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渡部(行)
委員 なぜ私がこんなに過去の問題に拘泥するかと申しますと、これは御
承知の関東軍七三一
石井部隊の真相がこの間テレビで放映され、あるいは出版物等でも暴露されて、そうしてその
内容が大体
国民にもわかるようになったわけです。さらに、毎日新聞社による追跡調査の生々しい当事者等の告白などが記事となって出、これを読んでいると身の毛のよだつような思いになるわけです。その残虐性、非人道性は言語に絶するものでありまして、何としてもこのようなことは許せるものではない、こういうふうに考えるわけでございます。
そこで問題なのは、本年二月五日の毎日新聞によって明らかにされたものでありますが、平和
憲法下で人体実験が行われているという形跡があるわけです。その一部を読んで御紹介申し上げますと、「占領軍命令で厚生省・東大 終戦直後、十二人以上 関係者証言」とあって、その上に「受刑者使い人体実験 発疹チフスの感染研究」こういう大見出しで出ているわけです。
終戦間もない
昭和二十二年、厚生省と東京大学の研究所がGHQの命令により、当時まん延していた発疹チフスの研究のため刑務所の服役者に感染させる人体実験をしていた事実が、関係者の証言と毎日新聞社の調べで四日、わかつた。
日本側は当初、感染、発症の人体実験は被実験者の生命にかかわるとして拒否したがGHQに抗しきれず、受刑者から志願者を募って行ったという。志願者であっても、身柄を拘束された弱い
立場の
人間を病気にかからせる実験は、
日本国内では例がなく、倫理上も許されないとされてきただけに、占領下、GHQの命令とはいえ、三十五年ぶりに明らかになった新事実は衝撃的である。
こういうふうに述べて、あとその
内容が細かに述べられている。
そしてさらに「医の倫理に汚点」という大見出しで「ショック占領下の人体実験 命令でも許されぬ行為」こういう見出しで、
東大伝染病研究所一現在の医科研)付属病院を舞台に、
昭和二十二年に受刑者を使って人体実験が行われていた事実は関係者に大きなショックを与えている。わが国の人体実験はこれまで戦前の旧陸軍満州七三一部隊や毒ガス部隊などが中国で行ったケースに限られるとみられており、それも「戦時中のことだから」と
説明されてきた。ところが今度明るみに出たのは戦後であり、しかも舞台は最も医の倫理を重んじるべき大学の研究所。GHQの命令があり、“占領下”の時代だったことを考えても「医の倫理以前のこと」と多くの医学者
たちは受け止めている。
その後ずっと今度は
石井部隊の幹部の問題なども書かれているわけです。こういう事実が明らかになった今日、一体、
日本にはそういうことは想像できないなどと言っておられるだろうか。
さらに「田宮猛雄先生を偲ぶ」という本があるのです。これは前の
日本医師会会長武見太郎さんが編集した本で、非売品なんです。だから書店には出回っていない本なんです。これを読むと、まさに恐ろしくて、本当にこんなことがあったのだろうかと疑わざるを得ないわけです。
ちょっと読んでみます。
一九四六年の秋には又先生と私がGHQに呼び出された。厚生省から浜野
局長も呼ばれ出席した。例によってサムス大佐の両側にはトーマス中佐、ホイルラー中佐、タイガー中佐、バーギー少佐も並んでいた。サムス大佐は
日本にも発疹熱があり、これが衣虱を通過して発疹チフスになるとの説もあるので、それを人体実験で確めることは防疫上極めて重要だから、医学生を用いて人体実験を行なうようにといった。そこで先生は
日本に発疹熱の汚染地はあるが、そこから発疹チフス患者がでたとの報告は過去においてはない。しかし、そのような移行説をたて、満州で実験的証明に成功したとの報告はあるが、その証明法に不備の点があると話され、また医学生がそのような実験台となって勉強を放棄するのは学生の本務にもとることであり、またかりに致命率がゼロのはずの発疹熱が強毒となって何人かが死亡したりすることがあっては、人道上許されないと先生がいわれました。するとサムス大佐は米国では医学生を使うが、
日本ではそれをやめよう、その代り米国でもやっている受刑者を使おうといいだし、また米国では発疹チフスに有効な薬が発見されているから死亡の心配はないから実験をやるように主張した。人体実験に受刑者を使うことは
日本では前例がなく不可能だと申されたが、彼は可能か不可能かについては法務省に確かめてからにせよといった。すると先生は、新薬があるから生命は大丈夫ということだが、その薬名と、現物をみせて頂きたいと申された。彼は困り、急に立ち上り、他に約束があるからとて先生の問いに
答えずそのまま立ち去った。あとで、先生は卑怯なやつだといっておられた。しかし可能か不可能かについて確かめることを約束したのだからといって、先生は私と法務省を訪ねた。
最初は前例がないといわれ、考えてみましょうとのことだった。
局長室をたびたび訪ねているうちに、法的に可能なやり方がみつかった。それには本人の自由意志による承諾書が絶対必要であることを前提とし、まず私とホイルラー中佐が受刑者を集めて発疹熱の病気のこと、実験のやり方を
説明し、数日後に応募した者の中から選んで実験を始めた。
云々と書かれているわけです。これは私はその辺のおかしな週刊誌とは違うと思うのですよ。やはり皆権威のある
人たちのつづった文章であるし、私は真実だと思っております。こういう事実が平和
憲法のもとで白昼堂々となされておったのをだれも知らない、そういうことで済まされるでしょうか。知らなかったでこういう重大な問題が済まされるでしょうか。
しかも、さらにまだあるのです。今度は読むのはやめますけれども、ここに写真が出ておる。この写真は、ここの田宮猛雄先生、この人物はかつて
日本医師会の会長をやり、東大の医学部長をやられた方でございます。この人がアメリカからお金をもらうために、二万五千ドルをもらうために調印しておるところの写真が出ておる。
昭和三十五年です。こういう事実。さらに今度は
自衛隊に協力した、その写真が出ているのです。「冨士山麓にて
自衛隊と共同実験中の先生(
昭和三十五年一月)」となってここに出ておる。これはまさに、私は本当に不思議なんですね。
しかも、このサインした前のページを読むと、ちょっと読んで見ますか、清水という人が語っているのに「東大というところは、軍からの研究費というとやかましいところなんですね。」伊藤という人は「軍と関係づけて金をいただくとは何事かというようなこともいっていました。けれども、米国
政府との中に四六〇医学研究所が」――これがこの前も
指摘されたいわゆるアメリカ軍の細菌実験部隊でございます。これが「入ってとりもったということにすぎないということもいっていました。ですから別に何でもない。」この金は受け取ってもいいんだ、こういう趣旨のことが述べられているわけです。
大臣はこの事実を知っておりますか。まずそこからいきましょう。