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参考人(漆山成美君) 漆山でございます。
私は、いまお述べになったお二方の
参考人の御意見のように現場を踏まえての体験から出た声ではございませんで、私は一介の書斎の人間でございますから、書斎で
考えていたことを申し上げてみたいと思うわけであります。
私の論点というのは、現実の問題といいますか、現実には違いありませんが、国際問題の視点からこれを
考えてみたいということでございます。
なぜそういう視点をとったかといいますと、
日本に対して侵略があるというような事態というのは、恐らく第三次
世界大戦というものを
想定せざるを得なくなるだろうと思うんでありますが、そういうような状況の中でいかにしていわば国際的な秩序というものを
維持していくかということが、そしてそのために
日本はどうしたらいいかという視点も同時に
考えていかざるを得ないからだと思うんであります。
それで、その場合、時間がきょうはございませんから非常に簡単なことになりますが、本
委員会で意見を述べろということで、非常に短い時間でありましたけれ
ども、
ソ連の対外行動のパターンの中にわれわれは何か手がかりがないかと思いまして、いささか第二次大戦以降の
ソ連の対外行動のパターンを
考えてみたわけであります。それから第二番目に、
ソ連の対外政策と内政の関連が、これが将来に向かってどういうふうな
関係を及ぼしてくるかという点が第二点であります。第三点は、それに対して西側はどういう対応の仕方をしたらよいのかということであります。
まず、第一点の
ソ連の対外行動のパターンというのは、これは私の勝手な分類の仕方でございますけれ
ども、経験的な現象を見ますと、三つの分類ができるんではないかと思っております。
その第一の分類は、俗に言うところの
ソ連の膨張主義というものであります。これは第二次大戦中のフィンランド戦争からバルト三国の合併、あるいはポーランドの分割、あるいは東ヨーロッパの席巻、あるいはイエメン、アンゴラ、エチオピア、最近に至ってはアフガニスタン等々の一連の膨張、それは場合によっては軍事的な
措置を伴った膨張であります。こういうものの性格というものは、これは一概にどういうときに
ソ連が膨張するかということは必ずしも明白ではなくて、個々の
ケースによって多少の違いがありますが、きわめて乱暴に要約いたしますと、
一つには反撃力が、ことに
アメリカの反撃力が非常に弱かったときに出てきているような
傾向がございます。
それからもう
一つは、国によってこれは多少違いますけれ
ども、その国に親ソ政権ができて、その政権の要請によって介入してくるという
ケースもあります。アフガニスタンなどはその
ケースに入ろうかと思うわけであります。これは細かいことを全部申し上げますととても時間がございませんので、第一に一応膨張の
傾向というものが見られる。
それから第二番目に、まことに奇妙なことといいますか、
ソ連には撤退の
傾向があるということも同時に言えようかと思うわけであります。
それを若干の例を申し上げてみますと、第二次大戦の後の
イランの北部のアゼル
バイジャンに英軍と
ソ連軍が駐留したことがございますが、これは英軍が引き揚げた後に
ソ連軍は居直ったわけでありますけれ
ども、当時の西側の強い世論の反撃、
アメリカの反撃等によりましてアゼル
バイジャンから引き揚げた
ケースがございます。それから、一九五五年にオーストリアに駐留していた
ソ連軍がオーストリア国家条約の締結と同時にオーストリアから撤退した
ケースがございます。それから最近の例では、エジプトに、ナセル大統領時代にあそこに
ソ連が基地を設けて地中海の
パトロールなんかやっておったわけでありますけれ
ども、サダト大統領の立ち退き要求を受けて撤退した
ケースがございます。あるいはスーダンにおいても同様な
ケースがありまして、そのほかソマリアな
どもそれに入ろうかと思うわけであります。これはどういう場合に撤退するかというのもこれも一概に言い切れないところがあるわけでありますが、場合によっては強い外部的な圧力を受けた場合には撤退する
