでございますけれども学校自体の補助金の制度、修学資金制度をつくるのがいいか、どれを一つ選べと、最優先的にどれが必要である  みんな必要だと思いますけれども、どれが一番必要であるかという優先順位をつけるとしたらば、どういうようにお考えになりますか。これも一人ずつ。
  172. 楠山三香男

    参考人(楠山三香男君) 今、お話がございましたことは、すべて有利子制度の導入にかかわっていることだと思います。私は、一番最後におっしゃいました私大の大学個々につくったらというのは、既にそういうものも存在すると思いますし、そういうことを奨励しようと思って私大奨学事業というのが始まったわけですけれども、なかなか十分に伸びない。それは大学そのものが返還の責任まで持たなければならない。これはなかなか容易なことではないということ。それから、一〇%の大学そのものの資金が要るということもある。ですから、そういうことは、逆に言うとなかなか発展が難しかったところもあったわけですけれども、それを有利子制度によって吸収をして、さらに発展を図るということですから、これは、今、あえて優先順位とおっしゃられれば、優先順位は一番低いことになるかもしれませんね。数をふやすのか額をふやすのか、額という点につきましても、今回、例えば無利子のほかに、足りない場合に有利子をさらに併用すると、しかも、私立大学の医学部・歯学部の場合ですと、最高額が千四百三十五万円まで、総額でございますけれども、借りられる。これは入学一時金の、例の私大の何かとは別なわけですけれども、これが一番最高額としては、そういう額であるわけです。これは、かなり従来に比べれば、手にする額は多くなるであろうということになるわけで、何か善言葉を逆手に取っているようで恐縮でございますけれども、優先順位というのは、どうも有利子事業の中に吸収されて、順位を失うのではないかという感じがいたします。よろしゅうございますか。
  173. 尾形憲

    参考人(尾形憲君) 今、おっしゃられた幾つかの中でということでなくて、むしろ、私は、それ以前に、先ほどから申し上げているように軍事費等を含めた財政全体の見直しということが一番先決ではないかというぐあいに思いますが、そういうことを言い出しますと、これ以上話になりませんから、そのことを一応別にして、今おっしゃられた三つのこと、いずれも直接金にかかわる問題なんですが、実は私は、奨学金の問題も国庫助成の問題も、金の問題ではなくて教育中身の問題だというぐあいに考えております。  そういう意味では、先ほどから申し上げておりますように、実はこの三つ以外に、まず、育英という思想自体を見直す。そんなことを言ったって、教育基本法に「その能力に応ずる教育を受ける」……、そういう言い方があるじゃないかと。ばかは大学に来ることはないということじゃないかというような解釈がありますけれども、あれは決してそうではありませんで、ハンディキャップのある者ほど余計手間暇かけて金をかける、そういう趣旨であり、「ツー・レシーブ・アン・イコール・エデュケーション・コレスポンデンツ・ツー・ゼア・アビリティ」、原文はそういうぐあいになっているわけですね。彼らの能力に応じて等しい教育を受ける、そういう権利をみんな持っている。手間暇かけてそこまでやる、そういう責任を国は負っているんだ、そういう意味なわけですよね。そういう意味で言いますと、むしろ育英という、そういうような考え方ではなくて、学びたいという人については手間暇かけて本当にいろいろな条件を整える、そういう方向でのあり方を見直す、今、そういうことが一番大事なんではないかというぐあいに思っております。
  174. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私も、先生の御質問を決してはぐらかすわけではございませんですけれども、ちょっと答えに窮しておりまして、別のことを別の観点からお答えしたいと思うんですが、私は、高等学校大学大学院の育英会の奨学の制度というのは実質的に違うべきだと思うんですね。高等学校の場合は事実上義務化しておるわけですね。その中における奨学の意味と、それから大学のように、今、一応希望者が個々の大学の入学試験を受けて入って、そのもとで高等教育を受けるという制度と、それから大学院のように事実上もう親の養護の責任のなくなった自立した社会人、完全な意味で自立した社会人が将来の研究職を目指してやっている場合とは、やはり意味が変わってくると思うんですね。その点を、今後、私は育英事業のあり方として煮詰めるべきだと思います。そういうことでかなり変わっていくべき部分もあるのではないか、そういうふうに思っております。
  175. 伊藤昭

    参考人(伊藤昭君) 私どものところでは、実態から申し上げますと、ずばり奨学生比率を上げていくことではないかと思っております。ただし、それも本学の実態にしかすぎなくて、違うところから見ればセクト的に映るかもしれません。なぜならば、現行制度のもとで、いわば今の条件のもとで、有資格者は諸大学にどれぐらいいるのか、そのいわゆる有資格者枠で一遍申請を出した上で有資格者比率で配分するといったことをすれば一体どうなるかとか、そういった検討をしておりませんので、私ども実態からのみの言い方になりますが、やはり奨学生比率の増加ではないかと思っております。
  176. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 ありがとうございました。
  177. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 他に御発言もなければ、参考人方々に対する質疑はこれにて終了いたします。  この際、一言ごあいさつを申しあげます。参考人方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  ありがとうございました。  暫時休憩いたします。    午後四時三十六分休憩    〔休憩後開会に至らなかった〕