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和田静夫君 時間がありませんから少し私の方でしゃべりますが、この
事件は二名の
韓国人密入国者、夫は一九五二年生まれ、七〇年の
密入国、妻は一九五五年生まれ、七一年に
密入国。二人は一九七五年に
結婚、七九年に
長女を設けている。この
韓国人密入国者の
強制送還事件であるわけですが、この過程に
大阪入国管理事務所の
土元清輝さん、現在
神戸の
入国審査官なる
人物と、「
コンドウ」という名称の
人物が登場をする。
これは両名の
再審の
嘆願書ですけれども、この引用をいたしますと、
私共の間には一九七九年四月二十日
長女愛景が出生し、私は
結婚一年半後独立して
鞄製造下請業を開業し妻子を扶養し
生活は安定し、家庭は円満に幸福な毎日を送ることができるようになりました。かかる
事情でございまして、私は一日も早く
入管ご
当局に自首し法のお裁を受け、そのご慈悲にすがり、晴れて在留できますよう嘆願申しあげようと考え、どのように自首をすればよいのか
知人(
松山氏)
——これがいま言われた
ブローカーでしょう
——に相談したところ、
松山氏の
知人が
法務省の
入管行政に直接
関係しているので、その人の指示どおりするように言われ、
昭和五十一年春頃
大阪入国管理事務所の「
ツチモト氏」に会い紹介され、私達の
事情を説明しました。その日の話は
法務省に「
コンドウ」と言う友人がいるので、二人で
連絡をとりながら、私達の
特別在留許可をとってやるので待っているように言われました。同日、
運動費として百万円の
要求がありましたので手渡して私達は
東京に帰りました。その後度々
連絡があり、五十五年頃迄に参百万円を
運動費として渡しました。当時はこの
人達を信じ切っていましたが、一向に事が運ばないので、私から時々
連絡をとるようにしましたが、
コンドウ氏が
横浜入管に転出したとか、
ツチモト氏が
大阪空港に行ったとか色々な
理由で遅れているけど心配しないように、又、
自分達が裏で助けるので万一
入管につかまっても名前などださないように言われました。しかし、昨年八月に収捕され、一ケ月後仮放免された時にすぐ
ツチモト氏に
連絡をとってもらいましたが、「心配しないように」と言うだけで、三ケ月の間、
松山氏、
ツチモト氏、
コンドウ氏との
連絡にあけ暮れ、財産の
処分も出来ずそのままになっています。これらの
会話は
テープで八本にもなり保存してあります。今ではこの
人達にだまされたのかも知れないと思いますが、当時は感謝さえしていました。
この両名の申し立てが事実とすれば、またいま
答弁にありましたように、
自分で消費したかどうかは別問題として、
松山某なる者が百万円、その後三百万円か、あるいは三百万円以内か、三百万円から四百万円の金品の
授受があったということになってくるわけであります。
そこで、私はこの
松山某、これも本名はわかっていますけれども、この
金銭授受があったという事実はお
認めになったわけであります。そうすると、非常におかしいのは、
土元は
松山と一緒に会った。そしてそこでは食事をしていますね、この
人たちと。こういう
状態にあるわけです。そうなってきますと、
法務省の役人が
松山なる
人物の
金銭授受の
現場にいたということになる。そのことを見ている。見ていると、
検察としてはこの辺はどういう
見解をお持ちになりますかね。
詐欺事件を見て見ぬふりを結果的にはした、ないし
幇助をした、そういう
関係というものがここで私は生まれてくるのじゃないだろうかということをひとつ考えるのでありますが、
前段の問題を含んで
検察の
見解をこの
機会に一遍承っておきます。
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