可能性がある、それから撤退してもそれに見合う膨大な利益を獲得できるような場合には撤退する
可能性も
考えられるということであります。
それから、第三番目の対外行動のパターンというものは、不介入の
ケースであります。これは、私は主として
ソ連の共産圏内部のことを念頭に置いて申し上げているわけでございますけれ
ども、御承知のとおり、チェコスロバキアに対する
ソ連の介入の後にブレジネフ・ドクトリンというのが出て、社会主義諸国に対して
ソ連は
軍事介入をなし得るというような趣旨のことを明らかにしたわけでありますが、チェコとハンガリーに対しては確かに
ソ連は軍事的に介入した、しかしポーランド、ルーマニア、ユーゴスラビア、
中国、これはいずれも
ソ連に対してかなり厳しい反発
姿勢をとっていたり、国内自由化を進めようとしたり、自主路線をとろうとしたり、さまざまでありますけれ
ども、いまのところ
ソ連が
軍事介入する
傾向はないわけであります。将来のことはわかりませんけれ
ども、いままでのところはないわけであります。どういう場合に
軍事介入、ブレジネフ・ドクトリンによって介入するか、どういう場合に介入しないかということも非常にデリケートな問題でありますけれ
ども、この場合に言えば、抵抗意思の強い国はどうも介入していないようであります。ポーランドにおける強い反ソ感情、ユーゴスラビアの強い防衛意思というようなものが
ソ連の介入を防いでいるのではないかと思われます。
中国の場合でも、あそこへ介入した場合の人海戦術の深刻さというようなものを
考えて介入しないんだろうと思われます。
こういうふうに対外政策の
ケースは三つあるわけでございまして、ここからわれわれはどういう教訓を引き出せるかということは、後でちょっと申し上げてみたいと思うわけであります。
それから第二番目に、
ソ連というのは、
ソ連の
脅威ということがあらゆる角度でいま論議されて、場合によってはあすにでも北海道に侵入してくると、日ソ戦わばというような
議論もかなり多いわけであります。私は現場を知りませんのであるいはそういうことはあるかもしれないとは思っておりますけれ
ども、ただ、われわれは
ソ連の
脅威というものを強調する余り、一種のパニックに陥ってはいけないんではないかという気がしているわけであります。と申しますのは、私の見るところでは
ソ連というものは幾つかの欠点を持っている国家である、これは気取った言い方をすれば粘土の足を持った巨人などという言い方をする人もおりますし、私はよく申し上げるんですが、胃潰瘍の弁慶だと、ミサイルやいろんな、なぎなたやいろんなものを背中にしょっているけれ
ども、どうも胃潰瘍があるということをよく言っておるんでありますけれ
ども、そういう何が問題かと言いますと、たとえばその中には指導者の老齢化というような問題もございましょうし、しばしば言われていることですけれ
ども、
ソ連における少数民族の問題もこれがやがて多数民族になる
可能性を秘めているということもございましょうし、あるいはアフガニスタンなんかにおいて一種のベトナム化というような現象が起こる
可能性もなきにしもあらずでありますけれ
ども、最も私が注目している胃潰瘍の部分と申しますか、は二つございまして、
一つはいわばイデオロギーというものが一種の魅力を失ってしまったということであろうかと思うんであります。これはすでにヨーロッパではユーロコミュニズムというようなものが
ソ連からの独立性を主張しているわけでありますし、あるいは東欧におきましても、もし
ソ連軍というものがいなければハンガリー、チェコスロバキア、ポーランドなどというのは中立国家になっていたに違いないわけでありますし、それから国内的に見ましても、サハロフのような反体制の問題ないしは相続く亡命者の問題、あるいは軍艦なんかにおきましても、一九七五年にストロゼボイ号の反乱がありまして、これは恐らくポチョムキン号の反乱以来の反乱ではないかと私思っておりますけれ
ども、そういうようなイデオロギーに対する不信感があるわけであります。私は直接
ソ連の民衆がどういうふうに
考えているかを世論
調査するわけにはまいりませんけれ
ども、一部の学者の説では、
ソ連の民衆は平和とプライバシーと繁栄を望んでいると、革命後五十数年にしてそういう気持ちになっているという指摘もございます。こういう
ソ連の国内外におけるイデオロギー不信というものがやっぱり胃潰瘍の大きな要素であるということであります。
それから第二番目には、これは私は専門でございませんので明確な数字を申し上げることはできませんけれ
ども、 いわゆる
経済不振というものがかなり深刻に進行しているのではないかと思われるわけであります。これは先般
日本の
新聞にも、
日本政府の分析結果として
ソ連の農業が非常に悪いと、五千万トン程度の輸入をせざるを得ないというような
記事が載っておりましたけれ
ども、大ざっぱに言いまして、
ソ連の
経済というものは労働力の不足という問題、それから資源の不足、場合によっては、その中には石油の不足というような問題も含まれてくるかと思いますけれ
どもそういう問題、それから生産性の低さ、というような問題もあろうかと思うのであります。こういうものがだんだん西側の
経済に依存してやっていかざるを得なくなっているわけでありまして、結局
ソ連が、私の
考えでは、軍備を膨大にしたというのは、大体一九六二年のキューバヘのミサイルの持ち込み事件で
アメリカに非常に強硬な
態度をとられて、それですごすごとキューバから逃げ出したというとき以来ではないかと推定しておりますけれ
ども、そういう中で軍備の強行をしたために、かなりの
経済にしわ寄せが来ているのではないだろうか。それで果たして、いろんな説がございますけれ
ども、GNPの一一%とか一五%とかいう膨大な軍事費というものをいつまで強行することができるだろうか、ある
段階で山、峠というようなものが来る
可能性はないか。つまり無限のわれわれは軍備拡張競争というものを
想定するわけにはいかないということであります。
そういう中で、第三番目に、非常に簡単に西側といいますか、
日本のといいますか、そういうものの対応策というものを申し上げてみたいと思うのでありますけれ
ども、第一番目に、これは常識かもしれませんが、私申し上げたいのは、
日本は防衛の意思は非常に強いけれ
ども、侵略の意思がないということを常に明確にしておく必要があろうかと思うのであります。それで、これは緊張が増大すれば増大するほどそういうお互いの意思の誤解のないように、パイプだけはきちっとつないでおくべきであろうと思うのであります。そういう点が第一点でございます。
それから第二点に申し上げたいのは、軍備競争というものが、これはまあわれわれにとっても重大な
負担になるわけでありますけれ
ども、
ソ連にとっても決して利益をもたらさないということを
ソ連に明確に示していく必要があるんではないかと思うわけであります。たとえば、
ソ連がいま膨大な
軍事力を持っているということが何のために持っているのか私はよくわかりません。人によっては予防戦争をするためだという
議論もございますけれ
ども、まあ私もう少し穏健に
考えまして、その
軍事力でもって何らかの政治的な利益を引き出そうというふうに
考えていると仮に仮定しておきます。たとえば北方領土を放棄せよとか安保条約を廃棄せよとか、
日本に限って言えばそういうような政治的な要求を貫くためにおどかしをつけるというようなことがございましょうけれ
ども、私はそういう
軍事力で政治的な利益を
ソ連に引き出させないように
日本は対応していくべきであろうと思うのであります。あるいは西側も広くそういうものに対応すべきであると思うのであります。そのためにはどの程度の
軍事力が必要なのか、私は専門家じゃございませんのでわかりませんが、一%以内という限定をみずからつける必要はないんではないかという感じがいたすわけでございます。簡単に言いますと、
ソ連が
軍事力を増大しても、西側の全体の力ですぐにそれに追いついてしまう能力をこっちは持っているんだということで、軍拡のメリットを帳消しにしてしまう力を西側が持っていることが必要ではないかと思うわけでございます。
それから第三番目に、先ほど内政と
外交との
関係で申し上げましたが、
ソ連がいまバターよりも大砲をという視点が強いように思いますけれ
ども、仮に大砲よりもバターを、ないしは国内のいろんな諸矛盾の解決の方に漸次力を用いていく、たとえば、いま
中国が毛沢東時代のような戦闘的な
姿勢から内部改革というようなものに行かざるを得なくなったように、
ソ連がいつの日にかそういう内部改革という問題に取り組まざるを得なくなったようなことを
想定して
考えておるわけでありますけれ
ども、そういうような場合に、われわれは
経済交流等によって
ソ連に、言葉はいやですけれ
ども、利益を与えていくというような
姿勢もとってよろしいのではないかと思うわけであります。一番問題なのは、たとえばアフガニスタンのような明白な侵略的行為、
ソ連に言わせれば、単に招待されただけだということでありますけれ
ども、ああいう侵略的な行為があった場合に、こちらから
経済協力を申し出るというのは、かえって侵略を助長する危険性があるかと思うのであります。そのためには、私、こういう一応西側の
姿勢と漠然と申し上げたわけでありますが、こういうことは
日本一国でとてもできることではございませんで、広く西側の
協力体制というものが必要になってくるわけでございます。たとえばそのためにどういうことをやったらいいかということでありますが、いささか書斎の人間としての言い方をお許しいただけますならば、この間、ロバート・コンケストというイギリスの学者がおりまして、
アメリカの上院なんかでも証言しております。彼の書いた「プレズント・ゲインジャー」という本がございまして、現在直面する危機とでも言いましょうか、そういうものがございます。これは対ソ警戒論を説いた本でございますけれ
ども、その中にただ非常におもしろいことは、私にとって参考になりましたことは、イギリスもヨーロッパも新しい大西洋憲章のようなものをつくる時期に来ているんだと。つまり、守るべき価値というものを自由社会が明確にしていく必要があるんだというようなことを言って、ニュー・アトランチック・チャーターをつくれというような主張をしております。
御参考までにその内容を五点ございますので申し上げてみたいと思うんでありますが、開かれた多元的な社会を守っていこう、それから自由討論による問題の解決を図ろう、それから
政府は選挙によって交代し得るんだというプリンシプルを立ててはっきりさせていこう、あるいは独裁や計画
経済などは否定しよう、それからある種のユートピア主義に陥らないように
努力しよう。こういうようなことは、彼は私見として新大西洋憲章などと言っているわけでありますけれ
ども、こういうものは別に機械的にそのままわれわれがまねすることはございませんけれ
ども、西側が、軍事面において、
経済面において
協力し合っていくときの基本的な
姿勢というものは、やはりある程度だんだんわれわれはつくっていく必要があるんではないかという気がしておるわけでございます。
そういう上に立って、私ごとにこういう西側の
協力ということを重視いたしますゆえんのものは、防衛力というものを
考えていく場合に、たとえばよく言われる、防衛力は軍事独裁をもたらすというような
議論がございますけれ
ども、私は、そういうものをチェックするためには、国内的に
シビリアンコントロールということが明確になっていると同時に、国際的にそういう自由主義諸国が、いま言ったような原則を掲げてお互いに相互批判をしていく、余り変なふうにならないというようなことも
一つの役割りになろうかと思っているわけであります。
そういうことと、それから最後にもう
一つ、これは私
憲法上の諸問題の余りむずかしいことは専門じゃございませんのでわかりませんけれ
ども、やはり
日本が国際秩序の形成者として動こうとする以上は、
国連軍というものに対してもっと積極的に
考えていいのではないかと思っております。これは朝鮮動乱型の戦争に
日本が
国連軍として参加できないことは明白でありますけれ
ども、
停戦監視のための
国連軍など、ことに中東地域において、
イラン・
イラクの戦争が終わった後の中東情勢なんかに対応していくときに、
停戦監視能力を
日本が持つということは重要な国際的な寄与ではないかと思っております。
非常に簡単でありますが、私の意見を述べさせていただきました。